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真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「濡れ肌刺青を縛る」(昭和57/製作:わたなべプロダクション/配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:小水ガイラ/撮影:笹野修司/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:佐々木精司・松木洋二/撮影助手:栢野直樹/照明助手:森久保雪一/効果:内田音響/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:花真衣・杉佳代子・山地美貴・亜希いずみ・下元史朗・鶴岡八郎・大谷一夫・堺勝朗・安芸新介)。出演者中、花真衣にポスターは括弧新人特記。
 最初に颯爽と白旗を揚げさせて欲しいのが、配信素材は公開題の冠に花真衣を戴く、古(いにしへ)の新東宝ビデオ仕様。そのため、といふのも何だけど壊滅的な情報量に爆縮されたVHS版クレジットを、山地美貴と安芸新介をそれぞれ山地美香と安芸紳介に。撮影部と照明部の栢野直樹と森久保雪一も、監督助手に放り込んでしまふnfaj―栢野直樹はしかも柏野直樹―で補ひ、ビリングはとりあへずポスターに従つた。更に、それとも実は。笹野修司に関して、新東宝公式のパブリシティとビデクレが鈴木史郎。一方jmdbは、長田勇一としてゐる随分な藪の中。さうなると土台nfajの信頼度がへべれけである以上、本篇クレジットに於いて全体何れが事実なのか、当サイトはもう知らない。全員鬼籍に入つた訳では必ずしもないのだから、誰か現場覚えてゐないかな。

 ど頭は滑車の画、女が逆さ吊りされてゐるまではよしとする―認容の範囲がまるで判らない―にせよ、それがいきなり自吊り。開巻即轟然とキメに来る、藪蛇なエクストリームが清々しい。肩甲骨を軸にうねうね回転する器用な主演女優に、前述したビデオ題でタイトル・イン。大時代的な劇伴がほとんどおどろおどろしく鳴り、花真衣の呻き声は悩ましい嬌声といふより寧ろ、この人どうかなりさうな勢ひで軽く恐ろしい。
 尺の折り返し直後、昭和31年に初めて設置されたガードレール―場所も箱根の国道1号―が、何故か背景に見切れてゐたりする敗戦直後の山村。命からがら帰郷した復員兵の三国健児(下元)は、地場を仕切る児佐田角造(鶴岡)に拾はれる。大谷一夫が児佐田にとつて片腕格の山口彦弥で、安芸新介は三人で連(つる)む以外特に何もしない、テキ屋ルックの頭数子分もう一人。健児には恋人の仲村美鈴(花)がゐたが、出征即ち、終盤矢鱈饒舌になる健児が激昂して曰く“死地に赴いてゐた”間、児佐田らは美紀を手篭めにするはおろか、刺青を入れた末、客まで取らせてゐた。流石に大東亜戦争の真最中、斯くも好き勝手出来たのか首を傾げたくもなるレベルで、傍若無人な極悪非道ぶりが何だか盛沢山、あるいは過積載。
 配役残り、児佐田の屋敷に一旦草鞋を脱いだ健児に、宛がはれる亜希いずみは同所に常駐といふか、事実上飼はれてゐるパン女・あけみ。杉佳代子は苗字が違ふ点を窺ふに、児佐田の恐らく情婦・田中民江。健児含め、周囲からの呼称は女将さん。前述した、美鈴が墨を入れられる件。間違つても高くはない画質と、基本俯いた姿勢にも阻まれ彫師は識別しかねる。尤もその隣、画面右で様子を見守る男は、当時花真衣がSMショーでパートナーを務めてゐた長田英吉。もしかすると、この御仁が35mmの中にゐる映像は結構レアなのかも。堺勝朗は借金を方便に、児佐田から土地を奪はれる百姓の鈴木善二。逆上し鎌を手に取つた善二が、山口のドスにサクッと返り討たれたのち。トッ捕まへて下さいといはんばかりに、のこのこホッつき歩いて来る山地美貴は善二の孫娘・みつ。割とでなく雑な扱ひの山地美貴が、形式的な序列には違へ、実際のところ疑ふ余地のない四番手。
 何気に重宝するSMペディアによると、往時新東宝の専務がSMサロンで花真衣を見初め、量産型裸映画に連れて来た渡辺護昭和57年第十二作。花真衣といふ芸名も、渡辺護が命名したとのこと。あと触れておきたいのが、八月封切りの今作が五月発売ほやほやの、根津甚八がカバーした「上海帰りのリル」を―無論無断―拝借してのける底の抜けたスピード感、脊髄反射かよ。
 男と、男が潜り抜けて来た極限の艱難辛苦を、形を変へ文字通り自身にも課さうとする苛烈な女のメロドラマ。メロス(ギリシア語で歌)のメロに非ず、めろめろのメロなのだが。兎も角まづ俳優部で兎にも角にも目を惹くのが、初登場時から苦み走つた男の色気を、ラウドに放ち続ける下元史朗。匂ひたつカットの数々は、今や遥か以前に昭和で途絶えた映画遺産。エモーションの決定的な勘所は―演出部か脚本家の責任で―逃しつつ、飄々と真心を振り撒く亜希いずみは女優部中最も光を放つ。折角据ゑた膳を拒む健児に、あけみが情人の存在を看て取つての事後。「どう、夢の中で好きな人に会へた?」は、軽やかに撃ち抜かれる素敵な名台詞。ところで秋本ちえみと大体同じ面相、とかいふ適当な知見を今回得た花真衣は、持ち芸に専念し展開の進行には案外関与しない、どころか。
 民江の口から美鈴生存―空襲される土地でもなく、死亡推定なり前提に無理はある―を知つた健児が、すは捜し始めた途端美鈴が自分からヒョコッと姿を現した挙句、再会するや否や勝手に墨をザクザク御開帳してしまふ、唐突を突き貫くか勿体つけなさすぎる爆速展開には度肝を抜かれた、何だこのドラマツルギ。プリミチブな立ち回りと、アバンギャルドな刃傷沙汰もそこかしこで火を噴きあるいは臍が茶を沸かし、本篇冒頭で健児の来し方を掻い摘む辺りの、編集はまあまあ難解。二番手の座を亜希いずみと熾烈に争ふ、杉佳代子の濡れ場が甚だ時期を失し気味の多呂プロライクな危機は、健児のカチ込みで民江が膣痙攣を起こし、鶴八共々悶絶させる―「子宮が抜けちやふよー」は大笑必至―力技で回避こそすれ。臆面もなく80年代の空気を持つて来る山地美貴の、木に女の裸を接ぎ具合は矢張り否み難い。最終的に卓袱台を引つ繰り返すも通り越し、木端微塵に爆散するのが、“生き残つた者同士”“生き恥を晒しながら”だなどと健児の豪快な方便で辿り着く、<美鈴と二人白黒ショーで津々浦々を漂泊する>よもやまさかのどさ回りエンド。その際健児が着流しなんてヒッかけてみせるのは、堂々とクリシェに徹した限りなくお茶目処。等々、あれこれ。徒に重々しい雰囲気には反し、そこそこ以上だか以下に馬鹿馬鹿しい一作、とはいへ。何はともあれ花真衣の、各々見事な紋々と自縛エアリアルは過分もとい存分に愉しませるゆゑ、映画的云々はこの際さて措き、いつそ資料的価値に割り切つた方が、せめてもの立つ瀬も発生するのではなからうか。


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 「ラブホテル 只今満室」(昭和59/製作:(株)フィルム・ワーカーズ、クリエイティブルーム・マッシュ/配給:株式会社にっかつ/監督:渡辺護/脚本:望月六郎/原作:岩瀬ちよ子『ラブホテル・愛の落書き帳』⦅日本文芸社刊⦆/プロデューサー:松本洋二・岩瀬勝男/撮影:鈴木史郎/照明:森久保雪一/助監督:望月六郎/メイク:岩瀬清美/音楽:翔べないアヒル/編集:鵜飼邦彦/録音:銀座サウンド/現像:東映化工/協力:ホテルシャルムグループ/出演:瀬川亜紗美・中山あずさ・織本かおる・田代葉子・山本あゆみ・堺勝朗・飯島大介・外波山文明・滝川昌良・荒木ひとみ・大原薫・清水晴美・馬場修・鈴木幸嗣・江口高信/特別出演:岩瀬ちよ子/ナレーター:渡辺典子)。出演者中、瀬川亜紗美にポスターは括弧新人特記。同じく田代葉子と山本あゆみ、荒木ひとみ以降、ナレーターの渡辺典子まで本篇クレジットのみ。
 前年沖雅也がダイブした、京王プラザホテル(新宿西新宿)を“涅槃にいちばん近いホテル”―原田知世の映画版「天国にいちばん近い島」は同年―だとか称してのける、へべれけに不謹慎な堺勝朗のナレーションで開巻。あちこちあんまり、奔放すぎるだろ、昭和。話の流れはなだらかに、ホテルはホテルでもex.連れ込みのラブホテルへと移る。周囲に高い建物も然程見当たらない、下町的な街並みにネオンの威容をポカーンと放つ、ラブホテル「シャルム入谷店」(足立区入谷)をロングで抜きタイトル・イン。今度は―渡辺護夫人である―渡辺典子のナレーションとともに飛び込んで来るのが、入谷店支配人の岩瀬ちよ子御当人(も渡辺典子のアテレコ)。少なくとも建前上は、部屋に白紙のノートを置き好きなことを客に書かせた、“愛の落書き帳”が一次資料。岩瀬ちよ子が現場で見聞きした男と女の哀歓悲喜を適当に捏ち上げ、もとい編纂した体験談集に、モデルを連れて来てのエロ写真も添へてみたりした類の、ライトな新書を原作に戴いたといふ次第。往時、その刊行物が如何程売れたのかは忘れる以前に知らん。曽根中生が興したフィルム・ワーカーズは説明不要として、原作本の後付には企画協力とある、共同製作のクリエイティブルーム・マッシュは恐らく、いはゆる編プロの類ではなからうか。
 識別出来るだけ、配役残り。識別とは何事か、後述する。飯島大介と瀬川亜紗美は大した金も持たず、長逗留するチンピラとその情婦・純子。結局飯大が―質屋と雀荘に―金を作りに行く間、純子がホテルで働き始める形に物の弾みが転がる、のだけれど。さうでなかつた場合、結局この人等どうするつもりであつたのだらう。あと台詞の潤沢に与へられる、シャルムのメイン従業員には辿り着けない。外波山文明と中山あずさは、前パートに於ける“ホテルの支払に泣く者”に対し、“ちやつかり金儲けして行く者”。703号室でビニ本を撮影する、カメラマンの佐伯とモデルのチカちやん。偶さか勝つた飯大が連れ戻しといふか、事実上買ひ戻しに来るも、純子はシャルムに残る道を選ぶ件を経て。堺勝朗と田代葉子はポルノ小説家のホウジョウ(仮名)先生と、その愛人。で、ある意味この人らしいメソッドの、テンパッた剣幕で帳場に乗り込んで来る織本かおるが、夫の車が駐車場に入るのを見て血相変へた、ホウジョウの妻・ヨリコ。その後ホウジョウがスワッピング―ホウジョウのパートナーはヨリコでなく矢張り田代葉子―に開眼、交換相手カップルの男は鈴木幸嗣。そして最後に、滝川昌良はホテルに出入りする、田中酒店の一人息子・カズヤ。親爺が眉を顰める模型趣味を、シャルムに場所を借り愉しむ案外凝つた造形。とこ、ろで。江口高信との消去法で特定しきれてゐないのに何だが、馬場修の本職は多分照明部。特定し損ねた所以は、だから後述する。
 口跡は片言ながら結構なウルトラ美人のビリング頭―もしかしてハーフなりクォーター?―に、「こんな人ゐたのか!」と俄然色めき立ち、すは出演作を見られるだけ追ふぞ、と意気込みはしたものの。どうやら瀬川亜紗美が少なくとも映画は、今回が最初で最後ぽい渡辺護昭和59年第四作。なかなか上手く行かない、何もかも。
 要は瀬川亜紗美×飯島大介と中山あずさ×外波山文明に、田代葉子×堺勝朗、feat.織本かおる。三篇ないし三組の挿話からなる、オムニバス的趣向の一作。前述した純子&飯大と、チカちやん&佐伯の正反対な立ち位置の対比。常連客の危機に脊髄で折り返す速さで岩瀬支配人が案じた、葉子(凡仮名)を一旦別室に隠し、執筆に追はれ作家がホテルに軟禁される、缶詰め状態にホウジョウが置かれてゐる体をヨリコに装ふ、抜群に気の利いた姦計。そこかしこで流れを整へたのち、純子とカズヤが何となく男女の仲に。模型飛行機を手に二人仲睦まじく土手を歩いて行く、瀬川亜紗美と滝川昌良の背中で思ひのほか綺麗に締め括る。やれ傑作だ天才だ、ガタガタ騒ぎたてるほどでは決してないけれど、手堅く仕上がつた量産型娯楽映画の小粋な一品。といふ評価に至つたとて、別におかしくはなかつたのに。安んじて映画の足を引くあるいは、後ろ足で砂をかけてのけるのが、本篇冒頭とラストをそれぞれ四五分づつ、即ち総尺六十五分からすると結構通り越し随分な割合を漆黒に塗り潰す、正体不明の隠し撮り風パート。何が逆の意味で凄いといつて、音が遠く粗いのは百歩譲つてまだしも、まあ兎にも角にも五十音順で市川譲か、矢竹正知ばりに暗い、ホント暗い。名前と顔を見知つてゐやうとゐまいと、どれが誰やら全然判らないくらゐ暗い。寧ろ女の裸を仄かに見せ、女優部の個別的具体性ごと、男優部を影に沈めてみせる撮影が技術的に実は超絶、でよしんばあつたにせよ。何をヤッてゐるのかすらほとんど釈然としない、漫然か漠然とした計十分弱のほゞ闇といふのも、小屋の暗い中で観るのが本来の環境なり感興である点を踏まへればなほさら、最早客を眠らせたいのか不思議になつて来るレベルの暴虐。全体のリズム的にも木に竹を接ぐか、展開の円滑な進行を妨げてゐる風にしか映らない。それとも、あるいはもしかして。最初の段階ではモキュメンタリーの線を狙つてゐた、企画が途中で動いたのかな。あ、あと。市川譲と矢竹正知を五十音順に並べたところのこゝろは、二人の繰り出すダークネスの明ならぬ暗度を、正確に比べ得る機能を恐らく肉眼は有してゐない。ドルビーシネマの、圧倒的パワーにでも頼らない限り。

