真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「マゾ麗奴 囚はれて」(2004/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:渡辺護/撮影・照明:飯岡聖英/編集:鵜飼邦彦/音楽:MIKA UTAMURA/助監督:城定秀夫/演出助手:三浦麻貴・三上沙恵子/撮影助手:小宮由紀夫、他一名/タイミング:安斎公一/協力:佐藤選人・太田耕一/出演:富士川真林・秋津薫・佐々木基子・西川方啓・綺羅一馬・内山太郎・美堀ゆか)。出演者中、内山太郎と美堀ゆかは本篇クレジットのみ。
 サラリーマンの水戸和夫(西川)は、遊び慣れた先輩・伊東(綺羅)に連れられ入つたバー「黒薔薇」にて、ホステスの一条加代(富士川)と出会ふ。夜の街の女にしては不釣合ひな、パンツ姿にトックリを合はせた露出の少ない服装で、加へて陰気な加代に対し水戸は初め好印象を持つてはゐなかつたが、伊東の咥へた煙草にマッチで火を点けようとするも無視される、憚ることもなく自らの読解力の浅墓さを露呈するが、正直よく理解出来ない契機で興味を抱く。以来黒薔薇に通ひ、やがて加代と店外での逢引きを重ねるやうになつた水戸は、六度目のデートで、連れ込みに誘ふことに成功する。情交時に於いてすら加代は肌を晒すことを拒む中、事後、眠る加代の浴衣を捲つてみた水戸は驚愕する。加代の体は、腹は切り傷だらけで、太股には火傷の痕が残されてゐた。目を覚ました加代は、時代錯誤の暴れ咲く狂乱の末に告白ではなくあくまで白状する。加代は、切腹と炎とに歪んだ劣情を激しく掻き立てられる、真性のハードマゾであつたのだ。腹の傷はいはゆる切腹プレイの痕跡で、太股の火傷は、自慰に耽りながら煙草の火を押しつけたものだつた。
 ざつくばらんにいふならば、堅気の平凡なサラリーマンが、今時にいふとメンヘラ女の地雷を踏んでしまひました、目出度いのか目出度くないのか、といふお話である、目出度い訳がないか。簡潔に片付けるならば渡辺護が自分で撮つてしまへばまだしも良かつたのに、などといふと正しく実も蓋もないが、同じ顔合はせによる前回の残念から殆どを通り越して全く何も学ばかなつたのか、荒木太郎は今回も、大先輩から押戴きはした重量級のアナクロニズムを自分のものとしてまるで料理し得てはゐない。富士川真林の、公募デビュー三作目―その癖、三本とも主演であつたりもするのだが―といふことで仕方もないのかどうなのか、棒読みとよくいへば硬質な、直截にいへば乏しい表情とは、とはいへそれなりに、過激さはさて措き気違ひ女の所作としてそれらしく見えなくもない。ところがさうなると、受ける男側がここはしつかりして呉れなくてはならないところが、顔立ちの古さは昭和五十年代中盤といふ劇中時代設定に上手く合致してもゐるものの、西川方啓もお芝居の方は如何せん弱く、軽い。いはば素人に毛の生えた程度の主演女優を、頑丈な芸達者が展開ごと牽引して貰はないと物語が成立しない状況に於いて、心許ない同士で、野球でいふと野手が打球をお見合ひしてしまつた感は強い。与へられた脚本から精一杯愚直に、あるいは努めて忠実に振り回される情念が、最終的にはどうにもかうにも形にならない。ここは少々年齢が上がつてしまひ富士川真林とのつり合ひを失しようとも、水戸役には別の選択肢もなかつたものか。加へて加代の、最早狂気と紙一重の危険な悦楽の激越を描ききるには、それこそ女優を壊しかねない勢ひの、一歩間違へば単なるサディズムにしか過ぎなくなつてしまふ鬼の非情さも要求されようが、一個人として“いい人”であることは恐らく兎も角、それと“いい映画監督”であることとは全く別問題であるといへる荒木太郎には、その得物の持ち合はせもあるまい。既視感すら漂はせる敗戦模様として形式的には、再び臆面もなく放たれる、しばしば好意的に荒木調として賞賛されもする反面、当サイトに於いては基本的に一貫して断罪するところの荒木臭として、水戸の心象風景を、実際に西川方啓に発話させてみたりする変化球が挙げられようが、それすらも、繰り出されるのは序盤までで中盤以降は影を潜めてしまふ中途半端な不徹底さは、全方位的なミス・フィットに一層の火に油を注ぐ。要は渡辺護の脚本に荒木太郎が負けてしまつた、などといへばそれこそそれまでとはいへつつ、富士を望む広大にして荒涼な平野での、水戸と加代との別れのシーンは幾分以上に映画的で、オーラス、最早開き直るかの如く破天荒な加代切腹のイメージ・ショットには、やぶれかぶれの勢ひも感じられなくはない。その限りに於いては、チャーミングな一作ともいへる。

 佐々木基子は、伊東とアフターする黒薔薇の女・西あけみ。あけみと捌け際に伊東が水戸を称して、「馬鹿だよ、あいつは」と捨てる印象的な台詞は、翌日は休みなのか日も昇つてからのあけみとの濡れ場をこなした後、伊東は一切登場して来ないこともあり、もうひとつもふたつも活きて来ない。内山太郎と美堀ゆかも、黒薔薇店内の男女。秋津薫は、加代と別れた後の水戸が、上司の紹介で結婚する峰子。デフォルトの制約上仕方のないことなのか、それとももう少し配分をどうにかしやうもあつたのではないか、といふ点に関しては議論も別れようが、峰子に割かれる尺が実際上ほぼ残されてゐない為、セックス・シーンといふ意味では最後の濡れ場ともなる、水戸と峰子の絡みが単なるノルマごなしになつてしまつてゐるところは、脚本世界と監督の資質との親和云々以前の、一本のピンク映画として明確な設計上の減点材料であらう。荒木太郎も少なくとも、ここでの明確なちぐはぐさは自覚してゐる筈だ。
 過積載の脚本のツッコミ処に関しては、 m@stervision大哥が公開当時に既に詳細なレビュウを書いてをられる。ここでこの期に、ドロップアウト風情がのこのこ出る幕はない。とはいひつつも、触れられてゐない瑣末を一点。ハードコア過ぎる性癖に次第に恐れを成すと同時に、加代から性病をうつされた水戸は、関係に終止符を打つ腹を固める。その、水戸が自身の罹患を知つた理由といふのが、社内の定期健診でワッセルマン氏反応の陽性が出たといふのだが・・・・梅毒かよ!とかいふ以前に、ワッセルマン検査なんて、通例検査項目に入つてなからう。あるいは、社内健診で梅毒を検査しなければならないとするならば、水戸や伊東らが勤めるのは、一体どういふ特殊な業態の会社なのか。


