真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「生撮り解禁ツアー むしられたビキニ」(昭和60/製作:AMI企画/配給:株式会社にっかつ/監督:和泉聖治/脚本:橋本以蔵/制作プロデューサー:木俣堯喬/企画:奥村幸士/撮影:佐々木原保志/照明:隅田宗孝/録音:杉崎喬/美術:衣恭介/音楽:新映像音楽/助監督:西澤弘己/編集:菊池純一/効果:小針誠一/制作担当:江島進/撮影助手:図書紀芳・中松俊裕/照明助手:佐藤才輔・山中幸治/監督助手:鎌田敏明・大内裕/スチール:山副準美/メイク:小神野由紀/衣裳:富士衣裳/小道具:高津商会/サイパン車輌:ロバート・デービス/主題歌:『サザンクロスで流されて』作詞:三浦晃嗣 作曲:樫原伸彦 編曲:樫原伸彦 挿入歌『大胆 FLIDAY NIGHT』作詞:三浦晃嗣 作曲:樫原伸彦 編曲:樫原伸彦 歌:聖女隊/衣裳提供:INDUMENT・ていんかーべる・株式会社オカダヤ・5のレモン/録音所:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:<聖女隊>恵理・真衣・亜美 青木竜矢、織本かおる、大滝かつ美、大原薫、ビル・ドロシィー、ブォノ・シャフナー、岡柳太郎、飯島大介、牧村耕治、ビビアン・ドルフ、エミリー・チェン、リンダ・スチュアート、ボブ・ミッチェル、ジェームズ・ワッツ、飯島雅彦、黒明和夫)。出演者中、ビビアン・ドルフ以降は本篇クレジットのみ。美術の衣恭介は木俣堯喬の変名で、製作のAMI企画はプロ鷹の別名義。
 雨のビル群ロングに嬌声が被さり、ピントを滲ませ絡みに跨ぐ。カメラマンの砂岡?裕司(青木)が、合鍵を持たされた女のヤサをノンアポで訪ねたところ、ゆかり(大原)は先輩カメラマンの牧村耕治に抱かれてゐた。自ら挑発しての刃傷沙汰、得意の空手で牧村パイセンを叩きのめした裕司にゆかりは開き直つて激おこ、裕司も鍵を投げ辞す。電話ボックスで仕事を受け、出て来た裕司と菅原恵理(ハーセルフ)が交錯。サイパン島を空から捉へた画にタイトル・イン、壮絶なタイトルの挿入歌はこゝで使用される、ディンドンダン。
 恵理と、矢張り彼女自身の君塚真衣と山際亜美が空港の表に現れる。一行は東京の女子大生で、バイトで金を貯めサイパン旅行に繰り出したものだつた。レンタ単車で三人が適当に流してゐると女の悲鳴が、しかも日本人の。大滝かつ美がトム(ビル)とマリオ(ブォノ)に二人がかりで犯され、ハネムーンの新郎(岡)はフン縛られ転がされてゐる。挙句レイプされる新妻を、恵理的にはホテルのプールで軽く再会済み―残りの二人も食ひつく―の、裕司が木の上から写真に撮つてゐた。と、ころで。a.k.a.岡竜太郎の岡柳太郎が、当サイトの中で混濁してゐた問題が漸く解決。新田栄昭和60年第十作「緊縛 縄の陶酔」(脚本:中良江)に於いて、刑事もう一人を岡柳太郎とする嘘―正しくは山倉峻―を記載した、闇雲か藪蛇に詳細なウィキペディアに引き摺られてゐたものであつた、もう迷はない。
 配役その他、ビビアン・ドルフ以降の外人部はダンサー含め、裕司がトムに報酬を手渡すナイトクラブ要員。飯島雅彦と黒明和夫は、プールサイドにて聖女隊をナンパする日本からの旅行者、「俺達音楽関係者」なる愉快か間抜けな第一声には悶絶必至。そし、て。亜美が部屋に入れたマリオに犯される、地味でなく派手な件をブッた切つて飛び込んで来る織本かおるが、出会ひ以降を一切スッ飛ばし、出し抜けに裕司と寝てゐたりする休暇中のスチュワーデス。寧ろ今より丸々肥えてゐる飯島大介は、パッとしない裕司に、その場仮題で“ルンルンギャル達にとつて常夏天国が地獄に変つた瞬間”とか称して、サイパンでの―仕込んだ―レイプ現場写真の撮影だなどと、破天荒な企画を振る編集長。実は、義母・珠瑠美の翌昭和61年第二作「倒錯縄責め」(脚本・プロデューサー:木俣堯喬/主演:観世彩)に先んじる、限りなく全く同じ造形。その他のその他、主に空港周りの旅行客と、そこかしこに何となく居合はせる現地人。結構膨大な頭数に、肖像権なんぞ一瞥だにせず無造作なカメラが向けられる、商用・オブ・商用の商業映画なのに。
 エンター・イントゥ・病膏肓、和泉聖治映画祭の別に飾りもしない掉尾は、「猥褻・・な、女 黒い肌に泣く」との間に、シブがき隊のバロギャン―も橋本以蔵脚本―挿む昭和60年第三作。一応、今作を最後に和泉聖治は裸映画から足を洗ふ。“一応”と奥歯に物を挟んでみたのは、四年後またしても珠瑠美の1989年第二作「監禁 なぶる」(脚本:木俣堯喬/主演:浅間優子)に、演出協力の形―ポスターには監修―で参加してゐる模様。尤もどれだけ携はつてゐるのか云々いふ前に、そもそも未見、当該作のクレジットを自分の節穴で確認してはゐない。とかくjmdbはおろか国立機関であるnfajさへ、出鱈目だらけの世界につき。
