真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ザ・SM 緊縛遊戯」(昭和59/製作:幻児プロダクション/配給:新東宝映画/監督:中村幻児/脚本:吉本昌弘/企画:才賀忍/撮影:伊東英男/照明:出雲静二/音楽:PINK BOX/編集:J.K.S/助監督:高原秀和・伊藤博之/撮影助手:阿部宏之/照明助手:田島正博/効果:伊佐沼龍太/出演:伊藤麻耶・聖ミカ・藤モモコ・縫部憲治・塩野谷正幸・飯島大介)。企画の才賀忍は、中村幻児の変名。当時の配給はa.k.a.ジョイパック、現:ヒューマックスのミリオンフィルム。
 別荘地の朝、左から各々赤青のガウンを着た女二人と、黒いガウンの男が凍りつく。右手に赤いロープを握り締めただけの男が、階段をうつ伏せに滑り落ちるやうな格好で死んでゐたのだ。実際の劇中では徐々に語られる各人の素性は、心なしか落ち着いても見える赤いガウンの女はデザイナーの池園愛子(伊藤)、狼狽する青いガウンの女は女子大生の遠野亜美(聖)。硬直する黒いガウンの男は県会議員の松永セイジロウ(飯島)、そして全裸で死ぬ男が、別荘の所有者・竹中ケンジ(縫部)。馬鹿馬鹿しく当たり前でしかないが、まあ飯島大介が若い若い、髪も黒い黒い(*´∀`*) さて措き、表面的には誰も竹中の死の真相を呑み込めてゐなささうな別荘を、その時制服警察官が訪問する。事件の発覚を恐れた一同には戦慄が走るが、警察官・久保田(塩野谷)は、単に戸締りの用心を告げに現れただけであつた。三人が安堵する中、立ち去つてはゐなかつた久保田に、窓の外から竹中の死体を目撃されてしまふ。どう見ても自然死には見えない竹中の死亡に関して、久保田は捜査を開始。しかも先の選挙で投票したと称する久保田に、松永の面は割れてゐた。竹中も含めて四人で別荘に集まり、飲み食ひし遊んでゐたまでは三人の供述は一致したが、肝心なところとなると、何れもが口をつぐんだ。やがて三人には、それぞれ脛に傷のある旨明らかになる。松永は、海岸道路の補修工事に関する特定業者との癒着疑惑。愛子は自身の商品を納品する際の、丸越デパート担当者に対するいはゆる枕営業。亜美は通ふ女子大の教授と、不倫関係にあつた。その事実をネタに強請(ゆす)られでもした場合、全員に竹中を殺害する動機は認められた。展開自体は兎も角、細部としては正直少々以上に粗雑かとも思へるが、出し抜けに国家権力と拳銃とを振り回し始めた久保田は、分裂の様相も呈し始めた三人を、残る二人は手錠に繋いだ上で一人づつ取り調べる。小六法でいゝから誰か持つて来て呉れ、それでこんなら―久保田―ブン殴る。供述内容が一々睦事に直結する構成はピンク映画として全く麗しく、濡れ場の背後に本来ならその時刻のその場にはゐない、観察者の久保田が黙して佇むショットは素晴らしく虚構的。撮影に魚眼レンズを用ゐることにより女体の質感を増幅せしめる手法も、近年さういふ撮影をする人が俄には覚えのないのもあり、実に新鮮に映つた。交錯する三人の供述、仮に真実を語つてゐる者が一人である場合、犯人以外のもう一名も、犯人を庇ふ構図が成立する。
 デフォルトで要請される煽情性は微塵も疎かにするでなく、といふかしかもアグレッシブに攻め続けた本格的な叙述ミステリーに、股間だけでなく期待も膨らませてゐたところ、仔細は清々しく省略した、久保田の底の浅い検分が火を噴く。竹中の口からは愛子の陰毛と、恐らく愛子の尿が。首筋からは亜美のマニキュアが付着した絞められた跡と、肛門からは、この三人の中では松永のものでしかあり得ない精液が検出される。とか何とかいふ次第で、何者か一名が竹中を殺害した訳ではなく、三人の共同正犯による犯行であるといふ久保田の推理は、冷静にならなくとも清々しくまるで論理になつてゐない。そもそも、痕跡が竹中に残された時点が死亡と同一時刻なのかといふ、検証から全く欠いてゐる。ところが、こゝからが更に凄まじい。観客に落胆させる間も与へず、映画は急旋回。糞尿料理の強制食事。亜美の股間に火の点いた蝋燭を突き立てる、などといふのはよく目にするギミックでもあるが、吊るだけならまだしも、完全に吊つた愛子の体の上にしかもよじ登つて責めたてるなどといふ、これで壊れない伊藤麻耶の頑丈さに感動すらしかねない、激越なSM描写。挙句にトリプルクロスに異常な、同性屍姦肛姦!プレイ内容を差し引けばあくまで冷静な本格叙述ミステリーから、エクストリームに暴走する久保田が司る、バゾリーニばりの鬼畜大宴会へと展開は豪快に移行する。更に更に、この正しく圧倒的な衝撃にさへ、今作は安住しない。動く筈のないものが動き出した驚愕を発条に、それまで積み重ねて来た全てを惜し気もなく引つ繰り返した、誇張でなくアッと驚く落とし処に物語を叩き込む。精緻な脚本と粘度と鋭角とを併せ持つた強靭な演出、そこにプログラム・ピクチャーといふ度重なる修練に鍛へられた堅牢な技術とが具はつた時、三人づつの女優部と男優部、一軒のハウス・スタジオだけで、映画はこゝまで辿り着けるのかといふ大いなる可能性を示した到達点。文句なしに面白い、吃驚するくらゐ面白い。たゞし同時に、昔は良かつた、昔は凄かつた。そんな繰言ならば、クズにでも吐ける。二十六年前の、決して大袈裟にでなく本作の偉業を、過去の伝説として、通り過ぎられた今や再び得ること叶はぬ遺業として済ませる訳にはなるまい。そのために作り手ではない我々市井のピンクスに出来るのは、淫らな風潮に乗せられずその場の空気に染められず、真に優れたピンク映画を、リアルタイムの荒野の中から名前に囚はれもせず一本一本拾ひ上げて行くことのほかないのではなからうか。

 なかなか登場しないどころか本当にオーラスにならないと姿を見せないため、ポスターには名前があれ本当に出演するのかどうかさへ不安になりかけた藤モモコは、狂宴をドタキャンした大友アケミに間違はれる、道を訊きに来ただけの女。女優三本柱の中で実は最も美形なのではと思へなくもない、ハーフ風の容姿と文字通り悲痛な叫びとで、無体な結末を鮮烈に加速する。

 以下は映画の感想とは全く力の限り関係ない、純然たる雑記である。今回今作を、天珍こと天神シネマに於ける、偶さかの順番上も文字通りのラスト・ピンクとして観たものである。因みにもう一本は、勝利一の「義母と教師 教へ娘の部屋で…」(2001)の、2009年旧作改題版「煽情教師 お義母さん、もつと!」。映画を観に来る訳では必ずしもない客層を排除した、果敢といふか素人目にも無謀な姿勢が綺麗に祟り、周年の節目は何とか二週間跨いだものの、残念ながら一年で力尽きる運びとなつてしまつた。結果論ではなく一般論として、営業上の戦略としてではなくあくまで観客目線でいふが、容易く全否定してみせるシネフィルの傲慢には与せず、ピンクスは積極的にせよ消極的にせよ、所謂ハッテンを容認すべきではあるまいか。それは積極的にとはいふまでもなく寛容―ないし節度―であり、消極的にとはリアリズムを意味する。
 補足すると、こゝで“節度”といふ用語も持ち出した真意は、一定の期間を経た一つの文化に対する一応の敬意といふ意味での、一種の保守の姿勢である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「白い肌の未亡人 私を苛めて」(1991『未亡人変態地獄』の2010年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:佐藤寿保/脚本:五代響子/原題:『Look Into Me』/撮影:稲吉雅志/照明:斎藤久晃/編集:酒井正次/助監督:梶野考/監督助手:榎本祥太/撮影助手:村川聡/緊縛指導:唐木俊輔/協力:中村京子・歌舞伎町ファッションヘルス カリフォルニア/出演:姫ゆり・伊藤清美・水鳥川彩・池島ゆたか・今泉浩一・征木愛造・坂田祥一郎)。照明助手を拾ひ落とす。出演者中、征木愛造は本篇クレジットのみ。
 歓楽街を訪れた平井清隆(坂田)は、“歌舞伎町の公衆電話”を探してゐるだなどといふ、漠然とし過ぎてゐてアレな女から声をかけられる。ところで坂田祥一郎は、後の坂田雅彦。意識の低い風俗嬢・ミルク(水鳥川)を相手に遊んだものの却つて心の渇きを増した平井は、店の外で、先刻の女・真理江(姫)と再会する。平井とホテルに入つた真理江は、鞄を手渡す。鞄の中には数々の淫具が詰め込まれしかも上着の下の真理江の体には、予め自らの手で縄がかけられてあつた。その日乞はれるまゝに真理江を嬲つた平井は、妻・直子(伊藤)とは夫婦関係が冷え切つてゐるのもあり、後日夜の街に姿を探し改めて巡り会へた真理江との、関係に溺れて行く。
 平井に対しては人妻だと名乗る一方で、真理江の自宅には、そのやうな生活臭はまるで漂はなかつた。真理江はそこで過去に撮影したビデオを見ながら激しい自慰に溺れる。その中に登場する池島ゆたかは、真理江の亡夫・圭一。圭一は手替へ品替へ苛烈に妻を調教するサドマゾ夫婦生活の末に、ある日互ひに首を絞め合ふ情交に挑み、その果てに絶命する。
 適宜亡夫との過去の、何れも打球を遠くに飛ばす絡みを差し挿みつつ、真理江と、真理江に次第に日常の均衡も失して絡め取られて行く平井の姿には、終に命を落とした圭一同様、責められてゐる筈の女が何時しか肉体的にすら優位に立つ、一周グルッと回つた真の意味での倒錯が、扇情性に関しても抜群に見応へがある形で綺麗に描かれる。劇中世界の核を成す部分の充実を、二つの異なつた視点が加速する構成も更に秀逸。性に関しては完全なるどノーマルながら後に微妙な揺らぎも垣間見せる直子と、一見単なる端役に見えなくもない、今泉浩一演ずるアダルトショップ店員の視線が素晴らしい。真理江に対して使ふ目的のSMグッズを求める平井は、初めは如何にも初心者臭く店員に薦められたアイテムを薦められた通りに買つてゐたものが、次に店を訪れた際には、あれもこれもと自分チョイスで買ひ進み、レジからその様子を窺ふ今泉浩一は、恐らく上客が誕生したであらう瞬間に商売人、あるいは生活者の目を輝かせる。一人の平凡な男が魔性のマゾ女に淫獄に堕とされるといふ異常性愛のドラマが、別の者にとつては、純然たる日々の地平の上での、三度の飯の種となる。当たり前のことといつてしまへば実も蓋もなく当たり前のことでしかなからうが、その当たり前が、当たり前ではない物語の厚みを増す。表情は少々時代の波を超え得ずにバタ臭いが、姫ゆりの素直に成熟した肉体が被虐に映える様も強力。ピンクとしても映画としても完成度の高さを誇る、頑丈さが実に麗しい。