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 「激生ソープ 熟乳泡まみれ」(2004/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・清水雅美/撮影:下元哲/照明:野口素胖/音楽:ザ・リハビリテーションズ/助監督:中村拓/撮影助手:海津真也/撮影助手:南部智則/監督助手:清水雅美/出演:酒井あずさ・桜月舞・華沢レモン・町田政則・竹本泰志・兵頭未来洋・銀次・中川大輔)。
 吉原の高級店から流れて来たベテラントルコ嬢の春乃(酒井)は、池袋の大衆店で支配人・山下修(町田)の面接を受ける。斯様に大らかな業界であるのか、客としても門外漢なもので全く与り知らぬが、面接と称して一戦交へた山下は、春乃の熟練した技術に舌を巻く。「これ以上は恥をかく」、といふ山下の降参する台詞は、三枚目ぽく見せて男前だ。姉のやうに慕ふ春乃を追つてミカ(華沢)も山下の店に加はる一方、井の中の蛙感を爆裂させるナンバーワンの玲奈(桜月)は、無闇に高圧的な態度で目上の春乃に接する。申し訳ないが、自動的に小さい数字の方にのみ反応する融通の利かない機械のやうな人間でなければ、どう転んでも酒井あずさの方が美人にしか見えないと思へるのだが。
 竹本泰志は、よくいへば春乃の上客、口さがなくいへばストーカー客の村上。春乃が店を移る毎にどうにかしてトレースすると通ひ詰め、無闇に強いセックスで、春乃をくたびれさせる。それが離婚事由なのか、バツイチ子持ちの村上は頻りに春乃に対し求婚するが、自身も離婚暦のある春乃は、どうしても二の足を踏まざるを得ない。銀次は、ミリオタ+オムツプレイ+飲尿マニアのコンボでミカを泣かせてしまふ、“チビの変態の客”石破惣六。短躯といへばこの人、といふ殆ど法則的なタイプ・キャストは、物理的なものであるので仕方がない。同様なのか何かと画面の片隅に国沢実や高田宝重が見切れて来るのも、構造的であるのと同時に、イイ風貌に免じて許容するべきだ。兵頭未来洋は、画に描いたやうに性質の悪い玲奈のヒモ・逸見隆。自らもホストでありながら、金を払へば何をしてもいいだらうと春乃に対して横紙を破り、綺麗な憎まれ役を引き受ける。春乃と山下が入院中の玲奈を見舞ひに行くシーンに不自然に見切れる、正直清々しく別に不要な包帯男は、余所見をしてゐて確認し損ねた、不覚なり。
 関根和美2000年の大傑作「淫行タクシー ひわいな女たち」のやうなシリアスさはないものの、計、あるいは全二作の「デコトラ漫遊記」シリーズ、「痴漢トラック 淫女乗りつぱなし」(2000)、「馬を愛した牧場娘」(2003)に連なる、演技派の主演女優と町田政則とを主演に据ゑた、性風俗舞台の人情ピンクである。尤も、酒井あずさと町田政則の濡れ場に限らずとも絡みは豊かに安定して観させるものの、結局春乃が吉原から池袋へといはばキャリアダウンに至つた理由が、何時まで経つてもどころか最終的にすら明示されない点からも明白に、脚本はあれやこれやを抜け落とした穴だらけで、物語に柱がまるで通らない。ミカと玲奈のサブ・プロットはその限りに於いて十全としても、肝心の春乃の物語が、結局どうにも形にならない。とはいへ、そのまま映画がグダグダなままに右から左へと流れ去ることだけは、辛うじて回避する。粋で小洒落た歌謡曲のやうに印象的なラスト・シーンと、藪から棒でもしたたかな即物性を放つ、照れ隠しのやうなエピローグは光る。中川大輔は、ここで登場する奴隷といふ名のお客。基本線としては二枚看板の実力に頼りきりながら、最後の最後で関根和美の地力も漸く発揮される一作である。
 合間合間に夜の街を押さへたカットはキネコ、くどいやうだが宜しくない。そもそも落第点の向かう側での議論にもなつてしまふが、プロジェク太上映下に於いてのしかもキネコといふと、それはもう目を悪くしさうな、結構壮絶な画質に堕してしまふ。

 思ひ出した明後日に筆を滑らせると、チビといふと銀次が出て来るあんまりな定番は、二年後に山邦紀が繰り出す致死性の論理に比べれば、余程おとなしいものであらう。


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 「豊熟女将 食べごろの味…」(1998『料亭の若女将 汗ばむうなじ』の2008年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:下元哲/脚本:吉行由実/企画:稲山悌二・奥田幸一/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:酒井正次/助監督:高田宝重/スチール:津田一郎/監督助手:井戸田秀行/撮影助手:小山田勝治/照明助手:広瀬寛巳/制作進行:堀偵一/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:愛雅百子・竹村祐佳・篠原さゆり・しのざきさとみ・久保新二・熊谷孝文・山本清彦・下元史朗)。制作進行の堀偵一は、本篇クレジットまゝ。
 素つ裸の主演女優が着物を着るショットにて開巻、舞台は老舗料亭「さかき」。二年前に死去した先代(一切登場せず)の息子・榊慶一(山本)と結婚した千景(愛雅)が「さかき」に入つて三年、慶一は料亭の経営に殆ど関心を寄せぬばかりか、サラリーマン時代の同僚にして現在は愛人の、春田由紀(篠原)との恣な不倫に半ば公然と走つてゐた。先代の妻、即ち千景からは姑に当たる女将の芳枝(竹村)は、こちらも愛人関係にある常連客の西野公平(久保)が若い千景に関心を寄せるのも災ひしてか、そんな息子を注意するどころか、千景が悪いといはんばかりに万事に渡つてガミガミと息子嫁に辛く当たる。受ける愛雅百子はそこそことしても、竹村祐佳の貫禄が関係性の成立に強く活きる。衣服を全て脱ぎこそしないにせよ、乳も見せての久保新二との濡れ場も披露する。そんな千景の味方は、先代に恩義を感じるベテラン板前の青木祐介(下元)と、千景とは幼馴染でもある、若い板前の佐伯豪(熊谷)。手元のアップから入る青木ファースト・カットを見るに、下元史朗は、魚を捌くことが出来るやうだ。しのざきさとみは、妙な低姿勢から邪推するに婿養子であるのかも知れない、西野の妻・明子。「さかき」で一泊して戻つて来た夫を、あたかも待ち構へてゐたか如く抱かれるのはいいとして、ここでの西野と芳枝の関係を容認するかのやうな明子の台詞は、後の起承転結でいふ転を成す、出し抜けな凶行とは齟齬を生じさせるのも否めない。西野がコンドームを使用する様子がクローズ・アップされるので何事かと思ふと、明子は夫に、肛門性行を要求する。事後、ゴムの中に放たれた西野の精の少なさ―いふまでもなくそれは、前夜に夫が芳枝を抱いて来た事実を意味する―を恨めし気に見やるところまで含めて、しのざきさとみの業の深さを感じさせる質感が発揮される。考へてみれば、竹村祐佳としのざきさとみとを相手に回しそつなく絡みをこなしてみせた久保新二も、流石と唸らされる長いキャリアを感じさせる。
 愛雅百子に関しては単独のものも含めて、充実した濡れ場濡れ場をタップリと矢継ぎ早に繰り出し続けつつ、合間合間の短い最小限のカットで、物語を繋いで行く何気にスリリングですらある手法は、実は見応へがある。綱渡りにも似た手綱捌きに気付くと、俄かに目を見開かされる。起承転結の転の突拍子もなさは少々ぞんざいでもあるが、結の着地点としての妥当さから、相殺出来なくもなからうか。下元哲がさりげなく披露する手際の良さに加へ、竹村祐佳としのざきさとみとを一手に引き受ける久保新二、濡れ場の恩恵に与りはしないものの、ドラマのそこかしこをガッチリ締める下元史朗と、配役の妙も光る。詰まるところは手垢のついたプロットともいへるものの、お腹一杯の女の裸で彩りながら、それでゐて起承転結も手堅く纏め上げてみせた、これはこれで、正しくピンクでなほのこと映画といふべき麗しい一作である。微妙に不明さを残す慶一の去就に関しては、抜けてゐるやうな気もしないではないが。

 冒頭西野が接待と称して連れて来る高田物産社長は、いふまでもなく高田宝重。久保新二とは下手すると親子ほど歳が離れてゐるところではあれ、そこは自慢の恰幅で乗り切る。高田の連れと後に同様に見切れる計三名のオッサンは、何れも不明。二度の接待シーンに於いて、西野が何れも派手派手しい私服姿である点は、矢張り場違ひに映る。電話越しの、千景実母の声は吉行由実。


