真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「奴隷性愛 私のおもちや」(2003/製作:杉の子プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本・音楽:杉浦昭嘉/撮影:小山田勝治/照明:奥村誠/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:茂木孝幸/撮影助手:村田千夏、他一名/現場応援:広瀬寛巳/出演:松葉まどか・葉月螢・加藤由香・石川雄也・幸野賀一・井上淳一)。撮影助手もう一名と、照明助手に力尽きる。
 折角の休日だといふのに、増本庄司(石川)は勤め先のワンマン社長・門脇利夫(幸野)の家に引越しの片付けの手伝ひに来させられる。人が好い、といへば聞こえもいいが、詰まるところは意志の弱い庄司は人から頼まれると断れない性分で、これまでも度々泥酔した門脇を家まで送り届けさせられたりしてゐた。会社は休みの筈なのに営業なのか、水谷リコ(加藤)が仕事上の粗相をしたといふので、門脇は急遽取引先の森岡源氏(井上)の下へと向かふ。残された、門脇の妻・京香(松葉)と二人作業を続ける庄司は、京香の腕につけられた青痣を見付ける。荷物の中から星座早見表が出て来たことから、二人は庄司の趣味である星の話に花を咲かせる。庄司は門脇家からの帰り、つい疲れてウトウトし当たり屋の石野佳子(葉月)を車で撥ねてしまふ。楊貴妃が清少納言に贈つたとかいふ一千万する香炉が割れたと因縁をつけられ、あれよあれよといふ間に庄司は佳子の性奴隷に。ところで、楊貴妃と清少納言の生存時期はといふと、大まかに二百年の開きがあるのだが。
 かつて最終的には家族を捨てた父親の暴力から、母親を守れなかつた過去を持つ主人公が、同じやうに現在夫のDVに苦しむ女を今度は救ふ為になけなしの勇気を振り絞らうとする。といふ主題は明確かつ全く順当でもあるのだが、残念ながら最終的な出来上がりとしては大いに不発である。
 ピンク映画の劇中世界といふものは清々しく狭く、京香と佳子は友人関係にあつた。佳子は京香に新しく捕まへたおもちやを紹介、といふか自慢すると称して、二人でワインを飲んでゐた昼下がりに庄司を呼びつける。緊張して下を向いたままの京香を、先にその人と知つた庄司は激しく狼狽し、恥づかしいといふ方便で京香の前にはプロレス風のマスクを被り登場する。ひとまづ楽しんだ後、佳子は庄司を京香に残し、一旦外出する形で退場。とはいへ何も出来ずに、何もするつもりはない京香に対し、実は何気に満更でもなかつたりする庄司は、マスク姿のまま佳子に首に繋がれた鎖を、無言で京香に差し出す。このカットは杉浦昭嘉一撃必殺の自らの手による劇伴の力も活かし、恐らく狙つた通りのエモーションをモノにし得てゐる。体を重ねる途中で庄司は正体を京香に明かし、幼い弟は立ち向かつたのに、自分は母に暴力を振るふ父に対して何も出来なかつた云々といふ過去を語る。後日京香は庄司の苦境を救ふ為に、佳子が当たり屋であること暴露。そのことに逆上した佳子は、京香は若い間男と関係を持つてゐると門脇に密告する。激昂した門脇が殺してしまふのではないかといふ勢ひで京香を激しく殴打する現場に、今しがた門脇を送り届けさせられたばかりの庄司が、今度こそなけなしの勇気を振り絞つて飛び込む。も、結局非力な庄司はまんまと撃退され、門脇は後ろからフライパンで強打した京香に仕留められる。門脇は少なくとも未だ死に至つてはゐなかつたが、京香と庄司はひとまづ後先のことなど顧みず、“ペルセウス流星群が見えるところにまで”と逃げる。とここまでの展開に、一切の遜色はない、といふか素晴らしく正しく磐石である。ところが、そこから先が壊滅的に呆気ない。とりあへず車を走らせたものの、即座に四周を蛍光管に囲まれた黒布の上で、二人が締めの濡れ場を短くこなしただけでエンド・ロールといふ有様には、逆の意味で吃驚させられた。一歩手前までは極めて十全に積み重ねておきながら、肝心要の詰めの一手が、なつてゐない以前に殆ど成立すらしてゐない。ロー・バジェットを斜め上だか下だかに通り越したピンク映画であるからして、雨のやうに降りしきる流星群の中愉悦に浸る京香と庄司、の画を押さへて呉れとまではいはぬ。それにしても満天の星空、ですらなくともよいからせめて夜空の下での絡みくらゐは用意して欲しい。といふかそもそも、京香と庄司が二人して逃げ出してからが直ぐに、しかも極めて短くセックスして終り、といふのでは兎にも角にも尺が詰まり過ぎてゐる。かつての自分は父親の暴力から母親を救へなかつた。今度こそは、京香を救ふんだ、と庄司が飛び込んで行つたところで最高潮に達した、筈の物語はそのまま無体に投げ放される。更によくよく考へてみるならば、斯様に消化不全どころか食事の最中に戻してしまつたかのやうなメイン・プロットに対し、サブ・プロットは変に、あるいは直截には無駄に充実してゐる。庄司が佳子に性奴隷として虐げられる件は、タイトルにもその旨ある時点で、会社からの要請として不可避であるやも知れぬことくらゐは、素人の想像にも難くはない。とはいへ御丁寧に幾つもの場面を跨いで、伏線まで設けて描かれる門脇がリカを森岡に差し出す肉接待などは、欠いたとて何ら問題はなかつたとしか思へない。おとなしく加藤由香の扱ひに関しては濡れ場要員に徹して、空いた尺と残した勢力とを、二人手と手を取り飛び出した後の、京香と庄司の物語乃至は姿に注ぎ込めなかつたものか。釣り逃がした魚が大き過ぎる、極めて残念な一作である。
 正直不要に思へるリカ肉接待の一幕、机の下では門脇が裸足の足の指でリカの女陰を愛撫してゐるところへ、スタッフの何れかか見積もりを持つて来る男性社員が一名登場。ここでの、周到に首から上を抜かないカメラ・ワークは、地味に流石である。

 ところで、まるで今作の内容とは無関係の話ではあるが。解せない、といふか世の中何がどうなつてゐるのかと驚かされたのは、あの―どのだ―清水大敬が、「双子姉妹 淫芯突きまくり」(2002)以来六年ぶりともなる新作を発表してゐること。別の意味で、あるいは怖いもの見たさ以外には食指も積極的に動きはしないが、さうなると「ラブホテル 朝まで生だし」(2005)以降新作の途絶えてゐるのが一ファンとしては気懸りな、杉浦昭嘉にもまだまだ芽があると変に期待してしまつてもいいのであらうか。


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 昨年九月末に消滅した旧本館より戯れのサルベージ企画、今回は“ゼゼ・ストライクス・バック”な衝撃作、「肌の隙間」(2004/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター/監督:瀬々敬久/脚本:佐藤有記/撮影:斉藤幸一/音楽:安川午朗/助監督:坂本礼/出演:不二子・小谷健仁・伊藤洋三郎・飯島大介・吉村実子・三浦誠己・佐々木ユメカ、他)の、最周縁の枝葉に関するよしなし、好き勝手するにもほどがある。

 疲れ果てた少年の腕を自らの腰に回して縛りつけ、二尻の赤い原チャリを転がす女。母親を刺し殺してしまつた引き籠りの秀則(小谷)と、ダウン症の母親の妹、即ち少年からは叔母に当たる妙子(不二子)の、予め全てが失はれた逃避行。いふなればATGで「地獄の逃避行」をリメイクすれば、こんな塩梅になつたのではなからうかとでもいふべき趣向の、絶望的にソリッドなロードムービーである。バジェットはミニマムな映画ゆゑ、スタッフ・キャストとも殆どピンク映画と変らない。といふかピンクなのか、一応。エンド・クレジットの長さなどハリウッド大作映画の1/30程度以下であらうが、そんな中にも一つ二つと、引つかゝり処がある、まづはキャスト。出演者として佐々木ユメカの名前が見られるのだが、佐々木ユメカなんて全体何処に出てた!?どの道一度や二度は再見するつもりの映画であつたので、その点も確認すべく、初見の二日後に再び小屋の敷居を跨いだ。さうしたところユメカ発見、普通に観てゐる分には恐らく発見出来まいと思はれるので、ここに佐々木ユメカの出現ポイントを公表する。それは最早出演シーンなどではなくして、出現ポイントのレベルである。といふかそもそも、私はそこそこのスクリーンの大きさを誇る故福岡オークラ2で観たから何とか見付けられたものの、たとへば後に一般公開もされたミニシアターでなり、スクリーンの小ささによつては凡そ発見出来ないかも知れない。家のテレビでDVDなどといふと、まづ不可能にさうゐない。
 そんな佐々木ユメカ出現ポイントとは、冒頭、妙子が秀則を乗せ危なつかしく転がす二尻の赤い原チャリを、クラクションを鳴らし一台の車が追ひ抜いて行く。助手席から、二人を振り返る男の子が、男の子は明確に抜かれる。その車を運転する恐らく母親役が、佐々木ユメカである。バックミラーに一瞬だけ、本当に一瞬だけ、その割にはカメラ目線気味にチラッと映り込む。判んないよ、そんなの!もしも何の準備もなく一度観ただけで佐々木ユメカを確認出来る観察力の持ち主ならば、その人はポワロにでもなれると思ふ。
 もう一つ今度はスタッフ、音楽に安川午朗とあるのは何の冗談か。映画を通して聞こえて来るのは全篇同録の現実音と、正直聞き取り辛い台詞のみで、一切の劇伴なんて見当たらもとい聞き当たらないのに。エンドロールも矢張り無音、超音波でも出してゐたのか。


