真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「変態折檻 ねぢり込め!」(1992『本番バイブ 折檻』の1997年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:佐藤寿保/脚本:五代響子/撮影:稲吉雅志/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:梶野考/監督助手:田尻裕司/撮影助手:村川聡・藤井昌之/照明助手:添田龍二/スチール:佐藤初太郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:憂花かすみ・小泉あかね・中村京子・水鳥川彩・坂田雅彦・伊藤清美・岩渕リコ・征木愛造・本間優作・杉浦峰夫・小島邦彦・今泉浩一)。出演者中、坂田雅彦から本間優作までと、小島邦彦は本篇クレジットのみ。
 細胞分裂ぽい、万華鏡的なCG。サイバーパンクかおどろおどろしい雰囲気が猛然と火蓋を切ると、矢鱈とカッコいゝレタリングでのタイトル・イン。バイブを手に、バトルスーツみたいな扮装の怪人物が迫る主演女優の、ヤバいオッパイがジャスティス。どうでもよかないが、日本語で書け。絶妙な暗さ以前に、正直画質が低くて意匠がどうなつてゐるのかよく判らない、謎のゴーグルをつけられた女に監督クレ。画像処理を施したものか最初から描いたのか、アニメ調のバイブ責めイメージに「被験者・ミナミヒロミ二十五歳」、水鳥川彩のモノローグが起動する。ゴシップ誌『実話トピックス』の取材で訪れたフリーライターのミナミヒロミ(憂花)を、臨床研究医?のタチバナ(水鳥川)は開発中のブレイン・マッサージ・システム「アンドロメダ001号」―表記は適当―の実験に協力させる。ブレインwマッサージwシステムwww、ホントに五代響子(現:五代尭子)が書いたのかと耳目を疑ふほどの、如何にも佐藤寿保的な大どころか超風呂敷が清々しい。バイブ責めのイメージも、ブレイン・マッサージ・システム(以下BMS)で映像化した、ヒロミの心象風景とかいふ豪快の箍も粉砕した途方もない方便。
 配役残り坂田雅彦(ex.坂田祥一朗)は、男女の仲にもあるタチバナに研究費を援助しBMSで一山狙ふ、多分ヘルスケア系の社長。消去法で小島邦彦は、実トピの編集者・ミサキ。今泉浩一がヒロミとセフレ程度の関係にもある、駆け出しのカメラマン・ケンちやん。小泉あかねはケンちやんを伴ひヒロミが取材する、ホテトル「銀河」の嬢・カオル、本間優作が店長。杉浦峰夫(a.k.a.紀野真人)は教師であつたヒロミの実質的な退職事由を担ふ、兼元同僚の不倫相手・カワシマ。中村京子が―仮称坂田家同様―レスの筈であるにも関らず、気がつくと妊娠してゐたカワシマ夫人。尺の経過につれ、この辺りの用兵が全く読めなくなつて来た岩渕リコ(a.k.a.いわぶちりこ/a.k.a.五代響子)と征木愛造(a.k.a.梶野考)は、ヒロミと地下街にて交錯する高校生カップル。制服を着させてしまへばこつちのもんだ、なかなか堂々としたキャスティングではある。岩渕リコの、アテレコのみでクレジットしたのかとさへ思はせかけた伊藤清美は、最後に飛び込んで来る電車で雑誌を読むフェミニンな女。
 僅か一週間の間隙を突き、矢継ぎ早にエク動が未配信作を新着させて来た佐藤寿保1992年第一作。どうやらエク動がライオンファイアした模様、とかく碌な報せのない憂世の最中、大いに背中を押される吉兆ではないか。
 タチバナがBMSをヒロミに説明して曰く、「貴女に試して貰つた機械ね、サブリミナルに直接メッセージを与へるシステムなの」。“貴女に試して貰つた機械ね”なる画期的な切り口も奮つてゐるが、まあそれにつけても、さういふ胡散臭いかキナ臭いガジェットで坂田社長が自己啓発系のヒット商品を目論む一方、現に被験通り越してBMSを被弾したヒロミは、当て身を扱ふ正体不明の戦闘力をも身に付けた上、俄かに凶暴化する。別に、夢野史郎(a.k.a.大木寛/a.k.a.別所透)なり渡剛敏の脚本作といはれても真に受けてしまひさうな頓痴気機軸から、社長やタチバナの思惑を超えるといふか蹴散らして、ヒロミが文字通り暴走する形で案外判り易い展開に着地してみせるのは何気な離れ業。