真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「実録桐かおる ‐につぽん一のレスビアン‐」(昭和49/製作:日活株式会社/監督:藤井克彦/脚本:宮原和男/プロデューサー:伊地智啓/企画協力:小沢昭一/撮影:安藤庄平/美術:渡辺平八郎/録音:木村瑛二/照明:高島正博/編集:鍋島惇/助監督:高橋芳郎/色彩計測:田中正博/現像:東洋現像所/製作担当者:古川石也/協力:京都・千中ミュージック/出演:桐かおる・中島葵・芹明香・榎木兵衛・吉野あい・浜口竜哉・春日トミ・宮城千春・炎飛鳥・中谷陽・高橋明・森みどり・原田千枝子・庄司三郎・小沢昭一《友情出演》)。出演者中、宮城千春から原田千枝子までは本篇クレジットのみ。逆にポスターにのみ宮城千春と炎飛鳥の代りに、広瀬マリと城千世とかいふ全然違ふ名前が載る、何がどうしたらさうなるのか。。クレジットがスッ飛ばす配給に関しては、実質“提供:Xces Film”。
 “日活株式会社製作”ロゴ時から聞こえて来る場内マイクが、「では皆さんお待ちかね、桐かおる・春日トミ・宮城千春・炎飛鳥豪華メンバーによります大乱交レスビアンの開演で御座います」。ビッグバンド起動、“京都・千中ミュージック”のクレジット。幕が開くかに思へたのは回転して鏡が現れる趣向で、カメラが引くと座長の桐かおる以下ハーセルフの皆さんは既に舞台の上。驚異の全館鏡張り!を誇る―天井とか見る客ゐんのかな―千中ミュージックの壮観自体結構なスペクタクルであるのだが、もう一点看過能はざるのがピンスポで細かく移動する最適ボカシ。“ヤジがとんでもオープンはしないこと”なる支配人名の貼紙も見切れる微笑ましい舞台袖に、一仕事終へた一座が帰還。ストリップ専門誌『ヌード・インテリジェンス』(のち『NU・IN』誌/昭和41~昭和57)編集長の中谷陽(ヒムセルフ)が桐かおるに取材する、といふよりも雑談程度で顔を出す楽屋にrollの方のタイトル・ロール。桐かおるが着流しで夜の町を適当にホッつき歩く、恰幅のいい背中に下の句が先に入るタイトル・イン。
 明けて色彩を失した画面に改めて中谷陽による桐かおると、舞台の上のみならず、私生活に於いても事実上の夫婦生活を営む春日トミの二人に対するインタビューが流れ、“桐かおる(本名.滝口永子)‐昭和10年九州.博多の郊外に銀行員の長女として生まれた。”―実際の表札は瀧口永子なんだけど―云々とイントロダクション的なクレジットが追走。イントロクレで堂々と自宅の住所まで公開してしまふ、昭和の大らかさに軽く度肝を抜かれる。桐かおるが別府でホステスをしてゐたトミを、悶着の末強引に引き抜いたといふか連れて来た挿話から、ガラッと場面は変つて京都のバー「小夜」。ママのおさよ(中島)が桐かおるを寝取られた、新入りのミチ(芹)に激しく詰め寄る修羅場。桐かおるの最早煌びやかなまでの棒口跡が割と全てを無に帰す、ドラマ・パートに捨て身で突入する。
 配役残り、高橋明と原田千枝子は「小夜」のバーテンダーと、ホステス其の壱。各種資料には赤木と青木とされるにしては、榎木兵衛と庄司三郎は会話を窺ふに実の兄弟と思しき托鉢僧。実際血の繋がつた兄貴と弟に見える榎木兵衛(a.k.a.木夏衛)と庄司三郎が、兄弟役を演じる一本に初めて巡り合へた。森みどり(a.k.a.小森道子)は、「小夜」のホステス其の弐。吉野あいはおさよ宅の家政婦、おさよにはあいちやんと呼称される。浜口竜哉が、おさよから家を追ひ出される立場の夫・一郎。そして小沢昭一は、この年木更津に別世界劇場を興した、桐かおるに祝ひの花も送るヒムセルフ。ちなみに別世界の開業が六月頭で、今作封切りは八月末。
 画面に色がつくのはアバンと最後のそれぞれ四分強に、中島葵が支配する中盤の十二分。残り四十五分弱はモノクロの、藤井克彦昭和49年第二作。純粋に濡れ場限定でカラー、といふ訳でも必ずしもない。桐かおるといふと当時一条さゆりと双璧をなすスト界の超大物であつたらしいが、然様なネームバリューなり歴史はストライカーでもない当サイトの知つたことではなく、劇中登場する小太りのオッサンのやうな女に、この期に及んで琴線を爪弾かれは特にしない。桐かおるがトミの目を盗み、寸暇を惜しんで女を抱いてゐたといふ人外の性欲なり、一度は束の間男と暮らしてゐたといつた逸話がリアルタイムには大いなる感興を以て迎へられたのかも知れないが、インタビュー・パートの構成が全般的に漫然としてゐるのもあり、矢張りさしたるインタレストは覚えず。実録と劇映画、天然色と白黒。四つの相反する要素が複雑に絡み合ふ中で、思はぬ輝きを放つのが本来“実録”に主眼をおくものとした場合、木に竹を接ぐ羽目を半ば宿命づけられてもゐたらう劇映画。高橋明と森みどりの二人がゐれば、何気ない遣り取りさへシークエンスに芳醇な香りを漂はせ、写実兄弟に見える榎木兵衛×庄司三郎を向かうに回し、中島葵は裸映画としての一大見せ場を堂々とモノにする。噛み合ひもせず実も蓋もない会話から、浜口竜哉に対し出し抜けな別れを中島葵が切り出す件は抑制的な演出と端整な画が強靭な緊張感を漲らせ、ある意味三番手らしく大概土壇場なタイミングで飛び込んで来る芹明香の濡れ場が、オーラスのステージに道を拓くのも一見地味とはいへ心憎い妙手。これまで節穴にはあまりでなくピンと来なかつた藤井克彦といふ人の映画を、気を入れ直してちやんと追つてみた方がいいのかな?なんてらしくない風も吹かせてみたり。唯一拭ひ難い不満は、最高にいい雰囲気のあとカット一つ跨げばオッ始められるところまで攻め込んでおきながら、吉野あいが何故脱がぬ。


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 「痴漢電車 後ろからも愛して」(1989/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/製作:伊能竜/撮影:稲吉雅志/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:小原忠美/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/スチール:津田一郎/撮影助手:鈴木一博/照明助手:京応泉/監督助手:佐藤俊宏/車輌:元井祐司・嶋中聡/出演:橋本杏子・山本竜二・芳本愛子・風見怜香・池島ゆたか・清水大敬)。脚本の周知安と製作の伊能竜は、それぞれ片岡修二と向井寛の変名。
