真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「レズ夫人 狂つた下半身」(昭和61『倒錯縄責め』の2012年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/監督:珠瑠美/脚本・プロデューサー:木俣堯喬/撮影:伊東英男/照明:矢竹正知/音楽:新映像音楽/美術:衣恭介/編集:菊地純一/効果:小針誠一/助監督:鎌田敏明・斉藤裕司/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:篠原良治/スチール:津田一郎/録音:ニューメグロ・スタジオ/現像:東映化学工業・株式会社/出演:観世彩・夏恵理子・高原香津子・あおい恵・牧村耕治・飯島大介・木村昌治・森川亨)。
 タイトル開巻、クレジットが先に走る。バンダナをヤンチャに巻いた編集長(飯島)が、作家の、卵なのか新米なのかが映画を観てゐるだけでは今一つ微妙な、三宅和夫(牧村)が持ち込んだエロ小説を木端微塵に没にする。至極当然のいはずもがなでしかないが、飯島大介も牧村耕治(現:牧村耕次)もまあ若いこと若いこと。この二人の件は明後日な色気を出した演出が崩壊しないのもあり、昭和の映画の肌触りを安心して楽しめる。腹立ち紛れに歩道橋の上から原稿をバラ撒きがてら、三宅は痛飲。繁華街のドギツイ色彩も、フィルムに映える。明けて翌朝以降が、信頼のプロ鷹ブランドともいふべき不条理ピンク本格起動。売れない作家である和夫をアルバイトのホステスで支へる、妻・美子(観世)の無理矢理な求めに応じての夫婦生活。濡れ場を断続的に遮り、薮蛇感を爆裂させる字幕が火を噴く。“ここに好き者二人の一組がゐる”、“誰も嫌ひな者はないだらう”、“だが、彼等はその極限を越えてゐる”、“淫乱と云ふべきだらう”、無論、原文は珍かな。他愛もない能書を大仰の斜め上で垂れてみせる、加へて正しく矢継ぎ早な連打が清水大敬をも易々と凌駕する珍奇なメソッドに、早くも臨界点を超えてクラクラ来る。挙句に、この羽目外しも全篇を貫く意匠といふ訳ですらなく、オーラス思ひ出したやうに単発で復活するほかは、徹頭徹尾唐突極まりなくこの一幕のみ。未だ、旦那である木俣堯喬のピンク映画を観る機会に恵まれてはゐないが、案外この二人は似たもの夫婦、あるいはより積極的に、そもそも珠瑠美は木俣堯喬の決定的に強い影響下にあるものと捉へるのが正解なのであらうか。話を戻して美子原案による、性懲りもない三宅新作『犯しのテク教へます』・『貴方も痴漢に直ぐなれる』も案の定バンダナ編集長には粉砕。美子が臨時収入を得たため、奮発してそれなりにゴージャスなラブホテルでのサドマゾ風味も塗した一戦から、本当に全く非感動的に何時の間にか、二人が体を重ねるのは雨の、何時もの美子実家のボロ家。凡そ映画の文法といふものを否定する魔編集には、この際滂沱の涙を拭ひもせずに大感銘でも受けるしかない、もうどうにでもなれ。学生時代に百合の花を咲かせた間柄の、ヨーコ(あおい)から電話のかかつて来た美子は、いそいそと焼けぼつくひに劫火を燃やしに行く。一方、和夫の元カノで、家を担保に「ゴーギャン」とかいふ店も持たせた―然し酷い亭主だ、家自体元々手前のものでもないといふのに―マサコ(夏)が、まるで鬼の居ぬ間を見計らつたかのやうに訪ねて来る。ここで、夏恵理子とあおい恵の特定は素直に困難を極めた―今際の間際にしか登場しない、ビリング後ろ二人に関しては諦めた―が、検索の結果出て来た「海外向ハードコア “爛熟”<完全版>」(昭和58/監督:増田俊光)とかいふ、イイ感じにアシッドな黎明期AVのジャケ写から、マサコ役が正統派美人の夏恵理子。他方あおい恵は首から上は若干散らかり気味ながら、プロポーションの美しさは作中随一。劇映画としては勿論兎も角、マサコ・ヨーコ二連戦で女の裸はきちんと愉しませつつ、美子は犯罪的な、といふかそのものでしかない名ならぬ迷案を思ひ立つ。正直別に令嬢といふ柄にも見えないのだが、さて措き令嬢ブッキングで美子は街で目をつけた京子(高原)に接触。作家秘書を騙り自宅に連れ込んだ京子を、和夫も交へて陵辱した上に監禁する。
 最低限、和夫の小説のネタ探しにかこつけた性的冒険、といふ一応の行動原理も設定されなくはないにせよ、それにしても基本美子主導でこの夫婦の所業といへば清々しいほどに出鱈目だ。美子を寝取つた落し前と称して、和夫がヨーコを強姦。色事だけでなく身代金にも欲の皮を張り、京子は紛ふことなき略取誘拐。キラーズならぬナチュラル・ボーン・ファッカーズの称号は、この二人にこそ冠したい。オリジナルの先を行く瑣末なんぞ気にするな、それどころの話では元よりない。オープニング・クレジット時から絶好調な、煽情性とはまた別の次元で胸を騒がせなくもない、ホラー映画のやうな御馴染み徒な不協和音のほかに、絡みに突入すると木に竹を接ぐ、妙に正攻法のスコアには耳新しさを感じなくもない。反面、異常な間の長さが映写トラブルをも危惧させる、カットの変り目に一々濫用されるフェードは相も変らず通常運用。不可思議な領域で安定した珠瑠美仕事は、悠然と林檎の皮を剥き食する美子を前に、檻の中に繋がれた京子の眼が怪しく輝く瞬間、正方向な映画的充実を窺はせ一旦綻びかけるものの、以降は無体なオチを目指して一直線。“淫乱な男と女の狂つた一頁の話である”、狂つた映画を最後まで観通した心に、突き放したラスト・クレジットが妙な深さで突き刺さる。アヴァンギャルドなルーチンワーク、最早さうとでもしか評しやうのない、単純な詰まる詰まらないといつた地平は遥か一昨日に突き抜けたワン・アンド・オンリー。何といふか、展開がどう転ぶのかが完全に予測不可能ゆゑ変に目の離せない、殆ど不安と同義の緊張感は終始維持されもする。それはそれとして、捨て難くは毛頭ないが、同時に確実に得難い一作ではある。


