真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「祇園エロ慕情 うぶ肌がくねる夜」(2009/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:創優和/助監督:竹洞♀哲也/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/監督助手:島秀樹/撮影助手:高橋舞、他一名/スチール:佐藤初太郎/音楽:與語一平/現像:東映ラボ・テック/協力:城定秀夫・野村愛子、他二名/出演:椎名りく・大野ゆか・小川真実・岡田智宏・丘尚輝・東春樹・久保田泰也・久須美欽一)。
 “姉三六角蛸錦”で御馴染みの、京の通り名の歌の歌詞を口ずさみながら、高三の綾部彩乃(椎名)が京都の町並みをポップに歩く。それはそれで、観光映画としては百点満点の清々しさではある。こゝの編集は明確にこなれてゐないが、僅かに前の時制の京都駅ホーム待合室、外に出る彩乃が入らうとした人の鼻先で扉を閉めてしまふ、正直微妙なタイミングでタイトル・イン。
 少し前の東京、綾乃は羽目外しに頭を抱へる。もういい加減、ムンクの「叫び」を真似るコメディ演出は基本的に禁止にしないか。校内一の優等生・桂川恵介(久保田)からラブレターを受け取つた綾乃はぬか驚喜するが、手紙は彩乃宛てでなく、ドジな親友の久御山未来(大野)に託けられたものだつた。ひとまづ未来が恵介と付き合ひ始め、万事に於いて未来の優位に立つてゐないと気が済まない癖に、実は未だ未経験の綾乃は焦る。そんな折、たまたま声をかけて来た先輩大学生・高瀬川旬(東)を介錯人に、綾乃は投げ売るやうに処女を捨てる。透谷先生のお怒りに触れ雷にでも打たれればいゝ、といふ点に関して個人的に拘るつもりは別にない。重ねた懇願も無視し故意犯的に高瀬川から中に出された彩乃の、生理は遅れてゐた。もうひとつ個人的には、どうして高瀬川が斯くも自堕落にリスクを背負ふのかが、激しく理解出来ない。妊娠の不安に慄きそれどころでない彩乃が未来の持ちかけた相談を無視する伏線を経て、未来の母親(多分、加藤姓から改まつた野村愛子か?)が、更なる悩み事の種を持ち込んで来る。どうやら京都に向かつたらしい形跡を残して、未来が家出したといふ。離婚後看護婦として片親で未来を育てて来た母親は、仕事で東京を離れられないゆゑ、代りに責任を感じぬでもない綾乃が一路京都へと旅立つ。ところでルックス的には今時いはゆるお兄系のイケメンで、声が江端英久似で名前は城春樹にも似た東春樹は、薔薇族ショーの常連出身であるらしい。
 明けた今年でエフジューだといふのに、かういふ役を些かの痛痒も感じさせずこなせるのはある意味凄い岡田智宏は、余所者風情全開で京の町に降り立つた綾乃を戯画的な2.5枚目の軽やかさでナンパする、自称“四条のドンファン”こと東山銀一。未来の写メを見せられ尋ねられた銀一はホテルで寝たよと仕方のない嘘をつくが、未来を知る綾乃からは秒殺どころか瞬殺で見破られる。貫禄をも漂はせる小川真実―大体この人に至つては、幾つになるのか―は、銀一の伯母で置屋「義いち屋」の女主人・宇治清子。この「義いち屋」の表看板が、ありもののグレードで立派に出来てゐるのだが。一時的に改心したのか、綾乃に袖にされたのち、銀一は一人で未来を探さうと奔走する。さうしたところが何と「義いち屋」に、未来はゐた。結局芸妓と駆け落ちし現在は再び行方不明なものの、死んだものと思つてゐた父親・京極和夫(丘)が、清子との関係は一欠片も説明されないまゝに、「義いち屋」に逗留してゐたのだ。何気なく設定が洒落にならない久須美欽一は、長い入院から退院したばかりで「義いち屋」上得意の、花山ならぬ嵐山大吉。嵐山の快気祝ひの席に、芸妓を連れ去つた父親の罪滅ぼしの意も含めて、俄仕込みの舞妓として未来が出撃することになる。その置屋には他に誰もゐないのか、といふツッコミはとりあへず禁止だ。
 2トップ体制の主人公とはいへ一応ビリングは二番手の大野ゆかが、ほんわかした持ちキャラが未来の天然ボケの人物造形に、色も白くまるでお雛様のやうな純和風の顔立ちは、古都の空気に綺麗に馴染む。それだけに、大変申し訳ないが椎名りくが甚だ邪魔に感じられる。父を尋ねてゴーズ・キョートな未来が、親の因果が子に報ひ舞妓修行に奮戦する。といふ展開の一点突破で、別に全く問題なかつたやうにしか思へない。折角の未来の物語が、清子の濡れ場を京極相手にこなしてなどもゐる内に、通り一遍にやり過ごされてしまふ以前に、ラストを飾るどころかミソをつけてゐるやうにさへ映る落とし処のぞんざいさを前にしては、綾乃の初球ホームランの懐胎疑惑なんぞ、積極的に余計ではなからうか。それはあくまで結果論でしかなく、大野ゆかのピン・ヒロインでは矢張り心許ないばかりであつたのかも知れないが、基本設計からの瑕疵が如何ともし難く響いた一作といはざるを得ない。
 そもそも椎名りくに話を戻すと、東京・京都両篇に於ける彩乃の振り撒く狂騒の鼻につきぶりを見るにつけ、端的にいふと国沢実に続き加藤義一も爆死したとの感が強い。考へてみれば、撃墜女王・椎名りくの華麗なる戦績は、名義を変へ更に坂本礼へと続いて行く訳だが。となると彩乃絡みのシークエンスの、加藤義一にしてはらしからぬ散らかり方は、即ち寧ろ椎名りくの持つ強い磁場ともいへるのか。さう踏まへると主演ではなくあくまで助演といふ事情もありつつ、ともあれ「厚顔無恥な恥母 紫の下着で…」(2007)に於いて曲者リックドムを無事乗りこなしてみせた、山内大輔の地味ながらタフな功績は今更にしても光らう。

 さりげない違和感がされども強いのが、嵐山のアフレコは久須美欽一ではなく、何故だか丘尚輝がアテてゐる。このことは当初から既定であつたのか、因みに京極に台詞は与へられない。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「痴漢と人妻 熱いしたゝり」(2005『痴漢妻 したゝる愛汁』の2009年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:廣田幹夫/脚本:高木裕治/企画:福俵満/プロデューサー:黒須功/撮影:下元哲・岩崎智之/照明:高田宝重/録音:シネキャビン/編集:大永昌弘/助監督:飛田一樹/撮影助手:中村拓/衣裳:杉本京加/ヘア・メイク:嶋津奈央/スチール:奥川彰/車輌:山下雅之/ネガ編集:三陽編集室/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/制作協力:黒須映像工房/出演:小島三奈・阿当真子・藤田浩・江沢大樹)。出演者中阿当真子が、ポスターには合沢萌。改名後の、同一人物ではある。本クレが杉本まことで、ポスターはなかみつせいじといふのと同じ格好。
 裸の女の体の上を、電車のオモチャが自走気味に走る開巻。動力源が特に見当たらないのをみるに、フレーム左右の袖から指で押し引きしてゐるのであらう。
 テレビ番組といふ寸法なのか堂々としたキネコによる、街行く女々に痴漢体験の有無を尋ねて歩くインタビュー。何れも元ネタは判らないが―ピンクの予算規模からして、ここまで撮つてゐるとは考へ難い―電車痴漢もののAVを挿入した上で、もしかするとここだけ新撮か、顔にはモザイクのかけられた“痴漢のプロ”登場。藤田浩の声でプロは、現代社会に蔓延する孤独感を嘆いた上で語る。痴漢とは、「人と人との触れ合ひを確認する」営みであると。仮にこの件も声を被せただけならば、どうせアフレコなのだからといふ話ではあるのだが。
 WEB上のコラムを主戦場とするフェミ系フリーライター・葵真由子(小島)は、編集長・土方寛(江沢)から提供されたネタに目を輝かせる、ついでにオッパイも膨らませる。十年前に発売されたアダルトビデオ「痴漢列島」に出演するプロ痴漢が、昨今経営不振の東都電鉄を買収したことでも話題になつた、新興IT企業「ライフゲート」社長の松江一政(藤田)と同一人物ではないのかといふのだ。忌むべき性犯罪者に正義の鉄槌を下すと同時に、記事の出来の如何によつては、本誌掲載もあり得るといふ土方の言葉に真由子は俄然意欲を燃やす。妻で一応ミステリアスな美女・みどり(阿当)と二人暮らしの松江を自宅に訪ねた真由子は、その遣り取りに割ける尺にも限りがあるとはいへ、取材開始するや性急に“痴漢のプロ”に関する本題を切り出し、勿論その場は早々に決裂する。真由子が屋敷を後にすると、吊革も垂らし電車の車内を模した一室で、松江はまるで電車痴漢するかのやうにみどりを抱く。特別室の安普請さが、逆にリアルだ。
 腰から下で観る分には特に不足はないものの、一旦首から上を使ひ始めてしまふと疑問も多い一作。まづは何はともあれ、松江の正体を割るのが早過ぎはしないか。折角ユニークなプロットながら、序盤で焦点の筈の疑惑にケリをつけてしまつては、サスペンスとして全く成立しない。よしんばさういふ志向では初めからなかつたものとしても、結果的に以降がさしたる新機軸も生み出せぬまゝに、濡れ場濡れ場を連ねるほかなくなつた手詰まり感は禁じ得ない。「痴漢は人と人との繋がりだ」とかいふ松江の豪快な方便を、物語の中に十全に着地させる論理にも気前よく欠いてゐる。ピンクスである時点で徒に女子供に腰を振つてみせるやうなつもりは毛頭ないが、至極当然な真由子の露にする反発に対し、“嫌よ嫌よも”でもなからうに、触られれば気持ちがいいのではないのか?だけではてんで形にならない。松江夫妻による真由子攻略戦に於いて、女性主義者である真由子は、性愛の対象も同性であつたと思はせかけた展開は束の間光つたが、後々真由子は土方と寝てしまふ以上、この趣向も意味を成さない。
 それ以上に画期的に頓珍漢なのが、オーラスに於いて真由子がWEBコラムを介して送る、ネット社会の成員達に対してのメッセージ。生身の人間関係を築くやう勧め、そのためには、「ただ、人に触れればいいんです」ださうだ。大胆などんでん返しを経て、真由子が見事松江陥落に成功したのかと思へば、結局感化されてゐたのには変りがなかつたのか否かがグダグダに不鮮明である点に加へ、廣田幹夫が何を明後日に張り切つてか、ピンクを通して電脳空間の住人に訴へかけようとしてゐるのかが清々しく判らない。主要客層をおとなしく鑑みれば、それは暴投に過ぎないのではなからうか。大体が、近代の延長線上にある現代人が確かに孤独であらうことに疑ひはないとしても、その空白乃至は欠如に際しての、オン・オフの別など単なる形式論に過ぎず、ラインに繋がつてゐるか否かと、孤立に苛まされてゐる苛まされてゐない、あるいは忘れてゐるかの四類型に基く更に幾分かは詳細な整理も、だからどうすればよいのかといふ実質的な意味はさして持つまい。それでゐて紐帯の強い共同体に放り込めば放り込んだで、今度は個人の喪失を嘆き始めるにさうゐないのだから、全く以て始末に終へぬ話ではある。

