真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「緊縛の情事」(昭和54/製作:若松プロダクション/配給:新東宝映画/脚本・監督:高橋伴明/撮影:長田勇市・倉本和人/照明:磯貝一・西池彰/編集:酒井正次/音楽:田中丈晴/助監督:磯村一路・福岡芳穂/録音:銀座サウンド/現像所:ハイラボセンター/出演:岡尚美・島明海・沢木みみ・悪源太義平・宮田諭・鶴岡八郎・下元史朗・馬津天三・森忍)。出演者中、沢木みみがポスターには沢木ミミで、音楽の田中丈晴がポスターでは浪漫企画。
 いはゆるM字開脚の足を閉ぢた形を、尻側から象つたオブジェ。多分ゴールデン街ら辺のバー「もんきゆ」?―看板の、大きく弄つた平仮名が正直正確には判読不能―の手洗ひ、夏子(岡)と心許ない消去法で森忍がせゝこましく情を交す。用を足さうとしたノコ(沢木)が店を任されてゐるクミ(島)を呼び、中で致してゐる気配に唖然とする。漸く現れたマスターのロク(悪源太)は、女子二人が二の足を踏むその場に脊髄で折り返して介入、男を先に排除する。ところが夏子は、十年前ロクと同棲してゐた仲だつた。ロクの店とも知らず、刹那的な男漁りに耽つてゐた夏子は、「ロクちやん、老けたね」と言ひ残し摘み出されることなく「もんきゆ」を去る。夏子が翌日も「もんきゆ」に昨晩の粗相を侘びがてら顔を出すと、今度はクミが遅れて現れる。空気を読んだ夏子がそゝくさ捌ける一方、ロクに想ひを寄せるクミは、割と露骨に恨めしがる。
 配役残り、何か知らんけど議論してゐたりする若者で埋まる―時は埋まる―十人弱くらゐの、その他大勢「もんきゆ」要員、カウンター左端が定位置の馬津天三が僅かに特定可能。宮田諭は、ノコの大体ボーイフレンド・トシちやん。プロアマ不明ながら、童話を嗜む。件の十年前、当時自称芝居バカのロクと一緒に暮らしてゐたナンバーワン・ホステスの夏子が、後妻の座を狙ひ鞍替へした弁護士が鶴岡八郎、尤も籍は入れて貰へなかつた模様。大概ぞんざいに飛び込んで来る下元史朗は、ロクと夏子がライオンファイアした焼けぼつくひにすつかり捨て鉢なクミが、名前も名乗らないまゝ連れ込みに入る男。潔く御役御免で駆け抜けて行く、完遂しないけれど。
 九作前の「ある女教師 緊縛」(昭和53/音楽:PUPA)同様、Nazarethの6thアルバム「Hair of the Dog」(1975)を大絶賛無断サントラに使用する高橋伴明昭和54年第四作。掘つて行けば、まだまだ見つかると思ふ。
 谷でなく、丘の方のナオミでより泥臭く、なほ実戦的なサドマゾを。例によつてそんなところであつたのではと思しき新東宝の企画意図に対し、一昨日から蘇つて来た、夏子にロクをカッ浚はれたクミが胸を痛める構図は所詮横道であつたにせよ、思ひ詰めた風情が素晴らしく画になる、美少女系として2021年でも全然通用し得よう島明海を二番手に据ゑてゐる時点で特に問題もなく肯ける。ところが高橋伴明が前半の大半を費やすのは、生きよ堕ちよを地で行くロクと夏子の、覚悟と限りなく同義の情愛。簡単に片付けるとロクが十年ぶりに抱いた夏子は、鶴岡センセイ(仮名)にすつかり縄の味を仕込まれ、普通のセックスでは感じない体になつてゐた。要はそれだけといへばそれだけの、至つてシンプルな、もしくはカテゴリー上ありがちなお話にしては、重たい再会に手数を割くのに感(かま)けてゐるうちに、夏子の回想―または告白―の形で漸く本格的なSM映画の火蓋が切られるのが、尺の折返しも既に越えてからといふのは、些かでなく遅きに失する。さうなると、処女はトシちやんに投げ売りしたクミが次々偶さかな男と寝るのに並走して、ロクと夏子がずぶずぶ深みに嵌つて行く後半は、単純な、あるいは物理的な女の裸比率にだけ目を向ければふんだんではあるものの、ひとつひとつの絡みを中途また中途で等閑に使ひ捨てて行くしかなく、直截には拙速も通り越しガッチャガチャ。ロクが臆面もなく「もんきゆ」の敷居を跨がせた夏子を終に切羽詰まつてクミが刺したところ、コートの下はあらうことかパンティ一枚の、夏子の体にはしかも緊縛が施されてゐた。衝撃を受けたクミが、ちんたら股縄を喰ひ込ませてみる他愛ない自縛が間の抜けたタイトルバック。の末の、「判んなあい」と結局クミが匙を投げる泣き言がオーラス、俺にも何がしたい映画なのか判んなあい。隣の間から抜ける和室と、安コーポの六畳間といふロケーション自体の根本的な差も否み難いとはいへ、頻繁にカットバックする夏子の対センセイ対ロク二つの“緊縛の情事”、奥行きなり陰影のキマッた前者に、後者がパッと見の画面(ゑづら)で既に負けてしまつてゐるのも如何せん厳しい。
