真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「美乳探訪 不埒な旅路」(2023/制作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典/撮影監督:坂元啓二/録音:加唐学/編集:三田たけし/音楽:與語一平/整音:吉方淳二/助監督:赤羽一真・津田篤/制作応援:別府啓太/撮影助手:原伸也・戸羽正憲/スチール:須藤未悠/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:通野未帆・黒川晴美・福田もも・津田篤・伊神忠聡・那波隆史)。
 スマホでFMラジオを聴く、「FOREST FM」の画面にタイトル開巻。正しく全篇通して結構喋繰り倒す、女DJの声の主には辿り着けず。軽くCM感覚の、伊神忠聡が自分で支度するところから茶漬けを完食するのは、泊りの予定を違へられ、遅くに帰宅したハイヤー運転手・星名寛治(伊神)の手軽ないし侘しい夕食。起こされ起きて来た、一週間早番とかいふ妻・明海(通野)に寛治が無理気味に迫りつつ、案外明海も応へて呉れる夫婦生活が初戦。演者を真上から抜く、完俯瞰をさりげなく披露する。そんなこんなな最中、寛治は担当する役員の山本志郎(那波)から日曜日に、目的地も用件の詳細も五里霧中。挙句社用車ですらなく寛治のアクアを出せなどといふ、最早仕事らしい仕事なのかすら怪しい、謎のタスクに駆り出されるか付き合はされる。
 配役残り、津田篤を伴ひ飛び込んで来る黒川晴美が、業者の屋号と本人の源氏名、双方不詳のデリヘル嬢・浜田美和。仕事終り、にも関らず迎へが来ない。伝書鳩扱ひに美和が往来でキレてゐるところに、上手いこと歩いて来る福田ももは、この人も嬢で美和の後輩にあたる森脇瀬奈。のち美和の誘ひを勤務中につき瀬奈が断る際の、主観視点の本体は太腿の傷も見切れないゆゑ完全に不明。こゝで三本柱のフィルモグラフィを整理しておくと、矢張り竹洞哲也の2016年第一作「純情濡らし、愛情暮らし」(脚本:当方ボーカル=小松公典/主演)と、2017年第二作「熟女ヴァージン 揉まれて港町」(脚本:深澤浩子/三番手)以来六年ぶり三本目となる、主演女優の印象は正直残つてゐない。二番手と三番手はともども初陣、現時点に於いて、最初で最後と思しき黒川晴美に対し、福田ももは竹洞哲也以外に髙原秀和や堂ノ本敬太第二作、外様作まで計四本継戦してゐる。組を選ばない機動性は、量産型娯楽映画のフィールドにあつてひとつの資質といへるのではなからうか。
 ピンクは加藤義一2021年第一作「誘惑妻物語 濡れた人差し指」(脚本:深澤浩子/主演:神咲詩織)を最後に、翌年四月で役者稼業ごと引退してゐる津田篤がよもやまさかの電撃復帰を果たした、割には。凄まじい、もとい清々しい一幕・アンド・アウェイを敢行、純然たる男優部版濡れ場要員で駆け抜けて行く竹洞哲也2023年第一作。重ねて尤も、2023年第一作とはいへプラスの方で前年暮れにフェス先行。なほかつといつていゝのか撮影時期は、釜無川周辺(多分山梨県)に桜が咲いてゐる頃であつたりもする。となるとブランク自体実は然程空いてゐる訳でもなく、要は寝かせてゐただけの話か。
 山本の余勢を借りる形で、寛治も来し方のリグレットを取り返す。陳腐な主題が例によつて、非力な俳優部が脆弱な台詞を捏ね繰り回すに終始する。竹洞調なのか小松型なのだか知らないが、相も変らずか性懲りもなければ他愛ない、平板な会話劇の中で特に結実する訳でも別にない。ついでに竹洞哲也が今年でデビュー二十年、全体何がしたいのか何をしたくて映画を撮つてゐるのか粗忽自慢の当サイトは未だに測りかね、ラストまで徒にフィーチャされるラジオ愛も、精々木に蛇の足を生やす程度。こんなものかの枠内を、半歩たりとて出でないザマかと、思ひきや。
 三番手第二戦を、寛治が膨らませる妄想で賄ふ関根和美ばりの力技が火を噴く辺りから、終盤が何気に加速。アグレッシブなお胸の谷間と、ホントに楽しさうな軽やかさが素晴らしい黒川晴美は、観客の惰弱を優しく温かく包み込んで呉れ、さうな柔らかみがエモくてエロいエローショナル。よしんば仄かにせよ、確かに煌めく二番手が生煮えさへし損なひかけた、空疎な映画を柔肌一枚救ふ。

 瀬奈のトレーナーと、結婚前の明海と寛治が宅飲みする缶ビール。カセットコンロと鍋を持ち出し外で作つて外で食べる袋ラーメン、の袋に、帰途道路脇の看板的なサムシング。都合四箇所、局部以外の理由でボカシが施される。単に節穴が気づかず見過ごしてゐるだけなのかも知れないが、体感的には百本に一本も観ないか見ない気がするこの手の案件。果たして如何なる、いはゆる大人の事情が具体的に絡んでゐるのか。あと、一作で四箇所といふのは、流石に多い気もする。