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 「エロ探偵 名器さがし」(2004『痴漢探偵 ワレメのTRICK』の2008年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:深町章/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映ラボ・テック/出演:里見瑤子・山口玲子・華沢レモン・佐々木麻由子・岡田智宏・モテギタカユキ・港雄一)。出演者中、モテギタカユキは本篇クレジットのみ。
 探偵の銀田一耕助(岡田)が、山中奥深い六つ墓村を訪れる。まあ何時もの、水上荘周り。これまで本家で金田一耕助を演じた役者も数あれど、個人的に原作のイメージに最も合致するのは石坂浩二ではないかと常々思ふ身としては、グシャグシャの髪までコスチューム・プレイとしては十全に仕上がつてゐるにせよ、岡田智宏では矢張り今風にハンサムなのは兎も角、体格が良すぎる。ピンク勢の中からセレクトするとした場合、少々背が高いがメガネを外させれば国沢実辺りが雰囲気としては悪くないか、園部亜門だとなほ高い。髪型だけなら、坂入正三でピンポイントなのだけど。
 六つ墓村旧家の当主・犬山岩造(港)が、満月の夜急死する。心臓の弱い岩造が、禁じられてゐた性行為を致したことにより引き起こされた発作が死因らしい。犯人と疑はれた犬山家元女中の山本玉子(里見)が、銀田一を村に招いたものだつた。行儀見習として犬山家に入つた玉子は岩造に手篭めにされ、後に妊娠すると雀の涙程度の始末金とともに放り捨てられる。確かに岩造を殺したいほど憎んではゐるが、実際に殺した訳ではないと、玉子は銀田一に訴へる。続けて銀田一は、岩造の娘・澄子(佐々木)を訪ねる。実は玉子に銀田一を紹介したのは自分であるといふ澄子には、父殺害の真犯人探しのほかに、もう一つ別の思惑があつた。
 事件当夜、はふはふの体で門前にまで辿り着いた岩造は、「三だん・・・かずのこ!」といふ謎のダイイング・メッセージを澄子に遺し絶命する。ここで岩造が悶死する際の、港雄一十八番の確信犯的な大根演技は絶品。果たして、「三だん、かずのこ」とは何を指すのか?といふ間もなく、カット尻も乾かぬ即座に、銀田一が“三だん”は三段締め、“かずのこ”は数の子天井だといふ次第で、三段締めの数の子天井、即ち極上の名器の持ち主である女を捜し始めるとかいふサクサクした展開は、幾らピンクとはいへ探偵ものの体裁を採つてゐる以上、もう少しどうにかならなかつたものか。銀田一は矢張り犬山家の元女中、兼最近まで岩造の愛人で、現在は小料理屋を営むキン子(山口)の下へと向かふ。キン子と玉子で・・・・以下略、といふのもあんまりだ。銀田一はキン子攻略に易々と成功するものの、キン子は三段締めの数の子天井はおろか、ガバガバの太平洋とでもいふべき凡器の持ち主であつた。銀田一がキン子に挿入する度に鳴る、さざめく波の音効が笑かせる。頭を抱へた銀田一が玉子確認の要も覚え玉子宅へ足を向けようとしたところ、折よく玉子は恋人と情交の最中であつた。モテギタカユキは、顔は映されないここでの玉子恋人か。観音様の具合が悪い為、フィニッシュは尺八で迎へようとする恋人の言葉に、銀田一は玉子も三段締めの数の子天井の持ち主ではない、と落胆する。途方に暮れ神社で考へ込んでゐた銀田一は、村娘のまり子(華沢)と出会ふ。
 最後に登場する華沢レモンに物語の核心を握らせる構成は、三年後に「やりたがる女4人」でも踏襲されてもゐる。ダイイング・メッセージについては等閑とはいへ、残るもう一つの謎、岩造の筆による一茶の句の認(したた)められた色紙に隠された犬山家財産の隠し場所に関しては、謎解きとしてそれなりに段取りも踏んである。大オチも爽やかに物語を締め括る一押しとして有効、新版ポスターにその文言は勿論見られないが、「新東宝映画創立四十周年記念作品」と構へられては些か大仰ではあれ、よくいへば肩の力を抜かせて観させる一作である。
 コッソリ備忘録< 三段数の子の持ち主はまり子、但しその旨を、銀田一は澄子に秘す。割れ目岩の金庫の中から出て来たのは借用書の束


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 「女医の清浄下半身 味はつてみたい!」(2000『ノーパン女医 吸ひ尽くして』の2008年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影:小山田勝治・岩崎智之/照明:上妻敏厚・永井日出雄/音楽:中空龍/助監督:松岡誠・加藤義一/制作:鈴木静夫/出演:葉月ありさ・河野綾子・篠原さゆり・杉本まこと・やまきよ・石川雄也/special thanks:荒木太郎・麻生みゅう)。special thanksの二人は、本篇クレジットのみ。
 夫・高崎浩市(杉本)が院長を務める総合病院に勤務する産婦人科医の桃子(葉月)は、階段で看護婦の若葉なつみ(河野)と擦れ違ひざま踊り場に、股間にはモーター付バイブを淫靡にくねらせながら、全裸大開脚で自慰に興じる自らの幻想を見る。開巻を威勢よく飾る、いきなりギアもトップに入れてのアクセルの踏み込み具合は麗しい、天晴だ。仕事にもプライベートにも何の不満も無い筈なのに、何か言ひ知れぬ不安を覚える桃子は現にバイブに溺れてゐた。桃子は、妊娠の兆候を見せる虹川晴美(篠原)を診察する。special thanksの内麻生みゅうは、桃子の診察室の看護婦・谷村、純然たる診察シーンのみに登場。経過は順調なものの未婚である晴美は、含みを持たせた視線を桃子に向ける。さういふ所作が、デフォルトで謎めいた篠原さゆりには素晴らしくフィットする、配役の妙といへよう。桃子の自慰と被せられる、濡れ場には体つきが似てゐる分正直混同も覚えたが。元々は出入りのリネン業者で、現在は糖尿病で入院中、そして特にその必要もないのに趣味で車椅子に乗り病院内を無闇に徘徊する橘進二郎(やまきよ)は、晴美の正体に関して、桃子に秘密の存在を匂はせる。
 <夫の愛人、しかも妊娠してゐた>女を知らずに診察してゐたことに衝撃を受けた女医が、産婦人科検診台の上に裸の下半身を自ら晒し、入院患者の肉棒を次々と迎へ入れるに至る豪快な物語。桃子の囚はれてゐた不安は、実は不安などではなく単なる浩市との夫婦生活に対する不満であつた。などと人を小馬鹿にでもしたかのやうな即物性は、寧ろ人間的で潔いといへなくもない。それはそれとして、例によつてセックスを女の側から主体的に描くことが信条の浜野佐知にあつて、橘の思惑の斜め上を行くところまで含め桃子の豹変は一種の開放として描かれるのだが、流石に豪快も通り越して、些か調子が良過ぎはしまいか。クライマックスの乱交ショーのアイデアを打ち明けられるに当たり、橘は幾ら何でもそのやうなことをしてはマズいのではないかと狼狽する。すると決然と橘を遮り桃子は、「私の体は、夫の私有財産ぢやないわ」。いやだから、橘はさういふことを危惧してゐる訳ぢやないんだよ。桃子が自らを乱交に供ずることに関しては、橘としても都合よく恩恵に与ればよいだけのこと。それを何も、夜とはいへ診察室で仕出かすのはリスキーにも程がないかといふことをいつてゐるのである。今時の“本当の自分発見☆”にも似た、一抹の浅墓さが拭ひ切れぬところではある。さういふ部分に向けられる秘められた悪意、乃至は蔑視といふのは、浜野佐知の視座中にあるものでは恐らくなく、単なる無造作であらう。
 主演の葉月ありさは、硬質な顔立ちと程よく締まつた体躯とが際立つ。オッパイは多少小ぶりなものの、開巻の踊り場バイブ・オナニーから火を噴く、その細腰の何処にそのやうな力が秘められてゐるのかと目を見開かされる、ダイナミックな腰使ひは圧巻。<晴美が浩市の愛人である>ことを知り吹つ切れた上での、深夜の病室に橘を強襲してのまるで肉食獣が獲物を貪るかのやうな騎乗位には、監督の演出意図と絡みの煽情性との、ピンク映画として極めて幸福な一致が咲き乱れる。石川雄也は、大胆にも院長婦人に好意を寄せる、常識的には無謀な同僚医師の星野薫。もう一人の特別出演勢・荒木太郎は、乱交ショーの際唯一実際に桃子に接する患者。他に病室の外で順番待ちする行列に、計五名見切れる。なつみの濡れ場は、橘を相手に開陳。