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 「淫行病棟 乱れ泣く白衣」(2011/制作:《有》大敬オフィス/提供:オーピー映画/小道具・衣装・出演・制作・音楽・脚本・監督:清水大敬/撮影:井上明夫/照明:小川満/音楽:サウンド・チィーバー/美術:花椿桜子/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/助監督:古川諒太/撮影助手:河戸浩一郎/照明助手:八木徹/演出助手:関野弥太平/ポスター撮り現場スチール:山岡達也/制作進行:野上裕/車輌部:花椿桜子/協力:劇団ザ・スラップスティック、明治大学 演劇学専攻『実験劇場』OB会/出演:野中あんり・しのざきさとみ・大黒恵・那波隆史・山科薫・風吹進・牧村耕次・中江だいちん・松島出版・ヨッサリアン・中村勝則・鎌田金太郎・平田浩二・中山のん・三毛猫泣太郎・なかみつせいじ・竹本泰志・周磨ッ破・三毛猫泣太郎・和田平助・大海昇造・金山弘美・安藤恵子・生方哲・いのしし鍋吉・石部金吉・相楽総三・岡野由紀・浅野真理/特別出演:艶堂しほり)。出演者中中江だいちんから三毛猫泣太郎までと、周磨ッ破以降は本篇クレジットのみ。三毛猫泣太郎の二重クレジットは、本篇に従ふ。美術の花椿桜子と助監督の古川諒太が、ポスターでは何故かてらおか工房と関谷和樹に、もうやりたい放題。
 鮫島医院、有能な医師・石山健児(竹本)が一(ひと)オペ終へる。看護婦の山口裕子(野中)らが見守る前で、手術は成功したらしく誇らしげな石山ではあつたが、タイトル挿んで奈落の底へ。薬事法違反の容疑で、石山は前沢署の野田刑事(牧村)に逮捕される。
 清水組例によつての徒な大所帯を、実際の登場順には必ずしも囚はれずに整理すると、鮫島医院は妻の明美(艶堂)が目を光らせる中、婿養子で院長の鮫島(なかみつ)と、医学部に進学出来なかつたのに執拗な劣等感も地味に懐き続ける、蝶ネクタイと始終手の中で弄ぶジッポーが特徴的な造形の経理部長・根本(那波)が取り仕切つてゐた。石山は鮫島の稚拙な医療技術と、営利最優先の病院経営とに反発、鮫島の手術ミスを医師会に告発する腹を固める。鮫島らは、正直この辺りの相関はギミックの過積載でグッチャグチャなのだが、元々寝たきりの義母・芳江(大黒)と、事故により新たに車椅子生活となつた、物書きと思しき夫・武夫(風吹)を抱へ経済的に逆らへぬ状態にあつた裕子を使ひ、石山のヘロイン盗難を偽装。しかも裕子と石山が当時不倫関係にあつたりもするのが、不用意にやゝこしい。とりあへず首尾よく、石山が実刑を喰らつたまでが二年前。そして現在、出所した石山に、かつて命を救はれた青木世津子(しのざき)が接触。下の名前と同じ屋号の、自身が営む小料理屋へと誘(いざな)ふ。軽く祝杯を交しがてら世津子主導で事に及ぶのは、しのざきさとみとしては「クリーニング恥娘。 いやらしい染み」(2008/監督:松岡邦彦/脚本:今西守/主演:長崎メグ)以来の銀幕実戦。新版公開畑では大レギュラーなので忘れがちにもなるのか、脱ぎなしの出演でも「誘惑教師 《秘》巨乳レッスン」(2009/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/主演:@YOU)以来となる。直截に切り込むと、首から下よりも、寧ろ上の方に加齢を感じさせる。因みに来年は、2010年時のインタビューに於いて自ら区切りとして掲げた年に当たる。ピンク自体とのマッチ・レースの様相を呈しかねないのかも知れないが、しのざきさとみ的には全然戦へるぞ。柄にもない筆を滑らせると、我々も歴戦の女傑の背中を後押しするべきではなからうか。話を戻して、前沢を捨てる腹の石山を世津子は説得。ここがまた、藪から棒といふか大胆といへばいいのか判断に苦しむ、正体不明の飛躍ではあるが、兎も角医師の職は追はれた、石山は特技のクラリネットを活かしちんどん屋に転身。何といふか、シュールの領域に突入した発想でもある。そんな石山の姿を鮫島らは嘲笑し、裕子は複雑な心境に駆られる。出演者残り山科薫は、石山には大きく劣るも、鮫島よりは断然マシな鮫島医院医師・前田。清水大敬―は、ちんどん屋のクライアント「大阪屋」社長―主宰の劇団ザ・スラップスティック勢と、ピンクス有志動員により賄はれるエキストラ部は、院内と各種司法要員に、ちんどん部隊。商業映画なのに自主臭さを爆裂させる面子の画的な貧しさではありつつ、ちんどん行列のストレートに楽しげな風情は買へる。
 清水大敬―の癖に、とは敢ていふまい―2011年順調に第二作は、まさかの六年ぶり電撃監督復帰を果たした「愛人熟女 肉隷従縄責め」(2008/主演:沙羅樹)からも早五作、因みに通算では十三作目。さうしたところ良くしたものか悪くしたものか、新味も面白味も別になければ派手な破綻も特には見当たらない、ひとまづ正攻法の人間ドラマが、幾分といふか所々ハイテンションなばかりで案外粛々と進行する。残り全ての登場人物が狂騒的に喚き散らすのに終始し、ヒロインと観客を翻弄することもなければ、よくいふとアヴァンギャルドな、端的には木端微塵の魔展開が火を噴き、途方に暮れさせられるでもない。ところがさうなると、逆に妙な物足りなさも覚えてしまふのが人情といふもの。だなどと、己の変節も棚に上げ先に進む無節操が許されるならば、当たり前の物語をノッペリと綴られたところで、清水大敬に求められてゐるものは、さうではない筈だといふ意も強い。何も、壊れてゐない映画を撮るなとまでいふつもりは勿論毛頭ないが、根本的に不満を残すのは、しのざき御大については大記録への偉大な一歩、艶堂しほりは特別出演枠にも関らず妖艶な魅力を振り撒く機会にそこそこ恵まれるとして、問題なのが野中あんり。折角超絶可憐な主演女優を、しかもお誂へ向きに悪漢どもに汚され貪られるポジションに擁しておきながら、徒に多い頭数の配役を消化するのにも土台限られた尺を削られ、裕子の被虐シークエンスのどうしやうもない不足には、激しく首を傾げさせられざるを得ない。再び前言を翻すが、例へば「大阪屋」絡みのちんどん練り歩く件なんぞは、二度三度と重ねられる割には要は同じ段取りを繰り返してゐるだけなので、いつそ一幕きりで十分だ。そんなことよりも、何故もつと裕子が鮫島と根本と黒百合を狂ひ咲かせる明美とに、手を換へ品を換へ陵辱され倒す濡れ場を畳み込み、下賤な下心を満足させない。その点に関しては前作「愛人OLゑぐり折檻」が、何はともあれ藤崎クロエの裸だけはお腹一杯に見せて呉れただけに、なほ一層釈然としない心が残る。

 基本線としては、甚だ中途半端な作家的成長を遂げた清水大敬が、結果裸映画に際して女の裸といふ、最も大切な果実を明後日だか一昨日に置き忘れて来た一作ではある。尤も、他愛のないメッセージを特大クレジットで打ち抜きよくて呆れさせ悪くすれば神経を逆撫でする、いはゆる清水大敬病はオーラスにて健在。ゆめゆめ誤解なきやう一言お断り申し上げておくが、決してそのことに、一種安堵を覚えてゐたりする訳では断じてない。あと発症する直前にも、清水大敬は「心配しないで下さい」程度の台詞を噛むなよな、一体何年選手なんだ。百歩譲つて人のすることゆゑ失敗は仕方もないにせよ、それならば黙つて録り直せばいいではないか。