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 「セックスドック 淫らな治療」(昭和60/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:大工原正泰/プロデューサー:岡田裕/撮影:水野尾信正/照明:田島武志/録音:福島信雅/美術:川船夏夫/編集:鍋島惇/音楽:甲斐八郎/助監督:川崎善広/色彩計測:田村輝行/現像:東洋現像所/製作進行:桜井潤一/協力:沼津秘宝館/出演:志麻いづみ、渡辺とく子、安西エリ、マリア茉莉、江崎和代、花上晃、藤ひろ子、立川談十郎、鈴木秋夫、橘家二三蔵、ダンディ立川、デニーズ・ヘラー、広瀬優、石塚忠吉、高橋朋子、山地美貴、砂塚英夫、鈴々舎馬風)。出演者中、高橋朋子と山地美貴は本篇クレジットのみ。
 「今の世の中セックスに関して何が異常で何が正常なのか、全く頭の悪い奴には判らんやうになつて来とりますなあ」。立て板に水の第一声で、見るから胡散臭い砂塚英夫が大登場を果たすのは、ABC局の生放送番組「もうお昼でショー」の一幕。複数の患者を合宿形式で一緒くたに面倒見る、集団治療の独自メソッドで人口に膾炙するセックスドックの紫貴夫(砂塚)と、保守的な主婦代表(藤)の討論がその日の企画、広瀬優が司会者の局アナ・渡辺。レスに伴ふ欲求不満を紫から豪快に揶揄された、藤ひろ子が暴れだしてタイトル・イン。後述する赤木一郎の、お母さん役で主婦代表を回収してのける大技の余地も脊髄で折り返しかけたものの、藤ひろ子は不脱のまゝ一幕・アンド・アウェイで駆け抜ける。
 配役残り、花上晃は妻に関する相談で紫のクリニックを訪ねる、銀行の支店長・白山多分薫、読みはカオル。志麻いづみが看護婦の桃谷カオルで、渡辺とく子が十字を見ると前後不覚に発情する、薫の妻でこの人も薫、読みはカオリ。紫がカオリの方の薫を、“典型的なドラキュラー症状”と診断するのは、何か話が根本的に違ふ気も。弱りも死にもせず、点火されてゐるだけである。安西エリと鈴木秋夫はABCの玄関口で出待ちした紫を、最終的には駐車場にて直撃する青木夫妻・ハナ子と竜。キスで子供が出来るだなどと、非現実的に性の知識を欠く。マリア茉莉と、橘家二三蔵は美容院「ビューティーサロンみどり」を営む、緑川ルミと夫の透、二人仲良くオナニー狂。石塚忠吉はカオルが自宅で自慰に耽つてゐると、何時の間にか家の中にゐる新聞の集金・赤木一郎、この子は母親と関係を持つ。一旦軽く診察を受けた赤木と、カオルがクリニックの表に出たところで、助けを求める婦人警官は高橋朋子、婦警に「助けて下さい」いはれても。立川談十郎も制服警察官、高橋朋子と江崎和代の台詞で、巡査と巡査長にブレる黒木弥三郎。江崎和代が弥三郎の妻・はるか、こちらは警部補。ちなみで整理すると、巡査は警官の階級中最下位の第九位。警察法に定めのない、巡査長は大体8.5位。八位の巡査部長挿んで、警部補が第七位。閑話休題、カオリ同様、制服に見境を失くすのが、はるかと弥三郎の致命的な悩み、端から仕事にならんぢやろ。新宿駅西口に集合する、集団治療当日。有難味のない爆乳のデニーズ・ヘラーと、ダンディ立川は都合五組目のカップル参加者。山地美貴も赤木クンと同じく、一人で参加する謎の女子。提携研究調査機関とか称して、一行を乗せたバスは沼津秘宝館に盛大な道草。朗らかな大人物ぶりが堪らない、鈴々舎馬風が浣腸、もとい館長、生命維持の仕方忘れてしまへ。マッチポンプな与太はさて措き、ダンディ立川とデニーズ・ヘラー、山地美貴の三人が皆で風呂には浸かる以外、集団治療の過程に於いて何をしてゐたのかは知らん。
 途方もなく恵まれた肉体的資質と、綺麗もしくはものの見事に反比例した芸才。量産型裸映画史上最大級の終ぞ未完の大器・マリア茉莉出演作を、兎に角見られるだけ追つて行く密やかな映画祭。いよいよ残り弾が尽きて来たのは兎も角、今後発見でもされない限り、どうやら素材が現存しないぽい幻の海女ポ第二作「若後家海女 うづく」(脚本:池田正一/主演:佐々木美子)の、次作にあたる藤浦敦昭和60年第二作。圓朝の名跡を藤浦家で預かり、三遊派宗家を名乗つてゐた藤浦敦の顔を利かせ例によつて、現在落語協会最高顧問の五代目鈴々舎馬風以下、落語立川流代表・十代目土橋亭里う馬の、二つ目時代の高座名である立川談十郎。昨年死去した橘家二三蔵が演芸と映画の小屋間を往き来するほか、ダンディ立川といふのも、藤浦敦監督作にも音楽を提供してゐるカントリー歌手・ジミー時田が、七代目立川談志から貰つた名跡。尤も、ダンディ立川に関してはフレームの中にとりあへずゐるだけで、ほとんど何する訳でもないけれど。と、ころで。落語と芝居とで根本的に勝手が異なるのか、橘家二三蔵の口跡が甚だ心許ないのは御愛嬌。