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 「桃肌女将のねばり味」(2007/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:当方ボーカル/撮影監督:創優和/助監督:山口大輔/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:丸山秀人/照明助手:小松麻美/音楽:與語一平/挿入歌『sunny days』作詞・作曲・詩:キョロザワールド/協力:松浦哲也・菊屋うどん・加藤映像工房・直井卓俊、他/出演:沢井真帆・倖田李梨・青山えりな・松浦祐也・岡田智宏・サーモン鮭山・吉岡睦雄・なかみつせいじ)。脚本の当方ボーカルは、性懲りもない小松公典の変名。
 他愛もなく須藤幸(青山)・憲二(岡田)夫婦が朝寝坊しただのしないだの、二人の朝つぱらからの夫婦生活を、エロ本からエロテープへと時代を爽やかに逆行した番田礼(断髪前の松浦祐也)がボイスレコーダーで盗み録りだのと、上滑り気味の開巻。幸の父親で番田が勤めるうどん屋の大将・箕輪一義(なかみつ)は、看板娘の北村花子(吉沢明歩/写真と、バンクと思しき声のみの登場)が幻のギザ十を探す旅に出て以来、魂を抜かれたやうな日々を送つてゐた。「恋味うどん」の後日譚にして、中核を担ふ一義修行時代の回想が、いはゆるエピソード0ともいふべき続篇である。前作に於いては、真心をぶつきらぼうに包み隠した不器用な料理人であつた筈の憲二が、ガムを噛みながらうどんを茹でてゐたりする全般的な軽さに違和感も覚えつつ、旅先で花子と仲良くなつたといふ、世界を股に挟むキューティー・アイドル“ソフィービー・ルミ”(サーモン)がメッセージ入りの写真を一義に手渡す為に登場するに至つて、この映画は果たして、本題に取りかかつて呉れるものかと本格的に不安に駆られる。どうやら棹も取つてしまつたらしいルミは花子からの伝言と共に、何故か純然たる普通の郵便物も持参してゐた。古い知己夫婦から子供の結婚式の招待を受け取つた一義は目を細め、幸は、そんな父の様子の変化に興味を覚える。娘に乞はれ、一義はうどん修行の為に実家を出て、全国を放浪してゐた頃の思ひ出を語り始める。
 回想パートへの入りは関根和美も吃驚するくらゐにぞんざいなものの、そこに飛び込んで来る、大胆な二役で若き日の一義に扮する松浦祐也が、怒涛の決定力で些細は易々と薙ぎ倒して行く。放浪時代の一義こと松浦祐也は、髪を最終形態のトラヴィス・ビックル一歩手前にまで刈り上げると、濃赤のスーツに華麗に合はせるのはダボシャツと腹巻!斯様な風体が何の疑問も遜色も感じさせずにサマになるといふのも、誠稀有な存在感であらう。私見では日本映画界最も輝ける青春を身に纏ふ男・松浦祐也の、正攻法での全力を久々に堪能出来るのかと、いやがうへにも期待は高まる。一義は下田で、自ら考案したダイエット法「リリーズ・ブート・キャンプ」の普及を夢見るリリー(倖田)と出会つたばかりなのに早速男女の仲になると、バイト先だといふ民宿兼うどん屋に連れて行かれる。その店のうどんの味に魅了された一義は、強引に住み込みを申し出る。店は急死した父親の跡を継いだ若女将の所秀子(沢井)と、昔気質の料理人・仲村伸介(吉岡)の二人で切り盛りしてゐた。十五で秀子の父親に弟子入りした伸介は秀子とは兄妹のやうに育ち、やがては二人が一緒になり店を継ぐものと周囲からも思はれてゐた。然し伸介は料理人として師匠の味を超えることに固執し、超えるべき対象の死後、秀子と伸介の仲は一向に進展しないままギクシャクしてゐた。
 本題のエピソード0に漸く突入したとはいへ、後述するが疑問を残す濡れ場なども挿みつつ、暫くは相変らず物語が纏まらない。挽回を果たすには更に若干の時間を要し、胸に抱いた大志の為に渡印するリリーが、夢見て戦ふ者達に力強いメッセージを残し一旦退場する辺りから、漸く映画は重い腰を上げ走り始める。自身の修行と並行して、ままならぬ秀子と伸介の為に一義が一肌脱ぐ件は、青春映画の鉄板をキラキラと完成させる。主演の沢井真帆は、愁ひを感じさせる表情が止め画としては悪くないものの、お芝居の方は正直全く心許ない。いふまでもなく、空騒がせず黙らせておけば顔の造作の貧しさばかりが際立つ吉岡睦雄も、寡黙で不器用な料理人なんぞ初めから柄ではない。さういふヒロインと相手方はさて措き、堂々と物語の進行を牽引する松浦祐也が素晴らしい。エキセントリックな基本造形ながら、要所要所は堅実にガッチリ締める地力が、展開の隅々にまで漲る。番田礼ver.の怪演まで含めて、硬軟両面に堪能出来る松浦祐也の本格が、何はともあれ今作の白眉。本篇続篇との二作を比較した場合、一義自身の物語と、一義の幼馴染夫婦、一義と娘夫婦との関係、と大きく柱が三つに分散してしまひ、結果ヒロインの決定力不足も相俟ち最終的には全般的な構成の勘所を取り逃がしてしまつた感もある前作に対し、余計な瑣末も多い反面、所々でのリリーの効果的なアシストも借りた上で、トータルでは外れる横道も無く完全に松浦祐也一本の映画として仕上がつた、今作に分があると見るものである。塩むすびは兎も角、相部屋の中央に引いた子供染みた境界線までも、鮮やかに回収してみせる脚本の冴えも光る。小松公典も性懲りもない変名を捏ね繰り回してゐる暇があれば、覚悟を極めたオーソドックスの正面戦を展開するべきではないのか。一部のマニアには受けるのか自閉的な小ふざけに終始してゐたところで、何処へ拓ける道でもなからう。竹洞哲也×小松公典×青山えりな×倖田李梨×松浦祐也×サーモン鮭山、竹洞組の面子でメインストリームに真剣勝負を挑んだ、正攻法の娯楽ピンクが観たいところではある。

 尤も一つ大きな疑問を残すのは、伸介への悪口を叩きながら一義が風呂に入つてゐると、それと知らずに秀子が風呂場に入つて来る。そのまま満足に乳も隠さぬ秀子と、一義との絡みが妄想としてオトされもせずに繰り広げられてしまふのは大いに如何なものか。後の、終に結ばれる秀子と伸介との濡れ場を今作のクライマックスに設定するならば、ここでの理解不明な秀子の尻の軽さはその妨げにしかなるまい。加へて、風呂桶は空であることが見切れてしまふミスも。


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 昨年九月末に消滅した旧本館より戯れのサルベージ企画、今回は「俺たちの勲章」第十五話、「孤独な殺し屋」等に関する雑感である。パンドラの箱を、開けてしまつたやうな気がする。

 小生ドロップアウトは高校生の頃に、非常に判り易くもあるが「探偵物語」の再放送に呆気なくノック・アウトされて以来、松田優作の大ファンである。同様の者は周囲にも大変多く、さういふ文脈で私は最も多感な時期に「探偵物語」再放送の直撃を受けた自分達の世代を、“優作セカンド・ジェネレーション”と総称してゐる。松田優作の映画やテレビ・ドラマの中で(未見のものもあちこちあるが)、どれが一番好きかと問はれたならば、それが作品として最も完成度が高い、ともそこに出て来る優作が最高にカッコいい松田優作である、とも決して思はないが、それでもなほ一番好きなのは、心から好きなのは「俺たちの勲章」である。
 「俺たちの勲章」(日本テレビ/昭和50年 4/2~9/24、全十九話/製作:東宝株式会社)。事件解決の為には手段を選ばず、何時も始末書を書かされてゐるクールでワイルドな中野(松田優作)と、優し過ぎるが故にしばしば感傷的で、生真面目過ぎるが故に融通が利かない新人刑事の五十嵐、ことアラシ(中村雅俊)。かういつた二人の対照的なはぐれ刑事が織りなす、青春の輝きと挫折とを描いた作品である。と、バップ公式サイトの解説を殆ど丸パクりして適当に掻い摘んでみたが、個人的には「俺たちの勲章」とは、ダメ人間の、ダメ人間による、ダメ人間のための刑事ドラマである。
 行きつぱぐれたダメ人間が、同じやうに世界の片隅の更に最周縁で生きてゐるやうなダメ人間相手にやり切れない犯罪を犯し、それを矢張り警察組織の中でストレートに行きつぱぐれてゐるダメ刑事が捜査する。加害者も被害者もダメ人間のダメ犯罪をダメ刑事が捜査する。ダメ人間の犯罪者をダメ人間の刑事が逮捕しはするものの、それで何かが解決したのかといふと、実は何もかもが全く解決されてゐない。世界からはみ出してしまつた者ははみ出してしまつたままで、世界から零れ落ちてしまつた者は零れ落ちてしまつたままで、矢張り何もかもは全然解決されてはゐない。何一つ、誰一人救はれないままである。ダメ人間相手に罪を犯したダメ人間の犯罪者をダメ人間の刑事が逮捕したところで、駄目なものは依然として駄目なままなのである。事件としては一応ひとまづ表面的には解決を見たものの、実のところは何一つ、誰一人救はれぬままに、「切ない野郎だぜ」、とか何とか優作がミスタースリムをキメてその回は終る。
 要はさういつたビートで全篇貫かれた全十九話は、お利口に群れの中に留まる九十九人にとつては辛気臭く、時代遅れとしか映らない代物に過ぎないのかも知れないが、私にとつてはエモーショナルなことこの上ないドラマである。全てはダメなものがダメなままで、一切救はれず、まるで報はれず仕舞ひのドラマであるにも関はらず、それでもダメなもの達が精一杯美しく、精一杯カッコ良く描かれた「俺たちの勲章」が、愛ほしくて愛ほしくて仕方がない。文字通り、70年代から時代を越えて俺達に届けられた勲章なのでは、とすら思へて来てしまふ程である。たとへそれが、ブリキであつたとしても。

 全十九話の中でも、私がとりわけ一番大好きなのは、第十五話「孤独な殺し屋」(監督:山本迪夫/脚本:鎌田敏夫/ゲスト主演:水谷豊)である。
 水谷豊、若い頃は本当にカッコ良かつた。大好きである。私は優作も大好きではあるが、優作のセンを狙ふにしては、首から上の造作をひとまづ等閑視するものとしても、タッパは足りず、足も短い。その点水谷豊ならば、まあ全身全霊を込めて勘違ひでもすれば、それもそれとしてどうにか何とかなるかも知れない。恥も外聞もかなぐり捨てて吐露してしまへば、私は水谷豊になりたい。私は水谷豊が大好きである。が、大好きだつた、といつてしまつてもよい。
 滅茶苦茶なことをいふが水谷豊には、三十年前に死んで貰つてゐても構はなかつた。といへば筆を滑らせるにも程があるならば、引退して貰つてゐても構はなかつた。役者はテレビに出ては駄目である。といふのは些かならずいひ過ぎであるやも知れぬが、役者はテレビに染まつてしまつては駄目ではなからうか。現象論レベルで安直に金を儲けてしまふ、現し世の中で安穏と位置と名声とを得てしまふといふこともさて措き、それは矢張り、より本質的には今既にあるこの世界と、容易く相容れてしまふことを意味するのではないか。三十年前といふのは「熱中時代」の始まつた、昭和五十三年を指す。
 私が心から大好きな水谷豊は、心から大好きだつた水谷豊は、刑事ドラマでダメ人間の犯罪者を繰り返し繰り返し演じてゐた、それこそ同一シリーズに、ヘビーローテーションで何度も何度も犯人役で出て来てゐた頃の水谷豊である。因みに、を通り越して殆ど当然とでもいはんばかりの勢ひで、水谷豊はたつた全十九話の「俺たちの勲章」の中で、十五話の他に第八話の「愛を撃つ!」にも勿論犯人役として登場してゐる。
 「孤独な殺し屋」。役名等は失念してしまつたが、水谷豊は母親を殺し行き倒れかけたところを、殺し屋集団の元締めに拾はれる。以後元締めこと「おやじさん」の下で、アイス・ピックを得物に標的を仕留める殺し屋になる。
 そんな水谷豊が行きつけの定食屋の娘の気を惹かうと、冗談めいて「俺は殺し屋だよ」、と口を滑らせたところから、組織の保全を危ぶむ「おやじさん」から、別の殺し屋を差し向けられる羽目になつてしまふ。クライマックスは、放たれた刺客を全て返り討ちにした水谷豊が、海に浮かぶボートの上に「おやじさん」と二人。

 「俺、おやじさんに死ねといはれれば死んだよ。それなのに俺を殺さうとすることなんてなかつたぢやないか」。微妙にビブラートする、水谷豊のエロキューションが狂ほしく泣かせる。

