真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 このエントリーの、後日譚である。

 結局観に行つた、といふか後述するが結果論としては辛うじて観に行けた「その男ヴァン・ダム」。

 キネコかよ!

 といふ点に関しては一旦さて措くと、確かにグッと来る場面もなくはないものの、期待あるいは覚悟してゐたほど、泣けて泣けて仕方がないと撃沈させられることはなかつた。例によつてさて措かないと、映画の出来云々以前に、しかも明確に低いキネコ品質の壮絶さは決して小さくはない。不意にタクシーから降りて来た JCVD―といふのが、向かうでのヴァン・ダムの愛称らしい―に、ビデオ屋のボンクラ二人組が驚喜し、又そいつらにヴァン・ダムが応へてあげる件とかは大好きなんだけれどね。だから映画スターへの敬愛は確かに、そしてビリビリと強く感じられるとはいへ、キネコといふ時点で、映画そのものへの仁義を欠いてもゐる一作、と総評出来ようか。
 映画本体からは外れて興味深かつたのは、私はてつきり、今作は私―三度目の年男―と同世代か、若干上方修正したオッサン連中が仕事終りに観に来る映画だと思つてゐた。ところがレディース・デーである水曜日に観に行つたといふのもあるのかも知れないが、実際の客席には、オッサンよりは、寧ろヨン様ならぬヴァン様目当ての、私よりも更に幾分高目のお年頃のマダム勢が多く見られた。個人的にはそこまでノック・アウトされはしなかつたが、映画のクライマックスを飾るヴァン・ダムの長い独白シーンでは、終に陥落したオバハンもといマダムの啜り泣きが場内に漏れた。そのシーンでひとつ気になつたのが、ヴァン・ダムが喋りながら左下の方をずうつと見てゐるのは、その辺にカンペでも置いてあるのか?

 ところで問題は、(公開)二週目の「その男ヴァン・ダム」と、セガの「雷神 RAIJIN」の上映状況、より直截にいふと扱ひである。まづはマシな方の、「JCVD」(原題)から。09:45からの回と、16:10からの回の一日二回のみ。断つておくが、これでもまだマシな方である。要は、個人的要因として週唯一の休日である日曜には遠征に出てゐるため、もしも日程に屈して二週目を狙つてゐたならば、三週目(一応以降)如何によつてはシャレではなく、私が購入した前売りは紙切れになつてしまつてゐたのだ、くはばらくはばら。何で映画の中身にではなく、映画を観ること自体がこんなにスリリングであらなければならないのか。
 更に酷いのはセガ。11:50からの回の一日一回のみ。挙句に、番組表には“続映の場合有り”と留保をつけながらも、二週で公開が終る公算が極めて高い。R-15の映画を昼間一回きり上映して誰が観に来るんだよ!あるいは来れるんだよ!等々。何処から突つ込めばいいのやら最早判らなくなつても来るが、そもそも突つ込まれるべきはあの映画の正体不明なラスト・シーンだと思ふと、飯でも食つて寝てしまはうかとでもいふ気分にしかならない。


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )




 「ねらはれた学園 制服に欲情」(昭和61『ねらはれた学園 制服を襲ふ』の2008年旧作改題版/製作:日本シネマ/配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/原題:『戦ひの鐘は黄昏に鳴る』/製作:伊能竜/撮影:倉本和人/照明:石部肇/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:末田健/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:佐藤哲/スチール:津田一郎/協力:ホテル駒込アルパ/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/出演:橋本杏子・田口あゆみ・清川鮎・ジミー土田・渡辺正樹・藤冴子《友情出演》・池島ゆたか・風見怜香・螢雪次朗)。制作の伊能竜は、向井寛の変名。撮影の倉本和人と撮影助手の佐久間栄一は、現在の倉本和比人と前井一作。渡辺元嗣と渡邊元嗣に関しては、いふまでもなからう。
 「あれは二月の寒い夜。やつと十四に、なつた頃だつた」。麻宮未来(みらい/橋本杏子)は教師の富島松太郎(渡辺)と遂にもしくは終に結ばれるも、未来の名器を遥か斜め上に通り越した人間凶器にイチモツを締め上げられた松太郎は、憐れ口から泡を吹き悶死?する。父の完徹(池島)は三段締養成ギブスを外したのかと未来を叱責し、女陰でのリンゴ砕き、玉子割りにバナナ潰しと、何の目的だかこの時点では一切説明されない特訓を引き続ける。三年後、都立高校に通つてゐた未来は、荒れた私立高「愛染学園」に完徹の意で転入する。愛染学園に足を踏み入れた未来に、投げボールペンを武器にするスケバン・嵐山珊瑚(田口)が目をつける。演出の情熱も借りる橋本杏子は兎も角、二十年前から実は殆ど顔が変らない田口あゆみが強烈に女子高生には見えない件に関しては、この期には看過する。河原のプチ荒野にて珊瑚と対決した未来は、ボールペンを腕に受けながらも、何が何だか―玉の方に―バイブを仕込んだヨーヨーならぬけん玉で、珊瑚を圧倒する。珊瑚を倒した未来を、田代まさしのやうなグラサンで、実は完徹に潰された片目を隠した愛染学園学園長・袋小路裕之(螢)は迎へ入れる。未来に学園内のゴミを一掃させようと目論む袋小路ではあつたが、袋小路こそが、完徹から妻、そして未来からは母・かのこ(風見)を奪つた、父娘の復讐の仇であつたのだ。
 未来の素行は別に特段悪くはなく、加へて官憲の手先ですらないものの、明白な「スケバン刑事」のパロディである。といふか、何をどう誤魔化したものかオリジナルの劇伴―これもTVシリーズの方の、松田優作『探偵物語』のものも一部使用される―や主題歌まで持ち出しTVシリーズの各場面を若干ピンキーに寄らせただけで忠実にトレースしてみせた、今作は最早「少女鉄貞操帯伝説」とでもいふべきアナザーストーリーとすらいへようか。東映も兎も角、TVシリーズ第三部「少女忍法帖伝奇」に激怒した逸話で知られる、大元の原作者である和田慎二がこの映画を見たら何といふかは知らん。在りし日のピンクの、大らかさが胸に染みる。かとも思つたが、改めて思ひ返せば、リアルタイムで絶賛縦横無尽な御仁もゐるな。“昔は良かつた”、そんなことはクズにでもいへるんだぜ。
 清川鮎は、挙動と髪型がおかしい未来の長身同級生・由香、袋小路の娘でもある。となると、未来とは異父姉妹に当たる筈だが特にその点はフィーチャーされない・・・・待てよ、よくよく考へてみると何でこの二人が同級生なんだ?由香が、袋小路の連れ子であるならば問題ないが。ジミー土田は、補導と称してズベ公に手をつける、悪徳補導員・大井一八。袋小路は、不良女子生徒をコールガールとして調教した上、中枢に提供し富と権力とを手に入れんとする桃色に邪悪な陰謀を企んでゐた。未来に接近したのも、スケバン狩りの持ち駒としてであつた。友情出演の藤冴子は、袋小路の陰謀のイントロダクションに於いて、ジミー土田に鞭打たれるスケバン。
 そこかしこでの思ひ切つた橋本杏子への寄りぶりには、一貫してアイドル映画を志向する渡邊元嗣の姿がよく表れ、正しく矢継ぎ早に繰り出されるシークエンスは、何れも充実してゐる。尤も流石に所詮短いピンクの尺には物語を少々詰め込み過ぎ気味ではあり、一息に良質の娯楽映画を見させるにせよ、ピンクで「スケバン刑事」を堂々とやりました、といふ感興以外には、深く残るものは少ないともいへる。その中でも、強い衝撃を受けたのは。珊瑚を伴ひ、未来は袋小路との最終対決に挑むべく愛染学園に突入する。この前段、満を持して完徹が娘に装着させた三段締養成ギブスを鍵を使つて取り外したところを踏まへると、開巻に於いては未来が鍵を盗んだのか、あるいは松太郎の悲劇を契機に、完徹が鍵を実装したのか。兎も角、セーラ服から黒いキャッツ♥アイ風の衣装にチェンジした由香が、未来を迎撃する。由香のチェーン攻撃に一旦は劣勢に立たされつつ、二手に別れてゐた珊瑚のアシストも借り、未来は由香の股間にバイブけん玉を叩き込む。するとあれよあれよといふ間に、何故か由香は全裸に。捻じ込まれたけん玉―の玉部分―と、それに添へた両手のみで巧みに日本の法律では映つてゐては怒られる部分を隠した、長身の清川鮎が大股開きで悶え狂ふ画は箆棒にダイナミック。中々お目にかゝれる代物でもない映画的と即物的両面兼ね備へた強力には、大いに感服させられた。若さゆゑやも知れないが、濡れ場の演出ならぬ艶出に関しては、そこかしこで今より随分とアグレッシブだ。

