真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「風かおる 獣色」(昭和58『獣色官能婦人』のVHS題/製作?/配給:新東宝映画/監督:梅沢薫/撮影:志村敏雄/出演:風かおる・亜希いずみ・末次真三郎・伊達邦彦・荒木太郎・ラッキー《コリー犬》)。
 新東宝ビデオ開巻、階段の下に控へるノースリーブの男と、顔は可愛らしい割に結構な大型犬。呼び鈴が鳴り、犬に続き男も二階を見上げてVHS題でのタイトル・イン。即座に当サイトが涙の海に沈んだ惨劇に関しては、後述する、までもないかしら。
 ロベール(ラッキー)を悩ましく迎へた山荘―劇中用語は別荘―の女主人・高杉美保(風)は、御犬様に煙草の匂ひがついてゐるのに激昂、下男の荒木(伊達)を鞭でしばき倒す。しばき倒しながらも、すぐさま気を取り直して“何時ものやうに”と指示。荒木がこすこす扱いて大きくしたロベールの犬根を、挿入させ喜悦する。尤も、御犬様的には所詮知つたことでもないとはいへ、このロベールが全く以て芝居勘が悪く、犬マターの間が矢鱈とまどろこしいのと、いざインサートする段もする段で、何をどうしてゐるのか正直よく判らなかつたりもする。禁忌に触れるセンセーションといふよりは、漫然か漠然とした印象が如何せん強い。直截なところ、風かおるが乳を自分で揉み恍惚とする。そのショットだけで寧ろ、余程満足に戦へたのではなからうか。
 配役残り、初戦は兎も角完遂、カット跨ぐと朝の身支度で飛び込んで来る亜希いずみは、RESTAURANT & JAZZ SPOT「J」―新宿区新宿五丁目に現存する!―のピアノ弾き・ミヤコ。末次真三郎がミヤコの夫で、小説家のウエダノリオ。荒木太郎は「J」の浪人生アルバイト店員・杉村、まさか椙村とか、杉邨なのか。ミヤコに激しく執心、忸怩たる劣情を拗らせ滅多矢鱈に突つ込む様は、俳優部荒木太郎の十八番。もう一人、「J」の支配人が台詞も一言二言なくもない程度に見切れる。ところでウエダを間に挟んで美保とミヤコは三年前、ウエダが美保ではなく、ミヤコを選んだ三角関係にあつた。その後結婚した資産家が死去、財産を相続した美保は、「J」に電話を入れミヤコを呼び出し、ウエダも伴ひ山荘に招く。
 インターフィルムの新着だからといつて、必ずしも国映作とは限らないのかも知れない梅沢薫昭和58年第二作。雲を掴むやうな塩梅で甚だ恐縮だが、そもそもスッカスカなjmdbの火に油を注ぎ、梅沢薫と志村敏雄に、俳優部も頭三人しかクレジットしない新東宝ビデオのクソ仕様が兎にも角にも話にならん。それ、でも。見られるだけマシの世界、量産型娯楽映画の地平は豊饒の沃野か、はたまた不毛の荒野か。
 ウエダの強姦プレイに激怒したミヤコは、一人で美保の山荘に。その夜も相変らず“何時ものやうに”憚らぬ美保の獣色に、ミヤコは脊髄で折り返して臍を曲げるか匙を投げ、翌朝踵を返さうとするも猟銃を操る荒木に捕らへられる。緊縛された上で美保と棹は棹でも人の棹どころか犬姉妹にさせられたミヤコが、何故だかロベールに完ッ全に囚はれる。個人的にはマーケティング的な訴求力がてんでピンと来なく、なほかつ実際の撮影現場では何せ動物を人間と正しく絡ませるだけに、相当な困難も容易に予想される。エクセスにせよ当の新東宝にせよ、現に当たつたといつてゐるでないかとはいふものの、蓋を開けてみれば生煮える試(ためし)の多い一大鬼門・獣姦もの。獣姦ものに、何でだか皆目判らないけれど―美保とは違ひ、ウエダのゐる―ミヤコがロベールの虜になる、裸映画の下駄も上手く履いた超展開で無理から起承転結を整へると、ミヤコが杉村をロベールに看做す効果的な大技も爆裂。困つた時か最後は荒木の猟銃に適宜火を噴かせ、木に竹を接ぐスレッスレの美保の絶対的な寂寥と、いはゆる終りなき日常的なラストに硬着陸。繰り返すが、丸々と膨らんだ悩ましいオッパイを風かおるが自分で揉みしだき恍惚とする。出来ればその甘美なる陶酔を延々と延々と何時までも永久(とこしへ)に眺めてゐたかつた心は確かに残しつつ、端から困難な素材を、どうにかかうにか劇映画として最低限の形に落とし込んだ形跡の窺へる、飛躍まで含め案外ロジカルな一作である。


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 「お姉さんの性生活 抜かせ放題」(1994『どスケベ姉さん -ハメ狂ひ-』の2001年旧作改題版/企画:セメントマッチ/製作:オフィスバロウズ/提供:Xces Film/監督:池島ゆたか/脚本:五代響子/撮影:下元哲/照明:郷鈍浮入澄/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/助監督:高田宝重/監督助手:森山茂雄/撮影助手:郷田アール・田中益浩/照明助手:穂手留幸和/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:原恵美子・吉行由美・神戸顕一・杉原みさお・池島ゆたか・小林一三・山科薫・黒沢俊彦・山ノ手ぐり子・沢木るか・《写真》鶴水まひる)。出演者中、小林一三・沢木るか・鶴水まひるは本篇クレジットのみ。照明部は二人とも誰の変名なのかといふ以前に、郷鈍浮入澄は一体どう読ませる気だ。