 と、いふかだな。あれこれググッてみた今の今まで全く知らずに生きて来た、己の寡聞は截然と心の棚の上に放り込み仕舞ひ込んだ上で。舞台は矢張りラブホテル、2000年にはテレビドラマ化もされてゐる、ぬまじりよしみのマンガ『たゞいま満室!!』(1993/全二巻/双葉社『JOUR』誌連載)てえゝゝゝゝ!?何だこれ、いゝのこれ。事この期に及んで別に、目くじら立てる案件でもないのかしらん。


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 「縄で犯す」(昭和55/製作:新東宝株式会社/配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:小水一男/撮影:佐倉和樹/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/助監督:三輪誠之/監督助手:山田丈/撮影助手:巽五郎/照明助手:佐藤一夫/効果:秋山効果/現像:ハイラボセンター/録音:銀座サウンド/出演:日野繭子・野上正義・国分二郎・杉佳代子・飯島洋一・丘なほみ・堺勝朗)。出演者中丘なほみが、ポスターには丘なおみ。何気になほみ名義は初見、なほみ作ほかにもあるのかな。配給の新東宝興行は、ポスターに従つた。
 女の腹の上に縄をかけるアバンを秒で通過、チャッチャとタイトル・イン。温泉旅館「栄荘」の主人・吉三郎(堺)が女中の照子(丘)を激しく甚振る様子を、番頭の松男(野上)が窺ふ背後に、使用人の正造(国分)も現れる。
 散発的かつ断片的な、来し方パートを掻い摘みがてら配役残り。日野繭子は、恐らく貧農の両親・留次郎(飯島)とよし(杉)が娘を遺し縊死したのち吉三郎に貰はれた、往時の用語でいふと知恵遅れの少女・里子。照子にガミガミやられながら、里子も一応栄荘で働いてゐる。その他、一銭で里子のハモニカを吹き、激おこの留次郎からタコ殴りにされる―背景に電柱と電線が見切れる―男と、リバイバル後の栄荘に、客と従業員合はせ計八名が投入される。その中パッと見、ガイラは見当たらない。
 女房を吉三郎に売つた留次郎が握り締める対価が、新しい方の一圓銀貨(製造期間明治7~30年/明治31年国内流通禁止)。即ち明治時代の山村を舞台とした、渡辺護昭和55年第十二作。たゞしその硬貨、元々対外貿易専用に発行され、国内では殆ど流通してゐなかつた模様。考証上の些末はさて措き、渡辺護が当年全十五作。内訳もミリオンと買取系が四本づつ、新東宝は六本。それではあと一本はといふと、東映ナウポルノに一枚噛んでゐたりする縦横無尽リーチ。
 割とガバガバな因縁に支配された苛烈な猟色が、ある意味ポップにサドマゾの形で狂ひ咲く。といふか、要は吉三郎が一人でマッチポンプな業に囚はれてゐただけとも解し得るゆゑ、性質の悪い因業爺さんに周囲が振り回される、どころで済まない一種のサイコホラーともいへようか。堺勝朗が捕まらなかつたら、今泉洋連れて来い。さうなるとありがちな、一山幾らの構図にも思へ、案外事が大人しくは運ばない。大体劇中現在、結局吉三郎が勃つのか勃たないのか。裸映画的にはなほさら展開の要を成す疑問は、後一歩のところで最終的には等閑視。度を越した荒淫の果て―タフな照子の以前に―女将を死なせたらしき、元々箍の外れてゐた吉三郎と、邪気もなく色を好む松男は兎も角。正造までもが藪から棒に運命的な勢ひで、里子に入れ揚げるところの所以は、理解にも感情移入にも些かならず難い。我ながら紋切型的な他愛なさに辟易しなくもないが、もう少し、里子にたとへば聖性的なサムシングを纏はせ描く、いはば外堀を埋める手数を積み重ねられなかつたものかと首を傾げつつ、所詮は前時代的かぞんざいなマチズモの権化に過ぎぬ渡辺護に、さういふ繊細は繊細な趣向を、土台求める相談ではなかつたやうにも思へる。懐妊にキレた吉三郎が何もかも放棄した上、里子を本格的に責め始めてのクライマックス。照明の浅い赤味が判り易く顕示的な画の軽さが、行間のダダッ広い展開を暗く重たい雰囲気で誤魔化す、もとい押し切る戦法の採用を妨げてゐるのが最たるアキレス腱。ほかにも三番手の濡れ場をヒロインの秘された出自に捻じ込む、強引な力技は桃色の力学ないし、論理性の範疇で賞せなくもないにせよ。滝を文字通り真紅に染める、流産の大通り越した超出血はフィクションの嘘が盛大に火を噴くか底を抜く、失血死必至の最早限りなく笑ひ処。
 延髄への編針一撃で国分二郎を葬り去る、里子が出し抜けに繰り出す仕事人ばりの殺人技術にも驚かされたが、藪蛇に破滅を急ぐ堺勝朗の闇雲な重厚感と、如何にも国分二郎らしいどうかした熱量。飄々と女の尻を追ふ野上正義の軽やかさに、飯島洋一のキッチュな寄り目。実は女優部以上に充実してゐる豊潤な男優部が、改めて気づくと見るも無惨に全滅する容赦不要の死屍累々ぶりには、グルッと一周したより深い感嘆をも覚えた。徒に死体の山を築く不毛なドラマツルギに、却つて心惹かれる惹かれてしまふ、倒錯した清々しさは矢張り否めまい。そして木に竹を接ぐ、栄荘再興エンド。女主人の座に納まつた里子こと日野繭子が頭に載せてゐる、まるで橘雪子みたいな髪型の鬘が、終始陰惨な始終の果て辿り着いたエピローグに、一滴の潤ひを差すチャームプロップ。量産型娯楽映画を現に量産する、その麗しさを言祝ぐに吝かでないものの、それだけ撮り倒してゐればかうもなるよね、といふ結構大雑把な一作ではある。

 ひとつ気になるのが、VHSのパケにも採用されてゐる昭和55年版のポスター。丘なほみを責めてゐるのが実際の堺勝朗でなく、下元志朗―か大杉漣―に映るのは気の所為かしら。あと一点、前述したハモニカ氏の場面に加へ、里子が初めて悪阻に見舞はれる洗面所。窓越しに、見るから現代ぽい遠景が望める。


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 「ラブホテル 消し忘れ大全集」(昭和61/製作:(株)ビジュアルワーク/配給:(株)にっかつ/監修:渡辺ツトム/プロデューサー:進藤貴美男/企画:半沢浩)。虚無的な情報量のクレジットは本篇ママ、にっかつ配給はポスターに従つた。
 最初のカットはラブホテルのベッドの上、予め設置された自撮りビデオの映り具合をチェックする好色漢で、清水大敬がいきなり飛び込んで来る。僅かも何も、開巻ゼロ秒でモキュメンタリーの体裁を敢然と放棄して済ます、暴力的なオネストが最早清々しい。清水大敬は設定上高校の教師、続けて現れた私服姿の岬まどかが、大八先生(超仮名)の生徒・メグミ、とかいふ役所(やくどころ)。撮影に気づいたメグミが止める止めないの、攻防戦で発生する砂嵐にタイトル・イン。挙句馬鹿デカく“SISTER BOY”とプリントされたサイズ感からへべれけな、DCブランドのブルゾンを羽織つた岬まどかの、凄惨な80年代ファッションに話を戻すと。そこはせめて、何故制服を着させん。潮目が変つたそれとも、正確か直截には御上の激おこ基準が、半年弱の公開間隔に緩和されたのかも知れないけれど。より過激な佐藤寿保の「制服処女 ザ・ゑじき」(脚本・主演:渡剛敏)を想起するに、何もロマンXで、セーラー服が許されてゐなかつた訳でも別にあるまい。他方、ワイシャツを大きく肌蹴た大八先生が解いた状態で首から提げた、ネクタイのいゝ塩梅は堪らない。如何にもヤル気に逸る、若き清水大敬の活々とした表情も絶品。
 清水大敬が結構な分量アドリブをブッ込んでゐさうな、他愛ない学校トークがてらメグミと大八先生が兎も角事に及ぶ。微動だにしない直向きなフィックスをグダグダ回し、時は流れ十年後、監督デビューを果たす清大に劣るとも勝らずザックザク切る。ぞんざいな絡みをモニター越しに完遂するや、「えゝとね、これは三年前のかな」。一旦声のみ―のち見切れる際にはモザイク―で、消し忘れビデオ蒐集家大登場。四十本を謳ふ御仁コレクションの一部を、開陳する格好の盗人猛々しい建前。
 配役といふほどの配役でもないゆゑ、出演者残り。二幕目は、関係性の全く不明な御二方。SMモデルの杉下なおみハーセルフと、無表情スレスレに、整つた顔立ちの若い男。現に杉下なおみの緊縛写真が掲載されてゐると思しき、『SM秘小説』実誌(当時三和出版)も見切れる。三幕目は仲山みゆき系の無個性的な美人と、そもそもほとんど全く面相を抜かれない矢張り若い男。男が“お姉さん”と呼ぶ女に小遣ひを無心する間柄で、水商売の女とボーイらしい、ソースはシネポ。
 jmdbによると「猟奇体験・夢性」(昭和60/関根和美と共同脚本/主演:更科詩子・佐藤靖)の封切りが九月で、今作は年を跨いで二月二十二日。ミリオン第三作「亜紀子の唇 愛戯」(昭和61/主演:高橋靖子/a.k.a.亜希いずみ)が六月につき、ツトム名義による渡辺努三本目相当作。日活公式サイトと、ググれば辿り着けるポスター画像。何れにもその旨記載されないまゝ、見るも無残な画質に一目瞭然、ビデオ撮りキネコの―買取系―ロマンXである。本番撮影に関しては、だから絨毯爆撃的な猛威を振るふ往時のワイドレンジボカシを前に、よしんばその後失はれてしまつたにせよ、正確無比百発百中で看破し得るメソッドなんて、果たして獲得されてゐたのであらうか。
 上下左右には梃子でも動かぬchap.2のカメラが、引いたり寄せたりはする。「波か」、とツッコむ以前に。プリミチブかミニマムながらカメラワークが存在する以上、消し忘れビデオを入手した最低限のお約束すら、易々とかなぐり捨てる気か。と呆れ果てかけた、根本的な疑問をまさかの回収。chap.2と3の幕間にこちらは徹頭徹尾声しか聞かせない、インタビュアーにその点触れられた御仁は、自動のズーム機能といふ方便で適当に回避、リアライの発光パターンかよ。狂言回しをも半ば担ふインタビュア氏が思ひのほか有能らしく、更に追及の手を緩めない。女の顔に見覚えある旨振られた御仁が、今度は杉下なおみさへ―有名人流出ビデオ的に―認めてのける。ど頭から清水大敬で打(ぶ)ち明けてゐた話に、杉下なおみで火に油を注ぐ。元々白々しい虚を、ならばとでもいはんばかりに開き直り、実に引き戻す。案外攻めてゐなくもない―あるいは苦心の―構成が、chap.3でもう一歩踏み込む。御仁いはく、“隠しカメラをホテルのカメラにドッキング”。ドッキングの意味がよく判らない、消し忘れも何も、要は盗撮目的でセッティングする推定助監督(顔モザ)と、確認する恐らく監督はサウンドオンリーで仲山みゆき系と矢張り若い男に先行。限りなく絶無に近い物語性を、首の皮一枚担保する小遣ひを結局、男が貰へたのか否かは等閑視。バレてしまふがよもやまさかのオーラスは、<作業を終へた編集技師に、監督がオッケーを出す編集室>。虚から手繰り寄せた実を、なほ内側に抱へ込む。複雑なメソッドの関節技にも似た、時勢ないし濃厚な敗色に、渡辺努が精一杯抗つてみせた一作。だなどといふのは、多分些か勇み足。