 そして例によつて、とはいへ正確な時期が不明なのは詮ないところでもあれ、今作は少なくとも既に一度、「欲情する制服」とかいふ新題で新版公開されてゐるらしい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「人妻ひざ枕 奥までほじつて」(2008/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:天然記念物/原題:『綺麗な貝がら』/撮影:大川藤雄/照明:小林敦/音楽:因幡智明/助監督:小川隆史/監督助手:加藤学/撮影助手:堂前徹之/現場応援:間宮結/効果:梅沢身知子/機材協力:石谷ライティングサービス/出演:片瀬まこ・神谷りの・金村英明・村田頼俊・松本格子戸・岡部尚・吉行由実・なかみつせいじ)。
 高圧的な若い現場監督・末松(岡部)にこき使はれながら、廃棄物処理場で働く丸古(なかみつ)。出演者中村田頼俊は、作業中急に仕事を辞めると騒ぎ出す、ガチャピンシャツの村田か、あるいはもう一人の若い作業員。いや、村田だから村田だな。仕事終り、丸古は馴染みのトルコ嬢・愛(神谷)を抱きに行くが、残業の所為で予約時間に遅れた丸古は後の順番に回された挙句、愛を末松にもかつ攫はれる。不貞腐れた丸古は、順番に割り込まうとして悶着を起こした長髪グラサン(金村)を頭突き一発でノすと、店を後にする。店内には他にクレジットは無い更に二名の順番待ちの客と、店長が国沢実。この人は大抵の職業には、何処に紛れ込んでもしつくり来る。国沢実から他の女を勧められた時の丸古の捨て台詞、「俺は同じものしか喰はない性質だ」、ならカミさんだけ抱いてろよ!
 夜の街を歩く丸古は、客の耳かきをする―のみ―といふリフレッシュサロン「ささやき」の看板に目を留める。戯れに「ささやき」に入つてみた丸古は通された部屋で、膝枕で耳かきをして呉れる和服の女・白井さん(片瀬)の、楚々としながらも同時に抜群な色つぽさに心奪はれる。仕事柄丸古の耳の穴は汚れてゐたが、汚い耳の穴が好きだといふ白井さんは、耳掃除の後驚くことに丸古の耳を舐める。秘かに、然し強く欲情した丸古は、帰宅すると気だるい風情で歯を磨いてゐた妻・みゆき(吉行)を衝動的に抱く。どちらに原因があるのかは語られないが、二人は子供は諦めろと医者からはいはれ、加へて丸古が仕事を転々とする為、生活に余裕は無かつた。翌日から、丸古は白井さんに掃除して貰ふ耳の穴をより汚くするべく、俄然仕事に精を出すやうになる。
 末松とみゆきから丸古が挟み撃たれる、突発性難聴への伏線の張り具合までは十全であつた、とはいふものの。突発的、あるいは一時的ハンデキャップものとしては、麻田真夕必殺の一撃「人妻出会ひ系サイト 夫の知らない妻の性癖」(2002/監督:榎本敏郎/脚本:河本晃・榎本敏郎)が容易に想起されようが、今作の場合肝心の丸古が―半ば―聴覚を喪ふといふイベントが、どうにも物語全体の中で活きて来ない。あるいは、そのことが劇中世界に満足に根を張らないまま、残りのひとつひとつのシークエンスが右から左へと流れて行つてしまふ。最後の、そして唯一の丸古と白井さんとの濡れ場で白井さんから明かされるやうに、白井さんが、丸古の聴こえぬ耳に何事か囁きかけるショットが確かに必要な筈なのだが、別に途中で寝落ちてしまつた訳でないにも関らず、それがポカンと抜けてゐる。あるいは、まさかナチュラルなNSPプリントで、関門海峡を渡るまでに飛んでしまつてゐたといふことではあるまいな。時計を見て尺を確認しながら、観てはゐないのでその点はよく判らないが。しつとりとした色香と、若干薄幸さも漂はせる辺りが堪らない主演の片瀬まこ。四十路も折り返し点にまでぼちぼち辿り着きつつ、今でも全然全く問題無くパーフェクトに戦へる吉行由実。そして三番手には若い小娘もといふ女優勢の布陣は最強に近い他方で、中盤以降の展開に、詰め切れなかつた余地を大いに残す一作ではある。固まつた耳垢―耳に溜まつた水?―として耳から零れ落ちる貝殻も、心の澱、のやうなもののメタファーなのであらうが、今ひとつ十全に機能を果たしてゐる訳でもない。それでも客を暗然とした心持ちにさせないだけ、国沢実の平素の遣り口からすればまだマシともいへるのか。みゆきと愛がそれぞれ幸せを掴んでおきながら、主役の白井さんが宙ぶらりんなままのことも地味に大きい。“謎めいたヒロイン”としては、それでもそのままでいいのかも知れないが。

 “日本最後のストリップ芸人”だとかいふ松本格子戸は、白井さんの夫。実は白井さんに誘(いざな)はれた丸古が覗き見る中、DV基調に妻を抱く。甚だ品の無い男で、個人的な気分としては白井さんが虐げられる濡れ場には不快感しか覚えない。後、現場応援の間宮結は、歩道橋の上独り言で性欲を露にしてしまふ丸古と、不審がりながら擦れ違ふ女。バック・ショットから画面に入り、振り返りざまに一瞬顔を見せる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「禁断姉弟 女肉のぬくもり」(2004/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/撮影助手:佐藤治/照明助手:海津真也、他一名/助監督:田中康文・広瀬寛巳/音楽:中空龍/応援:小川隆史/出演:鏡麗子・風間今日子・佐々木基子・吉岡睦雄・柳東史・平川直大)。照明助手をもう一名拾ひ零したのが口惜しい、見覚えのある名前だつたんだけどな。
 遺影のみ登場の神農家当主・三郎が、神農家には莫大な借金がある故遺族への相続放棄と、神農家の解散とを命じた遺言を残し死去する。度々抜かれるものの出演者クレジット中に一切の特記は見当たらない為、色川武大みたいな三郎の遺影が果たして何者の顔写真であるのかは、綺麗な棒読みの遺言朗読者まで含め不明。三郎の妻は以前に亡く、残された神農家の家族は、婚約者・川端浩介(柳)との結婚を目前に控へてもゐた姉・鏡子(鏡)と、姉を偏愛し、姉の結婚式での自作爆弾を用ゐた自爆テロを秘かに目論む引きこもりの弟・吉男ではなく和男(吉岡)の姉弟二人きり。四国から鬼出電入の三郎の妹・七四子(佐々木)が、秋田からは七四子の更に弟・六二郎(平川)が妻・弓絵(風間)を伴ひ、東京の本家を訪れる。終始何処かしら超然とした雰囲気を漂はせる七四子に対し、六二郎は遺産を目当てにした俗物であつた。風間今日子の黒縁メガネがエクストリームな点に関しては、本筋とは特に関らない部分につき通り過ぎる。好物なのか、後(のち)にも飲む玉子酒を六二郎は傾けつつ、皆で寿司なんぞ摘んでゐたところ、足を縺れさせた鏡子が転倒。棺桶の角で、「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクばりに側頭部を強打する。ところで、共に2004年作の二作であるが、因みに公開は、今作の方が一応三ヶ月早い。したところ、俄かに静から動、陰から陽へと劇的に鏡子の人は変つてしまふ。それまでは父を喪つた悲嘆に暮れながらも、川端との結婚は一旦さて措き、和男と二人神農家を存続させて行かうと気丈な素振りも見せる鏡子ではあつたが、頭を打つてからは、三郎のことは笑ひ飛ばし、三郎の葬式と川端との結婚式とを同時に強行すれば、これが本当の仏前結婚式だなどと滅茶苦茶を言ひ出し一同を仰天させる。
 両肩にではなく、頭にチェンジのスイッチの付いたそれはそれとしてポップな変身譚。姉弟と物語とを貫く今作のテーマは、人の心の“内なる怪物”。初登場カット、爆弾といふ力を懐に、猛烈な自意識を滾らせる和男のモノローグ、「俺は人ではない!」、「俺は怪物だ、全てをブチ壊せる」。開巻早々、鏡子よりも先に映画が蹴躓く。駄目だ、吉岡睦雄では形にならない。空回つた矮小さならば真に迫つても来るが、耳障りな甲高い声が明後日に抜けるばかりで、まるで力がこもらない。ここは矢張り、よしんば何ら代り映えはしなくとも、さういふ和男には泥臭くも突進力を誇る、平川直大を持つて来るべきではなかつたらうか。結果空いた六二郎のポジションには、七四子との兄弟の順番は逆になつてしまふかも知れぬがなかみつせいじ、といふのこそが、真の意味での最強キャストではあるまいか。鏡子が同じやうに側頭部を再び痛打し、元に戻る件。きつかけが、手の届かぬ地点に行かうとしてゐる愛する姉の姿に錯乱した、吉岡睦雄がやをら奇声を上げワッショイワッショイと踊り出すなどといふのは、徹頭徹尾、正しく空騒ぎ以外の何物でもない。このシークエンスが今作の、いはばチェックメイト。オーラス七四子から真相を明かされた鏡子が、「私の中に、怪物が棲んでゐる」だなどと取つてつけてみせたところで、とうに挽回は利かぬ。正当なエモーションが感じられるのは弓絵が和男の、本人は鎧のつもりの単なる心の殻もしくはより直截にはモラトリアムを解き解し、筆卸してあげる濡れ場程度か。元々山邦紀にしては薄いといふかあるいは浅い脚本が、ミスキャストに止めを刺された一作といへよう。