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 「受験ママ 禁断の関係」(1991『いんらん家族 義母の寝室』の2008年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/撮影:稲吉雅志/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:広瀬寛巳/監督助手:榎本詳太/撮影助手:相馬健司/照明助手:小田求/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:井上真愉見・早瀬瞳・望月麻子・南条千秋・芳田正浩・池島ゆたか)。脚本の周知安は、片岡修二の変名。正直にいふが今感想中女優の配役は、ビリングからの推定である。この頃の女優部ともなると、正直手も足も出ない。
 高校三年生の轟ワタル(南条)が受験勉強に悪戦苦闘する一方、母・明子(井上)と父親(池島)は、まるでお構ひなしの夫婦生活。受験勉強してゐようがゐまいが、夫婦の営みなんぞ息子であらうとなからうと、基本的に他人には憚らうものだが。洩れ聞こえる母親の嬌声に、ワタルは勉強がてんで手に着かない。おまけに姉の悦子(早瀬)まで、帰宅するなり派手な自慰に耽り、弟の焦燥に火に油を注ぐ。ワタルが仕方なく、勉強机の大抽斗からエロ本を取り出し右手の恋人で未だ実戦投入前の試作機を慰め、そのまま寝落ちたところ翌朝明子に放つた精まで見られてしまふ、胸が別の方向にキュンとなる件なんぞ挿みつつ、家族を大事件が襲ふ。性欲だけは盛んな父親が、部下の不倫相手(望月)との間に子供が出来たどころか、堕ろさせもせずいづれ生まれて来る子供を、悦子・ワタルの弟あるいは妹として明子に育てさせるといふのだ。憤慨紛れに感情の平定を失したワタルは、再び明子に自家発電を目撃された勢ひに任せ、終に母親と禁断の一線を越える。芳田正浩は、わざわざ悦子がこつそり自宅に連れ込んでは、大胆にも家族に秘密で事に及ぶ恋人。覗くワタルに見せつけるほかには、給料日前でホテル代にさへ欠く、とかいふ方便に必然性は全く見当たらない。
 余程幸福かあるいは遠い昔を既に忘れてしまつた者を除いては、観客の誰しもを嫌な意味でモジモジさせざるを得ない、ワタルの切実過ぎる写実的な童貞受験生ぶりと当然のことながら古びた肌触り以外には、漫然と濡れ場濡れ場が重ねられるばかりの、眠たくならないのが我ながら不思議にすら思へる低めの水準作、ともいへるところであつたのだが。オーラス思はぬ力技で映画を引つこ抜くと、万事を丸く収めなほかつ失ひかけてゐた目標を取り戻した主人公が前を向いて再び、そして力強く歩き出したところで締めるラストは、娯楽映画としてそれなりに磐石。唐突さは否めない大技への布石が、もう少し明示的に置いてあつても良かつたやうな感触は残るが、脚本・監督それぞれの両ベテランの、狙ひすました一撃が綺麗に決まる様は鮮やかに、鑑賞後の心持ちも実に爽やかな一作である。

 ところで、改めて振り返つてみるとこれ旧題は、微妙にオチ割つてなくね?


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 「マダム《秘》便所 恥づかしい瞬間」(2008/製作:マジックアワー/提供:オーピー映画/監督:松原一郎/脚本:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:高田宝重/スチール:本田あきら/監督助手:三谷彩子/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:塚本宣威/編集助手:鷹野朋子/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボ・テック《株》/出演:酒井あずさ・杉本愛理・平沢里奈子・坂入正三・なかみつせいじ・牧村耕次)。出演者中平沢里“奈”子は、ポスターには勿論平沢里菜子。本篇クレジットに於ける、自由奔放な誤植である。効果の東京スクリーンサービスが、ポスターには選曲:梅沢身知子と、効果:中村幸雄。タイトル中(秘)は、正確には丸印の中に秘。
 下請といふことか、マジックリフォームからの電話に叩き起こされたチョンガー水道工事人の佐川松夫(牧村)は、叶美沙(酒井)の住む松原マンションへと向かふ。美沙は佐川にシャワートイレの修理を命ずると、自らは浴室でシャワーを浴び始める。高層高級マンションで、しかも単独のトイレとは又別に、ユニットバスといふのは奇異に見えなくもない。汚物入れの中から使用済みのイチジク浣腸と、大胆にも脱衣所から脱ぎたてのパンティとをくすねた佐川は美沙の、排泄の喜悦に震へる痴態を妄想する。ほどなく、佐川は再び美沙に呼びつけられる、湯が出ないといふのだ。下着泥棒の件ではないことに胸を撫で下ろしながら佐川が松原マンションを訪れると、そこには美沙のほかにセーラ服姿の、何事かを我慢でもしてゐるかのやうな青木沙織(杉本)がゐた。故障は何のことはないコンセントが入つてゐないだけのことであつたが、佐川はそこに盗聴器を仕掛けて帰る。佐川はどうやらいづれかがいづれかを責めてゐるであらう節が窺へる、美沙と沙織の情事の様子に胸躍らせる。再々度、佐川の下に美沙から修理依頼の電話が入る。松夫が出向くと今度は、沙織の替りに和服姿の木下香(平沢)が居た。
 高層高級マンションと侘しい独り住まひの安アパートとを往復する、佐川の姿を合間合間に僅かに挿みつつ、完成されたエロマダムぶりを振り撒く酒井あずさが強力に牽引する頑丈な濡れ場の数々が、彩り豊かに連ねられる。濡れ場に際してはほぼ常用される下元哲十八番のソフト・フォーカスに加へ今回は、大胆にもスローモーションを多用することもあり、何時まで経つても本筋が一向に見えて来ない今作には、明確な内実を伴つた一本の物語を紡ぐといふよりは、いはば淫夢を幻想的に具現化したかのやうな趣すら漂ふ。汗ばみながら排便の愉悦に体を震はせる女達の艶姿を、入念を通り越した最早執拗さで狙ひ続ける姿勢に、今更ながら監督の松原一郎と、撮影の下元哲とは同一人物であらうことが看て取れる以外には、特にこれといつて拾ひ処に欠くともいへるが、途中から観ようが、あるいは所々でうつらうつらとさへしてしまはうが別に差し支へない、実戦的な煽情性のみに潔く特化したピンクとしては、過不足無く出来上がつてもゐる。女の裸に奉仕するのみのあつてなきが如きお話とはいへ、最低限躓いたり破綻することはなく通してスムーズに観させるだけの職業的な堅実は、地味ながら確かに発揮されてゐる。少なくとも、酒井あずさファンは絶対に必見。劇映画として高く評価出来る点は殆どないといつてしまへばないものの、これだけは間違ひなくいへる。うつ伏せに風呂に浸かると、何をするでもなく美沙が上下する尻を湯が舐めるだけの画を延々、本当に延々押さへるカットには、展開としての意味など欠片もないが、その上でなほ超絶。個人的には、ピンク映画に関するピンクと映画との間の不等号といふテーマに於いて、映画を一旦棚に置いた上で今作の見せる清々しい実用性への一点突破は、ピンクを全く蔑ろにした片腹痛い勘違ひよりは、余程諸手を挙げての賛同を表明するところである。

