「中村あみ お願ひ汚して」(2003/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:笹木賢光/撮影助手:田宮健彦/照明助手:石井拓也/ポスター衣装:《株》ウィズ/出演:中村あみ・風間今日子・白土勝功・江端英久・西岡秀記・入月謙一・里見瑤子)。ポスター写真では全身網タイツに身を包み床(とこ)に体を横たへた中村あみが、上半身を右に捻りこちらを向いて微笑んでゐる。“ポスター衣装:(株)ウィズ”といふのは、ポスターのみ。加へて、劇中中村あみが当該衣装を身に着けるカットは因みにない。
水曜の夜、ラブホテルでの逢瀬。灰皿に添へられた―プラスティック製で細い直方体の持ち手に鎖の付いた―鍵と紙マッチとで、舞台をラブホテルと観客に知らしめるベテランならではの堅実な論理性が、この時点では瞬間的にではあれ確かに光つてゐたのだが。
曜日毎に違へた男と関係を持つ如月来夏(中村)は、事後排他的で固定された関係を望む大久保(入月)から、水曜日の彼氏を引退すると別れを告げられる。サバサバした風を大久保の前では装ひつつ、泊まる予定で金も払つてゐたホテルを後に不貞ながら歩いてゐた来夏は、「よ!久し振り」と呼び止められる、来夏の姉・秋生(里見)だつた。翌朝出勤する来夏と、秋生は一緒に家を出る。秋生の気紛れに引き摺られ来夏が寄り道したところ、キャバクラのスカウトが声をかけて来た。相手にしない来夏ではあつたが、スカウトは、卒業以来初めて再会する高校の同級生・小暮俊介(白土)だつた。今度酒でも飲まうと、来夏から互ひの連絡先を交換する。その夜来夏が渡されたメモに目を落とすと、小暮の連絡先には、流れ星が書き添へてあつた。今でも星が好きなんだ、来夏は相好を崩す。天体観測が趣味の小暮は新星発見に情熱を燃やし、高校時代、来夏はそんな小暮のことが好きだつた。
よくよく考へてみると、通勤時間帯といふ朝つぱらからキャバクラのスカウトといふのは少々不自然なやうにも思へるが、今作に際して、そのくらゐの瑣末はそもそも問題ではない。そこを通り過ぎてはどうにも話が進まないので改めて正面戦を試みるが、今作最大の、あるいは致命的な、といふか最早さういふ形容すら生温い画期的とすらいへるツッコミ処は何かといふと。実は秋生は、<来夏の卒業式の直前に、婚約者共々交通事故死してゐた>といふ点。心を荒める妹を気遣ひ、<未だ彼岸に旅立てずにゐる姉が此岸に姿を現す>といふ物語自体は兎も角として、少なくとも元の姿のまゝで<勿論その死を認識してゐる妹と全く通常に応答する>、などといふ破天荒はどうやつたとて越えられる壁ではない。無防備極まりない山崎浩治の脚本を些かも悪びれることもなく、渡邊元嗣の無邪気な無茶が火を噴いた、支離滅裂な問題作である。
とはいへ、越えられないまでもその先に目をやることがもしも仮に万が一出来たならば、今作は同時に、実はストレート過ぎるほどにストレートな青春映画でもある。荒唐無稽にすら片足突つ込んだ滅茶苦茶の中、一人重低音をバクチクさせ気を吐く風間今日子は、小暮にスカウトされ現にキャバ嬢になつた須藤真理。小暮は真理の半ばヒモのやうな暮らしをしながら、当てもない新星発見に固執してゐた。真理は望遠鏡ばかり覗き自分の方を振り向いては呉れない小暮に愛想を尽かすと、「一生星を探してろ」と捨て台詞を書き殴り、小暮の下を去る。小暮の時間は卒業式当日の来夏との擦れ違ひ以来、停止してゐた。現在を顧みることもなく、数百光年の距離を経て地球に届いた星の光に象徴される、小暮は過去に囚はれてゐた。一方高校時代の来夏は、流れ星など一晩中空を見てゐれば一つや二つ見られるといふ小暮の言葉に従ひ、一晩を河原で小暮と星空観察に過ごす。その時来夏は、心の中では秘かに流れ星が朝まで見付からなければいい、と思つてゐた。流れ星が見付かれば、その時点で小暮との時間が終つてしまふかも知れないからだ。そんな来夏が、何故に今は曜日毎に男を変へるやうな女になつてしまつたのか。<姉の死>を機に、来夏は心を閉ざす。一人きりの相手との関係では、その相手に去られてしまつた場合、全てが失はれる。曜日毎に違ふ男に抱かれてゐれば、そんな心配も必要ない。来夏は来夏で、過去に心を歪める。
軽薄なスケコマシをそれはそれとしてその限りに於いて好演する西岡秀記は、来夏の土曜日の彼氏・佐藤。小暮が来夏と交換した住所を頼りに家を訪れてみたところ、折悪しく佐藤と鉢合はせになる。すごすごと、小暮は退散する。ひとまづ濡れ場を経ると、結婚が決まつたといふ佐藤は、来夏とセフレとしての関係は継続したいと都合のいいことを言ひ出す。憤慨した来夏は佐藤に三行半を叩きつけると、夜の街に飛び出す。死すら意識するほど途方に暮れた来夏がフと夜空を見上げると、一筋に輝く流れ星が・・・・・!小暮と夜空を見上げて過ごした、甘酸つぱくも満ち足りた高校時代の一夜の文字通りのフラッシュ・バックを挿み、来夏が思ひ出の河原に向かふとそこには小暮が居た。
秋生は来夏にいふ、「人は変らないよ」、「ただ時々自分であることを忘れるだけ」。江端英久は、最終的に自分を思ひ出した来夏に安心した秋生を、墓参りの墓地に<お迎へに現れる>婚約者・高橋修。木に竹を接ぐどころの騒ぎではないが、そのまゝ無理矢理、里見瑤子の濡れ場の相手を務める。出発点の出鱈目は、如何とも拭ひ難い。そこで話が完了すればそれまでではあるが、あくまでその点に目を瞑る、瞑れたならば。悲しい過去に心を閉ざし自分を忘れた来夏と、一方過去に囚はれ立ち止まつたまゝの小暮。二人が新しい日々を共に歩き始めるクライマックスは、青春映画の展開としてそれでも全うで、同時に素晴らしく感動的。しかもその時二人を導くのは流れ星!渡邊元嗣の、恐れを知らぬロマンティックが咲き誇る。壊れた映画ではあるやも知れぬが、私も壊れたピンクスなので、にも拘らず断固として美しいと激賞せずにゐられない。秋生の登場に対して、論理的に十全な説明はつけられなかつた。それは仕方がない、あるいはそんなことは知るか、渡邊元嗣がどういつた態度であつたのかまでは勿論判らない。その上でなほのこと、尚更の全力で撃ち抜かれた渡邊元嗣必殺のエモーションがモノにした、物語としては木端微塵のまゝに、だからこそ美しさが一層際立ちもする青春映画の佳篇。馬面といふか河馬面といふか、中村あみの世辞にも当世では魅力的とはいへないよくいへば古風な容姿も、70'sを髣髴させるナベの古臭い青春ドラマの中にあつては、上手く合致する方向に作用してゐる。とまでいふのは、映画に騙されるにも大概にすべきであらうか。
| Trackback ( 0 )
|