真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「浪花ノーパン娘 -我慢でけへん-」(2007/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:創優和/助監督:竹洞哲也/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:丸山秀人/照明助手:宮永昭典/音楽:レインボーサウンド/出演:岡本優希・風間今日子・ヒョウドウミキヒロ・丘尚輝・岡田智宏・しのざきさとみ・平賀勘一)。
 花札にのめり込む平賀勘一のショットといふ、意表を突く開巻。首から上はあまり変らないが、この人またえらい太つたなあ。
 自称“新世界一不幸な女の子”、といふ梅田悦子(岡本)は通天閣を望む大阪は新世界の一角にて、博打と喧嘩にうつつを抜かすオトン・岩介(平賀)の代りに、お好み焼き屋―『野田房』の看板にマジック書きの模造紙を被せただけの―「えっちゃん」を細腕で切り盛りする。悦子のオカン・多恵子(漢字は当て字/しのざきさとみ)は岩介に愛想を尽かし、悦子が未だ幼い頃、夫と娘を捨て今は京都に住んでゐた。「えっちゃん」の営業に追はれると同時に、何時までも穀を潰すばかりの岩介には頭を悩まされつつも、年頃の悦子は恋に憧れる。ある日店に現れた、東京からの出張サラリーマン・石川遼一(岡田)に、悦子はコロッと一目惚れする。
 今作、風間今日子ならばこのくらゐの働きは当たり前、といふ程度に止(とど)まる風間今日子は、何時でも一升瓶を小脇に抱へる「えっちゃん」の常連客で、バカ以外は何でも診て呉れる町医者の天王寺和代。唯一のネイティブかヒョウドウミキヒロは、判り易く実は悦子に想ひを寄せる、幼馴染のスグル。
 火の入つた鉄板に、左右にお好みと焼きそばを従へマヨネーズで書かれたタイトル・インは非常にいい感じなのだが、その直前丘尚輝演ずる近所の洋品店のオッチャンを相方にしての、悦子ファースト・カット。岡本優希と丘尚輝の寒々しい棒読み関西弁に、早速映画が詰まれてしまつた感は強い。といふか作劇上もう一枚カードが欲しかつたといふ事情も酌めぬではないが、何も丘尚輝(=岡輝男)をわざわざ大阪まで連れて行かんでもよかつたらうに、とは強く思へる。たとへば、加藤義一は関西出身である。演技は素人?丘尚輝だつて、何時まで経つても殆ど素人と変るまい。悦子の重病疑惑を鍵に、壊れかけた家族の再生を図る主構成自体は、下町ホーム・ドラマ的には定番でしつかりとしてゐる。とはいへあまりにも工夫を欠く以前に、偽装恋人の石川が見せる甚だ中途半端な態度が目につく。演技指導、乃至は映画設計の軸足がまるで定まつてはゐない。関西人のお喋りぶりがよく表れてゐると一面いへるのかも知れないが、悦子の重病といふ、秘密が秘密としてまるで機能してゐない辺りもガタガタ。加へて悦子が石川―だけ―には自ら秘密を打ち明ける件が、確か抜け落ちてゐるやうな気がするのだが。和代に関して、患者のプライバシーといふ野暮は、ひとまづいはぬ。大阪の匂ひはまるで感じさせないが、ともあれ下町の女の子としてのリアリティーと、可愛らしい首から下は兎も角。直截にいへば曲がり顔の岡本優希に、ストレートに魅力を欠くのもそもそもどうにもかうにも苦しい。仕方もないとはいへ、遠景ならば兎も角、通天閣内での撮影など凡そ叶はないことにも矢張り物足りなさを感じさせる。あくまで理想論としては、通天閣を単なる情緒としてではなく、家族再生のシンボルとして機能させたかつた筈だ。
 とか何とかいふと全方位的にボロボロともいへ、スグルの不器用ながらも一途な恋を副軸に、最終的な鑑賞後の感触としては意外にそれなり以上に手堅く纏め上げてみせるのが、加藤義一の加藤義一たる所以。脚本家と、パーマネントな主演女優に恵まれない辺りが、この人の殆ど唯一にして最大の弱点か。悦子をひとまづ安心させるために、オトンとオカンがヨリを戻したと偽る夫婦生活を演じてみせる―いふまでもなく、最終的には何だかんだで実地に突入する―件は、しのざきさとみと平勘の手慣れた名演の力も借り、心豊かに楽しめる。石川初登場時の、これ見よがしな岡田智宏の色男演出には「トラック野郎」シリーズのマドンナ登場シーンをも髣髴とさせる、加藤義一の鮮やかなポップ性が爽やかに吹き抜ける。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:後藤大輔/原題:『NEXT』/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/演出補:田中康文/監督助手:内田芳尚/撮影助手:海津真也・種市祐介/スチール:津田一郎/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:内藤和之、鎌田一俊、森山茂雄、シネ・キャビン、スワット、田中スタジオ/挿入歌:『世界の果てでダンス』詞:後藤大輔、曲・歌:大場一魅/出演:倖田李梨・青山えりな・日高ゆりあ・牧村耕次・千葉尚之・川瀬陽太・なかみつせいじ・ジミー土田・久保新二・野村貴浩・樹かず・津田篤・銀治・中川大輔・岩田有司・山名和俊・春咲いつか・華沢レモン・新居あゆみ・後藤大輔・神戸顕一・中村勝則・松島好希・福原彰・佐藤吏・広瀬寛巳)。出演者中、ポスターに名前が載るのは津田篤まで。
 “池島ゆたか監督100本記念作品(パート2)”と、訳の判らないクレジットで開巻。これは即ち、一箇月余先駆けて公開されたちやうど百作目「半熟売春 糸ひく愛汁」(2008/脚本:五代暁子/原題:『小鳥の水浴』/未見)がオーピーであつたゆゑ、改めて新東宝でも、といふことらしい。因みにポスターには、おとなしく“池島ゆたか監督101本記念作品”とある。
 海岸を彷徨ふ老映画監督の高島夕景(牧村耕次)は、一人の女(日高)と出会ふ。夕景から「君の名は」と尋ねられた、女は「映画」と答へる。映画監督が出会ふヒロインの名前が“映画”と来たか!記念作に際して本気のその先にアクセルを踏み込んだ池島ゆたかの渾身が感じられ、恐るべきド直球ながら、それが些かもダサくは見えない強度が早くも漲る。これは何時もとは訳が違ふぞと、襟を正せられる。映画に導かれ、夕景は録音スタジオ(シネ・キャビン)に赴く。シネ・キャビンのちよつとした紹介もこなしつつ、一室での映画と夕景の濡れ場。カット変ると、医師(樹)と、愛人で老女優の夜半(倖田)のみが見守る病室。ベッドの上では、夕景がいよいよ死に瀕してゐた。
 フェリーニの「8 1/2」を、明確に志向したとされる今作。とはいへ「8 1/2」ほど難解といふことも全くなければ、同様に映画監督の主人公が虚構と現実の合間を往き来する、脚本を担当した後藤大輔の「妻たちの絶頂 いきまくり」(2006)のやうに、お話にならぬ支離滅裂といふ訳でもない。映画といふ戦場を懸命に戦ひ抜いた、夕景の若き日からのトレースを主軸に、いよいよ死に行きつつある、現在の夕景の姿を所々で交互に差し挿む構成は極めて論理的にも明確で、娯楽映画として客を選ぶやうなことは恐らく些かもない。池島ゆたかの記念作を祝福すると同時に参戦すべく結集した、ブ厚過ぎる支援態勢にも支へられたシークエンスのひとつひとつは正しく隙間なく強力で、恐ろしく見応へがある。夕景の映画監督としての生涯を描いた、のみの映画であつたとしても、既に十二分に良作の名に値する一本であつたのだが。
 膨大な出演陣の内、確認出来たところで登場順に。「ピンサロ病院3 ノーパン診察室」(2000/監督:渡邊元嗣)以来八年ぶりのピンク参戦となるジミー土田は、シネキャビンの録音技師・釣音。川瀬陽太は助監督の両天、津田篤は録音助手(推定)の御前崎。なかみつせいじは、男優の正午。夜半と正午の絡みのアフレコ後、実は夕景に隠れ関係を持つてゐた夜半と両天は、共にイカヅチ組の所用と称してシティ・ホテルにシケ込む。不審に思ひ後をつけた夕景と、3Pが展開される。愛人の女優を挟んで監督と助監督とがやり合ふ修羅場は、最も本題からは離れたシークエンスといへなくもないが、充実して見させる。
 病室の現在時制と海岸のショットを挿んで、若き日の夕景(千葉)を描いた青春篇に突入する。映画監督を志望しながら、夕景は劇団活動に身を投じてゐた。野村貴浩は、激昂すると山積みした灰皿を次々と夕景に投げつける演出家。華沢レモンはホン読みの際そんな野村貴浩の隣に座る、脚本家・・・?銀治・中川大輔・春咲いつか・山名和俊が劇団員。銀治は俄かに沸点に達さんとする脚本家の画面直左で、オロオロと顔色を変へる持ち芸をさりげなく披露する。中川大輔はその銀治すぐ左に、春咲いつかは更にその左で待機。三人で、演出家の散らかした灰皿を慌てて片付ける。片付けられた灰皿を、演出家はまたすぐ投げる。夕景は看板女優の東雲(青山)と恋に落ち、同棲を始める。フル・コ-ラスで挿入歌を歌ひ上げる大場一魅は、夕景・東雲らが耳を傾ける今でいふところのストリート・ミュージシャン。警察官が集まる店で女給のバイトをする東雲は、やがて当てのない夢を追ひ駆ける生活に疲れ、夕景を捨てる。ここの血肉の通つた四畳半フォークが、今作第一の頂点。青山えりなの安定感といふかいふならば土着性は、世間並みの幸せを選ぶ東雲の選択に、実に親和する。夕景に頬を張られるも、即座になほ強い力で張り返すカットは、何度観ても痺れる。当てもないまゝに突進力だけは感じさせる千葉尚之の若さといひ、配役の妙が素晴らしく発揮される。
 東雲と別れて数年後、夕景はAV撮影現場にゐた、夜半との出会ひである。撮影中同じく舞台出身といふ夜半と反目し合つた夕景は、AV監督(池島)に降ろされてしまふ。現場には広瀬寛巳と中川大資が、照明部と録音部で姿を見せる。控へ室で不貞腐れる夕景と和解した夜半は体を重ねるも、それはAV監督の仕込んだハプニング撮影であつた。世の中に冷たくされた敗北感に、夕景は打ちのめされる。映画を愛する夕景を無下に嘲笑するAV監督の姿を、池島ゆたかが自ら好演。
 夕景(ここから再び牧村耕次)は、波止場に佇む映画と出会ふ。一瞬で見初め自身のデビュー作のヒロインを映画に乞ふ夕景に対し、映画は演技が出来ぬと断りかけるが、夕景は演技など映画には必要ないと押し切る。再び病室、夕景を見守る人数は増えてゐる。カメラがパンすると、一同の中央に久保新二。後藤大輔や新居あゆみも、後の場面も含め多分病室に見切れるのか。改めて考へてみると、池島ゆたかメモリアルの片隅にも、河村栞の姿が見られないのは少し寂しいやうな気もする。デビュー作、原題「どうしてそんなに悲しいの」は完成するが、その頃、風俗嬢でもある映画は客に殺され既にこの世にはゐなかつた。釣音は、映画が何故に斯くも生き急いだのか、完成したデビュー作を通して掴まうとしたんだろ、と夕景に語りかける。ジミー土田の仰々しくはないものの、長いキャリアに裏打ちされた重さが活きる。
 夕景は死ぬ。海岸ならぬ彼岸で、夕景は「やつと見付けて呉れたのね」といふ映画と再会する。ここからの、脚本も真つ白なまゝに二人きりで映画を撮影し始めるシークエンスが圧倒的に素晴らしい、比類ないエモーショナルが轟く。ここまでで既に良作の領域に辿り着いてゐた映画は、一息に真の傑作への扉を蹴破る。思ひきりロングで画面左右に二人の距離を取ると、映画が走るシーンから撮影は開始される。演技指導を求める映画に対し、夕景は叫ぶ「お前が走れば、それが、映画だ!」。一体全体池島ゆたかはどうしたのだ。直截に筆を滑らせるにもほどがあるが、池島ゆたかといへば、役者としても映画監督としても、偉大なる大根といふのが正直なところこれまでの当サイトの認識であつた。「みんな死ぬのよ。だけど映画は生き続ける」そんなクサい台詞で、欠片の疑念も感じさせない最長不倒のエモーションを、文句なく撃ち抜ける人であらうなどとは思はなかつた。正直2008年作を観るのは未だ二本目のこの時点で、2008年ナンバーワンを早くも決定するのは足が勇むに甚だしいやうな気もするが、結果的には矢張りさうなるのかも知れない、見事な大傑作。101本中多分半分も観てはをらないだらうが、なほのこと敢ていふ、池島ゆたか最高傑作。池島ゆたかは101本目にして、百本に一本の映画を遂にモノにした。唯一の難点は、タイトル・インのCGにまるで品がない程度か。その辺りを手直しするだけで、何処に出ても戦へよう、決定力を有した一作である。