 酷い酷いと逆の意味で滅法評判の悪源太義平(a.k.a.関谷義平/一昨々年死去)は、アングラ演劇畑ではそれなりに名前の通つた人物であつたらしい。昭和世代には有名な、スキー帽を被つた心霊写真―ではないのだが―にも似た無表情すれすれの馬面と、恐らく何処訛りでもない謎抑揚を駆使してのける、伊藤猛よりも朴訥としたある意味エクストリームな口跡は良くも悪くもワン・アンド・オンリーではあれ、台詞を放り込む間には確かな輝きか鋭さを窺はせ、地味に強い佇まひは、エモーションを決して感じさせなくもない。ただ、それでもこの映画の死因は、矢張り悪源太義平なんだなこれが。なんとなれば、まあこの人途轍もなく濡れ場が下手糞。近年外様作が連れて来る筆卸男優部でも、ここまで動けなくはないといふくらゐ全く何にも出来ない上に、高橋伴明がどうにかぽんこつマシンをどやしつけようとした苦戦の形跡も、別に見当たりはしない。ビリング頭に誰を連れて来てどんな物語を如何に撮らうとて、折角の女優部を介錯するのが大根以下の木偶の坊では、流石に裸映画は始まらぬ。


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 「繁縛花 美肉の森」(昭和60/製作:雄プロダクション/配給:株式会社にっかつ/監督:石垣章/脚本:矢沢恵美子/企画:栗原いそみ/製作:広木隆一・石川均/撮影:遠藤政史/照明:隅田浩行/編集:J・K・S/音楽:遠藤ミチロウ「オデッセイ・1985・SEX」Michiro, Get The Help!より キングレコード フォノジェニックス 津田治彦・花本彰・辻信夫/助監督:富岡忠文/撮影助手:宮本良博・林誠/照明助手:大屋武・河野義明/監督助手:長田浩一/美術:たぬき工房 檜原秀太・鈴木亜矢子/衣裳:富士衣裳 松井律子/ヘアー&メイク:長井ひろみ/スチール:浜田一喜/縄師:春川かおり/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学工業/協力:三門・にっかつ荘/出演:高原香都子《新人》・青木祐子・杉田広志・山川三太)。
 木洩れ日のキマッた深い森の中、結構高々と吊られた青木祐子が、しかも広角に揺れる。識別不能な遠さで近づいた男が、青木祐子を下す。下された青木祐子の「お父さん・・・・」といふ呟きに続いて、揚羽蝶が捕らへられた蜘蛛の巣にタイトル・イン。日活創業者の一人・梅屋庄吉の別荘―房総鉄道(現:JR外房線)創業者・大野丈助旧邸―で、当時福利厚生施設として使はれてゐた三門・にっかつ荘の塀を、高原香都子と杉田広志が回り込む。「暑い夏でした、気の遠くなるやうな暑い夏でした」と杉田広志のモノローグが、今泉浩一みたいな軽さで起動。銀行家一族の令嬢・タチバナ小夜子(高原)が、書生修行中の納谷泰右(読みはダイスケ/杉田広志)を伴ひ病気療養に外房の別荘を訪ねる。元々は上京し銀行を興した小夜子祖父の本宅であつた別荘は、代々タチバナ家に仕へる泰右にとつては実家で、今は泰右の父・計三(山川)と姉の鏡子(青木)が守つてゐた。ところで徒に健康的な高原香都子が、病弱なタマにはてんで見えない点に関しては生温かく気にするな。キャスティングに際して余程針の穴に糸を通しでもしない限り、誰しもが嵌る罠である。
 一昨々年に発表した美少女緊縛幻夢写真集『奇妙な果実』が話題となり国内外で名を馳せ、遠藤ミチロウとの近しい関係でも知られた写真家・石垣章(2011年没)の、どういふ伝(つて)でだか中村幻児率ゐる雄プロダクション経由の“第1回監督作品”。といふのは、エンドロールに於いて明記される、第二回以降はアダルトビデオ。深町章の昭和末期痴漢電車で激しく琴線に触れた、悩ましい裸身をもつと拝みたくて辿り着いた高原香都子のデビュー作である、ビバサブスク。
 ステレオタイプに高慢ちきなお嬢さまと、お嬢さまに―ダッチハズバンドとしても―付き従ふ、結局終始蚊帳の外に置かれた頼りない語り部。実の娘と夫婦のやうにサドマゾ生活を送る、粗野な別荘番。果敢か豪快にスッ飛ばした行間の果て、お嬢さまは別荘番の手により縄の味を覚える。特にも何も旨味も新味もない、自動出力したが如きありがちな物語が他愛なく展開するのに加へ、諏訪太朗と菅田俊を足して二で割つたやうな山川三太(a.k.a.鈴木明=鈴木あきら)まで含め、俳優部の口跡は全員覚束ない。キメに来たショットの強度は比類ない反面、基本ロングかフルに傾倒し、踏み込んで寄る意識の不足したカメラ距離。の以前に繋ぎから結構雑な、決して得手とはいひ難い演出のみならず艶出。そして、アンドロギュヌス的に捜し求める火の欠片、とかいふ木に竹を接ぐ方便を小夜子に持ち出させ漫然と尺を空費した結果、消え失せる締めの濡れ場。全篇隈なく鏤められた粗の種々には事欠かないまゝに、それでも超絶美麗の二本柱を擁し、最早映画といふよりも、よしんば動く写真集であつたとて連べ撃たれ続ける強い画の数々は、一時間すら刈り込む短尺にも動画感を加速されそれなり以上に見応へがある。強ひて難点を論ふならば青木祐子の吊り下げられた尻は入念に愉しませる反面、折角絞り込んだ高原香都子のオッパイを、粘着質に嬲る即物性を発揮して欲しかつた、品性下劣な心は残る。尤もそれは、石垣章の志向なり嗜好とは、端から合致せぬお門違ひな卑しい望みであつたのかも知れない。