 性的に様々な問題を抱へる夫婦―単身者も一部含む―を謎施設に放り込んだ上で、集団治療と称して要はスワッピングさせる。もう如何にも商業ポルノらしい、女の裸を見せる目的にのみ従ひ一本の劇映画を捏ち上げたかのやうな、清々しい底の抜け具合ながら。泣かせはしなくとも大人の娯楽映画を、大人しく笑つて勃たせるかといふと、さうも問屋が卸さないのが難しいところ。何処からでもビリング頭を狙へさうな五番手までを主に、噺家と外人部もビリングを賑やかす豪華な俳優部と、堅実な撮影部を尻目に明後日か一昨日を向いた、演出部は漫然とのんびりしてゐる体たらく。基本コメディのテンポが絶望的か壊滅的にトロい火に油を注ぎ、いざ腰を据ゑ濡れ場をオーソドックスに攻めてみせたら攻めてみせたで、土台画期的に中途半端な距離から、梃子でも動かないフィックスが途端にダレて来る映画と裸の共倒れ。紫先生自身が実は性的不能といふ衝撃の告白を起爆剤に、全員救はれる逆転大団円を力任せにカッ飛ばさうと思へば、飛ばせなくも決してなかつたものを。騒々しく走るバスの車中、ネームドの四組八名が各々の元鞘に目出度くか艶やかに納まり、赤木クンまで山地美貴と仲良くなる中、涙目で消沈した紫が唯一人最後尾に取り残される。抜けよ尻子玉とでもいはんばかりに、しみつたれたラストは大抵の感興を全否定。帰京するバスが、画面奥に走り去るラストカット。凡そロケーションを狙つた風情の素粒子ほども窺へぬ、凄まじく変哲か頓着のない最早無常観すら漂はせる画に、そもそもこの御仁、何を思ふて映画を撮つてゐたのだらう。なんて、雲を掴む如き根源的な疑問が胸に去来してみたり。


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 「異常性ハンター 制服狙ひ」(昭和53/製作:プロダクション鷹/配給:日活株式会社/監督:和泉聖治/企画・脚本:木俣堯喬/撮影:久我剛/照明:西田光月/音楽:新映像音楽/美術:衣京介/効果:秋山実/編集:竹村編集室/助監督:麻屋明・大部誠/タイトル:ハセガワプロ/スチール:木村昌治/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:言問季里子・章文栄・与那城ライラ・高木マヤ・木村和子・村川由美・今泉洋・神山征二・城浩・仲台ひろし・竜谷誠・矢田健・吾桐芳雄)。出演者中、木村和子がポスターでは菅野和子。同じく村川由美、城浩から竜谷誠までは本篇クレジットのみ。代りなのか、広沢二郎とかいふ謎の名前と、木村昌治がポスターには載る自由気儘な世界。美術の衣京介は木俣堯喬の変名、恭しくないのは初めて見た。照明の西田光月も、矢竹正知の変名。たゞし、西田光月、だけでなく。一旦さて措き、配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 雑踏感弾ける70年代の渋谷駅前、劇中実は素性の全く語られない、猪俣三男(吾桐)が仮病で仕事を休まうとして、多分見破られる。綺麗に逆上した猪俣が、さりとて大人しく出勤する風でもなく。サラリーマンの河上正一(今泉)が覘き込む、往時の用語を蘇らせると“大人のおもちや屋”「トップポルノ」に大書タイトル・イン。猪俣も敷居を跨ぐ、店内がタイトルバック、ビニ本『リボンの少女 1』に監督クレジット。カプリコン・1的なタイトルなのかも知れないけれど、2以降『リボンの少女』のナンバリングされた続巻が存在するのか、グーグル先生に訊いてみたものの手も足も出なかつた。
 配役残り、河上が散財する本篇冒頭、顔も見せないトップポルノの女店員が村川由美でなければ、ほかにそれらしき人影は見当たらない。神山征二と章文栄は、正一の息子で高校生の正雄と、臨月を思はせるお腹の大きな後妻・笑子。女優部のビリングに然程意味はなささうな、兎も角一番手の言問季里子は正雄が電車痴漢を仕掛ける、猪俣の当寸法で化粧品のセールス・森美沙。美沙が正雄を車内で捕獲、そのまゝ拉致か連れ込む自宅。正雄が美沙に弄ばれる場に、後を尾けた猪俣が介入か突入するのが、猪俣と正雄のミーツ。そんなこんなな勢ひで、一緒に女を犯す一種の師弟関係が成立、どがな勢ひなら。木村和子は正雄が写真展用の撮影―モデルの高額バイト―を方便に誘き出し、大概開けた河原で手籠めにする同級生の植木洋子。美沙と洋子相手には中折れた正雄が、三度目の正直で強盗を装ひ笑子を凌辱する、正直もクソもねえ。