 高架を正面に据ゑたロングにタイトル開巻、超絶そこら辺の生活道路から電車を見上げる、適当な仰角の画にクレジット起動。車内に繋いで、乗客が読む87分署シリーズ『キングの身代金』(ハヤカワ・ミステリ文庫)と、名無しの探偵シリーズ『誘拐』(新潮文庫)を抜く。これは以降元ネタにでも絡められたら―何れも未読につき―厄介だぞと身構へかけたが、どうやら、誘拐して身代金を要求するといふだけのモチーフに過ぎない模様、プリミティブにもほどがある。『誘拐』を読んでゐた橋口タカコ(橋本)の背後に、笠井元嗣(山本)が迫る。いや本当に、劇中さういふ名前なんだつてば。笠井の案外巧みな指戯に、『誘拐』が床に落ちる。降車後笠井を捕獲したタカコは、何をトチ狂つたか痴漢の腕を見込んでの相談を持ちかけ、笠井が役者で警官役―のエキストラ―の経験もあると知るや、なほ好都合と美貌を輝かせる。津田スタ改めタカコ宅、「アタシね、一遍レイプされてみたかつたの」だの大概ぞんざいな切り口でAV歴もある笠井相手に一動画撮影したタカコが、漸く切り出す本題。「何をやるんスか?」と未だ雲を掴む―我々も掴む―笠井の問ひに対し、脊髄で折り返したタカコの即答は「誘拐」。山本竜二が仰天するメソッドは、容易に御想像頂けよう。ところで絡み初戦、タカコが据ゑたビデオカメラ越しに二人を狙つた結果、カメラが邪魔でハシキョンの裸がよく見えない馬鹿画角はどうにかならなかつたのか。
 俳優部残り、ミサトスタジオに居を構へる清水大敬は、地上げで財を成した不動産屋・黒沢年男。トシオは年雄か俊夫とかかも知れないが、兎に角何でか知らんけどクロサワトシオなんだつてば。風見怜香が後妻のアキコで、芳本愛子は前妻との間に生まれた実の娘であるランコ。途中で配役が読める池島ゆたかは、黒沢の財産目当てで結婚したアキコの情夫、固有名詞不詳。
 ある意味順当に深町章が積み上がつて行く、ex.DMM新東宝痴漢電車虱潰し戦、第八戦で1989年第一作。タカコが画策する、“完全犯罪”とやらの正体は。元々黒沢の愛人であつたタカコは、中盤の大いなるハイライトを担ふ濃密な夫婦生活を窺ふに、滅法床上手のアキコに黒沢をカッ浚はれた挙句、手切れ金すらビタ一文貰へずじまひ。てんでランコを誘拐しての、身代金五千万奪取。画期的に秀逸なのが、その計画に笠井の電車痴漢スキルが必要となるところのこゝろ。タカコが描いた絵図が電車で笠井がランコのマンコに―そのまゝ書くな、そのまゝ―ローターを捻じ込み、起動させお前のアソコに時限爆弾を仕掛けた云々と拉致するといふアイデアには痺れた。ハシキョンの絡みは些か軽さも否めなくはないものの、とろんとろんにタップンタプンの風見怜香のオッパイ爆弾は大炸裂。息するのやめればいいのにな、俺。電車の車中、ズッブズブ指を挿入するショットに際しては結構アグレッシブに攻め込む。正直女子高生らしくは清々しく見えない点はさて措き、油断してゐると不意すら討たれるど美人の二番手が、一見脱ぎ処が設けやうなくも思へた始終から、事実上締めの濡れ場に飛び込んで来る急展開は裸と映画の二兎を鮮やかに仕留めてのける。さうは、いへ。山竜は何時も通りアチャラカで、結局風見怜香の二戦目を介錯する以外には、一欠片たりとて何の役にも立ちはしない池島ゆたかの機能不全には逆の意味で吃驚させられる。痴漢電車ならではさが折角のサスペンスが、エッジの緩い作劇―と、ちぐはぐなくらゐ長閑な選曲―で最終的に弛緩した印象は否み難く、いつそ下元史朗を笠井役に、片岡修二が自分で撮ればよかつたとか、適当な素人考へが過(よぎ)らなくもない。


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 「日本残虐女拷問」(昭和52/企画・製作:新東宝興業株式会社/配給:新東宝興業/監督:山本晋也/脚本:中村幻児/撮影:柳田友春/照明:秋山和夫/編集:中島照雄/音楽:森あきら/助監督:原一男/演出助手:旦雄二・平川弘喜/撮影助手:加東英樹・徳山久男/照明助手:花村三男/効果:創音社/スチール:田中欣一/結髪:㈱丸善かつら/衣裳:富士衣裳㈱/着付:堺勝朗/小道具:高津映画装飾㈱/タイトル:ハセガワプロダクション/車輌:徳川善之助/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:南ゆき・橘雪子・今泉洋・深野達夫・滝新二・久保新二・峰瀬里加・長谷恵子・松浦康・堺勝朗・渚りな・国分二郎・港雄一)。出演者中、渚りながポスターには渚リナで、滝新二は本篇クレジットのみ。撮影の柳田友春は、“大先生”柳田友貴の元名義。「残虐女刑史」(昭和51)の柳田一夫も、多分同一人物ではなからうか。
 「あたし女子《をなご》のことでよくは存じませんが」、「天子様が徳川様をお討ちあそばして京より江戸に僥倖され」云々と、橘雪子のナレーションで明治維新から西南戦争までの流れをザックリ俯瞰。西郷輝彦御馴染の肖像画に、ベシャッと血飛沫通り越して血糊に近い血量を飛ばした上で、笠間しろうの責め絵にタイトル・イン、ラロ・シフリン的な劇伴が勇壮に鳴る。クレジット明けは「あたし名前は珠と申します」、十六で品川宿に奉公に出された洋妾“ラシャメン”―今でいふ洋パン、今?―のお珠(橘)が、客らしからぬ益田誠一郎(深野)と情を交す。中途で滝新二が引く―人―力車で移動する、のちの第二代内閣総理大臣、当時参議陸軍中将の黒田清隆(今泉)を益田が藪蛇に襲撃する長閑な修羅場に、今でいふ巡査の邏卒(久保)が駆けつける。ここで邏卒がアテレコ(主なんて知るか)で、最初は本当に久保新二なのかと激しく面喰はされるが、お珠篇ラストの凶悪なアップを窺ふにドス黒いドーラン越しの顔は辛うじて久保チン?正直半信半疑。黒田は妻のかね(南)―実際には清“せい”―と致す一方、要は羞恥プレイの趣向でお珠を呼ぶ。ところが頑なに応じないかねに泥酔した黒田が激昂、手討ちにする。頭のおかしなシークエンスがグルッと一周して突つ込んだ清々しさから、なほ勢ひ衰へずもう一周して矢張り頭おかしい。常駐してゐるのか、即座に飛び込んで来た邏卒はお珠が賊を手引きしかねを殺害した形でテッキパキ事件を処理、お珠を拷問する。何が何だかクラクラ来るけど、要はさういふ映画なんだ。邏卒が山芋を塗りたくつたガラス棒でお珠を責めると、外圧に負けたガラス棒が観音様の中で破裂してお珠は死ぬ。明治十一年(1878)、三月二十八日のことだつた。ちなみに益田のバックボーン―ならびに去就―と、お珠との関係に関しては見事なまでに等閑視される。