 騎乗位でユッサユッサ弾むロケット乳を、アオリで抜くジャスティス開巻。殆どその瞬間に、この映画の勝利を確信したといつても過言ではない。十九歳女子大生の長谷川なつみ(原)が、教授の安藤(池島)を自宅に連れ込む。なつみの両親(遺影は沢木るか、と高田宝重)は親不孝娘いはく“財産遺して早死に”、少なくとも二棟のマンションを相続したなつみは、悠々自適セックス三昧の生活を送つてゐた。何回戦目かの再戦を期して、尺八を吹いてゐるところに無粋な電話が鳴る。姉からで、義兄急死の報になつみが度肝を抜かれると、ジャジャジャジャンとベタな劇伴が起動して暗転タイトル・イン。明けて飛び込んで来る義兄・桃山サトルの遺影が、小林一三こと樹かずの本名。無体な会社から早々に社宅を放逐された、姉のケイコ(吉行)がなつみ宅に転がり込んで来る。劇中文言ママで“種違ひ”のケイコとなつみは元々姉妹仲が宜しくなく、男を連れ込めないとなつみは窮する。さういふ差別的な遺言でも残してゐたのか、ケイコが遺産―大半はなつみ実父である宝重の財産―の恩恵を受けてゐないらしき素朴な疑問に関しては、豪快に放置して済ます。
 配役残り、樹かずに勝るとも劣らず大正義イケメンの黒沢俊彦はなつみにとつて年長の幼馴染で、今はマンションの住み込み管理人・ケンジ。ケイコを訪ねて来る神戸顕一は、サトル込みの三人で高校の同級生・青柳拓郎。サウンド・オブ・サイレンスなんて鳴らして幕を開ける、色調もセピアな高校時代の回想が、カット跨いで巴戦に突入する超飛躍には吃驚したものの、文句なく正しい、絶対的に正しい。杉原みさおは後輩のなつみに対抗心を燃やす、佐伯か冴木ミユキ。多忙の安藤になつみが構つて貰へない、流れで登場のタイミングが読めた山科薫は、なつみがテレクラで調達する男。誰か知らんけど普通に美人な沢木るかは、ミユキの友達。そしてイコール五代響子の山ノ手ぐり子はケイコを急襲する、サトルの子供を妊娠したと称する女・尾崎弥生か彌生。
 地元駅前ロマンに着弾した、これまで未見の池島ゆたか1994年第三作。何はともあれな決戦兵器が、山科薫に誇示する劇中スペックでバスト98.5cm・Gカップ、おヒップもパッツンパツンに見事なダイナマイト・バディで銀幕を轟然と撃ち抜く主演女優。サックサク俳優部が登場する、軽快にして案外完璧な序盤を通してあつらへた、なつみがケイコに早々に出て行つて欲しい下地を、態度を豹変させた山科薫になつみが犯される絡みで加速。尾崎の件で姉妹を―何となく―和解させ、そして最大の妙手が、安藤をミユキに寝取られる一件を通して、なつみが捨て鉢紛れに青柳と寝て濡れ場の回数を稼ぎつつ、最終的にはそれまでケンジの片思ひであつた恋路を成就させる。三番手―と山科薫―を展開の動因に機能させる的確な論理が素晴らしい、綺麗な綺麗な裸映画。脇を固めるのが吉行由美に杉原みさおとなると、当然オッパイ・ストリーム・アタックも爆裂。挙式目前のケイコ・青柳と、その内のなつみ・ケンジが乱交するクライマックスも無茶苦茶なんだけどだからジャスティス。物語だとかテーマだとか蓋然性だなどと、然様な些末シネフィルにでも喰はせてしまへ。タップンタップンな女の裸を一時間タップリ堪能させて、後には清々しい余韻しか置いて行かない慎ましやかなピンクの完成形。要らぬか至らぬ筆を例によつて臆面もなく滑らせると、梯子を外された事件については擁護するに吝かでなく個々の論考に対しては首を縦に振るべき点も大いにあるにせよ、括弧つきだらうと何だらうとピンクが終つただの大啖呵を切るならば、荒木太郎には今作クラスをせめて一本くらゐはモノにした上でにして欲しかつた、完全に過去形かよ。


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 「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/制作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:工藤雅典/共同脚本:橘満八/音楽:たつのすけ/撮影:井上明夫・村石直人/照明:小川満/録音:大塚学・武田太郎/整音:Pink-Noise/仕上げ:東映ラボ・テック/VFXスーパーバイザー:竹内英孝/助監督:永井卓爾/撮影助手:森田義勇・安藤昇児・丹野美穂/制作応援:小林康雄/演出部応援:山梨太郎/ポスター:MAYA/スチール:伊藤太・KIMIKO/協力:ネクスト・ワン、KOMOTO DUCT/出演:並木塔子・安藤ヒロキオ・水川スミレ・生田みく・折笠慎也・小滝正大・酒井あずさ《友情出演》・古本恭一・飯島大介)。出演者中酒井あずさのカメオ特記は、本篇クレジットのみ。それと、ネクストワンをネクストとワンで区切るのは初めて見た。