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 「猟奇体験・夢性」(昭和60/製作:恐らく植村プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:渡辺努/脚本:関根和美・渡辺努/製作:植村泰三/企画:明石京子/撮影:倉本和人/照明:佐藤才輔/音楽:佐々木貴/編集:金子編集室/助監督:佐藤俊鬼・西川憲・上野俊哉/撮影助手:下元哲/照明助手:市川裕二/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/出演:更科詩子・佐藤靖・大滝かつ美・神崎瞳・ジミー土田・白石定男・池島ゆたか・今泉洋)。助監督の佐藤俊鬼は、当然サトウトシキ。何故鬼にしたといふ、微笑ましい若気の至りぶり。
 丸池物産勤務のサラリーマン・藤本英夫(佐藤)が居間で本を読んでゐて、台所では―少なくとも女の親から―この二人の法律婚が反対されてゐる所以が実はよく判らない、内縁の妻・アサコ(更科)が洗ひ物、情報量足らなくね?更科詩子の印象をザックリ整理すると、亜希いづみと佐々木基子を足して二で割つた感じ。クレジットに流れて来た、当サイト的には結構久々の、ジミー土田の名前に歓喜する。閑話休題、如何にも布石ぽく思はせ、別にさういふ訳ではなく、も更になく。中盤の導入部と、最終盤。のちのち二度に亘りパラレルの転移を―超絶さりげなく―示すギミックを担ふ、アサコは案ずる白のセキセイインコの様子を藤本も見てみてタイトル・イン。本篇ど頭は、跨ぎで突入する事実上の夫婦生活。げに繋ぎの、鮮やかさよ。
 事後アサコから妊娠三ヶ月の報告を受けた藤本は、その夜酷い寝汗で目覚めると別室の書斎に入り、三年前の来し方を想起する。回想最初の舞台は雇はれホステス云々いふより、描写上は終始アサコが一人で回して―たゞ早番等シフトは存在する模様―ゐる、どの辺が十九世紀なのか逆の意味で晴れやかにピンと来ない、アンティーク:パブ「1800年代の家」。アンティークとパブの間にコロンを入れる途轍もないダサさは、アサコが自宅でも使ふ店マッチの表記に従ふ。えゝころにせえよ、エイティーズ。年代単位で罵る憎悪はさて措き、配役残り。半月ぶりで店の敷居を跨いだ藤本と、カウンター挟んでアサコの前に現れる今泉洋が、かつて作家志望であつた藤本の長篇『歪んだ時間』を、この時点では剽窃してゐた筈の職業小説家。“先生”としか呼ばれないゆゑ、こゝは深町章と仮称する。ジミー土田は藤本の丸物同僚、昼休みのキャッチボール大好きニキ。白石定男も同僚其の弐、固有名詞はカワサキ。後述する、自身の自信作『歪んだ時間』同様、藤本が“異次元ワープ”したシン・世界。池島ゆたかは、藤本英夫担当の三光出版編集者・井上。大滝かつ美は藤本の不倫相手・ミナミサヤカ、何かCFの撮影でグァムに行つたりする人。そして神崎瞳が、驚愕のSF作家になりたガール、吃驚とは何事か。
 jmdbとnfajをうつらうつら、もといつらつら眺めるに。具体的には昭和57~62年の、昭和末期。初期は専ら飯泉大(a.k.a.北沢幸雄etc.)作、後期は買取系ロマポの助監督として活動。その中期に監督作も数本発表してゐた、渡辺努のjmdb準拠で第二作。渡辺努以前にプロデューサーの植村泰三と、企画の明石京子から謎。たゞ音楽の佐々木貴に関しては、あるいは佐々木貴に関しても、主に飯泉組で担当してゐた形跡が窺へる。
 映画が跳躍するのは序盤尻、長い塀沿ひの道と、細い階段。丹念なロケハンの成果が唸る、一日の雑業を終へた藤本の帰途。アサコと初めて結ばれた夜、藤本が確かにベランダから捨てた深町先生から貰つた、深町に叩き返し損ねた万年筆。を、時空の歪んだ往来で拾つた藤本は、激しい頭痛に見舞はれ蹲踞。長く尺を割く発作を経て、力なく再起動。藤本が帰宅した自分の家は、鮮やかな黄緑のインコを飼つてゐた。即ち、そこはそれまでゐた世界とは異なり、藤本も先生で日本SF大賞(昭和55年創設)の対象候補に挙げられるほど、成功してゐたりする並行宇宙、といふのが先述したシン・世界。あの関根和美―どの関根和美だ―が風呂敷をオッ広げた、本格SFを渡辺努も繊細にしてエッジも効いた演出と、精一杯の特撮とで適宜加速。必殺の傑作をも予感させつつ、全体何をトチ狂ふて、斯くも洗練度の低い芋臭い娘にナベが惚れ込み、往時も普通に持て囃してゐたのか。激しく理解に難い二番手が中盤を盛大に中弛み、させこそすれ。越境者同士で男女の仲―しかも不義―といふ、ピンクの力学に沿はない限り地味でなく画期的に高い難易度は、この際さて措き。増長した藤本が仕出かすミドル破滅と、パイセン展開に錯乱した藤本が犯してしまつた、ガチ破滅。ミドル破滅後の藤本が悄然と口遊む、陽水の「人生が二度あれば」は、迸るやつちまつた感が大笑必至。再かつ最加速が、終盤改めて点火。小鳥なり―トリガーたる―万年筆、要は文字通りの小道具のみでトランスを語らうとする抑制的か禁欲的なドラマツルギは、判り易さを以て宗とすべき、量産型娯楽映画的には不用意と紙一重にせよ。先に画面奥に歩を進めるアサコを、一旦見送りかけた深町先生が踵を返し、袂を分かつかの如く手前に歩いて来る。今泉洋が重厚感も添へる画角のキマッたロングが、ほろ苦いバッドならぬマッドエンドを綺麗に結ぶ。
 女の裸的には何はともあれ、藤本先生がある意味順調に煮詰まつてゐると、サインを乞ふファンを装ひ神崎瞳が来訪。ところがいざ色紙を受け取るや、「先生、あたしどうしてもSF作家になりたいんです!」とかどうかしかしてゐない勢ひで大豹変。そのまゝ藤本を押し倒し、無理から事に及ぶ件が、絡みこそが明後日か一昨日なハイライト。裸映画固有の論理が火を噴く、木に竹を接ぐのも通り越し、度肝を抜きに現れる三番手には衝撃も通り越し、グルッと一周した正体不明の感銘をも受けた。他方正方向には全員時代の波を超え難い、女優部三本柱に限界が否めない反面、全ての濡れ場を完遂させる姿勢は、何気に麗しい至誠。劇映画と裸映画が何れも高い水準でまとまつた、思はぬ拾ひ物的な一作。と思ひ、ズームアップ映画祭の結果に目を通してみると。ベストテンに掠りもしてゐないのね、これが。たとへば二位の「やりんこチエ いちじく診察台」(監督:広木隆一/脚本:沢木毅彦/東千恵)辺りより、断然面白い気もするんだけどなあ。

 尤も、オーラスに於ける深町先生の弁からすると、藤本と深町双方合意の上、深町章名義で発表した形にされてゐる。最初の「1800年代の家」で深町が見せた、憤然と開き直つた態度とも明らかにちぐはぐな、『歪んだ時間』の扱ひに関する齟齬は、釈然としないまゝ放置される割と重大な瑕疵。つか、深町深町うるせえよ、盗用はex.稲生実の専売特許なのか。


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 「誘惑つとめ口 名器のおしごと」(2023/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音・整音:大塚学/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:高木翔/撮影助手:郷田或/現場応援:広瀬寛巳/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:真矢みつき・富岡ありさ・しじみ・小滝正大・及川大智・ケイチャン・里見瑤子・森羅万象)。ジャン=リュックの撮影部セカンドは、プリビアス「大性獣 恥丘最大の絶頂」(2022/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/主演:生田みく)から二作連続。
 ラップ王になる旨謳ふ宣言の大きく掲げられた、無職のラッパー志望・松戸望斗也(小滝)の居室。かゝつて来た電話に望斗也は神妙な面持ちで、予定か予感されてゐた来客の不訪を伝へる。大人なら普通に手の届く高さで、特に障壁一枚設けられてをらず。斯くも無防備な鐘を勝手に鳴らすと永遠の愛が叶ふとか、他愛なさすぎて有難味のない都市伝説の囁かれる、そこら辺の単なる河原公園。もとい鐘のある公園、劇中公式表記は知らん。コンビニ店員でとりあへず白装束の旧姓・イチノセ明日実(真矢)と、望斗也の二人きり。本物は三年後の約束で、チャチい玩具の指輪を渡す。度外れた安普請を綺麗にいへばロハス的な、誓詞は互ひにフロウで交すラップ結婚式を経てタイトル・イン。RAPナベシネマ、アバンから轟然と業火を噴く盛大か壮絶な負け戦を、潔く諫める賢人は誰かゐなかつたのか。
 短くはないけれどいふほど長くもない、中程度の実働期間に二度改名。名義だけで掘ると絶妙に掴み難い、真矢みつきのフィルモグラフィをこゝで整理しておくと。最初は神谷充希でのデビューが、2019年第二作「好き好きエロモード 我慢しないで!」(脚本:増田貴彦)。早速亜矢みつきに改名、倉本和人(a.k.a.倉本和比人)のピンク帰還作「銀河の裏筋 性なる侵乳!」(2021/脚本:増田貴彦)と、新橋探偵物語第二作「激マブ探偵なな 手淫が炸裂する時」(2021/企画・監督・編集:横山翔一/脚本:奥山雄太/主演:きみと歩実/二番手)。更に現在の真矢みつきに改名後、新探第三作「絶倫探偵DX 愛と淫慾のバイブ」(2023/原案・監督・編集:横山翔一/脚本:奥山雄太⦅ろりえ⦆/主演:川上なな実/四番手)と来て、今回でフィフス。三月に封切られたナベ最新作で六本目までなら継戦しつつ、同月末、あるいは昨年度で真矢みつきが、エーブイからはひとまづ引退してゐる。
 閑話休題、それから三年後。裸映画の火蓋を華々しく切る、夫婦生活の事後。相変らずうだつが上がらないニートの望斗也に、依然非正規の明日実が終なる匙を投げ出奔、遣り取りを聞くに何度目かの。河原で途方に暮れる明日実に、自称人相見の牛込須磨子(里見)が接触。曰く倦怠期にある夫婦なりカップルの、営みをたゞ見てゐるだけ。高収入もちらつかせ、“ウォッチャー”なる謎仕事に明日実を勧誘する。須磨子の名前は、牛込で縊死した松井須磨子からかしら。
 配役残り、ケイチャンと富岡ありさが、明日実のウォッチャ初仕事先。大金持ちの三男坊・中之池雄三郎と、その妻・富岡ありさ。形式上は―AV―現役勢にex.持田茜が一歩譲つた形を採つてゐるものの、実質的には富岡ありさが三番手。ビリング頭に勝るとも劣らない、オッパイがエモーショナル。しじみと及川大智は二組目、スピリチュアルに片足突つ込んだ、多分音楽プロデューサー辺りの華原埼千夏と、恐らく情夫と思しきハルヲ。顔も名前も見覚えのない及川大智が、鈴木亮平似のエロメン。イケメンのAV男優部を、今はエロメンと括るらしい。当サイトが把握する限りだと、橘聖人が公式にエロメンとして活動してゐた。森羅万象は、土方の男手ひとつで明日実を育て上げた苦労人の父親・武雄。津々浦々の現場を転々とする御仁に、劇中常時明日実が綴り続ける手紙はその都度送り先を変へるのか。
 夫婦仲に隙間風の吹いた、家計を細腕で支へる妻が、見るから怪しげな性の指南役と出会ふ。さう掻い摘むと、天国に還つた天使がエクストリームにキュートな名作?「人妻社長秘書 バイブで濡れる」(2001/脚本:波路遥/主演:林由美香、と時任歩)を脊髄反射で想起しつつ、蓋を開けてみたところ、全く以て別にいとほしい映画では全然なかつた2023渡邊元嗣。どうも、ナベが元気ない。ナベシネマが、輝きも弾みもしない。
 他人様のセックロスを拝見しに伺つたヒロインが、自身もアテられ奔放なワンマンショーに興じる。如何にもうつてつけの場面設定を得た裸映画が、小癪か些末な劇映画なんぞ何処吹く風、軽快かつ麗しく走り倒してゐたのは、残念ながら前半まで。尺を折り返してほどなく、自宅オーディションで千夏を訪ねた望斗也と、明日実が衝撃の対面を果たすタイミングが幾ら何でも早すぎる。共倒れる二三番手が二回戦すら戦はず、一応―下手に―思はせぶりな開巻を回収しなくもない、木に三年前の真実を接ぐ後半が派手に失速。言葉を選ぶと割とでなく、耳目両方とも覆ふくらゐ酷い、選んでそれなのか。大体、渡邊元嗣がたとへば松岡邦彦の如く、人間の邪性をあくまで邪なまゝに、黒いビートで活写し得る訳でもあるまいし。徒か無駄に悪役の頭数を増やす藪蛇な展開は、無闇に後味を濁すのが関の山。土台、演出部がナベで、演者が小滝正大。そもそもそんな組み合はせでラップを主モチーフにだなどと、何処の馬鹿が思ひついた企画レベルの、児戯にも満たないどうかしかしてゐない悪ふざけ。さういふ、グルッと一周したプリミチブが明後日もしくは一昨日なカタルシスに突き抜ける、のを期待する。やぶれかぶれな皮算用はそもそも、量産型裸映画が各社総計で一日一本公開されてゐたやうな、堆く山と積もる本数が撒き散らされてゐた喧騒の中で、初めて許される所業なのではなからうか。許される?あるいは見過ごされる。屁より薄いリリックを、逐一画面上に大書してのけるのは、悪趣味を燻らせたデジタルの―果実の―無駄遣ひ。
 三年前の備忘録< 金の無心に表れた武雄に、望斗也が実は用意してゐた結婚指輪を渡す