 配役残り、峰瀬里加は足抜けを図る女郎のお美津で、堺勝朗がお美津が奉公する廓の主人・長兵衛。繰り返し名前を呼ばれるおまつ以下女郎部が数名見切れるも、演者を特定可能に抜かれはしない。松浦康がお美津を捕まへ廓に連れ戻す、クレジットには巡査とあるが、劇中ではこちらも邏卒のキジマ。キジマがお美津を責め殺した十三年後、といふのは直後に後述するお美代のナレーションからで、本当は十六年後でないと計算が合はない。一旦さて措きお美津が死んだ当時三歳であつた娘のお美代(長谷)が、母の遺した年季を務めるべく長兵衛の廓に奉公に入る。手篭めにされかけながらも、乳尻は死守するお美代が長兵衛に対してはお美津の仇を討つものの、駆けつけたキジマには殺される。お美津が生まれたのは明治十一年三月二十八日で、お美代が母の命日と同じ日に死んだのが、大正七年(1918)五月七日のことだつた。
 配役残り引き続き、次なる舞台は張作霖爆殺(昭和三年/1928)後の満州。スレンダーなチャイナドレスが平成すら通過した令和の目からもエクセレントな渚りなは、国民党の女兵士・桯少玲。日本名は小鈴で、1918年五月七日生まれ。港雄一は内通者の名前を吐かせようと少玲を拷問する関東軍の野山憲兵曹長、国分二郎が上官の田沼少尉。もう一人、少玲と田沼の再会を賑やかす、宿で小鈴を追ひ回す軽く川崎季如似のへべれけな髭は不明。
 こんちこれまた、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”が放り込んで来た山本晋也昭和52年第七作。明治・大正・昭和の三時代を通して、女をあくまで商業的な煽情性の範囲内で嬲るのではなく、残虐にデストロイして命を奪ふ。何でまた斯様な代物がこの頃量産されてゐたのか、ピンクだポルノだいふよりも絶叫と鮮血とに毒々しく彩られた、片足どころでなくショック映画に突つ込んだ狂ひ咲くにもほどがある徒花。観てゐて何が楽しいのかサッパリ判らないが、終に判らないまゝ無為な一生を儚くもなく終へたとて別に困りはしない。折角各篇主人公の生没を輪廻転生ぽく繋げた割に、その趣向が特にこれといつた大河ロマンに結実する訳でなく。男尊女卑がバクチクする家父長制なり性を搾取する機構なり侵略的な軍部なり、女をブルータルに圧殺する体制へのたとへば政治的なプロテストを今作から看て取らうといふのも、ためにする曲解に過ぎないのではあるまいか。女があげる悲鳴さへあれば、乳尻は別に要らない。ある意味筋金入りの御仁にとつては、恐らく文句なく甘美な一作。当サイトは直截に筆を滑らせるとサドマゾは好きだが、オーバーランしたスラッシュは御免蒙りたい、壊してどうする。正味な話棹の勃て処にも窮する中、月が太陽を食ひ尽くす、皆既日蝕の如き様相を裸映画が呈する。封建主義が板につく今泉洋に、悪代官と越後屋のポジショニングの松浦康と堺勝朗。苛烈な暴力の嵐を吹き荒らす港雄一と、日々尋常でない量の精液を生成してゐさうな国分二郎。本来メインの女優部に勝るとも劣らない、久保新二?をも霞ませる案外豪華な男優部のオールスターぶりに、旧き来し方を眩く懐かしむか惜しむ。詰まるところ世辞にも建設的とはいひ難い感興を、ついつい覚えてしまふのも禁じ得ない、貴様それでも保守か。オーラスは少玲のナレーション略してショーレーションで、「殿方が幾ら女子を苛め殺したところで安心なさいますな」。中略して「なんせ女子といふもの、子袋といふ血の海の中で物事を考へてをりますからな」、とか形ばかりの復権といふか逆襲の機運を覗かせてみたりもしつつ。結局強い印象を残すのが、特濃な男達であつては如何なものか。

 最後に、数字のちぐはぐについて。繰り返すと母娘銘々のナレーションで語られるお美津の生年月日とお美代の没年月日が、それぞれ明治十一年(1878)三月二十八日と、大正七年(1918)五月七日。ミネレーションによればお美津は二十四でキジマに惨殺されてゐる筈なので、お美津の没年月日は明治三十五年(1902)五月七日。さうなるとハセレーションのいふ“十三年後”が、どうしても計算が合はない。ついでで大正七年五月七日に生まれた少玲が野山に責められた末田沼の前で自害を果たすのも、渚りなを見た感じその間田沼の階級が変らなかつた、張作霖爆殺の少なくとも十年は後といふのも些かならず間が空いた感は否めず。


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 「痴漢電車 みだらな指先」(昭和63/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/企画:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:小田求/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:五十嵐伸治/撮影助手:中松敏裕/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・堀河麻里・しのざきさとみ・秋本ちえみ・いわぶちりこ・池島ゆたか・山本竜二・小杉甚)。脚本の周知安と企画の伊能竜は、それぞれ片岡修二と向井寛の変名。それ、どころか。
 ど頭の衝撃が、例によつての津田スタ台所、忙しなく朝食の支度をするジミー土田が飛び込んで来る。・・・・て、あれ?クレジットには、ジミー土田の名前なんて何処にもないぞ!慌てて調べてみると、初めて見た小杉甚といふのがジミー土田、何と読むのかも判らない。そんな次第でサクッと、あるいはググッと簡略に当たれる範囲では、ジミー土田の活動が公に確認されるのが昭和57年からで、小杉甚の痕跡が窺へるのは昭和から平成に跨ぐ二年間。但し、土屋隆彦の「メイク・ラブ 女体クルージング」(ロマンX/脚本:浅井理=渡辺寿)は二月公開―ちなみに今作は六月―につき、もしかすると62年終盤辺りも怪しいのかも知れない。幸ひ、「女体クルージング」もex.DMMにあると来た日には、毒を食らはば何とやらで見ざるを得まい。毒なのか、毒だつたんだけど。
 閑話、休題。幾ら呼んでも、何時まで経つても起きて来ない妻・明子にキレたジミ土が、起こしに行くカットでは撮影部も追随して家内を大がかりに動きつつ、ジミ土の稼ぎが少ないからと実も蓋もない理由で、ルポライターとか藪蛇な職を持つ当の明子(橋本)は、書きかけの原稿に突つ伏して寝てゐた。ここで、嫁が明子となると、どうせ旦那は渉で苗字は轟だらうと高を括つてゐたところ、後々明子が電話口で名乗る苗字が予想外の岩渕か岩淵。さうなると、ジミ土の役名には呼称なり自己紹介して呉れないでは途端に手も足も出せなくなる。明子とジミ土が朝から盛大に夫婦喧嘩した上で、電車が行き交ふ軽く俯瞰のロングにタイトル・イン。ところで小杉甚名義時に於ける、仕事ぶりに関しては今回目にした限りでは特にも何も全ッ然変らない、全く以て何時も通りのチャカチャカ愉快なジミー土田。
 鮨詰めの車中、ジミ土のすぐ前に立つた、髪飾りからアレな所謂男顔といふよりも、寧ろ女装子に近く見える―VHSではジャケを飾る―二番手が、電車逆痴漢を仕掛けて来る。今作の特徴として、ほかの乗客の隙間から下手に狙ふ、臨場感だか画角だかに拘つた―あるいはセット撮影を誤魔化した―結果、誰が何をどうしてゐるのか判然としないシークエンスを暫し漫然と見せた末に、堀河麻里はジミ土の耳元で「貴方つて不幸な人ね」と囁き虚を突く。てつきり警察に突き出されるものかと平謝りするジミ土を、堀河麻里が「いいからついて来て」と強引に誘(いざな)ふ一方、電話越しの声が白山英雄の声色に酷似して聞こえる編集長から、明子は社会問題化する悪質な新興宗教のルポルタージュを依頼される。
 堀河麻里がジミ土を連れて来たのが、デッカい張形状の御神体の供へられた、「世界まぐはひ教」の本堂。配役残り改めて堀河麻里は、まぐはひ教の工作員を自ら名乗る、蜂谷ならぬ七谷か質谷真由美。不謹慎の誹りを懼れもせず、エッジ効かせすぎだろ。山本竜二がまぐはひ教教祖で、秋本ちえみが片腕格の教育係・ウメ。しのざきさとみは、悪魔祓ひと称した、教祖による公然セックスを恭しく被弾する信者の女。その他信者部に、二十人くらゐ擁する無闇な大所帯。どちら様なのか、お爺さんに片足突つ込んだやうな御紳士までゐたりする。池島ゆたかは、結局何の目的で電車に乗つてゐたのかは謎な、明子に接触するまぐはひ教工作員、実は真由美の夫。男の悪魔祓ひは真由美ら女人がヤッて呉れると聞くや、ジミ土は脊髄で折り返してまぐはひ教入信に翻意。とはいへ入会金始め諸経費を払へず、真由美の指導の下、免除を許される工作員の途を目指す。イコール五代尭子のいわぶちりこは、さういふ塩梅での痴漢電車車中、ジミ土が目星をつける女、声はしのざきさとみのアテレコ。
 ex.DMMのピンク映画chにタグつきで管理されてある新東宝の痴漢電車を、手当り次第に見て行くかとした虱潰し戦。七本目で凄い映画がヒットしたかと思ひきや、単に酷い映画であつた深町章昭和63年第三作。
 ジミ土が小田急線のりばの表で真由美に拉致されるカット跨いで、受話器片手にハシキョンが「新興宗教のルポ!?」。すは深町章が社会派ピンクかと、ときめいたのはまんまと吠え面かゝされる早とちり。最大の見せ場は、まぐはひ教の読経風景。基本形は「まぐはつたーらーええぢやーないか」を山竜に続いて一同が合唱する合間合間に、秋本ちえみがファルセットで叩き込む素頓狂な合ひの手が「エーイヤイヤ」。この「エーイヤイヤ」が爆発的に面白くはあるものの、所詮は枝葉。酷いのが明子に金ぴかの電動コケシを七千円で買はせた直後に、改心か変心し編集部に苦情の投書を寄こした池島ゆたかと、接触した明子が思はぬ再会を果たす件。そもそも池島ゆたかがまぐはひ教に回心(ゑしん)した経緯に関して、真由美の浮気性に苦しんでと語り始めたにも関らず、切らずに長く回す一幕のうちに、先に工作員になつた真由美に勧誘されてやりましたとか、話が思ひきり変つてしまふ木端微塵の体たらく。この手の支離滅裂を見るなり観てゐて常々不思議なのが、だから誰も、何も思はなかつたのか。斯様なザマで、宗教とは何ぞや、インチキに絡め取られる心の隙間とは如何なるものか。本質的な領域に切り込んでみせよう訳がなく、教祖とウメの造形も精々パパさんと愛人に二三本毛を生やした程度の、市井の枠内から爪先も踏み出ではしないチンケな小悪党に止(とど)まる。加へて火に油を注ぐ本末転倒が、「エーイヤイヤ」遊ぶのにうつゝを抜かした挙句、何時しか疎かになる女の裸。しのざきさとみの悪魔祓ひに際しては、折角のどエロい女体が信者部に埋もれよく見えないもどかしさに急き立てられ、ビリング頭たる橋本杏子が、初めてまともに脱ぐのが驚く勿れ五十七分といふ、壮絶なペース配分には引つ繰り返つた。ジミ土の誠意は認めた真由美が、教祖には内緒でコッソリ悪魔祓ひする濡れ場。数少ないオーソドックな攻め方を見せつつ、オッパイを押しつけるでもないガラステーブルが、邪魔で邪魔で仕方ないのは逆の意味で画期的、そんな間抜けな絡み見たこたねえよ。最初は女高生と家庭教師といふ形で出会つた明子とジミ土の、上京しようとするジミ土を、明子が観音様を御開帳して天照大御神を誘き出さう、もとい引き留めようとする回想。ジミ土が明子にハモニカを吹き始めると、出し抜けに電車音が鳴るのが何事かと思へば、そのまゝ現在時制の電車に繋ぐのには、何と雑な映画なのかとグルッと一周した感興すら覚えた。中身がないのは十万億歩譲るにせよ、乳尻さへ決して満足には拝ませないとあつては、溜息も萎むルーズな一作、エーイヤイヤ。ぢやねえよ、トカトントンか。


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 「さすらひかもめ ‐釧路の女‐」(昭和48/製作:日活株式会社/監督:西村昭五郎/脚本:西田一夫/プロデューサー:岡田裕/撮影:萩原憲治/美術:渡辺平八郎/録音:木村瑛二/照明:熊谷秀夫/編集:山田真司/音楽:山野狩人/助監督:長谷川和彦/色彩計測:鈴木耕一/現像:東洋現像所/製作担当者:天野勝正/協力:吉永長吉郎/協力:日本沿海フェリー/出演:片桐夕子・二条朱実・宮下順子・吉田潔・高橋明・織田俊彦・島村謙次・小森道子・清水国雄・小見山玉樹・白井鋭)。出演者中島村謙次と、清水国雄以降は本篇クレジットのみ。クレジットがスッ飛ばす配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。音楽の山野狩人は小杉太一郎の変名らしいが、小杉太一郎本体を存じ上げないゆゑ通り過ぎる。
 釧路行きのフェリー、甲板に宮下順子が一人佇む。風に飛んだ純子(宮下)のスカーフを、適当に誤魔化したカットで矢崎大作(吉田)が拾ふ。矢崎は純子が、入水しはしまいかと見守つてゐた。傍らではジュークボックスで簡易ディスコしてゐたりもする、バーカウンターで矢崎が純子に改めて接触。純子は釧路に向かふのではなく、五年ぶりの帰郷だつた。天涯孤独で忽ち住む家の当てもない純子に、矢崎は懇意の純喫茶「かもめ亭」二階の空き部屋を手配、フェリーに乗せてゐた釧路運輸のトラックで送り届ける。「かもめ亭」の表で純子が浮かべる笑みから、漁港の画に繋いでタイトル・イン。凡そビリング三番手らしからぬアバン無双を繰り広げる宮下順子が、ポスターではトメの位置に座つてゐる。
 明けて監督クレ時から何気に見切れてゐる、スナックバー「釧路の女」。三組のボックス席を抜いた上で、酔客の求めを拒んだ由美(片桐)が、マスターの大沢(織田)から怒られる。「釧路の女」は、女に客を取らせる店だつた。それは兎も角織田俊彦の、甘くほろ苦いマスクが既に堪らない。店に矢崎が現れると、由美は途端に満面の笑み。二人は矢崎が発動機船を手に入れたタイミングでの、結婚を約してゐた。
 配役残り、乳尻を殆ど全く見せない片桐夕子と吉田潔による初戦が、漸く二回戦に突入。したかに思はせて飛び込んで来る二条朱実と高橋明は、「釧路の女」のエース格・蘭子と、東京から来道した岡部。蘭子が超人的な明察をザックザク爆裂し倒す形で、勝手に明かされる岡部が釧路に現れた事情。岡部は巧みな手練手管で情婦にオトしいよいよ泡風呂に沈めようかとしてゐた純子に、逃げられたのを追つて来たものだつた。普通に観てゐると底も抜ける勢ひの自動的なシークエンスを二条朱実の色香と、高橋明の凄味とで頑丈に固定する。蘭子にまんまと図星を指された、岡部が滾らせる殺気じみたインパクトが凄まじい。安定のリーゼントをキメた清水国雄は、由美の弟・良吉。父親は遭難したのかソ連に拿捕されたのかさへ判らない正真正銘の行方不明で、母親の去就は不明。良吉に話を戻すと獣医を目指し夜学に通つてゐる割に、姉に心配ばかりかけるクソ弟。あと良吉のファッションが真黄色のトレーナーにピンクのパンツと、まるで80年代を先取りしたかの装ひ。「釧路の女」を辞めた由美は、純子が働くソシアルクラブ「GIN 銀」に。小見山玉樹がウェイターで、島村謙次は造船所社長の常連客・秋田。日活公式には秋山とあるが、劇中あくまで秋田。白井鋭は、良吉とは名ばかりの悪吉が、帯広にてアゲられた件で由美を訪ねる制服警官。森みどりが昭和478の二年間一時的に改名してゐた小森道子は、「釧路の女」の矢張り女に客を取らせる阿寒湖支店「釧路の夜」を切り盛りする時子、大沢の妻。この夫婦、一見姉さん女房に映りググッてみたところ、公称を真に受ける限りでは織田俊彦が七つ上。その他フェリー船内始め、諸々一切合切ヒッ包めるとノンクレ隊が五十人は軽く動員される大所帯の中、「銀」で氷室君に呼びかける露木護がゐるのだけは辛うじて確認出来た。
 現地ロケ―恐らく全篇―を敢行した、西村昭五郎昭和48年第六作。蒸気機関車が普通に走つてゐたり、阿寒湖周りが観光地にしては、軽く引くくらゐ未舗装であつたりする。矢崎を挟む純子と由美の三角関係を上手いこと―あるいは都合よく―構築すると、案外手放しでウッハウハな秋田に、当初目的はとりあへず達成した岡部を除けば、鮮やかなほど重層的な不幸に見舞はれる由美を筆頭に、登場人物の誰一人幸せになどするものか、鋼の意思すら感じさせかねないヘビーなメロドラマが展開される。宮下順子を間に噛ませた片桐夕子と吉田潔に高橋明の組み合はせで、ラスト観客を奈落の底に突き落とすニシムラ・アタックが火を噴く予感に戦慄したのは、締めの濡れ場の力も借り大回避。尤も文字通り身を賭した蘭子と純子も献身通り越して自己犠牲的に、是が非とも何が何でも万難排して由美を幸せにしようとする姿には、調子のいい嘘臭さを覚えなくもない。そもそも由美がよくてステレオタイプ、精々惰弱な浪花節の主人公程度の馬鹿と天才ならぬ非力と健気が紙一重の、要は平板なミソジニーに容易く親和するほか能のない造形で主体性にも魅力にも、そこに片桐夕子がゐる点以外にはもう何もかも遠い。一度目は矢崎に手も足も出せず圧倒される―高橋明の戦闘力が、中途半端なハンサムでしかない青二才に引けを取るのは納得し難いが―ものの、純子が岡部に見つかるのが尺も折り返す遥か前とあつては、この映画のペース配分は果たしてどうなつてゐるのか。軽く途方に暮れてゐると一時間寸前で漸く小森道子投入、前後暫し阿寒で尺を喰ふのに加へ、矢崎が純子を矢鱈ダダッ広い大草原に半ば拉致しての、闇雲な青姦―挙句ロングが壮大すぎて、もう絡みもへつたくれもない―の辺りにはロケーションを持て余した、御当地映画的な諸刃の剣が見え隠れする感も否めない。よしんば映画を壊したとて、オッパイをおヒップを、張尺を兎にも角にも叩き込む気概は、そもそも本隊ロマポなり西村昭五郎に求めるのがお門違ひといつた奴か。となるといよいよ万策尽きようところで、伏兵が大活躍。腹に一物含んだ色男が絶品の織田俊彦に、高橋明のバクチクする重低音。ブーツを履いてゐても、足は短いけれど。ツッパッた清水国雄に、ある意味邪気のない好色漢に扮する島村謙次の憎めない呑気。そして、慎ましやかにフレームの片隅を駆け抜けて行く御存知小見山玉樹。ロマンポルノが擁する常連部のさりげなくも芳醇な見せ場の数々は、女の裸に勝るとも劣らない地味ながら大いなる見所。劣勢を男優陣で挽回可能な、裸映画は強い。

 多分曲名は歌詞の最後の「ほくれんブルース」―ホクレンの表記不明―ではなからうかと思はれつつ、クレジットに無視される主題歌にどうしても辿り着けず。


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 「肉欲婚淫 むいてほじる」(1998/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川欽也/撮影:図書紀芳/照明:内田清/助監督:井戸田秀行/音楽:OK企画/編集:㈲フィルムクラフト/脚本:八神徳馬/監督助手:片山圭太/撮影助手:袴田竜太郎・鈴木一人/照明助手:佐野良介/録音:シネキャビン/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映化学/出演:麻生みゆう・工藤翔子・杉本まこと・久須美欽一・林由美香・河合純・樹かず・松島政一・姿良三・片岡圭)。出演者中、捨て仮名を用ゐない麻生みゆうは本篇クレジットまゝで、姿良三は小川和久の変名。
 公園のベンチ、久美(麻生)が恋人(樹)から、発覚した本番ビデオ出演を理由とした婚約破棄を通告される。久美に手も足も出せず二人は別れ、渋谷の夜景にタイトル・イン。タイトルバックで適当に彷徨したのち帰宅、寝転んだ久美が「騙された私が悪いのか・・・・」と一人言つのはビデオ撮影時を振り返る流れかと思ひきや、「でもあんなに愛し合つてゐたのに」と結局入る回想は、樹かずとの婚前交渉。何れにせよ、濡れ場の火蓋を切る点に関しては変りない。正常位の途中でフェードすると、今は一人の久美がオッ始めるワンマンショーに移行、タフな女ではある。婚前交渉も決して打ち止めた訳ではなく、来し方と現在時制とを頻繁に往き来する貪欲なカットバックの末、全裸自慰大完遂。翌日か日を改めて雑誌をめくる久美は、広告が目に留まつた結婚相談所「あゆみの会」に入会してみることにする。ところで久美に、劇中仕事をしてゐる風情が全く見当たらない件。
 配役ある程度残り、三人まとめて飛び込んで来る久須美欽一と河合純に工藤翔子は、「あゆみの会」会長の山口と会員でGSを三軒経営する吉田に、山口が吉田に紹介する坂本加代。実は加代は山口の情婦で、蜂蜜の香るサクラといふ寸法。最初はスナップ写真で登場する杉本まことは、山口が久美にレコメンドする不動産屋といふ体の古川祐二。まんまと気に入つた久美が「この人を紹介して下さい」とか二つ返事で釣られる次のカットで、杉本まことが乳を吸つてゐたりする林由美香は、古川が既に担当してゐる舞子。ここの鮮やかな繋ぎは、絡み以外極めて数少ない正方向の見所。多分二度目のデートで古川を待つ久美を急襲する松島政一は、偶々再会した件の本番ビデオ監督。割つて入つた古川に投げる台詞が、「この久美はなあ、俺の裏ビデオにも出てたことがある女なんだ」。プリミティブの箍がトッ外れた、ど直球に震へる。
 遂に未見の残り弾がex.DMMになくなつた小川和久1998年第一作は、次作以降名義が欽也に落ち着く、和久最終戦。藪蛇な過去で結婚が破断になつた女が、悪徳結婚相談所の敷居を跨ぐ。女の裸の匂ひしかしない物語は、久須美欽一が粘度の高いメソッドを爆裂させる対工藤翔子戦を筆頭に、裸映画的には何はともあれ磐石。その点に於いては、あくまでその点に限つては、命綱を辛うじて死守する。反面、加代とは対照的に、古川もハニーならぬ棹トラップである旨を最初に明示しないゆゑ絶妙な据わりの悪さは拭ひ難く、予想外の正体を明かした吉田も吉田で、依頼人とその後の顛末をスッ飛ばすとあつては、起承転結を転がすだけ転がしておきながら、宙ぶらりんに消え失せた印象は否めない。何より凄まじいのが、古川宅にて久美と一発―中途で端折るけど―キメた事後に、舞子が乗り込んで来る修羅場。に、官憲部に扮した演出部が踏み込んで来るラスト・シーン。片岡圭といふのも、片山圭太の変名にさうゐない。五人を一堂に捉へた画が、驚く勿れ、誰にもピントが合つてない。何処に合はせてんだと節穴を凝らしてみたが、呆れる勿れ、何処にも合つてゐない。結局焦点は終ぞ回復しないまゝ、久美を残して全員退場。改めて麻生みゆうの中途半端な笑顔―流石にここは合ふ―を抜いた上で、暗転“終”。作劇がぞんざいだ何だいふ以前に、ピントすら合はないラストには、グルグル何周かして間違つた感銘さへ寧ろ受けた。目下はすつかり伊豆の聖地「花宴」の番頭づいてもゐるものの、今上御大がデウス・エクス・マキナな刑事を自ら演ずる映画は全体全部で何本あるのか。両手でも、全然足らない気がする。


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 「痴漢電車 指で点検」(昭和62/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:深町章/企画:伊能竜/撮影:下元哲/照明:守田芳彦/音楽:二野呂太/編集:酒井正次/監督助手:橋口卓明・五十嵐伸治/撮影助手:村山浩/照明助手:馬田里庵/スチール:津田一郎/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:田口あゆみ・橋本杏子・水野さおり・松田知美・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・増利仁・津崎一郎・橋井友和)。出演者中増利仁が、どう読むのかも誰の変名なのかにも辿り着けず。
 パンで順々に移動する高層ビルのロングに電話が鳴り、南田(池島)・西川(ジミー)・北山(山本)が“何時ものとこ”に呼び出される。ドラムロールが起動してタイトル・イン、駅のコンコースを目的地に向かふ三人を一人づつ押さへて、一堂に会したのは何時もの「鈴乃」。多分東野辺りの東“トン”ちやん(増利仁か津崎一郎=津田一郎)交へ、この面子での雀歴が十二年も超える四人が麻雀の卓を囲む。適当な流れで記憶に残る牌の話になり、さりとて過剰な思ひ入れをあくまで否定する西川の手が、赤い中“チュン”を引いたところで止まる。以降北山が白“パイパン”、南田は發“あを”と、三人が三元牌を引く毎に、それぞれの色に因んだ過去の女性遍歴を想起する。といふ趣向のオムニバス仕立ての一作、実は当サイト、マージャン全然知らないんだけど。
 配役残り橋本杏子が、西川が電車の車中で会敵したルミ子。当初処女を騙りつつ、“メンスの時ぢやないと燃えない”と称し、経血を滴らせながら電車逆痴漢で男を漁るハードコアな女。橋口卓明変名の橋井友和は、西川が同居する同僚のヒムセルフ。血が極端に苦手な橋井君が、西川に紹介した婚約者がルミ子といふオチ。水野さおりは、北山が一方的に電車痴漢を仕掛けるパイパン、呼称されぬゆゑ役名不明。無毛を苦に五年前一度自死を図つた、パイパンを救つた矢張り博打打ちで老けメイクの山竜が闇雲に登場する白パートが、最もトッ散らかつたまゝどさくさ振り逃げる。南田が痴漢する女子高生のチエミが松田知美、田口あゆみがチエミの姉で、福島の牧場主に嫁いだとかいふユウコ。青色を担当するのは、闇雲に未だ蒙古斑の残るチエミ。そして問題が、まんまと三百万カッ浚はれた―相続成金の―南田に、他愛ない真相を明かす牧場主。東ちやん同様、この人も背面肩口からしか抜いて呉れないため、津田一郎は見れば判るにも関らず、増利仁と津崎一郎を詰めきれない。ただ、僅かに覗く横顔を窺ふにどちらかといふと牧場主が津田一郎で、東ちやんの背中は深町章に見えるやうな気がしなくもない。
 “指で点検”なる下の句は盲牌にかけたのか、深町章昭和62年第一作。回想突入は各色の丸枠で色も合はせた車両を囲んで火蓋を切る三篇のうち、青―実際には緑だが、信号の要領で青―は無理矢理気味でもあれ、細かいことをいひない。苛烈な性欲に駆られ、切なささへ漂はせ男を求める橋本杏子の痴態に、グラマラスの力任せで圧す水野さおり。田口あゆみと松田知美は締めに車内で百合も咲かせる姉妹丼勝負と、四本柱で最後に登場するビリング頭が、実はヘテロの痴漢電車には乗らない一種の奇襲も繰り出しつつ、バラエティ豊かに裸映画的には過不足なく安定。呆然と南田が手から落とした發が、東ちやんに大三元を振り込む大オチが綺麗に決まる気の利いた小品である。

 にしては一点画竜点睛を欠くのが、宅を囲んだ四人の並び。各篇冒頭で各々西川・北山・南田に寄る程度で、東ちやんは頑強に背中しか見せない画角から基本微動だにせず、東ちやんの対面は西川、ここまではいい。問題が東ちやんの画面左手に北山で、右手に南田。即ち、東南西北を実際の方位にも合はせようとした場合、北山と南田の座り位置が逆である。


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 「緊縛色情夫人」(昭和55/製作:わたなべぷろ/配給:新東宝興業/監督:渡辺護/脚本:小水一男・縞田七重/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/編集:田中修/音楽:飛べないアヒル/助監督:加藤繭・塩谷武津奈・根本義博/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐久間照男/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:ハイラボセンター/協力:上板東映/出演:高原リカ・竜本寿・市村譲・五月マリア・広田清一・丘なおみ)。出演者中、広田清一は本篇クレジットのみ。逆に、あるいは何故か。旧版ともポスターには名前の載る佐野和宏が、本篇には鮮やかなくらゐ影も形も出て来ない。声だけでも気づく自信があるのと、全体何でまた、しかも佐野が湧いたのか。
 夜景にプアンと一発電車の汽笛鳴らして、オッパイを抱き隠した高原リカが横になり、男の手がおパンティを弄り始める。同じゼミ生の利彦(滝本)と奈美(高原)がホテルに入る、奈美は、初めてだつた。ホテル街の朝、擦れ違つたオッサンから冷やかされつつ、訳の判らないキレ方をした奈美は一方的に別れを告げて去り、利彦は女の扱ひ方に軽く途方に暮れる。大学にも行かず、上板橋駅に降り立つた利彦は丘なおみが渡り始める横断歩道に通りすがる、唐突な引きの画で人妻の千鶴子(丘)に心奪はれ、狂ひ咲く上板東映までついて行く。
 配役残り、それなりに仲良くはなつたのち、実は結構近所な千鶴子に付き纏つた利彦が、結局その日は手ぶらで帰宅すると大絶賛真最中の広田清一と五月マリアは、利彦に九時まで部屋を借りる約束の友人・ヒロシと、その一応彼女・ハルコ。ヒロシ曰く、ハルコはラッタッタ。そのこゝろが、「誰でも簡単に乗れまーす」。ところでこの広田清一、既視感のある顔だと思つたら、中村幻児昭和56年第二作「セミドキュメント 特訓名器づくり」(脚本:吉本昌弘・伊藤智司)の和田家長男・総一郎役の広田性一と同一人物、性一て。市村譲は、一歩間違へば死んでしまはないかと心配になるほどの、苛烈な責めを日々千鶴子に加へる夫・輝雄。八作前の「団地妻を縛る」(脚本:小水一男)と全く同じ組み合はせで、限りなく全く同じ造形の夫婦である、今回は戸建に住んでゐるけれど。その他上板東映に、観客部を若干名投入。「あのう済みません、僕途中から入つちやつて」、「あの男あの女の何なんですか?」。上映中の映画―渡辺護の、「をんな地獄唄 尺八弁天」(昭和45)らしい―に関して質問を投げる、利彦の斬新なナンパに乗つた千鶴子は、割と底を抜く二分の長尺を費やしヒロインの心情をああだかうだ、要は詳らかに自作解説。煩えなと後方から至極全うなレイジを飛ばす、モッジャモジャのパーマ頭に上映中の場内でもティアドロップをキメた、まるで遊戯シリーズの頃の優作みたいな男が見切れるのは誰なんだろ。
 最早ほかに打つ手もないのか、“懐かしの新東宝「昭和のピンク映画」シリーズ!”で渡辺護昭和55年第十四作。ビリング頭が豪快に三十分退場する間、主人公が出会つた肉感的な人妻の体のそこかしこには、痛々しい縄の跡があつた。モラトリアムを拗らせ人妻に入れ揚げる青年の周囲を、仲良く飄々とした男女三番手が呑気に賑やかす。利彦でなくとも理解に難い、情緒不安定ばりに甚だしくランダムな奈美の言動がそもそもなアポリアではあれ、そこに捕まると恐らく禅問答。如何にもありがちな構図の物語はいざ絡みの火蓋を切るや質的にお量的にも十全に見させ、殊にゴッリゴリ押し込んで来る力技通り越し荒業のサドマゾを主兵装に、裸映画としての腰の据わり具合は案外比類ない。にしては、全般的な湿つぽさなり不用意に豊かな情感が、寧ろ煩はしく感じられなくもないものの。「アタシ何でもする」と健気に膳を据ゑる奈美の言葉に、利彦の野郎は邪に起動。カット跨ぐとブルータルにフン縛つてゐたりする、クッソ外道な締めの濡れ場とか殆どギャグに近いのだが、加速して文字通り縄で縄跳びする奈美のカット挿んで、何処にも誰もゐない噴水のロングに“終”が叩き込まれるに及び、映画の底は何だこれの領域にスッコーンと突き抜ける。