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 「女子大生 温泉芸者」(昭和59/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:池田正一/製作:樋口弘美/企画:小松裕司/撮影:森勝/照明:田島武志/録音:佐藤富士男/美術:沖山真保/編集:川島章正/助監督:北村武司/色彩計測:青柳勝義/現像:東洋現像所/製作担当プロデューサー:香西靖仁/音楽:ジミー時田/協力:熱海温泉 松濤本館/出演:朝吹ケイト・よしのまこと・石井里花・中川みず穂・野上正義・大門春樹・佐竹一男・荻原賢三・森口修・キャベツ・伊藤剛・砂塚英夫・志水季里子)。事実上、配給に関しては“提供:Xces Film”。
 いい塩梅にズンチャカした劇伴が鳴り、丘越しに相模灘を望む。正パンしてタイトル・イン、下の句が赤く発色する。寄つた先はサンルーフのライトバンで、東京から傷心旅行中の女子大生・和美(朝吹)が上方向にハコ乗り。ヒロインのクソよりダサいパーマ頭に、軽くでなく頭を抱へる。さて措き和美の下半身に催した助手席の男(キャベツか伊藤剛)が襲ひかゝり、運転席の相方(伊藤剛かキャベツ)も嗾ける車、と擦れ違つた単車が和美の悲鳴が聞こえたのか、Uターンして追走。車を停め、二人がかりで和美を犯さうとしてゐる場に介入した浩一(大門)は、手傷を負つたり和美自身の逆襲に助けられたりしつつも、兎も角キャベツと伊藤剛を撃退する。「覚えてろよコノヤロー」と判り易すぎる捨て台詞を残し車は走り去るものの、最終的に再登場を果たしもせず、寧ろこの二人が忘却の彼方に消え失せる。その夜、和美がそのまゝ転がり込んだ浩一宅。「抱いて」とか最短距離の据膳を頂戴した浩一がポン引きといふ稼業を隠す一方、和美はお手伝ひ募集の広告を頼りに、温泉旅館「松濤本館」―既に廃墟も解体―の敷居を跨ぐ。ところで、やけにドラマチックな芸名の大門春樹をザックリ評すると、太田始の上位互換。
 配役残り、砂塚英夫は浩一の師匠筋で、今はおでん屋台の大将・順平。今も、屋台を有料紹介所的に運用してゐたりもする。裏の顔を先に見せる志水季里子は、「松濤」女将の影で本番バッリバリのフルコンタクトなピンサロ―劇中用語としては“クラブ”―も営む智子。凄まじいのがその、まるで酒池肉林といふ概念を具現化したかの如き“クラブ”に、全裸で客に跨る女優部が五六人はノンクレで投入される、しかも妙に粒の揃つた。石井里花はエクストリームな花芸を誇る、智子の飛び道具的な懐刀・ルイ。野上正義と中川みず穂は客の前で情を交す、劇中名称で“特別ショー”の演者・久松健三と私生活に於いても情婦の小糸。森口修は、智子とも男女の仲にある松濤番頭格の渉で、よしのまことが智子とは腹違ひの妹・理加。佐竹一男は智子のパトロン・赤峰敏夫、県会議員の座を狙ふ有力者。荻原賢三は、赤峰が熱海に連れて来る国会議員の、中からグレードを上げた大曽根。画に描いたやうなガッハッハぶりが清々しいが、逆からいふと、画に描いたやうな何某かの形質を、きちんと画にしてのけるのがロマポの手堅さなり分厚さ。小見山玉樹らレギュラー脇役部は飛び込んで来ないまゝに、その他主に歓楽街の客要員で、相当な頭数が動員される。
 この期に改めて再認識したのが、首から下の比類ない完成度に比して、首から上が結構出来上がつてはゐない朝吹ケイト―ついでに口跡は葉月螢に地味に似てゐる―を主演に擁した、海女の出て来ない藤浦敦昭和59年第二作。偶さか温泉旅館に草鞋を脱いだ―退学してゐない場合ホントに―女子大生が、肉弾コンパニオンとして奮闘する。まるで、といふかまるきり新田栄温泉映画の器に、案外一途な浩一と和美がついたり離れたりする恋路、父と娘の物語、六芒星の如く交錯する二つの三角関係。諸々盛り込んだ、熱海を舞台に繰り広げられる鉄板娯楽映画。たり得て全くおかしくはなかつたのだが、もう少しでなく、真面目に撮つてゐて呉れさへすれば。赤嶺が和美も伴ひ、大曾根を連れて行く“クラブ”。客席に和美のゐるのを知つた、健三は中折れ戦闘不能に。その場の勢ひで代りに客が盆に上がらうとする流れの中、助けを求める小糸を見かねた和美は、意を決した眼差しで「待つて!」と割つて入る。デカいエモーションに紙一重まで肉薄する局面は、幾つもあつた。それ、なのに。結局理加と渉が駆け落ちするのと、健三と小糸が熱海を離れただけで、単車の踵を返した浩一と和美の再会すら描かないぞんざいな作劇には、最早ある種のストイシズムなのかと吃驚した。