真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「淫行妻の本性 絶頂体験」(1996『人妻淫行 むさぼる』の2008年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:大野正典/撮影:下元哲/助監督:瀧島弘義/脚本:岡輝男/編集:田中修/監督助手:高田宝重・徳永恵美子/撮影助手:便田あーす・田中益浩/スチール:トニー藤沢/ポスター:佐藤初太郎/音楽:ピッコロ音楽研究所/効果:東京スクリーンサービス/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:山崎まりあ・河名麻衣・杉原みさお・倉岡恭平・荒木太郎・頂哲夫・水永久美子・ヴェルデ上北沢・丘尚輝・椙浦塁・ステップアップ浅倉・野上正義)。出演者中水永久美子からステップアップ浅倉までは、本篇クレジットのみ。大野正典が野上正義の変名であるとする説もあるが、真偽のほどは不明。
 何はともあれ開巻まづは銀幕に主演女優の裸を載せる、それはピンク映画として実に誠実な態度である。入浴をしつかりと見せた若妻・伊藤彩子(山崎)が風呂から上がると、ラップをかけ食べて呉れる人を待つ料理が並ぶ食卓には、通勤鞄が置かれてあつた。彩子は気づかぬ間に、夫・修司(荒木)が帰宅してゐたのだ。疲れ果てた風情の修司はとりあへず背広を脱ぐと、彩子の相手もそこそこに、風呂に入らず飯も食はずに寝てしまふ。「けふもお疲れなんだつてさ」、「安全日だつたのにね」と独り言を呟きつつパジャマをはだけ体に自らの手を這はせる彩子は、観客に判り易い欲求不満を手短に伝へる。
 野上正義は、魔が差してコンドームを万引きした彩子を手篭めにする、コンビニ店長・高橋弘志。万引きする人妻の渇望を看破するところまではいいとして、彩子の女陰が臭い臭いと余計な劣等感を植ゑつけるのは、別に不要ではないか。
 高橋との一件、加へてその夜無理強ひ気味に修司に抱かれたことも胸に黄昏る彩子を、そこそこの地震が襲ふ。揺れが止むと彩子が凭れてゐた木の上方には、黄色の丈の短いワンピースに金髪のウィッグ、化粧も今時のギャル目に派手な謎の女・リカ(河名)が。因みに苗字は、残念ながら香山ではなく松尾。一昔強といふ歳月を差し引いたとて恐らくは明確に、失敗したヴィジュアルに火に油を注ぎ、甘つたるい口調の上に無闇に両手を体の前でクロスしては小首を派手に傾げさせてみせる―最早全然小さかねえし―リカの造形は、殆ど破綻すら来たしてゐる。幼馴染であるといひ事実過去の詳細にも明るかつたが、彩子にリカの心当たりはなかつた。リカの強引さに押し切られ、彩子が実は未だエクスタシーを知らない悩みを打ち明けると、それならばリカは一肌脱ぐといふ。
 とかいふ次第で、リカの滅茶苦茶には先が進まないので一旦筆を措くと、そんなリカの彩子に対する絶頂指南が、ひとまづの本筋として起動する。倉岡恭平は、カット明けるとリカが連れて来る胡散臭い東洋医術師・奥寺誠。ここでの濡れ場で舌の根も乾かぬ内に、彩子の不感設定は御丁寧に揺らぐ。開巻には手堅さも感じさせたものの、以降が一貫して纏まらない。杉原みさおは、修司の元同僚でアフター5は風俗でバイトもする相原ミサキ。ミサキといふのは、源氏名であるやも知れない。元同僚といふのは、彩子にはいひ出せないまゝ、修司はリストラの憂き目に遭ひ職を失つてゐた。修司は、偶さかミサキによろめく。頂哲夫は、リカに淫具を装着された状態で外に連れ出され悶える彩子の姿に目を留め、そのまゝ巴戦に雪崩れ込む破目になる早大生・吉田浩之。
 奥寺・吉田との絡みは展開の彩りの内に数へて通り過ぎると、修司は修司で親切極まりなくもミサキに背中を押して貰つた上で、やがて直面した夫婦は互ひの秘密を打ち明け、喪はれかけた絆を取り戻す。その場面が順当にクライマックスとして設定されたであらう節は素直に窺へるのだが、重ね重ね悲しいかな、ここも出来の方は芳しくはない。果たして馬鹿正直な不貞の告白は必要なのか、とかいふ些末なリアリズムの以前に、劇中最大の峠を越えるには積み重ねられた手数は些か足らず、一篇を締める夫婦生活自体の力も、特別に強くはない。そして修司と二人の彩子を再び襲ふ二度目の地震で、意外といへば確かに意外ではあるファンタジーの種は明かされる。とはいへ、それもそもそもリカがアレなので、満足に形にならう相談ではない。重ねてそもそもそもそも、岡輝男がかういふ手を繰り出して来た点に関してはそれはそれとして興味深いともいへ、それをいつてしまつては実も蓋もなくなるのかも知れないが、要は敢てこのお話で突つ込むならば、せめて渡邊元嗣に渡すべきネタなのではなからうか。等々と言ひ募ると、全方位的な残念作であるのはほぼ疑ひない筈の割に、あまりにも明かされるネタが微笑まし過ぎるからなのか、全般的な感触は、何故だか悪くはない。常ならざるリカの出没を地震が司るといふアイデア以外には、ほぼ何処にもいいところなんて見当たらないのに、不思議な一作ではある。本来不思議たるべきリカの描写は、不可解を斜め上に通り越して奇怪ですらあれ。

 本篇クレジットのみ俳優部は高橋のコンビニの客、一度目の地震に見舞はれる二人らか。リカに誘はれた彩子が戯れる、ノーパンでの自転車騎乗に垂涎する釣人三人組のうち、一人は丘尚輝。改めて繰り返すが、岡輝男の別名義である。残り二人のいい感じのデブもとい巨漢は高田宝重、この人は実に画になる風貌をしてゐるのは結構だから、そろそろいい加減ピンク第二作を撮つては貰へまいか。


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 「ふたりの妹 むしやぶり発情白書」(2008/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:竹田賢弘/撮影助手:鶴崎直樹/照明助手:八木徹/衣装・下着協賛:ウィズコレクション/出演:夏井亜美・華沢レモン・西岡秀記・早川瀬里奈)。
 非自発的失業者の阿部潤一(西岡)は、保険外交員の婚約者・北嶋真琴(華沢)の家に厄介になることになる。婚約者とはいつても、一月前に結婚紹介サービスで引き会はされたばかりでもあるのだが。真琴宅に足を踏み入れた潤一を、ニートでレイヤーの北嶋三姉妹三女・凛(早川)が、さりげなく乳首も隠しきれてゐないバニーコスで早速迎撃する。主演の早川瀬里奈は振り抜いたアニメ声を駆使しつつ、面長の美形に劇中では―入浴中ですらも!―終始巨大なアラレちやんメガネを合はせ、トランジスタな大きさの割には張り物臭いオッパイは兎も角、伸びやかな膝下の細さとは対照的な、尻から太股にかけての逞しさはバニースタイルに一際映える。加へて一点心の琴線を強烈に爪弾かれたのは、早川瀬里奈、股の開き方が画期的にエロい。お芝居だのお話だのは最早ひとまづさて措け、今回の渡邊元嗣は、強力な決戦兵器を手に入れたんだぜ。
 コロッと撃墜された潤一が憚りもなく凛にも鼻の下を伸ばしてゐると、今度は北嶋三姉妹次女で女優の卵の薫(夏井)が、家賃を滞納して矢張り住むところを失つたと、長姉の下に転がり込んで来る。三姉妹の揃つた一軒家に男一人、俄かに完成したハーレムに色めき立つ潤一に対し、これ見よがしに大袈裟な裁ち鋏を持ち出した真琴は、他の女に手を出したりするとタダではおかないと恐ろしい釘を刺す。後日、絶賛主夫生活を送る潤一は洗濯物を干してゐる最中庭の片隅に、三姉妹それぞれの名前の記された、ペットの墓のやうに小さな十字架を見付ける。真琴に尋ねてみたところ、三姉妹の“ 思ひ出したくない過去”とやらが埋めてあるといふのだが・・・・
 長女といふ役柄に徹したか、華沢レモンがおとなし目にすら見えるグッド・ルッキングな北嶋三姉妹が華麗に爆裂する一方、三人各々名義の小墓が登場した際には、よもやナベが又ぞろダークファンタジーの無茶振りを仕出かすのかと身震ひさせられた。回収される気配も見られぬままに、落とされた伏線のことも一旦は忘れかけた頃。十字架を前に謀議する三姉妹の姿すら差し挿みながら、いざ潤一が掘り返してみると昔の通知簿その他が出て来た日には、無茶振り以前の振り逃げかよと呆れ果てた。ところが、夢の一夫多妻転じて大胆な姉妹共有財産制が咲き乱れる展開に普通に感心させられかけたのも束の間、鮮やかな波状攻撃で叩き込まれる奇想天外なオチには大いに驚かされた、これは素晴らしいワンツー・フィニッシュだ。開巻、潤一と中出しをせがむ真琴との濡れ場での、「君つて何時も安全日だね」といふ引き気味の台詞がここで活きて来ようとは!可愛らしい主演女優を擁し、恐らくは渡邊元嗣も嬉々と撮り上げてゐたであらうことが想像に難くはないアイドル映画をのんびりと楽しんでゐたところ、最後の最後で実は計算された脚本が見事に火を噴く快作。自身の頑強なアイドル映画志向をも、渡邊元嗣が観客のミス・リーディングに対して有効に作用させる為に織り込んだものだとしたら、これ程鮮やかな話もあるまい。油断してゐたといふのもあるのかも知れないが、この結末は予想出来なかつた。全くの、そして実に心地良い完敗である。
 複雑な家庭につき―真琴の―両親にも会はぬまま式を挙げようだの、女優とはいへ、これまでこなした役は死体にゾンビだといふ薫に対し、真琴がマトモな人間の役がひとつも無いぢやないのと揶揄する件。そこかしこの小ネタも、振り返れば何れも綺麗に決まつてゐる。全般的に、脚本の完成度も光る一作といへよう。