 出演者中残る征木愛造は多分、平井もロスト、もしくは撃墜した真理江が、オーラスに於いて再び捕獲するビデオ男か。又このラスト・シーンが凄まじい。上下はセパレートしてゐるものの、ヴィジュアル的にアスカのプラグスーツのやうな―因みにお断りしておくと、1995年のTVシリーズ放映よりも、今作は全く遡る―物凄い服を着た真理江が、これで私を撮つて下さいと一人には断られ二人目の男にホームビデオを差し出す。男がカメラを向けるや、真理江は上を脱ぎ、例によつて自縛済みの裸身を露にする。そのまま周囲に人だかりも出来る中での集団注視露出遊戯を、結構尺もタップリと使ひ、遠くロングから押さへるといつたエクストリームなものである。業の深さすら感じさせる真理江の欲望の質量と同時に、即物的にも清々しく満足させられる、正しく怒涛の一作である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「丸見えやり抜き温泉」(2010/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・新居あゆみ/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:新居あゆみ/スチール:小櫃亘弘/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:榎本靖/監督助手:新井愁一/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボ・テック/出演:倖田李梨・鈴木ミント・里見瑤子・なかみつせいじ・久保田泰也・天川真澄)。ポスターには選曲が山田案山子とあるが、本篇クレジットには載らない。
 舞台は伊豆大室高原の和風ペンション「るりいろ」、主人の高谷剛志(なかみつ)は妻・ルリ(倖田)を三年前に亡くし、現在は四年前に離婚したルリの双子の妹・清水美紀(当然倖田李梨の二役)に手伝つて貰ひながらどうにか切り盛りするも、どうにも仕事には熱が入らない。ところで「るりいろ」の物件は、必ず表札乃至は看板を抜く変なところで律儀な小川欽也とは異なり、明示的には捉へられないが、小川欽也や深町章の伊豆映画で御馴染みの花宴である。ここで改めて振り返つてみると、関根組が遠方にロケを張るのは実は結構久し振りで、些か記憶が覚束ないが「兄嫁の谷間 敏感色つぽい」(2008/主演:平沢里菜子)での地元パートがさうでなければ、水上荘映画である「未亡人温泉 女湯でうなぎ昇り」(2007/主演:瀬名ゆうり・佐々木基子)まで遡るといふことになる。話を戻して、年に一回命日に幽霊として「るりいろ」に戻つて来るルリは、何時までも未だ立ち直れぬ夫と、いつそ一緒になつてしまへばいい妹との、矢張り何時までももどかしい関係にヤキモキしてゐた。そんな中、幽霊スポットの取材に訪れた雑誌記者の大槻可愛(鈴木)と、可愛とは男女の仲にもある怖がりカメラマン・見附真治(久保田)。二人に続いて、戯画的に思ひ詰めた風情の永沼庸平(天川)と妻・敦子(里見)の夫婦が、「るりいろ」に宿泊する。巫女の血を引き霊感があるとの可愛にはルリの姿が見え、何やらシュウヘイといふ家族が重病だとかいふシリアスな事情を抱へてゐるらしき永沼夫妻は、まさか心中目的で伊豆にやつて来たものではなからうかと、美紀と剛志は早とちる。
 特段瑞々しくもないがポップなシークエンスばかりが鏤められた、ラブコメ調の幽霊譚。シュウヘイは実はペットの亀で、庸平も敦子も別に死なうといふ気などさらさらないといつた真相は清々しく他愛ないが、ルリの霊力で回復したシュウヘイが、藪から棒にガメラよろしく空を飛び永沼夫妻は驚喜する傍ら、美紀と剛志は仰天するといふ羽目外しは、近年の関根和美にしては打点が無闇に、あるいは無駄に高い。久方振りのロケ撮影に、大ベテランも思はず心を弾ませてしまはれたのであらうか。とはいへルリが可愛の力も借り、剛志と美紀を結びつけようとするのは麗しい王道展開で、ハッピー・エンドにまで綺麗に辿り着く物語にはホンワカと温かい気持ちにさせられる。画期的に珍しく高打率のギャグ演出を、猛烈に加速するなかみつせいじ一流の大オーバー・アクトも素敵だ。突出したものは一欠片たりとてないまゝに、だからこそ逆に完成されてゐるといへなくもない、敷居の低いウェル・メイドな娯楽映画である。風呂を浴びる可愛にルリがファースト・コンタクトを試みる浴室の件。一旦はルリはこの世のものではないため鏡には映らないといふ描写を経ておきながら、別のカットでは特に工夫するでもなく可愛に並んでルリも平然と浴室鏡に映り込んでゐたりする無頓着さは、最早天衣無縫と通り過ぎよう。尤もあへていはずもがなをいへば、かういふ時にキャスト如何によつては無理にジタバタした回避を強ひられることもある一般映画に対し、寧ろ当然の要請として乳も尻も思ひきり放り出してみせればいい、ピンク映画の大らかさも尊びたい。

 一箇所ユニークなのが、本筋には一切関らない純然たる繋ぎの準濡れ場として、下元哲―もしくは松原一郎―映画に於ける定番といふべき、排尿の愉悦に打ち震へる女のショットが、可愛を主体に構図も趣向も全く同様に差し挿まれる。最終的には同じ下元哲がカメラを回してゐる以上、さういふいはばコピーが生じてしまふことも然程不思議ではない、ともいへるのかも知れないが、自監督作時と比べると若干緩めの画質まで含めて、さりげなく御愛嬌である。
 厨房での剛志とルリの夫婦生活に鼻の下を伸ばす、初老客二人は暖簾で半分顔も見えず、何れも不明。オーラスに声のみ登場する関西人の女編集長は、新居あゆみと考へてまづ間違ひあるまい。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「四畳半革命 白夜に死す to be or not to be.」(2008/製作:オカシネマ/配給:サクセスロード/監督:世志男/脚本:小松公典/製作:かわさきひろゆき/企画:岩本光弘/ラインプロデューサー:大高正大/撮影:渡辺世紀/録音:広正翔/助監督:宝田雅資・太田美乃里・小島一洋/アクションコーディネーター:坂田龍平/衣装:かわさきりぼん/制作・宣伝:間宮結/美術:オカシネマ/メイキング:前田万吉/スチール:渡辺恵子/WEB制作:五十嵐三郎/制作協力:小中健二郎・吉田剛也・大高正大・下村芳樹・深澤俊幸/製作協力:おかしな監督映画祭実行委員・シネマアートン下北沢/協力:シネマアートン下北沢、劇団超新星自由座、SPD事務所、劇団クラゲ荘、PINK AMOEBA、劇団醜団燐血、おかしな監督映画祭実行委員会、《株》ジル・エンタープライズ、《有》ピー・エル・ピー、《株》TOKYO U.T.、《有》エイトライン/スペシャルサンクス:島津健太郎・富永研司・伊藤俊・藤榮史哉/出演:結木彩加・三元雅芸・山田慶子・藤内正光・本城ケイタ・前田万吉・前田広治・春田純一《特別出演》・里見瑤子・西入美咲・宝田雅資・山本滋久・運蓄進・水原香菜恵・間宮結・堀江久美子、他/声の出演:亜坊・セッシィオゥ、他/スタント:坂田龍平)。
 炎天下、血塗れで倒れる男に蟻が群がる。男が見上げた空に重ねられるタイトル・イン、照りつく太陽が、裸電球に傘が被せられただけの電灯に移行する。
 学生運動に荒れる時代、細かな背景は語られぬが内ゲバか、太一(前田万吉)と勝彦(前田広治)の河本兄弟が、まるで聞き取れない絶叫台詞を無闇に喚き散らす演出はとりあへずさて措き、兄貴の太一は足を挫きつつ大勢の追手から逃げる。間抜けの一人が落として行つた鉄パイプを、悠然と遅れて歩く男が拾ふ。勝彦は逃がすも追ひ詰められた太一は、多勢に無勢の中必死に猫を噛む。そんな窮鼠の前に現れた組織の中でも筋金入りの武闘派・横山直也(三元)は、冷酷かつ圧倒的な戦闘力の差を見せつけ太一を倒す。仲間ながらにその非情さに怖気つく一人に鉄パイプを手渡した直也は、「造反有理、革命無罪」と煽動、既に戦闘不能状態にある太一の止めを刺させる。組織のリーダー・中丸陽介(藤内)はそんな直也の暴力を清濁併せ呑み重宝するが、陽介に軸足を失して心酔する江藤香(山田)は、直也の存在自体に拒否反応にも似た激しい危惧を抱く。そんな折、兄の復讐を胸に、勝彦が直也を襲ふ。逃走追跡劇も交へた激しい格闘の末、直也は弾みで勝彦を刺殺してしまふ。自らも深手を負つた直也は姿を消すべく逃げ込んだ繁華街で意識を失ひ、拾はれた売春宿に暮らす足の悪い娼婦・アッコ(結木)の部屋で目を覚ます。自力で歩行もまゝならぬ女が、どうやつて重傷の学生活動家を保護し得たのかに関しては、観客には秘密だ。組織にとつての重大な不祥事に直面した陽介は、何時の間にやらすつかり男女の仲にあつた香に、直也探索を命ずる。
 水原香菜恵・間宮結・堀江久美子は、敗走に近い形で逃走する直也と擦れ違ふ街娼たち。里見瑤子は、裏で売春宿を営むスナック「里鶴」(杉並区方南銀座に現存)のママ。春田純一は、里鶴に通ひ詰めアッコの心を掴み、アッコが貯めた金を受け取るのに成功するや、逆の意味で正直に姿を消した船乗り。
 少年時代、自身に加へられる暴力に屈するべく暴力を手に入れた直也は、だが然し以来、遂に恐怖から逃れられることはなかつた。アッコの純真さに直也が人間性を回復する一方、そんなアッコは、未だに船乗りとの約束を信じてもゐた。船乗りが、自分が戻つて来なければそこで死んでゐる筈だと手紙に書き残した、白夜が見たいなどといふアッコの漠然とした願ひの成就を強く望んだ直也は、口止めと組織から離れる条件に、陽介に一千万の現金を要求する。ところでこの一千万といふ金額の、リアリティといふ点については如何に捉へればよいのか。昭和四十五年で大卒男子初任給が約四万円、といふと、現在でいへばざつと五千万といつたところになる。この頃の学生組織に、それはおいそれと出せる額なのか否か。
 少々大袈裟だが非人間的な戦闘マシーンが、可憐な売春婦との出会ひを機に、失つてゐたものを取り戻す。女の地から足の浮いた夢を実現するために、男は起爆装置の地表に露出したフラグを踏む。直也が里鶴に転がり込んでから暫くが、結木彩加が結構豊かな胸の谷間を露にするまでで結局脱ぎもせず、見せ場と抑揚とをとも欠いた展開が一頻り続き力強く中弛む感は否めない。詰まるところは、十全な濡れ場をこなすのは実は山田慶子だけであつたりもする。序盤でダッシュを決め中盤で一時停止した映画は、判子絵ならぬ判で押したやうな展開ともいへ、ポップな破滅へとそれはそれとして完走する。直也への感情移入を回収したカタルシスを果たすラストのもう一押しまで含め、フィニッシュは一旦は綺麗に決まる。ものの、オーラスに至つて藪から棒な蛇足に思へるのは、直也のアッコへの眼差しを、出し抜けに“四畳半革命”と称するのは流石に木に竹を接ぐにも甚だしくはなからうか。今でいふところの―それとも最早若干古いのか?―“セカイ系”のメンタリティに意外と通底しなくもないのかも知れない青年期の、通用力の射程距離に対する認識を抜け落ちさせた自意識が辿り着いた、“四畳半革命”なるキラー・ワード自体は大変魅力的ではあるものの、物語との連結といふ意味でのドラマの積み重ねには、必ずしも成功を果たしてゐるとはいへまい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「派遣の性癖 美白びんかん巨乳」(2009/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:新居あゆみ/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:新居あゆみ/編集:有馬潜/選曲:山田案山子/録音:シネキャビン/監督助手:市村優/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:榎本靖/スチール:小櫃亘弘/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボ・テック/出演:白川莉紗・真咲南朋・里見瑶子・なかみつせいじ・久保田泰也・天川真澄・牧村耕次)。
 大手商社をリストラされた飯岡靖彦(なかみつ)は無職期間を経て、登録した派遣会社から中小企業経理課の勤務が漸く決まつたことを、レジ打ちアルバイトの妻・頼子(里見)と喜ぶ。普段は別室の経理部長・大山信夫(牧村)から紹介された経理課の面々は、課長の日高直人(天川)以下、飯岡と同じ会社から派遣された、「スーパー派遣」などといふ間抜けな異名も誇る遣り手の松島友紀(白川)。更に関根和美と席は友紀の左隣の新居あゆみに、若い男がもう二名、この二人はところで誰なのか。友紀は日高と、二人とも未婚である以上通常の、部下と上司を超えた男女の仲にもあつたが、日高はグルングルンの巻き毛がハチャメチャな、社長の娘兼秘書も務める望月茜(真咲)と損得込みで婚約してしまつてゐた。結婚後も関係を継続したいだなどと都合のいい日高に対し匙を投げる友紀は、ある日横紙を破つた社長交際費の落とし方をしようとする、茜とも対立する。一方、失職後夫に対する不信感を実は懐いてもゐた頼子は、出会ひ系を介し知り合つた、五十嵐康平(久保田)との不倫に溺れてゐた。靖彦との夫婦生活で頼子の絡みは消化済みでもあるゆゑ、短い尺の中さして踏み込まれるでもない五十嵐の存在は厳密にいへば不要にも思へるが、夫と間男との間で揺れる心情を表現する里見瑤子の芝居の豊かさは、同時に枝葉と措いてしまふには惜しくもある。
 断片的なドラマドラマの完成度は何れも高いため、関根和美にしては随分な上出来にも、錯覚しようと思へば出来ぬ訳でもない、貴様はそれでもファンなのか。とはいへ全体的な一本の物語としての統合力は全く弱く、良作と称へるにも正直遠い一作。頼子・茜・日高らにより外堀はほぼ完璧に埋められつつ、友紀と飯岡、二人の主人公の本丸攻略には、決して成功を果たしてゐるとはいへまい。偶さか社会的に躓いた以外は、飯岡は一貫して妻を愛した良夫であり続ける以上、頼子への想ひも滲ませる飯岡が、結局友紀と寝ないには流れとして成立し得ないといふのがどうにも辛い。ここは回避し損ねた、ピンク映画固有のアキレス腱。無様に吐いた唾を飲んだ日高を、友紀は大山もゐる場でグーパンチで殴り飛ばし、ケジメをつける。頭を下げようと角打で説得を試みる飯岡に対し、自身のスキルを強く自負する友紀は、働き先はほかに幾らでもあると悩ましく豊かな胸を張る。それはそれで、飯岡とは初めから結ばれよう相談にはなく、日高も要は茜に奪はれ仕舞ひ。新居あゆみが狙つたものか否かは不明ながら、職のみならず友紀が男も転々とせざるを得ないシンメトリーも、最終的な出来上がりを見る分には特に意識されるでない。尤も、オフィス街にスーツ姿で一人佇む友紀を、飯岡が遠目から見やる開巻から重ねられるラスト。頼もしげに見詰める飯岡に反して、友紀はといふと心なしかくたびれて見えるのは気の所為か。なかみつせいじを遥かに凌駕する、公称176cmといふ白川莉紗のタッパは高身長好きには堪らなく、飯岡との濡れ場に際し、背面座位で友紀の敏感かどうかは兎も角額面通りの美白巨乳を、モッチャモッチャと揉み込むショットの決定力は素晴らしい。ただ残念ながらといふか何といふか白川莉紗といふ人は、どうやら現在では既に活動してをられないやうだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「実録・夫婦の下半身」(1993『本番夫婦 新婚VS熟年』の2010年旧作改題版/配給:新東宝映画/構成・監督:鈴木敬晴/企画・製作:中田新太郎/撮影:稲吉雅志/照明:渡波洋行/編集フ:ィルムクラフト/音楽:雄龍舎/録音:ニューメグロスタジオ/助監督:上田耕司/撮影助手:片山浩/照明助手:上別府創/監督助手:佐々木乃武良/効果:協立音響/現像:東映化学/出演:桃川麻里子・藤沢美奈子・小川真実・竹二郎・木下雅之・藤ひろ子・牧村耕次)。俳優部は、実際には各話ごとにクレジットされる。
 開巻とクレジット後のオーラスに文字情報にて、今作が実際の夫婦から寄せられた実話を元に再構成したものである、とする建前が謳はれる。オーラスに至つては新たな投稿を募集しすらする、投稿先を明示もせずに、何処に送ればいいんだよ。封切り当時小屋に封書を持参して、支配人をポカーンとさせる呑気なお父さんのあつたことを希望。
 第一話、結婚十三年、絶賛倦怠期に突入したフジカワ夫婦の物語。夫婦の営みも途絶えがちなある夜、洋酒を舐めながらAVを眺める夫(竹)を目撃した、妻(桃川)は泣き崩れる。これではイカンと明々後日に奮起したフジカワは、二足飛びにガッチガチのマニア氏に変貌。メチャクチャな破廉恥衣装を着せた妻を屋外に連れ出して露出撮影、家に戻れば自撮りビデオを回すと大ハッスル。戸惑ふこともなく嬉々と付き合ふ妻に、ラストではフジカワがどうやら切つてゐるらしい絵コンテを披露するのが微笑ましい。それはそれとして、問題なのが桃川麻里子の体型。まあ達磨のやうな文字通りの肉弾で、キャラクターは全く薄いが続けて登場する藤沢美奈子の抜群のプロポーションと比較すると、この時一体何を考へて桃川麻里子を先頭に据ゑたのだか、今となつては皆目検討もつかない。
 第二話、結婚一ヶ月、新婚ホヤホヤの山本夫婦の物語。山本(木下)は新妻(藤沢)に、貞操帯は装着させるは、「夫婦の約束第七条」だなどと称してノギスまで持ち出し計測した乳首や女陰のサイズを大学ノートに記録してみたりと、頓珍漢に御執心。因みに第一条は出がけのキスで、第八条が貞操帯。ある意味、徐々にハードルが上がつてゐさうな風情が窺へなくもない。藤沢美奈子は特に芝居をするでなく山本に振り回されるに止(とど)まりつつ、スタイルが超絶なので、とりあへず喜んで観てゐられる。乳首にイヤリングを装着するギミックは新妻の見せる戸惑ひの表情まで含め素晴らしく、生理が始まつたので貞操帯が着けられないといふ主旨の遣り取りに、妙に尺が割かれる辺りが再び微笑ましい。
 第三話、結婚七年、未だ子宝に恵まれぬ斉藤夫婦の物語。自宅で指圧院を開く斉藤(藤)は、息子・ヨシユキ(牧村)の嫁・レイコ(小川)の、ナレーション(主は不明)がさういつてゐるだけで別にさうも見えないのはさて措き、お嬢様ぶりに苦笑気味。第三話ファースト・カット、指圧院の客役も誰なのか不明。当然脱ぎはしないが、藤ひろ子のショットで今篇の幕を開けた点に関しては、製作サイドのベテラン女優への敬意を酌み取ればよいのか。子作りに奮闘する息子夫婦の姿を前に、斉藤は代々斉藤家に伝はる家法だとかいふ、鰹節のやうな秘薬をヨシユキに託す。ここも裏を返せば、七年間出し惜しんだ意地悪の意味はよく判らない。
 さういふ、漫然とした計三篇からなるオムニバスを通過した上で、児童公園に三組の夫婦が登場順に一応交錯する。更にここに際しても、山本夫婦を視認したフジカワと、斉藤夫婦を視認した山本がそれぞれ何故か少し驚いた顔を見せるのは矢張りストレンジではある、そもそも知り合ひであるのかすらから疑はしい。鈴木ハル名義の「人妻 口いつぱいの欲情」(1984/主演:川奈忍・中根徹)はそれなりに硬質で幻想的なドラマであつたやうにも記憶してゐるものだが、今作は同じ人間が撮つたものとは感動的なまでに思へないやうな、清々しくルーチンルーチンした一作である。尤も、中盤激しく中弛み、硬質といへば聞こえもいいがその実は硬直したともいへる「人妻 口いつぱいの欲情」よりも、のんべんだらりとした始終ながらそののんべんだらりを滞りや躓きを仕出かすこともなく、ひとまづ綺麗に通過してみせた今作の方が、実は映画として形になつてゐなくもないのかも知れない。

 ところで今回の「実録・夫婦の下半身」といふのは、2001年の「実話 夫婦の営み」に続く二度目の旧作改題。コンセプトにより即してゐるのは、二度の新題であらう。大体、本番夫婦といふ単語がよくよく考へてみるならば理解不能である。逆に擬似だとするならば、一体どういふ特殊な夫婦なのか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「超スケベ民宿 極楽ハメ三昧」(2010/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/撮影監督:創優和/助監督:山口大輔/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/監督助手:櫻井信太郎/撮影助手:宮永昭典・瀬名波尚太/音楽:與語一平/スチール:本田あきら/現像:東映ラボテック/協力:有限会社TOHOO・加藤映像工房/Special Thanks:岡田智宏/出演:赤西涼・沢井真帆・松浦ユキ・倖田李梨・AYA・岩谷健司・サーモン鮭山・久保田泰也・世志男)。協力の有限会社TOHOOといふのは、森角威之が社長の不動産屋。
 嫌だといふのに顔射を好む彼氏(声は岡田智宏、体は岡田智宏でなく、これ久保田泰也か?)との別れを決めたOLの森朝香(赤西)は、同僚で無闇に政情の不安定な国出身のバニー(AYA)・ハニー(倖田)の二人と傷心旅行に繰り出す。一行が目指すのは、バニーがチラシを持つてゐた“失恋民宿”とやら。一方何処ぞの海町、二人きりの高校美術部員、兼一応交際関係にもある高塚真由(沢井)と道後博明(久保田)が、一方的な博明の青い性欲を原因に戯れるやうに喧嘩する。その様子を野グソがてら見守つてゐた顧問(サーモン)は、演出上は真由にフェイントをかけつつ、博明に色んな意味で道ならぬ恋心を暴発させる。朝香らが目指した失恋民宿「路芽路」は、何時までも嫁にゾッコンな博明の父・博文(世志男)と、そんな夫に手を焼きながらも仕方なく迎へる母・明子(松浦)が営む博明の実家であつた。幸野賀一をハンサムにしたやうな感じの岩谷健司は、父子のよくいへば邪気のないスケベぶりに呆れ気味の、路芽路の板長・川本英二、本職は舞台役者とのこと。父親が国家元首といふバニーは、母国でクーデター発生との報に慌て従者らしいハニーを連れ一旦退場。一人残された朝香に、真由を思ふに任せない博明は、見境を欠いた性欲の矛先を向ける。
 改めて、世評には違へた評価を整理しておくと、竹洞哲也の少なくとも現時点に於けるピークは共に2004年の、「人妻の秘密 覗き覗かれ」(主演:吉沢明歩・竹本泰志)と「美少女図鑑 汚された制服」(主演:吉沢明歩・伊藤謙治)の、実はデビュー二作まで。2005年の「さびしい人妻 夜鳴く肉体」(主演:倖田李梨・柳東史)、「援交性態ルポ 乱れた性欲」(主演:冬月恋・倖田李梨)、「欲情ヒッチハイク 求めた人妻」(主演:夏目今日子・那波隆史)の三本は何れも惨敗の三連敗。2006年第一作の「ホテトル嬢 癒しの手ほどき」(主演:青山えりな)で幾分持ち直し、以降は当たり外れがありながらも、最終的にはそろそろ“竹洞組の映画”に対する固執を捨て、もう一度素の娯楽映画で勝負する気持ちも取り戻しては貰へまいか。といふのが、当サイトに於ける竹洞哲也に対する概評である。
 その上で、更に未だ近隣の小屋まで辿り着いてはゐない、近作は数作未見であるといふ限定つきでの今作は如何にといへば、決然と得意の筆禍を仕出かしてみせるが最高傑作の正反対、竹洞哲也最低凡作である。全篇をグシャグシャに崩してしまふ、チャラケ三文・久保田泰也による見苦しく腹立たしいばかりの博明空騒ぎ。そもそも、鮭山先生を“メタボ中年”と難じる前に、まづ己の緩みきつた首から上も下も絞れボケ。バニハニの異国趣味ギャグ・パートは、一国の政権が猫の目感覚で手の平を返す自堕落さまで含め、端々を飾るどころかほぼ終始滑り放し。孤軍奮闘する沢井真帆が愁ひを帯びた表情で映画的叙情を散発的に繋ぐ反面、最終的には完璧な唐突さで博明に転ぶやうになびいてみせるのは、何たる御都合主義、あるいは怠惰か。完全に引つ繰り返つた卓袱台に腹が立つのも通り越し、暫し呆然としてゐた。蕩けるやうに肉感的な松浦ユキはいゝ感じではあれ、今度は世志男がカッチャカッチャと騒がしい。下手なルーチンワークよりは技術は伴はないにせよ意欲的ではあらう分却つて、しかも何故か半ば党派的―もしくは村社会的―な支持も集めてゐないではないだけに、一層始末に終へない罪深き木端微塵。新東宝の厳密には従来型のピンク映画ではない二作入れても、八本しか観られてゐないうちから何だが、カワノゴウシの「珍・監禁逃亡」(主演:伊東遥・水元ゆうな)にすら劣るとも勝らない、予想外の角度から飛び込んで来た2010年のワースト候補である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「ある歯医者の異常な愛 狂乱オーガズム」(2010/制作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:黒川幸則/脚本:今西守/企画:亀井戸粋人《エクセスフィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/音楽:Stateless Girl/撮影:村石直人/照明:関根謙一/編集:早野亮/助監督:江尻大/撮影助手:橋本彩子/照明助手:小川健太/スチール:MAYA/編集室:日活スタジオセンター/出演:立木ゆりあ・ほたる・藍山みなみ・津田篤・佐倉萌・椿ハコ・飯島大介《愛情出演》・園部貴一)。監督助手その他拾ひ損ねる。
 ガランとした、ズバ抜けて生活感を排した居室、歯科医の橋本清一(園部)が、コレクションする女の患者から抜いた歯を愛でながらブツブツと呟く、「無意識の欲望の、不滅の存続・・・・」。抜いた女の歯を愛でる歯科医、といふ衝撃も押し退け、困惑が先に立つ。おいおいおいおい、開巻から観念論かよ(;´Д`) しかもプログラム・ピクチャーたるピンク映画の、更に元来は最も腰から下に忠実に仕へてゐた筈のエクセスに於いて。
 橋本は以前自身の医院に通院してゐた、矢崎浩子(立木)が夫の健雄(津田)と、連れ立ちつつも決して仲睦まじくはなからう様子で歩く姿を目撃する。一旦二人と擦れ違ひ角を曲がつて退場したまま、カメラが動かないと案の定、橋本は浩子を尾ける為に再度フレーム・イン。夫婦の不仲を表現する為に、中央が手摺で仕切られた階段を、健雄と浩子とが左右に分かれて歩く画の判り易い反面古臭さもどうしたものか。橋本のクリニックには、二人の歯科助手・角ユウコ(ほたる)と村瀬トモ(藍山)とが働く。ほたるといふのはex.葉月螢で、フレキシブルに質量を増減させる荒技を誇らない藍山みなみは、残念ながら今回激しくオーバー・ウェイト気味。二度目の愛情出演を果たす飯島大介はサクッと通り過ぎられる男性患者で、佐倉萌は一応関心も持たれる女性患者。その日の診療は終へ、トモは先に帰つた更衣室。橋本は着替へ中のユウコを急襲するが、途中まで仕掛けておいて、関心を失つたのか半裸まで剥いた女から体を離す。そんな折、歯茎を腫らした浩子が再び治療に訪れ、再燃した橋本の欲望は、次第に歯止めが利かなくなる。ひとまづピンサロに向かつた橋本は、物欲に駆られアルバイトするトモと鉢合はせる。ここで女を待つ間に橋本が妄想する、内部に歯の生えた女陰といふイメージからは、山邦紀の「変態肉濡れバイブ」(2000/主演:上原めぐみ・望月ねね)も容易に想起されるが、ここは特にオマージュだとかさういふことではあるまい。女の自意識と男の特殊性癖、幻想のベクトルが正反対である。話を戻して、そんなトモに歯を一本二十万で売らないかと持ちかける橋本ではあつたが、土壇場になるとトモは逃げ出し、インポ・変態と筆汚く殴り書いた退職願を残し姿を消す。そもそも、土壇場までついて行く時点でどうかとも思ふが。浩子が忘れて行つた手鞄から家の鍵を拝借した橋本は、ユウコの制止も何処吹く風と、診療も全く疎かに浩子の、歯へのストーキングに執心する。やがてユウコも、入れ歯だけを残し橋本の前から去る。ユウコは歯を、全て橋本に捧げてしまつてゐたのだ。椿ハコは白衣で河原をウロつく不審極まりない橋本が目をつける、パターゴルフを練習する歯の綺麗な中年女。
 2010年も十月に差し掛かつて、松岡邦彦と今回の黒川幸則、友松直之のメイドロイド続篇に工藤雅典。目下も新版公開では小屋の番組をかなりの割合で占拠する新田栄すらさし措き、それでも従来型のピンク映画は封切つてゐない新東宝に比べればまだしも健闘してゐるといへるのかも知れないが、僅かな僅かなエクセスの新作ピンク製作体制にあつて、一体何たる無茶を仕出かすのかと唖然とさせられずにはをれない、最大限によくいつても珍品中の珍品、怪作中の怪作である。女の歯に病的なフェティシズムを抱く歯科医、といふだけで画期的に正しく狂ひ乱れた主人公ではある。これで松岡邦彦の馬力を以てすれば、斯様な前代未聞の出発点から、無理矢理にでも娯楽映画の枠内に押し込めた可能性も残されたのかも知れないが、黒川幸則の場合は設定に完全に振り切られると、商品として当然要請されて然るべきであつたらう煽情性も殆ど疎かに、単なる、純然たる変態映画に仕上がつてしまつた。それはそれとしての質量、といふかより直截にいふならば破壊力だけならば無闇にデカいので、諦めて裏口から喰ひつくといふ手ならばなくもなからうが。強ひて今作の巨大な明後日に正攻法のアプローチを試みんとすると、尺もタップリと注ぎ込まれた橋本の変態性の描写は十全に果たされる反面、全く不足してゐるのが、矢崎夫婦の不和の描き込み。その為、浩子の側にも橋本に絡め取られることを許す要因となる、心の隙間があることを前提として必要とする大筋に軸が通らず、後に最終的なダイレクト・アタックを敢行した橋本と妻との遣り取りを乱雑に誤解した、健雄が家に灯油を撒き火を放ちまでするクライマックスの大アクションに際しては、拭ひやうのない唐突感が大爆裂する。