城浩は、その結果笑子が流産した旨正一に告げる、北里研究所附属病院の医師。木俣堯喬の辞書に、血なり涙といつた項目はないらしい。与那城ライラは洋子に続く形で猪俣と正雄が二人で狩る、正雄の中学の同級生で、写真の現像所的な勤め先に就職したと思しき大木雪子。この人の登場辺り―全体的には佳境―から、改めて後述する焚かない照明部の本領発揮。しかも商業作であるにも関らず、映画が照明といふ概念を暫し喪失する。三番手を追走する形の高木マヤは、泥酔した正一が落としたガスライターを拾つてあげようとして、正一から手籠めにされるマサコ、矢張り女子高生。チラチラ白い足が辛うじて映り込みはする、引きの画が本格的な闇夜の黒牛状態。今まで知らなかつた黒を見せて呉れた、ドルビーシネマならもう少しは見えるのかしら。端から撮れてゐない映像が、見える訳がない。閑話休題、あと慎ましやかに脇を固める竜谷誠が教頭で、凄まじいもみあげの、仲台ひろしは熊か山男みたいな風貌のワイルド先生。あれ、誰か一人残してないか。
 当サイト得意の寡聞にして知らなかつたのが、当時ミリオンと買取系ロマポ以外に、大蔵でも戦つてゐた和泉聖治の昭和53年第四作。当年、和泉聖治名義でjmdbに記載のあるものだけで、ミリオンと買取系が三本づつに、大蔵二本。更に江夏純なる変名も大蔵限定で使用してゐたらしく、さうなると大蔵が三本増えて全十一作。結構な、量産ぶりである。尤も、江夏純なんて時空でも超えない限り、どうやつたら見られるのよと匙を投げかけたところ、翻刻も満足に出来ないnfajが、プリントを一本所蔵してゐる模様。
 幾ら昭和の所業とはいへこの時代、何をトチ狂つて強姦が斯くもカジュアルなのか。所詮はタイム・ゴーズ・バイの渦に呑まれたとて特に誰も困らない、寧ろ藻屑に消えるに如くはない気も否めない、実も蓋もない無体な一篇ながら。非道は非道なりの成就を、なほ妨げるのは。もうこの男、まるで間違へてこの世に生を受けて来たかのやうな、徹底的なレス・ザン・ヒューマニティの清々しさがなくもなく。あくまでエピゴーネンであるにせよ、なりきり原田芳雄ぶりもグルッと一周して紙一重、芸にならなくもない猪俣に対し。惰弱な小倅から一皮どころか、皮の半分も剥けやしない正雄の真性包茎的な役不足が、展開の深化を阻む一番大きな穴。猪俣がキメたティアドロップとベルボトムとで、ビートを暴発もとい散発的に加速。劇映画的には決して面白くはなくとも、退屈するほど詰まらなくもない反面、乳尻に真面目に拘泥する気配ないし情熱の薄い、裸映画としては別に大してエロくもない。既に完成した猪俣はさて措き、正雄に変化の兆しすら窺へず、攻め手を欠いた始終が、尺が満ちるのと同時に力尽きるものかと思ひきや。映画の神が土壇場も土壇場、ラストで素敵な気紛れを起こしやがるんだな、これが。
 事後―猪俣家から―雪子を往来に逃がした結果、恐らく猪俣ともども、正雄が現行犯逮捕。正一が教頭に呼び出された、応接室か職員室の一角。配役本当に最後の残り、片や加害者生徒の保護者、片や被害者生徒と保護者。娘のマサコを伴つた、父親の矢竹―確かにさう名乗る―役で西田光月が飛び込んで来る、あるいは矢竹正知=西田光月=矢田健といふ等式が麗しく成立する。それまで覚束ない断片に過ぎなかつた固有名詞が、量産型娯楽映画の織り成し積み重ねた線と面の中で遂に繋がる瞬間の興奮こそ、超弩級のエウレカにして、空前絶後のエモーション。映画単体の中身だとか評価なんて最早どうでもいゝ、どうでもいゝのかよ。加害者生徒の保護者が別の被害者と対面して、別件の加害者に転ずる。手際よく畳んでみせれば衝撃の再会がドラマチックに成立したところを、何故かわざわざ数十秒完全にテンポを失し、木端微塵にモタついてみせるのは正体不明の御愛嬌。

 主人公が義母を犯す点について和泉聖治と、義理の母である珠瑠美の関係を絡め取沙汰する巷説も散見されるやうではあれ、さういふ―判り易いのは判り易い―脊髄で折り返し気味の感興が、適正なパースペクティブであるとは必ずしも認め難い。木俣堯喬は生涯四度結婚、和泉聖治(本名:木俣堯美)は二度目の妻との間に生まれた長男で、珠瑠美は四度目。即ち、和泉聖治にとつて義母といふ存在が何も珠瑠美一人ではない、以前に。そもそも、木俣堯喬が和泉聖治より三つ若い珠瑠美と再々々婚したのは、今作三年後の昭和56年である。