 とはいへ筆の先も乾かぬ内に、ワン・シーン大好きなのは。強欲を胸に本家に乗り込んだ六二郎ではあつたが、鏡子から三郎の遺言の内容を聞かされ、相続財産を見込んだ皮算用はまんまと外れる。衝撃と困惑とを振り払はうとでもするかのやうに、六二郎は仏前から、妻以外の鏡子と和男を一旦人払ひする。するとカーテンを閉めたかと思ふと、いきなり弓絵と昼間からの夫婦生活を展開。その際の方便が、「俺はセックスしながらでないと、重要なことが考へられない」。ははははは、これはピンク映画として鮮やかに論理的で、清々しくスマートだ。この濡れ場への導入には見事だと感心させられた。そして、だからこの台詞が通る勝因の内俳優部からのものが、先に触れた平川直大持ち前の、前に出る圧力なのである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「クリーニング恥娘。 いやらしい染み」(2008/製作:松岡プロダクション/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:今西守/企画:亀井戸粋人/撮影:村石直人/照明:鳥越正夫/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:関谷和樹/出演:長崎メグ・しのざきさとみ・倖田李梨・世志男・竹本泰志・吉岡睦雄・柳東史/特別出演:飯島大介)。駄目だ、クレジットが流れるのが速過ぎる。特別出演が飯島大介だけなのか、柳東史まで含めてなのかすら微妙。
 自ら積極的も通り越し最短距離でセックスを求めるアプローチを仕掛ける少女と、必死に食下がる少女を引き摺りながら振り払はうとする男とが、公園をロング・ショットで右から左へと横断する。少女は、二十歳の誕生日を目前に控へた浜崎鈴(長崎)。男は、鈴の実家「ナガサキクリーニング」の常連客で、市役所職員の田宮良一(竹本)。田宮がナガサキクリーニングに通ふのは、鈴は別にどうでもよく、鈴の母親・晃子(しのざき)のことが好きだからであつた。田宮は若い女には興味を抱かぬ性癖の、しかも頑強な持ち主だつた。ところで、かうして感想を書きながら現在進行形で本当にたつた今気付いたのだが、この物語、まさか舞台は主演長崎メグのリアル実家ではあるまいな?表面的にはひた隠された更なるダークネスが、今作には存してゐるのであらうか。
 不貞腐れた鈴は、衝動的に家を出ることを決意する。不動産業者・堺健作(吉岡)に通された部屋をよく確認もせずに一目で気に入るものの、鈴に先立つものはなかつた。そのことに一切立ち止まるでもなく、それならばと堺が鈴に覆ひ被さるのが、今作最初の濡れ場。ここで、ここは触れてよいものやら通り過ぎる方が大人の対応といへるのか甚だ判断に苦しむところではあるのだが、長崎メグは、この娘<アトピー>か?見てはいけないものを見せられてしまつたかのやうな、変に複雑な心境にモジモジさせられる。小屋に木戸銭を落として、黙つて映画を観てゐるだけなのに。
 鈴がひとまづ帰宅すると、クリーニング協会からの連絡を受けた晃子が、ナガサキクリーニングに凄腕の男が来て呉れることになつたと喜んでゐた。ところがいざ現れた、風体もだらしなく、うだつの上がらぬを通り越し見るからに不審な小倉久志(世志男)を前にした、母娘は猜疑と嫌悪とを露にする。聞けば何と小倉は網走刑務所内で服役中にクリーニング技術を習得した、幼女誘拐・監禁犯であるといふのだ。若い娘も居るのに冗談ではないとヒステリックな拒否反応を示す晃子に対し、十二歳以上の女には反応しないから大丈夫だなどと小倉は出鱈目に弁明する。変態といふとサーモン鮭山の名前も容易に浮かぶところではあるが、体の大きさからしてどうしても鈍重感が拭ひきれないサーモン鮭山に対し、世志男だと小回りが利くことに加へ、この人一面ではポップな可愛らしさも持ち合はせる。晃子は早速断りの抗議を入れるが、犯罪者の社会復帰を支援する方針である云々などと、協会からは押し切られてしまふ。田宮は母に奪はれた形の鈴は、すつたもんだしながらも、ひとつ屋根の下に暮らす中で徐々に小倉との距離を縮めて行く。
 倖田李梨は、小倉を伴つた鈴が冒頭の濡れ場をこなした隠れ家を訪れたところ、要は鈴と同じやうな形で、堺に抱かれてゐた女・西原歌織。「終りは始まりよ」と、最終的にはそれほど機能を果たす訳でもない意味深なメッセージを鈴に残しつつ、この際どうでもいいが、絶妙に明示は避けてもゐるが歌織は堺を殺してしまつてはゐないか?柳東史と飯島大介は、些かの誇張でもなく驚天動地の結末をナガサキクリーニングにもたらす、刑事AとB。ここでのパクる方とパクられる方、両面万全にこなせる飯島大介といふさりげない切り札登場の以前に、事前の田宮にとつては念願叶つての晃子との濡れ場で落とされた、伏線があまりにも秀逸。なほかつ、それがそもそも濡れ場で落とされるといふこと自体が、ピンク映画として限りなく麗しい。
 少女の名残を力強く感じさせる体型も含め全方位的に微妙な主演女優に、映画全体としての完成度は高いのか低いのか正直よく判らない。が、淫乱はピンクなのでまあさて措きエッジの効いた変態性向、重大犯罪、果ては国際情勢の闇まで盛り込んだ攻撃的でハイ・スピードな喜劇は、正しく“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦の独壇場。不謹慎などといふ単語は、恐らくこの人の辞書にはなからう。犯した犯罪の詳細について尋ねられた小倉は、鈴に耳打ちする。観客には知らされない形で囁かれる内に、それが一体如何程の内容なのか、鈴は段々と欲情して来る。乗じて頂くことにする小倉ではあつたが、調子に乗り過ぎフと漏らした、「クリーニング屋でクンリニング」だなどと他愛ない駄洒落で鈴が醒めてしまふ。といふベタな小ネタまで含めて、全篇を通して現象論レベルでもギャグ演出は絶好調、面白いことは無類に面白い。文字通りの衝撃の真実が明らかとなつたオーラス、ここで出し抜けに歌織を持ち出しての闇雲なファンタジー展開は、離れ業ともいへ、濡れ場要員の回収に際する松岡邦彦の誠意、あるいは苦心を酌み取ればよいのか、それとも矢張り単なる木に接いだ竹か。評価面では捉へ処に少々欠きつつも、振り抜かれた松岡邦彦の暗黒性は縦横無尽に狂ひ咲く、極めて強烈な一作である。素晴らしいとはいひかねたとしても、箆棒に面白いことは間違ひない。

 ところでタイトル“クリーニング恥娘。”の“恥”は、一体何処から出て来たのだらう。よもやエクセス看板の“恥母”シリーズに続く、“恥娘”シリーズを今後は繰り広げてみせるつもりか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「愛欲の輪廻 吸ひつく絶頂」(2008/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影:創優和/編集:《有》フィルム・クラフト/音楽:レインボーサウンド/助監督:安達守/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/音響効果:梅沢身知子/スチール撮影:佐藤初太郎/監督助手:三好雄大/撮影助手:宮永昭典/照明助手:竹洞哲也/車両:平戸祐樹/出演:平沢里菜子・合沢萌・藤森美由希・岡田智宏・丘尚輝)。
 成瀬佐和子(平沢)は同居する婚約者・小出広海(岡田)に抱かれ眠つた夜、森の中を何者かから逃げ惑ふ悪夢に苛まされる。翌日の夕刻、広海に好意を寄せる同僚営業・山本歌帆(合沢)からのお誘ひを受けつつ、佐和子の好きなケーキを買つた広海は、つれなく足早に帰宅する。歌帆は広海を、フラれたからばかりではなく複雑に見送る。佐和子がケーキを二人で食べるのに、まづは広海が一杯やるのを待つてゐると、佐和子の妹・美和子(藤森)が広海を訪ねて来る。すると何故か姿を消した佐和子は、一頻り飲み喰ひした美和子が出て行くと、再び部屋の中に戻つた。
 不自然さは感じさせなくも周到に真相は回避した、<女幽霊譚>の出来は決して悪くはない。ポップながら照明には、如何ともし難い安さが目につきもする一方、一月遅れて公開された松岡邦彦の「中川准教授の淫びな日々」(脚本:今西守)同様、主演の平沢里菜子持ち前の恐ろしさが劇中世界を完全に制圧する様は素晴らしい。女優陣のバランスも冴えてゐる。チョコンと座る佇まひひとつで、状景を説明してしまふ平沢里菜子の強さは随所で煌き、合沢萌も、酷いといふか怖い目に遭ふ役柄に意外とフィットすると同時に、桃色の攻撃力も高い。脱ぎ始めた後半以降、実用方面でのポイント・ゲッターとして、八面六臂の活躍を見せる。前を走る二人に比して、藤森美由希は弱いといへば弱いが、ポジション的には、このくらゐでちやうど相当なのかも知れない。幾ら美和子の方から押し切られたのであらうとはいへ、実は広海が何気に姉妹丼を完成させてもゐる点に関しては、藤森美由希の濡れ場も要するといふ以外に説得力は全く乏しいが。恐怖描写に割くバジェットなど初めから存在しないことならば、仕方がないと肯けぬでもないが、それにしても、真相が明示されてからの終盤の展開に少々間延びも感じてしまふのは、手数の不足以前に、佐和子の場合は少々脚本が薄からうとも、平沢里菜子におんぶに抱つこでどうにか乗り切れぬでもない。ところが、対して広海には一点致命的に覚束ない、いはば欠損が見られる。かつて江戸川乱歩はかういつた、「現し世は夢であり、夜の夢こそ誠」。この言に即していふならば、広海はそれまで言ひ寄る歌帆や美和子には見向きもせず、誠として選択してゐた筈の佐和子との夜の夢を捨て、歌帆を相手とした現し世に乗り換へるに至るのだ。それはそれでひとまづ構はないにせよ、それにしてはその広海の翻意、あるいは転換の契機に関する説明が足りてゐない。個人的には、そこから結局再び夜の夢に立ち戻る物語の方が、よしんば後ろ向きであつたとしても、より美しさを増すやうに思へてもしまふ好みもあるのだが。そもそも、激越な女の情念、より直截には<怨念>を描くには、加藤義一の演出には些か緊張感なり強度を欠く、ともいへるのではないか。それなりの結果にまで辿り着きながら、最終的には題材と監督の資質との間に、齟齬を感じさせもする一作である。

 丘尚輝は、<佐和子を強姦>した労務者・北島慎吾。キャラクター造形でいふと、ここでの木島周平と、矢張り岡田智宏の女を犯すのかといふところまで含めほぼ同一の造形。<佐和子の死>に関して、直接の責任を負ふ訳では必ずしもない。岡田智宏より若く見えるのに逃げ場なく髪の毛は寂しい、小出の部下役は不明。短い出番とはいへ台詞もある芝居を普通にこなす割に、クレジットではスルーされる。加藤義一ではないゆゑ、定石でいふと安達守辺りか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「超過激 淫らな浴室」(1994『過激!!同性愛撫 蜜の舌』の2008年旧作改題版/製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/企画:中田新太郎/脚本・監督:珠瑠美/撮影:伊東英男/照明:石部肇/美術:衣恭介/音楽:鷹選曲/編集:井上編集室/現像:東映化学/録音:ニューメグロスタジオ/出演:柴田はるか・本城未織・麻生雪・杉本まこと・樹かず・中田新太郎)。出演者中、中田新太郎は本篇クレジットのみ、助監督クレジットはなし。
 商社の社員ファッション・デザイナーである玲子(本城未織/現:林田ちなみ)は、以前のモデル選考からは漏れた美大生の美紗(柴田)を、アシスタントとして個人的に雇ふ。そのことを知つた企画部長の加治(杉本)は、下心を包み隠しもしない興味を示す。流石に、この頃ともなると、杉本まことも大企業の部長にしては少々若い。会社に暗然とした影響力を及ぼす総会屋の下川(樹)は、真性ビアンであるといふ性癖も知らず玲子に淫欲の食指を伸ばす。樹かずもポジションに比して若いことは若いが、この人の場合、そもそも今もそれほど変らない。玲子が秘かに美紗を狙ふ一方、実はモデル選考時に美紗を手篭めにしてゐた加治も、再び獣欲を滾らせる。麻生雪は、当然の如く玲子とは肉体関係も持つ、お手伝ひ・由貴。お手伝ひまでゐる、一介のサラリーマンにしては分不相応に思へなくもない玲子邸。加治の説明台詞で、玲子が亡夫の“膨大な遺産”を相続した旨語られるが、そこは普通“莫大な”だろ。アフレコは樹かずが兼務する中田新太郎は、下川が女を抱く様子を撮影する、三国系の―劇中表現ママ―ヌード写真家・陳。
 腰から下の情動にのみ結びつけられた登場人物の各々が、それを超えた物語を織り成す、ことなど日本人出演者による洋ピン志向、といふ風に当サイトに於いては既に作家性の説明もついてゐる珠瑠美の映画にあつてある訳がない。などといつてしまへば正しく実も蓋もないが、実際に概ねその通りなので仕方がない。珠瑠美が好むドラマ内での春画の乱舞に関しては、今作固有の事象ともいへないため通り過ぎると、強ひて見所をデッチ上げる挙げるならば、美紗がまんまと誘ひ込まれる天井裏処刑部屋の、瞬間移動でもしかねない勢ひで玲子が現れるところまで含めての自由奔放なイメージと、本城未織と麻生雪、二人並んだ貧乳微乳との比較では殊更に際立つ、絶妙に肉づきの良い柴田はるかの美体か。もうひとつ、淫画とクレジットの配置の妙が素晴らしい、オープニング・クレジットは普通に洗練されてゐる。幾ら無理にとはいへ、クレジットにまで触れなくてはならないのか。天井裏処刑部屋に関しては、ミサトにはこんな空間もあつたのか、といふ点はひとつの発見ともいへるが。

 正直なところ、疲躯を心で奮ひ立たせながら、何とかまんじりともせずに完走を果たしたものではあつたが、これ以上にも以下にも、ツッコミ処すら最早見当たらない。物理的映像の受容以外には、一切の観客による鑑賞すら拒まうといふのか、珠瑠美。さう考へると、恐ろしくすらなつて来るやうな気もする。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 例によつて本国アメリカではDVDストレート(日本でいふところのVシネ、それでもフィルムで撮つてゐるだけマシだが)の地平、といふか荒野を銀河烈風する中、これが東洋の神秘か相変らず我が国に於いては劇場公開される禍福、もとい慶福に性懲りもなく付き合ふべく、スティーブン・セガール(以下セガ)の珍作、もとい新作を観にシネコンへと、スリリングなタイム・テーブルを掻い潜つて足を運んだ。シネマ・コンプレックスに関して、設備面の充実以外に殆ど唯一積極的に評価出来るポイントは、スクリーンの数が多い分、しばしばかういふ正味な話ニッチな映画もどさくさ紛れに潜り込んで来てしまふ、こともあるところである。同じ映画ならば、しかもこの手のアクションあるいはドンパチものであるなら尚更、出来ればミニシアターより少しでもスクリーンの大きな小屋で観たくなるのも人情であらう。シネコンといふ場所が、小屋の名に値するとは思つてゐないが。ただ一点、この度私が観に行つたシネコンに苦言を呈しておくと、(東京での公開よりは大分遅れた)「その男ヴァン・ダム」と、セガ映画とを同日に封切るのは大いに頂けない。これら二作が心の琴線に触れる客層は恐らく被り、なほかつ今やそのメインは仕事帰りに観に行かうとする、いふまでもなく私も含めてのオッサン連中であらう。同じタイミングで上映したところで元々小さなパイに相乗効果など見込めず、良くて分散、悪くすれば共倒れるのが関の山ではなからうか。少しは空気を読んで呉れ。個人的には今回、実は泣ける映画との評判に胸をときめかせ、別にファンでないにも関らず前売りを買つてゐた「その男ヴァン・ダム」は一旦さて措き、冷酷なシネコンからは先に切られてしまふリスクが高いであらうセガを、ひとまづ押さへておいたところである。最悪の場合、スケジュールが成立せねば前売券が紙切れになつて行くのを眺めてゐなければなるまい。それはそれで、泣ける話ではある。

 「雷神 RAIJIN」(2008/米/製作総指揮・脚本・主演:セガ/監督:ジェフ・F・キング/原題:『Kill Switch』/出演:アイザック・ヘイズ、ホリー・エリッサ・ディグナード、マイケル・フィリポウィック、クリス・トーマス・キング、マーク・コリー、カリン・ミシェール・バルツァー、フィリップ・グレンジャー、フィン・マイケル、他)。セガ演ずる主人公に、“ライトニング”(雷神)なんて異名がつけられる描写なんてあつたかな?
 メンフィス市警の鬼刑事・ジェイコブ(セガ)には十歳の時、双子の弟を椎名桔平に感じの似た異常者に目前で殺害された過去があり、今でもその時の記憶を引き摺り苦しんでゐた。ある夜ジェイコブは相棒のストーム(クリス・トーマス・キング)と共に、胸に起爆寸前の時限爆弾を埋め込まれた(未だ生きてゐる)被害者が、手足は杭で地面に固定された現場に急行する。イカれた犯人はこの模様を間近から眺め愉しんでゐる筈だと踏んだセガ(もうジェイコブといふのが面倒臭くなつた)は、道を一本挟んだアパートの一室に連続殺人犯ビリー・ジョー(マーク・コリー)を見付け出す。ひと立ち回りの末、といふか何時もの如くセガが一方的にビリーを半殺しにすると、起爆装置の解除法を吐かせる。要は拷問だ。加へて、なほも抵抗を見せる健気なビリーを、セガは無体といふか無法にも窓から外に放り捨てる。無論、部屋は一階ではない。
 ブルース発祥の地は今や余程物騒な街なのか、ビリーの他に、もう一人別のシリアル・キラーが暗躍を続けてゐた。といふか要は“歩くハルマゲドン”セガが居る時点で、何処でも物騒になつてしまふのか。遺体発見現場に、占星術から想を得たと思しき謎のメッセージを残す通称“グリフター”(漂流者)を、柄にもなく暗号解読に取り組むセガとストームは追ひ続けてゐた。ところで、漂流者だとグリフター“grifter”ではなく、ドリフター“drifter”ではないかしらんとフと思ひ、耳を欹てて観てゐたものだが、音的には、矢張り“grifter”といつてゐるやうだ。だとすると、訳としてはペテン師辺りにでもなるのではとも思ひつつ。ともあれ、グリフターを逮捕するべく、FBIから終始無駄にセガに反目するミラー捜査官(ホリー・エリッサ・ディグナード)が市警に乗り込んで来る一方、セガの箍の外れた捜査手法を理由に、ビリーは釈放される。
 などと粗筋を掻い摘んでみせる作業すらに、やりきれない虚しさがとめどなく込み上げて来る別の意味で壮絶な一作。加齢といふよりは抑への利かぬ体重増加により、近年アクション・スターの看板を揚げながら殆ど動かなくなつてしまつたセガではあるが、今作に至ると、最早まるで動いちや呉れない。ボディ・ダブルに頼りきりのアクション場面はそのことを誤魔化さうといふつもりか―誤魔化しきれないショットも散見されるが―、カットの間飛ばし、何のつもりだか繰り返しを徒を通り越して闇雲に濫用し、何が何だか画期的に判らない。挙句に、その合間合間に挿み込まれるセガの悠然とした表情のカットが、壊滅的な不協和音を轟音で奏で立てる。正方向のセガの見せ場は皆無なことに加へ更に恐ろしいのは、その手法をセガとは無関係な、ノされた無法者がブッ飛ばされるカットや、セガが絡むとはいへ、別にプロップを持つて人差し指を動かしてゐるだけの、ガン・アクション場面にまで用ゐてしまつてゐる点。最初のアクション・シークエンス、ビリーの窓から路上への落下カットから、御丁寧を病的に通り越して四度か五度繰り返される。完全に狂つてゐる。最も出来の悪さが顕著なのは、地下道を舞台としたグリフター追跡シーン。繋ぎがへべれけで、セガとグリフターとの位置関係すら滅茶苦茶な始末。どちらが前に居るのかよく判らない。基本逃げてゐるグリフターの筈なのだが。
 幾度と蒸し返されるセガ十歳時の記憶とやらも、結局物語には呆れる程に組み込まれない。椎名桔平似の犯人も、そもそもこいつは誰なのか、そしてその去就は、等々といつた部分も近付かうとする気配も一切見られず仕舞ひの内に、観客を猛然と襲ふ逆方向に全速転進した“衝撃的なラスト”は、あまりにも酷い。空前絶後に酷い。腹を立てるとか腹も立たないだとかいふ以前に、圧倒されグウの音も出ないくらゐに酷い。この際封切られたばかりの映画の結末だといふことも弁へず、字を伏せることもなく詳細に御紹介する。率直なところとしては、告発とでもいつた方がより適切ですらあるやうな気分だ。
 セガは(素手ではなくトンカチで)体中の骨を砕き、グリフターを検挙する。といふか、駆けつけた応援の警官に、殺してしまひかねないところを制止されただけでもあるのだが。続けて同棲する女性巡査・セリーヌ(カリン・ミシェール・バルツァー)は殺害されつつ、ビリーは逮捕、せずにブチ殺す。グリフター被害者の爪の間から検出されるセガDNAの扱ひも感動的にぞんざいな―ミス・リードさせようとする意図すら感じられない―ままに、セガはメンフィスから姿を消す。ストームには破天荒なこれまでの自身を顧みるやうな書置きを遺し、他方では「俺は自分の道を歩んで来た」、そんな感じの歌詞の曲に乗りながら。カット変ると後日、セガ帰宅。

 何処に?セリーヌと、ビリーの遺体が転がる部屋がセガの住居ではなかつたのか。

 そこそこの邸宅のドアを開けると、若く美しい妻、二人の子供、それにお手伝ひまでがセガを出迎へる。満面の笑みを浮かべたセガが、出張帰りの親父のお土産、とでもいつた風情で家族にそれぞれのプレゼントを手渡すと、妻は二階の寝室へとセガ、即ち夫を誘(いざな)ふ。やをら服を脱ぎ始めた妻は(ちやんとオッパイも見せる、この時点で、アメリカではレイティングがひとつ厳しくなる)、「私がプレゼントへのお返しよ《ハアト》」などといはんばかりに、自らの首にリボンを巻く。鼻の下を伸ばしたセガが、「ここから先は見せないよ」なんて雰囲気で扉を閉めると、画面は暗転。そのままエンド・ロール・・・・・

 何だこれは。

 こんな出鱈目なラスト・シーン見たことねえよ。何処だといふことに加へ、誰だその女。何だその生活。セガは安月給のやさぐれ刑事ではなかつたのか。強ひてこのシークエンスが成立し得る可能性を摸索するならば、瀕死のセガが、既に死んだ家族と再会したりもするお花畑の代りの、幻想オチ以外には考へられないであらう。従来の、あるいは十全な映画文法からは。筆舌に尽くし難い、といふのはかういふ時にこそ用ゐる表現なのであらうか。老いたか肥えたスティーブン・セガールの、今は劇中で実際に悪党を吹き飛ばすことも無くなつた豪腕が、映画そのものを木端微塵に粉砕した。さういふことにでもしておく他に、今作を読み解く途は存在し難いのではないか。
 何処まで余計に徹して呉れやがるのか、邦版かも知れないがポスター・ワークまでいい加減。詫び寂びでも感じればよいのか今作が遺作となるアイザック・ヘイズに、劇中銃を構へるシーンなんぞ欠片も無く、その隣の青い服を着たデブも、吃驚する程の端役だ。チラシ裏には、劇中では見辛いだけの手の込んだフラッシュ・バックでぼやかされたセガ弟殺しの椎名桔平(超絶仮名)が、綺麗に抜かれてゐたりなんかもする。
 唯一の拾ひ処を辛うじて挙げるならば、残念ながら濡れ場は無いがカリン・ミシェール・バルツァーの、出鱈目な筆の滑らせ方をするならば「私はセックスをする為に生まれて来ました」とでもいはんばかりの、濃厚で即物的ないやらしさ程度。今作を観ようとしたこと自体への後悔は兎も角、途中で寝落ちもせずに全篇通して観てしまつた、自らを叱責さへするべきなのか。ああもう、何だか全力でどうでもいいや。
 捨て身なのかヤケクソなのか、日本配給のムービーアイが打つた惹句が「“落雷!”ロードショー」。ふざけ過ぎだ。

 一応最後に。シネコンに対する繰言の続きであるが、初日こそ二十三時過ぎからの土曜レイトもあるものの、「雷神」のその他の日の最終回は、恐ろしいことに何と夕方六時からの回である。子供の観る映画ぢやないんだよ、そもそもR-15だし。一日の上映回数も二回。これは最早、空気を読む読まないの以前に、初めから観せようとする気も殆ど無いな。それも已む無し、といつた気持ちですら、この期にはファンながらあるのだが。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「色情セレブ妻 秘められた欲望」(2008/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:後藤大輔/企画:福俵満/撮影:長谷川卓也/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:加藤学/撮影助手:大江泰介/照明助手:小川隆史/編集助手:鷹野朋子/ポスター:AKIRA/出演:里見瑤子・藍山みなみ・真咲南朋・西岡秀記・なかみつせいじ)。出演者中西岡秀記が、ポスターでは西岡英記に。まつたく、どいつこいつもちやんとして呉れよ。待てよ、わざと情報を撹乱してゐでもするのか?
 前妻(一切登場せず)の遺した資産を得た晋三(なかみつ)は今は長い病を患ひ、別荘代りに使つてゐたミニ・ホテルを買ひ取ると女優くずれの妻・玉代(里見)の看病の下、高原に転地した療養生活を送つてゐた。晋三が床に臥せり二年目の秋、玉代は夫殺害を画策。春に咲く花なのに二輪草と偽りトリカブトを食させようとするも、鬼のやうに元気な晋三の返り討ちに遭ひ、逆にトリカブトの御浸しを口に入れられる。この一幕、まあなかみつせいじが手放しで暴れまくること暴れまくること。一濡れ場と修羅場経て、漸く重病人であることを思ひ出したのか一息ついた晋三に、今度は新田真子から玉代が逆襲。枕で圧迫すると、晋三を窒息死させる。悲嘆に暮れる寡婦の予行演習がてら玉代が風呂を浴びてゐたところ、晋三を訪ね新東生命の保険調査員・鈴木一郎(西岡)が花宴を訪れる。西岡秀記の関西弁は、おとなしく諦めるべきだつた。イチローネタも、清々しく無駄球。晋三に会はうとする鈴木を、小川欽也に二、三本毛を生やした程度の色仕掛けで玉代が攻略しかけてゐると、今度は大雨で孤立してしまつたと、登山中の山田花子(藍山)が助けを求め現れる。ひとまづ二人を逗留させることにした玉代は、鈴木と食材を裏の倉庫に取りに出てゐる隙に、花子に「病死してゐた」晋三を発見させようと目論む。ところが、殺した筈の晋三の死体は消えてしまつてゐた。
 前作の続篇は案の定何処かに置き忘れた、十一月末封切りでありながら、深町章にしては驚くべきことに2008年僅か第二作。異常な事態であることは、恐らくいふまでもあるまい。そんな状況を律儀に反映してみせた訳でもなからうが、交錯する駆け引きが時折局所的には巧みな緊張感を走らせつつ、清々しく薄い展開の更に落とし処には呆然とさせられる、ある意味といふか消極的な問題作。頑強にキャリアを積み重ね、いよいよ本格的に一皮剥けて来た里見瑤子の女優としての貌はそこかしこで、殊に終盤の夕餉のシーンに於いて煌きも見せながら、大絶賛三番手・エリカ(真咲)の、晋三を相手とした絡み挿入の唐突ぶりは、観客への説明の要すら積極的に拒み、最早前衛性の領域に突入する。しかもポスターはそんな真咲南朋の、一枚絵で飾つてみせるといふ態度も奮つてゐる。物語本体には、本当に全く一切徹頭徹尾綺麗に絡まないのに。千歩譲つてオチの落とし方に関しては呑み込むとしても、何れにせよ結局<晋三の死体は消えたまま>、といふのは万感の思ひも込めて如何なものか。詰まるところは、右から明後日へと流れ過ぎ、後には倦怠感も残らぬ一作である。

 アヴァンギャルドな裸要員とはいひつつ、AV監督作もあるといふ真咲南朋は細かなアクションがいやらしい、充実した中々に見応へのある艶技を楽しませて呉れる。俄然ここはひとまづ、エクセスでの主演作などといふのも、期待してみたいところではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「激しいSEX 異常愛撫」(昭和60『逆さ吊し縛り縄』の2008年旧作改題版/製作:国映/配給:新東宝映画/監督:片岡修二/原作:春野妖鬼『地獄のローパー』より/脚本:片岡修二/企画:朝倉大介/撮影:志村敏雄/照明:斎藤正明/編集:酒井正次/音楽:芥川たかし/助監督:橋口卓明・浦富真吾/撮影助手:下元哲/照明助手:田中欣二/緊縛指導:リャン・ハン・C・バリー/車輌:JET RAG/出演:早乙女宏美、涼音えりか、水上乱、杉下なおみ、下元史郎、池島ゆたか、ジミー土田、劇団滑車、ロー・プロ)。出演者中、劇団滑車とロー・プロは本篇クレジットのみ。劇団滑車て・・・・斬新過ぎるだろ。
 順番を前後して先に観た後篇でも正方向に度肝を抜かれた、勇壮な男性コーラスが抜群の疾走感で轟くメイン・テーマに乗せて開巻。後ろの場面で改めて気付いたのだが、この「地獄のローパーのテーマ」(仮称)はカッコいいのは比類なくカッコいいのだが、流石に如何せんカッコよ過ぎてエモーションが完全に別の方向に向いてしまひ、濡れ場の劇伴としてはあまり親和しない。冴えない中年男(下元)が、SMクラブ「倒錯の館」を訪れる。店のオーナー(池島)からコース内容と料金の説明を受けた下元史郎は、深く考へもせず安い方のMコースを選択する。店の奥に進まうとした下元史郎の腕を、池島ゆたかは掴んで引き止める。下元史郎の目からは紛ふことなきサディストの資質が窺へるゆゑ、Sコースにすべきだといふのである。押し問答の末、下元史郎は店を出て行く。同じく来客の性癖を軸とした、後篇に於いてはオチの落とし処に唸らされる、オープニング・シークエンスの秀逸は既に確立してゐた事実に刮目させられる。
 万年総角係長の下元史郎が、酒場でお調子者の部下(ジミー土田)に慰められる。ジミー土田は下元史郎の奢りでの飲食を目論むが、カウンターで一人飲むズベ公・アコ(涼音)に目星をつけた下元史郎は、割り勘を置きさつさと店を後にする。ここはピンク映画の独自性としてさりげなく洗練された点で、絶妙に池島ゆたかの看過に通ずる演出も伴ふ濡れ場を通して、アコを満喫したところまでは良かつた下元史郎ではあるが、アコは、性質の悪いズベ公軍団のメンバーであつた。リーダー・メグ(早乙女)、向かつて右に立つ巨乳ズベ公(水上)、左の終始黙したグラサン(不明/濡れ場もなし)の三人の前に連れ出された下元史郎に、アコに巻き上げられた以上の持ち合はせはなかつた。憐れ下元史郎は、「ぢやあ、ヤキだね」といふメグのチェーンにいきなり左目を潰された上、残つた金品も奪はれる、東京は何て恐ろしい街なんだ。傷ついた下元史郎は、再び「倒錯の館」の門を叩く。池島ゆたかは鎖に繋がれたまるで獣のやうな狂女(杉下)を引き合はせると、狂女を練習台に、下元史郎を完璧なサディストに育成する特訓を開始する。ここでの定番なトレーニング・シーンも兎も角面白いのは池島ゆたかの、狂女に必ずしもM女としての素質があるのかどうかは定かではない。が、調教してしまへばこつちのものだとかいふ御機嫌な方便。さして割かれる訳でもない尺を通過して下元史郎は地獄のローパーとして生まれ変り、狂女を従順なM女に化する調教も勢ひに任せ完了する。ここで明らかになるのが先のいい加減な論法から更に繋がる、盲滅法に屈折しながらも、なほのこと胸を締めつけられる池島ゆたかの真の論理。狂女は、実は池島ゆたかの妹であつた。だが実父(老けメイクと手前に置いた格子とで誤魔化した池島ゆたかの二役)を初め幾度の強姦被害にあつた妹は、終に狂ふ。妹がM女として覚醒したならば、かつての悲惨な思ひ出も、甘美なものとして変化するかも知れないといふのだ。出鱈目であることなど判つてゐる、ただ然し、後に採り上げる反則技の力も借りつつ、我々の知性も感性も甚だ不完全であるがために、よしんば歪んでゐようとも、否、歪んでゐれば歪んでゐるだけ、なほのこと美しいといふ場合も、真つ直ぐであるといふ瞬間も、時にあるであらう。人類全部が「せえの」でいはゆるニュー・タイプにでも覚醒しない限り、この星の上から逆説といふ現象が姿を消すことは恐らくなく、それなればこそ、逆説の強靭さにしばしば歴史は左右され、人の心は囚はれるのではなからうか。
 覚醒した“地獄のローパー”下元史郎は逆襲を開始、今度はジミー土田をカモにしようとしてゐたアコを手始めに血祭りにあげると、続けて仲間の敵を追ふ水上乱も難なく撃墜。怖気づいた三人は列を抜け、ただ一人残されたメグは、だけれども決して反逆の牙を収めることはない。何処から手に入れたのだか拳銃まで持ち出すと、背中にデカデカと“翔”と書かれた特―攻―服を身に纏ひ、ローパーとの決戦の死地に赴くべく繁華街に飛び出す。後篇に於けるナチスの軍服も十二分に意味不明ではあるが、今回も何が“翔”なのだかは、清々しく説明されない。別に、スケ番ルックのまゝでいいやうな気もするのだけれど、どうせ直(ぢき)に引つぺがされてしまふのだし。
 当初はサディストとしての自覚も持たなかつた下元史郎が、地獄のローパーとして変貌を遂げるまでに前半戦を費やす尺の配分もあり、完璧にファンタスティックの領域に突入した翌年の「緊縛・SM・18才」よりは、随分とオーソドックスなSM映画に見えなくもない。それでも投げ縄で女を捕縛してゐる時点で、既に十三分に破天荒であらうことに疑ひはないのだが。後篇から観てしまつた、仕方のない不運も地味に大きく作用してゐるのかも知れない。何が仕方がないのかといふと、そもそも幾らエポック・メイキングな、あるいは破壊力の大きな方からとはいへ、今回後篇から先に新版公開されてしまつてゐるのだ。今作のローパー・ファッションも眼帯はさて措き、首から下は全く普通の格好に、赤い―スズキ―ジムニーのキャップを合はせただけ、などといふ80年代の限界を半歩たりとて超えられぬものである。スペックは尋常ならざるものの、形(なり)は単なる当時そこら辺をプラついてゐた普通のオッサンにしか見えない。早乙女宏美と水上乱は正味で一度づつ、杉下なおみも一度、と短い回想のみであるのに対し、最も濡れ場の回数をこなすのが涼音えりかの三度といふちぐはぐな女優部の起用法も、微妙に響く。地獄のローパーの活躍といふよりは、その前段、兄の妹に対する倒錯し倒した慈愛の方にこそ、横道ながら今作個人的には重きを置くものである。
 劇中その他画面内に見切れるのは、酒場の一幕でのバーテンと、ジミー土田以外の部下がもう二名。特服に身を包んだメグと肩がぶつかり絡むも、逆に圧倒されるチンピラ。グラサンズベ公まで含めて、何れが劇団滑車で、何れがロー・プロ所属なのかは勿論皆目見当もつかない。

 池島ゆたかが、父親に強姦され精神の平定を乱す妹の悲しい過去を想起する件には、中森明菜の隠れた名曲「予感」が。仲間を全て喪ひ、独りメグが武装した後(のち)ローパーの姿を求め夜の街に出撃する際には、リアルタイムを経験せぬ者でも知つてゐるであらう大ヒット曲「飾りぢやないのよ涙は」が堂々と使用される、しかもフル・コーラスで。「飾りぢやないのよ涙は」が、平素耳に覚えのあるものとは微妙にアレンジが異なるところをみると、これも「予感」が収録される、7th「BITTER AND SWEET」(昭和60)からのアルバム・バージョンであるやも知れぬ。「緊縛・SM・18才」に於いても織井茂子を繰り出してゐるとはいへ、今回の敵は、全盛期中の全盛期、当時のド真ん中を驀進するバリバリのトップ・アイドルである。ここはひとまづ、時代の大らかさが麗しい、とでもいふことにしておかう。尤も、「飾りぢやないのよ涙は」の場合は然程でもないが、「予感」に関しては、曲のテーマ自体は全く遠いものの、曲調は無断使用される場面に素晴らしくフィットした、誠グレイトな選曲である。音楽の富を奪取した、シークエンスは強い力を持つ。

 エンディングは、全裸緊縛したメグを逆さ吊りする形で足から背負ひ夜の闇に消えるローパーの姿に、“終”ならぬ

 “縄”