 親を殺し、もうこの世界の何処にも身の置き処の無くなつてしまつた孤独な殺人者。「俺、おやじさんに死ねといはれれば死んだよ」。そこまで信頼してゐた最後のただ一人にすら、終には冷たく背を向けられる。最終的に、水谷豊は「おやじさん」をも殺し、追つ手にパクられる前に、常備してゐた毒薬で自ら命を絶つ。この時、この頃の水谷豊といふ役者は、誰からも愛されぬ者の哀しみを全速力で体現してゐた。そこが私は大好きだつた。誰からも愛され得ぬ者である、所詮この世界の中で上手く生きて行けやうもあらうか。ポケットの中には何も無く、隣りにも誰も居ない。この先も行く当てもあるものか。ただ、それでもさうした者のみが、この世界の何処にも寄る辺を持たない以上、たとへ非力で無様であつたとしても、独りで屹立し得た、独り屹立を試みた者のみが到達し得る真実といふものがあるとすれば。さうした者どもでなければ体現し得ないエモーションといふものもあつたとしたら。役者はテレビに染まつてしまつては駄目ではなからうか。今既にあるこの世界と、相容れてしまつては詰まらない、といふのはさういふ意味である。

 まるで話は飛んでしまふが、水谷豊絡みの大好きなエピソード。長谷川和彦が「青春の殺人者」を撮るに際して、水谷豊に声を掛けた時の遣り取りである。
 「お前、ジェームス・ディーンやらないか?」、
 「やります」。
 こんなカッコいい会話、映画の中でも聞いたことがない。


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 「性犯罪捜査 暴姦の魔手」(2008/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:フィルムクラフト/助監督:三谷彩子/スチール:小櫃亘弘/撮影助手:浅倉茉里子・塚本宣威/効果:東京スクリーンサービス/出演:倖田李梨・小峰由衣・芹沢明菜・天川真澄・津田篤・なかみつせいじ・牧村耕次)。
 出署初日、出勤途中に呼び出された新米刑事の相田紗希(倖田)は、病室で顔面を崩壊させられた憐れな監禁レイプ被害者の工藤瑞穂(芹沢)と、コンビを組むことになつたといふ古参刑事・平井雄一(なかみつ)と対面する。瑞穂に付き添ふ女医は、定石からいふと三谷彩子か。里見瑤子にも見えたのは、猛烈に自信がない。犯人の遺留品は、指紋も検出されない玩具のネックレスのみ。ひとまづ捜査を開始した二人は、犯行当日出歩いてゐた、といふだけで逮捕令状が出るのも幾ら何でもあんまりかと思ふが、強姦罪の前科がある塚田誠(牧村)をそ引く。塚田には舐められながらも紗希が取調べを続ける中、第二の被害者が保護される。
 しつこいやうだが何度でもいふ、ピンク映画―の安普請―で、犯人探しのサスペンスを展開するのは土台無理だ。といふか、今作の場合それ以前の問題。開巻は、廃屋での瑞穂監禁シーン。大仰な鬘とマスクとで姿をすつかり隠してはゐるものの、声と特徴ある台詞回しにより犯人がその人とは極めて容易に割れてしまふ。よしんば冒頭に犯行を犯人込みで見せておいて、名推理が予め観客全員の知る犯人を追ひ詰めて行く過程が肝となる、たとへば「刑事コロンボ」シリーズのやうな方法論もなくはない。とはいへそれにしても火に油を注ぐ、のも通り越して完膚なきまでに止めを刺してみせるのは、玩具のネックレスと被害者の誕生日とを鍵に、紗希が犯人に辿り着く迷推理、あるいは酩推理の過程が素晴らしく理解出来ない点。ピースが足りないのかプロセスを飛ばしてゐるのか、何がその没論理の所以になつてゐるのかも判然としない有様で、全く以て話にならない。腹を立てる気力すら失せる、逆の意味での完全なる凡作。
 天川真澄は、(半?)同棲状態にある紗希の恋人で外科医の相馬大樹。津田篤は、紗希の塚田取調べシーンで調書を取る記録係(と、クレジットされる)。その取調べ室にしても、らしい空間を用意する手間を惜しみ、部屋は妙に広く、椅子も三脚繋がつた長椅子の上に机は低い硝子テーブル。何処の応接室あるいは待合室なのだといふ満遍ないルーズさも、今作の不出来を鮮やかに象徴する。濡れ場の恩恵にも与れず悪態をつきにだけ呼び出された牧村耕次は、後に電話越しの本部長の声として再登場、紗希が手探る犯人の疑惑を一応ツモる。小峰由衣は、劇中二人目の被害者・新垣結衣。結衣ファースト・カットは病室での瑞穂と同じく、顔面を包帯でグルグル巻きにされた状態のゆゑ、仕方もないのか矢張り一工夫欠いたのか議論の分かれる混同を生じる。小峰由衣と芹沢明菜と、脇を固める女優も抜群に見目麗しい綺麗処を二人並べておきながら、ダークで今ひとつ乗り切れない上、全くシチュエーションは同一の代り映えしない濡れ場で浪費してしまつてゐる始末。いよいよ、全方位的に救ひやうもない。

 他に、回想の紗希捜査シーンで聞き込みを受ける、初老の男が登場。因みに松原一郎第二作「ブログ告白 熟女のエロい尻」(2006/脚本:水上晃太・関根和美/主演:ちさと)に於ける、セーラ服で武装したサンドラ(佐々木麻由子)と対戦する男と同一人物、関根和美といふことでいいのであらうか?

 以下はプロジェク太上映の地元駅前ロマンに於ける再見を踏まへての付記< 瑞穂に付き添ふ女医は、矢張りどうしても里見瑤子に見える
 デジタル化後の新生有楽で再見しての付記< 紗希が接触する初老の男は矢張り関根和美、重ねて、看護婦も里見瑤子に見えるんだけどなあ


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 「喪服レズビアン 恥母と未亡人」(2006/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:山内大輔/企画:稲山悌二/プロデューサー:五代俊介/撮影:原田清一/照明:小川満/撮影助手:織田猛/照明助手:八木徹/助監督:竹洞哲也/監督助手:小山悟・安達守/ヘアメイク:徳丸瑞穂/制作協力:フィルムハウス/出演:田中梨子・矢藤あき・日高ゆりあ・柳之内たくま・柳東史)。
 開巻、どうやら肛姦らしいが絶妙に明示はされない杉村里絵(田中)と、夫・良一(柳)との夫婦生活。結婚も三年目にして擦れ違ひ気味の夫婦の雰囲気は、偏に柳東史の尽力で辛うじて伝はりはするものの、主演の田中梨子、まあ表情に全く乏しい女である。モノローグの棒読みぶりも、最早爽やかさすら感じさせる領域に突入する。綺麗に纏まつたスタイルは、全く申し分ないのだが。買ひ物帰り、我慢し切れなくなつたのか公園で「でん六」のピーナッツチョコを摘んでゐた―どうでもいいが私も大好きだ―里絵は、堂々と学生服姿で慣れないタバコを吹かす少年・横井俊雄(柳之内)と目が合ふ。帰宅後里絵が一息ついてゐたところ、後をつけて来たのか俊雄が手洗ひを借りに不意に来訪する。用を足すと、今度は水を所望する。そのままなし崩し的に里絵が俊雄に抱かれるのは、他愛もない午睡の淫夢。そこに、呉服の訪問販売員・横井光子(矢藤)が実際に現れる。断りかけた里絵を制し強引に上がり込んだ光子は、五十万の喪服を勧める。高額の買ひ物に逡巡する里絵に対し、旦那さんにも御相談をと、光子はその日は喪服を預けて行く。然しその夜、良一は帰宅しなかつた。浮気相手の部下・ミホ(日高)宅から、ミホに押し切られるままに戻らなかつたのだ。次の日から良一は、妻との旅行と偽り一週間の有休を取る。心配して会社に電話してみた里絵は、夫の大胆な不貞を知る。吹つ切れた里絵は再び公園に俊雄を探し出すと家に連れて帰り、良一は居ぬ間の爛れた愛欲の日々をスタートさせる。一方俊雄は、ピンク映画の劇中世界といふものは清々しく狭く、光子の義息であつた。しかも夫は死去後、何故か挿入未満の肉体関係まで結ぶ。俊雄の様子の変化に女の存在を感じ取つた光子は、訳の判らぬ激しい嫉妬心を燃やす。
 女優陣の粒は揃つてゐる為桃色の実用性には事欠かないものの、物語の中身は感動的なまでに薄い。喪服未亡人ものといふことで、予め命運も決せられた良一は―死亡―フラグを二度は回避しつつ、最終的には呆気なく交通事故でちやんと急死する。光子が喪服は買はせておきながら里絵を俊雄に近付くなと陵辱し、それを押入れの中から覗いてゐた俊雄はといへば、情けなくも義母に恐れをなし里絵を捨て逃げ帰る。独り取り残された里絵が、「お願ひ、誰か私を慰めて・・・!」と光子に突つ込まれたバナナを、今度は自ら女陰に宛がふ無体なラストには、あまりにも何がしたかつたのか理解に遠く、この期に及ぶと腹も立たない。邪推するに「喪服未亡人」とエクセス裏定番の「恥母」とのといふ、自由奔放にアヴァンギャルドな二題噺をエクセスから要求された山内大輔が、頭を抱へつつそれでも何とかその無茶な御題に果敢に挑み、それなりに木端微塵にでもなく仕上げてみせた苦心の跡を、ある意味温かく評価すべきところでもあるのやも知れない。とはいへ仮にそれならばいつそのこと、思ひ切り派手に卓袱台を引つ繰り返してしまつた方が、この場合別の意味で面白かつたやうな気もする。さういふ真似が、山内大輔の仕出かすところではなからうことも、いふまでもなくもあるが。

 ひとつ明後日の部分で爆発的に面白いのは、クライマックス喪服を着た里絵が、光子にこつ酷く責められる件。良一の、即ち柳東史のものであるべき遺影が、何故か真央元の写真である。二度明確に抜かれるので、自信を持つて確認した。柳東史の手頃な写真が見当たらなかつたものかも知れないが、そこに何でまた真央元の写真が出て来るのか。映画の神様が、悪戯つ気を出して微笑まれたのであらう。