 話を戻すと全四作の廣田幹夫ピンクにあつて、それでも今作が最もこぢんまりとはいへ裸映画として纏まつてはゐるとはいへ、バジェットも最小であつたのか、撮影の不安定さがそこかしこで目立つ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「わいせつ性楽園 をぢさまと私」(2009/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:大河原ちさと/撮影:飯岡聖英/助監督:田辺悠樹/制作担当:池田勝る/撮影助手:橋本彩子・関根悠太/メイク:堀川なつみ/スチール:つちやくみこ/タイミング:安斎公一/編集:酒井正次/ダビング:シネキャビン/出演:水無月レイラ・野上正義・里見瑤子・山口真里・金子弘幸・吉川けんじ・蘭太郎)。
 上野(野上)は御年七十、日本人男性の平均年齢七十八歳までは後八年。七年前に一切登場しない妻を最終的には脳にまで転移した癌で亡くし、現在は次女で総合職のOL・明美(山口)と二人で暮らす上野は、弥生町三丁目交差点の近くで、DV彼氏・ケンジ(金子)とバイオレンスな痴話喧嘩の真最中のマリカ(水無月)と出会ふ。ところで馴染みの薄い主演女優の水無月レイラであるが、例へば誰に似てゐるのかといふとペニシリンの(元)ベースにソックリだ。その場はケンジから匿ふ流れになるところまではいいとして、挙句にパニック障害の発作を起こしうづくまつたマリカを、上野はひとまづ自宅に連れて帰る。ケンジとは判れたもののかといつて他に行く当てもないマリカは、明美は出勤時からの予定で仕事とやらで会社に泊まり、実家に帰つて来る筈の嫁に出た長女・由紀(里見)も友達の家に泊まるとかいふのをいいことに、結局そのまま上野の家に一泊する。翌朝、上野が切らしたタバコを買ひに出た隙に、帰宅した明美はすは老親の火遊びかと脊髄反射でマリカを追ひ出してしまふ。持病の常服薬・パキシルを台所に置き忘れて来たマリカを、上野は追ひ駆ける。母親の交際男(友松直之の役得)に手篭めにされ、以後半ば寝取るやうな状態になりつつそれが原因で家出。以降は種々の風俗を渡り歩きトルコのボーイのケンジと暮らし始めた身の上話を、案外あつけらかんとマリカは上野に語る。セックスは決して嫌ひではなかつたが、パニック障害はその流浪の過程で患つた、マリカの腕にはリスカの痕もあつた。
 共に清々しい男優部濡れ場要員の吉川けんじと蘭太郎は、吉川けんじが、旦那には実家に帰ると偽りラブホテルに外泊する由紀の、不倫相手のテニス・コーチ。蘭太郎は仕事と称して深夜のオフィス・ラブ一大正面戦を展開してみせる、部長である明美のバター犬部下。同時進行する姉妹の熱い夜が交互かつ怒涛に挿入される件が、今作に於ける桃色方面の最高潮。その他出演者としてクレジットは全くない上で、風俗でのマリカの客、マリカを輪姦すケンジの悪友、が三人。それに女の子+目を離したお父さんと、重複してゐる者もあるやも知れぬがピンク映画にしては割と大勢見切れる。
 ハイライトがアバンタイトルとして置かれもするものの、マリカと上野の唯一度きりの情交は、何時まで経つても本丸には突入しない。里見瑤子と山口真里の絡みも、姉妹それぞれの情事がエクストリームに交錯する一幕のみ。上野の淫夢とマリカの回想中で随時消化しながらも、観終つた後よくよく考へてみれば意外と実は女の裸比率が低い今作に際し、少なくともピンク的には前作にしてサイバーパンク・ピンクの最高傑作「メイドロイド」に於いて完成させた方法論を、今回も友松直之は踏襲する。中身は肩の力を抜いた無常観もしくは陽性の苦労話といふ形で、主には主人公二人によるひたすらな対話によつて始終を紡ぐ。さうなると名優ガミさんには勿論一欠片の不足もないまゝに、正直容姿と同様何処かしらぎこちない、水無月レイラの長台詞には苦しさも覚えぬではない。ところが終盤の感動的に大胆なミス・リーディングを経て、ピンクといふ次第で濡れ場も利したダイナミックな幻想あるいは美しい奇跡を導入するや、穏やかでありつつも同時に力強い、大らかな人生賛歌へと綺麗に着地してみせる終幕は他を圧倒して素晴らしい。間違つても楽観的ではない状況の中で、それでも友松直之ここにありきを叩き込む、人情ピンクのウルトラ強力な傑作である。

 尤も、ひとつどうしてもツッコまざるを得ないのが。上野がマリカから導かれたナウな(笑)若者文化といふのが、オレンジレンジといふのは如何せん古過ぎる。ただでさへCDも売れぬ売れぬと喧しい昨今にあつて、なほかつピンクの主要客層に伝はる落とし処とはそれならば果たして何処なのか、といふとそれもそれで中々以上に難しいところではあるのだが、それにしてもオレンジレンジはあんまりだ。リアルタイムのチャートには遠く既に名前はなく、加へて直截にいふならばそれを超えて残るバンドでもない。この辺りの感覚の古さは如何にも活動屋、といつてしまへばいへなくもないやうな気もするが、それならば更に遡らうともX JAPAN辺りの方が、まだしも引合としての強度を有してゐるのではなからうか。もうひとつ“をぢさま”の元ネタにわざわざカリ城のクラリスを引張つて来るギミックも、別に不要なやうにしか見えない。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「肉体秘書 パンスト濡らして」(2005/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/企画:福俵満/撮影:長谷川卓也/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:田中康文/監督助手:中川大資/撮影助手:斎藤和弘・平原昌樹/スチール:山本千里/照明応援:茂木孝幸・金沢雄大/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:池田こずえ・華沢レモン・山口真里・本多菊次朗・竹本泰志・樹かず・山ノ手ぐり子・津田篤・神戸顕一/特別出演:佐々木麻由子・後藤大輔)。
 プロジェク太上映の地元駅前ロマンにて、インターフィルムよりリリースされたVシネ題「肉体秘書~パンストのしたたり~」の形で観戦後、以前に書いた感想があまりにも出来が酷いゆゑ全面的に改稿したものである。