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 「つはものどもの夢のあと 剥き出しセックス、そして…性愛」(2012/製作:松岡プロダクション/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:今西守・関谷和樹/企画:亀井戸粋人/撮影・照明:村石直人/編集:酒井正次/助監督:松林淳/監督助手:江尻大/撮影助手:松宮学・吉浦正人・瀬戸詩織・重田純輝・竹内亨織/編集助手:鷹野朋子/録音:シネ・キャビン/選曲:山田案山子/現像:東映ラボ・テック/出演:後藤リサ・伊沢涼子・小川はるみ・津田篤・小林節彦・サーモン鮭山・なかみつせいじ・井尻鯛・石川優実・柳東史《友情出演》・沢田夏子《友情出演》)。出演者中、井尻鯛は本篇クレジットのみ。
 旦々舎も近年好んでロケに使ふ都庁近くの歩道を、買物袋を両手一杯に提げた女優の高階麗子(後藤)が歩く。忍び寄る何者かの気配に、身を硬くした麗子が恐々振り返つてタイトル・イン。
 明けて飛び込んで来るのは、「和服妻凌辱 -奥の淫-」(2002/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/主演:AZUSA)に於ける、写真出演以来の電撃銀幕復帰となる沢田夏子。女神再臨のタイミングは抜群、結果論的な正確には、タイミング“だけ”は。沢田リポーターが高階麗子の失踪を伝へるTV番組を、シナリオ・ライターの大森猛(津田)と、大雑把な肩書で恐縮ではあるが変態サラリーマンの―あんまりだ―村上和真(サーモン)が見やる。依然華もありつつ、流石に表情から女性的な丸みを若干失つたかに見えなくもない沢田夏子の十年間は、キネコの汚さが隠すのか隠さないのか。
 頻繁に前後する時間軸の、ザックリとした整理を配役込みで試みると。大森は「Vフィルム21」の俗物プロデューサー・中村仁志(なかみつ)に、低予算Vシネの脚本を依頼される。見るからガッハッハ系の中村の造形は、量産型娯楽映画的で鮮やかではある。参考にと中村から渡された過去の「Vフィルム21」製作実績のファイルの中に紛れ込んでゐた、いはゆる“スナッフ・フィルム”殺人現場映像の資料に、大森は目を留める。大森の姉・友子(後藤リサの二役)は二十五年前、通ふ大学の映画研究会グループに強姦後殺害された上、その模様を8mmフィルムに撮影されてゐた。大森はスナッフ資料の提供者・高山義彦(小林)に接触、ここで、この人は「母性愛の女 昼間からしたい!」(2008/監督:松岡邦彦/脚本:今西守/主演:浅井舞香)以来のスクリーン帰還を果たした小川はるみは、高山の妻・佐和。高山邸応接室、大森と応対する高山の背後で、佐和が一心不乱に粘土で怒張を捏ねるファースト・カットは、今作数少ない松岡邦彦らしい破壊力。後に夫婦生活も一幕披露するが、元々熟女枠からの更に四年のブランクは、流石にキナ臭いものもある。過去に、大枚叩いて米国でのスナッフ・ツアーに参加した経験もある高山に感化された大森は、次第に秘められた友子への感情に直面するのと同時に、軸足を社会的な平定の中から失して行く。柳東史は、中村の大らかないはゆる枕要求にも―タレントの意向は一切関せず―二つ返事で応じる、高階麗子マネージャー。中村と柳マネージャーの組み合はせは、戯画的過ぎて殆どコントだ。高山は如何に出会つたのか村上を仲間に引き込み、スナッフ・フィルムの自作に着手する。後述するが最も気を吐く形の伊沢涼子は、最終的には好色の範疇から逸脱することのない村上が高山の意には反し、殺し損なふ女・豊田あゆみ。一欠片も脱ぎはしない石川優実は、姿を消した麗子の代りに柳マネージャーが中村に差し出す、正しくバーター女優。正直何処に見切れてゐたのか全く気付けなかつた井尻鯛(=江尻大)は、大森回想パートの映研勢から、劇中実際に友子を犯す男?
 2011年は黄金週間の「罰当たり親子 義父も娘も下品で結構。」(監督:松岡邦彦/脚本:今西守/主演:舞野まや)とお盆映画の「夏の愛人 おいしい男の作り方」(監督・脚本:工藤雅典/主演:星野あかり)、僅か二本の公開のみに止まつたエクセスの、殺人の悦楽を主題に据ゑた2012年正月映画。因みに今年のエクセスはGWは素通り、夏の噂も現時点に於いて、関門海峡以西在住の野良ピンクスの耳に新作の報が伝へ聞こえては来ない。話を戻して、エクセスはとんでもない無茶を目出度い新年から仕出かしやがる。と、興奮に打ち震へながらツッコミを入れたい、ところではあつたのだが。端的にいふと今際の間際のエクセスの断末魔、といふほどのインパクトにすら乏しく、寧ろ虫の息といつた感の強い一作。イメージは神々の時代にをも遡り、欲望の赴くまゝ禁忌に触れることも厭はぬ、人間性の暗黒面のロック・オン。にまでは、確かに辿り着けてゐるものの、魅力的なストーリーを構築することは全く能はず、総じて踏み込みも甚だ浅い。ピンク映画の安普請に関しては一旦忘れるふりをして、私は何も、表面的なスラッシュを見せろだとか邪気のないことを申すつもりはない。唸りを上げる展開自体のエクストリームさで観る者を圧倒する馬力が、場末の小屋を人知れず虎視眈々と轟かし続けた、かつての松岡邦彦にはあつた筈だ。“エクセスの黒い彗星”とつけた異名のゼロ年代当時での通用性を、小生はこの期に手前味噌で疑つてはゐない。始終は概ね足踏みするかのやうな堂々巡りに終始、尺が漫然と空費される結果、物語らしい物語の気迫の感じられない希薄は致命的。キャスト陣で最低限の仕事をさせて貰へるのは、ビリング順に伊沢涼子・なかみつせいじ・石川優実・柳東史、と沢田夏子も程度、全員要は端役ではないか。とりわけ、後藤リサ演ずる―友子は兎も角―高階麗子に関するドラマと主体性の欠如は別の意味で決定的。絡みの質量にも決して恵まれず、さうなると伊沢涼子は頑丈に勤め上げる濡れ場要員にさへ―後藤リサにその座を奪はれ―なり損ねかねない始末。斯くも扱ひの軽い主演女優といふのも、逆の意味で画期的といへるのではなからうか。唐突な暗転の後、「つはものどもの夢のあと」と、そこだけ切り取れば小林節彦がオーラスを渋く纏める。尤も、然様な縁起でもない、もとい洒落臭い相談が通ると思つたら大間違ひだ。フルスイングの空振りならばまだしも、力ない見逃し三振の如き今作を、松岡邦彦の最終打席として呑む訳になど行くものか。俺は未だ諦めんぞ、ピンク映画から学んだ往生際の悪さを、己(おの)が唯一のウェポンと薮蛇に振り回したい。


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 「私の後家さん 濡れ上手」(1998『隣の後家さん ハメられ志願』の2007年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:坂本太/企画:稲山悌二《エクセス・フィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:創優和/撮影助手:周富良/照明:野田友行/助監督:羽生研司・三輪隆/製作担当:真弓学/メイク:大塚春江/編集:金子尚樹《フィルム・クラフト》/効果:東京スクリーンサービス/出演:小泉硝子・中村京子・扇まや・村上ゆう・杉本まこと・山本清彦・白都翔一・前川勝典)。照明助手に力尽きる。
 線路沿ひの道路、閑古鳥の鳴くおでん屋台。女主人の五代夏美(小泉)が「花の命は短くて」、「苦しきことのみ多かりき」と気障に黄昏ながらも、「ま、いいか」と気を取り直したところでタイトル・イン。
 タイトル明け、最低でも二ヶ月の米国出張に旅立つ夫・松岡益男(杉本)を、妻の千春(村上)が寝かせない夫婦生活。小出しされる情報をそのままに先に進むと、居間では何故かテントを張り生活する夏美が、閉口しつつもついついアテられ自慰に耽る。翌朝、千春は出戻りの妹に邪険にする一方、出がけの益男はトボトボ屋台を引く夏美に、矢張り後家でもある経営コンサルタント・黒田春子の名刺を渡す。そんなこんなで、こちらも後家の石川理絵子(中村)の迫力ある野菜オナニーと、室内から室内を捉へるにも関らず簾越しに抜く画に坂本太の頑強な嗜好が感じられる、春子(扇)と情夫・平林潤造(前川)の情事が重量級の同時進行、然し濃い面子だ。他方借金取り・友坂利夫(白都)の望まぬ来訪を受けた夏美は、振れぬ袖の代りにホテルにでも入るのかと思ひきや、致すのが松岡家居間のテントの中である無造作には驚いた、千春は何処に行つた。兎も角訪ねて来た夏美に、春子は大明後日指南。ロケーションの詳細がよく見えないが、屋台をガレージのやうな空間に引き込むと、後方には更に何故かライトバン。最初の客として現れた平林は、おでんを注文することもなく―劇中おでんを食するのは、結局仕込み途中の夏美本人のみ―ライトバンの車中で、そもそも何故か何故かセーラ服姿の夏美と先生と生徒設定の上で事に及ぶ。山本清彦は、屋台と称した要は売春窟の客要員・小田俊平。車中で女を抱く男達が勢ひ余つて天井に頭を派手にぶつけるのは、演出なのかリアルなのかが絶妙に判らない。
 歴戦のアルチザン・坂本太の1998年第一作を改めて整理すると、亡夫の遺した借金とおでん屋台を抱へ姉夫婦宅に居候する若後家。などといふ闇雲な設定のヒロインが、義兄に紹介された経営コンサルタントの薮蛇な勧めに思ひのほかおとなしく従ひ、コスプレおさはり屋台―と劇中では称されるが、正確にはコスプレ本番屋台である―を大絶賛違法開業する。ただでさへあちこち飛躍の大きな物語が、しかもさしてエクスキューズに心を配るでもなく水の低きに流れるが如く進行して行く展開には、裸映画としては全く順風満帆の反面、素といふ意味での裸の劇映画としてマトモに取り合はうとすると、大胆過ぎる省略に清々しさにも似た眩暈を覚えなくもない。コスプレ屋台には春子に続き、第三の後家・理絵子も満足なイントロダクションすらスッ飛ばし平然と参戦。濡れ場の連打はそれはそれとして充実してゐるものの、如何せんマッタリともたれて来ないでもない頃合を見計らひ、ここは欲求不満の伏線もひとまづ十全に敷設済みの、千春をも引き込む終盤の盛り上がりは、それなりには手堅い。但し、そこからまさかの夏美V.S.益男戦を叩き込み、予想外の結末に落とし込まうとする力技は流石に苦しい。夏美は亡き夫からの解放と、益男は千春の変貌。双方の思惑が―春子も利用した計画の末に―目出度く叶つたとかいふ着地点は、映画的な流れを狙つた節は酌めぬではないが、それまでに夏美と益男との間には、世間話程度の遣り取りしか設けられてはゐない以上、ちぐはぐさは甚だしく、木に竹を接ぐにもほどがある。とまれ最終的には、さうかう野暮を言ひ募るのも、勃たなくなつてからでいいではないか。兎にも角にも銀幕に花咲く、微かにシャクレてもゐる顎はさて措き、本当に透き通りさうな小泉硝子のキュートな魅力が素晴らしい。現時点で“小泉硝子”でグーグル検索を仕掛けてみると、現存する硝子製作所ばかりが出て来てまるで要領を得ない辺りも御愛嬌。中村京子と扇まやが二枚並ぶと些かならずクドさも感じさせつつ、小泉硝子と、訳アリ過積載の妹に意地悪く接する姉に扮した村上ゆうとの丁々発止は、裸抜きのシークエンスであつてもキラキラと輝く。後述する、「痴漢電車 指いぢめ」に於いては川口真湖と桃井桜子の組み合はせで同様に送られる、かういふ素直な可愛らしさは案外、坂本太が陽性映画を撮る際の、何気に隠れた決戦兵器でもあるのではないか。バンの中にまで三方に吊つてみせる、坂本太の簾―あるいは時に蚊帳―への偏愛も微笑ましく、決定力を有した主演女優に恵まれた如何にもらしいエロ映画のポップ・チューンを、軽やかに楽しむのが吉といふべきなのであらう。
 ところで新旧題、後家と後段は判るが“隣”だの“私”だのと、一体誰の視点なのか。

