「変態催眠 恥唇いぢめ」(2002/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本:寺嶋亮/プロデュース:関根和美/撮影:図書紀芳/照明:柴田信弘/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:林真由美/協力:小林プロダクション、他/出演:安西なるみ・林由美香・里見瑤子・風間今日子・中村拓・竹本泰志・なかみつせいじ・町田政則/友情出演:富田幸司・高野倫子・須賀良・姫島真希子・今井恭子・岡田謙一郎・亜希いずみ・江藤大我・幸英二・吉田祐健・若葉要、他多数)。
“第一回監督作品 監督 寺嶋亮”、晴れ晴れと大書でクレジットしての開巻。収録中のTV番組だといふことで、ビデオ撮りの画面。催眠術の流派・万斗流を継承した剣東二郎(中村)が、催眠術で植田真希子(安西)の胡瓜嫌ひを克服する。何と叫んでゐるのかはよく聞き取れなかつたが、東二郎の決めのシャウトに合はせ、撃ち抜かれたかのやうに安西なるみが画面左端で変身中の魔法少女よろしくヒラヒラと舞ひながらのタイトル・イン。女の裸こそないものの、新人監督のデビュー作に如何にも相応しい、勢ひと爽やかさとが心地良いオープニング・シークエンスである。
万斗流先代―開祖かも?―の万龍(町田)は、余命幾許もない重い病に伏せる。医師・看護婦と弟子達の見守る中、万龍は万斗流の継承者に、随一の実力を誇りながら欲に溺れ、術を私利私欲のために平然と使用する森山郁夫(竹本)ではなく、力は郁夫に大きく劣るも、徳の高い東二郎を指名した。納得の行かぬ郁夫に対し、肉体は伏せつたまゝに、合成処理で力強く身を起こした万龍の精神は一喝する、「催眠術は技ではない、仁術なのだ!」。最後の気力を振り絞つた、万龍は死去する。催眠術によるクリニックを開業した東二郎が名声を得る一方、郁夫は姿を消す。だが然し、実力では自分に遠く及ばない筈の、東二郎の成功をテレビを通して薄暗く、侘しい部屋で見詰める郁夫は決して諦めてはゐなかつた。自由自在に人の心を操る催眠術を駆使し、郁夫の東二郎と、後継に自らを選ばなかつた万龍、全てに対しての逆襲が始まる。
流派継承を巡る他を凌駕しつつも、人の業に抗し得ず自らの技に溺れた兄弟子と、力は及ばないものの、師の訓へを忠実に後継した主人公との相克。催眠術に事寄せての、豊富な濡れ場濡れ場に彩られながら堅実な起承転結と、王道の勧善懲悪とが紡がれる。全く正しき、商業娯楽映画の鑑である。プロデューサーの関根和美も、今作に関してはさぞかし鼻が高いに違ひない。自ら手掛けた脚本まで含め寺嶋亮の全き堅実は、堅実の堅実たる所以で決して突出した何物かを有するといふ訳でもないのだが、代りにといふか今作特筆すべきは、分厚いにもほどがあり過ぎる、寺嶋亮の初陣を飾るべく結集した主に俳優部方面の豪華な支援体制。主演の安西なるみは東二郎のクリニックの看護婦ともして、ほぼ全篇に出づつぱり。林由美香は、PC狂ひを克服しようとクリニックに通ふ平木彩乃。東二郎の留守にクリニックを強襲した郁夫に催眠術で東二郎と思ひ込まされ、同時に淫乱女の絡みを展開させられる。里見瑤子はTVレポーターの田畑真里、順番前後してなかみつせいじは、同じく患者の荒井和義。実はマゾである荒井は、マゾである妻の求めに応じやうと、催眠術でサディストの暗示をかけられる。風間今日子が、そんな荒井の妻・洋子。荒井と洋子の夫婦生活に際しては、尺もタップリと費やした充実した責めが堪能出来る。と、ここまでで、濡れ場のある女優が通常の三割増しの既に四名。男優部も、中村拓・竹本泰志・なかみつせいじ・町田政則と、同じく四名が通常出演者枠としてクレジットされる。ここからの、“友情出演”勢が質、量ともにズバ抜けてゐる。まづ富田幸司・高野倫子・須賀良の三名は、友情出演特記は割愛された上でポスターにも名前が載る。富田幸司といふ人が、どの人なのか特定出来ない。台詞の有無等から鑑みるに、東二郎らと万龍の最期を看取る最年長の弟子か。高野倫子と須賀良は、クリニックに詰めかける患者。須賀良はコミック・リリーフのおとぼけお爺ちやんとして、出番もそこそこに設けられる。ここから先、ズラズラと一般映画のそれと見紛ふほどに大量にクレジットされる中で、映画を観てゐてその人と知れたのは登場順に。声は別人(不明)がアテる岡田謙一郎は、万龍を看取る医師。関根和美の愛妻・亜希いずみは、岡田謙一郎の傍らで無言の看護婦。江藤大我は万斗流の若い弟子要員、幸英二も、大勢登場するクリニック患者要員。姫島真希子と今井恭子に至つては、己の刹那的な享楽に術を使ふ郁夫と、それを東二郎が諫める回想中に郁夫の操り人形として、贅沢にもトップレスで登場。画面に文字通りの、彩を添へる。吉田祐健と若葉要は、ラスト近くに二人連れでクリニックを訪れる矢張り患者要員。
端々で、寺嶋亮は師匠の芸を忠実に継承したのか、どうでもいいと片付けてしまへばどうでもいい小ネタを随所で披露。とはいへどうでもいい小ネタながらに、幾度と着実に積み重ねることによつて起承転結の完成への側面からの支援と、さりげなくも爽やかな小技が決まるラスト・ショットの誘導も果たしてみせる。念願の監督デビュー作に際しての、入念な準備が窺へる。コメディ基調の演出のトーンと潤沢を突き抜けた豪勢な支援体制とは、何とも温かい肌触りを映画に与へ、プログラム・ピクチャーの枠内から半歩と踏み出でるものもないにせよ、観てゐて実に幸せな心持ちになれる一作。加へて東二郎がテレビ局の控へ室で急変した真里の痴態に、郁夫の陰謀を察知する件には師匠作には見当たらぬ切れ味が光り、クライマックスとオチの二段構へは、物語の着地と濡れ場の更なる積み重ねとを同時に実現する。一件落着した後に再び皆が東二郎のクリニックに集ふラスト・シーンの磐石さは、凡そ新人監督の手によるものとは思へない。決して傑作とはいはないが、良作といふ以上に評価したい。
とこ、ろが。デビュー作でそれだけの仕事をしてみせた寺嶋亮、であるが、今作に続いては数作の関根和美の映画に相変らず助監督として名前を連ねるばかりで、翌年以降その名前をピンクスが目にすることはない。今作の水準を持続せしめ得た日には、今頃竹洞哲也は押し退け加藤義一とオーピー若手ツー・トップの名を欲しいまゝにしてゐたやもと思ふと、重ね重ね残念なところではある。伊藤正治・北沢幸雄・中村和愛の“沈黙するエクセスの宝石”と並び、上田良津・片山啓太、そして寺嶋亮の三名を、“姿を消した関根プロの新星(候補)”と称したい。フィルムハウスでも監督作のある上田良津は、片山啓太・寺嶋亮らと比べると関根プロダクションとの結び付きは薄いといへるのかも知れないが。といふかそもそも。“寺嶋亮”の名前が姿を消しただけで、もしかすると改名して現在でも活動を継続してゐる可能性もなくはない。さうした日には、唯単に銀幕を前に小屋の暗がりの中に潜むのみの身としては、最早如何とも手も足も出しやうがないが。
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