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 「妖女伝説セイレーンX 魔性の誘惑」(2008/製作:株式会社竹書房・新東宝映画株式会社/企画協力:CINEMA-R/配給:新東宝映画株式会社/監督:城定秀夫/脚本:高木裕治・城定秀夫/原作:高島健一《フォーサム》/企画:加藤威史・衣川仲人/企画協力:石橋健司・赤荻武・遠藤祐司/プロデューサー:黒須功/撮影・照明:田宮健彦/編集:酒井正次/助監督:伊藤一平/録音:シネマサウンドワークス/撮影助手:河戸浩一郎・俵謙太・北川喜雄/演出助手:高杉考宏・山口通平/ヘア・メイク:唐沢知子/スチール:中居挙子/メイキング:佐藤吏/編集助手:鷹野朋子/タイトル:道川昭/タイミング:安斎公一/現像所:東映ラボ・テック/劇中歌:『恋のヨーグルト』作詞・作曲:タルイタカヨシ/協力:城定由有子・国沢☆実・株式会社レオーネ/出演:麻美ゆま・松浦祐也・中村英児・那波隆史・中岸幸雄・小林徹哉・日高ゆりあ)。出演者中、小林徹哉は本篇クレジットのみ。
 対ピンク上映館仕様か、御馴染み新東宝カンパニー・ロゴで開巻。“ある湖に歌で男を呼び寄せ その欲望と精気を吸ひ取る 魔性の美女が棲むといふ…”なるクレジットを打つた上で、湖に膝ら辺まで浸かつた、赤いドレスの女の背中を抜いてタイトル・イン。奥深い山中の湖へと向かふ、一台のワゴン車。他愛もない深夜のお色気番組「怪奇レポート ミニスカ探検隊」のロケ隊が、男達が次々に行方不明になるとかならないだとかいふ、都市伝説の舞台を目指してゐた。一行はディレクターの早見(中村)と、早見とは男女の仲にあるレポーターのマミ(日高)、最年長のカメラマン・山田(那波)に、ADの洋平(松浦)。竹洞哲也監督作を離れ、普通の芝居で勝負すると思しき松浦祐也を久し振りに拝めるのは有難いが、ところで中村英児は年齢的なものもあるのかも知れないとはいへ、少々太り過ぎだ。かつては要潤のセンの男前が、ジョーダンズの武田鉄矢の方みたいになつてゐる。身の丈も弁へずキャスター志望のマミは、「ミニスカ探検隊」の仕事につくづく嫌気が差してゐた。すつたもんだありつつも撮影を続けるロケ隊であつたが、山の天気は変り易いのか、急な土砂降りの雨に見舞はれる。洋平の見つけた洋館に逃げ込むと、謎めいた、そして完璧な美貌を誇る女主人・麗華(麻美)が一行を出迎へた。男衆はコロッと麗華の妖艶な雰囲気に呑まれてしまひ、早見は日帰りの予定を急遽泊まりに変更する。そのことが、ますますマミは面白くない。その夜、折角なので人魂の撮影に向かふ山田と洋平と、一方洋館では何とか機嫌を直して貰はうとする、早見とマミの情事。昼間洋平が仕込んだ筈のない骸骨が現れる件は凡庸だが、右に左にと山田の指示で洋平が偽人魂を振る撮影と、あれこれ注文の煩いマミの濡れ場とをシンクロさせるクロスカッティングには成程な才気を感じさせる。何故か勃たない早見に最終的に臍を曲げ、マミは撮影も中途にもう帰ると洋館を飛び出す。慌てて早見は洋平と追ふが、マミは通りすがりの小林徹哉が運転するワゴン車に乗り、姿を消す。その際マミは「ヤラせてあげる」と車を走らせるが、以後小林徹哉が与る絡みはなし。お前の所為だと早見は洋平に責任転嫁、ひとまづ仕方なく洋館に戻ると、居間ではそれまで二人で酒を飲んでゐた、山田と麗華が体を重ねてゐた。洋平が固唾を呑み、早見は思はずカメラを向ける前で、絶頂に達した山田は白い泡を吹くと悶死し、麗華はその泡をまるで御馳走でもあるかのやうに喰らつた。驚いた早見と洋平は、はふはふの体で東京に逃げ帰る。
 男の生気と、欲望を喰らひ生き永らへる妖女セイレーン。1993年の第一作から、以降一年に一作づつ1996年まで四作。2004年には蒼井そらを主演に擁し更に一作製作されたVシネ「妖女伝説セイレーン」シリーズの、監督にピンク的には“雌伏し続ける必殺”城定秀夫を迎へての劇場版一般映画である。因みに公式サイトには、藤原健一の「ゼロ・ウーマンR」(2007)と、後藤大輔の「新・監禁逃亡」(2008/今のところ未見)のバナーとが併せて置いてある。主演は煩悩ガールズにも名前を連ねてゐた、当代人気AV女優の麻美ゆま。首から上は少々バタ臭く硬いが、蕩けさうなHカップのオッパイは全く以て眼福の一言。オッパイは十二分に堪能させて呉れるのに対し、尻を一度も満足に抜かない撮影には疑問も残るが、黙つて立つてゐれば、即ちお芝居に多くを望まれずとも謎の美女としては成立し得る頭脳的な起用法にも助けられ、概ね不足はない。尤も全般的には、登場人物がテレビ番組の撮影隊といふ次第で、いはゆる昨今流行りのモキュメンタリー風味も所々で感じさせる辺りは新味ともいへ、大袈裟な破綻も見当たらない反面、かといつて別に傑出してゐる部分も感じさせない今作は、城定秀夫に多くを望むとは幾分以上に物足りない。早見には、マミとの濡れ場に止(とど)まらない意味での絡みが重層的に描かれる。山田は、要は第一の被害者につき、初めから多くは求められない。となると問題は、男優部ビリング頭で、時間差ともいへ一応<最後まで生き残る>洋平の描き込みが全く薄い点にある。要領の悪いAD像が平板に描かれるばかりで、松浦祐也は終始正面戦に徹して呉れてゐるものの、エロティック・ホラーとしてのジャンル的枠組みの中には行儀よく収まりながらも、そこからもう一段の上には至れず仕舞ひに終る。松浦祐也が感じさせた余地が、そのまゝ映画トータルが釣り逃がした部分に相応しもする一作といへよう。扱き使はれる洋平の姿に、城定秀夫流の助監督残酷物語を酌むべきだといふ意見もあるのやも知れないが、そのやうなものはそもそも、主眼たり得る部分ではあるまい。
 麻美ゆまの狙ひ方以外にも、大人しくフィックスで撮ればいゝカットを淫らにグラグラ動くカメラが気に障る以前に、まるで吸ひ寄せられるやうに再び戻つてしまつた洋館での早見と麗華の濡れ場では、光度がへべれけにブレる。そのほかに今岡信治にでも被れてみせたのか、調子外れの劇中歌を、ラブホで日高ゆりあに歌はせるのは兎も角、エンディングにまで使用するのは如何なものかとも思ふ。松浦祐也にもいへることだが城定秀夫は本格派として、あくまで正攻法で勝負すべきではないのか。

 配役残り中岸幸雄は、僅かに台詞も与へられる山田後任のカメラマン。東京に戻つての河原での撮影風景にもう一人後姿だけ見切れる録音部は、国沢実の背格好には見えなかつたのだが。


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 昨年の九月末に消滅した、旧本館より戯れにサルベージしてみた「バタフライ・エフェクト」(2003/米/監督・脚本:エリック・プレス&J・マッキー・グラバー/主演:アシュトン・カッチャー、エイミー・スマート)の概評である。こんなこと始めるといよいよキリ無いぞ。

 バタフライ・エフェクト、とはフライヤーによるとカオス理論に於ける用語で、「ある場所で蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こる」、といふものである。初期条件の僅かな違ひが、将来の結果に大きな差を及ぼす、といふのが正確な含意らしいが、要は、日本語でいふならば「風が吹けば桶屋が儲かる」、とでもいふ塩梅である。細かい疑問については無視して通り過ぎる。与太ついでに、ここで風が吹くところから桶屋が儲かるところまでのプロセスを、参考までに記しておく。何の参考なのだか。

①風が吹くと砂埃が舞ふ
②砂埃が目に入つた為に目を患ひ、失明する人が現れる
③失明した人は三味線弾きになる
④三味線需要の増大により三味線屋が猫を捕らへる(過去に於いては三味線の皮に猫皮を用ゐてゐた)
⑤猫の数、即ち捕食者数の減少に伴ひ、相対的に鼠が蔓延る
⑥鼠が桶を齧る
⑦晴れて桶屋が儲かる、といふ次第である。
 もうひとつ付け加へると、被食者数の増大により、先々には再び猫の数も増えるやうな気がする。話を元に戻す。