 冒頭にサミュエル・フラー「映画は戦場だ~」、オーラスにエリック・ロメール「~ルノワールに連なる楽観主義的な映画を私は信じる」、の言を持ち出すいはゆる清水大敬病に関しては、さて措けない。映画本体の出来がズバ抜けて素晴らしいだけに本家ほどには全く腹も立たないが、矢張りスマートではない、蛇足である。以前にも一度述べたが、商業監督が一々その作品の中で、映画が好きであることを表明する必要はないと思ふ。特に今作の場合、全篇を通して物語自体に映画への愛が溢れ過ぎるほどに満ち溢れてゐるだけに、なほさら余計ではないか。サミュエル・フラーやエリック・ロメールの名前に、喜ぶ人間に向けてピンクを撮る必要もあるまい。一般論としてもそのやうに感じられる以前に、そのやうな小手先なんぞ、本作には不要であらう。
 そして最後に、「今作の何処に神戸顕一は見切れてゐたのか」コーナー♪戯れにコーナー展開してみたが、最早さういふ趣すら漂ふ。AV監督の掌の上で踊らされてゐたヤング夕景が、控へ室で夜半を抱く件。二人が腰を下ろす長椅子の向かつて右隣に置かれたマガジン・ラックに、多分「婚前乱交 花嫁は牝になる」(2007)にて初登場した、神戸顕一が表紙を飾る『AERA』ならぬ『AHERA』誌が逆さまに突つ込んである。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「SMクレーン宙吊り」(昭和61『緊縛・SM・18才』の2007年旧作改題版/製作:国映/配給:新東宝映画/監督:片岡修二/原作:春野妖鬼『地獄のローパー』より/脚本:片岡修二/撮影:志村敏雄/照明:斎藤正明/編集:酒井正次/助監督:橋口卓明/音楽:芥川たかし/撮影助手:下元哲/照明助手:坂本礼・伊藤裕/緊縛指導:リャン・ハン・C・バリー/車輌:JET RAG/出演:早乙女宏美・杉下なおみ・清川鮎・最上美枝・更科詩子・下元史郎・池島ゆたか・福田彰・外波山文明)。監督助手に力尽きる。
 SMクラブ「倒錯の館」を、一人の男が訪れる。店のオーナー(池島)は、客(外波山)にそれぞれのコース内容と料金とを説明する。曰くSコースはサド≒サードといふことで野球選手、特に三塁手に人気であるだとか、女装コースは助走が必要といふ訳で陸上の跳躍選手に人気があるだのと、外れてしまはないのが不思議ですらあるオヤジ・ギャーグ(オールナイト当時の大槻ケンヂ風に読む)が、Mコースに関しては思ひつかなかつたのか割愛しつつも矢継ぎ早に繰り出される。とはいへオチのスカトロコースが、「スカッとろ爽やかコッカコームインー♪」なんてので官庁勤めの役人に人気だなどといふのは、幾ら何でも流石に力技に過ぎるか。浣腸≒官庁といふ駄洒落だけでは、あまりにあんまりだといふ判断ならば酌めぬでもないが。観客のテンションを投影してか呆れかけた外波山文明が投げやりにSコースを注文したところで、「キュイーン♪」と訳の判らないSEと共にタイトル・イン。
 現れたM嬢・マリア(杉下)を、外波山文明は手酷く鞭で痛めつける。痛めつけただけで気が済んだのか、そのまま交はるでもなく金を払ひ立ち去らうとする外波山文明を、池島ゆたかは呼び止める。女に対する明確な憎悪が看て取れる外波山文明は、かといつてSではなければ、無論Mでもない。とはいへ確かに、倒錯の世界の住人ではある。対して外波山文明は打ち明ける、自分の恋人が、暴走族「ボンバーズ」にさらはれた。今頃は陵辱の限りを尽くされてゐる最中に違ひない、だから女が憎いのだ、と。犯されてゐる恋人の方が憎いのか?と池島ゆたかが首を傾げると、外波山文明は補足する。ボンバーズは女暴走族で、さらはれた恋人といふのは、美少年・ワタル(福田)であるといふのだ。SでなければMでもないが、確かに倒錯性癖の持ち主である筈の外波山文明が実は男色といふのは、ギャグの落とし処として見事に秀逸。と素直に感心させられかけた矢継ぎ早、次のカットから片岡修二はギアをトップの更にその先に、無理から押し込んで捻じ壊してしまふ。ボンバーズ殲滅を果たすべく、池島ゆたかは一人の男を呼び込む、「完璧なサディスト、地獄のローパー!」。すると文字通り「ジャーン♪」といふファンファーレに乗り、マカロニ・ウエスタンも通り越し殆ど東映特撮ヒーローもののノリで、乗馬靴とドクロ入りの眼帯を左目にキメた地獄のローパー(下元)登場。カッコいいことはカッコよ過ぎるくらゐなのだが、一体何なのだこの映画?ホルスターから抜いたロープを投げ縄の要領で放つと、ロープはマリアの体に絡みつく。操り人形でも弄ぶかのやうに緊縛したマリアの自由を封じたローパーは、三味線屋の勇次よろしくロープをピン!と弾く。するとマリアは身悶え今や身も心もローパーの為すがまゝ、秒殺で調教が完了してしまふのであつた。センス・オブ・ワンダー!とでもしか言葉が見つからない、何をいつてゐるのか早くも我ながら判らないが。
 所変りボンバーズアジト、ベッドに大の字に縛り上げたワタルに、リーダーの真知子(清川)が無理矢理跨る。ボンバーズのメンバーは他に、爆乳といふか直截にいへば太い方もしくはデカい方(最上)と、細い方あるいは小さい方(更科)。三人の前に、“男に負けない”といふチーム・ポリシーに惹かれた、謎のスケバン・メグ(早乙女)がボンバーズ加入を求め現れる。一方、険しい山道を、ローパー以下一行がアジトを目指して進む。外波山文明が差し伸べた手を、自分を助けて呉れるものかとマリアが勘違ひしてゐると、同性愛者の外波山文明が助けようとしたのは、女のマリアではなく足の不自由な―設定で松葉杖を突いてゐる―池島ゆたかであつた。といふこれ又よく出来た小ネタを挿みつつ、いざアジトに辿り着くとローパーは、「ここから先は足手纏ひだ」と残る三人を追ひ返す。「ぢやあ何で皆でこんなところまで来たんだ!」と憤慨する外波山文明に対し、池島ゆたかは「間がもたないと思つたんでせう?」。ギャグになのかアンチ・ヒーローになのか、軸足を何処に置いてゐるのか冷静に考へてみるとよく判らなくもなつて来る作劇は、まとまりを欠くといへなくもないが、最終的には、比類ない破壊力が全てを圧倒する。
 ここから先のローパー対ボンバーズ戦以降は、ピンクだとかSMだとかいふ領域を軽やかに越え、いはば何でもアリな荒唐無稽アクション映画のスペクタクル。小用に立つた更科詩子は降つて来た仕掛け網に捕らへられると、媚薬を塗り込ませたバイブの餌食に。投げロープにキャプチュードされた最上美枝は、真知子が駆けつけたところ憐れな羽虫の如く、部屋中に蜘蛛の巣のやうに張り巡らされたロープに絡め捕られてゐた。真知子はロープの巣越しにローパーを狙つて銃を抜くが、弾丸がロープを一本切る毎に、最上美枝の体は一層締めつけられ、苦悶の果てに終には絶頂といふ屈服を迎へるのであつた。何が何だか判らないが、兎に角凄い世界であるのは疑ひない。近年の凡庸なVシネしか知らぬ若造―といふほど若くもないのだが―ピンクスにとつて、解き放たれんばかりの勢ひで羽ばたく片岡修二の縦横無尽なイマジネーションは、あまりにも強烈。
 昇天した最上美枝の姿にローパーの調教への思慕を禁じ得ない真知子は、何と堂々と織井茂子の主題歌まで繰り出しての、「君の名は」ならぬ君の縄のパロディも経つつローパーの愛の軍門に下る。といふか、この期に改めて気づいてみたがそもそも真知子ではないか・・・・!勿論、ショールを肩から下に垂らすのではなく上に頭部を包(くる)むやうに巻く、いはゆる「真知子巻き」も披露する、松竹はこのことを知つてゐるのか。昭和61年当時、勢ひに任せドサクサに紛れたであらう雰囲気は兎も角、それをのうのうとこの期に新版公開してみせる新東宝もいい度胸だ。
 不甲斐ないボンバーズに、メグは見切りをつける。かつてローパーの左目を潰したのは、実はメグであつた。その際ローパーに抱かれるも、メグは決してローパーの調教に屈服しはしなかつた。翻る鉤十字の大旗もバックに、ナチスの軍服に身を包み、メグはローパーとの最終決戦に赴く。何でまた選りに選つてナチなのかは、大した理由は多分全くなかろう。頑強に非服従に徹さんとするメグと、ナチズムの暴力と恐怖による支配とは相反するやうにも思へなくもないが、さういふ野暮を吹いてゐる場合ではない。対するローパーは、クレーン車を運転し現れる!一言で困惑にも似た興奮をいひ表すならば、こんな映画観たことねえよ、何処まで行くのか片岡修二。港湾地帯の一角にて、終にローパーとメグが再び対峙する。ロープとチェーンの対決は余裕綽々のローパーに軍配が上がるものの、なほも怯むことなく、ならばとメグはヌンチャクを取り出す。早乙女宏美のヌンチャク捌きはまるで素人芸なのだがそんなことはさて措き、メグのカウンターの一撃はローパーの残つた右目も潰す。自由自在の攻撃面は兎も角、どうやらローパーはディフェンスに難があるやうだ。光を失ひながらも、ローパーのロープは、苛烈な筈の調教を裏支へる愛は、終にメグを捕らへる。するとローパーはメグを、クレーンで

