真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「SEX配達人 をんな届けます」(2003/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:堀禎一/脚本:奥津正人/企画:朝倉大介/音楽:網元順也/撮影:橋本彩子/照明:安部力/録音:岩丸恒/編集:矢船陽介/監督補:菅沼隆/助監督:永井卓爾/監督助手:吉田修・躰中洋蔵/撮影助手:鶴崎直樹/照明助手:山本浩資・大場弥生・福田裕佐・梅崎健太/照明応援:田宮健彦/ネガ編集:松村由紀/タイトル:道川昭/タイミング:安斎公一/制作応援:朝生賀子・海上操子・榎本敏郎・江利川深夜・坂本礼・田尻裕司・松本唯史・女池充・横井有紀/協力:今泉竜、上井勉、小泉剛、サトウトシキ、城定秀夫、?野みち子、ダーティー工藤、長崎みなみ、成瀬しのぶ、古谷桂、松江哲明、森田一人、森元修一、日本映機、コダック、アスカ照明プランニング、福島音響、フィルムクラフト、東映ラボ・テック、不二技術研究所、?真、VIPハウス/出演:恩田括・ゆき・加藤靖久・佐々木日記・伊藤猛・星野瑠海・上野清貴・涼樹れん・小杉明史・風間今日子・マメ山田)。出演者中、風間今日子は本篇クレジットのみ。画質が低く、所々潰れた文字がどうしても判読能はなかつた。
 駅や噴水と鳩の画を繋いで、同棲するオサム(恩田)と木下美香(ゆき)が商店街をぶらぶら買物帰り。二人の職業はオサムがデリヘルの運転手で、美香はまさかの実名登場「かまどや」のパート。正直腐れて来た縁に結婚を焦らなくもない美香を、オサムはまるで自堕落に取り合はなかつた。そんな最中、美香が働く店舗に決まつて午後三時になると判で捺したやうにイカフライ弁当を買ひに来る、ジャンパーは土方風の青年・小野寺進(加藤)が美香に対する明確な好意を伝へる。ところで一見も何も一貫してナイーブな長髪オーバルの加藤靖久が、土方には凡そ見えないと難じておいでのm@stervision大哥に憚りながらツッコミを入れさせて頂くと、小野寺はゼネコン辺りに就職の決まつた恐らく工学部のセイガクで、現場を知る目的でアルバイトをしてゐる旨、台詞で十全に語られる。ここは演出部・俳優部双方概ね非はない、そもそもブルーカラーではなかつたのだ。
 配役残り星野瑠海は、美香の同僚で人妻の佐々木佳子。一応店長も、瞬間的に見切れるだけ見切れる。涼樹れんはオサムが送迎する嬢のハルナで、上野清貴がナップサック一杯のジョイトイを持ち込み、ハルナを裸でホテルから飛び出させる完全にブッ壊れた客。早くどうにかしないと、こいつ仕出かすよ。佐々木日記とマメ山田は、オサムが働く店―屋号不明―の面接を受ける源氏名・チアキと、ある意味リアル、もしくは元祖こども店長、怒られるぞ。風間今日子は事務員にしては最強にどエロい、兎も角事務所に多分常駐する人、店長の情婦的ポジションにもある模様。小杉明史は、チアキの客の禿。そして伊藤猛が、佳子の夫・タカオ。
 素のDMMでex.DMM(現:FANZA)には入つてゐない国映作を拾つて行く、正調国映大戦。第二十二戦は、小屋で観た覚えはありつつ別館が素通りしてゐた、小林悟や北沢幸雄らの助監督を経ての堀禎一監督デビュー作。「ホテトル嬢 癒しの手ほどき」(2006/監督:竹洞哲也/脚本:小松公典)ほかで女優賞とダブルの新人女優賞を受賞する青山えりなの、旧名義でのガチ初陣でもある。ただ最大の謎が、jmdb始め各種資料に於いては尺が六十四分とされてあるにも関らず、今回視聴した動画は六十分。端折られた四分間が存在するのであれば、果たしてそこに何が映されてゐたのか。
 一部シネフィルから神々しく激賞されるのもちらほら見聞きする堀禎一を、例によつてこの節穴ピンクスはこれまで殆ど全く評価も理解もしてをらず、相ッ変らず一ッ欠片たりとてピンと来なかつた。否、主演女優と二番手、あと展開の一部に関してはピンとぐらゐは来た。何はともあれ、一般映画でも客を呼べる見せ場作りにもう少し気合を入れるレベルの、ことごとく極短かつ甚だ中途でブッた切る絡みは不誠実の極みで言語道断。そんなに裸映画を撮るのを潔しとしないのなら、だから撮らなければいい。観るなり見なければいい?観るなり見てみないと中身は判らないし、あるものは全て観るなり見たくなるのがキモオタの、人情通り越した獣道。