 主人公エヴァンは幼馴染のケイリーと、様々な不幸の重なりの末に切ない別離を迎へる。エヴァンを乗せて母親の運転する、街を出て行かうとする車に駆け寄るケイリー。母親に気付かれないやうに、無言のままエヴァンはいつも手元に置いてゐた日記帳に走り書き、ケイリーに向ける。“I'll come back for you.”、君の為に戻つて来る。
 七年後、エヴァン(アシュトン・カッチャー)は将来を嘱望されるエリート大学生になつてゐた。ふと手にした幼少期の日記から、置き忘れて来た過去を取り戻したエヴァンは、“I'll come back for you.”とはいひながらそれつきりになつてしまつてゐたケイリー(エイミー・スマート)に会ひに行く。果たして、七年ぶりに再会したケイリーは、かつての愛くるしい少女が、今ではすつかり一欠片の希望すら失つた、やさぐれたカフェーの安女給に身をやつしてゐた。「どうしてもつと早く迎へに来て呉れなかつたの!」、さうエヴァンを詰つて別れたケイリーは、その夜自殺する。
 エヴァンには過去に戻る能力があつた。バタフライ・エフェクトを起こす為に、過去のある一部分を操作することによつて、現在の悲劇を回避する為に、エヴァンは過去へと戻る。
 通俗的によくいはれてゐるやうに、この世界の中での幸と不幸との総量は予め一定とでもいふことなのであらうか。過去をどう操作したとて、誰かの不幸は回避出来ても、又別の誰かしらが不幸になる。互ひに誰かと誰かとで殺し合つてしまつたりだとか、誰かしらかが一層不幸になつてしまふ。ケイリーも、やさぐれたカフェーの安女給などといふのはまだマシな方で、顔に大きな傷跡のあるヤク中のパン女にすらなつてしまつてゐたりする。「こんな筈ではなかつた」、とエヴァンは更に何度も何度も過去に戻る。何度も何度もやり直さうとする。ある時などは、エヴァンは事故により戦場に行つたジョニーよろしくの片端になつてしまふ。傍らでは幸せさうにしてゐるケイリーが、別の幼馴染のデブと恋人同士になつてゐる。自分はどうならうともある意味構はない。ケイリーが、皆が幸せであるならば。さう思はないでもないエヴァンであつた。然しその場合もエヴァンの母親が、健やかで美しかつた母が、息子の事故以来ヘビー・スモーカーとなつてしまひ、肺ガンで余命幾許も無い状態にあつた。「こんな筈ではなかつた」。更にエヴァンは過去に戻り直す。
 ここから先は手放しなネタバレ・パートである。
 <エヴァンは終に答へを見出す。それは、幼少期の思ひ出の最初にまで立ち返り、そもそもが初めから、ケイリーと出会はなかつたことにしてしまへばいいといふものである。最初の別離の時にケイリーに約束した“I'll come back for you.”、エヴァンは過去に戻る。ケイリーと出会はなかつたことにしてしまふ為に。ここで聞こえよがしに大音量で流れ出す、オアシスの「ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト」に、まんまと滂沱の涙を絞り取られてしまふ。果たして現在、(多分)ニューヨークの街頭で、美しく、そして全うに成長し成人女性となつたケイリーと、エヴァンとがすれ違ふ、といふのがラスト・シーンである。エヴァンにはケイリーが判つてゐる。ケイリーとすれ違ふ刹那、「これで良かつたのだ」、「これでいいのだ」、と自らが下した最終的な、恐らくは他は無かつたであらう選択を噛み締める。ケイリーにはエヴァンが判らない、筈である。初めから出会つてゐないのだ。ただだけれども、何かしら心惹かれたケイリーはふと、すれ違つたエヴァンを振り返る。
 エヴァンが何度も何度も過去に戻つては試行錯誤するパートの、それぞれに訪れる不幸は本当に仮借ない。情け容赦ない不幸をあれだけ積み重ねて見せられては、不快に思つてしまふ向きもあらうし、その意味では、娯楽映画としての趣味を問はれる部分は若干残る。そもそもが、何度も何度もやり直しが効いてしまふパラドックスを免責された御都合主義に、拒否反応を示すといふのもあるやも知れぬ。ただ然し、それでもなほ、美しい映画である。最初の別離、エヴァンが後ろに遠ざかつて行くケイリーに、必死で“I'll come back for you.”、「君の為に戻つて来る」と大書した日記帳を車の窓ガラス越しに見せようとするシーン。最初に訪れた悲劇、七年ぶりに再開した夜に自殺したケイリーの墓に、エヴァンが“I'll come back for you.”と書かれたページを捧げるシーン。大音量でオアシスが流れる中、エヴァンのラスト・トライ。“I'll come back for you.”君の為に戻つて来る。エヴァンはケイリーの為に過去に戻る。<ケイリーとは出会はなかつたことにしてしまふ為に。>悲しい映画である。だが然し、それでもなほ、美しい映画である。悲しいからこそ、なほのこと美しい映画である。破天荒な牽強付会をかますが私の大嫌ひな映画「アメリ」(2001/仏/監督・共同脚本:ジャン=ピエール・ジュネ/主演:オドレイ・トトゥ)とは、主人公が正しい選択を下すといふ物語である。かつて江戸川乱歩はかういつた、「現し世は夢であり、夜の夢こそ誠」。「アメリ」とは、夢見がちな主人公のアメリが、夜の夢といふ真実を捨て、現し世といふ単なる現実を選び取るに至る物語である。その選択は正しい。一人の人間の社会的な成長過程としては、全く以て正しい。もう正し過ぎるくらゐに正しい。だがその正しさに、何程の美しさがあるといふのか。「バタフライ・エフェクト」が娯楽映画の趣味として、万能に都合の良過ぎるプロットの採用に際して間違つてゐたとしても、時に物語には、間違つてゐるから美しいこともある。悲しいからこそ美しい時もある。間違つてゐれば間違つてゐる程、悲しければ悲しい程、美しいといふ思想もあるのである。

 「バタフライ・エフェクト」。日本語吹替版(無えよ)の主題歌には、筋肉少女帯の「これでいいのだ」を希望。♪これで、いいのだあ!《シャウト:伊集院光》ダダダーン♪そぐはんかいな。



 「バタフライ・エフェクト」の、箆棒なディレクターズ・カット版のラストに関する付記、< 「バタフライ・エフェクト」には、何とラストの異なるディレクターズ・カット版が存在するとのこと。下手に感動した映画にさういふ話が出て来ると、些かならず複雑な心境にもなつてしまふものではある。ところで今作は元々二年前に公開された映画だといふことで、本国ではとうにDC版もDVDとして発売されてゐる。そこでその驚くべき結末の内容であるが、軽く検索を掛けてみたところ、秒殺で出て来た。な何と、そもそもが<母親が出産しようとしてゐるところにまで遡つて、自ら臍の緒で窒息死することにより初めからエヴァンが生まれて来なかつたことにしてしまふ!>といふものであるとのこと。何だそりや。ゼロ・サム思考のやうで、考への足らぬ着地点であるやうに思はれる。どう転んだとて、公開版の方が絶対にストレートでエモーショナルであらう。大体が、さうなると主題歌は何処で流れるのか、え、<分娩室>?(笑)

 話が転がるのに任せて、「アメリ」に戻らなくとも別に構はないが最後に触れておくと、一節だけ、心に震へた台詞がある。文脈を最早記憶してはゐないのは面目ないが、アメリの隣人で贋作家の老人が語る、「人間には、人生を失敗する権利がある」といふ台詞である。


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 「ノーパン尼寺 熟れた茂み」(1998『不浄下半身 尼寺の情事2』の2008年旧作改題版/制作:ファイブウェイズ/提供:Xces Film/脚本・監督:北沢幸雄/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:飯島幸夫/撮影:図書紀芳/照明:渡波洋行/録音:中村幸雄/音楽:藤本淳/助監督:堀禎一/編集:北沢幸雄/監督助手:斉藤克康・城定秀夫/撮影助手:小松高史・大嶋良教/照明助手:藤森玄一郎/ヘアーメイク:野原ゆう子/スチール:佐藤初太郎/ネガ編集:酒井正次/タイトル:道川昭/録音所:シネキャビン/車輌:小林車輌/現像:東映化学/出演:佐々木基子・七月もみじ・里見瑤子・池田一視・竹本泰史・銀治・田中あつし・大橋寛征・杉本まこと・乱孝寿《友情出演》)。出演者中、乱孝寿の友情出演特記は本篇クレジットのみ。
 山間、入浴中の女。カメラが尻から徐々にティルトアップして女の体を舐めると、女は何とツルッツルに剃髪してゐた。プロデューサーの飯島幸夫(=北沢幸雄)に、俳優部から一人だけ佐々木基子がクレジットされてタイトル・イン。
 身寄りがなく、佐賀慈恵(乱)が庵主を務める尼寺・如意法院に弟・利男(田中)と育てられた山辺暁子(佐々木)は、成人後教師の職に就く。ところが暁子は教へ子の藤野孝明(池田)と過ちを犯し、ともに学校に居場所をなくす。心中を決意した二人は睡眠剤を飲むが、藤野だけが命を落とし、暁子は死に損なふ。暁子は俗世を捨て、慈恵の下で尼僧・慈光として出家する。
 覚悟のハイライトとして流石の決定力を有する剃髪シークエンスも鮮やかに、豊かな黒髪を実際に剃り落とし頭を丸めてみせた、佐々木基子の見上げた女優魂は下手な洒落ではなく光るのだが。配役残り杉本まことは、同宗派の寺院から度々如意法院を訪れる高僧・鷲尾竣栄。権勢と色の欲も露な俗物で、寺の中で100ミリロングのラークを吹かせば酒も飲み、慈光に対しても劣情を憚らぬ視線を注いでは、挙句に呼びつけたコンパニオンの唐沢順子(里見)を抱く。短躯がある意味小坊主にフィットする銀治は、竣栄の弟子・鹿島竣仁。仏の道に反した竣栄に対し、秘かに蔑視を通り越した激しい憎悪を燃やす。杉本まことと銀治も、頭を丸めてゐる。内藤やす子の「弟よ」を地で行くつもりか利男は、都会に出てチンピラに身を落としてゐた。一人前になるつもりでヤクザ(大橋)を弾いた利男は、人を殺めた罪に苛まれ得度した姉を頼る。ピンク界の小泉今日子こと―耳心>甘酸つぱい―七月もみじは、体中につけられた痣も憐れに如意法院に救ひを求める染川碧。安い暴力男ぶりがハマリ過ぎで、ついつい余計なことも考へさせられる竹本泰史は、碧のDV夫・明平。碧を返せと如意法院に怒鳴り込んだ明平に対し、いふまでもなく慈恵も慈光も、碧を守り通すつもりではあつた。然れども慈光が目を離した隙に、碧は明平を追ひ如意法院を飛び出してしまふ。暴力を受けながらも、依然明平に依存する碧の弱さに対し、少なくとも今の慈光にはどうすることも出来なかつた。
 あはよくばお察し頂けようか、北沢幸雄の丹念な演出は忽せにしたカットひとつなくドラマを紡いで行くが、如何せん登場人物と、イベントとが多過ぎる。佐々木基子の坊主頭には有無をいはさぬ説得力が漲るものの、作劇の軸足は定まらず、暁子時代のエピソードは兎も角、何時まで経つても肝心の慈光に焦点が合はない。寺内で尼僧を手篭めにする坊主を描いてみせた踏み込みも買へはする反面、自らの業を乗り越えるにせよ未だその渦中で逡巡するに止まるにせよ、主人公が次々と起こる出来事に翻弄されるばかりでは、そもそも着地すらまゝならない。意欲が表面的にはある程度以上の形を成してゐるとはいへ、少し引いて全体を改めて眺めてみるならば、物語がまるで纏まつてはゐない。総尺六十分前後といふ、ピンク映画のレギュレーションが頭にない大ベテラン北沢幸雄ではよもやなからうが、失敗作と断じるのは些か酷としても、盛り込まれ過ぎた意匠なり意欲が空回つた印象は拭ひ難い。

