真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「未亡人教授 白い肌の淫らな夜」(2004/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:小泉剛/プロデューサー:榎本敏郎/企画:福俵満/撮影:田宮健彦/美術:小島伸介/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/助監督:松本唯史/音楽:鈴木ミワ/撮影助手:橋本彩子・原伸也/監督助手:岩越留美・菅原洋彦/協力:今岡真治・上井勉・坂本礼・立花義遼・堀禎一・森元修一/出演:佐々木麻由子・谷川彩・北川明花・伊藤猛・大槻修治・川口篤・松重伴武)。>鈴木ミワの次にスチールが元永斉
 原チャリを転がす、革ジャンと細身のジーンズに赤く派手なスニーカーを合はせ、髪は染めた短髪といふ判り易い格好のパンクス。「16の時にサリンジャーを読んだ、クソだと思つた」、「あんなのが永遠の青春文学と呼ばれてゐるなんて、馬鹿げてゐるとしか思へなかつた」。「アイ・ゲット・アラウド」、「僕には矢鱈と走り回ることしか出来なかつた」。特に冒頭のサリンジャーの件は、当時観客の脳裏にある意味、といふか別の意味で刻み込まれはした主人公のモノローグ。その限りに於いて、正確にいふとその限りに於いてのみの仕事を果たしたとはいへる、今岡信治や榎本敏郎らの助監督を務めて来た小泉剛のデビュー作である。榎本敏郎の名は今作のプロデューサーとしても見られるが、自分の映画でもああいふ人なので、出来上がりといふ逃げ場のない結果論からいふと、勿論といふかまあ特段満足に機能してゐる訳ではない。
 十九歳の松沢時男(松重)は高校卒業後もモラトリアムに目的を見付けられずに、徒にロック・スターに憧れながら実家の酒屋を手伝つたり手伝はなかつたりしてゐた。御用聞きとして得意先の、未亡人でアメリカ文学教授の間野綾子(佐々木)の娘・宏江(谷川)とは、時男は高校時代付き合つてゐた。東京に進学してゐた宏江が、冬休みにも未だ早いのに電話一本の前触れのみで不意に帰つて来る。
 サリンジャー云々に関しては死んだ映画に鞭打つのもアレなので等閑視すると、デビュー作を捕まへて手厳しいやうな気もするが、いきなりちぐはぐが連発される。部屋でペーパーバックを手にする時男、カット変るとペーパーバックが並ぶ本棚。時男の本棚かと思ひきや、そこは宏江宅で更に時男と宏江は制服姿。何の断りもなく高校時代の回想か、時制の移動がへべれけだ。一旦さて措き始まつた濡れ場を通り過ぎたところで、二人は急に慌て出す、帰宅した綾子が自室に入つて来たのだ。何でわざわざ母親の部屋でセクロスしなければいけないのかといふ以前に、例へば車のドア音だとか、綾子の帰宅を観客に示す情報を一切欠く辺りにも重ねて唖然とさせられる。言ひ逃れに時男が綾子からペーパーバックを借りあたふたしながらも、カットの変り際宏江は後ろ手に破瓜の血に汚れた下着を時男に手渡す。後々のその下着の破天荒な機能のさせ方も兎も角、そもそもそんなもの渡されても困ると思ふのだが。といふか、ひとつのシークエンスにツッコミ処が多過ぎる。
 北川明花は時男の今カノ・大塚紀子、大槻修治は時男の父親・正雄。伊藤猛は、夫と死別後再婚もせずにゐる綾子の不倫相手・志村次郎。綾子と志村の別れ、といふか綾子が事後惰弱な志村に臍を曲げる件は、今作中唯一十全に描かれてある一幕か。川口篤は時男に容赦ない時の流れを束の間実感させる、親友のたつちやん。
 宏江が帰つて来たところで、何故か焼けぼつくひに火は点かず時男と綾子が歳の差カップルになつてしまふてんで意味不明な展開を経て、一旦心に開いた空白は、他の何物か何者かでは終ぞ埋められない。とかいふ主題は、無闇に饒舌に語られる割には、余程語り口が悪いのか、あまり伝はつては来ない。加へて映画も畳み際に、バタバタと時男の独白のみによつて語られるその空白の未来への展望、乃至は生の充足への転化に至つては、展開の持つて行き方としては判らぬでもないが、メッセージとしてはまるで理解不能。要は独りよがり、さう片付けてしまへば正しくそれまでの、それはそれとして如何にもデビュー作然としたデビュー作ではある。
 結局少女への回帰を果たしたとか何とか称して、社会的にはドロップアウトしたに過ぎない綾子。少女に戻つた母と肩を並べ、何となく誤魔化されたやうな雰囲気ながら、実のところは放置されたに等しい宏江。要は宏江は時男と綾子の意味不明の物語の具に、駆り出された可哀相なギミックに過ぎない。主要登場人物三人の人生が何れも劇中世界のみに於いてすら満足に定着しない中、宏江の扱ひが最もいい加減であらう。目糞と鼻糞の比較でしかない、といふならばそれこそ実も蓋もないが。そして問題は時男の、冒頭同様明後日の方向でのみ観客の記憶に残るラスト・シーン。そこに至るまで寝るか小屋を出てしまはずにゐられれば、の話だが。酒屋も放たらかしに、何処かへと時男はヒッチハイクに立つ。行き先と思しきスケッチブックに書かれてゐたのは“TOMORROW”・・・・惜しいね。正しくは、もう1カット足りない。フレーム外から飛び込んで来たマンガのやうなデコトラに時男が轢き殺されるか、同じくデスレース2000ばりのスーパー殺人マシーンに撥ね飛ばされた時男が即死するショットである。
 頭と尻で壮絶に仕出かした珍作、さう捉へるのが今作に対する、最も温かい接し方であるやうに思へる。余程仕出かしてしまつたといふことなのか、本作公開後小泉剛はエクセスで助監督を数作務めた後、翌年以降にその名前は恐らく見当たらない。これで干されたといふのなら、もつと抹殺して欲しい名前は他にもあるけどな。

 何度か繰り返されてゐる筈なので殆ど印象にも残らない、佐々木麻由子の一旦引退後の復帰作といふ点に関しては、正直個人的には特に好きな女優といふ訳でもないのでさて措く。それよりも今作が史的により重要なのは、それまで比留間明花名義でいはゆる地下アイドル活動を展開してゐた北川明花の、本名での裸仕事デビュー作であるといふ点である。今作に於いては、十八番のアクロバットは一切見られないが。
 最後に瑣末。三人で呑気に葡萄狩りの最中、時男が綾子の葡萄を食べ戯れてゐたりする隙に宏江は倒れてしまふ。身籠つた不倫相手の子を、強いストレスの果てに切迫流産してしまつたといふのだ。病院の廊下、綾子と時男が不安げに座る長椅子の傍らには、どうでもいいが灰皿が。三年前とはいへ今時の病院の廊下に、灰皿はなからう。