 最初に躓くどころか匙を投げたのが、出鱈目通り越して大御大よりもへべれけな、小野寺の無防備な求愛。清算を済まし、美香から商品を手渡された小野寺がなほも口を開いて何をいふのかと思ひきや、「あのう、奥さん今日も綺麗ですね」。待て待て待て待て!たかが弁当屋の常連客風情とパートでそんな途轍もないファンタジー、どうやつたら成立するんだアホンダラ。加藤靖久も決して悪くはないが、せめて生田斗真くらゐ連れて来い。生田斗真でも、普通の女ならドン引くと思ふけど。尤も肉を斬らせて骨を断たうとした形跡は窺へなくもなく、佳子相手の何気な伏線も噛ませての、フラットな会話を通して小野寺と美香の意外な縁が明らかとなるシークエンスは、輝くほどではないにせよ灯る。まるでアテ書きされたとしか思へない名台詞、「今だけアタシのこと愛していいよ」。佐々木日記は持ち前のやさぐれたエモーションを確かな手応へで撃ち抜き、終始生煮えるばかりのオサムに、遂に美香が感情を爆発させる件は、池島ゆたか監督100本記念作品(パート2)こと「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008/監督:池島ゆたか/脚本:後藤大輔/主演:日高ゆりあ・牧村耕次)に於ける青山えりなと千葉尚之の別離に匹敵する、ゆき(ex.横浜ゆき)一世一代の大芝居。ところがさうなると最終的に詰むのが、結局燻るしか能のないオサムの造形と、雰囲気イケメンにも届かない恩田括の魅力を欠いたエテ面。オサム改めクソ野郎が1mmも変らない以上、ラストはマイナスからゼロにさへ戻り損ねる、甚だ琴線の緩む一作である。


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 「トルコ風呂《秘》外伝 尼僧極楽」(昭和50/製作:日活株式会社/監督:白鳥信一/脚本:松岡清治・山崎忠昭/プロデューサー:樋口弘美/撮影:畠中照夫/照明:高島正博/録音:秋野能伸/美術:菊川芳江/編集:井上親弥/音楽:奥沢散策/助監督:桑山朝夫/色彩計測:田村輝行/現像:東洋現像所/製作担当者:高橋信宏/出演:丘奈保美・二條朱美・田中筆子・粟津號・南ユキ・信太且久・浜口竜哉・島村謙次・谷文太・谷口えり子・森みどり・神章子・言問季里子・北上忠行・桂小かん・有田高志・岡部節雄・萩原実次郎・加納千嘉・菊田香/民謡指導:紀原幽山/機織指導:奥沢慶子)。出演者中、谷口えり子がポスターには谷口エリ子、北上忠行以降は本篇クレジットのみ。各種資料に見られる企画の栗林茂を、例によつて本クレは素通りする。最後にクレジットがスッ飛ばす配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 警邏する巡査(桂)の背中越しに繁華街、日本で三十指ぐらゐには入る和服デザイナー・酒井新一(浜口)と、その日二十五年ぶりの再会を果たした新潟の農協役員・唐沢九郎(粟津)が、尼寺トルコへの道を巡査に尋ねる。普通に答へかけて「バカタレ、儂やポン引きぢやねえぞ」、桂小かんの鮮やかなノリツッコミが笑かせる。兎も角、“不許葷酒入山門”の“不”の字がペケで消してある、尼寺トルコの表にタイトル・イン。アバンで目を引くのが小ネタが効いてゐるのと、時代の活気を映したギラびやかなネオンが麗しい。
 多分加納千嘉のフロントを経て、唐沢は秋海尼(言問)を指名、お任せにした酒井は白蓮尼(南)と対する。ところが、あるいは当然。尼寺トルコといつて、嬢はヅラを被つた今でいふコスプレ。ヅラを取り楽になつた白蓮尼の、捌けたか職業倫理を欠いたフランクぶりに酒井が拗ね始め、実に小一時間、要は尺の大半を占める長い長い長い回想に突入する。
 配役残り信太且久が、酒井の高校生ver.。北上忠行は、三人で新一の筆卸に女郎屋「御宿だるまや」の敷居を跨ぐ、唐沢の兄貴分・谷安吉、カッチョいいリーゼントがトレードマーク。消去法で菊田香が、だるまやの遣手婆。森みどり(a.k.a.小森道子)は尼の分際で、だるまやで客(不明)を取る紅梅尼。有田高志・岡部節雄・萩原実次郎の三人を特定出来ず、加へて見切れる頭数からすると、最低でも六人分名前が足らない。田中筆子は、新一の祖母・タネ。神章子は、新一に想ひを寄せる高田ミサ子、後々酒井。谷口えり子は越後松崎駅の表で何時でも誰かを待つてゐる、白痴の紀子。唐沢が新一に曰く、「この村で紀子とヤッてねえのはおめえだけ」。谷文太は人間ピラミッド式に、新一が紀子相手に筆卸させられさうになる場に割つて入る海老沼三次、手刀で石を割る凄腕。そして丘奈保美が、放逐された紅梅尼の代りに寂揮院の庵主となる春雪尼。二條朱美は春雪尼のム所仲間・村田洋子、百合の花を咲かせる。島村謙次はミサ子の父で、村長の用作。洋子が外堀を埋め、用作が手配した新庵主の履歴調査で本丸を落とす、春雪の過去。雪丸の名で芸者であつた春雪は、海老沼と不義を働く。そのことに激怒、春雪の眼前海老沼の棹と舌をバーナーで焼く壮絶なリンチを命じた亭主兼、海老沼目線では親分の香具師(も不明)を、春雪は殺害したものだつた。その件、海老沼の上半身を押さへてゐる乾分が恐らく、ノンクレジットの小見山玉樹。前田有楽の消滅もあり、コミタマるのも何気にほぼ半年空いた
 看板を半分豪ッ快に偽る、白鳥信一昭和50年第二作。本筋は尼寺トルコの不誠実に臍を曲げた酒井が振り返る、少年時代の尼僧との甘美と苦さの同居した思ひ出。即ち、外伝もへつたくれもあつたものではない、トルコ風呂殆ど関係ない。そもそも、トルコと尼の二題噺に途方もない無理があるといつてしまへばそれまでで、となるとここは寧ろ、そのアクロバットに果敢に挑戦したブレイブなり苦心の策をこそ、讃へるべきであるのやも知れないが。漠然と過ごしてゐた思春期から、かんだ何だの末新一が一皮剝けるに至る物語は綺麗な展開ながら、いい大人が観る娯楽映画にしては如何せん非力さは否み難く、いはゆるゴムマリのやうな弾力を感じさせる、丘奈保美のダイナマイトなオッパイにギッンギンに攻め込む覇気も、特にも何も窺へない。正味な話アバンが一番猥雑に弾けてゐた気がしなくもない、よくいへばお上品な一作。漫然としたロングを劇伴の力で無理から締め括る、ラストがある意味象徴的。


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 「義弟と若妻 近親不倫」(1997/製作:IIZUMI Production/提供:Xces Film/脚本・監督:北沢幸雄/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》・業沖球太/製作:北沢幸雄/撮影:小山田勝治/照明:渡波洋行/編集:北沢幸雄/音楽:TAOKA/監督助手:鈴木章浩・鈴木智彦・山ナ史郎/撮影助手:新井毅・田邊顕司/照明助手:細貝康介/ヘアメーク:りえ/スチール:本田あきら/効果:東京スクリーンサービス/録音:シネキャビン/ネガ編集:酒井正次/現像:東映化学/出演:真純まこ・熊谷孝文・風間恭子・羽田勝博・杉本まこと・林由美香)。
 居間に着弾済みの、熊本から代々木宛の宅急便。2004年新版公開に際しての新日本映像公式サイトには、主人公一家の苗字が山口とある割に、荷札見ると中村ぢやねえか。兎も角、スナップ舐めの第一声が、「おい舐めて呉れよ」。会社を経営する中村公一(杉本)と、妻・真希(真純)の夫婦生活。本来の用途に従ひつつ、覚束ない真希のオギノ式に子供が欲しい公一は苦言を呈する。いざ挿入したらしたで、公一は一方的あるいは片方向に完遂。真希が浮かべる呆気にとられたかのやうな表情が、確かな文法で裸映画を認(したゝ)める。挙句真希は命中し易いやうにと体を起こすのさへ遮られ、ぼんやりと添へた手を動かし、見えた臍の上にタイトル・イン。案外、斬新な画でもなからうか。
 いふほどの物語も存在しないゆゑ、サクサク配役残り。熊谷孝文は、大学受験に失敗、予備校に通ふため兄宅に転がり込む、公一の弟・亮。林由美香は、公一の浮気相手でホステスのなおみ。公一が接待するクライアント役で、林由美香のファースト・カットに北沢幸雄も飛び込んで来る。風間恭子と羽田勝博が、前門の虎が狼も連れて来るが如く二人揃つて大登場。チンピラとその情婦にしか見えない扮装の、といふかそのものでしかない羽田勝博が真希の元カレ・吉田で、風間恭子(a.k.a.風間今日子)が真希の旧友、兼吉田今カノの英美。出張と称した公一が実はなおみのグアム行に同行してゐる隙に、最終的な用件は金の無心で真希と亮二人の中村家を急襲する。紛らはしいのが勿論別人の、吉田先生の無闇に渋い声の主は不明。