 詳細は不明なれど、今作を小倉にて観戦した二日後の六月十九日、ツイッター上で坂本太監督の訃報―亡くなつたのは前日―に触れ愕然とする。享年五十歳、関係者の方々にとつても急な話であつたやうだ。僅かに観た範囲内ではあるが、坂本太作といふと正調娯楽映画の名に値しよう傑作痴漢電車「痴漢電車 指いぢめ」(1996/脚本:佐々木乃武良/主演:川口真湖)や、与太ではなく吉田祐健がウォーレン・オーツを髣髴とさせる、ピンク版「ガルシアの首」こと「マル秘性犯罪 女銀行員集団レイプ」(1999/主演:平沙織)が特に印象深い。生前の偉大かつ膨大な戦績を偲び、謹んで哀悼の意を表するものである。


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 「見てはいけない母の痴態」(1996『青い性体験 淫らに教へて』の2005年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/助監督:榎本敏郎/出演:青井みずき・風見怜香・林田ちなみ・頂哲夫・樹かず・山本清彦)。
 ともに高三の服部恵利子(青井)が、彼氏の郁夫(頂)とホテホテ歩く。こゝでひとつ特筆しておかねばならないのは、過去に一本出演作を観てゐたのは迂闊にもスッカリ忘れてゐた、青井みずきがイコール相沢知美であるといふ点。改めて整理すると、青井みずきの名前で裸仕事デビュー後、1997年から御馴染み相沢知美、これは子役時代の名義に戻したものらしい。更には、確か二回のブランクも経て、2006年からは会澤ともみとしての活動も見られる、花の命が案外長い。話を戻して、既にサッカーでのスポーツ就職―劇中台詞ママ、実業団チームにでも入るのだらう―を決めた郁夫に対し、医学部への進学を志望する恵利子は、“女が頑張るのは子供を産む時と、いゝ男をゲットする時だけでいゝ”だなどとする、古典的な女性観を伝承する母親と衝突してゐた。郁夫の部屋、先にクレジットが通りつつ、恵理子と郁夫が一戦終へるのを待ちタイトル・イン。
 タイトル明け服部家、ところがそんな恵利子の母・幸子(風見)が、東大医学部の今でいふイケメン・三浦丈典(樹)を、塾にも通はぬ―その外堀を、アバンの会話中で埋めるのは地味に手堅い―娘の家庭教師に招聘してゐた。そこに恵利子帰宅、簡単に互ひの紹介を済ますや、母親が進路を認めて呉れたものと感激した恵利子は、早速三浦の教示を受け自宅学習を始める、幸子の魂胆にも気づかずに。服部母娘と三浦の3ショット、三浦が幸子に向ける視線に大オチの気配を感じ取つたのは、演出のブレでは多分なく単なる当サイトの明後日だか一昨日な見当違ひのやうだ。
 恵利子の受験勉強がとりあへずは捗る中、幸子からの三浦に関する電話報告を事の最中に受ける、後に服部家に入る際にはスーツ姿であつたところをみるに職業婦人と思しき林田ちなみ(a.k.a.本城未織)は、恵利子の姉・優子。満足に台詞も与へられず林田ちなみの介錯役に徹する山本清彦(a.k.a.やまきよ)は、優子のお相手で課長職の銀行員・宏二。但し、宏二は優子にとつて夫でなければ恋人でもなく、旦那は旦那で別にゐることが、後に一言だけ語られる。対立しなくもない恵利子に対し、幸子と優子の仲は良好に見えるものの、さつさと家庭に入つて子供を産みなさいといふ形で、幸子の思想と優子の現況との間に厳密には齟齬が感じられなくもない。他方、幸子は幸子で、遺産を残しさうな男と結婚した、即ち未亡人である旨が、後々同様に一言で片づけられる。それゆゑ、因みに2000年最初の旧作改題時新題は「好きもの未亡人 母娘で乱れる」であるのだが、正直幸子の未亡人属性は清々しく判り辛い。
 母のいふ“女の幸せ”よりも“私の幸せ”とやらを激しく主張する、青井みずきの熱演が一応映える恵利子と幸子の相克を軸とした、終盤木に竹を接ぐ正攻法のホーム・ドラマも決して悪くはないとはいへ、前後の寝取られ未遂やカミングアウト後戦の工夫の欠き具合が展開的にあまりにも自堕落につき、オーラスのサッカー・ボールに書かれたエールまで含め今一つも二つも覚束ない。今作の見所はといへば矢張り、序盤快調に走る幸子の玉の輿大作戦。強精剤にスッポン鍋と、幸子は恵利子を呆れさせる頓珍漢な差し入れを連打。止めは団扇でパタパタ扇ぎ、室外から送り込む媚薬香。異変を察知した恵利子が様子を窺ふと、スッカリ効果を発した幸子が廊下で自慰をフルスイングかましてなんかゐやがるカットは、風見怜香自体のものにも加速された、正しく抱腹絶倒の破壊力を誇る。この件、三浦は異臭を全く感知しなかつたのは、もしかするとひよつとして万が一、遠い遠い遠過ぎる伏線であつたものやも知れない。

 よく判らないのが、「見てはいけない母の痴態」は確かに目下津々浦々を回つてゐるやうなのだが、2005年新版が何で又この期に?といふ疑問は払拭し難い。横着して通算四度目の新版公開に、新々題を使ひ回したといふ寸法なのであらうか。