 認知症の母親がホームヘルパー・タカハシユカリから現金や預金通帳を盗まれたと、ヒステリックな山ノ手ぐり子(五代暁子の女優名義)が二人連れの刑事に訴へる。画面向かつて左側の、小沢仁志チョイ似の刑事1が後藤大輔で、山ノ手ぐり子の剣幕に食傷しつつ渋々メモを取る、右側の刑事2が津田篤。とりあへずその場から逃れようと、後藤大輔が捜査を約するとともに山ノ手ぐり子に見せた容疑者の写真は、タカハシユカリとは似ても似つかぬ全くの別人であつた。何処から転んで来たのか判らないその写真の、肥えた女役が誰なのかまでは不明。タイトル・イン明けその頃、バック・ショットのみ抜かれる髪を鮮やかなオレンジ色に染めたタカハシユカリ当人は、普通の携帯電話で“組織の支部長”とやらに任務の完了した旨報告する。そんなビビッドなヘルパーゐねえよといふツッコミは、ひとまづ禁止の方向で。シティ・ホテルの一室でユカリはヘア・マニキュアを落とすと、本名・中津川フユミ(池田)としての顔を取り戻す。口跡だけで戦慄を覚えさせる池田こずえは、逆の意味で素晴らしい。
 次の仕事を探すフユミは、同居する看護婦・エミカ(華沢)と遊びに来てゐたエミカの彼氏・タカシ(樹)の勧めに応じ、弁護士・咲坂真一郎(本多)の秘書に応募してみることに。フユミにとつてはそれが驚くべき常態なのか、提出する履歴書は経歴はおろか名前さへも偽り、エミカが適当に作成する。ともあれ採用された中津川フユミ改め桜木亮子の不器用ではあれ誠実さうな様子と、ここは掛け値なく魅惑的な若い肢体の威力とに、離婚暦もあり現在は絶賛フリーの咲坂は次第に心惹かれて行く。仕事帰りのフユミに、仮面をつけた“組織”のエージェントのルナと月読(実は華沢レモンと樹かず)が接触する。支部長(竹本)の御前に通されたフユミは、タカハシユカリ時の功を労はれ月読(つきよみ)に抱かれる。喜悦するフユミに、支部長は次なる指令を下す。咲坂が栃木地裁宇都宮支部に向かつた隙に、フユミは事務所の金庫を狙ふ。咲坂の不在を知らず訪ねて来た、咲坂とかつては男女の仲にあり、現在でも仕事上の付き合ひは続く私立探偵・竹宮ユイ(佐々木)やトイレの修理に現れた青井住設の水道工事人(神戸)に脅かされながらも、天、といふか直截には虚空からの支部長の声に従ひ、フユミは現金と小切手総額八百万円相当とを持ち逃げする。惚れかけた小娘に金品を盗まれ二重に情けなく頭を抱へる咲坂に、ユイは昔のよしみで調べ上げたフユミの詳細な素性調査の結果を渡す。主演女優が登場すると良くも悪くもシークエンスが荒れてしまふ中、酒場を舞台とした本多菊次朗と佐々木麻由子による、大人の二人芝居の抜群の安定感は一際光る。
 赤頭巾ちやん自体に気をつけてな出鱈目な衣装で、フユミは脳内にのみ存在するストーカーと携帯で声高に諍ひながら歩く。それが池田こずえの私服であるならば、ある意味現実は映画よりも奇なりだ。電話の相手を訴へるとを叫んだフユミの携帯を持つ左腕を、後ろから咲坂が掴む、「こつちも訴へようか?」。フユミ―とエミカ―の部屋に乗り込んだ咲坂は、相変らず支部長からの命を受けたフユミに色々と仕方なく篭絡される。事後、晴々しく底の抜けた達成感を漂はせるフユミに対し、諸方面に複雑な表情を咲坂は浮かべる。一貫して見えない相手との会話を続けてゐるらしきフユミの姿に疑念を禁じ得ない咲坂は、“組織の連絡専用”と称した、携帯電話を模したオモチャにフユミが語りかけてゐるのに気付き愕然とする。
 純然たる裸要員の山口真里は、一息つかうと咲坂がシティ・ホテルに呼んだ、こちらも髪をオレンジ色に染め抜いたホテトル嬢・洋子。俳優部クレジットはないまゝに池島ゆたかも、フユミを診察する咲坂の先輩で精神科医の宗方役で登場する。
 統合失調症だとかで見えないものが見えたり聞こえないものが聞こえたりする主人公が、現代日本の浄化を標榜する謎の組織―但し全く実在はしない―に操られあちらこちらに潜り込んでは金品を盗む。要は現実に非ざる妄想に支配された女といふと、個人的には大好物のジャンルでもあるいはゆる「くるくる少女」ものの一篇。何が“いはゆる”なのか、アホンダラ。兎にも角にも今作に於いて特筆すべきは、池田こずえの清々しくすらある大根が、フユミの俗にいふ“デンパ系”の凄まじさを、結果的に妙な生々しさで体現してもしまふ稀に見るレベルの怪我の功名。本来ならば木端微塵にたどたどしい台詞回しが、却つて如何にもそれらしく見えもする逆説は、微笑ましく感興深い。尤もそれは池田こずえの手柄では別になく、結果論的に映画自体が形作られてゐるからにほかならず、さうなると何はともあれその偶然がラックとして機能し得るのも、自由に暴れさせておくしかない半分以上素人のヒロインに代り、佐々木麻由子を脇に従へ頑丈に展開を牽引する本多菊次朗の、堅牢な名演に依拠するところであらうところは論を俟つまい。桜木亮子の正体である中津川フユミの、更に真実に辿り着いた、辿り着いてしまつた瞬間に咲坂が見せるハッとした緊張感には起承転結の転部の要を支へる力強さが漲り、小さい芝居に際しても、とうの昔に別れてなほ、“真ちやん”呼ばはりするユイに眉をしかめてみせる件などが味はひ深い。壊れた女に中年男が惚れてしまふキナ臭くも美しいラブ・ストーリーは、十全な種明かしまで含め高いクオリティを維持する。
 その上で、とはいへ池島ゆたかがピンク映画史上に残りかねない拍子抜けをやらかしてゐるのが、「あの男はフユミのその服装に弱い」とかいふ小網座の支部長からの職務命令に服したフユミが、別室でお色直しした上で部屋に乗り込まれた咲坂を誘惑する件。どうしてフユミのハサミ男が咲坂のストライク・コースを知つてゐるのだ?といふ点に躓くのは一旦控へて、一体池田こずえがどんな破廉恥な格好で出て来て呉れるのかと期待と股間とを膨らませて―デスればいいのに>俺―ゐると、居間に戻り仁王立ちするフユミの足の隙間越しに、咲坂が「君・・・・」と絶句する。そこからカット変ると、いきなり咲坂はタンクトップをたくし上げたフユミのオッパイにむしやぶりついてゐたりなんかする。だから咲坂のツボはどんなエロ格好だつたんだよ!?画竜点睛を欠くどころの騒ぎではない、そこを見せて呉れないと根本から成立しない。

 最後に瑣末を一点。プロローグに続くオープニング・シークエンスに於いて、タカハシユカリことフユミが“組織”との連絡専用の携帯電話、の児童用玩具を用ゐてゐないのは、矢張りさりげなくも重大なミスではなからうか。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「欲情喪服妻 うづく」(2005/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原辰郎/原題:『甘い毒』/撮影:長谷川卓也/照明:松隈信一/音楽:因幡智明/助監督:小川隆史/監督助手:泉田真人/撮影助手:小宮由紀夫/フィルム:報映産業/タイミング:安斎公一/協力:間宮結・菊野台映演劇場/出演:橘瑠璃・葵しいな・水原香菜恵・まんたのりお・森羅万像・久保隆)。
 喪服姿の橘瑠璃が襲はれるスローモーションにて開巻。
 製薬会社「三神メディシン」社長・三神啓輔(森羅)が妻の悦子(橘)と、身勝手に振り切れたおむつプレイに戯れる。箍の外れた乳児ぶりに興じながらも、尺八を吹かせた悦子が歯を立ててしまつたことに対して、手の平を返すやうに激怒した三神は普段の高圧的な相貌を一時的に復活させる。そんな二人の姿に、三神邸の一角に研究室の別室を宛がはれ、バイアグラに変る新薬の開発に当たる研究職の沼倉等(まんた)が、別の意味で綺麗な三白眼から歪みも感じさせる視線を注ぐ。赤ちやんゴッコに夢中の三神はさて措き、沼倉が覗き見てゐることに、悦子は気付いてゐた。遅々として新商品の実用化は進まず、三神からは日常的にどやされることに我慢すれば、有体にいふと社会への適応性を欠き本社研究室に居場所を持てなかつた沼倉にとつて、悦子の近くで生活することも出来る別室は居心地がよかつた。研究室別室には他に、禁煙の室内で平然とタバコを吹かす愛想の無い助手・結城亜美(葵)が居た。沼倉はてつきり派手な粗相を仕出かし飛ばされて来たものと思つてゐたが、亜美は、離れ小島ともいへる別室勤務を自ら志願してゐた。過去にイジメに遭つた体験を持つ亜美も、今既にある社会と折合のつけられない口だつた。お気付き頂けようか、亜美登場時から、国沢節が唸りを挙げ始める。ある夜屋敷に招かれ三神から酒を振舞はれた沼倉は、ドリアンエキスを抽出した三神メディシンの健康食品「ドリアネーゼ」を、悦子が三神に出す酒に混ぜてゐる現場を目撃する。ドリアネーゼにはアルコールと一緒に摂取した場合中毒症状を起こし、長期的には死に至る危険性があつた。そのやうな危なつかしい代物を販売してゐていいのか、といふ疑問は一旦呑み込むとして、秘められた企図を看て取つた沼倉は、悦子と物理的にもゼロもしくはマイナスにまで距離を縮める。勢ひづいた沼倉は、麗しくハマリ役の水原香菜恵扮するスナックのママ・香坂真澄をハニー・トラップとして仕込み、新薬「XXX《トリプル・エックス》」が完成したと三神を偽り祝宴を催す。だが然し、実は未だ未完成のXXXには、市販される風邪薬にも含まれる一般的な化学物質と同時に服用すると、心臓に猛烈な負担をかけてしまふ致死的な副作用があつた。
 三神死後、会長の座に収まつた悦子が、愛人の相馬勝利(久保)を新社長に据ゑ惨めなピエロにされた沼倉が吠え面をかくところまで含めて、クリミナルなプロットが在り来りな喪服妻サスペンスに、十八番といふいひ方をしていいものやら如何なものなのか、ともあれ国沢流御馴染の内向自虐的ダメ人間物語が絡められる。二本の背骨の親和が当然といふか何といふか、そもそも満足に果たされてはゐない齟齬も目立つ以前に、悦子を淫蕩な毒婦に、沼倉を滑稽な道化役に見立てた三神謀殺篇は、国沢実といふ人は基本的にキレなり硬度なりといつた単語からは無縁な映画監督につき、よくいへばお定まりのレベルに留まり、直截にいへば凡庸で平板な印象も強い。対して沼倉と亜美とを対にしたダメ男女物語の方は、良くも悪くも手慣れてゐるとでもいふことなのかある程度の形は成すものの、最終的には亜美は置き去りにされたままに沼倉と悦子とのそれぞれの目に映つてゐた世界、即ち国沢実当人の中では当然把握済みであらう景色が、だけれども銀幕のこちら側にまで諒解可能な形で提示されることは、娯楽映画として十全なレベルに於いては必ずしもない。後述するが演者としてのまんたのりおにはそのパワーは具はつてゐるものの、沼倉がどうして斯くも苛烈に破滅に向かつて突き進んで行くのかも些かならず唐突で、乗ることの叶はぬドラマの流れを眺めてゐる他にない。尤も、肌の白い女を三人揃へた純粋エロ映画としては、ソリッドな撮影にも支へられ非常に強力。各シークエンスの足が地に着かないことにさへ目を瞑れば、それこそ果て知らずの橘瑠璃の美しさは正しく比類なく、素材本体としては一段も二段も劣りながらも、ボサッとしたファースト・カットからひとまづ哀しいラスト・ショットに至るまでの、葵しいながグングン美しくなつて行く過程が狂ほしく素晴らしい。最初はスッピンであつた化粧に徐々に気合を入れて行くといつたシンプルなギミックと同時に、積み重ねられた展開の力も借りる映画的に極めて順当なマジックあるいはビリングの倒立は、画期的に見事に成功してゐる。展開の流れとしては藪から棒の極みともいへ、画のみを切り取ればオーラスの亜美の痛切な表情には、観客の胸を文句なく撃ち抜くであらう決定力が満ち溢れる。更に他方暗く輝くのが、沼倉役のまんたのりお。小太りの短躯と判り易く挙動不審の風情にはポップなダメ人間性を纏ひつつ、腹の奥底に抱へた歪みの激越さを時に窺はせる鈍い強度と、いざといふ段での爆発的な突破力は、話が繋がる繋がらないに関らずカットに充実を与へる。一本のお話としては然程ならず纏まつてはゐないままに、始末に終へぬ大自爆を度々繰り返す裏国沢実平素の陰々滅々路線と比べずとも、そこかしこに見所には恵まれそれなり以上に惹きつけて観させる強さを有した一作である。

 折角目出度く結ばれたところで、沼倉と亜美とにはハッピー・エンドを迎へて欲しかつたやうな心も残るのは、己の惰弱所以であることは判つてもゐるつもりだ。

 後注< ドリアネーゼとアルコールの件に関しては、医学的な因果関係が必ずしも解明されてはゐないものの、東南アジア地方ではいはゆる“食ひ合はせ”の領域に属する事柄として、ドリアンを食べながら酒を飲むと死ぬ、と信じられてもゐるらしい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「妹のつぼみ いたづら妄想」(2009/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/撮影監督:創優和/助監督:山口大輔/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/監督助手:江尻大・荏原妙子/撮影助手:丸山秀人・高橋舞/スチール:佐藤初太郎/音楽:與語一平/現像:東映ラボ・テック/協力:加藤映像工房/挿入歌『君のこと』作詞・作曲・唄:キョロザワールド/出演:赤西涼・鳴海せいら・倖田李梨・岡田智宏・石川雄也・久保田泰也・吉岡睦雄・サーモン鮭山・度会完)。
 舞台ないしはロケ地は何処なのか、海にも山にも恵まれた景勝地。風俗店「超能力学園Z」のデリヘル嬢・馬場ちやん(倖田)相手に、無闇に尺も費やし筆卸して貰つた中川勝二(久保田)が、帝王ならぬ“貞王”こと、黒頭巾で二枚目も隠した岡田智宏率ゐる「童貞会」の襲撃を受ける。カトーマスクの残りのメンバーは副長格の吉岡睦雄に、戦闘員ポジションの山口大輔と江尻大。会は女神として崇める女子高生・大江奈々(赤西)の、処女性の永遠を守り抜くために結成された当然成員は童貞のみによる狂信的集団で、中川も元々は童貞会の一員であつた。縦横無尽の変態性をポップに放散するサーモン鮭山は、裏切り者に身の毛もよだつ制裁を加へるべく招聘された、ゲイのやさぐれ丈二。丈二いはく、ゲイとは、決して後悔しないことらしい。
 奈々の兄・信太(岡田)はズバ抜けて高いらしい―正直、この点の段取りは不足してゐる―スペックを発揮するでなく、地方公務員として地元田舎町に留まる。即ち信太は実の妹に激越な道ならぬ恋情を注ぎ、その結果初体験の機会喪失を拗らせ童貞会を結成したものだつた。兄妹の家族はほかに、愛想を尽かした妻にはとうの昔に逃げられた、テクニックの伴はぬ無駄な巨根以外には取柄のない万事にアバウトな父親・千一(度会完)と、千一とは互ひにビーチで放尿してゐたところ出会つた、信太よりも若からう後妻・美里(鳴海)。ところで何処までが苗字なのかといふか、どう読むのかもまるで判らない正体不明の名義の長州海ではなく度会完は、実のところは確か「人妻学芸員 図書室の痴態で…」(2006/監督・共同脚本:松岡邦彦)以来のピンク出演ともならう吉田祐健その人である。
 そんな大江家に美里の兄で、勤務先が倒産してしまつた元塾講師の野村義也(石川)が、受験も控へた奈々の住み込み家庭教師として転がり込む。ハンサムな吉田に愛する妹が汚されてしまふのではなからうかと心配を暴走させる信太は、二人の恋路を断固阻止すべく童貞会に号令をかける。
 愛すべきバカ軍団、貞王以下童貞会。対する童貞ハンターの馬場ちやんと、ゲイは、愛のためにこそ死ににいくらしいやさぐれ丈二。強力な飛び道具同士のクロスカウンターが乱れ撃たれる大騒ぎは、AV上がりの主演女優に肝心要の人情パートに際しての決定力は不足しながらも、簡単にいふとピンク版の吉本新喜劇。童貞会と馬場ちやんの呉越同舟のダイナミズム、同一人の童貞と処女とをシェアする、などといふ離れ業をやつてのける大オチ。例によつて全篇に過積載された小ネタの数々、そして三年ぶりながら衰へぬ、吉田祐健の味はひ深く人間味溢れるユーモア。そこかしこに鏤められ通した笑ひの種の中でも、個人的に特に可笑しかつたのは、野村との距離を次第に縮め危機に瀕する奈々の純潔を前に、貞王に逐次報告を入れる童貞会の面々が、“ヤバいッす”転じて「バイヤーッす、バイヤーッす」と素頓狂に連呼する、最もプリミティブなメソッドであつたりもする。終始高い露出度で出突つ張りなものの倖田李梨は概ねコメディ展開に忙殺され、鳴海せいらは殆ど出番がなく、そもそも赤西涼が手放しに可愛いのかそれともどうなのかが甚だ微妙なだけに、ピンク映画にしては殊の外女優の印象が薄いといふか、ほぼ岡田智宏のワンマンショーとすらいへよう。時にはナニも勃てずに、愉快に楽しむピンクといふものも一興。バイヤーッす、バイヤーッす。

 後は健在も確認出来たところで、祐健に松岡組に帰還して頂いて、小林節彦との超強力なオッサン・ツー・トップを復活させて呉れるのを猛烈に願ふばかりである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