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 「大性獣 恥丘最大の絶頂」(2022/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:高木翔/撮影助手:郷田或/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:生田みく・花狩まい・しじみ・竹本泰志・小滝正大・ケイチャン)。この期の間際に気づいたのが、撮影部セカンドの郷田或(a.k.a.郷田有or郷田アール)といふのはゴダールを捩つてゐるのか。三十年以上に亘る異常に長い助手歴を窺ふに、誰か一人が使つてゐる名義では多分なく、共有の変名にさうゐない。
 画面左から右に電車が横切る、田園の美しいロング。ヒロインが幼少期育ての親である祖父に連れられた、「ほたるの森」と名づけられた豊かな自然を回想、する綺麗な流れをブッた切り。小説家志望のライター・三田さとみ(生田)は、色事、もとい色々懇意の編集者・仲之浦(竹本)から振られた、見るから異端の科学者・城ヶ崎(ケイチャン)が携はる、セックスによつて生み出されるエネルギーを熱に変換した上で動力源として活用する。過去にも何度か見聞きしたやうな、エネルギー保存則をガン無視したトンデモ研究の取材に臍を曲げる。臍を曲げ、ながらも。例によつて仲之浦が適当に言ひ包め、た余勢で突入する絡み初戦。生田みくのボリューミーな肢体を狙ひに狙ひ倒し、アバンから今回の渡邊元嗣はゴッリゴリに攻めて来る、映画は兎も角ピンクを。結局何時もの如く、なし崩し的に与太企画を押しつけられたさとみは、祖父の形見の古いラジオを、店は閉めた電器屋に直して貰つた比較的新しい来し方を想起。中には何も書かれてゐない、小説のネタ帳にさとみが溜息ついた区切りで、赤い月の浮かぶ夜景に、最早ヤケクソのやうな書体で叩きつけるタイトル・イン。
 高木翔法律事務所や「なべエンタープライズ」と、雑居ビルに軒を連ねる「jyogasaki energy laboratory」。配役残り花狩まいは城ヶ崎エネルギー研究所の研究員・森尾日菜子―森魚か森生かも―で、小滝正大が助手の岸和田タモツ。ほんで以て一同が日々明け暮れる、実験の実際はといふと。催淫発情装置を浴びせた日菜子を、城ヶ崎が要は抱いてエネルギーの検出を試みる。清々しいほどの馬鹿馬鹿しさが、グルグル数周して素晴らしい。量産型娯楽映画といふのはかうでなくちやと、実は虚仮にした皮肉あるいは、為にする方便でなく当サイトは心からさう思ふ。しじみは仲之浦が連日買ふのが、高給取りなんだなあと軽く首を傾げさせられるデリヘル嬢・アザミ。ララバイ
 郷田或の名義のみならず、こちらも下手すると三十年くらゐ使つてゐさうな、電器屋時代の城ヶ崎が着けてゐた黄色いYou & meのエプロン。に、なほ止(とど)まらないんだぜ。螢雪次朗なり西藤尚が頭に載せてゐたウィッグ等々、アンティークの領域に片足突つ込んだ小道具が、途方もない物持ちの良さを何気に爆裂させるナベシネマ新作。
 今世紀も明けて既に二十余年、竹本泰志がバナナの皮でスッ転ぶシークエンスを、臆面もなく撮つてみせる渡邊元嗣の豪胆なポップ感には軽くでなく驚かされた、けれど。工藤雅典大蔵第四作ほどではないにせよウィキ曰く十稿まで脚本を直したにしては、同じテーマに取り組むオーピー大の大蔵教授チームに後塵を拝する城ヶ崎が、世界を救ふつもりで世界を滅ぼす化物を生み出してしまふ物語は、オマンタゲーの空騒ぎや大性獣ミダラの造形の酷さに劣るとも勝らず、最終的には平板な作劇が面白くも何ともない。木に螢を接ぐ愛のエネルギーとやらで適当に茶を濁すザマなら寧ろ、城ケ崎のルサンチマンと誠実に向き合ふ方が、まだしも形になつたのか。尤もその場合ナベといふよりも、国沢実の仕事であるやうな気もしつつ。人でも仕事でも、好きになるのが一番大切。屁より薄い腑抜けた説教を、全篇を通じて捏ね繰り回されたとて、呆れ果てればよいものやら匙を投げたらよいものやら、もうどうしたらいゝのか判らない。反面、裸映画的には的確に女の乳尻でヌキ続け、もとい乳尻を抜き続け、直線的にして重量級の煽情性を、これでもかこれでもかと轟然と畳みかけて来る、割に。総じて等閑なのは、大人しく劇に伴つてゐるものと好意的に評価したとしても、選りにも選つて締めの濡れ場で藪蛇な牧歌性を狙ひ損ねる、壮絶な選曲で目出度くなくチェックメイト。ボガーンと弾ける生田みくのオッパイで、胸かお腹一杯になれなければ、素面の劇も女の裸も共倒れる失速作。実に九度の改稿に話を戻すと、数少ない弾を大切に撃ちたい、心持ちも決して酌めなくはない、ものの。さういふ姿勢が四の五の考へず下手な鉄砲を数打つ、撃ち尽くした果てに見えて来るサムシング、が時になくもない。量産型娯楽映画の本質と背反してゐるジレンマを、恐らく大蔵は認識すらしてゐまい。も、しくは。不用意な火種を抱へたくない?それは元々、自業自得の限りで己等が外した梯子だらう。
 備忘録<一件を小説化した、『ほたるが紡ぐ森~大性獣ミダラ~』で念願の作家デビュを果たしたさとみが劇中最強の勝ち組   >次点は目出度く日菜子と結ばれた岸和田


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 「欲情妻 むかしの愛人」(1993『人妻・密会 不倫がいつぱい』の2004年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双美零/製作・企画:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:今岡信治/監督助手:北本剛・徳永恵実子/撮影助手:斉藤博/照明助手:広瀬寛己/録音:銀座サウンド/スチール:佐藤初太郎/現像:東映化学/出演:小川真実・井上あんり・杉原みさお・荒木太郎・杉本まこと・平賀勘一)。
 六時四十五分の時計にタイトル開巻、どうやら小屋に端折られたスタッフのクレジットは、小川真実と小林夏樹を混同してのける、当サイトに劣るとも勝らず覚束ないnfajで補ふ、出鱈目にもほどがある。なので照明助手の広瀬寛己が、本当に寛巳でなく寛己でクレジットされてゐるのか否かは不明。寛巳を寛己で誤記するくらゐ、奴さんには茶飯事か朝飯前だろ。
 蘭(小川)が保険外交員の夫・槍田馬太郎(平賀)に朝食を食べさせようかとしたところ、団地の隣家から最初は犬の鳴き声かと聞き紛ふ箍の外れた嬌声が。当人いはく、日々槍田家が生じさせる夫婦生活騒音への対抗との、カラオケ感覚でマイクを握つた米子(杉原)の、朝つぱらから爆音轟かせる未亡人ONANIE。百歩譲つて対槍田家はまだしも、両隣の反対側―あと上下も―には如何に申し開くつもりなのか。それと僅かに見切れなくもない、亡夫の遺影は識別不能。この面子だと、定石的には渡辺元嗣かしら。さて措き、馬太郎はそゝくさ出勤。送り出しがてら帰宅時間を確認した蘭には、実はアメリカから一時帰国してゐる、馬太郎と結婚する以前からの不倫相手・精野サトシと日中密会。した上で、先に戻り素知らぬ顔で馬太郎を待ち構へる目論見があつた。一方、馬太郎は高額契約に判を捺させたい、米子宅に直行ないし並行移動する。こゝで画面(ゑづら)的にはスチールのみの出演であれ、電話越しの声は聞かせる精野役が中田新太郎。もしかすると誰も知らない、今何処。
 配役残り井上あんりは蘭の妹で、昨晩から家を空け男漁りに耽る恵。荒木太郎が姿を消した妻を捜し、それどころでない蘭に泣きつく義弟の太。恵が二時から会ふ予定の間男といふのが、蘭も蘭なら馬太郎も馬太郎。実はのクロスカウンターで、保険の顧客に金持ちの娘を紹介する交換条件で寝る、逆に義理の兄にあたる馬太郎だつた。杉本まことは米子に捕まり恵との逢瀬に行けなくなつた馬太郎が、代りに向かはせる部下の穴多。どうも社名不詳のこの会社、いはゆる枕営業が横行してゐる模様。それもそれで、女子社員も兎も角男は体力的にキツいだらう。実際終日米子の相手をしてゐたといふかさせられてゐた馬太郎が、終には凄惨な荒淫の果て死にさうな顔をしてゐる。
 国費を使ひながら所蔵プリントの翻刻も満足に出来ないnfaj共々、タイトルバックに裸がない隙あらばクレジットを割愛する悪弊が甚だ宜しくない、地元駅前ロマンに飛び込んで来た未配信の渡辺元嗣1993年第二作。何はともあれ、未見の旧作に触れられる機会は無上の僥倖。どうせクレジットなんて、新東宝ビデオ用に改竄された素材を使はれてしまへば木端微塵、それは“どうせ”で済む話なのか。
 元々恵が馬太郎のために押さへてゐた901号室にて、妹に引き合はせるべく―恵は801号に退避―連れて行つた太と、ドンピシャの入れ違ひで―恵がゐるものと―現れた穴多と蘭が二連戦を戦つたのち、結局会ひ損ねた精野をイマジンして米子のお株を奪ふ、朝まではふざけないワンマンショー。馬太郎と米子、あるいは平勘と杉原みさお(a.k.a.大滝加代)は全篇の大半を貫き、竜虎相搏つ壮絶な死闘を展開。シャワーこそ浴びるものの、よもや二番手―そもそも三番手が全てを食ひ尽くすか焼き払ふ勢ひでもあるのだけれど―が誰とも絡まぬまゝ映画が終るのか?と地味にでなく危惧させられた恵は、901号を辞した穴多と上手いこと合流。並走する漸くの槍田家夫婦生活と、遠回りの末辿り着いた恵と穴多のビジネス情事が、クロスカッティングで目まぐるしく交錯するのが締めの濡れ場。ラスト・カットも、来月精野が帰国する二十日に、赤丸のつけられたカレンダーといふ徹底ぶり。となると、要はナベもへつたくれもない。連れ込みの一室を軸に登場人物が器用に交錯する、グランドホテル的な面白味も幾許かはあるにせよ、深町章でクレジットされてゐたとて恐らく気づく者もゐまい、まあ清々しいまでに女の裸しかない純度の高い裸映画。いよー、ポン!歌舞伎調の掛け声と鼓を徒に多用通り越して濫用する、素頓狂な選曲。普通に美味しさうな、奮発してすき焼きの夕食。牛肉を満喫する小川真実と平賀勘一の、口元を妙な執拗さで狙ひ抜くのは、まさか―舌―鼓にフィーチャさせた奇手ではなからうな。顕示的なナベぽくなさすらちらほら際立つ、どうかしたのか軽く心配なほど風変りな一作ではある。