大体、浩一の夢とやらは結局何だつたのか。ベタな浪花節を描くのがそんなに気恥づかしいのか癪なのか知らないが、何れにせよそれは別に、賢明な態度にも誠実な姿勢とも思へない。片や手数は徒に潤沢な割に、裸映画的にもおいそれと棹もとい首を縦に振る訳には行かないんだな、これが。奥行きもキッメキメに、恐ろしく丁寧でカッコいいショットを乱打する屋台周りに比して、いざ濡れ場に入るや等閑になられてしまつては流石に救ひやうもない。平然とブッツブツ切る無造作な繋ぎもさることながら、石井里花と荻原賢三の絡みに至つては、別に暗めを狙つた風でなく、明らかにおかしなルックが照明の不足をも感じさせる惨憺たる体たらく。俳優部の面子含めプロダクション自体のポテンシャルは高い筈にしては、却つて、あるいはつくづく残念な一作ではある。


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 「痴漢電車 感度は良好」(昭和61/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:深町章/製作:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:佐藤寿保/監督助手:末田健/撮影助手:片山浩・鍋島淳裕/照明助手:尾田久泉/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:田口あゆみ・橋本杏子・星野みゆき・高原香都子・池島ゆたか・ジミー土田・鈴木幸嗣・久保新二・港雄一)。照明助手の尾田久泉は、元々変名臭い小田求の更に変型か。といふか、時期考へると先行する尾田久泉の方が寧ろ原型だ。ついででどうでもよかないのが、フィルムからの翻刻を謳ひながら、nfaj―国立映画アーカイブ―の情報量がjmdbに劣つてゐるのは何たる体たらく。公金使ふのは構はんから、堅実に仕事して欲しい。伊能竜から佐藤寿保までの記載がnfajにない―東化は両方とも未記載―のは、よもや所蔵プリントが飛んでゐたゆゑなどといふまいな。
 開巻即のタイトル・イン、「やゝゝゝ、私民営分割で頭の痛い国鉄の回し者ぢやないが」とか気持ち軽い久保チンによるナレーション起動。曰く「痴漢したい人は、何といつても電車に乗ることをお勧めします」。のつけから切られる、アカン火蓋が清々しい。ともあれ昭和を令和の視点で裁断しても始まらない―昭和でもダメだろ―ので、先に進むと滔々と久保レーションが説くのは要は痴漢のハウツー。仕方ないぢやないか、さういふ映画なんだつてば。時間帯的な狙ひ目は朝のラッシュ時といふのに続き、路線選びのポイントを騙りもとい語り始めたところで、スペースまで全角なのが猛烈に気持ち悪い、ブルーならぬ赤バックで“Part Ⅰ”。電車痴漢実践のヒップ篇と称して、他愛なくクッ喋り続ける久保レーションに特段の意味は相変らずなく、大西商事勤務のOL・西山(田口)に、ヤマザキ食品営業課長のウシナダ?ユウイチ(池島)が電車痴漢。ウシナダは西山の定期入れを掏つた上、小型カメラで写真も撮影して再度の逢瀬を迫る。“Part Ⅱ”クレに続いては、「いやあ馬鹿だね、このサラリーマン氏」とぞんざいな第一声。セーラー服の女子高生(星野)に、髭なんて生やした鈴木幸嗣が電車痴漢。久保レーションの中身的には、車内痴漢実技の性器とその周辺篇。鈴木幸嗣が星野みゆきを愛人バンクにスカウトする、喫茶店に顔を出したアコ(橋本)はその足で三友商事部長(港)の下へと向かふ。“Part Ⅲ”は一応胸バスト篇、高原香都子に電車痴漢したジミー土田は、降車後津田スタの自宅―表札は松下―まで女を尾けて行く。ジミ土はそのまゝ庭に大絶賛不法侵入、ガラス戸も開け放つた松下夫人の豪快な自慰に誘はれるかの如く、家内に突入しての一戦を敢行。ところが目出度く完遂した事後、筋者の亭主(久保)が帰つて来る。
 “Part Ⅲ”を兎も角走り終へての、久保レーションが「いやいやこんな楽しい落とし前にありつけるのも、電車に乗ればこそ」、「さあ君も勇気を出して車内痴漢にチャレンジしてみよう!」。地に穴をも穿つ覚悟で底を踏み抜いてみせる、深町章昭和61年第三作。尤も当時的には、そもそも底が抜けてゐる意識すら、なかつたものにさうゐない。早々にオチを割つてからが一本調子で、限りなく薔薇族のPart Ⅰはビリング頭のオッパイが拝めるのが漸く十五分前―そして七分後にはPart Ⅱに移行―と、女の裸映画的には大概問題と難じられなくもないものの、序盤で斯くも飛ばして来た日には、以降は全体何処に転がつて行くのかといつた、明々後日なワクワク感がまだしもなくはなかつた。Part Ⅲもネタ的には他愛なく締めるに止(とど)まれ、高原香都子の超絶裸身が麗しく火を噴くワンマンショーは大いなる見所勃ち処。