 地上数十メートルに宙吊りにする。

 実は今作には、二つの連続した物語としての前作が存在するとのこと。前作「逆さ吊し縛り縄」(昭和60/監督・脚本:片岡修二/主演:早乙女宏美・下元史郎)に於いて、ローパーが縄師になつた由来や、メグがローパーの左目を潰した因縁も描かれるといふ。二作に跨つたメグとローパーの壮絶な大ロマンは、ここに性的興奮とか何とかいふ領域を遙斜め上に突き抜けた、壮観なファンタスティックに結実する。といふかクレーン車の全景を丸々捉へるほどのロングにカメラが引いてしまへば、いふまでもなくオッパイだのお尻だのといつてまともに見える訳がない。この期にいふまでもなく、そもそもさういふ平板な、価値観の範疇に収まり切るシークエンスではないのだ。加へて全篇を通して、ピンク映画といふカテゴリー上不可避な、予算規模の小ささから拭ひ切れない物理的映像のチャチさは目につかなくもないとはいへ、そんなことも最早瑣末だ。規定された脱ぐ女優の人数と、濡れ場の回数。それさへクリアされてあれば、後は何をやつても構はない。しばしばさういふ形で語られるピンク映画の、作家主義観点から肯定的に捉へられる自由な側面。かつてそれを極限まで推し進めたとへば映画の撮り方を覚えてゐた頃の瀬々敬久の、プログラム・ピクチャーの枠組みを完全に突き抜けた轟音大傑作群を送り出した国映からは、その以前に、毛色は全く異なれど斯くも偉大な怪作が生まれてゐたのか。片岡修二も国映も、昨今の箸にも棒にもかゝらぬ体たらくからはまるで窺へない、などといふ憎まれ口はこの際控へよう。甚だ俗つぽい物言ひにもなつてしまひ恐縮ではあるが、今からでも、たとへばクエンティン・タランティーノ辺りに今作の脚本を渡したならば、十二分に世界を獲れるのではなからうか。“今からでも”とはいふものの、今作に追ひつき得る時代など、「せえの」で全人類が一斉にニュー・タイプに覚醒でもしない限り、終には訪れ得まい。随所で狂ひ鳴く、疾走するリズムに勇壮な男声コーラスを乗せた、エモーションが燃え滾るメイン・テーマも捨て難く、正しく総合芸術としての面目躍如。全てを超えるといふのが些かの過言でない、ハチャメチャながらも同時にれつきとした一つの想像力の到達点である。

 新東宝は余程ノリノリなのか、新版ポスターの惹句も絶好調。「謎の縄師VS男を犯す女暴走族集団のアルティメット・バトル!」といふハクいメイン・キャッチに続いて、“チェーンが唸る!”、“縄が締める!”、“裸女を吊るしたクレーン車が爆走する!”、“狂気のSM世界を描いた必見の異色作!”と怒涛の畳み込みを見せる。アヴァンギャルドな本篇の内容に概ね即してはゐるが、幾ら早乙女宏美とはいへ、流石に吊らされたままクレーン車が爆走しまではしない。ところで、新東宝は尚更イケイケなのか、今作の前作「逆さ吊し縛り縄」も順番を前後して本年、「激しいSEX 異常愛撫」として改題新版公開されてゐる!そちらの方も、機会に恵まれたならば是が非とも決死の覚悟で観戦したい。


コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




 「好奇心の強い義母 昼顔の汗臭」(2007/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:下元哲/脚本:関根和美/企画:亀井戸粋人・奥田幸一/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:酒井正次/助監督:高田宝重/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:塚本宣威/協力:報映産業/出演:酒井ちなみ・合沢萌・久保田泰也・なかみつせいじ・久須美欽一)。製作のシネマアークは、本篇クレジットには無し。
 居間で勉強中うたた寝してゐた宅浪生の木下雅之(久保田)は、義母・まゆみ(酒井)がトイレに入つた気配に目を覚ます。雅之はまゆみが脱衣籠に脱いだパンティをくすねつつ、下元哲一流の、タップリと尺も費やし描かれる義母の排泄の喜悦を覗き見る。ハッと雅之が振り返ると、そこにはパンティを返して、と個室に入つてゐる筈のまゆみが立つてゐた。再び改めて居間で目を覚ました雅之は頭を抱へる、夢精してしまつてゐたのだ。
 セーラ服を着てゐる辺りで年齢設定がよく判らなくなつても来るが、彼女・前川由香里(合沢)が家を訪れ雅之の勉強を見てゐる。ここはひとまづ、多少を超えた無理も顧みず合沢萌にセーラ服を着せたかつたのであらう、といふことにして通り過ぎたい。ムラムラ来た雅之は由香里に覆ひ被さるが、むべもなく拒まれる。そこにまゆみがお茶を持つて登場。すると今度は雅之は、ローター、ボールギャグ、両乳首に吸引具のやうに取りつけて責める、何ていふのか全く判らない器具、張形。種々の淫具を駆使したまゆみが由香里を責め倒す、エクストリームな白日夢を見る。
 彫刻のやうに整つた顔立ちとタッパもあるダイナマイト・ボディを誇る、まるで白人女優と見紛ふかのやうな主演女優の酒井ちなみ。お芝居の方は進行を阻害せぬ最低限だが、腰から尻にかけての逞しい充実には、おとなしく心を持つて行かれる。以降は概ね美しい義母に狂はされた義息の幻覚にも似たイマジンが延々連ねられるのみといふ、殆どストーリーすら割愛したソリッドの向かう側の作劇を、主演女優の魅力の一点突破で頑丈に戦ひ抜く。幻想パートに突入するや否や随所で顕示的に炸裂する下元哲必殺のソフト・フォーカス撮影に加へ、高層マンションの外景が所々でカットの繋ぎ際に挿み込まれる以外には、実はカメラが舞台室内から一歩も外に出でないといふ省力設計も何気に光る。持てる戦力の全てをいやらしい女の裸を銀幕に載せることにのみ注ぎ込む。他の何物かを求めるならば他所に行つて呉れ、とでもいはんばかりの下元哲の潔さと、狙つたセンは全速力で撃ち抜いた清々しさが天晴な、正しくエクセス本流の実用的エロ映画の中でも、極めて高水準の一作である。
 クライマックスは、昼間から風呂を浴びては引き寄せられた雅之をまゆみ自ら誘ひ入れての、浴室での両義的な濡れ場。前段階での、入念にスローモーションで押さへられた、まゆみの肉感的な肢体を舐めるシャワーの飛沫をアップで捉へた画も強力。一般家庭にも関らず、いはゆるスケベ椅子が浴室にあつたりするのは最早御愛嬌だ。そこに出張に出た父親・孝雄(久須美)が忘れ物を取りに戻るちよつとしたサスペンスも織り込みながら、続けて雅之を訪ねて現れた由香里は、覗き見た彼氏と義母の情事に衝撃を受けると、何とそのまま脱衣場で立位のオナニーを、挙句に何故かまゆみのネグリジェを咥へながら展開する。しかもカットとしては省略されるが、由香里は果てるとそのまま退場。かうして改めて振り返ると何処から手を着ければよいのか判らなくなる程シークエンスとして無茶苦茶なのだが、この期に瑣末な蓋然性なんぞ、群を抜いた桃色の破壊力が有無もいはさず捻じ伏せる。カメラマン・ディレクターとしての洗練も伴はせつつ、確信的な下元哲の豪腕が振り抜かれる。唯一の難点は雅之役の久保田泰也の、強ひてよくいへば今時風のチャラ男ぶりくらゐ。劇映画としての中身はほぼ全く無いままに、同時に時代を越え得る威力を有した快作である。
 ところで何ともいやらしい雰囲気だけは伝はつて来るタイトルではあるが、“義母”といふ一単語以外には、感動的なまでにまるで実際の内容を即してはゐない、ままあることではあるが。

 なかみつせいじは、まゆみが通販で買つたバイブを届けては、冷たい水と気持ちいい尺八を御馳走になる宅配業者・圧田武史。なかみつせいじがワン・シーンにのみ登場の濡れ場要員とは、贅沢な配役ともいへる。改めて触れておくと声の張りには何ら不安を感じさせないが、久須美欽一の顔の左半分の強張りは矢張り気になる。下元哲もその点は慮つたのか、登場シーンは基本画面奥の上座に置いての家族の食卓風景で、唯一の濡れ場も、縛り上げたまゆみを後ろから浣腸で責めるといふ、殆ど腕の先しか映らないものである。その食卓風景すら、照明が不自然に暗い箇所もあるやうに思へるのは、流石に気にし過ぎか。全体的にも、少しお痩せになつたやうに見受けられる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「巨乳女将の寝乱れ姿」(2003/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/助監督:加藤義一/監督助手:竹洞哲也/撮影助手:吉田剛毅/照明助手:永井左紋/音楽:OK企画/効果:東京スクリーンサービス/出演:加藤由香・佐倉萌・三上翔子・竹本泰志・なかみつせいじ・石動三六・睦月影郎・姿良三)。出演者中姿良三は、本篇クレジットのみ。
 手前にバイブを置いての大開脚で堂々と開巻、若後家でペンション女将の不二子(加藤)は、亡き夫を思ひ出しての自慰に溺れる。カット変り、伊豆海辺の絶景に被せてタイトル・イン。
 住み込みの番頭を募る不二子のペンションに、栄治(竹本)が職を求めて現れる。行く先々で女絡みのトラブルを起こす栄治ではあつたが、妻を亡くし心機一転当地で頑張りたいといふ言葉に、不二子は宿に置くことにする。モーテルを経営する坂本(なかみつ)、ドライブイン経営の佐伯(睦月)、土産物屋を営む板倉(石動)。実は共に未亡人の巨乳女将を狙ふ常連客の宴席に、不二子は新しい番頭を紹介する為栄治を連れて行く。それならば歓迎だといふことで、呼ばれて現れた床上手で名にし負ふ芸者の君代(佐倉)が、早速栄治にあてがはれる。頻りに固辞する栄治がすつかり骨抜きにされる様子を楽しみに心待つ坂本らではあつたが、床の間に移つた君代は、何時まで経つても帰つて来ない。実は栄治は恐るべき巨根の持ち主で、加へて果てることを知らない絶倫でもあつた。返り討ちに遭ひすつかりメロメロの君代の姿に、一同は目を丸くする。君代から狭い町に栄治の噂は広がり、女達は忽ち栄治の虜に。不二子も秘かに栄治に興味を持ち夜居室を訪れてみようとはしたものの、仲居の利恵(三上)に先を越されてしまふ。一方、町中の女が栄治に夢中で面白くない坂本達三人は、ハワイへのペア旅行を景品に、誰が不二子をオトすのかといふ賭けを始める。
 映画の一切が濡れ場にのみ奉仕する。物語の仔細が、展開の逐一が女の裸を銀幕に載せるといふ唯一の目的に従つて機能する。さういふピンクも、それはそれとしてある意味での完成形ともいへまいか、と思ひながら序盤は観てゐたものでもあつたが、物語が進むにつれ、さういふ仏心は霧消した。坂本以下三人で不二子を巡る賭けをスタートさせた時点で、最終的には巨根で絶倫、おまけに色男の栄治に出し抜かれる予定調和の範疇で、三馬鹿の健気な試行錯誤と、愉快な玉砕とが繰り広げられる、といふのが成立したプロットからは予想されて然るべきかとも思はれる。ところが実際の展開は如何にといふと、これが驚くべきことに、個別に夜這ひを仕掛けようとした坂本と佐伯が鉢合はせる小さなカットがあるのみ。板倉に至つては、利恵を前に不貞腐れてみせる程度で殆ど何もしない。代つて中盤以降尺の大半がダラダラと費やされるのは、共に配偶者を亡くした者同士ではある不二子と栄治の、積み上げられたものが足りないまま結ばれる過程にエモーションも説得力も有し得ない、清々しくどうでもいい恋物語。どういふ訳でだか、終に互ひを新しい伴侶として選んだ不二子と栄治のセックスが締めの濡れ場といふこと自体は必ずしも間違つてゐるとはいへないが、そのまま加藤由香の複雑な乳房のアップに“終”を重ねるといふ幕の引き方も如何なものか。ある意味、といふか別の意味で豪快な映画の畳み方といへなくもないやうな気もしつつ、そこは矢張りドラマとしての十全な着地を選択あるいは志向するならば、不二子をさらはれた坂本・佐伯・板倉と、同じく栄治をモノにし損ねた君代と利恵とが、歯噛みしながらも仕方なく二人を祝福する、といふのが大団円として期待される落とし処でもなからうか。のんべんだらりとしたピンク自体はそれはそれとして必ずしも常に排斥するものではないが、基本的な映画設計の時点からのんべんだれてしまふのは流石に考へものである。