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 「痴漢電車 いたづらな指」(昭和57/製作:現代映像企画/配給:株式会社にっかつ/監督:渡辺護/脚本:小水ガイラ/企画:松本忍/撮影:鈴木史郎/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:根本義/演出助手:川村真一・富田伸二/撮影助手:水野正人・阿部喜久雄/照明助手:森一男/録音:銀座サウンド/現像:東洋現像所/出演:ガイラチャン・下元史朗・恵杏里・美野真琴・五月マリア・長谷恵子・武藤樹一郎・滝川雅夫)。出演者中ガイラチャン(=小水ガイラ/a.k.a.小水一男)と、長谷恵子以降は本篇クレジットのみ。逆に何故かポスターには、国分二郎の名前が堂々と載る、何でまた国分二郎。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。あと初めて見た企画の松本忍といふのは、山本晋也と共有してゐた門前同様、どうせ渡辺護の変名にさうゐない。nfajには何も入つてゐないけれど、jmdbで探してみると全て現代映像企画製作で渡辺護と山本晋也のほか、高橋伴明作で松本忍名義を使用した痕跡が窺へる。
 最重量時の千川彩菜(ex.谷川彩)に匹敵する体型の、人妻・みき(五月)がベッドから落ちてなほ寝直す一方、夫でホワイトカラーの大川好秋(下元)は慌ただしく、食パン咥へて所謂“遅れちやふー”ダッシュ。ゴブハットを頭に載せた職業不詳の山内弘(ガイラチャン)が、往時は許されてゐた悠然と煙草を燻らす駅のホームに、間に合つた大川が滑り込む。ホームにはその日も同じ電車に乗る、女子高生・青木治子(美野)の姿も。来た電車の停車は割愛、俯瞰の走行ショットに現代映像企画のクレジットだけ先行させた上、思ひのほかファンシーな書体のタイトル・イン。どうもこの映画、国分二郎端から出る気ないし出す気なささう。
 混み合ふ車中、大川が気になる治子に、山内が電車痴漢を仕掛ける。その後意気投合した山内と飲みに行つた大川が、ポップな千鳥足で遅くに帰宅するその日の夜。要は五月マリアが家どころか、寝室からさへ半歩も外に出ない―辛うじてベッドからは一回落ちる―寝てゐたみきに対し、大川が身勝手かつ一方的に事に及ぶ夫婦生活。「女の性ちつとも理解してない」、「夫婦だつたら何時でもタダでセックス出来るつて思つてるんでせう」、「奥さんとセックスするのが一番難しい」云々。みきが不平を連打する形で畳み込む至極全うな視座に、旧弊なマチズモの権化たる渡辺護にしては、全体如何なる風の吹き回しかと面喰ふ。小水一男の色であるのかとも思ひかけたが、後々山内が大川に痴漢の神髄を説く件に際しては、“本質的に女が持つてゐる淫蕩さゆゑ”―痴漢行為を受け容れる―とか、臆面もない痴言を無自覚に放り投げてみせもする。単に、大川の所詮は我儘と紙一重の不遇を描くに際しての、自堕落な便法のひとつに過ぎなかつた模様。後々大川も大川で、後述する英美が果てたのちの一物を口で清めて呉れる、今でいふお掃除に際し、みきはさういふことをして呉れないらしく、「これが女だ」と感動する。何が女なのだか知らないが、渡辺護にはそのくらゐ無自覚なミソジニーを振り回してゐて貰つた方が、寧ろある意味安心する、評価に足るとは一欠片たりとていふてない。
 配役残り長谷恵子と、滝川昌良の別名かと思つたら完全な別人であつた滝川雅夫は、正論を吐くみきと喧嘩し深夜に再び家を出た、大川が公園で遭遇する凄まじく無防備な青姦カップル、呼称される長谷恵子の固有名詞はケイコ。一旦気づかれ、逃げた二人を大川が追ふとそこには山内が。一所懸命致すケイコと滝川雅夫に、少し離れて固唾を呑む山内と大川。誰一人ノーガードで身を隠してゐない四人を抜く、へべれけに無造作な画が一種の壮観にグルッと一周する。手作り感の爆裂する電車造作に、痴漢したい男と痴漢されたい女を集め、勝手に触り触られさせる。画期的すぎて非現実的な風俗の新業態「満員痴漢電車喫茶」を山内が発案、大川をパートナーに開業する。初日に来店するのが大川に触られたガールの治子と、男女合はせて十人前後のノンクレ隊、女優部は一応本職ぽい容姿。ノンクレ隊は、いはば単なる頭数。こゝでのメインは渡辺護が自ら、TVリポーターと称して無賃乗車する、外見も模したその名も山本ならぬ渡辺晋也として大登場。車掌の車内放送といふよりも、パチンコ屋かピンサロの店内アナウンスに近いノリで大川がガンッガン鳴らすマイクの中では、「チョビ髭野球帽のルポライターなんか来んなよー」、「このセックス産業の太鼓持ちが!」。バッシバシ山晋を茶化してのけるのけられるのも、齢は上でキャリア的には同期の渡辺護ならでは。尤も、同業者を豪快に揶揄するネタのキナ臭さは面白い反面、渡辺護に、演者の資質を満足に認め得る訳でも別にない。武藤樹一郎は治子のスカートの中を覗き込んだ、渡晋を逮捕する刑事、趣味の。そして序盤中盤と温存される女優部筆頭の恵杏里が、盛況の営業を終へ、帰途に就く山内と大川に治子が路地裏で出くはす、放火しようとしてゐた女・小林英美。
 結局、影も形も出て来やしない国分二郎が、ポスターに白々しく記載されてゐるのが盛大な謎の渡辺護昭和57年第七作。当初、実際にキャスティングされてゐた国分二郎が何某かの事情で出られなくなり、急遽小水一男が大穴を埋めたのか。それとも初めから小水一男の脚本・主演で撮つてゐたものを、如何せんパブの字面的に訴求力が心許ないゆゑ、確信犯的にバッくれてのけたのか。可能性は幾つか思ひつかなくもないが、忘れてゐない関係者以外、真相を知つてゐる人間が見当たらない模様。何れにせよ、そもそもビリング頭だぞ!?とでもしかいひやうのない、開巻以前に底を抜く話ではある。
 大川・ミーツ・山内の序盤。痴漢と覗きに熟達した山内が大川を指南するのと並行して、マンチカ喫茶をオープンする中盤。てつきりマンチカ喫茶が物語の目的地かと思ひきや、山内・大川・治子の三人に、出し抜けに飛び込んで来た英美が加はる終盤。森羅万象と浅野忠信を足して二・・・いや三から四で割つた風情の小水一男が飄々と牽引する、決して強固な一本の物語に貫かれるでない比較的自由度の高い始終に、確かに国分二郎の全力で仰々しい、特濃の面相もメソッドも似合ひはしまい。詰まるところ似た者同士で馬が合つたのか、山内のみならず大川も散発的に投げる散文的な厭世観も、国分二郎では下手に肩の力が入つて空回りもしないだらう。あまりにもダダッ広い行間に、所在を失くした国分二郎が却つて身動き封じられる。さういふ木端微塵のミスキャストを、観てみたかつた気もしなくはない。マンチカ喫茶はワンナイトビジネスであつさり放置、海に行つた四人が英美×大川と治子×山内のカップリングでそのまゝ出奔する、まさかの明後日か一昨日に展開。さうは、いへ。最終的には大川が相変らず通勤ラッシュに苛まれる、昨日と変らない今日が続く落とし処に落ち着くのだらう、と高を括つてゐたら。さして二の足も踏まず、等速直線運動でそれまでの来し方全てを捨てるラストには少なからず吃驚した。さうも、いへ。嫌気の差した憂世からオサラバだ、大人のお伽話を、振り抜いてみせはしたものの。果たしてさうさう都合よく、この四人は幸せになれるのか。二組が波止場で合流、歩き始めるロングを最後に、ハイライトのカットバック除いてガイラチャンから美野真琴まで全員退場。以降は特に何処か誰か見切れてゐる訳でもない、没個性的な雑踏と更に踏み込んで人すらゐない、純然たる景色としての往来を連ねる淡々としたタイトルバックが、印象的を通り越し、暗示的であるのかも知れない。

 一番大事な見せ場を忘れてゐた、半裸のビリング頭四人が、波打ち際で普通にキャッキャウフフする一幕。狙つて―薄い布地の―おパンティに水をかけられた、美野真琴と恵杏里の陰毛が「え、こゝまで見せて怒られないの!?」と、軽く動揺させられるほどスリリングに透けて見える。