 ネットの中に情報がないといふのが、本当に見当たらない謎ユニットの聖女隊。デビューは当年とのこと、何時まで持ち堪へたのかは知らん。45回転の12インチ四曲入りシングル―公式の扱ひとしてはLP―を少なくとも一枚出してをり、一部では音楽的に高く評価されてゐる風も窺へつつ、劇中使用される二曲―何れも件の12インチには未収録―を聴く限り、クラッシュギャルズに陰毛を生やした程度の印象に止(とど)まる。
 兎も角そんな聖女隊が、大本が何処なのか判らないがそれなりに肝煎りの企画らしく、尺こそピンクと変らないものの、サイパン撮影を観光、もとい敢行した買取系大作。さうは、いへ。予算規模と映画の出来が常に正比例の状態にあるならば、それほど簡単な話もなく。現地調達した黒人に同胞の旅行者を強姦させ、その模様を撮影、男性誌の誌面に載せる。発案した飯島編集長いはく“愛の鉄槌”と豪語してのける、抜けた底がCUBEの殺人トラップよろしく、頸動脈目がけて回転鋸の如く飛んで来さうなプロットが、幾ら昭和の所業ながら大概に過ぎる上に、あるいは下に。三人揃つてビキニを毟られた聖女隊が、何となく立ち直ると割と本格的にこんがり日に焼き、文字通り“一皮剝けた女”を気取つてみせる。屁のやうな物語には欠伸も出ない、以前の惨状なんだな、これが。先に触れた織本かおるの切れ味を頂点もしくは奈落に、繋ぎは全般的にズッタズタ。火に油を注いで、漫然としかしてゐないサイパン風景がふんだんに放り込まれ、元々霞より稀薄な展開を更に稀釈。面白くない詰まらないどころか、爆散したのちに漂ふ粉塵の有様。せめて、一人飛び抜けた絶対美人ぶりを誇る、恵理の濡れ場を映画全体のバランスと引き換へにしてでも、撃ち抜き倒して呉れればまだしも立つ瀬のあつたらうに。といふか、端からバランスもへつたくれもねえ。ある程度以上に精悍で体の動く、青木竜矢の空手アクションも普通に見せればいゝものを、牧歌的なスローモーションで披露するのは御愛嬌の範疇にせよ、恵理が裕司に対してケジメをつける、鼻つぱしらに叩き込むエリキックの、無理矢理にもほどがあるへべれけなカット割りで完全にチェックメイト、終に映画が詰んだ感は否み難い。“サーザーンクロスに愛が絡まつて”、主題歌の頓珍漢な歌詞が象徴的な、いよいよ本格的に一般映画のフィールドに討つて出んとする和泉聖治も、そこそこ大々的に売り出さうとはした聖女隊にとつても、多分プラスにはなつてゐなささうな一作。挿入歌の清々しくダサい歌ひ出しが、乾き果てた心を吹き抜ける、ディンドンダン、トカトントンかよ。


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 「聖処女縛り」(昭和54/製作・配給:新東宝興業株式会社/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/企画:門前忍/撮影:鈴木志郎/照明:近藤兼太郎/音楽:飛べないあひる/編集:田中修/記録:豊島睦子/助監督:一ノ倉二郎/演出助手:内村助太/撮影助手:遠藤政史/照明助手:佐々間潔/効果:東映東京撮影所/現像:東映化学/製作主任:吉田修/出演:鶴岡八郎・杉佳代子・下元史郎・渡健一・太田伝・下川純・峯孝介・西山徹・日野繭子・岡尚美)。企画の門前忍は、渡辺護の変名。録音が抜けてゐるの―とまるで倒立したビリング―は本篇クレジットまゝで、配給に関しては事実上新東宝映画。
 片田舎に特別高等警察職員の住居が存する点を窺ふに、早くとも―第一次日本共産党成立後の―大正後期か、普通に昭和初期。駅に男が現れる遠いロングを一拍置いた上で、思ひ詰めた日野繭子の横顔と、カットひとつ跨いで廊下から様子を窺ふ岡尚美を、階段の下から抜いてタイトル・イン。刑事(渡)を伴ふ、特高・小西(鶴岡)のロングにクレジット起動。小西の目配せを受けた刑事が、各々適当に扮装した四人の警官(太田伝から西山徹まで)を呼び寄せる。俳優部のクレジットが、役名まで併記して呉れるのが心から有難い。
 園(岡)が宮田に囲はれる一方、園の妹・綾(日野)が思慕を寄せる宮田(下元)はお尋ね者の共産主義者、といふドラマみたいな関係性、ドラマだからな。小西曰くの、人間らしく生きられる社会なる方便に感化される妹に対し、姉が妾の代償に手に入れた、一定以上の生活こそ人間らしさと抗弁する、それもまたひとつの大正論。追ひ詰められ、ドスを抜いた宮田が刑事の長ドスは潜り抜けるも、小西が涼しい顔で懐から取り出した、オートマチックに仕留められる。綾は宮田の亡骸に縋り、園は小西の傍らに寄り添ふ。その夜、園を抱いてゐる最中に出刃で襲ひかゝつて来た綾を、小西は未成年に配慮する素振り―この時代にも大正11年に公布された、旧少年法がなくはない―を窺はせつつ、本宅に要は監禁する。流血した手当の支度に姉が座を外した隙に、小西が妹の乱れた裾を、更に割つてみる人間的なシークエンスが琴線に触れる。生きて、堕ちる。その様に映し出されるのが人の姿で、主に劣情を処り処としたアプローチが量産型裸映画に於いて、実相に辿り着き得る最も手つ取り早い便法なのではあるまいか。