 積極的に味のないタイトル開巻、屋上を、清掃員が掃除するロング。手を止めた安藤ヒロキオが、「こんな街、消えてなくなればいい」と毒づく。万感の思ひを込めて同意する視座ながら、以降一切全く一欠片たりとて深化されるでなく、思はせぶりなばかり且つ、正直この期に手垢も避けて通る風呂敷なんて、無駄になら広げなければいいと最終的には匙を投げた。相原建一(安藤)の部屋を、荷物をまとめた鈴音那美(水川)が出て行く。ルックスの見覚えよりも、特徴しかない台詞回しに聞き覚えのあつた水川スミレが、今は亡き関根和美がらしい豪快な破壊力を振り抜いた2016年第二作「美人妻覚醒 破られた貞操」主演から二年空けて、ピンク二戦目となるex.水稀みり。この界隈とかくよくある、事務所移籍に伴ふ改名といふ次第。相原は那美と野間裕介(折笠)の三人でお笑ひトリオ「キッシンジャー」を組みそこそこ活躍してゐたものの、要は那美を野間に寝取られる形で解散。野間と那美がコンビで活動を継続する一方、足を洗つた相原は燻つてゐた。ある日、勤務先である清掃会社の社長(飯島)に相原は新人の並木和代(並木)を紹介される。和代は相原も尊敬する、酒と女好きで借金だけ残して死んだ大先輩芸人・並木貫太郎の未亡人であつた。貫太郎に関しては、遺影すら登場せず。何かまた気の利いたTシャツをキメた、広瀬寛巳の出番であつたやうな心も残らなくはない。
 配役残り小滝正大は、相原旧知の構成作家・田所はじめ。今作殆ど唯一正方向の評価に値するのが、安酒場でないと飲みきらない相原に対し、田所が「貧乏なのは政治の所為」。工藤雅典と橘満八、何れの筆による台詞なのかは当然知らないが、その認識は、令和が順調に平成を無駄死にさせてゐる目下に於いては極めて重要であるやうに思へる。それは、兎も角。誰か、小滝正大に大仰でない普通の芝居をさせられる、敏腕通り越した豪腕の演出家はゐないものか。山﨑邦紀2017年第一作「性器の大実験 発電しびれ腰」(主演:東凛)以来の酒井あずさは相原が劇中判で捺したやうに常用する、今やステージ・ドアーと並ぶ大定番物件、居酒屋「馬力」の女将。そこそこ大所帯を構へた馬力隊に、視認出来ただけで西村太一・国沢実・鎌田一利。後頭部しか見切れないが、高橋祐太もゐたやうな気がするのは半信半疑。「馬力」が出て来る度に、馬力隊も使ひ回す、何時も何時でも常連客で賑はふ店なんだね。映画製作団体「KOMOTO DUCT」主宰の古本恭一と生田みくは、往来の片隅にも関らず―照明をキッチリ当てた―乳も露に尺八を吹かせようとするサラリーマンと、助けに入つたつもりの相原を、罵倒して立ち去る女・静香。相原は距離を近づけた和代と一点張りか馬鹿の一つ覚えの「馬力」を経て、大雑把な繋ぎでラブホテルに入る。和代を家まで送り届けた相原は、貫太郎の連れ子で後妻の和代と血の繋がりはないとはいへ、静香が和代の娘であるのに驚く。ありがちを超えた、凶暴な世間の狭さではある。
 映画通算第十七作となるデジエク第三弾「連れ込み妻 夫よりも…激しく、淫靡に。」(2014/主演:江波りゅう)から気づくと早四年、工藤雅典驚天動地の大蔵電撃上陸作。なほ今年に入つてオーピー三作目も発表、工藤雅典は普通に継戦してゐる模様。同じ出自でも早々に離れた後藤大輔―齢もひとつ違ひ―とは異なり、にっかつ入社で以降も日活のVシネでデビュー後エクセスを主戦場として来たいはば生え抜き中の生え抜きである工藤雅典の、大蔵移籍には本当に度肝を抜かれた。映画以前の衝撃に霞みつつ、外堀的には佐藤吏2009年第一作「本番オーディション やられつぱなし」(2009/脚本:金村英明/主演:夏井亜美・日高ゆりあ)ぶりとなる本格芸人ピンクでもある、本格?一点忘れてゐたのが飯島大介のピンク参戦も、「連れ込み妻」以来。
 筆の根も乾かぬ内に前言を翻すと、超口跡の水川スミレを連れて来た時点で、芸人ピンクだなどと所詮は悪い冗談未然。そもそもネタが悪いのか演出に足を引かれてか、安藤ヒロキオも元職にしては、ピクリともクスリとも輝かず。相原と“師匠の女将さん”といふ訳でもない和代の恋路も恋路で、和代の手酌に相原が慌てた弾みで指先が触れた馬力から、カット跨ぐとラブホのネオン、とかいふ即席やうでは情感もへつたくれもあつたものではない。重ねて処遇に窮したのか単にトチ狂つたか、静香が貫太郎の死以来、色情狂だなどといふのは木に竹も接ぎ損なふバーホーベン、もとい魔方便。如何にもなギミックにせよ、せめてコメディなりファンタに片足突つ込んだ物語にでもして呉れないと、裸映画ナメてんのかと呆れ果てた。挙句百歩譲つて相原を主役と見做すとしても、締めの濡れ場を三番手に委ねる駄構成には唖然とする以外に何が出来ようか。順番的に最後の絡みが相原の保身を図つて野間に手篭めにされ、たのに罵られた相原を、終には義理であれ娘に寝取られる。和代の扱ひが余りにも酷過ぎて、涙も枯れた代りに屁が出る。廊下奥の闇に沈む静香を除けば、画的にも見応へのあるショットは特に見当たらず、ラストしんしんと降らせてみせた―CGの―雪も、精々白々しさを増すのが関の山。詰まるところが、第二作「美人取立て屋 恥づかしい行為」(1999/主演:青山実樹)と、第四作「美人おしやぶり教官 肉体《秘》教習」(2001/主演:岩下由里香/二作とも橘満八との共同脚本)が紛れ当りか何かの間違ひで、所詮工藤雅典なんぞこの程度。といつてしまへば実も蓋もなくなるほかなく別にそれで構はないが、枯れ木ほども山を賑はせないストレートな凡作。わざわざ工藤雅典をエクセスから連れて来るくらゐなら、もつと撮らせるべき人間がオーピーは身近に幾らもゐるのではなからうかだなんて、無粋か下衆なツッコミを禁じ得ない。