 とかいふ残念な一本ではあれ、恐ろしいことに、全く同時期に「濡れた女教師 罪深き性愛」なるタイトルでリリースされた今作Vシネ版の尺が何と七十五分!そちらの方は憚りながら未見ではあるが、さうなると十五分長い分、Vシネ版では今作最大のウイーク・ポイントが回避されてあるのか、あるいは濡れ場が水増しされただけで、矢張り物語が主人公たる筈の慈光には収束しないじまひであるのか。何れにせよ、北沢幸雄の当時既に二十年を数へるキャリアを鑑みるに、ピンクとしての配分、あるいは設計ミスがあくまでミスである点に関しては変りあるまい。


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 「保健教師 ダブル不倫」(1993『濃密セックス 校内不倫』の2008年旧作改題版/製作:新東宝映画?/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:広瀬寛巳・久保勝/撮影助手:島良司/照明助手:渡辺弘一/音楽:レインボー・サウンド/効果:時田グループ/出演:仲山みゆき・葉山枝折・吉行由実・清水大敬・牧村耕次・中田新太郎)。出演者中、中田新太郎は本篇クレジットのみ。
 公立高校養護教諭・有藤紀美子(仲山)の保健室に、校則違反の口紅も派手に、いはゆる保健室登校といふやうな柄に見えないことはさて措き相原まりよ(葉山)は入り浸る。まりよの他に、体育教師の井野尚輝(牧村)も何処を怪我したそこを怪我したといつては、保健室を頻繁に訪れた。何れも既婚ながら、紀美子と井野とは互ひに満更ではなかつた。ある夜井野の誘ひで仕事終りに飲みに行つた二人は、それぞれの夫婦仲に関する愚痴を零しつつ、次第に距離を縮めて行く。男女の機微に聡いまりよは、忽ち紀美子と井野の関係の変化を察知する。
 吉行由実は、まりよの友達あるいは同僚の、イメクラで働く―偽?―女子高生・明日香。明日香の常連が、まりよの夫で、今は別の私立高校に勤務する数学教師の有藤和良(清水)。男尊女卑を絵に描いたやうな高圧的な有藤のキャラクターは、清水大敬に当て書きしたのかと思はれる程にハマリ役ではあるが、暴力的に憎たらしくて憎たらしくて仕方がない。ある意味プロットには、有効に作用してゐるといへばさうでもあるのだが。
 放課後公衆トイレで着替へイメクラに出勤したまりよは、常連客の相手をするのが嫌になつた明日香に代り、今しがた脱いだばかりの制服に、今度は衣装として袖を通す。まりえが着替へたてのセーラ服を再び着る羽目になつたことに食傷する件が、今作中唯一冴えてゐるなと感じさせる点。有藤と驚きの再会を果たしたまりえは、その場の勢ひで紀美子と井野の接近を暴露してしまふ。
 といふ辺りまでは、どうにかかうにか我慢しながらも持ち堪へられぬではなかつたが、そこから先がどうにもかうにも苦しい、といふか酷い。一応の結末までの道筋も無くはないものの、そこに至るまでの致命的を通り越して壊滅的な展開上の手数の欠如は如何ともし難い。時代の波のこちら側から、一方的に断罪するといふのも幾分フェアではないのかも知れないが、魅力に全く乏しい主演女優の訴求力を欠く濡れ場が、延々と引き続くのに仕方なく付き合はされることには大変な労苦を覚えた。そもそも、この三人の面子の中ではどう考へても吉行由実が最強の飛び道具たり得ようところが、そんな明日香の絡みはしかも清水大敬を相手役にした一度きり、といふ絶望的な飼ひ殺しにも、理解に苦しむほかはない。出し抜けの凶行後、再びどうでもいいといふかどうしやうもない濡れ場地獄を挿み、オーラスに取つて付けられた冷酷な一オチも、企図云々以前に最早上つ面を冷たく吹き抜けるばかり。全方位的に拾ひ処を欠いた、ストレートな凡作といはざるを得まい。

 井野の誘ひで飲みに行つた夜。先に帰宅した紀美子のグラスで、井野が思はずビールを飲んでしまふところから、帰宅した紀美子が食事の支度をしシャワーを浴びるまでの件では、何故か(?)OK企画の音源が使用されてゐる。そして矢張りといふか相も変らず、今作は2003年に「保健室の情事 ダブル不倫」といふ新題で、少なくとも既に一度旧作改題されてゐる。だから一度でもどうかと思ふが、二度も新版公開するに値する代物でも全くありはしないのだが。登場カット数だけならば妙に多い中田新太郎は、地学教師の倉持、唯一授業シーンも設けられる。電話で息子嫁に嫌味をいふ、紀美子の姑、の声が誰のものかは不明。倉持の授業中にまりえが保健室へとバックれるカットに、更に生徒役が数名見切れる。


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 「悩殺天使 吸ひ尽くして」(2003/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原辰郎/撮影:長谷川卓也/照明:奥村誠/助監督:城定秀夫/監督助手:松本唯史・池亀亮輔/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:糸井恵美/音楽:因幡智明/効果:梅沢身知子/出演:橘瑠璃・宮沢けい・麻木涼子・久保隆・小林達雄・THUNDER杉山・本田唯一)。出演者中、本田唯一は本篇クレジットのみ。
 高校時代の回想、舞(橘)は河岸で強姦魔・影山(THUNDER)に襲はれる。激しい抵抗も虚しくやがて蹂躙される舞を俄かに赤い光が包み、「イヤーッ!」と感情を爆発させると吹き飛ばされた影山は、「犬神家の一族」の青沼静馬よろしく川面に逆さに突つ込んでゐた。呆然とする舞の前に謎の行者・笠原(小林)が現れ、舞が覚醒したことを告げる。まるで話は呑み込めぬまま股間に指を伸ばすと、舞は濡れてゐた、タイトル・イン。開巻特筆すべきは、緊迫したレイプ・シーンでもテンポ良く基本設定を開陳するスタート・ダッシュでもなく、最早確信犯としか思へないまでに清々しく類型的なイヤボーン描写。法則は、都合三度臆面もなく火を噴く。
 現在、舞は夫・淳一(久保)と平凡ながら幸福な生活を送つてゐた。さうはいへ舞は常に、あの時影山を弾き飛ばした力が、淳一を傷つけてしまふことへの恐れを捨てられずにゐた。一方、二つの“S”を鉤十字を模して組み合はせたシンボルが決まる、性能力研究所サティアン。導師・弓月(宮沢)が、精を吸ひ取つた影山を下僕に従順化する異能力描写を挿み、性能力研究所の信者によつて舞は拉致される。四人の信者らに輪姦されると再び力を発動させ四人とも圧倒した舞に、弓月は仲間に加はることを求める。弓月によると、舞は弓月と同じく、性の体験を物理的な一種の念動力として転化することの可能な、性能力者“セスパー”であるといふ。舞を輪姦した男の一人・国家官僚(本田)をセスパー能力で篭絡した弓月は日本国を裏から支配する野望に燃えるが、淳一との平凡な幸せを望む、舞は弓月からの申し出を拒否する。弓月は舞の再捕獲を、自らに次ぐセスパー能力の使ひ手・弥愛(麻木)に指示する。弓月をひたむきに恋慕する弥愛は、弓月が舞に固執することに内心釈然としない。舞が物語の鍵を握る切り札たる所以が、最終的に描かれはしないことは、今作中唯一脚本が画竜点睛を欠く点。後の笠原の場当たり的な台詞で、その点を回避しようとした節も見受けられぬではないが。
 定番も通り越して『サルまん』以降は半ばギャグ化してしまつた舞の性能力描写は兎も角、手堅く異能力者同士の対決を描いた物語は、十全過ぎて凡そ六十分の器には収まりきらない程に充実してゐる。弓月は自らの異能を自覚した時に、穏やかな幸せは捨て、忘れた。自ら幸せに背を向けた弓月と、求め続ける舞との相克。弓月は理想を知らぬ舞の蒙昧を嘲笑するが、裏返せばそれは、単純な嫉妬にも過ぎなかつた。弓月の意に反し舞を倒さうとした弥愛は、割つて入つた笠原に敗北する。役に立たない無様な配下を冷酷に切り捨てようとする弓月に対し、弥愛は必死に縋りつく。ビアンの濡れ場には即物的な劣情の喚起を超えた、世界から排斥された異能同士の愛憎が美しくも悲しく咲き乱れる。キャストの限られた桃色の普請の中にあつて、THUNDER杉山を再利用した弓月の初登場、兼セスパー能力紹介シーンは、短く濡れ場としても繋ぎに止(とど)まるものの、邪欲と業とを吸ひ取られた影山が、従順な下僕と化するといふシークエンスはまるで「時計じかけのオレンジ」のやうですらあり、呆気なく消費するには些か惜しい。文句なしのクール・ビューティーさで哀しい変革家を熱演する宮沢けいに対し、服を着てゐても悩ましい胸の膨らみにもうどうしたらよいのか判らない―俺は何をいつてゐるのだ―全盛期の橘瑠璃。クライマックスの舞と弓月との文字通りの激突も、大健闘した自主映画くらゐ、即ちヤル気に欠けるメインストリームからは余程マシな輝きは見せて呉れる。余計なものがある訳ではないので過積載といふには当たらないが、盛り沢山過ぎる物語は尺の短さにも足を引かれ、逆にそこかしこに料理しきれてゐない一種の勿体なさも残す。その意味で傑作といふには少々至らないものの、その未完成さはイイ感じの余裕ともいへ、公開当時多くの観客に愛されたことも肯ける一作である。

