真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「大性獣 恥丘最大の絶頂」(2022/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:高木翔/撮影助手:郷田或/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:生田みく・花狩まい・しじみ・竹本泰志・小滝正大・ケイチャン)。この期の間際に気づいたのが、撮影部セカンドの郷田或(a.k.a.郷田有or郷田アール)といふのはゴダールを捩つてゐるのか。三十年以上に亘る異常に長い助手歴を窺ふに、誰か一人が使つてゐる名義では多分なく、共有の変名にさうゐない。
 画面左から右に電車が横切る、田園の美しいロング。ヒロインが幼少期育ての親である祖父に連れられた、「ほたるの森」と名づけられた豊かな自然を回想、する綺麗な流れをブッた切り。小説家志望のライター・三田さとみ(生田)は、色事、もとい色々懇意の編集者・仲之浦(竹本)から振られた、見るから異端の科学者・城ヶ崎(ケイチャン)が携はる、セックスによつて生み出されるエネルギーを熱に変換した上で動力源として活用する。過去にも何度か見聞きしたやうな、エネルギー保存則をガン無視したトンデモ研究の取材に臍を曲げる。臍を曲げ、ながらも。例によつて仲之浦が適当に言ひ包め、た余勢で突入する絡み初戦。生田みくのボリューミーな肢体を狙ひに狙ひ倒し、アバンから今回の渡邊元嗣はゴッリゴリに攻めて来る、映画は兎も角ピンクを。結局何時もの如く、なし崩し的に与太企画を押しつけられたさとみは、祖父の形見の古いラジオを、店は閉めた電器屋に直して貰つた比較的新しい来し方を想起。中には何も書かれてゐない、小説のネタ帳にさとみが溜息ついた区切りで、赤い月の浮かぶ夜景に、最早ヤケクソのやうな書体で叩きつけるタイトル・イン。
 高木翔法律事務所や「なべエンタープライズ」と、雑居ビルに軒を連ねる「jyogasaki energy laboratory」。配役残り花狩まいは城ヶ崎エネルギー研究所の研究員・森尾日菜子―森魚か森生かも―で、小滝正大が助手の岸和田タモツ。ほんで以て一同が日々明け暮れる、実験の実際はといふと。催淫発情装置を浴びせた日菜子を、城ヶ崎が要は抱いてエネルギーの検出を試みる。清々しいほどの馬鹿馬鹿しさが、グルグル数周して素晴らしい。量産型娯楽映画といふのはかうでなくちやと、実は虚仮にした皮肉あるいは、為にする方便でなく当サイトは心からさう思ふ。しじみは仲之浦が連日買ふのが、高給取りなんだなあと軽く首を傾げさせられるデリヘル嬢・アザミ。ララバイ
 郷田或の名義のみならず、こちらも下手すると三十年くらゐ使つてゐさうな、電器屋時代の城ヶ崎が着けてゐた黄色いYou & meのエプロン。に、なほ止(とど)まらないんだぜ。螢雪次朗なり西藤尚が頭に載せてゐたウィッグ等々、アンティークの領域に片足突つ込んだ小道具が、途方もない物持ちの良さを何気に爆裂させるナベシネマ新作。
 今世紀も明けて既に二十余年、竹本泰志がバナナの皮でスッ転ぶシークエンスを、臆面もなく撮つてみせる渡邊元嗣の豪胆なポップ感には軽くでなく驚かされた、けれど。工藤雅典大蔵第四作ほどではないにせよウィキ曰く十稿まで脚本を直したにしては、同じテーマに取り組むオーピー大の大蔵教授チームに後塵を拝する城ヶ崎が、世界を救ふつもりで世界を滅ぼす化物を生み出してしまふ物語は、オマンタゲーの空騒ぎや大性獣ミダラの造形の酷さに劣るとも勝らず、最終的には平板な作劇が面白くも何ともない。木に螢を接ぐ愛のエネルギーとやらで適当に茶を濁すザマなら寧ろ、城ケ崎のルサンチマンと誠実に向き合ふ方が、まだしも形になつたのか。尤もその場合ナベといふよりも、国沢実の仕事であるやうな気もしつつ。人でも仕事でも、好きになるのが一番大切。屁より薄い腑抜けた説教を、全篇を通じて捏ね繰り回されたとて、呆れ果てればよいものやら匙を投げたらよいものやら、もうどうしたらいゝのか判らない。反面、裸映画的には的確に女の乳尻でヌキ続け、もとい乳尻を抜き続け、直線的にして重量級の煽情性を、これでもかこれでもかと轟然と畳みかけて来る、割に。総じて等閑なのは、大人しく劇に伴つてゐるものと好意的に評価したとしても、選りにも選つて締めの濡れ場で藪蛇な牧歌性を狙ひ損ねる、壮絶な選曲で目出度くなくチェックメイト。ボガーンと弾ける生田みくのオッパイで、胸かお腹一杯になれなければ、素面の劇も女の裸も共倒れる失速作。実に九度の改稿に話を戻すと、数少ない弾を大切に撃ちたい、心持ちも決して酌めなくはない、ものの。さういふ姿勢が四の五の考へず下手な鉄砲を数打つ、撃ち尽くした果てに見えて来るサムシング、が時になくもない。量産型娯楽映画の本質と背反してゐるジレンマを、恐らく大蔵は認識すらしてゐまい。も、しくは。不用意な火種を抱へたくない?それは元々、自業自得の限りで己等が外した梯子だらう。
 備忘録<一件を小説化した、『ほたるが紡ぐ森~大性獣ミダラ~』で念願の作家デビュを果たしたさとみが劇中最強の勝ち組   >次点は目出度く日菜子と結ばれた岸和田


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 「欲情妻 むかしの愛人」(1993『人妻・密会 不倫がいつぱい』の2004年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双美零/製作・企画:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:今岡信治/監督助手:北本剛・徳永恵実子/撮影助手:斉藤博/照明助手:広瀬寛己/録音:銀座サウンド/スチール:佐藤初太郎/現像:東映化学/出演:小川真実・井上あんり・杉原みさお・荒木太郎・杉本まこと・平賀勘一)。
 六時四十五分の時計にタイトル開巻、どうやら小屋に端折られたスタッフのクレジットは、小川真実と小林夏樹を混同してのける、当サイトに劣るとも勝らず覚束ないnfajで補ふ、出鱈目にもほどがある。なので照明助手の広瀬寛己が、本当に寛巳でなく寛己でクレジットされてゐるのか否かは不明。寛巳を寛己で誤記するくらゐ、奴さんには茶飯事か朝飯前だろ。
 蘭(小川)が保険外交員の夫・槍田馬太郎(平賀)に朝食を食べさせようかとしたところ、団地の隣家から最初は犬の鳴き声かと聞き紛ふ箍の外れた嬌声が。当人いはく、日々槍田家が生じさせる夫婦生活騒音への対抗との、カラオケ感覚でマイクを握つた米子(杉原)の、朝つぱらから爆音轟かせる未亡人ONANIE。百歩譲つて対槍田家はまだしも、両隣の反対側―あと上下も―には如何に申し開くつもりなのか。それと僅かに見切れなくもない、亡夫の遺影は識別不能。この面子だと、定石的には渡辺元嗣かしら。さて措き、馬太郎はそゝくさ出勤。送り出しがてら帰宅時間を確認した蘭には、実はアメリカから一時帰国してゐる、馬太郎と結婚する以前からの不倫相手・精野サトシと日中密会。した上で、先に戻り素知らぬ顔で馬太郎を待ち構へる目論見があつた。一方、馬太郎は高額契約に判を捺させたい、米子宅に直行ないし並行移動する。こゝで画面(ゑづら)的にはスチールのみの出演であれ、電話越しの声は聞かせる精野役が中田新太郎。もしかすると誰も知らない、今何処。
 配役残り井上あんりは蘭の妹で、昨晩から家を空け男漁りに耽る恵。荒木太郎が姿を消した妻を捜し、それどころでない蘭に泣きつく義弟の太。恵が二時から会ふ予定の間男といふのが、蘭も蘭なら馬太郎も馬太郎。実はのクロスカウンターで、保険の顧客に金持ちの娘を紹介する交換条件で寝る、逆に義理の兄にあたる馬太郎だつた。杉本まことは米子に捕まり恵との逢瀬に行けなくなつた馬太郎が、代りに向かはせる部下の穴多。どうも社名不詳のこの会社、いはゆる枕営業が横行してゐる模様。それもそれで、女子社員も兎も角男は体力的にキツいだらう。実際終日米子の相手をしてゐたといふかさせられてゐた馬太郎が、終には凄惨な荒淫の果て死にさうな顔をしてゐる。
 国費を使ひながら所蔵プリントの翻刻も満足に出来ないnfaj共々、タイトルバックに裸がない隙あらばクレジットを割愛する悪弊が甚だ宜しくない、地元駅前ロマンに飛び込んで来た未配信の渡辺元嗣1993年第二作。何はともあれ、未見の旧作に触れられる機会は無上の僥倖。どうせクレジットなんて、新東宝ビデオ用に改竄された素材を使はれてしまへば木端微塵、それは“どうせ”で済む話なのか。
 元々恵が馬太郎のために押さへてゐた901号室にて、妹に引き合はせるべく―恵は801号に退避―連れて行つた太と、ドンピシャの入れ違ひで―恵がゐるものと―現れた穴多と蘭が二連戦を戦つたのち、結局会ひ損ねた精野をイマジンして米子のお株を奪ふ、朝まではふざけないワンマンショー。馬太郎と米子、あるいは平勘と杉原みさお(a.k.a.大滝加代)は全篇の大半を貫き、竜虎相搏つ壮絶な死闘を展開。シャワーこそ浴びるものの、よもや二番手―そもそも三番手が全てを食ひ尽くすか焼き払ふ勢ひでもあるのだけれど―が誰とも絡まぬまゝ映画が終るのか?と地味にでなく危惧させられた恵は、901号を辞した穴多と上手いこと合流。並走する漸くの槍田家夫婦生活と、遠回りの末辿り着いた恵と穴多のビジネス情事が、クロスカッティングで目まぐるしく交錯するのが締めの濡れ場。ラスト・カットも、来月精野が帰国する二十日に、赤丸のつけられたカレンダーといふ徹底ぶり。となると、要はナベもへつたくれもない。連れ込みの一室を軸に登場人物が器用に交錯する、グランドホテル的な面白味も幾許かはあるにせよ、深町章でクレジットされてゐたとて恐らく気づく者もゐまい、まあ清々しいまでに女の裸しかない純度の高い裸映画。いよー、ポン!歌舞伎調の掛け声と鼓を徒に多用通り越して濫用する、素頓狂な選曲。普通に美味しさうな、奮発してすき焼きの夕食。牛肉を満喫する小川真実と平賀勘一の、口元を妙な執拗さで狙ひ抜くのは、まさか―舌―鼓にフィーチャさせた奇手ではなからうな。顕示的なナベぽくなさすらちらほら際立つ、どうかしたのか軽く心配なほど風変りな一作ではある。