対して、そもそもハシキョンが電車に乗りすらしない、加へて三番手の扱ひも大概宙に浮くPart Ⅱが兎にも角にも箸にも棒にもかゝらない。ただでさへ中弛む火に油を注ぎ、久保レーションで何となく繋ぐ以外には、各Partが1mmたりとて連関するでもなく。オーラスの方便は、痴漢で通勤地獄を通勤天国に。結構どころか普通に豪華な面子にしては、今となつては最初の数行から脚本が通る訳がない、旧いだけで別に良くも何ともない時代を偲びたいのなら偲べば?といつた程度の生温いか自堕落なレガシーといふのが、精々関の山といつたところである。いや、高原香都子のワンマンショーは本当に燃えるぞ。


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 「スペース・エロス 乳からのメッセージ」(2019/制作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢実/脚本:高橋祐太・国沢実/撮影・照明:渡邊豊/撮影助手:渡邊千絵/照明助手:渡邊智史/録音:清水欽也・藤居裕紀/助監督:菊嶌稔章/監督助手:粟野智之/美術協力:いちろう/スチール:本田あきら/編集:渡邊豊/音楽:與語一平/整音:Pink-Noise/特殊造形:土肥良成/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:やよいあい/協力:はきだめ造形・Abukawa corporation LLC.・スキップスタジオ成城・北川帯寛/出演:南梨央奈・笹倉杏・橘メアリー・吉良星明・森羅万象・里見瑤子・遠藤洋・井坂俊夫・きくりん・松井理子・入深かごめ・根岸晴子・滝川拳)。出演者中、遠藤洋からきくりんまでは本篇クレジットのみ。
 宇宙に小さく浮かんだ地球に開巻即のタイトル・イン、屋上的なロケーションにて、ビリング頭が使用済みのコンドームを踏み潰す。往来を紙袋を抱へキョドるアイドリアン・野々村タダシ(吉良星)のロングに、エンドから遠藤洋から根岸晴子まで―と全スタッフ―を端折つたクレジット起動。ロングのCGが呆れない程度に見られはする、われに撃つ用意ありな状態のチンコにしか見えない形状ながら、居住スペースだけで少なくとも六十九階ある超高層タワーマンション、その名も「スペルタワー」。前川(松井)と役名不詳の入深かごめに桜井(根岸)が花を咲かせる井戸端に、トマホーク・オブ・トマホークな突つ込むのも最早憚られる大概な得物を担いだ、小津りり子(里見)が大王ならぬ恐怖の女王云々を何時もの如く喚き散らし割つて入る。そこに帰りついた野々村がりり子に詰め寄られ、同じものを何枚も何枚も飽くなき執念で買ひ漁る、引退後消息不明のアイドル・ミシェル(二番手のゼロ役目)のCD「ラブ・スナッチャー」をぶちまけてゐると、スペルタワーの六十九階に新しく入る暗黒寺拳(滝川)・ミツコ(笹倉)夫妻が現れる矢継ぎ早に、常時住人の生活態度に狂騒的な、組合理事長(森羅)がワーワー飛び込んで来て面々の顔見せが漸く一段落。その夜、暗黒寺の夫婦生活と、大好きなアイドルと瓜二つなミツコの登場に当然動揺する、野々村の自慰が並走。双方完遂寸前、スペルタワーの―亀頭の―先つぽに何かが落下、多分全館停電する。「タワマンは雷に弱い!」、実は変哲もない台詞を大仰な発声で可笑しく聞かせつつ、設備系の対応に向かつた組合理事長は触手に襲はれる。
 配役残り、改めて南梨央奈はりり子の孫で、胸元には五芒星を丸で囲んだ紋章―祖母にもある―の鮮やかなカオリ、野々村とは幼馴染。国沢実の2018年第二作「性鬼人間第二号 ~イキナサイ~」(脚本:高橋祐太)と、第三作「ピンク・ゾーン2 淫乱と円盤」(脚本:切通理作)から一作空けた南梨央奈同様、まさか今なほ継続するなどと当時は予想だにしなかつた、清大未亡人下宿のわざわざ記念するほどでもない第一作「未亡人下宿? 谷間も貸します」(2017/主演:円城ひとみ)と、国沢実前作「溢れる淫汁 いけいけ、タイガー」(脚本:切通理作/主演:佐倉絆)を経てのピンク三戦目となる橘メアリーは、暗黒寺が越して来た次の日に、スペルタワーの四十四階に入る氷川冴子。ファースト・カットから猛然と刻み込む、暴力的な爆乳の谷間が凄まじい。遠藤洋と井坂俊夫にきくりん(=菊嶌稔章)は、冴子がスペルタワーの地下一階集会所で開く、エアロビ教室に野々村・暗黒寺・組合理事長と参加する皆さん。冴子が文字通り鞭をも振るふ、案外スパルタンな教室風景の画面左から井坂俊夫が赤シャツ、遠藤洋が祖先が狸の方。きくりんは、きくりんだ。