 杉佳代子はほゞ寝たきりで、いはゆる夫婦生活に応じられない小西妻。助けるといふよりも寧ろ本妻の矜持に駆られ、最期の力を振り絞り綾を逃がす以外には、杉佳代子が基本床に臥せつたまゝ、脱ぎもせず死んで行く豪快か、ある意味贅沢な配役には驚いた。
 常々巷にて大傑作の如く扱はれてゐるところの所以が、正直サッパリ判らない渡辺護昭和54年第三作、当年全十三作。それ、もう結論だろ。
 そもそも佳代(超仮名)は性行自体に堪へられず、園も園で受ける資質を持ち合はせない。小西のサディズムによもや応へた綾が、本妻と妾双方向かうに回し、小西を奪ひ去る節すら一見窺はせつつ、実は復讐の凶刃を静かに砥ぐ。よく出来てゐるともいへ、逆にか寧ろ、グルッと一周してありがちと紙一重の構図が、結局例によつての何時もの如く、とりあへず全員死ぬラストに、限りなく自動生成的な勢ひで一直線。よくいへば様式美、直截にいふと類型的な展開に殊更魅力を覚えないのと、裸映画的にも鈴木志郎の性癖か渡辺護の指示なのか知らないが、概ね常に何かしら越しに濡れ場を狙つてゐないと気の済まぬ、一種強迫的な画が齢の所為か、最近煩はしくなつて来た。匙加減の問題ではあれもう少し映画を捨てて、大人しく女の裸を撮つても別に罰は当たらないと思ふ。それでゐて、小西が綾を責める模様を、責めに苦しみながらも喜悦する綾を、佳代に見せつける件。照明からペラッペラに薄い上、手前で杉佳代子が動きもせず暫し黙つて見てゐる、間か底の抜けた長回しにはこゝは笑ふところなのかと迷つた。それ以前に、兎にも角にも。綾の若さを佳代に誇示した小西が、「これが女だ」と豪語してのける最早清々しいほどのミソジニーは、凡そ令和の世に於いて満足に相手する気も失せる遺物。恐らくは渡辺護自身も共有してゐさうな、遺産とかでなく単なる遺物。申し訳ないけれど昭和に置いて来て、特に困らない一作、保守なのに。

 ど頭で舞台を大正後期か昭和初期と一旦書いたが、思ひ返すと綾は小西邸に囚はれた園の家にて、「サーカスの唄」が流れてゐる。なので8年以降の、昭和初期と特定出来る。


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 「月と寝る女/またぐらの面影」(2020/制作:ラブパンク/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:石川欣/プロデューサー:髙原秀和/撮影監督:田宮健彦/撮影助手:宮原かおり/録音:田中仁志/助監督:森山茂雄・福島隆弘/メイク:三田めぐみ/スチール:本田あきら/挿入曲:A little love little kiss by Eddie Lang《public domain》・As Time Goes By by Herman Hupfeld《public domain》・Moonlight Serenade by Glenn Miller《public domain》/挿入歌ボーカル:佐藤良洋・安藤ヒロキオ/演奏《ギター・キーボード》:石川欣/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:奥田咲・あけみみう・加藤絵莉・佐藤良洋・安藤ヒロキオ・山岡竜生・末永賢・金田敬)。
 タイトル開巻、公開題上の句と下の句をスラッシュで繋ぐのは、本篇に従つた。副題が随時スーパーで掲げられる、「ユミとマコト ゾロ目22才の恋」。困惑した面持ちで立ち尽くすユミ(奥田)の眼前、ベースとギターが鍔迫り合ふ。学際ライブ終了後、ギターの高倉マコト(佐藤)とベースのシュウヘイ(安藤)が、ユミ一人に古のねるとん的なコンペ告白、ユミはマコトを選ぶ。映画がど初つ端から豪快に蹴躓く、三人が三人とも二十二には凡そ見えない全滅の死屍累々、ないし土台な無理がいきなり爆裂しつつ、安藤ヒロキオがその短い一幕限りで、呆気なく駆け抜けて行く無体な起用にも軽く驚いた。寧ろ、後述する多分末永賢の方がまだ台詞も多い。当時マコトが住んでゐた、マンション「モモヤパンション」、正確な表記は知らん。二人が致すとその夜は中秋の名月、マコトは月に祝福された、地球で最高のカップル云々とスッ惚けて錯覚する。デモテープが認められたマコトは、劇中何処なのか明示されない郷里にユミを残し上京。ところが結局その話は潰え、父親(山岡竜生でも金田敬でもない消去法で末永賢)が娘との結婚に示す難色を押し切り、ユミをつれて行くダスティン・ホフマンにもマコトはなれなかつた。こゝで髙原秀和がマコトのその後、料理修行時代の前時代的に高圧的な店長か板長、厨房にもう一人二人人影感覚で見切れるのは特定不能。
 「ユミとマコト ゾロ目33才の恋」篇以降の配役残り、足掛け五年七本目の戦歴を積み重ねて来た割に、本隊とは依然交はらない加藤絵莉は、その頃屋号不詳のバーにてフードを担当するマコトと、一緒に暮らすカオリ。詳細は語られないまゝに、この人の店なのかマコトを食はせてゐる風の口ぶり。あけみみうはユミとの別れを経て、女性不信を拗らせたマコトがカオリと二股かける、ただでさへ狭い通路を、半分以上塞ぐあり得ないショバで商売してゐる占師・さくら。遠いロングにつき全く以て覚束ないが、山岡竜生は四十四のマコトが墓参に帰郷した際の、墓地を掃除してゐた坊主?そし、て。山岡竜生に劣るとも勝らない、最大の謎が金田敬、謎とは何事か。抜いて貰へるとまづ気づく特徴的な御仁であるにも関らず、全体何処に出てゐたのかまるで手も足も出ない。よもやのまさかがもしかして、ラストに於いて右腕しか映り込まないサカノウエ先生とかいはんぢやろな。もしも仮に万が一さうであつたとすると、そもそもクレジットはおろか、ポスターにまで名前を載せる意味があつたのか。
 三十有余年ぶりの電撃復帰が大きな話題を呼びは、したものの。蓋を開けてみると思ひのほか派手に酷かつた、「優しいおしおき おやすみ、ご主人様」(主演:あけみみう)の半年後、形式的には2020ピンクの掉尾を飾つた石川欣大蔵第二作。ある意味見事に、飾れてはゐないのだけれど。枯れては、ゐるけれど。
 三十三はユミの出府、四十四は逆にマコトの里帰りに伴ふ偶さか。実をいふと初めから約して落ち合ふのは五十五から先の、互ひの齢がゾロ目となる、十一年毎に満月の下でランデブーする恋人達の物語。六十六にして漸く、マコトといふか要は佐藤良洋が髪を白く染める一方、ユミこと奥田咲は全然変らないの一点張りで堂々と押し通してのける辺りは、大いに評価も割れようがぎりぎり許される範囲の映画の嘘、にせよ。案外自己を強く持つユミに対し、良くて他愛ない、直截にいへば自堕落なマコトの造形が冷静に振り返つてみるに、しなくていゝのに前作を踏襲した、踏襲してしまつた致命傷。中身のない能書ばかり捏ね繰り回し、さしても何も意気地のない。要はダメな男を主役に据ゑてゐるつもりなのかも知れないが、にしても無様は無様なまゝでも、ピクリともクスリとも輝かぬでは元も子もない。佐藤良洋を、斯くも一欠片たりとて魅力を感じさせず撮る人初めて見た。あの、といふのがどのなのかよく判らない、塾長以下といふ衝撃。当サイトの印象としては貫通力に富んだ発声が持ち味の佐藤良洋に、終始ボソボソ燻らせて全体何がしたいのか。一旦話を逸らすと、女の裸を愛でる分には、もつともつと揉むなり吸ふなり舐めるなり、奥田咲のたをやかなオッパイを粘着質に嬲り尽す。裸と映画でいふと裸寄りにもう少し―でなく―攻め込んで欲しかつた心を残しながらも、絡みに情感が決して伴はないでもなく、事後のユミとマコトが満月を見上げる件に際してさへ、乳尻を逃しはしない貪欲な画角は何気に火を噴く。二三番手は潔くいはばさて措いた上で、主演女優に関しては質的にも量的にもある程度以上に愉しませる。さうは、いつてもだな。遂に映画が詰むのが「66才の恋」パート、理由は特に語られないが、ユミの都合がつかず兎に角、あるいはとりあへず。同じ時刻に、同じ月を見るといふ趣向に基き銘々別個の行動。仕事で間に合はなくなりさうになつたマコトが、智恵子抄でもあるまいに「都会は月が見えない」とやらで、延々延々途方もなく延々、ビルの谷間を無駄に右往左往する。そもそも画的にすら見栄えしなければ代り映えもしないカットが暫し羅列される、壮絶に馬鹿馬鹿しいクライマックスには悶絶するほど呆れ返つた。それさ、開けたロケーションに抜けるとか高い場所に上るとか、選択肢幾らでもあるよね。兎も角奔走するマコト爺さんが、ぶつかつた相手に「月を見なきやいけないんです!」だなどと気の触れた抗弁に及んだ挙句、ガード下に入り込んでみせた日には、あまりの下らなさに引つ繰り返つた、本気で月見る気あんのかよ。投げた匙が大気圏の突破はおろか、太陽系通過して外宇宙に突入、モノリスになつて還つて来るぞ。挙句の挙句、然様なクソ以下のシークエンスで盛大に尺を空費した結果、然るべき位置に置かれた然るべき形での、締めの濡れ場が綺麗に消滅する木端微塵の体たらく、言語道断の体たらく。一歩間違ふと、髙原秀和より詰まらないのは逆の意味で凄くないかと傾げた首が肩を打つ、「おやすみ、ご主人様」で胸を過つた勘の鈍りといふ疑問が、力強い確信に変る一作。幸ひにも2021年は素通りして呉れた石川欣に果たして、三度目の正直はあるのや否や。別に、望んでゐる訳ではないからね。
 ユミは後背騎乗の状態から、仰向けに寝そべり完全に男を下に敷く体勢。さくらは最中ひたすら無言を強ひ、カオリは打点の高い後背位。三本柱が各々好む性行為の様態を明確に分けてみせた点については、裸映画をそれなりに希求しようとした節が、そこそこ窺へもする。とりわけカオリの場合、女二人は居酒屋に流れる三者会談を通して、結局ユミとカオリが双方マコトから去る。即ち一旦顛末を決着させたのちに、佐藤良洋のモノローグで「ところでカオリとのエッチだが」と、木に濡れ場を接ぐ力技の展開が唯一、もとい一番面白い。清々しく開き直つた“ところで”ぶりには、普通に笑ひが出た。

 付記< ユミが何時まで経つても変らない方便に話を戻すと、ところで冒頭、あるいは出発点の二十二歳時。実は実に四十年前を昭和に見せようとする努力がさういへば見当たらないのは、地味に見逃せない範疇の横着


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 「猥褻・・な、女 黒い肌に泣く」(昭和60/製作:AMI企画/配給:株式会社にっかつ/脚本・監督:和泉聖治/制作・プロデューサー:木俣堯喬/撮影:佐々木原保志/照明:磯貝誠/助監督:西沢弘己/編集:菊池純一/効果:小針誠一/音楽:新映像音楽/メーク:中村出雲/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:麻生かおり、中川みず穂、早乙女宏美、ビル・ドロシィ、リック・スティーブンス、みやけ充、牧村耕次、山科薫、松井功、野中郁雄)。出演者中、ビル・ドロシィとリック・スティーブンスが、ポスターではビル・ドロシーとウィリアム・スティーブ。前者はまだしも、後者は全然違ふフリーダムな出鱈目さ。同じく牧村耕次がポスターには牧村耕二で、山科薫以降は本篇クレジットのみ。製作のAMI企画は、プロダクション鷹と同一組織。
 一枚絵で区切つた毎改行する、“ami”、“a plan a project”、“AMI”、“the Probuction of film”とかいふいきなり壮絶なAMI企画ロゴで開巻。“Probuction”て何だよ、プロバクションて。別の意味で凄いといふか、最早そこから画期的。
 自分で現像する夫が、いはゆるハメ撮りを撮る夫婦生活。藪蛇に鳴らす雷鳴とともに、“猥ワイ”、“褻セツ”、“・・な、女”、“黒い肌に泣く”と、分割して入れるまどろこしい―だけの―タイトル・イン。それゆゑ、ポスター始め一般的に流布してゐる公開題と違へて扱ふのは、あくまで本篇に従つた。
 夫の朝倉文男(みやけ)が三日の関西出張でゐぬ間に、久美子(麻生)は旧友の風子(中川)と立川の街にて会ふ。ディスコで遊んだのち、全員ドラムウルフみたいな三人組(リーダー格の松井功以下野中郁雄と、もう一人ノンクレ)に久美子と風子は絡まれる。風子が三人組を引きつけてゐる隙に、久美子は風子の恋人・ビル(大体ヒムセルフ)と、その友人・リック(概ね彼自身)に助けを求め、三馬鹿は目出度く、もとい憐れ半殺しに。久美子は終電を逃し、四人は風子かビル宅に一泊。リックから藪から棒か木に竹を接いで一目惚れされた久美子は、夜這ひの形で犯される。と、ころで。在日米軍が立川飛行場を空軍基地に使用してゐたのは、昭和52年まで。さうなると八年後の今作、必ずしも封切り当時を描いてゐたとは限らないが、ビル―は最終的に風子を連れ帰国する―とリックの立ち位置が絶妙に不鮮明ではある。
 端から堅気の勤め人には見えない風子の、生業は何某か裸稼業。配役残り牧村耕次が、風子と恵美(早乙女)に咲かせた百合を撮影するカメラマン・横田、岩国でもよかつたのか。山科薫はスタジオにもう一人ゐる男優、四捨五入すると四十年前にもなるこの時点で、今と殆ど全く変らない完成の早さが可笑しくて可笑しくて堪らない。風子が恐らくビルからの電話で席を外した隙に、恵美が山科薫に善意で吹いて呉れた尺八を、すはとでもいはんばかりに横田が撮る愉快なシークエンス。「ちよつと待つて下さいよ、子供が二人もゐるんスから俺」、とアクシデンタルな被写体に異を唱へる山科薫に対し、「お前の顔などフレームの外だよ」と横田が鼻で笑つてみせるのが粋。
 一般映画の筆下しは三年前既に済ませてゐる和泉聖治の、公開順の次作がシブがき隊主演映画であつたりもする昭和60年第一作、麻生かおり的には初主演作。尤も、初日が一月しか違はない点を窺ふに、後から撮つたとかくフットワークの軽い量産型裸映画が、ゴールデンウィーク作であるバロギャンを追ひ越した可能性も十二分になくはない。何れにせよ、並びが独特すぎる。
 ex.DMMのユーザー評に目を通してみると、私選ロマポ最高傑作と激賞してをられる声も。まあ常々性懲りもなく、関根和美の「淫行タクシー ひわいな女たち」(2000/脚本:金泥駒=小松公典/主演:佐々木基子・町田政則)を超えるピンクを俺は知らん。だ、などと。頑なに言ひ募つて幾星霜の当サイトとしては、まるで鏡を見せられてゐるやうな面映さも禁じ難いが、直截に片づけると何が其の御仁の琴線に斯くも刺さつたのか、清々しく腑に落ちない。だから「淫タク」も、世間様にとつてはさういふことなんだよ。
 結婚一年のまだ全然新妻が、友人経由で出会つた黒人に惚れ込まれ、やがて転んで行く。他愛ない物語が照明部に於ける“大先生”矢竹正知―元祖は撮影部の柳田友貴―も不在にしては、そこかしこ不用意に恐ろしく暗い以外さしたるツッコミ処にさへ欠き。黒人部の何処から連れて来た馬の骨ぶり以前に、所詮類型的な展開に血肉を通はせるには、麻生かおりらしいメソッドで思ひ詰める姿に尺を滅多矢鱈と割く反面、久美子がそもそも文男との夫婦関係に覚え、てゐたのか否かすら覚束ない、寂寥なり空白が凡そ満足に描かれてはゐないのが冷静に考へると随分なアキレス腱。リックから手篭めにされてゐる筈の久美子が、腰を数度入れポン出しポンするうちに、あひんあひん大絶賛和姦で男を迎へ始める。昭和の所業と済ませてしまへばそこで話の終る、もしくは始まらない、陳腐なミソジニーもことこの期に及んで相手する気にもなれず。心許ない作劇に載せられ地に足の着かぬヒロインより寧ろ、風子が撃ち抜くやさぐれた健気の方が、よりソリッドな中川みず穂の決定力込みで余程形になつてゐた印象。ゼブラ柄が沸騰したやうなとんでもないデザインの、オペラグローブには眩暈もしたけれど。いやマジで、80年代ヤバい。ダサい通り越してヤバい、勿論悪い意味で。無闇にフォトジェニックなリックのヤサに辿り着いた久美子が、玄関の闇の中に消えて行く。ラスト・カットは手放しで悪くない分、触れたのが小屋なら、一点突破の一撃必殺で入れ揚げてゐたかも知れない一作。とでも、いつた辺りか。


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 「実録ソープ嬢スキャンダル 裂く!」(昭和62/製作:FILMKIDS INC/提供:にっかつ/監督:児玉高志/脚本:斉藤猛/プロデューサー:鶴英次/撮影:遠藤政史/照明:隅田浩行/音楽:佐藤龍一/編集:鈴木歓/監督助手:遠藤聖一/撮影助手:池田恭二/照明助手:谷内健二・高原賢一・河野幸夫/メイク:阿久沢好恵/スチール:石原宏一/助監督:酒井直人/色彩計測:富田伸二/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/製作担当:高橋伸行/出演:若菜忍・樋口美樹・夕崎みどり・滝川昌良・大谷一夫)。出演者中若菜忍に、ポスターでは“'86新人女優コンテスト優勝”の括弧特記。アポストロフィを、数字の左に打つ変態表記はポスターまゝ。同じく出演者中夕崎みどりが、ポスターには夕崎碧、提供は事実上エクセス。
 泡姫の支倉恵子(若菜)が、視点の主である客を店内に通す。客役は個人の特定を徹頭徹尾排した、内トラで別に事済むやうにも思へる滝川昌良、らしい。何せ覗かせる程度にすら首から上は抜かれず、声―と体つき―だけで流石に捕まへきらん。クレジットが先に完走した上で、騎乗位の体勢から恵子が身を起こした、絶頂寸前の止め画にタイトル・イン。モッサモサに髪の多い頭には時代をさて措くと閉口も禁じ難いが、若菜忍の美乳を一頻り拝ませるアバンは手堅い、アバンは。
 地元に戻つて来た恵子が高校の母校を訪れ、美術室の窓を見やる。こゝで、この部屋は美術室でございといはんばかりに、胸像が窓際に並ぶやつゝけた画に早速苦笑させられる。しかも何でそれ、外向いてるのよ。恵子が訪ねようとしたのか、美術教師の木久田茂(大谷)が自習の支度を適当にあつらへると、校舎の玄関口に堂々と停めてあるBMWで外出。矢張り元教へ子で前職看護婦、現在はパブクラブ「シャンダー」のホステス・小島和美(樋口)宅へと向かふ、二人は愛人関係にあつた。事後、和美の口からソープに入つて行く―要は出勤する―恵子の目撃情報を聞いた木久田が帰宅すると、木久田家は無人。娘を連れ実家に帰つた妻の置手紙には、和美との逢瀬を押さへた興信所の調査報告書が添へられてゐた。
 配役残り、引いて撮る分には美人でもあれ、寄つたが最後顔の曲がりを誤魔化せない夕崎みどりが、木久田の妻・水絵。タッパから恵まれた、スタイルは手放しに超絶。その他廊下奥に生徒の人影が二人僅かに見切れるのと、木久田よりも収入の高い水絵が経営する美容室の、従業員一名はノンクレ。
 昭和50年日活入社、57年に監督デビューしたのち、60年退社。その後フィルム・シティ所属と監協の会員情報にもウィキペディアにもあるのが、フィルムキッズとフィルム・シティの関係がよく判らない児玉高志第四作。前年巷間を騒がせた“岐阜教へ子殺人事件”の、“肉欲と愛憎の悲劇を完全映画化!!”した旨が仰々しく、若菜忍の第1回主演作品である旨は賑々しくポスターに謳はれる。字面と響きを脊髄で折り返し、若菜忍を川奈忍と見紛ふ粗忽から未だ脱け出せない。“未だ”といつたが、多分最期まで脱け出せない。
 概ねそれ自体大して踏み込みにも欠いた、濡れ場を頓着なく連ねるに終始する淡白な作劇と、大谷一夫が逆向きに迸らせる魅力の乏しさとに足を引かれ、いはゆる実録ものを煽情的に銘打つた割に、映画の足は一向地に着かない。脚本云々、演出かんぬん以前に。兎にも角にも木久田が女からモテてモテて仕方のない、二股三股上等、問答無用の色男であつて呉れないと画的にとりあへず成立しないお話を、そもそも二枚目でさへない大谷一夫が支へきれぬのが最も顕示的な致命傷。重ねて、淡々と女の裸を積み重ねるなら積み重ねるで、逆説的にストイックな姿勢であつたにせよ。導入からへべれけな、木久田と水絵の夫婦生活。後背立位の体を右に倒す、カット跨いだ先がいきなり正常位といふのは、如何せん絡みの繋ぎが雑すぎる、流石に生命線も絶たれよう。残一分に突入した土壇場・オブ・土壇場に及んで、対面男性上位の最中に木久田が恵子を何となく絞殺する。ある意味スリリングといへばスリリングな、画期的に呆気ない結末には引つ繰り返つた。トランクから和美の赤いドレスをはみ出させ、木久田の―和美に買つて貰つた―ベンツが美術室で致してゐたにも関らず、校舎の方角に走り去る、やうに映る間抜けなラスト・ショットに至つては最早完璧と讃へるほかない、貴様は“完璧”なる言葉の意を知つてゐるのか。もう一点、グルッと一周して感動的なのが、和美が店の表を掃き掃除してゐたところ、一旦は別れると称しておきながら、相変らず恵子を送迎する木久田の姿に血相を変へる。即ち、恵子が在籍するソープ店「ダービー」と、「シャンダー」が驚く勿れ呆れる勿れ肉眼で目視可能な、同じ通りの精々数十メートルくらゐしか離れてゐない。一種の詐術じみた清々しい町の狭さには、よしんば実際さういふものであるとしても尻子玉を抜かれた。さうかう、あゝだかうだとやかくするに、案外ツッコミ処は溢れたチャーミングな一作ではある。

 辛うじて正方向の評価に値するのは粒は揃つてゐる―ただ介錯する男優部に恵まれない―女優部三本柱と、事件の発覚から四ヶ月強で封切りに漕ぎ着けた、機を見るに敏を地で行く、鉄を熱いうちに叩きのめすスピード感。センセーショナルを装ひ、あとには一欠片の感興も残さない。今作の在り様には消費されるがまゝの宿命を受け容れた量産型娯楽映画が、安んじて潔く駆け抜けて行くひとつのポップをも、寧ろ認め得るのかも知れない。


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 「暴漢 処女を襲ふ!」(昭和54/製作:プロダクション鷹/配給:日活株式会社/監督:和泉聖治/脚本:池田太郎/撮影:古川丈夫/照明:矢竹正知/音楽:新映像音楽/美術:衣恭介/効果:秋山実/編集:古川丈夫/助監督:釜田千秋/スチール;津田一郎/衣裳:㈱富士衣裳/録音:㈱東音スタジオ/現像:㈱東映化学/出演:朝霧友香・乱孝寿・章文栄・坂下めぐみ・津崎公平・清水英雄・柴田政人・安田基二)。出演者中、章文栄と坂下めぐみがポスターには松田愛と田代ゆりで、清水英雄以下三名は本篇クレジットのみ。識者によれば松田愛は章文栄が併用してゐた名義らしいが、田代ゆりのこゝろは不明。美術の衣恭介は、和泉聖治の実父・木俣堯喬の変名。あと編集に関して、どうも嘘臭い古川丈夫の二重クレジットは、本篇ママ。
 ロケハンの意欲をもう少し窺はせて欲しい、半ば雑然とした山の中を津崎公平と朝霧友香が散策する。別荘に来てゐた、のちに強請られたその場の勢ひで、ポンと馬を買ふ財力のある南条常務(津崎)と、娘で女子大生の美紀(朝霧)が一度彼氏を紹介しなさい系の会話を交す。サイケデリックな柄のパンツが凄まじい、創業者一族と思はれる母親(乱)も交へてのバーベキュー。改めて今度連れて来る的な話の流れで、ニッコニコの美紀の笑顔に、粗い筆致で叩きつける煽情的なタイトル・イン。これから始まる映画で、この処女が暴漢に襲はれます。とでもいはんばかりの、無常と紙一重の無下な風情が心に沁みる。
 田舎者には特定しかねる何処園大学(超仮称)キャンパス、美紀と件の恋人氏・村上和男(ビリング推定で柴田政人)に少し遅れ、清水英雄(ヒムセルフ、といふ訳でもない)が後ろをついて行く。こゝで、清水英雄がヒムセルフではないところの所以が、さんざぱら言及されてゐる映像初陣?にのこのこ言及するのも甚だ間の抜けた話ではあれ、兎も角清水英雄役が公称のフィルモグラフィを大きく遡る益岡徹、封切り当時二十歳。話を戻して村上も社長の倅であるのに対し、何でまたこの三人で一緒にゐるのかよく判らない、清水はバイトに追はれる苦学生。今日も今日とて、乗せて貰つた村上の車から一人降りた清水が、ブルジョアの馬鹿息子に悪態ついて地下鉄の駅に消える、までがタイトルバック。
 明けて美紀と村上が致してゐるのに、非処女かよ!と腰が爆砕するかと思つたのは、仕方もない早とちり。挿入は頑として美紀が許さない、生殺しな婚前交渉に村上もそれはそれとして興じる一方、清水はといふと侘しい安アパートで美紀の名を呼びながらのワンマンショー、非情な落差が堪らない。マス岡徹がマスマスのつてます、黙れ、息するのやめれ、カロリー消費すんなボケ。閑話、休題。荒涼とした港湾、働きすぎをその他人足二人(グラサンの方が和泉聖治、もう一人は判らん)に戒められ、刃傷沙汰になりかけたといふか仕掛けかけた―相手が退散―清水は衝動的に辞めて来る。その帰り途、風景スケッチに覚束ない筆を走らせる画学生(坂下)を見かけた清水は、裂いたタオルで木乃伊状に顔を隠し襲撃、めぐみ(仮名)を犯す。まためぐみが元々ゐたのが恐ろしく開けたロケーションで、幾ら何でもこんな場所でオッ始めやがるのかと目を疑つてゐると、画をぐるんぐるん回す繋ぎで、二人を適当な茂みの中へと瞬間移動させる豪快な映画の嘘。大事な点を忘れてゐた、大事か?初戦となる、朝霧友香と多分柴田政人の絡み。人の映画でも、満足に照明を当てない矢竹正知には畏れ入つた。狂へ狂へ、もとい暗え暗え。
 配役残り章文栄は、電車の中で清水に目をつけられ、降車後尾行した上で矢張り犯される女。果たして矢竹正知の変名か否かは、確たるエビデンスがない以上一旦さて措き、南条一家と清水の四人で入るレストランの、単なるウェイターには見えないので恐らく主人は西田光月。大雑把に譬へると、禿げた堺勝朗を肥えさせたやうな風貌、随分にもほどがある。もしくは、背の高いダニー・デビート。不完全な消去法で安田基二が、南条家別荘の周辺に出没する地場の不審者。
 jmdbが何故かミリオン作にしてゐるのが箆棒な、和泉聖治昭和54年最終第八作。文字通りの無論、買取系ロマポである、といふかそもそも、ミリオンなんて配信でお目にかゝれるのであらうか。
 拗らせたルサンチマンを、清水が強姦の形で発露する。それなりに精悍な益岡徹がある程度の魅力には溢れ、間違つた人生を生きてゐる人間の歪んだ琴線にしか触れない、粗暴にして腐れたピカレスクロマン+ポルノ。とか、有体に掻い摘まうと思へば掻い摘めなくも、なかつたものの。兎にも角にも別に古式ゆかしくない女優部の古臭さ以前に、益岡徹の濡れ場があまりにも下手糞であるのに加へ、演出部がその限りに於いての大根を、どうにか苦心して御すでなく。裸映画的には、満足な代物とは凡そ認め難い。プロ鷹作御馴染の、常軌を逸した長尺暗転に劣るとも勝らない、ぐらんぐらんにカメラを揺らして場面を転換する、地震フェード―いゝ加減に命名―なる荒業にも眩暈がした。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999)がかれこれ二十年以上も昔となる、時の過ぎゆくまゝにに軽く愕然としつつ、以降隆盛を極めた今時POVの遥か以前に、映画で酔ふメソッドが存在してゐたとは。所謂お釈迦様でも、といふ奴である。音量から爆音の過剰な選曲が全篇を隈なく掻き乱し、止めに、無駄にHDで配信された動画を、真つ暗にした部屋で見てゐても何が映つてゐるのかてんで判らない。幾ら引き算にせよ如何せん引きすぎた“照明を焚かない照明部”矢竹正知が司る漆黒の闇が、女の裸もその他何も彼にも、全てをリレントレスに覆ひ尽くす。大雑把な姦計が何故か功を奏し、清水が一人勝ちするへべれけな作劇に、匙を投げるなりツッコミを入れるだけの余力さへ最早雲散霧消。尺を持て余したのを隠さうともせず、漫然とした山間のロングを、衝撃通り越して狂気の五十秒の長きに亘り、パノラマに舐める壮絶なラスト・カットが一切の感興を許さない。明後日か一昨日なブルータルさは、公開題のフォーマットも共有する六作前と共通、もしかしてさういふ作家性なのか。凄まじく曲解するに映画自体の作りからぞんざいな心なさが、グルグル何周かした弾みでよろめいて、ある種ニヒリズムの領域にでも突入しかねない一作である。


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