真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「背徳同窓会 熟女数珠つなぎ」(2001『三十路同窓会 ハメをはずせ!』の2010年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:中村和愛/企画:稲山悌二/制作:奥田幸一/撮影:小山田勝治/編集:酒井正次/写真:佐藤初太郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/監督助手:根本強史・ピューロ飯田/撮影助手:長谷川卓也・新家子美穂・赤池登志貴/協力:《有》ファントムラインジャパン・深井洋志・マザーグース・《資》ブリッジビルダー/出演:逢崎みゆ・星野瑠海・樹かず・平賀勘一・真央はじめ・千葉尚之・深井順子・佐々木基子)。脚本も中村和愛自身による筈なのだが、何故か本篇クレジットは監督のみ。即ち、今作からは脚本家のクレジットが抜け落ちてゐる。
 三十にして二度の離婚暦を誇れないエッセイストの西原理恵(逢崎)は、現在の年下の彼氏・川口憲史(真央)との情事を恐縮しながらも愉しみつつ、親友の純子(星野)が夫婦で営む店で開かれた同窓会に、純子が何時の間にか理恵の最初の元夫・本宮伸行(樹)と結婚してゐた青天の霹靂や、同じく親友の入江紀香(佐々木)は若いツバメに入れ揚げてゐるらしきことはとりあへずさて措き、理恵・純子・紀香の、何時もの三人の面子しか集まらなかつた点に関して、「これぢや単なる飲み会ぢやない!」と呆れ果てる。流れるやうにここまで、エクセス主演女優にしては奇跡的ともいへるレベルで素晴らしい逢崎みゆのコメディエンヌとして絶品な台詞の間と、三女優を向かうに回し、元妻との再会に接客も放棄し不機嫌さを露にする二枚目バーテンダーを綺麗に快演する樹かず。そしてそれら全てが中村和愛の柔軟にして入念な演出に束ねられ、開巻からワクワクさせられるほどに面白い。千葉尚之は、事実上殆どヒモに近い紀香のツバメ・福本浩史。平賀勘一は、二年前に別れた理恵の前夫・水島鋭二。名前が載るのは本篇クレジットのみの深井順子は、手書きに固執しなほかつ筆の遅い理恵に、苛立ちを隠さうともしない担当編集・牧村。牧村は“時代の要請”と称するPCの導入を頑なに拒む理恵が、川口からの携帯電話の着信には「あ、“時代の要請”が呼んでる」と仕事の手を止め出てみたりするカットも、実にスマート。
 理恵は川口の子供を宿し、後に明かされる無体な理由により、純子がよろめいた出張ホストが選りにも選つて浩史であつた劇中世間の狭さから、三人の三十路女の日々は大きく動き始める。純子は浩史と家を出、妻の不在に頭を抱へる本宮の店に、真相は露知らぬまゝ矢張り浩史を失つた喪失感に打ちひしがれる紀香と、騒動を耳にした理恵も駆けつける。そこにぼんやりと純子が戻つて来たところから発生する、リアルタイム当時m@stervision大哥が絶賛された、女三人による夜の路上にて繰り広げられる大修羅場の長回しも確かに凄いが、敢てさういふ大掛かりなガジェットではなく、より今作のハイライトとして推したいのは、中村和愛らしい細やかな心情描写。妊娠を報告した上、「ここは流れでしとかないと」、「暫く出来なくなるんだし」と超絶に軽やかな導入で突入した濡れ場明け。ポップに喜んで呉れる川口の姿に幸福な満足感に包まれかけはするものの、どうやら専業主婦として仕事を止め一切家庭に入るのを当然の前提と望んでゐるらしき男の姿に、空気を看て取つた理恵が静かに、然し確実に顔色を変へるショットには映画的な緊張感が、さりげなくも狙ひ澄まされて漲る。ヒロイン達相手に限らず、中村和愛の慎ましやかな必殺は随所で火を噴く。