 国沢実の地味か藪蛇な御家芸、一応プロではあれ、何処から連れて来たのか感も決して否めなくはない筆卸男優部の青田買ひが漫然と継続される一方、寺西徹や町田政則から三浦誠まで再召喚した―レンジがよく判らない―怒涛のベテラン・サルベージは不発。反面、“朝倉ことみ引退記念作品”の山内大輔2017年第一作「ぐしよ濡れ女神は今日もイク!」以来、北川帯寛の名前を久々に見かける2019年第二作。尤も、上映される映画の中に、北帯の痕跡は特にも何も素人目に全く窺へはしない。
 撮る人間のレス・ザン・キャパシティーを一切考慮するでなく、超風呂敷をオッ広げては逆の意味で見事に爆散した切通理作から、三作ぶりで―共同―脚本に返り咲いた高橋祐太が編んだ物語は、ブラックホールより襲来した金玉から精子を搾取する略して“金精人”に魔女つ娘と、ヤクザあがりの配偶者に体術を仕込まれた、戦闘―元―アイドルが対峙する。まあ、あんま変んないかもな。コマンドミシェル(ボリショイ風仮名)の格闘に際しては、一切合財誤魔化して何にも見せてねえし。
 二枚並べたオッパイのエモーション以外に数少ない見所は、後背立位のトリプルクロスで最終決戦を無理から形作る、箍の外れた外連くらゐ。カオリと野々村の脆く不器用な恋愛模様は如何にも国沢実らしい線の細い十八番とはいへ、二人の外堀といふか内堀を埋めるのが、案外他愛ないミツコの来し方と金精人の地球侵略?にかまけてゐるうちに、些か遅きに失してはゐまいか。スペルタワーごと発射する盛大なスペクタクルの末、金精人を放逐した一件落着後、ほぼ綺麗に十分を何となく持て余すのは、よもや今上御大のプロテストに国沢実が同調した反旗なのかとかいふ壮大な含みを残さなくもないにせよ、俳優部の覚束ない口跡を、満足に拾へない録音部の心許なさ―必殺技はスペル何なのか―以前の根本的な致命傷は、濡れ場初戦の暗黒寺家新居初夜と、同時進行の野々村ワンマンショー。吉良星明がシコシコする姿を適当に抜くばかりで、どうして野々村の妄想を映像化しない。ウィズ頼みのどんなに安つぽいシークエンスであつたとて、ナベならば絶対にそれでもな渾身で撃ち抜いてゐた筈だ。そもそも、九作前の2016年第二作「萌え盛るアイドル エクスタシーで犯れ!」(脚本:高橋祐太/出演:浅田結梨)に於いてやれてゐたことが何故出来ぬ。終にもとい未だ大成するなり天下取りにはほど遠いまゝに、衰へるのだけは一人前か。三本柱が魔法使ひと―元―アイドルに宇宙人、さう書くと威勢はいいものの、これではアイドルを連れて来た意味がない。

 とこ、ろで。停電後配電盤の様子を見に来る、組合理事長着用の電飾つき安全ベスト。と、外見的には隈取るのみの陽気なゾンビぽい傀儡、劇中名称がホントに“スペルマン”(構成員は理事長と暗黒寺に、遠藤洋以下三名)を従へた、冴子が軍帽のつもりで頭に載せてゐる警備員の制帽は国沢実の私物か、貸与された備品にさうゐない。


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 「三十路妻の誘惑 たらし込む!」(1992『団地妻 不倫つまみ喰ひ』の2000年旧作改題版/企画:セメントマッチ/製作:BREAK IN/提供:Xces Film/監督:池島ゆたか・烏丸杏樹/脚本:五代響子/撮影:下元哲/照明:小田求/編集:酒井正次/ヘアメイク:中込由花/スチール:津田一郎/助監督:高田宝重/監督助手:橋本闘志・山下大知/撮影助手:小山田勝治/照明助手:広瀬寛巳/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:草原すみれ・如月しいな・大滝加代・しのざきさとみ・伊藤清美・杉本まこと・大門恭司・神戸顕一・山本竜二・山ノ手ぐり子・切通理作・池島ゆたか)。出演者中、大滝加代がポスターには杉原みさお。仮名遣ひとしては本来こつちが正しい、杉原みさを名義は何回か見覚えもあるが、フルモデルチェンジした大滝加代ver.は初めて観た。
 昨晩もお盛んであつたにも関らず、八木沢祥子(草原すみれ/a.k.a.西野奈々美)が夫・孝一(杉本まこと/a.k.a.なかみつせいじ)に、朝から台所で突かれる後背立位で敢然と開巻。結婚四年、未だ子作りを拒む祥子は、孝一の精を口で受ける。課長に昇進しての転勤も見据ゑた、二週間の大阪出張―杉本まことの台詞では一週間、ちやんとして欲しい―に孝一を送り出した祥子の心なしか悄然とした背中から、街のロングに繋いでタイトル・イン。俳優部のクレジットのみ先行しつつの、スポーツ紙でトッ散らかつた竹宮探偵事務所。別に仕事をする風でなく、虎キチでデーゲーム中継を眺める竹宮(池島)の、尺八を風鈴飯店の出前持ち・サッちやん(大滝加代=杉原みさお)が吹く、ツケすら溜めてゐるのに。その夜、その日も開店休業状態であつた竹探事務所を、人捜しを求めて祥子が訪ねる。対象は現在二十八歳の祥子が十四の時性の知識に欠き妊娠出産した、彼氏(不明、橋井友和かなあ)との間に出来た娘のナカジマユリ(如月)。ユリは子供のゐない姉夫婦の間に生まれた形で育てられてゐたものの、その姉夫婦が海外で交通事故死。帰国したユリは実家に寄こした葉書の、新宿の消印を唯一の手がかりに消息を絶つ。孝一に未だ言ひだせぬ過去含め、祥子はユリが風俗に身を落としでもしてはゐまいかと豊満な胸を、もとい気を揉んでゐた。昭和のオッサンか、昭和生まれのオッサンなんだがな。兎も角、起動した竹宮はジュクを絨毯爆撃的に当たり始める。