 姿良三は、終盤不二子が寝込んでゐることを説明する為のカットに登場する客。因みに改めて再確認すると、今作脚本の水谷一二三と姿良三といふのは、共に小川欽也の変名である。配役の隙間を自ら埋めんと出撃すること自体は勿論構はないが、あれやこれやが抜け落ちてゐることを思ふにつけ、姿良三登場カットは丸々要らぬ手間だともいへる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「中村あみ お願ひ汚して」(2003/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:笹木賢光/撮影助手:田宮健彦/照明助手:石井拓也/ポスター衣装:《株》ウィズ/出演:中村あみ・風間今日子・白土勝功・江端英久・西岡秀記・入月謙一・里見瑤子)。ポスター写真では全身網タイツに身を包み床(とこ)に体を横たへた中村あみが、上半身を右に捻りこちらを向いて微笑んでゐる。“ポスター衣装:(株)ウィズ”といふのは、ポスターのみ。加へて、劇中中村あみが当該衣装を身に着けるカットは因みにない。
 水曜の夜、ラブホテルでの逢瀬。灰皿に添へられた―プラスティック製で細い直方体の持ち手に鎖の付いた―鍵と紙マッチとで、舞台をラブホテルと観客に知らしめるベテランならではの堅実な論理性が、この時点では瞬間的にではあれ確かに光つてゐたのだが。
 曜日毎に違へた男と関係を持つ如月来夏(中村)は、事後排他的で固定された関係を望む大久保(入月)から、水曜日の彼氏を引退すると別れを告げられる。サバサバした風を大久保の前では装ひつつ、泊まる予定で金も払つてゐたホテルを後に不貞ながら歩いてゐた来夏は、「よ!久し振り」と呼び止められる、来夏の姉・秋生(里見)だつた。翌朝出勤する来夏と、秋生は一緒に家を出る。秋生の気紛れに引き摺られ来夏が寄り道したところ、キャバクラのスカウトが声をかけて来た。相手にしない来夏ではあつたが、スカウトは、卒業以来初めて再会する高校の同級生・小暮俊介(白土)だつた。今度酒でも飲まうと、来夏から互ひの連絡先を交換する。その夜来夏が渡されたメモに目を落とすと、小暮の連絡先には、流れ星が書き添へてあつた。今でも星が好きなんだ、来夏は相好を崩す。天体観測が趣味の小暮は新星発見に情熱を燃やし、高校時代、来夏はそんな小暮のことが好きだつた。
 よくよく考へてみると、通勤時間帯といふ朝つぱらからキャバクラのスカウトといふのは少々不自然なやうにも思へるが、今作に際して、そのくらゐの瑣末はそもそも問題ではない。そこを通り過ぎてはどうにも話が進まないので改めて正面戦を試みるが、今作最大の、あるいは致命的な、といふか最早さういふ形容すら生温い画期的とすらいへるツッコミ処は何かといふと。実は秋生は、<来夏の卒業式の直前に、婚約者共々交通事故死してゐた>といふ点。心を荒める妹を気遣ひ、<未だ彼岸に旅立てずにゐる姉が此岸に姿を現す>といふ物語自体は兎も角として、少なくとも元の姿のまゝで<勿論その死を認識してゐる妹と全く通常に応答する>、などといふ破天荒はどうやつたとて越えられる壁ではない。無防備極まりない山崎浩治の脚本を些かも悪びれることもなく、渡邊元嗣の無邪気な無茶が火を噴いた、支離滅裂な問題作である。
 とはいへ、越えられないまでもその先に目をやることがもしも仮に万が一出来たならば、今作は同時に、実はストレート過ぎるほどにストレートな青春映画でもある。荒唐無稽にすら片足突つ込んだ滅茶苦茶の中、一人重低音をバクチクさせ気を吐く風間今日子は、小暮にスカウトされ現にキャバ嬢になつた須藤真理。小暮は真理の半ばヒモのやうな暮らしをしながら、当てもない新星発見に固執してゐた。真理は望遠鏡ばかり覗き自分の方を振り向いては呉れない小暮に愛想を尽かすと、「一生星を探してろ」と捨て台詞を書き殴り、小暮の下を去る。小暮の時間は卒業式当日の来夏との擦れ違ひ以来、停止してゐた。現在を顧みることもなく、数百光年の距離を経て地球に届いた星の光に象徴される、小暮は過去に囚はれてゐた。一方高校時代の来夏は、流れ星など一晩中空を見てゐれば一つや二つ見られるといふ小暮の言葉に従ひ、一晩を河原で小暮と星空観察に過ごす。その時来夏は、心の中では秘かに流れ星が朝まで見付からなければいい、と思つてゐた。流れ星が見付かれば、その時点で小暮との時間が終つてしまふかも知れないからだ。そんな来夏が、何故に今は曜日毎に男を変へるやうな女になつてしまつたのか。<姉の死>を機に、来夏は心を閉ざす。一人きりの相手との関係では、その相手に去られてしまつた場合、全てが失はれる。曜日毎に違ふ男に抱かれてゐれば、そんな心配も必要ない。来夏は来夏で、過去に心を歪める。
 軽薄なスケコマシをそれはそれとしてその限りに於いて好演する西岡秀記は、来夏の土曜日の彼氏・佐藤。小暮が来夏と交換した住所を頼りに家を訪れてみたところ、折悪しく佐藤と鉢合はせになる。すごすごと、小暮は退散する。ひとまづ濡れ場を経ると、結婚が決まつたといふ佐藤は、来夏とセフレとしての関係は継続したいと都合のいいことを言ひ出す。憤慨した来夏は佐藤に三行半を叩きつけると、夜の街に飛び出す。死すら意識するほど途方に暮れた来夏がフと夜空を見上げると、一筋に輝く流れ星が・・・・・!小暮と夜空を見上げて過ごした、甘酸つぱくも満ち足りた高校時代の一夜の文字通りのフラッシュ・バックを挿み、来夏が思ひ出の河原に向かふとそこには小暮が居た。

 秋生は来夏にいふ、「人は変らないよ」、「ただ時々自分であることを忘れるだけ」。江端英久は、最終的に自分を思ひ出した来夏に安心した秋生を、墓参りの墓地に<お迎へに現れる>婚約者・高橋修。木に竹を接ぐどころの騒ぎではないが、そのまゝ無理矢理、里見瑤子の濡れ場の相手を務める。出発点の出鱈目は、如何とも拭ひ難い。そこで話が完了すればそれまでではあるが、あくまでその点に目を瞑る、瞑れたならば。悲しい過去に心を閉ざし自分を忘れた来夏と、一方過去に囚はれ立ち止まつたまゝの小暮。二人が新しい日々を共に歩き始めるクライマックスは、青春映画の展開としてそれでも全うで、同時に素晴らしく感動的。しかもその時二人を導くのは流れ星!渡邊元嗣の、恐れを知らぬロマンティックが咲き誇る。壊れた映画ではあるやも知れぬが、私も壊れたピンクスなので、にも拘らず断固として美しいと激賞せずにゐられない。秋生の登場に対して、論理的に十全な説明はつけられなかつた。それは仕方がない、あるいはそんなことは知るか、渡邊元嗣がどういつた態度であつたのかまでは勿論判らない。その上でなほのこと、尚更の全力で撃ち抜かれた渡邊元嗣必殺のエモーションがモノにした、物語としては木端微塵のまゝに、だからこそ美しさが一層際立ちもする青春映画の佳篇。馬面といふか河馬面といふか、中村あみの世辞にも当世では魅力的とはいへないよくいへば古風な容姿も、70'sを髣髴させるナベの古臭い青春ドラマの中にあつては、上手く合致する方向に作用してゐる。とまでいふのは、映画に騙されるにも大概にすべきであらうか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「肉屋と義母 -うばふ!-」(2005/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/音楽:戎一郎/撮影:村石直人/照明:マタオチャン/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:竹洞哲也/監督助手:中川大資/撮影助手:清水康宏/照明助手:佐々木貴文/メイク:マキ/スチール:本田あきら/現像:東映ラボテック/出演:三東ルシア・しのざきさとみ・青山えりな・徳原晋一・綱島渉・那波隆史・由依靜)。照明のマタオチャンといふのは、実際さうクレジットされる、鳥越正夫を指すのか?
 城南大学(撮影は法政大学にて)文学部講師の静(三東)は、弁護士の青山真一(那波)と結婚する。開巻は真一の連れ子・真人(網島)が彼女の木村可奈(青山)を家に招いての、四人の団欒。静と可奈が、ショパンと歌舞伎に関する会話で盛り上がると真一は、といふか那波隆史はが恐るべき棒読みで「すつかり意気投合したやうだね」

 何だそりや

 そもそも陳腐なシークエンスに止めを刺され、出鼻が木端微塵に挫かれたかと頭を抱へたが、幸にも那波隆史の出番は以降然程多くはなく、その限りに於いて傷口は広がらなかつた。その夜の夫婦生活、頭に白いものも混じる真一のセックスは淡白で、静は秘かに不満を覚える。ある日夕立に降られた静は、食肉卸店の軒先に逃れる。洩れ聞こえる尋常ならざる気配に静が店内の様子を窺ふと、肉屋の三木健次(徳原)とその妻・久子(しのざき)が交はつてゐた。獣のやうな二人の営みと、健次の逞しさに静は目と心を奪はれる。数日後、覗き見た肉屋夫婦の情交が頭から離れない静は、再びその肉屋を訪れる。小売はしてゐないといふ健次の言葉にその日はすごすご退散するも、更に数日後、意を決した静は結婚指輪を外し、変装のつもりか大きなサングラスをかけ再々度肉屋へ向かふ。健次は静を看て取ると、売り物ではないとつておきの肉がある、と静を裏手に誘(いざな)ふ。畳間へ通し、素振りとして一応は拒んでみせる静を、健次は繰り返し犯す。望んだ通りの激しい性行に、静は溺れる。
 主演の三東ルシアは当サイトが生まれた翌年に、旧芸名の里美レイで芸能界デビュー、翌年三東ルシアに改名。更にその一年後の昭和50年、TOTOホーローバスのテレビCMでブレイク。以降70年代後半を今でいふところのグラビア・アイドルとして駆け抜け、ロマンポルノ「女教師 生徒の眼の前で」(昭和57/監督:上垣保朗/未見)主演でセンセーションを巻き起こしたのち、平成元年に一旦引退。2003年にグラビアで復帰後、Vシネ主演などを経て今作に至る。全盛期を子供ゆゑ全く通り過ぎた身としては正直なところ特段の思ひ入れは皆無で、さうなると首から上にカメラが寄る際、アップで撮られてゐること自体に三東ルシア自身の緊張が見受けられるのには苦笑しなくもなかつたが、2005年当時三東ルシアが御歳47歳であるといふ事実を改めて鑑みると、それはそれとして敬服するに吝かではない。正味な話、劇中設定的には歳の大きく離れた真一と結婚した静が性的なフラストレーションに苛まれる、といふ形になつてはゐるものの、実年齢では、三東ルシアの方が那波隆史よりも十近く上である。
 上流階級に属する女が、粗野な男との逢瀬に溺れて行く。天衣無縫に大雑把にいふと、『チャタレイ夫人の恋人』のやうな物語かと思つてゐたところ、何と寡聞にして勿論未見だが、そのものズバリ全く同じやうなストーリーの「肉屋」(1998/伊/監督:アウレディオ・グリマルディ/原作:アリーナ・レイエス/主演:アルバ・ビアレッティ)なる、しかも日本でもそこそこヒットした映画があるといふ。となると、2006年の大傑作「ド・有頂天ラブホテル 今夜も、満員御礼」に遡る、ド直球翻案映画の第一弾、ともいへるのか。大きく開いた完成度の以前に、基本的な出来栄えないし肌触りの硬軟、といふ目立つた差異がありもするのだが。
 タイトルに“義母”を冠しながら、真人と静間の双方向に、互ひに性的関心を寄せるやうな描写は欠片もなく、いはゆる―擬似―近親相姦ものとしての要素は感じられない。特筆すべきは、亭主を寝取られた報復にと久子が真人を蹂躙する展開。オリジナル版「肉屋」と比した際の、今作最大の特色といへよう。手切れ金と真人を買つた代金も兼ねてと、立ち去り際に久子が竹皮で包んだ肉を投げて寄こすカットには、強い映画的興奮が満ちる。今ひとつ盛り上がりに欠ける処女喪失の濡れ場をこなして退場したあとは、全く出て来ない青山えりなの扱ひが中途半端でぞんざいなのと、相変らずまるで使へない那波隆史の棒立ち大根ぶりに関してはひとまづさて措き通り過ぎると、些かの物足りなさを残すのは肉屋役の徳原晋一。何度も何度でも静を犯しがてら、「俺は何時も満タンだぜ」とイカした名台詞を決める辺りには逞しさも煌くとはいへ、少々小奇麗にすぎるか。元々明確に男前の枠内に収まる上、選りにも選つて敵に回すは三東ルシア、と更にしのざきさとみである。熟女に若いツバメが普通に可愛がられてゐるやうにしか映らず、些かならず弱い。平素の徳原晋一のイメージを覆すくらゐ思ひきり汚してみるか、別の可能性を摸索するとたとへば町田政則の肉屋であつたりしたならば、より画的にしつくり来たやうにも思へる。
 穏やかに満ち足りた幸福感を醸し出しつつ、刹那に衝撃を叩き込むラスト・ショットは、“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦一流。真人が久子のカウンターに沈んだ一件も経て、静が一旦は健次との関係を絶たうとはするものの、学内にまで追ひ駆けて来た健次と講義前の教室にて事に及ぶ濡れ場は、実際に大学内で撮影してゐる風に見える。学内の広さに、決死の覚悟で紛れたか。ただその際に、静が「生徒が来ちやふ・・・」と儚い抵抗を示してみせるのは、普通大学生を捕まへて、“生徒”とはいはないのでは。

 配役残り、地味か絶妙に美人の由依靜は、休み時間に学食で歓談する静の同僚。静が勝手に追ひ詰められて行くさりげない会話の相手役を担ふ、展開上の送りバントをそつなく決める。
 最後に三東ルシアに話を戻すと、ポスター惹句にはかうある。「私熟成した・・・かしら」、“少女から大人になつた 平成のルシアが眩しい”。熟成だの大人だのいつてゐる場合でも、既に遠くないのだけれど。エクセスの無茶振りも兎も角、それをそれなり以上に形に成さしめた松岡邦彦の功は、評価されて然るべきであるのやも知れない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「キャバクラ嬢 しぼり出す指先」(2007/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督・出演:荒木太郎/脚本:三上紗恵子・荒木太郎/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:金沢勇大・江尻大/撮影助手:海津真也・種市祐介・広瀬寛巳/音楽提供:白井秀明/応援:小林徹哉/協力:佐藤選人・静活・HOLLY WOOD/タイミング:安斎公一/出演:桜田さくら・柳東史・華沢レモン・淡島小鞠・岡田智宏・安田憲明・宮川典子・静岡県風俗最強誌Men's TONIGHT、他・佐々木基子)。ポスターには音楽として白井秀明と併記される、三田村管打団?(はてなマークまで含めてユニット名)が本篇クレジットには無し。然しまあ、潤ひも味の欠片も無いタイトルではある。
 生真面目教師の赤木(柳)は、同僚・久本(荒木)に無理に引張られ、生まれて初めてのキャバクラに足を踏み入れる。場に馴染めない赤木について呉れたのは、店のナンバーワン・さゆり(桜田)。二週間後、赤木も忘れた頃携帯に「お元気ですか 良かつたら オイデクダサイ」といふ文面の、さゆりからの特に何の変哲も無い営業メールが届く。免疫の無い赤木はすつかり逆上せ上がつてしまひ、店に通ひ詰めるやうになる。忽ち金に困つた赤木は、妻・智子(佐々木)の貴金属や、学校の備品をも金に換へるに至る。
 積極的に回避してゐたので「桃色仁義 姐御の白い肌」(2006)以来観るのは五作ぶりともなる荒木太郎の新作は、驚くべきことに、堅物男が水商売の女に入れ揚げた挙句に全てを失ふ。たつたそれだけの、実も蓋も無い以前に在り来りなことこの上なく、こんな映画に木戸銭を落とすなんてまるで小馬鹿にでもされたかのやうな、どうといふこともないお話である。頭と尻に工夫を欠きつつも、その間の展開に工夫が凝らしてあれば幾らでも形にならうところではあつたのだが、その点に関しても決して成功を果たせてゐるとはいひ難い。終にはサラ金にまで手を出した赤木が、手にした洗濯ハンガーと体中に万札を貼付け、錯乱でもしたかのやうに小川を駆けて来るショットには昭和後期の日本映画が有してゐたパワーの残滓が感じられ、借金取りと大家の怒号の中、赤木が安アパートの一室それでも安穏とさゆりへの想ひに立て籠る件には、それはそれとしての安らぎが溢れもする。即ち、赤木絡みの―あるいは柳東史の、といつた方がより適当であるのかも知れない―描写は、いきなり身を滅ぼすまでにキャバ嬢に突つ込まざるを得ないことに対しての背景の欠如を除けば、概ねそれなりに充実してはゐるのだが、対してさゆりに関してが弱いといふか軸足が今一つ定まらず、無駄も目立つ。さゆりが、客が破滅しやうがどうしやうが金さへ絞り取れれば後は知つたことではない、冷酷なプロフェッショナルであるのか、それとも全力の赤木ほどではないにせよ半ば、赤木との出会ひを運命と勘違へてゐるのかが微妙にハッキリしない。勇猛果敢なロケーションであることだけは文句無く買へる、砂丘での濡れ場が逆に理解を妨げる。砂上に果てた赤木が妻子―娘・キョーコ役はスッピンに極短ツインテールがヤバい淡島小鞠―との、幸せだつた日々を想起するカットにはよもや夢オチかよ!と肝を冷やせられかけたが、流石にそれでは、赤木の転落に気を揉みながらもどうすることも出来ない、無力な傍観者としての久本の視点に説明がつかない。幾ら三上紗恵子―と荒木太郎―とはいへども、そこまでの出鱈目な粗相はするまい。豪快な青姦が劇中世界内での事実とすると、非情なプロであるならばさゆりが、どうしてカモとそこまでの無茶に至るのかが理解に苦しい。赤木との同伴デート中、砂丘の写真に「砂丘の写真を見ると落ち着くの」、「何もかも捨ててしまひたい、そんな気持ちになる・・・」とさゆりが目を留める件で外堀は埋めたつもりなのかも知れないが、その件自体、落ち着くと口ではいひながら、さういふさゆりはあたかも俄かに欲情でもしてゐるかのやうにしか見えない、ちぐはぐ極まりないカットであつたりもする。大体落ち着くといふことと、何もかも捨ててしまひたくなる心情とは連続するものなのか。赤木を焚付け、店の同僚・彩(華沢)を犯させる絡みにもさゆりの魔性はよく表れてゐるだけに、砂丘絡みの変なウェットさは、さゆりの人物造形にとつては矢張り余計、あるいは説明不足に思へる。どうしても、砂丘でのセックスを押さへておきたかつた、決意は酌めぬではないが。
 軸足の不鮮明に加へて、さゆりに関する無駄とは何かといふと。配役中、いい感じでナイスなガイぶりを振り撒く安田憲明は、さゆりの上得意・伊勢。何の店だか絶妙に判らない、「HOLLY WOOD」でさゆりを抱く。素肌にジャケットといふハチャメチャな格好で、クラックでもキメてゐるかのやうな破天荒な色男ぶりを暴発させる岡田智宏は、矢張りさゆりの客で、ホストの哲郎。三人目の―濡れ場をこなす―女優を、どれだけ木に竹を接がうとも是が非とも登場させねばならぬ場合は、仕方のないこととして理解するにも吝かではないが、今作さゆりを巡り赤木に気を持たせる男は、どちらでも構はないが一人居れば十分ではなかつたか。足りない部分至らない部分も残るだけに、敢て無駄と断ずる所以である。
 ファンは荒木調として賞賛し、当サイトとしては一貫して荒木臭として異を唱へ続けて来た、基本的に全うな商業娯楽映画への成就を妨げてゐるやうにしか思へない、割に荒木太郎は性懲りもなく固執するあれやこれやの不要な意匠は、今作に於いては見当たらず。荒木太郎映画の新作を観るのは久し振りなので、荒木太郎が漸くシフト・チェンジを果たしたものか偶々なのかは判らない。何れにせよ、致命的とすらいへる近作を通しての脚本の弱さは相変らず。今回はいはばついでで観たものであるが、脚本を三上紗恵子(=淡島小鞠)が書き続けてゐる限り、矢張り映画監督としての荒木太郎に明日は来ないのではなからうか。このコンビ、二人とも役者としては強いのだが。