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 「恍惚アパート 悶々時代」(昭和52/製作・企画:幻児プロダクション/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:才賀忍/撮影:フランク倉田/照明:磯貝一/編集:中山治/音楽:山崎箱夫/助監督:今村一平/監督助手:旦雄二/制作進行:平川弘喜/効果:秋山サウンドプロ/録音:東音スタジオ/現像:ハイラボ・センター/出演:小川恵・楠正通・橘雪子・北斗レミカ・谷口ちひろ・館山夏代・笹川由加利・吉岡一郎・大島祐二・丸山恵介・岩手弘二・山口音也・団十郎・矢野健二・大久保良三)。脚本の才賀忍は、中村幻児の変名。
 何処ぞの駅前、女とぶつかつた浪人生の大神研一(楠)が手荷物を落とす。この、研一が何かと物を落とす所作が、以後も都合三度蒸し返される。よもや、今年も研一が受験に落ちる工夫がなければ潤ひも欠いた、無体なオチに落とし込む布石かと、思ひきや。布石もクソもない、中盤以降、その造形は綺麗に忘れ去られる。ついでで、アバンを通り過ぎるアウトレンジから抜かれるだけの女も、クレジットされてゐないと女優部の名前が一人分余る。閑話休題、代ゼミ外景に劇伴起動。一転、赤々とした画面。二人の女が合はせたお乳首に、煽情的に叩き込むタイトル・イン。北斗レミカと、後述する山田夫人と大森の妹、便宜上の。三人の裸女に群がられ、研一が悶々通り越して悶絶するタイトルバック。画面一杯のオッパイ―多分コンビニ妹―に刻む、監督クレジットが清々しい。あるいは、クレジットが流れてゐる間さへ、女の裸を疎かにしはしない。観客の劣情と真摯に向き合ふその貪欲な姿勢は、量産型裸映画の本義に跪いた、真(まこと)の至誠にさうゐない。
 研一が風呂なしアパート「清風荘」に帰宅すると、隣室のホステス(北斗)が共用の洗面所にて、ほゞ半裸で歯を磨いてゐる。そこに血相を変へ飛び込んで来た、未亡人大家(橘)が破廉恥な店子を罵つて曰く“淫売ホステス”。昭和よ、竹を割るにも限度があるぞ。研一は五号室で、北斗レミカは六号室。清風荘が忌避しない、四号室の住人は山田夫妻(谷口ちひろ?と旦那は判らん)。淫売ホステスがヒモの大森シンペイ(吉岡)と、それ以外にも連れ込む男達。仲睦まじい山田さん家も、連夜お盛んな夫婦生活。薄い壁越しに受験勉強を妨げる、要は挟撃して来る形の嬌声に研一は日々悩まされてゐた。
 配役残り、最初は往来で研一と偶さか交錯するに止(とゞ)まる小川恵は、山田夫婦が越したのち、四号室に新しく入つて来るアラキあやこ。親の跡を継ぐ流れの、獣医学クラスタ。あやこに一目惚れした研一が呆然とするのが、劇中最後に物を落とすタイミング。こゝからが問題なんだな、あやこを妊娠させておいて、堕胎費用を無理からトレンチのポケットに捻じ込む腐れ彼氏。ヒモのゐぬ間に北斗レミカが自分の部屋に入れる、大森にとつては弟分でもあるパンチ。研一の友人で、一足先に大学合格してゐる角帽。大森と普通に脱いで絡む、見咎める大家に口から出任せた便宜上の妹は、山田夫人のアケミが谷口ちひろなら館山夏代かなあ。純然たる端役を除いても登場人物が結構盛沢山出て来る割に、この時代の俳優部がまあ難攻不落。jmdbとnfajはおろか、切札の別館検索にもまるで引つかゝらないと来た日には、大人しくシャッポを脱ぐほかない。あと、極めて重要な点が、研一にへべれけな色目を使ひこそすれ、橘雪子がビリング二番手の位置に座りながら不脱。果たして、ポスターでは如何に扱はれてゐたのか。
 サブスクリプションでしか映画を売らない、逆からいふとバラ売りしやがらない動画配信が、当サイトは憎々しくて憎々しくて仕方がない。当該サービスでないと見られない一本から数本を拾ふために、一々登録して用が済んだら解約するのも、月額の元が取れる本数見るのも面倒臭いんぢや、ボケ。そこで一本づつ好きな時に好きなやうに見られる、素晴らしい楽天TVで中村幻児昭和52年第一作。これで支払にデビットカードも通すか、Edy決済を復活させて呉れたら最高なんだけど。
 乳尻に特化したありがちな浪人生残酷物語が、途中までは軽快に走らなくもない、途中までなら。所詮はモラトリアムな寂寥に燻る研一に対し、何をトチ狂ふたか半裸の淫売ホステスに性的興奮―と満たされない欲求不満―を覚えたのかと、家賃の催促に現れた大家こと橘雪子が素頓狂に曲解。要はスッキリ抜いて勉学に励めるやう、「あたし協力する」だなどと脱ぎ始めるやギョッと身の危険を感じた研一が、冗談ぢやねえとでもいふ風情で後退りするのが爆発的に可笑しい。2020伊豆映画を最後に、沙汰のとんと聞こえて来ないのが本格的に気懸りな、今上御大・小川欽也が得意とする、熟―しすぎた―女が若い色男を前に、「あゝ、暑いはあ」とか宣ひながら胸元を緩めるどころか、ガンッガン裸になつて行く。神々しいほど馬鹿馬鹿しいシークエンスに、勝るとも劣らない破壊力。