 配役残り、伊藤清美は竹宮が初対面の祥子をそのまゝ連れて行く、馴染の店のママ。祥子が用意してゐた前金から、矢張りツケで四万をその場で抜く。スッキリして来たのか、雑居ビルから往来に出たところで、竹宮から話を訊かれる髭デブは高田宝重。神戸顕一は、祥子が淫悪夢を見るハレンチ産婦人科医。イジリー岡田みたいな見た目で、村西とおるみたいな造形。山ノ手ぐり子(=五代響子/現:尭子)の一役目と山本竜二は、嘘情報に振り回された竹宮が誤爆する全く別人のナカジマユリと、そのヒモか風俗店のバイオレントな男衆。しのざきさとみは山竜にノサれた竹宮がノンアポで転がり込む、二年前に別れた元嫁のナオミ。ともに電話越しの声しか聞かせない孝一大阪妻と、先に触れた竹宮にガセネタを吹き込んだ、風俗記者の後輩・遠藤も不明。竹宮が話を訊く、ママチャリの女は山ぐりの二役目。橋井友和アテレコの切通理作は、竹宮が続けて話を訊く新聞配達員。そして大門恭司が、独立採算でユリとマンションに二人暮らしする恋人のテツヤ、職業不詳の単車乗り。
 未配信作が地元駅前ロマンに飛び込んで来た、池島ゆたか1992年第四作、通算第五作。共同監督の烏丸杏樹といふのは橋口卓明の変名で、監督と主演の兼務など罷りならんとエクセス側から難癖をつけられたゆゑ、現場監督を立てた体。池島ゆたかと橋口卓明といふと、実は監督デビューだけだと橋口卓明の方が二年先輩なのだけれど。
 物憂げな女の秘められた来し方に絡んだ依頼を受けた、普段は昼行燈な探偵が繁華街を駈けずり回る。如何にも探偵物語的なストーリーではあれ、なかなか相談がさうはすんなりと通り難い。肥え始め通り越し明確に肥えてゐるルーズな体躯に連動するかの如く、池島ゆたかが演出にもキレを欠き、ある意味リアルでなくもないとはいへ、清々しく垢抜けない二番手はビリングに開いた大穴。大門恭司に関しては男優部にそこまで多くを望まないにせよ、ユリとテツヤの婚前交渉を、全身丸見えの竹宮がガラス戸にへばりついてガン見する、壮絶に無防備なカットには引つ繰り返つた。一見情感豊かに中盤を支配する割に、しのざきさとみは冷静に検討すると本筋に掠りもしない純然たる濡れ場要員。竹宮の相変らずな日常を担保する分サッちやんはまだしもな、杉原みさおに劣るとも勝らない扱ひは案外あんまり。双方向に火種を抱へ、一旦は離婚届を準備した祥子が竹宮と寝てゐながら、孝一と最終的にはケロッとヨリを戻してのける調子のいいハッピー・エンドも、些か理解にも感情移入にも遠い。ゴッリゴリ押して来る絡みの訴求力は、面子的にAV臭さが否めない如月しいなのものを除けば概ね高く、裸映画的な不足は特にない、ものの。ユリ捜しが順調に難航、一旦途方に暮れた竹宮は夜のブランコに志村喬ばりに揺られながら、「この街は、人一人隠すのなんて訳ないもんな」。一件落着したのちには、窓の外に向かつて紫煙なんぞ燻らせての、祥子を指して「一陣の風のやうに、俺の前を過ぎて行つた女だつたな」。何が“一陣の風”なら百貫、いや流石に375kgはねえよ。下手に気取るなり悦に入つた風情が白々しい、総じては漫然とした一作と難じるほかない。

 とこ、ろで。ユリとテツヤは、ユリが結婚最低年齢に達する、二年後には結婚する予定である旨語られる。ググッてみると昭和42年生まれとする記述も見当たる、大門恭司は今作劇中時点で既に未成年には見えない―如月しいなも如月しいなで十四歳に見えない点に関してはさて措く―が、何れにしても未成年の結婚に際しては、民法737条により両親の同意が必要とされてゐる。とこ、ろが。前述した通り、戸籍上ユリの両親は故人。その場合に於ける後見人その他代替者を民法は規定してをらず、テツヤ成人済みの前提で話を進めると、二人の婚姻は受理され得る届さへ出せば、当人同士の合意のみでひとまづ成立する。とことこ、ろでろで。来年度から一昨々年に成立した民法改正で成人年齢が十八歳に引き下げられ、逆に、あるいは併せて、現行二歳差の設けられてゐる結婚最低年齢は、男女とも十八歳で統一される。即ち、未成年の結婚といふ概念自体が消滅する格好となり、畢竟、意義を完全に失ふ737条は削除される。