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 「痴漢電車 いたづらな指」(昭和57/製作:現代映像企画/配給:株式会社にっかつ/監督:渡辺護/脚本:小水ガイラ/企画:松本忍/撮影:鈴木史郎/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:根本義/演出助手:川村真一・富田伸二/撮影助手:水野正人・阿部喜久雄/照明助手:森一男/録音:銀座サウンド/現像:東洋現像所/出演:ガイラチャン・下元史朗・恵杏里・美野真琴・五月マリア・長谷恵子・武藤樹一郎・滝川雅夫)。出演者中ガイラチャン(=小水ガイラ/a.k.a.小水一男)と、長谷恵子以降は本篇クレジットのみ。逆に何故かポスターには、国分二郎の名前が堂々と載る、何でまた国分二郎。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。あと初めて見た企画の松本忍といふのは、山本晋也と共有してゐた門前同様、どうせ渡辺護の変名にさうゐない。nfajには何も入つてゐないけれど、jmdbで探してみると全て現代映像企画製作で渡辺護と山本晋也のほか、高橋伴明作で松本忍名義を使用した痕跡が窺へる。
 最重量時の千川彩菜(ex.谷川彩)に匹敵する体型の、人妻・みき(五月)がベッドから落ちてなほ寝直す一方、夫でホワイトカラーの大川好秋(下元)は慌ただしく、食パン咥へて所謂“遅れちやふー”ダッシュ。ゴブハットを頭に載せた職業不詳の山内弘(ガイラチャン)が、往時は許されてゐた悠然と煙草を燻らす駅のホームに、間に合つた大川が滑り込む。ホームにはその日も同じ電車に乗る、女子高生・青木治子(美野)の姿も。来た電車の停車は割愛、俯瞰の走行ショットに現代映像企画のクレジットだけ先行させた上、思ひのほかファンシーな書体のタイトル・イン。どうもこの映画、国分二郎端から出る気ないし出す気なささう。
 混み合ふ車中、大川が気になる治子に、山内が電車痴漢を仕掛ける。その後意気投合した山内と飲みに行つた大川が、ポップな千鳥足で遅くに帰宅するその日の夜。要は五月マリアが家どころか、寝室からさへ半歩も外に出ない―辛うじてベッドからは一回落ちる―寝てゐたみきに対し、大川が身勝手かつ一方的に事に及ぶ夫婦生活。「女の性ちつとも理解してない」、「夫婦だつたら何時でもタダでセックス出来るつて思つてるんでせう」、「奥さんとセックスするのが一番難しい」云々。みきが不平を連打する形で畳み込む至極全うな視座に、旧弊なマチズモの権化たる渡辺護にしては、全体如何なる風の吹き回しかと面喰ふ。小水一男の色であるのかとも思ひかけたが、後々山内が大川に痴漢の神髄を説く件に際しては、“本質的に女が持つてゐる淫蕩さゆゑ”―痴漢行為を受け容れる―とか、臆面もない痴言を無自覚に放り投げてみせもする。単に、大川の所詮は我儘と紙一重の不遇を描くに際しての、自堕落な便法のひとつに過ぎなかつた模様。後々大川も大川で、後述する英美が果てたのちの一物を口で清めて呉れる、今でいふお掃除に際し、みきはさういふことをして呉れないらしく、「これが女だ」と感動する。何が女なのだか知らないが、渡辺護にはそのくらゐ無自覚なミソジニーを振り回してゐて貰つた方が、寧ろある意味安心する、評価に足るとは一欠片たりとていふてない。
 配役残り長谷恵子と、滝川昌良の別名かと思つたら完全な別人であつた滝川雅夫は、正論を吐くみきと喧嘩し深夜に再び家を出た、大川が公園で遭遇する凄まじく無防備な青姦カップル、呼称される長谷恵子の固有名詞はケイコ。一旦気づかれ、逃げた二人を大川が追ふとそこには山内が。一所懸命致すケイコと滝川雅夫に、少し離れて固唾を呑む山内と大川。誰一人ノーガードで身を隠してゐない四人を抜く、へべれけに無造作な画が一種の壮観にグルッと一周する。手作り感の爆裂する電車造作に、痴漢したい男と痴漢されたい女を集め、勝手に触り触られさせる。画期的すぎて非現実的な風俗の新業態「満員痴漢電車喫茶」を山内が発案、大川をパートナーに開業する。初日に来店するのが大川に触られたガールの治子と、男女合はせて十人前後のノンクレ隊、女優部は一応本職ぽい容姿。ノンクレ隊は、いはば単なる頭数。こゝでのメインは渡辺護が自ら、TVリポーターと称して無賃乗車する、外見も模したその名も山本ならぬ渡辺晋也として大登場。車掌の車内放送といふよりも、パチンコ屋かピンサロの店内アナウンスに近いノリで大川がガンッガン鳴らすマイクの中では、「チョビ髭野球帽のルポライターなんか来んなよー」、「このセックス産業の太鼓持ちが!」。バッシバシ山晋を茶化してのけるのけられるのも、齢は上でキャリア的には同期の渡辺護ならでは。尤も、同業者を豪快に揶揄するネタのキナ臭さは面白い反面、渡辺護に、演者の資質を満足に認め得る訳でも別にない。武藤樹一郎は治子のスカートの中を覗き込んだ、渡晋を逮捕する刑事、趣味の。そして序盤中盤と温存される女優部筆頭の恵杏里が、盛況の営業を終へ、帰途に就く山内と大川に治子が路地裏で出くはす、放火しようとしてゐた女・小林英美。
 結局、影も形も出て来やしない国分二郎が、ポスターに白々しく記載されてゐるのが盛大な謎の渡辺護昭和57年第七作。当初、実際にキャスティングされてゐた国分二郎が何某かの事情で出られなくなり、急遽小水一男が大穴を埋めたのか。それとも初めから小水一男の脚本・主演で撮つてゐたものを、如何せんパブの字面的に訴求力が心許ないゆゑ、確信犯的にバッくれてのけたのか。可能性は幾つか思ひつかなくもないが、忘れてゐない関係者以外、真相を知つてゐる人間が見当たらない模様。何れにせよ、そもそもビリング頭だぞ!?とでもしかいひやうのない、開巻以前に底を抜く話ではある。
 大川・ミーツ・山内の序盤。痴漢と覗きに熟達した山内が大川を指南するのと並行して、マンチカ喫茶をオープンする中盤。てつきりマンチカ喫茶が物語の目的地かと思ひきや、山内・大川・治子の三人に、出し抜けに飛び込んで来た英美が加はる終盤。森羅万象と浅野忠信を足して二・・・いや三から四で割つた風情の小水一男が飄々と牽引する、決して強固な一本の物語に貫かれるでない比較的自由度の高い始終に、確かに国分二郎の全力で仰々しい、特濃の面相もメソッドも似合ひはしまい。詰まるところ似た者同士で馬が合つたのか、山内のみならず大川も散発的に投げる散文的な厭世観も、国分二郎では下手に肩の力が入つて空回りもしないだらう。あまりにもダダッ広い行間に、所在を失くした国分二郎が却つて身動き封じられる。さういふ木端微塵のミスキャストを、観てみたかつた気もしなくはない。マンチカ喫茶はワンナイトビジネスであつさり放置、海に行つた四人が英美×大川と治子×山内のカップリングでそのまゝ出奔する、まさかの明後日か一昨日に展開。さうは、いへ。最終的には大川が相変らず通勤ラッシュに苛まれる、昨日と変らない今日が続く落とし処に落ち着くのだらう、と高を括つてゐたら。さして二の足も踏まず、等速直線運動でそれまでの来し方全てを捨てるラストには少なからず吃驚した。さうも、いへ。嫌気の差した憂世からオサラバだ、大人のお伽話を、振り抜いてみせはしたものの。果たしてさうさう都合よく、この四人は幸せになれるのか。二組が波止場で合流、歩き始めるロングを最後に、ハイライトのカットバック除いてガイラチャンから美野真琴まで全員退場。以降は特に何処か誰か見切れてゐる訳でもない、没個性的な雑踏と更に踏み込んで人すらゐない、純然たる景色としての往来を連ねる淡々としたタイトルバックが、印象的を通り越し、暗示的であるのかも知れない。

 一番大事な見せ場を忘れてゐた、半裸のビリング頭四人が、波打ち際で普通にキャッキャウフフする一幕。狙つて―薄い布地の―おパンティに水をかけられた、美野真琴と恵杏里の陰毛が「え、こゝまで見せて怒られないの!?」と、軽く動揺させられるほどスリリングに透けて見える。


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 「濡れた賽ノ目」(昭和49/製作:若松プロダクション/監督:若松孝二/脚本:出口出/企画・製作:若松孝二/撮影:がいら/照明:磯貝一/音楽:ハルヲフォン/助監督:斎藤博/演出助手:原田正幸/撮影助手:遠藤政史・伊藤野鳴/照明助手:土井士郎/編集:竹村峻司/効果:脇坂孝行/録音:大久保スタジオ/現像:東京録音現像㈱/製作進行:藤田敏紀/主題歌 作詞:荒井晴彦 作曲:近田春夫 歌:司美智子/出演:司美智子・長田ケイ・青山美沙・今泉洋・吉田純・山本昌平・夏文彦・河原一郎・北川康春・小西義之・石塚享・荻原達・崔洋一・磯貝一・小水一男・伊藤孝・鴨田今日子・吉野あい・山谷初男・外波山文明・篠原勝之・根津甚八・国分二郎)。出演者中、長田ケイがポスターには長田恵子で、青山美沙は逆に青山ミサ、逆て何だ。それと夏文彦から吉野あいまでは、本篇クレジットのみ。脚本の出口出は荒井晴彦の変名、撮影のがいらはa.k.a.小水一男。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。あと、何準拠なのか司美知子名義とする資料も散見される中、モモイロアルマジロは本クレ・ポスターとも普通に司美智子。
 鐘の音聞こえるカーテンからティルト下ると、素晴らしい肌の発色で男女が睦み合つてゐる。今作、全篇通して色調あるいは構図のみならず、濡れ場に際しては女の裸を大人しく愉しませる、根源的な本義まで含めがいらのカメラによる画がキッメキメ。もしかすると小水一男は、演出部よりも撮影部としての才に、なほ長けてゐたのかしらんだなどと、大概ザックリした雑感も過る。未だ背中の綺麗なチンピラの健(国分)が、兄貴分の情婦である佳代(司)を抱く危ない橋を渡る逢瀬。チンケなシノギに嫌気の差し、ありがちに燻る健が体を売らされる佳代に出奔を持ちかけ、健を信じ佳代も腹を括る。と、ころが。待ち合せた駅のホームに、電車が来れど健は来ず。追手二人組(特定不能)の説明台詞で、佳代は健が詫びを入れた二人の関係性上は不義理を知る。佳代の手から落ちた、事前に今や懐かしのキオスクで買つてゐた蜜柑が、通行人に踏み潰される心象隠喩の無体なポップ感。夜行列車、佳代が腿の上に置いた新聞紙にタイトル・イン、尤も紙面自体に意味は別に見当たらない。
 “それから七年”、豪快なスーパーで本篇の火蓋を切る。流れ着いた北の港町、居酒屋―どうも実物件的にはかよでなく「みえの店」―をそれなりに繁盛させる佳代は、市会議員の村上(今泉)に囲はれてもゐた。この期に及んで初めて気づいたのが、今泉洋の最中に鼻を鳴らすメソッドは、絡みに水を差すきらひを否み難い。中略して、後妻話になかなか首を縦に振らない、佳代に半ば業を煮やした村上いはく面白いところに連れて行く、といふので出向いた先は青山美沙が壺の代りに観音様で賽を振る、花電車賭博的な賭場。そこで佳代は、桑原組の客人として当地をシマとする弁天組に草鞋を脱ぐ、何時の間にか一丁前にパリッとした風情の健と再会する。
 派手に順番を前後する、配役残り。根津甚八と長田ケイは、シベリアに密航する船を探し、町に現れるジュンとヨーコ。要はケンメリ辺りに如実に肖つたのだらうが、何故この人等は正規のルートで出国しようとしないのか、謎といへば謎。山谷初男と外波山文明は二人の噂話に花を咲かす、だけの下卑た居酒屋客。あのゲージツ家の篠原勝之は賭場を仕切る、のちに組長の吉田純と同じフレームに収まつても見劣りしない弁天組若頭。鋭角の色気がヤバい山本昌平は、密航の手配を装ひジュンから―ヨーコの親から詐取した―金を騙し取る弁天組組員。食ひ下がるジュンをシメる際、「詰まんねえこと考へてると、掠り傷ぢや済まねえぜ」、エッジの効いた名台詞には震へた。高橋明と山本昌平、もう一枚で最強の実戦的三羽烏を組むとしたら誰がいゝかなあ。その他大勢、崔洋一と磯貝一が並んだ次の四人で、小水一男が頭に飛び込んで来るジェット・ストリーム・アタック的なビリングが鮮烈な、本クレのみ隊は凡そ特定能はず。但し佳代の店に、馬津天三(a.k.a.掛川正幸)―と連れに吉野あい―が来てゐるのは僅かに見切れた、とはいへ。馬津天三と掛川正幸、何れの名前も見当たらない矢張り藪の中。崔洋一と小水一男くらゐどうにか見つけたいところでありつつ、己の不明を面目なく恥ぢ入るばかり。それは兎も角、最初カウンターの画面左側に立つてゐた佳代が、別の場面では右に立つてゐたりする。要はランダムかフレキシブルに180°移動するカメラ位置に、店が両側に出入口が開いてゐる構造、もしくは開いてゐないと成立しないカットに映り、軽く混乱したのは単に当サイトの映画的リテラシが腐つてゐるだけなのかな。イマジナリラインといふ奴は、さういふ概念ぢやないの?
 長らく行方不明とされてゐた原版が出て来たらしく、発掘された形の若松孝二昭和49年第一作。この映画で銀幕初土俵を踏んだ根津甚八が、暫し自身のフィルモグラフィから抹消してゐた。とかいふ、小癪あるいはどうでもいゝ箔もついてゐる。
 真白なシベリアの雪原を、ヨーコの破瓜で赤く染める。今となつてはぐるぐる何周かしてバターに、もとい微笑ましいジュンヨコの素頓狂なロマンは、ヒロインである佳代の背中を押す一種の梃子か出汁に最終的には止(とど)まる。佳代が襖を荒々しく開け放つや、隣室のジュンとヨーコがビュービュー吹雪く―そこら辺の―雪中にワープする、全裸で。一発勝負の豪快な力業こそ鮮烈にキマるものの、当然でしかないが根津甚八の全般的な削りも粗く、ネヅジンネヅジン殊更有難がるには、少なくともファンでも何でも特にない、一見ないし外様視点では特にない。一方、それではメリーならぬケンカヨの本筋はといふと。「あたしの七年は裏切られた七年」、「あなたの七年は裏切り続けた七年」。二度目に、今度は捨てる―もしくは葬る―腹を括つた佳代の迫力は溢れる反面、詰まるところ劇中下手しか打ち続けてゐない、寧ろ何の物の弾みでこの男がそれなりに出世したのだか皆目判らない、健のゴミゴミしい屑ぶりがある意味出色。結構画期的なシチュエーションでの邂逅後、健がのうのうと佳代と復縁しに来る臆面もない姿は琴線を激しく逆撫で。ついでで国分二郎の再登場と連動するところてん式に、今泉洋は上手いこと退場する便宜的な作劇も地味に鼻につく。健のダメさ加減に話を戻すと、疑似らしいが桑原組が解散するや、自らを無下に放逐しようとする吉田純には仁義を盾に異を唱へておきながら、ヤマショーに対するジュンの恨みに便乗。賭場の売上金を狙ひクマさんを襲撃するに至つては、一宿一飯て言葉知つてやがんのかこの腐れ外道。そし、て。神をも途中で数へるのが馬鹿馬鹿しくならう、一体、国分二郎が最後刺されて死ぬピンクないし買取系が全部で何十本あるのか。よくいへば量産型娯楽映画的な様式美、直截にいふと幾度と拝んだ既視感に目も眩む、途方もない数打たれた類型的なラストには当時特有の、ケミカルに赤々とした血糊の滅多矢鱈な煽情性には反し、予め定められた調和が完成した、静的な印象さへ覚えかねない。尤も同時に、憎々しいクソ健が終にオッ死んだ、清々しいカタルシスも確かになくはない。徹頭徹尾惰弱な健と、在り来りに無軌道なジュンとヨーコ。要は他愛ない三人に主人公が適当に翻弄される、所詮は自堕落な浪花節といつた印象が最も強い一作。ワカマチックな反骨なり反体制とは無縁にして、根津甚八も根津甚八で精々少しハンサムな程度の青二才。単館での公開もなされたやうだが、若松孝二か根津甚八の名前に―まんまと―釣られいそいそ木戸銭を落としたシネフィルの、心中や果たして如何に。


