真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴情報道 悦辱肉しびれ」(1998/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影:清水正二/音楽:大場一魅/編集:酒井正次/助監督:森山茂雄/監督助手:佐藤吏・広瀬寛巳/撮影助手:岡宮裕/録音:シネ・キャビン/スチール:津田一郎/現像:東映化学/協力:青木大介/出演:冴島奈緒・篠原さゆり・水原かなえ・かわさきひろゆき・杉本まこと・神戸顕一・藤森きゃら・北千住ひろし・山ノ手ぐり子・大場一魅・おくの剛・石動三六・池島ゆたか・三国コキジ)。出演者中、三国コキジは本篇クレジットのみ、アナグラムな。
 夜道を進む車の車載視点、ガーン!とか虚仮脅しの音効鳴らしてクレジット起動。運転するのはかわさきひろゆき、助手席に座る篠原さゆりの「ねえ、何処行くの?」といふ問ひに対し、「当てはある」とだけ答へる。監督クレまで完走した上で、暗転タイトル・イン。要は駆け落ちの風情を窺はせる、に過ぎないといへばそれまでの中身に、土台高々一時間のうち、二分弱を費やすアバンが早速間延びも否めない。
 車が辿り着いたのが、当てとはいへ単なる空家。兎も角二人は、そこで情を交す。一転、昼間の校舎外景を一拍挿み、冴島奈緒大先生がキネコで飛び込んで来る。最後まで抜けなかつた、大仰な口跡で。劇中高校と学園とで名称がブレる、間を取つてメイワ高園の三年生・サエキ奈津美(篠原)が担任の内海ナオヤ(かわさき)に誘拐された事件を、FMW局のリポーター・キノサトマドカ(冴島)が伝へる。何でまた、フロンティア・マーシャルアーツ・レスリングと思くそ被るFMWにしたのか、直截な疑問が脊髄で折り返す。取材班は多分ディレクター辺りの遠藤(杉本)と、撮影部に照明部。ホント刹那的にしか映らない、これ照明部はひろぽんかなあ。横柄以前に髭が胡散臭い教頭(神戸)以下、ファミマの表で捕まへた奈津美と同級生のモモコ(水原)ともう一人(大場)。同僚教師(山ノ手)に、内海が暮らすアパートの大家夫婦(藤森きゃらと北千住ひろし)。奈津美が救ひを求める電話を直接取つた、元都議会議員で資産家の父親(池島)以外は皆が皆内海が教へ子を拐かすだなどと、何かの間違ひではなからうかと信じ難い印象で一致してゐた。それはさて措き、水原かなえは兎も角、大場一魅がセーラー服でぬけぬけと飛び込んで来るカットの、弾けるやりやがつた感。
 配役残り、おくの剛は今度はマドカが消息を絶つた事件を伝へる、モップを載せたやうな髪型のアナウンサーか番組司会。石動三六が適当な苦言を呈する、憎々し気なコメンテーター。三国古事記、もとい三国コキジがよく判らないが、FMW局の撮影部でないとすると、写真といふか写メでのみ登場する、奈津美本命のウェーイな彼氏・リョースケくらゐしかそれらしき人影は見当たらない。
 出馬康成のピンク映画最終第四作「猥褻事件簿 舌ざはりの女」(1995/制作:シネ・キャビン/主演:菊地奈央)で水揚げ、同年大御大・小林悟の怪談映画「色欲怪談 発情女いうれい」(如月吹雪と共同脚本)と、四作後の「パイズリ熟女・裏責め」(脚本:五代暁子)に主演。三年ぶりで冴島奈緒が大蔵に帰還した、池島ゆたか1998年薔薇族込み最終第八作。その後は更に十一年空き、吉行由実の「アラフォー離婚妻 くはへて失神」(2009)。2012年に没した冴島奈緒にとつて、大蔵での戦績は全五作となる。不勉強にして、冴島奈緒が“3000年型の淫売サイボーグ”なる、カッ飛んだ異名を誇つてゐたのをこの期に及ぶまで知らなかつた。何処の天才の発案だ、あるいは紙一重で惜しい人か。
 全体誰が介錯するのか見当のつかなかつた、三番手の濡れ場はモモコが教頭と援交してゐる形で思ひのほかスマートに処理。三本柱各々の絡み―マドカは上司的な遠藤と男女の仲―をふんだんに見せつつ、外堀も丁寧に埋めて行く前半は、普通に手放しで充実してゐた。遠藤は詰まらない仕事と軽く呆れる、千葉の漁師を朝一取材するアポを通して内海と偶さか遭遇してしまふ、早朝の外房線にマドカを乗せる段取りも地味に秀逸。と、ころが。尺の折り返しを跨いでの東浪見篇の冒頭、内海を知る者全員が首を傾げた騒動の真相を、生存者の回想でアッサリか呆気なく開陳。さうなると後半は特異な状況に放り込まれた、ヒロインが如何なる酷い目に遭ひ、そこから逆襲に転じるのか的なサスペンス系アクション。さういふ方向にでも、転ばざるを得ないといふか転ぶのだらう。そんな、素人考へなんて何処吹く風。そのまゝ真直ぐ突つ込んでのけるのが、演者としても演出家としても大根と当サイトは評する池島ゆたかの、台詞回しと同様に棒状のドラマツルギー。凶行に至る仔細に驚愕の十分を割いた末、終に完全に壊れた内海に、何故かマドカが奈津美になりきり寄り添ふ意味が全く一切力の限り判らない、木端微塵の着地点がケッ作、断じて傑作とはいふてをらん。要はかわさきひろゆきが無様な右往左往に終始する、満足に振り回せもしないチェーンソーを、漫然と持て余すばかりのちんたらしたショットを無駄に長く回した挙句、カメラすら徒に動いてみせたりする。演出部も俳優部も頼みの綱の撮影部さへ、全滅する壮絶なラストは別の意味で衝撃的。壊れた男を描くのは勿論構はないが、映画ごと壊れる必要は別にないと思ふ。外堀が丁寧に埋まつたかと思ひきや、本丸がまさかの掘建小屋。前半戦は首位ターンした筈なのに、気づくと最下位でシーズンを終へてゐた、まるで2015年のベイスターズのやうな一作。改めて振り返つてみるに、そもそもお芝居に下手な癖のある大先生ではあつたが、なかなか作品自体にも恵まれなかつた冴島奈緒のフィルモグラフィには、悲運の冠が最も馴染むのではあるまいか。


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 「濃密舌技 めくりあげる」(1996/企画・制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/プロデューサー:大蔵雅彦/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/助監督:高田宝重/監督助手:瀧島弘義/撮影助手:嶋垣弘之/照明助手:藤森玄一郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/挿入曲:『ハートブレイク・マーダー』詞・曲・唄:桜井明弘/出演:林由美香・川村結奈・田口あゆみ・山本清彦・樹かず・平岡きみたけ・池島ゆたか・山ノ手ぐり子・藤森きゃら・神戸顕一)。