 もうひとつ解せないのは、赤木のキャバクラ通ひが妻に発覚するきつかけといふのが、キョーコ(漢字不明)が父親の財布から金を抜き取らうとしたところ、さゆりの名刺を発見するといふ点。それまでの、それなりに幸福さうな家庭内の描写のみからは、娘のさういふ非行行為までは些か距離が遠い。
 キャバクラ店内に、店の人間や他の客要員として若干名登場。ポスターに名前の記載の無いその他出演者の中でも、一人大きくクレジットされる宮川典子は、さゆり・彩の他にもう一人だけ姿を見せるキャバクラ嬢か。明後日に話を戻すと、彩は、語尾に「ピャン☆」を付けるピャン言葉を駆使してみせる。かういふ離れ業を軽やかにやつてのけられるのも、小さな大女優・華沢レモンならではであらう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「小島三奈 声を漏らして感じて」(2003/製作:フリークアウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:樫原辰郎/撮影:長谷川卓也/照明:ガッツ/助監督:城定秀夫/監督助手:大滝由有子/撮影助手:清水康宏/効果:梅沢身知子/音楽:因幡智明/協力:本田唯一、ギャルリ・ド・ぽえむ/出演:小島三奈・橘瑠璃・山名和俊・久保隆・東田敏幸・宇野美由紀)。出演者中宇野美由紀は、本篇クレジットのみ。
 自宅室内で杏里(小島)と彼氏の健夫(山名)が、スカッシュに戯れる。高校卒業後も特にこれといつた目標も見付けられず、何をするでもない猶予期間をマッタリと過ごす杏里に対し、CGアーティストを目指してゐた筈の健夫も、専門学校は辞めてしまつてゐた。球を巡り縺れ合ひながらベッド・インしつつ、杏里が最後の一線を越えることは拒んだところに、声だけの―誰の声かは不明―父親帰宅。杏里は帰ることもないといふものの、健夫は裏からそそくさと帰宅する。不貞ながら杏里が仰向けにボールを宙に放り、手から零れたボールが転々とするのに合はせてパステル調の可愛らしいタイトル・イン。かういふのは、助監督である城定秀夫の手によるものであるやうに、うろうろとは覚えるのだが。
 後日杏里は街で、見るからに怪しげなスカウトマン・井手(東田)に声をかけられる。ホイホイと喫茶店(ギャルリ・ド・ぽえむ)に連れ込まれた杏里が危うく口車に乗せられかけたところに、店を風来坊のマスターから預かる瑞穂(橘)は背後から絶妙な構図で忍び寄ると井出にコップのお冷を頭から浴びせ、文字通りの水を差す。井手は実は裏ビデオのスカウトマンで、加へて瑞穂にも過去に全く同じやうな口車で声をかけてゐたのだ。思はぬ伏兵、しかも最強敵の出現に狼狽する井手は、勘定にしては過分な金を瑞穂に巻き上げられ退散する。本作濡れ場の旨味に与ることもない東田敏幸、他の仕事を少なくとも同じ名義でこなしてゐる形跡は見当たらないが、ぼちぼちの男前ぶりにテンポいい軽快さで、ドジなスカウトマンを好演する。
 健夫との関係に疑問を感じた杏里は、再び店に瑞穂を訪ねる。観客に対しては明確な瑞穂の自らに向けられた下心にも気付かず、杏里は瑞穂の家まで向かふ。シェイプ・アップ器具で戯れ合ひながら、二人は体を重ねる。今作はさういふ甘酸つぱいシークエンスにそこかしこで挑戦し、概ね成功してもゐる。
 モラトリアムな不思議ちやん系少女が、時に硬質ささへ感じさせる成熟した女のレズビアンの魔手に絡め捕られる。少女の子供を産みたい、と一線を跨いだ願望を言ひ出した女は、少女を寝取られ憤慨する矢張りガキの彼氏も篭絡。突然の凶行を成長の契機と看做す、杏里の身勝手さには呆れ返らないでもない終盤の展開は、額面通り受け取つてもそれはそれとして衝撃的、といふか轟然とした物語のハード・ランディングではある。とはいへ更に、その斜め上を行く余地すら幾分残されてゐるやうに思へる。杏里が瑞穂と体を重ねたところから、カットは跨げど時制としては連続したやうな流れで今度は杏里と健夫の濡れ場に突入する箇所と、後をつけ部屋にまで乗り込んだはいいものの、健夫は瑞穂に半ば手篭めにされる。いいやうに大人の女に溺れさせられる健夫が我に帰ると、どうした訳か何時の間にか杏里も加はつての3Pに突入してしまつてゐた。ここの二箇所の編集に、<瑞穂などといふ女はそもそも存在しなかつた>、あるいは<瑞穂は解離性同一性障害の杏里の、主人格と並立する器用な別人格である>、といふ含みを看て取るのは横好きな勘繰りであらうか。とはいへそのまま受け取つた場合でも、杏里が身勝手に大人への成長を経たと称しておきながら、最終的には一応締めの濡れ場を挿んで、結局元と殆ど変らない地点へと戻つてしまつてゐる。恐らくは意図的に明確ではない語り口が、浅はかな読解力では理解を妨げる一作。不確かな部分を、遊びとして余裕を持つて味はへばよかつたのかも知れないが、少なくとも今回小生の肌には合はなかつた。
 勇気あるスローモーションを結構あちこちで多用しつつ、杏里と瑞穂との件は展開上の余地を差し引けば、豊かに美しく撮り上げられてゐる。絶妙に不細工に片足を突つ込んだ小島三奈は、さういふところがモラトリアムな不思議ちやんには却つて効果的にハマつてゐる。何にも増して素晴らしいのは、黙つてそこに出て来ただけで、忽ち画面を完成させてしまふ橘瑠璃の、美しさを通り越した最早強度。少々の不備ならば易々と捻じ伏せてもしまへるところではあつたのだが、残念ながら少々ではなかつたのが山名和俊。彼女と彼女に恋した大人の女とに翻弄される情けなく心許ない役柄とはいへ、心許ないにも程がある。小島三奈の相手も満足に果たせないところで、橘瑠璃登場とあつてはどうにもかうにもまるで形にならない。杏里と瑞穂、といふか杏里を肴にした瑞穂一人で優に成立し得た筈の映画が、健夫が出て来たところで崩れてしまふ。