元妻からの―間違ひなく自分の種ではない―妊娠の報せに、あはよくば復縁を考へぬでもなかつた水島は、おとなしく引き下がらざるを得なく落胆する。台詞によつて提示される情報量は最小限に止めた上で、演出の力を頼りになほ一層の強度を以て登場人物の心象を表現する。素晴らしく映画で、且つ中村和愛だ。劇中殆ど唯一の頓珍漢は、純子と浩史の逢瀬。自身が蒔いた種に困惑も禁じ得ない純子に対し、浩史は人の行動には全て理由があるだとか何だとか聞いた風な口を叩きながら、いざ純子が当の理由を口にしようとした途端、自分は金で買はれた男なので、理由なんて必要ないとほざいてのける。何だそりや、ほんなら初めから理由だの何だの小理屈振り回すなよ小僧。もうひとつの転じられなくもない禍(わざはひ)は、三人の中では、といつた限定を設けずとも普通に演技力に大穴の開く星野瑠海が、体は一番綺麗―首から上は、篠原さゆりに憧れるニューハーフといつた風情だが―といふ逆説的なジャスティス。とまれ、高々一時間の裸映画を決して忽せに済ますことなく、丹念に丹念に積み上げた一つ一つのシークエンスを成就させた果ての着地点は、実は登場人物が一人も幸せになつてはゐないまゝに、それでも精一杯爽やかに、前だけは向いた気持ちで物語を畳んでみせる。実のところは、とかくまゝならぬ人生といふ奴からさういふ形であるべきものであるやも知れず、さう思へば、束の間の尺を越えてより染み入る一作である。

 今作は現時点に於いての、中村和愛暫定最終作となる。何時もの“Welcome to the Waai Nakamura world.”ではなく全て大文字で“WELCOME TO THE NAKAMURA WAAI WORLD.”と幕を開け、最後も“Thank you for your having seen this Film.”ではなく、“THANK YOU FOR YOUR HAVING SEEN THIS FILM.”と幕を閉ぢる。理恵・純子・紀香は純子を要に棹兄弟ならぬ蛤姉妹といつた状態に陥るとはいへ、新題からあるいは連想されるやうな、乱交で物理的に連結されるといつたエクストリームは別に用意されない。


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 「黒髪教師・劣情」(2000『高校教師 ‐赤い下着をつける時‐』の2008年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督・脚本:中村和愛/企画:稲山悌二/製作:奥田幸一/撮影:小山田勝治/編集:酒井正次/助監督:横井有紀/写真:佐藤初太郎/録音:シネキャビン/監督助手:田村孝之・久保田博紀/撮影助手:岩崎智之・山内匡・小山田智之/現像:東映化学/協力:《有》ペンジュラム・《有》マルコト・スナックエレナ・ビジュアルマイン・《有》ライトブレーン・《有》ファントムラインジャパン/出演:藤井さとみ・優生通子・夢乃・村上ゆう・銀治・真央はじめ・樹かず)。協力のファントムラインジャパンは、川村真一の制作プロダクション。
 交される音声のみで、妊娠した石原美樹(藤井)が恋人・黒沢義之(真央)から無下に捨てられ、堕胎した過去が語られる。親のない美樹を膝枕に乗せ、姉・歩美(村上)が童謡の「ふるさと」を歌ひ慰撫する。姉の膝枕に慰められるヴィジュアルは、美樹が度々見る回想夢であつた。このワン・ショットにのみ登場の村上ゆうに、当然濡れ場は設けられない。数学教師として勤める高校にぼんやりと向かふ美樹は、フと目にした光景に驚き足を止める。目を見開いた美樹からカット変ると新題タイトル・イン。ここで本来ならば必要なツー・ショットが抜けてゐるのは、旧題が実景に被せられてゐたからなのか?
 大半の者はてんで真面目に受けてなどゐない、崩壊気味の美樹の授業。少々派手な者も中にゐるものの、高校生に見える大勢がその他生徒要員で登場。二留の牧原幸太郎(銀治)が唯一人授業に耳を傾け、問題児の割には、当てられた質問にもキチンと答へてみせたりなんかする。後に語られる、牧原が身長を理由に野球を断念させられてからグレた、とかいふ狙ひ撃ちの直撃する設定はもう少し何とかならなかつたものか。そこに、まるで悪びれるでなく、小宮真知子(夢乃)が悠然と遅れて教室に入る。朝方美樹が衝撃を受けたのは、黒沢が、如何にも一夜を過ごした風情で真知子と歩いてゐたからであつた。美樹は同僚の体育教師・池上小百合(優生)に黒沢の件を相談すべく、行きつけの、下校時間付近の夕方から開いてゐては、終電に間に合ふ時間には閉めてしまふ不自然なバーへと向かふ。正方向の男前全開の樹かずは、バーのマスター。先に店を後にした美樹は、深夜の清掃バイトに汗を流す牧原に目を留める。その頃二人きりのバーでは、小百合が事前に入念に匂はされたマスターへの想ひを、遂に告白。事後の遣り取りまで含め、ここでの濡れ場は即物的な煽情性の充足を超え、目出度く届き叶へられた恋心に素晴らしく温かい気持ちにさせられる。通常“Welcome to the Waai Nakamura world.”と幕を開け、“Thank you for your having seen this Film.”と締め括られる中村和愛映画の、正しく和愛節が美しく奏でられる。話は戻るが美樹授業風景に於けるその生徒部に対する演技指導も、全く十全。
 帰宅した美樹を、不意の来客が訪れる。誰かと思ふと、かつて貸したきりになつてゐた金を返しに来たといふ黒沢であつた。真知子とは別れたと称する黒沢の泣き落としに美樹の弱さは陥落、二人は再び体を重ねる。ところが事後、黒沢の携帯には、普通に連絡を求める真知子からの電話がかゝつて来る。翌日、相変らず堂々と遅刻して登校した真知子はいきなり授業中にも関らず退学届けを叩きつけると、泥棒猫としかも美樹の頬を張る。
 肉感的の徳俵を残念ながら明確に割つてしまつた藤井さとみはひとまづさて措き、優生通子と樹かずとで一旦は美しい頂点を迎へておきながら、中村和愛がやをら自爆上等と突つ込んで来るのはここから。授業中に教師が生徒から頬を張られ、教室は俄かに騒然となる。「ゴメン!」と藪から棒に立ち上がつた牧原が、滅茶苦茶に火に油を注ぐ。「ゴメン、俺が先生を守つてやるよ」、「愛してる」。幾ら何でも箆棒だである、普通ならばここで壊れておかしくない映画が、ところが何故だか、頑強に踏み止まる。そこから無理矢理、美樹と牧原の、最早道ならぬことなど問題にならないラブ・ストーリーへと移行した物語は延々と、剥き出しの純情をノーガードで撃ち合ふ決死の展開へと突入。その中でも素面によく出来てゐる箇所といへば、深夜に牧原の姿を求め街に出た美樹は、何時ものやうに歩道橋を清掃する様子を確認する。牧原も美樹の視線に気づき、何事か言葉を発さうかとしたところで、先輩から呼ばれ慌てて仕事に戻る。といふ、まあそれもそれで類型的な場面程度しかないといへば確かにない。とはいへ、今作中小百合とマスターの件に於いて既に明らかであるやうに、中村和愛には、丹念に積み重ねたシークエンスを、見事に万事成就させる正攻法も十二分に可能である筈だ。にも関らず敢てそれをかなぐり捨て、今回中村和愛は捨て身の正面戦に討つて出た。いはば映画を捨ててまで追ひ求めた、ベタ以前の物言ひにもなつてしまふのは甚だ恐縮ではあるが、求め合ひ、結びつく心と心の愚直なエモーションに、私も底の抜けた阿呆であるからやも知れないが、少なくとも個人的には胸を撃ち抜かれた。平板な技術論からは世辞にも褒められた一作ではないにせよ、時に真のロマンティックは、そこから外れた地点に存する時もある。たとへそれが、しばしば全く極私的で、凡そ共有の適ふ筋合のものではなからうとも。今作が明後日か一昨日作であつたとしても、それは強い決意に裏打ちされた、覚悟の上での頓珍漢である。だとしたならば、そこから生み出されたロマンティックがエモーションが、それはそれとしての強さを、持ち得る可能性も時にあるのではないか。それは最早殆どラックにしか頼るほかはなく、だからこそ、平素あるべき技術論の土壌からは酌むべき点なし、といふ結論しか出て来ない訳でもあるが。