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 「はめられて」(1991/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/原案:三条まゆみ/脚本:池袋高介/撮影:大道行男/照明:内田清/編集:金子編集室/音楽:OK企画/助監督:石崎雅幸/撮影助手:青山弘・伊東仲久/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:小川真実・水鳥川彩・織木かおり・武藤樹一郎・久須美欽一・工藤正人・太田和幸・姿良三・熊谷一佳・小出徹・鳥羽美子・野上正義)。出演者中、織本でなく織木かおりは本篇クレジットまゝ。同じく姿良三は、小川和久(現:欽也)の変名。
 シャワーを浴びる妻の美子(織木)から呼ばれ、三村健二(武藤)も風呂場に入りオッ始める。乳を揉まれるバストショットに、まるで怪談映画のやうな仰々しい劇伴を鳴らしてタイトル・イン。新進ミステリ作家である三村の仕事場は、未だ団地住まひのダイニングキッチン。やれテレビ、やれ講演会と急増した執筆以外の仕事に三村は嬉しい悲鳴をあげつつ、燻るのも通り越し荒れてゐた三年前を回想する。客とホステスといふ形で出会つた、無軌道な女・香山―加山とかかも―明美(小川)。ピストルはアタシが処分するだ、誰にも見られてないだの物騒な会話も飛び交ふ絡みは中途で端折る。ヤクザに殺されたとかいふ噂もあつた明美はところがどつこい生きてゐて、サラ金の利息代りと称して久須美欽一に犯されてゐた。久須りんが辞した流れでテレビを点けた明美は、出演する三村を見て驚く。問題の三年前、三村は明美の手引きで、改造銃を得物に強盗目的で丸安ビルに侵入。ところが秒殺で見つかつた警備員(太田)を、ものの弾みと思ひのほかな殺傷力で三村は撃ち殺してしまつてゐた。
 配役残り熊谷一佳・小出徹・鳥羽美子は、ホスト二人と豪遊する女。工藤正人が、三村から毟り取つた金で明美が買ふか飼ふホスト・アキラ。熊谷一佳と小出徹に鳥羽美子に話を戻すと、二度ある出番は何れも三人越しに明美とアキラを抜くためだけの、純然たる置物要員。そして、ある意味でのハイライト。アキラ相手に明美が爆裂させる史上空前に煌めくツンデレが、「アンタはドジだけど、モノだけは立派なんだからあ」。よしんばその一言のみであらうとも、小川真実にさういはしめさせた今作には確固たる意味があつたと思ふ、異論は認める。
 気を取り直して水鳥川彩は、アキラの情婦。裸映画的になほさら地味に際立つ難点が、代り映えしない室内での絡みがおまけに画面のルックまで変らないゆゑ、アキラと水鳥川彩の情交から三村家の夫婦生活に繋げた際、体位移動に一々暗転したのかと軽く混乱させられる。声―と背格好―で判断するしかない姿良三は、三村家に原稿を貰ひに来る編集者、首から上は満足に捉へられない。満を持して最後に大登場、後述する画期的な構成を頑丈に支へ抜く野上正義は、明美殺害事件を捜査、するかのやうに装ふ刑事、刑事は確かに刑事。
 どうもjmdbが、織本かおると織本かおりを混同してゐるのではないかといふ疑念に基づいての、小川和久1991年第三作。織本かおる川上雅代に改名後、五年のブランクを経てひよつこり復帰してゐるかの如くjmdbに記載されてあるのは、案の定織本かおりとのコンフュージョン。また本クレが御丁寧に横棒を一本忘れて織木にしてゐるとはいへ、一目瞭然、三村の嫁役は紛ふことなき織本かおるである。
 成功した男が、過去を知る女から強請られる。尤もその、脛の傷がデカ過ぎて感情移入なり擁護する気にもなれない、ほぼ全員悪人なアウトレイジ・ピンク。明美に虐げられ爆ぜるアキラは、明美曰く二人ゐる“何でもいふことを聞く男”の自分でないもう一人に、明美殺しをヒッ被せようかと思ひかける。色んな男が殺したくなる女、といふ魅力的なサスペンスには、必ずしも発展しないものの。二度目の水鳥川彩との絡みを経て、アキラが自首しての残り十分。女の裸を僅かなインサートの誘惑さへグッと我慢、ガミさんと武藤樹一郎の丁々発止で乗り切る、凡そ小川欽也の映画とは思へない大胆な構成には吃驚した。中身も一難去つてまた一難、一人の悪党が退場したかと思へば次の悪党がやつて来る、無間地獄展開にそもそもな悪党が豪快なクロスカウンター。いはゆる持たざる者の強み的なテーマにも辿り着き、普通に面白く見させるのが直截にいへば予想外。元々の原案が秀でてゐたのか、膨大な主演作を撮つた三条まゆみの叩き台に、今上御大がイズイズムも捨てる余所行きの意欲を見せたものかは判らないが、時期的な特徴なのか無造作どころか無作為な画面の暗さには目を瞑ると、ぞんざいな公開題に反しなかなかの一作である。