 「女桃太郎侍」―もうこれも、ナベ自分で撮つちまへよ―のオーディション帰りの薫を急襲する柄の悪いグラサン二人組は、定石からいふと永井卓爾と竹田賢弘か。仮にだとすると、何処かしらで見覚えのある背の低い方が永井卓爾?
 オーラスに付け足される「これは又、別のお話」が、残念ながら今のところ製作された気配はない、待つてます。


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 「エロスの冒険 快楽まみれの女たち」(1990『アブノーマル・ペッティング』の2008年旧作改題版/製作:《株》メディアトップ/企画:《株》旦々舎/配給:新東宝映画/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志/照明:田中明/音楽:藪中博章/助監督:毛利安孝/編集:金子編集室/車輌:原隆志/出演:大沢裕子・早瀬美奈・風間ひとみ・吉本直人・佐藤源三郎・平賀勘一・アナル市原・池島ゆたか)。
 女だけでのAV鑑賞会。人妻の朝倉比呂美(大沢)、女子大生の羽田登水子(早瀬)、スナックママの木原雪絵(風間)はひとまづ興奮しながらも、だが然し不満足を覚える。更なるエキサイトを求めた女達は、一ヶ月後の結果報告会での再会を期しての、銘々が性の冒険に入ることを決める。登水子は夢の三段締めを可能とする膣圧アップを求めて体力増強に励み、比呂美は専攻は不明なものの学者といふ設定の夫・麻樹生(アナル市原/AV男優・監督である市原克也の別名)に相談してみた結果、重力の呪縛から逃れるべく、浴槽内での擬似無重力セックスに挑む。一方雪絵は大量のバイブを導入しつつ、女には男よりも体に開いた穴がひとつ多いことに着目する。
 女達がアクティブな性の探求に奮闘する、浜野佐知にとつてはらしいことこの上ない筋立てを手に、映画はこの先快調を通り越して走り出す。微妙に服を着たままなのが煽情性の喚起以外には意味不明な、狭い風呂でのバーチャル無重力は見るからに形にならず、趣向を変へた夫婦生活に呑気に満足し眠る麻樹生に対し、比呂美の欲求不満は募る。書店でフと手に取つた上野千鶴子『スカートの下の劇場』(初版1989年)内に紹介されてあつた、大陰唇の大きさが女の優劣を決するといふ社会に触発された比呂美は、耳飾をプッシーリングに代用しての、自らの大陰唇の肥大化に取り組む。雪絵は更に大胆にもバイブを電極つきのものに改造すると、上の口と下の口とを通して体に微電流を流す、などといふデンジャラス極まりない荒業に挑戦する、かまちるぞ。対して三段締めを手に入れたところで、申し訳ないがそれはその際気持ちいいのは貴女ではなくして俺達の方ではないのか?といふそもそもの根本的な疑問を残す登水子は、以降大した活躍を見せることは別にない。
 起承転結でいふと承部が分厚く膨らんだところまでは良かつたが、それ以降が失速してしまふ。雑踏の片隅といふか外れたところに、比呂美は“フリーでダーティーな人”(池島)を発見する。アルバイトを持ちかける比呂美に対しそのままいふと浮浪者は、「働きたくないから、ここで、かうしてるんだけどな」。ボソッと呟かれる、この鮮やかな名台詞には激しく納得させられたが、そこから比呂美の大陰唇肥大が活かされる訳でも特にない濡れ場に、どういふ意味があるのかはよく判らない。加へてホテルでの身元不明の人妻殺害―よくよく考へてみると、身元も判らないのにどうして人妻といへるのだ?―を伝へる報道に登水子と雪絵とが慄くミス・リーディングは、木に竹を接いだ蛇足にしか思へない。挙句に各々の体験が絡められるでもなければ一切深められるでもなく、一応もう一度三人が顔を合はせてみました、といふだけで裸も見せずに尺が尽きてしまふのは全く頂けない。中盤が馬力豊かに充実してゐるだけに、唖然とさせられる尻すぼみに余計に落胆の強い一作である。

 吉本直人は、登水子の彼氏・浅野多加志。佐藤源三郎は雪絵のヒモ・島田宏彦。平賀勘一は、劇中男性陣としては殆ど唯一の積極性を発揮しもする、実棒での二穴責めを可能ならしめる為に招聘される島田の先輩・藤堂真司。比呂美殺害を誤誘導するニュースを読むアナウンサーは、多分若き日の山崎邦紀か。
 今作は2002 年に少なくとも既に一度、「どすけべコンテスト 3人のエロ女」といふ新題で新版公開されてゐる。改めて気付いてみると、アブノーマル・ペッティングといふ旧題に特段の意味はまるでないな。因みに1990年には続篇なのか、「超アブノーマル・ペッティング 異常快楽」といふ恐ろしく混同しさうなタイトルで、山邦紀の監督デビュー作(当時は山崎邦紀名義)も公開されてゐる!続篇ならば、そちらも強力に観たいところではある。続篇でなくとも観たいか。


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 「悶々不倫 教へ子は四十路妻」(2008/協力:静活/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督・出演:荒木太郎/脚本:吉行由実/撮影・照明:長谷川卓也/編集:酒井正次/音楽:宮川透/助監督:金沢勇大・三上紗恵子/撮影・照明助手:大江泰介・広瀬寛巳/協力:佐藤選人・ハリウッドカフェ/タイミング:安斎公一/出演:佐々木麻由子・浅井舞香・佐々木基子・野村貴浩・岡田智宏・淡島小鞠・なかみつせいじ・みやまい・ドンキー宮川、他多数・野上正義)。ど頭に協力の静活が別立てで入るのは、本篇クレジットに従ふ。出演者中他多数は、本篇クレジットのみ。
 「野上正義50周年記念」、「佐々木麻由子10周年記念」と続けざまに打ち出しての開巻。ところで佐々木麻由子にとつては、今作が田中繭子からの名義戻し作ともなる。
 元高校教師の大崎(野上)は定年退職後、妻(佐々木基子)からはいはゆる熟年離婚を申し渡され、ピンク映画館(静岡小劇場)に通ふ侘しい鰥暮らしを送る。淡島小鞠は、会社のパーティーで余つたエビチリを、離れて独り住む父親に届けに来る大崎の娘・晴美。佐々木基子と野上正義の、流石に決して小さくはない歳の差は、申し訳程度の短い絡みまで含め佐々木基子の登場は8ミリによる回想シーンのみ、といふ形で―ガミさんは、若作りで押し通す―回避される。ここでの趣味性と論理性との結合は、平素は荒木太郎を嫌ふ身とはいへ輝かしい。ある日、何時ものやうに大崎がぼんやりと小屋の暗がりの中に身を置いてゐたところ、迷ひ込んだかのやうに静岡小劇場の敷居を跨いだ女が、場内に不意に現れる。早速、痴漢師(ドンキー宮川=宮川透)が女を迎撃。背もたれを大きく越え身を仰け反らせ悶えた女の顔を見た大崎は驚く、女は教師時代の教へ子・旧姓中原咲子(佐々木麻由子)であつたのだ。大崎から声をかけられた咲子は、慌てて小屋を後にする。帰りしな、同じく教へ子である高木(岡田)が経営するスナックを訪れた大崎は、高校時代咲子のことが好きであつたといふ秋山(野村)から、咲子が夫の中原(なかみつ)とは、別居中で離婚も迫られてゐるといふ近況を耳にする。複雑な想ひを抱(いだ)いた大崎は、秋山に教へて貰つたアドレスで、晴美からは覚えるやう促されてもゐた携帯メールを用ゐて連絡を取る。誰なんだみやまいは、大崎と咲子が待ち合はせる、今はもうバターホットケーキは出さなくなつてしまつた喫茶店のウェイトレス、キチンと正面から捉へられるショットはない。思ひ出のホットケーキについては、時の移り変りを表現するアイテムといふのは酌めるが、粉と卵を牛乳で溶いて簡単に焼けばいいだけのものを、初めから出してゐなかつた訳でもない茶店が、改めて出すも出さないもないのではなからうか。
  残念ながらメガネは実装してゐない浅井舞香は、咲子―今のところ―夫婦が不妊治療中に出会つた看護婦で、今は離婚を見据ゑ中原と同居しもする奈美。濡れ場要員ともいへ、中々捨て難い達者なお芝居を見せる。初期装備のいやらしさも申し分なく、監督松岡邦彦の主演作も半秒でも早く観たい。荒木太郎は高木のスナックの客で、咲子とは中学時代の同級生でもある薬剤師・坂田。静岡の街はそんなに狭いのか、といふツッコミは禁止だ。
 全国小屋ロケ行脚御当地映画シリーズ、未見の「ふしだら慕情 白肌を舐める舌」(2007/脚本:吉行由実/南映画劇場)が多分第七弾にならうかと思はれるので、恐らく第八弾。大崎と咲子の静岡小劇場での驚きの邂逅シーンに於ける、如何にもな様子の痴漢師の蠢動ぶりと、藪から棒に実際に女が悶え始め俄かに色めき立つ場内の空気とには―そもそも大崎がその場に吸ひ寄せられる様まで含め―抜群のリアリティーが溢れ感心させられたが、そこから先が、お話が十全には膨らまなかつた。似たもの同士といふ境遇の相似を超え老元教師と最早間違つても若くはない教へ子とが、何故に男と女として惹かれ合ひ、一度は別離しながらも、最終的には結ばれるに至るのかといふところのドラマ乃至は段取りが、どうにも薄い。その薄さを捻じ伏せる演出の力強さも、今回荒木太郎は終に発揮出来なかつた。総じて丁寧な作り映えながら、殊にクライマックスの大崎と咲子の濡れ場でその傾向が顕著となる、撮影意図を感じさせない長谷川卓也のカメラも、どうにも弱い。我々の人生に於いての寄す処とならう美しい思ひ出を愛しき人との記憶とを、映画と小屋とに託したシリーズ随一の第四作を直前に通つたことも災ひしてか、派手な綻びもないものの、大いに物足りなさを残す一作ではある。三上紗恵子(=淡島小鞠)ではなく、吉行由実脚本には事前には期待をしてゐたものでもあつたのだが。全国各地のピンク上映館を捉へた写真の数々に被せられるクレジットは超絶に風情があるが、舞台仕立てもしくはモチーフとしてはさて措き、テーマとしては、劇中に小屋が登場する意味は概ねない。その中でなほ、坂田が精神の平定を乱す咲子に薬を処方し、そのまま事に及んでみせるロケーションが、静活所有の一般映画館ロビーであるといふ不自然さを拭ひやうもない安普請は、矢張り殊更に響く。