城島面―健司の方―は兎も角超絶のプロポーションを誇り、そんなタマにも見えない割に劣等感を闇雲に拗らせるヒロミが、二番手を皮切りに変態折檻を女々に捩り込むのと、苛烈なまでのバイブ自慰で裸映画的にも十分に充実。戯れに剃つてみるヒロミこと憂花かすみの豊かな横乳も素晴らしいが、BMSに拘束され痙攣するタチバナの、プルップル震へる水鳥川彩の美乳がエターナルにエクストリーム。最終的に目出度く二兎を仕留め得たのか否かには、評価の分れを留保しなくもないにせよ、自身の作家もしくは趣味性と商業的要請の両立を果敢に図つた、意欲作である点に関しては論を俟つまい。BMSで脳を揉まれた女がリミッターをトッ外して暴れ倒す一方、男は白痴化する対照ないし生物的性差はどうなのよ。といふ他愛ないツッコミ処も禁じ難いものの、逆に制限解除された男が女を犯した挙句虐殺して回る映画になつてしまふと、勃つ勃たない、より直截には勃たせる勃たせないを半ば等閑視した、渡剛敏と組んだ場合の平常運行にしかならないやうな気もする。


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 「はめ堕ち淫行 猥褻なきづな」(2020/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/撮影監督:田宮健彦/録音:大塚学・柳田耕佑/編集:山内大輔/音楽・効果:project T&K・AKASAKA音効/助監督:江尻大/制作進行:泉知良/撮影助手:末吉真/特殊メイク:李華曦/特殊造形監修:土肥良成/森羅万象スタイリスト:大石幸平/ポスター:本田あきら/エキストラ協力:長谷川千紗・河合夕菜・有志エキストラの皆さん/撮影協力:喫茶 マリエール・ステージドア/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:佐倉絆・桜木優希音・並木塔子・森羅万象・石川雄也・可児正光・安藤ヒロキオ・須藤未悠・泉正太郎・井尻鯛)。
 タイトル開巻、騎乗位で乱れる佐倉絆、ではなく。下になつた森羅万象の頭頂部を真上が真横になる画角から抜いた画に、エンドとは可児正光と安藤ヒロキオの順番が入れ替る俳優部と、山内大輔だけを抜粋したクレジット。ex.OLの泡姫・ミユキ(佐倉)が想起する、プロのヒモを自認する三沢(森羅)との出会ひ。目下専ら御馴染の喫茶「マリエール」(新宿区歌舞伎町二丁目)、ミユキは三年付き合つた五歳年下の彼氏・サトシ(可児)から、悠香(須藤)に心を移したゆゑの別れを告げられる。本職は写真部の須藤未悠が山内大輔2017年第三作、にして復活後の大蔵怪談映画第六作「女いうれい 美乳の怨み」(主演:佐倉絆)と、小関裕次郎デビュー作「ツンデレ娘 奥手な初体験」(2019/脚本:井上淳一/主演:あべみかこ)に続いて地道に三戦目。泉正太郎が一人で店を回すマスターで、背中につきバストならぬバックショットしか見せないその他客は有志か。半ば呆れ果てたミユキはサトシの他愛ない抗弁には耳を貸さず、カウンター席で元人妻のこちらも泡姫・灯里(並木)が何気に自ら秘裂に指を這はせ、そんな灯里の口内を三沢がスプーンで掻き回す、カップル喫茶ばりの豪快な痴態に目を奪はれる。脱ぎこそしないものの、何気にマリエールでの史上初絡み。サトシと悠香が辞したのち、一応泣いてはみるミユキに声をかけた三沢が金はおろか家もなく、そのまゝといふか何が何だかな勢ひで、ミユキの家に転がり込む。さういふファンタジーにせよ途方もない大飛躍をも、カット跨ぎの濡れ場で何が何でも兎に角遮二無二固定してのけるのは、ピンク映画ならでは、あるいはピンク映画にのみ許された横紙破りの力技。
 しがない勤め人の稼ぎでは三沢を食はせられず、ミユキは三沢の知人が店長を務める泡風呂に転職。配役残り、井尻鯛(a.k.a.EJD)が件の「新世界」店長。ミユキは新世界で先輩として灯里と再会し、ソープテクニックを伝授されがてら、話は灯里の来し方に。石川雄也が、無職かつDVのコンボを決める灯里元夫。元と夫の間に、クソが抜けてるぞ。河合夕菜は灯里が働いてゐたスナック「スミレ」のカウンターを任せられるホステスで、過剰に化粧の濃い長谷川千紗が矢張りママ。奥のボックス席に見切れるのも、マリエ同様有志か。三沢は左目が潰れるほどex.ダーリンを半殺しにし、灯里と離婚させる。安藤ヒロキオは、ミユキに文字通り感涙する新世界のピュア客・鈴木。そして、イズショーは店を空けるマリエールにて、店を任された三沢と出会ふ桜木優希音が、当時女子大生アルバイトの愛未、専攻は社会福祉学。愛未も愛未で、その後三沢の知人が店長を務めるデリヘルに。純然たる余談ではあれ我慢出来ずに噛みつくが、可愛らしい名前でも思ひついたつもりか“愛未”ぢやことの、全体親は何をトチ狂ふてをるのか。元来日本語に於いて愛だなどと頭に性をつけた性愛と限りなく同義の、どちらかといはずとも粘度の高い美しくも清らかでも全くない寧ろ正反対の言葉で、あまつさへ“愛”に重ねて“未”。情欲にすら至らないと来た日には、斯くも自堕落極まりない名を与へるから、娘が恐らく大志を懐いて学問をしてゐる筈であるにも関らず、禿て肥えた中年男にコロッとチョロ負かされた挙句、春を鬻ぐ破目になつてしまふのだ。なんて、時には保守じみた戯言も捏ねてみたり。
 三月初旬に封切られた山内大輔2020年第一作は、一年前より2020年三月末での引退を表明してゐた佐倉絆のラスト・ピンク。2021年第一作「淫靡な女たち イキたいとこでイク!」での、カメオぶりは果たして如何なるものなのか。
 公開題にまで佐倉絆の“きづな”を無理から気味に盛り込む割に、序盤から先行し中盤を任せられる三番手と、終盤まで結構温存する二番手にも十分に尺を割く。涼川絢音に対するやうに僅か一言の別れを述べるでなく、朝倉ことみ引退記念作品と初めから堂々と銘打つた、実は佐倉絆の初陣でもある「ぐしよ濡れ女神は今日もイク!」(2017)で花道映画を完成させた印象の今なほ強い山内大輔にしては、思ひのほかアッサリしてゐるどころか、最後を匂はせる何某かが案外皆無であつたりもする。一方、フィルムと比べての遜色を相当感じさせない、オープン撮影の綺麗さ―所々、不用意な屋内は相変らず暗い―は光りつつ、要は単なる体のいゝ女衒譚に過ぎない、物語自体は実のない屁の如き代物。かといつて、糞を放(ひ)れといつてゐる訳ではない、断じて。木に竹を接ぐ徒なバッド・テイストも、オーピーは山内大輔の持病を後生大事に放置してゐる場合でもなからう。下手な鉄砲を、滅多矢鱈に撃ち倒せる時代なんてとうの昔に終つてゐる、その認識がこの期に大蔵にはないのか。裸映画的には一見水準的に見せ、直截にいふと山内大輔が水準に納まつて貰つてゐては困る。何時以来か忘れるほど久々裸映画を振り抜いた、エクストリームにどエロい前々作「若妻トライアングル ぎゆつとしめる」(2019/主演:きみと歩実)を想起するに、山内大輔はまだ前に押し込めるギアを一つ二つ残してゐる。四の五のいふな役立たず、何でか知らんけどオッサンが三百花繚乱の女優部三本柱からモテまくり、ヤリ倒す。その、よしんば怠惰であつたとて甘美な夢に、何故貴様は大人しく微睡まぬ。さういふお怒りも飛んで来さうだが、その手の底を抜くか人肌なエモーションを志向するには、少なくとも今回の山内大輔は些か硬く、冷たい。絶妙に劇中虚実を濁す、ラストも悪癖の一言で片付るとそれなりに纏まつてゐるやうにも思へ、最終的に何を最もやりたかつたのかよく判らない、物足りないか漫然とした一作ではある。


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 「いんらん巨乳母娘」(1993/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/企画:田中岩男/撮影:稲吉雅志/照明:伊和手健/編集:酒井正次/助監督:原田兼一郎/監督助手:榎本敏郎/撮影助手:片山浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:しのざきさとみ・杉原みさお・凪?瑞?希・荒木太郎・山本竜二・池島ゆたか)。フォントが潰れ、三番手の頭二文字が判読不能。
 津田スタ外景にタイトル開巻、起床した杉原みさおの何気にウノローグ―宇能鴻一郎調モノローグ―が「私野沢悦子、短大に通ふ女子大生なんです」。短大に通つてゐるのを女子大生と呼んでいゝものか、早速疑問が脊髄で折り返しつつ、大手の就職内定も貰つた悦子(杉原)は“私のこの巨乳のやうに”、“夢もはち切れんばかりなんです”とこの世の春を謳歌する。ある意味、杉原みさおにして初めて形にし得る豪語ではある、臆面もなく。一方狭いダイニングキッチンでは悦子の母で、今にもエアロビでも踊りだしさうなラスタな色合ひの明子(しのざき)が、朝つぱらから競艇新聞に首つたけ。未婚で悦子を産んだ明子はかつては水商売、目下は博才で一人娘を育て上げ、てゐたものの。昨今は負けが込み、借金も重ねてゐる模様だつた。暗転した先は東京の繁華街、悦子と連れ立つ彼氏の轟渉(荒木)は、小説家を志望し大学を中退したフリーター。いや、あるいはだから、別に中退する必要ないから。それは兎も角、サイズからおかしな、丹前みたいに見えるへべれけなジャンパー―但し値段的には高さう、無駄に―の下に黒T。中途半端な太さの白い綿パンに挙句止めを刺すが如く、頭にはモルタルボードみの軽くあるベレーを載せた荒木太郎の壮絶なファッションの破壊力が凄まじすぎて、もう映画の中身なんててんで頭に入つて来ない。ピンクにつき衣装などといふ高邁な概念は―制服なりコスプレを除けば―基本的に存在せず、俳優部の私服である筈ならば、果たしてこの時、荒木太郎は何を血迷ふて斯くも素頓狂な扮装をしてみようと思つたのか。
 配役残り、ホテル代をケチッた悦子が轟を野沢家に連れ込んでゐたところ、明子が連れ込む山本竜二は、案の定負けた明子が競艇場にて五万を借り、た形に身を任せる男。「今日はツイてなかつた」と別に反省はしてゐない明子に対し、「穴狙ひすぎてんだよ」と観音様を指差した上で、自身のヤマリュー!を誇示し「俺みたいに硬く行かなきやよ」。山竜が、もしくは山竜の癖に手堅い文句を吐くと、何か余計鮮烈に聞こえる。池島ゆたかは遂に津田スタまで乗り込んで来る、明子に家を担保に金を貸してゐる本格的な借金取り・佐伯、と来ると下の名前は恭司にさうゐない。名義が判然としないではその他活動の形跡も追ひやうがない、謎の三番手に関しては後述する。
 自社物件なのに何をトチ狂つたか、新東宝ビデオのVHSジャケが星?瑞?希を伊藤舞とか大嘘表記してゐるのに、みすみすex.DMMの出演者タグも釣られる怠惰が情けない深町章1993年第二作。もう少し、ピンクに真面目に接して欲しい。因みに多分瑞希は瑞希で合つてゐるやうな気がする某瑞希と伊藤舞が、似てゐる訳でも全くない。見紛つた訳ですらない伊藤舞の名前は、全体何処から湧いて来たのか。
 ギャンブル狂の母親と、気が気でない娘の他愛なくさへない物語。手放しでスマートな劇中最大の妙手は、事実上野沢家をブン捕つた佐伯は母娘を―元々悦子の居室である―二階の一室に追ひやり、津田スタで囲はうと連れて来た愛人・ナツミが、後述するとしたナゾミズキ(推定)。尺の折返しも優に跨いだ、遅きに失する危機もぼちぼち覚えかねないタイミングでの、三番手を清々しいほどの円滑さで話の流れに取り込む、何気に練り込まれた論理性には深く感心させられた。反面、残念ながらその辺りが関の山。負ければ悦子ともども佐伯の愛人となる条件で、家を取り返すべく明子が挑んだ最期もとい“最後の博打”が、佐伯と明子の差し馬で行ふ麻雀の半荘勝負。母が卓を囲む姿を見て何時しか覚えた悦子は兎も角、ナツミは麻雀が出来ない中、劇画原作募集に応募しようと麻雀の勉強を始めてゐた、轟がのこのこ現れる、明子から出禁を喰らつてゐるのに。文字通り面子が揃つた瞬間の、王道展開ぶりは確かに煌めいてゐた、のだけれど。結局―のうのうとバレてのけるが―轟の起死回生、といふか要は紛れ中りの国士無双を佐伯がうつかり被弾。漁夫の利で明子が勝利を収める史上空前に自堕落なハッピー・エンドには、開いた口が塞がらないのも通り越し、欠伸はおろか溜息も出ない。随分昔から一貫して太つてゐる池島ゆたかは仕方ないにせよ、何故か杉原みさおと山本竜二までもが、常日頃より明らかにダッブダブ。乳が太ければ腹も少々太いとて構はない、とする倒錯した美意識に、当サイトは断じて与すものか。詰まるところはそんな二人が象徴的な、締まりを欠いた一作である。

 神の宿らない細部を思ひだした、純然たる些末ぢやねえか。元々賭け事は嫌ひな轟が、悦子に麻雀指南を乞はうとして「ホテル行つて教へて呉れないかなあ」。力任せに底を引つこ抜く没論理が、濡れ場の導入といふ一種宿命的な要請に粛々と奉仕する、寧ろ清らかな名ならぬ迷台詞には声が出た。


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