 久保隆は二年後を描いた終幕に登場する、杏里の夫・剣持。乳母車を押す女との件は、不自然に冗長。宇野美由紀は、ギャルリ・ド・ぽえむから退散しかけた井手が、来店しようとしてゐたところを捕まへ新たに声をかける女か。協力の本田唯一は、画面中の何処にも見切れてはゐない筈だ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「人妻 いんらんな私」(1991『いんらん巨乳妻』の2008年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/監督・脚本:珠瑠美/撮影:伊東英男/照明:沖茂/音楽:映像新音楽/編集:竹村峻司/効果:協立音響/出演:高崎慶子《高崎麗子》・中川みず穂・広瀬未希・木下雅之《木下雅巳》・牧村耕治《牧村耕次》・野沢明弘)。出演者に関するやゝこしい表記については。高崎慶子(高崎麗子)の場合、高崎慶子が本篇クレジットに従ひ、高崎麗子は今回新版ポスターによるもの。恐らく少なくとも1991年当時にあつては、先にある方が正しかつたものではないかと思はれる。助監督クレジットは、確かなかつた。なほ“今回新版ポスター”といふのは、例によつて今作は少なくとも2002年に一度、「私いんらん妻」なる投げやりな新題で旧作改題されてゐる。元々の旧題は「いんらん巨乳妻」といふが、オッパイは妻役の高崎慶子よりも、夫の不倫相手役の広瀬未希の方が大きいのだが・・・・>もうどうでもいいよ
 朝食の後片付けをしてゐた綾子(高崎)は、電話で夫の時男(木下)から忘れた定期券を届けて呉れるやう頼まれる。時男がきのふ着た背広を探つた綾子は手帳を見付ける、そこには、夫の浮気を示す形跡があつた。綾子は亡兄の友人であつた井川一夫(牧村)に相談を持ちかけるが、井川はかつて若い想ひを寄せてゐた綾子に、今でも複雑な感情を抱いてゐた。
 クッキリと太い眉毛と今でいふところのアヒル口が堪らない中川みず穂は、井川行きつけのスナックのママ・佳子。スペックとしての破壊力は残る二人に見劣りながらも、キュートな魅力と若干勝つた演技力とで、ビリングは二番手ながら劇中での印象は最も強い。広瀬未希は時男の部下、兼不倫相手の千恵子。作中随一の肉感的な肢体を誇りはすれ、いやらしさはあまり感じられないタイプの女優さんではある。野沢明弘は、千恵子のセフレ・下村。
 漸く終盤に及んで時男は千恵子に誘はれ、一方綾子は井川・佳子経由で、夫婦で同じ乱交パーティーに知らずに参加することとなる。といふ形で話は動き始めるのだが、そこに至るまでのまるで明確な志向を感じさせないランダムな展開は、タマルミ映画の常ともいへ、淫夢を通り越し最早悪夢に近いものもある。加へていふても詮無いのは百も承知しつつ、件の乱交パーティーといふのが、参加者は総勢綾子・佳子・千恵子・時男・井川・下村の計六人に限られる、といふ安普請には、仕方のない不平と頭では判つてゐても、矢張り拍子抜けさせられずにはをれない。一同皆マスクを着け、どれが誰やら微妙に判然としないまゝ六人の男女が延々ヤリ倒すばかりのパーティー描写には、この際興奮すればいいのか困惑すればいいのか。最終的にグルッと回つて、知らずに本来の夫婦同士でセクロスしてゐた綾子と時男。射精と同時に相手の女のバタフライマスクを外した時男は、現れた妻の顔に驚愕する。「綾子!」、「貴方・・・!」、“完”。文字通り矢継ぎ早のカット割で一気に映画を畳んでしまふ終幕には、ヤリ逃げといふ言葉すら想起させられる。物語が濡れ場に完全奉仕する、といふ以前に最早殆ど物語が存在しない一作。大筋すら存在しない割に、本質は決して宿さないディテールに変にこだはつてみせる辺りも相変らず。矢張り珠瑠美といふ人は、日本人出演者による洋ピンを志向してゐたのだ、とでもしか理解のしやうもないのか。救ひは十七年前の映画にしては、女優が三人とも概ね時代の波に沈まないことと、偶さかプリントが驚くほど綺麗である点。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「独身OL 欲しくて、濡れて」(2002/製作:杉の子プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本・音楽:杉浦昭嘉/撮影:長谷川卓也/照明:奥村誠/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:木下裕美/撮影助手:小宮由紀夫/制作進行:増田庄吾/出演:木下美菜・奈賀毬子・酒井鏡花・久保隆・柳東史・幸野賀一・竹本泰志・横須賀正一、他)。出演者中酒井鏡花とは、既にピンクには参戦済みである酒井あずさの別名義。現場応援と、四者クレジットされる協力に力尽きる。
 三十歳の誕生日を目前に控へた独身OLの菅原恭子(木下)は、結婚紹介所「ハピネス」に入会する。ある日恭子が帰宅すると、彼氏・萩原健二(久保)を家に連れ込んだ妹の美香(奈賀)が、ハピネスから恭子宛に届いた、見合ひ相手を紹介する封書を勝手に開け中身を見てゐた。当然怒る恭子をよそに、美香は憚ることもなく自室で萩原とセックスする。何時ものことなのか、恭子は室内に用意してあつた茶碗を壁に当て妹の室内の様子を覗き聞くと、バイブで自慰に耽る。ピンク出演は今作のみの木下美菜、首から下は均整の取れた美しい体をしてゐるのだが、吹き出物も目立つ全く十人並みの容姿は、奔放な性春を満喫する妹に対しチェック・メイトも寸前に結婚紹介所を頼る姉といふ、いふならば惨めな役柄に、アーパー尻軽娘を嬉々と好演する奈賀毬子のアシストも借り、実にジャスト・フィットしてゐる。特に湿つぽい描写は欠片も無いながら、この時点で、既に泣かずにをれようか。ところで、姉が恭子で妹が美香かよ・・・、といふ点に関しては敢てスルーする。
 先に萩原がイッてしまひ不貞腐れる美香に対し、恭子は独り遊びながらひとまづ達し、眠りに就く。神様に愚痴を零すところから始まる、夢の中でか、恭子が見る幻想。ソフトフォーカスの判り易い画面の中、揃ひの白いワンピースを身に着けた、恭子ともう二人の女(内一人は今井恭子)。所在無さげに二人を見詰める恭子の前で、二人の女は一心不乱に砂地を手で掘り何かを探し続ける。やがて今井恭子が、砂の中から赤い糸を掘り当てる。それをもう一人のメガネ女が奪ひ、手繰り寄せると赤い糸に繋がつた、普通の格好の若い男が現れた。若い男と、メガネ女は退場する。砂の中から出て来た赤糸は、いはゆる運命の赤い糸であつたのだ。めげることなく、なほも砂地を掘り続ける今井恭子は、再度赤い糸を掘り当てると、矢張り現れた男(杉浦昭嘉)と連れ立つて消える。独り取り残された恭子は、やをら懸命に砂地を掘り始めるが、何処を掘つてみても、一向に赤い糸は出て来ない。自音楽による劇伴に彩られた、恭子のたどたどしい幸せ探し。たどたどしい杉浦昭嘉の控へめながらも実は真つ直ぐなエモーションへの志向が、たどたどしい主演女優を得て運良く手にし得た偶然の美しさに胸を撃ち抜かれる。ピンクス―ピンク映画愛好の士、を意味する造語―の中にあつても軽視されることの多い杉浦昭嘉を、個人的に見直す契機になつたのが今作であつた。再見を懇願しつつ遂に恵まれた機会に、私は再認識した。これは、実は決定的な映画だ。
 ハピネスより送られて来た会員男性のプロフィール写真の中から、目ぼしいものを部屋中に貼る―その中になかみつせいじも見切れる―恭子は、その中から弁護士の青葉邦男(幸野)と会ふことにする。マッチング当日、いきなり資産を誇示する青葉は、用意しておいた床の間で、戸惑ふ恭子に有無もいはせず事に及ぶ。ものの、経験に乏しい恭子のあまりにものマグロぶりに、呆れ返つた青葉は匙を投げる。自失した恭子が青葉に匙を投げられたことを怖ず怖ずと相談してみたところ、ハピネスの結婚カウンセラー・島本リコ(酒井)は、業務は終了後に恭子と酒宴を設けると、会話の最中いきなり恭子にキスをする。目を丸くする恭子に対し、「私は男でも女でも、セクシーな人が好きなの」といふリコは、レズビアンの妙技で恭子を絶頂に導く。事後実は過去に風俗で働いてゐたといふリコは、恭子にプロ仕込みの男をメロメロにするテクニックを伝授することを約束する。
 綺麗なヒッピーぶりが清々しい好演を見せる柳東史は、ハピネスから恭子が帰宅したところ、美香とガンジャをキメてゐたインド帰りの草野晴彦。ガンジャを持つて来たのが、草野といふのは笑かせる。荻原のことはなほざりに、草野と二股をかける美香に恭子は呆れる。横須賀正一は、ハピネスのバイト生・片岡誠クン。リコに強ひられ、恭子が伝授されたテクニックの実験台にされる。見るからにゲイボーイに見える横須賀正一が、嫌々女相手の人身御供にされるといふのも見事なハマリ役。柄にもなく、今回杉浦昭嘉は隙間無く冴え返る。竹本泰志は、リコ―と片岡―との特訓を経た恭子が、二人目に会ふ岡田繁。岡田と二度目のデートでホテルに入つた恭子は、万全と見事なセックスを展開するが、今度は岡田に風俗嬢ではないかと疑はれ、矢張り見合ひは失敗に終る。
 何とか励まさうとするリコの言葉も上の空、放心状態で帰宅した恭子を、美香と草野が仕掛けたサプライズ・パーティーが迎へる。その日は、恭子の三十歳の誕生日であつたのだ。美香らの友人で、計四名登場、内一人はここにも今井恭子。このショットの体温にも、杉浦映画の温かさはよく表れてゐる。最終的には恭子・美香・草野の三人がマッタリと残つたところに、すつかり美香から疎遠にされてゐた荻原が、呼ばれてもゐないのに現れる。邪険に荻原を追ひ返さうとする妹の身勝手な姿に、恭子の感情の堰は切れる。八つ当たり気味に美香に怒りを爆発させ、返す刀で美香が荻原・草野に二股をかけてゐることも暴露してしまふ。ここでの恭子の感情の突発的な起伏は、エモーションとして共有出来る。何を滑らせてゐるのかよく判らないが、もう堪らない気持ちだ。美香が草野と退場すると、恭子は荻原に衝動的に跨り、草野がインドから持ち帰つたガンジス川の川の水を一息に飲み干すと、眠りに落ちる。何気ない小道具の撒き具合も心憎い、ガンジスの汚れた水にやられたのか、恭子が再び見る幻想。終に恭子も、運命の赤い糸を掘り当てる。ところが恭子が糸を引いても男は現れずに、途中でつかへた糸の根元からは、黒い水がゴブゴブと湧き出して来る・・・・・
 ネタバレも顧みずに堂々とトレースしてしまつたが、杉浦昭嘉自身のボーカルによる主題歌に乗せて、翌朝一人目覚めた恭子はパーティー明けで散らかつた居間を片付けると、部屋に貼つた男達のプロフィール写真も全部捨てる。出勤がてらゴミを出さうとした恭子は、とはいへハピネスから新しく届いてゐた封筒に目を留めてしまふ。拙くも確かにエモーショナルに杉浦昭嘉は、赤い糸を探し疲れ泥まみれの、確かに若くはない“君”に、それでも君は君のままでいいんだ、けふの君は、きのふの君よりずつと輝いてゐる、と歌ふ。もしもこの世界に、いはゆる造物主としての神があるならば、あいつは恭子の為に、判り易く見付け易いやうに運命の赤い糸を埋めておいては呉れなかつた。だから杉浦昭嘉は、そんな恭子の為に歌ふのだ。それがたとへ儚くすらない蟷螂の斧に過ぎなくとも、杉浦昭嘉は今作を通して、本気で世界と一戦交へたのだ。ここに至つて、今作の主題は明らかであらう。曲解を微塵も恐れることなくいふならば、幸せになれなかつた者達に捧げられた、穏やかなレクイエム。神様の野郎が、自分の方を向いては呉れなかつた者達に捧げられた、慎ましきレクイエム。それはフニャフニャとした音楽にも象徴される、心か弱き監督の撮つた、か弱き映画であるのかも知れない。仮にさうであつたとしても、私は寧ろ構はないとさへ思ふ。さういふ映画に心潤はされる、貧しくか弱き観客もあるのだから。更にもう一歩前に踏み出せば、私はこの映画が大好きである。杉浦昭嘉といふ、この映画を撮つた映画監督が大好きである。

 最後に微笑ましい小ネタを、リアルタイムの初見当時から気になつてはゐたのだが、恭子がリコのカウンセリングを受ける件。恭子が着てゐるTシャツが、色と形は全く同じやうな赤いTシャツながら、カット変りテーブルから長椅子へと移動したところで、花の髪飾りをつけた女の図柄のものから、「CANDY FOOD うんたらかんたら」とかいふロゴ入りのものへと変つてしまつてゐる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「性執事 私を、イカして!」(2007/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/脚本・監督:山内大輔/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:伍代俊介/撮影監督:創優和/撮影助手:宮永昭典・曽根剛/助監督:伊藤裕太/監督助手:小山悟/スチール:阿部真也/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック㈱/制作協力:フィルムハウス/出演:中島佑里・ミュウ・倖田李梨・岡田智宏・前川勝典・柳東史)。「寝とられた人妻・夕樹舞子 私に股がして!」(2005/監督:工藤雅典)といふ前例こそエクセスにはあれ、そこはどうしても“私を、イカせて!”でなくては、少なくとも文字で表記される映画のタイトルとして、居心地の悪さを禁じ得ないのは当サイトの意固地さの為せるところであらうか。
 甘酸つぱくも濃厚な、マリカ(中島)と夫・明男(岡田)の夫婦生活。絶頂に達した筈のマリカが、カット変ると何故か着衣のまゝ。明男は一年前に交通事故で亡くなり、マリカは在りし日に夫と交した情の淫夢に悶えてゐた、さりげない論理性が光る開巻。タバコを咥へニカッと笑ふ、明男の遺影に立てられた蝋燭の炎を映り込ませ、咥へたタバコにあたかも実際に火が点いてゐるかのやうに見せる撮影テクニックも秀逸。
 未だ明男の死を引き摺るマリカに、女友達のかなえ(倖田)から電話が入る、男でも紹介するとのこと。ひとまづ、マリカは西村(柳)と会ふ。後日マリカに、再びかなえから電話が入る。西村がマリカを気に入つたので、連絡先を紹介しておくといふ、勝手にかよ。電話の最中、二人の女をそれぞれ男が襲ふ。半ば手篭めにでもするかのやうにマリカを抱くのは、明男が勤めてゐた工務店の社長・広田(前川)。広田は明男の通夜の夜にマリカを犯すと、以来月々の生活費を渡しマリカを妾にしてゐた。一方、かなえと奔放なセックスを繰り広げるのは西村。女を誑し込んでは安着物を高値で売りつけるスケコマシの西村は、実は元々かなえと関係を持つてをり、かなえの手引きで、今度はマリカに狙ひをつけたのだつた。
 明男から結婚指輪の代りに贈られたイヤリングをつけ、マリカは海浜地帯の、ハイキングの最中明男から求婚された思ひ出の公園を訪れる。幸せだつた頃の追憶と、不遇な現況とを鑑みマリカが黄昏てゐたところ、ドスン!と大きな音が立つ。驚いたマリカが振り返ると、金髪の巻き毛にモーニングを着た男が、地面にうつ伏せで倒れてゐた。駆け寄つたマリカは更に驚愕する、体を起こした男は、明男ソックリであつた。「お見苦しいところをお見せしました、御主人様」とマリカに弁明した男は、事態が全く呑み込めぬマリカに、自分は―マリカの―執事・セバスチャン(岡田智宏の二役)であると名乗る。
 打率十割の活躍を軽快に継続するミュウは、広田の妻・季実子。夫とは擦れ違ひ、西村に溺れる。季実子がマリカの思ひ出公園界隈に出没する件は、ほぼ蛇足か。
 不幸な寡婦の前に半ば非現実的に現れた、亡夫生き写しの男。男は、目を白黒させる女に対し、女の執事を名乗る。一体何処からかういふ話が転がつて来たのだかてんで判らないが、豪快にファンタスティックなプロットではある。さうは、いへ。セバスチャンが登場するのが、マリカと明男ないし広田との濡れ場をそれぞれ計二回、更にかなえと西村の絡みもこなした上での、尺の折り返し地点を優に通り過ぎた辺りといふペース配分に黙示的ながら、兎にも角にもその後の展開が薄すぎる。最終的にセバスチャンの正体、あるいは出自が明らかにされないのは兎も角として、執事登場により巻き起こされる出来事が、何れも今一つ決定力不足。オーラスの奇跡も、一般映画ならば美しいファンタジーで結実し得たのかも知れないが、ピンク映画にあつては、予めプログラムされた範疇に回収されてしまひ、大したトピックたり得ない。これだけ脚本が薄いと、本気の渡邊元嗣に撮らせでもしないことには形にならないのではあるまいか。あるいはいつそ、近作ではあまり見られないが、時に空想的な物語に手を出し見事な玉砕を遂げる蛮勇も過去には散見された、関根和美に委ね諦めてみるか   >お前は本当にファンなのか
 再度さうはいへ、その点については自覚してもゐたのか、桃色方面には十二分に充実してゐる。共に柳東史との倖田李梨とミュウの絡みは、動ける役者を相手に華麗にアクティブ。対して主演の中島佑里、お芝居の方は少々心許ないものの、正しくダイナマイトとでもしかいひやうのないグラマラスな肢体は度迫力。重量感漲る濡れ場を、堂々と正面から堪能させて呉れる。俊英山内大輔の映画にしては物語的に物足りなさも残しつつ、実用面では全く不足ない快作である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「色情淫婦 こまされた女たち」(2008/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター/監督:榎本敏郎/脚本:佐藤稔/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/撮影:佐久間栄一《前井一作》・秋吉正徳・佐藤光/編集:酒井正次/音楽:鈴木治行/助監督:永井卓爾・高杉考宏/出演:麻田真夕・花村玲子・華沢レモン・水原香菜恵・田中繭子・石川裕一・川瀬陽太・吉岡睦雄・本多菊次朗・下元史朗・宮澤緑)。出演者中、宮澤緑は本篇クレジットのみ。撮影の“佐久間栄一(前井一作)”といふのは、実際にそのやうにクレジットされる。これ要は、“佐々木麻由子(田中繭子)”といふのと同じ寸法である。
 脚本は、第三回ピンク映画シナリオ募集準入選の佐藤稔、準入選作は即ち榎本敏郎の前作でもある。ここで改めて、月刊シナリオ誌によるピンク映画シナリオ募集―“ピンクシナリオ大賞”といふ用語と、一体どちらが正確なのか―について振り返ると。第二回入選は「SEXマシン 卑猥な季節」(2005/監督:田尻裕司)の守屋文男、脚本第二作は「絶倫絶女」(2006/監督:いまおかしんじ)。第二回の準入選は、「不倫団地 かなしいイロやねん」(2005/監督:堀禎一)脚本の尾上史高。「かなしいイロやねん」に関しては記憶に全く残つてゐないので、多分未見。以降尾上史高脚本作は「悶絶ふたまた 流れ出る愛液」(2005/監督:坂本礼)、「色情団地妻 ダブル失神」(2006/監督:堀禎一)、「淫情 ~義母と三兄妹~」(2007/監督:坂本礼)と続く。第三回入選は、同じく監督いまおかしんじによる「絶倫絶女」の次作、「いくつになつてもやりたい男と女」(2007)の谷口晃。「色情淫婦」を含まないこれまでの八本の内、未見の「かなしいイロやねん」を除く七本を、個人的に概観にもほどのある大雑把さで振り返ると、ざつと一勝二分四敗である。「いくつになつてもやりたい男と女」が甘めで一勝。二作とも大甘で「ほとばしる愛欲」と、「淫情」が二分。「悶絶ふたまた」は普通に一敗。残りの三本は、甲乙付け難い、といふか甲乙へつたくれもない、何れ劣るとも勝らない大惨敗。かうして、戯れに振り返つてみたところで今更ながらに重ねて腹が立つ。