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 「濡れた賽ノ目」(昭和49/製作:若松プロダクション/監督:若松孝二/脚本:出口出/企画・製作:若松孝二/撮影:がいら/照明:磯貝一/音楽:ハルヲフォン/助監督:斎藤博/演出助手:原田正幸/撮影助手:遠藤政史・伊藤野鳴/照明助手:土井士郎/編集:竹村峻司/効果:脇坂孝行/録音:大久保スタジオ/現像:東京録音現像㈱/製作進行:藤田敏紀/主題歌 作詞:荒井晴彦 作曲:近田春夫 歌:司美智子/出演:司美智子・長田ケイ・青山美沙・今泉洋・吉田純・山本昌平・夏文彦・河原一郎・北川康春・小西義之・石塚享・荻原達・崔洋一・磯貝一・小水一男・伊藤孝・鴨田今日子・吉野あい・山谷初男・外波山文明・篠原勝之・根津甚八・国分二郎)。出演者中、長田ケイがポスターには長田恵子で、青山美沙は逆に青山ミサ、逆て何だ。それと夏文彦から吉野あいまでは、本篇クレジットのみ。脚本の出口出は荒井晴彦の変名、撮影のがいらはa.k.a.小水一男。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。あと、何準拠なのか司美知子名義とする資料も散見される中、モモイロアルマジロは本クレ・ポスターとも普通に司美智子。
 鐘の音聞こえるカーテンからティルト下ると、素晴らしい肌の発色で男女が睦み合つてゐる。今作、全篇通して色調あるいは構図のみならず、濡れ場に際しては女の裸を大人しく愉しませる、根源的な本義まで含めがいらのカメラによる画がキッメキメ。もしかすると小水一男は、演出部よりも撮影部としての才に、なほ長けてゐたのかしらんだなどと、大概ザックリした雑感も過る。未だ背中の綺麗なチンピラの健(国分)が、兄貴分の情婦である佳代(司)を抱く危ない橋を渡る逢瀬。チンケなシノギに嫌気の差し、ありがちに燻る健が体を売らされる佳代に出奔を持ちかけ、健を信じ佳代も腹を括る。と、ころが。待ち合せた駅のホームに、電車が来れど健は来ず。追手二人組(特定不能)の説明台詞で、佳代は健が詫びを入れた二人の関係性上は不義理を知る。佳代の手から落ちた、事前に今や懐かしのキオスクで買つてゐた蜜柑が、通行人に踏み潰される心象隠喩の無体なポップ感。夜行列車、佳代が腿の上に置いた新聞紙にタイトル・イン、尤も紙面自体に意味は別に見当たらない。
 “それから七年”、豪快なスーパーで本篇の火蓋を切る。流れ着いた北の港町、居酒屋―どうも実物件的にはかよでなく「みえの店」―をそれなりに繁盛させる佳代は、市会議員の村上(今泉)に囲はれてもゐた。この期に及んで初めて気づいたのが、今泉洋の最中に鼻を鳴らすメソッドは、絡みに水を差すきらひを否み難い。中略して、後妻話になかなか首を縦に振らない、佳代に半ば業を煮やした村上いはく面白いところに連れて行く、といふので出向いた先は青山美沙が壺の代りに観音様で賽を振る、花電車賭博的な賭場。そこで佳代は、桑原組の客人として当地をシマとする弁天組に草鞋を脱ぐ、何時の間にか一丁前にパリッとした風情の健と再会する。
 派手に順番を前後する、配役残り。根津甚八と長田ケイは、シベリアに密航する船を探し、町に現れるジュンとヨーコ。要はケンメリ辺りに如実に肖つたのだらうが、何故この人等は正規のルートで出国しようとしないのか、謎といへば謎。山谷初男と外波山文明は二人の噂話に花を咲かす、だけの下卑た居酒屋客。あのゲージツ家の篠原勝之は賭場を仕切る、のちに組長の吉田純と同じフレームに収まつても見劣りしない弁天組若頭。鋭角の色気がヤバい山本昌平は、密航の手配を装ひジュンから―ヨーコの親から詐取した―金を騙し取る弁天組組員。食ひ下がるジュンをシメる際、「詰まんねえこと考へてると、掠り傷ぢや済まねえぜ」、エッジの効いた名台詞には震へた。高橋明と山本昌平、もう一枚で最強の実戦的三羽烏を組むとしたら誰がいゝかなあ。その他大勢、崔洋一と磯貝一が並んだ次の四人で、小水一男が頭に飛び込んで来るジェット・ストリーム・アタック的なビリングが鮮烈な、本クレのみ隊は凡そ特定能はず。但し佳代の店に、馬津天三(a.k.a.掛川正幸)―と連れに吉野あい―が来てゐるのは僅かに見切れた、とはいへ。馬津天三と掛川正幸、何れの名前も見当たらない矢張り藪の中。崔洋一と小水一男くらゐどうにか見つけたいところでありつつ、己の不明を面目なく恥ぢ入るばかり。それは兎も角、最初カウンターの画面左側に立つてゐた佳代が、別の場面では右に立つてゐたりする。要はランダムかフレキシブルに180°移動するカメラ位置に、店が両側に出入口が開いてゐる構造、もしくは開いてゐないと成立しないカットに映り、軽く混乱したのは単に当サイトの映画的リテラシが腐つてゐるだけなのかな。イマジナリラインといふ奴は、さういふ概念ぢやないの?
 長らく行方不明とされてゐた原版が出て来たらしく、発掘された形の若松孝二昭和49年第一作。この映画で銀幕初土俵を踏んだ根津甚八が、暫し自身のフィルモグラフィから抹消してゐた。とかいふ、小癪あるいはどうでもいゝ箔もついてゐる。
 真白なシベリアの雪原を、ヨーコの破瓜で赤く染める。今となつてはぐるぐる何周かしてバターに、もとい微笑ましいジュンヨコの素頓狂なロマンは、ヒロインである佳代の背中を押す一種の梃子か出汁に最終的には止(とど)まる。佳代が襖を荒々しく開け放つや、隣室のジュンとヨーコがビュービュー吹雪く―そこら辺の―雪中にワープする、全裸で。一発勝負の豪快な力業こそ鮮烈にキマるものの、当然でしかないが根津甚八の全般的な削りも粗く、ネヅジンネヅジン殊更有難がるには、少なくともファンでも何でも特にない、一見ないし外様視点では特にない。一方、それではメリーならぬケンカヨの本筋はといふと。「あたしの七年は裏切られた七年」、「あなたの七年は裏切り続けた七年」。二度目に、今度は捨てる―もしくは葬る―腹を括つた佳代の迫力は溢れる反面、詰まるところ劇中下手しか打ち続けてゐない、寧ろ何の物の弾みでこの男がそれなりに出世したのだか皆目判らない、健のゴミゴミしい屑ぶりがある意味出色。結構画期的なシチュエーションでの邂逅後、健がのうのうと佳代と復縁しに来る臆面もない姿は琴線を激しく逆撫で。ついでで国分二郎の再登場と連動するところてん式に、今泉洋は上手いこと退場する便宜的な作劇も地味に鼻につく。健のダメさ加減に話を戻すと、疑似らしいが桑原組が解散するや、自らを無下に放逐しようとする吉田純には仁義を盾に異を唱へておきながら、ヤマショーに対するジュンの恨みに便乗。賭場の売上金を狙ひクマさんを襲撃するに至つては、一宿一飯て言葉知つてやがんのかこの腐れ外道。そし、て。神をも途中で数へるのが馬鹿馬鹿しくならう、一体、国分二郎が最後刺されて死ぬピンクないし買取系が全部で何十本あるのか。よくいへば量産型娯楽映画的な様式美、直截にいふと幾度と拝んだ既視感に目も眩む、途方もない数打たれた類型的なラストには当時特有の、ケミカルに赤々とした血糊の滅多矢鱈な煽情性には反し、予め定められた調和が完成した、静的な印象さへ覚えかねない。尤も同時に、憎々しいクソ健が終にオッ死んだ、清々しいカタルシスも確かになくはない。徹頭徹尾惰弱な健と、在り来りに無軌道なジュンとヨーコ。要は他愛ない三人に主人公が適当に翻弄される、所詮は自堕落な浪花節といつた印象が最も強い一作。ワカマチックな反骨なり反体制とは無縁にして、根津甚八も根津甚八で精々少しハンサムな程度の青二才。単館での公開もなされたやうだが、若松孝二か根津甚八の名前に―まんまと―釣られいそいそ木戸銭を落としたシネフィルの、心中や果たして如何に。


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 「絶品つぼさぐり」(昭和52『絶品つぼ合せ』の何題?/製作:ワタナベプロダクション/監督:渡辺護/脚本:門前忍/製作:真湖道代/企画:門前忍/撮影:久我剛/音楽:多摩住人/出演:南ゆき・安田清美・長谷圭子・三田恵胡・関多加志・港雄一・松浦康・木南清・五反田二郎・尾川馨・青柳康成・神原明彦)。脚本と企画の門前忍は、渡辺護の変名。
 最初に難渋な状況に関して抗弁、もとい整理しておくと。「絶品つぼさぐり」なる映画は、恐らく存在しない。ラストならぬ、衝撃の冒頭かよ。渡辺護昭和52年第三作「絶品つぼ合せ」と、同じく真湖道代製作で、真湖道代の配偶者である代々木忠の昭和55年第三作「セミドキュメント つぼさぐり」を、混合か混同したチャンポン題ではなからうか、チャンポン題て何だそれ。ソクミルの「絶品つぼさぐり」と、シネポの「絶品つぼ合せ」。二つの全く別個のサイトで同じ粗筋を窺ふに、「つぼ合せ」≒「つぼさぐり」でまづ間違ひないものと思はれる。問題が、日活公式とjmdbで上映時間が六十六分とされる「つぼ合せ」に対し、ソクミルの配信と、nfajが「つぼあはせ」のタイトルで所蔵してゐる16mmプリントは五十八分。8/66すなはち八分の一弱、結構派手に短いよね。挙句といふべきか、単なる半ば因果に過ぎないのか。今回視聴した元尺より多分八分短いストリーミング動画には、一応ど頭にタイトルは入るものの、渡辺護はおろか南ゆきさへクレジットは一切ない。抜けの方が多いスタッフはjmdbと日活公式、ビリングはオクに出てゐるポスターの画像から拾つて来た。と、いふか。誰が出てゐて誰が撮つてゐるのか、自力でどうにかしないと辿り着けない代物、何処のアングラだ。
 のつけから尼が張尺を吹いてゐるのに、さぐるどころか「つぼ合せ」ですらないのかと絶望しかけたのは、首の皮一枚繋がる早とちり。女と男の―画面―手前には、客もゐた。新人王戦に於ける、後遺症が残るほどの落車事故でドロップアウトした元競輪選手・シバタゴロウ(関)と、籍を入れてゐると思しきアサコ(南)が白黒ショーを終へての帰途。ゴロウは足が不自由で、アサコも風邪気味。草臥れた二人が寄り添ひながら長い階段を下りて来る、温泉街ロングの壮絶なエモーションに息を呑む。言葉は雑だがダメ人間をダメなまゝでなほカッコよく、美しく撮る。映画の慈しみに満ちた長く回すショットが、序盤・オブ・序盤にして火を噴く今作のハイライト。二人が帰還したのは、一応芸能プロダクションの体ではあるエイトプロダクション。マユミ(安田)の相方・キンコ(結局ぎりぎり不脱の三田恵胡)が風邪をひいて休んだため、蜻蛉の交尾にアテられた女学生が百合の花咲かせる筋立ての、白白ショーにアサコが再出撃させられる。
 配役残り、順番を前後して松浦康がエイプロ社長のカツタで、港雄一が兄弟格の岩さん。引退後身を持ち崩したゴロウが、博打で作つた借金の形にアサコ共々筋者のカツタに捕まつた格好。a.k.a.君波清の木南清は、二人が出会ふ小料理屋の親爺。長谷圭子は、自分達―だけ―の座敷にアサコとゴロウを呼んだ上で、アサコが気がつくと並行する形でオッ始めてゐる豪快さんカップル、男は五反田二郎かなあ。雑な白塗りのゴロウとアサコが呆然と見てゐる、もしくは見させられてゐるしかない、突き放した画が笑かせる。俳優部の顔を平然とブッた切る、明らかに元版とは異なるにさうゐないアスペクト比からへべれけなんだけど。解散したのが大山組なのか東西組なのか混濁する、脚本の不安定さはこの際さて措き、娑婆に出て来た大山組の松岡が、子分二人を連れ伊香保のシマをカツタらから奪還すべく動き始める。子分二人が五反田二郎でないなら、尾川馨と青柳康成なのは確実。眉を剃つた角刈りと、ギターウルフにゐさうなトッぽいグラサンの別は知らん。ただそれなりに精悍な松岡が、恰幅系の神原明彦にはどう見ても見えないぞ。その辺り、二三本ピンクに陰毛を生やした買取系がパブで平然と嘘をつくのに加へ、本クレも見当たらない以上最早万事休す。
 全ての濡れ場を中途で端折る小癪な不誠実については、消失した八分に免じて一旦等閑視するほかない。無造作に酷使された末、ショーの最中ゴロウは卒倒、不能になつてしまふ。アサコに客を取るやう強ひるカクタに対し、ゴロウとアサコが出奔を画策する一方、エイプロもエイプロで、松岡の出所を受け忽ち危機に見舞はれる。物語が大きく動揺する、中盤から終盤に至る展開までは割と磐石であつたのに。カツタから手篭めにされた、アサコの方をゴロウが責め、アサコもアサコで従順に詫びてみせる―それは従順ではなく盲従だ―地獄の如きシークエンスに、呆れ果てブラウザごと叩き閉ぢるのはまだ早い。その流れでゴロウがアサコを犯すプライベートの夫婦生活を通して、役立たずの役立たずがまさかの回復を遂げる絡みを感動的なクライマックスに設定する、煌びやかなほどの旧弊さこそ渡辺護が渡辺護たる所以。鉄砲玉を買はされたゴロウが、射殺したつもりの松岡が実は弾が外れてゐて、生きてゐるのを自首しに向かつた派出所の表で遠目に目撃。なあんだ、死んでゐなかつたのかでアサコと新しい人生をのほゝんと歩き始める。とかいふ底の抜けたハッピー・エンドはある意味衝撃的、量産型娯楽映画を実際に量産する修羅場の喧騒に於いてのみ許された、一筋縄で行かぬ凄味に眩暈を禁じ得ない、許されたのか。そもそも、角刈りが始末して呉れるカツタはまだしも、何がどうなつてゐるのか本当に判らない壮絶な画質の中、ゴロウを始末しようとした岩さんを、アサコが投石?で殺害する最低正当防衛は何処の棚に上げた。どうも当サイトは、事ある毎に何かと、渡辺護が有難がられるところのこゝろを未だ理解してゐない。