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 「喪服不倫 黒足袋婦人」(2005/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督・脚本:山内大輔/企画:稲山悌二/プロデューサー:五代俊介/撮影:鏡早智/照明:野田友行/助監督:加藤義一/監督助手:絹張寛征/撮影助手:池田直矢/照明助手:吉田雄三/スチール:阿部真也/衣装:山田久美子/選曲:メンタルBros./タイトル:はなちゃんず/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:川原絵梨香・矢藤あき・瀬戸恵子・たんぽぽおさむ・柳之内たくま・柳東史)。
 兄・肇(たんぽぽ)宅にて親爺の法事だといふのに、隆史(柳)は妻・澪(川原)の喪服姿に思はず欲情し一戦交へる。案の定事の最中兄貴から、「何やつてるんだ?もう直ぐお経が終つちまふぞ!」なんて電話がかゝつて来る。澪の黒足袋に隆史が注意を留めると、澪いはく「黒い足袋を履く女は、一生男に困らない」とかいふ言伝へがあるといふ。本来ならば慶弔問はず礼服には、白足袋以外はNGの筈なのだけれど。
 とまれ肇宅、肇の家族は妻・美紗子(瀬戸)と、息子の雅樹(柳之内)。秘かに雅樹は、美しい義理の叔母に対し劣情を抱いてゐた。隆史は仕事と称して早々と兄宅を辞し、遅れて帰途に就く澪を、ゴルフの打ち放しに出掛けがてらに肇が送つて行くといふ。澪を脳裏に部屋で独り悶々とする雅樹は、彼女・ユキ(矢藤)に電話をかけるも出ない。その頃ユキは、何と隆史と不倫の真最中であつた。一方澪と肇も、以前より関係を続けてゐたりなんかする。とかいふ次第で交錯する一組の夫婦と一組の兄家族と更に一人の女とが、文字通り挿しつ挿されつの肉弾戦を華麗に繰り広げるジェット・ストリーム・ピンクである。ザクッと整理すると、柳東史は川原絵梨香・矢藤あき・瀬戸恵子の三冠達成、柳之内たくまは川原絵梨香・矢藤あきの二冠、たんぽぽおさむは対川原絵里香戦のみ。といふと、えてして御機嫌な劇中世間の狭さがスパークするばかりの、平板な凡作に堕してしまひがちではあれ、細部を疎かにしない配慮深い演出と、妙に充実したそれぞれの対戦に於ける事の最中の会話の多彩さとにより、思ひのほか映画の手応へとしてはしつかりしてゐる。結局誇張ではなくほぼ全篇は濡れ場にて占められ、決して明確な主題が語られるでなければ鮮やかな展開に括目させられる訳でもないものの、申し分ない量と、さりげなく質も兼ね備へた矢張り商業ピンクの佳篇。因みに前々更新にて採り上げた「義母かあさんと半熟息子」とは、当時同日に封切られてもゐる。繰り返すが当サイトが知つてゐるピンク映画とは、これらの映画を指す。敢て注文をつけるならば濡れ場のシチュエーション、対戦内容ともに、数をこなしてゐる分変化不足が若干感じられもする辺りか。後ひとつ、肇が澪を送つて行く、といふ要は澪と二人で家を出る方便にゴルフの打ち放しを持ち出す件。ジェントルマンではない小生は勿論ゴルフなど嗜まないのでよく判らないのだが、その際に肇いはく「2ラウンドくらゐ回つちやはふかなあ♪」。ゴルフの打ち放しとは、ラウンド換算するものなのか?単に何十球、何百球といふ考へ方しかしないやうな気がする。とはいへ、のちに隆史を家に呼び出しての、休日に肇がゴルフの打ち放しに行く日が実は不倫の逢瀬の日、なる法則性に美紗子は既に気づいてゐた、といふ展開は秀逸。澪を送る肇が家を出て行く際の美紗子の殊更に暗い表情と、美紗子に私もゴルフに連れて行つて呉れと話を向けられた肇の、マンガのやうなオーバーアクトの狼狽ぶりがこゝで活きて来る。これは一例にしか過ぎず、かうして積み重ねられたひとつひとつの論理性が、実のところは絡み絡みの連なりに過ぎない全篇に、女の裸といふ原初的で半ば平板な満足を超えた、一本の劇映画としての分厚さなり立体感を与へる。ソリッドな名がよく体を表した、細部に本質を宿した良作である。
 ラストは今度は母親の法事だといふので、肇からの電話まで含め開巻がリピートされる。喪服を着させての絡みの呼び水として人死に、しかも家族のを持ち出すといふのも随分にあんまりな話ではある。さうはいへ、よくよく考へてみるならば、人生なんて、そのくらゐでちやうどいいのかも知れない。

 どうでもよかないが新日本映像―エクセス母体―公式サイト内、作品リストの今作の項目には、◆ストーリー◆のところに全く別の映画のコピペが堂々と貼られてゐる。エクセス公式は結構これをやらかすから、映画の中身を予習復習しようとしても出来なかつたりするんだよな、何とかして欲しい。


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 「美人乳母 襖の奥の…白い肌」(2005/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:鏡早智/照明:野田友行/編集:フィルム・クラフト/録音:シネキャビン/音楽:中目黒合唱団/助監督:羽生研司/撮影助手:池田直矢/照明助手:吉田雄三/監督助手:前野耕佑/スチール:阿部直哉/撮影協力:カプリ/現像:東映ラボ・テック/出演:長崎玲奈・河島杏里・瀬戸恵子・柳之内たくま・成田渡・藤木誠人・吉田祐健)。
 配偶者のマザコンに手を焼き、離婚した菅原さくら(長崎)は五ヶ月になる乳飲み子・ミキオの親権は係争中で、ひとまづ実家に預け、母子の生活を成り立たせるべく求職中。も、なかなか見つからず頭を抱へてゐる。一方、さくらの教師時代の同僚・鹿島千代(瀬戸)は、現在は皆良(みなよし)家庭教師センター(以下皆良)を経営。繁盛してはゐたものの、教官が千代と中井雛子(河島)の二人しかをらず、こちらも頭と、くたびれ果てた体とを抱へてゐた。そこで千代は仕事を探してゐる筈のさくらに話を持ちかけ、渡りに舟とさくらは皆良で働き始める。苛烈な同業他社との競争を勝ち抜くために皆良が掲げたモットーとは、「母親のやうに接し、癒し、勉強に集中させる」。要はさういふ方便で、過激通り越して豪快に違法な本番肉弾授業を繰り広げてゐた、とかいふ幾らピンクとはいへ底を抜くにもほどがある物語である。未婚の千代や雛子に対し、授乳期間のど真ん中にさへあるさくらは正にこの職にうつてつけ、だなどといはれてしまへば、ガックリと首の骨も折れんばかりの勢ひで頭を垂れるほかない。といふか、岡輝男なら何でも許されるなんて思ふなよ。
 主演の長崎玲奈、当サイト的にはそこに触れる琴線の持ち合はせはないものだが、実際にバッリバリの授乳期間中にある。乳輪を押し摘めばピューピューと、まるで水芸かスプリンクラーでもあるかの如く母乳が噴き出す。ジャンルでいふところの噴乳、の王道を全速力で驀進する。それももう、王道なのだか横道なのだかよく判らない。絶え間なく母乳を噴いて呉れるのは構はないが、ルックスはといふと、薩摩揚げに海苔と胡麻で適当に目鼻口を描いたかのやうな、どうにもギャグマンガのモブキャラじみた顔立ちをしてゐる。口跡の方も冗談なのか、アフレコは佐々木基子がアテてゐる風に聞こえたが、そこのところは微妙に自信が持てず。
 といふ次第でびしびしばしばしらんらん噴かれる母乳の開き直つた一点突破で、残りは延々延々延々底の抜けた濡れ場濡れ場を連ね倒すのみの一作。これで長崎玲奈にもう少し十全な容姿が具はつてゐたならば、全体的な印象も全く異なつたものになつて、ゐた、かも知れない、もしかすると。脇を固めるのが瀬戸恵子に、佐倉麻美を15kgばかり増量したやうなエクセスライク二番手といふのも矢張り弱い。何はともあれ噴乳さへ拝めれば御飯何杯でもイケる筋金入りの御仁以外には、戯れにもお薦め出来ないといつてはそれこそ実も蓋もない。
 藤木誠人はさくらが皆良を見学してゐる際に、雛子が担当してゐた谷村健作。成田渡は、さくらが初めて受け持つ川島拓海。どうでもよかないが私立医大を受験するのに、数学が一次方程式といふのはあんまりだろ、何処の中学校のドリルか。こゝまでは脆弱な員数稼ぎで、柳之内たくまと吉田祐健が男優部のメイン。幼少時に母を亡くし母親といふ存在を知らない河合幹生と、幹生の父親で弁護士の慎太郎。
 徒に乳を噴くばかりで中身は希薄などころか全くないながらに、幹生らとの関りの中で考へを改めたさくらが、慎太郎の尽力で抱へてゐた事情を万事解決。一方千代と雛子は、さくらに憧れ産めや増やせやの殖産思想に開眼する。といふ結末はいゝ加減かつ大概な力技にせよ、一応映画をそれなりに畳んでみせた点に関しては評価したい。

 新日本映像(エクセス母体)公式によると。撮影中スタッフが「子供の分は大丈夫?」と心配すると、「子供が吸へば、また出ます」(長崎玲奈談)とのこと。はあ、さうですか、とでもしか最早いひやうもない。げに偉大なる母性、だなどと無理矢理に纏めてみせろ   >投げやりか

