真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「悶絶本番 ぶちこむ」(1995 冬/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/製作協力:アウトキャストプロデュース/監督:サトウトシキ/脚本:立花信次/企画:朝倉大介/プロデューサー:岩田治樹⦅アウトキャスト・プロデュース⦆/撮影:小西泰正/照明:櫻井雅章/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/音楽:E.tone/美術:タケ/助監督:女池充/監督助手:戸部美奈子・坂本礼/撮影助手:高橋秀明/照明助手:加藤義明・加藤賢也/制作進行:藤川佳三・根本泰成・広瀬寛巳/現像:東映化学/タイミング:永沢幸治/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/タイトル:道川昭/スチール:スタジオ601/協力:上野俊哉、中野貴雄、福島佳紀、田中昭二、丹治史彦、菅数浩、石田章、河野恒彦、橋場一男、古川和弘、スノビッシュ・プロダクツ、タオ・コミュニケーションズ、無人駅/詩引用:福間健二『トラブル』『むかうみず』より/出演:本多菊雄・南口るみね・葉月螢・吉行由美・飯田孝男・今泉浩一・上田和弘・伊藤猛・細谷隆広・立花信次・岩元がんこ・牧田泰子・田中要次)。出演もしてゐる脚本の立花信次は、福間健二の変名。出演もしてゐるといふか、出演してしまつた更には出やがつたといふか。
 タイトル開巻、失業中の池山修司(本多)がイントロによつて配偶者と同棲相手の二説分かれる、兎も角一緒に住んではゐる麻紀に、旧友と再会したゆゑ遅くなる旨電話を入れる。本当は呼び出した、前職の同僚・ルミコかユミコ(吉行)のオープンカーに乗り込む。福島出身である吉行由美(大体ex.吉行由美で吉行由実)の、他愛ない似非関西弁に躓きを覚えるのは否み難い。さて措き印刷会社勤めにしては、妙に高いユミコかルミコの生活水準について修司も疑問を呈しこそすれ、結局語らずに済ます、一体何だつたんだろ。坂崎麻紀(南口)と暮らす緑荘に帰宅した修司に、麻紀はハムラビ式の浮気を公言する。
 配役残り、田中要次が麻紀の火遊び相手に修司が名前を挙げる、修司の親友で麻紀に気のある野川シゲオ。一級建築士、かつ詩人とかいふ何気にへべれけなハイスペック。『現代詩手帖』等々の並ぶ、シゲオ宅―多分実際には福間健二宅―の面倒臭い本棚を舐めるなら舐めるで、もう少し書名が満足に見えるやう舐めればとは思ふ。不必要に、やきもきさせるか煙に巻いてどうするの。麻紀が繰り出した繁華街、細谷隆広が麻紀を買はなかつた男で、今泉浩一が麻紀を買ふ男。葉月螢と上田和弘は、出奔した修司が電車で乗り合はせる、“笑はない女”―といふキー造形は正直伝はり辛い―の中村佐知子と佐知子を口説く、ドラ倅臭漂はせる輩。凄まじく不自然か無防備なロケーションでカーセックロスに励む、上田和弘の―案外ショボい―車の傍らを修司が通りがかる。殴りかゝつて来た上和を返り討つた流れで、修司と佐知子が偶さか接近。「何してる人ですか?」、「仕事探してる人」。そんな棚牡丹会話を通して、修司は最低でも佐知子の実家が営む「中村印刷」に拾はれる。映画の世界は無職に優しい、しかも無宿の。腐れ現し世がクソ優しくない以上、軽く底が抜けてゐるくらゐで寧ろちやうどいゝのか、この期に及んで正しい匙加減に辿り着いた。飯田孝男は中村印刷のネームド従業員・木村、画面奥にもう一人見切れるのは知らん。修司が姿を消したのち、麻紀はシゲオのマンションに転がり込む。その後通算二度目で消えた麻紀を追ひ、シゲオと修司は前回失踪時麻紀が見つかつた、地元である横浜に。伊藤猛は、二人と交錯するために交錯する、一幕どころかワンカット・アンド・アウェイの強面。火を噴く、わざわざ横浜まで連れて行つたのに感。岩元がんこは喫茶スナック「無人駅」のママ、麻紀の知己。「ライク・ア・ローリング・ストーンつて知つてる?」、悶絶必至の恥づかしさで飛び込んで来る、立花信次は茶も濁し損なふ御仁、間抜けすぎて吃驚した。最後に牧田泰子は、麻紀と別れたシゲオの車に乗る、覚束なく遠くに行きたガール。
 所詮は配信動画ながら35mmでなく、どうも16mmの画に映りググッてみたところ。昨年の上映イベントに際し新東宝が使つたプリントが、現に16mmであつたりもするサトウトシキ第十五作で国映大戦第五十八戦。ピンク上映館に16の映写機を望めもせず、少なくとも1995年当時は、普通に35のプリントが津々浦々を巡つてゐたのではなからうか。ところで“ぶちこむ”映画が、確認出来る限り全部ピンクで計四作。一本目が稲生実(=深町章)の「ぶちこむ!」(昭和52)で、雨垂れをトッ払つた二本目が市村譲の「ぶちこむ」(昭和60/脚本:夢野春雄)。ぞんざいな公開題が、市村譲にはよく似合ふ。三本目が今作、そして現状最後にぶちこんだ四本目が再び深町章の、2005年第五作「セクシー剣法 一本ぶちこむ」(主演:吉沢明歩)。なほ終止形でなくとも、本数はさほど増えない模様。
 漫然と漂泊する本多菊雄(a.k.a.本多菊次朗/a.k.a.吉田春兎etc.)を、美しいほどカッコよく捉へるショットに全てを賭けたやうな一作。の割に間を取つてリュミコ―何だそれ―の半ば露悪的なキャラクターが気にならなければ、女の乳尻も満更でもなく愉しませる。転がり続ける修司を、田中要次が持ち前の頑丈な安定感で的確に援護、「お前とは暫く会ひたくない」の切れ味には痺れた。「俺は間違つてるか!?」とシゲオに問ふた修司が「間違つてるな」と自己完結した上で、「でももの凄く間違つてる訳ぢやないだろ?」。『むかうみず』―表題とも原文は珍かな―の一節をそのまゝ台詞に採用した、主モチーフを直撃させるクライマックスは見事にエモーショナル。そ、れだけに。改めて際立つのは、のこのこ腹か頭を抱へさせに来た福間健二の蛇に足を生やしぶり。いつそ修司とシゲオの別れで映画を綺麗に畳む、フィニッシュの選択もあつたのではなからうか。

 前貼りは使つてゐないと流石に撮影が成立しない、後方に建物を望むロケーションで、カメラが全裸―風―の本多菊雄をぐるぐる周回する。幾多の小屋から端折られたにさうゐない、木に竹を接ぐオーラスが商業―の筈の―映画を徒に濁らせる、履き違へた作家性的にはグルッと一周して完璧。これが薔薇族なら、素直にひとつのエクストラ見せ場たり得たのかも知れないけれど。


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