 そんなこんなも兎も角、箆棒な異常性の陰に隠れあまり目立たくもないもう一つの飛び道具が、清々しいアナクロニズム。二十一世紀も明けて早丸十年にならうといふのに、今時能書映画として幕が開いた時点でオープニング・シークエンスから頭を抱へたが、後の殺到する患者―その中に加藤義一が見切れる―も絶賛放置し浩子の尻、といふか歯を追ひ駆ける橋本を、ユウコが仕方なく捕まへに行く件。ユウコから逃げようとした橋本が、コンクリートの穴から肩から上だけを覗かせ、抜けられなくなり苦悶する間の抜けたショットを見せられた瞬間に、一連の時代錯誤は無作為から生じるものではなく、変化球も通り越した魔球映画の一種の味つけとして、恐らく狙つたであらうことを感じた。健雄が浩子と橋本とが現住する自宅に放火する修羅場。当然ピンクのバジェットでは、物置ひとつおいそれとは燃やせやう相談にもないところ、燃え盛る炎の映像を役者の体に投影することによつて、燃焼を描写するなどといふのも物凄いメソッドで震へさせられた。画的には、意外と結構サマになつてはゐたのだが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「美人音楽教師 濡れ下着」(1998『人妻ピアノ教師 いやらしい指』の2006年旧作改題版/制作:ENKプロモーション・駒田慎司/提供:Xces Film/監督:剣崎譲/脚本:葛西玲・剣崎譲/企画:稲山悌二 エクセス・フィルム/原作:長谷川章一『人妻ピアノ教師 いやらしい指』ノベライズ鹿砦社・刊/撮影:牧逸郎・木根森基・山森泰/照明:北井哲男・田村正宏・岸田一也/助監督:木村徳文/制作:大谷優司・平田孝・佐藤充/スチール:渡辺哲/美粧:井谷裕子《シェル》/衣装:三宅洋子/ネガ編集:不動仁一郎/ピアノ指導:相崎紀子/録音:東洋スタジオ 立石幸雄/リーレコ:日映新社/現像:東映化工/タイトル:タイトルラボ/フィルム:報映産業/協力:関西映機・AC/DC・翔の会・レンタルラボ エンドレス・ランジェリーショップ エリー・オートセンリ Signal・スナック ガラスの森/出演:イヴ《神代弓子》・水原彩・河田美咲・藤田佳昭・天城鳳之介・佐賀照彦・中川真理子・渡辺哲・山根信介・河野洋一・遠山章・山口尚美・池山司)。出演者中、中川真理子以降は本篇クレジットのみ。
 ピアノの音とともに住宅地のロングを押さへる開巻、自宅でピアノ教室を開く美智子(イヴ)に、生徒の遠野(佐賀)が迫る。少なくとも今作に於ける佐賀照彦は、女より寧ろ男の方が好きさうにしか見えない点に関しては、この際通り過ぎよう、どの際なのか。遠野がブラウスの第一釦を飛ばすのは、無造作なミスでなくさゝやかな伏線。飲み屋「LEE」にて、矢張り二代目社長である年下の友人・中村(天城)と飲む父親の会社を継いだ夏木昭夫(藤田)に、ママの奈央(水原)が尋ねる。「奥さんて確か・・・」、「ピアノ教師だよ」といふ答へに合はせた、タイトル・インの判り易さが抜群にスマート。続けて後日、遠野へのその日のレッスンを終へたタイミングで、美智子が当該のブラウスを着るのは初めてであることと、即ち冒頭の濡れ場は夏木のイマジンである旨とが語られる。そこまでは、いゝとして。居間にて夏木が美智子と乳繰り合ひ始めたところに、遠野がバツの悪さうに忘れ物を取りに戻るのは、些か間も抜けたシークエンス。主要俳優部残り河田美咲は、入社した会社でロック・オンした社長の倅の子供を懐妊し、狙ひ通り新社長夫人の座に納まつた中村の妻・ナオミ。自宅にしてはピンサロ感覚な赤青の照明が当てられる寝室、ナオミとポップなコスチューム・プレイに日々戯れながらも、中村は夫婦生活のマンネリ化を感じぬでもゐた。そんな中村に、奈央はいはゆるニャンニャン写真を薦めてみる。そんな写真何処で現像するのかと疑問を懐く中村に、夏木は俺がやつてやるよと猛者風を吹かす。藪から棒にその道のマニアさんであつた夏木は、美智子との豪快な野外露出撮影に、それでゐてポラロイド・カメラを使用してゐたりなんかする、現像する技術も設備も必要ないぢやん。デカい黒塗りのスポーツ・セダン(シグナルオート提供か)を乗り回す割には、自宅でのナオミ撮影に中村が他愛もない使ひ捨てカメラを使つてみたりと、とかく所々が締まらない映画ではある。それもこれも、デジカメといふパンドラの箱が開く以前の世間の話でしかないのだが。夏木は休日に、中村夫婦を自宅に招く。ナオミから中村が自身の痴態写真を見てゐるのを告げられた美智子は、動揺し衣服を濡らしてしまふ。別室に入り着替へようかとした美智子の乳を、夏木は左右から中村と二人で弄ぶ。動揺も隠せない中村に対し、夏木と奈央は、美智子とナオミをも巻き込み加速して行く。
 飲み屋の女を起爆剤に交へ繰り広げられる、二組の夫婦の愛欲遊戯。始終を通過した上での二人の夫の立ち居地を比較すると、暗がりの中から、並んで立つ夏木と中村だけが照明で浮かび上がる、古臭くも印象的なショット。取つてつけられたやうな場面ともいへ、中村は美智子のセックスは夏木を悦ばせる目的のものであり、対してナオミは自身が愉しむためだけであるといふ真実に辿り着く。一方元来主人公たるべき夏木はといふと、一貫して美しく従順な妻との羽目を外し倒した情事を、漫然と楽しむばかり。これでは要は、常識人である中村が、トンチキな夏木と奈央に振り回されるといふお話に過ぎない。脇役が一種の成長を遂げる反面主役が微動だにしない物語は、一応締めの美智子と遠野、挙句夏木も加はつての巴戦に際して何故か、しかも中途半端にしみつたれた量舞ふ羽毛が何となく象徴するやうに、詰まるところスッカスカでもある。それは一旦さて措き特筆すべきは、勇猛果敢過ぎる夏木と美智子の露出パートの撮影。背後に素面の見物客も見切れる景勝地でガンガン乳も尻も放り出すのは恐ろしくも序の口で、白昼の繁華街でも堂々と、肌蹴たコートの下の、美智子の裸のオッパイを傍らの夏木が揉み込んでみせるスリリングを披露。女優三本柱も完璧に綺麗に粒が揃ひ、展開自体の中身の薄さをエクストリームな煽情性がグイッグイ捻じ伏せる、実用的かつ痛快な一作である。

 中川真理子は、そこそこ目立つ「LEE」の女。渡辺哲は奈央らの会話の呼び水として、中川真理子に裸の写真を撮らせろとしつこいエロ社長。といふか、「LEE」はエロ社長ばかりの店ではないか。その他は、興奮しつつ当惑する長台詞も与へられる夏木と美智子の屋外プレイのギャラリーと、「LEE」店内要員。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「快楽郷 人妻に乗る」(1995 冬『本番!!ドすけべ夫婦』の2010年旧作改題版/製作:アウトキャストプロデュース/配給:新東宝映画/監督:上野俊哉/脚本:尾西兼一/企画:森章《新東宝映画》/プロデューサー:岩田治樹《アウトキャストプロデュース》・サトウトシキ/撮影:西久保維宏/照明:南園知男/編集:金子尚樹《フィルム・クラフト》/音楽:E.Tone/助監督:女池充/監督助手:坂本礼/撮影助手:鏡早智、他一名/出演:小川真実・沢田夏子・林由美香・登根嘉章・伊藤猛・清水大敬・佐瀬佳明)。照明助手その他諸々ロストする。
 矢沢シンゴ(佐瀬)が喫茶店に先に入りションボリと待つてゐると、遅れて先輩(伊藤)が現れる。二流会社に勤め既に人生の墓場に到達した伊藤先輩(仮称)は、一流商社マンでしかも医者の娘と付き合ふ、矢沢を羨望してゐた。ところがリストラされてしまつてゐた矢沢は、持ち金も底をつき伊藤先輩に当座のデート資金を無心する。と、したところで。未返済の十万円の貸し金を矢沢に持つてもゐた、伊藤先輩は俄に点火。テーブル越しに長い手足で小突き始めたのはほんのほんの序の口で、静かに鬼のやうな見幕に恐れをなした矢沢が逃げ出すや、伊藤先輩は完全に阿修羅の形相に豹変。怒号と共に往来に飛び出て矢沢を捕まへると、殴る蹴る投げ飛ばすの大立ち回りを展開する。絶賛それどころではないやうな気もしつつ、伊藤先輩も払つてはゐない代金を茶店の店員(不明)が取りに来た隙に、矢沢はどうにか愛車のアウディ―興味がないゆゑ、それ以上の車種まではシラネ―でその場を離脱。兎も角彼女・マイコ(沢田)と落ち合つた矢沢は、ホテルで一戦交へる。久方振りに目にした大美人・沢田夏子の濡れ場は、全く眼福眼福。ところがところが、矢沢が失業した窮地を告白すると、マイコもポップに態度を一変。無体に矢沢に匙と、「チンコ野郎!」などといふあんまりにストレートな捨て台詞とを投げ捨て、部屋から飛び出して行く。幾ら何でもこれでは、オマージュも通り越し殆どですらないコピーでしかないのだが、すつかり黄昏た風情で公園のブランコに揺られながら、「ゴンドラの唄」をタップリ1コーラス歌ふ矢沢の姿に、小川真実が遠目を注ぐ。矢沢が早急に追ひ出される社宅にひとまづ辿り着くと、玄関の前には小川真実が居た。矢沢は覚えてゐなかつたが、出張中の仙台の居酒屋で知り合つた、人妻・チエコであるとのこと。銀行員の夫との生活に疲れ家出して来たといふチエコと矢沢は、だらしない流れで心中することに。とはいへ死にきれずモタモタしてゐたところへ、矢張りさうはいつても心配したマイコが現れる。当然の如く、矢沢とチエコの関係を誤解したマイコは、実はマイコが貸してゐたアウディを回収し再び矢沢の前から去る。
 林由美香は、死地を求め矢沢とチエコが温泉地に赴いたところ、唐突に裸を見せる目的だけで登場する青姦女。完全無欠の濡れ場要員ぶりが、寧ろ清々しい。知らない名前以前に満足に照明も当てられないため、手も足も出しやうがないが多分登根嘉章が、林由美香お相手の野外男。ホッつき歩くチエコと矢沢を、暗がりの中から清水大敬がバナナを頬張りながら監視する。チエコの夫で銀行員の、ミサキキイチロウであつた。矢沢に接触したミサキは、一億円の報酬と再就職先の斡旋を条件に、チエコ殺害を依頼する。一方、もたつく矢沢の影に夫の存在を看て取つたチエコは、逆に三億でのミサキ殺害を提示する。
 仏の顔が三度目に微笑む穏当なハッピー・エンドまで含め、気弱な主人公がたて続く騒動の渦の中で翻弄される、巻き込まれ式のコメディである。その限りに於いては、ミサキ夫婦の人騒がせな真意に顕著であるやうに全く標準的な出来栄えで、首から上はあまり変らない反面、流石に若々しい小川真実のボリューム感を誇る肢体のほかには、とりたててどうかういふ部分も見当たらない。今作特筆すべきは、過不足ない本筋の他方で、妙にアクティブな序盤の枝葉。光量までガチャガチャな長回しも駆使しての、先にも触れた伊藤先輩大爆発。続いて矢沢が何とか車を走らせ始めたはいいものの、車内にカラスが紛れ込んでゐた、などといふ寝耳に水感が爆裂する大胆なギミックを発端として今度はアウディ大暴走。しかもそこに彼女を送り届けたばかりの自転車男(二人とも不明)を絡めての、逃げても逃げても自転車をアウディが追ひ駆けて来るカー・チェイスには吃驚した。為にする真似事ではなく、普通にちやんとしたカー・チェイスで、逆にいふならば一体何処に精力を傾けてゐるのだかよく判らないといへば判らない。アウディの活躍は更に続き、駄目“元”彼氏から貸した車を奪還したマイコが、猛バックで矢沢を轢くふりをする、といふスリリングな見せ場も披露する。あれこれ思ひ返してもみたのだが、スタントもクラッシュもないとはいへ、ロマンポルノならばまだしも、ピンクで本格的なカー・アクションを観た覚えがない。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「いんらんくノ一 蜜ツボ攻め」(2003『好色くノ一 愛液責め』の2007年旧作改題版/製作:国映/配給:新東宝映画/監督:かわさきひろゆき/脚本:かわさきりぼん/企画:朝倉大介/プロデューサー:深町章/撮影:長谷川卓也/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/音楽:リン・ホブディ/スチール:津田一郎/助監督:笹木賢光/現像:東映ラボ・テック/出演:麻白・里見瑤子・紺野美如・重松伴武・野村貴浩・高橋剛・かわさきひろゆき・川崎玲美那)。出演者中、川崎玲美那は本篇クレジットのみ。
 天正七年(1579)、風魔一族の首領・小太郎(かわさき)は徳川家康と、正室・築山殿との間に生まれたとされる嫡男・信康との間に実は血縁関係のないことを、採取した互ひの血液から割り出す。風魔一族がそのやうな検査技術を持つてゐるのはフィクションの大胆さと通り過ぎ、家康・築山殿・信康の三名は名前が口に上るだけで、劇中には別に登場しない。天下を揺るがしかねない驚愕の事実に直面した小太郎と配下の風魔忍者・隼人(重松)を、伊賀の服部半蔵(野村)が急襲する。半蔵の実力を知る小太郎は隼人を逃がすが、風魔の里は既に半蔵と伊賀勢に壊滅させられた後で、小太郎も半蔵の太刀に倒れる。その他伊賀忍者は最低限の殺陣で撃退しつつどうにか逃げおほせた隼人は、風魔忍法風移しの術で、事態を里からは離れた小太郎の娘・楓(麻白)に伝へる。楓は父の復讐を誓ひ単身伊賀の里に突入するものの、半蔵と、伊賀くノ一・朱鷺(里見)に捕らへられる。楓が未だ生娘であるのを見抜いた半蔵は、後々は自身の軍勢に加へる心積もりで、楓に伊賀忍法天女貝を伝授するやう朱鷺に命ずる。ところで天女貝とは、強靭に鍛へ抜いた女陰の締めつけで、咥へ込んだ男根を圧殺するなどといふオッソロシイ技であつた。要は前年の加藤義一のデビュー作に於いて、岩下由里香が対なかみつせいじ戦に際して使用したものと同じギミックである。何が“要は”なのか、自分で筆を滑らせておいてよく判らないが。紺野美如と高橋剛は、牢に入れられた楓の監視も何処吹く風と乳繰り合ふ、伊賀下忍の絹と砂吉。案の定、戦闘力は然程高くはない。
 現時点に於いて最新の、もしくは事実上最後の本格時代劇ピンク。時代劇としての形式的な体裁は概ねそれなりに整へられ、濡れ場と忍法とを直結した構成は、プログラム・ピクチャーとして抜群に麗しい。天下人を欺く大胆不敵な陰謀を軸とした物語本体も、申し分なく魅力的である。素面で観てゐたならば結構な満足を以て今作を迎へられたのかも知れなかつたのだが、甚だ残念ながら、あるいは不運にもといふべきか、偶さかな順序が悪かつた。今月末に一年で力尽きる天神シネマが時代劇特集を組んだ三本立ての中で、「徳川の女帝 大奥」(昭和63/監督・共同脚本:関本郁夫/主演:竹井みどり)の後に観てしまつては、如何せん苦しい。俳優部を先頭にどうしても全てが、どうしやうもなく貧しい。勿論初めから、比較自体がフェアではないとすらいへる、プロダクションの歴然過ぎる開きの存在ならば判つてもゐるつもりである。されども同時に、ピンクはピンク、一般映画やロマンポルノetc.よりは一段レギュレーションの低い別カテゴリー。だなどと割り切る、又は開き直ること決してなく、なほもその絶望的な戦力差に背を向けず蟷螂の斧を振りかざし立ち向かはんとせんところに、矢張り如何なる未来も存在すまい。恐らく、かわさきひろゆきもその心積もりで精一杯バジェットに屈せず善戦を展開せんと試みた節は窺へるものの、個人的な今回の感触としては、流石に如何ともしやうがなかつた。ただ、明後日にカッコつけも凝り固まりもせず、平素の小屋の客を置いてけぼりにするでなく、黙つてゐればとてもさうとは見えないほどに、国映作にしては思ひのほかオーソドックスな娯楽映画を志向し結果としても果たしてゐる点は、特筆すべき点であらう。

 出演者クレジットに載る残り川崎玲美那が、回想場面に登場する楓子役か、女声のナレーションの主であるや否かは不明。それ以外の可能性は、見当たらないやうに思へる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「残虐女刑史」(昭和51/製作・配給:新東宝興業/監督:山本晋也/脚本:山田勉/製作:吉岡昌和/企画:新東宝興業株式会社/撮影:柳田一夫/照明:磯貝一/音楽:多摩住人/編集:中島照雄/効果:創音社/助監督:堀之内透/演出助手:奥出哲夫/撮影助手:佐々木更生/照明助手:花田友三郎/衣裳:富士衣裳/小道具:高津小道具/結髪:丸善/録音:大久保スタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:峰瀬里加・東裕里子・今泉洋・近藤実・坂本昭・花房里香・深野達夫・三重街竜・谷ナオミ・大原恵子・松浦康・茜ゆう子・青木理沙・森明・港雄一・南ゆき・有沢正美・原幸平・土羅吉良・木南清)。出演者中、青木理沙がポスターには何故か日木理沙で、遠藤一男と坂本昭、深野達夫と三重街竜、森一男に有沢真佐美以降は本篇クレジットのみ。
 細君・郁子(東)が新しい女中のおさと(峰瀬)を、日本刀の手入れをする主人で旧日本軍軍人の友田大尉(今泉)に紹介する。友田が歳を尋ねると、怯えるやうに十八との答へが。さうか、十八かと受けた友田は、出し抜けに気勢を挙げるや刀を一閃。ビシャーッと飛び散る血飛沫に、ドイーンと被せられるタイトル・イン、