 再見に際しての付記< 主演女優は間違ひなく佐々木基子のアテレコ、今なら断言出来る   >何時なんだ


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 「義母かあさんと半熟息子」(2005/制作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:下元哲/脚本:周知安/企画:稲山悌二・奥田幸一/撮影:小山田勝治/照明:代田橋男/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/制作担当:榎本靖/助監督:加藤義一/監督助手:髙田宝重/撮影助手:梶野考/撮影助手:中村拓/録音:シネキャビン/協力:報映産業、東映ラボ・テック/出演:出雲千尋・里見瑶瑤子・持田さつき・佐藤広佳・なかみつせいじ)。出演者中、里見瑤子がポスターには里見瑶子。恐らく現像が脱けてゐる、間抜けなクレジットは本篇ママ。そして脚本の周知安は、片岡修二の変名。
 開巻、カンパニー・ロゴ時から何やら妖しげな薄つぺらいSEに乗せ、「アァ~、オォ~」と尋常ならざる嬌声が劇伴代りに木魂する。何事かといふと、浪人生の倉田雄一(佐藤)が受験勉強もそつちのけに、勉強机の傍らに置かれたテレビで洋ピンにうつゝを抜かす、渋い浪人生だ。そこに、若く魅惑的な義母・由美子(出雲)がお茶なんか持つて来て呉れる。勉強の中身を覗き込む、由美子の悩まし過ぎる胸の谷間にカメラが寄ると、雄一はこの上なく判り易くドギマギする。オープニング・シークエンスとしては、完璧の向かう側まで完成されてゐるといはざるを得ない。量産型裸映画といふのは、かういふものを指すのだと思ふ。
 典型的な家父長制父親像を独走する―単に独りで走る、の意―武志(なかみつ)の後妻として由美子は結婚、家族は他に、新しい母親として家庭に現れたさして齢も違はない由美子に対し、母とは認めず激しい敵意を顕にする雄一の姉・涼子(里見)。
 主演の出雲千尋、遠くからキョトンとこちらを見やるやうな、いはゆる小動物系の可愛らしいルックスながら、同時に成熟した大人の色香も漂はせ、肉感的な肢体はもう、申し分ないとしかいひやうもない。主力装備が強力なピンク映画は、よしんばそのピンクといふ縛りを外したとて、それ以降余程舵取りを誤らぬ限り、その時点での勝利が半ば保障される。
 洋ピン好きといふ設定に恐ろしいまでに欠片も意味はないが、若く美しい義母に直線的な劣情を抱く弟。義母に向けられた顕な敵意は、弟への愛情と合ひ混ざりしばしば禁忌すら犯しかねない姉。家庭の全ては妻に任せきりで、自らは外に女を作りもする父親。十重二十重に取り囲まれた義母母さんがやがて半熟息子と一線を越えてしまふ物語は、実はさりげなく充実してゐる。ひとつひとつ積み上げられて行つたものが、終に峠を越える構成は何気に手堅い。映画の四番打者をガッチリ果たす出雲千尋に加へ、続く五番で、佐藤広佳は単に役柄に即してゐるといふだけで基本的には心許ない中、受けのキャラクターの出雲千尋も向かうに回し、展開の牽引役を着実な馬力を以てして堂々と果たす里見瑤子が逞しい。出雲千尋の強さはいはば素材としての強さにつき、技術論的には、真の勝因は里見瑤子に帰せられるのが相当であるのやも知れない。出雲千尋が銀幕から小屋中に放散するいやらしさも満点に、無駄に前に出て来るでなくとも、完成度の高い商業ピンクの佳篇である。実は登場人物の全てが、玄関先を除くと一歩も屋外に出でないといふ省力設計も清々しい。
 持田さつきは武志の浮気相手・吉岡良美。武志が家に帰れば出雲千尋がゐるにも関らず、何故持田さつきを外の女に作らなければならないのかといふ、至極全うな脊髄で折り返した疑問が解消されはしないのだが、武志から突かれる良美が、両の乳首を自ら摘み悶える演出ならぬ艶出は、地味に的確な一手と評価したい。論理的なプロフェッショナルの仕事といふのは、さういふ一手一手を積み重ねて行くものなのであらう。

 唯一の難点は、終に一線を越えるに至る導入で由美子が雄一らの母親が残した着物を着る件に於いて、着付けがあんまりなところくらゐ。良美との会話の中、武志が前妻とは死別した訳ではなく単に離婚したに過ぎない筈なので、となると、どうしてその女の着物が未だ家に残つてゐるのか?といふ疑問に関してはさて措く。一線を越えた由美子と雄一が、峠越えの力学に身を任せるまゝに、都合よく涼子も一人暮らしを始め家を出たところで二人きりの昼下がり、浴室にて恣な情交に溺れるラストは、ヤリたいやうにヤリ抜いてゐる感じが実に素晴らしい。オッパイを揉みたいから揉む、男根を咥へたいから咥へる。そこに描かれる情景をひとつの理想郷だなどといふてのけては、年の瀬にいゝ齢もして、些か呑気に過ぎるかしらん。
 雄一が、由美子の入る手洗ひに聞き耳をそばだてる一幕。排泄の喜悦を異常に尺もタップリ使ひ丹念に描くのが下元哲といふ人の持ち芸である点に、この期に及んで気づいた。


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 「いくつになつてもやりたい男と女」(2007/製作配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vパラダイス/監督:いまおかしんじ/脚本:谷口晃/原題:『たそがれ』/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/音楽:ピト/撮影:前井一作/助監督:大西一平/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/撮影助手:吉田明義・佐藤光・倉本光佑/監督助手:清水雅美・飯田佳秀/タイミング:安斎公一/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/協力:富岡邦彦・西尾孔志・石川二郎・柳田しゆ・小柳直美・プラザアンジェログループ/ロケ地協力:ホテルアンジェロベーゼ・九条OS劇場/出演:並木橋靖子、速水今日子、山田雅史、ブルー・エンジェル、高槻ゆみ、秋元えり、吉岡研治、小谷可南子、谷口勝彦、黒川愛、横田直寿、河村宏正、前川和夫、玉置稔、谷進一、デカルコ・マリィ、白水杏、横田雅則、二宮瑠美、西山未来、山下真由子、大橋基伸、平沢里菜子、福田善晴、高見国一、多賀勝一)。出演者中、秋元えりと黒川愛に白水杏、横田雅則から平沢里菜子までは本篇クレジットのみ。逆に森川信久と今岡洋子が、ポスターにのみ名前が載る。
 新東宝カンパニー・ロゴに続いて、“第3回月刊シナリオ ピンク映画シナリオ募集入選作品”である旨を謳ふクレジット。成程、さういふ塩梅か。手短に通り過ぎるが第二回入選作が「SEXマシン 卑猥な季節」(2005/監督:田尻裕司/脚本:守屋文男)、いまおかしんじ前作「絶倫絶女」(2006)も、脚本は守屋文雄。第二回の準入選は、「色情団地妻 ダブル失神」(2006/監督:堀禎一)の尾上史高。入選作「不倫団地 かなしいイロやねん」(2005/監督:堀禎一)は未見、「淫情 ~義母と三兄妹~」(2007/監督:坂本礼)のことは最早すつかり忘れてゐた。
 左官職人の鮒吉(多賀)は六十五歳、妻・智子(不明/纏めて後述)が全身を蝕む病に病床に就く一方、鮒吉は中学生のやうな、といふか中学の頃から変らない無邪気な性欲を保ち続ける。けふも買ひ物してゐるスーパーに居合はせた肉感的な女(不明)のスカートを、戯れに捲り大目玉を喰らふ。世間体を慮る娘(不明)から家に帰つて更に小言を貰ふも、孫のリョータ(不明)はそんな祖父に、自分もスカート捲りをすると理解を寄せる。鮒吉は、馴染みのスナックのママ・貴子(速水)とも男女の仲にあつた。鮒吉は中学の同窓会に出席、悪友の孝太郎(福田)・忠二(高見)らと石屋の夫婦のセックスを覗きに行つた昔話に花を咲かせる。そこへ遅れて、鮒吉の初恋の相手・和子(並木橋)が現れる。今も美しい和子に鮒吉は心をときめかせ、連絡先を渡す。鮒吉が智子を見舞ふと、智子は初めて隠語を口にし、夫に性器の愛撫を求める。戸惑ひを禁じ得ない鮒吉に対し、智子は穏やかな悦びの表情を浮かべる。ほどなく、智子は死ぬ。そんな折、鮒吉に和子から連絡が入る。夫と老親をともに喪つた和子は、息子夫婦に引き取られるやうな形で東京に越して行くとのこと。和子は鮒吉に、離れる前に伝へておきたいことがあるといふ。
 老いてなほ失はれぬ、あるいは甦つた心のときめきと、そしてそれを綺麗事だけで片付けない性の悦び。自身の闘病体験も作品中に盛り込んだといふ谷口晃は、新人ながら御歳何と六十六。実のところ当人にとつてしてみては正しく直面するリアルタイムの主題を、新人らしい愚直さすら以て描き抜いた姿勢はこの上なく明確で、尾上史高や守屋文男のやうに、徹頭徹尾何がしたいのだかさつぱり判らん、などといふ虚無は全くない、脚本のみを拾ひ上げれば実に清々しい一作である。一方逆にいふと展開の中に遊びがないゆゑ、飄々としつつもイマジネーションの翼を大らかに羽ばたかせる何時もの今岡調は、今回は申し訳程度散発的に見られるくらゐで概ね不発。
 その上で今作が真の傑作たり得るのを阻むのは、直截にいへば正しく文字通り最短距離での役不足。鮒吉役の多賀勝一は、芸暦だけ見ると四十年を超える大ベテランとはいへ、脇に置いておくには兎も角、佇まひ演技力とも、一本の映画を支へさせるにはどうにも弱い。一方和子役の並木橋靖子は、調べてみたところ主演作も数本見られるバリバリの現役五十代AV嬢。嬢、といふ歳でもなからうが。量産型八千草薫のレプリカの中華コピー、といつた程度の容姿は具へガッチガチの濡れ場もこなせる辺りは買ふべきなのかも知れないが、お芝居の方はこちらも世辞にも達者とはいひ難い。駒不足の上でどうにかかうにか戦ひ抜くだけの熟練は、少なくとも未だ今岡真治にはない。五十年前の回想パートに堂々と年寄りに学生服を着させ突入してのけるのは、よしんばユーモアのつもりであつたにせよ、真つ直ぐな脚本にはもつと真つ直ぐに、正攻法で取り組むべきではなかつたのかとも思はせる。わざわざ別の少年少女を連れて来る余裕などあるものか、といふならば。そもそもピンク映画のシナリオである以上、不可避のバジェット上の制約は当然に織り込んでおくべきであるまいか、ともいへる。そして正攻法に際して兎にも角にもまづ肝要とされるのは、逃げ場のない技術論である。
 タイトルを軽く検索に曝してみたところ、世評は総じて高いやうである。例によつて明けて二月からは、原題によるミニシアターでの公開も決まつてゐる。話を戻すと並木橋靖子の代りは確かに難しいが、多賀勝一のところは、たとへば野上正義で何故いけなかつたのか。意図的にさういふ線は外してゐるのであらうが、「たそがれ」として公開された今作が、ピンク映画のアイコンの如く取り扱はれることに対しては大いなる違和感も禁じ得ない。いつそのこと開き直つて仮にピンク監督の一般映画としてみても、同じく老いらくの性を主題とする作品としては、吉行和子とミッキー・カーチスが組んづ解れつの大濡れ場を展開してみせる訳では別にないにしても、浜野佐知の一般映画殴り込み第二作「百合祭」(2001)の方が出来は数段上であらう。更に加へて、ピンクの小屋の中でも悪い方の部類に入る駅前ロマンの上映環境を差し引いた上でも台詞が小さい、所々で殆ど全く聞こえない。単館での上映であれば問題ない音響設計であるとするならば、それこそ何をかいはんやといはざるを得ない。ここで年末のドサクサに紛れ筆を滑らす、当サイトが「たそがれ」に「をぢさん天国」(『絶倫絶女』原題)に感じる違和感は、たとへそれがためにする錯誤に対してのものであつたとて、我々はその錯誤の果てに、福岡オークラを喪つたのではなかつたらうか。いふまでもなくその違和感は、荒木太郎に対しても向けられる。

 主に関西方面の小劇団、自主映画勢を中心に、出演者は徒に多数。間違つても大きくはないスクリーン、加へてプロジェク太上映の劣悪な上映環境にも火に油を注がれ、確認あるいは特定出来ない部分が多い。「たそがれ」公式サイト内にある配役と照らし合はせて確認出来たのは、谷口勝彦が和子の息子・康介、康介の不細工な配偶者は不明。河村宏正は冒頭で鮒吉がスカート捲りを仕出かすスーパーの店長、前川和夫は、鮒吉が籍を置く工務店の専務、多分。玉置稔は鮒吉らの同級生・藤田、横田直寿は石屋の夫婦のセックスを覗きに行つた三馬鹿の下に後から合流すると、蚊帳を倒してその場を台無しにする出歯亀老人、もしかしてこの人のこと?谷進一は智子の担当医師、小谷可南子・吉岡研治・山田雅史・デカルコ・マリィがそれぞれ配役には勝子・孝夫・俊夫・親方とあるが、特定不能。
 意図的に最後に持つて来た高槻ゆみは、中学時代の鮒吉らが覗きに行く石屋の妻。この人は、関西ローカルのAVメーカーで仕事をしてゐる人のやうである。検索して出て来たパッケージ画像とは比べ物にならないほどに、引き気味の蚊帳越しから入る薄暗い画面とはいへ、匂ひたつ官能といひ少年らの心を撃ち抜いたにさうゐない美しさといひ正しく超絶。ここの撮影は、非常に威力のある仕事をしてゐる。対して鮒吉と和子が終に体を重ねる件は動きに欠け、展開的には積み上げられた末のシークエンスにしては、映画の最頂点としての決定力には欠ける。といふか要は、多賀勝一に絡みが全然出来ない以上仕方もない。だからガミさんを連れて来いとかいふおためごかしはさて措き、その淡々としたところが却つて良いのかも知れないが、ここは思ひ詰めたときめきを思ひ切つた映画的虚構で飛翔させて欲しかつたやうな思ひも、個人的には残すものである。
 ロケ地協力の九条OS劇場には、鮒吉の忌中祓ひに三人で女の裸を観に行く。


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 「不倫妻たちの週末」(2002/製作:杉の子プロダクション/提供:オーピー映画/監督・脚本・音楽:杉浦昭嘉/撮影:藤原千史/照明:吉田豊宏/編集:酒井正次/音楽:村田寿郎/助監督:小川隆史/撮影助手:長谷川卓也/ 照明助手:丸山和史/協力:女池充、他/出演:葉月螢・佐々木ユメカ・酒井あずさ・川瀬陽太・伊藤猛・深木勝・女池克弥・小川隆史)。出演者中、女池克弥は本篇クレジットのみで、他方小川隆史はポスターのみ。監督助手を拾ひ損ねる。
 河原に佇む斎藤宗雄(川瀬)は、父親が働いた不貞の相手方の旦那が、家に怒鳴り込んで来た幼少期の出来事を回想する。夜、床に就きながら書物を繙く宗雄を妨げ、妻・律子(葉月)の求めによる夜の営み。「抱つこ」、「うん」。抱くとそれでお仕舞といつた風情の宗雄に再び促し「チュー」、「うん」。更に促し「セックス」、「うん」。持つて回つたリズムで展開される濡れ場に、早速ジメジメとしたフラグが立つ。おかしいな、らしくないぜ。
 翌朝宗雄は、接待釣りと称して家を出る。宗雄が家を後にすると、律子は予め依頼してあつた探偵と連絡を取る。連絡を受けた川西探偵事務所所長・川西香織(酒井)は、部下の若い探偵(後述)に宗雄の尾行を指示。宗雄は山谷ルカ(佐々木)とW不倫の関係にあり、逢瀬の為に、安アパートの一室を借りてゐた。釣りを終へた宗雄が尾行にも気付かず先に部屋に入り一眠りしてゐたところ、ミルクのアイス・バー片手にルカが訪れる。アイス・バーを宗雄の口に突つ込み、ルカは尺八を吹き始める。すると宗雄は「口が冷たい」、「どつちが?」、「両方」。先に抱いた危惧が、半ば確信に変る。報告を受け宗雄の荷物の中から鍵を探し出した律子は、アパートを訪れてみる。部屋には、ビデオカメラがあつた。撮影された映像を律子が確認すると、部屋は元々、不倫の用に供する目的にではなく、宗雄が単なる休日の隠れ家として借りてゐた。偶々河原の風景にカメラを回す宗雄がその場に居合はせたルカに戯れにカメラを向け、気付かれたところから関係は始まつたものだつた。
 何故か、そこかしこの記載には竹本泰志と誤記されてゐる可哀相な深木勝は、川西探偵事務所の探偵・木田善郎。ホストにした、マンガ家のやくみつるのやうな顔をしてゐる、どんな面だ、主には酒井あずさの絡みの相手役を担当。伊藤猛はルカの夫・健一、伊藤猛?。
 ベテラン監督のルーチンワークと見紛ふ才気は欠片も感じられない作風ともいへ、あくまで個人的には奥底に穏当ながらも順当な映画的エモーションへの志向が看て取れる。といふのが、一ファンとしての杉浦昭嘉評ではある、のだが、今作は非常にらしくなく、頂けない。葉月螢はひとまづ措いておくにしても、佐々木ユメカ×川瀬陽太×伊藤猛。面子が揃つてゐると明示的なのか別に特にさうでもないのか微妙なところではありつつも、互ひの配偶者の不貞を期に奇妙に交錯する二組の夫婦の姿を、最短距離でいい加減に譬へると国映風味に面白可笑しく描、かうとした一作である。とはいへ、杉浦昭嘉といふ人にはソリッドといふ要素も映画の緊張度も凡そ皆無な為、一歩意図的に引いた、直線的な描写と展開とによつてではなく、いはば雰囲気で見せて行かうとする映画手法は、横好きあるいは余計な色気を出して採用したところで結実を果たすものではあるまい。妻の不貞を知り刃物を手にオフ・ビートに激昂する、伊藤猛が孕む狂気をまるで料理出来てゐない辺りに、杉浦昭嘉と今作の方法論との不釣合ひは最も判り易い形で表れてゐよう。初め一人秘密を握り、安アパートで自らの知らない夫のもうひとつの生活に触れてゐた律子は、やがて宗雄とルカの不倫に関する報告書を、山谷家の玄関新聞受けに投函する。最終的に対峙した二組の夫婦の問題は、呆れることに解決はおろか、一切処理すらされることもなく放置される。一応映画の締めは、といふか勿論実質的にはまるで締まつてゐないのだが、「何だか僕等は、ちよつと変な感じになつてしまつたけど」と、切り出される宗雄のモノローグに乗せられた律子と宗雄との夫婦生活。ああだかうだと同じ地点を行つたり来たりするばかりで、何処かへと着地する気など恐らくは初めからなからう宗雄の独白の果てに、エンド・マークは何と、恐ろしくも“?”。はてな?、ぢやねえよ!過てる方策に徒に漫然と転げ流れた映画は、最終的に度し難い不誠実を垂れ流す。映画を観てゐて、久し振りに本域で腹が立つた。村田寿郎の手によるものと併用される何時もの杉浦サウンドも、単にツボを外しただけでそこから何物へもの成就を果たした訳では全くない変格的で、挙句に不誠実な映画にあつてはまるで機能不全。アンニュイな色香を轟かせる酒井あずさの他には、一切取りつく島も見当たらない純然たる腹立たしい失敗作である。

 枝葉ではあるが、最後に未整理のまま残されてしまふのは。出演者中本篇クレジットにのみ名前の載る女池克弥と、逆にポスターにのみの小川隆史。一応、僅かとはいへ2カットそこそこの出番がある残る登場人物は、冒頭香織からの指示を受け、釣りに出かける宗雄の尾行を始める、若い探偵の松田クン。探偵だから松田なのか、さて措き。基本、ポスターと本篇クレジットとで齟齬が見られる場合本篇クレジットの方が当てになることが多いので、といふかピンクのポスターは堂々と当てにならないことがままあるので、松田クン役がさうなると女池充の徒な別名義(?)の女池克弥なのか。それとも、冒頭の回想と後にもう一度、宗雄に在りし日の自分の姿を想起させる風景の一部として、一人の男の子が出て来る。となると松田クンは小川隆史で、女池充の息子なり甥つ子かの女池克弥がその男児、といふ可能性もあり得る。
 と、一旦アップしたところで、それならばと女池充を画像検索してみたところ、松田クンが、矢張り女池充であつた。となると、断言し得るが小川隆史は劇中には登場しない、勿論竹本泰志も。
 ところで葉月螢の右膝裏に、あんな大きな黒子なんてあつたかな?


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 「かわいい妹 悩ましい妄想」(2003『妻の妹 いけない欲情』の2006年旧作改題版/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:図書紀芳/照明:岩崎豊/音楽:OK企画/助監督:加藤義一/撮影助手:吉田剛毅/監督助手:竹洞哲也/照明助手:石岡直人/出演:三上翔子・佐々木基子・加藤由香・石田あこ・竹本泰志・なかみつせいじ)。脚本の水谷一二三とは、小川欽也の変名。
 家では子作りモード全開の妻・実子(佐々木)がこれ見よがしに晩御飯に鰻を用意して待つ中、小山祐介(竹本)は社長室室長の佐伯由美(加藤)とホテルに居た。由美の誘ひを断ると会社に居られなくなつてしまふ為、渋々ながらに従つてゐたものだつた。実子が祐介の帰りを待つてゐると、妹の久永麻衣(三上)が不意に転がり込んで来る。麻衣は恋人の遠藤和夫(なかみつ)の家に同棲してゐたが、遠藤の浮気が発覚し、飛び出して来たのだ。
 さういふ次第で、急にスタートする妻以外の家族との共同生活。勿論その内妻は、同窓会だといふので家を空ける。瑞々しい義妹の肢体に、夫は思はず生唾を飲む・・・・何処かで似たやうな映画を観た既視感が唸りを上げるのは、決して私の気の所為ではあるまい。池袋高介は、今作の脚本に関して小川欽也から幾らか請求する権利を有してゐる筈だ。挙句に来訪者が転がり込んで来る原因といふのが、なかみつせいじの浮気といふところまで被つてゐる。簡略に片付けてしまへば、山咲小春>佐々木基子といふことで妻のヒットポイントは下回り、代りに南星良<三上翔子といふことで不意に来訪する家族―南星良は妻の姉の娘―のヒットポイントは上回る、それだけの差異があるのみである。もう少し補足するならば、由美は開巻に、遠藤は麻衣の回想に登場するのみで、麻衣・実子・祐介との重層的な連関は一切生じない分、残りは祐介と麻衣の濡れ場が、例によつて勿論祐介の妄想と夢オチとで堂々と恥づかし気もなく展開されるばかりで、物語の希薄さは今作の方が更に断然甚だしい。
 面取りを間違へた夏木マリのフィギュアのやうな石田あこ―それはどんな面相だ―は、遠藤の浮気相手・加藤彩。贅沢になかみつせいじも、対彩戦と対麻衣戦の都合二度登場するのみの、純然たる濡れ場要員である。わざわざなかみつせいじを連れて来ることも全くない、年齢のつり合ひ的にも兵頭未来洋で十分であらう。
 今作、小川欽也が繰り出す魔法は。風呂に浸かりながら、祐介は漫然と麻衣に想ひを馳せる。カメラの前を縦縞に虹色の布が右から左に横切ると、判り易くフォーカスを甘くした妄想パートに突入。歴史は意匠と方法論とを若干変へ繰り返されるだけではなく、時に停止してみせることもあるのか。それとも観客に伝へんとしてゐるところのものは実際に企図した通りに伝はつてゐるので、最早一々喰ひつく方が間違つてゐるのか。

 他にどうにも採り上げる点にも欠けるので、一々瑣末を叩いておくと。実子が同窓会へと出発する朝、麻衣も見送りに出る。駅出口からは遠く離れた地点で軽く立ち話。するとおもむろに遠くを見やつた麻衣は、発車しさうな電車に遅れると実子を促す。そこからホームが見えるのか、とかいふ以前に、よしんば見える角度にあつたとて、その距離から急いでも到底間に合ひはしないであらう。三日で撮り上げてしまはなくてはならないことは判るが、もう少し頭か気か、少なくともどちらかは使つて映画を作つて欲しい。
 祐介の夢オチパート中、麻衣は、出し抜けに縛つて責めて呉れることを求める。面喰ふ祐介の傍らに、糸を引くやうにフレーム外から垂れ落ちる赤ロープ。このカットは、タイミングといひ糸の引き具合といひ絶妙。加藤義一なのか竹洞哲也なのかは判らないが、助監督が抜群にいい仕事をしてゐる。


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 「四十路寮母 亀あさり」(1999『未亡人寮母 くはへてあげる!』の2007年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:大門通/脚本:有馬仟世/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文男/照明:藤塚正行/照明助手:小野弘文/編集:金子尚樹/助監督:羽生研司・細貝雅也・寺島亮/製作担当:真弓学/出演:神田いづみ・村上ゆう・佐々木基子・吉田祐健・山内健嗣・柳東史)。
 判り易く寝巻きの乳の部分をはだけ、美佐代(神田)が淫夢に悶える。裏返したビーチサンダルのやうな主演女優が、これで濡れ場に突入すると即物的ではありながらも濃厚な色気を放つ辺りは配役の妙か。若干寸は足らないとはいへ、肉づきの良い肢体も悪くはない、特に良くもないが。夢の内容は夫・修平(吉田)とのかつての夫婦生活。も、心臓の弱い修平は、賢明に夜な夜なの美佐代からの求めに応じやうとはするものの、終に無理が祟り事の最中に白目を剥くや口から泡を吹き悶死する。未亡人となつた美佐代は、修平の弟が経営する平成商事の男子独身寮寮母の座に納まると、社長の義姉といふ立場を利用し、若い寮生を肉奴隷の如く仕へさせてゐた。けふも夢から目覚めた後、女子禁制の独身寮の癖に何故かダブル・ベッドに寝てゐる古山俊幸(柳)の傍らに潜り込み、奉仕させる。翌朝の古山の食卓には、ニラタマ、山芋、更に生卵ジョッキと、精をつけるといふか、朝から体を壊しかねない壮絶な献立が並ぶ。美佐代に歯向かつたばかりに会社を追はれた者も多数、一方美佐代に取り入ることが出来れば社長の心証がよくなり出世コースに乗れることから、古山は苛烈な極楽だか地獄なのだかよく判らない日々を、ひたすらに耐へ忍ぶ。
 殆ど人を馬鹿にしたやうなプロットながら、これが最終的な映画の出来は意外なことに決して悪くない。カットの変り際数秒を小まめに手堅く押さへ、目新しいものでは全くなくとも流れるやうに展開を繋ぎ、なほかつ要所要所に伏線を的確に配置。悲喜こもごもの果てに登場人物の全てが然るべき納まり処に納まる。娯楽映画のお手本ともいふべき佳篇を、大門通はベテランの名に恥ぢぬ的確な手腕を発揮しさりげなくも鮮やかにモノにしてみせた。観流してしまへば観流してもしまへる一本ではあるが、なほのことプログラム・ピクチャーとしてのれつきとしたひとつの完成形。
 二役で吉田祐健は、古田が所属する総務課の課長・野々村。総務課に、名古屋支社から新井始(山内)が赴任して来る。後釜の登場にこれで漸く苦難の日々から解放されると、新井が戸惑ふ程喜ぶ古田と、古田の向かひの席に座る、古田の恋人・早苗(佐々木)はニンマリとほくそ笑む。新井が登場するや否や、重役から呼び出された野々村は、リストラを宣告される。度外れた好色に匙を投げた女房には逃げられたばかりの野々村は、重なる災難に頭を抱へる。村上ゆうは、名古屋から新井を追つて上京した恋人の友美。起:平成商事男子独身寮の概要。承:新井登場、古田から新井への美佐代性下僕のスイッチ。ここまでで物語の下拵へを十全にあつらへると、転にて友美登場。ここから大きく動き出す終盤は正しく磐石。どうでもいいやうな物語ながらに、鉄板の安定感を誇る。友美は新井の妹と偽り強引に独身寮に転がり込むも、結局美佐代の知るところとなり、激昂した美佐代の腰紐で友美は縛り上げられ、新井は恋人の目前で陵辱される。新井から独身寮の惨状を訴へられた野々村が捨て身の自爆覚悟で寮に乗り込むと、行過ぎた美佐代は女王様よろしく友美を虐げてゐたところだつた。何を考へてゐるのか、小箱を小脇に抱へ持参した秘密兵器のバイブを美佐代に突きつけると、野々村は「そんなにヤリたいなら、俺が相手だ!」と一喝。勝アカデミー五期卒業といふ経歴は伊達ではない、祐健の肝心要での突進力が映画世界の完成に寄与する。
 贅沢をいふと、オーラスに非濡れ場の大団円が設けてあればより一層映画の完成度が増したやうにも思はれるが、いい加減なプロットに結構ハチャメチャな展開を、堅実な演出で見事に纏め上げてみせた。一息に見させる始終は、観客に疑問を差し挟む余地を残させない。職人芸ともいふべき一作、あるいは逸品である。いい仕事を見せて貰つた、といふ感が強い。


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 「濡れやすい人妻 ド突かれる下半身」(1997『人妻の味 絶品下半身』の2007年旧作改題版/製作:シネマアーツ/提供:Xces Film/監督:中村和愛/原案:岩志歩美/脚本:五代暁子/企画:稲山悌二/プロデューサー:奥田幸一/撮影:小山田勝治/照明:津田道典/編集:酒井正次/写真:倉繁利/音楽:鳥井一広/助監督:西村和明/監督助手:石川二郎・佐々木直也/撮影助手:新井毅・木村信也/照明助手:倉橋靖/協力:シーズグループ・㈲ライトブレーン・大西裕/出演:羽鳥さやか・風間恭子・真央はじめ・青木こずえ・原美波・ジョージ川崎・樹かず)。
 “WELCOME TO THE NAKAMURA WAAI WORLD.”と大文字開巻、ラブホテルでの吉岡治子(羽鳥)と、児玉雄一郎(ジョージ川崎=リョウ=栗原良=相原涼二)の不倫の逢瀬。ルックス・演技力共に伴はぬ主演女優に、いきなり映画に暗雲が立ち込める。羽鳥さやかといふ人は、普通にしてゐれば多少以上に曲がりつつもそれなりに華のある顔立ちをしてゐるのだが、喘ぎ顔になるや途端に、何故か財津一郎にソックリになつてしまふといふ致命的な弱点を抱へてゐる。児玉と別れ、治子はトボトボ家路に着く。道すがらの自販機で、350mlの缶ビールを買ふ。ここで、仕方がないのでツッコんでおくが、どうしたらポカリスエットのベンダーで、キリンラガーが買へるのだ。中村和愛らしからぬ、粗雑な横着といへよう。待つ者も居ない暗い家に帰つた治子は、更に大量のビールを開ける。シーズグループ刊『月刊MAN-ZOKU』―あるいは『デラMAN』、ところで実際には、風俗情報誌である―雑誌編集者の治子はカメラマンの拓也(真央)と結婚したが、仕事人間の治子と家庭的な妻を求める拓也は折り合はず、拓也は治子も一緒に取材した、セクハラ被害者の神山祐子(風間、今日子ではなく恭子名義)の下へと走つてしまつてゐた。
 伊藤正治、北沢幸雄と並び当サイトが“沈黙するエクセスの宝石”と秘かに推す、中村和愛のデビュー作。丁寧な心理描写と、六十分のプログラム・ピクチャーを決して忽せにはしない至誠とが中村和愛といふ映画監督の肝である、と期待して小屋の敷居を跨いだものではあつたのだが、残念ながら、第一作といふ点も踏まへるとより一層に残念な出来栄えであつた。弱さを見せるのが下手な強くはない女と、女を捨て他所の女の所に転がり込むも、結局その女にも幻滅し妻とヨリを戻さうか、なんて調子のいい男との形式的にも内実的にも希薄なばかりのシティ・ドラマが、思ひのほか長く感じられる一時間を漫然と流れ去るばかりのルーズではないけれども凡作である。噴飯ものなのは、濡れ場での艶出、ならぬ演出に如実に表れてゐるのだが、演出のビートが終始抑へ気味である点。ただでさへ生煮えな脚本がより生温かく逆向きに加速されてしまふ以前に、ここは監督処女作である。カッコなどつけてゐる場合ではなからう、前のめりに自爆するくらゐの愚直を見せなくてどうする。アクセルの踏み込み加減を観客には感じさせないのが中村和愛の持ち味であるのかも知れないが、大いに頂けない。
 青木こずえと原美波は、正面から青木こずえが治子の左隣のデスクの稲村みかり。原美波は右隣の坂本エミ、因みに児玉は編集長。みかりも、児玉と不倫関係にある。リファインした泉由紀子に見える、原美波に濡れ場は設けられない。樹かずは、拓也と別れた半年後、治子がかつて拓也から求婚されたホテルに再び入る際のお相手・小橋晃一。この繰り返されるラスト・シーンの意味のなさも、殊更に理解に苦しむ。これだけ明確な主題もドラマ性もまるで感じさせない脚本に、敵は五代暁子とはいへ更に原案とは何事か。岩志歩美といふ人には、調べてみるとAVの監督作が数本出て来た。
 クライアントの急な倒産で祐子との新生活を断念した拓也が、柱を画面中央に挟んで治子と対峙する場面。あからさまに判り易い画面構図でそれはそれでいいのだが、偶さか夫婦が再びヨリを戻しかけた瞬間を、同じカットで画面が柱で分断されたまま撮つてしまつてゐるのも如何なものか。惜しんだ一手間で、釣り逃がした魚は予想以上に大きなものではなかつたか。

 結局物語は鮮やかに、あるいは呆れるほど一切何某の結実も果たさないままに、“Thank you for your having seen this Film.”、ではなく“完”と幕を閉ぢる。となると、第二作の「美人女将のナマ足 奥までしたたる」(1997/主演:須藤あゆみ)も“えんど”と締めてゐる為、“Thank you ~”といふ御馴染みのエンド・コメントが登場するのは第三作の「新任美術教師 恥づかしい授業」(1999/主演:小野美晴)から、といふことになる。
 2001年の第六作「三十路同窓会 ハメをはずせ!」以来沙汰のない中村和愛ではあるが、今はどうされてゐるのかと戯れに調べてみると、思ひも寄らぬところに足跡を発見。石原真理子の「ふぞろひな秘密」(2007)の助監督として、中村和愛の名前がある、一体何処で何をやつとられるのだ。


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 「美人姉妹の愛液」(2002/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:田中康文/撮影助手:田宮健彦/下着協賛:《株》ウィズ/衣装協賛:中野貴雄/出演:美波輝海・葉月螢・林由美香・今野元志・十日市秀悦)。照明助手を拾ひ洩らす。中野貴雄に関しては、劇中、この衣装は中野貴雄のところから持つて来たに違ひないと思つてゐたら矢張り出て来た。主に、十日市秀悦の衣装である。
 「昔々、一人の悪魔が、一人の魔女に恋をした」、いきなり火を噴くナベの主砲。
 昔々、悪魔(十日市秀悦の二役)が魔女(美波輝海の二役)に恋をした。ところが魔女は人間の男(今野元志の二役)と恋に落ち、男の二十四歳の誕生日に結婚を約束する。魔女と人間の男が一緒になる為に必要な月の石を、二人で取りに行くことに。横恋慕に狂ふ悪魔は、魔女と男を切り裂くべく呪ひをかける。時は流れ現代、魔女の子孫の三姉妹。魔女にかけられた呪ひとは、人間の男とセックスするとその男は早死にしてしまふ、といふものであつた。欲求不満の長女・アスカ(葉月)は最初の夫を喪つて以来八年にもなる独り身の寂しさに悶え、淫乱な次女・レナ(林)は結婚と死別とを繰り返してゐた。愛する者を喪ひたくはない三女・メグ(美波)は、恋に落ちることを恐れ、処女を守り通す。ある日箒片手に魔法学校からの帰りにメグは、昼間でありながらキャンバスの上では夜空の満月に筆を走らせる、売れない画家の白石至(今野)と出会ふ。白石は、メグが商店街のショウウィンドウに目を奪はれた、矢張り満月の絵を描いた作者であつた。
 説明無用、などといつてしまふと横着も過ぎるがナベ十八番の、スペックとバジェットとを欠き、どんなに安くとも底が浅くとも馬鹿馬鹿しからうとも、なほのこと美しいファンタジー映画の佳篇である。別の映画から二年ぶりに再見してみても改めて欠片の魅力も感じ取れなかつた主演の美波輝海は、矢張り一本の映画を支へさせるには心許ないことこの上ないが、代りに十全な脚本と真心の込められた演出とに支へられ、側面からではありつつも堂々と映画的エモーションの積み上げを果たすのは、意外、などといふと不分明を笑はれかねないが十日市秀悦。キャラクターにマンガ的な癖が強いので、作品を選ぶ節は大いにあるのかも知れないが、この人何気に演技力は強力なのかも。魔女に恋した悪魔の子孫、現代の悪魔として三姉妹の前に登場。魔界からのリストラを回避する為に、三姉妹の愛液を魔王に献上しようとする。昔々に悪魔がかけた呪ひに話を戻すと、魔女にかけられた呪ひは、繰り返しになるが人間の男とセックスするとその男は早死にしてしまふといふもの。一方男にかけられた呪ひとは、二十四の誕生日に死んでしまふといふものであつた。そしてメグが出会つた白石は、目前に控へた自らの二十四回目の誕生日に、カレンダーにカウント・ダウンを取つてゐた。最早論を俟つまい、白石こそは、昔々にメグの先祖の魔女が恋に落ちた、人間の男の子孫であつたのだ。時を超え再び巡り会つた、結ばれぬ運命の二人。アスカとレナにそれぞれ夜這ひを敢行し愛液を採取した悪魔は、白石の死の回避と引き換へに、メグの処女性を要求する。「だつて悪魔なんだもん」、と文句のつけやうのない嘘つきなのか正直なのかよく判らない清々しさで、事が済むや手の平を返す如くメグを裏切つた悪魔は、メグが零す涙の粒に、理由の知れぬ胸の痛みを感じる。野球に譬へるならば三振ばかりの四番打者にどうにも形を成し得なかつた映画は、ここから一気に最大加速する。柄にもなく悪魔が苛まれる呵責と逡巡とで外堀を埋めると、迫り来る白石の死とメグの奔走とで舞台を整へ、世辞にも魔法学校での成績が良いとはいへず、それ以前に愛する者と結ばれ得ぬ運命を厭ひ魔法が好きでもなかつたメグが、初めて成功させた箒での飛行で白石と月を目指すクライマックスには、ど真ん中の映画的エモーションが眩いばかりに銀幕を輝かせる。無論ナベである、改めていふまでもなく一本三百万のピンク映画である。特殊撮影の“と”の字も望むべくはなく、物理的に映写された映像の貧しさは比類ない。但し、そのやうなことは全く問題ではないのだ。渡邊元嗣は愛し信じたファンタジーを、培はれた実は確かな実力で積み上げると、瑣末になど囚はれずに全力と100パーセントの覚悟とで撃ち抜いた、そのことが何よりも素晴らしい。結実したエモーションには、恐らく間違ひはない。美しい、映画である。ラインを超えた、映画である。リアルタイムでは斜めに観て馬鹿にしてゐたやうな覚えもあるが、今は漸く今作に、追ひつけたやうな気がする。
 とはいへオーラスにもう一度登場させる辺りに、影の四番としてナベ自身明確に意識してゐたものやも知れない十日市秀悦の悪魔の描写に、ひとつだけ注文をつけたい。魔界の禁を破つたことによる変化あるいは落差を、視覚的にももう少し顕示しておくべきではなかつたか。その方が悪魔の下した選択あるいは決断が、より一層際立つてゐたやうに思はれる。

 蛇足ではあるが、最後にひとつ驚かされたのは。美波輝海が、現在でも活動を継続してゐたこと・・・・何といふか、言葉を失つてしまひさうにもなるが、同時に、絶対に倒れさうにはない強さを、感じさせられもする。


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 「沈黙の脱獄」(2005/米?/製作:スティーヴン・セガール《以下セガ》、他/監督・撮影監督:ドン・E・ファンルロイ/脚本:ケヴィン・ムーア/原作:ダニー・ラーナー/原題:『TODAY YOU DIE』/主演:セガ)。DVDにて鑑賞。昨年の日本劇場公開時には、関西までしか来なかつたので観に行けなかつたものである。
 セガ映画近作の常として、それなりに見覚えもあるものに加へ例によつて冒頭何処の国のものだかよく判らない不可思議なカンパニー・ロゴも並ぶのだが、もうその辺りを、骨折つてキチンと調べようといふ気にもなれない。安い原題の安いながらものカッコ良さが、今作に於ける頂点であるのかも知れない、などと筆を滑らせてしまふと、いきなり実も蓋も無い。

 自己紹介がてらにいふが、私の映画観のいろはのいの字は、「映画とは、小屋で観るものである」といふものである。よつてテレビで放映されてゐるものはテレビ番組で、DVDその他に焼かれたものはあくまでDVDその他ソフトである。即ち、それは映画ではない、とするものである。私は映画ならば時に、といふか月に数度は福岡から北九州にまで足を運んで観に行くが、テレビ放映や、DVDその他ソフトは以前はよく見たが現在では殆ど全く見ない。といふかそもそも、もうここ丸二年、テレビを持たない生活をしてゐる。勿論PCがあるのでDVDならば見られないこともないが、それにしても限りなく殆ど全く見ない。家に居てなほかつピンクの感想を書いてゐない時は、そんなことをしてゐる暇があれば寝てゐる。とはいへ私がセガファンであるといふことでDVDの頂き物があつたので、今回努めて時間を作つて鑑賞したものである。

 今回のセガの役柄は、悪党から金を盗んでは、貧しい人々や慈善事業に寄与する、いはゆる義賊。とはいへ泥棒は矢張り泥棒なので、危険な稼業を案ずる女の為に、セガは足を洗ふことにする。最後に選んだ仕事は現金輸送車を運転するだけの簡単な仕事の筈だつたが、クライアントにハメられ、セガは現金強奪と警官殺しの濡れ衣を着せられお縄を頂戴する羽目になる。獄中を仕切る黒人ギャングと仲良くなると、セガはギャングの手引きで脱獄。自分をハメた奴等に過剰に思ひ知らせるべく、何時もの殺戮行脚を繰り広げる。
 一言で片付けてしまふと、何ともヘナチョコな映画である。冒頭から、セガの女は何度も繰り返しセガが酷い目に遭ふ内容の、象徴的な予知夢を繰り返し見る。加へて、セガをハメた大ボスは設定では何やら悪魔主義者であるといふ。となると、ここはたとへば「沈黙の聖戦」(2003)のやうに、最終的にはセガクション(セガール+アクションの意、たつた今思ひついた造語)映画が何程かスピリチュアルな、あるいはオカルトな横道に羽目を外すのかと見てゐたところ、そんな展開欠片もありやしない。大ボス虐殺の件は、本当に心から、力の限りふざけてゐる。毎度毎度のことなのでこの期には最早通り過ぎるが、何時の間にやら大ボスの所在を掴み辿り着くセガ。余裕綽々と中身のまるで無い遣り取りを交した後、大ボスはセガの始末を手下に任せ、悠然と姿を消す。最初に出て来る手下Aは、派手なバク宙で登場すると、「ホアァァァァ~!」とまるでギャグかのやうな珍妙な雄叫びを上げる。ともあれ一応はマーシャル・アーツの達人ぽいので、手下Aとセガとが果たしてどんなエクストリームな肉弾戦を見せて呉れるものかと固唾を呑んでゐると、セガは「バン、バン!」と二発拳銃で撃ち殺して終り。何ぢやそりや、インディ・ジョーンズかよ。横着するな。続いて重火器を手に登場する手下B~Dも、何れもいとも容易く撃ち殺して終り。そしてヘリで飛び立たうとしてゐた大ボスは、予めセガが仕掛けてゐた爆弾で爆死。呆気ないにも程がある。予知夢は、悪魔主義は、繰り返し張つた伏線は一体何処に消えた。「オヤジの映画祭」の中では一番(まだ)マシだつた「沈黙の報復」のドン・E・ファンルロイ監督作といふことで、少しでも期待してしまつた私が浅はかだつた。一応大ボス爆死に続いて、残つた一味との最終的には建物一棟吹き飛ばす派手なドンパチを見せて呉れるクライマックスも設けられてはゐるものの、展開のいい加減さこそが最大の暴力で最大の謎な、地獄の底をも抜かすZ級作である。少なくともノートPCの液晶画面でDVD鑑賞した限りでは、「沈黙の報復」では観客を酔はせて呉れる、美しく荒れた画面のルックもまるで不発。クリアではあるけれどもノッペリとした何の面白味にも欠ける画調が、全篇を冷たく吹き抜ける冬風のやうに貫く。

 アクション面に於いては、セガ的には大きな破綻は無いものの、開き直つてボディ・ダブルを多用した挙句が、セガが後ろ向きで暴れてゐるショットが異常に多い。主役なのだから、観客に尻を向けるな。一箇所あまりにあんまりで度肝を抜かれたのは、セガが、雑魚キャラを窓を突き破つて建物の外に放り投げるシーン。セガが雑魚キャラを放り投げる建物の中からのカットと、窓を突き破つて憐れな雑魚キャラがお約束通りに手足をジタバタさせながら落下するカットとで、雑魚キャラが思ひきり別人である。セガと少しは対峙する役者と、スタントマンとでは背丈からまるで違ふ。事ここに至ると最早清々しさすら漂ふ。
 冒頭のそこそこ大掛かりではあるカー・チェイスも交へた現金輸送の一悶着の果てに、セガはパクられ、金は消える。消えた金の行方に関してセガは「記憶を無くした」だとかいふものの、どうせ白を切つてゐるものと思ひながら見てゐたところ、どうやらセガは劇中本当に自分が隠した金の在処に関して記憶を喪つてしまつてゐる様子。ところが最終的にセガが記憶を取り戻す描写はすつ飛ばしたままに、序盤で通りすがりに目にした資金難から閉院した小児病院にその金を寄付してたりなんかするのが、一応着地はちやんと果たしたつもりのラストである。舌の根も乾かぬ内に言葉を返すが、小林悟に劣るとも勝らない破壊力である。昨今、無理から沈黙シリーズと冠されて性懲りもなく劇場公開され続けるのはあくまで我が国に於いての局地的な特殊事情で、セガは母国では、初めから小屋は通り過ぎて近作は専らDVDストレートだといふことである。時代にフィットしてゐないことは千も承知の上で、なほのこと敢て言ふ。こんな代物、小屋で観てゐた方がまだしも救はれる。
 何処か悪くしてゐたのか、セガの血色が妙に悪いのも、今作を後ろ向きに加速させるポイントである。


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 「物凄い絶頂 淫辱」(2007/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:後藤大輔/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:佐藤吏/監督助手:金沢勇大/撮影助手:海津真也・種市祐介/スチール:津田一郎/選曲:梅沢身知子/現像:東映ラボ・テック/協力:メイドカフェみるふぃ・新宿雑貨/出演:華沢レモン・里見瑤子・田中繭子・なかみつせいじ・久保新二)。
 自称小説家の東風(なかみつ)が、如何にも訳アリな風情で物憂げに海岸に佇む。茂みの中から現れた今時で、バリッバリの俗流メイド服に身を包んだ晴奈(華沢)から、藪から棒に「お帰りなさい、御主人様☆」と声をかけられた東風は、「俺?」と面喰ふ。晴奈のニーソックスと短めのスカートとの隙間の太股に、よくいへばホーム・メイド・テイスト、直截にいへばあんまりなビデオ合成で、「ここを絶対領域と言ふ」(原文は珍かな)とのテロップが被さる。清水正二の仕業らしいが、それを許す深町章も共にいい歳をして、他愛もないおふざけが過ぎる。呆気に取られた東風に構はず晴奈は続けて、食事か入浴か、それとも私の肉体かと、かつて夢見られた輝ける未来の筈の二十一世紀も、訪れてしまへばそれまでと何ら代り映えもしない怠惰な現在に過ぎぬ、といふ枯れた現実に容赦なく直面させて呉れる切り出しを繰り出す。かと思ふと急に催したのか、今度は晴奈は草むらに駆け込むや、白い尻も露に放尿を始める。放尿しながら恨めしさうな表情で東風の方を振り向くと、「晴奈は、お漏らしなど絶対にしてをりません!」と抗弁する。そのまま晴奈は姿を消し、ロング・ショットで狐につまゝれたかのやうに呆然と海岸に立ち尽くす東風が、「宿を探すか・・・」と歩き始めてタイトル・イン。
 場面変つて、色んなピンクで観た(この辺りか)やうな気もするペンション。食堂には、判り易く金持ちをイメージしたガウンを羽織つた作造(久保)が。猫耳メイドの玉代(田中)が紅茶を持つて来ると、作造は何のかんのと玉代を犯す。そこに宿を求め東風が訪れると、玉代は繋がつた体から作造を慌てて押し離す。実はペンションの主人は玉代で、作造は使用人であつた。メイド・プレイは夫を既に喪つた玉代と作造との、日課の情事であつたのだ。海岸で不思議なメイド服姿の女を見たといふ東風に、玉代はこの地に残る幽霊譚を語る。大正時代、夢求めて上京するも、場末のカフェーの女給に身を落とした女(華沢レモンの二役)と―推定―旧帝大学生(なかみつせいじの二役)との道ならぬ恋。行く当てを失つた二人は当地の海で心中し、以来女給姿の女幽霊が出るやうになつたといふのである。
 里見瑤子は、東風の妻・光子。再び三番手の濡れ場要員の出番を夢オチで処理するやう見せかけて、後に実際に登場する。光子によつて、東風の本当の職業は竿竹屋である旨が明らかとされる。
 要は、劇中明示される通り明確に永井荷風の『つゆのあとさき』をフィーチャーした幽霊譚は、晴奈の可笑しくも憐れな真実に思ひ至つた東風によつて、未だ想ひを残し此岸を彷徨ふ晴奈の成仏を図るといふ方向にシフトする。それはそれで、ピンク映画としてのジャンル的要請まで含め悪くはないのだが、その上でなほ、最終的にはどうにも映画が求心力を失してしまつてゐる。晴奈の問題は解決され、ついでに玉代と作造もそれぞれの道を歩き始める。そこまではいいとして。肝心の、主人公たる生活力を失ひ漂白する東風の扱ひが、如何せん軽いか。深夜の階段での晴奈との語らひでは、人間といふ生き物に対し突き放しつつも同時に温かく接するアプローチをかなりイイ線まで見せ、光子との破綻寸前の夫婦も一応は修復されはするのだが、全体的には、本来ならば端役の筈の作造が前に出過ぎてゐる。それがこの人の主力装備なので仕方のないところでもあるのだが、何時ものやうにゴーイング・久保チンズ・ウェイを驀進する久保新二を、なかみつせいじを以てしても終には御し得なかつたといふ辺りが、東風が物語の中で占めるべきウェイトが大きく削られることに影響を及ぼしてしまつてゐるのかも知れない。尤もそれは、一体誰が果たして、アクション映画に於いてスティーブン・セガールの好敵手たり得るのか、といふ議論にも似た趣さへなくはない。結局晴奈の成仏に際しても、実行を果たすのは作造であるし。要はなかみつせいじに主軸を置くならばそれが今作の難点で、逆から捉へれば、総体としての映画を壊してでも美味しいところを持つて行く、久保チンの勝利ともいへる。詰まるところは渡邊元嗣ならばまだしも、別に今時のメイド服が心の琴線に触れる訳でも特になからう深町章が、新東宝から持ち寄られた企画のまゝに撮つてみた結果、結局漫然と毎度の久保チン映画が出来上がつた、さういふ感が強い。いつそのこと、晴奈も東風も最早さて措き、久保チンの解き放たれんばかりの自由奔放な大暴れぷりを拍手喝采しながら眺めるといふのが、今作の最も正しい鑑賞法、とすらいへるのかも知れない。

 映画の幕引き際、玉代が晴奈と冥土カフェを開店するまではいいとして、作造のエピソードは、あくまで主人公は東風ではないのかとするならば別に、といふかより積極的寄りに矢張り不要か。蛇足に於いて顕著に発揮される作家性であるのだとしたら、そんなものは犬にでも喰はせてしまへ。
 ところで田中繭子とは、何回か引退と復帰を繰り返す何かとか無闇に忙しい佐々木麻由子の、改名した新しい芸名である。少なくともピンクでこの名義を使ふのは、今回が初となる。

 因みに今作の公開は八月であるが、協力にクレジットされるメイドカフェみるふぃは、十月末をもつて閉店してしまつてゐる。


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