縄女  


 「縄女」(昭和63/制作:ユープロビジョン/配給:新東宝映画/監督:剣持哲也/脚本:沢木毅彦/撮影:志村敏夫/照明:山口一夫/出演:花真衣・吉野晴美・亜希いずみ・聖美伽・水島まい・内田健治・宮川せい六・松本嘉・木原将・末次真三郎・池島ゆたか・島村謙次)。当時の配給はミリオンフィルム(=ジョイパック、現:ヒューマックス)。
 まづ最初に白旗を揚げる。頭数が妙に多いこともあり、知らない名前に大勢を占められたこの時代の配役には概ね敗北する。僅かに押さへられたのは初見にせよ主演女優といふことで花真衣と、近作にはあまり登場しない―現時点に於いての最終作は、「四十路の奥さん ~痴漢に濡れて~」(2006)か―ものの、かつては関根(和美)組の裏レギュラーであつた愛妻・亜希いずみ。俳優部からは清々しく若くてハンサムな池島ゆたかと、「連続暴姦」(昭和58)で見覚えのある末次真三郎の四名のみが、間違ひなく特定出来る。後はビリングから、吉野晴美を何となく推定するのが関の山である。
 和服姿の葵(花)が、家政婦兼情婦のタマミ(亜希)はこれ見よがしな敵意を露にする中、黒崎産業社長の黒崎(不明)を屋敷に訪ねる。当時抗争中の組の罪を背負ひ、四年間服役してゐた夫の立花(橘?)隆三(末次)が、刑期を終へ出所して来るとのこと。四年の間に世間は変り、現在の黒崎組は黒崎産業と名を変へ表向きは不動産業を主たる活動としてゐた。娑婆に出た隆三は黒崎の下に顔を出し、慰労と祝ひとを兼ねた三百万の現金を受け取る。自宅にコッソリ戻つた隆三が台所で料理中の葵の背後に忍び寄り、目隠しをするや大袈裟にファンファーレが鳴り始め再会した夫婦が熱い抱擁を交す演出には、微笑ましい時代も感じさせる。すき焼きで腹ごしらへもこなし、さて久方振りの夫婦生活。葵は頑なに灯を消すことを主張する中、四年ぶりに妻を抱いた隆三は驚愕する。何と葵が背一面と二の腕にまで、見事な彫り物を背負つてゐたのだ。激情した隆三はドスを手に黒崎邸に殴り込むが、手下二名(何れも不明)に迎撃されると、憐れ簀巻きにされ芦ノ湖に沈められる。復讐を期す葵は、タマミと事の最中の黒崎に接近する。哀しみを紛らはせるために抱かれる素振りを見せた葵は、黒崎の背にドスを突き立てる。
 粗筋を手短に掻い摘んだ如く受け取られるやも知れないが、実はこれが実質的なドラマの全てで、それ以外も葵の人物描写を除けば特段の意味も有さぬ濡れ場と短い繋ぎのカットのほかには一切ない。超速を発揮した新田栄ならば、十五分でも尺の余りさうなスカスカの物語である。当初は重厚な任侠SMピンクかとも思はせた今作が本性といふか馬脚を露はすのは、刺青が夫に発覚した葵が、回想を始める件。女達を苛烈な調教で接待用のM奴隷に堕すことを通し、暴力と女を餌に黒崎組が勢力を拡大して行く過程を説明するとかいふ方便で、当時ありもののSMアダルトビデオが延々かつ漫然と挿入される。昭和63年といふと個人的には未だ十八歳未満であることもあり、一々のAVを何と何の作品だと指摘し得るほどの筋金入りのマニアではない以前に、そんなものを小屋で観せられた感触を最短距離でいふならば、

 何だこりや(´・ω・`)

 キネコにも加速された汚い映像の羅列に、腹を立てるのも通り越し唖然とさせられるばかり。花真衣に対する責めは確かに振り切れたエクストリームを炸裂させるともいへ、全体的にはカスカスの映画を今となつては酸味の強いSMもののAVで水増しした、違法建築物のやうな構造の直截にいへば珍作である。反革命的に反則的な手法には、話の種にはならうといふ限りの意味に於いて一見する価値もないとはいはないが、再見は勿論、あまつさへ人様にお薦めしようといふつもりも毛頭御座らん。何かの手違ひで昭和末期に狂ひ咲いてしまつた、一種の徒花といへよう一作である。といふか、徒花でしかなからう。

 多分吉野晴美が黒崎らに陵辱される、黒崎産業との競争に敗れ蒸発した岸田商事社長(全く登場しない)の、十九歳の令嬢。池島ゆたかは葵を隷奴に供したSM接待を社長(不明)と共に受ける、三和興業社長部下。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「ノーパン家庭教師 たまらないお股」(2001『美人家庭教師 半熟いぢり』の2009年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:工藤雅典/脚本:橘満八・工藤雅典/撮影:村石直人/照明:三浦方雄/編集:金子尚樹/音楽:たつのすけ/助監督:竹洞哲也/助監助手:米村剛太/撮影助手:山本直史/照明助手:小岩強、他一名/メイク:パルティール/出演:加藤由香・河村栞・葉月蛍・町田政則・森士林・しらとまさひさ)。スタッフ中米村剛太の“助監助手”は、実際にさうクレジットされる、初めて観た。
 ミニコンポにCDをセットし、女子大生の岡崎千里(加藤)がこれから向かふ家庭教師の為の身支度を整へる。音楽が鳴り始め、千里がてれんこてれんこ踊り始めたところでタイトル・イン。ダサいダンスもしくはライブ・シーンは娯楽映画にとつての爆死フラグではなからうか、結論を先にいふと、早々に感じた危惧はまんまと的中してしまつた。着替へを済ませた千里は、自身の一種のセックス恐怖症から失敗気味に終つてしまつた、彼氏・草薙浩次(森)とのデートを出し抜けに思ひ出し頭を抱へる。更にその苦い夜には、スピード信販―明らかに黒いだろ、そこ―からの借金の催促が千里に追ひ討ちをかける。千里は草薙と会ふ準備に、出費をかさませてゐた。とかいふ次第で、千里は時給が三千円といふ現在の家庭教師のアルバイトに飛びついたのだ。あはよくばお察し頂けようか、実は開巻時の時制にはこれでは殆ど意味がない。立てたフラグに馬鹿正直にも忠実に、早速映画の足はまるで地に着かない。
 家庭教師初日、千里を出迎へた父親の渡辺良平(町田)と、良平の隣には永田小夜子(葉月)が。但し小夜子は、高三の生徒・梨華の母親ではない。実母は梨華が未だ幼い頃に病死し、小夜子は、選りに選つて受験生を抱へた難しいこの期に良平が再婚を考へてゐる相手であつた。小夜子が渡辺家に出入りするやうになつて以来、梨華の素行は荒れ成績も急降下したといふのだ。それ、歴然と

 原因は明らかだろ。

 良平は家庭教師を連れて来るよりも、もつと先にするべきことがあるだらう。ともあれ梨華の部屋を訪ねてみた千里は度肝を抜かれる、梨華(河村)は部屋に連れ込んだ彼氏・斎籐和也(しらと)とセックスの真最中であつたのだ、どれだけ家庭が崩壊してゐるんだよ。町田政則は四の五のいはずにさつさと娘の部屋に怒鳴り込んで、ガキの一人や二人叩きのめしてしまへば済む話だ。順調に物語は木端微塵を加速する、以降も明後日に絶好調、千里と梨華の家庭教師風景に突入すると何故だかいきなり二人とも下着姿なので果たして何事かと首を傾げてゐると、勉強をてんで真面目にする気のない梨華の気紛れで、合間合間に野球拳をやつてゐたりなんかするのだ。いつそのこと、カメラも柳田パンでも仕出かせばいいのに。縦方向には本家の大先生も振らないぞ、デンプシー・ロールみたいな話になつて来たな。
 草薙も気の毒に、千里の方から特に明示された理由もなく一方的に距離を置かれる進展しない恋模様。梨華は良平に、受験に合格した場合、小夜子との再婚を取り止めさせる無理難題を呑ませた挙句に、経験の乏しい千里を嘲笑ふかのやうに、草薙を寝取る。工藤雅典と橘満八のコンビにはさういふ前科は見当たらない筈なのだが、全篇は感動的な支離滅裂で埋め尽くされる。何が何だか繋がらないどころか、最早まともな物語が存在しない。最も逆の方向に素晴らしいのが、仕事で帰宅しない良平は不在のままの、梨華の合格祈願と誕生日祝ひとを兼ねたホーム・パーティー。当初参加者は、梨華・千里・小夜子に和也。そこはかとなく宴も盛り上がつて来たところで、小夜子が遅れて渡辺家に到着した草薙を普通に親しげな様子で招き入れ、この時点で既に棹姉妹の千里と梨華は目を丸くする。千里と梨華と、それ以前に観客の抱へた疑問が一欠片も解消されることはなく、酒を酌み交はす大人達の向かうを張りジュースに混ぜる為に和也が取り出した、結局何の小瓶なのかは語られず仕舞ひの薬品の作用によりトリップ状態に陥つた五人の、フリーダムな乱交がスタートする。音楽をかけ性懲りもなくテレテレ踊り出す千里を遮ると、ブレイク・ビーツを鳴らした小夜子は「ハイ!ハイ!」と掛け声だけはラウドなものの、踊り自体はグダグダなモンキー・ダンスをだらしなく披露する。そんな小夜子の姿に草薙は漏らす、「この人の過去には一体何が・・・・?」。さうぢやないだろ、そもそも、お前と小夜子の関係がどうなつてゐるのだ。そこを説明して呉れないと、五人でのシークエンスが千里と梨華が目を丸くしたところから成立しない。和也のドラッグは、工藤雅典の自前なのか?
 誕生パーティーの夜辺りから気が付くと梨華は小夜子の存在を受け容れ、藪から棒ばかりが林立する。未だイッたことすらない千里を、梨華が手解く逆プライベート・レッスンは趣向としては確かに面白いとも思へるものの、千里は和也を教材としたレッスン1で性の悦びに目覚めつつ、“本当に大切な人を見付ける方法”だとかを学ぶのがレッスン2 だと、豆鉄砲を喰らつたやうな草薙に勝手に別れを告げるオーラスには、呆れ果てるのも通り越して晴れやかな心持ちさへ錯覚しかねない。同じ一幕内にて、カットと同時に画面のルックも派手に変つてしまふ粗相も、数箇所散見される。小川欽也や新田栄ならばまだしも、といふか特段驚くにはあたらないともいへ、一体工藤雅典が何をどうここまでトチ狂つたのか、不可解がドドメ色に煌く頓珍漢部門の名ならぬ迷作である。もしも何処かで工藤雅典の特集を組む際には、敢て今作を頭に持つて来るべきだ。二作目以降が、間違ひなく輝いて見えよう、噛ませ犬かよ。
 