底を抜くなら抜くで、そのくらゐ派手にブチ抜いてみせればグルッと一周した、一種の興も生まれて来ようといふもの。話を真面目な方向に戻すと、あやこと研一が初めてコンタクトする並木道の、凄まじく映画的なロングは今や世界中の誰一人、この画を撮り得ないのではなからうかとさへ思へる超絶のクオリティ。小屋の35mm主砲で映写したそのエクストリームを、暗がりの中浴びられた時代を渾身の力を込めて偲ぶ。大森と便宜上妹が致してゐる風情にアテられた研一が、TENGA(2005年発売)なんて未だ遥か遠く存在しなかつた時代。用に供した蒟蒻で、田楽を作りあやこに振る舞ふ。下らなく且つ類型的でなほ、微笑ましい一幕は琴線を生温かく撫でる。
 と、ころが。角帽が絡みの恩恵に与る間もなく、無造作に非業の死を遂げる辺りから、映画が錯綜し始める。研一を苛む呵責、一応のコンテクストもなくはないにせよ、挙句化けて出て来る角帽は藪蛇の火に油を注ぎ、二つ目の死が木に入水を接ぐラストは、あやこと研一が何となく波に揉まれる漫然と間延びしたカットで完全に失速する。締めの濡れ場がどうにも盛り上がらない要因は、主に男優部の下手糞にあると見た。勝手に拝借してゐる筈の、その癖堂々とフルコーラス使用してのける、いはずと知れた森田公一とトップギャランの「青春時代」(昭和51)がある意味象徴的。“道にまよつてゐるばかり”、まるで青春時代特有の迷走が、映画にも伝染つてしまつたかのやうな一作ではある。
 そんな中、それでも一際輝くのは、実は童貞である旨吐露した研一に対し、あやこが「あたしを好きなやうにしていゝは」。フィクションに於いてのみ許された、美しい大嘘がやさぐれたか薄汚れた魂を慰撫する、薄くでなく汚れてるだろ。

 隙あらば俯瞰で撮りたがる、馬鹿と煙より高いところが好きなフランク倉田の正体に辿り着けはせぬかと、試みたものの。倉田姓の撮影部が思ひのほか大勢ゐて、てんで手も足も出なかつた。


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 「若妻官能クラブ 絶頂遊戯」(昭和55/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:伊藤秀裕/脚本:那須真知子/プロデューサー:林功/撮影:森勝/照明:直井勝正/録音:伊藤晴康/美術:柳生一夫/編集:鍋島惇/音楽:本多信介/助監督:中原俊弘/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当者:沖野晴久/出演:日向明子・マリア茉莉・林理恵・鶴岡修・今井久・宇南山宏・八代康二・大川まり・秋山百絵・野末直裕・北川レミ・小見山玉樹)。出演者中マリア茉莉に、ポスターがしのざき・さとみ的な要らん中点を入れる。
 カメラマンの朝倉浩一郎(鶴岡)と、朝倉の婚約者の姉で、偶さか東京に来てゐたみどり(林)のロング、上京の目的は等閑視。朝倉の結婚が、次で三回目。一回目は十六歳の処女と結婚したところ、北海道でのハネムーン中トラピスト修道院に逃げられる。話は続き、二人は大正義イースタンの車を拾ふ。二回目は四十一の女盛りと結婚してみると、箍の外れた多淫に今度は朝倉が死にかける。さうかう話してゐるうちに、多分女子大の表でタクシーは停車。一人目で落胆、二人目で払拭しきれぬ不満を抱へ、三人目で男を悟る。朝倉があれこれ考へ抜いた結果達した、男を三人体験してゐる女が、最もよき妻になれるとかいふ適当な結論まで開陳した流れで、テニスの練習場に到着。バッセン的な機械が、テニスボールを吐いてタイトル・イン。こゝまで五分を跨ぐアバン、朝倉の婚約者にしてみどりの妹・小夜子(日向)が、タイトルバックで満を持しての大登場。翻つたスコートの下に覗く、おパンティのストップモーションでクレジットが俳優部に入る、勘所の突き具合が麗しい。
 名なしモデル(大川)と、アシスタントの広瀬(今井)。スタイリスト(北川)に、もう一人カメアシ(野末)まで俳優部がほゞ出揃ふ撮影風景を経て。婚約指輪―と花束―を携へ小夜子のマンションを訪ねた朝倉は、いはゆる社会の窓も開けたまゝ、小夜子の部屋からそゝくさ出て来た小見山玉樹と交錯する。
 配役が、残らないのが問題。医者役とされる八代康二と、少女役とされる秋山百絵が何処にも見当たらない。もしも仮に、万が一。テニスコートのロングにでも紛れ込まれたとて、秋山百絵は兎も角、八代康二ならば見つけられさうな気がしなくもない。