 草叢に転がる、麻田真夕、華沢レモン、花村玲子それぞれのピン・ショットを舐めて開巻。
 見るからに怪しげな風情の来島良彦(石川)が、安アパート階段下の郵便受けから届いた封筒を抜き取ると、ポストからシールの宛名を引き剥がす。泥酔しすつかり千鳥足の甲斐皆子(麻田)は、通りに出ようとした来島とすれ違ひ様にもつれて倒れてしまふ。来島はそのまま親切な風を装ひ家まで送り届けると、皆子を抱く。翌朝痛む頭を抱へつつ事態を、引き起こしてしまつた粗相を認識した皆子は、来島を追ひ返す。そこに皆子の元同僚で、盗癖のある堀池真美(花村)が遊びに来る。真美は室内の、皆子は持つてゐない筈の携帯電話に目を留める。携帯は、来島が忘れて行つたものだつた。携帯を取りに戻つた来島と、皆子の留守を装ひ応対した真美はそのまま街に消える。外出した皆子が帰宅したところ、来島からのドン・ペリニヨンがドアノブに掛けてあつた。皆子は高級シャンパンに舌鼓を打つと、押入れの中にしまつてあつた母親の位牌を、戯れにドンペリの化粧箱に収めてみる。再び皆子宅を訪れた真美は、来島への手土産にと皆子の部屋からドンペリの箱を持ち出す。
 固有名詞が必要なので配役をひとまづ片付けると、濡れ場は設けられない田中繭子は、礼装で歩いてゐたところを皆子と出会ふ坂岡和江。葬式にも一周忌にも三回忌にも帰らなかつた、父親の七回忌に参列して来た旨を語る。和江との会話を呼び水に、カット跨いで皆子は押入れから母親の位牌を取り出す。川瀬陽太は、シャブの売人である来島が真美を売る、悪徳警官・須田浩司。華沢レモンは、来島とは男女の仲にあり、来島の下働きもこなす柊初音。下元史朗は公園の清掃夫・浜西照男、吉岡睦雄が嫌味な公園事務所所長。水原香菜恵は、浜西には邪険にする所長が依怙贔屓する、浜西の同僚・木野夏子、人妻でありながらシャブと来島に溺れる。宮澤緑は、居酒屋女将で和江の母親。本多菊次朗は、須田が真美を拉致る際の車の運転と、後に真美を陵辱する最中の須田に来島の死を伝へる同僚刑事。
 人から人へと奇妙な旅を続ける母親の位牌が手繰り寄せた、皆子の再会がメイン・モチーフの家族劇。といふ主題と纏めてしまつてよいものか、頗る心許ない。皆子の手元を離れた位牌が人人の手を渡る間、主人公である筈の皆子は基本的に退場してしまつてゐる、前作の敗因から殆ど何も学ばなかつたのか。加へて一体何を考へてゐるのだか壊滅的なのは、皆子が作劇上は運命的なつもりの再会を果たす相手といふのが、冒頭泥酔した皆子と来島がすれ違ふ舞台の、安アパートに住んでゐたといふ劇中世間の圧倒的で、そもそも物理的な狭さ。皆子宅とは全く歩いて行ける距離、しかも泥酔者を抱へてでも、である。位牌の奇妙な旅といふ凝つた道具立てなど持ち出さなくとも、時間の問題で放つておいたとて不意の再会を果たせたであらう。といふか、再会相手が街に帰つて来てから幾らかの時間が経過してゐることも再会後には語られるゆゑ、これだけ近所に住んでゐながらこれまでさういふ事態にならなかつたことの方が不自然だともいへる、ドラマ性が欠如するにも甚だしい。
 “主人公である筈の皆子”、と先に述べた。再会物語の機能不全に加へ、開巻の3ショットから既に明らかでもあるやうに、来島―の男性自身―を軸に据ゑた、棹兄弟ならぬ蛤姉妹とでもいふべき三人の女達の奇妙な友情物語、といつたプロットも並んで立てられる。ところがここに関してもどうにもかうにも塩梅が悪いのは、機能不全とはいへ皆子が母親の位牌に導かれた再会を果たすまでで尺の大半を費やしてしまひ、来島を巡る女たちの物語は甚だ消化不全に止(とど)まることと、よくよく考へてみるならば皆子は残りの二人とは違ひ、偶々前後不覚のまゝ一夜を過ごしただけといふ半ば被害者で、来島に別に惚れてなどゐなかつたのではないか。濡れ場も冒頭の一度きりなくはないものの、今作に於いて実は、皆子のエロスは描かれない、それは結構驚くべきことかとも思はれる。あるいは、麻田真夕を出し惜しむ意味が全く判らない。物語上の必然性とやらに囚はれ主演―の筈の―女優の裸も満足に見せないでは、最早それはピンクでなくともよいではないか、とまでいふのは、それもまた別種のドグマであらうか。開巻に繋がるラスト・ショットも、皆子は殆ど初音・真美の傍観者に過ぎないやうにすら見える。とするならば、今作の主人公は一体誰なのか?終始感じた据わりの悪い心許なさが、エンド・クレジットを迎へた後も拭ひ切れない所以である。

 背骨が満足に通らない上、枝葉もあちこちちぐはぐ。和江の立ち位置は微妙に不鮮明。和江母が皆子宅近所の居酒屋女将であるならば、和江初登場時の、父親の葬式にも一周忌にも三回忌にも帰らなかつた、といふ皆子との会話の間に齟齬を生じる。同じ街に住んでゐて、出る出ないならば兎も角、帰るも帰らぬもない。整合する為には皆子と礼装の和江が会話を交す和江初登場シーンは、遠くに暮らしてゐる筈の和江と、皆子が不意に再会するといふ形でなければならなかつたのではないか。出来上がりは、二人の重なり合ふ平素の生活圏内にて、偶々和江は礼装であつたやうにしか見えない。無闇に暴走悪徳警官ぶりを過熱させる須田は何しに出てきたのか判らず、来島が殺される件は唐突の極地。「幸せの一番星」とかいふ来島の決め台詞も、特段の働きを果たせてゐるやうには矢張り聞こえない。オーラス皆子が来島に振り回された自分達三人に母親の姿を出し抜けに重ね合はせるといふのも、牽強付会といふのは言ひ過ぎだとしても、藪から棒にもほどがあらう。画面をツラツラ眺める限りには出来は悪いどころか充実してもゐるのだが、脚本の穴だらけはどうにもかうにも看過出来ない。私は物覚えが悪いので同じことを何度でもいふが、いい加減素人には見切りをつけて、もう少しまともな人間に脚本を書かせては貰へまいか。今作に関しては、榎本敏郎も、少し痩せてグッと色つぽくなつた麻田真夕も勿体ない、とすら最早いへるのではなからうか。
 とはいへ性懲りもなく、榎本敏郎の次作の主人公は、今度は美菜子辺りか。水子といふのは幾ら何でもあんまりかも知れないが、やりかねないやうな気もする。

 以下は再見時の付記< 杉浦昭嘉の「独身OL 欲しくて、濡れて」を再見がてら、今作にも今一度目を通してみたところ。和江は、母親や皆子らが暮らす街から家出して出て行つたものであるやうだ。となるとそれはそれで、序盤の、父親の七回忌に初めて参列した云々といふ皆子との会話の件は、最も単純に考へるならば、皆子とは最短でも七年ぶりの再会といふことにならう。己の読解力不足と注意力の散漫を棚に上げていふが、それにしては双方の感動が薄い。そもそも、再会であるやうにすら見えない。些か判りづらいといふ線に関しては、何れにせよ譲れないところではある。

 以下は更に前田有楽にて再見時の付記< 当たり前のことに過ぎず、わざわざかういふことを改めていふのも馬鹿馬鹿しいのを通り過ぎ哀しい気持ちにもなつて来るが、フィルム上映の小屋で観ると、矢張り画面の威力が決定的に違ふ。映し出される麻田真夕の御姿には、それだけでもう胸が一杯にさせられる。尤も、それで脚本の穴が塞がる訳ではないが。とはいへ少し自信を失つてしまつたのは、母親の位牌が辿る奇妙な旅路の果てに、皆子が再会する相手が住むアパートと、冒頭皆子と来島とがすれ違ふ舞台とでは、同じ安アパートながらひよつとすると別の物件であるやも知れない。再び何れにせよ、歩いて行き来出来る呆気ない距離であることに変りはないが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )