真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「濃厚不倫 とられた女」(2004/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター/監督:女池充/脚本:西田直子/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人 森田一人 増子恭一/撮影:伊藤寛/編集:酒井正次/助監督:菅沼隆/監督助手:清水雅美/撮影助手:鏡早智、他一名/録音:小南鈴之介/美術:朝生賀子/出演:こなつ・林由美香・藍山みなみ・佐野和宏・福島拓哉・松本寛樹・本多楽・那波隆史・杉浦昭嘉・吉岡睦雄・今岡信治、他多数・石川KIN)。出演者中、石川KINがポスターには石川欣。プロジェク太の画質以前に見辛いクレジットに、ほぼ完敗する。といふか、開き直るつもりはないがクレジットの方が問題だと思ふ、少なくとも明らかに暗い。情報を満足に提示する気がないのなら読めないクレジットなど打たなければいい、尺の無駄だ。
 聞くでも聞かぬでもなくハングル放送の流れる、コンビニ弁当の残骸とワンカップの空き容器とに荒れた部屋。寡暮らしの侘しい中年男・吉田(佐野)が、過去の記憶に遡る夢を見る。望まれもしないのに新居を訪ねた未だ髪も残る吉田は、親友の新妻・恵子(林)を犯す。悪夢だか苦い記憶だか知らないが、絡みのカットを乱雑にブツ切りにしてみせる必要が、果たしてピンク映画にあるのか。おとなしく、勃たせるものは勃たせて欲しい。それを敢てしないといふことと、出来ないといふこととの間には、結果の上での違ひはない。三年の交際を経て田村(福島)と結婚間近の祥子(こなつ)は、田村を数日間の出張に送り出すと、役場に婚姻届を取りに行く。祥子と入れ違ひで、男がこの人は離婚届を貰ひに来る。既に寿退社済みの祥子は、元同僚の美佳(藍山)と小洒落たレストランにて食事を摂る。ここで店内その他客要員の中で唯一確認出来たのは、横向きで美佳と向かひ合はせ画面向かつて右側に座る祥子の、奥に見切れる今岡信治のみ。店のオーナーは、先程祥子の直後に離婚届を取りに来た男・工藤(石川)であつた。その夜、チャリンコを走らせ閉店後のレストランを再び訪れた祥子は、衝動的に工藤と寝る。以来新婚生活への準備も怠り工藤の制止も聞かず、祥子は工藤との情事を重ねる。そんな爛れた日々、祥子もゐるところに泥酔した吉田が藪から棒に殴らせろと工藤の店に不意に現れる。工藤の妻は恵子で、元々恵子は、吉田と付き合つてゐた。
 配役残り松本寛樹は、恵子の長男・稔で、本多楽が稔の弟。荒れた生活の果てに体を壊した吉田は路上で倒れると、横浜厚生病院に担ぎ込まれる。那波隆史は、吉田の担当医師・内藤寛史。吉岡睦雄は、同じく容態の急変した吉田を診る若い医師。クレジットの位置からして、幾許かの台詞もあつた役ではなからうかと思はれ、加へて顔を見れば判る筈なのだが、杉浦昭嘉が何処に登場してゐたのか拾ひ損ねたのが口惜しい。
 いはゆるマリッジ・ブルーとでもいへば聞こえもいいのか悪いのかはよく判らないが、一人の女がよろめいた弾みで、動き始める物語。一般論としてはその手の、何某かの用語を当て嵌め解釈したやうな気になる、より進むならば一種の免罪符とすらしかねない悪弊に対しては常々我が身の問題としても注意しておかねばなんねえな、とも感ずるものではあるのだが、それはさて措きお花畑の道徳噺でもなからうに、何も映画の主人公が常に正しい行動をとらねばならないといふ訳でもあるまい。よろめくといふのは正しくさういふことでもあらうから、結婚に対し漠然とした疑問を抱へた祥子が、偶さか工藤との関係に溺れてしまふまでは、まだしもドラマが求心力を保つてゐた。とはいへ、詰まるところは2.5組の男女と一人の女をガラガラポンでシャッフルしてみた、に止(とど)まりもする以降の顛末には、残る何某かは少なくもある。婚姻届を取りに来た女と、正しく正反対に離婚届を取りに来た男とが交錯するといふアイデア。開巻の、濡れ場といふ名には値しない回想と、ポップに祥子の結婚を羨ましがる美佳の姿、といふそれぞれの伏線。そこかしこに輝きを感じさせつつなほのこと、恵子が、買つて貰つたばかりの自転車を貸す貸さないで友達と喧嘩した稔と二人連れ立つて歩く、一見どうといふこともないカット。後々、林由美香が実はそこで試合を決める送りバントを決めてゐたのだといふ点に気づかされた瞬間には、誇張ではなく身震ひさせられた。刮目すべき見所はあちこちあるのだが、一度祥子がヒロインかと錯覚してしまふと、何時の間にか祥子が何処か蚊帳の外に押し出される終盤には、足場を失つた心許なさも禁じ得ない。林由美香と主演女優の絶望的な地力の差、だなどといつてのければそれこそ実も蓋もないのかも知れないが。祥子のよろめきが成立する要因のそもそも半分たる、工藤と恵子との距離が、主には恵子からの台詞のみでしか語られないのも、如何せん弱い。祥子を放置したまゝの展開の鍵を握る、明かされるところまで含めて秘密の存在は、恵子にとつてはある種の運命的なものであつたとしても、他方工藤の側からは、殆ど単なる方便に過ぎない、あるいは棚牡丹か。幾度と心を鷲掴まれたにせよ、いざ丸々観通した後となつては、「ほんで、だから何?」といふ釈然としなさも強い。フェミニンなショート・カットが狂ほしく超絶な林由美香の、柔らかな佇まひは言葉を失ふほどに美しく、今となつては正しく喪はれてしまつたからこそでもあらう永遠を、観る者の胸に叩き込む。確かに恵子が載つてゐる間の画面の強度は比類ないものながら、そのことと、一本のストーリーとしての完成度とは、何処まで行つても別問題ともいへよう。だとすれば、かういふ局面で引き合ひに出しては申し訳ないと憚らぬでもないが、たとへば新田栄の名前が容易には思ひ浮かぶ、幾多の水準以下のルーチンワークを出番だけでも、林由美香が天使の微笑と出し惜しみしない存在感とで形成しめて来た救済と、最終的には未完成にも思へるドラマの中で、散発的に恵子が最も眩い光を放つ今作とは、実は同一の地平にあると看做すことも出来るのではなからうか。その時、一見すると最も対極に位置すると思へなくもない、恐らく前者はさういふ自意識であると思しき女池充と新田栄とが、林由美香の御膝の下に、実は同じピンクとして束ねられる。始末に終へぬ牽強付会でないとすれば、それは実に、尊く素晴らしいことではないか。そこに林由美香が出てゐたからこそ、それは矢張りピンクなのである。尤も蛇足ではあり、落とした償ひに持ち上げるといふ訳でもないが、新田栄新田栄とピンクスの間でも悪し様にいはれる例(ためし)が概ね多いが、新田栄も時にヤル気を出した折には、よしんばそれが即物的なものでしかなくとも、アクロバティックでエクストリームな濡れ場を撮る時もある、撮る腕はある。対して、今作も多分に漏れない乱暴に十把一絡にしてみせるがいはゆる国映系の面々は、どうしてかうも、無機質とまでいふのは過ぎるにせよ、無味乾燥な濡れ場を撮るのか。いい意味でも悪い意味でも、スタイリッシュでなんぞなくていい。肉の重みと柔らかさ、温もりが伝はらない。心情描写に重きをおくあまり、シンプルな煽情性を全く蔑ろにしてのけるのも如何なものか。両極端といふものは、何れも極端である以上、同じ罪を犯してゐるに過ぎない。繰り返すが、勃たせるものは勃たせて欲しい。有名女優の裸を売りにもした一般映画の方が、まだしも狙ひを弁へた撮り方をすることが往々にしてある。ましてや、こつちはピンク映画である。それは未成熟な照れなのか甚だしい勘違ひなのか、あるいは単に下手だからなのか。仮にノルマとして規程された手続きとして、映画を撮るに際して仕方なく女の裸を差し挿んだものだとするならば、それは全く以て観客に対して不誠実であり、女優部に対しても非礼であらう。一人の男が映画が好きだとして、不能かあるいは男色でなければ、それは女の裸はそれ以前に好きだらう?私はピンクで映画なピンク映画は、まづ第一義的もしくは零義的には、さういふものだと捉へてゐる。

 とこ、ろで。重ねていはずもがなをこの期にいふが、佐野和宏と石川欣は兎も角、林由美香がこのオッサン二人と同級生かよ!?といふ史上最大級のツッコミ処に関しては、この際立ち止まらないべきだ。とりあへず恵子役には林由美香でなくその盟友の吉行由実を、といふ次善策も思ひつかなくはないが、何かを吹つ切たかのやうに清々しく洗濯物を干す恵子の、強度も伴なつた透明感のある幸福感は、妖艶さを主兵装とする吉行由実の繰り出し得る芸ではあるまい。


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 「美人歯科 いぢくり抜き治療」(2008/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原新七/撮影:大川藤雄/照明:小林敦/音楽:因幡智明/スチール:佐藤初太郎/助監督:小川隆史/監督助手:加藤学/撮影助手:松下茂/効果:梅沢身知子/ネガ編集:フィルム・クラフト/録音:シネキャビン/フィルム:報映産業/現像:東映ラボ・テック/協力:下元哲・今城隆浩・石谷ライティングサービス/出演:伊沢涼子・椎名りく・会澤ともみ・久保田泰也・細井芳行・村田頼俊)。脚本の樫原新七は、樫原辰郎の変名。協力中、今城隆浩は本篇クレジットのみ。
 西脇デンタルクリニック、院長の理沙(伊沢)が、一人で患者(村田)の治療に当たる。理沙には患者の苦悶する表情に欲情する性癖があり、けふも痛みを訴へる村田頼俊を無視して理沙が患者との濡れ場を妄想する一方、資格試験の受験勉強中でもある歯科衛生士見習の山瀬夏海(椎名)は、例によつて寝坊し遅刻する。(井上)如春と同じくチャラ男ぶりが憎々しいばかりの久保田泰也は、夏海の邪険な彼氏・森修一。嬉々として理沙の話を延々続ける夏海に対し、修一は露骨に煙たがる。さりげなくショッキングな会澤ともみは、西脇デンタルクリニックを訪ねる女性患者・右田藤子。乗つたばかりの診察台の上でメールの着信を取らうとした藤子の携帯を覗き込んだ夏海は、待ち受け画面が修一とのツー・ショット写真であるのに愕然とする。理沙は理沙で、三十路の大台も間近に控へ実は未だ男性経験のないことに関し秘かな劣等感を抱き、普段は吸はないタバコに深夜火を点けると、並立する攻撃的な別人格を発動させつつ医療器具での自慰に耽る。肉は無様に厚いが細井芳行は、理沙への劣情を隠さうともせずに通院し、夏海からは目くじらを立てられる山内清次郎。まあ眉根を寄せる椎名りくの表情の、活き活きとしてゐることしてゐること。
 夏海の男性問題と、魔女へのクラスチェンジも目前とした理沙の処女コンプレックス。両ヒロインがそれぞれ抱へる問題を二人の絡みに交へて交錯させて行く構成には、問題はないどころかピンク映画の基本設計としては全く順当でもある。ところが以降が、手数は兎も角どうにもかうにも心許ない。決定打には終始欠いたまゝに、尺が尽きるに従ひさしたる結実は果たせずじまひに右から左へと、流れ過ぎ去つた感の強い一作ではある。伊沢涼子自体が悪い訳ではないのだが理沙に関しては、いはゆる主人公と結ばれる王子様たる山内役の細井芳行―クレジットに何ら特記は見当たらないものの、世志男のアテレコに聞こえるのは気の所為か―に如何せん一欠片の魅力も感じられない辺りが、如何ともし難く弱い。本職の役者にはとても見えないのだが、一体何処から連れて来た馬の骨なのか。主翼の一方の補助エンジンには、到底務まるタマではない。国沢実が自ら出撃してゐた方が、百倍マシではなかつたか。他方夏海といふか要は椎名りくについては、“リックドム”なる愛称からも窺へるやうに、元々足が地面から幾分浮遊してもゐるかのやうな独特の存在感を、良くも悪くも誇る。宇宙用のMS-09Rは、別にホバリングなんてせんぢやろとかいふ無粋なツッコミは禁止だ。そんな椎名りくをオーソドックスな展開の劇映画に擁して十全に制御し得るには、適宜自由に羽ばたかせて持てるクセのある魅力の威力を解き放つと同時に、基本線としては明後日に霧散してしまはぬやう頑丈な誘導で、いはば首に縄をつけておく必要もあるのではなからうか。今回国沢実は、特にさういふ頭もなく普通のアイドル映画の要領で無造作に椎名りくに接し、結果まんまと物語を束ね損ねたやうに思へる。初出勤シーンとオーラスの二度に亘つて繰り出される、ナレーションを直接カメラに向かつて夏海に喋らせる小細工も、ランダムなのみでさしたる効果を挙げてゐるやうには全く見えない。夏海の事情と理沙の事情、せめてどちらかだけでも形を成して呉れれば片目を瞑つて観てゐられなくもないのだが、両方とも塞がれてしまへば、下手をすると寝てしまふ。総括してみると2008年の国沢実は木端微塵に仕出かす大粗相もなかつた反面、特に大きな魚を釣り上げた訳でもあるまい。正味な話が全般的には、漫然と沈黙あるいは停止した印象を受けるものである。

 ところで。どうしても通り過ぎられないのが、かういつちや何だが会澤ともみの著しい質量増加。首から下はさて措きそれ以外の部分の膨張が甚だしく、よくよく見なければ相沢知美その人と判別出来ない、正しく我が目を疑つた。太つたといふよりは、寧ろ浮腫んでゐるやうにも映つたのだけれど。


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 「痴漢電車 巨乳もみもみ」(2000/製作・配給:大蔵映画/監督:渡邊元嗣/脚本:波路遥/撮影:飯岡聖英/照明:ガッツ/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:田中康文/撮影助手:田宮健彦・清水康宏/照明助手:広瀬寛巳/出演:神崎優・西藤尚・工藤翔子・熊谷孝文・山信・十日市秀悦)。照明のガッツは、守利賢一の変名。
 同じテーマをバックにした電車の画で幕を開けるところからも、「下着検札」をトレースしたかのやうな開巻。まづはほんの前世紀末の製作なのに、昭和の映画にしか見えない画面の色合に魅了される、プロジェク太上映なのだが。ポップに混み合ふ満員電車の車中、押されたリサ(神崎)が神木茂(熊谷)に抱きつくやうにもたれかかる。恐縮する茂に対し、リサはコケティッシュに微笑みかけると痴女行為を敢行。コロッと恍惚とする茂の隙をつき、リサは茂の手鞄を掏る。リサはさういふ手口の、スリの常習犯であつた。茂を出し抜き一人降車したリサではあつたが、獲たばかりの手鞄を、今度は元仲間のマリ(西藤)に掻つ攫はれる。鞄を掏られてしまつたことを報告した、茂は署長の森(十日市)から激しく叱責される。事の重大さを今ひとつ呑み込めない茂ではあつたが、県警宴会係長―何故か警視庁ではない―である茂の鞄の中には、宴会の領収書と、参加者の名簿とが入つてゐた。さういふ書類を、何でまた茂が持ち歩いてゐたのかは清々しく不明。茂が越して来たばかりの新居にくたびれ帰宅したところ、かけた筈の鍵は開いてをり、室内には内務調査班の潤子(工藤)が居た。内務調査班だらうと何だらうと、不法侵入は不法侵入だ。誠麗しい色仕掛けで茂を攻略する潤子も、盗まれた手鞄の中身に興味を持つ。ところで冷静になつてみると電車車中のリサに続き、茂が誑し込まれるのは本日二度目でもあるのだが、学習能力といふ言葉を知らんのか。何者かと謀議を交す森の判り易いこと極まりない悪巧みカットを経て、翌日帰宅した茂を、牧歌的も通り越しコント感覚のライフル狙撃が狙ふ、馬から落ちて落馬する。画期的に安直な劇中世間の狭さをスパークさせつつ、茂は実は隣に住んでゐたことが直前に判明したばかりのリサの部屋に逃げ込む。
 山信は同郷でもあるリサ・マリ―二人並べるとお気付き頂けようか―のスリの師匠で、現在はマリがリサから寝取つた形の情夫でもある三隅。何気に大蔵らしからぬ、スラッシュに見舞はれる。テレビ・リポーター役で、実際ならばあまり映像に載せるのは如何なものかと思はれぬでもない貧相な男が登場、スタッフの何れかか。
 これは劇中的には後に語られることなのだが、一旦は急病と偽装されもした大臣暗殺未遂事件に揺れる昨今、警備担当の警察幹部が当日、官々接待にうつつを抜かしてゐた疑惑が囁かれてゐた。茂がリサに掏られた手鞄の中には、即ちその際の領収書と名簿とが入つてゐたのだ。ワイドショーでも取り上げられるほど世間で話題になつてもゐたものを、どうして迂闊にも茂が知らないのかといふ次第でしかないのだが、要はさういふ塩梅のサスペンス・ピンクである。そんなこんなな次第で、といふかナベだから、などといつてしまつてはそれこそ実も蓋も消滅してしまふが、全篇を通し脇は甘々で、初めは金目の品に欠けるとも落胆してゐたバッグの中に、裏帳簿といふ思はぬ金の卵が入つてゐることに驚喜するマリと三隅とが、「ウー、チョーボ!」とシャウトするや劇伴にマンボが鳴り始め、てれんこてれんこと踊つた勢ひで絡みに突入するだなどといふシークエンスの爆発的な下らなさには、それこそ小屋が吹き飛んでしまふかとすら頭を抱へさせられた。とはいへその割には、最終的には意外と娯楽映画として綺麗に形になつてもゐたやうに映つたのは不思議だといふか、直截あるいは正確には単なる俺の気の迷ひか。ただ工藤翔子の硬質なキャラクターがサスペンス風味のプロットによく映えそこかしこのカットを支へもすることと、何はともあれ、一件を最終的には痴漢電車で収束させてみせた点は、ジャンル映画として正方向に評価出来よう。秋吉リサと名乗つたリサに対し、茂が「小説のヒロインみたいな名前だね」、「そんなこといはれたの初めて///」なんてこそばゆい以前に陳腐な遣り取りや、まるで「大変なものを盗んでいきました」とでもいはんばかりの、オーラスの濡れ場の導入に対しては評価も割れるやも知れぬが、アイドル映画の甘酸つぱさといふものは、そのくらゐでちやうどいいものであるのかも知れない。個人的には絶妙に洗練度の低い神崎優に対しては、心の琴線を爪弾かれて爪弾かれて仕方がないといふことも別にないのだが。


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 「闇のまにまに 人妻・彩乃の不貞な妄想」(2009/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:友松直之/原作:内田春菊『闇のまにまに』/企画:衣川仲人/企画協力:石橋健司・赤荻武・遠藤祐司・住田陽一/プロデューサー:池田勝/キャスティングプロデューサー:灘谷馨一/撮影:飯岡聖英/編集:酒井編集室/助監督:躰中洋蔵・林雅之・小島朋也/撮影助手:宇野寛之・宮原かおり/音楽:大友洋二/効果:山田案山子/ヘアメイク:江田友理子/スチール:山本千里/特殊造形:西村映造/VFX:鹿角剛司/タイミング:安斎公一/挿入曲『粉雪』 エンディング曲『花』作詞・作曲:琴乃/制作協力:幻想配給社/企画協力:CINEMA-R・SODクリエイト/出演:琴乃・うさぎつばさ・坪井麻里子・山口真里・里見瑤子・竹本泰志・如春・貴山侑哉/特別出演:内田春菊)。因みに総尺は七十分。最初にお断り申し上げておくと、原作の方は怠惰に未読である、悪しからず。
 対ピンク上映館仕様か、御馴染み新東宝カンパニー・ロゴにて開巻。彩乃(琴乃)のシャワー・シーン、彩乃は別に気付いてゐない風だが、判り易いおどろおどろしさを予兆させる演出と共に彩乃の裸の右肩には女の左手が添へられ、今時Jホラーのクリシェともいふべき、ざんばらな黒髪を垂らし薄汚れた白の肌着一枚の女(坪井)が、浴室を覗く。女の左手は、無惨に切断されてゐた。
 彩乃と夫・溝口健司との生活は、冷え切つてゐた。ここで、新東宝が公式サイトとフライヤーにて堂々と仕出かしてしまつてゐるのは、健司役は今作の原作者・内田春菊との実生活に於ける関係も伝へられる貴山侑哉、ではなく、如春である。何と大らかな世界か、といふかピンク的には全く馴染みの薄い貴山侑哉は兎も角、井上如春の顔くらゐ誰か覚えておいてやれよ。健司は脱サラして起業するも失敗し、再就職を果たしたものの苦しい生活の為に、彩乃も英会話教材を販売する、USAプラザの電話勧誘員として働いてゐた。健司に話を戻すとこの如春といふ男が、例によつて弱いのも通り越して殆ど憎い。いはゆるギャル男の範疇にギリギリ片足を突つ込んでゐるのかも知れないが、背が高くなければ直截にいへば小太りで、首から上も決してハンサムといふ訳ではない。即ち凡そ魅力といふ言葉からは遠い如春が、どういふ訳だか勿体ない程の美人である琴乃―全体のスタイルとしては、首から上が少々大きいが―の旦那でしかも邪険に扱ひ倒すなどといふのは、些かならず画としてシークエンスが通らない。いや増して腹立たしいばかりである。度々他愛もない妄想に駆られながらも日々電話を受ける彩乃は、前任者が放置した女の家に、資料を届けに出向くことになる。何事か明確には語られないが不気味に荒れた集合住宅の一室、玄関からそこだけ覗いた女の美しい左手に、彩乃は魅せられる。
 映画初出演にして当然初主演といふ琴乃を巧みにサポートし、今作裏MVPともいふべきさりげない活躍を見せる、それはさて措き妙な長さの長髪の竹本泰志は、USAプラザの二枚目トップセールスマン・西條。この西條の髪型が超絶に微妙で、誰かに似てゐるやうな気がしてゐたのだがフと辿り着いてみると竹本泰志が山本圭に、あるいはハンサムな押井守に見える。慎ましやかな八面六臂を披露する山口真里は、彩乃のやうな綺麗な妻が居るにも関らず、アホンダラの健司がうつつを抜かすエロ動画の女。ジゴロ営業も噂される西條が、彩乃の妄想の中でオトす主婦。現実のUSAプラザカウンターにて、西條が応対する主婦、の三役を華麗に兼任する。後ろ二つはほぼ同じキャラクターともいへるが、全く別個の役で、二つの濡れ場をこなしてみせたアクロバットは地味に特筆すべきであらう。うさぎつばさは、USAプラザで彩乃の右隣に座る、霊感はあるが営業成績はからきしのテレオペ板倉佳子こと通称イタコ、狂言回しを担当する。里見瑤子は、焦点を当てられて顔が抜かれるのはワン・カットのみのUSAプラザ社員。里見瑤子はUSAプラザの背景に見切れるに留まり欠片も脱がず、三人目の脱ぎ役は、うさぎつばさが担当する。そして貴山侑哉の正確な配役は、浮気した妻・友梨(二役ではなく坪井麻里子)を殺害後バラバラにした赤城圭一である。
 近くは城定秀夫の「妖女伝説セイレーンX」や後藤大輔の「新・監禁逃亡」(二作とも2008)と同趣向の、新東宝製作による成人映画とはいへども厳密には非ピンク映画である。ここで友松直之が何とかオーピーにも滑り込めれば、既にサイバーパンク・ピンクの大傑作でクリアしたエクセスと三社全てに渡つての、三冠王が達成されるのだが。尤も話を今作限定に戻すと、兎にも角にも根本的に奇異に映つたのは、友梨の幽霊が何の接点も全く無い内から、何故か初期設定として彩乃の周囲に出没してしまつてゐる点。妖怪ならばさて措き幽霊譚といふのは、さういふものではないやうな気がするのだが。最低限度ではあつても、せめて何某かの因縁が必要なのではなからうか。そもそも、友梨殺害時点から、彩乃が赤城家を訪問したのと圭一が友梨の遺体を解体してゐたのが同時刻ならば、冒頭のTVニュースとの間に矛盾を生じる。加へて彩乃の妄想癖と友梨幽霊との親和度も低く、何が何だか藪から棒に、迎へた無体な結末に呆気にとられてしまつた、といふのが率直な感触である。ところがこれが他愛なく空振りしてしまつた純然たる失敗作なのかといふと、必ずしもさうとは限らない辺りが、ジャンル映画あるいはプログラム・ピクチャーの面白いところ。中盤を成人映画として一手に支へる、西條を相手に溺れる彩乃の昼下がりの情事が展開としては兎も角、絡みとして非常に充実してゐる。冒頭のシャワー・シーンに際しては硬さも感じさせつつ、竹本泰志の好リードにも助けられたか、堂々とした濡れ場を展開してみせる琴乃が拾ひもの。拭ひきれないちぐはぐさと唐突さとは色濃く残るものの、裸映画としては意外と頑丈に成就を果たしてみせた快作である。チラシにはぬけぬけと“エロティック・ホラーサスペンスの問題作”とあるが、風味としてすらホラーとサスペンスに関しては、世辞にも褒められたものではないのだが。あるいはそこが問題なのか。

 特別出演の内田春菊はラスト・シーン、矢張りカウンターで西條が応対する主婦。ここの原作者のカメオぶりは、素晴らしくスマートであつた。

 間の抜けた付記< 「老人とラブドール」と今作との間に、友松直之はオーピーでも一作発表してゐる。「わいせつ性楽園 をぢさまと私」(二月末/未見)、既に栄えある三冠王は達成されてあつた。まるつきり、ウッカリしてゐた   >直せよ


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 「人妻援交サイト 欲望のまゝに」(2004/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・吉行良介/撮影:下元哲/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:吉行良介/撮影助手:小山田勝治・中村拓/照明助手:小綿照夫/監督助手:高見周/出演:酒井あずさ・華沢レモン・雫月ねね・町田政則・なかみつせいじ・関根祐介・竹本泰志・兵頭未来洋・内山太郎・上野太・高橋大二郎・高橋広貴)。出演者中高橋大二郎と広貴は、本篇クレジットのみ。実兄弟か?
 扇情的な照明に包まれた安ホテルの一室、佐々木加菜(華沢)と鈴木努(兵頭)の援交風景にて開巻。ひと濡れ場経て、夜の会田家。先に寝てしまつた夫・浩一(なかみつ)を尻目に、由佳子(酒井)は持て余した熟れた体を、鏡台の前で恨めし気に独り慰める。そんな義母の姿に、由佳子とは再婚である浩一の連れ子・洋介(関根祐介)が熱い視線を注ぐ。後に語られるが、洋介の彼女は加菜でもある。仕事に追はれ距離を感じぬでもない浩一、明快に自分に対する対人距離の近過ぎる洋介との狭間で悶々とする由佳子は、ある日街角で “先生”こと大滝英夫(内山)と、如何にも怪しげな風情で連れ立つて歩く加菜と遭遇する。加菜は悪びれるでもなく堂々と開き直ると、当惑する由佳子にも出会ひ系サイトを勧めて来る。ここは、由佳子の抱へる心の隙間は必ずしも加菜の与り知るところではなからうゆゑ、さうなると義理とはいへ彼氏の母親に出会ひ系を勧めてみるなどといふのは、常識的には些か蛮勇も甚だしいともいへる。仕事で遅くなる旨を一方的に伝へて来る浩一からの電話に、不倫相手の山本亜紀(雫月)が聞こえよがしに闖入する。加菜から勧められてはみたものの躊躇してゐたところで、終に一線を越える背中の最後の一押しを押された格好の由佳子は、帰宅した浩一にもこれ見よがしに出会ひ系サイトにアクセスしてみる。今作側面的にさりげなく、学習能力に欠け同じ過ちを繰り返す浩一のキャラクター造形は、実は意外と十全に出来上がつてゐたりもする。
 配役残り竹本泰志は由佳子援交初陣相手―金は貰ひ損ねるのだが―の、“助教授”こと立川弘。大滝の“先生”は加菜がその場の勢ひで持ち出した方便だが、立川の“助教授”は、本人使用のハンドルである、因みに由佳子のハンドルは“寂しがりや”。“助教授”と“寂しがりや”が遣り取りを重ねる出会ひ系などといふと、何といふか、体が性的な意味ではなくしてモジモジして仕方ない。続けて由佳子とは赤い傘と黒い傘とで待ち合はせる上野太は、“親分”こと結城五郎。ランデブーの小道具は気が利いてゐながら、結城は実際に子分たち二人(高橋大二郎と広貴)を引き連れた文字通りの親分衆で、由佳子を驚愕させる。上野太の出オチは浩一の造形と並び、今作に於いて数少なく綺麗に決つた点。ただ子分たちの結城に対する呼称が、親分と兄貴の間で安定しないは瑣末ながら明確なミス。漸く登場する町田政則は、逃げ出した由佳子を助けるために割つて入る長谷川雄三。後日由佳子に、何故かアドレスを知つてゐる長谷川からメールが入る。実は同じ出会ひ系の利用者で、由佳子と親分が交すメールを盗み見てゐたと説明する長谷川と、正味な話警戒心に乏しい由佳子とは距離を縮める。いふまでもなく、ここが今作中埋めきり得ない最大の大穴。そんなことが出来るのかといふ以前に、普通に考へれば、スーパー・ハッカー(笑)でなければ長谷川は運営だ。
 そこかしこはさて措きひとまづさういふ次第で、酒井あずさと町田政則を擁し、関根和美が今回は正攻法の大人のメロドラマを目指したであらう志向は、以降の由佳子と長谷川の非濡れ場まで含めての、一応しつとりとはした絡みを観てゐれば容易に頷ける。とはいへそこから先が、さして落差のある訳でもない長谷川の素性が割れる以外には、結局何も変らなければ当然深まりもしない物語は、ある意味といふか別の意味で流石だ。偶さかよろめいた由佳子と、長谷川が出会ふところでプロットは一旦完成を見るものの、最終的には以降が要は何も起こらないといふことは、直截にいつてしまへばドラマとして成立してゐない。起承転結でいふと、精々転部の頭付近で固まつてしまつたともいへる一作である。大袈裟な破綻は長谷川が由佳子に接近を図る段取りの他にはなく、酒井あずさと町田政則のツー・ショットにはもう少しどうにか出来たであらう筈の力が感じられただけに、肩を透かされた残念感は余計に強い。

 ところで洋介役の関根祐介は関根裕介と同一人物で、江藤大我・所博昭と同じく、二家本辰己率ゐるアーバンアクターズ所属、ではないかと思はれつつ、微妙によく判らない。どういふことかといふと、関根裕介から検索するとアーバンアクターズ公式のプロフィール頁―キャッシュではない―に辿り着けるの反面、アーバンアクターズ公式サイトをトップから攻めると、所属一覧の中に関根裕介の名前はないのである。


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 さて今度は、更にこちらのエントリーの続きといふことで。

 当サイトは小屋でのピンク映画観戦―小屋でしか観ないが―に際して、実質的な意味など欠片もないが、戯れに小屋毎に章立ててゐたりなんかする。正しく気紛れ以外の、何物でもありはしない。閉館に伴ひ2006年の五月に終了した「福岡オークラ死闘篇」と、依然頑強に進行中の「駅前ロマン地獄篇」。下手をすると今年中に第百次の節目も迎へかねない勢ひで俄然展開中の「前田有楽旅情篇」に、随時足を伸ばす「小倉名画座急襲篇」。そして、続く新章「天神シネマ新興篇」が、いよいよスタートした。何気に五つの小屋に跨つての歩みをフと振り返つてみると、我ながら少しだけ壮観でもある。そんなに暇なのか、俺は。あるいは底の抜けた馬鹿か。既述した事柄に関しては改めて蒸し返しても徒に煩雑なばかりなので、今回はシネテリエ天神から模様替へした天神シネマに足を踏み入れてみての、実際の雑感を幾つか並べてみようと思ふ。
 タイミング的には土曜日の夕方、客席は十数席は埋まつてゐた。シネフィルぽい穏当な佇まひの方もあれば、如何にもピンクス臭く一癖二癖ありさうな面々も見られたが、その辺りの実情までは軽く眺めてみただけでは勿論与り知れず、ひとまづ関係ないといふ意味では興味も持ち合はせはしない。特に時間も合はせずに飛び込んで、順番としては「連続暴姦」→「闇のまにまに」→「タマもの」といふ順に観たのだが、最も重要なのはいふまでもなく、プロジェク太上映方式による画質である。「連続暴姦」を一見した瞬時の第一印象としては、確かに駅前よりは若干良いものの、大上段から啖呵を切つてみせるほどのものではない。あくまで、幾分マシといふ程度であらう。但し、後述するが駅前に劣るとも勝らない爆弾を抱へてもゐる。一方これが、「闇のまにまに」に入ると格段に向上する。「闇のまにまに」の上映画質に関しては、駅前のプロジェク太を完全に凌駕してゐる。正しく段違ひで最早“プロジェク太”などといふ、私的な一種の蔑称を使用することも憚られるくらゐである。よしんばフィルム上映ではあつたとしても、中島哲也の「嫌はれ松子の一生」や塩田明彦の「どろろ」のやうに腐れた品質のキネコよりは、余程綺麗に見られる色が出てゐる。映画としての出来は兎も角、「闇のまにまに」を感心しながら通過して「タマもの」に突入すると、残念ながら画質は「連続暴姦」時の期待外れの画質に逆戻りしてしまふ。これはプロジェクター自体のパワーなりスペックは同一である以上、的外れな素人考へであるやも知れぬが元データの問題なのであらうか。挙句ここで先程勿体つけた致命傷を蒸し返すと、「連続暴姦」と「タマもの」に至つては、一度ならず上映といふか要は再生が瞬時とはいへ一時停止したり、音声まで含めノイズが入つたりする。何れもどういふ次第でだか、しかも悪いことにクライマックス近くの大事なところに至つて邪魔が入るので、映画を観る分には結構な妨げとなる。駅前も確かに駅前画質で周囲は何時でもハッテン・パーティーではあつたとて、上映がカクカク停止したりはしない。プロジェク太の調子が悪くあまりにもへべれけで、小屋が流石に木戸銭を下げたことすら過去にはあつたが。未だ一度しか敷居も跨いではをらずあくまでその限りでの話といふ前提の上で、確かに「闇のまにまに」の上映画質は素晴らしいとはいふものの、そもそも肝心のピンクが駄目ならダメぢやね?といふのが、偽らざる率直な感想である。個人的には駅前で戦つて来てもゐる身なので決して首を縦に振つて振られないこともないのだが、世間一般的には、正直これでは厳しくもなからうか。
 私が入場した際の客席は男ばかりであつたが、三本立てが一回りしたタイミングで、男女二名づつ計四名の団体客が現れた。私の座る直ぐ後ろの列に陣取つたので、上映開始前の会話に柿の種をつまみつつ耳を傾けたりもしてみると、男一名が知つた風に曰く、東京には女性客で一杯のピンクの小屋があるとのこと。

 ねえよ、タコ。

 何処に常時女だらけのピンクの小屋があるんだよ、そんなアマゾネスな小屋、実在するなら行つて狩られてみたいところだ、モンティ・パイソンのネタか。たとへば今岡信治をかけるポレポレのことだとでもいふのであれば、それはピンクの小屋ではないし、さういふフィールド乃至は文脈で持ち上げられる類のものばかりがピンク映画ではなからうと、私は強く思ふ。林由美香が真に偉大たる所以は、その“さういふフィールドなり文脈で持ち上げられる類のものばかりではない”地平に於いても、変らずに戦ひ抜いて来たところにこそあるのではないのか。
 最後に、息抜き気取りでひとつ目についた点に触れると、ピンクの小屋にも関らず、上映中人の出入りが殆どないことは実に意外であつた。三本立て合間の休憩時に整然と観客が循環する光景は、妙に新鮮に映つた。上映中の場内も、全く平穏無事。この分なら女の一人客であつても、まづ問題はあるまい。

 付記(11/1)< 直接目撃した訳ではないが、三週目にして早くも、天神シネマの火蓋が切られたらしい。さういふことが俄かには可能なロケーションにも思へなかつたが、ex.シネテリエ天神とはいへ、女の一人客は矢張り考へものであるやうだ。


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 「白衣の羞恥心 かき混ぜて!」(2000『白衣の令嬢 止めて下さい!』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:木津俊彦/録音:シネキャビン/効果:中村半次郎/現像:東映化学/出演:緑川さら《二役》・林由美香・佐々木基子・なかみつせいじ・渡辺力・岡田智宏・山梨なつき・丘尚輝・都義一)。出演者中山梨なつき以降は、本篇クレジットのみ。緑川さらの“(二役)”に関しては、本篇クレジットに於いてもその旨特記される。
  ミサトな田中邸の外観にて開巻、医者を志す娘を六年間の米国留学に送り出した聖和クリニック院長の田中雅彦(なかみつ)と妻・礼子(緑川さらの二役)は、家政婦の篠田良江(佐々木)をその日は帰すと感慨に耽りながらの夫婦生活を披露する。ところが娘・恵美子(緑川)が帰国するのを待たず、両親は相次いで他界。ひとまづ良江に迎へられた恵美子は、聖和クリニックを継ぐ。妻に先立たれたタイム・ラグの隙間に、雅彦が良江とも関係を持つてゐたのは内緒だ。雅彦が見込んだ好人物といふ阿部純一(渡辺)との見合話を、良江が恵美子に持つて来る。ところが恵美子が実際に会つてみた阿部はだらしない格好で遅れて待ち合はせに現れては、そのまゝパチンコ屋に入つてのける無礼も斜め上に通り越した出鱈目な男であつた。
 加藤義一の変名の都義一は、聖和クリニックでの恵美子診察風景の冒頭に登場する患者。山梨なつきが看護婦、アフレコは林由美香がアテてゐる。丘尚輝は幾許かの台詞も与へられる、左腕を骨折した杉山。オーラスには、新田栄も患者として参戦。何気にこの人、気がつけば結構な頻度で作中に見切れてゐる。岡田智宏は、酒の配達中に左足を骨折し二号室に入院中の風間勇樹。隠れてベッドの上で缶ビールを飲んでゐるところに恵美子の回診を受けると、適当に紗のかけられた緑川さらの映像に岡田智宏が被せて、「天使だ・・・」。鈴木則文の「トラック野郎」シリーズを麗しい頂点に、娯楽映画といふのはこのくらゐ馬鹿馬鹿しくて全然構はないと思ふ。雅彦の遺志を酌んだ恵美子がとりあへず阿部との縁談を進める一方、恵美子に一目惚れする。林由美香は、阿部の死んだ親友の妹で、事故により下半身の自由を失つた藤森早苗。遺影に登場する、藤森役はこれもしかして坂本太か?阿部が恵美子の前ではどうしやうもない男を演じてゐたのは、早苗のために自分から恵美子の気持ちを逸らせたかつたからであつた。といふか、どうしてここで恵美子が早苗の回復に一役買はないのか。
 阿部と早苗のエピソードは兎も角、良家令嬢の女医と酒屋の息子といふ、身分の違ひといふのも如何なやうな気がしなくもないが、反面冷静になつてみれば実質的には矢張り現実味を帯びなくもない障壁を超え、恵美子と風間が結ばれるに至る本筋がそれなりにしつかりしてゐる分、そこそこに充実して観させる。早苗との関係を知り阿部を諦めた恵美子は、フラフラと夜道に出る。そこに遭遇した風間は、そんな時はこれ、とワン・カップを恵美子に勧める。診察室での酒盛り、酔ひが進み、俄かに服を脱ぎ始める恵美子に対し、風間が含みかけた日本酒を吹き出しさうになるのを堪へながら目を丸くするのは、数少ない岡田智宏が自由自在に駆使し得るメソッドか。岡田智宏はガチガチの二枚目よりは、適度にいい加減な2.5枚目の方が味があるやうに思へる。背中から尻を曝した立ち姿から、さりげなくフレームを律が怒り出さない程度にまで上げつつゆつくりと微笑んだ恵美子が振り返るショットには、クライマックスの濡れ場の開始を告げるに相応しい美しさが穏やかに溢れる。特筆すべき何物も別にありはしないのだが、概ね綺麗に纏められた手堅い一作である。

 ところで、筆を返すやうだが初歩的な点で根本的に頓珍漢なのは。開巻、緑川さらとなかみつせいじの絡みが終つたところで恵美子のモノローグにより語られるのだが、雅彦・礼子夫妻がアメリカに発つ娘を見送つてから、礼子が死去するのがその一年後。良江と懇ろになりながらも、後を追ふやうに雅彦も没するのが更にその一年後。といふことは即ち四年もの間、いふならば単なる家政婦に過ぎない良江がほかに誰もゐない田中邸を守り続け、雅彦が見初めた阿部と娘の縁談も、その間キープし続けた格好になる、それは些か不自然だらう。全く機械的に礼子の死亡時期を後ろに数年ずらせば済むだけの話なのに、どうしてかういふちぐはぐが放置されてしまつたのであらうか。といふか、なほよくよく考へてみるに、恵美子の両親を片づけておかねばならない作劇上の必然性は、実は感じられない。佐々木基子の裸を見せる目的といふならば、退場するのは礼子だけで別に構はない筈だ。


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 「人妻投稿写真 不倫撮り」(1990『特別企画 ザ・投稿写真』の2009年旧作改題版/企画・株式会社旦々舎/製作・(株)メディア・トップ/配給・新東宝映画/監督・浜野佐知/脚本・山﨑邦紀/撮影・河中金美、田中譲二、横山健二/照明・田中明、石山一三/音楽・藪中博章/編集・金子編集室/助監督・磯崎太郎/車輌・田島正明/制作・鈴木静夫/録音・ニューメグロスタジオ/現像・東映化学工業/出演・外波山文明、杉村みはる、小川さおり、柳沢あおい、早坂亜澄、岡野由衣、平賀勘一、南城千秋、秋川ねずみ)。出演者中秋川ねずみは、本篇クレジットのみ。
 カメラ小僧の舟木(南城)が、恭子(早坂)か智美(柳沢)か理恵(岡野)に「写真撮らして呉れませんか?」と声をかけると、あれよあれよといふ間に舞台をラブホテルに移してのいはゆるニャンニャン写真撮影に突入。嗚呼、何とインスタントな世界よ。「パンティ下ろして貰へますか?」、といふ舟木の求めに応じ女が有難味の正直薄い尻を見せたタイミングでタイトル・イン。ところで初めに潔くシャッポを脱ぐが、早坂亜澄・柳沢あおい・岡野由衣の三名に関しては、清々しく手も足も出せずに特定不能。何れも折に触れ登場する、舟木被写体の皆さんである。ここで「カメラは愛の小道具」とかいふ舟木が、女に持たせたカメラを自らに向けさせた上での、迷台詞も通り越したチン台詞、「僕のポコチン写真、カッコいいでせう?」。日本映画史に残、らなくとも別にいい下らなさだ、何がポコチン写真か。ここは流石にアホかと、山﨑邦紀にツッコまざるを得ない。続けて舟木は、全く代り映えのしない手口で由美子(杉村)を攻略する。それにつけても、こんなに特に美人でなければ、別にスタイルがいい訳でもない主演女優は初めて観た。“初めて”といふのは些か言葉が過ぎたか、主に新田栄の映画で何度も観てゐるな、訂正すると久し振りに観た。話を戻して、外回り中にベンチに腰かけ缶コーヒーで一息つかうとした紀和多(外波山)は、傍らに放置されてあつた『投稿写真』誌を戯れに手に取つてみたところ驚愕する。局部修正に加へ目線も入れられてゐるものの、妻に酷似した女の痴態を捉へた写真が掲載されてあつたからだ。以降『投稿写真』誌以外にも、『スーパー写真塾』誌・『熱烈投稿』誌の実誌が一部紙面まで含め劇中に登場する。エロ本編集者であつたといふ経歴を持つ山﨑邦紀の、人脈を活かしたギミックか。血色ばんで帰宅した紀和多は『投稿写真』誌を突きつけ妻の由美子を問ひ詰めるが、当然一旦由美子は否定する。どうしても納得が行かぬ紀和多は、目線を入れる前の写真を見せて欲しいと編集部に乗り込む。編集長(秋川ねずみ?)は最初は固く断りつつ、夫婦が崩壊するや否やの瀬戸際だと懇願する紀和多の勢ひに負け、送られて来た状態の写真を見せる。果たして、写真の女は案の定由美子であつた。流石に写真の投稿者の素性までは信義にもとると編集長も明かさないまゝに、ネガではなくプリントされた写真を送つて来る投稿者は、レンタル・ラボ―日本語でいへば貸し現像室―を使つてゐる筈だといふヒントを紀和多に与へる。
 とかいふ次第で紀和多が舟木をボコッてケジメをつけた上で、由美子とは離婚だと、舟木の顔を知る由美子を伴ひ張り込み始める物語は、今にしては甚だ奇異にも映るが、紛ふことなき外波山文明が主人公の物語だ。何となればこの映画を撮つたのが、目下女の側から、女が気持ちよくなるためのセックスを描くことを一貫して頑強に旨とする、浜野佐知であるからである。レンタル・ラボ前に終に現れた舟木を、マウント・ポジションまで取つて豪快に殴り続ける―ここのアクションが、何気に見事である―紀和多に割つて入る変な長髪の平賀勘一は、舟木とは顔見知りでもある同好の士・大原。大原は舟木に詫び料を納めさせる旨を約束させた上で、紀和多を自宅に招く。同年サトウトシキの映画にも主演作があり、今作中唯一女優の顔をしてゐる小川さおりが、大原の妻・澄江。大原はマニア世界への理解を求めるべく、紀和多の前で夫婦生活を展開してみせカメラを向けさせる。大原の狙ひ通り開眼したのか、舟木から得た三十万でカメラを買つて来た紀和多が改めて撮つた由美子の写真を投稿すると、首尾よく掲載。さういふ次第の、ミイラ取りがミイラになりましたといふ類のマニア改め変態さん誕生譚かと思ひきや、不貞を働いた妻との離婚は依然既定らしく、紀和多は自らの写真投稿は由美子に対するお仕置きであると強弁する。何時まで経つても由美子が主体性を一切発揮しないばかりか、1990年当時にしても前時代的と思へなくもない、高圧的な紀和多が竹箆を返されるでもなく主軸であり続ける物語を、何でまたほかでもない浜野佐知が撮るのかと面喰つてもゐると、夜空の下の屋根の上、パンツ一丁の外波文が挙句ガッツポーズで満月に向かつて狂騒的に高笑ふ。などといふ無茶苦茶な画で無理矢理畳み込む怒涛のラスト・ショットには、正しく度肝を抜かれてしまふ以外にない。これでは殆ど外波山文明といふよりは、清水大敬の役だ。小川さおり以外の女の出演者―正直“女優”といふ言葉は、最早使ひたくない―は何処から連れて来たのかまるで判らない有象無象揃ひ、お話に関しても監督が浜野佐知であるといふ意外性をさて措けば特段見るべき点がある訳でもないのだが、オーラスの出鱈目な振り逃げで、無闇に印象に残る一作ではある。直截にいふならば、全方位的にいはゆる珍作といへよう。

 因みに今作は2002年に少なくとも既に一度、「エロ雑誌の女 悶える花芯」と旧作改題されてゐる。


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 「好きもの家系 とろけて濡れる」(2008/製作:パワーフール/提供:オーピー映画/監督:森山茂雄/脚本:佐野和宏/原題:『大阪タコ焼きBLUES』/撮影:佐久間栄一/編集:酒井正次/音楽:勝啓至/助監督:伊藤一平/監督助手:高杉考宏/撮影助手:秋吉正徳・佐藤遊/スチール:津田一郎/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/8ミリ協力:杉本智美/協力:ロックバー マジック・うじちゃん・森山タカ・宇宙家族・中川大資・飯田佳秀・田辺悠樹・里佳ちゃん/出演:結城リナ、愛乃彩音、友田真希、岡部尚、後藤祐二、佐久間まさふみ、色華昇子、望月梨央、小澤とおる、恭子、小坂井徹、みのさん&あやちゃん、マイケル・A・アーノルド、白井音羽、佐野和宏)。出演者中小澤とおるがポスターには小沢とおるで、後藤祐二と色華昇子・望月梨央に、恭子から白井音羽までは本篇クレジットのみ。逆に、ポスターには載る、菊池透の名前が本クレにない。あと撮影の佐久間栄一と音楽の勝啓至が、ポスターでは前井一作と勝ヒロシ。
 東京でヒモのアキラ(岡部)と爛れた生活を送るキャバクラ嬢の金本友美(結城)に、大阪在住の母・タツ子(友田)から電話が入る。窃盗の常習犯で例によつて服役してゐた父親の本間六三(佐野)が、出所した上東京に向かふいふのだ。父親に小澤とおるが店長を務める店にまで押しかけられた、友美が不機嫌を隠さうともしない一方、六三は自称“谷間No.1”のエリカ(愛乃)とどういふ訳だか意気投合、臍を曲げてしまつた娘宅の代りに、エリカの部屋へと転がり込む。愛乃彩音は確かに谷間は深いが、全般的に肉が厚い。ところでタツ子はタツ子で、情夫のツトム(菊池)からSMを仕込まれると再婚を決意するまでに入れ込むが、緊縛され秘部にはバイブを突つ込まれた状態で放置された隙に、印鑑と貯金通帳とを持ち逃げされる。
 佐久間まさふみも佐久間まさふみで、今度はエリカのヒモ・マコト。実際往々にしてさういふものなのかも知れないが、工夫に欠ける感は禁じ得ない。といふか、女優三本柱が揃ひも揃つて男にチョロ負かされるとは、それは流石に、手数以前に些か世界観が歪んではゐまいか。残りの中所帯は主にキャバクラ店内に見切れる皆さんと、六三の東京到着場面。東京の味が逆鱗に触れ一口口にしただけで六三が捨ててしまつたタコヤキを、直後に漁るルンペン。話は変るが、福岡で出るお好みも酷いぞ。六三の急襲にキレると同時に憔悴を隠せない友美に労ひの声をかける色華昇子と、荒れる友美にボトルをカパカパ開けられ頭を抱へるマイケル・(A・)アーノルド、それに望月梨央だけは確認出来た。
 東京での生活に疲れ気味の娘と、らしいことはまるでして来れなかつたダメ父親とが、娘が胸に秘めるオーソドックスな希求を契機に偶さか向き合ふ。といふ主題はオーラスに及んで漸く明らかにはなるとはいへ、そのテーマに辿り着くのが本当にオーラス。即ち最終的には、どうにもかうにも勿体つけ過ぎであらう。そこに至るまでが濡れ場は質・量とも十全にこなされ、佐野和宏はどうあれひとまづ画面を支へる力を有してはゐるものの、何がしたいのかがサッパリ判らない。そもそも、自分の時間には公園で8㎜カメラ―ホーム・ビデオやデジカメですらなく―を回すキャバクラ嬢、といふ画期的なキャラクター造形の独創性を誇る友美に関する、人物造形の外堀を埋める説明の欠如は致命的にも思へる。映像系の専学に進学しながら学校には通はず風俗嬢に、といふ設定で友美はあるらしいが、スノビッシュな室内から友美が映画好きである風は窺へつつ、そのやうなバックグラウンドは自信を持つて半カットたりとて劇中で語られはしない。最後の最後で一息に全てが語られてしまふゆゑ、バタつく以前に要はそれまでの一切は何だつたのか、といふ話である。殊に相手は父娘を描いた人情ものである以上、もつとベタで、泥臭くあつてもよかつたのではなからうか。余裕を持たせたかつたのか何だか知らないが、溜めて溜めてその挙句に、エモーションの大魚を釣り逃がすのでは本末転倒、それならばコッテコテの浪花節で何が悪い。仕損じた洗練と判り易過ぎる不格好とでは、娯楽映画は後者を選ぶに若くはないと当サイトは思ふ。残念ながら森山茂雄は今作の作劇に際して、完全に舵取りを誤つたか、あるいは勘所を見失つてしまつたのではないかと難じざるを得ない。

 一方、ポスター惹句は非常に奮つてゐる。
 “母は縄で縛られ、”
 “娘はヒモに縛られて”
 “淫欲の家系図が濡れていく…”
 尤もこれは恐らく単なるオーピー映画の一人相撲で、実際の本篇に於いては、友美とタツ子の関係に初めから重きが置かれてゐるやうには特に見えない。エピソードを一つ持つにせよ、友田真希は概ね濡れ場要員に止(とど)まる。その濡れ場にしても、タツ子が見せるやうな業の深ささへ漂はせる肉欲を、友美は別に感じさせない。あるいは、二代に亘つて男に騙される母娘の物語だとするならば、それだけでは幾ら何でも救ひがなさ過ぎよう。


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 「痴漢義父 新妻をいたづら」(2004/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/助監督:竹洞哲也/監督助手:絹張寛征/撮影助手:吉田未来/照明助手:永井左紋・高柳賢/音楽:OK企画/スチール:津田一郎/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボテック/タイトル:ハセガワタイトル/協力:加藤映像工房/出演:水来亜矢・真崎ゆかり・加藤由香・小川真実・兵頭未来洋・なかみつせいじ)。脚本の水谷一二三は、小川欽也の変名。
 セックス・カウンセリングを専門とする開業医の平田啓介(なかみつ)は、息子嫁・圭子(水来)の朝シャンを覗き鼻の下を伸ばすが、浴室から出ようとした圭子に見咎められる。水来亜矢がルックスはどうにも垢抜けないといふか古臭く、全体的にも若干過積載気味なのだが、絶妙な大きさで形も美しいオッパイの、ふんはりと柔らかさうな質感は素晴らしい。圭子は啓介の息子で大学病院外科医の祐二(兵頭)と結婚し、三人で同居してゐた。啓介が祐二の母親とどういふ形で別れたのかは、確か劇中では語られなかつたやうな気がする。圭子は後れて目を覚ました夫に義父に覗かれた旨報告しつつ、その日から学会で京都に発つといふ祐二は、朝から新妻を求める。勿論その様子にも聞き耳を立てる啓介ことなかみつせいじの、一々ギクッと狼狽してみたり判り易くデレデレ満悦してみせるマンガ演技は絶品。詰まるところは他愛ない桃色ホーム・コメディを、順調に加速する。未だ子宝に恵まれず性感の開発の方も今ひとつの圭子に、何処まで本気なのか祐二は父親の診察を一度受けてみるやう勧める。それは流石に同じ医者同士とはいへ、些か頓着が無さ過ぎはしまいか。
 小川真実は、啓介の医院の看護婦、兼受付の宮田美沙。当然の如く啓介とは男女の仲にもある大らかさは、現実世界に於いても分け隔てなく大いに採用されないものか。真崎ゆかりは、不感症を訴へ平田クリニックを訪れる藤木恵美。ここで、中盤にも関らず豪気にもOKエクストリームを繰り出す、啓介の診察風景がケッ作。“新鮮な酸素とリラックスさせるお薬” ―美沙台詞ママ―を吸引させた女もとい患者が朦朧とすると、急拵へしたものではなく明らかにありものの厚紙を股間に当て女性性器の形状を、“ビーナス丘線”だとか称して測定。啓介によると恵美は後背位が適したローズ丘線で、一方後に測定した圭子は、抜群の名器の持ち主で十万人に一人とかいふ白百合丘線であるとのこと。最早感動的なまでのどうでもよさが、いつそ素晴らしい。大体ビーナス丘線といふのは何なのだ、文字通りのアウトラインから一体どれだけのことが判るといふのか、人相学に近いものがある。張道完先生の玉門占ひを、全く関係ないが何となく思ひ出した。話を戻して―明後日にもほどがある―贅沢にも四番手の加藤由香は、圭子には京都で学会出席だなどといひながら、実は不倫旅行中の祐二お相手・花巻真弓。何となく、浜崎あゆみに音が似てゐるのは気の所為か。他の男との結婚を決めた真弓が別れ際、祐二に圭子を大切にするやうさんざ説くのは調子がいゝといへば調子がいゝのだが、一応、あるいは案外、全般的な構成上の送りバントといへなくもない。
 祐二は未だ戻らぬうちに、圭子は一度試しに啓介のカウンセリングを受けてみる。その夜圭子の白百合丘線が頭から離れぬ啓介は、俄かに奮ひ立つと息子嫁に夜這ひを敢行、診察に用ゐるガスで目を覚まさぬやう昏倒させると、メチャクチャに扇情的な照明の中痴漢義父は新妻のいたづらに及ぶ。察しのいゝ諸兄には既にお気づき頂けようか、さう即ち、ピンク版「水のないプール」といふ寸法である   >何だそりや
 要はさういふ、展開の全てが女の裸を銀幕に載せる方便のみで進行して行きながら、それでゐて物語が躓きも綻びも見せずに、最終的には娯楽映画として然るべき着地点に落ち着いてみせる辺りは、ある意味見事かも。馬鹿馬鹿しいの一言で片付けてしまふのは容易く、まあ、それで別に構はないといへば確かに構ひもしないが、それでもなほ、圭子・祐二夫妻に止(とど)まらぬ二段構への文字通りのハッピー・エンドは矢張り麗しい。気持ちよく畳まれた映画が、小屋を後にする足取りも心なしか軽くさせて呉れる一作である。一晩寝て起きたらすつかり内容を忘れてゐるかも知れないが、それもそれで最早いゝではないか。

 ところで加藤義一が、何処で何の協力を果たしてゐるのかは、普通に映画を観てゐる分にはまるで判らなかつた。


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 「いくつになつてもやりたい不倫」(2009/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vパラダイス/監督:坂本礼/脚本:中野太/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・高津戸顕/撮影:橋本彩子/照明:小川大介/編集:酒井正次/助監督:大西裕/監督助手:山口通平・國井克哉、他二名/協力:石川二郎・伊藤一平・今岡信治・川上春奈・守屋文雄、他多数/出演:春矢つばさ・三木藤乃・佐々木ユメカ・吉岡睦雄・飯島大介・北川輝・長谷川晴枝・石川裕一・桐島まりあ・岡山涼花)。出演者中桐島まりあと岡山涼花は、本篇クレジットのみ。見慣れぬ名前がズラズラズラッと並ぶ助手勢には概ね屈する。監督助手など四人も居るのだが、山にでも登るつもりか?
 絡み合ふ若い二人の女の画で開巻、あれ、これ誰だ?共に配偶者のある木下八重子(三木)と青田重雄(飯島)は、スワッピングとでもいふ寸法なのか、二人づつの若い男女も交へた乱交に燃える。桐島まりあと岡山涼花が、ここでの裸要員であることは間違ひなからう。男役の内、重雄と八重子を取り合ひになるのは守屋文雄、もう一名は不明。折角連れて来た割には若い女のオッパイをお腹一杯に見せない辺りに、坂本礼の職業監督としての良心を問ひたい。客が見たいものを見せるのが、商業映画としての麗しさであるのではなからうか。飯島大介とほぼ同年代の三木藤乃はタップリと見せて呉れるのだが、個人的にはその属性は持ち合はせない。宴の後、銘々就く帰路。ハンドルを握る重雄の気紛れな求めに応じ、助手席から八重子が尺八を吹き始めたフラグを若干間が延びるものの裏切らず、重雄の車は、山崎(石川)の乗るチャリンコを撥ねた挙句道を外れ草叢に突つ込む事故を起こす。重傷とはいへ八重子はムチウチと鼻の骨を折つただけで済んだが、何時の間にかシートベルトが外れてゐた重雄は命を落とす。といふか、何気に口に咥へる最中であつた八重子は歯で阿部定してしまつてもゐたので、重雄の死因は、ことによると外傷によるものではなく失血死であつたやも知れぬ。ヤンチャ続きの八重子に、手を焼きながらも孝行息子で未婚の大介(吉岡)と、完全に距離を置く姉で既婚の後藤仁美(佐々木)はひとまづ重雄の葬儀に向かふが、重雄の娘の千尋(春矢)とその夫・香山浩之(北川)からはけんもほろゝに追ひ返される。ところでタカラジェンヌのやうな名前の春矢つばさとは、ex.椎名りく。臍を曲げた形の仁美はさて措き大介が山崎の見舞ひに向かふと、ちやうど千尋に一足先を越され、人を呪はば穴二つとでもいふか、今度は千尋が山崎から追ひ返されてゐたところであつた。ロング・ショット、同じ電車を待つホーム。千尋は大介に、重雄の遺品の中から出て来た不倫の逢瀬のホームビデオを見ることを誘ふ。ここでの所在なさげな千尋の風情は、遠目にも抜群に映えてゐたものの。
 そんな訳で大介の部屋でビデオを見たところ、その中にいはゆるハメ撮りも含まれてゐたことに二人は目を丸くする。といふのは、かういつちや何だが当然、予想の範囲内でもあつた筈だ。失敗したといふならば兎も角、驚いてみせる方がどうかしてゐる。その後、千尋と香山の関係がどうにもぎこちないことも多少は描かれるとはいへ、何が何だか藪から棒に、千尋は大介との不倫に溺れて行く。といふ展開を以降辿るのだが、己の節穴ぶりを臆面もなく曝け出すが兎にも角にも、千尋の心情が変化する経緯が感動的に掴めない。千尋に言ひ寄られた、チョンガーの大介が据ゑ膳を喰つてしまふことに関しては、百歩譲つてまあ仕方がないといへば仕方がない。尤も一歩引いて冷静に八重子と重雄の顛末を思ひ起こせば、ただでさへ通常以上に如何なものかといふ話でしか、ないといへばないのだが。一方一応は夫のある身でもある千尋が、選りにも選つて母と自らとを裏切つた父親の相手の女、被害者視点からは重雄を奪つて行つたやうな女の息子と、しかも同じ罪をのうのうと犯さうとするのか。常識的に考へれば非常に越えるに難く思はれる溝を、千尋が易々と飛び越えて来るその力が何処から湧いて来るのかが皆目判らないのである。大介同様スクリーンのこちら側でも心変りの原因に戸惑ふまゝに、いきなりレッド・ゾーンで思ひ詰めた千尋が闇雲な勢ひで突つ込んで来る物語は、ある意味持ち芸ともいへるのかも知れないが、椎名りくのオッカナさばかりが際立つ。あるいは、感情移入させられる風にはあまり見えなかつたが、それにしても亭主の香山が気の毒だといふお話か。千尋は最終的に香山と訣別した挙句大介とも別れ、詰まるところは直截にもほどがあるが、メンヘル女が自爆したやうにしか見えない。ハメ撮りビデオの中にあつた八重子と重雄の肛門性行を、千尋は大介との間で再現してみる。そのことを一年後時制のラスト・シーンで千尋は八重子に誇示するのだが、重雄と八重子と、千尋と大介とでは男女が逆転してゐる。互ひに既婚の親達とは異なり、大介は未だ独り身である。あちらこちらが微妙にちぐはぐで、そのトレースにも、如何程の意味があつたものなのかよく判らない。更にオーラスを、吉岡睦雄のモノローグで締めてしまふのは重ねて自殺行為、調子が外れまるで締まらない。そもそもどうもかういふ、ざつくばらんにいつてみせれば国映系の手合の映画を観てゐてこの期に疑問に思ふのは、どうしても人の死をドラマの中に盛り込まなければ映画を撮れないのであらうか。それではどうしても女の裸を織り込まないと映画を撮れないのかといふならば、いふまでもなく、敵はピンク映画である、女の裸を銀幕に載せるのが仕事だ。決して、デス映画といふ訳ではあるまい。匙の代りにポップコーンを銀幕に投げつけるほどに詰まらなくはないのにせよ、如何せん釈然としない一作ではある。壊れものの女が堪らないといふ趣味の御仁に対しては、文句なくお薦め出来るが。
 ただ一点心が残るのは、千尋が母・敏子(長谷川)の鏡台の上に、何かを見付ける件。千尋の心境の変化の契機を示す重要なカットであるやも知れなかつたのだが、プロジェク太上映の切なく情けない画質に足を引かれ、そこに何を見付けたのかが判然としなかつた。今後に然るべき小屋にて、再戦を期したい。

 さういふ次第で、本筋は概ね纏めて等閑視した上で。今作中何が最も特筆すべきかといふと、ヤバいヤバいヤバい、佐々木ユメカがヤバい。少し痩せてグッと色つぽくなつた、佐々木ユメカがヤバいドライブで素晴らしい。旦那は一欠片も登場せず、よつて仁美の濡れ場がないことは重ね重ね残念でもありつつ、最早それでも構はない。八重子の運び込まれた病院に駆け込んだファースト・カットの、皮膚の薄さも感じさせる色の白さが凄まじくエモーショナルだ。レス濡れ場でいいから誰か早く、佐々木ユメカを主演に据ゑた映画を撮るべきだ。歴史に名を残す、最短ルートであるのではないかと思はれるのだが。十八番の不機嫌芸をエモーショナルに撃ち抜く佐々木ユメカを見る為だけにでも、今作は何度でも観る値打ちがある。

 以下は前田有楽にて再見を果たした上での付記< 物語の大筋としては、二度観ても矢張り椎名りくオッカナイといふ印象が最も強かつた。千尋が母親の鏡台の上に見付けたものは、あれはいはゆる電マであらう。とはいへ、カットが止まる間が短か過ぎて、そこを下賤に深読みしていいものや否やは依然判別しかねる。


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 「ニッポンの猥褻 好色一代記」(1993『ニッポンの猥褻』の2008年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:瀬々敬久/製作:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:原田兼一郎/監督助手:榎本敏郎・徳永恵実子/撮影助手:小山田勝治/照明助手村上真也スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・アイリーン・林由美香・石川恵美・岸加奈子・山本竜二・池島ゆたか・平賀勘一・清水大敬・荒木太一・快楽亭ブラック・久保新二)。出演者中荒木太一が、(今回?)新版ポスターには荒木太郎。同じくポスターには謳はれないが、今作は新東宝映画創立三十周年記念作品とのこと。因みに、四十周年はといふとこちら
 御馴染み水上荘にて自伝『ニッポンの猥褻―我が半性 性学者橋本鉄』の執筆に取り組む性学者・橋本鉄(久保)を、編集者に乞はれ様子を見に来た娘の知佳(林)が訪ねる。既に勃たなくなつてはゐるが、鉄は文学のモチベーションにと大胆にも知佳の女陰に顔を埋めつつ、来し方を振り返る。
 大正元年、鉄六歳の時。ここでの子役が、荒木太一なのか?オープニング・クレジットに荒木太一といふ名前を見た際には、荒木太郎の旧名義かとも思つたのだが、ここに少年鉄として登場するのは、明らかに荒木太郎とは別人で実際の子供だ。軍人の父・貫平(清水)は明治天皇崩御に続く乃木大将夫妻の殉死に被れ、自らも妻のイネ(岸)と自害しようと意気込みながら、どちらが先かと刀を奪ひ合ふ内に、指先を切つただけで元来腑抜けの貫平は怖気づき、その場の勢ひでイネと致すと後追ひなんぞ何処吹く風、二人性の悦びと生の喜びとを噛み締める。一方、そんな両親の様を襖越しに目撃した鉄は性に目覚め、自慰を覚える。本来この件は鉄の原体験といふトピックに加へ、安吾の『堕落論』にも通ずる、浅墓な精神主義に対するありのまゝの人間性の優位を描いた重要なシークエンスであつたのではないかとも思はれつつ、清水大敬に負けてしまひ、貫平の無様さ不甲斐なさばかりが際立つた感は惜しい。
 続いて鉄十七歳の時、以降鉄役久保チン。平賀勘一は、当時橋本家に出入りし依然童貞の鉄を導く、明確に宮武外骨をモデルとした宮滝骸骨。別に、外骨その人で別に構はなかつたやうな気もしないではない。骸骨は鉄に、伊耶那岐命(久保チン)と伊耶那美命(橋本)とが、ヤリ方が判らないゆゑ鳥の交尾を真似た後背位で、いはゆる国産みに挑んだエピソードを語る。恐らくは間違ひなく、ピンク映画史上最大のスケールを誇る濡れ場であらう、何せ国産みである。新東宝創立三十周年記念も伊達ではない、瀬々敬久書くも書いたり、深町章撮るも撮つたり。骸骨は鉄が童貞であるのを看破すると、鉄を浅草十二階下の私娼窟へと連れて行く。そこで鉄の筆を卸して呉れる娼婦・クララが、橋本杏子の二役。私娼窟に踏み込み、春本を出版した咎で骸骨を連行する憲兵二人組(山本竜二と池島ゆたか)に、クララは着物の裾を自ら肌蹴ると「ここ―女性性器―が猥褻だつてのかい!?あんた達もここから産まれて来たんだよ!」とエモーショナルな啖呵を切る。ところで、憲兵はクララの方はショッ引かなくてもいいのか?直後に関東大震災で私娼窟は壊滅、クララは行方不明になる一方、以来鉄にとつて橋本杏子は運命の女に、猥褻とは何かといふ問題は生涯を通じて探求するテーマとなる。橋本杏子の熱演が素直に胸を打つクララ、と小ネタが箆棒にデカい骸骨篇が、今作中最も力を得たパート。
 二・二六事件の戒厳令下、待合にて既に相手を帰した鉄と、未だ来ぬ相手を待つ女(石川)とはその場の成り行きで体を合はせる。一物をチョン切らうとしてみせたり互ひに首を絞め合つたりと、妙にアグレッシブで猟奇的な女のセックスに鉄は舌を巻くが、女の正体はほどなく世間を騒がせる阿部定であつた。女が待つシルエットしか見せぬ男とは、無論吉蔵といふ寸法である。バラエティといふ面に於いて豊かではあれ、正直阿部定篇は、風俗映画といふ色合に止(とど)まる。
 大東亜戦争敗戦後、鉄は性に悩める男女のためのクリニックを開業する。ハーフの容姿を買はれた快楽亭ブラックは、クリニックに相談に訪れるMP・ジョージ。何処の誰なのか晴れやかに判らないアイリーンは、その妻・キャシー。このアイリーンが女優部最小の貧乳を誇る―別に誇つてゐる訳ではない―点については、ここは折角本物のパツキンを連れて来た以上、形はさて措きせめて如何にもといつた大きさが欲しいところではあり、大いに画竜点睛を欠くといへよう。件全般的にも、ジョージが自らはマゾヒストであるのではないかといふ疑念を抱き、だとすると、さういふ変態性癖はお堅いマッカーサーに嫌はれるのではないか、といふ鉄を訪ねた動機自体は奮つてゐるものの、結局その後の久保チンと快楽亭ブラックの文字通りアイリーンを間に挟んでの大騒ぎは、単なるコントである。なほ恐ろしく余談ではあるが、鉄とジョージが代る代るキャシーに咥へさせるカットは、恐らく生尺を吹かせてゐる。
 その後、時代の移り変りに伴ふ、風紀の紊乱に疲れを覚え山村に閑居した鉄は、ディスカバー・ジャパンだとかいふ方便でそんな片田舎を「戦争を知らない子供たち」を歌ひながらホッつき歩く、クララそつくりのヒッピー娘・幸子(橋本杏子の三役)と出会ふ。鉄は幸子との間に子を設けるが、幸子は知佳を早産で生むと、それまでの荒淫が祟つたか、産後の肥立ちが悪く赤子を鉄に遺し早世する。今際の間際の幸子は鉄に、知佳が実は鉄の娘ではない旨を明かす。
 結局堂々と全篇をトレースしてのけたが、再び現在。書きかけの『ニッポンの猥褻』を読み自身の出生の秘密を知つた知佳が涙を落とす傍ら、呑気に寝呆けてゐた鉄は目を覚ます。すると鉄は猥褻の本質とは、自分にとつて唯一残されたフロンティアである近親相姦であるなどとやをら思ひ立ち、正確には義理の娘に猛然と襲ひかゝるものの、まんまと撃退されるストップ・モーションがラスト・ショットである。尤も、事ここに至ると、大きな疑問が残らぬでもない。まづ第一に、猥褻の本質とは近親相姦であるといふ勇敢な飛躍に、如何せん躓かざるを得ない。それは単に、類型の範疇に過ぎぬのではないか。仮にこの場合父と娘といふ、関係ないし禁忌こそが猥褻といふ概念の根幹を成すといふのであれば、極論すると正当な夫婦同士であつたならば、白昼公衆の面前で夫婦の生活をオッ始めたとて構はないのか、といふ話になる、さうはなるまい。そもそも、よしんば近親姦のタブーこそが猥褻の本質であつたとしても、だとすればなほのこと蛇足にも思へるのは、知佳の父親が鉄ではないと、わざわざ文字通り言ひ残して幸子は死んだのである。鉄と知佳による近親相姦は、厳密には単なる連れ子であるといふ意味に於いては、いはば擬似に過ぎないともいへよう。いよいよお話を畳む段に及んでのちぐはぐさが、いや増すばかりである。大体が猥褻とは何か、何を以てして猥褻となすのかなどといふテーマ自体、端からから固定的な概念でもなければ実質的な価値基準でもなく、いつてみればその時々、個別の事案事案によつても変化する社会政策上の方便である、といつた側面の方がより重要でもあるのではないか。個別の当該作品が規制されるや否やに関しては、議論も分かれゝば利害も絡み、呑み込める呑み込めないは当然あるにせよ、所詮は水物。さう割り切つてしまへば、放つた下駄が明日の天気が晴れと教へて呉れるか雨と教へて呉れるか、といつた物の弾みと殆ど変りもない話で、無闇に余計な腹を立てるまでもあるまい。それは当否や是非以前に、より運不運に近しい事柄でもなからうか。

 云々とルーズな与太を吹いてしまつたが、徒に些末なんぞ囚はれずサラリとおとなしく観る分には、折々のスターや果ては神様をも引き連れた久保新二が、激動の大正・昭和といふ時代を、あまつさへ時空すら超えて下心を頼りに賑々しく駆け抜けて行く一代記は、スケール感も感じさせ矢張り見応へがある。正しく周年記念に相応しい、ピンク―にしては堂々たる―大作といふに吝かではない。それでゐて最終的には、林由美香にブッ飛ばされた久保チンの情けない表情で締め括つてみせる辺りが、また天晴ではないか。野上正義とのW主演によるピンク映画版「真夜中のカーボーイ」、「髪結ひ未亡人 むさぼる快楽」(1999/監督:川村真一/脚本:友松直之・大河原ちさと/2002年に『愛染恭子 むさぼる未亡人』と改題)と同様、久保新二を語る上で欠かせない一作であるにさうゐない。


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 「隣りの夜SEX ご賞味いかが?」(1997『夫婦《秘》性生活 ‐女房はとろとろ‐』の2009年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山﨑邦紀/企画:稲山悌二《エクセス・フィルム》/撮影:千葉幸男・池宮直弘/照明:上妻敏厚・荻久保則男/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:中空龍/助監督:加藤義一・紀伊正志/制作:鈴木静夫/スチール:岡崎一隆/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:織田こずえ・青木こずえ・田口あゆみ・柳東史・中村和彦・杉本まこと)。
 河上あずみ(織田)と夫・則男(柳)の夫婦生活、最中に則男がウッカリ洩らした何時ものやうに裏筋を舐めて呉れとかいふ一言に、殊更そんな箇所に奉仕した覚えのないあずみは引つかゝる。翌日、あずみが夫が浮気でもしてゐるのではないかと追求してみたところ、本番してゐる訳ではない以上浮気ではないとかいふいい加減極まりない方便つきで、則男はヘルス通ひを白状した挙句、あまつさへあずみの床下手が悪いとあまりにも綺麗に逆ギレしてみせる。ショックを受けたあずみは、性技指導者―来た来た来た!―の袋小路実子(青木)を浜野佐知の自宅に訪ねる。実子(じつこ)とその助手・寺小五郎(中村)によるレッスンを受け、徐々にこれまで知らなかつた性の悦びに目覚めるあずみは、特訓の成果の練習台にと、驚く勿れ則男の上司である島田香介(杉本)を誘惑する。田口あゆみは、そんな口説かれる方も口説かれる方である島田の妻・幸恵。さりげなく単なる濡れ場要員には止(とど)まらず、島田の浮気現場を目撃した後(のち)、則男に手痛いカウンターを喰らはせるカットに於ける幸恵の力強さは、田口あゆみの馬力が光ると同時に如何にも浜野佐知らしい。ところで、完全なる横道ではあるが、あずみが実子に指導を受ける件が爆発的に下らない。口唇性行時、射精の瞬間に女の側からも強く吸ふことにより、尿道内を移動する精液の速度が二倍になると男の快感も二倍になるだなどといふ、少年マンガ感覚の珍理論の清々しい馬鹿馬鹿しさには拍手喝采だ。
 夫からセックス下手を詰られたのに悩んだ若妻が、怪しく妖しげな様子が麗しくハマリ役な青木こずえの指南に導かれ、次第に自ら積極的かつ主体的に快楽を求め手に入れて行く。浜野佐知の映画にあつては殆どテンプレートを組み合はせて自動生成した如き物語ともいへ、主演女優の魅力の一点突破で華麗に乗りきれなくもない。残念ながらピンクは今作一本きりでもある、ツイン・ドライブ・こずえの主翼を担ふ織田こずえ。スラリと長い手足に、脆弱一歩手前の細腰。一方それでゐて、不釣合ひなまでにプックリ柔らかさうに膨らんだオッパイは本当に蕩けさうで狂ほしく悩ましい。正直ルックスは多少地味ながら、そこがまた、なほ素晴らしい   >知らねえよボケ
 文字通りラストを飾るあずみと則男の濡れ場、あずみはかつては傷つけられもした自身の床下手をアッサリと認めた上で、配偶者に対し正しく言ひ放つ会心の名台詞。(私が下手だつたのは)「どうしてだか判る?」、「貴方が下手だつたからよ」。茫然自失の則男に畳みかけて、「これからは、私が教へてあげる」。よしんば幾度となく蒸し返された同じやうなお話にせよ、高らかなる女性上位時代の宣言が鮮やかに形になるのも、頑強なまでの浜野佐知の終始一貫あつて初めて為せる業ともいへよう。考へてみればこの頃は、二年後の一般映画第一作での世間への殴り込みを目前に控へ、鬼気迫る勢ひで撮り捲つてゐた時期にも当たる。新味は一欠片たりとてないものの、同時に頑丈な充実を感じさせる快作である。

 あずみが初めて実子の下を訪ねる一幕、初めは屋内で小五郎相手に尺八の吹き方を教はつてゐた筈が、さあて今度は挿入される段ともなると、何故かいきなり何処ぞの草むらに軽やかに空間移動してのけてゐるのは、気前のいい青姦がそれはそれとして画になるゆゑ大らかな御愛嬌にしても。一方、その際に実子の指輪が別のものに変つてしまつてゐる凡ミスには、この際気づかなかつたフリをするべきだ。


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 「四十路の人妻 性愛性交」(2000『欲情夫人 恥づかしい性癖』の2009年旧作改題版/製作:IIZUMI Production提供:Xces Film/脚本・監督:北沢幸雄/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》・業沖球太/製作:北沢幸雄/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:北沢幸雄/助監督:城定秀夫/監督助手:江利川信也/撮影助手:池宮直弘/照明助手:藤森玄一郎/応援:増野琢磨/ヘアー・メイク:角田みゆき/スチール:佐藤初太郎/ネガ編集:酒井正次/選曲:藤本淳/タイトル:道川昭/録音スタジオ:シネキャビン/現像:東映化学/効果:東京スクリーンサービス/協力:HOTEL Cone《一宮御坂》/出演:上原めぐみ・林由美香・葉月螢・千葉誠樹・伊藤猛・岡田謙一郎・飯島大介)。
 山間の町、元ホステスの芝草美津子(上原)が営林署に勤める実直な夫・敏夫(岡田)と結婚して一年。下戸の敏夫と、美津子の馴れ初めは不明。当初は玉の輿を羨ましがられもしたが、日々の退屈と、セックスまで淡白な夫とに鬱積した不満を募らせる美津子は、偶然ブティックで声をかけられた、結婚前まで勤めてゐた酒田晴美(林)のスナックで再び働き始めることに。当然敏夫は難色を示すが、美津子に押し切られる、さういふ夫婦だつた。美津子は先輩ホステス・谷川順子(葉月)の上客を奪ふ形で、小西健三(千葉)とイイ仲に。順子と派手に激突し客の前で大喧嘩を仕出かした美津子は晴美の店を衝動的に辞めつつ、健三との関係は更に深めて行く、のを通り越して深みに嵌る。次第に敏夫の存在が邪魔になつて来た二人は、健三の兄・俊次(伊藤)が会社を潰し金に激しく困つてゐたのにも火に油を注がれ、保険金と資産目当ての、敏夫殺害を計画する。恐ろしくどうでもいい些末な疑問ではあるが、健三に俊次といふことは、その上に更に長兄がゐるのであらうか。男版の濡れ場要員ともいへる飯島大介は、スナック常連客、兼晴美とは男女の仲にもある大山義治。
 水商売の女が、情夫と共謀し夫の保険金殺人を企てる。確か当時、全く同じやうなプロットの実際の事件があつたのだ。振り返つてみるかと戯れにググッてはみたのだが、その後起きた中州のスナック元ママの事件に埋もれ、まるで要領を得なかつた。といふか、ほかにも類似の事件が多過ぎる。その所為か開巻には珍しく、今作は現実に起こつた事件に即してゐるものではあるが、よく似てはゐてもあくまで事件そのものではなく、作家のイマジネーションによつて生み出されたフィクションである旨を言明するクレジットが差し挿まれる。とはいへ、これが満足な判読に困難を覚えるほど暗い。あるいはこれは単なる、プリントの状態の問題なのであらうか。他の場面に、画面の中で何が起こつてゐるのか判らないまでに暗い箇所は特に見当たらなかつたのだが。さて措き、さういふいはゆる犯罪実録ピンクといふ趣向は、北沢幸雄の事件の展開をベタ足で追つて行くやうな頑丈な演出。人が変つたとでもしか思へない千葉幸男の山の冬と人の心の、冷たさと荒廃とを色濃く刻み込むソリッドな撮影。加へて充実した俳優部にも恵まれ、個人的には画期的に疲弊した身ながら、一時たりとてまんじりともせずに引き込ませて観させる。俊次の初登場、健三を訪ね晴美の店を訪れるものの、金がないゆゑ勧められた席にも着かず弟を店外へと連れ出すカットなどゾクゾクする。といふ訳で、そのまゝの勢ひで重低音がバクチクするダークな傑作、と行きたいところではあつたのだが。美津子が晴美の店に出戻つてから約一月後のラブホテルの室内、二人でカップラーメンを啜るしみつたれた姿が果てしなくリアルな、美津子と健三が終に保険金目当ての敏夫殺しを思ひ立つ件が、デフォルトで尺は概ね六十分と規定されてゐるピンク映画にあつて、四十分も経過した地点である点に立つたフラグが、果たして呉れなくとも構はない成就を果たす。最終的な事の顛末を、矢張り暗くてよく読めないクレジット―挙句に、字数も少々不親切に多い―に委ねるといふ形で丸投げするオーラスは、竜頭蛇尾といふ一刀両断も免れ得まい。一方さうはいつても、それならば敏夫殺害には全方位的に一切関らない、晴美と大山の一戦などカットしてしまへと片付けられるのかといふと、これが林由美香の濡れ場がどうのかうのいふ以前に、何気ない遣り取りであつたとしても、林由美香と飯島大介が単に普通の会話を交してゐるだけで困つたことに素晴らしくサマになるのだ。そのため、無下に切ればいいではないかといふのも些かならず忍びない。さうなると、初めから一時間に納まるお話ではなかつたのではないか、といふ実も蓋もない結論にも落ち着きかけるが、振り返つてみるならば、北沢幸雄の尺の目測誤りといふと、何も今作に始まつた例(ためし)ではないともいへる。何れにせよ、両作とも力作は力作である点に変りはない辺りが、なほ一層の玉に瑕。

 ところで、兎にも角にも。昭和55年生まれといふ公称―これを真に受けるならば、2000年当時二十歳―は仮に些かサバ読みにしても、幾ら何でもどう見たところで、今作の上原めぐみは二十代にしか見えない。一体全体何処の明後日から、新題に際して四十路は転がつて来たのか。

 偉さうな開巻クレジット< これから始まる物語は実際の事件に似てゐるからといつてそのものではない。あくまでも作家のイマジネーションによつて語られるものである。従つてフィクションだ。


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