 と大書されたエンド・マークが被さる、日本映画史に残る画期的なラスト・シーンだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「尻ふりスッチー 突き抜け淫乱気流」(2004/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影:創優和/照明:藁部幸二/編集:フィルム・クラフト録音:シネキャビン助監督:竹洞哲也/監督助手:北村隆・田中健太郎/撮影助手:宮永昭典照明助手:八幡高広・屋宜弦スチール:本田あきら音楽:レインボーサウンド/美術:阿佐ヶ谷兄弟舎/効果:梅沢身知子現像所:東映ラボ・テック協力:キャンディ・ミルキィ、小山田勝治、近藤克明、岡本真一、田中康文、Partners Arantec/出演:山口玲子・風間今日子・生内水晶・岡田智宏・なかみつせいじ・丘尚輝・城定夫・都義一・八戸太郎・野上正義)。出演者中、城定夫から八戸太郎までは本篇クレジットのみ。
 ペガサス航空から微妙に社名を変更したのか、ペガサス・エア・ウェイズの仲良し国際線スッチー二人組・長谷川翔子(山口)と本上ますみ、ではなく鳥山千歳(風間)。竜虎相搏つ爆乳も武器にブイブイ浮名を流す二人、千歳は人気脚本家ゲイリー・ペンダース(丘)との客室プレイに励み、聖林デビューの呑気な夢を膨らませる一方、二十八の誕生日を間近に控へた翔子は、焦りも感じ始めてゐた。ブロンド巻き毛の鬘を被り、欧米人ゲイリー・ペンダースを強弁する丘尚輝(=岡輝男)の安普請に関しては、この期には最早通り過ぎるが、出来れば回避して貰ひたかつた感も強い。設定上、グローバル感を出したかつたところなのかも知れないが、無理なものは無理で、安いものは安い。ピンクが狭い裏庭だけで戯れ続ける内閉を肯じないならば、かういふ辺りは、蛮勇を以て断ずるならば矢張り悪弊なのではなからうか。娯楽作家としてのポテンシャルは間違つても低くはない加藤義一だけに、尚更である、全く通り過ぎてゐない。
 翔子が回想する高校時代、当時、翔子は田口勘太郎(岡田)と付き合つてゐた。ところが卒業間際、勘太郎は親の決めた大学進学を嫌ひ、世界中を放浪する旅に出ると表明する。十年後、再会した二人が互ひに独身であつたならば、その時は結婚しようといふ約束を残し、勘太郎は翔子の前から姿を消す。心の隙間に薄らぼんやりとした風情を千歳にたしなめられるある日、翔子はフライト中の機内で、客として搭乗してゐた勘太郎とまさかの再会を果たす。勘太郎も未婚で、しかも約束を忘れてはゐなかつた。千歳がセッティングした好条件の合コンも余所に、運命の相手との再会に舞ひ上がる翔子ではあるが、それまでさんざアテつけてゐた千歳の眼前、勘太郎からの電話で不意の別れを告げられてしまふ。どうにも納得の行かない翔子が勘太郎の部屋に乗り込むと、勘太郎は折が良いのか悪いのか、病弱な幼馴染・江藤美咲(生内)との逢瀬の真最中であつた。生内水晶の印象を強ひて譬へるならば、オーラの欠片もないプロレスラーにならなかつたかなれなかつた北斗晶。勘太郎と美咲の濡れ場を、窓ガラスに貼りついて見てゐた翔子が、事後早速勘太郎を高飛車に問ひ詰める台詞が笑かせる。「誰なのあの貧相な女!?」、そのまゝにもほどがある。
 美咲は大病で余命幾許もなく、なほかつ子供の頃から、勘太郎のお嫁さんを夢見てゐた。そのことを美咲の母親から聞いた勘太郎が、美咲との結婚を決意したものだつた。一旦は、私にも実は婚約者がゐるのよと虚勢を張り身を引く翔子であつたが、美咲がWデートを言ひ出し、後に引けなくなる。「ストリッパー」時のジュリーのやうなメイクを炸裂させるなかみつせいじは、二年の間にハリウッド進出を図るも失敗し、女性誌の「あの人は今」記事に取り上げられるまでに落ちぶれ今はミュージシャンとしての再起を画策する、代表作は「野良犬地獄」の“元”映画スター・杉本まこと。以前に翔子と接点があり、その縁で婚約者役に雇はれる。この期にでもピンクスは忘れてゐないから、どうか加藤義一は「野良犬地獄」を撮つて呉れないものか、出来れば薔薇族ではなく。
 「腰振り逆噴射」の明確な姉妹作ともいへる一作、「突き抜け淫乱気流」といふのも、姉作に引き続き素晴らしく爽快なタイトルだ。随所に挿み込まれるミュージカル風、といふかより直截には渡邊元嗣も思はせるチープ演出はひとまづさて措くにせよ、元々が名作のリメイクでもある「腰振り逆噴射」からは、物語自体の強度は若干落ちる。そもそも、かういつちや何だがステレオタイプに高慢に描かれるスチュワーデスが、約束を交したかつての彼氏とはいへ、道端で絵や詩を売つてゐたりするやうな男になびくのか?とかいふ潤ひを欠いた根本的な疑問も残らぬではない。一方主演女優の比較についていふと、結果論としても終に芝居の硬さが抜けきらなかつた沢木まゆみと、未だこの当時は体型は“ハリ”ばかりでもあるものの、お芝居の上では娯楽映画のヒロインに相応しいメリハリをさりげなく会得した山口玲子とでは、今作に断然分がある。フェイクのWデートも終り、そのまゝ解散してもいゝものを、杉本まことに抱かれるやう自ら求めるシークエンスに顕著な情感豊かに愁ひを帯びた表情は、そこかしこでアクセントとして極めて有効に作用する。さうかう考へると、最終的に二作の雌雄を決するのは、生内水晶のポジションに開いた穴か。といふか、こゝでよくよく考へてみるならば、美咲役は林由美香で一切全く百パーセント問題なかつたやうな気もする。
 菅原文太ばりの流石の貫禄を披露する野上正義は、前作と全く同趣向、しかも山口玲子×風間今日子のツインドライブ・システムを採用した締めの濡れ場に、杉本まことのカードは既に切つてしまつてゐるため、代りに登場するヒムセルフ役。基本構造は共有しつつ、より豪華にといふ形での第二作展開の仕方が、素晴らしく鮮やか且つスマートである。二作纏めて、綺麗な娯楽映画で実に心地良い。

 出演者中城定夫以下三人、いはずもがなな二人ともう一名は、冒頭翔子が表面的な華やかさの内側に隠れた、客室乗務員の激務を嘆く件その他に登場する乗客要員。初登場カット、手前から逆さにしたL字型に“加”藤義一と城定“秀”夫、そして窓際に座る鬼太郎みたいな酔つ払ひが八戸太郎か。ゲイリー・ペンダースの後ろ座席に見切れる、サラリーマンは判らん。どの場面に於いてか失念した点は詮無いが、「腰振り逆噴射」の挿入歌であるSheHerTonightの音源も、一部使用されてあると思はれる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「熟成姉妹 貪欲SEX」(1995『どスケベ姉妹 -巨乳揉みくちや-』の2008年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:河中金美・田中譲二/照明:秋山和夫・斉藤哲也/音楽:藪中博章/助監督:高田宝重/効果:時田滋/出演:中井淳子・池宮えり・吉行由実・杉本まこと・長沢修自・リョウ)。
 タイトル・インからパイズリを主体とした、鷹美葉子(中井淳子/杉原みさおのアテレコ)と恋人・瀬尾圭(長沢修自/・・・・樹かずのアテレコ?)の、のつけから重量級の煽情性がバクチクする濡れ場を通り過ぎると、藪から棒に葉子の姉・幹子(池宮)が、亡父の相続税対策として父の経営してゐたスナックを、ランジェリー・パブ「OPPAI 姉妹の店」として改装オープンすることを宣言する。無論、OPPAI は兎も角姉妹である以上、葉子もその店で働くといふ前提、抜群のスタート・ダッシュも突き抜けて箆棒な開巻ではある。当然、瀬尾も幹子の夫・真一(杉本)も―オッパイの―独占欲に駆られた脊髄反射な拒否反応を示し、鷹美生前の親友・野沢栄太郎(リョウ)は、姉妹の行く末を案じ困惑する。杉本まこと(現:なかみつせいじ)は若々しい色男ぶりを振り撒き、リョウ(=栗原良=ジョージ川崎=相原涼二)の十八番、徒な重厚芝居が早くも火を噴く。
 ひとまづ物語の出発点が纏まつたところで、今作はそこから先、殆ど清々しく実はこれといつて新たな展開を見せる訳ではない。目の下の隈は少々目立つが、デロンとしつつ百点満点のボリューム感を誇る中井淳子と、ルックスは夢乃を思ひ切り馬面にしてみた感じと正直微妙ながら、こちらは対照的に鋭角ないはゆる鉄砲乳の持ち主の池宮えりとのオッパイの四点突破で、山登りでいふと、六合目辺りで足を止めてしまつた感も漂ふ以降を堂々と乗りきつてみせる、潔く実用的な一作。尤も、ランパブとはいへ低劣な客のエロ攻撃に音を上げ気味の葉子が野沢に相談を持ちかける件、野沢馴染みの料亭で会食する場面から、カット明けるといきなり絡みに突入してみせるのは流石に些か粗雑に過ぎるか。と、ここで俄かな暴発を見せるのがファースト・カットから夫婦の間に微妙な空気を濃厚に漂はせる、野沢の妻・由里役の吉行由実。早速夫の浮気を察知した由里が深夜電話をかけると、「もしもし」と電話を取る葉子に対し一言目から「あんたウチの旦那のチンポしゃぶつたでせう、この泥棒猫!」、直球勝負にもほどがある。結局、葉子に去られ閑古鳥の鳴き始めた「OPPAI 姉妹の店」を、幹子は畳む決断を下す。それもそれで、冒頭で開いた店が、潰れて終るといふのも物語の構成としてどうなのよ、といふ面に関してはさて措く。葉子から、由里に関する自業自得ともいへる相談を受けた幹子は、自分も由里の矢面に立つと、野沢に対して俗にいふ姉妹丼を自ら仕掛ける。この辺りは如何にも、ピンク映画としての商品的要請は決して疎かにせぬまゝに、頑強に快楽の追求に際してもの女の主体性を謳ひ続ける浜野佐知らしいとはいへるが、結局オーラスには珍しく、三組の男女の全てが納まるべき元鞘に納まるといふのは、同時にこの人にしては随分とおとなしい、ともいへる。唯一の難点は、三番手に吉行由実すら擁しておきながら、終に超絶怒涛のオッパイ・ジェット・ストリーム・アタックが、完成される気配すら窺へなかつた不満。吉行由実が、終ぞリョウ以外には同じフレームに納まらなかつた点から邪推するに、吉行由実は、現場で中井淳子と池宮えりの二人と顔を合はせてはゐないのかも知れない。