 ところで、家庭教師であることは兎も角、千里のノーパン描写なんて別に見当たらなかつたぞ。八年の時も超え新題まで絶好調とは、気が利いてゐるのだか火に油を注いでゐるのだか、最早よく判らないふりをする。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「金粉FUCK ずぶ濡れ観音」(2005/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:三上紗恵子/撮影部:飯岡聖英・田宮健彦・河戸浩一郎/編集:鵜飼邦彦/演出部:内山太郎・泉田真人・藤山玲任/応援:小林徹哉・金杉剛・佐藤選人/ポスター:重田仲太郎/録音:シネキャビン/現像:東映ラボテック/タイミング:安斎公一/出演:黄金咲ちひろ・林由美香・風間今日子・藤原英志・内山太郎・吉岡睦雄・なかみつせいじ/友情出演:柳東史・太田始・滝川鯉之助)。友情出演の正確な位置は、内山太郎と吉岡睦雄の間。それとカメオ特記はない上で、柳東史以下三名もポスターに載る。
 昭和の匂ひ漂ふゴージャスさを振り撒くホステスの黄金咲ちひろ(彼女自身)が、現在付き合ふ冴えないサラリーマンの山下(なかみつ)とランデブーを果たしつつ帰宅すると、同居する絵本作家のマリ(林)はテーブルの下に潜り込み荒れてゐた。心を許した男に、裏切られたのだといふ。ちひろとマリは幼馴染であるのと同時に二人ともバイセクシュアルで、要は男女ならぬ女女の関係にもあつた。山下とガード下を通り抜けようとしたちひろに、人の運勢の鑑定を与るにしては少々役不足感は否めない占ひ師(藤原)が声をかける。ちひろには、類稀なる福相が看て取れるらしい。高原をドライブするちひろと山下のデートに、山下の存在が気が気ではないマリも後部座席に割り込む。買つたまゝ本人は気にも留めなかつた山下の宝くじをちひろが確かめてみると、何と一千万が当たつてゐた。帰京後、更にマリも新作がコンクールの最優秀賞を受賞し、二百万の賞金を獲得する。マリと再びガード下を訪れたちひろに対し占ひ師いはく、セックスした相手の人間が富を得る、ちひろはさういふ運気の持ち主なのだといふ。カメラが判り易くパンするとそのことを傍で聞きつけてゐた逼迫する男達が、金運ゲットを求めちひろの女体を狙ふ。
 会社員風の柳東史、労務者的な太田始、そのまんま講談師のやうな滝川鯉之助に、荒木太郎、小林徹哉の姿が確認出来たので多分応援勢の三人と、恐らく演出部の泉田真人か藤山玲任まで加へた総勢八名が、ちひろに群がる男達。河原に拉致されたちひろは、代る代る陵辱される。ところが事後深い感謝の念を示す柳東史らの姿に、ちひろは俄に自身の肉体を捧げ人々に幸運を授ける一種の善行に開眼する。風間今日子は、パートナーが自宅に連れ込んだ自分以外の女にヒステリーをこじらせたマリが癇癪を起こす中、ちひろと明るく陽の射し込むジャグジーにて弩迫力の絡みを展開する女。吉岡睦雄は、風間今日子の登場に腹を立て家を飛び出したマリを拾ふ鈴木。ちひろのいはゆる“あげまん”は、話題となりメディアにも採り上げられるやうになる。楳図かずお先生のやうなテイストの内山太郎は、ちひろと風間今日子の金粉プレイを取材がてら、参戦も果たしてのける突撃レポーター。
 情を交した男、に限らず女でも兎に角相手を裕福にする女。濡れ場への親和性も誠麗しいプロットによる桃色な大人の御伽噺、とでもいふ寸法に、ならうところではあるのだが。一言でいふと、ちぐはぐさが顕著な一作である。ちひろと山下、ついでにマリも交へたドライブの件に於いての、人物だけストップモーションなどは正しく普段通りの荒木太郎の遣り口である。他方、そこに風間今日子がゐるからだけであるやうな気もしなくはないが、ちひろ対風間今日子の泡風呂を舞台とした一戦は、荒木太郎にしてはらしくなく、まるで浜野佐知かと思へるほど重量級の煽情性を轟かせる。かと思ふと、家出したマリが公園のやうな広場で寝てゐたところに、鈴木が自転車で通りがかる。何事かと仕方なく鈴木が起こすとマリは、「誰かに起こして貰ふ感覚が好き」。マリと鈴木篇のスッ惚けたロマンティックは、いまおかしんじを彷彿とさせもする。金色を強調する為か、三原色でいふならば明確に黄色に寄つた画面基調の印象はパッと見古臭く、平素の多呂プロ作からは風変りに映る点も大きい。さういふ全体的なモザイク模様に、ノイズ系のポップ・チューン(HIMAWARI)が止めを刺す。さうかと思へば最終的には、クレジットに載せたイラストを用ゐて、マリの行きたいところへ行くとかいふ方便で、二人で地球を飛び出してみせるラストは、矢張り荒木太郎であるともいへる。よくいへば場面場面のバラエティが豊かで、逆からいへば演出のトーンが一定しないまゝ、終に展開に背骨は通らない。そもそも主演女優の黄金咲ちひろからして、色んな欲の旺盛さを感じさせる容姿は素晴らしい反面、いざお芝居させてみると清々しく棒であつたりもする。内山太郎も交へての金粉巴戦から、カット跨ぐといきなり黄昏た風情のちひろが翻意してしまつてゐる唐突さは尺を端折るにも甚だしく、山下に逃げられたちひろが、何気なく見やつたテーブルからマリの不在に直面するといふのは、趣向は酌めるものの少々伏線が遠いか、あるいは弱過ぎる。総合的にはてんで纏まらない平凡な出来栄えといつてしまつても過言ではなからうが、裸映画としては対風間今日子戦の一点豪華主義で十二分に元は取れ、裸ではないが、広場で正しくゴロ寝する林由美香のエクストリームなキュートさは永遠を刻む。過度に期待せず適宜適度に楽しむ分には、満足出来ぬでもないといへようか。

 その中でも一際心に残つたのは、児童公園で山下とゐるちひろが、柳東史軍団の襲撃を受けるシーン。滑り台の上から山下がちひろに語りかける、背後の高台に男達が勢揃ひした歴代ライダーよろしく横一列に登場するや、実際に「とう!」とかけ声も高らかに万歳ジャンプして降り立ち二人に襲ひかゝるカットのダイナミズムは、のほゝんとはいへ映画的であつた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「女豹の檻 いけにへ乱交」(2009/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:大江泰介/照明助手:藤田朋則/助監督:新居あゆみ・府川絵里奈/編集:有馬潜/音楽:中空龍/出演:Clare・なかみつせいじ・牧村耕次・荒木太郎・吉岡睦雄・平川直大・丘尚輝・内藤忠司・広瀬寛巳・佐々木麻由子)。出演者中、丘尚輝・内藤忠司・広瀬寛巳は本篇クレジットのみ。
 それも私物なのか、吃驚させられるくらゐに度派手な革のテンガロンをキメたなかみつせいじの主催する、監獄パーティー「アルカトラズ」。監獄に囚はれた女囚といふ設定のClareの肉体を、なかみつせいじを先頭に平川直大・広瀬寛巳・荒木太郎・内藤忠司・丘尚輝からなる参加者が貪る。ところで謎の主演女優のClareであるが、髪をブロンドに染めてはゐるものの、別に東洋人にしか見えない。
 絶賛スランプ状態の女流作家・植島蛍子(佐々木)は散歩に出向いた早朝の神社の境内にて、フランスから派遣された人類学専攻の研究者・クレア(Clare)と出会ふ。クレアは古代社会に於ける、見知らぬ旅人に最も大切なものを与へて歓待する。時にその“最も大切なもの”には、妻や娘の肉体も含まれたとかいふ風習に興味を抱き、自身も見知らぬ男に肉体を捧げ、そのことによつて“新しい自分”とやらを発見することを研究テーマとしてゐた。古代習俗の存在の如何はさて措き、そこから先の現代的展開については清々しく没論理的である以前に、そもそもそのフィールド・ワークに際して、何で又わざわざ極東くんだりにまで出張つて来なくてはならないのかが、旅の恥をかき捨てるといふ寸法でもなければ実のところは力強く判らない。ここも晴れやかに木に竹を接ぐが、実は真性のビアンらしい蛍子の性癖をクレアは何故だか瞬時に看破すると、実地研究の名を借りたアクティブな乱交の戦果を一々蛍子に報告し、無闇にヤキモキさせる。
 例によつて軽やかにカラ騒ぐ―間違つても褒めてゐる訳ではない―吉岡睦雄は、街行くクレアに声をかける、特に人生に幻滅してゐるやうにも見えない宮本ムナシ。ムナシと、ホイホイついて行きさうになるクレアとの間に割つて入る荒木太郎はクレア派遣先大学の助手で、彼女を変に崇拝視すると同時に、勝手に保護役を自認する春日道彦。その割に春日はムナシ排除には欠片も役に立たないどころか、最終的にはムナシと共にクレアを二穴責めまでしてみせる、それはそれとして嬉しからう。春日のある意味屈折したエモーションが、劇中最も共有出来るといへば出来る。牧村耕次は、大胆にもクレアから蛍子の自宅に招かれた上で、“おもてなし”と称して要は喰はれてしまふ、植島蛍子の再起を嘱望する(推定)出版社重役・藤堂俊介。詰まるところは全篇が唐突で埋め尽くされた今作にあつて、藤堂のパートは結果論ともいへども、作劇の軸足がクレアから蛍子へと移動する転機を成す。サングラスひとつでその人と気付かない迂闊な平川直大は、クレアをバーテンとして働く店に遊びに来ることを誘ふ、派遣先大学の学生・上村伸治。上村の若い下心も強引に捻じ伏せクレアをロック・オンするなかみつせいじは、バーのオーナーの、通り名・ジャン=ジャック。
 ジャン= ジャックまでひとまづ役者が揃つたところで、丘尚輝・内藤忠司・広瀬寛巳の三名を頭数要員として追加すると、開巻のアルカトラズに話が戻り映画は怒涛のクライマックス7Pへと突入する。その過程に於いて、よくよく考へてみると初めから地に足を着けてゐた訳でもなかつた、まるで前作を呑気に踏襲したかのやうなクレアの自分探しは、ここでのクレアがひたすらに蹂躙され倒す肉体に止(とど)まることもあり、何時の間にか明後日から一昨日へとフェイド・アウトする。代つてこちらも豪快に藪から棒なのだが、クレアの存在そのものを新しい自分と看做す、蛍子の“アタシ物語”に物語の着地点は収束してしまふ。佐々木麻由子の重心の安定感で何となくそれなりに展開が成立してもゐるかのやうに錯覚しかねないが、冷静にならなくとも、矢張り感動的に論理が全く繋がらないことには変りない。クレアは蛍子が創作のネタにする為に脳内のみに作り出したアルター・エゴである、などといふ力技の方がいつそのことしつくり来るやうな思ひも強いが、さういふニュアンスも匂はせかけられはするものの、最終的には如何せん説明が足るまい。四の五の野暮をいはずに、爆裂するアルカトラズの宴の煽情性に腰から下をおとなしく委ねてゐればよいやうな気もするが、さうなると今度は苦しいのが、Clareの喘ぎ声が一本調子で、どうにもかうにも抑揚に欠ける点。その為首から上にも下にも概ね不足がない割には、クレアの濡れ場を観てゐるとどうしても聴覚的に単調で微妙に睡魔に脅かされる。結局何処にも焦点を合はせきらぬまま、狐につまゝれでもするかのやうに通り過ぎてしまはざるを得ない一作である。