 砂嵐にタイトル・イン、ブラウン管からカメラが引くと、度外れた痛飲の跡を窺はせる女の部屋。懲りずにボトルを喇叭で呷り、麻由(林)は終に部屋の酒を飲み尽す。衝動的に手首なんて切つてみたりもしがてら、想起する逢瀬で主演女優の初戦。麻由の部屋での事後、二年付き合つた恋人の立花(樹)は専務の娘と見合したとやらで、寝耳に藪から棒をブッ刺す別れを切り出す。回想明けは夜の南酒々井、御馴染み津田一郎の自宅スタジオ。自身が不倫を拗らせてゐた際には麻由の世話になつた、友人・カオル(川村)の家に麻由は一時転がり込む、右手首には包帯を巻いて。中略、歩道橋の上から車の往き来をぼんやり見やる麻由に、山本清彦(以後やまきよ)が「死にたいの?」と無造作に声をかける。死ぬのを手伝ふ云々称したやまきよは、有り金叩いて買つたとのトカレフを白昼堂々誇示。やまきよが銃を入手した目的は、自分を裏切つた女に対する復讐。「失恋自殺より、失恋殺人を選ぶタイプなの、俺」とかやまきよがドヤるカットの、途方もないダサさに失神しさうになるが、麻由はといふとコロッと感化かケロッと感心、立花を射殺する妄想に耽る。トレンチとサングラス、頭には中折れを載せ、ハードボイルドでも気取つた風情はある意味微笑ましくもあれ、当時顔がパンパンに丸く、殊に仰角で抜くと顎のラインなんて原田なつみと大して変らないリファイン前の林由美香が、へべれけに柄でないのは時代を超え、得ない御愛嬌。基本キレにも硬質とも無縁の、池島ゆたかの大根演出に後ろから撃たれた感も大いに否定出来ないとはいへ。
 山ノ手ぐり子と藤森きゃらが前後する以外、本クレとポスターとでビリングが変らない俳優部残り。最初はカオル宅のテレビに登場する藤森きゃらは、愛人を共犯者に夫が妻を殺したのちバラバラにした事件を、都合三度費やし執拗に伝へ続ける「ニューススクエア」のアナウンサー。田口あゆみが、件の専務令嬢・麗子。平岡きみたけは麻由が逗留してゐるのも構はず臆せず、カオルが家に連れ込む彼氏、ではない男・ケンジ。麻由の近況も踏まへると尚更、不可思議の領域に突入して無神経な行動ではある。それはさて措き、持ち前の男前と、平岡きみたけの凄惨なマッシュルームの陰に隠れ、今回樹かずも実は、マオックスこと盟友である真央はじめよりチンコな髪形。イコール五代暁子の山ノ手ぐり子は神通力ばりの的確さを爆裂させながら、其処は何処かの屋上なのか、よく判らない謎のショバで商売してゐるミステリアスな占師。要は改めて後述する麻由が膨らませる第二次イマジンの舞台共々、それらしきロケーションを工面する手間なり袖を端折つた、その筋の大家(“おほや”でなく“たいか”)といへば今上御大の存在がまづ最初に浮かぶ。絶対値だけは無闇にデカい―ベクトルの正負は問ふてない、といふか問ふな―無頓着、名付けてイズイズムの証左である。捌け際はジェントルな池島ゆたかは、高田宝重がバーテンの狭い店で麻由に声をかける助平親爺。林由美香の絡み数を稼ぐ、男優部裸要員といつても語弊のない役得配役。・・・・あれ、誰か忘れてないか?
 荒木太郎が「異常露出 見せたがり」(主演:工藤翔子)でデビューした五ヶ月弱後、池島ゆたか―は1991年組―の1996年ピンク映画第三作は、その二十二年後、よもや二人して放逐されようとは。所謂お釈迦さまでもといふ、池島ゆたかの大蔵上陸作である。それまで池島ゆたかが主戦場としてゐた、エクセスがその手の徒な意匠を許すとも思ひ難く、桜井明弘の楽曲を使用するのも多分今作が初めてなのではあるまいか。爾来、主に合はせて百本近いピンクと薔薇族を大蔵で撮つた末、池島ゆたかのフィルモグラフィは2018年第三作「冷たい女 闇に響くよがり声」(脚本:高橋祐太/主演:成宮いろは)を現時点でのラストに、有体にいふと干される形で途絶えてゐる。荒木太郎のハレ君事件が起こつた当初から当サイトのみならず唱へてゐた、大蔵が多呂プロの梯子を手酷く外したと看做す認識が、一審判決に於いて裁判所の認定する事実となつた今なほ、潮目が変る気配も五十音順に荒木太郎と池島ゆたかが復権を果たす兆しも依然一向に見当たらず。当然、当サイトはさういふ現状を是認するところでは一切全然断じてない旨、性懲りもなく重ね重ね言明しておくものである。池島ゆたかも荒木太郎も特に好きな監督といふ訳では別にないけれど、物事には道理、渡世には仁義つて奴があるだらう。ドラスティックに話は変るが、フと気づくとまたこれ、清々しいほど意味のない公開題だな。
 男に捨てられ死にたガール・ミーツ・捨てられた女を殺したいボーイ。麻由とやまきよ共々、といふかより直截にいふと共倒れる洗練度の低い造形と、甚だ野暮つたいディレクションには目を瞑れば、ありがちともいへそれなりの物語に思へなくもない、如何せん瞑り辛いレベルなんだけど。尤も、麻由が拳銃を文字通り借りパクする形でやまきよと一旦別れたが最後、二番手の濡れ場と池島ゆたか相手の林由美香二戦目を消化してゐる間、山本清彦が中盤丸々退場したきりの豪快か大概な構成が、既に致命傷に十分な深さの中弛み。と、ころが。出会つた時と同様、麻由とやまきよが偶さか往来で再会してからの終盤。映画がV字復調を果たすどころか、寧ろ全速後退を加速してのけるのが凄い、勿論逆の意味で。先に軽く触れた麻由の第二次イマジン、順に麻由が撃ち殺す麗子―はこの段階では面識ないゆゑ仮面着用―と立花が、折角そこら辺の児童公園で撮つてゐるにも関らず、格好の大きな滑り台、もしくは小さな坂状の遊具を滑り落ちない、地味に画期的な拍子抜けには「使はねえのかよ!それ」と度肝を抜かれた。単なるか純然たるおざなりさにも呆れ果てつつ、恐ろしくもその件が底ですらなく。更なる真の底は底抜けに深いんだな、これが。津田スタ撮影の、やまきよは何もせず二人で一泊するだけのつもりが、麻由がトカレフの借り賃を体で払ふ締めの一戦。前段に二人が三発目の「ニューススクエア」を見てゐた都合で、床とカメラ―または視聴者ないし観客視点―の間にはテレビが置かれてある。吃驚したのがそのまゝオッ始めてしまふものだから、体を倒し横になつた途端、麻由の首から上が家電に隠れ見えなくなる、壮絶に間抜けなフィックスには引つ繰り返つた。流石に幾ら量産型娯楽映画が時間に追はれたにせよ、現場で誰も何もいはなかつたのか、といふかいはんか。素人の邪推ながら、初号を観た林由美香も、まさか自分が映つてゐないなどと思つてゐなかつたにさうゐない。挙句次々作と大体同じやうな、木に竹を接ぐ用兵が別の意味で潔い神戸顕一が、滔々と垂れ流す説明台詞で映画に止めを刺す係で登場する、ニューシネマ的な無常観をぞんざいさと履き違へた無体な結末で完全にチェック・メイト。五代暁子は自ら山ノ手ぐり子として秀逸な伏線を敷いたつもりなのか、麻由が勝手に吹つ切れる適当なロングが凡そ感情移入ないし余韻の類を残さない、スーパードライなオーラスは当時大蔵に君臨してゐた、大御大・小林悟の尻子玉を抜く脱力感と紙一重。側面的なツッコミ処が、後年、然様な一作が“池島ゆたか Archives 厳選30作品集”の括りで円盤発売されてゐる現実の、プリミティブな破壊力。うーん、厳選してこれなのか。
 終始漫然とした映画が瞬間的に爆ぜるのが、フィリピン人の風俗嬢である女の印象を、麻由から問はれたやまきよが脊髄で折り返す速さで「シャロン・ストーン」。やまきよ一流の惚け具合弾ける、こゝの「シャロン・ストーン」は普通に声が出るくらゐ可笑しい。山本清彦の役名をやまきよで通したのは何も愛称に固執したのではなく、劇中意図的に、固有名詞が終に伏せられてゐた由。

 最後、に。やまきよと樹かずが控へる上で、大将の神戸顕一が飛び込んで来れば即ち、確認出来てゐる中では最も新しい、神戸軍団三枚揃ひの八本目となる。といふのは、決して神など宿さぬ些末。
 備忘録< 麻由が線路に捨てた、オートマチックを拾ひに行つたやまきよは電車に轢かれ即死、神顕はそこに通りがかる饒舌な通行人


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 「痴漢保健室」(昭和59/製作:獅子プロダクション/配給:株式会社にっかつ/監督:滝田洋二郎/脚本:高木功/企画・製作:奥村幸士/撮影:志賀葉一/照明:吉角荘介/音楽:早川剛/美術:村岡鉄雄/編集:酒井正次/助監督:佐藤寿保/製作担当:大久保章/製作進行:井上潔/監督助手:橋口卓明・岩井久武/色彩計測:大輪吉数/撮影助手:池田恭二・片山浩/照明助手:井上英一/編集助手:岡野弘美/スチール:津田一郎/車輌:石崎マサュキ/録音・効果:銀座サウンド/現像:東洋現像所/出演:滝川真子⦅新人⦆・真堂ありさ・織本かおる・林香依兌・藤冴子・青木祐子・高瀬ユカ・葉山かすみ・江口高信・荒木太郎・青嶋卓弘・片岡忠太郎・池島ゆたか・螢雪次朗)。出演者中、滝川真子の新人特記に、藤冴子と高瀬ユカから江口高信、青嶋卓弘と片岡忠太郎は本篇クレジットのみ。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。あとこれ、色彩計測は誰の変名だ。
 ど頭は意表を突く南米大陸の地図、螢雪次朗のモノローグが起動する、“1984年九月、南米ペルーの港で日本人考古学者の他殺死体が発見された”。殺されたのはインカ帝国史を専門とする高橋教授(スナップ主不明)で、高橋の遺族は高校生の娘が一人きり。さういふ次第で件の真子(滝川)が、八校目の転校先となる「友愛学園」の校長・石橋(池島)と校庭にて対峙、名乗りはせず挨拶したロングにタイトル・イン。ちなみに炎転の連載期間が、昭和58年から60年。
 まづ真子が向かつた先は保健室、最初に、入校手続き的な段取りとして身体検査が行はれる。とかいふ安んじて底を抜く方便、其処で立ち止まるのは料簡の狭い不調法。螢雪次朗が偶々その場に居合はせた好機に情事、もとい乗じて真子に破廉恥検査を施す用務員のモリゾーで、一頻り滝川真子の裸を拝ませたタイミングを見計らふ、織本かおるが本物の保険医・キョーコ先生。モリゾーを放逐するキョーコ曰く、「用務員の癖に、さつさと便所掃除でもして来なさい」。昭和の、最早煌びやかなほどの差別意識。再度ちなみに、佐藤正の『燃える!お兄さん』が燃えたのは六年後の1990年。
 これで生徒会長といふシゲル(青嶋)と、弟分(片岡忠太郎/以下役名不詳につきメガネ)の通学電車痴漢を被弾した真子に、友愛学園で番を張る田中春子(真堂)が接触。今回得た知見が、真堂ありさと早乙女宏美(ex.五月女宏美)はリアルに映る姉妹役がイケたのではなからうか。痴漢に遭つた側に対し、ちよつと可愛いから系の理不尽な因縁をつけて来る春子を、予想外の戦闘能力で真子は圧倒。返り討つた春子に、真子が助力を求める。遺跡から見つかつた巨大なダイヤが日本の密輸団の手に渡つた事実を知り、高橋は消される。ダイヤは学校使用の剥製教材に隠され日本に、該当するブツは全部で八つ。そのうち七つを潰して来た真子が、最後の友愛学園にあるに違ひないダイヤ探しの仲間に春子を引き入れる、思ひのほか正攻法の物語である。
 俳優部残り、ペルーから帰国する江口高信は高橋と発掘調査をともにしてゐた助教授で、真子にとつては婚約者でもある原。荒木太郎は一目惚れした真子との、他愛ない会話に背中を押され野球部に入部する荒木クン。丸刈りの途中で嫁と三波春夫ショーに行つてしまふモリゾーから、ハート型モヒカンに刈り上げられる体当たり演技。を認められたのか中途入部にしては、7番なんていゝ背番号を貰ふ。林香依兌は基本手洗での自慰行為に長々耽り倒す、2年B組―真子もB組で、春子はC組―の春風留子。外界の喧騒を余所に、延々弄つてゐるパワー系の濡れ場要員ぶりも兎も角、そのアイシャドウを、友愛の校則は許すのか。そし、て。絶対に読めない配役に大いに悩まされたのが、藤冴子以下、ラスト五分まで温存される女優部なほ四枚。追ひ詰められた春子がダイヤを逃がした留子の検便容器が、石橋の手許に転がり込みかけたのを、真子が窓の外に蹴飛ばす。それを下で一本足打法を特訓してゐた荒木がカコーン、プリミティブ特撮も駆使する特大の場外弾。結局容器が着弾した先が、女湯だなんて驚天動地の超展開、素面で予想し得る訳がない、ファンタジックにもほどがある。その他、友愛校内のキャッチボール二人組と、tactに元々乗つてゐた原チャリライダー。女湯要員は四人に加へ番台込みでもつと大勢ゐて、更に男湯にも三人―この辺は演出部臭い―と、連行する石橋と原に向かつて「絶対死刑にしてやるからな!」、矢鱈アグレッシブな制服警官等々、十を優に跨ぐ人数が投入される。一応ツッコんでおくと、判決下すのはお前ぢやねえ。
 滝田洋二郎の昭和59年薔薇族含め第七作―薔薇族撮つてたんだ―は、通算八本撮つてゐる買取系ロマポの一本目兼、量産型裸映画的には買取系を主戦場―滝田洋二郎以外では弟弟子のナベ、と山晋―としてゐた滝川真子の銀幕デビュー作、最後のちなみに引退は63年。探つてみると滝田洋二郎の買取系がex.DMMで全部見られるゆゑ、ぼちぼち掘つて行かう。
 少々無理からでも適宜絡みを捻じ込みがてら、案外女の裸も疎かにはせずインカの秘宝争奪戦を繰り広げる。そこかしこ否み難いチャチさにも臆することなく、勢ひに任せ堂々と走りきる王道作。痴漢が本筋に必要ない単なる有体な看板に過ぎず、保健室もワン・ノブ・舞台に止(とど)まる限界にさへ目を瞑るならば。木に三番手を接いだかに思はせた、シゲルが実録隠し撮りの裏ビデオを盗撮した夜の保健室でのキョーコと石橋の逢瀬の中で、ダイヤが校長室にある旨語らせる、力業の限りでもあれ超絶の導入が火を噴く辺りから展開が猛加速。女湯の飛び道具にも驚いたが、無人で暴走するtactに飛び乗つたはいゝものの、運転の出来ない真子が最終的に、あれよあれよと女湯に飛び込む極大スペクタクルには度肝を抜かれた。映画とは、あるいは人間の想像力とは斯くも自由なのか。無事悪党もお縄を頂戴した一件落着後、モリゾーが何時の間にかか何故か仲良くなつた藤冴子を全裸のまゝtactの二尻に乗せる、イヤッホーな多幸感弾けるカットも大団円の枝葉を鮮やかに軽やかに彩る。反面、そこで力尽きた感もなくはない、エピローグの蛇に足を生やし気味が娯楽映画の難しいところ。火の玉ストレートな荒木の告白を形か口先だけ満額で受諾しつつ、真子は満足に足を止めもせず歩き去り、荒木とモリゾーもワーワーしながら銘々適当に捌けて行く。結果フレームの中に誰もゐなくなる、無常観紙一重のぞんざいなラストが、別に象徴的ではないが何となく印象的。そもそも、ペルーの国内法が当時如何に規定してゐたのか、きちんと調べるのも面倒臭いが良識的に考へて、真子が奪還したつもりのインカダイヤ―方便的には一応、安く買ひ叩いた形になつてはゐる―は政府あるいは土地の所有者、何れにせよペルーのものにさうゐない。何ならマッシブな肢体が堪らない南米女が滝川真子と真堂ありさを倒しに来る、外タレ続篇も撮らうと思へば撮れてゐたところですらある。

 と、ころで。神の特に宿りもしない、些末を二つばかり。真子が原を訪ねた象牙の塔、擦れ違ひざま小耳に挟んだダイヤの単語に顔色を変へる、白衣は着てゐるグラサンのアフロの正体や果たして如何に。終盤、邪気のない変態性を爆裂させるメガネが呑気に舌鼓を打つ、春子の代返ならぬ代便(声の主は混同も禁じ得ない池島ゆたか)のオチ。以上二点を、回収しないで放たらかしにして済ます。グラサンアフロは、何時か何処かで見た顔のやうな気も凄くするんだけどな。


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 「エロスのしたゝり」(1999/製作:国映株式会社・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画/監督:サトウトシキ/オリジナル脚本:小林政広/企画:森田一人・朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・福原彰/協力プロデューサー:岩田治樹/音楽:山田勲生/撮影:広中康人/照明:高田賢/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/録音:瀬谷満⦅福島音響⦆/助監督:坂本礼/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:矢島俊幸・瀬野英昭/ネガ編集:門司康子/タイトル:道川昭/タイミング:武原春光/現像:東映化学/制作応援:大西裕・堀禎一/助監督見習ひ:黒川隆宣/制作協力:石川三郎・永井卓爾・《株》三和映材社・《有》不二技術研究所・アウトキャストプロデュース/出演:河名恵美・葉月螢・林由美香・本多菊雄・川瀬陽太・酒井健太郎・榎本敏郎・鎌田義孝・田尻裕司・今岡信治・女池充・上野俊哉・長坂しほり・佐野和宏・伊藤猛)。
 タイトル開巻、国映と新東宝に、企画とオリ脚の三人のみクレジットを先行させた上で、鉄橋を望む画の広いロング。零細企業の経理担当・木村(本多)と、駆け落ちした君子(河名)が日曜の夕方前にお盛んな隣の部屋では、一応映画監督の岡田一郎(伊藤)が、映像学院同期の親友(酒井)とカップヌードルを啜る。てつきり髙原秀和が明後日から連れて来たものかと思ひきや、酒井健太郎が実に十九年ぶりともなる一昨日に実は初土俵を踏んでゐた、世紀を跨ぐ帰還に目を向けられなかつたのは粗忽か寡聞の限り。電車に乗つた岡田が、佐野和宏の電車ハッテンを被弾。立ち食ひの蕎麦屋にて―面識のない―長坂しほりになけなしの五百円を借りて行かれ、仕方なく歩いて辿り着いた親友(以下サカケン)宅では、馬鹿デカいウェリントンの彼女(葉月)にアテられる。そんな最中、新聞を取る金はまだある、岡田を木村が訪問。君子が実はヤクザの娘で、木村が隠れてほとぼりを冷ます間、岡田に君子を匿つて欲しいといふ。キナ臭い話に一旦断りかけた岡田は、報酬として木村から提示された、三十万に脊髄で折り返し首を縦に振る。
 配役残り、榎本敏郎と鎌田義孝に田尻裕司は、“電車の客”と別箇に括られる乗客要員。ハッテン電車に鎌田義孝と田尻裕司、佐野が今度は長坂しほりに電車痴漢を仕掛ける車輛に、榎本敏郎が乗つてゐるのは判る。問題が、佐野が電車の中で「あれ!?」する際、画面向かつて左に座つてゐるのが坂本礼なのはよしとして、右の上條恒彦みたいな髭は誰?川瀬陽太は、君子を捜し岡田のアパートを張り込む若い衆・斉藤。実家近くで捕獲した、木村は既に処理済み。ところが君子送還に失敗した場合、斉藤も消される模様。今岡信治と女池充に上野俊哉は、君子が主演女優で、男優部はドリ爆なレヴェナントを遂げた木村といふ、劇中撮影されるピンク映画のスタッフ。“電車の客”と同様に、“劇中スタッフ”と別括られる。上野俊哉がアリフレックスを構へ、女池充はアシスタント。助監督は斉藤だから、今岡信治は何をしてるのかな。一乃湯の脱衣所から現場を抜いた引きの画に、もう一人二人見切れる。ナノかミクロな内輪ネタが受けるとでも思つてゐるのか、逆説的な韜晦のつもりなのか。同じコンビで五年後再び蒸し返す、この手の自虐的な世界観に当サイトは薄ら寒さをより強く覚える。岡田が長坂しほりに半泣きで垂れる、リアルはリアルでもあれなほさら惰弱な繰言には卓袱台ヒッ剥してやらうかとも思つたが、改めて後述する、一発大逆転ラストに免じて一旦通り過ぎる。
 暗転してエンドロールと、屁より薄い挿入歌が起動。した瞬間の、結局もしくは例によつて、何一つ満足に片づけないまゝ映画が終りやがつた。さういふ、別の意味での“衝撃の結末”―あるいは結ばずに欠けた“欠末”―に「うは」とガチのマジで軽く声が出た、最新作「さすらひのボンボンキャンディ」が津々浦々巡回中の、サトウトシキ1999年第二作で国映大戦第四十七戦。さすボンの話を続けると影山祐子は結構威勢よく脱いで下さる反面、最終的には自堕落なヒロインの造形が琴線をピクリどころかヒクリとさへ撫でなかつたのと、兎にも角にも、堅気のサラリーマンに見せる気が端から甚だ疑はしい、品のなければ大した華もない、原田芳雄のボンボンが致命傷。前述した、霞の癖に匂ふエンディング曲もこの倅の仕業。何処の世界の電車の車掌が、そがーなゴリゴリ墨入れとるんなら。
 開店休業状態にあるピンク映画監督の独居世帯に、火種的な若い娘が転がり込んで来る。サカケンが映画の木戸銭にも欠く話題で、岡田が「芝居よりは安いよ」だなどと、地獄のやうな遣り取りを始めた際には匙を投げ、ようかとしたのは幸にも早とちり。所々飛行機雲的な木に竹も接ぎ損ねる無駄な手数もなくはないものの、全篇を通して演出の充実を窺はせる、冴え渡る会話の中身と細かな所作が逐一超絶。退避した岡田に、電車の中から佐野が送るにこやかな笑顔。君子と木村に関する顛末もそつちのけ、暴飲暴食エピソードを楽しさうに語り続ける岡田に、呆れたサカケンが投げる「焼肉の話なんていゝんだよ」。木村の死を知り大声で泣きだした君子を、斉藤に知られぬやう岡田が覆ひ被さり押さへつける流れで突入する。即ち、ジュックジュクの熟女が「暑いはあ」とか宣ひながら、ブラウスの釦を過剰に外して若い色男を誘惑もしくは捕食する数十年一日と同じ類の、イズイズム―今上御大的な無頓着の意―スレッスレといふかそのものでしかない絡みを、岡田こと伊藤猛が「いゝんですか」。「こんなどさくさ紛れでもいゝんですか」とアクロバチックに救済する、コロンブスの卵なクロスカウンター的名台詞には感心した。伊藤猛が放つ画期的な名台詞が、後(のち)にもう一撃。二十年別居してゐる―籍を抜いてはゐないぽい―佐野と長坂しほりが、公園で煙草を呑みがてら最早旧交を温める件。相手が喋つてゐる間も、二人が脇から送る視線が凄まじすぎて、決して派手に動く訳でもないのに、激しくスリリングなシークエンスにも震へさせられた。安アパートの侘しい寡所帯に、隣の部屋から天使が舞ひ降りる。要は体のいゝファンタジー的な一山幾らの物語が、血肉を通はせ軽快に走る。忘れてた、サカケンが三撃連ねる「僕のはアバンギャルドだから」を、終に岡田が文字通り塞ぐタイミングも鮮やかに完璧。煌びやかなカットの弾幕に、いゝ意味で眩暈がする。
 裸映画的には下乳すら見えるか見えないか微妙な葉月螢を殊に、二三番手を共々一幕・アンド・アウェイで半ば使ひ捨てる一方、突かれるとぷるんぷるん弾むオッパイがエモーショナルな、主演女優の裸は質的にも量的にも十全に拝ませる。最初で最後のピンク参戦で、女優部トメの位置に座る長坂しほりが単なる艶やかな賑やかしに止(とど)まらず、佐野を介錯役に気を吐いてみせる点も、大いに且つ絶対に忘れてはなるまい。何より、締めの濡れ場を見事に直結してのけた、奇想天外な大団円が出色。途方もない奇縁と、途轍もない棚牡丹はさて措けば。三度目の邂逅、長坂しほりが岡田に映画が好きであるか尋ねる切り口から流石にあんまりな、大飛躍が高く遠すぎるきらひは如何せん否めなくもない。佐野が、渾身の自脚本をそれこそ何処の馬の骨とも判らない、赤の他人に譲るのかといふ割と根本的な疑問も些かでなく拭ひ難い。必ずしも純然たる、初対面ではないにせよ。尤もほかにも特筆すべきなのが、君子と輪唱する二発目では二つ目の句が“君子の”に変形する、「僕と」、「君との」、「エクスタ」、「シー」フィニッシュは何と奔放なメソッドなのかと正方向に引つ繰り返つた。大概、もとい大体煮ても焼いても食へなんだ意図的な不安定が、軽やかに弾ける自由なり可能性に初めて結実する、当サイトがこれまでサトトシを観るか見た中では最高傑作に近い一作、そんな略し方聞いたこたねえ。

 私生活に於いては恐らく嗜まぬと思しき、長坂しほりが上半身を矢鱈と屈み込ませる、ストレンジな煙草の火の点け方―腰を折らずに、ライター持つて来ればいゝよね―は兎も角、地味に最大のツッコミ処は、斉藤の名前を耳にした途端口汚く罵り始める、それまで覚束なく宙に浮いてゐた、君子の足が俄かに地に着く悪口。「出臍なのあいつ、昔つから出臍なの」。事もなげに岡田はスルーしてしまふが、基本出臍は生まれた時から出臍だらう、そこ黙つて聞き流すのは勿体ない。


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 「ハメられた女 濡れる美人妻」(2001/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:今岡信治/脚本:上井勉/企画:朝倉大介/撮影:小西泰正/助監督:吉田修/編集:酒井正次/音楽:gaou/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/タイミング:竹原春光/スチール:北本剛/監督助手:菅沼隆・伊藤一平/撮影補:水野泰樹/撮影助手:畠山徹/応援:坂本礼・大西裕・増田庄吾・朝生賀子/出演:沢木まゆみ・松原正隆・真崎優・藤木誠人・佐藤宏・木全公彦・芥塵介・小泉剛・小林康宏)。
 夜の公園、息遣ひの荒い男が自らの右手をクルクル裏表眺め、パチパチ物が燃える音が聞こえる。ラストでもう一度同じ動作を蒸し返す、何をこの男は右手に重大さうな関心を懐いてゐるのか、その真意は終に示されず判然としない。何時か誰か、撲殺でもしたのかよ。テント村の村民・修二(松原)が、死を決意しガソリンを被る。ところがライターの火が点かず、焚火を借りに行つた背後の仲間にも無視される。とこところがろが、速攻気化せんのかいなといふ疑問も否めないが修二の体から滴るガソリンが、導火線的に着火。するとダッシュで逃げる修二が走り着いたか逃げきつた先が、目張りした車内にホースで排ガスを引き入れた、スーサイドなセダン。それをすると壊れるやうな気もしつつ修二が開けた隙間から窓を抉じ開けると、運転席では自身と瓜二つの男(のち明らかとなる固有名詞は榊文夫/当然松原正隆のゼロ役)が死んでゐた。翌朝、文夫の身包みを剥いだ修二が、文夫を入れたトランクを閉めての暗転にタイトル・イン。明けて夜の歌舞伎町一番街、ソープに行つた―文夫の財布に入つてゐた金で―修二を迎へた嬢のナナ子(真崎)は、中途で端折つた事後、修二が前の男にソックリだとか営業トークだとしたら何気に秀逸な軽口を叩く。そのまゝ徘徊する修二は雨も降つてゐないのに、合羽を着込んだ男のママチャリと激突。意識を失ひダッラダラ流血するほどの、結構な大怪我を負ふ。と、ころで。その頃文夫の妻・なずな(沢木)はといふと、パートで働く弁当屋の同僚・敦(藤木)とラブホテルにて逢瀬の大絶賛真最中。おひおひ語られる顛末、なずなと文夫は文夫の鬱病を理由に、一年前から別居してゐた。
 配役残り、佐藤宏以下ビリング下位は識別不能。見て人相なり背格好でその人どの人と知る知れない以前に、素のDMMに劣るとも勝らずビデオマーケットの画質が矢張りクソで、見て見切る見切れぬ以前に見えない。なずなが―文夫のつもりで―引き取つた修二と病院の表に出て来るカットで、病院名が判読出来ないレベルのおぼろげ具合。ダメだこりや画質を上げようと思ひ、既に高画質設定になつてゐたのには愕然とした。要は同じ素材を使つてゐるのだらうが、よくこんな代物で金を取れるなといふのが率直なリアクションである、出す方も出す方で悪いのだが。ちなみに以下五名の候補としては、テント村に住民票がある人等―ねえよ―が計三人に修二を撥ねるチャリンコ男と、信夫の遺体となずなを対面させる、スーツは着てゐるだらしない長髪。どうにかならんのか、あるいは商業映画ナメてんのかといふのは一旦兎も角、一応頭数は合ふ。その他弁当屋に敦のほか客含め若干名、松原正隆のボディ・ダブル等々がフレーム内を賑やかす。内トラに二三本毛を生やしたビリング下位を詰められなくとも、特に困りはしまい。ただ最初は内職でもしてゐるのかと思つた、なずなが筆書した半紙を、受験生のクリシェ感覚で居間に貼り巡らせてゐるのが、何某かのモチーフを成してゐない訳がないのだけれどもそれが読めない。といふか、斯くも大仰か素頓狂な意匠に、何の意味もないなら盟友の荒木太郎も吃驚である、盟友なのか。不用意な与太はさて措き、見えない敵と戦はうとしても始まらない、諦めて先に進む。
 国映大戦第四十六戦は、別に、元々大蔵以外に戦ふ場を幾らでも持つてゐたので、荒木太郎とは対照的に今も普通にときめくいまおかしんじの、今岡信治名義による2001年第一作。寧ろ、三顧の礼で迎へられでもしたのでなければ、よくよく考へてみるに何でまた、いまおかしんじがこの期に及んで大蔵に上陸してみせたのか、そもそも判らないとすらいへようか。
 死なうとしてゐた男が別の男の人生を手に入れる、壮大ではないが盛大なファンタジー。比較的緩やかに穏やかに尺を費やした末、果たしてこの映画がそこそこ大風呂敷をどう畳んでみせるのか、と思ひきや。何もかも放り投げたまゝ劇伴先行でクレジットが起動する、起動してしまふ別の意味で衝撃のラストには引つ繰り返つた。危ねえ危ねえ、もし今今作に小屋で相対してゐた場合、量産型娯楽映画的には限りなく不義理に近い、破壊力に耐へ抜く体力的な自信が正直ない。土台、文夫の死体が既に官憲の管理下に置かれてゐる以上、茶の濁しやうもなく。なずなが文夫の背広を片付けてゐて、“さよなら”とだけビッシリ強迫的に書き連ねられた、切なく壊れた便箋を見つけるソリッドな戦慄は何処次元の彼方に消えた。これ要は、起承転結を平然と中途で放り捨てる、大御大・小林悟の誇、れない禁忌の荒業「起承転」と大して変らない。
 敦との関係も踏まへるとシンプルにお好きな口であられたのか、文夫―修二なんだけど―との生活を再開させたなずなが夫婦生活―ではないんだけど―に励んで下さり、絡みの手数はとりあへず潤沢。詰まるところ沢木まゆみの、造形美の領域に突入したエクストリーム裸身を大人しく撮つてさへゐて呉れれば、濡れ場は幾らでも満足なものになり、こそすれ。事終盤に至るにつれ、濡れ場尻を無体にブッた切るぞんざいさは大いに考へもの。殊に締めの一戦に一瞥だに呉れない姿勢を、裸映画に対する度し難い不誠実と難じざるを得ないのが、始末に負へない偏狭であると理解してはゐるつもりだ。逆の意味で深い感銘を受けたのは、五十分を跨いで修二が再び歌舞伎町に赴く予想外の行動を通して、真崎優が電撃の再登場。を果たしたにも関らず脱ぎもしないのはまだしも、遣り取り的にも殆ど全く何もしない極大の拍子抜けには度肝を抜かれた。完全に一幕・アンド・アウェイの御役御免かと高を括らせておいて、最終盤あるいは土壇場に再び飛び込んで来た裸要員が、展開上極めてタクティカルな一撃を放つ。ピンクで映画なピンク映画的に、格好かつ鮮やかな大逆転シークエンスの好機であつた筈なのに。途夢待人、もといトム・ウェイツを捩つたにさうゐない、上井勉の名前が最初に登場するのは恐らく、今岡信治前作「OL性白書 くされ縁」(2000/主演:黒田詩織/何処か配信してねえかな)の脚本協力。以降は多分2004年頃まで番外俳優部か協力で、国映作のそこかしこに参加してゐるに止(とど)まる上井勉に、どうやらその辺りの頓着が清々しくなかつた模様。枝葉ぽくも思はせ、案外重要かも知れないのが、要は心なしか元気になつた文夫―だから違ふ人なんだけど―が帰つて来た途端、ゴキゲンのなずなから掌返しに愛想を尽かされ、さうなると怒るのも無理ない敦がポップな痴話を拗らせた挙句、その場にあつた鉢植えを上手いこと頭の上に載せる。如何にも今岡信治的な奇行とはいへ、それで一々キャッキャキャッキャ喜ぶほど、当サイトは甚だ無粋者につき訓練されてはゐない。ひ、とまづ。沢木まゆみ様の美麗なオッパイを一杯堪能出来る時点で心は大いに満たされるものの、地域によつては先に封切られてもゐる、二週間後の第二作「高校牝教師 ‐汚された性‐」(エクセス/主演:仲西さやか)共々、首を縦に振るには些か至らない一作ではある。一見真逆のアプローチを採つてゐる風に映りながら、図らずも似たやうな手応へに着地してゐる辺りに、消極的か窮屈な形で作家性が窺へなくもない。


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 「ぞつこんヒールズ ぬらりと解決!」(2021/制作:Grand Master Company/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:塩出太志/撮影:岩川雪依/照明・Bカメ:塩出太志/録音:横田彰文/助監督:田村専一・宮原周平/小道具:佐藤美百季/コンビニ衣装制作:コヤマシノブ/特殊メイク:懸樋杏奈/特殊メイク助手:田原美由紀/整音:臼井勝/音楽:宮原周平/タイトルデザイン:酒井崇/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:愛しあってる会《仮》・Seisho Cinema Club・青木康至・木島康博・田島基博・露木栄司・BLEND/出演:きみと歩実・西山真来・手塚けだま・新井秀幸・しじみ・尾形美香・香取剛・萩原正道・星野ゆうき・西田カリナ・折笠慎也・橘さり・松岡美空・津田菜都美)。
 ど頭に轟然と飛び込んで来るのはしじみ(ex.持田茜)の裸、但し陽子(しじみ)は事の最中、男からリミットブレイクに首を絞められる。一転きみと歩実が、覚束ない様子で水晶玉を覗き込む。当たらない占ひ師の松ノ木あゆみ(きみと)が口から出任せた、悪い女の存在が吐いた当人も驚く紛れ当り。依頼人の上野(新井)が主張するストーカー被害に、あゆみが一旦は警察に頼るやう勧めながらも、用意しておいた札片を上野に見せられるや、コロッと脊髄で折り返し文字通り現金に仕事を受ける。一方、眠らせられない催眠術師の東山マキ(西山)が、案の定術のかゝらないクライアント(香取)を当身で眠らせるといふか要は気絶させてゐると、友人のあゆみが手助けを乞ひ現れる。マキもマキで金になびき、二人で張り込んでみたところ神社に夜分参る上野の背後に、大麻を携へた大絶賛挙動不審の手塚けだまが。ハッパでなくて、“おほぬさ”の方な。サクッとトッ捕まへた、この人は生業にしてゐないゆゑ、自称霊媒師の手塚茂子(毛塚)曰く、上野は悪い霊に取り憑かれてゐるといふ。さうはいへ霊なんぞ見えやしない旨白状した茂子と、あゆみ・マキは意気投合。以降、事ある毎度々繰り返される暴飲暴食をオッ始めた流れで三本柱に、オーピーと塩出太志のみオープニング・クレジットを先行させタイトル・イン。三人のチーム名に、悪人からマキが思ひついた“ヒール”の単語にあゆみが俄かに喰ひつき、“ヒールズ”が賑々しく結成される。
 配役残り、無駄にアクの強い尾形美香は家賃を滞納するあゆみに催促する、だけの本筋には全く関らない大家、しやうもない口癖なんて要らねえ。全身赤塗りの萩原正道は、実際上野に憑いてゐた鬼、最後は結構フィジカルに倒される。鬼は消滅、上野家のクローゼットで死んではゐかつた陽子が、アグレッシブに蘇生して上野をボコる―のとヒールズ打ち上げ―までで前半戦終了。後述する、塩出太志前作に於いては主人公を務めた星野ゆうきが、マキと同棲する彼氏・鈴木。正確にいふと、鈴木家にマキが転がり込んでゐる居候。西田カリナはDV被害の相談でマキを訪ねる上田良子で、折笠慎也がクソ夫のトシヒロ。今回あゆみん共々、量産型娯楽映画を紙一重で担保する折慎が、さりとて一欠片たりとて救ひ処のない徹頭徹尾ゴミゴミしい役。新章の火蓋を赤いワンピースの背中で切る松岡美空は、これで案外繁盛してゐるのか良子と矢継ぎ早にマキを訪ねるハナコ。この人は緑塗りの橘さりはトシヒロに憑くのは憑いてゐた、寄生虫かウイルス感覚で人から人へ憑依するサムシング。固有名詞を持たないらしく、好きな食べ物を引つ繰り返してシースーとマキに命名される。津田菜都美はあゆみとマキがバイト中の茂子を連れ出しに行く、コンビニのギャル店員・海野渚、屋号は多分「EVERY DAY」。
 塩出太志(OP PICTURES新人監督発掘プロジェクト2017⦅第一回⦆審査員特別賞)の2021年第一作は、初陣の「童貞幽霊 あの世の果てでイキまくれ!」(2019/主演:戸田真琴)に続くピンク映画第二作。このあと、OPP+版用に“追撮した部分から再構成した”とかいふ、ウィキペディアによる概要の意味がよく判らない2021年第二作が歳末封切りで控へ、昨年末にはフェス先行したピンク版ヒールズ第三作―OPP+的には都合二本―が、矢張り歳末に封切られてゐる。即ち、現状2020年が最終となる正月痴漢電車の運休―ないし痴漢電車ごと廃線―以来、2021年城定秀夫の「キモハラ課長 ムラムラおつぴろげ」(主演:七海なな・麻木貴仁)挿んで、二年連続正月番組の大役を塩出太志が任されてゐる格好となる。雑にいふとポッと出の塩出太志は元より、城定秀夫にせよエクセスから越して来た外様といへば外様。あれこれ思ふところもなくはないけれど、反動的な与太は一旦控へる、限りなく控へてない。
 ビリング三番手は幸か不幸か潔く温存、脱ぐのは頭二人としじみに西田カリナの四枚態勢。しじみが鮮やかな開巻奇襲をキメ、あゆみの何気ない日常風景に際し、きみと歩実が惜し気もなくか兎に角お裸を御披露なさる形で濡れ場の場数を稼ぐ誠意を窺はせつつ、双方経験値の足らない介錯する男優部と舵を取る演出部、何れにより重い責を帰すべきなのかはとりあへず兎も角、裸映画的には最低限腹は立たない、もしくは挨拶程度に止(とど)まる。同様に、全篇通して縦横無尽に飛び交ふ、間断ない細かいツッコミの弾幕に関してもネタ的には満更でもなささうな割に、俳優部のキレなのか演出のテンポなのか、微妙にオタつく手数の多さが寧ろ無理した窮屈さを覚えさせる、諸刃の剣感も否めない。後半戦序盤、二番手の絡みが一応飛び込んでは来る点も踏まへ、鬼退治とマキが上手いこと共存に漕ぎつける対シースー、手堅い二部構成は全体的な体裁を大いに整へ、はするものの。犯した罪に比して、トシヒロに対する懲悪が軽過ぎはしまいかといふ不均衡は拭ひ難く、そもそも、茂子が如何なる理由で上野を実質スタークしてゐたのかなる、割と根源的な疑問もどさくさし倒す中で結局放置されたまゝ流される。威勢よくブン回す金属バットはまだしも、もたもた失笑、もとい疾走し損なふあゆみの鈍重なローラブレードに至つては、完全に藪を突いて出した蛇。ハナコのクラファン救済でそれなりの大団円に辿り着いたかにも思はせ、大雑把な銘々のイントロとヒールズ誕生までをといふか“までは”は描く、パイロット的な印象の強い一作、別に空を飛ぶ訳ではない。もうひとつ見るから顕著なのが、貧しい画面のルック、それは見るからだらう。俳優部の顔が矢鱈白くトブのが目につく、幾ら小屋のプロジェク太性能に留保ないし譲歩の余地を残すにせよ、断じて高くはない画質については物語に引き込まれた所以なのか、段々と気にならなくなりはする。単なる慣れの問題に過ぎないのかも知れないし、要は、クレジットから容易に看て取れる布陣の如実な薄さではある。協力の中にもそれらしき面子は見当たらず、さうなると撮影部に相当する頭数が二人しかゐない。しかもうち一人は演出部兼任といふか当然演出部が本職の塩出太志、噂あるいは昔話に伝へ聞く、まるで矢竹―正知―組みたいな現場だ。まあまあ楽しめこそすれ、ワーキャー褒めそやすには特に当たらないともいへ、俗物性に嫌気が差したマキがパンチの効いた別れを鈴木にカマしての、劇中ホントに常態化してゐるヒールズ飲み食ひ会。トシヒロを催眠術で変心させるべく、チームとしての活動開始をマキが高らかに宣言する「ヒールズ始動やで!」。鮮やかなテンションとタイミングで叩き込まれる颯爽とした名台詞が、偶さか蘇つた映画を輝かせる。

 主に撮影部―時々照明部―の横田彰司と一瞬混同しかけた、塩出組の録音部でしか今のところ見かけない横田彰文は、近しい関係にでもあるのかしらん。


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 「美人秘書 パンストを剥ぐ」(1997/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/プロデューサー:大蔵雅彦/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/助監督:加藤義一/監督助手:立澤和博/撮影助手:諸星啓太郎/照明助手:耶雲哉治/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:佐野和宏・佐々木基子・杉原みさお・神戸顕一・雅野新・木村健二・小山亜樹子・田口あゆみ)。
 古の、麗しの大蔵王冠開巻。新都庁から、麓の公園にたどたどしくティルト。タッパのある男が佇むのを、遠目に捉へてタイトル・イン。「眩しくて目が潰れさうなんだよ」、神戸顕一が小林徹哉似の禿男(木村)をポップに揶揄する、酒を酌み交すルンペン三人組(もう一人は雅野新、この人何者なんだろ)にクレジット起動。鳩の餌を売る杉原みさおを通り過ぎて、無闇にスカート丈の短い同僚(小山)と話をする佐々木基子の手前で、徘徊する視点の主が歩を止める。改めて、全員抜いた引きの画に監督クレ。最初のカットに話を戻すと、逆に曇天を煽るラストもさうなのだが、何でまたそんなカメラの動きがぎこちないのか。
 「貴方、コーヒーが入りましたよ」。子供達も待つ鎌倉の家を出て十年、ホテルで暮らす夫で小説家の桜木文彦(佐野)に、良枝(田口)がコーヒーを淹れる。何某か体に爆弾を抱へる風情を窺はせつつ、桜木は自身最後の長篇と目した『遠き家族』に取りかゝつてゐた。オーソドックスに攻める夫婦生活の事後、外堀を埋める会話がてら桜木が妻の方を向くと、良枝は消失してゐた。
 この人等は別に消えたりしない、配役残り。書きかけの原稿を読ませて貰ふと、「イケますよ先生、この調子でサクサク書き上げて下さいよ」。神戸顕一は如何にも難しさうな大先生に、ぞんざいに接する編集者の鈴掛、流石五代暁子の脚本だ。佐々木基子は単なる秘書といふより、自らも新人賞を目指し筆を執るとなると、書生に寧ろ近いと思しき由美子。そして杉原みさおは桜木がハメ撮りにうつゝを抜かす、一度ならず部屋に呼ぶホテトル嬢・キナ。
 池島ゆたか1997年第一作は、前年上陸を果たした大蔵第二作。豆腐にかすがひの野暮を一吹き、プリミティブにツッコんでおくと美人の秘書は確かに出て来るけれど、パンストを剥ぐシークエンスなんて特にない。
 シティホテルの一室を舞台に繰り広げられる、部屋の主たる作家を中心に据ゑた色事の数々。実はど頭のロングで長身の男、あるいは徘徊視点の主にビリングを踏まへるとなほさら決して辿り着けなくもないゆゑ、要はタイトルバックでオチが読めるといへば読める、m@stervision大哥が二十年前に御指摘の通り、2003年第四作「牝猫 くびれ腰」(脚本:五代暁子/主演:本クレだと本多菊次郎)と同じネタの一作。無論、先行してゐるのが今作である以上、正確には「牝くび」を全面的な焼き直しといふべきか。m@ster大哥は種明かしの冗長さを主に難じられた上で、「秘書パン」の方に軍配を上げておいでだが、冷酷なうつし世と対照的な、甘美で栄光に満ち満ちたよるの夢の、夜の夢ならではの揺らぎを描く点に関しては、「牝くび」の方が幾分長けてもゐる。飛び道具込みで俳優部の面子的にもさして遜色は見当たらず、当サイトは「牝くび」にも分があると看做すところである。といふのも、五代暁子の暴力的な陳腐に池島ゆたかの大根演出が火にガソリンを注ぎ、主人公が文学者にしては、逐一自堕落な遣り取りの羅列が割と耐へ難い。書きかけの新人賞応募作を読んで下さいと乞ふ由美子に対し、「完成してからぢやないと読まないよ」。大学の文学サークルの先輩でもあるまいに、どうして斯くも言葉が軽いのか。たとへば山﨑邦紀辺りであれば、もつと幾らでも形を成してゐたらう雑な印象も禁じ難い。つ、いでに。後述する乱交の一夜に関し、のうのうと配偶者に語る桜木が指摘された甘えを認めると、当の良枝は何なら軽く得意気に「貴方の最期を看取るのはアタシですよね」、「だつて妻ですもの」、だとさ。放埓の限りを尽す亭主を、甲斐甲斐しく甘やかし倒して呉れやがる献身的な良妻。とかいふ男にとつてクッソ都合のいゝ造形が、五代暁子の手によるものといふ一種の利敵行為。浜野佐知の地獄突きを喰らつて、一遍血反吐でも吐けばいゝ。一方裸映画的には、とりあへず正攻法に徹する。岡惚れを拗らせる鈴掛に、桜木が由美子を宛がふ件。押し倒された由美子が、鈴掛の棹の先も乾かぬうちに和姦に応じるへべれけさには、もう立ち止まらない、それこそキリがない。無防備な隣室に潜んだ桜木とキナも交へた、並走する絡みのカットバックから、最終的には怒涛の乱交に突入する展開は大いに盛り上がる。桜木とキナが由美子と鈴掛に見つかつた際の、「キナでーす」は杉原みさおにアテ書きされたとしか思へない軽やかな名台詞。反面、桜木が募らせる猜疑の形を採つた、流れ的にどうしやうもなかつたのかも知れないが、締めの濡れ場でトメの田口あゆみを介錯するのが佐野でなく、神顕といふのは矢張り些かならず厳しくはないか。


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