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 「色狂ひ天国 止まらない肉宴」(1993『美尻調教 もう許して』の2011年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:橋口卓明/脚本:佐々木優/撮影:小山田勝治/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:田尻裕司/監督助手:榎本敏郎/撮影助手:岩崎智之/照明助手:加藤義明/スチール:佐藤初太郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:菊池麻希・井上あんり・梶原恭子・池島ゆたか・小林節彦・荒木太郎・山口健三)。出演者中、池島ゆたかは本篇クレジットのみ。
 OLの佐藤美歩(菊池)と、同僚兼恋人・桑原茂樹(山口)の情事でそつなく開巻。但し事後感想を求められた美歩が、絶妙に言葉を濁したタイミングでタイトル・イン。ポスター写真では目力を感じさせるのに動いてゐるのを見るとキャラクター的には薄さも感じさせつつ、菊池麻希の兎も角均整の取れたプロポーションと同時に、山口健三の精悍さも綺麗な男女の対照を成し実に画になる。
 古本屋のある商店街を抜ける美歩の通勤カット噛ませて、オフィスを工面する労か袖を端折つたと思しき、社外での昼休み風景。公園で昼食を摂る、制服を着てゐないのをみるに二人は総合職なのか、美歩と親友・木村早苗(井上)の前に桑原と、食べ物の貧しさを揶揄するのが挨拶代りの、矢張り同じ会社に勤める早苗の彼氏・船橋清隆(荒木)が現れる。ところで薮蛇なのが、旧版と、それを律儀に踏襲した新版ともポスターでは何故か、荒木太郎の名前が荒木一郎に。どうしたらさういふ破目になるのか、一文字で根本的に違ふ、騙されて小屋の敷居を跨いだ人があればどうするつもりなのだ。閑話休題、内向気味の美歩に対し、早苗は船橋との倦怠期を公言して憚らない―前に出る圧力に乏しい菊池麻希と、アクティブな井上あんりとのコントラストが映える―伏線も踏まへ、帰り古本屋に寄つた美歩は、『女体開発奥義』なる見るから古い単行本を買つて帰る。こゝで池島ゆたかが、無愛想さがリアルな古書店店主。帰宅後、早速『女体開発奥義』を紐解き美歩が試すメソッドが単に快楽を得るための技術ではなく、書名通り女にいはゆる“名器”を仕込む養成法である点に関しては、この時点では―といふか結構終盤に至るまで―明確に説明を欠く。結果論として、この辺りから展開が躓き始めたものと目し得なくもないのだが、とまれ美歩がひとまづ桑原と奥義を実践に移してみたところ、二人は絶大なる効果に震へる。但し但し、『女体開発奥義』には、書籍内の理論を実行するのは一日一回と戒める但し書きが添へられてあつた。一方、美歩が肌身離さず持ち歩く『女体開発奥義』に興味を持つた早苗は、家飲みに招いた美歩が寝込んだ隙に、『女体開発奥義』の内容をメモに書き写す。舟橋と奥義を実戦投入した早苗は、どうやら但し書きには気づかなかつたらしく、こちらの二人は忽ち寝食も忘れセックスに溺れる。
 1993年橋口卓明、薔薇族込みで最終第五作の最も顕著な特徴は、男女それぞれ三番手の登場を契機に、みるみる怪しくなつて来る雲行きが挙げられようか。より正確には、女優部三番手が厚黒い雨雲を立ち込めさせ、再登板した男優部三番手が土砂降らせる。登場順に小林節彦は、桑原とは何となく擦れ違ふ中、『女体開発奥義』購入後の美歩がテレクラを介して一夜を過ごす、ポップにガッついた男・加藤。梶原恭子は、美歩との奥義戦も経ておいて、桑原が呼ぶホテトル・野村恭子。
 秘儀を正当な伝承者から無断盗用した者が、正しい使用法を守らず―あるいは知らず―に酷い目に遭ふ。古典的な形式の物語に、上手く女の裸を絡める妙手にも成功してゐる。本来ならば、極めて磐石な艶話であつて全然おかしくなかつたところであるにも関らず、中盤、正体不明に振れてみせるナーバスが致命的な疑問手。美歩が桑原を伴ひ帰宅すると、玄関先には何故か―当夜加藤の心証が決してよくはなかつた美歩が、住所を教へてゐやう筈のない―加藤が詰めかけてゐる。一旦詰め寄つた加藤もさて措き、桑原は美歩と正しく薮蛇な痴話喧嘩。そこで美歩が投げた、「貴方がさういふ私を求めたんぢやない!」とかいふ台詞が、どういふ美歩なのか、全体、桑原が何時何を求めたのだか皆目通らない。兎に角そこに飛び込んだ助けの求めに応じ、荒淫の果てに憔悴した早苗と船橋を救出したのちの美歩と桑原による締めの一戦は、濡れ場そのものとしては全く順当な出来栄えではあるものの、全篇を不用意に貫く、美歩と桑原の齟齬に血肉を通はせる段取りに画期的に欠いてしまつてゐるゆゑ、クライマックスに至る過程も畢竟ちぐはぐなものとなり、さうなると如何せん始終が収束しない。魅力的な基本プロットと、隙のない布陣にも恵まれながら、攻め口を仕出かしシンプルな裸映画の良作をモノにし損ねたやうに映る、釈然としなさばかりが残される据わりの悪い一作ではある。
 そんな最中、純然たる枝葉の一幕に過ぎないまゝに魅力的であつたのが、様子のおかしい早苗と船橋を美歩と桑原が各々気遣ふ、件の後者。桑原から仕事が忙しいのかと尋ねられた船橋は、「俺が仕事する訳ないだろ」と即返答。これはまるでアテ書きされたかのやうな、荒木太郎ならではの鮮やかな名台詞。

 今回、加藤の女の扱ひが幾分乱雑なほかは、加虐要素は特にも何も全くない。即ち、実は新題の方が内容により即してゐるといふ、珍しい好例を成す。“より”といふか、全く過不足なくフィットしてみせるのは滅多にないクリーン・ヒット。


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 「いんらん千一夜 恍惚のよがり」(2011/製作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典・山口大輔/撮影:中尾正人/編集:有馬潜/助監督:櫻井信太郎/監督助手:永岡俊幸/撮影助手:坂元啓二・俵謙太/協力:L.S.C・Sunset Village/出演:春野さくら・しじみ・ほたる・久保田泰也・藤本栄孝・岩谷健司)。
 通常のオーピー映画カンパニー・ロゴに続き、“製作 Blue Forest Film”は、ラブホテルのテレビ画面に映り込む。地元東京で就職を決めた風見由真(春野)と、千葉の大学に進学する依田和雄(久保田)のお泊り。処女といふ訳ではあるまいが、由真の初めてで拙い口唇性交から、舞台は何処ぞの路肩に停められたワン・ボックスの車内に飛ぶ。見るからに訳ありな風情の中年男女、助手席から渡部千秋(ほたる)が、野地一平(岩谷)の股間に顔を埋める。一方こちらは、おにぎり屋のアルバイト店員・相楽晴海(しじみ)の部屋。春海も、同棲する三文役者・上野丈(藤本)のモノを咥へてゐる。だといふのに、丈が出演予定の「ごすろり博徒」台本に目を落としてゐることに腹を立てた春海が放り捨てた台本の、裏表紙に「いんらん千一夜 恍惚のよがり」。洒落たタイトル・インまで含め、そこそこ気の利いた開巻に映画的には納得しかけるが、三本尺八を連結させておいて、ひとつも痒いところに舌を届かせないのは如何なものか。適宜タイミングを捕まへ、カメラはラブホと部屋と車内をランダムに往き来する。ああでもないかうでもないと仲良く喧嘩しながらも、楽しげな夜を過ごす由真と和雄に対し、二つ年上の丈との交際は、おにぎり屋でのバイト暦とほぼ同じでかれこれ七年。歳も二十七になる春海は、さし迫るあれやこれやの世知辛さと、人の気も知らず呑気で身勝手な丈とに苛立つ。一方、千秋と野地は更にその先だか極北を行き、時折互ひに携帯に目を落とすなり野地は煙草を吸ふだけで、二人の間には無言の時間が流れてゐた。
 今のところ順調な将来を控へた、未だ若い由真と和雄。ありがちな焦燥にぼちぼち人生を詰まれつつもある、そろそろ若くはない晴海と丈。煮詰まつた関係に言葉を失ふ、とうに若さを通り過ぎた千秋と野地。三組の、位相を異にするカップルの模様が同時並行方式で綴られる構成はパッと見、小松公典変名の近藤力脚本による、加藤義一の「痴漢電車 夢指で尻めぐり」(2010/主演:かすみ果穂)も容易に想起させやうか。尤も、輪唱にも似た凝つた形式で、プリミティブなエモーションを追求した「夢指で尻めぐり」を引き合ひに出すまでもなく、今回竹洞哲也2011年第三作の仕上がりは然程どころでもなく強固ではない。三つの現場が特段交錯することもなければその結果物語世界の深化なり醸成が図られることもなく、要は都合のいいところで切り貼りしたものを、六十分分適当に繋げてみたさあ御座い、といふに止まる印象は強い。オーラスに至つて出し抜けに持ち出される、“いづれ”とかいふキー・ワードに関しても、薮から木に竹を接ぐ程度の強度しか感じられない。濡れ場に際しては、後ろ二組は微妙な頃合でもあるのと、そもそも千秋と野地は狭い車中から動けないゆゑ、結果的に由真と和雄が徒な手数を重ねるほかないことは、裸映画的にはどうしても平板を回避出来ず苦しい。三組全ての登場人物が、基本終始屋内に留まることが禍(わざはひ)してか、決定力のあるショットに欠いたことも、展開と画が共倒れては矢張り響かぬ筈がなからう。一点激しく疑問に思へたのは、そこかしこでそれなりに重きを置いた小道具として使用するつもりであるならば、客層に年寄りが多く含まれる点も踏まへるとなほさら当然、チラッとしか見せない携帯メールの液晶画面は、もつと入念過ぎるほどに押さへておいて欲しかつたところではある。と、頼みなどするものか、娯楽映画を舐めてんのか。ここで、不躾に筆を荒げたことには、正当性を主張するつもりも元よりない理由がある。晴海への感情移入も勿論込みで、丈の自堕落さがポップに腹立たしい以前に、臆面もない感情論を振り回すが、チャラい久保田泰也の無様さには虫唾が走る。竹洞組は、このやうなものが商業映画の水準たり得てゐると本当に考へてゐるのか、どうしても解せない。開巻から即座に閉ざされた、小生の意固地な天岩戸が終に開かれることもないままに、唯一の見所はといへば、「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008/監督:池島ゆたか/脚本:後藤大輔/主演:日高ゆりあ・牧村耕次)に於ける青山えりな(ex.涼樹れん)の大熱演も髣髴とさせる、晴海のリアルな感情を爆発させるしじみ(ex.持田茜)の姿ばかりか。積極的な意匠にも関らず、意欲作とまでいふほどの質感は感じさせない、総じては心許ない一作である。