 その上で改めて顧みると、クレアいはく“おもてなし”は入り口こそ自らが主導するものの、アルカトラズの件に最も顕著なやうに、いざ事が始まるやクレアは基本線としては男達の獣欲になされるがままである。さういふクレアの姿には、女の側から、女が気持ちよくなる為のセックスを描くといふ、一貫して頑強に旨とされる浜野佐知節は珍しくまるで窺へない。そのことは今作の、変則的な特徴のひとつといへよう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「痴漢電車 しのび指は夢気分」(2009/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:田辺悠樹/撮影助手:橋本彩子/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/スチール:津田一郎/タイミング:安斎公一/効果:梅沢身知子/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協賛:ウィズコレクション/出演:夏井亜美・朝倉まりあ・真田幹也・吉岡睦雄・中野貴雄・早川瀬里奈)。
 残した戦績は町内美人コンテストの努力賞ばかりながら、自信だけはトップ級に満々のチラシモデルの妹・小夏(早川)と、失業中の身をマネージャーといふ形で妹に拾はれた、意図的に不格好な赤メガネをかけ―させられ―た姉・千秋(夏井)の坪井姉妹。華沢レモン抜きで名義も変へた、北嶋三兄弟のアナザーストーリーとかいふ考へ方が通るのかといふと、滅法オフェンシブな妹と冴えないディフェンシブな姉といふ好対照を見せる坪井姉妹の造形からも、導き出される答へは否である。大根を販促するショボい仕事を終へ、少なくとも滝田洋二郎の時代から伝はる「痴漢電車のテーマ」(仮称)に乗り、セレブでない二人は電車移動する。電車で痴漢になど遭つたことがない千秋に対し、まるで釣りでも楽しむかのやうに小夏は軽やかに痴漢にヒットする。この期に及んで清々しく類型的にリュックを背負つた野田修二(真田)が小夏、ではなくその傍らの千秋に視線を注ぐ中、痴漢男(吉岡)から風俗嬢扱ひされたのに激昂した小夏は、電車セットから捌ける吉岡睦雄の財布を掏る。財布の中には、一流企業「オーピー商事」の営業マン・矢島大介の名刺があつた。報復を回避するといふ身勝手な方便で姉の名を騙り、小夏はオーピー商事に矢島の痴漢行為を告発する電話を入れる。ネットで玉の輿相手を漁る小夏は、見合ひサイトを通して矢島とそ知らぬ顔で会ふ。当然当惑する姉を余所に矢島との結婚話をサクサク進めようとする小夏に対し、小夏が電車で痴漢された日から周囲につき纏ふ野田の姿に慄く千秋は、まるで一流企業のエリート・サラリーマンとは思へない柄の悪い風情で、“姐御”と慕ふ青木志穂(朝倉)と謀議を交す、矢島大介改め本名・本村裕一(こそが吉岡睦雄)を目撃する。更にそんな千秋を、「宇宙水爆戦」のメタルーナ・ミュータントの着ぐるみで街中をうろつく中野貴雄が追ひ狙ふ。ピンク映画の常識をも超えて、自前であらう点は疑ひない。
 絶好調の2008年を駆け抜けての渡邊元嗣2009年第一作―正月映画である以上今作の、撮影はいふまでもなく2008年中ではあらうが―は、残念ながら残念な出来であつた。千秋と野田とのパートには、概ね問題はない。小夏のハッパを伏線にキチンと配した上で、「エイ、ヤッ!」と可愛らしく自らを奮ひ立たせた千秋が、自分の方から野田に唇を寄せるショットは抜群に素晴らしい。メガネをリミッターに使用する悪弊に百兆歩譲つて目を瞑りさへすれば、内向的な女の子―といふ齢でもないが―が勇気を奮つて素敵―かどうかは兎も角―な彼氏をゲットするポップでキュートな南風系のガーリームービーとしては、千秋の物語はほぼ成功を見てゐる。ところが、小悪党が悪魔のやうな鬼女に出し抜かれるといふコンセプト自体に欠陥は全くないものの、小夏と本村のパートが正直酷い。渡邊元嗣のヌルさが吉岡睦雄のカラ騒ぎに悪い方向に加速され、徹底して上滑るばかりで目も当てられない。本村は無論として、野田をも含めた二人の男の処遇の落とし処はオチのつけ方として必ずしも間違へてゐるやうには思へないが、オーラスに於いて最も顕著なやうに、電車痴漢を物語に回収する論理も、最初の偽矢島の一件以外には殆ど全く満足に機能してゐない。議論も分かれようところではあれ、中野貴雄の悪ふざけは一旦許容範囲と見做すにしても、全体的にはまるで体を成さぬガッチャガチャの一作である。後半猛然と夏井亜美が追ひ上げる早川瀬里奈とのツー・トップは強力で、脇から支援する朝倉まりあも折角ベスト近くにウェイトを戻して来てゐただけに、重ね重ね前半部分の派手な釦のかけ違ひが惜しいところではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「未亡人家政婦 -中出しの四十路-」(2009/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:亀井戸粋人/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/選曲効果:山田案山子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:大空音々・ほたる・酒井あずさ・寺西徹・岡田智宏・丘尚輝・なかみつせいじ)。
 住み込みの家政婦の働き口を求める田中路子(大空)は、三年間で十人の家政婦が入れ替り立ち代り辞めて行つたいはくつきの、何時でも右にピンと跳ねた特徴的な寝癖から“√《ルート》教授”と徒名をつけられた数学教授・五十嵐等(なかみつ)の家に入る。正しく分刻みのスケジュールを強要する、五十嵐の戯画的な堅物さに辟易としながらも、宛がはれた二階右側の自室に通されやれやれと一息ついた路子は、早速といふか何といふか、罰当たりにも位牌を取り出すと秘裂に押し当て自慰をオッ始める。路子は事故死した亡夫・弘明(寺西“『びっちゅう』”徹)と、二年前に死に別れた未亡人であつた。すると、息苦しさを訴へるとともに路子から逃げるやうに弾け飛んだ位牌から、