 出し抜けに「ゴメン!」と立ち上がつた牧原に、観客に対する中村和愛自身の姿をも重ね合はせられまいか。ごめん、俺はこの映画を捨てる。それでもなほ、描きたいものがある。流石に、牽強付会どころの騒ぎではないアクロバットに過ぎるやも知れぬ。名作・傑作の類とは決していひ難いが、一ファンとして、私は今作を買ふ。


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 「濡れやすい人妻 ド突かれる下半身」(1997『人妻の味 絶品下半身』の2007年旧作改題版/製作:シネマアーツ/提供:Xces Film/監督:中村和愛/原案:岩志歩美/脚本:五代暁子/企画:稲山悌二/プロデューサー:奥田幸一/撮影:小山田勝治/照明:津田道典/編集:酒井正次/写真:倉繁利/音楽:鳥井一広/助監督:西村和明/監督助手:石川二郎・佐々木直也/撮影助手:新井毅・木村信也/照明助手:倉橋靖/協力:シーズグループ・㈲ライトブレーン・大西裕/出演:羽鳥さやか・風間恭子・真央はじめ・青木こずえ・原美波・ジョージ川崎・樹かず)。
 “WELCOME TO THE NAKAMURA WAAI WORLD.”と大文字開巻、ラブホテルでの吉岡治子(羽鳥)と、児玉雄一郎(ジョージ川崎=リョウ=栗原良=相原涼二)の不倫の逢瀬。ルックス・演技力共に伴はぬ主演女優に、いきなり映画に暗雲が立ち込める。羽鳥さやかといふ人は、普通にしてゐれば多少以上に曲がりつつもそれなりに華のある顔立ちをしてゐるのだが、喘ぎ顔になるや途端に、何故か財津一郎にソックリになつてしまふといふ致命的な弱点を抱へてゐる。児玉と別れ、治子はトボトボ家路に着く。道すがらの自販機で、350mlの缶ビールを買ふ。ここで、仕方がないのでツッコんでおくが、どうしたらポカリスエットのベンダーで、キリンラガーが買へるのだ。中村和愛らしからぬ、粗雑な横着といへよう。待つ者も居ない暗い家に帰つた治子は、更に大量のビールを開ける。シーズグループ刊『月刊MAN-ZOKU』―あるいは『デラMAN』、ところで実際には、風俗情報誌である―雑誌編集者の治子はカメラマンの拓也(真央)と結婚したが、仕事人間の治子と家庭的な妻を求める拓也は折り合はず、拓也は治子も一緒に取材した、セクハラ被害者の神山祐子(風間、今日子ではなく恭子名義)の下へと走つてしまつてゐた。
 伊藤正治、北沢幸雄と並び当サイトが“沈黙するエクセスの宝石”と秘かに推す、中村和愛のデビュー作。丁寧な心理描写と、六十分のプログラム・ピクチャーを決して忽せにはしない至誠とが中村和愛といふ映画監督の肝である、と期待して小屋の敷居を跨いだものではあつたのだが、残念ながら、第一作といふ点も踏まへるとより一層に残念な出来栄えであつた。弱さを見せるのが下手な強くはない女と、女を捨て他所の女の所に転がり込むも、結局その女にも幻滅し妻とヨリを戻さうか、なんて調子のいい男との形式的にも内実的にも希薄なばかりのシティ・ドラマが、思ひのほか長く感じられる一時間を漫然と流れ去るばかりのルーズではないけれども凡作である。噴飯ものなのは、濡れ場での艶出、ならぬ演出に如実に表れてゐるのだが、演出のビートが終始抑へ気味である点。ただでさへ生煮えな脚本がより生温かく逆向きに加速されてしまふ以前に、ここは監督処女作である。カッコなどつけてゐる場合ではなからう、前のめりに自爆するくらゐの愚直を見せなくてどうする。アクセルの踏み込み加減を観客には感じさせないのが中村和愛の持ち味であるのかも知れないが、大いに頂けない。
 青木こずえと原美波は、正面から青木こずえが治子の左隣のデスクの稲村みかり。原美波は右隣の坂本エミ、因みに児玉は編集長。みかりも、児玉と不倫関係にある。リファインした泉由紀子に見える、原美波に濡れ場は設けられない。樹かずは、拓也と別れた半年後、治子がかつて拓也から求婚されたホテルに再び入る際のお相手・小橋晃一。この繰り返されるラスト・シーンの意味のなさも、殊更に理解に苦しむ。これだけ明確な主題もドラマ性もまるで感じさせない脚本に、敵は五代暁子とはいへ更に原案とは何事か。岩志歩美といふ人には、調べてみるとAVの監督作が数本出て来た。
 クライアントの急な倒産で祐子との新生活を断念した拓也が、柱を画面中央に挟んで治子と対峙する場面。あからさまに判り易い画面構図でそれはそれでいいのだが、偶さか夫婦が再びヨリを戻しかけた瞬間を、同じカットで画面が柱で分断されたまま撮つてしまつてゐるのも如何なものか。惜しんだ一手間で、釣り逃がした魚は予想以上に大きなものではなかつたか。

 結局物語は鮮やかに、あるいは呆れるほど一切何某の結実も果たさないままに、“Thank you for your having seen this Film.”、ではなく“完”と幕を閉ぢる。となると、第二作の「美人女将のナマ足 奥までしたたる」(1997/主演:須藤あゆみ)も“えんど”と締めてゐる為、“Thank you ~”といふ御馴染みのエンド・コメントが登場するのは第三作の「新任美術教師 恥づかしい授業」(1999/主演:小野美晴)から、といふことになる。
 2001年の第六作「三十路同窓会 ハメをはずせ!」以来沙汰のない中村和愛ではあるが、今はどうされてゐるのかと戯れに調べてみると、思ひも寄らぬところに足跡を発見。石原真理子の「ふぞろひな秘密」(2007)の助監督として、中村和愛の名前がある、一体何処で何をやつとられるのだ。


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 「極楽痴漢電車 ぬれぬれエクスタシー」(1999『痴漢電車 指が止まらない』の2005年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督・脚本:中村和愛/企画:稲山悌二/製作:奥村幸士/撮影監督:小山田勝治/編集:酒井正次/助監督:斉藤一男・安波公平/写真:佐藤初太郎/協力:《有》ペンジュラム・《有》マルコト/出演:桐島貴子・村上ゆう・夢乃・達花和妃・真央はじめ・野上正義・樹かず・銀治)。
 冒頭、“Welcome to the Waai Nakamura world.”と態々銘打つ割には大した世界も見せず、最後は“Thank you for your having seen this Film.”と締め括る中村和愛の映画である。少し調べてみたところ、この人―多分同一人物―“かずえ”と読ませる名義でAVも撮つてゐる。女なのか?エクセスの番組紹介ページには、“自らも痴漢に間違はれたことのある”(原文珍カナ)などとある故矢張り男なのか、よく判らない。ピンク映画は、かういふ辺りから攻めて行かなくてはならないところが骨が折れる。それも又醍醐味のひとつ、といつてしまへば又然りでもあるのだが。
 山本家の長女・富士子(村上)、次女・陽子(桐島)、三女・明美(夢乃)からなる三姉妹の物語。富士子と陽子はおとなしく控へ目な性格で、陽子に至つては電車内で痴漢されても、挙句便所に連れ込まれ犯されたとて悲鳴ひとつ上げることさへ出来ないくらゐの、自閉症に毛を一本生やした程度のおとなしさである。対して明美は上二人の反動からか、すつかり捌け過ぎてしまつて、21にしてバツ2、しかも別れた旦那の下にはひとりづつ子供を残して来すらしてゐた。
 映画はそんな陽子があれやこれやを通して、自分がやりたいこと、して欲しいこととは一体何なのだらうと突き詰め始め、最後には富士子と二人電車に乗つた際、再び痴漢に遭ふと今度はキチンと止めて下さい、といへるやうになるまでを丁寧に描く。ピンクとしては随分と毛色の変つたテーマを扱つてはゐるが、通して実に丁寧に撮られてあり、非常に好感の持てる一作。
 達花和妃は、友達も居ない陽子に、職場で唯一話しかけて呉れるお局OLの富永規子。濡れ場はなし、要らないが。真央はじめは、まんま電車男なヴィジュアルの痴漢男。野上正義は富士子勤め先の社長であり、不倫相手でもある松下強。妻とは正式に離婚し、富士子に求婚する為山本家を訪れる。樹かずは最初か二番目かは判らないが、明美の前夫・宮下政弘。銀治はスイカ三号・江戸川、ではなく明美の三番目の夫、候補。


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 「美白教師 本番性感講習」(1999『新任美術教師 恥づかしい授業』の2006年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督・脚本:中村和愛/企画:稲山悌二/製作:奥村幸士/撮影監督:小山田勝治/編集:酒井正次/助監督:石川二郎/出演:小野美晴・村上ゆう・風間恭子・麻生みゅう・真央はじめ・成尾文敏・千葉尚之・樹かず・相原涼二、他)。伊藤正治、北沢幸雄と並び立つ“沈黙するエクセスの宝石”、中村和愛の新版公開である。
 “Welcome to the Waai Nakamura world.”、と映画は何時ものやうに開巻する。
 春乃桜(小野)が鏡に映した、自らの裸身を写生する。スーツに身を包むと、桜は初登校する。新任美術教師としての、桜のスタートの日であつた。校長の杉山誠治(相原)、人当たりの良い学年主任の宮崎一夫(真央)、見るからに堅物な指導教官の西田京子(村上)らと挨拶を済ませ、桜は自らの担任するクラスへと向かふ。緊張の中、初めて取る出欠。髪をオレンジ色に染めた都築秋雄(成尾)といふ不良生徒の顔を見た桜は、思はず息を呑む。都築は、かつての桜の恋人・小川久義(成尾文敏の二役)とそつくりであつたのだ。ただ桜と小川とは、すれ違つてしまつてゐた。うららかな春の日、小川は桜にいふ。「春の小川は、さらさら流れて行くんだな」。小川の、桜への別れ台詞だつた。小川が、春乃―桜―に、「春の小川は、さらさら流れて行くんだな」。・・・・中村和愛、正直ダサいなあ。気の利いた別れの場面のひとつも演出したかつたであらう、気負ひは常々通りの丁寧な演出からひしひしと感じられはするのだが、今風にいふとキングコングのボケの方とナインティナインの岡村を足して二で割つたやうな成尾文敏の、どう転んでもロマンティックからは縁薄い風貌も相俟つて、どうにも序盤から苦笑を禁じ得ない。
 苦笑を禁じ得ぬままに、今回自ら手掛けた脚本は終始迷走。都築とかつての別れてしまつた恋人との酷似は何処吹く風、桜は初登場シーンから男前フラグを立てまくる宮崎に、言ひ寄られるとコロリと付き合ひ始めてしまふ。そんな宮崎に、今度は以前から想ひを寄せてゐた事務員の赤平頼子(風間)が猛然とアプローチ。勿論頼子が宮崎に以前から想ひを寄せてゐるといふ伏線も、中村和愛は初めにキチンと敷設済みである。要はキチンとしてゐる分、最終的には余計に始末が悪いのだが。宿直室で頼子主導で強引にセックスする宮崎を、退任の挨拶に訪れた京子と、ついて来た桜とが目撃する。怒るでもなく、ただ笑ふばかりの桜。その夜、小川からは別の女との結婚を報せる写真入の葉書が届く。便りと、ずつと持つてゐた小川の昔の写真とを桜は燃やす。小川のことも、吹つ切れた。
 はてさて、そこから結局どうしたものかといふと。授業で生徒に描かせた、石膏像のデッサンに目を通してゐた桜は目を丸くする。百瀬武(千葉)といふ生徒が描いて提出してゐたのは、石膏デッサンでも何でもなく、桜の裸身であつたのだ。しかも百瀬が描いた桜の裸身は、桜自身が描いたものと全く同じであつた。この人は私の本質を見抜いてゐて呉れる、と桜は百瀬と結ばれる。
 一体何が描きたいのだかサッパリ判らない。移り気な一人の女が、男を次から次へと変へてゐるだけではないか。百瀬が桜に特別な視線を向けてゐることは、既に最初の出欠を取るシーンから重複的に伏線はキチンと張られてゐる。だからキチンとしてゐるだけに。中村和愛の丁寧な演出も撮影監督とクレッジットされる小山田勝治の画作りも共に、高々六十分のプログラム・ピクチャーといつて、決して忽せになどするものかといふ志が伝はつて来る丹念な仕事であるだけに、余計に脚本のへべれけさ加減が目についてしまふのだ。
 自身による桜の裸身デッサン―即ち劇中百瀬の手によるものと同一物―も、実際には誰の手によるものなのかは勿論判らぬが、絶対にこんな程度では高校の美術教師になどなれる筈がない、と爽やかな笑顔で断言出来るヘナチョコぶり。そんな下手糞な絵で、私の本質を見抜いて呉れたもへつたくれもあつたものではない。底の浅い女の痛さを嘲笑すべき映画だとでもいふのか、中村和愛が、さういふ屈折した仕事をする人だとは無論思へないが。
 意図的に順番を前後させたものだが、校内見回りをしてゐた桜は、堂々とするにも程があるが放課後の教室でセックスしてゐた、尾関秀子(麻生)と山内明彦(樹)を目撃する。宮崎との事と、当時は未だ吹つ切れずにゐた小川への想ひの中で揺れてゐた桜は、幸福さうな恋人の二人を「避妊だけはしなさいね」、と咎めずに見逃す。ところが、桜が立ち去つた後に偶々校外から戻つて来た京子に見付かり、二人は停学になる。お礼参りとばかりに山内は京子を強姦し、京子は高校を去る。去り際の京子は、申し訳なささうに見送りに来た桜に、かつて見せたことのないやうな穏やかで優しい表情を見せる。淫らにバイオレントであり、且つ徒に類型的な展開である。これが中村和愛の仕事でなければ一々目くじらを立てることもないのだが、焦点の定まらぬ迷走する脚本の中で、あくまで純粋なシークエンス単位そのものとしてはしつかりと撮られてゐるだけに、重ねていふが余計にいい加減さが目についてしまふのである。
 さういふ残念な映画の中で、個人的に唯一の収穫は校長・杉山役の相原涼二。事前に下調べしてゐた時点では全く見覚えもない名前ではあつたが、何のことはない。栗原良、あるいはリョウ、更に時にはジョージ川崎その人である。一体この人は、幾つ名義を使ひ分ければ気が済むのだ。ひよつとすると実は未だ見ぬ第五―以降―の名前が更に存在するのかも知れないと思ふと、それはそれとして新たな楽しみではある。
 その他出演者は生徒役。クレジットには一応名前も載るが、拾ひ切れなかつた。役名もない端役にも、下校時に「Mステ見る?」といつたディテールを彩る台詞がキチンと与へられる。さう、この人の映画は終始キチンとしてゐるのだ。それだけに、自脚本の不出来が重ね重ね残念なのである。

 “Thank you for your having seen this Film.”と、映画は矢張り何時ものやうに幕を閉ぢる。


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 「美人女将の性欲 恥さらしのパンティー」(1997『美人女将のナマ足 奥までしたたる』の2005年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:中村和愛/脚本:武田浩介/企画:稲山悌二・奥田幸一/撮影:小山田勝治/照明:津田道典/編集:酒井正次/音楽:鳥井一広/助監督:西垣孝誠/出演:須藤あゆみ・麻生みゅう・泉由紀子・速水健二・真央はじめ・山内よしのり・平賀勘一)。
 東京近郊の温泉旅館に嫁いだ持田奈津子(須藤)は夫の一男(速水)、義妹の夢子(麻生)と共に、女将として旅館を切り盛りする。昼下がり、夢子が買ひ物に出た隙を見計らつて、一男は帳簿付けをしてゐる奈津子に昼間からにじり寄る。二人がいよいよ事に及ばうかとしたところに、たて続けに数組の客が来訪。客は皆、どういふ訳だか奈津子と過去に縁、乃至は因縁のあつた者ばかりであつた。
 一組目の客は、奈津子が大学時代に初めて付き合つた小谷拓也(真央)。山男で、山で足を怪我してしまつてゐた。医者からはもう歩ける筈だとは言はれてゐたが、本人は未だどうしても歩けずにをり、温泉には、足の湯治に訪れたものだつた。奈津子が小谷を部屋に通し、序に一発致してしまつた後、再び一男が改めて奈津子を求めたところに、次の客が現れる。二組目の客は、奈津子がOL時代に不倫してゐた先原貴司(山内)。奈津子が部下に居た時代は絶好調の先原ではあつたが、現在では会社にリストラされ、妻とも離婚。慰謝料だ何だで経済的にも困窮し、奈津子に金を無心しに来たものだつた。が、その実は然し。先原は拒む奈津子を暴力的に犯さうとするも、果たせない。それは、奈津子の抵抗を受けたからではない。あれやこれやで追ひ詰められ、先原は不能になつてしまつてゐたのだ。実のところ先原は、先原は先原で温泉に不能の湯治に訪れたものだつた、ここの温泉の効能は万能なのか。三組目の客は、市村正子(泉)と藤木史郎(平賀)。正子は先原の前妻で、藤木は過去に夢子を泣かせたスケコマシ。別に藤木は、ハゲの湯治にやつて来たものではない。
 世間が狭過ぎる御都合主義やところどころの無理からな展開は兎も角、唐突に張られた伏線ながら最終的にはピシャリと見事に決まり、それぞれのピースが、それぞれの然るべきところにカッチリ納まる手堅い佳品である。他愛もない人情喜劇、などといふこと勿れ。作家性だのオリジナリティーなんぞといふものは、乱暴な物言ひをしてしまへば手前勝手に我流を通せば何とかなる。結果として功を奏せずとも、そこまで含めての作家性でありオリジナリティーである、だなどと強弁することすら出来よう。が、オーソドキシーはさうは行かない。結果が過去の集積に合致してゐなければ、決して正統たり得ない。即ち、逃げ場が無いのである、確実な技術に拠る他はない。当たり前のものを当たり前のやうに撮ることは、実はさうさう当たり前のことではないのである。ここは素直に、過去の非を改める。小生は以前には、中村和愛といふ監督を決して評価はしてゐないものであつたが、それはどうやら、些かならず映画の観方が若かつたやうだ。昨年の暮れに観た「極楽痴漢電車 ぬれぬれエクスタシー」(1999/旧題:『痴漢電車 指が止まらない』)も同様、中村和愛は、決して一本のピンクを、たかだか尺も六十分の商業ポルノを断じて疎かにはしない。一本のピンクに誠を尽くすその姿勢は、仮に後世に残りはしなくとも、その志は何よりも高く、尊いと評価するものである。
 主演の須藤あゆみ。鮮やかなピンク色の乳首が、スクリーンに素晴らしく映える。芝居の方は世辞にも褒められたレベルのものではないが、それもこれも全部構はない、乳首に免じて許す   >最早このバカ何をいつてゐやがるのかまるで判らない
 ピンク映画には当然衣装などといふものは通常存在せず、役者も手持ちの衣装を着てゐたりするものであるが、泉由紀子の、襟元のカットの仕方が特徴的なグレーのスーツを見るのは何本目だらう?少なくとも三本か四本は、別々の映画で同じ服を着た泉由紀子を観てゐるやうな気がする。余程お気に入りの服なのか、単に画期的に衣装を持たない女なのか。
 助監督の西垣孝誠といふ人は、ピンクでは後にもう一本で助監督を務めてゐるだけである(調べてみると、他に実写ゲーの助監督が更に一本だけ出て来た)。その一本といふのは、ピンク版「真夜中のカウボーイ」こと、「髪結い未亡人 むさぼる快楽」(1999/監督:友松直之/脚本:友松直之・大河原ちさと/脚本協力:森本邦郎/2002年に『愛染恭子 むさぼる未亡人』と改題/主演:野上正義・久保信二)である。

 中村和愛の映画は毎回黒地に白文字で“Welcome to the Waai Nakamura world.”と幕を開け、最後は“Thank you for your having seen this Film.”と締め括る。今回も始まりは何時も通りであつたが、最後は平仮名で大きく“えんど”と終る。


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