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 「絶品つぼさぐり」(昭和52『絶品つぼ合せ』の何題?/製作:ワタナベプロダクション/監督:渡辺護/脚本:門前忍/製作:真湖道代/企画:門前忍/撮影:久我剛/音楽:多摩住人/出演:南ゆき・安田清美・長谷圭子・三田恵胡・関多加志・港雄一・松浦康・木南清・五反田二郎・尾川磬・青柳康成・神原明彦)。脚本と企画の門前忍は、渡辺護の変名。
 最初に難渋な状況に関して抗弁、もとい整理しておくと。「絶品つぼさぐり」なる映画は、恐らく存在しない。ラストならぬ、衝撃の冒頭かよ。渡辺護昭和52年第三作「絶品つぼ合せ」と、同じく真湖道代製作で、真湖道代の配偶者である代々木忠の昭和55年第三作「セミドキュメント つぼさぐり」を、混合か混同したチャンポン題ではなからうか、チャンポン題て何だそれ。ソクミルの「絶品つぼさぐり」と、シネポの「絶品つぼ合せ」。二つの全く別個のサイトで同じ粗筋を窺ふに、「つぼ合せ」≒「つぼさぐり」でまづ間違ひないものと思はれる。問題が、日活公式とjmdbで上映時間が六十六分とされる「つぼ合せ」に対し、ソクミルの配信と、nfajが「つぼあはせ」のタイトルで所蔵してゐる16mmプリントは五十八分。8/66すなはち八分の一弱、結構派手に短いよね。挙句といふべきか、単なる半ば因果に過ぎないのか。今回視聴した元尺より多分八分短いストリーミング動画には、一応ど頭にタイトルは入るものの、渡辺護はおろか南ゆきさへクレジットは一切ない。抜けの方が多いスタッフはjmdbと日活公式、ビリングはオクに出てゐるポスターの画像から拾つて来た。と、いふか。誰が出てゐて誰が撮つてゐるのか、自力でどうにかしないと辿り着けない代物、何処のアングラだ。
 のつけから尼が張尺を吹いてゐるのに、さぐるどころか「つぼ合せ」ですらないのかと絶望しかけたのは、首の皮一枚繋がる早とちり。女と男の―画面―手前には、客もゐた。新人王戦に於ける、後遺症が残るほどの落車事故でドロップアウトした元競輪選手・シバタゴロウ(関)と、籍を入れてゐると思しきアサコ(南)が白黒ショーを終へての帰途。ゴロウは足が不自由で、アサコも風邪気味。草臥れた二人が寄り添ひながら長い階段を下りて来る、温泉街ロングの壮絶なエモーションに息を呑む。言葉は雑だがダメ人間をダメなまゝでなほカッコよく、美しく撮る。映画の慈しみに満ちた長く回すショットが、序盤・オブ・序盤にして火を噴く今作のハイライト。二人が帰還したのは、一応芸能プロダクションの体ではあるエイトプロダクション。マユミ(安田)の相方・キンコ(結局ぎりぎり不脱の三田恵胡)が風邪をひいて休んだため、蜻蛉の交尾にアテられた女学生が百合の花咲かせる筋立ての、白白ショーにアサコが再出撃させられる。
 配役残り、順番を前後して松浦康がエイプロ社長のカツタで、港雄一が兄弟格の岩さん。引退後身を持ち崩したゴロウが、博打で作つた借金の形にアサコ共々筋者のカツタに捕まつた格好。a.k.a.君波清の木南清は、二人が出会ふ小料理屋の親爺。長谷圭子は、自分達―だけ―の座敷にアサコとゴロウを呼んだ上で、アサコが気がつくと並行する形でオッ始めてゐる豪快さんカップル、男は五反田二郎かなあ。雑な白塗りのゴロウとアサコが呆然と見てゐる、もしくは見させられてゐるしかない、突き放した画が笑かせる。俳優部の顔を平然とブッた切る、明らかに元版とは異なるにさうゐないアスペクト比からへべれけなんだけど。解散したのが大山組なのか東西組なのか混濁する、脚本の不安定さはこの際さて措き、娑婆に出て来た大山組の松岡が、子分二人を連れ伊香保のシマをカツタらから奪還すべく動き始める。子分二人が五反田二郎でないなら、尾川磬と青柳康成なのは確実。眉を剃つた角刈りと、ギターウルフにゐさうなトッぽいグラサンの別は知らん。ただそれなりに精悍な松岡が、恰幅系の神原明彦にはどう見ても見えないぞ。その辺り、二三本ピンクに陰毛を生やした買取系がパブで平然と嘘をつくのに加へ、本クレも見当たらない以上最早万事休す。
 全ての濡れ場を中途で端折る小癪な不誠実については、消失した八分に免じて一旦等閑視するほかない。無造作に酷使された末、ショーの最中ゴロウは卒倒、不能になつてしまふ。アサコに客を取るやう強ひるカクタに対し、ゴロウとアサコが出奔を画策する一方、エイプロもエイプロで、松岡の出所を受け忽ち危機に見舞はれる。物語が大きく動揺する、中盤から終盤に至る展開までは割と磐石であつたのに。カツタから手篭めにされた、アサコの方をゴロウが責め、アサコもアサコで従順に詫びてみせる―それは従順ではなく盲従だ―地獄の如きシークエンスに、呆れ果てブラウザごと叩き閉ぢるのはまだ早い。その流れでゴロウがアサコを犯すプライベートの夫婦生活を通して、役立たずの役立たずがまさかの回復を遂げる絡みを感動的なクライマックスに設定する、煌びやかなほどの旧弊さこそ渡辺護が渡辺護たる所以。鉄砲玉を買はされたゴロウが、射殺したつもりの松岡が実は弾が外れてゐて、生きてゐるのを自首しに向かつた派出所の表で遠目に目撃。なあんだ、死んでゐなかつたのかでアサコと新しい人生をのほゝんと歩き始める。とかいふ底の抜けたハッピー・エンドはある意味衝撃的、量産型娯楽映画を実際に量産する修羅場の喧騒に於いてのみ許された、一筋縄で行かぬ凄味に眩暈を禁じ得ない、許されたのか。そもそも、角刈りが始末して呉れるカツタはまだしも、何がどうなつてゐるのか本当に判らない壮絶な画質の中、ゴロウを始末しようとした岩さんを、アサコが投石?で殺害する最低正当防衛は何処の棚に上げた。どうも当サイトは、事ある毎に何かと、渡辺護が有難がられるところのこゝろを未だ理解してゐない。