 出演者中本篇クレジットのみの他多数は、静岡小劇場と、高木のスナックのその他客要員か。咲子が二度目に小屋を訪れる件、痴漢師を摘み出すモギリは暗がりの中でのロングのみだが淡島小鞠の二役で、大崎を案じる推定支配人は、妙に抜かれる点をみるに佐藤選人?


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 「SEX診断 やはらかな快感」(2008/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:藤田朋則/助監督:横江宏樹・田中圭介/助監督応援:田中康文/音楽:中空龍/出演:田中繭子・富永ルナ・しのざきさとみ・平川直大・なかみつせいじ)。助監督応援の田中康文が、ポスターには単に応援。
 元夫の苛烈なDVに苦しんだ過去を持つ物部式部(田中繭子/ex.佐々木麻由子)は、恋人紹介サイト「メメント・モリ」を立ち上げ運営する。“メメント・モリ”、「時には死を想へ」といふサイト名に関心を持つたライターの倉光精六(平川)は功名心を燃やし、明確な敵意を秘めマッチング希望者を装ひメメント・モリに接近する。他方、イラストレーターの中田レイコ(富永)は「私の王子様は何処に居るの?」、「早く私を迎へに来て」だなどと、最早ギャグかと思はれるほど陳腐な寝言を他愛もなく垂れながらセルフ・ヌードを描く。セルフ・ヌード自体も他愛ない点に関しては、ひとまづさて措きつつ富永ルナといふ人は、気にし過ぎか別人に聞こえなくもないアフレコ―再見の結果、どうも華沢レモンに聞こえる―に加へ、首から上も下も、若いのか歳を喰つてゐるのだかよく判らない。強ひてよくいへば不思議で、そのまゝいへば悪い意味で微妙な女だ。事業に失敗した夫の借金を背負ひ離婚した堀田有紀(しのざき)は河原にて、メメント・モリに宛がはれた相手に待ち惚けを喰はされ、不機嫌を顕にする。有紀を怒らせた相手・岸上徳多(なかみつ)は、メメント・モリへの入会金十万のために支払ひを滞らせ、根城としてゐたネットカフェを追ひ出される。加へて岸上が不能であることに憤慨した有紀が式部に抗議する一方、式部はレイコには、倉光をマッチングする。自らの一物を“名刀”と誇る倉光は、威風堂々とレイコに相対(あいたい)する。
 メメント・モリ“Memento mori”。直訳すると「死を忘れるな」ともなる古代ラテン語の警句は、劇中「今を愉しめ、何時かは死ぬのだから」、「死ぬまでは生きて行かなくてはならない、陽気に」と意訳されるやうに、古くは「今を愉しめ」と現世に於ける享楽を肯定する意に転じて用ゐられた。メメント・モリWEBサイトのトップにイザヤ書の一節を引いた点からも明示的に窺へるのか、恐らく山邦紀は狙ひたかつたであらう死を見据ゑた上での性のドラマは、かといつて浜野佐知に追求されることはない。職業柄ともいへるのか、穿つた嗅覚からメメント・モリに新興宗教の匂ひを感じ取り、攻撃的な猜疑を膨らませる倉光の提出するベクトルは深化させられずじまひの内に、互ひを労り慈しみ合ふ男女もとい女男の結びつきといふ、“女帝”浜野佐知にしては随分とソフトでもある主題に帰着する。その中でも殊更に光るのが、勃起しない、萎えたままの陰茎による性行の穏やかで深い愉悦といふ、一般映画殴り込み第二作「百合祭」(2001)に於いて既に提出されたテーマが、老齢をも差し引かれ更に加速されてある点。尤もこの場合に実にユニークなのは、さういふ一見不完全に思へなくもない営みが、有紀や式部の側からはそれでゐて気持ちのいいものでもあらうことは、それなり以上に説得力を有して描かれる。ピンク映画といふ元来は男客に女の性を商品化するプログラム・ピクチャーといふ領域にあつて、女の側から、女が気持ちよくなるためのセックスを描くことを一貫して頑強に旨とする、浜野佐知にとつては如何にもらしさを感じさせるところである。対して、それが男の側からは果たしてそれでも満足を得ることが出来るものなのかといふ疑問を一旦持つてしまふと、小生は未ださういふ年齢に至つてゐないこともあり、正直よく判らない。本篇中の岸上自身に関しても、濡れ場の相手方といふ以上に、さういふいふならば覚束ない男根を以て性交渉に挑まざるを得ない男の心情といふものが、踏み込んで描かれる訳ではない。寧ろそこまで含めて、正しく面目躍如といへよう。
 浜野佐知の頑丈な脈絡通徹は、柔らかな手触りながら攻守の攻めに関してはしつかりと撃ち抜く一方、守りに際してはツッコミ処の露出した微笑ましい綻びも見せる。最終的には岸上を受け容れたものの、何故か結局別れた夫との再婚を期し有紀は退場する。式部と対面した岸上は自らの不能に関して、一人の女も幸せに出来ぬ―岸上も離婚暦あり―と自嘲する。さういふ岸上をたしなめて式部は、「女は、男に幸せにして貰ふものではありませんよ」。続けて舌の根も乾かぬ内に、設定としての評判には違(たが)へ実は劇中一件のマッチングも成功させられなかつた式部は、「貴方も、レイコさんも幸せに出来なかつた」。誰かから幸せにして貰ふのではなく、能動的に自らの幸福を追求する人間像を謳つたのではなかつたか。その視座は片方向で、我々男供は綺麗に抜け落ちてゐるとでもいふのか。一対一の当事者間ではなく、第三者といふ立場上の相違もあるやも知れぬが、ここは明らかに、攻めることに執心した浜野佐知は自らを省みるといふ意味での守勢が疎かになつてしまつてゐる。とはいへこれは物語の評価を下げるまでの致命傷ではなく、作り手の体温が感じられもする、一種のチャーム・ポイントとここでは好意的に捉へたい。

 本筋からは些か外れて感興深いのは、式部はレイコの身を守る為に、自慢の名刀とやらを無闇に振り回したがる倉光を迎撃する。今作中に限つてのメメント・モリ戦績と同様、一人の女もオトせない倉光の竹光は情けなく、騎乗位で跨つた式部にあつさり陥落させられると、頃合を見計らひ腰を上げた式部の足の間の虚空に、倉光の精は無様に放たれる。「口ほどにもないわね」と捨てられるサディスティックな名台詞には、リアルでいはれた日には最早泣くほかなからう。さういふ、平川直大が根拠のないやうにしか見えない性的な鼻つ柱をヘシ折られる件には、ここでのアイアンペニスの悲劇、あるいは喜劇が想起させられる。もうひとつ特筆すべきは、徹頭徹尾等閑なレイコの扱ひ。ビリングの二番手が、いはば倉光に対する噛ませ犬でしかない、さしてヒット・ポイントも高くはない濡れ場要員と化してしまつたといふ点も、それはそれとしてまた一興である。


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 「人妻13人乱交パーティー」(1992『人妻13人いんらん比べ』の2007年旧作改題版/製作:伊能竜/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/撮影:稲吉雅志/照明:柴崎江樹/編集:酒井正次/助監督:水野智行/監督助手:駒場三十郎/撮影助手:斉藤明/照明助手:小田求/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・石川恵美・小泉あかね・南城千秋・千秋誠・望月あゆみ・高円寺しのぶ・杉下なおみ・如月弥生・植木かおり・中山久美子・山本竜二・芳田正浩)。出演者中、南城千秋は本篇クレジットのみ。逆にポスターには、俵ひとみが紛れ込む。ほかに千秋誠と中山久美子が、ポスターでは千秋まことと仲山久美子。仲山久美子は、仲山みゆきに引き摺られてない?製作の伊能竜は向井寛の、脚本の周知安は片岡修二の変名。今回新版ポスターでは、何故か駒場三十郎が監督助手から助監督に昇格してゐる。駒場三十郎といふ如何にも感漂ふ名義も、恐らく変名ではなからうか。最後に照明の柴崎江樹が、ポスターでは御馴染伊和手健、こちらは逆にカミングアウト?
 新婚の園山(山本)は新妻・明子(橋本)に夜の作法を仕込み最中で御満悦の一方、部下の倫子(小泉)と不倫関係にもあつた。アクティブな倫子に誘はれ、園山は女十人VS男三人からなる色んな意味で壮絶な乱交パーティーに参加する。恐る恐るその場に足を踏み入れた園山は、パーティー参加は五度目といふ轟(芳田)・悦子(石川)夫妻と対面し、それぞれのパートナーを交換することになる。極私的にツボに入つたのは、女同士も当然含め、銘々がペアを作つての人海戦術を極めた宴がスタートするや、総勢が13=2×6+1人といふことから、あぶれた一人がそれでゐて中央でオナニーしてゐたりなんかするのが妙に愉快だ。頭数だけは無闇に並べた文字通りの乱交シーンは、乱交ですねといふ以外の感興も別に湧きはしないが、途中から一人減つてはゐないか?その辺りすら、最早判然としないだけの迫力ならば溢れてゐる。
 倫子は結婚するといふので別れた後日、帰宅後くつろいでゐると越して来た隣家夫婦が挨拶に来たといふので、玄関に出た園山は度肝を抜かれる。新しい隣人とは、何と轟夫婦であつたのだ。パーティーには愛人と参加してゐた手前、秘密を握られた形の園山は恐々とし、轟の指示に従ふまゝに急な仕事と夜家を抜け出しては、お隣に駆け込み悦子を抱く日々を迎へる。園山が悦子に捕まる一方、外出し時間を潰して来るやうに見せかけた轟は、主人は不在の園山家へと直行する。男は同伴者が居る場合のみだが、女は一人でも参加可といふパーティーに、単騎で参戦してゐたのか、誰か別の随伴機を伴なつてゐたのかは不明ながら、実は明子も乱交パーティーの参加者であつたのだ。とかいふ塩梅で、要は轟夫婦が園山夫婦を各個撃破する攻勢が鮮やかに決まつたところでは感心させられたが、残念ながらそこから先が、特にこれといつて話が膨らむ訳でもない。悦子に対するお勤めを終へ疲れ果てつつ園山が帰宅すると、明子は明子で、轟に抱かれ疲れて既に眠つてしまつてゐる。ヤケクソ気味に電気スタンドの笠を被つた園山が、おどけるショットで無理矢理映画を畳んでしまふ幕引きには、投げ放した印象は確かに否めない。とはいへ、女優の四番手以降は逆の意味で結構攻撃的なものの、小泉あかねまで三本柱の粒は綺麗に揃つてゐるのと、山本竜二のフレキシブルなコメディ演技が展開をそれなりに繋ぎ、然程ダレるでも呆れ帰ることもなく、意外に全篇を通して観させる一作である。後に残るものも、特にはないといつてしまへば正しく実も蓋もないが。

 今作は1997年に、「人妻《秘》パーティー 13人すけべ比べ」といふ新題で―少なくとも―既に一度新版公開されてゐるらしい。十三人脱ぎ役の女が出て来る訳でもなければ、全員人妻でもないのだが。


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 「未亡人痴態 三十路の羞恥心」(2001『三十路の後家さん よがり泣き』の2008年旧作改題版/製作:ENKプロモーション/提供:Xces Film/監督:剣崎譲/脚本:木田梅太/企画:稲山悌二 エクセスフィルム/製作:駒田慎司 ENKプロモーション/撮影:清水洋策・木根森基・山内靖/照明:北井哲男・岸田一也・中野賢・岡本満正/助監督:杉山龍哉/ネガ編集:酒井正次/スチール:相川経雄/美粧:シェル/録音:立石幸雄 東洋スタジオ/リーレコ:福田誠/現像:東映化学/フィルム:フジフィルム/制作:西村恒光・大谷優司/制作協力:シグナルオート、《株》アーク・システム、関西映機、報映産業、ぴんくりんく編集部、イデックス、ラボエンドレス、AC/DC、翔の会/出演:イヴ・岩下由里香・藤田佳昭・佐賀照彦・フランキー仲村・石動三六・秋山実・碇清彦・渡辺哲)。
 公園にて、「え、して下さるの?」と頬を綻ばせる中島久美(イヴ)を受けて得意満面の長谷川(石動)は、「ああ、貴女を随分待たせたからな」。まるで求婚でもあるかのやうに思はせぶつておいて、何のことはない。久美の売る高級車を、長谷川が契約したといふに過ぎない一幕であつた。昼下がりの公園であるのも憚らず、それではと体に手を伸ばして来る長谷川を一旦は制しながらも、久美は場所を移したホテルにて体を開く。誠文字通りの、枕営業といふ次第である。義弟・次朗(藤田)の経営する中島モータースに帰社した久美は、車が売れたと報告する。次朗は例によつての肉弾戦法を展開する義姉の身を心配するが、久美は減るものではないとまるで意に介さず。誰だか判らない―シグナルオート社長か?―車に飾られた写真のみ登場の、久美の夫にして次朗の兄・ソーイチローは三年前に死去し、以来久美は夫の残した借金は私の財産、と気丈に中島モータースを切り盛りしてゐた。次朗と久美は、箕面でのコンビニ強盗を伝へるKFN局ニュース(アナウンサーも誰なのか不明)を見る、犯人は逃走してゐた。次朗の娘で、母親即ち次朗の妻(一切登場せず)は未だ幼い頃に家を出て行つた栞(岩下)は、体と引き換へに車を売る事実に対する反発と、そんな義理の伯母に向けられた父親の複雑な心境を慮り、久美に反意を露にする。
 佐賀照彦は、栞の彼氏でもある中島モータースの工員・桜木陽太。栞は周囲に相談出来る大人もゐないまゝに、桜木の子供を妊娠してゐた。関西の劇団人らしいフランキー仲村は、久美に無邪気な色目を向ける同じく工員の沼田。他にもう一名、台詞も何も全く与へられない工員が見切れる。久美は得意先のKプロを訪れた際、会社を若い女が頻繁に行き来するのを見て不審に思ふ、Kプロに出入りする女は二名登場。一人目は正面からも抜かれるが、誰なのかは相変らず辿り着けず。次朗も次朗で、Kプロがどんな会社であるのか知らなかつた、覚束ない男だ。ブラブラするばかりで、まるで仕事をする風でもない次朗の社長ぶりは清々しい。桜木達は、忙しさうに立ち回るショットもあるといふのに。Kプロの入るビルから栞が出て来たのに目を丸くした久美は、更に栞がラブホテルに入つて行くのに仰天する。部屋の前で問ひ詰めようとしたところ栞はその場から姿を消し、一方久美は中から現れた男(碇)に引き摺り込まれる。仕方なく相手をする羽目になつた久美に、男は手の平を返して驚喜する。Kプロは、実はデリヘルの会社であつたのだ。反省の色も形だけしか見せずに締めの絡みを介錯する渡辺哲は、Kプロ社長。そんなこんなで、あれやこれやを抱へ緊張する久美と栞二人きりの中島モータースを、逃走中のコンビニ強盗・小湊雄一(秋山)が急襲する。囚はれた栞を守るために、久美は自らの身を差し出す。
 桃色にお誂へ向きな造形の久美を好きに羽ばたかせつつ、そこに次朗・栞父娘を絡めた地味に正攻法の人情ドラマは、概ね功を奏してはゐる、たどたどしいことはこの上ないのだが。開巻から顕著な、会話する双方を交互にピンポンのやうに抜く、牧歌的なカメラ・ワークは全篇を通して微笑ましく、その日は中島モータースが営業してはゐない旨を、ショーウインドーの“定休日”の大映しで示すポップ感も爽やかに爆裂する。対して潔く下手な三番手濡れ場要員は排した、女優ツー・トップ体制はそれなりに磐石。何時もと特に変る点もないとはいへ、鉄板の金看板ぶりを誇るイヴちやんを迎へ撃つは、“日本のスカーレット・ヨハンソン”岩下由里香。誰がそんな与太を吹いてゐるのだ、とかいふツッコミは禁止だ。短い実働期間なれどあの頃確かに、昨今喧伝されるところのツンデレを超絶に完成せしめてゐた岩下由里香の表面的な鋭角と、同時に併せ持つたセンシティブさ、意外に少女の匂ひを残しすらする肉感の柔らかさとは、改めて目にしても矢張り輝く。ここは前作にしてピンクデビュー作、兼最高傑作でもある「美人おしやぶり教官 肉体《秘》教習」(2001/監督:工藤雅典)も、出来れば何とか再見したいものである。

 ところで、エンド・クレジットが流れ始めてから気づいてみると。今作描かれるのは久美の“女の又の力”に絆(ほだ)された小湊が自首するまでで、父にも知らせられず妊娠した栞と、主に次朗から久美に向けられた恋心との行く末は、綺麗に忘れ去られでもしたかの如く通り過ぎられる。小湊襲撃の伏線、Kプロに関する顛末と枝葉では手堅さを見せつつ、一体主眼は何処にあるのか判らない、それもそれで凄いドラマではある。剣崎譲といふ人はjmdbによるとデビュー十年、Vシネ一本込みで監督作も十五本目にして、どうして斯様にぎこちないのであらうか。人の好さが、感じられもするやうな気がしなくはないものの。


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 「出会ひ系不倫 堕ちた人妻たち」(2004/製作:杉の子プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本・音楽:杉浦昭嘉/撮影:前井一作/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:広瀬寛巳/応援:横井有紀/出演:里見瑤子・渡辺弓恵・松葉まどか・岡田智宏・柳東史・小林達夫・井上淳一)。どうもポスターに見慣れない名前があると思ふと、撮影・照明が“前田”一作に、誰だよ前田。撮影・照明助手に力尽きる。
  “ペコちやん”といふハンドルで出会ひ系サイトに身を投じた山下和美(里見)は、初陣として上田正彦(柳)と会ふ。緊張気味の和美に対し如何にも手慣れた風情の上田は、ペコちやんに出会ひ系を始めた理由を尋ねる。二日前、結婚四年目の夫・直樹(岡田)が現金支給の給料を持つて帰つて来た。御褒美といふ訳でもなからうがおつ始めた夫婦生活は、いざ挿入といふ段ともなると直樹が萎えてしまひ、仕方なく和美は淫具で自らを慰める。翌朝、燃えるゴミの日であることに慌てた和美がゴミと一緒に給料袋を捨ててしまつた為、大粗相を直樹には内緒で穴埋めるべく、出会ひ系サイトを通して援助交際といふ名の売春を始めたといふのだ。一ヵ月後、順調に和美が金を得る中、一方直樹は同級生か何かか、実は旧知であつた上田と再会する。旧交を温め酒を酌み交はした席で、直樹は上田から出会ひ系で寝た女達を自慢する写メを見せられる。写メの一人目は風間今日子、二人目は誰だか判らないがミチコ。そして三人目にペコちやんと称した妻が出て来た直樹は、静かに顔色を変へる。そんなこととは露知らぬ上田とのツー・ショットは、スマートに出来てゐる。抽斗は少なく天真爛漫な岡田智宏にしては、画期的な名演技か。面と向かつて和美を問ひ詰められない情けない直樹は、“ジョニー”として自らも出会ひ系の敷居を跨ぎ、ペコちやんに接触を図る。出会ひ系を始めた妻の相談を素知らぬふりして持ちかけるジョニーに対し、ペコちやんは夫との生活に精神的な不満はないとはいへ、女としての充足を求めもしたと偽りも憚りもない真情を吐露する。
 電脳空間に於ける射精産業を通しての夫婦の片務的な直面は、大袈裟な不出来こそない反面、不甲斐ない直樹の姿を反映し、何某かの真実、乃至はエモーションに辿り着き得る体力には欠く。その中で、枝葉中の枝葉ながら小気味いい飛び道具が井上淳一。戯れに自らも出会ひ系を利用してみることにしたジョニーこと直樹が、踏んでしまふ女装子・イザベルこと本名横浜正児、実に男らしい名前だ。綺麗な女装子ぶり―それは綺麗なのか汚いのかはさて措かれたし―を披露し、直樹が「ゴメンナサイ!」と逃げ出す件はストレートに笑かせる。イザベルに関しては、二度目の登場が更に秀逸。夫婦公認で出会ひ系に勤しむ上田の妻・良江(渡辺)と直樹とが待ち合はせるカットの画面一番奥に見切れ、そのひとつ手前にはイザベルと待ち合はせ、てしまつたハリソンこと広瀬寛巳。ここの超絶なキャスティングには、感服するほかない。
 調子に乗り過ぎ竹箆返しを喰らつたのか、和美は出会ひ系で引つかゝつた、二人組みの男に犯される。一人目の赤いジャンパーの男は不明だが―おとなしく小川隆史辺りか?―合流する黒いジャンパーの男は、杉浦昭嘉。身包みも剥がされた和美はジョニーに助けを求め、夫婦は妻の側からは一方的に驚きの再会を果たす。矢張り問題なのは、ここからのケリのつけ具合。書いてしまふが直樹は以前と同様和美との結婚生活を継続はしたいものの、さりとて―セックス―レスの状態が解消出来さうにはない。なので妻に対してルールを設けた上で、今後とも出会ひ系を続けても構はないなどといふのは一体全体何事か。それは理解があるだの優しいだのといつた世界ではなく、ただ単に意気地がないに過ぎまい。昨今いふところの“草食系男子”を先取りしてゐるとでもいへば聞こえもいいのかも知れないが、斯様な有様では物語が凡そ求心力を持ち得ず、一歩手前までは定石通り広げられた風呂敷も、まるで畳まらない。

 夫の吝嗇を嘆く割には服装が華美な松葉まどかは、和美が寝た斎藤ヤスオ(全く登場せず)の妻・真紀子。夫の尾行がてら「斎藤の妻ですが」と和美宅に突入する、これは恐ろしいシークエンスだ。その癖、何だかんだの末に自らも出会ひ系参戦を決意し、妙に意気投合した和美と共に西村達彦(小林)との巴戦に赴く辺りは、如何にもピンクピンクした展開ではある。
 ところで最後に。根本的に疑問を感じたのは、出会ひ系サイトを介しつつも互ひの携帯を通してのペコちやんとジョニーとの遣り取りは、ペコちやん即ち和美はメルアドで、ジョニーが直樹であることに気付かないものか。私は携帯を一貫して持たない人間なので多少覚束ないが、配偶者ともなるとアドレスは、普通その人と登録してゐるのでは?それとも、その際直樹は業端を使用してゐた、とでもいふことなのであらうか。


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 「JOHNEN 定の愛」(2008/製作・配給:東映ビデオ/制作協力:楽映社/監督:望月六郎/原作・脚本:武知鎮典/企画統括:石井徹/企画開発:武知鎮典/プロデューサー:瀬戸恒雄・前田茂司/企画協力:西野禎秀/キャスティングプロデューサー:伊藤雅子/音楽プロデューサー:山崎綾/撮影:石井浩一《J.S.C》/照明:櫻井雅章/録音:久連石由文/美術:高橋俊秋/編集:矢船陽介/音響効果:丹雄二/助監督:池本晋/撮影助手:新家子美穂、他/制作担当:善田真也/ポストプロダクションプロデューサー:金子尚樹/杉本彩特写フォト:菅野秀夫/エンディング・テーマ:『いつか、遠くを見てゐた』作詞・作曲・歌・ギター:友川カズキ/出演:杉本彩・中山一也・江守徹・内田裕也・阿藤快・斉藤暁・村松利史・菅田俊・高瀬春奈・山下徹大・速水健二、他/友情出演:風間トオル・本宮泰風)。開巻は三角マーク。
 ビルの屋上でモデルの夢子(不明)を撮影中のカメラマン・イシダ(中山)は、不意に昭和十一年のいはゆる阿部定事件が脳裏にフラッシュバックし、意識を失ふ。しつつも場所を海岸に移し、センスの疑はれる惨殺ヌードを撮るイシダの前に、白髪の謎の老人・オオミヤ(内田)が現れる。商業高校元校長とまるで形ばかりの自己紹介をしたオオミヤはイシダ―と全く用はないが一応夢子も―を、結界を越えた“本質的な不条理の領域”へと誘(いざな)ふ。本質的な不条理、と来たもんだ、対して現象的な不条理などといふのは、如何なるものなのか想像し難いが。早速まるで手加減もなく吹き荒れる武知鎮典節といふか嵐に、観客は翻弄されるばかり。オオミヤはイシダに、女郎上がりの妻・サダ(杉本)のヌードを撮影することを求める。イシダを“石田吉蔵”として初めから欲情したサダこと“阿部定”、二人は忽ちトップ・スピードで男と女の仲に。二人の情交を前に激情したオオミヤは、藪から棒に裁判の開始を叫ぶ。
 主なところで、「愛のコリーダ」をオリジナルと2000とで二本に数へれば七本目。直近では「平成版 阿部定 あんたが、欲しい」(1999/監督:浜野佐知/主演:時任歩)ともなるピンクまで含めるとなると厳密に正確なところは俄かに濃く深い霧の中に包まれても来る、一群の阿部定映画最新作として今作のある意味画期的な独自過ぎる特色は、舞台として、赤い花を口に咥へたり咥へなかつたりする学生服姿白塗りの一団を傍聴席に擁した架空の法廷を持ち出した、裁判映画といふ体裁を取つてゐる点。何が何だかよく判らない点に関しては、何が何だかよく判らない映画なので仕方がない。俄然雄弁な被告人本人まで含め双方の論戦と事実認定といふ方便で、埒の明かぬ殆ど二元論にすら近い苛烈な、然し噛み合つてゐるのだかゐないのだかは甚だ微妙な応酬と、ランダムな場面の展開とが容認される、といふか強行される。逆説的な物言ひにもなりかねないが、新味には別に欠けるといふだけの意味でポップなアヴァンギャルド劇は、実はかつては金井勝に師事してもゐた望月六郎にとつて一種の原点回帰といふよりは、「IZO」(2004/監督:三池崇史/原案・脚本:武知鎮典/スーパーバイザー:奥山和由/主演:中山一也)と暴力に徹するか性愛に特化するかの違ひがあるだけで遣り口はほぼ同じところから見ると、全ては武知先生のフォースの為せる業、と見做すのが最も相当なのであらう。個人的な立場としては、基本的にかういふ娯楽性を何処かに置き忘れた独善的な映画を好むところではないのだが、この御時勢に、一年タイミングが遅れれば通らなかつた企画であるやも知れぬと思へばそれはそれとしてチャーミングでもあり、意識的に棒立ち状態でのノーガードな撃ち合ひが要求を通り越して強要される今作の中にあつて、水を得た魚の如く暴れ回る内田裕也の姿には、一ファンとして手放しの喝采も送るものである。別に杉本彩も望月六郎も、勿論武知大先生にも特に心惹かれるでもなく、単純に裕也だけ目当てに観に行つた身としては、あくまでその限りに於いては満足出来た。台詞の中身は最早兎も角、拳を力強く前に突き出し叫ぶ裕也の姿だけで、俺は木戸銭の元が取れる。
 大局と極私的な男女の愛憎との対極、といふ恐らく狙つてゐたのではあらう意図はまるで活きて来ない二・二六事件パートには、風間トオルと本宮泰風とが青年将校として見切れる以外の意義は見当たらない。立ち居地は明言されないゆゑ不鮮明ながら、法廷にて検察官(村松)に半ば対立するやうな形でサダの姿に一定の理解も示す哲学博士(阿藤)と、開廷前段でサダを正体不明のローション診察する医師(斉藤)とが振り回す、今時牧歌的な利己的遺伝子論には腰も砕けるが、更に強烈なのは、当初は既に服役も終へたサダの存在自体の是非を問ふ裁判―それもそれで一体全体どうなのよといふ話でしかないのだが―であつた筈が、結審時には気が付くと石田吉蔵に対する殺人と死体損壊とを問ふ、大元の刑事裁判と化してしまふ破壊的な御愛嬌。そんな御機嫌な法廷を司る裁判長役は江守徹で、煙に巻かれ通した観客に止めを刺すのが友川カズキだなどといふ絶妙な配役と選曲とは、いつそ天才的ですらあらう。スラッシュならぬ絶叫フォーク禅問答は、かういふハッタリ映画を締め括る主題歌としての出来栄えは別の意味で、より直截には明後日の意味では百点満点。底の見事な抜け具合は、天晴とすらいへる清々しさである。109分といふ尺は、途方もなく長くも感じられたが。

 菅田俊は、阿部定を取り調べる刑事、兼サラシ姿の似合ふ憂国の青年将校。闇雲にオッソロシイ高瀬春奈は、石田吉蔵の本妻・オトク。山下徹大は菅田俊の取調べを受ける、オオミヤの以前にサダを囲つてゐた立憲政友会何処そこ支部書記長。速水健二が、何処に見切れてゐたのかは微妙に判らない。サダを連れ戻しに来た、女郎屋のヤクザ衆の片割れであつたやうな気もするのだが。


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 「派遣ナース おまかせ速射天国」(2004『ナース裏治療 舌で癒して』の2007年旧作改題版/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:図書紀芳/照明:寺田緑郎/音楽:OK企画/助監督:加藤義一/監督助手:竹洞哲也/撮影助手:川島周/効果:東京スクリーンサービス/応援:佐藤竜憲/出演:立野まゆ・新堂真美・小川真実・なかみつせいじ・兵頭未来洋・平川直大)。脚本の水谷一二三と入院患者役で見切れるノン・クレジットの姿良三は、小川欽也の変名。照明助手に関しては力尽きる、もうボロボロだ。
 東西病院理事長の浜崎京子(小川)は、夫は既に亡く、自身の病院に勤務する精神科医の小山祐二(なかみつ)とは男女の関係にもあつた。京子の一人息子・剛志(兵頭)は極度の女性恐怖症をこじらせ引きこもり、小山が担当してゐた。京子は小山に、剛志のため誰か通ひの看護婦を見繕つて呉れることを求める。一方、仲良し看護婦二人組の宮田信子(新堂)と河合由紀(立野)はともに、若手医師の立花良夫(平川)を狙つてゐた。立花は年上の事務員・和子(全く登場せず)と結婚してしまふが二人は未だ諦めずといふか懲りず、信子と立花が夜勤の夜、立花が仮眠を取る宿直室に盗録テープを仕掛ける。図らずも、立花は和子と大胆なテレフォンSEXを仕出かす。天衣無縫、といふ言葉もが想起されることは兎も角、聞き耳を立てる内に思はず催し自慰に溺れた信子は小山に見付かり、何だかんだの勢ひで浜崎家に剛志の看護で通ふことになる。さういふ次第で暫く病院には出て来れない信子から盗録テープを譲り受けた由紀は、それをネタに果敢なアプローチを立花に展開する。詰まるところは一種の、といふか明白な脅迫でしかない訳だが。
 改めて数へてみたところ、感想を書くのも都合二十本目にして、漸く小川欽也の映画手法の要点に辿り着き得た、やうな気がする、気を迷はせただけなのかも知れないが。話を戻すと小川映画法を理解する際の肝とは、流れる水の如き、自由さでも味はへば?といふものである。それは要は物語が一定の形を保ち得ないといふことと、限りなく常にに近く概ね高きより低きに流れるといふだけである、などといふいはずもがなはこの際等閑視してしまへ。今作に於いても、ビリング自体は確かに立野まゆがトップの筈なのだが、立花との濡れ場一度きりの由紀に対し、対小山戦もこなすことに加へ、浜崎家に入つてからがたつぷりと尺も費やされる、信子役の新堂真美の方が断然実際の活躍度は高い。信子との心も体ものふれあひを通して次第に快活を取り戻して行く剛志に対し、他方では実は未だ子離れ出来ぬ京子が自分の手の中から息子が飛び出して行くことへの焦燥に駆られる、といふ対照的な展開は小川欽也にしては上出来過ぎて何だか気味が悪い、なんて感心してみたりなんかしたのは見事に束の間。明言こそ避け看護婦風情を息子の嫁には認められぬといふ傲慢な京子の意のままに、剛志が結婚まで切り出しておきながら信子はといふと二つ返事で別れを受け容れたりする辺りは、矢張り何時もの小川欽也だ。引き裂かれた二人、といふ悲恋物語にすら演出せず、徹頭徹尾剛志が放り出されたままで終りといふ呆気なさは、グルッと回つて最早感動的でさへある。観客のエモーションを一体何処へと誘導したいのか、などといふ以前に、そもそもさういふ要を認識すらしてゐまい。そんなこんなで信子は病院に戻り、由紀と再会する。首尾よく立花との一夜を過ごし御満悦の由紀に対し、信子はひとまづ剛志を快方に向かはせた功を買はれ主任に昇進してゐた。といふ御機嫌なシンメトリーは、そこに至るまでの物語の軸足は全く定まらないが、幕の引き方単体としては、画期的にスマートな部類に入らうか。それでいいのか?といふ疑問に関しては、だからさて措くべきだ。

 そんなこんなで。実も蓋もケシ飛ぶが直截にいつてしまへばルーズな今作にあつて、信子と由紀双方に対し、バランスの取れた活躍を見せるのが平川直大。信子の箍の外れた誘惑に対し、立花はまるで取り合はない件。信子は自らナース服の裾を臍の辺りにまでたくし上げ、階段を上がつて来る立花を待ち伏せする。すると立花は、「おいおい、宮田君丸見えだよ」とかいひながらあつさり通り過ぎる、だからそれどころぢやないだろよ!無作為が前衛の領域にまで到達しかねない点については、最早立ち止まつた方が負けだ。まんまと今回も、私は小川欽也に負けてしまつた訳だが。連敗記録も絶賛更新中である。他方、由紀に対しては。由紀は信子の盗録した和子とのテレフォンSEXの模様を収めたテープをダシに、立花に一夜の関係を迫る。すると立花は「参つたなあ」と困惑してみせる素振りを見せながらも一呼吸すら置かずに、「参つたなあよし!」。何が「よし!」なんだよ!ただここで、字面からのみではてんで伝はらぬかとも思へるが、この「よし!」の一言に込められる不思議な納得すら喚起させかねない妙な力こそが、平川直大持ち前の突進力であることを、さりげなくここに主張したい。もうひとつ、立花の好きな台詞。立花は由紀と過ごす夜を、和子には手術と偽る電話を入れる。何の手術なのかと由紀にからかはれた立花は、ニタ~と笑ひながら「女体解剖」。かういふベタな台詞もそれはそれとして定着せしめる桃色のポップ感も、平川直大の主力装備のひとつ。
 小川欽也の、流れる水の如き自由なピンク。観る者をストレスフリーな状態にさせて呉れる映画ではなくして、ストレスフリーを体現した映画。ブンポー、何それ美味しいの?キショーテンケツ、誰それ書道の上手い人?小川欽也の映画みたいに生きられれば、もう少しは楽になれるのかも知れないのにな。そんな風にでもいへば、限りなく困難にして殆ど唯一の、小川映画積極的評価への途が拓けても来ようか。何でそこまで、生暖かい歪曲を骨折らねばならないのかはよく判らないが。
 ところで新題、“速射”してちや駄目だよな。何処から何処までツッコミ処に事欠かないのか。


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 「レンタル家庭教師 わいせつな行為」(2000『美人家庭教師 むさぼる内股』の2008年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:佐々木乃武良/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文男/照明:池田義郎/編集:金子尚樹 ㈲フィルムクラフト/撮影助手:竹俣一・儀間真悟/照明助手:柳勝寿/助監督:奥渉・笠木望/製作担当:真弓学/ヘアメイク:パルティール/スチール:本田あきら・伊藤久裕/タイトル:道川昭/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:冴木椋・風間今日子・里見瑤子・岡田謙一郎・木村祐介)。
 明るい陽光の差す電車に揺られ、田舎駅に降り立つ女子大生・間名瀬葵(冴木)の姿に、濡れ場が被さる。関係を持つゼミ教授・緒方圭介(岡田)に事後頼み込まれた葵は、高校中退後大検を目指してゐるのか、ロケーション的には水上荘でもある緒方の実家で受験勉強に励む、息子・優の家庭教師を受け持つことになつたのだ。それはそれとして、太陽の方向に左右されたカメラ位置によるものやも知れないが、ホームの葵は駅舎とは逆方向に歩いて行つてゐないか?
 人気のない水上荘に、葵はとりあへず上がり込んでみる。緒方のものと思しき部屋で感慨に浸り、二階へと向かふ。何者かの視線を感じた葵が窓の外に身をやると、虚ろな風情の優(木村)が屋根の上に膝を抱へ座つてゐた。優の隣に行かうとした葵は、足を滑らせ落下する。そこに現れたのはお手伝ひの寺田光恵(風間)、思春期の息子がゐる家に、人選があり得ない。打ちつけた腰に湿布を貼つてやりながら、光恵は性的関心を憚らぬ視線を葵の肢体に注ぐ。
 主演女優の冴木椋は一応当代の人気AV女優ではあつたらしく、中々パンチの効いたオッパイとそこそこのスタイルは誇りつつも、明白な首から上に加へ、立ち姿や身のこなしがどうにも微妙に覚束ないところを見るに、恐らくは骨格レベルから曲がつてゐる。対する俳優部主役の―ここでの中島はもつと活き活きしてゐたやうにも覚えるものだが―今作に於ける木村祐介はといふと、サッカーをやつてゐなかつたてんで冴えない中村俊輔。弱いだの心許ないだのといふ以前の、清々しい空白のみを醸し出す。そんな二人を相手に、何をトチ狂ふたか佐々木乃武良は、初期設定の濡れ場を差し引けば堂々とした大純愛物語を展開しようだなどと、途方もない釦の掛け違へを仕出かしてしまふ。何が何だか判らぬまゝに葵は葱を背負つた鴨の如く、自らは決して微動だにしようとはしない優に距離を縮める。かといつて今度は優が激しく直線的に愛を乞ひ始めると、途端に葵は拒み、水上荘から姿を消す。とか何とかしながらも結局結ばれた濡れ場では、“本当の愛”だの、「私のことだけ考へて」、「夢なら醒めないで」云々と互ひに紋切り型未満のゴミのやうな遣り取りに終始。挙句にその、ただでさへ不毛な応酬を描くのを優先し、絡みの間を飛ばしてみせたりと、然程富んでゐる訳でもない即物性すら犠牲にする始末。全く以て、不完全無欠に始末に終へぬ。履き違へた意欲なんぞ、犬にでも喰はせてしまへ。こんなザマならばおとなしく、破廉恥な家政婦と肉感的な家庭教師とに内向的な少年が桃色に嬉しい酷い目に遭ひ、最終的には大人の階段を上がつてみたりなんかする。なんて潔く純然たる単なるエロ映画の方が百倍マシで、なほかつ誠実でもあらう。持ち駒と自らの資質とへの弁へを欠いた、寒い冗談にもなりはしない綺麗な凡作である。

 里見瑤子は葵の居ぬ間に、緒方と懇ろになる葵の親友・星川瑠梨子。風間今日子と里見瑤子にエクセスライクな主演女優の脇を固めさせること自体は兎も角、完膚なきまでに形を成し得ない作劇にあつては、流石に無駄遣ひも甚だしい。大欲の人をそれはそれとして演じ抜く岡田謙一郎が、一人気を吐く程度か。この期に最早どうでもいいが、新題中の“レンタル”には、特にはも何も、欠片の意味もありはしない。全く無関係な山内大輔の「レンタルお姉さん 欲望家政婦」(2006/主演:姫川りな)との関連を、偽装しようといふ魂胆が透けて見えるのやも知れないが。


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 「新妻奴隷 強制愛撫」(1991『新妻下半身 わしづかみ』の2008年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:佐藤寿保/脚本:五代響子/原題:『DOOL』/撮影:河中金美/照明:岩崎豊/編集:酒井正次/音楽:DOOL/助監督:江尻健司/監督助手:須川修次/出演:浅井理恵・中村京子・水鳥川彩・杉下なおみ・今泉浩一・佐野和宏・伊藤清美・五代響子)。出演者中、伊藤清美と五代響子は本篇クレジットのみ。撮影・照明助手に関しては力尽きる。
 上半身は裸の上から白衣を羽織つただけにアラレちやんサングラスを合はせるだなどといふ、80年代の斜め上を行く風体の滝沢幾郎(佐野)が、セーラ服姿のエリ(浅井)を車椅子に押す。エリは幾郎のことをお父様と呼ぶが、明らかに歳は合はぬ。姉を欲しがるエリの求めに応じ、幾郎はウエディング姿のあゆみ(水鳥川)を麻酔で眠らせ拉致する。ドレスのまま式場を抜け出しタバコを吸つてゐたところといふ、あゆみの造形は少々あざといか。幾郎はあゆみに、要はいはゆる“ 汚れちまつた悲しみ”を治療するとかいふ方便で、人格を完全に払拭するべく調教も通り越した拷問を施す。この頃はほぼ手放しで香坂みゆきでも通る、中村京子は時に人間犬、時に人間食卓、そして知性を全く喪失してしまつた訳でもないのか、後のシーンでは看護婦として幾郎の助手も勤める美奈子。街を行くエリと幾郎の姿に、荷物を配送中の矢島秀之(今泉)が目を留める。三年前、当時高校生であつたエリと矢島とは付き合つてゐた。その人と判然も能はぬロング・ショットで見切れる―山ノ手ぐり子ではなく―五代響子(現:暁子)は、矢島から閉院した滝沢病院について尋ねられる女。あゆみの“治療”の名を借りた度を越した馴化には失敗し、新たな姉を調達するべく今度は公園でマンガ本を読んでゐた智子(杉下)を連れ去るエリと幾郎を、尾けてゐたのか矢島は目撃する。
 時期の問題かも知れないが、私はさういふ世代のピンクスではないことと、昨今の至らぬ体たらくからはいよいよその残滓に止めを刺されつつもあらうが、ざつくばらんにいふところの国映過大評価の悪弊に対しては一貫して否を唱へ続けて来たものでもあるので、ここはひとまづ、ピンク四天王に関しては概ねスルーする。まあ構はぬではないか、瀬々も映画の撮り方覚えてゐないみたいだし。さういふいはばフリーな態度で、改めて一本の映画として観てみたところ、画面が終始明る過ぎるものの、主にあゆみ・智子らに対する拷問シーンは、桃色の実用性の有無に関しては個々人の素養ないしは性癖にも大きく左右されようが、表面的な描写のハードさも、その奥底の歪みぷりも申し分なく、十二分に見応へがある。画面の明るさに阻まれ重量感には些か欠くやうにも思へるが、そこの部分は会社のカラーであるのかも知れないところなので、一旦はさて措く。その上で、苛烈な女体陵辱で尺を繋ぎながら、そこにリエとの過去を共有する矢島を放り込み、矢島を動因にエリと幾郎、そして幾郎の妻・祥子(浅井理恵の二役)を加へた閉ざされた過去が明らかとなる展開は、思ひのほかスマートによく出来てゐる。エリ・幾郎・祥子の複雑な関係を丁寧に説き明かして行く手法は素晴らしく鮮やかで、手放しで感心させられた。もつと我の強い映画かとも思つてゐたが、これならば、普通に観てゐれば特に人を選ぶといふこともなからう。敢て注文をつけるとすると、水鳥川彩か杉下なおみのポジションに、一人オッパイの大きな女でも連れて来て即物性も補完されてゐたならば、より一層映画が力を得てもゐたのではなからうか。主演の浅井理恵も間違つても大きな方ではないが、この人の場合、そもそもそのやうな要素など問はれるべきではない。初めは単なる我儘な小娘と思はせておいて、物語の核を為す三人の過去が説き明かされて行く件辺りから、可憐な女子高生であるエリと、十分に大人の女である祥子とを万全に演じ分ける高いスペックと、なほかつ最終的には劇中世界を掌握してみせる決定力とが抜群に素晴らしい。後々と殆ど変化が見られない今泉浩一と、現在の方がよりいい男に思へる、当時は未だ線の細さを感じさせる佐野和宏とを共に文字通り従へる、浅井理恵の主演女優ぶりは見事の一言に尽きる。弾けるところでは思ふがままに弾けつつ、物語を収束させる段では巧みな手腕を冷静に発揮する演出と、磐石のビリング・トップとが綺麗に噛み合つた、一見暴力的あるいは過激に見せ、最終的には洗練された娯楽映画の佳篇である。
 本当に出て来るのか本気で不安にさせられた、伊藤清美はラスト・シーンに際してリエと、矢島とに拉致される女子高生。

 伊藤清美が女子高生?

 といふアナーキーな無茶に関しては通り過ぎろ、当時既に三十路も跨いでゐる筈だが。その点を力技で回避しようともしたのか、オーラスでは包帯でグルグル巻きにされた伊藤清美―無論、伊藤清美もへつたくれもないが―を、車椅子に乗せ新宿の副都心を連れ回すといふ迫力ある荒業も見せる。オープニング・クレジットを観た時点では、個人的には山ノ手ぐり子との姉妹役を期待してもみたところであるのだが。仮にその場合に、どちらが姉役になるのかはよく判らない。

 一箇所詰めきれてゐないのは。あゆみに対する―形だけの―剃毛シーンがあるのだが、そこは国内法の規定に挑戦する覚悟で、ギリギリの領域まで実際に剃つてみせたところを見せるべきではなかつたか。時期的には前後するが、旦々舎に遅れをとつてよしとする、獅子プロではあるまい。


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 「美肌家政婦 指責め濡らして」(2004/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:吉行由実/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:城定秀夫/撮影助手:岡部雄二/照明応援:坂井高明/演出助手:内藤和之・西村太郎/制作:小林徹哉/音楽:村山紀子/ポスター:白汚零二/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:縄文人・田中康文・佐藤選人/製作協力:長野ニュー商工/出演:麻田真夕・紺野美如・佐倉萌・白土勝功・中村方隆)。
 長野ニュー商工の映写室、35ミリ映写機の傍らに立つ映写技師・成瀬壮一(中村)と、少し離れた食べかけの蕎麦をカメラが舐め、客席には数人の観客に、浴衣姿の紺野美如。一日の上映を終へ、自転車で帰宅する成瀬の後姿を、浴衣の紺野美如が見送る。成瀬は一人住まひ、妻・春江を若くして亡くし、男手ひとつで育て上げた一人娘の美恵子は、既に結婚し東京へ出てゐた。食後薬を服用しつつ、成瀬は昔撮つた8ミリで、在りし日の妻と幼い美恵子(子役不明)の姿を懐かしむ。一方、美恵子(佐倉)は夫婦生活中、濡れ場までこなすものの、出演者クレジットのない荒木太郎が美恵子夫。一段落ついたところで、成瀬が倒れたとの報が入る。成瀬が倒れるのは、初めてではなかつた。仕事を持ち長野に帰れない美恵子は、入院中の父のために家政婦を手配する。病床の成瀬を、美恵子が手配した家政婦・倉沢あかね(麻田)が訪ねる。ファースト・カットから始終火を噴き続ける、麻田真夕持ち前のしやんとした佇まひは狂ほしく超絶。映画全体の静かな輝きを、時間をも超えんばかりの勢ひで加速する。程なく退院後もあかねは成瀬の家に通ひ、やがて家が遠いからといふ申し出で、住み込むやうになる。あかねのキンピラに、成瀬は亡き妻の味を思ひ出す。望まれた成瀬は妻娘の8ミリを見せるも、それを見てゐたあかねは急に気を失ふ。その夜、成瀬は春江を抱く夢を見る。紺野美如の濡れ場は、相変らず殆ど上達してはゐない。フと気付くと腕の中の春江があかねに変つてゐたのに、成瀬は夢の中で慄く。
  全国小屋ロケ行脚御当地映画シリーズ第五弾は、手数は少なくオチも見え見えのファンタジーとはいへ、なほのこと一点の曇りもない、堂々とした正攻法で撃ち抜かれた見事なマスターピース。あかねは都合二度、成瀬に秘密を自ら明かす。一度目は映写室、上映される往年の名画に仮託し、あかねは成瀬に半ばの告白をする。二度目は何処かしらの湖畔、成瀬は戯れに8ミリをあかねに向ける。激しく拒んだあかねは、卒倒しかけながらも姿を消す。あかねの姿を追ふ成瀬、二人は、急な通り雨に見舞はれる。逃げ込んだ山小屋には、かつて成瀬は春江と栗拾ひの途中立ち寄つた過去もあつた。あかねはいふ、「この小屋、まだあつたんですね」。
 バンドマンがライブ会場を“ハコ”と称するやうに、“小屋”とは即ち、映画館を指す。最終的にはクソの足しにもならぬ束の間であつたとて、それでも人生は矢張り長く、苦しい。その寄す処となる美しい思ひ出を愛しき人の記憶を、今作が映画と、そして映画館とに預けたのであれば。その愚直あるいは誠実に応へるには、真つ直ぐな方法論に拠るほかないといふのが、恐らく唯一の正解なのであらう。蒸し返すが平素大嫌ひな荒木太郎は、普段大嫌ひであるところの所以の、ストレートなエモーションの妨げとなる目障りな趣味性や機能しないばかりの意匠を今回は一切排し、儚くも美しい一時の再会を、力強く美しく描き上げることのみに全てを捧げた、渾身のオーソドックスを展開する。嫌ひな監督の映画であるからといつて、自動的に駄目であるなどといふ莫迦があるものか。素晴らしいものは、矢張り素晴らしい。荒木太郎の、最高傑作ですらないかしらん。濡れ場を差し引くと薄くさへある物語ともいへ、初期設定で六十分の小篇であるピンクにとつてはジャスト・フィット。余計なものの不在は、美しさを一層純化する。終に山小屋の中、成瀬はあかねと結ばれる。唯一の濡れ場で名匠清水正二の必殺が捉へた麻田真夕の姿は、正しく幻想的で心を震へさせられる。濡れ場を規定されたノルマとしてではなく、濡れ場があるからこそ、更に映画として際立つピンク。折に触れ荒木太郎が口にする理想は、ここに結実し得たのではないか。

 一点惜しかつたといふか欲しかつたのは。美恵子は部下、兼不倫相手の結城(白土)を伴ひ長野に出張したついでに、父親宅へも立ち寄る。美恵子の首に残る不貞の痕跡を目敏く見つけたあかねは、これ見よがしなまでの旦那への土産を美恵子に持たせる。それは怠惰であると斥けるストイシズム、もしくは悪意混じりのリアリズムも酌めぬではないが、娯楽映画の王道といふ視点からは、素振りだけでも、夫に対する美恵子の改心があつて然るべきではなかつたらうか。アクションは兎も角受け取る側の問題として、成瀬には告白を果たしたあかねが、美恵子は殆ど通り過ぎてしまつてゐる。<>であるのと同じやうに、<>でもある筈なのに。
 あかねに持たされた弁当を冷やかす成瀬の同僚は、矢張り俳優部的にはクレジットレスの小林徹哉。


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