 もう一つ忘れてた、和雄と由真が、エロ写メを撮る撮らせないで戯れ合ふ件。映像に同調させて音声もスローモーションにしてみせた演出は、不意を突かれ新鮮に映じた。


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 「未亡人女医 プライベート《秘》看護」(1999『濡れ上手 白衣の未亡人』の2007年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:勝利一/脚本:国見岳志/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:松尾研一/撮影助手:鏡早智/照明:多摩三郎/照明助手:宮坂斉志/助監督:羽生研司・水元泰嗣・新谷拓也/製作担当:真弓学/ヘアメイク:井上かおり/編集:金子尚樹《フィルム・クラフト》/効果:東京スクリーンサービス/出演:永森シーナ・村上ゆう・桜居加奈・岡田謙一郎・山内健嗣・久須美欽一)。
 桜咲く季節、何故かマスクをした町医者の川北亜紀子(永森)が、ひとまづ軽快にチャリンコを走らせる。開巻で主演女優の顔を隠してみせるのは、一体如何なる了見か。ま・・・・まさか!?よもや、勝利一が投じたかも知れぬ非人道的な危険球に関してはここは強ひて通り過ぎ、自転車が短いトンネルに差しかかつたタイミングでタイトル・イン。通院患者で広告屋の菅野晴生(岡田)と、二人で外回り中の部下・藤崎好恵(村上)との短い遣り取りを挿んで、亜紀子は往診先の独居老人・上島松太郎(久須美)宅へと向かふ。菅野に呼び止められたところでマスクを外し、漸く綺麗な三日月フェイスをフル・オープンする永森シーナは、リアルタイムでm@stervision大哥が御指摘の通り、台詞は別人によるアテレコ。但しその主にまでは辿り着けず、小生の覚束ない記憶の中には聞き覚えのない声ゆゑ、諸兄諸賢の御教示を乞ひたい。
 亜紀子が到着すると上島が倒れてゐたのは、人騒がせ極まりない仮病。あれよあれよといふ間もなく事に及び、当初は張形を持ち出し亜紀子を責めてゐた上島は、やがて剛直を取り戻す。一方、二年前に谷川岳で死亡した亜紀子亡夫(遺影の欠片も登場せず)の兄の息子、即ち亜紀子からは甥に当たる栗原信一(山内)が、同様に山で折つた右腕を吊り、菅野に対しては確かに内科なので一体何科なのかよく判らない、亜紀子が不在の川北医院を訪ねる。さうしたところ彼女といふ説明も特にはないのだが、応対した看護婦の西田宏美(桜居)と、不自然に自然な流れで一戦交へる。一方一方、菅野は広告元の利用を強弁し、好恵をラブホテルに文字通り連れ込む。
 当時「三十路女医」なる、正直ぞんざいなタイトルでJUNKからビデオ・リリースされた際には、「三十路女医 白衣欲情」(監督:新田栄/脚本:五代暁子/主演:新田利恵)と抱き合はされた勝利一1999年第二作。因みに、新田栄版「三十路女医」では永森シーナが中村杏里名義で三番手を務め、骨折箇所の手足と通院入院の別はあれど、矢張り看護婦に手をつける患者ポジションで山内健嗣と、岡田謙一郎も、ギャンブル狂ひが祟りヒロイン女医に見限られた元夫役で出演してゐる。量産型娯楽映画ならではの単なる偶然か、フィルムハウスとサカエ企画に跨り、初めから連動してゐた―公開は今作が半年先―企画であるのかは不明。もう一点、断じて看過することの許されない最大の共通点は、片や桜居加奈(a.k.a.夢乃)片や林由美香といふ、両医院が迸らせる看護婦の超絶。何といつたらいいのか判らないので直截の更に内側を抉り筆を滑らせると、俺は桜居加奈が大好きだ。栗原との未遂に終る二回戦、骨折以来風呂に入つてゐないといふ栗原に、臍を曲げる表情が狂ほしく堪らん。夢乃名義で主演を張つた、上田良津最終作「発情乱れ妻」(1999/大蔵)を是非ともウルトラもう一度観たい。
 話を戻して、男から迫られた際、好恵は普通に抵抗する、一度目は。宏美は一応逡巡くらゐは見せる、形だけ。他方、亜紀子はほぼ些かのエクスキューズを表することもなく、いつ何時誰の挑戦でも受ける。主人公がさういふ有難い有様ゆゑ、気がつくと銘々の人物設定を超えたストーリーらしいストーリーが起動することも終にないままに、展開は満足度の高い濡れ場濡れ場がひたすらに連ね続けられるに、ある意味潔く終始する。挙句に、二度の好恵とのラブホテル戦で何れも体調が思はしくなく勃たない醜態を晒した菅野は、劇中二度目に川北医院を訪れる。すると亜紀子は診察と称してノー・モーションで服を脱ぎ始め、促された宏美も素直に従ひ、名実ともにクライマックスの巴戦に大突入。目出度く菅野が猛ハッスルしたまではいいものの、カット明けていきなり亜紀子が喪装の別の意味で衝撃のラストには、確かに度肝は抜かれた。未亡人ギミックが決して有効に機能する訳ではない主人公に、無理から喪服を着させる強引な方便であつたものやも知れぬが。尤も、流石に裸映画とはいへものには限度といふものがあらうと、一歩間違へなくとも腹のひとつの立ちかねないところではありつつ、これで案外、映画トータルとしては安定してゐる。永森シーナのアテレコも功を奏したか、隙のない布陣にも支へられ端々の遣り取りは一貫して軽妙に充実し、こちらは満開の桜にも恵まれた屋外ショットの数々は、下手な物言ひを憚らぬと映画を観てゐる満足感を、心ゆくまで味ははせて呉れる。画期的なまでの物語の欠如にも関らず、不思議と満足させる器用な一作。折に触れ思ふことなのだが、ピンクで映画のピンク映画は、もしかすると実は誰も知らない隙に勝利一が―あるいは大門通が―完成してゐたのではなからうか。さういふおぼろげな推測が、少しだけ確信に近づいた、やうな気もしたりしなかつたり。

 ところで、最終的に死に至らしめた点に関しては桜居加奈と永森シーナの裸に免じてここはさて措く―措けるのか?―としても、亜紀子が菅野の、多分末期の癌を見落としてる件につき。大学病院への紹介状を書いてる場合でもないだろよ、その場で血相を変へろ。