 もひとつ、フレーム外から手動で飛び込んで来る棒状の何かで演者の局部を隠す、原初的なフィジカル修正が琴線に触れる。ヒョイッ、擬音の耳に聞こえて来さうな風情が絶妙。


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 「銀河の裏筋 性なる侵乳!」(2021/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画株式会社/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:倉本和人/録音:小林徹哉/編集:鷹野朋子/助監督:小関裕次郎/監督助手:可児正光/撮影助手:佐久間栄一/イラスト:広瀬寛巳/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:如月生雄/出演:亜矢みつき・生田みく・しじみ・竹本泰志・津田篤・ケイチャン)。
 地球を抜いて、ケイチャンの畏まつたモノローグ起動。ムーあるいはアトランティス、古代文明人が気象変動を忌避。地球に分身―のちに語られる劇中用語では“同位体”―を残し、火星に移住した旨大風呂敷をオッ広げる。光芒を放つ飛翔体が山頂公園に落下、凡そ有人には思へない小ささといふツッコミ処はこの時点ではさて措き、暗転タイトル・イン。上の句に謳ふ“銀河”どころか、隣同士の惑星間で完結してしまふ、小さいのか十分大きいのか評価の分れる話のスケール感。
 明けて「山井動画配信事務所」、全く数字の伸びない所属配信者の河合ミソノ(亜矢)に、社長の山井雅人(竹本)が雷を落とす。ミソノは同名の元地下アイドルで、一方山井はカリスマホスト上がりといふ設定。と、ころで。初陣の渡邊元嗣2019年第二作「好き好きエロモード 我慢しないで!」と今作の間に、神谷充希から改名したのが亜矢みつき。字面だけだと一見全然違ふゆゑ、軽く面喰はされる。
 配役残り、山井に一日三本の動画アップを厳命された、ミソノが一旦捌けるや登場するしじみは、山井事務所トップ配信者の立石真衣。二回戦にて繰り出す―初戦は適当な方便で対山井―枕営業で鍛へた秘技といふのが、観音様の締めつけで精液を棹に逆流させ、最悪玉を破裂させるといふその名も“スペルマ逆流返し”。こゝで日本語が微妙に難しいのが、“逆流して返す”と捉へるならばそれで何の問題もない反面、“逆流を―更に―返す”と解釈した場合ダブルクロスカウンターで結局普通に出されてゐる。閑話、休題。山頂公園に野良猫動画を撮りに行つた―そのセンス―ミソノの前に現れる、工藤雅典大蔵電撃上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/橘満八と共同脚本/主演:並木塔子)から、かれこれ三年目四本目の生田みくは、人捜し風情の黒服・マホリ。そして段ボールに隠れるやうに寝てゐたケイチャンが、マホリが捜す半裸でターバンとかいふ大概か底の抜けたビジュアルの男、記憶を失つてゐる。その正体は、危険を冒して地球にやつて来た、火星のマジマーズ国の新しい王・サオロング。満身に創痍を負ふサオロングに対し、マホリは平然と辿り着けてゐる点に関しては、気づかなかつたプリテンドをするべきだ。サオロングの王位継承の儀も自ら執り行ふ、フェラーラ王妃は亜矢みつきの二役目。即ちフェラーラとミソノが、先に述べた同位体の関係。飛翔体の画像をSNSに上げた、夜空研究科・カマは鎌田一利、アイコン写真が小さく見切れる。観る前はこの人が地球に落ちて来た男かと思つてゐた津田篤は、河合ミソノのFC会長・中野川テツオ。羽ストールなんて巻いてみせた、コッテコテの毒婦造形を宛がはれるしじみとある意味同様、デュフデュフ笑ふ古典的なオタク造形。ならばなほのこと、ネルシャツ×チノパン×ダンロップまで拘つて欲しかつた。津田篤が、そんな扮装持つてゐるのか否かは知らん。
 関根和美の2003年第四作「馬を愛した牧場娘」(小松公典と共同脚本/主演:秋津薫)以来、驚愕の実に十七年ぶり。新作ピンクに倉本和人(a.k.a.倉本和比人)が電撃復帰―オープンの日差しを推察するに、撮影は2020年夏の模様―を果たした、渡邊元嗣2021年一本きり作。前作の、山崎浩治こちらは三年ぶり復帰作「悩殺業務命令 いやらしシェアハウス」(2019/主演:生田みく)挿んで、再起動した渡邊元嗣と増田貴彦のコンビが五作目。今のところ、封切られたばかりの最新作に於いても依然継続してゐる。
 「銀河の裏筋 性なる侵乳!」、一言で片づけると意味が判らない。オーピーの担当者はキマッてゐたのかとでもしか思へない、闇雲な公開題は兎も角。「星の王子 ニューヨークへ行く」翻案、が大蔵から頂戴した御題であるといふと、首を傾げるほかない「いやらしシェアハウス」の挽回を図つたのか、今回は明確に火星の国王が東京に来る、横浜かも。自らの進むべき道に迷ひがちのヒロインが、適当に味つけされた“秘宝”を巡る騒動に巻き込まれる。ありがちなSFロマンが、身の丈を弁へぬ切通理作の脚本で支離滅裂の木端微塵に爆砕してばかりの、過去最悪の様相を呈する国沢実の近作ファンタ路線と比べると余程、あるいは最低限体を成す、比較の対象がクソすぎる。河合ミソノが持ち歌も披露する割にトラック絡みのクレジットは一切見当たらない、言葉を選ぶと牧歌的なアイドル映画は、良くも悪くも渡邊元嗣が渡邊元嗣たる所以の、いはば業。に、せよ。壮絶にもほどがある疑問手通り越した悪手、の範疇にも納まりきらない即死級の致命傷が、マジマーズ国が歌と踊り―とあと花―に満ちた国とやらで、藪から棒か素頓狂にサオロングことケイチャンが超絶の低クオリティで歌ひ踊る、頓珍漢なミュージカル風味。観る者を鼻白ませる以外に、渡邊元嗣は全体何がしたいんだ?挙句荒木太郎に劣るとも勝らないレベルの悪ふざけで尺を空費した結果、二番手であるにも関らず、生田みくの絡みが一回きり、女の裸が割を食ふに至つては言語道断。まだしも女優部が乳尻を振り乱す分には、藪の蛇を突かうと木に竹を接がうと、立派な眼福として成立し得たものを。肌もあらはなオッサンの下手糞な歌や踊りに、如何程の値打ちがあるといふのか、百兆歩譲つて薔薇族でどうぞ。耄碌したのか、渡邊元嗣。ナベが悪い意味でヤベえ、混迷を極める演出部に俳優部は与へられた役を案外精一杯健闘する一方、撮影部が何故か同調。倉本和人の大帰還に加へ、何処まで遡るのか軽く途方に暮れてゐたら、案外近場に松岡邦彦の「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/脚本:金田敬/撮影:村石直人)―更にその前となると坂本礼の「や・り・ま・ん」(2008/脚本:中野太/撮影:中尾正人)―があつた、セカンドに佐久間栄一が入る何気に凄い布陣、にしては。しじみの一回戦、二人を画面向かつて左側から撮るカメラと、マホリが中野川の口を割る背面座位。別に企図された風にも映らない、画が無駄に微動してゐるのはどうしたものか。野外も野外で、明らか乃至下手に強い太陽光を、コントロールしようとする気配も特に窺へず。城定秀夫を迎へ撃つはおろか、渡邊元嗣が力なく墜落する無様な姿を見せつけられようとは。とこ、ろが。投げかけたタオルもしくは匙が、止まるのね、これが。止まるのが、ナベシネマ。ミソノの自分再発見的なクライマックスは、堂々とした締めの濡れ場を除けば陳腐なテーマながら、その一歩前段。そもそも、火星の国王が東京に来た目的とは何か。猫耳ミネコの鎮魂と昇天、プリミティブなエモーションをダサさもベタさもショボさすら厭はず、全力で撃ち抜いて来る一撃必殺こそ我等が渡邊元嗣。ギッリギリのギリッギリ、紙一重で首の薄皮一枚繋がつてさへゐれば、ションベン臭い小屋に集ふ、薄くでなく汚れた観客の心を洗つてのけるのがナベシネマ。出来不出来でいふと世辞にも褒めらた代物ではないものの、好きか嫌ひかとなるとそれでも断然好きな一作。邪推するに大蔵の振つて来る奇天烈な意匠に引き摺られず心乱さず、渡邊元嗣には腰を据ゑ自身が信じた映画を撮つて欲しい。それが即ち、今作に於けるミソノの姿とも重なるのではなからうか。
 といふか要はこのお話、サオロング視点では星をも渡つた王様が側室と火遊びして国に帰る、豪快か痛快なスペオペ漫遊記だ。

 山井と袂を分つたミソノが、中野川の協力を得て改めてアイドル動画に徹し、見事再起を果たすラスト。開運的にバズッた動画に流れる、宝くじが当たつただの“監督に脚本をホメられた!”だの、総じて他愛ないコメントの中。望む当サイトが端からどうかしてゐるだけなのだが、“遂に「ハレ君」が公開された!”なり、“お帰りなさい荒木太郎”といつたアクチュアルにキナ臭いネタを、ナベが紛れ込ませて来る訳が無論なく。土台、如何にして初号を突破するつもりか。
 備忘録< サオロング降臨の目的は、フェラーラの従者がぞんざいに処分した、猫耳ダッチワイフ・ミネコの供養と呪ひ解除


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 「聖処女縛り」(昭和54/製作・配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/企画:門前忍/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないあひる/編集:田中修/記録:豊島睦子/助監督:一ノ倉二郎/演出助手:内村助太/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐々間潔/効果:東映東京撮影所/現像:東映化学/製作主任:吉田修/出演:鶴岡八郎・杉佳代子・下元史郎・渡健一・太田伝・下川純・峯孝介・西山徹・日野繭子・岡尚美)。企画の門前忍は、渡辺護の変名。録音が抜けてゐるの―とまるで倒立したビリング―は本篇クレジットまゝで、配給に関しては事実上新東宝映画。
 片田舎に特別高等警察職員の住居が存する点を窺ふに、早くとも―第一次日本共産党成立後の―大正後期か、普通に昭和初期。駅に男が現れる遠いロングを一拍置いた上で、思ひ詰めた日野繭子の横顔と、カットひとつ跨いで廊下から様子を窺ふ岡尚美を、階段の下から抜いてタイトル・イン。刑事(渡)を伴ふ、特高・小西(鶴岡)のロングにクレジット起動。小西の目配せを受けた刑事が、各々適当に扮装した四人の警官(太田伝から西山徹まで)を呼び寄せる。俳優部のクレジットが、役名まで併記して呉れるのが心から有難い。
 園(岡)が宮田に囲はれる一方、園の妹・綾(日野)が思慕を寄せる宮田(下元)はお尋ね者の共産主義者、といふドラマみたいな関係性、ドラマだからな。小西曰くの、人間らしく生きられる社会なる方便に感化される妹に対し、姉が妾の代償に手に入れた、一定以上の生活こそ人間らしさと抗弁する、それもまたひとつの大正論。追ひ詰められ、ドスを抜いた宮田が刑事の長ドスは潜り抜けるも、小西が涼しい顔で懐から取り出した、オートマチックに仕留められる。綾は宮田の亡骸に縋り、園は小西の傍らに寄り添ふ。その夜、園を抱いてゐる最中に出刃で襲ひかゝつて来た綾を、小西は未成年に配慮する素振り―この時代にも大正11年に公布された、旧少年法がなくはない―を窺はせつつ、本宅に要は監禁する。流血した手当の支度に姉が座を外した隙に、小西が妹の乱れた裾を、更に割つてみる人間的なシークエンスが琴線に触れる。生きて、堕ちる。その様に映し出されるのが人の姿で、主に劣情を処り処としたアプローチが量産型裸映画に於いて、実相に辿り着き得る最も手つ取り早い便法なのではあるまいか。
 杉佳代子はほゞ寝たきりで、いはゆる夫婦生活に応じられない小西妻。助けるといふよりも寧ろ本妻の矜持に駆られ、最期の力を振り絞り綾を逃がす以外には、杉佳代子が基本床に臥せつたまゝ、脱ぎもせず死んで行く豪快か、ある意味贅沢な配役には驚いた。
 常々巷にて大傑作の如く扱はれてゐるところの所以が、正直サッパリ判らない渡辺護昭和54年第三作、当年全十三作。それ、もう結論だろ。
 そもそも佳代(超仮名)は性行自体に堪へられず、園も園で受ける資質を持ち合はせない。小西のサディズムによもや応へた綾が、本妻と妾双方向かうに回し、小西を奪ひ去る節すら一見窺はせつつ、実は復讐の凶刃を静かに砥ぐ。よく出来てゐるともいへ、逆にか寧ろ、グルッと一周してありがちと紙一重の構図が、結局例によつての何時もの如く、とりあへず全員死ぬラストに、限りなく自動生成的な勢ひで一直線。よくいへば様式美、直截にいふと類型的な展開に殊更魅力を覚えないのと、裸映画的にも鈴木志郎の性癖か渡辺護の指示なのか知らないが、概ね常に何かしら越しに濡れ場を狙つてゐないと気の済まぬ、一種強迫的な画が齢の所為か、最近煩はしくなつて来た。匙加減の問題ではあれもう少し映画を捨てて、大人しく女の裸を撮つても別に罰は当たらないと思ふ。それでゐて、小西が綾を責める模様を、責めに苦しみながらも喜悦する綾を、佳代に見せつける件。照明からペラッペラに薄い上、手前で杉佳代子が動きもせず暫し黙つて見てゐる、間か底の抜けた長回しにはこゝは笑ふところなのかと迷つた。それ以前に、兎にも角にも。綾の若さを佳代に誇示した小西が、「これが女だ」と豪語してのける最早清々しいほどのミソジニーは、凡そ令和の世に於いて満足に相手する気も失せる遺物。恐らくは渡辺護自身も共有してゐさうな、遺産とかでなく単なる遺物。申し訳ないけれど昭和に置いて来て、特に困らない一作、保守なのに。

 ど頭で舞台を大正後期か昭和初期と一旦書いたが、思ひ返すと綾は小西邸に囚はれた園の家にて、「サーカスの唄」が流れてゐる。なので8年以降の、昭和初期と特定出来る。


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 「日本の痴漢」(昭和55/製作:わたなべぷろだくしょん/配給:新東宝映画/監督:渡辺護/脚本:ガイラチャン/撮影:小水一男/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:三輪誠之/演出助手:黒木公三/撮影助手:遠藤政史・下元哲/照明助手:佐藤和夫/効果:中野裕二/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/出演:高原リカ・朝霧友香・曲谷節夫・堺勝朗・久保新二・浜恵子・青野梨魔・立木レミ・飯島洋一・早見ルイ・藍川加寿子/友情出演:田村いづみ・ジャイアントイルバ・竜本寿、他一名・眼津御衣場)。出演者中、早見ルイ以降は本篇クレジットのみ。脚本のガイラチャンと、撮影の小水一男は同一人物。そして当時の配給はあるいは新東宝興業かも知れないけれど、よくよく冷静になつてみると何れにせよ、今現在回してゐるのは新東宝映画にほかならない。
 土曜日は日本の痴漢の日だとか適当にお道化てみせる久保チンから、画面奥のお城にピントを送つてタイトル・イン。アバンで火を噴く暴力的ないゝ加減さと紙一重の軽やかな他愛なさが、結局全篇を支配する。
 配役残り、えゝゝ!せめて一文掻い摘むだけの物語もないの?と問ふならば、実際ないのだから仕方ない。流石にワンセンテンスで、何を如何に掻い摘めるのか。さて措き改めて久保新二が、これで大企業らしい大金物産のグータラ平社員・高橋明。高橋は兎も角、下の名前が何故明、同姓同名にもほどがある。無論、メイさんの愛称でも知られた、バクチクする重低音を幾多のロマポに刻み込んだ、大部屋出身の大俳優・高橋明はトクトクのとつくに名を馳せてゐる。再度、閑話休題。堺勝朗が高橋にとつて直属の上司たる大川部長―何部なのかは語られず―で、高原リカは職場のマドンナ的な、部長秘書の松原ルミ子。ブラウスをブチ破らんばかりの、昨今でいふ着衣巨乳がエクストリーム。jmdbとnfajはおろか、グーグル検索にも満足にヒットしない謎の俳優部・曲谷節夫は、清掃夫に化け公園の女子トイレに忍び込んだ高橋と、バッティングするチョビ髭の出歯亀・吉田、居酒屋の宿六。浜恵子が誰の御蔭で生きてられると思つてんのよ、と配偶者に対し実も蓋もなく豪語する吉田の女房、即ち女将、屋号は矢張り不詳。飯島洋一と立木レミは、警察官に変装した高橋と吉田がスイートホームを往来から覗く、大絶賛仮名で毬山栗男とその新妻。青野梨魔は按摩に扮した高橋が対峙する色情狂、事後豪快な巴投げで高橋の腰を粉砕する。朝霧友香はネックレスを盗んだ的に因縁をつけられる、高橋と大川に吉田の三人が誰も知らない、自称スターの森マリ子、表記は当て寸法。その他が高橋と吉田が出会ふ舞台となる、公衆便所で用を足さうとする女に、毬栗家に齧りつく偽警官二人にちよつかいをかけるアイスをぢさん。青姦カップル一組目の、男は今泉厚?二組目の、今度は女が日野繭子、男は消去法で竜本寿か。どうしても拾ひきれなかつたカメオ隊他一名の名前に、繭の字が含まれてゐた気がする。更にもう一人、釣り糸でスカートを捲られる女、以上で頭数的には一応合ふ。
 正直いふと初見のピンクで久々寝落ちた、渡辺護昭和55年第九作。仕方なくクレジットも詰めがてら、駅前の敷居を再度跨ぐ破目に。小屋に落とす木戸銭は、決して捨て金ではない、よしとするべし。
 十八番の舌先三寸で痴漢の求道を説く、高橋の下に吉田がつく形でまづコンビ結成。一組目青姦カップルの女が脱いだパンティを文字通り釣つてゐた、大川を―官憲コスの―高橋がトッ捕まへる奇縁あるいはありがちな劇中世間の狭さに従ひ、コンビは痴漢連合へと発展。とまあ、ワンセンテンスどころか、釣りならぬ「痴漢バカ日誌」のワンフレーズで事済む流れ程度ならばなくもないものの、兎にも角にも羅列される一幕一幕があまりにもぞんざいで、最早一本の満足な劇映画の体さへ、成してゐるのか否か甚だ怪しい一作。部屋に呼んだ筈の按摩を、青野梨魔が頼んでないはよとかいひだすちぐはぐな台詞には眩暈を禁じ得ず、一番といふか凄まじく酷いのが、切り上げる、ないし事後切つてしまふタイミングをことごとく逃すか放置、グッダグダ何時までも垂れ回す毬栗家パートの完全に時機を失した締めは壮絶に酷い。女優部を誰を何人並べたところで、堺勝朗と久保チンが好き勝手に暴れ回るに任せてゐては、腰を据ゑ女の裸に垂涎する訳にも行かないのは良くも悪くも常ながら。今回渡辺護が何処まで本気でディレクションしてゐたものやらそもそも疑はしい中、シークエンス個々のキレも全体的な構成もへべれけで、下手をするとといふか現に当サイトは一度沈んだのだが、呆れ果てるなり匙を投げる以前に、暗い場内で意識を保つてゐるのすら地味に難いハルシオンな破壊力。逆の意味で頂点、要は底を極めるのが画期的な謎ラスト。漫然とした支離滅裂の果て、堺勝朗が曲谷節夫と久保新二を左右に従へる格好のショットに、叩き込まれるのが“完”でも“終”でもなく、よもやまさかの“チョン”。チョンて、その“チョン”はどのチョンなのよ!?もしくは何語。本当に皆目全くまるで意味が判らないので、どなたかチョンの真相を御存知の諸賢に当たられては、浅学菲才で他の追随を許さない当サイトに御教示下さらないであらうか、許せよ、そこは譲れ。


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 「《裸》女郎生贄」(昭和52/企画・製作:新東宝興業株式会社/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/撮影:笹野修司/照明:磯貝一/音楽:飛べないアヒル/編集:堺集一/助監督:関多加志/監督助手:岡孝通/撮影助手:加藤好夫/照明助手:前田明彦/衣裳:南潔/車輌:松崎プロ/効果:秋山効果/衣裳:富士衣裳/小道具:高津小道具/現像:東映化学/録音:ニューメグロ/出演:泉リコ・青山涼子・国分二郎・港雄一・松浦康・安田清美・榊陽子・東あき・藤ひろ子・君波清・関多加志・青柳和男・三崎五郎・島雄一・中野恵子)。編集の堺集一が、ポスターには境修一、あとニューメグロで端折るクレジットなんて初めて観た。出演者中泉リコと青柳和男が、ポスターには泉理子と青柳利男。ポスターにのみ、中村文子・久保今日子・岡哲男の名前が更に並ぶ。
 開巻即、女がギッシギシ責められてゐるある意味清々しさ。足抜けを図つた女郎の千代(青山涼子/a.k.a.愛染恭子/但しアテレコ)を、女郎屋「山野家」の女将(藤)が下男の多分佐吉(不明)を伴ひ責める。最初にお断り申し上げておくと、今回手も足も出ない俳優部に関しては、潔く通り過ぎて済ます。場数を踏み重ねてゐるうちに、何時か答へが出る。のかも知れない、出たらいゝのにな。蓄音機が起動―トラックも特定不能―して、泉リコ以下、安田清美・榊陽子・東あきまで一遍に飛び込んで来る「山野家」の女郎詰所に、おもむろな感じのタイトル・イン。タイトルバックでは憲兵分遣隊本部から、制服の部下を連れたコスギ(港)が背広で出て来る。
 全篇を貫く統一的な物語も特にないゆゑ、辿り着ける限りの配役残り、泉リコは千代が責められる様子を偶々目撃して以来、距離を近づける小藤。鶴田面の安田清美がお京、太平洋と揶揄されるジャンボな観音様の持ち主。もう一人絡みを披露するアキがビリング推定で榊陽子、二人で度々お京を嘲る、アキの腰巾着ポジは覚束ぬこと極まりない消去法で東あきかなあ?a.k.a.木南清の君波清は、千代の水揚げに選ばれた山野家の上客・清水。ナベなりチョクさんなり、名ありとはいへ山野家―客―要員は憲兵部含め、この時代のしかもな頭数では無理。国分二郎が、歩兵第三連隊からの脱走兵・宮田誠一。コスギが探索に動くのと、宮本と名を偽り小藤を買ふ、のも通り過ぎる。松浦康は、客に敬遠されるお京―のやうな女―を捜し求めてゐた、配偶者を死なせるほどの巨根の御仁。規格外の者同士が結ばれる、麗しくもあれ全体的には木に竹を接ぎ気味の一幕は、高橋伴明の脚本に元々あつたものではなく、渡辺護が勝手に付け足した件であるとのこと。
 当サイト的には殊更ピンと来る決定力も感じさせない、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和52年第七作。関根和美のデビュー作「OL襲つて奪ふ」(昭和59/主演:山地美貴?)辺りでも放り込んで呉れれば、俄然猛然とときめくのだけれど。
 考証的な頓着のまるでない、門外漢の節穴には十全に映る美術部と、そこかしこで藪蛇に画角を狙つて来る撮影部の闇雲な健闘には反して、演出部の腰は然程据わらない。始終を大雑把に掻い摘むと、これといつて別に何某かの深まりもない、港雄一の雑なアイアンクローで千代がパイパンにされる塾長パートと、中盤を支配するお京と馬並氏(超仮名)のドンキー・ミーツ・デカマンに、各々トッ捕まつた宮田と―宮田の子を宿した―小藤が、それぞれ拷問されるありがちな悲恋物語の三部構成。その中最も力を得るのは、結局最終的なエンドのハッピーとバッドの如何は描かれないまゝに、互ひに運命的な相手に巡り合つたお京と馬並氏篇。ではあるものの、所詮は枝葉、の筈。この頃狂ひ咲いた残虐ピンクの企画を遊女方面に振りつつ、反戦か権力批判の矛先も覗かせたい色気を窺はせかけ、ながらも。大して踏み込んでみせるでもないうちに、何となく尺も尽きた印象。かと思へば、砂丘に卒塔婆をブッ挿した、即席な宮田の墓を小藤が参る、ロングを適当に回した末に。“山野家から逃走した小藤は、それから八か月後、秩父山中で非国民の子供を産んだ。”その後の顛末を乾いた一文スーパーで片づけるブルーバックに、1/8画面サイズの“完”を有無もいはさず叩き込む豪快なオーラスが、正体不明の破壊力ないし、明後日か一昨日な余韻を残す。


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 「悩殺業務命令 いやらしシェアハウス」(2019/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影 照明:小山田勝治/録音:小林徹哉/編集:酒井正次/助監督:小関裕次郎/演出部応援:赤羽一真/撮影助手:山川邦顕・高橋広海・渡辺晃己/現場応援:鎌田一利/合成:飯岡聖英/スチール:本田あきら/選曲:徳永由紀子/MA:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:如月生雄・やよいあい/出演:生田みく・原美織・ケイチャン・可児正光・美咲結衣)。何気に驚異のピンク戦歴―これまで―全六作継続した、美咲結衣のパーマネント二番手が遂に途切れる衝撃に泡を吹きかけたが、寧ろ前作が形式上ビリングの二人目に名前が載るといふだけで、実質的にはトメに座る今作の方が矢張り、あるいは歴然とした二番手である。
 新東宝旧ロゴ壁紙みたいな背景に、銀色の大体スポーツブラとホットパンツ、頭にはハートの触覚?の生えたヘアバンドを載せた八雲花恋(生田)が「ハーイ!」と元気よく飛び込んで来る。花恋の祖母が、令和生れといふくらゐの近未来。素頓狂な扮装は当代のモードらしい劇中世界は、人類が単純労働をロボットと人工知能に行はせる理想郷、全く以て素晴らしい。藪から棒でしかないが当サイトは改憲論に決然と与する、非人道的極まりない第二十七条一項を即刻削除すべきである。二項と三項は、それでも働きたがるかも知れない病的な物好きか、主体性の希薄な暇人のために残しておけばいゝ。完全無欠の閑話休題、にも関らず、「AI任せぢやつまんない!」と頭のおかしな不平を垂れ『モテ本!』なる色恋マニュアルの小―さくない―冊子を取り出した花恋は、令和の町並を遺したレトロ地区に、同じく令和のビンテージ・ファッション―と称した私服―で現れる。なかなか秀逸なのか開き直つた力技なのか、よく判らない方便ではある。いらすとやを使用した「お見合ひシェアハウス」の看板の掲げられた一軒家に辿り着いた花恋が、「ゴキゲンだね☆」と親指を立てるとキラーンと音効が鳴り、空にパンしてタイトル・イン。初陣にして工藤雅典の電撃大蔵上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/共同脚本:橘満八/主演:並木塔子)三番手から二階級特進した主演女優が、何か顔が変つたやうに映るのは気の所為か。
 わざわざ一軒家を用立てた割に、シェアハウスの参加者は花恋と、背広で二十世紀のサラリーマンを意識した桐島平田(ケイチャン)の二人きり。花恋に対し桐島が覚えた、以前に会つたやうな謎の疑問を遮るかの如く、シェアハウスの企画者で、「スター・プリンス」社の社長・草壁冴子(美咲)がホログラフで登場。この人の格好は、緩めのサンタコス風に猫耳。冴子と目配せを交す花恋が実は、開発部所属のスター・プリンス社員。かつ桐島は自らが人間である記憶を埋め込まれた、スタプリ社主力商品たる人工知能搭載のヒューマノイド。自律思考可能な新型にヒューマノイドをアップデートする一貫で、スタプリ社は恋愛機能の実装を目指してゐた。とかいふ次第でシェアハウスを通して霧島を恋の虜にする、要はオトせといふのが、希望した―けれど社内選考に落ちた―開発チームへの参加と特別ボーナスを成功報酬に、花恋が社長から直々に受けた特命だつた。
 配役残り、地味に五年目六本目の原美織は人間童貞の桐島がかつて使用した、恋人型ヒューマノイドのエヴァ。桐島の近未来モードは、まんまか単なるモジモジくん。一方可児正光は、ヒューマノイド処女である花恋の元夫・友哉。AIが弾き出した幸福確率99%を真に受け結婚したものの、友哉が余所に女を作り一年と続かず破局する。
 2016年第二作「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(主演:星美りか)以来、山崎浩治が三年ぶりに復帰した渡邊元嗣2019年第三作。もう一人小山田勝治のナベシネマ参加は、確認し得る範囲では1998年第四作「壺いぢり名器天国」(脚本:波路遥/撮影:下元哲/主演:西藤尚)の撮影部チーフ以来。
 如何にもオッサンじみた―オッサンだからな―繰言を吐くが、林由美香なら卒なくこなしてゐたであらう、過剰なマンガ芝居に生田みくが概ね憤死しつつ、花恋は他愛ない手練手管で持ち前のオーバーアクトを一切封印した、表情の乏しい桐島を籠絡すべく悪戦苦闘する。逆に、さういふ造形を宛がふのであれば、そもそも何故ケイチャンを連れて来たのか。兎も角山崎浩治御自身のブログによると、木乃伊取りこそが木乃伊であつた、2015年第三作「愛Robot したたる淫行知能」(主演:彩城ゆりな)の姉妹作、ぽいとのこと。土台がサシでテラスハウスを気取らうだなどと、大概な蛮勇に関してはそれをいふても始まらないゆゑ、と後ろ向きな言草で呑み込むとしても、画的にもこれといつた煌めき一つ欠いた平板さの中、決定力不足の俳優部による大人の映画で子供も騙し損なふ稚拙なラブコメは、山崎浩治大復活に狂喜したときめきを、容赦なく霧散させるに余り有る、頼むから余つて呉れ。尤も桐島がロボット工学を嗜む設定で軽くミスリードする、ある程度容易に予想し得よう「愛Robot」調のオチを軽やかか力強く通り越し、2009年第三作「愛液ドールズ 悩殺いかせ上手」(主演:クリス・小澤)の領域に至る辺りからは俄然一気呵成。「愛Robot」ではある意味見事に等閑視してのけた、ロボット三原則の第二条周りにも細やかな冴えを感じさせる。何より―恋をするのに―年齢や性別はまだしも、人機の別すら最早関係ない。桐島が到達したジョン・レノンばりの視座から、カット跨いで締めの濡れ場に轟然と突入する馬力、あるいはアクセルの踏み抜き処を決して逃さない一種の勘こそが、依然ナベがナベたる所以。百一回目の試行なのか、友哉の扱ひがあんまりなエピローグに際しては尺を持て余し気味で、スーザン・カルヴィンに片足突つ込むかのやうな、草壁冴子―美咲結衣の濡れ場は、充電中に桐島のVR遠隔セックス機能を使ふ形で処理される―が最終的に目指す地平は雲を掴む。正直昨今一抹以上の厳しさも否み難い、ナベシネマ的には些かならず物足りない一作ながら、漸く活きのいゝ連中もぼちぼち出始めて来た外様の台頭を、渡邊元嗣には鼻歌で弾け飛ばす、果てしなく高く無慈悲に頑強な壁でまだまだあつて貰はないと困るのだが。

 ところで今作のシナリオ題が、「星の王女、お見合ひに行く!」。「星の王子 ニューヨークへ行く」翻案が大蔵から与へられた御題であるといふのには、幾ら続篇が製作されたとはいへ何をこの期にと驚くほかないが、実際に星の王女様なり王子様がどの程度フィーチャーされてゐるのかといふと、テラハ以上だか以下に木に竹しか接がない。


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 「緊縛色情夫人」(昭和55/製作:わたなべぷろ/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:小水一男・縞田七重/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/助監督:加藤繭・塩谷武津奈・根本義博/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐久間照男/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/協力:上板東映/出演:高原リカ・竜本寿・市村譲・五月マリア・広田清一・丘なおみ)。出演者中、広田清一は本篇クレジットのみ。逆に、あるいは何故か。旧版ともポスターには名前の載る佐野和宏が、本篇には鮮やかなくらゐ影も形も出て来ない。声だけでも気づく自信があるのと、全体何でまた、しかも佐野が湧いたのか。
 夜景にプアンと一発電車の汽笛鳴らして、オッパイを抱き隠した高原リカが横になり、男の手がおパンティを弄り始める。同じゼミ生の利彦(滝本)と奈美(高原)がホテルに入る、奈美は、初めてだつた。ホテル街の朝、擦れ違つたオッサンから冷やかされつつ、訳の判らないキレ方をした奈美は一方的に別れを告げて去り、利彦は女の扱ひ方に軽く途方に暮れる。大学にも行かず、上板橋駅に降り立つた利彦は丘なおみが渡り始める横断歩道に通りすがる、唐突な引きの画で人妻の千鶴子(丘)に心奪はれ、狂ひ咲く上板東映までついて行く。
 配役残り、それなりに仲良くはなつたのち、実は結構近所な千鶴子に付き纏つた利彦が、結局その日は手ぶらで帰宅すると大絶賛真最中の広田清一と五月マリアは、利彦に九時まで部屋を借りる約束の友人・ヒロシと、その一応彼女・ハルコ。ヒロシ曰く、ハルコはラッタッタ。そのこゝろが、「誰でも簡単に乗れまーす」。ところでこの広田清一、既視感のある顔だと思つたら、中村幻児昭和56年第二作「セミドキュメント 特訓名器づくり」(脚本:吉本昌弘・伊藤智司)の和田家長男・総一郎役の広田性一と同一人物、性一て。市村譲は、一歩間違へば死んでしまはないかと心配になるほどの、苛烈な責めを日々千鶴子に加へる夫・輝雄。八作前の「団地妻を縛る」(脚本:小水一男)と全く同じ組み合はせで、限りなく全く同じ造形の夫婦である、今回は戸建に住んでゐるけれど。その他上板東映に、観客部を若干名投入。「あのう済みません、僕途中から入つちやつて」、「あの男あの女の何なんですか?」。上映中の映画―渡辺護の、「をんな地獄唄 尺八弁天」(昭和45)らしい―に関して質問を投げる、利彦の斬新なナンパに乗つた千鶴子は、割と底を抜く二分の長尺を費やしヒロインの心情をああだかうだ、要は詳らかに自作解説。煩えなと後方から至極全うなレイジを飛ばす、モッジャモジャのパーマ頭に上映中の場内でもティアドロップをキメた、まるで遊戯シリーズの頃の優作みたいな男が見切れるのは誰なんだろ。
 最早ほかに打つ手もないのか、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和55年第十四作。ビリング頭が豪快に三十分退場する間、主人公が出会つた肉感的な人妻の体のそこかしこには、痛々しい縄の跡があつた。モラトリアムを拗らせ人妻に入れ揚げる青年の周囲を、仲良く飄々とした男女三番手が呑気に賑やかす。利彦でなくとも理解に難い、情緒不安定ばりに甚だしくランダムな奈美の言動がそもそもなアポリアではあれ、そこに捕まると恐らく禅問答。如何にもありがちな構図の物語はいざ絡みの火蓋を切るや質的にお量的にも十全に見させ、殊にゴッリゴリ押し込んで来る力技通り越し荒業のサドマゾを主兵装に、裸映画としての腰の据わり具合は案外比類ない。にしては、全般的な湿つぽさなり不用意に豊かな情感が、寧ろ煩はしく感じられなくもないものの。「アタシ何でもする」と健気に膳を据ゑる奈美の言葉に、利彦の野郎は邪に起動。カット跨ぐとブルータルにフン縛つてゐたりする、クッソ外道な締めの濡れ場とか殆どギャグに近いのだが、加速して文字通り縄で縄跳びする奈美のカット挿んで、何処にも誰もゐない噴水のロングに“終”が叩き込まれるに及び、映画の底は何だこれの領域にスッコーンと突き抜ける。


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 「痴漢電車 さはつて出勤」(昭和62/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/製作:伊能竜/撮影:倉本和比人/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:瀬々敬久/撮影助手:池田恭二/照明助手:鈴木浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/協賛:㈱呉工業/出演:小林あい・橋本杏子・秋本ちえみ・北川聖良・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・螢雪次朗)。協賛の呉工業が、大正義防錆潤滑剤「KURE 5-56」で御馴染のあの呉工業。
 電車が行き交ふカットにタイトル開巻、社長秘書の藍沙弥佳(北川)が、労咳持ちみたいな藪蛇な造形の、白手幹(螢)の痴漢電車を被弾する。一頻り責めたのち、沙弥佳の愛液のスメルに昂つた白手―までが苗字でいいんだよね?―は、懐から取り出した折り畳みナイフを火花も散らして三閃。駅から歩く沙弥佳の衣服が、パンティだけ残して斬鉄剣的に時間差破断。見た感じオフィス街のど往来で、沙弥佳は半裸になる。豪快だな、昭和。一方、軽く驚く勿れ銘板から作り込んである、下着メーカー「バコール」。こんな名前の会社、商業ポルノの中にしか出て来ない、ローレン・バコールをフィーチャーするのでなければ。着衣した上から触つても直に触られてゐるかのやうな着心地で、なほかつ沁みなり匂ひは、薄布一枚の外には一切洩れない。新開発の超軽量形状記憶合金繊維「メタリングス」製の究極スキャンティ、を穿いた―御丁寧に上半身もブラのみの―商品開発部研究員・桃井未来(小林)の体を、芥川社長(山本)が固唾を呑み見守る中、部長の黒井(池島)が―何故かオッパイも―弄る天衣無縫な社内プレゼン。もうかうなつたら、時代の所為にしてしまへ。
 開き直つてパン一で堂々と出社して来た沙弥佳は芥川の秘書、兼愛人で、社長室に辿り着くなり熱い一戦をキメつつ、一枚しかない試作品を自らモニタリングする未来は、帰りの電車で究極スキャンティを白手に擦られる。実はメタリングスは偶然生まれた産物で、現状再生産不能。芥川には秘したまゝの究極スキャンティ奪還に迫られた黒井は、未来の助手に元々大学の使用済み女性下着同好会の後輩で、エロ本紛ひのカタログを作り未来からは目の敵にされる、企画部の赤尾松太郎(ジミー)を連れて来る。
 松太郎は未来の気持ちをノセる以外には、最終的に何の役にも立たない“一度触つた素材の感触は絶対に忘れない”特殊能力頼りで、闇雲に単身電車に突入。配役残り、鬼のやうにハクい橋本杏子と秋本ちえみは、まんまと罠にかゝつた松太郎に手錠をかけるゆゑ女痴漢捜査官なのかと思ひ、きや。蝋燭に囲まれたベッドに松太郎を鎖で拘束、女王様ルックで「ようこそ私達のお仕置き部屋へ」と来た日には、アグレッシブな私刑集団なのかと思ひ、きやきや。結局公安調査特殊課痴漢ハンター国鉄バイス、コンビ名が「ランジェリーズ」とかいふ愉快なワイルドセブン、二人しかゐないけれど。ところで呉工業製品は、火気厳禁の研究室にて、松太郎が煙草に火を点けようとした―だから昭和だ、昭和―ドリフ大爆発後。未来が消臭に商品名も呼称しての除菌・衛生スプレーのメディゾールを取り出すのと、アルミケースの中に5-56も見切れる。5-56にハイフンが入るのは、正直今回ちやんと調べてみて初めて知つた。
 ex.DMMのピンク映画chにタグつきで残る未見作を、片端から見て行く新東宝痴漢電車虱潰し戦、五本目で渡辺元嗣がヒットした、昭和62年第二作。ちなみに、ナベのタグはついてない、新東宝限定で結構そんなもん。
 電車に出没する怪人から、夢の新素材・メタリングスを奪ひ返せ。怪獣が出て来ないと成立しない怪獣映画が如く、痴漢電車でなければならない極めて魅力的な物語を構築しつつも、女の裸込みで中盤のバコール社内で大きく尺を食ひ尽くすのもあり、ある意味ナベシネマ的にはまゝある、終盤がガッチャガチャに尻窄む印象は否めなくもない。結局バックボーンには一切手が回らない白手のキャラクターは徒に大仰なばかりで、画期的に超絶美麗な2ショットを形成してゐながら、「ランジェリーズ」は限りなく明後日な絡み要員に止(とど)まる。さうは、いへ。全出演作でも両手両足、主演作となると片手で全然足る。実質二年間くらゐと決して実働期間が長くはないのも起因してか、ニッコニコに可愛らしい陽性のルックスと、プッリプリに弾ける健康的な肢体。この期にしか及ばないが、どうしてこの人がもう少し天下を取れなかつたのか不思議な小林あい(ロマン子クラブ No.4)が総合的には物足りない劇映画を、アイドル力の力任せで支へ抜く。最初は毛嫌ひしてゐた松太郎の、ギフテッドを知るやメタリングス探索の糸口を得た、未来がみるみる瞳を輝かせ膠着した局面が動き始める展開は、娯楽映画的に麗しく鉄板。それで、ゐて。未来と松太郎が遂に結ばれる、感動的な―筈の―締めの濡れ場をも、寧ろ不自然にすら頑なに完遂に至らせない。全く以て不用意な小癪さが、激しく水を差すのは重ねて頂けない。

 三分も超過してのエンディングは「鎌田行進曲」の替へ歌を皆で合唱後、“渡辺組”のカチンコが改めて鳴るのに何事かと思つたら。「新東宝の」(螢雪次朗)、「痴漢電車シリーズ」(小林あいと池島ゆたか)、「今年もよろしく」(北川聖良と山本竜二)、「お願ひしまーす」(ビリング頭三人にジミー土田)と、小林あいと北川聖良はオッパイも気前よく見せ賑々しく締め括る。


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 「好き好きエロモード 我慢しないで!」(2019/制作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:増田貴彦/撮影・照明:飯岡聖英/録音:小林徹哉/編集:酒井正次/助監督:小関裕次郎/監督助手:鈴木琉斗/撮影助手:岡村浩代・三浦裕太・高橋佑弥/照明助手:佐藤英蘭/お手伝ひ:鎌田一利/整音:Bias Technologist/選曲:徳永由紀子/スチール:本田あきら/仕上げ:東映ラボ・テック/カラリスト:やよいあい・如月生雄/出演:神谷充希・美咲結衣・ケイチャン・津田篤・森羅万象・山口真里《愛情出演》・横山みれい)。出演者中山口真里のカメオ特記は、本篇クレジットのみ。
 川原で振り向いた神谷充希が男嫌ひを大連呼して、夕陽にタイトル・イン。マンション夜景を一拍噛ませ最初に飛び込んで来るのは、湯船に浸かつたオッパイ。ジャスティス!と渾身で言祝ぐほかない。翌日に結婚式を控へた立川千里(美咲)が入る風呂に、両刀にさうゐない千里に対し真性の、ルームメイトである三池奈央(神谷)も入つて来る。ところで美咲結衣がポスター上の序列は三人目ながら、本クレでは横山みれいが定位置のトメに座ることにより、足かけ五年六本目となるエターナル二番手の座を辛うじて死守、何気な偉業である。風呂はサクッと上がり、ビリング頭二人が麗しく絡み合ふ初戦までは、二人が全裸で部屋中をキャッキャ戯れるチャレンジも敢行、全然瑞々しくあつた。のだ、けれど。入浴中既に伏線を投げ済みの、台所の水漏れを直しに千里が手配してゐた「マンショントータルメンテナンス」の修理工・瀬戸渡(ケイチャン)が、奈央の一人暮らしとなつた部屋を訪れる。嫌悪が恐怖症に徳俵を割つた奈央は、男とサシになるや―赤色灯メットを被つた―チープな“妄想炸裂中”モードに突入。瀬戸からバイブ責めを受けるヴィジョンに忘我した、奈央は瀬戸を殴打し卒倒させてしまふ。再度ところで、千里は微妙でもあれ奈央が造花で生計を立ててゐるとか藪蛇か非現実的な造形は、もしかすると“妄想炸裂中”モードで通常の社会生活に相当な困難が容易に予想される、点まで目配せした案外周到なものなのかも、考へすぎなやうな気しかしない。
 配役残り、登場順をケイチャンと前後して津田篤は、色情もとい式場帰りの奈央が再会する、年長の長馴染・須藤克己。高級官僚を輩出する家系ではあるが結局両親の期待には沿へず、「ニコニコ総合保険」の企画営業課勤務。森羅万象は壁一面に貼り巡らされた野鳥の写真を見るに、趣味のバード・ウォッチングは別に全くの伊達か隠れ蓑ではない模様の、奈央が住むマンションの管理人・中之島高雄。瀬戸の件で中之島が奈央に説教する最中には、ナベさんから好ポイントを見つけた電話も入つて来る。横山みれいは、トラウマを克服すべく奈央が門を叩く、「鳴海性愛クリニック」のセラピスト・鳴海理沙。当然の如く男性患者に対しては体を開く、ドリーミンな優しい世界、何が“当然の如く”なのだ。二本目は何処に出てゐたのかよく判らない、竹洞哲也2017年第四×五作・「ヤリ頃女子大生 強がりな乳房」(脚本:当方ボーカル=小松公典/主演:若月まりあ)と、「まぶしい情愛 抜かないで…」(脚本:当方ボーカル・深澤浩子/主演:優梨まいな)以来の―正式な三本柱だと山﨑邦紀2016年第二作「巨乳vs巨根 ~倒錯した塔愛~」(主演:東凛)―山口真里は、須藤が進学した全寮制の「愛染高等学校」男子寮と森中でY字路を成す、「流星学園」女子寮に暮らす女子大生。山口真里が確か女子大生女優として世に出て来たのなんて、もう何世紀前の遥か太古の昔なのかなんて、遠い来し方を振り返るのはやめるんだ、未来に目を向けろ。
 元々ある津々浦々ラグをコロニャンにも加速されついうつかり忘れてゐたが、今上御大の我等がナオヒーロー主演作「5人の女 愛と金とセックスと…」(2019/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三=小川欽也/主演:平川直大)に続き、平成を丸々跨いで監督生活三つ目の元号に軽やかに突入した、渡邊元嗣2019年第二作。尤も撮影してゐた風情は小耳に挟みつつ、ナベが2020年は未だ沈黙してゐる。次作では山崎浩治が2016年第二作「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(主演:星美りか)以来待望の帰還を果たすゆゑ、今後再びパーマネントに戦線復帰した場合、「未来H日記 いつぱいしようよ」(2001/監督:田尻裕司/田尻裕司との共同脚本/主演:川瀬陽太・高梨ゆきえ)から十五年ぶりの大復活を遂げた増田貴彦とのコンビは、間に波路遥を二本挿み四作で打ち止めとなる格好に。
 序盤に咲き誇る大輪にして超絶の百合は、残念ながら最終的か結果的には全く失速する一発勝負のスタート・ダッシュ。ナベシネマ常連の二番手とトメが、共に拘束一日?をも疑はせる束の間な出演時間を駆け抜けるか通り過ぎる中、軽くガングロでショートカットの、ボーイッシュな主演女優が渡邊元嗣の琴線にあまり触れなかつたのか、辛うじて破綻はしてゐない程度の漫然とした出来栄え、栄えてない。仲良く喧嘩する奈央と瀬戸が別れ際に延ッ々繰り広げる、アッカンベー合戦には100%悪い意味で眩暈がした、大人の娯楽映画やぞ。締めの濡れ場を完遂したのち、エピローグまでわざわざ持ち出して懇切丁寧に開陳される“あの日、あの時…”の真相は、仕方のない頭数の僅少にも火に油を注がれ、七十分を費やすに値する大層な代物とは凡そ思へない。六十分でもまだ長く、深町章の最速ばりに、五十分辺りでサクッと丸め込むか振り逃げるのが、相当な―薄さの―ネタなのではあるまいか。もう一点、余計なツッコミ処を思ひ出した。徒にやゝこしい瀬戸のブブセラに関してはいつそ等閑視するにせよ、十年前まづは東大を目指して愛染に入学の決まつた須藤と、奈央の別れの件。数メートル離れたしかも直立した状態から、四つ葉のクローバーを発見する真央の人外な視力に俳優部含め誰も立ち止まらなかつたのか。神谷充希が映し出されてさへゐれば箸が転んでも満面の、そこに神谷充希がゐる限り電信柱が赤からうが郵便ポストが高からうが満足のクラスタ以外には、正直お勧めし難いショッパい一作と難じざるを得ない。

 ワンモア、今度は大事な点を思ひ出した。奈央が最初に瀬戸の訪問を受けた際着用の、水森亜土系な懐かしいテイストのイラストがプリントされたYou & meの黄色いエプロンは、あれは全体何十年前から使つてゐる衣裳なのか、物持ちがいいにもほどがある。
 備忘録< アフリカ象研究者と再婚した母親の夫婦生活に衝撃を受けた、瀬戸はいざといふ段にブブセラの幻聴が聞こえ萎える


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 「トリプルエクスタシー けいれん」(昭和63『恋する女たち トリプルエクスタシー けいれん』のVHS題/製作:獅子プロダクション/配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:双葉零/製作:伊能竜/企画:白石俊/撮影:宮本良博/照明:田端一/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:小原忠美/計測:中松敏裕/撮影助手:渡辺タケシ/照明助手:金子高士/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:林里奈・橋本杏子・伊藤清美・池島ゆたか・山本竜二・守矢トオル・山口麻美《友情出演》・螢雪次朗)。
 夜明けのベッド、「済まんな、祥子・・・・」と詫びるレコーディング・ディレクターの斉巻幸一(螢)に対し、祥子(橋本)は「謝つたりしないで」。続けて「今がよければいいの」とか、典型的な風情の会話。キスを交して開戦、したところで女子ぽく散らかつた部屋の電話が鳴る。「あたしヤッちやつたんだ」といふ祥子の声に、部屋の主・星野陽子(林)は寝惚け眼で「なあに?新記録でも作つたの」、なかなか斬新な会話ではある。風鈴×プリンと寝起きのボケを二手重ねて、陽子は祥子の不倫報告に跳ね起きる。不倫かあと陽子が上方を見やり、波面に上の句を端折つたビデ題でのタイトル・イン。タイトルバックは陽子が起床するカットで軽く見切れる、彼氏と波打ち際でキャッキャするロング。
 配役残り、捕虫網を携へ虫籠も提げてゐるゆゑ、てつきり昆虫クラスタなのかと思ひきや。小脇にハードカバーを挿んでゐたりもする。要は、本気で虫を捕まへる気なんか別にない、空前絶後に藪蛇な造形の伊藤清美は、陽子・祥子と女子大生三羽烏を成す飛鳥今日子、もしかしたら明日香今日子かも。それなりにイケメンではあるものの、前後が長い髪型と全体的にオーバーサイズのトップスに、止(とど)めは裾の絞れたケミカルウォッシュ。グルッと一周して最早眩いほどの、壮絶な八十年代ファッションに軽くでなく眩暈のする守矢トオルが、改めて陽子の彼氏・ヒロシ、地味に絡みが上手い。一応ググッてみた限りでは、守矢トオルが今作以外には佐藤寿保昭和62年第一作「暴行クライマックス」(脚本:夢野史郎《a.k.a.大木寛/a.k.a.別所透》/主演:岡田きよみ)しか出演した痕跡は見当たらない、変名ないし改名の底なし沼はもう知らん。山本竜二は、祥子に不倫マウントを取られ、激しく対抗心を燃やす陽子が目星をつける、仏語教授の前原。雑にいふと山竜版のイヤミ、流石にシェー!はしないけど。前原がレストランにてボーイに、テレホンカードが使へるかとドヤる場面には、時代が偲ばれる。今や、公衆電話を探すのに苦労する。話を戻して西洋文化を、肌で感じるだ体で覚えるだのといつた如何にも秀逸な方便で、据膳モード全開の陽子を前原はホテルに連れ込んでおきながら、子供からのポケベル―配偶者には実家に帰られた―が入るやそゝくさと帰宅する。池島ゆたかは、前原を追ひ往来に飛び出した、陽子がミーツする男・氷室、職業は外科医。最後にカメオの山口麻美は、ヒロシを車で回収する海辺の女。その他ノンクレ隊が人相は抜かれない乳母車を押す人妻とボサッとした背広に、前原からフランス語同好会に勧誘される二人組。
 公称を鵜呑みにすると、林里奈と伊藤清美なんて実は齢が八つ離れて―林里奈とハシキョンで三つ―ゐたりもする、何気に豪快なキャスティングの渡辺元嗣昭和63年第一作。不倫してゐる自分に酔ふ祥子と、祥子にアテられた陽子はどうかした勢ひの邪気の無さで不倫に焦がれる。そして今日子はそんな陽子が蔑ろにするヒロ君に、秘かに想ひを寄せる。女優部三本柱を軸に構築するとした場合、何気に超絶の完成度を誇らなくもない物語はその割に、ビリング頭と、今もあまり変らないといへば変らないナベがキレを欠き、一見すると他愛ない。かに見えかねないところから、それぞれの幻滅の末に三人が旧交を温める極めて穏当な着地点に、鳶が油揚げをカッ浚ふスパイスを効かせるラストは、パッと見以上に気が利いてゐる。大人びた、といふかより直截には背伸びした祥子と、気と尻のどちらがより軽いのか、どつちでもいい陽子。に、かなりハードコアな不思議ちやんの今日子。パーソナリティーが対照的どころかバッラバラで、何でこの面子で仲良しなのかよく判らない三人娘の、案外綺麗な青春映画。砂浜に配した―だけの―椅子とテーブルとビーチパラソルとでカフェ面してのける、堂々とした安普請の回避策は御愛嬌。

 とこ、ろで。クライマックスは、並走する横恋慕の実つた今日子V.S.ヒロシ戦と、スッぽかされた同士の陽子V.S.氷室戦の並走。ダサい通り越して馬鹿馬鹿しいズーム、略してバカズー三連打―をしかも各々繰り返す―で順に今日子と陽子は濡れ場を完遂に至る一方、祥子と斉巻の逢瀬は、何れも中途で端折られる。即ち、公開題でトリプルを謳ふエクスタシーは、実際の劇中ではダブルまでしか描かれてゐない。


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 「乙女の挑発パンティー」(昭和61/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/製作:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:小原忠美/撮影助手:中松敏裕/照明助手:鈴木浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・小林あい・秋本ちえみ・ジミー土田・山本竜二・鈴木幸詞・池島ゆたか《友情出演》・螢雪次朗)。出演者中幸嗣でなく鈴木幸詞は、本篇クレジットまゝ。
 無音の新東宝ビデオ開巻に一旦突き落とされた絶望は、最後そのまゝ普通に流れる本クレに救はれる。わざわざ無用の手間をかけて、余計な真似仕出かさなくていいんだよ。クレジットの如何を問はず、見れば新たに撮影したアダルトビデオなのか、流用したピンク映画なのかなんて大人なら大体判るだろ。
 夕暮れ空に、危ふげな劇伴が鳴る。その日婚姻届けを提出した新婚―貧乏―カップルの角田優(鈴木)と由絵(小林)が、記念にとホテルに時化込む。正式な結婚指輪の買へない角田が、由絵の左手薬指に通した指輪の大ぶりな赤い石に、オッカナイ秋本ちえみが透けて見える。人気のない廊下に魔子(秋本)がおどろおどろしく起動、一方美乳を堪能させ湯を浴びる由絵は、爪を黒く塗つた謎の二人組に犯される。何時まで経つても風呂から出て来ない、由絵に業を煮やした角田が覘いた浴室に、新妻の姿はなかつた。魔女の館的な異空間、由絵が全裸で十字架にかけられたゴルゴダみ爆裂するショット―怒られるぞ―を叩き込んだ上で、青バックでのタイトル・イン。ビデオ題は冠にビリング頭の橋本杏子、ではなく、小林あいを戴く匙加減。
 新宿のロングからカットを適当に連ねて、歌手を兼業にあくまで本業は探偵―とかいふ設定に特段の意味は一切見当たらない、前作でも何かあんのかな?―とする魔夜未来(橋本)の事務所。調査書に悪戦苦闘する未来を、相手にされない刑事・早川創元(螢)が冷やかしに顔を出す。欧米人ならソノラマ・スニーカーとでもなるのか、あるいはフランス・グリーンドアとか。フルスロットルな閑話休題、高校の後輩である由絵(ex.小林)から届いた結婚報告葉書に目を落とした未来は、葉書に緑色のスライム的な異物が滴る、幻影に慄く。胸を騒がされた未来がノーヘルの原チャリで角田家を訪ねてみたところ、由絵に変つた様子は別に見受けられない反面、心なしか憔悴した角田は浮かない顔をしてゐた。とこ、ろで。法令の改正と、撮影時期との兼合ひが判らないが、原付も含めた全ての単車に、全ての道路でヘルメット着用が義務化されたのは同じ昭和61年のことである。今の目で見ると、片側数車線のダダッ広い道路を、裸の頭で走る画がストレートに一番恐い。あと角田家が貧乏所帯の所以が、劇中角田に仕事をしてゐる様子が窺へない件。
 配役残りカメオの池島ゆたかは、角田が指輪を買つた、古物商「国際古美術百貨センター」の店主。この頃多用してゐた、軽く?化粧を施しユニセックスな造形。何処に如何なる形で出て来るのか全く読めなかつたジミー土田と山本竜二は、魔子の僕(しもべ)・裕矢と敏詩。裕矢は兎も角、敏詩といふのは何と読ませる気なのか。こちらの造形は、ピエロ的なメイクのショッカー戦闘員。遅れ馳せながら今回改めて気づいたのが、ジミー土田が案外小気味よく体が動く。
 少なくともきちんとタグ管理されてあるものに関しては、ex.DMMにいよいよ残り弾も僅かとなつて来た渡辺元嗣昭和61年最終第七作。単独第十三作で、年を跨いだ次作が、買取系ロマポ初陣の「痴漢テレクラ」(昭和62/脚本:平柳益実/主演:滝川真子)となるタイミング。
 探偵であるのを由絵の口から知つた角田に泣きつかれる格好で、未来は由絵が結局一人で帰宅してゐた失踪騒ぎ以来、夜な夜な別人格に変貌し角田も夫婦生活の間意識を失ふ、二人が苛まれる怪現象に首を突つ込む。ダーク系ファンタなナベシネマ、とは、いふものの。当時二十一歳の橋本杏子が全盛期を思はせる鮮度を爆裂させる、アイドル映画パートに中途半端にも満たないチャチい怪異譚がある意味見事に完敗し、全体的なトーンはとかく漫然か雑然としかしてゐない。魔子の正体は、昭和の始めに死んだ廃ホテルの女主人で色情狂の女―の亡霊―であつた。早川が未来と由絵を異界から一か八かで救出した正真正銘次のカットで、最終的な解決には至らないまでも、怪事件の真相が未来の口から唐突に開陳される。機械仕掛けの神様が登場する暇もない、木に東京タワーを接ぐ箆棒な展開には終にこの映画グルッと一周したと、観念にも似た感興を覚えた。魔子にさんざ貢がせた上で、張形二本を手切れに捨てた極道。のなれの果てである古美百センター店主が、実際張形を魔子に渡す件を、角田が来店した際とビジュアルに変更も加へずに古美百センター店内で撮つてゐては、昭和初期とされる魔子の死亡時期と否応ない齟齬を来す。止めを刺すといふか、寧ろ通常の範囲内とは全く異なつた別の次元に映画が突き抜けるのが、未だ囚はれる角田の奪還に、未来と早川が赴く最終決戦。十手を得物とした、未来美少女戦士ver.の意匠―多分オリジナル―が大概藪蛇なのは予熱以前。ジェット・ストリーム・アタック的な攻撃も敢行する裕矢と敏詩が、大雑把に説明するとゴン太くんにキャノン砲を生やしたやうなデザインの、チンコ怪獣に合体変身するのには度肝を抜かれるのも通り越してリアルに眩暈がした。いやいやいやいや、キマッてないつて。正気だつてば、ホントにさういふ映画なんだよ。俳優部の発声が粗いのか録音部が録り損ねたのかは知らないが、未来がチンコ怪獣を倒す、必殺技の名前がよく聞こえない辺りはこの期に及ぶと逆の意味で完璧。角田を解放するシークエンスを端折るのは兎も角、ラスボスたる愛子を実は倒してゐない。そもそも、安アパートにて角田が魔子に喰はれる絡みを四十分前の最後に、幾らエンドロール込みともいへ残り二十分を丸々スッ空騒ぎに空費してのける、尺の配分が完全にブッ壊れた構成が最早腹も立たない木端微塵。強ひてよくいへば凄いものを見た、直截にいふと、酷い代物を見たなんだけど。


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