 どうせ性能力研究所信者の中に紛れてゐさうな気もするが、今作珍しく、国沢実が画面内に明示的には見切れて来ない。


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 「美姉妹スチュワーデス 朝まで狂乱」(1998『奴隷美姉妹 新人スチュワーデス』の2004年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/企画:稲山悌二/撮影:小山田勝治・新井毅/照明:上妻敏厚・新井豊/音楽:中空龍/助監督:松岡誠・加藤義一/制作:鈴木静夫/出演:桜ちより・風間今日子・村上ゆう・ジョージ川崎・平賀勘一・伊藤正彦)。久々なので改めて確認しておくと、村上ゆうは青木こずえと、ジョージ川崎は主には栗原良、あるいはリョウ、レアなところでは相原涼二とそれぞれ同一人物。
 スチュワーデスの黒川美佳(桜)は、搭乗した各航空会社を斬りまくる毒舌と、自らの性体験の奔放な公表とで知られるエッセイスト・轡田智史(ジョージ)の誘ひに乗る。美佳が招かれた轡田のオフィスは、オフィスとはいへ黒板があり学校机が並べられた、まるで教室スタジオのやうな一室であつた。轡田いはく遊園地兼オフィスであるといふ異様な空間にて、美佳はセーラ服を着せられ事に及ぶ。轡田に身を任せた美佳には、秘かな思惑があつた。美佳の姉で、同じくスチュワーデスであるものの現在は休職中の加世子(風間)は、かつて上司・加倉井良樹(平賀)の業務命令で轡田に接近する。要は色仕掛けで、轡田の矛先をかはさうといふのだ。轡田と男女の仲になることには成功した加世子ではあつたが、箍の外れた轡田の性癖にさんざ弄ばれた挙句に、心身の平定を崩す。今は加世子の面倒は、妻とは別居中の加倉井が見てゐた。中盤以降の展開では加世子が勝手に、轡田に近付いた美佳に合流するのを通り越して最終的な主導権を握りすらしてしまふので、主人公の割に実は能動的な活躍は殆ど見せないのだが、そもそも美佳は姉の復讐を期してゐたのだ。
 村上ゆうは、加倉井の別居中の妻・双葉。自ら葱を背負つて轡田の下へと出向いての、木に竹を接ぎ気味の濡れ場要員に留まりかねないところでありながら、起承転結でいふと転部の水先案内人として重要な一仕事を担ふワン・カットは、女優の扱ひ方としてさりげなくも鮮やかに冴えてゐる。伊藤正彦は、パイロットで美佳の夫―もしくは恋人?―の堀内小五郎。妻と轡田との仲にやきもきさせられるとはいへ、今作中唯一、激しく動く渦に巻き込まれることからは免れたある意味幸せな人。
 何といふこともない四年落ちのしかも新版公開に思はれるかも知れないが、遡つてみてみると1998年といふタイミングには、実は重要な意味が秘められてゐる。自らを等閑視するに等しい発言に奮起し、浜野佐知が一般映画への殴り込み第一弾、「尾崎翠を探して 第七官界彷徨」(誠に憚りながら未見)を自主製作したのが1998年なのである。「尾崎翠を探して 第七官界彷徨」に忙殺されてか、極めて意外なことに、同年浜野佐知はピンクは二月封切りの今作一本しか発表してゐない。とはいへ今作に、いよいよ世間と一戦交へんとする女帝の、並々ならぬ気迫が殊更に満ち溢れてゐるとまではいふことは、特にはない。それでもそれまで一面的な“被害者”として実の妹からも取り扱はれて来た加世子が、自ら“加害者”として迎撃、あるいは反撃のアクションを起こすことにより、喪はれてゐた主体性を取り戻すといふドラマは、全く浜野佐知らしく充実してゐる。そして何よりも特筆すべきは、今作の決戦兵器を額面通りに担ふ、主演の桜ちよりが抜群に素晴らしい。北国出身らしい惚れ惚れさせられる色の白さと、風間今日子には一回り引けも取りつつ絶妙な柔らかさを銀幕越しにも感じさせるオッパイは、モチモチとまるで甘美な大福餅のやうで、画面を眺めてゐて心地良いこと心地良いことこの上ない。首から上とお芝居の方は多少硬いが、そのやうなことは最早取るに足らない瑣末だ。美佳は復活を図る加世子に誘(いざな)はれ、自ら姉妹で轡田に抱かれる。スチュワーデス属性には個人的には一切喰ひつくものではないが、桜ちより&風間今日子の巨乳姉妹には、一切を捻じ伏せる天下無双の決定力が漲る。重ねてエンド・クレジットにも、濃厚に乳繰り合ふ姉妹の素敵過ぎるイメージ・ショットが挿入される。更に女性美への偏愛も公言する浜野佐知は今回余程桜ちよりに惚れ込んだのか、通常オーソドックスに黒バックに白文字で処理される、オーラスの“ 監督 浜野佐知”と“FIN”といふクレジットは、後ろから姉に揉み込まれた、美佳のオッパイのアップに重ねられる。何気に、それは珍しいことではあるまいか。
 本筋からは清々しいまでに完全に外れながら心に残るのは、姉妹の姦計にまんまと嵌り一敗地にまみれた轡田が、搾り出すやうに漏らす苦渋の一言。「自分のキンタマまで曝け出して、世の中渡つて来たつもりだつたんだけどな・・・・」。ハチャメチャな自オフィスの造形といひ、明後日をそれでも上滑ることなく定着せしめ得る、ジョージ川崎の妙な説得力は絶品である。

 2001年には一般映画第二作「百合祭」、2006年には「こほろぎ嬢」(全く申し訳ないが未見)を発表しつつ、アホンダラなメインストリームは依然浜野佐知を黙殺してゐる。とはいへ頑強で地道な手弁当の上映活動は幾つかの明確な戦績も残しながら俄然展開中で、我々を圧倒し悩殺する重量級のピンクも、最盛期程ではないものの勿論今も量産中である。強靭な商業作家としての体力に支へられた一本一本のエクストリームさに加へ、何よりも心打たれるのはそれらに一貫する、ピンク映画といふ女の性を商品化するプログラム・ピクチャーの領域にあつて、あくまで性を女性の側から主体的に描かうとする信念の一切の揺るぎ無さと、向かひ風の終始絶えぬともものともしない激しい気骨とである。今年還暦も迎へつつ日本に留まらず世界最強の女流監督といへば、矢張り浜野佐知を措いて他にはなからう。


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 「不倫妻の淫らな午後」(2003/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:田中康文/監督助手:笹木賢光・茂木孝幸/協力:阿佐ヶ谷 Stardust/出演:佐々木基子・月島のあ・望月梨央・牧村耕次・本多菊次朗・松元義和・竹本泰志・池島ゆたか・神戸顕一・しのざきさとみ・神奈月ゆう)。出演者中、池島ゆたか以降は本篇クレジットのみ。神奈月ゆうは、確かさうクレジットされてゐたやうにうろ覚えるものだが、要は水無月ゆうと同一人物ではないか。二者名前の並ぶ、撮影助手に力尽きる。
 子供も手のかゝらぬ年頃となつた、永山修子(佐々木)は始めたホームヘルパーの仕事に精を出す。修子と夫の和彦(本多)とは久しくレスの状態にあり、和彦は部下・橋詰あゆみ(望月)との不倫関係を長く続けてゐた。修子はそのことをまるで知らなかつたが、以前和彦の忘れて行つた携帯を手に取つた、二十歳の誕生日を目前に控へた女子大生の娘・さなえ(月島)は、父親の不義を見抜いてゐた。妙に髪形の若い神戸顕一は、冒頭あゆみからお誘ひOKの返信メールを受け取つた直後の、和彦に声をかける同僚。実際に神戸顕一が現場にも姿を見せ池島ゆたか映画に出演してゐたのは、振り返つてみたところ現時点では2005年までか。松元義和は、さなえの彼氏・直樹。現在時制に於ける、月島のあの濡れ場の相手役担当。
 ある日、新しい利用者宅を訪れた修子は思はず絶句する。荒れ放題の家で独り侘しく昼間から眠る老人は、今は昔日の影は見るべくもなかつたが、二十年前、就職したての修子(月島のあの二役)が不倫関係ながら若き恋心を燃やした、当時の上司・宮原真一郎(牧村)であつたのだ。宮原が置かれた厳しい状況もあり、表情を強張らせる修子に対し、半ば恍惚の宮原は、新しく来たヘルパーが在りし日の情人であることに全く気付いてはゐなかつた。
 中高年ホームヘルパーが利用者宅を訪問するところから始まる物語といふと、今作の半年弱先駆けて公開された、「熟年の性 人妻に戯れて」(監督:関根和美/主演:町田政則・酒井あずさ)が容易に想起される。といふことは即ち、池島ゆたかが関根和美と通じてゐることは考へ辛いので単なる偶然かとも思はれるが、私的ピンク映画最高傑作「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000/監督:関根和美/主演:町田政則・佐々木基子)に於ける、土門とリカに扮した二人によるそれぞれ同趣向の二作が並んだ格好になる、といふのは実に感慨深い。その上であまり意味はないが、簡単にこの二作を比較すると、最終的な詰めの部分に甘さも残す「熟年の性 人妻に戯れて」に対して、今は大学生の娘も持つホームヘルパーが、訪問先の利用者としてかつての不倫相手と再会する。しかもすつかり老いさらばへた男は、男としての機能を既に喪つてゐたことに加へ、最早自分のことを思ひ出すことすら叶はなかつた、といふプロットがあまりにも見事な、今作に断然分がある。宮原は修子の他にも常に女を作つてゐたのか、苦労させられ通しの妻(しのざき)には退職後程なく先立たれ、息子(電話越しにのみ登場/誰の声かは不明)達にも、母親を泣かせ続けた因果で愛想を尽かされてゐた。自ら蒔いた種ともいへ、全方位的に悲惨な状態にある宮原ながら、修子にしてみれば、妻のやうに身の回りの世話をしてみたいといふ若き日の切望が実現することと、家族からは見放されてゐるだけに、どういふ形であれ独占することも出来るといふ、変則的な幸福感が醸成される展開は素晴らしく秀逸。終に<修子の視点からは宮原が修子に辿り着くことはない>ままに、一種の、同時に立派なハッピーエンドを迎へるといふ綱渡りにも似た超絶を最終的に形成ししめたのは、狭義の演技力ならば現役勢では最強かとも思へれる、名女優・佐々木基子であることはいふまでもなからう。この人、色々な監督の下で、あちらこちらにマスターピースを残してゐる。佐々木基子と牧村耕次との高密度の演技合戦と、濃密なドラマとに、配役中月島のあの穴は矢張り小さくはないので、ほぼ手放しで堪能させられてゐると、映画が全て終つたところで、池島ゆたか監督作にしては珍しく、濡れ場の回数が実は思ひのほか少なかつたことにも驚かされる。
 
 竹本泰志は、和彦との関係を清算することに決めたあゆみが選んだ、後輩の高梨。池島ゆたかは、かつては宮原と修子を、今は和彦とあゆみとを黙して見守るバー「Stardust」のマスター。神奈月ゆうは、わざわざ修子を捕まへての自由気儘な噂話で宮原の現況に関して外堀を埋める、宮原家向かひに住む主婦。更に他に、宮原のケアマネージャの医師・花澤が登場、スタッフの何れかか。宮原の妻役のしのざきさとみは、そこかしこで超頻出の、宣材写真を流用しての遺影としてのみの登場。


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