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 「箱の中の女 処女いけにへ」(昭和60/提供:にっかつ/監督:小沼勝/脚本:ガイラ/プロデューサー:半沢浩/企画:植木実/撮影:遠藤政史/照明:田島武志/録音:佐藤富士男/美術:川船夏夫/編集:奥原茂/VE:遠藤進一/助監督:高根美博/選曲:山川繁/音声:田村和生/現像:東洋現像所/小道具協力:SM用品専門店 セビアン/ロープハンター:髭/宣伝:東康彦/製作担当:江島進/出演:蔡令子・田村寛・草薙幸二郎・三上剛仙・小原孝士・木築沙絵子)。脚本のガイラは、小水一男の変名、製作のクレジットが見当たらなんだ。
 そもそもビデオで撮影した上でフィルムに転写したキネコを、デジタル上映する地獄の底の、更に床下。・・・では流石になく、ビデオ原版。何だか軽く残念な、複雑な心境。ファッションの酷さに頭が腐りさうな嫌悪感を覚える、80年代新宿の雑踏。路駐したライトバンの内側視点に切替り、窓ガラスに女が手を張る。勇一(田村)と由紀子(葵)が、手マンから騎乗位に繋げる車中夫婦生活。外から見えないのかよといふ疑問に関しては、いはゆるマジックミラー仕様。助手席とフロントは除くのと、因みにSODが御馴染マジックミラー号シリーズの第一作を発売したのは、実に十一年後となる1996年。公の発言を鵜呑みにする限りでは、テレビバラエティの企画に想を得たもので、今作の影響は受けてゐない模様。
 クレジットは遥か昔に通過、藪蛇に国会議事堂なんて抜いてみせたりもしつつ、勇一と由紀子が、何某か腹に含んでゐる様子を匂はせる。鉄格子や吊るされた鎖で物々しい一室、勇一がDIYに勤しむ七分四十秒、漸くのタイトル・イン。獲物の女を捜す二人は、軒先で雨宿りする保母志望の女子大生・池田実千代(木築)に目をつける。由紀子が接触、親切を装ひ車に乗せた実千代を、ナイフで脅して誘拐。保安車輌でも走らせるのか、線路の敷設された巨大な地下水路?を経て、勇一と由紀子は実千代を頭部は左右に割れる形、首から下は天面に頭を通す穴の開いた観音開きの箱の中に監禁。破瓜を散らせるに止(とど)まらず、後ろも劇中用語で肛門セックス。一度逃亡を図つた後(のち)には、小陰唇を穿孔し鎖を通す、壮絶な凌辱を加へる。
 配役残り草薙幸二郎と小原孝士は、勇一と由紀子を取調する刑事。遣り取りと胸元のバッジを窺ふに、三上剛仙は被害者側の弁護士か。事件後何故か一躍脚光を浴びる実千代が、凄まじくダサいイメージビデオ風の謎撮影に臨む一幕、大量に見切れるスタッフとか報道陣は不明といふか知るか。あと、マジミラ要員の女二人も。
 勃興するアダルトビデオに追ひ込まれた瀕死のロマポが、ビデオ撮り本番撮影の過激路線で逆襲を試みた晩年の毒々しい徒花企画「ロマンX」。の、エース格・小沼勝を擁した第一弾。鬼畜男―と隷属する妻―が二十歳の女を七年の長期に亘り監禁した、前年世界を震撼させた実話に基づいてゐる。百年を超える懲役を喰らつた犯人は、死んだといふ話も聞かないゆゑ、恐らく今なほ服役中。
 アナルとビアスについては何処まで本番なのかは兎も角、未だ少女のあどけなさも残す木築沙絵子が大概な加虐を通り越した暴虐に曝される様は、低劣な琴線に触れるどころか引き千切る箍のトッ外れた迫力に溢れる。犯罪史に、その名と所業を残す。夫妻の明後日か一昨日な野望が巻き起こす後半の急展開は、グルッと一周して陳腐なラストまではある程度秀逸で、海を背に、大小二つの立方体がポカーンと置かれたロングは形容し難いシュールさを醸す。単に忍び込むだけならばまだしも、実際に鉄道車輌を走行させもする巨大水路のロケーションは、如何に撮影したのか確かにAV離れした映画の水準に達してゐよう。
 親告罪の範疇をとうに通り越してゐるにも関らず、実千代が告訴しない結果、勇一・由紀子は何でか知らんけど釈放される。自身らに浴びせられる世間の激しい罵声と憎悪、即ち裏返した強い関心を夢想し恍惚の表情を浮かべる勇一が、それらの一切存在しない現実に愕然と我に返るシークエンスなどは実に見事ではあれ、ところが画質以前のアキレス腱がクソ以下に温い劇伴、でさへなく、変態夫婦の脆弱なキャスティング。体こそ綺麗なものの、顎のしやくれた蔡令子は美人不美人の徳俵を割るはおろか走り幅跳びで豪快に飛び越える。田村寛も田村寛で、大杉漣の下卑た劣化レプリカ。フィルム補正の下駄も履けない以上、ビリング頭二人が画面を支へるにどうにも難い。さうなると繰り上がるハイライトは、刑事部の見守る中、三上剛仙の質問を受けながらも、完全に調教の終了した風情の実千代が俄かに点火し殆ど乱交へと雪崩れ込む件。実千代は―まだつけてゐた―ラブ鎖を最初三上剛仙に渡し、扱ひに窮した三上剛仙が、草薙幸二郎に押しつける。押しつけられた草薙幸二郎が腰も入れて身構へ、神妙な面持ちでクイックイッ。引かれるや実千代は喜悦、また草薙幸二郎は神妙な面持ちでクイックイッ。クイックイッ、途轍もない下らなさに感動した。