 弘明の幽霊登場。

 そのまま、彼岸と此岸の別など微塵も感じさせぬ、冥門も気軽に抉じ開けた夫婦生活に突入してしまふ。逼迫した頃合の空気も読まぬ新田栄の無茶なお痛にズッコケる間もなく、大空音々が見えない―こともない―角度から放たれる破壊力絶大のフックでシークエンスに止めを刺す。ウエストといふ概念の存在しない巨象の濡れ場といふ名のスラッシュに、実体を伴なつた幽霊が出て来ちやつたよなどといふ底抜けも、最早それどころではない遥か以前の問題として雲散霧消。死してなほ巨漢の妻から虐げられる無惨な弘明の姿に、とめどなく流れよ、我が涙。仕方なく話を戻すと、翌日から家政婦としての実質的な仕事をスタートさせた路子は、二階左側に、何の部屋か聞かされてゐない謎の一室を見付ける。長く使はれてゐないらしく、黴臭い部屋には箪笥の中の女物の衣服と、裏向きにされた女(ほたる=葉月螢)の写真とがあつた。その夜帰宅した五十嵐は、写真の女は亡妻・和代であることと、和代の部屋には入らぬやう厳命する。三年前の和代の誕生日、予定を早め贈り物に花束を買つた五十嵐が帰宅すると当の和代は、研究に没頭し妻を蔑ろにして、ゐるやうに一見見える五十嵐を見かねた助手の橋本公平(岡田)に言ひ寄られ抱かれてゐる最中であつた。その後和代は事故死したのだといふが、それにしては、五十嵐家に仏壇の見当たらぬことを路子は訝しむ。満足に食事も摂らず論文の執筆に没頭する五十嵐を、路子は要らぬ世話だといふ誹りにも怯まず甲斐甲斐しく世話する。肉の分厚さはさて措き温もりを感じさせる路子に対し、次第に五十嵐も打ち解けて行く。
 まるでロボットのやうに非人間的な数学教授が、人情肌の家政婦と色んな意味で接する内に、人間味を取り戻して行く。といふ本筋自体の骨格は、実は意外としつかりしてゐる。酒井あずさは、一旦路子が五十嵐家を離れる際に、後任として手配する家政婦・大谷万里。三人目の女優を招聘する方便としての、五十嵐の前から路子が一時退場する段取りも完璧。三番手の濡れ場要員が、最も美人であるアンバランスを除けば。因みに万里は、和代のドレスを着て悦に入つてゐたところに訪れた水道修理工の佐川ではなく江沢真一(丘)と、トイレで致してゐたのを帰宅した五十嵐に見付かり、馘になる。気を取り直して更にそこから、路子と五十嵐とが目出度く結ばれるものかと軽くミス・リーディングした上で、2の筈の1+1が3になるといふ目出度いラストは、本来ならば十二分に綺麗な娯楽映画たり得るところであつた。縦横無尽に適宜実体化して登場する弘明幽霊などといふ、派手なギミックが殆ど何処吹く風と等閑視されてしまつてゐることと、主演女優の莫大な物理的質量さへなければ。別に普通に攻めてゐれば幾らでも順当に形成ししめ得てゐたであらう映画を、わざわざ最早反則に近いものすらある変則と暴力的な配役とによつて、むざむざ木端微塵にしてしまつた怒涛の怪作である。それこそ、大空音々と酒井あずさの役が逆であるだけで、評価も百六十度は異なつたものになつてゐたのではなからうか。

 世にいふバカ映画好きは、少なくとも現役では最も危険な新田栄にもつと注目するべきだ。映画の観方が、根本的に変るであらう。

 再見に際しての付記< 五十嵐邸の物件は、御馴染み白亜のミサトスタジオ。因みにオーラス時路子が草鞋を脱ぐ二階堂家も、ミサトの和室ではある。更に、ミサトのテラスをオープンカフェに模し路子が和代と文字通りの茶飲み話をする件、路子の後方に見切れるのは新田栄。そして最後に今作は、現状新田栄にとつてラスト・ピンクに当たる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「ストリッパー ~愛欲の日々~」(2005/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/音楽:OK企画/助監督:加藤義一/監督助手:竹洞哲也/照明助手:高柳賢/撮影助手:吉田剛毅・鶴崎直樹/協力:SHOW-UP大宮劇場/出演:水来亜矢・風間今日子・前田あきな・竹本泰志・なかみつせいじ・平川直大・岡田智宏・石動三六・山名和俊・姿良三・時祭天磨)。出演者中石動三六以降は、本篇クレジットのみ。
 残念ながら同年の十月に閉館してしまつた―因みに今作の封切りは二月―さいたま市は大宮区のストリップ小屋(劇中ではショーパブといふ扱ひ)「SHOW-UP大宮劇場」舞台上、竹内久子(水来)と先輩ストリッパー・原田悦子(風間)の百合プレイにて開巻。男女の仲にもある振付師・川井吾郎(竹本)の粘着質な性格と袋小路に陥りつつある関係とに嫌気の差してゐた久子は、パトロンの宮田正樹(なかみつ)と姿を消し、宮田に宛がはれた広尾の高級マンションでの新しい生活をスタートさせる。通院治療中ではあるものの、宮田は事故の後遺症で不能状態にあつた。そのことで若い久子の気持ちと肉体とが離れてしまふことを宮田は懼れる反面、久子自体は、ひとまづ現状に満足してゐた。セックスの最中、開かれた久子の体越しにいふことを聞かぬ自らの肉体への複雑な表情を浮かべる宮田のショットを明確に押さへてみせる辺りに、少なくともこの時点に於いては確かにらしからぬ小川欽也のヤル気は窺へた。ところがそんなある日、久子は街で悦子に目撃される。新居に乗り込まれた久子は、このことを川井らに口止めする代りに、豪華な部屋を悦子の逢瀬に貸す羽目になる。
 平川直大は、そんな訳で悦子が久子の部屋に連れ込む、若い割には専務の田口和夫。濡れ場要員の鑑ともいへる、呑気な好色漢を好演する。小川欽也映画の三番手女優にしては画期的な美人ともいへる前田あきなは、久子が居なくなつた為川井が仕方なく仕込む最中の、新人ストリッパー・小林洋子。洋子に手をつけた事後の川井によると、久子は三段締めの名器の持ち主らしい。
 中盤中弛みながらも、最初は嫌々悦子につけ込まれてゐた筈が、田口との情事をこれ見よがしに見せつけられると、一旦は押し殺しもした不能の宮田に対する肉の飢(かつ)ゑに久子が直面する展開は、らしからぬも通り越した手放しの充実を予感させ、はしたのだが、結果論からいふと予感に止まるといふか、直截には錯覚させただけに終つた。あるいは、単なる純然たる早とちりか。岡田智宏は、そんな次第で男根担当として宮田が用意する、ホストの三条雅也。バイアグラを服用した上で、三条に抱かれる久子の姿に発奮し、男性機能を取り戻すといふのが宮田の目論見であつた。
 と、そこまでは良かつたのだが。フラグ通り律儀に宮田が久子の腹の上で爆死してしまつてから以降が、小川欽也が取り戻して呉れなくとも完全に構はない本来の相に回帰する。気付くと殆ど尽きた尺に任せて、何もかにも清々しく放棄した映画は壮絶なハード・ランディングを敢行する、といふか正確にいへば墜落する。女優三本柱の粒が綺麗に揃つてはゐることと、本職はストリッパーでもあつた水来亜矢の踊りには確かに自信を持つた力強さも溢れ、とりあへずその限りに於いて裸映画としては元は取れる。さう考へる乃至は自らを偽らうと偽るまいと思ひ込ませることが出来たならば、辛うじて重たい首も縦に振れよう、所々で期待もさせておいて、最終的には何時もの小川仕事である。

 出演者中石動三六以下は、小屋にて悦子の舞台に垂涎する客の皆さん。この中で初めに登場する山名和俊は、悦子が観音様で切断したバナナの御賞味に与り、名前の仰々しさは兎も角正体は清々しく不明な時祭天磨は、板の上で張形を捻じ込ませて貰ふ。石動三六と、イコール小川欽也イコール水谷一二三な姿良三は、恐らくスタッフ勢であらう二名と共に客席におとなしく見切れるのみ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 平成22年映画鑑賞実績:285本 一般映画:18 ピンク:240 再見作:27 杉本ナンバー:73 ミサトナンバー:11 花宴ナンバー:6

 平成21年映画鑑賞実績(確定):218本 一般映画:23 ピンク:180 再見作:25 杉本ナンバー:50 ミサトナンバー:7 花宴ナンバー:5 >一般映画に関しては基本的に諦めた

 再見作に関しては一年毎にリセットしてゐる。その為、たとへば三年前に観たピンクを旧作改題で新たに観た場合、再見作にはカウントしない。あくまでその一年間の中で、二度以上観た映画の本数、あるいは回数である。二度観た映画が八本で三度観た映画が一本ある場合、その年の再見作は10本となる。

 因みに“杉本ナンバー”とは。ピンクの内、杉本まこと(現:なかみつせいじ)出演作の本数である。改めてなかみつせいじの芸名の変遷に関しては。1987年に中満誠治名義でデビュー。1990年に杉本まことに改名。2000年に更に、現在のなかみつせいじに改名してゐる。改名後も、旧芸名をランダムに使用することもある。ピンクの畑にはかういふことを好む(?)人がままあるので、なかなか一筋縄には行かぬところでもある。
 加へて戯れにカウントする“ミサトナンバー”とは。いふまでもなく、ピンク映画で御馴染みプールのある白亜の洋館、撮影をミサトスタジオで行つてゐる新旧問はずピンクの本数である。もしもミサトで撮影してゐる一般映画にお目にかかれば、当然に加算する。
 同様に“花宴ナンバー”は、主に小川(欽也)組や深町(章)組の映画に頻出する、伊豆のペンション「花宴」が劇中に登場する映画の本数である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )