「三十路義母 背徳のしたたり」(2012/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:エバラマチコ/撮影監督:坂元啓二/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/助監督:奥村裕介/音楽:與語一平/監督助手:山城達郎/撮影助手:大内泰・藤田朋則/スチール:阿部真也/現像:東映ラボ・テック/協力:小松公典・L.S.C/出演:結城みさ・宮村恋・姫野ゆうり・藤本栄孝・小林節彦・岩谷健司・倖田李梨・牧村耕次)。
タイトル開巻、配慮を欠いた旦那の意向で居間にて執り行ふ、初老の三枝達郎(小林)と、よくいふ“親子ほど年の離れた”といふのが、現に息子の二つ年上の後妻・季実(結城)との、再婚―季実は初婚だが―三ヶ月となるとそれはまだまだホヤホヤな夫婦生活。達郎のイケメンではあれコミュ障気味の息子・健吾(藤本)が、その様子を覗く。話としては健吾の気持ちも判らぬではないが、単純な色男といふよりは精悍な男前の藤本栄孝が、ナイーブな役所に若干フィットしない。達郎の前妻は二十年前に男を作り出て行つた三枝家には、目下若い義母に加へ季実の幼馴染で夫婦喧嘩中の土屋かおり(宮村)も転がり込み、思春期のやうな健吾の焦燥に火に油を注ぐ。達郎の存在を気にかけ、季実はかおりの敷居の低目な態度に苦言を呈するが、かおりは「それはアンタ達だつて同じだろ」と秘かに毒づく。全く以て、正論でしかない。
常態化して来たこの際、エクセスライクといはず事実上オーピーライクといふべきなのか、主演女優と同じくピンク映画初参戦の姫野ゆうりは、公園飯の健吾に気軽に接する、一般職の同僚・春日まひろ。意外といつては失礼だがなかなか達者な芝居勘を誇りつつ、またこの人は―本当に―豪快に詰め込んだな。それと中指を二本の間に入れず上から添へるだけの、正しくない割には器用な箸の使ひ方をする。岩谷健司は、達郎ほどではないにせよ矢張り結構年の離れたかおりの尻に敷かれる、稼ぎの少ないらしい夫・幸男。倖田李梨は―健吾V.S.かおり戦が追走する―年甲斐のない事の最中に腰をヤッた、達郎が入院する病院の看護婦と、後々紙袋一杯のグレープフルーツを抱へて再登場。そして牧村耕次が、辛かつたり甘かつたりするまひろのお弁当の作り主・西島新太。
ここに来て八幡の前田有楽劇場も小倉の名画座も、オーピー新作が滅茶苦茶な順番で飛び込んで来るのが逆に気懸りな、有楽に多分来月来る第四作を飛ばした竹洞哲也2012年最速第五作。もしかすると脚本料を渋つてゐるのか、昨今多く見られるこの期に及んでの素人もとい新人脚本家の起用も、竹洞哲也にとつては小松公典以外と組むのは初体験となるトピックも、協力に大き目の号数で名前を連ねる以上、小松公典の息が相当にかゝつてゐるであらうことは容易に予想され、ここでは怠惰にさて措く。映画自体に話を戻すと、定番の義母ものとはいへ腰から下をギボギボ滾らせるといふよりは、これは竹洞哲也の資質なのかそれともこれがエバラマチコの色なのか、首から上でウジウジした印象が強い。いつそ派手にブッ壊れて呉れた方が可愛げなりツッコミ処もあるものを、さういふ訳でもなく全般的には中の下辺りでパッとしない一作。唯一光るのは、大概な強引さともいへ三番手の濡れ場を、男主人公の抱へる家庭の事情に正面から直撃させたダイナミックな力技。尤もそれは、裸映画としての女の裸の消化法に関する秀逸さに過ぎず、物語本体の進行なり深化には殆ど関らない。当人以外の誰しもが躓くのも最早当然でしかない、そもそもヒロインの非常識な我儘に端を発した問題は幼馴染二人が時間差で妊娠した以外には何ら変化せず、未完性さを色濃く窺はせる健吾も、清々しくほぼ微動だに進歩してはゐない。初陣はだから未だ関門海峡を渡つてゐない以上未見の、宮村恋が小気味いいじやじや馬ぶりを披露し、姫野ゆうりも案外地に足を着けた不思議ちやんを予想外に定着させ得る反面、結城みさが最も心許ないパワー・バランスの他愛なさ、ではなく。寧ろこの際問ふべきは、さういふある意味想定じて然るべき逆風に、そのまま物語を曝した無策であるのかも知れない。ラストで季実の頬を綻ばせる健吾の何気ない一言は、流石に何気なさ過ぎる。小屋は訓練されたシネフィルの詰めかけるフィルム・センターなどとは違ひ、ピンク映画の観客は然程銀幕に集中などしてゐない。あるいは、然様な者供をも頑丈に惹きつけるだけの、それまでを展開した上でにして呉れまいか。まひろと西島に話を遡らせると、とりあへずエバラマチコの爪の垢を、煎じて三上紗恵子に飲ませたいといふのは、意図的に筆を滑らせた蛇足である。
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