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 「おいしい女五人 やり比べ」(1992『悶える女五人 好き比べ』の2011年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:深町章/製作:伊能竜/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:田尻裕司/撮影助手:村川聡/照明助手:広瀬寛己/監督助手:本多英生/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/スチール:津田一郎/出演:冴木直・橋本杏子・しのざきさとみ・水鳥川彩・杉原みさお・山本竜ニ)。照明助手の寛巳でなく広瀬寛己は、本篇ママ。製作の伊能竜は、向井寛の変名。
 地価は下がれば若い者も皆出て行く落目村、尤も、予めお断りするまでもなく、毎度御馴染み山梨県甲州市は塩山上萩原である訳なのだが。当然旧い日本家屋にての、初老の男とセーラ服姿の娘二人の夕餉は、一見受ける印象には違(たが)へ親子ではない。女房は娘の出産の手伝ひに上京したきりかれこれ半月戻らない、緑山に一万平米の土地を持つ田上―あるいは田之上―茂作(山本)と、村の女学生・アコ(水鳥川)との有体にいへば援助交際で順当かつ華麗に先制する開巻。少なくとも個人的印象としては下位に安定する傾向が見られなくもない、水鳥川彩のビリングはしばしば納得し難い。畑を耕すでもなくホッつき歩く茂作に、土地の女ではないと思しき令嬢・上条みゆき(冴木)が声をかける。両親は四ヶ月前に交通事故死したとのみゆきは、出し抜けにかういふ場所にお城のやうな家を建て暮らすのが子供の頃からの夢だなどと、正直幾ら量産型娯楽映画とはいへ浮世離れた方便も持ち出し、茂作の土地を遺産で購入させて貰へるやう求める。土地の売却話を度々持ちかける伏線も蒔きつつの、茂作と愛人の山田晴恵(しのざき)戦。往診を模した、アコと同ポジションの村の看護婦・マコ(杉原)戦の二連戦挿んで、水上荘の広い風呂に浸かる茂作に、晴恵から電話が入る。ここで飛び込んで来るのが、ショートの髪型が超絶にセクシーな橋本杏子。晴恵とは池袋のトルk・・・いや、兎も角古い仲の橘土地開発株式会社の女社長・橘竜子(橋本)は、茂作の一万平米の土地に十五億の金額を提示。条件はみゆきと同じであつたが、手付の前に竜子に手をつけもした茂作は、一体どちらに売つたものか逡巡する。
 深町章にとつて1992年第八作となる今作、1996年最初の旧作改題時新題が「欲情5人娘 濡らしあひ」で、2003年二度目の際には「悶える女5人 色と欲」。今回は八年ぶり三回目の新版公開となり、本、あるいは初公開時からは凡そ二十年の歳月が流れる。何といふか、言葉にならない風情も漂はせる世界ではあれ、未見の旧作と未知の新作との間の差異は形式的なものに過ぎない―新作製作が事実上途絶えた中にあつては、さういふ呑気なこともいつてをられない―のではないかと、ここはひとまづ肯定的に受け容れたい。色と金の欲に塗(まみ)れた小人物が、オチの乱暴な姦計にまんまとはめられほぼ破滅―とまでいふのは少々大袈裟か―する始終を、全篇埋め尽くす濡れ場を通して綴る。撃墜後の茂作の意気消チンをも、アコ・マコとの巴戦で描き抜く強靭な文法は確かに誠天晴ではあるのだが、文字通り矢継ぎ早の、しかも豪華五女優を擁した絡みの数々を回すのに、流石に手一杯となつてしまつたきらひは否めない。物語的な膨らみなり深まりはこの際別に求めないにせよ、冴木直と若きしのざきさとみのグラマラスも兎も角、空費気味の水鳥川彩と橋本杏子の決定力は大いに惜しい。締めの二幕に、御役御免の形でみゆきが独りお留守になつてゐるのは、一応とはいへ主演なのだから、ここは矢張り画竜点睛を欠く点といへよう。深町章十八番の幕引き際の神通力も、若干失効した一作ではある。


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 「股がる娘 恥ぢらひラーゲ」(1995『私、大人のオモチャです』の2012年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:河中金美・難波俊三/照明:秋山和夫・新井豊/音楽:藪中博章/助監督:井戸田秀行/制作:鈴木静夫/ヘアメイク:小川純子/スチール:岡崎一隆/出演:葉月エリナ・秋乃こずえ・杉原みさお・平賀勘一・タケ・甲斐太郎・リョウ)。
 大衆誌『噂のチャンネル』編集者の町田裕一(リョウ)と、街で町田が拾つただか拾はれた女・日浦ミツル(葉月)とのコッテリとした一戦で、旦々舎一流の早速濃厚な開巻。“心が痛い人の為の、心が解れるエッチ”を標榜するミツルから町田に声をかけ、ミツルが唱へる、男女が互ひの性器の摩擦により発生するイオンを交換するといふセックス観に、救はれると同時に町田は職業的な嗅覚を刺激される。町田の発案による、クールといふよりは、万事に無関心な風情を漂はせるカメラマン・池谷宗男(タケ)にミツルのいはゆるハメ撮り写真を撮らせ、それに独特の思想を交へた『ナチュラル・ボーン・ファッカー ミツルくんの極楽マサツ主義』は、忽ち大反響を呼ぶ。それは日常的に編集長の白樺敏夫(平賀)からは能力を虚仮にされ続け、忸怩たる日々を送つてゐた町田にとつて、起死回生ともいへる企画であつた。ヒットの予感を得た白樺は即座かつ貪欲に行動、TV局プロデューサー・小宮山幹太(甲斐)に接触する。町田が商業主義にミツルを奪はれる初心な懸念を抱かぬでもない中、木本あずま(杉原)を担ぎ出した他誌が便乗どころでは済まぬ丸パクリ企画『ダイナマイト・ファッカー あずまクン』を打ち出し、部数で劣る『噂のチャンネル』誌は窮地に立たされる。
 “ナチュラル・ボーン・ファッカー”なるダイレクト過ぎる文言、町田とミツルの待ち合はせロケーションを始め、そこかしこで見切れるパブ。四月末封切り、即ち対黄金週間用の番組にして、1995年の浜野佐知早くも第五作といふ猛然としたペースが何気に恐ろしい今作が、1994年の米映画―日本公開は翌二月―「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(監督:オリバー・ストーン/主演:ウディ・ハレルソン、ジュリエット・ルイス)をモチーフとしてゐることは、誰の目にも明らかであらう。殺す者を致す者に置き換へた大胆極まりない翻案には畏れ入るばかりであるが、実は山邦紀が他作に着想を得るのは、決して珍しいことではない。ザッと思ひつくだけでも、「近所のをばさん2 -のしかかる-」(1994/監督:浜野佐知/主演:辻真亜子)は「シンドラーのリスト」で、佐々木基子の不幸なストリッパー初戦でもある「淫女乱舞 バトルどワイセツ」(2001)は、当然「バトルロワイアル」。近いところでは「セクハラ洗礼 乱れ喰ひ」(2008/主演:北川明花)が「バチ当たり修道院の最期」に、「奴隷飼育 変態しやぶり牝」(2011/主演:浅井千尋)は、「ユニバーサル・ソルジャー リジェネレーション」(2009/米/監督・編集:ジョン・ハイアムズ/撮影監督:ピーター・ハイアムズ/主演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ドルフ・ラングレン)。静謐なロマンティックと最大級の奇想とが火を噴く、ヤマザキ・オブ・ヤマザキともいふべき衝撃作「変態未亡人 喪服を乱して」(2003/主演:川瀬有希子)は「ポストマン」に違ひないだなどといふのは、意図的に滑らせた筆である。それはそれとして、ミツルの、マイナスイオンへの着眼の早さも地味に唸る魅力的なマサツ主義。そして傷ついた男に自身の肉体と共に捧げられる、南風系のエモーション。順風満帆に風呂敷が拡がつたまではよかつたが、残念ながら以降が一向に深まりはしなかつた。時代に飛び込んで来た怪傑と、彼女ないしは彼を飯の種としてしか捉へないマスメディアが繰り広げる虚々実々といふ展開は、元作に忠実なものともいへ平板でもあるままに、終にミツルは姿を消し、町田はドロップアウトする。二人が再び結ばれるラストも、持ち芸の、徒なまでの難渋さを何時も通りにフルスイングするリョウ(=栗原良=ジョージ川崎=相原涼二)は兎も角、葉月エリナが可愛らしいことは確実に可愛らしいのだが反面質感には決定的に乏しい故、終には何某かの結実も果たせずじまひに単なる濡れ場のひとつに止まつてしまふ。話としては酌めるものの、この時期の狂騒的な旦々舎の量産態勢の中では、命中の当否は微妙な下手な鉄砲に入る部類の一作に数へられようか。