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 何だかんだ話題のベスト&ワーストテン号でもある、映画芸術470号に荒木太郎が特別寄稿した『「ピンク映画」は終はつた。』に漸く目を通した。職場近くの紀伊国屋には紀伊国屋にも置いてなく、十九時で閉まる勤め人に優しくない図書館は発売後一週間を経て、依然先月号を最新号面で開架してゐやがる間抜けな始末。映芸に辿り着くのに、斯くも苦労するとは正直思はなんだ。以降表題始め引用に際しては、全て原文は珍仮名である。古き良きサムシングに対する郷愁が人一倍強さうな割に、荒木太郎が仮名遣ひに於いては過てる国語政策に唯々諾々と従つてゐる模様。全く以て、奇怪なる国家と国民ではある。

 閑 話 休 題、自身が―何処からどう見ても―昭和天皇に扮した2018年第一作が土壇場も土壇場の封切り前日に、のち中止に悪化する上映延期。以来、荒木太郎と脚本を担当したいまおかしんじがオーピー映画から締め出された「ハレ君」事件については、脚本をチェックした上で撮影させて初号試写まで済んでゐる以上、大蔵が梯子を外した挙句蜥蜴の尻尾の如く、荒木太郎―といまおかしんじ―を抹殺したとするのが当サイトの認識であり、その認識を改めるに足る新しい材料も、未だ少なくとも公には出て来てゐまい。この件に関する今回の記述はといふと、“それについては又いづれ”とあり、その内、再び荒木太郎が誌面に現れる日が来るのかも知れない。
 “終はつたといふよりも、終はつてゐたのだと思ひます”。挑発的な一文で火蓋を切る荒木太郎のピンク映画終息論のこゝろは、端的に掻い摘むとフィルム時代の終焉と、一般的な企業としては至極普通な人の異動にも伴ふ、大蔵の変節ないし変質。“本数が人を育ててゐた時代”、“点ではなく線としての育つ場”、“一本限りの、点ではない、帯としての戦ひ”といつた言葉は量産型娯楽映画の量産型娯楽映画ならではのアドバンテージを的確に捉へ、フィルムからデジタルへの移行を、“時代を進めたのではなく、時代を棄てた”と難ずるのも通り越し断じてみせる姿勢には、惰弱な繰言を超えた凄味が漲る。反面、同じ裸映画にも関らずな、性懲りもなく現存する“にっかつの差別意識”に触れておきながら、ピンクを“見てもないくせに、なぜ優越感を持つのだといふ怒り”は、後述する城定秀夫によるVシネ畑から返つて来る盛大なブーメランを免れ得ず、二言目にはケンシンケンシン“献身”を濫用するのも鼻につく。その手の利他を称揚か美化する態度は、目下の社会情勢にあつては平成を無駄死にさせるだけではなからうか。誰も儲からないのを平等と評してどうする、そんなものは単なる負の平等、みんなで儲けるんだよ。“終はつてゐたはずのものを終はつてゐないと希望をもつて終はつてゐないふりをして続けてゐた”ゆゑ、ピンクを撮れなくなつたとてさしたるダメージも負はないとするのは、負け惜しみぶりが余りにもいぢらしくていぢらしくてえゝいあゝ。
 界隈に目を向けると、ともに俳優部で対照的な反応を見せたのが、松浦祐也と川瀬陽太である。“今現在のピンク映画界をここまで真摯に書いた文章は少ない”とさへ捉へ、荒木太郎当人と映芸編集部に謝意を表する松浦祐也に対し、大雑把に要約か大概に意訳すると、よしんば非道い顛末で終らされたにせよ、アンタが終つたからといつて、ピンクも終つただなんて冗談ぢやねえといふのが川瀬陽太のレイジ。尤もその温度差は解釈なりパーソナリティーではなく寧ろ、松浦祐也がとうにピンクを通り過ぎた一方、川瀬陽太は令和の大杉漣に何時でもなれさうな今なほ、志半ばにして死んだ戦友をも背負ひ頑強に戦線に留まる。各々の立ち位置の相違に、より基づくものであるやうに映る。半ば以上に突き放した、城定秀夫の生温かい賛同以外に演出部のリアクションは、ネット上をザックリ探した程度では俄かには見当たらない。
 関根和美が死に、仁義を通さうとした池島ゆたかは塩漬け。新田栄と深町章は隠居、旦々舎も長く雌伏する。反面、ナベどころか、今上御大が伊豆映画で監督人生三つ目の元号に軽やかに突入し、吉行由実や清水大敬も―それなりに―堅調。国沢実や竹洞哲也よりは、加藤義一にまだ大成の目が残されてゐるやうな気がして来た。兎にも角にも、量産型娯楽映画は量産しないことには始まらないが、昨今のOPP+に重きを置いた外様組が一発限りの冷やかしか賑やかしで、量産しないとは必ずしも限らない。お山ならぬ小山の大将から脱け出せない友松直之は兎も角、本人が拒むのでなければ、城定秀夫や山内大輔は当然機会を与へられて然るべきである。希望の星たる小関裕次郎は、現時点で着弾してゐないため残念無念未見。荒木太郎は“街から国から「ピンク映画」が消えた”、“「ピンク映画」を許す世界が消えた”と芝居がかりにぶつてのけるが、そもそもそれでも残存するフィルム上映の小屋は何時消えた。それは不遜にして、非礼極まりない勇み足。流石にピンク映画ごと終つたとまでいふのは、守旧的な観点からも些か早計で、勝手に終らせて貰つちや困る。尤も近隣の旗艦館たる前田有楽を喪つた時点で、当サイトは小屋に対するセンチメンタリズムも捨てた。書物を全くの実用品と見做した森鴎外に倣ひ、ピンクもいはば実用品。未知の新作との間にさしたる差異を認めない、未見の旧作含め円盤だらうと配信だらうと、形はどうあれ見られればそれでいい。極論するならば、小屋も未配信の弾が飛び込んで来る、最早チャンネルのワンノブゼンに過ぎない。小屋で観る、フィルムで映写されたものこそが、あるいはもののみが映画。本来の然るべき在り様としては確かにさうであつたにせよ、真正を標榜する保守らしからぬ出鱈目をいふやうだが、この期に及んでその手の綺麗事なり絵空事に囚はれてゐたところで始まらない。立ち止まりたい者は、立ち止まればいい。旗を下したい者は、辛抱しないで下せばいい。俺はさう思ふし、前から後から、もとい前か後か知らんけど、もう少し歩いてみるつ・も・り(๑´ڡ`๑)


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 「新妻真昼の暴行」(昭和58/製作・配給:新東宝映画/監督:梅沢薫/脚本:片岡修二/企画:伊能竜/撮影:志村敏夫/照明:斉藤正明/スチール:田中欽一/編集:酒井正次/音楽:恵応泉/助監督:滝田洋二郎/監督助手:房洲雅一/撮影助手:渋田健二・乙村隆男/照明助手:佐久間一・上林明/録音:銀座サウンド/現像:東映化工/出演:風かおる・青木マリ・織本かおる・神原明彦・北村大造・太田仁・中西明・大杉漣・下元史朗)。スチールの欣一でなく田中欽一は、本篇クレジットまゝ。出演者中太田仁は、本篇クレジットのみ。
 赤と青の風船越しに、下元史朗がマンターゲットを撃つ。傍らには咥へ煙草でエプロンの、如何にも店主然とした多分中西明が。ルポライターの佐伯(下元)―と来ればまづ下の名前は恭司にさうゐない―が、検索してみても出て来ない、ローガンMk-3マグナムとかいふ銃を買ふ。店主いはく、素人には勧められないが狼の目をした佐伯ならば使へるとのこと。もう一発撃つ佐伯の鋭い目のアップから、普段着なのか江藤明子(風)が浴衣で洗濯物を干す。江藤にしては、倫子でない。兎も、角。明子がお手洗ひに入つた隙に、鍵のかゝつてゐない玄関―後々、日頃の不用心を埋める段取りあり―から野沢と来ると、こちらも当然の如く恐らく俊介(大杉)が侵入。用を足した明子が、野沢に漸く気づいてタイトル・イン。手篭めにしかけるまでに、カメラがグイングイン動いて何気に二分回すのと、断じて看過能はざるのが、浴衣を乱暴に剝かれる際、豊かに波打つ風かおるのオッパイがジャスティス。
 佐伯がくつろぐ部屋に明子の夫で、佐伯にとつては義弟にあたる郁夫から妻の誘拐を告げる急報が入る。輪転機が高速で稼働する今や懐かしのイメージに、“東京医療社長 殺される”と、“犯人の商社マン 飛び降り自殺”の見出しが躍る。郁夫がスーサイドした現場を訪れた佐伯は、郁夫の勤務先であつた紅屋か紅谷商事重役・黒岩(北村)を訪ねる。正式社名東京医療機器と城南医大への高額機器納入で争つた紅屋には、贈賄の噂が囁かれてゐた。
 配役残り織本かおるは、黒岩の秘書・セガワナミ。神原明彦と、最初セーラー服を着てゐるのはさういふプレイに違ひないと思ひたい青木マリは、東京医療専務のウエハラとその愛人・ユミコ。映り込む程度の郁夫の遺影が、本クレのみ推定で太田仁か。それ以外に、往来の通行人以上の人影も見切れない。
 国映大戦するつもりが偶然見つけた、タグなし「Viva Pinks!」レーベル(日本ビデオ販売)作。梅沢薫昭和58年第十四作で、殲滅戦再起動第十五戦。梅沢薫は、改めて調べてみると昭和54年の日本シネマ作なんてクラシックまでex.DMMで見られるゆゑ、近々見る。案外、底がない。それと今作、一昨年急逝した大杉漣の追悼でも上映されてゐた模様。
 最初に紅屋の銘板なり、交換した名刺を抜く一手間で簡易に回避可能な障壁にも素人考へでは思へつつ、当初黒岩の所属が判り辛い点が無駄に錯綜させる因縁を整理すると、社長の座に座りたいウエハラと、東京医療を傘下に収めたい紅屋の合致した思惑で、東京医療社長が始末され、郁夫も巻き添へを喰ふ。明子の誘拐は、東京医療社長殺害に二の足を踏む、郁夫を脅迫するとかいふ方便。仮か実際には野沢が手を下したスケープゴートにせよ、如何せん決して小さくはない飛躍に関しては、だからブルンブルン悩ましく波打つオッパイのエターナルなエモーションに免じて、その手の微に入り細を穿つ野暮は控へるべきだ。さて、措き。妹夫婦を喪つた佐伯が、復讐の狼と化すシンプルな寸法。