 何だこの映画。

 滅多矢鱈な開巻のビートを維持したまゝ、以降はひたすらに純然たる無体な無惨が吹き荒れる、のみ。間男・善之助(近藤)を斬殺した主人は、体面を重んじ細君の不義の発覚を懼れる。憐れ濡れ衣を着せられた女中は、巡査(坂本)に無理矢理口を割るやう拷問されると、舌を噛み切り自害する。
 名主(三重街)が挙式前に村の女の処女を頂くとかいふ、訳の判らないが羨ましくもある風習のある村。方言から推定すると、中国地方東部か。新妻・とよ(花房)を奪はれた新郎の松次郎(深野)はいきなりトップ・ギアに錯乱、名主は文字通り秒殺、新妻になる筈の女は清めるだとか称して矢張り拷問。枝切り鋏で左右の大陰唇(推定)を切り取るなどといふ、生半可なサド好きの低劣な煽情性をも、木端微塵に粉砕するスラッシュを展開する。
 滅法美人の画商・静(谷)に春画を依頼された浮世絵師の尾形晴雲(松浦)は、明後日に猛ハッスル。口の利けない娘・豊(大原)を苛烈に嬲り倒しながら、責め絵制作に明け暮れる。静が晴雲の毒牙にかゝりかけると、責められ過ぎで気が狂つてしまつたのか豊は静の女陰を喰ひ千切り、まるで幕間のアイ・キャッチ感覚で鮮血が迸る。
 仮面ライダーの石切り場的な荒野を往く、負け戦から逃走中の総姫と女忍者のかえで(青木理沙と茜ゆう子)。敵方の忍者(森一男と港雄一)に捕らへられた二人は、洞窟にて陵辱された上サックリ殺される。
 勘当された材木問屋「相模屋」の放蕩息子・清吉(原)と足抜けしようとした女郎のおはま(南)が、トッ捕まり相変らず拷問される。
 キャストの頭数と撮影現場のバリエーションとを要する分、手間も暇も勿論金も余計に嵩まうとしか思へないが、さういふ時代がランダムに前後する五篇を矢継ぎ早に連ねる、強ひて判り易く纏めようと試みるならばオムニバス風の一作である。さうはいへ、諸篇が互ひには清々しく一切連関しないばかりか、要は中身といへば女が惨たらしく虐待された上実も蓋もなく惨殺されるばかりにつき、殆ど残虐映画の総集篇、とでもいつた趣が強い。支配階級への怒りもマゾヒズムの悦楽も、虐げられる者のそれはそれとしての美しさなど一欠片も織り込まれるでなく、女体への凄惨極まりない加虐描写を徹頭徹尾貫き通す山本晋也の姿には、悪趣味なれどだからこそ力強くもある、見世物根性に徹した職業監督としての潔さがひとまづ窺へぬではない。一応ラストは囚はれ痛めつけられつつも、女郎と放蕩息子とが愛を確認し合ふカットで締め括られるものの、どうせ行く末は、虫ケラのやうにブチ殺されるに決まつてゐよう。

 一つ目を引いたのが、放蕩息子との情交に際し、女郎は紙を一度口に含み柔らかく、同時にある程度の固まりにしたものを、避妊具として膣内に詰める。今でいふならば簡易ペッサリーとして、さういふ習俗のあつたといふ点は勉強になつた。
 備忘録< 使ひきらなんだ配役が、ビリング順に女中さと・郁子・友田大尉・善之助・巡査・おとよ・松次郎・名主・静・おみつ・尾形晴雲・くの一かへで・姫君・忍者×2・女郎おはま・?おとく・清吉・若衆×2・与兵衛


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「徳川の女帝 大奥」(昭和63/製作:株式会社にっかつ/配給:シネ・ロッポニカ株式会社/監督:関本郁夫/脚本:関本郁夫・高山由紀子・志村正浩/プロデューサー:藤浦敦/撮影:水野尾信正/照明:内田勝成/整音:福島信雅/録音:佐藤泰博/美術:西亥一郎・田中孝男/編集:奥原好幸/音楽:津島利章/監督補:北村武司/助監督:塚田義博/製作担当:秋田一郎/企画担当:小松裕司/スチール:石原宏一/撮影助手:長谷川卓也、他/照明助手:奥村誠・小川満、他/タイトル:道川昭/結髪・床山:山田かつら/出演:竹井みどり・西川峰子・成田三樹夫・白木万理・服部妙子・白石奈緒美・吉原緑里《新人》・川葉子・麻生かおり・長坂しほり・池谷美香・宮内ルリ子・江崎有美・中西典子・根本里生子・和地真智子・新井今日子・ただのあっ子・菅原千加代・飯島明子・西美子・田中明夫・浜田晃・畑中葉子《友情出演》・三ッ矢歌子・夏八木勲)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。とはいへ、この期に死者を鞭打つやうだがロッポニカの、ショボい稲光が轟かないカンパニー・ロゴの唸りを挙げるダサさには震撼する。
 時は文化文政、十一代将軍徳川家斉(成田)治下の江戸。大奥御年寄の花沢(西川)は仏性寺を参拝すると称して、直参旗本の中野清茂(夏八木)と逢瀬を重ねる。中野は情事を覗き見る、寺の娘・お美代(竹井)の視線を感じる。仏性寺の住職・日啓(浜田)によれば、お美代は未亡人が寺で産み落とした娘だといふが、どうやら種は日啓のものであるやうだ。興味を持つた中野は養女に迎へ入れたお美代を、文化三年初夏大奥に上げる。それは養女が将軍の寵愛を受けることにより結果的に自身の権勢を増さうとする、泰平の世にあつて中野にとつては一種の戦であつた。中野を養父としてではなく、一人の女として意識し始めてゐたお美代は非情な運命と激変する環境とに翻弄されつつも、中野の意を汲み、大奥での女の戦ひに勝利する決意を固める。
 配役中他に主だつたところとしては、吉原緑里が、当初家斉の寵を一身に集める、御手付中臈・藤乃。竹井みどりと西川峰子と吉原緑里、もう一人濡れ場のある川葉子が、お美代が家斉の和子を身篭つた隙に寝間を務める、実は矢張り中野の養女・おゆう。苛烈な嫉妬の炎を燃やしたお美代に斑猫の毒を盛られ、流産した上発狂したおゆうの、部屋中に朱筆で経文が大書された居室のビジュアルは凄まじいの一言。三ッ矢歌子は、家斉正室・茂子。
 ピンクは元より、今や軟派な一般映画も裸足で逃げ出すしかないであらう、豪華絢爛と称へるに正しく相応しい時代劇映画としてのグレードにまづ打ちのめされる。美術・衣装・所作指導・撮影・etcetc、諸々の水準が一歩間違へば悲しくなる程に高く、パッと見の画面の完成度から比類ない。かういふ詮無い物言ひは本来好むところではないのだが、僅か半年の短命に終つたロッポニカですらここまでの高みに到達してゐたことを思へば、改めて日本映画から既に失はれてしまつたものの存在に愕然とさせられるばかりである。話を前に進めると、女を矢玉に形を変へた合戦を戦ふ男と、男に惚れ、惚れた男の為に戦ひの渦の中に自ら進んで身を投ずる女。実際に屍連なる激闘の末に、やがて男は旗を降ろす。その時にあつてなほ、ヒロインは男をも踏み越え、慣習すら打ち破り更なる戦に敢然と赴く。大奥絵巻をつらつらと眺めてゐる分にも十二分に木戸銭の元は取れるところを、その上で描かれる女の園を舞台に繰り広げられる雄々しいパワーゲームが抜群に見応へがある。そこで時代劇に於ける時代性といふ側面も踏まへて、ひとつ留意しておかなければならないと思へるのは、お美代にせよ中野にせよ、徳川幕府といふ支配体制自体は、所与のものとして当然に受け容れてゐたといふ点。お美代も中野も、共に将軍の権威に対しては一掴みの疑問すら抱くことはなく、且つ自らの意思で所定の条件下を戦ひ抜いたお美代の姿には、矢張り物語の主人公として立派に主体的たり得てゐることが重要である。その為、表面的な東映ポルノ大作との近似に引き摺られ今作に権力風刺を見出す意見があつたならば、それは適当ではなく、単なる為にする牽強付会に過ぎまい。与へられたものを全て押戴いたその先で、一人の人間が、なほかつ自由である可能性の存することにも、時に思ひを馳せるべきではなからうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「尼寺の恥部 見られた御不浄」(2001『尼寺の御不浄 太股観音びらき』の2010年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/スチール:佐藤初太郎/助監督:田中康文/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:前井一作/照明助手:石井拓也/効果:中村半次郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:滄麗美・林由美香・佐々木基子・色華昇子・石川雄也・丘尚輝・久須美欽一)。
 くどいやうだが、新田栄の尼もの映画といへば御馴染み大成山愛徳院。本山に命ぜられ二十四の若さで庵主となつた浄泉(滄)が、寺に代々秘かに伝はる張形を用ゐ汲み取り式の手洗ひにて自慰に耽つてゐたところ、気が付くとお互ひにあらうことか、便槽の中に潜んだ久須美欽一が太股観音びらき―然し超絶のタイトル・センスだ―の女陰を下から覗いてゐた。この大らかなアナーキーさはもう少し顧みられてもいいやうな気がするのは、純然たる、断固たる気の迷ひに違ひない。
 新田栄が爆発的なスタート・ダッシュを何気なく決めるオープニング・シークエンスを経て、愛徳院を、子供を授からぬことから夫の両親に離縁させられてしまつた、根本かなえ(佐々木)が修行を志望して訪ねる。夫・鈴木勇也(石川)との夫婦生活をついつい想起してしまふかなえの肩に、浄泉が己は棚に挙げ警策を与へつつ、ひとまづ修行は続く。と、いふのが起承転結でいふと起。
 浄泉が自室で写経してゐると、息急き切つたかなえが飛び込んで来る、女が駆け込んで来たといふ。匿つた女・池田弥生(色華)を風呂に入れた浄泉は驚く。着替へを届けてみると、弥生はオッパイもうつすら膨らんでゐたものの、何と棹もついてゐたのだ。性同一性障害を主張する弥生は、髪だけでなく行く行くは男性自身も下ろすつもりだと、へべれけな覚悟で浄泉に愛徳院に置いて呉れるやう哀願する。かと思へば舌の根も乾かぬ内に、「ワタクシ、女として、女を愛したい!」と世界の最周縁で愛欲を叫ぶや凄惨な濡れ場を敢行する。尼僧が御不浄で便壷に隠れた久須美欽一に恥部を見られたかと思へば、レズビアン志向のニューハーフなどといふ、変則的な飛び道具が来襲する。何とファンタスティックな尼寺なのかとクラクラさせられるここまでが、前半を締め括る起承転結の承。これでそれなりに締め括れてしまふのは、最早不可思議の領域に足を踏み入れた世界だ。
 正確には承部のエピローグを占める、秘かに今作にあつての、何はともあれベクトルの極大値を叩き込む繋ぎの一幕に関しては後回しにするとして、明後日から一昨日へと流れ過ぎるやうに映画は後半戦に突入。老人ホームの慰問にと寺を離れた浄泉に久須美欽一が改めて接触する一方、姿を消したかなえを追つて、勇也も愛徳院を訪れる。郷土史研究家といふ一面も持つ田治見洋二(久須美)は浄泉に、室町時代から愛徳院に伝へられるとされる、隠し本尊を用ゐた秘儀を乞ふ。犯罪的な歳の差はさて措き、夏子(林)の婿養子として田治見コンツェルンに入つた洋二は然れども贅沢にも不能に悩み、愛徳院秘伝の儀式には、男性機能の回復に関する効があるとのこと。とはいへ浄泉は、隠し本尊の存在自体を知らなかつた。ところで鬼ならぬ仏の居ぬ間に、男子禁制の尼寺にあつて堂々と奪はれかけた夫婦の絆を勇也と再確認してゐたかなえを、浄泉は晴れ晴れと前向きに破門する。そんなこんなが、開巻を回収しながら本筋への道筋をつける、起承転結の正しく転換部。
 正味な話関根和美映画並みの、ルーズな編集を駆使する浄泉と洋二の夢オチ情事―正直この絡みは、別に要らないやうに思へる―を通過した浄泉の夢枕に、室町時代最初に愛徳院秘儀を執り行つた浄海(滄麗美の二役)が立つ。浄海に導かれ浄泉は張形の納められた木箱の中から、鍵を発見する。遂に姿を現した隠し本尊とは、判り易くいふと抱き枕サイズの長大な張形。何だか段々、新田栄と岡輝男はもしかすると映画史に名を残すべき大天才なのではなからうかとすら思はず血迷つてしまふのは、致命的に疲れてゐるからに絶対に間違ひない。隠し本尊に跨りガンガン腰を使つた浄泉が、やがて腿を伝ひ滴り落ちるいはゆる愛液を、別にロケーションは他にもあるやうな疑問は蹴散らし、便槽の中から口を開け舌を出し待ち構へる洋二の口に垂らせる、といふのが件の儀式。三ヶ月後、かなえと洋二とからそれぞれ子宝を授かつたとの吉報を受け取つた浄海が、けふもスタッフの何れかか若い男相手に秘儀に明け暮れるのが、のうのうと全篇トレースしてのけたがそこそこに据わりのゴキゲンなフィナーレである。
 夫婦関係に際して繁殖行為を最重要視する前時代性に関しては、脊髄反射的な反発を主に大いに評価も別れよう。尤も本稿に於ける評価としては、かなえと勇也、洋二と夏子それぞれの営みに一応豊かに込められる情感に免じて、その点は等閑視したい。その上で、例によつてツッコミ処過積載の底抜けプロットに惑はされるでなく、強ひて冷静な鑑賞を試みるならば、さりげなく完璧な起承転結の構成に支へられ磐石の、悶々とした肉欲に対する葛藤からも開放された主人公まで含めると、二段三段構へのハッピー・エンドを麗しく迎へる一作は、そこはかとなく抜群の安定感を誇る。その安定感の源を自足に見るか自閉と見做すかの相違は、開明的たらんとするがゆゑに、先に述べた夫婦観の是非に拘泥するか否かによつても生じて来ようが、ここはピンク映画をピンク映画固有の論理で読み解くべく目論むピンクスとしては、細かい野暮はいはずにそれはそれとして、これはこれでも新田栄愛徳院映画の中では、幾分高目の水準作と憚りながら称へるものである。

 そんなこんなで意外と順当な人情映画とも思はせておいて、唯一人弥生に対しては、ドライな無体が軽やかに火を噴く。そこに香るのは百合の花かはたまた毒キノコの放つ腐臭か、オバQ顔のニューハーフVS.破戒尼僧だなどと、ディストラクティブな一夜とカット明けるや、丘尚輝(=岡輝男)登場。このくらゐの木に竹の接ぎ具合は、寧ろ然程でもないかのやうにこの期には錯覚しかねないが、実は代議士の息子であるとの弥生を黒塗りのセダンで連れ戻しに来た風間恭介(丘)に、浄泉は小指を動かすほどの抵抗を示すでもなく、寧ろ微笑みすら浮かべ易々と引き渡してみせる。仏の慈悲も、オカマには届かぬと申すか、などといふのはためにする方便で、実際には綺麗な見殺しぶりが、可笑しくて可笑しくて仕方がなかつた。

 以下は再見に際しての付記< ラスト便槽で待機してゐるのは若き日のタナヤス


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「人妻痴情 しとやかな性交」(2009/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:小山田勝治/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:大江泰介/照明助手:関将史/編集助手:鷹野朋子/現場応援:田中康文/出演:大貫希・日高ゆりあ・望月梨央・野村貴浩・なかみつせいじ・甲斐太郎・池島ゆたか・丹原新浩)。ポスターのみ、出演者に更に中川大資。
 心に疑ひがあると、ただの闇もそこに鬼が居るかのやうに見えて来る云々と、四文字熟語「疑心暗鬼」の意味を辞書的に解説する開巻。
 吉岡尚也(野村)は四年前に結婚した妻・マリエ(大貫)と、死別した両親の遺した実家に暮らす。一流企業に勤務し仕事も好調、全てが順風に推移してゐるかに思へた尚也の人生は、ある夜一変する。夫婦生活の最中に昏倒した尚也は心臓に重大な障害を負ひ、休職し自宅療養生活に入ることとなつてしまつたのである。そんな折、マリエの妹・はるか(日高)が住んでゐたアパートを取り壊しで追ひ出されたと吉岡家に転がり込み、挙句に、何処で拾つて来たのか下手な親子並に歳の離れた中年男・高橋和彦(なかみつ)を、居候の分際で同棲相手として連れて来る。万事に辛抱を強ひられる中、仕事を始めるでもなく昼間から人の家で酒を飲み情事に戯れるはるかと高橋に、尚也は苛立ちを隠せない。加へて薮蛇な矛先はマリエにも向けられ、自分が体を壊したといふのに以前よりも陽気になつたのではないか、あるいは周囲の男達と関係を持つてゐるのではあるまいかと、尚也は妻にも猜疑を抱く。挙句にはるかは昔から社交的なマリエに、高校時代には当時付き合つてゐた男を寝取られたことすらあるだなどと、余計な過去を吹き込み尚也の焦燥に火に油を注ぐ。
 大きく開いた胸元から覗く、見せつけるやうな―実際見せつけてゐるのだらうが―悩ましい谷間が超絶に堪らない望月梨央は、評判のパン屋「ラッキーベーカリー」の店主・サツキ。よしんば脱がなくとも、黙つて立つてゐるだけで既に何とも扇情的といふのは、得難い戦力だ。甲斐太郎は、サツキとのW不倫の事実をマリエに握られてしまふ、不動産屋・久保田。口止めがてら吉岡家庭の敷地に、好条件でのアパート建設を持ちかけ、当然思ひ出を残す尚也を更に複雑な心境にさせる。中川大資と丹原新浩は、それぞれ別個に吉岡家を訪れる明和生命のセールスマン・村上、兼東西新聞の拡張員と、営業がてら様子を見に訪ねてみた尚也の後輩・五十嵐。自身も脱いでの濡れ場参戦は、実は結構久方ぶりにもならう池島ゆたかは、こちらも珍しくノー・ガードで実名登場する千葉市立海浜病院の、尚也主治医・大槻。高橋まで含めて当然全員が、尚也の疑念の対象となる。
 とりあへずといふべきか、それとも兎にも角にもといふべきか。主演女優の大貫希、まあ首から上も下も古めかしい古めかしい。良くも悪くもといふか個人的には後者の方向で、昭和のスメルを濃厚に漂はせる。迎へ撃つ野村貴浩も野村貴浩で、ガチャガチャと見苦しく消耗するばかり。そもそも、馬鹿正直に冒頭にテーマを明かしてしまつた親切設計が、完全に徒となる。病に倒れた男が全方位的に邪推を振り回し、自縛あるいは自爆する。その様子を通して、「嗚呼、この映画は疑心暗鬼がテーマなんだな」と思ひ至つたならばそれはそれだけでも一つの体験たり得ようが、初めに「この映画は疑心暗鬼がテーマです」と御丁寧にも宣言されてしまつては、貧弱なキャストに力を有し損なふ始終は、「ああさうなんですか」と、全く単にそれだけの話でしかなからう。リストラされた途端に、ローンを払ひ終へたばかりのマイ・ホームも妻子に奪はれ、正しく全てを失ひつつ奇跡的にはるかに拾はれた、高橋の立場にそれまで蔑視してゐた尚也が理解を示しかけた件には、順当な人情映画としての持ち直しも偶さか予感させたものだが、どうやらそれも早とちりに過ぎなかつたやうだ。尚也の辿る境遇としても、映画総体の在り様としても二重に実も蓋も挙句に救ひもない一作に、順番上最後の絡みに登場する池島ゆたかが、晩年のマーロン・ブランドばりの有難くない巨躯のインパクトで止めを刺す。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