 もひとつ、フレーム外から手動で飛び込んで来る棒状の何かで演者の局部を隠す、原初的なフィジカル修正が琴線に触れる。ヒョイッ、擬音の耳に聞こえて来さうな風情が絶妙。


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 「銀河の裏筋 性なる侵乳!」(2021/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:可児正光/撮影助手:佐久間栄一/イラスト:広瀬寛巳/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:如月生雄/出演:亜矢みつき・生田みく・しじみ・竹本泰志・津田篤・ケイチャン)。
 地球を抜いて、ケイチャンの畏まつたモノローグ起動。ムーあるいはアトランティス、古代文明人が気象変動を忌避。地球に分身―のちに語られる劇中用語では“同位体”―を残し、火星に移住した旨大風呂敷をオッ広げる。光芒を放つ飛翔体が山頂公園に落下、凡そ有人には思へない小ささといふツッコミ処はこの時点ではさて措き、暗転タイトル・イン。上の句に謳ふ“銀河”どころか、隣同士の惑星間で完結してしまふ、小さいのか十分大きいのか評価の分れる話のスケール感。
 明けて「山井動画配信事務所」、全く数字の伸びない所属配信者の河合ミソノ(亜矢)に、社長の山井雅人(竹本)が雷を落とす。ミソノは同名の元地下アイドルで、一方山井はカリスマホスト上がりといふ設定。と、ころで。初陣の渡邊元嗣2019年第二作「好き好きエロモード 我慢しないで!」と今作の間に、神谷充希から改名したのが亜矢みつき。字面だけだと一見全然違ふゆゑ、軽く面喰はされる。
 配役残り、山井に一日三本の動画アップを厳命された、ミソノが一旦捌けるや登場するしじみは、山井事務所トップ配信者の立石真衣。二回戦にて繰り出す―初戦は適当な方便で対山井―枕営業で鍛へた秘技といふのが、観音様の締めつけで精液を棹に逆流させ、最悪玉を破裂させるといふその名も“スペルマ逆流返し”。こゝで日本語が微妙に難しいのが、“逆流して返す”と捉へるならばそれで何の問題もない反面、“逆流を―更に―返す”と解釈した場合ダブルクロスカウンターで結局普通に出されてゐる。閑話、休題。山頂公園に野良猫動画を撮りに行つた―そのセンス―ミソノの前に現れる、工藤雅典大蔵電撃上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/橘満八と共同脚本/主演:並木塔子)から、かれこれ三年目四本目の生田みくは、人捜し風情の黒服・マホリ。そして段ボールに隠れるやうに寝てゐたケイチャンが、マホリが捜す半裸でターバンとかいふ大概か底の抜けたビジュアルの男、記憶を失つてゐる。その正体は、危険を冒して地球にやつて来た、火星のマジマーズ国の新しい王・サオロング。満身に創痍を負ふサオロングに対し、マホリは平然と辿り着けてゐる点に関しては、気づかなかつたプリテンドをするべきだ。サオロングの王位継承の儀も自ら執り行ふ、フェラーラ王妃は亜矢みつきの二役目。即ちフェラーラとミソノが、先に述べた同位体の関係。飛翔体の画像をSNSに上げた、夜空研究科・カマは鎌田一利、アイコン写真が小さく見切れる。観る前はこの人が地球に落ちて来た男かと思つてゐた津田篤は、河合ミソノのFC会長・中野川テツオ。羽ストールなんて巻いてみせた、コッテコテの毒婦造形を宛がはれるしじみとある意味同様、デュフデュフ笑ふ古典的なオタク造形。ならばなほのこと、ネルシャツ×チノパン×ダンロップまで拘つて欲しかつた。津田篤が、そんな扮装持つてゐるのか否かは知らん。
 関根和美の2003年第四作「馬を愛した牧場娘」(小松公典と共同脚本/主演:秋津薫)以来、驚愕の実に十七年ぶり。新作ピンクに倉本和人(a.k.a.倉本和比人)が電撃復帰―オープンの日差しを推察するに、撮影は2020年夏の模様―を果たした、渡邊元嗣2021年一本きり作。前作の、山崎浩治こちらは三年ぶり復帰作「悩殺業務命令 いやらしシェアハウス」(2019/主演:生田みく)挿んで、再起動した渡邊元嗣と増田貴彦のコンビが五作目。今のところ、封切られたばかりの最新作に於いても依然継続してゐる。
 「銀河の裏筋 性なる侵乳!」、一言で片づけると意味が判らない。オーピーの担当者はキマッてゐたのかとでもしか思へない、闇雲な公開題は兎も角。「星の王子 ニューヨークへ行く」翻案、が大蔵から頂戴した御題であるといふと、首を傾げるほかない「いやらしシェアハウス」の挽回を図つたのか、今回は明確に火星の国王が東京に来る、横浜かも。自らの進むべき道に迷ひがちのヒロインが、適当に味つけされた“秘宝”を巡る騒動に巻き込まれる。ありがちなSFロマンが、身の丈を弁へぬ切通理作の脚本で支離滅裂の木端微塵に爆砕してばかりの、過去最悪の様相を呈する国沢実の近作ファンタ路線と比べると余程、あるいは最低限体を成す、比較の対象がクソすぎる。河合ミソノが持ち歌も披露する割にトラック絡みのクレジットは一切見当たらない、言葉を選ぶと牧歌的なアイドル映画は、良くも悪くも渡邊元嗣が渡邊元嗣たる所以の、いはば業。に、せよ。壮絶にもほどがある疑問手通り越した悪手、の範疇にも納まりきらない即死級の致命傷が、マジマーズ国が歌と踊り―とあと花―に満ちた国とやらで、藪から棒か素頓狂にサオロングことケイチャンが超絶の低クオリティで歌ひ踊る、頓珍漢なミュージカル風味。観る者を鼻白ませる以外に、渡邊元嗣は全体何がしたいんだ?挙句荒木太郎に劣るとも勝らないレベルの悪ふざけで尺を空費した結果、二番手であるにも関らず、生田みくの絡みが一回きり、女の裸が割を食ふに至つては言語道断。まだしも女優部が乳尻を振り乱す分には、藪の蛇を突かうと木に竹を接がうと、立派な眼福として成立し得たものを。肌もあらはなオッサンの下手糞な歌や踊りに、如何程の値打ちがあるといふのか、百兆歩譲つて薔薇族でどうぞ。耄碌したのか、渡邊元嗣。ナベが悪い意味でヤベえ、混迷を極める演出部に俳優部は与へられた役を案外精一杯健闘する一方、撮影部が何故か同調。倉本和人の大帰還に加へ、何処まで遡るのか軽く途方に暮れてゐたら、案外近場に松岡邦彦の「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/脚本:金田敬/撮影:村石直人)―更にその前となると坂本礼の「や・り・ま・ん」(2008/脚本:中野太/撮影:中尾正人)―があつた、セカンドに佐久間栄一が入る何気に凄い布陣、にしては。しじみの一回戦、二人を画面向かつて左側から撮るカメラと、マホリが中野川の口を割る背面座位。別に企図された風にも映らない、画が無駄に微動してゐるのはどうしたものか。野外も野外で、明らか乃至下手に強い太陽光を、コントロールしようとする気配も特に窺へず。城定秀夫を迎へ撃つはおろか、渡邊元嗣が力なく墜落する無様な姿を見せつけられようとは。とこ、ろが。投げかけたタオルもしくは匙が、止まるのね、これが。止まるのが、ナベシネマ。ミソノの自分再発見的なクライマックスは、堂々とした締めの濡れ場を除けば陳腐なテーマながら、その一歩前段。そもそも、火星の国王が東京に来た目的とは何か。猫耳ミネコの鎮魂と昇天、プリミティブなエモーションをダサさもベタさもショボさすら厭はず、全力で撃ち抜いて来る一撃必殺こそ我等が渡邊元嗣。ギッリギリのギリッギリ、紙一重で首の薄皮一枚繋がつてさへゐれば、ションベン臭い小屋に集ふ、薄くでなく汚れた観客の心を洗つてのけるのがナベシネマ。出来不出来でいふと世辞にも褒めらた代物ではないものの、好きか嫌ひかとなるとそれでも断然好きな一作。邪推するに大蔵の振つて来る奇天烈な意匠に引き摺られず心乱さず、渡邊元嗣には腰を据ゑ自身が信じた映画を撮つて欲しい。それが即ち、今作に於けるミソノの姿とも重なるのではなからうか。
 といふか要はこのお話、サオロング視点では星をも渡つた王様が側室と火遊びして国に帰る、豪快か痛快なスペオペ漫遊記だ。

 山井と袂を分つたミソノが、中野川の協力を得て改めてアイドル動画に徹し、見事再起を果たすラスト。開運的にバズッた動画に流れる、宝くじが当たつただの“監督に脚本をホメられた!”だの、総じて他愛ないコメントの中。望む当サイトが端からどうかしてゐるだけなのだが、“遂に「ハレ君」が公開された!”なり、“お帰りなさい荒木太郎”といつたアクチュアルにキナ臭いネタを、ナベが紛れ込ませて来る訳が無論なく。土台、如何にして初号を突破するつもりか。
 備忘録< サオロング降臨の目的は、フェラーラの従者がぞんざいに処分した、猫耳ダッチワイフ・ミネコの供養と呪ひ解除


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 「聖処女縛り」(昭和54/製作・配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/企画:門前忍/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないあひる/編集:田中修/記録:豊島睦子/助監督:一ノ倉二郎/演出助手:内村助太/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐々間潔/効果:東映東京撮影所/現像:東映化学/製作主任:吉田修/出演:鶴岡八郎・杉佳代子・下元史郎・渡健一・太田伝・下川純・峯孝介・西山徹・日野繭子・岡尚美)。企画の門前忍は、渡辺護の変名。録音が抜けてゐるの―とまるで倒立したビリング―は本篇クレジットまゝで、配給に関しては事実上新東宝映画。
 片田舎に特別高等警察職員の住居が存する点を窺ふに、早くとも―第一次日本共産党成立後の―大正後期か、普通に昭和初期。駅に男が現れる遠いロングを一拍置いた上で、思ひ詰めた日野繭子の横顔と、カットひとつ跨いで廊下から様子を窺ふ岡尚美を、階段の下から抜いてタイトル・イン。刑事(渡)を伴ふ、特高・小西(鶴岡)のロングにクレジット起動。小西の目配せを受けた刑事が、各々適当に扮装した四人の警官(太田伝から西山徹まで)を呼び寄せる。俳優部のクレジットが、役名まで併記して呉れるのが心から有難い。
 園(岡)が宮田に囲はれる一方、園の妹・綾(日野)が思慕を寄せる宮田(下元)はお尋ね者の共産主義者、といふドラマみたいな関係性、ドラマだからな。小西曰くの、人間らしく生きられる社会なる方便に感化される妹に対し、姉が妾の代償に手に入れた、一定以上の生活こそ人間らしさと抗弁する、それもまたひとつの大正論。追ひ詰められ、ドスを抜いた宮田が刑事の長ドスは潜り抜けるも、小西が涼しい顔で懐から取り出した、オートマチックに仕留められる。綾は宮田の亡骸に縋り、園は小西の傍らに寄り添ふ。その夜、園を抱いてゐる最中に出刃で襲ひかゝつて来た綾を、小西は未成年に配慮する素振り―この時代にも大正11年に公布された、旧少年法がなくはない―を窺はせつつ、本宅に要は監禁する。流血した手当の支度に姉が座を外した隙に、小西が妹の乱れた裾を、更に割つてみる人間的なシークエンスが琴線に触れる。生きて、堕ちる。その様に映し出されるのが人の姿で、主に劣情を処り処としたアプローチが量産型裸映画に於いて、実相に辿り着き得る最も手つ取り早い便法なのではあるまいか。
 杉佳代子はほゞ寝たきりで、いはゆる夫婦生活に応じられない小西妻。助けるといふよりも寧ろ本妻の矜持に駆られ、最期の力を振り絞り綾を逃がす以外には、杉佳代子が基本床に臥せつたまゝ、脱ぎもせず死んで行く豪快か、ある意味贅沢な配役には驚いた。
 常々巷にて大傑作の如く扱はれてゐるところの所以が、正直サッパリ判らない渡辺護昭和54年第三作、当年全十三作。それ、もう結論だろ。
 そもそも佳代(超仮名)は性行自体に堪へられず、園も園で受ける資質を持ち合はせない。小西のサディズムによもや応へた綾が、本妻と妾双方向かうに回し、小西を奪ひ去る節すら一見窺はせつつ、実は復讐の凶刃を静かに砥ぐ。よく出来てゐるともいへ、逆にか寧ろ、グルッと一周してありがちと紙一重の構図が、結局例によつての何時もの如く、とりあへず全員死ぬラストに、限りなく自動生成的な勢ひで一直線。よくいへば様式美、直截にいふと類型的な展開に殊更魅力を覚えないのと、裸映画的にも鈴木志郎の性癖か渡辺護の指示なのか知らないが、概ね常に何かしら越しに濡れ場を狙つてゐないと気の済まぬ、一種強迫的な画が齢の所為か、最近煩はしくなつて来た。匙加減の問題ではあれもう少し映画を捨てて、大人しく女の裸を撮つても別に罰は当たらないと思ふ。それでゐて、小西が綾を責める模様を、責めに苦しみながらも喜悦する綾を、佳代に見せつける件。照明からペラッペラに薄い上、手前で杉佳代子が動きもせず暫し黙つて見てゐる、間か底の抜けた長回しにはこゝは笑ふところなのかと迷つた。それ以前に、兎にも角にも。綾の若さを佳代に誇示した小西が、「これが女だ」と豪語してのける最早清々しいほどのミソジニーは、凡そ令和の世に於いて満足に相手する気も失せる遺物。恐らくは渡辺護自身も共有してゐさうな、遺産とかでなく単なる遺物。申し訳ないけれど昭和に置いて来て、特に困らない一作、保守なのに。