 クレジットも全く為されないが、「OPPAI 姉妹の店」に、都合六名客役として見切れる。何れもアフレコは、長沢修自―か、樹かず―がアテてゐる。調子に乗つた客が嫌がる葉子のオッパイに手を出すショットには、小生のやうな品性低劣な観客は喜ばされる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「色情坊主の後家くずし」(2004『後家・後妻 生しやぶ名器めぐり』の2007年旧作改題版/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:森山茂雄/脚本:佐野和宏/原題:『三千世界の烏を殺し 坊主と添ひ寝がしてみたい』/プロデューサー:池島ゆたか/撮影:長谷川卓也/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:伊藤一平/監督助手:中沢匡樹・松丸善三/撮影助手:斉藤和弘・大城真輔/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映ラボテック/ネガ編集:フィルムクラフト/協力:Gullwing.inc・digital gizmo・長谷川九仁広・宇佐美忠則・スナックちよ/出演:神島美緒・佐々木麻由子・水原香菜恵・神戸顕一・松丸善三・フク三郎・佐野和宏)。出演者中フク三郎は、本篇クレジットのみ。
 後家といふと手を出す生臭坊主・武田鎮源(佐野)が、けふもけふとて少々頭のネジの緩んだ若後家・神谷百合子(神島)に、あれやこれやと理屈にもならぬ方便で手をつける。オッパイも煩悩、イチモツも煩悩。挙句「和尚様の煩悩硬あい☆」と来た日には、『歎異抄』まで持ち出しておいて、麗しいとすら最早いへる振り抜かれた馬鹿馬鹿しさである。鎮源の弟と、教会での挙式当日に交通事故で死に別れ悲嘆に暮れてゐたところを、前妻とはこちらも死別した鎮源に手篭めにされそのまゝ結婚した本妻・美子(佐々木)は、そんな鎮源に終に堪忍袋の尾を切らす。二号の、カラオケスナック「ちよ」のママ・宗形ちよ(水原香菜恵/因みに公開は、今作の方が半年早い)と、ついでに百合子も仲間に引き込んだ美子は、鎮源殺害計画を練る。成年コミックを経本に偽装し歩き読む松丸善三は、憚りもせず下根を自称する修行僧・鎮念。
 とかいふ次第で、特異体質(?)と異常な強運とに頓挫しつつ、「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」(昭和41)よろしく矢継ぎ早に展開される鎮源殲滅作戦が、今作の白眉。最初は美子がネットで仕入れた心臓発作を催させる毒―神経毒の類か?―を、ちよの旦那の回忌にビフテキに混ぜ喰はせるも、何故か鎮源には強精剤として作用するばかりで失敗。おかしいなと、一舐めしてみたちよが泡を吹いて卒倒する件を差し挿む辺りは手堅い。続いては、意外な特技を持つ百合子に、鎮源の原チャリのブレーキに細工させる。ものの、首尾よくコース・アウトして山肌に突つ込んだ鎮源ではあつたが、何とそこで埋蔵金を発見し一躍時の人に、何て大胆なオチなんだ。最後はその点スケール・ダウンしてしまひ、ちよに熱を上げる「ちよ」常連の馬渡(神戸)に、割に合はない色仕掛けで直線的な鎮源刺殺を仕向ける。三年後のワイセツ和尚シリーズ第二作と観比べてみると、鎮源のビート感もポップ性も未だ発展途上で、全般的な垢抜けなさも残すが、濡れ場の彩りも鮮やかに概ね愉快に観させる娯楽ピンク高目の水準作である。ラジオならば放送事故寸前の、百合子の間の抜け具合を強調したギャグは、演出なのか、神島美緒の素を弄らずに利したものなのかよく判らない。
 順番は前後しながらも二作を通して観てみると、三年の歳月を経ても、今作と次作が完全に連続した物語である旨がよく判る。次作開巻の鎮源と百合子の―キネコ処理された―絡みは今作締めの濡れ場で、鎮念のショットも、今作ラストからの流用である。さうなると、鎮念の扱ひの無常さが、冷たい北風に混じり殊更身に染みる。

 エンド・クレジットも通過してオーラスは、「三千世界の烏を殺し 坊主と添ひ寝がしてみたい」と締め括られる、原題らしい。出演者中フク三郎に関しては、残念ながら特定不能。ほかに画面中見切れるのは、若干名の「ちよ」客と、遺影としてのみ抜かれる百合子亡夫。一昔前、エクセス未亡人もので亡き夫の遺影といへば、何故か高田宝重がヘビー・ローテーションの時期があつた。
 昨年十一月公開の最新作は勿論未見の上で、漸く第八作までをコンプした森山茂雄の私選ベストは、不器用なエモーションを慎ましやかに撃ち抜く前作である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「コスプレ新妻 後ろから求めて」(2004/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/監督助手:城定秀夫/撮影助手:横田彰司/照明助手:松山寛裕/スチール:津田一郎/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/衣装・下着協賛:ウィズ・コレクション/出演:桜井あみ・しのざきさとみ・風間今日子・熊谷孝文・小久保昌明・螢雪次朗)。
 刑事の朝倉純一(螢)は店長の水沼明日香(しのざき)を仲人に見立てた、出張イメクラ「コスプレ倶楽部」の風俗嬢・美雨(桜井)とのお見合プレイにけふも御執心。プレイ中に何度、本気で求婚しても真に受けない美雨に業を煮やした純一は、妻として逮捕すると手錠をかける。無体を抗弁する美雨に対して「世間が怖くて菊の御紋が背負へるか!」、などと書いてしまふと、如何にもいい加減に思はれかねなくもないが、実際の開巻は、勢ひとポップ感とで案外すんなり見させる。
 タイトル・イン明け、滝沢誠(熊谷)と美雨の、今度は人妻プレイ。あどけなさも感じさせる容姿と対照的な、桜井あみの成熟した肢体に垂涎させらr・・・・あれ?美雨は純一と結婚したものではなかつたのか。事後満足気に歩く滝沢は、大阪のくひだおれ太郎のやうな風体の、風俗店のサンドイッチ・マンに偽装した純一にどやされる。滝沢も純一の後輩刑事で、二人は手製爆弾による爆破予告の張込み捜査中であつたのだ。結婚したはいいものの、連日仕事に追はれ帰りは遅く満足に構つても呉れない純一に、美雨は餌を貰へぬ釣られた魚の如き欲求不満を抱いてゐた。それゆゑ純一には内緒で週に二日だけ、美雨はコスプレ倶楽部に復帰してゐたのだ。何も知らずに自慢する滝沢の写メからそのことを知つた純一は、美雨以前は馴染みでもあつた明日香に相談を持ちかける。相談と称して結局一通り致しつつ明日香は純一に、貴方が美雨の客になればいいと提案する。それは要は整理すると、純一が美雨と夫婦生活するのに、その都度明日香に幾許かの金を支払ふ、といふ馬鹿馬鹿しい話でしかないやうに思へるのだが。無粋はさて措き、純一はその際の変装として、美雨理想のタイプといふ次第でゴルゴ13ばりの殺し屋を演じる。女優陣に止(とど)まらず、螢雪次朗も何だかんだコスプレしてみせたりなんかする。
 風間今日子は、女優を志望しながら勘違ひしてコスプレ倶楽部の門を叩く、上京して来たばかりの田舎娘・瀬戸つぐみ、出身は佐渡か?コスチューム・プレイを以てお芝居と、明日香と美雨にあれよあれよと言ひ包められたつぐみは、「マッチ売りの少女」テーマのアンデルセン・プレイと称して早速客の下へと向かはされる。何気なく流されるシークエンスではあれ、都会の水は冷たいにもほどがある。土地勘のないつぐみが間違へたのか、つぐみが客と思ひ接触した根暗な青年・尾崎トオルは、本来コスプレ倶楽部に注文して来た男ではなかつた。何事か仕掛けようと挙動不審のトオルこそが、純一と滝沢を東奔西走させる爆弾魔であつた。
 公開当時m@stervision大哥の御指摘によると、今作はビリー・ワイルダーの、「あなただけ今晩は」(1963/米/監督・脚本・製作:ビリー・ワイルダー/主演:ジャック・レモン、シャリー・マクレーン)のリメイクであるとのこと。無論、不肖ドロップアウト、映画の見方もキチンとはしてゐない。ビリー・ワイルダーなんて、このアホンダラはまあ一本も見ちやゐない。といふ訳で、おとなしく調べてみると、刑事と売春婦が夫婦になる。結婚後も稼業を続ける妻に頭を悩ませた夫が、妻の客を装ふ。等々、成程基本線は概ね同一である。その上で、「あなただけに今晩は」では見られない今作オリジナルの趣向に、爆弾魔云々が挙げられようものの、これが残念ながらほぼ機能不全。ピンク映画デフォルトの安普請に甘んじず、もう少しお話的な膨らみも見せて欲しいところが、単に登場人物を横方向に繋げるほかは、他愛ないドリフな爆破オチにしか収束しない。それにつけても、結局その後に締めの濡れ場が設けられる以上、オチてすらゐない始末。とはいへ、純一の<射精しさうになると指を噛んで堪へる>といふ伏線は、ピンク映画である特性も踏まへてスマート且つ魅力的。そもそも対明日香戦での、純一の不自然なアクションの時点で気付くべきだといへるのか。あるいは、桜井あみ・風間今日子・しのざきさとみの順に濡れ場も順調にこなしておきながら、何故か最も関係上順当である筈の、純一と美雨の絡みが何時まで経つても行はれない。殺し屋に扮した純一も、奇妙なほど美雨を抱かうとはしない辺りに、構成の意図は明確に酌めてゐたのか。一応か十全にかはひとまづ兎も角、よく設計された娯楽映画の観方といふ奴を、今作から学んだやうな気がする。次に実際に銀幕を前にした際には、コロッと忘れてゐさうな気もしつつ。

 最後に小ネタ。つぐみがまんまと釣られた、女優を謳ひイメクラ嬢を募集するコスプレ倶楽部のチラシには、素早いカット割でどさくさに紛れようとした節も見受けられるが、月影千草と北島マヤのツーショットといふ、『ガラスの仮面』の画像が無断使用されてある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )