真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「コギャル喰ひ 大阪テレクラ篇」(1997/制作:幻想配給社/配給:大蔵映画/制作協力T=M=P株式会社/監督:友松直之/脚本:友松直之・大河原ちさと/原題:『天使幻想』/撮影:横山健二/照明:井上敏彦・立花宣/美術:栗山誠一/録音:沢村厚志/音楽・効果:森和彦/ネガ編集:藤沢和貴/ヘアメイク・衣装:久保田かすみ/特殊メイク:伸谷進 KID'S COMPANY/助監督:藤原健一・川合晃/制作進行:赤井勝久/記録:永田昇/主題歌:『天使幻想』作詞・作曲・唄:アリスセイラー/協力:もしもしピエロ・ニタヤ動物病院・Bar.isn't it?・ルノンプロモーション・ヴイク株式会社・ペットステイタスセレモニー・ナニワガンショップ/出演:加藤みちる・藤田裕樹・青木こずえ・山崎まりあ・三沢史郎・竹橋団・菅原研治・河本忠夫・長谷川伸之・横田直樹・大坪剛・結城哲也《友情出演》)。
 古の七色王冠ロゴからタイトル開巻、大阪の雑踏をカメラが忙しなく動き、無人のテレフォンクラブ個室に、天使の羽根が舞ふ。降り注ぐ羽根の量が急激に増え、「天使幻想」の原題イン。女子高生制服姿の主演女優とチビTの主演男優が、テレクラ対戦。ノイズと砂嵐を間断か落ち着きなく挿みつつも双方完遂、被害妄想気味に挙動不審な金髪メタル(三沢)とティッシュを配る山本ケンジ(藤田)が仕事を終へ、友松直之が輪姦ビデオを編集する事務所に帰還する。竹橋団が社長で、少なくとも菅原研治と河本忠夫もヤクザ。テレクラで遊ばれた女の泣言を浴びた山本は、女が繰り返し繰り返し口にする「殺したい」を受け、「殺したろか?」と一線を越える。女を遊んだ件の人気クラブ店員(不明)を、ガード下にて何故かコギャル風に女装した山本が襲撃。凄い血糊量でブチ殺した上、最終的には頭の皮まで剥ぐ。
 辿り着ける限りの配役残り、目前母親が父親(両親不明)に惨殺された過去を持つ山本の、幼少期子役は当時二歳の友松直之長男・正義君。結城哲也は、クラブ店員殺害時にカッターの刃を握り締め負傷した山本の右手を、人間は診ないといひながらも治療して呉れる、アンダーグラウンド感漂はせる獣医。改めて加藤みちるは、テレクラ「エンジェル」のチラシが貼られた緑電話で山本を三角公園に呼び出すマキ、本名・入江麻紀。真白な山本宅に上がるやサクサク服を脱ぐと、両肩甲骨の下に痛々しい大きな傷を持つマキは、「あたし天使やつてん」と関西弁の突破力で超風呂敷をオッ広げる。山崎まりあは劇中クラブ店員の次に山本が始末する、男を喰ひ散らかすゆゑ女の恨みを買つたコギャル。そしてこの人の安定感が、どうして斯様な徒花がしかも大蔵で咲いたのか、当人達も恐らく知るまいアメイジングな今作の鍵。青木こずえはテレクラ売春によるショバ荒らしを、見咎めた竹橋興業(仮称)に輪姦浣腸ビデオを撮影されるゴジャースな女。
 公開当初小屋のみならずピンクスからも黙殺されたものの、PGが素通りする一方キネ旬ベストに潜り込んだ弾みでカルト的な人気が沸いた、友松直之ピンク映画初陣。ENK薔薇族二本(1993×1995)に続く、商業第三作。ピンクの戦歴は翌年の「痴女電車 さはり放題」(脚本:大河原ちさと/主演:松沢菜々子)を経て、「痴漢電車 挑発する淫ら尻」(2005/脚本:大河原ちさと/主演:北川明花・北川絵美)まで空く。m@stervision大哥は2001年上野での再映に触れ激賞されておいでだが、個人的には噂話を聞きこそすれ、今作が―ピンクの―小屋に来た機会を観たことも聞いた覚えもなく、辛うじて出回つてゐた中古DVD(発売2004年/アップリンク)を、この期なアマゾン筆卸でポチッたものである。外に出てもリアル店舗の存在しない街なんかで暮らすのが嫌だから、ネットで買物とかあんまりでなく好まないんだけどね。
 完全無欠の閑話休題、「誰か殺したいヤツをらへんか・・?」。陰影のキマッた個室ブースに爆裂する、一撃必殺文字通りキメッキメの決め台詞でテレクラを介した依頼殺人に手を染めるティッシュ配りが、自ら羽根を千切つた天使とミーツする。狂ひ咲く香ばしいロマンティックをピンク離れしたフルスイングの残虐描写で極彩色に加速する、表現異常、もとい評判以上のエクストリーム作で、あるとはいへ。自ら撮る以前に、長いカットが観るなり見てゐるだけで耐へられないと公言されてしまつてはそもそも元も子もない話にせよ、ガチャついた、それでゐて一本調子のインサートは、始終を終始掻き乱し、血飛沫と吐瀉物と臓物に塗れたガチ地獄絵図に、16mm撮影の粗い画が火にガソリンを注ぐ。それでゐて天使絡みの幻想ショットに際しては、加減を知らない照明部の気合がハイキーの向かう側まで白々しく突き抜け、要は少なくとも演者的には進歩の跡が欠片も窺へない友松直之を始めとした、ヤクザの度を越したヒャッハーぶりは映画を一円も二円も安くする。案外マッシブなガタイとの対比も効く、藤田裕樹のセンシティブなイケメン。山崎まりあの魅惑的なオッパイに、グッチャグチャに汚される壮絶な濡れ場をも、敢然と戦ひ抜く青木こずえ(a.k.a.村上ゆう)の腰の据わつたプロフェッショナル。結城哲也貫禄の重低音がバクチクする獣医の浮世離れた造形と、散発的な俳優部の健闘を除けば、この期に及んだ正方向の評価に値するのは、これで乳尻は最低限然るべき水準で拝ませる、奇跡的なバランス感覚程度か。m@ster大哥仰るところの“自主映画魂”なり“バイオレンスの塊”は兎も角、“性と社会をテーマにした観念的な若松孝二の正嫡”に至つては何処がさうなのか、薄ら濁つた節穴にはちつともピンと来なんだ。山内大輔の手癖スラッシュに一々脊髄で折り返して垂涎する手合には今なほ受けるのかも知れないが、それはそれで固定された世評に与し、遅れ馳せてワーキャー騒ぐ気にはなれなかつた一作。何はともあれ、観ること能はずとも見ないでは始まらない、この度通つておけてよかつた。


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 「緊縛絵師の甘美なる宴」(2014/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:百地優子/撮影・照明:田宮健彦/助監督:高野平/緊縛指導:有末剛/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/ライン・プロデューサー:石川二郎/衣装:佐倉萌/撮影・照明助手:河戸浩一郎/スチール:本田あきら/制作応援:柴田譜靖・山口通平/現像:東映ラボ・テック/制作プロダクション:アウトサイド/出演:小司あん・若林美保・あやなれい・森羅万象・津田篤・橋靖)。
 片足吊られた格好で縛られた小司あん(ex.あん)の艶姿に、森羅万象が絵筆を走らせる。太股に垂れる汁を認めた森羅万象は笑みを浮かべ、改めて小司あんの全身を抜いてタイトル・イン。この期に及ぶにもほどがありつつ、よくよく見てみると実は思ひのほかマスクの甘い森羅万象の色気が女優部もさて措き堪らない。もしかしてこの人若い時分、太つてゐなくて髪もあつた頃には、相当な二枚目であつたのではないか。
 全十巻の画集を刊行中の緊縛絵師・小池満造(森羅)の屋敷に、担当編集・早川(高橋)が詩織(小司)を連れて来る。編集長(全く登場しない)の知人の娘とやらで、両親とも死去したゆゑ天涯孤独の身となつた詩織を、小池家の女中にでも置いて欲しいとのこと。応接間から一転、あやなれいの爆乳が飛び込んで来るインパクトある繋ぎは完璧。小池の書生・伊藤聖斗(津田)は小池のモデル・美香(あやな)と密通してゐるところを、この人も元々はモデルであつた小池の妻・佐代子(若林)に目撃される。小池が妻にも縄をかける夫婦生活に、詩織を噛ませた一夜明け。目の上のタンコブたる師匠に対し姦計を巡らせる伊藤が、迎へに出た筈の美香と懲りずに乳繰り合ひ何時まで経つてもモデルが到着せず仕事にならない中、小池は呼びつけた詩織に言明する「お前を緊縛するぞ」。ど直球極まりないが、森羅万象の正しく森羅万象を統べかねない決定力あれば、どんな台詞も通らうといふものだ。
 東京電撃映画祭と日課のツイッターでの炎上無双のほかは、何故か何の沙汰も聞こえて来ない友松直之の2014年第二作。毎度御馴染み友松節こと、トモマツイズム縮めてマチズムを今回は一切廃し、第一人者の有末剛をも擁した至つて正攻法の緊縛もの。といつて、我が国に於けるサドマゾといふと伝統的に予想され得る、あるいは古い頭が脊髄反射で連想する縄が縛る前から湿つてゐさうなジメジメした精神性は、友松直之のドライな論理にとつては端から遠い。一通りあれやこれや縛るなり吊るなりしたショットが並べられこそすれ、それはあくまで一通りで、緊縛を様式美として追求せんとする気配も然程窺はせない。尤も、あるいは逆に。逆転劇をより鮮烈なものとするギミックに緊縛を配し、摘み取られ陵辱される花と、打ち拉がれ赤子のやうにといへば聞こえもいいが、要は無力に抱(いだ)かれる花。一瞬ネタを割るのが早過ぎるのではないかと早とちりさせられかけた、攻守、乃至は主客が綺麗に、あるいはより苛烈に倒立する復讐譚は女の裸のこともSM趣向も一旦忘れ、素面の劇映画として力強く見応へがある。ところでとなると、そんな詩織を小池の下に遣はせた、そもそも編集長はどういふつもりであつたのよ、だなどと瑣末な疑問は忘れてしまへ。一見安寧に濡れ場を連ねるに終始する風に見せて、何気なく構築した起承転結を軽妙に丸め込む深町章の文字通り妙手とは別の形で、近作だと2013年第二作「尼寺 姦淫姉妹」(主演:緒川凛)にも連なる、物語を劇的に捻じ伏せる幕引き際の豪腕は素直にお見事。尼寺にて最初に披露された、「中年は、キモいか!」、「臭いか!」、「ウザいかーッ!」の中年三原則が再び森羅万象の口から火を噴くのも、対する詩織のアンサーが素敵・渋い・カッコいいといふのは安直で弱いともいへ、一度(ひとたび)の名台詞が十八番に昇華する瞬間に立ち会へたやうで嬉しい。
 ところがとなると厳しいのが、俳優部に開いた大穴。確かに乳は太いものの、場末の商売女の如き風情が清々しく縄に映えない三番手に関しては、オッパイの大きさは百難隠すといふことにして―俺は一体何をいつてゐるのだ―ひとまづ兎も角。何処で拾つて来た馬の骨なのか、橋靖が果てしなく酷い。それもどうかといふ話でしかないのだが、実年齢よりも上と思しき役を振られた結果口跡は行方不明で、濡れ場に際して腰も満足に振れぬのは何をかいはんや。カックカック非人間的に規則正しい腰使ひに、ロボット・ダンスかと思つた、頓珍漢なサイバーパンクかよ。下手に、もとい下手ではない本格の作劇の中にあつて、なほかつ作品世界の中心には量産型娯楽映画界の重鎮・森羅万象がドッカと座るだけに、殊更に役者の違ひが目についた。