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 「社宅妻暴行 白いしたゝり」(2000/製作:IIZUMI Production/提供:Xces Film/脚本・監督:北沢幸雄/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》・業沖球太/製作:北沢幸雄/撮影監督:清水正二/編集:北沢幸雄/助監督:城定秀夫/監督助手:躰中洋蔵・鈴木愛/撮影助手:岡宮裕・岡部雄二・広瀬寛巳/ヘアーメイク:松本貴恵子/スチール:本田あきら/ネガ編集:酒井正次/選曲:藤本淳/協力:堀禎一・平田亜希子/タイトル:道川昭/録音:シネキャビン/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映化学/出演:佐々木麻由子・工藤翔子・佐倉萌・千葉誠樹・久保和明・MOMOKO・サトウキナコ・佐々木基子《友情出演》)。出演者中MOMOKOは、西田ももこの変名、サトウキナコは当然さとう樹菜子。
 公園のロングにまづは企画と製作のみクレジット、無人のブランコにタイトル・イン。ex.DMMに未見の残り弾がなくなつた―待つてるぜ、エク動―機会の久し振りで触れておくと、企画部セカンドの業沖球太といふのは、栗間太澄の類の北沢幸雄の変名。窓辺に置かれた千葉誠樹と佐々木麻由子が肩を並べるスナップに、掃除機をかける佐々木麻由子を映り込ませる。今時では滅多にお目にかゝれない、丹精なカット。国崎和也(千葉)と結婚して一年の、妻・みどり(佐々木麻由子)が写真に目を留める。みどりの住まひは国崎の勤務先である、(株)ケー・アイ・シー電子青葉台社宅。抜かれる順に佐々木基子・MOMOKO・サトウキナコが花を咲かせる井戸端会議に、早野久美子(佐倉)も加はる。ここで、アダルトビデオ引退後はVシネを主戦場としてゐた西田ももこにとつて、限りなくVシネに近い愛染恭子監督第一作「愛染恭子VS小林ひとみ 発≪さかり≫情くらべ」(2001/脚本:藤原健一/主演:小林ひとみ・愛染恭子)を除くと、今回が唯一の純然たるピンク映画出演となる、カメオ的な類作がほかにもなければ。話を戻して、四人の輪には一瞥だに呉れず、決定的な爆乳を誇示しつつ単騎外出する山瀬茜(工藤)は、周囲の社宅妻達には疎んじられてゐた。駐車料の集金に来た久美子から、国崎のシンガポール栄転を初耳で聞いたみどりが恥をかいたと帰宅した国崎に憤慨する一方、買物に出るみどりに、小杉則夫(久保)が過剰に熱を帯びた視線を注ぐ。
 一昨々年末、久保和明(現:LEONE/Lennyプロデューサー)の発案を受け池袋が急遽番組を差し替へ上映した、2007年新版「団地妻凌辱 白い肌をいただけ!」が結局津々浦々に回つては来なかつた、北沢幸雄2000年第二作。団地妻掲げて社宅妻を売る改題のへべれけな匙加減が、ありがちで清々しい。
 文字通りの愛憎渦巻く社宅を舞台に、ビッシビシ行間をスッ飛ばすと他人にしか興味のない者共に翻弄されるヒロインが、箍のトッ外れた暴力と岡惚れをも被弾する。“スタイリッシュに一分の隙もない”と賞されたリアタイのm@stervision大哥始め、今なほ世評の高い一作ではあれ、改めて見てみたところ、いふほどか?と釈然としないのが偽らざる印象。さりげなくもこれ見よがしに、みどりを挟撃する形の感触をある意味顕示した上での、まんまと国崎と久美子がデキてゐたりする辺りは全くお見事、確かに完璧。最初の暴行後、みどりが穢された汚れを落とすシャワーに際しては、足下のプチ水面に執拗に洗ふ観音様をかなり際どく攻め込んで映り込ませる、丹精に加へて攻撃的な名ショットも披露する。反面、主人公たるみどりと、みどりに劣るとも勝らず、男主役に据ゑたつもりであつたと思しき小杉の造形が割と木端微塵。後々まじなひである旨語られはする、小杉の尾行も凝視も知らず、公園にてレジ袋は一旦ベンチに置いたみどりが、両手を前に伸ばし目は瞑り、足探りで辿り着いたブランコに乗る謎行動。に、カメラを180°近くまで回り込ませすらして一分強を費やす、全体何がしたいのか―少なくともその時点では―全く判らないシークエンスには度肝を抜かれた。イノセントでも目したのかも知れないが、端的に単なる奇行である。火に油を注いで、二度目にみどりを急襲した小杉が、いきなり「俺ずつとあんたを見てたんだよ」だ「好きなんだよ」だと、正しく木に竹を接ぐ不純な純愛を出し抜けに暴発させたところで、みどりなり小杉よりも先に、この映画自体が壊れたと腰が抜けた。地下道にて、誰にも関心を払はれないまゝ頭を抱へ座り込むフラグまで立てながら、結局小杉が鮮やかに果ててさへみせないのも画竜点睛を欠く。一見絡みは質的にも量的にも申し分ないかに思へ、妙な正常位率の高さに対しては、手数の不足を覚えるのも幾分否めない。西村昭五郎的なソリッドなロマポの残滓もとい系譜を、北沢幸雄に求めたくなる気持ちも全く酌めなくはないものの、手放しで激賞するには些かならず遠い。無論m@ster大哥も、今作が完全無欠の傑作とはいひ難い点を認識されてをられない筈がなく、“あと10分使へれば完璧な作品になつたはず”―原文は珍かな―と擁護しておいでだが、きのふけふ撮り始めた訳でもあるまいどころか、北沢幸雄(ex.飯泉大)なんて当時既に三十年選手。上映時間まで規定された量産型娯楽映画中の量産型娯楽映画たるピンク映画にあつて、尺が足りませんは流石に通らない方便だらう。


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