 女の裸を質的にも量的にも断じて疎かにはしないまゝに、込み入つたサスペンスを大胆な省略も駆使するシャープな作劇で展開する、裸と映画の二兎を得た正攻法のハードボイルド。逐一画角に凝るキメッキメの画面も、一歩間違へば煩はしさすら感じさせかねないほど。風かおるはまだしも、絡み要員にしか過ぎない青木マリが、何故か織本かおるより高い謎ビリング―ポスターでは織本かおるが先頭―くらゐしか、目立つた疵瑕も見当たらない高質にして硬質の一作。店主と、厳密な去就は不明な実質三番手を除けば全員死んで行く無体な死屍累々をも、不思議な充実感でサクッと清々しく見させる。


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 「牝獣」(1991/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川和久/脚本:池袋高介/撮影:大道行男/照明:内田清/音楽:OK企画/編集:フィルム・クラフト/助監督:石崎雅幸/撮影助手:外園邦雄/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:小川真実・水鳥川彩・織本かおり・太田和幸・吉岡市郎・熊谷一佳・鳥羽英子・久須美欽一)。
 美術モデルが如く、性的といふよりも静的なポージングを取る小川真実の裸にタイトル開巻。左右前後に画角を変へた末、最後はボインのアップに小川和久(現:欽也)の名前が入る、タイトルバックが案外完璧。風呂の途中で白川玲子(水鳥川)が電話に出ると、婿養子の貴司(久須美)は遅くなる旨一方的に言明、満足に返事も聞かずに切る。そんな貴司の傍らには、秘書兼愛人の水上光子(小川)が。小川真実と久須美欽一といふと全く以て磐石なペアリングながら、甚だ残念なことに、アフレコ当日ニューメグロに向かへないか声が出せない何某かの事情でも発生したのか、口跡が激しくチャーミングな訳ではないにも関らず、小川真実がアテレコ、主演女優なのに。没個性的であるのと時期的な障壁とに阻まれ、主には辿り着けず。閑話休題、関係を整理すると元々は社長秘書であつた貴司が、令嬢である玲子に婿入り、東西商事社長の座に納まる。玲子の父親は既に故人、その死去と、貴司の社長就任の前後は不明。ところが貴司は病弱な玲子に不満を覚え、会話の隙間を窺ふに結婚前から続いてゐると思しき、肉感的な光子に溺れるとかいふ寸法。オドレは水鳥川彩の何処に文句があるのかといふ最大にして決して超えられない、現に超え損ね初端から展開以前の設定に説得力を有し得ない躓き処に隠れ、地味に奇異も否めないのが社長の邸宅にしては、白川家が御存知御馴染津田スタ。
 配役残り太田和幸は、最早判で捺したかのやうな摩天楼で光子を口説く、矢張り東西商事社員の今村、部署とか知らん。織本かおる(a.k.a.川上雅代)とは似て非なる織本かおりは、今村の彼女で東西銀行員、親会社かよ。もう少し、劇中組織の名称に頓着したらどうなのかといふだけの話である。吉岡市郎は妊娠した玲子を往診する、光子の息のかゝつた医師。既に夫婦仲の完全に壊れた貴司が連れて来た人間に、玲子がしかも身重の体をおいそれと診せるとも思へず、そもそも―吉岡市郎が―絡みひとつ与るでもない点を踏まへればなほさら、木に接いだ竹際立つ役ではある。問題が熊谷一佳と、美子でなく英子といふ辺りから怪しい鳥羽英子。それらしからうとなからうとほかに登場人物は存在せず、背景に見切れなくもない程度の、摩天楼要員しか見当たらないのだが。
 面白いか詰まらないのかと問ふならば、答へは酷い小川和久1991年第六作。実も蓋もない、あるいは、一言で終つてしまつてゐる。牝獣改め要は毒婦が、好き勝手に姦計を巡らせ一人の男―と女ももう一人―を破滅させ胎児ごと母親の命を奪つた上で、大金せしめてランナウェイ。光子―と一億―は失ひつつも、貴司に関しては白川の全てを手に入れた分寧ろそこそこ以上の勝利にせよ、なほさら一欠片の救ひも報ひも、一湿りの潤ひさへ絶無。斯くもへべれけなピカレスクには、本義たる女の裸は決して忘れてはゐない、最低限の職業倫理以外の縁(よすが)は俄かにも何も千年熟考したとて、見つけ難いにさうゐない。映画本体からはこの際目を背けて、もとい逸らすとして、側面的ないしは表面的な特徴が、馬鹿に暗い画面。最初の―声の変な―オガマミと久須りんの濡れ場から既に不用意に暗く、毎度毎度の摩天楼も、あの毎度毎度の摩天楼が摩天楼なのか否か二三歩逡巡するほど暗い。極めつけが、自殺に偽装して眠剤で眠らせた玲子を、何処ぞ山ん中の湖に放り込む件。まあ暗い、ホンットに暗い。部屋を消灯、且つ全画面表示にしてみても全く見えない。運転者が乗り込んだ車が、動きだしたのかどうかも判らないまでに途轍もなく暗い。銀幕を無作為に塗り潰した漆黒の魔導士・市村譲に劣るとも勝らない藪蛇な闇は、全体今上御大はこの時、何がしたかつたのか途方に暮れさせられるくらゐ暗い。


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