 残した配役秋乃こずえは、町田とは完全に冷え切つた妻・カズミ。一方、白樺とは不倫関係にあつたりもする。カズミと白樺の逢瀬の舞台は、後に小宮山もミツルと使ふ、かつては色町であつた円山町の料亭「三長」。正確には当時既に“旧”料亭であつたものかも知れないし、表から看板を抜く画だけで、内部は何時も通りの浜野佐知自宅であるやうな気もする。秋乃こずえに話を戻して一点、桃井良子―ただ今度はこの人と、桜子の関係の有無がよく判らない―と同一人物であることに小屋で辿り着けたのは、個人的にひとつの収穫であつた。帰福後調べてみたところ、秋乃こずえから改名して桃井良子に。もう一人、内トラにまづ違ひあるまい端役、『ミツルくんの極楽マサツ主義』を読んだ読者からの便りの分厚い束を町田に渡す、丸々と肥えた若い編集部員はあれが井戸田秀行なのか?体型だけだと高田宝重だが。


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 「性犯罪捜査Ⅲ 秘芯を濡らす牙」(2011/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/脚本・監督:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:金沢勇大/編集:有馬潜/監督助手:市村優/撮影助手:松原二郎/照明助手:榎本靖/選曲:山田案山子/効果:東京スクリーンサービス/出演:倖田李梨・舞野まや・園田ユリア・甲斐太郎・天川真澄・なかみつせいじ・泉正太郎・牧村耕次・竹本泰志)。出演者中、泉正太郎は本篇クレジットのみ。撮影助手の松原二郎といふのは、まづ変名に違ひない。
 どうにも話の進めやうがないので最初に押さへておくと、第一作「性犯罪捜査 暴姦の魔手」(2008)、第二作「性犯罪捜査II 淫欲のゑじき」(2009)に続く、ナンバリング連作はオーピー映画では―大蔵時代は知らん―目下ほかに例を見ない、「性犯罪捜査」シリーズの第三作である。
 左から右に旋回する、ANA機のキネコ。挙句に、左上にREC表示のやうなものが見切れてゐるのは何なのか、横着をして済ますにもほどがある。依然ビデオ撮りの走行中の電車の画を挿んで、漸く35mm主砲が起動。車中、相田紗希(倖田)が痴漢(泉)の魔手に悶えるのは、有体にいふならば女痴漢捜査官。一頻り責めさせておいて、紗希が泉正太郎を検挙したところでタイトル・イン。
 当初新米刑事であつた紗希は、「暴姦の魔手」に於いて同僚を逮捕したことが警察組織に嫌はれ、「淫欲のゑじき」に際してはいはば閑職の性犯罪捜査課に追ひやられる。それでは今作の性犯罪捜査課はといふと、二年の間に紗希は性犯罪捜査課の課長に昇進したらしく、前作から連続出演の岩崎正則(甲斐)は、部下のポジションに甘んじてゐる。一体紗希は逆にどれだけの手柄を上げたのか、その話で映画を撮るべきだ。あるいは、岩崎が派手に仕出かしたのか。閑話休題、さうはいへ性犯罪捜査課は矢張り冷遇されてゐるらしく、人員は紗希と岩崎の二人きり。そこに、第一作では前科者の容疑者と、電話越しの本部長声を兼務。第二作では捜査四課長と、なかなか配役が安定しない牧村耕次が、今度は性犯罪捜査課を間借りさせる捜査一課の、土屋警視として大登場。闇雲でしかないが楽しいオーバー・アクトで嫌味を振り撒きがてら、事実上外遊目的で来日した、香港警察要人の娘でもある捜査官を一週間性犯罪捜査課が与ることを、半ばどころではなく強引に押しつける。本作最大の見せ場でもある、牧村耕次の素頓狂なシャウトが火を噴く「ヘーイ・プッリーズ・カミーン!」といふ呼び込みを華麗にでもなく無視し、母親は日本人といふ方便にて日本語で普通に話すスー・ウェイ(舞野)がシレッと登場。カットの根も乾かぬ現れたてなのに、出し抜けに岩崎のPCを借りたスーは警視庁のデータ・ベースを触らうとして、当然紗希からは見咎められる。関根和美らしさが爆裂する無造作なシークエンスには最早号泣しながら拍手喝采する―自棄を起こすな、俺―しかはないが、実はなほも恐ろしいのは続く一幕。諸々のイントロダクションを一応こなした性犯罪捜査課を通過、一拍夜景を噛ませ、僅かに開いたドアの隙間から洋式便座が覗くショットを見た瞬間、戦慄が走る・・・・!

 は、排泄か(;´Д`)

 本筋―本筋といふほどの筋か?といふツッコミは一旦禁止だ―とは半欠片たりとて本当に全く一切からきし関らない、排泄の喜悦に震へるスーの姿を、幾度に亘り膨大な尺も費やし描き抜いてみせるのは、ここだけ監督は松原一郎。なのだから、いつそ監督補だか何かでその旨クレジットにも明記しておけばいいのに。特技なりアクションならぬ、“排泄監督”とか。
 木端微塵に粉砕されたまま、終に物語が芯を取り戻すこともない以降を掻い摘む営みはほぼ力尽きた格好で放棄し、残りのキャストを登場順に整理すると、天川真澄は、終に目出度く結婚した、紗希の夫で外科医の相馬大樹。紗希以外では唯一役柄を固定されつつ、出番は清々しく少ない。カミさんは結婚式とやらで広島に空けた岩崎家を、スーが強襲しあれよあれよと自堕落に岩崎を篭絡するハニー・トラップな中盤を経て、残る園田ユリア・なかみつせいじ・竹本泰志が、園田ユリアを伴なつたなかみつせいじが竹本泰志に相対する形で一斉に登場。「暴姦の魔手」での別役の印象を払拭する―この邪推が正解であれば、牧村耕次にも当てはまらう―目的なのか、細めのドン・キングのやうな薮蛇な造形のなかみつせいじは、稲島会の桜井雄大。こちらは深澤和明みたいな髪型の竹本泰志は、日本名は長谷川ツヨシこと香港女衒のコン・ウー。説得力を有した殺陣など当然提供されはしないが、銃を構へた相手をも圧倒し得る、ナイフの名手であるらしい。園田ユリアは、ウーと取引したい桜井から“味見”に供される女・遠藤理沙。表情こそ乏しいものの、着衣時から大きく開いた胸元に深い谷間を誇示する、見事な天然巨乳はポップに下心の琴線を激弾きする。
 一言で片付けると、大幅に持ち直した第二作を間に挿み、第一作に劣るとも勝らない第三作。関根和美自身の前作ではちぐはぐな回避を試みた、舞野まやの左上腕を覆ふ大きな鯉の刺青を、支那人ならば刺青をしてゐてもおかしくはないだなどといふ珍理論で乗り切らうとした無理に、そもそも、それにしてもスーは正式に捜査を進めれば別によかつたのではないかといふ根本的な無駄が火に重油を注ぎ、関根和美持ち前のへべれけさが最加速、最早迷作とでもしか評しやうのない一作である。ポスターの上ではメインを飾るのは舞野まやにつき、ある程度は仕方もないことなのか、スーが正体不明の暗躍を繰り広げ展開を浪費する反面、本来はシリーズ主役の筈で、ビリングもトップの倖田李梨すらもが何時しか霞んでしまふ始末。寧ろ、濡れ場要員をそれはそれとして頑丈に果たした園田ユリアの働きは光る、といふ評価は相当するのかも知れないが、三番手が独り気を吐いてゐるやうでは、幾ら裸映画といへ満足には成立し得まい。いや忘れてた、舞野まやに関しては、松原一郎パートは松原一郎的にはパーフェクト。逐一が不自然と不合理とに埋め尽くされる不条理の中、唯一の見所は箍の外れた牧村耕次の過剰演技ばかり。それにしても、どうやら土屋にとつては恥づかしい過去らしき、スーの父親との因縁くらゐは明かしておいて欲しかつた。何時の間にか岩崎が土屋の腹心であつたりなんかする、劇中世界への無頓着さは事ここに至ると感動的だ。

 妙なところだけ十全に、エンド・マークは二段組の“終劇”と“THE END”とで、香港映画風に締めてみせる。それと、タイトルの“秘芯を濡らす牙”も、意味の判らないハッタリ感が清々しい。


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