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 「強制飼育 OL肉奴隷」(2014/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:百地優子/音楽:KARAふる/撮影・照明:小山田勝治/助監督:高野平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/監督助手:島崎真人・佃直樹/撮影・照明助手:岡崎孝行/制作応援:山口通平/ヘア・メイク:WATARU/スチール:本田あきら/ライン・プロデューサー:石川二郎/キャスティング協力:久保和明/現像:東映ラボ・テック/協力:スタジオペルーサ/制作プロダクション:アウトサイド/出演:栗林里莉・藤田浩・金子弘幸・若林美保・ももは・KOH・黒木歩・福天・緑一色・タコラ・ぐんぐん《差し入れのみ》・マヘンドラ)。出演者中、緑一色以降は本篇クレジットのみ。ポスターでは、脚本は百地優子と友松直之の共同脚本で、チーフスッ飛ばして島崎真人が助監督に。
 幻想配給社ロゴに続き顔写真入(撮影:有末剛)のクレジットで百地優子が、“この作品は私の実体験を元に構成しました”旨を謳つてタイトル・イン。といつて、一昔―どころでなく―前流行つたモキュモキュメンタリー、公式用語としてはセミドキュメントといつた寸法ではなく、中身は純然たる劇映画である。
 付箋を噛まされたブライダル雑誌と、キャスター(黒木歩/ex.宮村恋)がストーカー問題を採り上げるニュース画面を置いて、交際五年結婚秒読みのOL・渡瀬由美子(栗林)と、どうやら食はせて貰つてゐると思しき同棲中の彼氏・山田陽太(KOH/黒木歩率ゐるクリエイティブ音楽集団・KARAふるの相方)の婚前交渉。由美子に乳首を舐められた陽太が女のやうな喘ぎ声を上げるのは、男を男に寝取られる薔薇オチのフラグかと勘繰つたのは、脳が桃色に腐つた早とちり。事後陽太には満足した風を装つた由美子は、浴室にて改めて自慰に燃える。由美子の勤務先、対面の佐藤健一郎(金子)の仕事の出来なさ具合に匙を投げた由美子が公然と佐藤の顔に泥を塗つたのが、最後に残るのが希望ではなかつたパンドラの函の蓋。直属の上司・高木亮介(藤田)との一転ドMな逢瀬を、ホテルから出て来る写真と鞄に盗聴器を仕掛けられた音声ファイルとで押さへられた由美子は、佐藤の手に落ちる。謎のハイ・スペックを発揮する佐藤は高木と結婚十五年の妻・マドカ(若林)のセックスを何と動画で盗撮、由美子は高木の夫婦生活をオカズにしてのオナニー自画撮り動画を佐藤に実況させられるに止(とど)まらず、社内での羞恥ローターと、OL肉奴隷の強制飼育はエスカレートする。若林美保に話を戻すと、出番が終に盗撮動画内のみ―しかも大概短尺―といふのは、なかなか鋭角な実質三番手濡れ場要員の放り込みやうである。
 配役残りももはは由美子隣の、推定総合職の由美子に対し多分一般職の田中ナオミ。緑一色・タコラ・マヘンドラはその他社員要員、ナオミの向かひの、量産型友松直之といつた風情は誰なのか。三人の年齢層から窺ふに、高木が部長といふ出世ぶりは猛烈に早い。福天は、ストーカー男の糾弾を次第に拗らせる黒木キャスターに、冷静に対峙する評論家。
 こちらがそちらを見てゐないのは甚だ恐縮ながら、レイプゾンビ完結で観たいものも撮りたいものも全部撮つただなどと、枯れたことをいふて貰つては困る友松直之の2014年第一作。同業者も世間も全部倒して、天下を取つてからにして欲しい。結婚間近の遣り手OLが、グータラ社員の魔手に堕ちる。ありがちな通俗ポルノはメリハリの利いた表情作りが光る主演女優を擁し、ひとまづ順調に走る。二つのファイルを叩きつけ、最初に由美子を呼び出した佐藤は鮮やかな口跡で開口一番、「判つてると思ふけど、やつたの俺だから」。切れのある開き直りやうで展開の最初のジャンプを綺麗に軌道に乗せるのは、金子弘幸の地味なファイン・アクト。夫婦の営みをも押さへられ、怖気づいた高木に掌を返された由美子が次第に壊れて行く過程も、友松直之らしい妙手なのか百地優子の闇なのか、何れにせよ見応へがある。尤も、振り切れた由美子が何時の間にか先頭に飛び出して来る終盤が、如何せん行間が果てしなく広過ぎる。縁者の資質か演出の成果か、一見栗林里莉はシークエンスを手中に収めてゐるかに見えて、一度躓くとそこかしこが綻んで来る。締めは一応決まるものの、名探偵か犯人役多くして山に上つた探偵小説が如き一作。誰にでも出来る時代であるからといつて、下手に魔法の杖を誰しもに振らせてゐては始終に収拾がつくまい。

 由美子が一皮剥ける件の、半ばBGM代りのキャスターと評論家の討論。キャスターは、攻勢に転じた評論家に愛とは契約なのかと言葉尻を捉へられる。以降はいはばオチの見えた寸劇、毎度平素何時も通りの友松節である。よくいへばお約束の安定感、どんな無理な体勢からでも引つこ抜ける必殺のスープレックスともいへ、正味な話こゝいらで一度、一切手癖を廃したゴリッゴリの本格を拝見したいところではある。川村真一に渡すつもりで脚本を書いた、対城定秀夫を念頭に置く一大正面戦を観たいといふのは、当方も当方で懲りもせず同じ与太を吹いてゐるやうな気がするのは気の所為でもない。それはさて措き、それでは問ふた当の評論家にとつて愛とは何ぞやといふと、曰く“命の叫び”なり“迸る生命エネルギー”であるとして、凡そあらゆる性癖を愛の名の下に一括りしかねない箆棒な勢ひである。大した御仁とでもいふか、流石にあまりにも用語法の底が抜け過ぎてゐて俄に友松直之と同一視するのも憚られるゆゑ、こゝは一旦等閑視、自分ちの田圃に水を引く。実践的なシュミレーションとして、愛とは契約なのかと詰め寄られた黒木歩は如何に対処すべきであつたのか。慌てる必要も気色ばることもない、かう答へればよかつたのに。然様、愛とは契約であると。
 永遠に不滅である筈なのに、愛が終つただ変つただ移つただ、一旦終つたものがまた始まつただと性懲りもない泣き言繰言が、半世紀を経たこの期に及んでも未だに後を絶たない。戯けた寝言を垂れて貰つては困る不信心者め、愛とは永遠に不滅、不変である。終りも変りも移りもしない、終つたものが再び始まるだなどと、愛は季節か、巡りもしない。人間の世界に永遠だの不変だのあるものか、さういふ色即是空をいつてゐるのではない不信心者め、愛とは永遠で、なほかつ永遠の愛は現存する、当然当サイトの裡にはないけれど。永遠不滅の愛とは、同時に汝の隣人を汝と同じやうに愛する愛である。他人を自身と同様にとは、エターナルに加へて下駄が高過ぎてとても歩けないやうにしか思へないが、それは私に信心が足らないからであつて、本気で希求する人あるならば、何も憲法を持ち出さずとも異論を唱へるつもりなんぞ無論毛頭御座らん。愛とは確かに永遠に不滅で、汝の隣人も汝と同じやうに愛し得る。但しそれは神、といつて我々の生活環境のそこかしこにいらつしやる、八百万の神々を指すものではない。文字通りの唯一無二にしてなればこそ固有名詞を必要としないほどの絶対者、に誓ふ時に初めて、生身の人間にも辛うじて手の届く話となる。絶対者に途方もない無理を通す不断の心的努力を、時に請ひ時に乞ふ行為、それが信仰である。お判り頂けたであらうか、愛とは確かに永遠に不滅で、汝の隣人も汝と同じやうに愛し得る。そのことは即ち、神に宣誓した以上、いはば契約上の債務の履行を要求されるが如く、永遠に愛し続けなければならない、隣人も己と同様に愛さねればならないのである。といふのが、愛が契約である所以。仮に愛が甘美なものであるとすれば、それは度を越した激越がグルッと一周した先の話。といふとハードSMのやうにも聞こえかねないのは、小生の不信心にも加速された下賤な心性。地獄に堕ちればよい、あるならな。
 以上は、お断りしておくが何も非モテの恨み節ではない。跪き十字を切るコアを導入しもせずに、上つ面の絵空事ばかり換骨奪胎してはお門違ひの泣き言繰言を垂れる風潮を伊藤整が嘆いた、『近代日本における「愛」の虚偽』(初出昭和三十三年)に於いて書かれてある論考である。だから半世紀以上前の文献であるといふのに、いゝ加減目を覚ませ現代人。因みに『近代日本における「愛」の虚偽』は岩波文庫で『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』の中に収録されてあり、安価容易に読むことが可能である。


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 「尼寺 姦淫姉妹」(2013/製作:オールインエンタテインメント・新東宝映画/配給:新東宝映画/監督:友松直之/脚本:百地優子・友松直之/企画:福俵満/プロデューサー:西健二郎・衣川仲人・石川二郎/キャスティング:久保和明/撮影・照明:田宮健彦/録音:千阪哲也/助監督:高野平/編集:石井塁/監督助手:島崎真人・福田竜馬/撮影・照明助手:川口諒太郎/ヘア・メイク:化粧師AYUMO/スチール:中居挙子/メイキング:奥渉/ロケコーディネイト:田中尚仁/協力:土井光・ファンデッド・Mスタジオ/制作協力:アウトサイド/出演:緒川凛・あん・若林美保・福天・森羅万像・浅野潤一郎・金子弘幸・稲葉凌一)。久し振りなので改めておさえへておくと、共同製作のオールインエンタテインメントはex.GPミュージアムソフト。
 憐れ暴虐に曝された姉妹が横たはる、姉がことそこに至る顛末を語る旨を告げタイトル・イン。
 深い森の中、女郎に売られた佳代(緒川)と美代(あん)の姉妹が女衒・留五郎(浅野)に追はれ逃げる。ピンク映画前作「猥褻事件簿 舌ざはりの女」(1995/脚本・監督:出馬康成)では物静かなイケメンを演じた浅野潤一郎が、昨今ではそれが十八番らしく大衆演劇ばりの戯画的な悪党面でポップに怪演、所属事務所公認のファンサイトの好評も博してゐる。旦々舎作にて間男だけでなく色んなものに女房を寝取られた栗原良(a.k.a.リョウ・ジョージ川崎・相原涼二)が、眉間にギリギリと皺といふより最早溝を刻み込み、「どうしてかうなつたんだ」と闇雲に難渋に苦悩する様にやんややんやの喝采を送る当サイトとしては、非常にシンパシーを覚えるものでもある。閑話休題、三人の前に現れた恩福寺の庵主(若林)は、留五郎が支払つた二人?の代金の肩代りを宣言、姉妹を保護する。喜ぶ佳代と美代ではあつたが、二人に恩福寺を教へ先に逃げ込んでゐる筈の、ヨネ(簀巻から落ちる簪しか登場せず)を庵主は知らなかつた。とまれ、仏道の修行に入るや庵主は華麗に豹変、姉妹が親に売られた不遇の源を仏教の縁起思想を大胆不敵に正しく換骨奪胎、もとい援用しヤラせない女の業に直結。寺男・三吉(福天)と、懇ろな仲にもある代官(森羅)も交へ佳代と美代を陵辱する。
 配役残り、歴戦に培はれた渋味と絶妙な投入のタイミングとで起承転結の転部を綺麗に担ふ稲葉凌一は、入る者はゐても出て来る者が見当たらない、恩福寺に猜疑の目を向ける同心・杉蔵。正直時代劇には些かならず苦しい金子弘幸は、隠し金を貯め込んでゐるのではと噂される庄屋・畑中与兵衛。
 レイプゾンビ完結編がタイムラインを席巻する友松直之2013年第二作のお盆映画が、一年遅れで地元駅前ロマンに着弾。因みに藤原健一も愛染塾長も袖に、封切られたばかりの今年の新東宝新作は「セイレーンX」以来六年ぶり二度目となる城定秀夫ならぬ城定夫。オーピーと決裂した浜野佐知が古巣のエクセスに戻り、逆に山内大輔が大蔵電撃参戦となると、なかなかどうして。刻一刻と激動する情勢が、映画以前に面白い。再度閑話休題、不幸な女達の駆け込み寺は、檀家その他へのまぐはひ修行と称して要は性奴隷を養成する魔窟であつた。腰から下―のみ―を直撃する人を喰つた類型的な通俗ポルノグラフィーに、時代劇である以上当然でしかないのだが時代がかつた口跡がかつて観た覚えがないくらゐハマる、若林美保がキャリアハイを思はせる超絶のジャスト・フィット。女子力を“をなごぢから”と効果的に近古語訳した上で、ヤラせない女の、罪ではなくこゝでは業を、庵主が自己啓発セミナーよろしく絨毯爆撃するのは信頼するしないは兎も角安定の友松節。佳代に無理から尺八を吹かせながら、代官もエモーショナルに叫ぶ。「中年は、キモいか!」、「臭いか!」、「ウザいかーッ!」。ほかならぬ森羅万像が定立する、キモい臭いウザい中年三原則も出色。さうはいへ、一体何度目の同工異曲かといふ話ではある。修辞法に若干のマイナー・チェンジがありこそすれで完全に定型は出来上がつてゐるだけに、ライフ・テーマ乃至お家芸と捉へるのか、あるいは手癖と同義のマンネリズムと看做すのか、議論は大いに分かれるところなのでもあるまいか。ところが、杉蔵の登場に恩福寺の邪にせよ何にせよな安定感は揺らぎ始め、不審火の下手人に関して庵主と代官が食ひ違ふさりげなくも重要なツイストを経て、高を括つた油断は否めないともいへ予想外の方向から飛んで来た重たいストレートに、まんまとバットはヘシ折られた。エキセントリックな相貌にロジカルな本格を隠す友松直之にとつては造作ない作劇に過ぎないのかも知れないが、意外といつては失礼だが演者自身の熱量も相俟て、ヒロインの底深い、そして文字通りの愛憎あるいはこゝでこそ業が劇中世界を畳み込む、否呑み込んでしまふラストには強い衝撃を受けた。単なる持論の器に止(とど)まらず、純然たる一個の物語であることに潔くシャッポを脱いだ。断じて忘れてならないのは、お芝居だけでなくクッソエロい体の主演女優を擁し裸映画的にも充実。森羅万象と福天の、巨大な腹で結合部を自然に隠した緒川凛・あんそれぞれの騎乗位ショット二連撃はエクストリームに素晴らしい。よくよく考へてみると、最終的に実は代官の去就が宙ぶらりんのやうな気もするが、神も宿さぬ些末は気にするな。
 二度目のさうはいへ、それでも友松直之にはそろそろこゝいらで、平素のトモマツイズム縮めてマチズムを一切廃し、脚本を川村真一に渡すつもりで書いたガッチガチの正攻法を披露して貰ひたいところではある。何が望みなのかといふと、一遍城定秀夫との真正面からの撃ち合ひが観てみたいんだよね。

 一点苦言を呈しておかざるを得ないのが、美代が三吉に帯を引かれ、クルクル独楽のやうに回りながら身包み剥がれる大定番御馴染みのシークエンス。そこで美代が上げる悲鳴が、「いや~ん」といふのは激しく頂けない、そこは是が非とも「あ~れ~」であるべきではなからうか。それは単なる量産型娯楽映画のクリシェなどではない、営々と積もつた塵、もとい積み重ねられた伝統に対する敬意である。


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 「最近、蝶々は…」(2014/製作・配給:株式会社コスタエスト/監督・脚本:友松直之/原作:内田春菊『最近、蝶々は…』《新潮文庫刊》/エグゼクティブ・プロデューサー:紫垣雅一/プロデューサー:桐島正樹・石川二郎/キャステイング・コーディネーター:五十嵐学/音楽:シトー/撮影・照明:田宮健彦/録音:井手一郎/助監督:大西裕/ヘア・メイク:松平薫/衣装:吉田実穂/特殊造型・特殊メイク:石野大雅/特殊造型:ゼライ直井/特殊効果:近藤佳徳/スチール:高橋大樹/ポスター撮影:佐藤学/監督助手:高野平・島崎真人/撮影・照明助手:俵謙太・川口諒太郎/衣装助手:河口節子・松浦美幸/特殊効果助手:田村卓海/特殊メイク助手:佐野千尋/制作応援:奥渉/編集:西村絵美/CG合成:新里猛/ロケ協力:田中尚仁・ファンテッド・桃源郷公園・須田造園・一宮温泉病院/日本兵衣装提供:カミカゼ/制作協力:有限会社アウトサイド/出演:後藤理沙・徳元裕矢・黒木歩・川又シュウキ・希咲あや・金子弘幸・朝霧涼・あん・稲葉凌一・倖田李梨・文月・世川翔子・若林美保・衣緒菜・ホリケン。・高杉心悟・伊藤正博・青山真希・冨田じゅん・カミカゼ・田村卓海・鈴美はな・石黒繭子・百地優子・不貞妻マリコ・内田春菊)。
 開巻は鍵穴シリーズとは流石に異なり戦闘シーンを新撮した、まさかの1945年(昭和20年)南方戦線。連合国に負ける前に何でだか日本軍は同士討ち、高杉心悟を残しほぼ全滅する。一人彷徨ふ高杉心悟は亡骸から血を吸ふ妖しい蝶の群生と、群れの中心に佇む判り易くいふとセイレーン演出の後藤理沙を目撃。慄く高杉心悟と、髪をざんばらに微笑む後藤理沙とを押さへてタイトル・イン。原作を素通りしておいて何だが、そんなところから話が始まるとは思はなんだ。
 六時半のスマホの目覚まし、独身独居のキャリアOL・篠塚留可(後藤)の朝。起き出す後藤理沙のお芝居、早くも透けずに見えた底に潔く諦める。ユニットバスの洋式便座に腰かけた留可は驚く、膣内に、正しく身に覚えのない男の精液が残つてゐたのだ。基本的に女の考へてゐることは理解出来ない以前にする努力も半ば放棄してゐるが、それは驚くよな。出勤する留可と擦れ違ふ平和タクシーは客を乗せてゐる訳ではなく、女タクシードライバーの高原(トメに座る春菊先生)が娘の駒子(あん)を学校に送るところだつた。留可の勤め先、の休憩室。部課長の野本圭子(黒木歩/ex.宮村恋)以下、総勢六人の女が『女性自分』誌の「毎晩幽霊に犯される私」なる与太記事を肴に盛り上がる。ここで倖田李梨と文月(ex.かなと沙奈)が留可の同僚、もう二人には力尽きる。一人深刻な留可の様子を、圭子は気に留める。一方、土間こと通称ではなく自称ドマックス(金子)の店。ドレッドの金子弘幸が軽薄に、もとい軽快に飛ばしてて楽しい。「毎晩幽霊に犯される私」を書いた、東都出版『女性自分』編集部の萩本征幸(徳元)がドマックスに、昨今下世話な界隈を騒がせる“蝶女”の都市伝説について取材する。「私の二匹の蝶、見たい?」を決め台詞に男を漁る女にドマックスもお世話になりつつ、蝶女の正体を探つた常連客は、噂通り確かにそれ以来店に現れなくなつてゐた。引き続き目覚める毎に大量のフローバックやキスマークに悩まされる留可は、萩本に接触。ナルコレプシー気味に寝落ちた留可は蝶女の人格を発現、春菊先生のタクシーでラブホに連れ込んだ萩本を大胆に捕食するも、事後は一転我に帰り助けを求める。
 辿り着ける限りの配役―ドマックスの店のハクい女給、これ誰だ?―残り川又シュウキは、留可らとは別の部署の間宮和也。何故かあんの向かうを張るロリッロリした造形の希咲あやは、萩本が踏んでしまつた東都出版の契約社員・越川樹里。冨田じゅんが席次推定で『女性自分』編集長。朝霧涼は萩本が留可と蝶女に関して助言を求める大学時代同級生の精神科医で、若林美保は朝霧先生とコンビを組むセラピスト・山田。伊藤正博は入院する現在ver.の残存兵、衣緒菜(ex.吉瀬リナ)は萩本の眼前、七十年ぶりに“蝶”を目撃し逆上した伊藤正博に松葉杖で突き殺される看護婦。稲葉凌一(ex.隆西凌)は春菊先生の旦那。最強のex.勢青山真希(ex.逢崎みゆ)は、夫婦の会話もお留守に稲葉凌一が見入るワイドショーに見切れるリポーター役のハーセルフ。ホリケン。(ex.句点レス)は朝霧先生と萩本に接見する、多分弁護士?低予算映画界的にはオッソロシク豪華な布陣である。
 シレッと筆を滑らせるとあの嘉門洋子がカモンし倒す衝撃作「出逢いが足りない私たち」(2013)の要は第二弾企画、一般映画の感想をしかも公開前に何でまたドロップアウトが負け戦に関らず吹いてゐやがるのかといふのも、友松直之の掌の上でまんまと踊らされる同一の事情に基く。とはいへ今回の俺様は一味違ふ、遂に外付けDVDドライブを導入!わはは、これでもうネカフェに用はない。どうでもいい閑話は休題、裸の威力込みで何もかもが、嘉門洋子と比べると後藤理沙がスケール・ダウンしてゐる感は否み難い。その分友松直之が前に出たのかどうかは知らないが、世流も織り込み比較的順当あるいは穏当なサイコサスペンスであつたデアタリに対して、今作はスラッシュ方面にフル加速。伊藤正博が衣緒菜を出し抜けにグッチャグチャにするや、留可だか蝶女は自宅を本当に血に染める大暴れ、締めるは捥ぐは抉るは刺すはともうやりたい放題。絞殺された―かに思はせた―圭子を見て当然萎えたチンコを、蝶女に捥ぎ取られた上てめえでしやぶりやがれと口に突つ込まれる間宮の姿には、男ならば誰しもキンタマが震へ上がらうといふものだ。反面、最終的には正体の不明な邪欲が不滅に連鎖する、案外オーソドックスなラストはおとなし目にさへ映る。箍をトッ外した人体損壊描写に萌える、今時の琴線を個人的には持ち合はせないゆゑ、正直あまり得意な部類の一作ではない。オッパイは許さないのに残虐には手放しで甘い、規制基準がちぐはぐなつべに上げられた予告を見て二の足を踏むヘタレに、友松直之はオッパイもたつぷり登場すると太鼓判を押して下さつたものの、蓋を開けてみると満足にも何も濡れ場をこなすのは訴求力が高いのか低いのかよく判らない主演女優のみで、これだけの面子を揃へてゐながら希咲あややあんさへ脱ぎはせず、グロ映画としては兎も角エロ映画的には全く物足りない。阿鼻叫喚以上に最も肝を冷やしたのは、そんな中鏡の前で春菊大先生が裸身を御披露しかけた瞬間といふのは内緒だ。但し特筆すべきはこれだけ、後藤理沙サイドの他愛ない方便を主に徹頭徹尾商業主義全速前進な企画にあつて、端々に鏤められた平素の友松節含めここまで我を通してみせる友松直之の画期的な制作モデル。実は一番重い一撃のエモーションを誇る森山茂雄が沈黙し、“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦が完全に失速した今、多フィールドに跨る縦横無尽の快進撃で問答無用の友松直之。テクニカルなものロジカルなものをこつこつこつこつ積み重ねた末に、真逆のアプローチで終に天才と同じ高みに到達する。とり・みきの定義による“ポップ”に最も近い男・城定秀夫。旧態依然の牙城を守り続ける、アイドル映画のみならず娯楽映画の静かなる鬼、我らがナベこと渡邊元嗣。目下量産型裸映画の三強は、この三人に絞られるといふ意を改めて強くした次第。巷に溢れる映画学校は単に本業にあぶれた無職よりも、ツイッターに耽る時間を削らせた友松直之に教鞭を執らせた方が余程学生の為になるのではなからうか。女学生を片端から喰つてしまふから駄目?それはさうかもな(´・ω・`)

 コピー厳禁のサンプルDVDと同封された、フライヤーが非常に微笑ましい。十日の土曜日から二週間ヒューマントラストシネマ渋谷にて、“悶々とレイトロードショー”といふのが振るつてゐるし、都合三度設けられた舞台挨拶とスペシャルトークショー。初日の後藤理沙と春菊先生と友松直之による舞台挨拶が行はれる五月十日を、“初日はゴトウの日”としてゐるのがさりげなく爆発的に可笑しい、コスタエストがノリノリである。


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 「妹・OL・人妻 すけべ丸出し」(2013/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:百地優子・友松直之/撮影・照明:田宮健彦/助監督:高野平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/監督助手:島崎真人・井澤昌也/撮影・照明助手:河戸浩一郎・川口諒太郎/ヘア・メイク:化粧師AYUMO/スチール:高橋大樹/ライン・プロデューサー:石川二郎/制作担当:冨田大策/現像:東映ラボ・テック/フィルム:報映産業/協力:池田勝る・山口通平・スタジオペルーサ/原作:『妹の甘い匂ひ』《マドンナメイト文庫》/制作協力:アウトサイド/出演:あん・希咲あや・宮村恋・倉田英明・津田篤・郡司博史・若林美保・中村剣一・前田勝弘・中江大介・染島貢・SHIN・高橋靖・たかひろ・石川真由・原口和也・土橋聞多・梅ちゃん)。出演者中、郡司博史以降は本篇クレジットのみ。
 夜の公園をホテホテ歩く希咲あやが、マスクを被り、エフェクト過多で何を言つてゐるのか正直よく判らないボイス・チェンジャーを噛ませた、月光ならぬ激昂仮面に襲はれる。犯されながらも、マスクに手をかけた希咲あやが怪人の正体に愕然としたところでタイトル・イン。タイトル明け一転、股を開かせたロリ系少女の甘い匂ひ漂ひさうな裸の下半身を、ムッサい小太りの男が凝視する、ある意味開巻を超える衝撃的なシークエンス。1ラウンドから猛然とKOを狙ひに行く、ラッシュが実に心地良い。二十五歳のフリーター・杉崎啓太(倉田)の部屋に、父親の後妻(二人とも欠片たりとて登場せず)の連れ子、義理の妹となる現役受験生の沙織(あん)が、予備校の夏期講習に通ふ目的で転がり込む。大陰唇の左右非対称に悩む沙織が、啓太に確認を求めたといふ始末。何だかんだ盛り沢山な長い長い遣り取りの末に、沙織は啓太の俗にいふ手マンで放水レベルの潮を噴く。すると何のものの弾みか啓太の運気が俄に好転、ポスティングのアルバイトに憂き身をやつす啓太はチラシを撒いたマンションに住む出産直後の人妻・桜木百合子(宮村)、バイト先(有)「ベルーサ」事務員の東条綾香(希咲)の据膳をたて続けに頂戴する。ところが直後に激昂仮面の綾香に、百合子はHATE MAN。啓太がポスティングする先々の女達が、次々にレイプされる事件が発生。百合子の証言に基き、勿論身に覚えのない啓太にお縄がかゝる。
 配役残り津田篤は、「ベルーサ」社長・横田。郡司博史以降は、啓太の部屋に現れる二人連れの刑事と、細工したライトバンが、細工したライトバンにしか見えない修羅場に集まる野次馬要員。若林美保を視認し損ねたのは口惜しいが、もしかして首から上は抜いてない?
 二年ぶりの復帰後は快調に飛ばす友松直之の、一作跨いで2013年第三作。第二作お盆公開の新東宝はその内地元駅前に来るのではないかと期待しつつ、現時点では未見。更に撮影順は知らないが封切り順だと新東宝と今作の間に、あの嘉門洋子にカモンし倒させる大仕事も友松直之はしてのけてゐる。もしかすると我々は後世の人間から、友松直之に対する評価の低過ぎた間抜けども、といふ誹りを免れ得ないのかも知れない。それはさて措き映画本体に話を戻すと、激昂仮面のアバンを置いて大股開いての一大攻防戦。濡れ場の潤沢さも交へ啓太に急遽到来した今でいふモテキと、再起動したヘイトマンを軸に繰り広げられる、顛末の落とし処は雑なサスペンス、三部構成でサクッと観させるポップ・チューンである。今回の友松直之十八番の大容量情報戦の肝は、毎度毎度の愛くるしく屈折した持論に加へ、男女双方の下心込み込みの身勝手さなり、裸映画固有の展開の大らかさに対する、絶妙な間だけでなく平等に突き放した距離感が清々しい啓太のツッコミ。殊に、主演女優のM字開脚もあるとはいへ、ほぼモノとダイア両面のローグだけで乗り切る序盤が圧巻。四の五の語弊を残しながらも、棹は立つし観音様は濡れる。さういふ人間の仕方なさを描いたものならばこれまでも幾多とあれど、豪放磊落なパブリック・イメージの陰に隠した緻密な構成力―但し、画作りに関しては十人並―で今風のコントとしても十二分に成立せしめた一作は、それはそれで断固として素晴らしい五十年一日の艶笑譚の先を行く、ピンク映画最新型の姿を想起させる。といつて、敵が友松直之である以上、ギャースカギャースカ傑作傑作と連呼するほどのことは別にない。といふのも、ここから先は純然たる正しく文字通りの私事なのだが、実際に妹が居るゆゑ、私にはいはゆる妹属性が微塵もない。重ねて、これ見よがしにロリッロリしたあんよりも、エロエロいお姉様―といふが一体幾つ年下なんだ―的な希咲あやの方が断然琴線を激弾きされる。要は性癖に鑑賞を妨げられたといふ馬鹿馬鹿しい次第でしかないが、この辺りのノレるノレないは、腰から下で観る映画は仕方がなからう。


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 「人妻女医 性奴隷の悦び」(2013/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:百地優子・友松直之/撮影・照明:田宮健彦/編集:酒井正次/助監督:石川二郎/監督助手:貝原クリス亮/撮影助手:俵謙太・川口諒太郎/ヘア・メイク:江田友理子/スチール:高橋大樹/制作応援:奥渉/録音:シネキャビン/現像:東映ラボ・テック/制作協力:幻想配給社・アウトサイド/出演:小沢アリス・小林さや・青山真希・福天・津田篤・金子弘幸・倖田李梨)。公開題の画期的なまでのどストレートさに震へる。
 総合病院の心療内科診察室、キモいダサいウザい四十代―には見えないが―負け犬を自虐する津田篤が、女医の主演女優を手酷く陵辱するエクストリームを、開巻即叩きつけた上でタイトル・イン。別に休んでゐた訳ではないゆゑ当たり前なのだが、実に迷ひがない。
 ポップに打ちひしがれた田中(倖田)の診察を終へた村上玲奈(小沢)を、夫で外科医の雄介(福天)が訪ねる。夫婦の予定がある雄介は、玲奈の助手・葛西春子(小林)と何事か脛に傷持つらしき目配せを交した上でそそくさと捌ける。その夜の予定といふのは、雄介が実兄のやうに慕ふ従兄弟・宮田秀彦(津田)の来宅。リストラされたのに加へ、離婚した秀彦が鬱を患つてゐるのではないかと案じ、雄介は心療内科の診察を促さうといふのだ。込んだ負けがグルッと一周して厄介にアグレッシブな秀彦は、ガキの頃から長い雄介の風呂に乗じて、玲奈に軽くでもなく手を出す。兎も角いざ診察、元嫁の浮気の現場に出喰はした体験を告白した秀彦は、男女双方の移り気を玲奈のフンドシも借り遺伝子が求める多様性に帰する方便を、とても弱つた人間には思へない立て板に水のアクティブさで開陳。そんな秀彦に、神と契約を交しもせずに“永遠の愛”とやらを信じるだなどと自堕落に口にする春子は接近、シレッと凶悪な共同戦線を張る。
 改めていふと中村和愛の「三十路同窓会 ハメをはずせ!」(2001/共演:星野瑠海・佐々木基子)以来実に十二年ぶりとなる、驚愕のピンク帰還を果たした青山真希(ex.逢崎みゆ)は秀彦の元嫁・佳織と、秀彦が友人から借りたDVDを見る、AVデビューした元アイドル設定でのハーセルフ。DVD内でも青山真希と絡む金子弘幸が、佳織の間男・伊藤、氷売りらしい。何故氷なのか、氷にするならリンゴにすればいいのにといふのはオジサン趣味。
 ①ナイーブなオタク青年が②誰も知らない映画女優と③銀幕の中で終に添ひ遂げる。今世紀空前の美しさを撃ち抜いた衝撃作「囚はれの淫獣」(2011/主演:柚本紗希・津田篤)で干されたといふのが、ためにするリップ・サービスなのか実際さうなのかは在野の一ピンクスには与り知らぬにせよ、何はともあれ二年ぶりに目出度くピンクに復帰した友松直之の2013年第一作。城定秀夫と山内大輔を擁しソリッドに暴れるエクセスも視野に入れると役者が揃つた高揚感が昂りつつ、旦々舎撤退の衝撃から目を逸らさないならば、目下響くのは森山茂雄の沈黙。人の話は措いておいて、何処かで観た気もする薄味の展開を、頑強に御馴染みの友松直之持論で埋め尽くすプロパガンダ戦術は良くも悪くもお手の物。但しそんな中、静かに凶暴なキャラクター込みで口跡を疾走させる、津田篤のビート感が今作の出色。同じく友松直之が十八番とする、春子が雄介を分断しての濡れ場併走も裸と映画両面安定してお見事。申し訳ないが医師国家試験に合格した才媛には一ッ欠片たりとて見えないものの、造形の成果もあるのか、首から上に受ける印象からは予想外の小沢アリスのムッチムチ、ムッッッッチムチな爆裂と、こちらはオッパイは寂しめともいへ、現代風にアップデートした吉行由実に見える小林さや。ともに35mm主砲にその身を曝すのは初めてながら、友松組は経験済みのこともありエクセスライクな痛痒は全く感じさせない。「セカンドバージン」を墜とすのは今作では無理にしても、悪意に満ち満ちたラストの切れ味の鋭さが逆に清々しい印象を残す、ひとまづ挨拶代りの強烈な一作。2013年のピンク映画は、いよいよ面白いことになつて来さうだ。ぼちぼち年の瀬に、何をスッ惚けた寝言を垂れてゐやがるといふのはいはないで(´・ω・`)

 ひとつ友松直之に負け戦を挑んでおくと、相続といふ要素も重視した私有財産制と、生まれて来た子供に初等・中等・高等教育まで基本受けさせたい社会的要請を考慮するだけで、現行の結婚ないしは家―庭―制度を、超克して行くのはなかなかな難事業であるやうにも思へる。ドロップアウトした癖に、パラダイムに囚はれてるかな?


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 「出逢いが足りない私たち」(2013/監督・脚本:友松直之/原作:内田春菊『出逢いが足りない私たち』《祥伝社・刊》/企画:リエゾンポイント/プロデューサー:當山和・石川二郎/音楽:中小路マサミ/撮影・照明:田宮健彦/録音:甲斐田哲也/助監督:冨田大策/制作担当:高野平/監督助手:島崎真人/撮影・照明助手:川口諒太郎/制作進行:山城達郎/制作応援:大西裕・奥渉/ヘア・メイク:化粧師AYUMO/スタイリスト:長岡みどり/スチール:中居挙子/ポスター撮影:佐藤学/CG合成:新里猛/編集:西村絵美/整音:島崎真人/劇中イラスト:内田春菊/制作協力:株式会社BEAGLE・有限会社アウトサイド/出演:嘉門洋子・藤田浩・佐倉萌・津田篤・阿部隼人・佐藤良洋・倉田英明・上田竜也・田所博士・文月・沖直未)。製作は「出逢いが足りない私たち」製作委員会と公式サイトにはあるが、本篇内には見当たらない。
 諸々のソーシャル・ネットワーキング・サービスが隆盛の今日(こんにち)、いきなり筆を滑らせるではなく飛ばすと、大の大人が公衆の面前で小さな液晶相手にチマチマしてゐる様が大嫌ひな私は、あらゆる種類のモバイルを初めから持つてゐない。話を戻すとそれで便利に楽しくなつたのか、却つて面倒臭くなつたのかなな御時勢を、都市怪談風味にトレースしてタイトル・イン、これナレーションのメイン誰だ?
 タイトル明け、即嘉門洋子の裸。お前達の見たいものを見せてやる、友松直之の雄々しい咆哮が聞こえる。ハンドル:よんよんこと、一応イラストレーターの河原ヨシミ(嘉門)と、先輩イラストレーターでもあるハンドル:とろりん(藤田)の不倫の逢瀬。事の最中にもスマホを手放さぬヨシミに、とろりんは至極全うな小言を垂れる、とろりんの癖に。河原家、テレビ画面に向かつてタレントの吉沢陽子にどうかした勢ひで悪態をつくヨシミを、近所なのか、嫁に出た割には実家に入り浸る姉のカズコ(佐倉)がたしなめる。ヨシミが大ファンの俳優・東條良識(津田)と、吉沢陽子の不倫熱愛は世間を騒がせてゐた。婚期は逃し気味、仕事といつても月に小さなカットを数枚程度。どう考へても詰んでゐる妹に対しカズコはやんはりとでもなく勝ち誇り、ヨシミは満足に論破出来るでなく、幼児のやうに駄々を捏ねる。そこに顔を出す沖直未は、汚いものに気付かない鈍感さが、そのまま人生を終へられたならば幸福な呑気な母さん。そんなある日、ダラダラ起きたヨシミが半ば自動的にPCを立ち上げFaceならぬFool bookを開くと、見知らぬアカからのメールが。しかもその相手は、ヨシミではないよんよんと関係を持つたやうなのだ。誰かがアタシに成りすましてる、冷静に反芻してみると大概な飛躍で、ヨシミは戦慄する。とろりんとの待ち合はせに外出したヨシミは、よんよんちやんと呼ばれる女が男と別れる現場を目撃する。ヨシミはその赤毛でセクシーな女を追ふも、女は踏切越しに姿を消す。成りすましの正体を暴いてやる、ヨシミはFool bookに餌を撒き行動を開始する。
 配役残り田所博士は、女優を自称する吉沢陽子を頑なにタレント呼ばはりする挑戦的なテレビ番組司会者。形式的にはヒムセルフなれど、まあ変名か。ヨシミ成りすましのファースト・カットにもシレッと見切れる阿部隼人は、成りすましがネットで漁るハンドル:きりたんぽぽ氏。締りのない体躯が、ランニングの形に日焼けしてゐる間抜けさが余計に役不足。三人の並びで画面奥から倉田英明・佐藤良洋・上田竜也は、同じく成りすましとの4P要員。倉田英明が、劇中最初に真相に辿り着く。佐藤良洋は地味に長けた発声を楽しみにしてゐたものだが、見せ場は与へられず。それと無論、上田竜也はKAT-TUNではない。フィーチャー・フォンを弄る迷彩を着たジャイアンが開巻に見切れるのは目を瞑つてゐても気付くにせよ、わざわざクレジットまでしておいて文月(ex.かなと沙奈)が何処に出てゐたのかが本当に判らない。その他それらしき役は登場しないし、少なくとも、抜く形では撮られてゐない、筈。忘れてた、ヨシミにただのデブの一言で片付けられるとろりんの細くはなくとも細君は、帽子を目深に被つた佐倉萌の二役。
 友松直之最新作中の最新作、後述するが何せまだ公開前、タイムマシンにでもお願ひしたのか。勝手に設定したテーマを蒸し返すと、友松直之といへばオーピーに続き新東宝も連破し、ここでエクセスをどうにか出来れば、ほぼ間違ひなく歴史上最後の三冠を狙へる重要な位置にあるのだが、今回ばかりはそれどころではない。初脱ぎのトピックこそないとはいへ、あの嘉門洋子がカモンし倒す衝撃の話題作。申し訳ないが、流石に役者が違ふ。肝心の濡れ場に突入すると殊に、嘉門洋子が終始一人浮いてしまふ違和感は禁じ難い。それはさて措き、ヨシミが自身の成りすましを捜して奔走する、サイコ気味のサスペンスはちやうど尺が折り返しを跨いだ辺り以降、怒涛の吉沢陽子裸見せの中一旦完全に埋没する。手前勝手極まりないセックスできりたんぽぽの機嫌を損ねた陽子が、途端にブリブリ男を手玉に取つてみせる件には、友松直之は何処まで女といふ生き物を信用してゐないのかと微笑ましさも覚えつつ、東条の前では一転。きりたんぽぽを自身の快楽に供する為だけの道具かのやうに扱つた陽子が、東条からは同じやうに扱はれる隷属の連鎖は、与へられた企画に決して安住なり満足しない貪欲さが裸で以てドラマを紡ぐ、然るべき裸映画の在り方として結実する。それにしても、さういやヨシミはどうしたのよ?とぼちぼち途方に暮れかけたタイミングで、倉田英明を起爆剤にそれまで入念に敷設した伏線が着弾、狙ひ澄ましたどんでん返しが火を噴くのは友松直之一流の構成術。と同時に、そこで欲張り若干キレを失するのも御愛嬌。自身がツイッター・ジャンキーであることも利してか、SNS社会を土台に友松直之が選んだモチーフは、正しく表裏一体を成すヨシミが拗らせる自意識と、陽子が自堕落に持て余す空白感。陽子、に限らず女達が都合よく抱へた心の穴は、適宜印象的に始終の調子を整へつつ、最終的にはアンニュイに投げ出される。それもそれで様になつてゐなくはないが、下手なスタイシッシュよりも孤独なオタク青年が誰も知らない女優と銀幕の中で添ひ遂げる苛烈なロマンティックに。友松直之とは相憎相悪の状態にある旦々舎の、絶望的な孤独の末に中年男が終に郵便ポストと化す無限の夢幻にこそ、より強いエモーションを覚えるものではある。
 絵になつてゐる分、陽子はまだいい、問題はヨシミだ。ヒステリックにみるみる消耗しやがて壊れて行くヨシミの姿は、本来ならば嘉門洋子の超絶な演じ分けないしは凄絶な熱演を称へなければならないところなのかも知れないが、あまりに真に入り過ぎて、逆に見るに堪へない。これは美しくないものなど今既にあるありのままの現し世だけで十分で、夜の夢は、そしてそれを投影した映画は文学は全ての創作物は美しくあるべきではないのかとする、個人的な偏好による感触でもある。だけれども分別を捨てなほも大風呂敷を拡げると、駄目なものが駄目なままでも美しかったカッコよかつたどうにか救はれた幸福な時代は、1980年が明けた瞬間に基本的に終つた。以降は必ずしも絶対に不可能ではないとしても、特別な配慮もしくは能動的な努力を要する世知辛い世界が完成した。元々露悪的な戦略でそれは狙ひ通りに形になつたのだらうが、ヨシミにもヨシミなりの真実なり救済を求める惰弱な心性は、半欠片たりとて顧みられはしない。だから、もしかすると何某かの手を施したのか、嘉門洋子の淡いピンク色の乳首と乳輪とがエクストリームに美麗かつ扇情的であるにせよ、今作は美しい物語ではない。それはハンバーガー店に入つてうどんを注文する類の与太として、一点目もとい耳に障つたのが、時に激しく適当で時に徒に大仰で時に不用意に饒舌な、悉(ことごと)くちぐはぐな劇伴が清々しく至らない。尤も、音楽に関してはアリスセイラー降臨時以外は、総じて友松直之映画のアキレス腱であるやうに、改めて思ひ返してみると思へなくもない。ともあれ、それもこれもあれやこれやはこの際取るに足らない瑣末。確かにセンセーショナルな裸だけでなく劇映画的にも十分に面白いことは面白いともいへ、映画の面白さを求めるならばメイドロイドの方が数段素晴らしいし、それ以外にも結構な高打率で事欠かない。キャプテンぽくいへば、そんなことより嘉門洋子のカモンを舐めたくならうぜ。公称スペックを鵜呑みにすると、嘉門洋子目下御齢三十三歳。この手の企画によくある、五年遅かつた十年遅かつたなどといふ話には断じて当たるまい。寧ろ今が絶頂期、ゴールデン・エイジ、別に二十五の時の嘉門洋子は知らんけど。部位もプレイもフルスロットル、嘉門洋子は脱ぎ惜しまない、友松直之も手加減しない、それがジャスティス。間に合つた嘉門洋子を裸映画の鬼・友松直之が撮る、事件を通り越した奇跡に感謝を。

 ところで、十四日から一週間限定で池袋シネマ・ロサにてレイトショー公開される成人指定とはいへ一般ソフトコアの感想を、何でまた封切り前に福岡在住の田舎者が書いて、より正確には書けてゐるのかといふと。畏れ多くも友松直之監督から、勿論禁貸出でサンプルDVDを呉れてやるからレビューを書け、それを販売戦略上の下手な弾幕に使用するとのお話を頂戴した。藁製の猫の手にもほどがあると恐縮しつつ、折角なのでここは前に出て玉と砕けるかとしたところ、ひとつ障害が、しかも根源的な。我が家には妹が結婚する少し前から―何時なんだよ、それ!―テレビがなく、となると当然無用の長物たるDVDプレイヤーもない。オンボロXPが辛うじて青息吐息で動いてゐるものの、ドライブは壊れてゐる。即ち、寂しさで画期的な色になるどころか、そもそもウチにはDVD視聴環境が存在しないのだ。そこで
 僕「メール添付の動画ファイルで下さい><」
 友松大監督「画質が激しく劣化するから駄目だボケ、ネカフェ行けやドアホ(#゜Д゜)」
 的なハート・ウォーミングな遣り取り―幾分意訳―の末、持ち込みのDVD-Rを見る為だけに一々ネットカフェの門を叩いた、まででまだ話は片付かない。挙句に、四捨五入すると十年ぶりに触るテレビとDVDプレイヤーの使ひ方がどうしても判らずに、悪戦苦闘を経て結局PCで見る始末。我ながら、限りなく不自由な男だ。


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 「義母浪漫 求めあふ肉愛」(2012/製作:マーメイド/監督:友松直之/脚本:百地優子/プロデューサー:佐藤昌平・久保和明/撮影・照明:田宮健彦/録音:高島良太/助監督:伊藤一平/スチール:高橋卓也/監督助手:堅田裕介/撮影助手:長谷川玲子/制作:躰中洋蔵/編集:池田勝/制作協力:レオーネ/出演:北条麻妃・磯田泰輝・なかみつせいじ)。ヘアメイクに力尽きる、己のメモが読めん。
 目出度くなく浪人一年生の伊藤ヒデキ(磯田)の父・正人(なかみつ)は、高校入試に関する保護者面談が馴れ初めで、息子の中学時代の担任・由紀子(北条)と昨年再婚―前妻とは十年前に死別―した。そんな腫物な時期にそんな刺激的なことを仕出かされては、ヒデキが落ちるのも幾分かは無理からぬ気がする。ある日、ヒデキは洗濯物を取り込んだ由紀子が落として行つた赤のパンティを手に入れ、美しい義理の母親に対し明確に点火される。由紀子は結婚後も教職を続け、日中ヒデキ一人きりの伊藤家。新たな収穫を求め、由紀子のクローゼットに手を出し宝の山ぶりに驚喜したヒデキは、独身時代から使ひ込んだ愛用の品と思しき、ポーチに入れられたバイブを発見する。
 リリース時元々のタイトルは「淫義母 もうガマンできない…」である筈なのだが、TMCのMIDNIGHTレーベルの手にかゝると「義母浪漫 求めあふ肉愛」なる公開題に。正直よく判らない領域ではあるし、納品すると手を離れてしまふ友松直之御当人も把握されてゐないらしい。それともう一つ、これは最早珍しくはない現況として、今作は僅か一日で撮影してゐるとのこと。外堀は兎も角、映画もといVシネ本体に話を絞ると、宅浪生なのかそんなに居心地がいいのか、劇中ヒデキが半歩たりとて自宅から微動だにしない中、大雑把に纏めると男も女も牡と牝の本義に立ち帰つて生殖しろ。甲斐性になんぞ拘らなくとも転がしておけば子供は勝手に育つとする、友松直之定番のエミール流の少子化対策論―あちこち大雑把過ぎる―が、妙に饒舌なヒデキの口を借りミニマムな展開を濃縮するかのやうに埋め尽くす。確かにそれは十八番の情報戦とはいへ、オムニバス作の一篇程度の物語が、大きく残した余白を友松直之一流のアジテーションで塗り潰すだけのことであるならば、北条麻妃の裸をさて措くとツイッターをフォローしておけば事足りるとも片付けられよう。タイム・アタックにも似た、寧ろそのものでしかない現場の修羅場を鑑みると仕方もあるまい―無論、そのやうなバック・ステージは最終消費者の知つたことではない―としても、どうもパンがぎこちない箇所や絡みに際しては殊更に寄り気味も通り越し殆ど寄り放しである等、画的な見所も節穴には感じられなかつた。ポップに長けた、北条麻妃の表情の作り方以外には。但し、そのまま義母と義息が何だかんだで一線を跨いで終り。そんな平板な負け戦を、トンパチなパブリック・イメージの陰に、本来技術職たるべき職業娯楽作家にとつて最も肝要とされる二つの要素・論理と技術とを、一言でいふと腕を隠した友松直之がおとなしく戦ふ訳がない。但し但し、意表といふよりは、寧ろ高を括つた油断を突かれた鮮烈な落とし処には完敗を認め、かけはしたものの。この手の戦略を採用する以上幕引き際の手品師・深町章―開巻の韋駄天が新田栄―の如く、観客をハッとさせたところで四の五の反芻する暇を与へずチャッチャと畳んでみせる―振り逃げるともいふ―のがより得策ではなかつたらうか。因みに、その為には当然クレジットもオープニングで処理する。さうすると案外、小生のやうなチョロい間抜けは終始ダレ気味の始終のことなどケロッと忘れ、見事に騙された満足感だけを残してみたりもするものである。更なる濡れ場込みともいへ以降は些かならず冗長であることに加へ、二つ目のオチは序盤に蒔いた種のことを忘れた訳ではない上で、矢張り蛇足に思へた次第。

 ひとつ瑣末をツッコんでおくと、近隣で頻発する下着ドロに注意を促す回覧板が、食卓の話題に上る件。正人が長風呂に入る間に由紀子がヒデキから尺八を吹かされる、中盤見せ場の攻防戦。ここでベランダに出るには通過しなくてはならないヒデキの部屋が、二階にあることが判る。即ち、お宅らには概ね関係ない話なのではといふ以前に、そもそも要は干す前後を問はず、由紀子の下着が紛失した場合内部犯が強く推定される格好となる。


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 「囚はれの淫獣」(2011/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:安達守・福田光夫/撮影助手:宇野寛之・玉田詠空/メイク:江田友理子/制作:池田勝/応援:石川二郎・山口通平/協力:OUTSIDE/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/出演:柚本紗希・倖田李梨・若林美保・津田篤・藤田浩・如春・米本奈津希・宮本真友美・前田勝弘・廣田篤記・八木華・矢樹広弓紀・長谷川清久・梅ちゃん・SHIN・いとうたかし・りさっぺ・臭男・東京JOE・深谷智博・はるな・中江大助・木村真也・吉田恭一郎・松原富貴子・マザー根上・岡本幸代・雄馬・よこゆき)。出演者中、米本奈津希以降は本篇クレジットのみ。
 少なくとも個人的に、ピンクでは初見の幻想配給社カンパニー・ロゴに続いて、声色も同一のミスターXのアニマトロニクスが狂言回しとして登場。ここは便宜上、以降に際してもミスターXと仮称するものとする。チューリップの「虹とスニーカーの頃」やゴダイゴ「ガンダーラ」の愉快で卑猥な替へ歌を繰り出しつつ、成人映画館場内での喫煙や猥褻行為まで黙認する強烈過ぎる先制パンチを放つミスターXは、まるでゲームかバトルロワイアルかのやうに、ピンク映画が始まる旨をおどろおどろしく高らかに宣告する。挑発的も通り越し最早ムチャクチャではあるが、何てカッコいい開巻なんだ。飛ばし過ぎだぜ、友松直之。
 そんなこんなで、タイトル不明の劇中ピンク映画。執拗に個別的具体性を回避した男優部に抱かれるサオリ(柚本)が、ピー修正も潔く厭はぬ怒涛の淫語プレイを大展開する。ストレートにアイドル級の美少女を擁した一連の件のポップでキュート、しかも濃厚な煽情性は、霧散してしまはぬやう今作の商品性を頑強に補完する。因みにポスターを飾る、柚本紗希がX字型に拘束される類のシークエンスは、本篇中には一切全く一欠片たりとて見当たらない。ある意味ここまで来ると、看板の偽り具合がグルッと一周して寧ろ清々しい。五人の男女が薄暗い空間に倒れるカットを一拍挿み、もう一頻り柚本紗希の可愛らしさと裸とをタップリ堪能させた上で、再度女二名・男三名が、新館建設に伴なひ―公開年2011年の―前年八月一日に閉館した、上野オークラ旧館のロビーにて意識を取り戻す。五人の内訳は、女性ピンク映画ファンのユリコ(倖田)と、上野オークラ新館のモギリ嬢・アケミ(若林)。ユリコの連れ、より直截には女が小屋の敷居を跨ぐ際のナイト役・スズキ(如春)に、一人客で、ワイシャツの上から作業着のジャンパー姿の会社員・ヤマダ(藤田)。そしてネルシャツ×チノパン×ダンロップ系の、ナイーブなオタク青年・タナカ(津田)。五人は上野オークラ新館にゐた筈で、現に旧館はといふと、内側からも閉鎖されてゐた。何れもが事態を呑み込めぬまゝ、ブチ切れたヤマダはロビーに置かれた円筒形の灰皿を抱へ上げると、封鎖を突破すべく打ちつけられた角材とベニヤ板を壊し始める。恫喝気味に促され、スズキとタナカも加はり男三人の力で閉ざされた出口を遂に抉じ開けた、かに思へた次の瞬間。ヤマダ達は恐々見守るユリコとアケミの後方に、小屋出入り口と反対側の劇場ドアからメビウスの輪の如く転がり込んで来る。加へて、今しがた壊した封鎖も元に戻つてゐる。再度突破を試みたものの、結果は矢張り同じ。即ち、放り込まれた因縁から理解不能な旧館から、五人は脱出することが出来ないのだ。ヤマダ一人の三度目の試行も同様の水泡に帰したところで、不意に上映の開始を告げるブザー音が鳴り、一堂は吸ひ寄せられるかのやうに劇場内に足を踏み入れる。スクリーンに現れたミスターXは、銘々がピンク映画に何を求めてゐるのか、関り合ひについて個別に面談する。ヤマダはピンクと一般、映画を区割りする自体のナンセンスを訴へ、スズキはピンク映画のAVに対する優位性を主張する。ユリコはテレビドラマや一般映画が軽んじる、濡れ場を感情移入の観点から重視した。対してアケミはドライに、木戸銭さへ落とせば客は客、映画を観ても観なくとも、劇場内で何をしようが基本的には問はなかつた。ここで、アケミの態度は決して、フィクションの中だからこそ成立し得るフリーダムな視座では別にない。単なる、日常的なリアリズムに過ぎまい。話を戻すと、ミスターXは難なく四人を個別撃破、乃至は具体的かつ羽目と箍を外したアクションへと背中を無理押しする。一方タナカは、サオリ役の謎の女優の姿を常に追ひ求めてゐた。不思議なことに、監督も兎も角製作時期を問はず、タナカがピンクを観てゐると必ず、主要キャストではなくとも映画の何処かしらに何かしらで見切れてゐるその女優を、スズキやユリコも、タナカよりピンク映画に詳しいと思しきヤマダでさへ、誰一人として知らなかつた。
 俗にいふ正月第二弾の前作、「絶対痴女 奥出し調教」(主演:あいかわ優衣)から四ヶ月後といふ順調なペースで公開されたものの、以来現在に至るまでピンク次作の話も聞こえて来ない辺りは正直何気に気懸りでなくもない友松直之の、ひとまづ2011年第二作。端的に筆を滑らせるならば、友松直之を遊ばせておくほどのタレントが果たして揃つてゐるのか、といふ話でしかないやうにも思へるのだが。重複の誹りも省みず改めて踏まへておくと、第一弾「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」(2010/監督・脚本・出演:荒木太郎/主演:早乙女ルイ)、第二弾「奴隷飼育 変態しやぶり牝」(2011/脚本・監督:山﨑邦紀/主演:浅井千尋)、第三弾「いんび快楽園 感じて」(2011/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/主演:琥珀うた)に続く、上野オークラ旧館ピンクの第四弾である。2010年に加藤義一による薔薇族が更に一本あるらしいが、当方のんけにつきその件に関しては潔く通り過ぎる方向で。小倉にも、来てゐるのか未だなのか知らん。閑話休題、舞台が閉館した旧館である点を明確に盛り込んだのも最も鮮やかなストーリーは、廃映画館に幽閉された、四人の観客と一人の従業員。映画の神かはたまた悪魔に、五人は翻弄される、といふミステリアス且つロマンティックなもの。その上で、といふかさりとてといふべきか、友松直之は、古き良き小屋を懐かしむセンチメンタリズムになんぞ一瞥を呉れるでなく、苛烈に咆哮する。自身のオルター・エゴと解してまづ間違ひあるまいミスターXの器を借り、あくまで語り口は軽妙ながら、そもそもフィルムによる撮影・映写から易々と否定。時流に即し得なかつたピンク映画の劣等性を憚りもせずに断じ、男の聖域と看做した成人映画上映館からの、女性客の排斥をも主張してみせる。挙句に、揶揄してゐるやうにしか見えない、小人物設定のオーピー映画社員を登場させるに至つては、不用意に銀幕の向かう側に思ひを馳せハラハラさせられる。ただ然し、だが然し。今作が、議論の提起どころでは最早納まらずに争ひの種を撒き散らす一種の露悪のみを主眼とした、いはゆる問題作であるとする態度に、当方は決して与さない。極限にまで純化させられた美しさに、胸揺さぶられる激越な感動作である。醸し倒した物議に、ヤマダV.S.ユリコのハード・レイプ、アケミV.Sスズキの劇場内座席プレイと、鋭角の濡れ場も絡めた末に撃ち抜かれるのは、同好のヤマダやスズキらからすら理解されぬタナカの、タナカだけのエモーション。ヤマダのやうに図太くも、タナカほど繊細にもなれない、スズキ役に如春が群を抜いてフィットする、配役の超絶も唸るクライマックス。孤独なピンクスの、優しくも貧しき魂に手向けられた柚本紗希の微笑みこそが、たとへ魔女の嘲笑に過ぎなくとも、少なくとも極私的にはこの映画の全てだ。もしも仮に万が一、あるいは酷く平板に、それは在り来りに茶を濁す、お定まりの商業的なテクニックであるのやも知れないが、それでも構はない。謹んで騙されればよからう、それも愚かな観客の特権ではないか。
 最終的に、“現し世は夢であり、夜ならぬ小屋の暗がりの中の夢こそ誠”。さうとでもいふと、詰まるところは映画を処世の糧としてしか捉へなかつた、「いんび快楽園」には難渋にかぶりを振らざるを得なかつた首を、水飲み鳥のやうに諾々と上下移動する小生の底の浅さが、あはよくば御理解頂けようか。

 出演者中米本奈津希は、上野オークラ旧館には連れ去られなかつた、十二分に美人のもう一人のモギリ嬢か。残りの大勢は新館に於ける潤沢な観客要員は確定として、オーピー映画社員役の扱ひがよく判らない。


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 「絶対痴女 奥出し調教」(2011/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:友松直之・城定秀夫/撮影:Syu G.百瀬/照明:太田博/助監督:安達守・浅見圭史/撮影助手:吉田明義・渡邉寿岳・佐藤匡/メイク:江田友理子・玉手マリコ/スチール:山本千里/編集:酒井編集室/唄・作詞:アリスセイラー 作曲・編曲:長上エイジ/制作担当:池田勝/出演:あいかわ優衣・亜紗美・若林美保・藤田浩・津田篤・如春・松本美帆・しじみ、他多数)。出演者中、松本美帆以降は本篇クレジットのみ。エンディングに流れるトラックに関しては、何故か曲名がクレジットされない。いはずもがなを臆することなくいふと、撮影のSyu G.百瀬は、百瀬修司の変名。
 堂々としたキネコ画質に何事かと思ふと、大胆にも手持ちビデオを回しての、何処ぞの病院への潜入映像。実際に持病の貧血を拗らせ入院中の、しじみ(ex.持田さつき)の降板謝罪コメントに続いてタイトル・イン。ドキュメント・タッチ、といふかそのものの衝撃的な開巻であると同時に、やつれもあつてか素顔のしじみは、結構印象を違へて見える。感じたままに大雑把に譬へると、面長にした淡島小鞠。病人を捕まへて申し訳ないが、これはこれで実に悪くない。
 看板女優・アカネ(しじみ)が倒れてしまつた、劇団「キャラメル・バケット」座長のヨウコ(若林)と、副座長格ポジションの山田(藤田)の一戦。早速ガツンとした絡みを挨拶代りに披露しつつ、二人はアカネが務める予定であつた、公演の迫る舞台の主演をどうするのかといふ目下の一大事について相談する。「キャラメル・バケット」にはアカネの他にアヤカ(亜紗美)といふ女優も居たが、色気とロマンに欠けると、ヨウコの御眼鏡には適はなかつた。ここで、SHIN氏のブログ「BATTLE BABES」によると、アヤカの声は一般映画に於いて亜紗美との共演も多い、泉カイのアテレコであるとのこと。これが、さういはれてみないとまづ判らない、地味に超絶のフィット感を誇る。話を戻して、それでは一体、「キャラメル・バケット」の舞台「午後のアグダプティ」の主役は誰になるのかといふと、カット明けると大胆にも公演中の同舞台。ピン・スポットを当てられた、アグダプションされた妊婦・サオリ(あいかわ)が登場。一点、以降折に触れ目についたのが、あいかわ優衣は口元が大きく右に振れてゐるので、真正面から捉へるのは銀幕のサイズ、といふ意味での映画的には得策でないやうに見受ける。一方、ヒロインの座を後に語られるところによればチラシの劇団員募集を見て応募して来た、いはば新参のサオリに攫はれた格好のアヤカは、当然激しく面白くない。少雨に基く断水につき汗も流し損ねた、彼氏で矢張り「キャラメル・バケット」団員の、「午後のアグダプティ」ではサオリの夫役を演ずる田中(津田)との、不機嫌な情事。と、いつた寸法で、「午後のアグダプティ」の公演内容と、更にもう一人の「キャラメル・バケット」メンバーの鈴木(如春)も交へての、徐々にアヤカが喰はれるやうにして実際には「キャラメル・バケット」の男連中を全員喰ひ散らかして行くオフ・ステージとが、綺麗に並行して描かれる。
 元々はニシオカ・ト・ニール作演出、しじみ主演の舞台「女魂女力 其の壱 しじみちやん」のピンク映画化として企画は進行する。ところが、薮から棒に態度を硬化させたニシオカからは訴訟沙汰、漢友松直之は怯むことなく強行撮影に突入するも、今度は挙句にしじみが貧血でダウン。等々、撮影以前の騒動の顛末については、仕方もなく既に出遅れぶりも甚だしいところなので一切潔く割愛し、今項は裸の裸映画としてのアプローチに努めるものである。
 進行する予測不可能な劇中劇と、舞台外での何れも頑丈な濡れ場濡れ場とが位相の異なることもものともせず見事に猛然と併走する序盤には、当人にとつては手慣れた手法といへど、それにしても改めて強靭な充実に、正に友松直之ここにありと大いに刮目させられた。とはいへ、中盤UFOなり宇宙人の肯定論者役の鈴木と、否定論者役のアヤカとが変な執拗さで延々堂々巡りの論争を始めてからは、即ち「午後のアグダプティ」の進行が事実上ストップしてしまつてからが、素直に連動して映画全体が明確に失速する。終に時制が統一される転調は鮮やかではありながら、文字通りの舞台の上へ下への大騒ぎが繰り広げられるクライマックスに際しても、趣向の要請を受けた為術であることならば酌めぬでもないものの、端的に画面が散らかり、もしくは汚過ぎ。小屋に木戸銭を落として映画を観に来た者の立場でいはせて貰ふと、些かどころではなく首を縦には振り難い代物である。人を小馬鹿にしたかのやうな下らなさが逆に堪らない、拡げた風呂敷の痛快な畳み際に続く、序盤に蒔いた種をさりげなく回収するギミックは、本来ならば顛末の、据わりをよくしようところではあつたのだが。ニュース番組のテーマ音楽の如き、半端にラウドで品のない劇伴にも、矢張り全篇を通して興が削がれる。尤も、終盤に至るまで一旦失つた求心力を取り戻せずじまひのままに、終りなきサークル・クラッシュの継続を明示するオーラスは、あいかわ優衣持ち前の絶妙に生々しい、別のいひかたを試みれば如何にも男好きしさうな色つぽさもあり、我々の仕方もない業の深さを、束の間のシークエンスにも関らず鮮やかに定着させる。さうかうしてみると、長所と短所が判り易く同居した、一方向に絞れば粗の顕著な一作ではある。錯綜し急を要する状況の中から、放たれた決死の一撃であることを鑑みれば相当も超えた上出来であるといへるのかも知れないが、そもそもそれは要は裏事情に過ぎず、職業作家が方便にすべきものではあるまい。憚りもせず、いはずもがなを繰り返すやうだが。
 エンド・ロールに際しては幾分撮られた、しじみの素材が流用される。ところがこれが、SMもののアダルトビデオとでもいふならば兎も角、これでピンク映画を行くのかと目を丸くさせられるほどの、苛烈に次ぐ苛烈な責めに終始。これではしじみが体調を崩すのも無理からぬとすら思はせる、薮蛇なエクストリームを開陳する。

 触れずに通り過ぎる賢明な選択肢まで含めて、何処で手を着けたものか最後まで思ひあぐねた末に、結局敢然と掉尾を散らかすことに。本篇クレジットのみの出演者中、しじみに関しては既に採り上げた通りとして、ダンサーであるらしき松本美帆は、自信がないがフと気付くと一同が車座になつた稽古場での頭数がひとつ多い、「キャラメル・バケット」のその他劇団員か。問題なのが、二十人前後は居たと思はれる他多数。ピンクスを中心に掻き集められたと思しき、「午後のアグダプティ」公演会場を埋める観客要員。勿論人様のことをいへた義理にはなく、安普請の中でのさういふ製作体制は仕方のないことともいへ、如何ともし難い画的な貧しさは否めない。中でも直截に筆を滑らせると、最前列の太つた女は我慢出来ずに見苦しい。開き直ることも胡坐をかくことも、狭い狭い仲間内でのみ戯れ合ふこともなく、あくまで素面の商業映画として世間一般にも討つて出るつもりであるならば、矢張りあまりにも、もといあまり褒められた筋合にはなからう。


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 「美脚教師 開いて悶絶」(2010/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:安達守・西村済/撮影助手:宇野寛之・宮原かおり/メイク:三沢友香・江田友理子/スチール:山本千里/制作担当:池田勝/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/現像:東映ラボテック/タイミング:安斎公一/出演:横山美雪・しじみ・山口真里・石井亮・原口大輔)。友松直之とされる脚本と、ポスターには普通に名前の載る、なかみつせいじと堀本能礼が何故か本篇クレジットから脱けてゐる謎仕様。
 パソコン教室講師・貝原淑子(横山)と、住宅メーカー営業の彼氏・浜口弘志(石井)の睦事に連動させて、淑子の授業が地元ケーブルTV局の取材を受けた際の模様が、少々荒らしすぎのビデオ撮りにより交互に差し挿み込まれる。生徒にはリストラ中年の山田康夫(なかみつ)、子育てが一段落したので、再就職を希望して職業訓練を受ける人妻の石井明美(山口)。そして何を目的に来てゐるのかよく判らない、タレント志望の小山沙織(しじみ)らがゐた。こゝでひとつ、形式的な部分に関して立ち止まらざるを得ないのが、幾ら配役上の方便とはいへ、山口真里が38といふのは些かどころでなくあんまりだ。確かデビュー時には女子大生であつたやうにうろ覚えるので、さうなるとせいぜい三十前後であり、実際その辺りにしか見えない。そして実質的にも、文字通りのイントロダクションに主演女優の絡みと、同時進行させる各登場人物の紹介とを配した構成は麗しく順当なものとはいへ、カットの変り際を主にそこかしこで、素頓狂なSEを矢鱈と鳴らしてみせる悪弊には閉口するばかり。本来ならばスマートに磐石な筈の開巻が、妙に散らかつてしまふ要因にほかならないやうに思へる。友松直之作を観てゐて躓く時と特に気にはならない時とがあるのは、現に使用不使用の別なのか、単なる偶さかか個人的な映画に引き込まれるれないによるものなのかは今後のテーマとさて措き、現時点では憚りながら覚束ない。閑話休題、教室に、沙織を連れ戻しに来た柄の悪い高校時代の元カレ・ケンジ(原口)が乱入、教室は騒然となる。公開順に、幾分粘着質ではあれ堅気のサラリーマンを演じた「移り気若妻の熱い舌技」、その名の通りアキバ系のボンクラ学生に扮した「最後のラブドール 私、大人のオモチャ止めました。」(共に2010)に続き、今作の原口大輔は、スカジャンとジャラつかせた装身具の似合ふヤンキー青年を綺麗に好演。役に応じてまるで違へてみせる佇まひには、演技者としての高いスキルを窺はせる。近年弱体化著しいピンク若手男優部にあつて、貴重かつ強力な戦力といへよう。叶ふならば、余所の組でもガンガン観たい。再度閑話休題、新潟から上京した沙織は、ひとまづ昔のよしみでケンジの部屋に転がり込む。ところが干渉的な態度に業を煮やし、元カレの下を飛び出して来たものだつた。そんな沙織が、あらうことか生き別れた義理の妹を騙り淑子の部屋に現れる。淑子にとつては薮から高層ピルが突出たやうな話で、当然発生する押し問答の最中、元々その日淑子宅で自慢の手料理を振舞ふ約束の浜口も合流。淑子と沙織が、キャット・ファイト感覚の取つ組み合ひを披露する一幕も経て、一旦浜口は退場。その夜無理矢理割り込んだ風呂にて、沙織は自らが淑子の父親が再婚した相手の連れ子であるとかいふ事実を明かす。義母―沙織にとつては実母―と折り合ひが悪かつた淑子は、全寮制の高校に入つたまゝ実家を離れ現在に至る。といふ説明原理が一応与へられはするものの、淑子が沙織と対面した上でその人とまるで気づかないといふのは、流石にスラップスティック調の段取りとはいへ無理も大きい。兎も角といふか兎に角といふべきか、沙織が淑子と同居した上で教室にも通ふ新生活。授業中の沙織は後方から覗き見たPC画面に、山田が淑子に逢瀬を求めるメールを送信し、受け取つた義姉も義姉で、満更ではない以上の風情であるのを看て取る。授業終了後、淑子が落として行つた携帯を渡し損ねた沙織は、仕方なく当初予定に従ひ、冒頭ケーブル局番組を制作したレオーネならぬ「ネオーレ映像」に社長、兼プロデューサーの辻(堀本)を訪ねる。ところで久し振りに観た堀本能礼は、森山茂雄の「ワイセツ和尚 女体筆いぢり」(2007/主演:野々宮りん)以来。とりあへずの写真撮影と称して、辻が言葉巧みにでもなく強引に沙織と事に及ばうとする中、元カノを探し教室に入れ違ひで再度姿を現したケンジに、明美は俄に接近を図る。
 手放しの大美人・横山美雪と、今をときめく低予算映画界のマドンナ・しじみ(ex.持田茜)といふ超攻撃的な2トップの背後に、安定感抜群の山口真里がドッシリ構へる。限りなく完成形に近い三本柱がそれぞれ咲き誇る、正しく銀幕を飾る何れも充実した濡れ場濡れ場で尺を繋ぎつつ、フと冷静になつてみると、詰まるところは浜口が“義”姉妹丼を達成する以外にはさしたる展開に欠く点に首を傾げかけてゐると、「わいせつ性楽園 をぢさまと私」(2009/主演:水無月レイラ)にも似た強引な落とし処に、不意を撃ち抜かれる。仮に、観客を油断させるところまで計算した上での、お話の薄さだとすればお見事と頭を垂れるほかないが、文字通りの力技で捻じ込むやうに着地させた姉妹のドラマはそれなり以上に力を有する反面、山田の尺八ルネッサンスは純然たる豊潤な枝葉にせよ、折角辻が十全に提出し得たかに見えた、“自分勝手”といふテーマの軸は完全に等閑視された印象は拭ひ難い。あるいは入念なミスディレクションなのか、一見姉妹愛に彩られた感動系の結末は、精神の平定を失した狂気も微妙に匂はせる。淑子が明後日に入れ込むのは勝手だが、そこは男目線としては、浜口は普通にドン引くか、少なくとも不安を覚えるところではあるまいか。あるいは、さうしたカットの有無から、真意を逆算するのも可能なのか。沙織が姉の男を寝取つた浜口と、淑子は淑子で山田との、二つの情交をカットバックで併走させる友松直之が近作多用する手法も、シンプルに見飽きたものか、求心力ないし統合力は些か甘い。期待が上がつてゐる分、覚束なさも否めない一作ではあるが、そんな中一際光つたのは明美が、直截にはケンジを喰つてしまふシークエンスに於ける山口真里。全盛期の風間今日子をも凌駕せん勢ひの、頗る扇情的であるのと同時に重量級の迫力を轟かせる。この人は出演作の幅広さまで含め、現役最強の三番手の座に、ぼちぼち手が届くのではなからうか。


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 「移り気若妻の熱い舌技」(2010/製作:幻想配給社/配給:オーピー映画/監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:貝原クリス亮・安達守・菅原正登/撮影助手:宇野寛之・玉田詠空/メイク:江田友理子/スチール:山本千里/制作担当:池田勝/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/出演:横山美雪・しじみ・若林美保・畠山寛・原口大輔)。提供ではなくオーピー映画配給としたのは、本篇クレジットに従つた。それと本クレでは、友松直之の筈の脚本が抜けてゐる。
 居間のテーブルの上で、男がビールの空缶に囲まれ眠りこける。傍らに黙して立つ男の従弟は睡眠導入剤の紙包を握り潰すと、二階の寝室に眠る従兄の細君の寝込みを襲ふ。
 結婚五年目の春、淑子(横山)と宏(畠山)に未だ子供はゐない。ある朝宏は、結婚当時高校生の従弟・ケンジ(原口)が、就職し研修で上京するといふので一晩泊めてやりたいと淑子に提案する。電話で遣り取りしたケンジはホテル代が会社から出ると一旦は断るが、宏はそれを浮かせて小遣ひを稼ぐのがサラリーマンの心得だと強引に誘ふ。ここで、何と今回友松直之は出張の宿泊費どころか製作費を浮かせるために、会社を跨ぎエクセスから一月後に公開されたメイドロイド第二作「最後のラブドール 私、大人のオモチャ止めました。」との、今作目線ではキャストの2/3を重複させる同時撮影を敢行したとのこと。凄い戦法を考へたものだ、オーピーと新東宝を股にかけてゐた時期の池島ゆたかでさへ、この大胆なアイデアを少なくとも実行に移したことはなかつたのではなからうか。話を戻して、友松直之の奇策に畏れ入るのも兎も角、二作の間で幾分饒舌なほかは然程造形も変らぬ畠山寛に対し、ステレオタイプのアキバ系ボンクラ学生からパリッとしたスーツ姿の若手会社員へと華麗なジョブ・チェンジを遂げた―実際には、本作の方が先に当たる―原口大輔は、さうしてみたところ意外にも河相我聞のセンの甘い色男にも見える。単に服装の相違のみに関らない、演技者としてのポテンシャルの高さも起因してゐるのであらう。式の当日、一人の控へ室でウェディング・ドレス姿の淑子が何故か流す涙を、ケンジは目撃してゐた。さりげなく夫の従弟は前のめりであるのに淑子は気付かないまゝ、ケンジが一泊した一夜はひとまづ平穏に明ける。ところが、前日宏の帰宅よりも先に家に着いたケンジと、“コソアド”と称してコッソリアドレス交換してゐた―別にコッソリする必要はないやうにも思へるが―淑子は、その日以降頻繁かつ、どうでもいい内容の割には微妙に粘着質なメールの乱打に悩まされる。そんな中、再び東京を訪れるケンジを、宏が矢張り家に招くといひ出す。何気に心療内科に通院し睡眠導入剤を服用してゐたりもする淑子は、鬱陶しいメールと、ケンジを泊めた夜、安物とはいへ脱衣所に脱いだ下着がなくなつてゐた事実を突きつけ抗弁を試みるが、幼少期から従弟を実弟のやうに可愛がつてゐた宏は、まるで取り合はない。
 若林美保は、最初にケンジが淑子の家に泊まつた当日に、宏がホテルで火遊びする人妻ホテトル嬢・アケミ。出番は二番目の三番手濡れ場要員ながら、風俗の仕事を当然内緒にしてゐる夫には友達と食事と偽り外出して来たとの、さりげなくも後々鋭く機能するキラー・パスを通す。勿論避妊具の使用を求めるアケミに対し、宏は一旦は従ふ素振りも見せつつ、診察を受けた結果精子の数が足らず妊娠しないとの、さういふ問題ばかりでもあるまい暴論を振り回し生本番を強行、更なる最重要な伏線を落とす。更に更に、宏からその際のホテルの領収書を経理を騙くらかす小道具に渡されたケンジは、従兄の不貞に気付いてゐた。と、一欠片たりとてアケミのパートを疎かにすることもなく、本筋に頑丈に回収する執拗なまでの貪欲さはピンク映画として全く麗しい。若林美保が正方向に燻し銀の送りバントを決める一方で、明後日から獅子奮迅といふか一騎当千といふか疾風怒濤といふか、兎も角凄まじい大活躍あるいは大暴れを展開するしじみ(ex.持田茜)は、ケンジのセフレでゴスロリのメンヘラ女・サオリ。勢ひ余つて男の顔に頭突きもとい顔突きをかますと、鼻血で顔面が血塗(まみ)れになるのも顧ずなほも騎乗位で腰をガンガン振りまくるといふ、無茶苦茶な正しく狂乱ぶりを披露する。尤も、自身が扱ひ難く壊れてゐるとの自覚はあるらしく、都合二度、自分と付き合ふのは面倒臭いかと男に問ふた上で答へも待たず、「いいの、判つてるの」、「私だつて、私と付き合ふのメンドくさいんだからあ!」なる、横道と本道の別すら吹き飛ばし雌雄を決し得よう圧倒的なまでの名台詞を、超絶クオリティの舌足らずな口跡で炸裂させる。来てない以上仕方もなく、半分さへ観られてゐないにも関らず先走つて断言するが、しじみは2010年ピンク映画助演女優部門の、燦然と輝く最右翼に違ひない。
 開巻から繋がり中盤の大半を費やす、宏を眠らせいよいよ凶行に及ぶケンジと、そもそも身を起こせばいいやうな気もしないではない淑子との攻防戦。部屋に迫るケンジの気配に、淑子が必死に抽斗を漁り後生大事に枕に隠した右手に忍ばせてゐたのは、何のことはないコンドームであつた。などと、腰も砕ける拍子の抜け具合が象徴的な、最終的には他愛もない移り気な若妻のよろめき物語は、最早逆の意味で清々しい。寧ろ、戦線の側面より飛び込んで来ては、正直物足らなくもない本筋を闇雲に加速しながら味つけする、鮮烈な飛び道具のサオリの印象が兎にも角にも強い。それはそれとしてスリリングな夜這ひを経ての、宏には“友達と食事”と告げた休日の淑子とケンジの逢瀬。如何せんその限りでは映画が心許ないところで、華麗にもしくは苛烈にクロスカウンターを放つべく宏を急襲したサオリが、二度目に文字通りの決め台詞を打ち抜いた瞬間の強度は、不思議なほどに比類ない。それでゐて、ラスト・ショットはそれまでに入念に積み重ねた、花束で締めてみせる辺りは実にスマート。一件薄味にも思はせておいて、正面だけでなく全方位にヒット・ポイントを満載した、頼もしいばかりの友松直之の充実を窺はせる快作である。

 独特の浮遊感と、猛烈な突進力。イメージの動的と静的の顕著な差異もありながら、怪しい名女優・篠原さゆりの面影を今作のしじみに初めて垣間見たものであるが、如何であらう。それと忘れてゐた、しじみは昼下がりの淑子が見やるテレビ番組の音声中に、持田茜改めしじみのハーセルフでも登場。名乗りはしないが同時に聞こえる男の声は、多分藤田浩。

 以下は再見時の付記< 若林美保はこれアテレコだな、主は判らんけど
 再々見時の付記< 若林美保のアテレコの主は脊髄で折り返して山口真里にも聞こえたが、自信はない


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 「最後のラブドール 私、大人のオモチャ止めました。」(2010/製作:幻想配給社/提供:Xces Film/監督:友松直之/脚本:石川二郎・友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:貝原クリス亮・安達守・菅原正登/撮影助手:桑原正祀・玉田詠空・広瀬寛巳/アクション監督:猪俣浩之 助手:亜紗美/メイク:江田友理子/スチール:山本千里/特殊造形:西村映造/VFX:鹿角剛司/制作担当:池田勝/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/出演:吉沢明歩・しじみ・若林美保・亜紗美・原口大輔・畠山寛・ホリケン。・野上正義)。ポスターではホリケン。に、句点がついてゐない。怒られるぞ、そもそもそれはお門違ひでもあるのだが。
 江戸川工科大学機械工学科に通ふ、成績も容姿もパッとしないステレオタイプなアキバ系のボンクラ学生・秋葉章太郎(原口)は、学園のマドンナ的な存在・西条彩華(吉沢明歩の二役)に恋をしラブレターも認(したた)めるが、彩華はイケメン準教授・城咲ジョージ(畠山)に夢中であつた。イチャつく二人を前に何も出来ずに歯噛みする章太郎の携帯が、その時鳴る。恩師の高円寺義之(野上)からのメールで、重要な話があるので至急作業場まで来いといふ。ところが、いざ章太郎が向かつた作業場兼研究室では、高円寺は何者かに殺害されてゐた。数日後、サイバーコンバート技術開発研究所代表のプロフェッサー植草(ホリケン。)が、実も蓋もなくなるが友松直之が好んで繰り返し使用するモチーフともいふべき、「顔面身分制度」と「恋愛格差社会」の打倒を喧伝するテレビ番組を見てゐた章太郎の部屋に、高円寺から大きな木箱が届く。ひとまづ章太郎が箱を開けてみたところ、フォトジェニックに零れる緩衝材とともに、彩華と瓜二つでメイド服姿の美少女が現れた。極めて精巧な出来ではあるが、どうやら人間ではないらしきメイドの女陰に等身大のフィギアかと章太郎がとりあへずパンティ越しに指を挿れてみると、陰核がキーとなつてゐた美少女は俄に起動する。驚きつつも章太郎は、添付の取扱説明書を初めてRX-78-2に乗り込んだアムロ・レイの如く繙く。メイド服姿の美少女は、高円寺が開発した女給型人造人間・メイドロイドのマリア(吉沢)であつた。一方、イケメン消火器販売員(畠山寛の二役目)に誑し込まれ詐欺商法に加担させられる主婦(しじみ)、イケメン課長(畠山寛の三役目)に誑かされ業務上横領の共犯となるOL(若林)、イケメン同級生(畠山寛の四役目)にこまされ援助交際に手を染める女子高生(亜紗美)らの事件が頻発する。ところでこゝでOL嬢に問ひたいのは、画的には別に構はないやうな気もしなくはないが、幾ら何でも、一般職の制服のまゝホテルに入る無防備な女といふのはあんまりでなからうか。見境をなくした世界は、意外と広いものなのかも知れないが。自動的に城咲も御多分に洩れず、あらうことか彩華を泡風呂に沈めようとすらしてゐる現場に出くはした章太郎は、果敢に食つてかかるも、ルックスに正比例した戦力差の前にまんまと撃退される。とそこに、御主人様の危機に激昂したマリアが参戦、二連撃で圧倒した城咲もマリアと同様、何と人間ではなかつた。マリアは城咲改めホストロイドを激闘の末に大破させたものの、自身の機能も停止させられる。マリアを研究室に搬送した章太郎が、取説片手に悪戦苦闘してゐると、マリアの股間から、ダイイング・メッセージとして高円寺のホログラム映像が映し出される。高円寺が研究資金の援助を受けたプロフェッサー植草は、醜男ゆえの童貞といふルサンチマンを正方向だか逆向きにだかよく判らない勢ひで画期的に拗らせた、世界の転覆を本気で企てるいはゆる“悪の天才科学者”であつた。高円寺はマリアとともに、章太郎に植草の野望を喰ひ止める使命を託す。ダメ人間が美少女アンドロイドを宛がはれると同時に、世界の命運を握る羽目になる、何と麗しいプロットなのか。友松直之は、自ら今作のノベライズを官能小説レーベルから発表してゐるが、ポルノ小説といふよりも、寧ろラノベのお話といへよう。
 私選2009年ピンク最高傑作「メイドロイド」続作、といふよりはお話は全く別物のため、正確には第二作といふべきか。因みに同時進行企画のDVD題は、「メイドロイドVSホストロイド軍団」。サイバーパンクの意匠を借りたプリミティブな恋愛映画の大傑作たる前作に対し、正調特撮活劇を目指したと思しき一作ではある。何はともあれ顕著な点は、果敢な意気込みは確かに買へ、是非は一旦兎も角DVD鑑賞した際にはそれほど気にはならないのかも知れないが、全篇を通して多用されるロー・バジェットVFXの代償といふか直截には弊害として、小屋で観戦すると上映画質がフィルムとキネコ調との間をコロッコロコロッコロ文字通り猫の目のやうに変る点。それゆゑ清々しく変動的な画調と同調するかのやうに、全てがクライマックスの一言へと見事に収束して行つた第一作の完璧と比較せずとも、物語の軸も映画の首もどうにも据わらない。プロフェッサー植草はそれまでのイケメンをブサメンに、ブサメンをイケメンへと転化させる、「価値観転倒電波」―ところでそれは、男に対してしか作用しないのか?―を遂に完成させる。いよいよ稼働寸前の装置を前に、いふまでもなく植草と同じサイドに生きる章太郎が見せる逡巡は、形式的にも実質的にも落ち着かない展開の中数少ない、そして最大のドラマ上の盛り上がり処ではなからうかとも思へたものである。ところが、ホストロイドを倒すべく生み出されたメイドロイド・マリアには内蔵された「愛情回路」完成の件と同様に、章太郎が抱へたジレンマはその場の成り行きだけで何となく片づけられ、満足な形にはなつてゐない。マリアの最終兵器フルパワーラブラブアタックに関しても、描写共々恐ろしく唐突である。他方で、突発的な最高潮が炸裂する最大の見せ場は吉沢明歩のアクション・ダブルを務めたとの、亜紗美の手放しで素晴らしい身体能力が銀幕を轟かせる、マリアV.S城咲第一戦。屈んだ章太郎の背を起点にしての側転浴びせ蹴りと、城咲の首を人間ではあり得ない方向にまで捻じ曲げる後ろ回し蹴りは正しく電光石火、南無阿弥陀仏を唱へるどころか、顔が見切れる暇もない。斯様にとかく飛び道具には事欠かないだけに、全般的な粗さがもう少し改善されてあれば、決定的な姉妹の姉作を前に当然予想され得る負け戦も、まだしも健闘出来てゐたのではなからうか。あるいは、初めからコンセプトとして志向されたB級作であるとしたならば、ツボはガッチリ撃ち抜いてあるやうに思へぬでもないが。

 繋ぎの一幕として通り過ぎられ、若林美保的には、竹洞哲也の「若義母 むしやぶり喰ふ」(2009)に続く出演のすり抜け具合を披露する、ホストロイドに篭絡される女達のシークエンスに象徴的なやうに、主眼は明確にストーリーの進行に置かれ、然るべき煽情性の要素も極めて薄い。エクセスにしては、ピンクよりも完全に映画寄りのピンク映画である。


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 「不倫旅行 恥悦ぬき昇天」(2009/製作:《有》幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:百瀬修司/照明:太田博/助監督:安達守・林雅之・菅原正登/撮影助手:大賀明義・鈴木聡介/メイク:江田友理子/スチール:山本千里/制作:池田勝る/編集:酒井正次/出演:亜紗美・山口真里・しじみ・藤田浩・如春)。
 確か女の方は有休を取つたとかいつてゐた割には、大胆にも社用のライトバンで温泉旅館へと向かふ、一組の男女。助手席の女は「オーピーリース」OLの沢村恵美(亜紗美)で、運転する男は同じ会社に勤める不倫相手の山田宏(藤田)。離婚する離婚すると口では繰り返す癖に、妻は次の子供を出産間近であつたりする山田と、恵美は別れる腹づもりでゐた。男女関係に際し山田がひけらかす、この期に俗流利己的遺伝子論に関しては苦笑も禁じ得ないがそれはさて措き、運転中に助手席から尺八を吹いて貰つてゐたカップルの車がクラッシュ。弾みで一物を噛み千切られた男は失血死し、女はその棹を喉に詰まらせ窒息死。以来、事故現場には失はれた男性自身を探し求める男の幽霊が現れる、などといふバッド・テイストな話をした上で、全く同じシチュエーションにも関らず山田は平然と恵美に口唇性行を乞ふ、どういふ神経をしてをるのだ。運転席の男の股間に顔を埋めた亜紗美の、窓に向けて突き出す格好になつた肉感的な尻が、抜群にいやらしくて素晴らしい。案の定車は危なつかしく蛇行しながらも、ひとまづ目指す矢野屋旅館に到着した二人を、若旦那の健司(如春)が出迎へる。宿に着いたら着いたで、入浴を主張する恵美と食事を求める山田とは早速対立。無作法な山田の喰ひ散らかし方に完全に臍を曲げた恵美は、一人で風呂に入りに行く。浴室でざんばら髪の女の幽霊を見た、恵美が上げた悲鳴に慌てて健司が飛び込んで来る一方、部屋で一人料理と酒に舌鼓を打つ山田を、女将の明美(山口)と、明美の妹で女子高生の沙織(しじみ/ex.持田茜)が歓待する。ところが不思議なことに、山田から健司の話を向けられた明美は、自分には確かに弟は居たが、既に死んでしまつたといふ・・・・
 普通に映画にせよ小説にせよ、物語に触れる習慣のある者ならばまあ途中でオチは読めてしまふであらう、いはゆる“意外な真相”とやらを丁寧に形にした、スマートな幽霊映画である。後述するがてんこ盛りの濡れ場でなほかつしなやかにストーリーを展開させつつ、六十分でネタを明かせて綺麗に映画を畳み込む。山田と恵美が、彼岸からの手招きに対し「行つとく?」、「しやうがないみたい・・・・」と終に観念するラスト・ショットに際しては亜紗美の、無愛想であると同時に色つぽい、独特の口跡がさりげなく火を噴く。ふざけたコントのやうに全篇を飾らない、効果のない効果音にさへ耳を塞げば、実はこれまで絶妙に作品に恵まれなかつた亜紗美にとつて、五作目(後藤大輔の『新・監禁逃亡』もカウントすれば六作目)にしてピンクに於ける初日が出たともいへるのではなからうか。

 磐石な構成に加へて今作の白眉は、オーピー前作「わいせつ性楽園 をぢさまと私」(主演:無月レイラ・野上正義)にも見られた方法論を更に前に推し進めた、浴室の恵美×健司に、居室の明美×山田×沙織。交錯する二組の絡みが次第にエスカレートして行く、クロスカンター濡れ場が圧倒的に素晴らしい。まづは入浴中といふことで勿論既に全裸の恵美が火蓋を切り、山田にカメラが戻るや、いきなり姉妹丼を完成せしめてゐたりする大飛躍で猛加速。以降居室と浴室の間をカットが切り替る毎に、煽情性のレベルを徐々に上げて行くと共に、予め終りかけた恵美と山田の男女のドラマをも進行させて行く一連の完成度は比類なく、正しくピンクで映画なピンク映画といふべき決定的な名シークエンス。松岡邦彦がエクセスと命運を共にする気配を漂はせないでもない中、目下のピンク最強は、渡邊元嗣でなければ友松直之に違ひあるまい。


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