 出演作を順にぼちぼち見進める、マリア茉莉映画祭。デビュー作から二本連続してゐた、伊藤秀裕第二作。マリア茉莉自身の初陣を撮つた林功にとつては、初のプロデュース作にあたる。小夜子・朝倉のペアと、みどりと夫の水原(宇南山)が対戦。審判を広瀬が務める、夫婦混合ダブルスの試合、小夜子と朝倉には(予)がつくけれど。コートの傍ら、テニス審判台の隣にマリア茉莉が立つてゐる画の、遠近法をも軽く狂はせるタッパがヤベえ。
 みどりは東京から“帰る”と称してゐるゆゑ、別荘の類でなく、其処に常住してゐると思しき山の中に、小夜子と朝倉が招かれる。デルモを大川まりからルナ(マリア)に変更した撮影も兼ね、スタイリストと野末直裕まで引き連れ総勢六人で、馬鹿デカい左ハンドルのオープンカーと、広瀬が駆るサイドカーで景勝地に繰り出す中盤が今作の本丸。外車は野末直裕が運転し、側車には小夜子が乗る。北川レミはまだしも、マリア茉莉の場合足が長すぎて入らなかつたのかも知れない。女優としての資質と反比例するかのやうな、途方もない股下に関してはさて措き。北川レミと野末直裕は大人しく蚊帳の外、あと要は小夜子と朝倉以外全ての組み合はせを摸索する勢ひの、ひたすらに濡れ場を連ねる遮二無二連ね倒す、腰の据わつた裸映画ぶりが清々しい。とりわけ、パーティーを離脱した小夜子を水原が追ひ、開戦するサシテニス。劣勢の小夜子が、動き辛い方便でドレスを脱ぎ―端からヒールは脱いでゐる―下着だけの半裸に。そこまでは、まだ千歩譲つて徳俵一杯蓋然性の範疇にせよ。なほも攻撃の手を緩めない、水原のスマッシュで小夜子のブラが弾け飛ぶ。グルッと一周した馬鹿馬鹿しさが、一種のスペクタクルに昇華するカットが一撃必殺。観るなり見るなり、兎に角触れた者の心に鮮烈な記憶を焼きつけるにさうゐない、伊藤秀裕一世一代のシークエンスが素晴らしい、ピークそこ?そのまゝ、物語ないし主題なんぞシネフィルにでも喰わせてしまへと、女の裸の一点突破で走り抜いてみせたとて。にしては六十八分は些か長いかなあ、程度の生温かい不満で納まつたものを。帰京後、小夜子に焦がれ朝倉が半ば以上に錯乱する件で明確に失速、しつつ。真実の愛に辿り着いた朝倉と小夜子の二人は、目出度く結ばれました、的な。適当な導入で締めの婚前交渉に突入、流石にそのまゝ駆け抜ける心ないラストで、それなりに持ち直す。
 散発的に火を噴く側面的な見所が、朝倉が軽口を舌先三寸で結構な長尺転がし続ける、何気な長回し。如何にもらしい鮮やかな一幕・アンド・アウェイで、こゝにありぶりを叩き込む小見山玉樹共々、高いスキルを事もなげに披露してのける、鶴岡修クラスタも必見の一作。などと明後日か一昨日なレコメンドをしてみせて、別に罰もあたらぬのではなからうか。


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  「箱の中の女2」(昭和63/製作:にっかつ撮影所/提供:にっかつ/監督:小沼勝/脚本:ガイラ・清水喜美子/プロデューサー:半沢浩/企画:塩浦茂/撮影:福沢正典/照明:内田勝成/録音:福島信雅/美術:渡辺平八郎/編集:鍋島惇/選曲:林大輔/助監督:金沢克次/色彩計測::佐藤徹・栗山修司/製作担当:江島進/現像:IMAGICA/協力:渋峠ホテル・横手山リフト/出演:長坂しほり・中西良太・河村みゆき・小川真実・浅井夏巳・小原孝士・大場政則・皆川衆)。共同脚本のガイラは、小水一男の変名。提供に関しては、事実上エクセス。
 裸電球から下にティルトした地下室、市川崑式に、矩手のタイトル・イン。視点が無造作に寄る鎖の先では、繋がれた裸の女が、与へられた食事を食べてゐる。囚はれの人妻・石井洋子(淺井)がおまるで用を足してゐると、足音が。女が逃げ隠れた、大人が入る大きさの箱に小沼勝のクレジット。現れた男が箱に入れた爪先を洋子は従順に舐め、男はそんな女の陰部を、口から離した足で弄ぶ。一転、スッコーンと晴れた志賀高原の観光地、ごつた返すスキー客に適当もしくは勝手にカメラを向ける。ペンション「白峰館」を一人で切り盛りする小西邦彦(中西)が、到着する客を待つ四駆の窓ガラスに、義妹の大谷かずみ(河村)が雪玉を投げる。邦彦の妻でかずみの姉(固有名詞すら口頭に上らず)は、男を作り出奔してゐた。こゝで改名後に田原政人となる大場政則が、かずみと三河屋的な職場で働いてゐるらしき工藤修。各種資料には工藤修介とあるものの、オサムちやんとかずみからは呼ばれてゐる。後述する坂口夫妻が白峰館を辞したのち、小西は嬲り飽きた洋子を薬で昏倒させると、段ボールに入れ緩衝材をどばどば振る丸きり荷物感覚の梱包。ドライバーらが車を離れた、ヤマトの配送車(実名大登場)に放り込む乱暴極まりない形で、元ゐた住所に送り返す。も、もしかして着払ひなのか。幾ら昭和の所業とはいへ、流石に大雑把すぎる。
 配役残り、ビリング順に小川真実と皆川衆が、件の小西が待つてゐた良枝と幸司の坂口夫妻。酔ひ潰した幸司の傍ら、小西が良枝を手篭めにするのが小川真実の濡れ場。大会に出るレベルで剣道に打ち込むかずみの、師範役は防具をつけてゐて手も足も出ない。坂口夫妻の帰りを小西は送らない、タクシーの運転手はヒムセルフかな。長坂しほりと小原孝士が、白峰館の次なる客にして多分最後の犠牲者、博子と純の山岸夫妻。洋子を放逐しての帰途、雪の中で遊ぶ博子の姿に目を留めた小西が純の車をナイフでパンクさせ、助ける素振りで白峰館まで連れて来る。展開の大らかさも実に昭和、寧ろ、このくらゐ無頓着な方が、何事も楽になるのかも知れない。再起不能の重傷を負ひ、ミイラ男状態でプラグドの山岸に付き添ふ、看護婦は引きの距離以前に背後からしか抜かれず当然不明。
 死に体のロマポがビデオ撮り×本番撮影とかいふ、みすみす相手―アダルトビデオ―の土俵に乗り目出度くなく傷口を致命傷にまで広げた、徒花あるいは断末魔企画「ロマンX」。の、同じく小沼勝と小水一男による第一弾「箱の中の女 処女いけにへ」(昭和60/主演:木築沙絵子)と、女を箱に入れて甚振る以外、何もかも全然関係ないナンバリング第二作。小沼勝的には、昭和63年第二作にあたる。日活での最後の仕事かと思ひきや、のちにVシネがもう一本あるのね。不思議なのが、日活公式サイトが今作をロマンXシリーズとしてゐる反面、いざ蓋を開けてみると綺麗なフィルム撮りで、ポスターにもロマンXのロゴは見当たらない。本番云々に関しては、元々往時の粗いモザイク越しに、当サイトの節穴では凡そ判別不能。他方、ロマンXとしてゐないロマポ単独の公式サイトも窺ふに、恐らく日活公式が仕出かしたのだらう。仕出かさないで、混乱するから。
 博子から気違ひと詰られた小西が、狂つちやゐないと抗弁して曰く、「俺は人妻の本当の貞淑が見たいだけだ」。小西が妻に逃げられてゐる、一応最低限の方便も設けられてゐなくはない、箱の中に女を入れる男の物語。劇中に限定するとデフォルトの洋子しか出て来ない、常習者かと博子を絶望の淵に叩き落す、小西いふところの“今までの奥さん”。監禁され凌辱の限りを尽された被害者が、何時の間にか被虐の快楽を覚え加害者の強ひる邪淫に溺れる。所詮は大概か出鱈目な絵空事に立脚した、到底元号を超え得ない底の抜けた基本設定である、のみならず。助からないだ最後だと、終盤藪から棒に小西が匂はせる重病?フラグも、ものの見事に一切回収せず事済ます、へべれけな作劇が火に油を注ぐ。イントロダクションを担当する四番手と、三番手も繋ぎ役に徹するのはまだしも、木に竹刀を接ぐ二番手すら、甚だぞんざいな扱ひに無駄遣ひ感ばかりバーストさせる始末。とかく素面の劇映画としては、全く以て覚束ない、ながらに。博子に対する最初の強姦を浴室にて行つた小西が、一発事済ますや晴れ晴れと風呂に浸かる、大笑必至の盛大な開放感。博子を入れた木箱をチェーンソーで切り刻み、四角く開けた穴から尻を引つ張り出し、箱を抱へ後背位で捻じ込む。即ち、箱ごと責めて犯す、これぞ文字通り箱の中の女なエクストリーム。そして雪山で燦然と輝く、些末なコンテクストを易々と超越、最早博子の感情を推し量り難いほどの、次元の異なる領域に突入した長坂しほりの壮絶な美しさ。明後日にせよ一昨日にせよ、ベクトルが何処を向いてゐようとこの際どうでもいゝ。絶対値の無闇に馬鹿デカい、しかも手数に富んだ一撃必殺を随所で果敢ないし苛烈に撃ち込んで来る。平板な面白い詰まらないはさて措き無類の見応へ煌めく、三ヶ月後完全に力尽きるロマポが偶さか狂ひ咲かせた、正に灯滅せんとして光増す一作。一旦解放後、どうやら山岸に止めを刺した上で小西の下に戻つて来た博子が、「私をまたスキーに連れてつて」。本家「私をスキーに連れてつて」(昭和62/監督:馬場康夫/脚本:一色伸幸/主演:原田知世)の翌年どころか、封切りの間隔でいふと実は僅か三ヶ月しか矢張り空いてゐない、如何にも量産型娯楽映画的な臆面、もとい節操のなさも清々しい。

 一点激しく気になつたのが、山岸夫妻の白峰館逗留初日、純は翌日から病院に固定されるんだけど。小西が振舞つた本格的なディナーの、丸ごとのメロンを刳り抜き中に何か詰めるデザート。明確な好意を小西に寄せ、白峰館に入り浸るかずみが手伝ふつもりで中身を入れようか、としたところ。「いゝよ!これはいゝよ」と小西が何故か声を荒げるのは、てつきり具材の中に何か仕込んであるのかと思ひきや、別にさういふ訳でもなく。そこで小西がキレる理由が最終的に見当たらない、何気にちぐはぐな一幕。


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