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 「痴漢電車 夫婦で痴漢」(1995/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:双美零/企画:中田新太郎/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:榎本敏郎/演出助手:今岡信治/撮影助手:小山田勝治/照明助手:広瀬寛己/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/出演:林田ちなみ・三橋里絵・青井みずき・風見怜香・杉本まこと・池島ゆたか)。照明助手の寛巳でなく広瀬寛己は、本篇クレジットまゝ。
 年を跨いで春に挙式を控へた、霧子(林田ちなみ/a.k.a.本城未織/ex.新島えりか)と中込ノリオ(杉本まこと/a.k.a.中満誠治/ex.杉本まことでなかみつせいじ)の婚前交渉にさくさくクレジット起動。尺は一割絞つた五十四分弱、小品の火蓋が小気味よく切られる。霧子の制止も聞かず、何某か急いてゐる様子の中込は一方的にフィニッシュ。事後友人である村岡(電話越しの声も聞かせず)からの誘ひを携帯に着弾した中込が、そゝくさ出て行つてしまふのにそれで急いでゐたのかと霧子は呆れ返る。友達が多いのはいいものの、的に霧子が結婚後の生活に漠然とした不安を覚えた流れで、プアンと汽笛一発電車にタイトル・イン。混雑する車中、霧子は丈太郎(池島)の電車痴漢を被弾する。のも束の間、正直この辺り、誰が誰に何をしてゐるのか然程でもなく―事前の手間込みで―画が整理されてはをらず甚だ判り辛いのだけれど、霧子は丈太郎のみならず、花江(風見)の挟撃をも受ける。降車後霧子に捕まつた丈太郎と花江の、「あなた達何なんですか?」といふ問ひに対する声も揃へた驚きの答へが、「夫婦よ」。仰天した霧子は、カット跨いだ勢ひで判で捺したかの如く津田スタな丈太郎宅にお邪魔、あれよあれよと巴で改めて嬲られる。丈太郎が霧子に指を捻じ込む描写に際しては相当攻め込んでみせるのと、風見怜香が満を持して開帳する爆乳の、ボガーンと物理的音声すら聞こえて来さうなジャスティス感。激しく翻弄させられながらも、霧子は至つて幸せさうな痴漢夫婦に興味を持つ。
 配役残り、歯を入れてゐなかつたりして冷静に抜かれると厳しい三橋里絵は、三橋里絵も丈太郎の妻・ユキコ、花江との序列は不明。「籍なんかどうだつていいぢやないか」、丈太郎のダイナミックな思想に打ちのめされる霧子の止めを刺す青井みずきは、母親の夫婦生活にアテられたワンマンショーで飛び込んで来るユキコの連れ子・ツキミ。そして、もう一人。
 深町章1995年、案外少ない最終第五作はjmdbによると、池島ゆたか薔薇族込みで1995年第四作「色情女子便所 したたる!」(脚本:岡輝男/主演:柚子かおる=泉由紀子)と同日に封切られた、ex.青井みずきで相沢知美の目下確認し得る最初期作。
 霧子に花江なりユキコとの関係を、“ただの助平親爺と愛人”と解されたとてまるで意に介さない丈太郎いはく、痴漢とは“狩り”。ここで池島ゆたかのアクセントが尾高型の“仮”で、咄嗟に面喰はされる件に関してはもう通り過ぎろ。猟師は丈太郎、今作に於いては霧子が獲物。丈太郎にとつて花江やユキコは獲物を捕まへさせて、あとで―肉棒の―御褒美を与へる猟犬といふ寸法、因みに猟場は電車の車内。何処から突つ込んだらいいものか、大沢誉志幸でなくとも途方に暮れる豪快な方便ではあれ、それをいつては痴漢電車は始まらない。地球上にあのサイズの外骨格生物が存在する訳ねえよ、とモスラを否定するのと同じである、同じか?とまれ元々中込との間に隙間を抱へてゐなくもなかつた、霧子は天真爛漫な夫婦どころかツキミも含めた痴漢家族の姿に火に油を注がれ、次第にシリアスに動揺する。何気にスリリングな、展開の落とし処があまりにも秀逸。案外的確なアバンで実は既に蒔いてゐた種を、丹念に積み重ねる霧子の会話ないしモノローグの端々で何時の間にか芽生え育てた上での、最後に切る文字通りの切札、二課の榎本君(当然榎本セルフ)を中込が新婚一年の中込家―も矢張り津田スタ―に連れて来た瞬間、鮮やかに花咲くオチが見えるユリイカみが抜群に心地よい。どうしてかういふ映画がベストテンに絡んで来ないのかが寧ろ不思議な、しなやかな脚本を得て、深町章の妙手が冴え渡るさりげない逸品。強ひて難点を論ふならば、結局榎本敏郎に活躍の場が与へられぬまゝに、結末のキレを重視した諸刃の剣で、いはゆる締めの濡れ場が概ね消失してゐる点程度か。滅多にない強度で、内容にジャスト・フィットした公開題も麗しい。シナリオ題がこれを超えようとした場合、如何なる形になるのかといふレベルでさへある。
 霧子が辿り着いた“狩り”の境地< 人付き合ひの多い中込に家まで遊びに来させた若いツバメを、中込を寝落としたのちに喰ふ


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