 ど頭で舞台を大正後期か昭和初期と一旦書いたが、思ひ返すと綾は小西邸に囚はれた園の家にて、「サーカスの唄」が流れてゐる。なので8年以降の、昭和初期と特定出来る。


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 「日本の痴漢」(昭和55/製作:わたなべぷろだくしょん/配給:新東宝映画/監督:渡辺護/脚本:ガイラチャン/撮影:小水一男/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:三輪誠之/演出助手:黒木公三/撮影助手:遠藤政史・下元哲/照明助手:佐藤和夫/効果:中野裕二/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/出演:高原リカ・朝霧友香・曲谷節夫・堺勝朗・久保新二・浜恵子・青野梨魔・立木レミ・飯島洋一・早見ルイ・藍川加寿子/友情出演:田村いづみ・ジャイアントイルバ・竜本寿、他一名・眼津御衣場)。出演者中、早見ルイ以降は本篇クレジットのみ。脚本のガイラチャンと、撮影の小水一男は同一人物。そして当時の配給はあるいは新東宝興業かも知れないけれど、よくよく冷静になつてみると何れにせよ、今現在回してゐるのは新東宝映画にほかならない。
 土曜日は日本の痴漢の日だとか適当にお道化てみせる久保チンから、画面奥のお城にピントを送つてタイトル・イン。アバンで火を噴く暴力的ないゝ加減さと紙一重の軽やかな他愛なさが、結局全篇を支配する。
 配役残り、えゝゝ!せめて一文掻い摘むだけの物語もないの?と問ふならば、実際ないのだから仕方ない。流石にワンセンテンスで、何を如何に掻い摘めるのか。さて措き改めて久保新二が、これで大企業らしい大金物産のグータラ平社員・高橋明。高橋は兎も角、下の名前が何故明、同姓同名にもほどがある。無論、メイさんの愛称でも知られた、バクチクする重低音を幾多のロマポに刻み込んだ、大部屋出身の大俳優・高橋明はトクトクのとつくに名を馳せてゐる。再度、閑話休題。堺勝朗が高橋にとつて直属の上司たる大川部長―何部なのかは語られず―で、高原リカは職場のマドンナ的な、部長秘書の松原ルミ子。ブラウスをブチ破らんばかりの、昨今でいふ着衣巨乳がエクストリーム。jmdbとnfajはおろか、グーグル検索にも満足にヒットしない謎の俳優部・曲谷節夫は、清掃夫に化け公園の女子トイレに忍び込んだ高橋と、バッティングするチョビ髭の出歯亀・吉田、居酒屋の宿六。浜恵子が誰の御蔭で生きてられると思つてんのよ、と配偶者に対し実も蓋もなく豪語する吉田の女房、即ち女将、屋号は矢張り不詳。飯島洋一と立木レミは、警察官に変装した高橋と吉田がスイートホームを往来から覗く、大絶賛仮名で毬山栗男とその新妻。青野梨魔は按摩に扮した高橋が対峙する色情狂、事後豪快な巴投げで高橋の腰を粉砕する。朝霧友香はネックレスを盗んだ的に因縁をつけられる、高橋と大川に吉田の三人が誰も知らない、自称スターの森マリ子、表記は当て寸法。その他が高橋と吉田が出会ふ舞台となる、公衆便所で用を足さうとする女に、毬栗家に齧りつく偽警官二人にちよつかいをかけるアイスをぢさん。青姦カップル一組目の、男は今泉厚?二組目の、今度は女が日野繭子、男は消去法で竜本寿か。どうしても拾ひきれなかつたカメオ隊他一名の名前に、繭の字が含まれてゐた気がする。更にもう一人、釣り糸でスカートを捲られる女、以上で頭数的には一応合ふ。
 正直いふと初見のピンクで久々寝落ちた、渡辺護昭和55年第九作。仕方なくクレジットも詰めがてら、駅前の敷居を再度跨ぐ破目に。小屋に落とす木戸銭は、決して捨て金ではない、よしとするべし。
 十八番の舌先三寸で痴漢の求道を説く、高橋の下に吉田がつく形でまづコンビ結成。一組目青姦カップルの女が脱いだパンティを文字通り釣つてゐた、大川を―官憲コスの―高橋がトッ捕まへる奇縁あるいはありがちな劇中世間の狭さに従ひ、コンビは痴漢連合へと発展。とまあ、ワンセンテンスどころか、釣りならぬ「痴漢バカ日誌」のワンフレーズで事済む流れ程度ならばなくもないものの、兎にも角にも羅列される一幕一幕があまりにもぞんざいで、最早一本の満足な劇映画の体さへ、成してゐるのか否か甚だ怪しい一作。部屋に呼んだ筈の按摩を、青野梨魔が頼んでないはよとかいひだすちぐはぐな台詞には眩暈を禁じ得ず、一番といふか凄まじく酷いのが、切り上げる、ないし事後切つてしまふタイミングをことごとく逃すか放置、グッダグダ何時までも垂れ回す毬栗家パートの完全に時機を失した締めは壮絶に酷い。女優部を誰を何人並べたところで、堺勝朗と久保チンが好き勝手に暴れ回るに任せてゐては、腰を据ゑ女の裸に垂涎する訳にも行かないのは良くも悪くも常ながら。今回渡辺護が何処まで本気でディレクションしてゐたものやらそもそも疑はしい中、シークエンス個々のキレも全体的な構成もへべれけで、下手をするとといふか現に当サイトは一度沈んだのだが、呆れ果てるなり匙を投げる以前に、暗い場内で意識を保つてゐるのすら地味に難いハルシオンな破壊力。逆の意味で頂点、要は底を極めるのが画期的な謎ラスト。漫然とした支離滅裂の果て、堺勝朗が曲谷節夫と久保新二を左右に従へる格好のショットに、叩き込まれるのが“完”でも“終”でもなく、よもやまさかの“チョン”。チョンて、その“チョン”はどのチョンなのよ!?もしくは何語。本当に皆目全くまるで意味が判らないので、どなたかチョンの真相を御存知の諸賢に当たられては、浅学菲才で他の追随を許さない当サイトに御教示下さらないであらうか、許せよ、そこは譲れ。


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 「《裸》女郎生贄」(昭和52/企画・製作:新東宝興業株式会社/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/撮影:笹野修司/照明:磯貝一/音楽:飛べないアヒル/編集:堺集一/助監督:関多加志/監督助手:岡孝通/撮影助手:加藤好夫/照明助手:前田明彦/衣裳:南潔/車輌:松崎プロ/効果:秋山効果/衣裳:富士衣裳/小道具:高津小道具/現像:東映化学/録音:ニューメグロ/出演:泉リコ・青山涼子・国分二郎・港雄一・松浦康・安田清美・榊陽子・東あき・藤ひろ子・君波清・関多加志・青柳和男・三崎五郎・島雄一・中野恵子)。編集の堺集一が、ポスターには境修一、あとニューメグロで端折るクレジットなんて初めて観た。出演者中泉リコと青柳和男が、ポスターには泉理子と青柳利男。ポスターにのみ、中村文子・久保今日子・岡哲男の名前が更に並ぶ。
 開巻即、女がギッシギシ責められてゐるある意味清々しさ。足抜けを図つた女郎の千代(青山涼子/a.k.a.愛染恭子/但しアテレコ)を、女郎屋「山野家」の女将(藤)が下男の多分佐吉(不明)を伴ひ責める。最初にお断り申し上げておくと、今回手も足も出ない俳優部に関しては、潔く通り過ぎて済ます。場数を踏み重ねてゐるうちに、何時か答へが出る。のかも知れない、出たらいゝのにな。蓄音機が起動―トラックも特定不能―して、泉リコ以下、安田清美・榊陽子・東あきまで一遍に飛び込んで来る「山野家」の女郎詰所に、おもむろな感じのタイトル・イン。タイトルバックでは憲兵分遣隊本部から、制服の部下を連れたコスギ(港)が背広で出て来る。
 全篇を貫く統一的な物語も特にないゆゑ、辿り着ける限りの配役残り、泉リコは千代が責められる様子を偶々目撃して以来、距離を近づける小藤。鶴田面の安田清美がお京、太平洋と揶揄されるジャンボな観音様の持ち主。もう一人絡みを披露するアキがビリング推定で榊陽子、二人で度々お京を嘲る、アキの腰巾着ポジは覚束ぬこと極まりない消去法で東あきかなあ?a.k.a.木南清の君波清は、千代の水揚げに選ばれた山野家の上客・清水。ナベなりチョクさんなり、名ありとはいへ山野家―客―要員は憲兵部含め、この時代のしかもな頭数では無理。国分二郎が、歩兵第三連隊からの脱走兵・宮田誠一。コスギが探索に動くのと、宮本と名を偽り小藤を買ふ、のも通り過ぎる。松浦康は、客に敬遠されるお京―のやうな女―を捜し求めてゐた、配偶者を死なせるほどの巨根の御仁。規格外の者同士が結ばれる、麗しくもあれ全体的には木に竹を接ぎ気味の一幕は、高橋伴明の脚本に元々あつたものではなく、渡辺護が勝手に付け足した件であるとのこと。
 当サイト的には殊更ピンと来る決定力も感じさせない、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和52年第七作。関根和美のデビュー作「OL襲つて奪ふ」(昭和59/主演:山地美貴?)辺りでも放り込んで呉れれば、俄然猛然とときめくのだけれど。
 考証的な頓着のまるでない、門外漢の節穴には十全に映る美術部と、そこかしこで藪蛇に画角を狙つて来る撮影部の闇雲な健闘には反して、演出部の腰は然程据わらない。始終を大雑把に掻い摘むと、これといつて別に何某かの深まりもない、港雄一の雑なアイアンクローで千代がパイパンにされる塾長パートと、中盤を支配するお京と馬並氏(超仮名)のドンキー・ミーツ・デカマンに、各々トッ捕まつた宮田と―宮田の子を宿した―小藤が、それぞれ拷問されるありがちな悲恋物語の三部構成。その中最も力を得るのは、結局最終的なエンドのハッピーとバッドの如何は描かれないまゝに、互ひに運命的な相手に巡り合つたお京と馬並氏篇。ではあるものの、所詮は枝葉、の筈。この頃狂ひ咲いた残虐ピンクの企画を遊女方面に振りつつ、反戦か権力批判の矛先も覗かせたい色気を窺はせかけ、ながらも。大して踏み込んでみせるでもないうちに、何となく尺も尽きた印象。かと思へば、砂丘に卒塔婆をブッ挿した、即席な宮田の墓を小藤が参る、ロングを適当に回した末に。“山野家から逃走した小藤は、それから八か月後、秩父山中で非国民の子供を産んだ。”その後の顛末を乾いた一文スーパーで片づけるブルーバックに、1/8画面サイズの“完”を有無もいはさず叩き込む豪快なオーラスが、正体不明の破壊力ないし、明後日か一昨日な余韻を残す。


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