 坂入正三は、美沙の多分夫ではなく、情夫の貞夫。美沙×香×貞夫、美沙×沙織×貞夫といふ巴戦が、何れも展開される。なかみつせいじは、佐川の部屋に踏み込む刑事。相棒の背が高く若い刑事は、クレジットは見当たらないが水上晃太。なかみつ刑事はそのシーンのみの登場かと思つたが、香から御褒美を頂戴する、短い絡みも織り込まれる。
 どうでもいい、といふかどうしやうもない小ネタとしては。美沙から香は世田谷区二子玉在住であることを耳にした貞夫こと坂入正三が、「それぢやボクのニコタマも可愛がつてよ」。下らないどころの騒ぎですらないが、関根和美のファンとしては、何故だかよく判らない妙な安堵感を覚えてみたりなんかもする。そして、そんな―どんなだ―坂入正三にとつて、現状今作はピンク映画・ラスト・アクトに当たる。


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 「貝あはせ こすれ合ふ股ぐら」(2005『ハードレズビアン クイック&ディープ』の2008年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:佐藤吏/脚本:高橋祐太/企画:福俵満/撮影:前井一作/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/録音:シネキャビン/助監督:氏家とわ/監督助手:下垣外純・相馬真澄/車輌:広瀬寛巳・池内絵美/監督助手:松岡達也/スチール:AKIRA・GEN/現像:東映ラボ・テック/出演:夏目今日子・ナンシー・速水今日子・饗場圭一・小林まり子・原ひとみ・本多菊次朗・真実一路・田中康文・三浦麻貴・能登川弥生・稲内麻理・真戒三代・根木かおり・モンマタカシ・櫛引伸二郎・端道輝・清水加苗・田口智子・戸田宣和・瀧川英次・森下創る・劇団イキウメ・田中貴大・久保裕章・根本一豊・吉井淳・Johnny・長谷川卓也)。出演者中、田中康文以降は本篇クレジットのみ。深く拘泥する点ではないともいへるが、それにしても新題が酷い。佐藤吏の映画と、全く親和してゐない。
 通勤電車の車中、大河原満男(本多)に痴漢される須藤レイコ(夏目)は眉を歪める。吊革を握る二人の、向かひの座席に座る相沢たまき(ナンシー)はそれを見知りつつ、ひとまづは助けようともせずにニヤニヤ笑ひを浮かべレイコを見詰める。食品卸「高橋食品」に勤めるレイコは、縛つた後ろ髪を何とかせえよといはざるを得ない、同僚の向井明彦(饗場)と婚約してゐた。今作中、実は一番ポップな美人ゆゑ脱がないのが重ね重ね残念な小林まり子は、レイコ隣席の後輩・桐島彩。その夜のレイコ宅、夕食を支度するレイコの傍らビールを飲みながらバラエティ番組を見呆ける向井は、女装した芸人に笑ふ。洗濯物を畳むのもそこそこに、強引な向井の求めに応じ展開される濡れ場にて、さりげなくも明確に、伏線は落とされる。ここの段取りが、たとへば翌年の「姉妹 淫乱な密戯」(監督:榎本敏郎/主演:麻田真夕)に於いては欠けてゐた点。後日、再び大河原に痴漢されるレイコを、たまきは矢張り座席から見届ける。その日は駅の外まで二人を追つて来たたまきは、大河原に対しレイコに謝罪しろと詰め寄る。開き直つた大河原を、たまきは金的で悶絶させる。華奢な小娘の、上段のフェイントから片膝ついた体勢の下段突きでは、体も大きな本多菊次朗を圧倒するほどの有効打は、特段与へ得ないやうにも見えるのだが。出勤前といふので名刺を渡しその場は後にしたレイコを、たまきは会社まで迎へに行く。たまきに捕まつたレイコは、小早川真理(速水)がママのバーに連れて行かれる。そこは、女同士が公然と恋を交すことが許される場所であつた。交互に酔ひ潰れつつ、レイコはたまきを自室に連れ帰る。眠りこけるたまきに、レイコはフと唇を寄せようとして思ひ留まる。ただそれは、たまきの撒いた餌だつた。たまきはクロスカウンターでレイコの唇を奪ひ、二人は体を重ねる。本当に感じたレイコは事後、自らがレズビアンである旨を告白する。たまきと同棲を始め、輝き始めたレイコを、彩は向井との関係が順調なものかと勘違ひする。
 一言でいふならば、佐藤吏の愚直な「ノット・ゴナ・ゲット・アス」。ずつと秘かに求め続けてゐた関係を手に入れた真性の主人公が、依然周囲の目は気にしながらも、幸福になつて行く過程は充実し、中盤に於いて前倒されるクライマックスには、色褪せることない決定力が漲る。正直向井は疎かにし始めたレイコは、休日たまきと二人海岸にピクニックへと向かふ。帰宅したところ、部屋の電気が点いてゐる。レイコはたまきが消し忘れたものかと思つたが、部屋には娘に無断で、法事で出て来てゐた両親が、向井の合鍵で上がり込むと鍋を用意し待つてゐた。原ひとみと真実一路は、教育委員を務める母・とし江と、市会議員の父・慎一郎。たまきの存在に意外な顔をする三人に対し、レイコはとりあへずルームメイトと言ひ包める。レイコとたまきが上着も着たまゝ酒盃を取り席に着くのは、些か不自然だ。不意を突かれた二人は兎も角としても、少なくとも親といふ生き物は、平常そこには黙つてゐまい。炬燵の下では、たまきがレイコの秘裂に手を伸ばすスリリングな酒席の続く中、終にたまきはレイコの唇を三人の面前で奪ふと、部屋を飛び出して行く。レイコも、その場から逃げるやうにたまきを追ふ。
 レイコはたまきを捕まへる。レイコは、やつと手に入れた幸せを大事にしたかつた。そのために日蔭の身に甘んじようと、レイコには別に構はなかつた。ただたまきは、レイコの先を行つてゐた。レイコも勿論さうであるにせよ、たまきは更に積極的に、そもそも自らの性癖に不当な罪悪感など感じてはゐなかつた。罪でも悪でもないものを、隠す必要などない筈だ。それを隠さねばならないといふのなら、それは呑み込み難い不寛容であり、圧迫である。同性愛を認めない社会に対する対決姿勢、乃至は変革の意図すら裡に孕むたまきは、これまでも幾度か触れかけはしたレイコとの温度差に直面する。レイコの人生を壊してしまふと、たまきはレイコの前から姿を消す。ノーガードで真正面からふたつの立場が撃ち合ふ文字通りの相克は、強い緊張度を保ち胸打たれる。今にも泣き出しさうな表情で、レズビアンの正当性を訴へるたまきの姿には、ただ然しレイコは未だ辿り着き得ない強さが溢れる。たまき役のナンシーがどういふ人なのかは全く判らないが、畢生の名演技といへるのではなからうか。対して、一旦たまき退場後の以降の展開は、真理の視点を除いては、青臭いいはゆる自分探しが振り回されるばかりで弱くもある。ハチャメチャな、社内でレイコがカミングアウトする件は底が抜け、優しさと不甲斐なさとを履き違へた向井の無様な様には、惰弱さしか漂はない。肯定的に捉へるとだからこそ、対比として最後の夜のたまきとレイコの激突が一層際立つ、ともいへるのだが。良きにつけ悪しきにつけ、あるいはナンシーの放つ剛球と夏目今日子の放る棒球と、天晴な直球勝負ぶりが清々しい一作である。

 出演者中、田中康文以降二十人ばかり見られる本当に大勢は、主に高橋食品社内と、真理の店のその他客要員。と、二人がそれぞれの道を歩き始めたオーラスに登場する、たまきの新しいパートナー。正直、誰一人その人と識別叶はなかつた。因みに二度の電車痴漢シーンは、何れも実車輌内にて撮影。


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 「義母の寝室 淫熟のよろめき」(2004/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:小山田勝治/助監督:竹洞哲也/監督助手:山口大輔/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:廣滝貴徳/音楽:レインボーサウンド/挿入歌:猟奇ハンター/出演:須田静香・林由美香・立花りょう・松田正信・野上正義・丘尚輝・久須美欽一)。
 辣腕弁護士・二階堂泰介(野上)を父に持つ法学生の裕也(松田)は、一応勉強もしてゐるやうなものの、一度寝た女とは寝ないと豪語するレディ・ハントに精を出す。田崎美佳子(立花)を抱いた裕也が豪奢な自宅に戻ると、予定外に体の空いた泰介が、後妻の礼子(須田)と昼間から、加へて息子の帰宅も憚らぬ夫婦生活の真最中であつた。全身全霊を込めて好意的な表現を試みたとて、好きな音楽のジャンルはフォークな、元モーニング娘。保田圭の叔母さんとでもしかいひやうのない須田静香に、何がどうスッ転べば斯様に執心してしまへるのかが銀幕のこちら側を納得させて呉れることは終にないが、裕也は、義母に確固たる獣欲を抱いてゐた。たとへば要点は礼子ではなく、兎にも角にも親爺のものを奪ひたい、とかいふエディプス・コンプレックスであるとするならばそれはそれとして話が通らぬでもないが、いふまでもなく、岡輝男がさういふ切り口を繰り出してみせる訳もなからう。翌日、大事な試験を寝坊しトバしてしまつた裕也は、弁護士婦人会と称してゐた礼子が、間男・内藤和孝(丘)とホテル街に消えるのを目撃する。抗弁のしやうもなく連れ立つて歩く二人の様子を、後を尾けた裕也は携帯のカメラで押さへる。その夜遅く義母の帰宅後、裕也が証拠画像を突きつけると、そんなに尺を端折りたいのか少しは抵抗してみせろよとツッコミたくなるほど呆気なく、礼子は観念し義息に一度きりだと体を任せる。翌日、大胆にも泰介の死角で体に手を伸ばし、依然継続する関係を求める裕也に対し、礼子はある条件を提示する。過去に尽くしたものの、礼子を捨てた外務省の官僚・綿引(一切登場せず)が結婚した。結婚相手は敬虔なクリスチャンにつき処女を守つたまま結婚し、挙式後特命を受けた綿引は、その足で洋行してしまつた。とかいふ次第で、新妻とはいへ未だバージンの百合子(林)を、手篭めにして来いといふのである。
 直截にいふとミスキャストにプロットが全く機能せず、ほぼ停止してゐた状態の映画が、尺も凡そ半分も経過したところで漸く動き出したかと思ふと、束の間の、だけれども、だからこそとでもいふべきなのか狂ほしい頂点を迎へる。早速、軽い調子で裕也は百合子をオトしに教会へと出向くのだが、そこに降臨した林由美香に、今作の全ては尽きる。最終的には基本的な映画の出来はアレなので、ほかに喰ひつき処に欠くともいへるのだが。黒のフェミニンなワンピースに、白いレースのショールを合はせた百合子が、細く綺麗な指で聖書を小脇に抱へ登場した時点で、本来本作に関する議論は完結する。軟派に腕に手をかける裕也の頬を張つてしまひ、罪の意識に血相を変へ慌てて十字を切る百合子の姿の愛ほしさで、万事良しとするべきではあつた。私見では晩年即ち絶頂期とみるものである翌年夭折した名女優の、超絶が突発的な永遠を刻み込む。当初はとつとと標的をチョロ負かして、念願の礼子をモノにする目論見の裕也が、次第に百合子の清純さに感化されて行くといふ展開は、確かに工夫を欠いたといへるのかも知れないが、須田静香と対比するのも憚られるが林由美香演ずる百合子の、裕也の心を捉へることに関しての絶対的なまでの説得力が、軒並を瑣末と捻じ伏せる。登場の仕方としては殆どカメオ並の久須美欽一は、百合子と連れられた裕也とが、介護施設に入れられ放しのところへボランティアで慰問に向かふ老夫・斉藤。裕也がのんべんだらりと百合子に染められるばかりで、いつそのこと、そのまま林由美香の濡れ場は回避策としての妄想オチで片付けてあつたとしても、少なくとも私は文句をいはなかつた。綿引が帰国して来た場合は仕方がないにしても、百合子が聖性を保持したままで、ビリングとしては一応トップの礼子のことなど気が付くけば何処かに置き忘れてしまつてゐたとしても、それでも一向に構はなかつたのではないか。今既にある現実は決して、断じて美しくなどはない。なればこそ物語は美しくあるべきだとするならば、軸足を完全に失してしまつたとて、美しいままに映画を畳んでしまふ勇気の有り様もあつたのではなからうか。百合子に絆された裕也が毒牙を納めたところから以降が、ある意味予想の範囲内での展開ともいへ、閾値を遥かに超えて無体に過ぎる。憐れな百合子と憎たらしい礼子との、辿る運命と垂れ流す放埓との落差があまりにも甚だしい。更に、裕也は一歩間違へばその内帰つて来かねない勢ひでひとまづ家を捨て旅立ち、礼子は不貞が発覚することだけが報ひとあつては、明らかに平衡が取れてゐるとはいへまい。表面的な起承転結を重んじたばかりに、加藤義一は娯楽映画としての舵取りを根本から誤つてしまつたと難じざるを得ない、極めて後味の悪い一作である。相手は作りものの映画だといふのに、丘尚輝=岡輝男に対する、轟々と火も噴かんばかりの憤怒が抑へ難い。
 エピローグに於いて、登場人物の心理の核心と全体の整合性とを天秤にかけ、前者を選んだ告解をうける神父の声は、クレジットの有無から拾ひ損ねたが柳東史。

 挿入歌の猟奇ハンターといふのは、ザ・スターリンのナンバーから取り、遠藤ミチロウから公認も受けたとのバンド名が、正しく名は体を表すハードコア・パンク・バンドである。裕也が自室で大音量で聴くCDに「金属バット」、事実上のエンディング・テーマとして「分裂JAP」の二曲が使用される。個人的には手放しで好きな部類の音ではあるが、穏当な作風の加藤義一映画の肌触りからは、若干以上の不協和音も否めないとはいへる。「金属バット」の特に二番の歌詞などは、とても引用出来ないとかいふ以前に、百合子が耳にすれば卒倒しかねない過激なものでもある。因みに2001年の結成後、現在も活動中。大阪のバンドらしいが、LIVE観たいなあ、関門海峡を越えて呉れんかいな。


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 「未亡人民宿 美熟乳しつぽり」(2008/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影照明:長谷川卓也/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:中川大資/監督助手:長谷川高也/撮影助手:大江泰介/照明助手:広瀬寛巳/編集助手:鷹野朋子/出演:友田真希・春咲いつか・日高ゆりあ・なかみつせいじ・野村貴浩・千葉尚之・牧村耕次・神戸顕一・ひろぽん・濡川行男)。出演者中、神戸顕一と濡川行男は本篇クレジットのみ。美術協力をロストする、己のメモが読めん。
 池島ゆたか新作恒例、「今作の何処に神戸顕一は見切れてゐたのか」コーナー♪早速にもほどがあるが、どうして何時もは最後の方に持つて来る当コーナーをのつけから片付けるのかといふと、今回は開巻にて見切れるから、それだけのことである。
 要もないのに喪服を着込むと亡夫・顕一の遺影(神戸)を手に自慰に耽る宮寺アキエ(春咲)の下に、月影春奈(友田)が張形を渡しに現れる。神戸顕一は、遺影といふ形で登場するに違ひない、といふ事前の予想はズバリ的中。ただそれが、二番手の亡夫である点には意表を突かれた。民宿「月影荘」の女将を務める春奈は、自身も夫に先立たれてゐた。アキエは顕一と死別後、後追ひの自死を目的に月影荘に宿を取つたところを春奈に救はれ、以来仲居として住み込んでゐたものだつた。春奈は夫は亡くしたものの舅の泰三(牧村)は健在で、息子嫁は継続的な肉体関係を義父と持つが、既に泰三は勃たなかつた。アキエを伴ひ歩く春奈は、出くはした矢張り夫を喪ひ橋から飛び込み自殺しようとしてゐた夏美(日高)を、アキエを思ひ留まらせた際にも発揮した、妙な高スペックを披露し助けた上で民宿に連れ帰る。一方、臆面もなくマイミクシィである旨を連呼する、ゴリ山サトル(一切登場せず)からのメールを頼りに、明和大学教授・谷原(なかみつ)以下、準教授・樋口(野村)と院生・岡本(千葉)の三馬鹿が、未亡人とヤレると評判の月影荘を目指す。月影荘への道を尋ねられた農夫(ひろぽん)は、ポップに恐れ戦きながら三人に月影荘には近付くなと警告を発する。この期にいふまでもなく、ひろぽんとは広瀬寛巳のことである。ともあれ月影荘に辿り着いた一向を、春奈とアキエが出迎へる。早速ズボン越しにモノの品定めをすると春奈は谷原を、アキエは岡本をロック・オンする。
 池島ゆたか一世一代の傑作、「NEXT」を経ての監督作通産百二本目は、肩の力も抜け切つた、人死にが絡んでゐるといふ点に関してはブラック風味の艶笑譚。矢継ぎ早に繰り出される濡れ場の数々を、失速することなく一気に観させる作劇は、ピンク映画としてそれはそれとしてそれなり以上に順当なものではある。女のタイプのど真ん中が、春奈を抱く時には熟女、後に夏美と寝る際には若い娘とフレキシブルな対応を見せる谷原の広角打法は軽やかで、殆ど非現実的なまでの岡本の巨根も、下らなさを振り切つた清々しさを感じさせる。そこまではいいとして、それでも今作のプロットを定着させるには、一手間足らないやうな気持ちも若干残る。鼻の下を伸ばした男達は、どういふ次第でだか<打率十割で皆命を落として>しまふだけに、その力技を成立せしめるには、泰三は<おとなしく老衰、あるいは春奈との心中>、アキエと夏美も<実は春奈に救はれることなく死亡してゐた>、とでもいつた、彼岸の力を借る必要もあつたのではなからうか。終始呑気なまゝの三人の貪欲な未亡人達に加へ目出度く回春も果たした泰三に対し、三馬鹿、とゴリ山サトルとの辿つた悲運との間に、些かならぬ段差も感じずにゐられないものではある。

 本業もしくは専門の役者といふよりは、恐らくはスタッフの何れかであらうか濡川行男は、随分と歳も離れた春奈の亡夫・ヒロシ。妻が実父との間に働いた不貞に錯乱し外に飛び出たところで、車に撥ねられ死ぬ。とかくピンク映画の未亡人ものといふジャンルに於ける、ヒロインの配偶者を片付ける際の手際の良さには、他の追随を許さぬものがある。南無阿弥陀仏ならぬ、フラグの立つ暇もない。


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 「獣の交はり 天使とやる」(2009/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vパラダイス/監督:いまおかしんじ/脚本:港岳彦/原題:『イサク』/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/撮影:鈴木一博/編集:酒井正次/助監督:伊藤一平/撮影助手:赤池登志貴、他一名/監督助手:田山雅也、他二名/協賛:報映産業株式会社/出演:吉沢美優、尾関伸嗣、小鳥遊恋、古澤裕介、伊藤清美、山崎康之、及川ゆみり、守屋文雄、吉岡睦雄、花咲レイ、國井克哉、田辺悠樹、細谷隆広、水越園子、川瀬陽太、田山雅也、松原正隆、ローランド・ドメーニグ、佐藤宏)。出演者中尾関伸嗣は、ポスターでは何故か小関伸嗣に、シンプルな誤字である。商業映画のポスターで主演俳優の名前を間違つてみせるといふのも、ダイナミックな話ではある。
 開巻いの一番にクレジットで謳はれるのが、“第4回月刊シナリオピンク映画シナリオ募集入選作”。先に纏めたものから以降の関連作としては、堀禎一の「したがるかあさん 若い肌の火照り」(2008/脚本:佐藤稔)が挙げられる。
 大阪で失業した黒木伊作(尾関)が、郷里に戻つて来る。ロケ地は千葉県富津市の竹岡であるが、中国以西を思はせる伊作らの方言は、当地のものではないやうだ。高校時代、伊作は売られた喧嘩から二宮晴彦(山崎)を植物人間にしてしまひ、晴彦の看護は、晴彦の姉・果穂(吉沢)と母・佳子(伊藤)が自宅で続けてゐた。事件以降、母娘は揃つてキリスト教に帰依しつつ、佳子は看護と生活の疲れとから酒に溺れ、青果市場に勤めながら一人で家族の生活を支へる果穂は、金のために上司の重雄(松原)に度々体を任せてゐた。最初の絡みを飾る及川ゆみりと守屋文雄は、伊作の母・由美と、その情夫・奥貫。守屋文雄は脚本を書かせた時の支離滅裂からは窺ひ知れぬ、意外に手堅い役者ぶりを披露する。水越園子は、その裡にキリスト教と法華経とを一切の蹉躓も感じさせず器用に同居させる、歳の離れた果穂の同僚、ある意味での大らかさが麗しい。古澤裕介と小鳥遊恋は、伊作の同級生で亡父のパチンコ店を継いだ高橋寛治と、その妻・美保。どういふ繋がりで連れて来たのかウィーン大学の日本映画研究家とのローランド・ドメーニグは、カレーを作り過ぎてしまつた神父。棒でも日本語が喋られさへすればひとまづ形になるのは、ある意味役得ともいへる。
 過去の記憶を源とする悪夢に苛まされる伊作は、足、だけでもなく全身薄汚れた“ある者”の存在を周囲に感じる。“その者”から会ふことと癒すこととを命ぜられ、伊作は捨てた筈の故郷に帰つて来たのだ。過去にボーリング玉を演じた実績からも、“その者”は黙して語らぬ切り札ともいふべき、佐藤宏か。伊作から不意の、そして望まぬ訪問を受けた果穂は、信仰といふ形でいはば外側から接し続けようとするほかはない自らに対し、恐らくはダイレクトに啓示を受けてゐるのであらう伊作の姿に動揺を覚える。一方、高橋の店で働き始めた伊作を、果穂に横恋慕する田舎ヤクザ・秀樹(吉岡)の若い衆(不明)が見付ける。秀樹は若い衆らに伊作を捕らへさせると、後始末は任せておけと、果穂にナイフを渡す。花咲レイは、尺八を吹いてあげてゐるのに、秀樹は果穂の名を呼ぶ不義理に至極当然の如く憤慨する情婦・直子。川瀬陽太は、伊作が町に戻つて以来デリヘルの仕事すら始めた果穂の、スカトロ趣味の客。顔の上への脱糞を希望するものの、放屁してしまつた果穂に臍を曲げる。そんな姿に初めは素に戻り笑つてゐた果穂は、やがて優しく川瀬陽太に唇を合はせる。
 罪の意識と贖罪、をドラマチックに跨ぎ越えた救済と奇跡の物語は、力強く見応へがある。とはいへ、由美×奥貫、果穂×重雄、秀樹×直子、果穂×川瀬陽太、美保×高橋、ではなく伊作。女優の頭数自体まで含め数だけならばこなしてゐなくもない、何れの濡れ場も通例の水準からは満足に消化されるでなく通り過ぎられる展開からは、今作は“いい映画”であることはさて措き、少なくとも、“いいピンク”ではないのではないか。そもそも、ピンク映画である必要すらあるのか?といふ大きな疑問が、基本的には目下の国映嫌ひを公言することも吝かではないピンクスとしては禁じ得なかつた。とはいふもののその尻の穴の小さな疑念は、一旦は拒絶された果穂を伊作が客を装ひラブホテルに呼び出してからの修羅場、唐突さすら漂はせるぶつきらぼうな奇跡、そして綿毛舞ふセックス・シーンへと連ねられるクライマックスで、一息に解消された。作劇中最も困難な段取りを、美しい濡れ場の威力で捻じ伏せてみせるダイナミズムは、矢張りピンクのものでなくして何であらう。四畳半にぽつねんと、薄汚い聖者が降り立つサクラメントに関しては、議論の分かれるところでもあるが、単なる趣味性の発露に過ぎぬといへばそこで話が終つてしまふやも知れぬにせよ、美しく綿毛が降り頻る中で伊作と果穂が体を合はせる超絶との対比に於いては、あるいは頂点を何処に持つて来るのかといふ全体の設計としては、あの描き方で正解であつたやうにも思へる。惜しむらくは、いつそそのまゝピークの濡れ場で映画を締めてしまへば良かつたのに、といふ感は最終的にも残る点。オーラスは兎も角、もうひとつの余韻は直截に余計でもなからうか。今岡信治が、救済や奇跡を信じてゐようがゐまいが、乱暴にいひ切つてしまふならば知つたことではない。伊作と果穂の濡れ場で素直に畳んでみせた方が、より娯楽映画として座りが綺麗になつたのではないか。そこに自らの心情、乃至は思想的立場を頑なに差し挿んでおかないと気が済まないよくいへば潔癖には、一観客として与するものではない。

 チート気味のプロダクションといふか、大勢クレジットされる出演者中残りよく判らないのが、國井克哉・田辺悠樹・細谷隆広・田山雅也。劇中覚えてゐる登場人物の残り枠は、伊作が仕事を求めに行くも叶はない先のオッサンに、青果市場の作業員と秀樹の若い衆がそれぞれ二名づつ。國井克哉に関しては、手も足も出せずにどんな人物なのか全く判らない。細谷隆広はそれなりの年齢で、田辺悠樹と田山雅也は未だ若い人間ではなからうか、とは推定出来る。


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 「如何にも不倫、されど不倫」(2008/制作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督・脚本:工藤雅典/企画:亀井戸粋人/プロデューサー:秋山兼定/撮影:井上明夫/照明:小川満/助監督:久保朝洋/監督助手:江尻大/応援:太良木健・府川絵里奈、他一名/撮影助手:河戸浩一郎/照明助手:八木徹/ポスター撮影:MAYA/音楽:たつのすけ/編集:早野亮/録音・効果:シネキャビン/現像:東映ラボテック/協力:Rock and Bluse BAR BARRELHOUSE・マニア倶楽部《三和出版》/出演:鈴木杏里・キヨミジュン・佐々木麻由子・深澤和明・なかみつせいじ・平川直大・佐々木恭輔・柳の内たくま・竹本泰志・パスタ功次郎)。出演者中、パスタ功次郎は本篇クレジットのみ。
 脱サラした岡田健司(深澤)は、妻・晴子(佐々木麻由子)の父から資金を引き出し飲食店を経営する。金策で東京に戻つた、現在は湘南でダイニング・バーを営む岡田が夫婦で池袋のロック・バーに入る。カウンター席に着くと、旦那が似たやうな店をやつてゐるといふのに、その手の場所の敷居を跨ぐのも学生以来と喜ぶ晴子ではあつたが、ボックス席で人目を憚らぬどころの騒ぎでないディープ・キスに耽るカップルに眉を顰める。女の正体を認めた、晴子が目を丸くする。女はENN局の女子アナウンサー・杉村詩織(鈴木)で、男は妻子もあるJリーガー・桑原治(竹本)であつた、いふまでもない、不倫である。公共の場所で大胆にもほどがある、とかいふ以前に、ハプニング・バーとでも勘違ひしてないか?といふ勢ひの詩織と桑原のディープ・キスの執拗な濃厚さに、いきなり映画の底が抜ける。工藤雅典にしては、らしからぬ羽目外しといへよう、以降に暗雲が立ち込める。
 湘南の岡田の店「dark」、経営状況は芳しくないものの、潤沢な晴子の実家からの資金も当てに、岡田は嫌味な感じの自信満々に構へてゐる。店の従業員はバーテンの島本卓也(柳の内)と、ウェイトレスの相川紗理奈(キヨミ)。迂闊な晴子は全く気づいてゐなかつたが、岡田と紗理奈は、日常的に体を合はせる関係にあつた。そんな社長と特に同僚に、島本は複雑な視線を送る。海岸を晴子と歩く岡田は、詩織の姿に目を留める。案の定といふ話ですらないが、桑原との関係が発覚した詩織は、担当するニュース番組を降板、謹慎させられてゐた。性質の悪い地元の不良サーファー・黒月(平川)と赤沼(佐々木恭輔)の二人が傍若無人に振舞ふ「dark」に、紗理奈が一人で現れる。カウンターに腰を下ろしメニューに目を落とすや否や、紗理奈はビールを注文。下戸がどうかういへた筋合でもなからうが、ここはもう少し、カッコつけて呉れて良かつたのではないか。大ジョッキの豪快な呑みつぷりは、決して悪くはないのだけれど。早速、脊髄で折り返すかの如く無粋に言ひ寄つて来る黒月と赤沼を、詩織は一悶着の末に撃退する。店を辞し、追つて声をかけて来た岡田に対し詩織は、「マジな男は嫌ひ。遊びなら、付き合つてもいいかも」。後日、海岸で再び黒沼らに絡まれてゐた場に割つて入つた岡田と、詩織は寝る。こゝで、再起も一応期してゐるのか、海岸はさて措き詩織がわざわざ水着姿で、発声練習してゐたりなんかする不自然なダサさも、容易に回避し得た難点にさうゐない。さうかうする岡田の前に、真田茂之(なかみつ)が現れる。セックス依存症である詩織を監視中の上司であるといふ真田は岡田に、詩織には近づかぬやう厳命する。
 最終的には、一人中年男が身を持ち崩し、一人若い女が心を荒めた以外には、誰一人半歩も進歩しなければ、何も欠片たりとて変りはしない如何せん漠然とした物語ではあれ、それにつけも何はともあれ敗因は、主軸を担ふべき二人。鈴木杏里は、正しくモデル並の抜群のスタイルを誇りはする反面、鼻がストレンジな首から上は馬面としても未完成で、演技云々以前に、歩き姿すらサマにならぬ有様ではどうもかうもしやうがない。煙草を手にしてゐないと芝居を維持出来ない深澤和明も、寒々としたカッコづけが白々しく上滑るばかりで、ラストのゴミの中からシケモクとトランジスタ・ラジオを漁る姿は妙に画になりつつ、そこだけキマッてゐたところでそれまでとの落差がなければ形になるまい。こんな塩梅なら、ミュージシャンに再転向した方が宜しいのではとでもしかいひやうがない。あれやこれやの末、最後に詩織が岡田に投げた台詞が、「私達、不倫をするには弱すぎた」。一言で片づけると、うるせえよ。終始場当たり的で全般的に心許ないヒロインと、気取つてはゐるつもりが、一瞬もカッコよくはない男、これではドラマが成立しない。佐々木麻由子は半ば以上に物語要員として、鈴木杏里にキヨミジュンと当代の若手人気格も二人並べておきながら、深澤和明が濡れ場も勿論大根につき、桃色の実用的な威力も今ひとつ持ち得ない。前作「おひとりさま 三十路OLの性」で久方振りに持ち直したかに見えたのも束の間、再び工藤雅典は力なく立ち止まつてしまつた。前作との比較でいふと、同じ井上明夫にしてはまるで意欲の窺へぬ、平板なカメラ・ワークも目につく。結局、まるで学習しない晴子の姿には、人物描写としての清々しさも覚えたが。

 パスタ功次郎は、顔をキチンと把握してゐないので自信がないが、折角一旦は復帰したといふのに、真田は袖に詩織が性懲りもなく堂々と公衆の面前で誘惑する、ミュージシャンのタカナカリュウノスケか。更に二つよく判らないのは、マニア倶楽部が何処に絡んで来たのかといふ点と、開巻のBARRELHOUSE店内に既に見切れ、オーラス前にもう一度カウンターの一人客で登場する、時任歩―現在は、亜弓と改名―似のソリッドな美人はあれは一体誰なのか。主演女優より、余程綺麗に映る謎の逸材。


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 「凌辱の爪跡 裂かれた下着」(2004/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督・脚本:国沢☆実/撮影:岩崎智之/照明:奥村誠/編集:フィルムクラフト/助監督:城定秀夫/監督助手:北村翼/撮影助手:橋本彩子・原伸也/照明助手:糸井恵美/音楽:因幡智明/スチール:佐藤初太郎/効果:梅沢身知子/協力:本田唯一/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/出演:春咲ももか・美堀ゆか・村山紀子・竹本泰志・久保隆・世志男・THUNDER杉山)。
 大手週刊誌『週刊クライシス』記者の由美(春咲)は男社会の中で冷飯を喰はされ続けるも、切歯扼腕して辿り着いたレイプ被害者を追跡取材する企画で一山当てると、今は編集長(俳優部的にはクレジットレスの国沢実)からも掌を返したかのやうに重用され栄華を掴んでゐた。対照的に編集長からはどやされてばかりのダメ記者で彼氏・章夫(久保)に抱かれながら、由美は大勢の男の指に体中を蹂躙される淫夢を見る。人気絶頂の五年前、偏執的なファンに犯され芸能界を引退した元アイドル・静香(美堀)の下へと取材に向かつた由美は、一足先に静香に会つて来た、三流ゴシップ誌『ウィークリースキャンダル』記者の沢木(竹本)と鉢合はせる。沢木もレイプ被害者を追つてをり、これまで由美とはそこかしこで遭遇する商売敵であつた。静香から日置(世志男)に犯された時の模様を聞き出しながら、由美は再び自らも男に強姦される妄想に囚はれる。取材後、静香は由美に、犯罪被害者として伏せるのではなく、氏名を明らかにしての記事を書くやうを求める。当時のトップ・アイドルとしての、輝ける日々の記憶を未だ捨てきれない静香は、醜聞すら利すとも、形振り構はぬ復帰を切望してゐたのだ。複雑な心境で静香宅を後にした由美を、沢木が待ち伏せる。沢木はフェミニストを自称しつつ、同じ女性の立場から被害者に同情しレイプ犯罪の非人間性を訴へるのではなく、結局、その記事は功利心の産物に過ぎないのではないかと、由美の取材姿勢をシニカルに批判する。一方、かつて由美の取材攻勢により、夫には秘密にしてゐた過去のレイプ体験が露見してしまひ、一方的に離婚され親権も奪はれた二宮改め旧姓倉橋真紀(村山紀子/ex.篠原さゆり)が、自分の方から取材して呉れと由美に接近する。だがそれは、真紀の罠だつた。THUNDER杉山は、真紀が由美をレイプさせるために調達した浮浪者・金田。真紀が金田を紹介して曰く、“五年間童貞”とのこと。ある一定期間女日照りの状態が継続すると、リセットで初期化されるのかよと苦笑したくもなるところではあるが、反面、ある特定の信仰の立場からは、都合のいい話だともいへようか。少し我慢してゐれば、再び処女なのだから。
 箸にも棒にもかゝらない陰々滅々路線からはひとまづ離れてゐるともいへ、とはいへ矢張り手放しに詰まらないのかといふと、地味にさうでもない。ヒロインの周辺は、意外に充実してゐる。まづ最初に光るのは、調子のいい俗物編集長ぶりを嬉々と好演する国沢実、では勿論別になく(なら書くなアホタレ)、静香の回想濡れ場に登場する世志男。偏執的アイドリアンのポップな変態性を、綺麗に定着させる。組敷いた静香の股間に至近距離から大仰な一眼レフを向けたところで、アイドルらしからぬ―といふのも、何が何だかよく判らない話でもあるが―静香の大陰唇の黒さにブチ切れる件は絶品。国沢実の映画監督人生の中でも、画期的な抱腹絶倒の名シークエンスであらう。取材を終へた由美を送り出し際、芸能界復帰への執心を通り越した狂気の片鱗すらをも、曲がつた面長の表情に漂はせる美堀ゆかも、その瞬間にだけは確かに輝く。顔が曲がつてゐる点に関しては、確かに巨乳といへばさうであるのかも知れないが、加へて巨腹にそもそも巨骨でもある春咲ももかも、劣るとも勝らず同様といふか同罪でもあるのだが、“巨骨”といふのは何々だ。正直主演女優が一番詮ないのでもつと出番も欲しかつた、白い肌に黒い洋服の映える村山紀子は、篠原さゆり時代から変らぬない特の浮遊感と突進力とを発揮する。何より職業的好敵手を大胆に通り越した敵役たる、沢木の人物造形が素晴らしい。要はその目的は歪んだ八つ当たりでしかない、といへば全くその通りで実も蓋もなくなつてしまふのだが、表面的には人格が統合されてゐないかの如く支離滅裂にも見えかねない沢木の姿は、最終的には歪んでゐるとはいへ歪んだなりに筋は通してゐる。己独りの真実を抱へ、捨て台詞を残し由美と章夫の前から退場する際には、竹本泰志はこれまでに見たことのない表情を見せる。ところが問題は主人公、と序にその相方。由美のレイプ願望だか妄想は一切深化される訳でもないまゝ丸つきり付け焼刃にしか見えず、何だかんだの末に映画一本を経過しておいて、詰まるところは沢木から看破されもした精一杯背伸びした功名心から、由美は半歩も動きはしない。そんな、始末に終へず挙句に器量も不味いヒロインの、意に沿ふのみで甘やかすばかりの章夫も全く頂けない。提出された何やかにやを一切放置した上で、「でも今は抱いて」、「今は、思ひきり・・・・」とかいふ由美のヌルい求めに応じての濡れ場で締める幕引きには、正しく開いた口が塞がらなかつた。外堀から、二の丸三の丸までは実はしつかりしてゐながら、本丸がハリボテでは仕方がないといふ一作である。

 そんな中で、ひとつの発見は。三年後、木端微塵な暗黒映画「THEレイパー 暴行の餌食」(2007)内に於いて、瑠依(安田ゆり)の部屋の壁を飾り居た堪れないどころの騒ぎではない気分にさせられる、座り込み両手で顔を覆つた髪の長い女の絵が、今作中由美の部屋の壁にも既に見られる。瑠依の部屋と由美の部屋が同じ部屋なのかといふところまでは、そのやうな気もしないでもないが、流石に確証を持ちかねる。絵に話を戻すと、ザ・イエローモンキーの4thアルバム「smile」(1995)のジャケットとほぼ同構図に思へたのは、当サイトの早とちり。「smile」ジャケは両足を折つた、いはゆるお姉さん座りの女が左向きに顔を覆つてゐるが、こちらの絵はといふと、右足は曲げてゐるが左足は前に伸ばして投げ出し、体の方向も右を向いてゐる。だからそれがどうしたのだと問はれたならば、別にどうもしやしないんだけどさ、とでもしかお答へのしやうもない。


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