 丹念な序盤と、爆裂する中盤までは確かに光つてゐなくもなかつた、北沢幸雄1997年―薔薇族込みで―第三作。社長夫人の、専業主婦。いはば三十年をドブに捨てた平成の終つてなほ、明るい兆しの線香花火ほども窺へぬ今となつては、御伽噺に出て来るお姫様に近い境遇も省みず贅沢な心の隙間を抱へる若妻に、人生で一番悶々とする盛りの義弟が脊髄で折り返した劣情を拗らせる。これまで、あるいはこれからも。星の数より多く編まれたにさうゐない類型的な一作ながら、スタイルは間違ひなく綺麗な義姉に注がれる亮の眼差しは、北沢幸雄らしい丁寧さで紡がれる。亮が帰宅したところ廊下の奥に覗く、友人―英美か否かは必ずしも不明―と電話で話す真希の御々足に生唾を呑む件。普通ならば足ばかり映してどうすんだ間抜けともなりかねない成人向け裸映画にあつて、逆にいへば足だけで結構長いカットをももたせてみせるのは、端正な演出あつて初めて成立する何気な見せ場。それとは全く異なる攻めを披露するのが、風間今日子と羽田勝博が支配する中盤。三人で茶色い酒を開けると吉田が真希に対し、出し抜けに「ところで上手く行つてんのかアッチの方は」。竹だらうが鋼棒だらうが木に接いでのけよう、エクストリームな“ところで”にはこの際拍手喝采するほかない。論を俟たず、最終的に吉田と英美は家人に憚るでなくオッ始める、傍若無人の限りを尽くす。一般的に窮する例(ためし)も多い、三番手投入を開き直つたか殆どヤケクソの一大電撃作戦が、羽勝の圧とカザキョンの偉大なるオッパイとで見事に成功する。とこ、ろが。手篭めにする形で一線を跨いだ義弟と若妻が、何時の間にかすつかり懇ろになつてゐたりなんかしやがる辺りから、俄かに映画は右往左往。そもそも、主軸に値する展開も見当たらないにせよ。公園のベンチにて一服する真希に、途方もなく長く回した末そのまゝ引いて終る。何がしたいのか、本当に全く一ッ欠片も判らない結末に至つては完全に空中分解。うわ、ここで終つた!明後日か一昨日なベクトルのサプライズが、狐につまゝれた心持ちとはこのことだ。

 一点、看過するには地味に難い些末。公一には隠れて喫煙をやめない真希が、亮の上京初日、直し忘れ灰皿とともに見られるのがカプリ。その、割に。後々真希が咥へてゐるのが、どう見てもカプリではない普通の太さの煙草にしか見えない件。カプリなんて普通のスリムよりも、それこそ初見だと目を疑ふほど細くないか。だとすると、ラストにまで持ち出す小道具にしては、ぞんざいな頓着のなさが頂けない。


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 「覗きがいつぱい 愛人の生下着」(1994 夏/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:本藤新/脚本:南極1号/プロデューサー:岩田治樹《アウトキャストプロデュース》/企画:朝倉大介/撮影:重田恵介/照明:田村文彦/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/音楽:E-tone/助監督:女池充/応援:タケ・上野俊哉/監督助手:戸部美奈子・島田剛/制作:鎌田義孝・河野恒彦/撮影助手:古谷一・増子貴也・松本直樹/照明助手:山本辰雄・植田力哉/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/タイミング:鈴木功/効果:ダイナミック/タイトル:道川昭/スチール:スタジオ601/協力:中野貴雄・福島佳紀・丹治史彦・辻村晴子・鈴木佐和子・おもてとしひこ・後藤与一・伊豆山陽子・くどうともこ・井上冬樹・西浦匡規・鈴木幸子・スノビッシュプロダクツ・ラッシュ、タオ・コミュニケーションズ、旦々舎・大塚 White/製作協力:アウトキャストプロデュース/出演:小島康志・葉月螢・姫ノ木杏奈・林田ちなみ・吉行由美・吉田京子・いぐち武士・山科薫・嶋田剛・本多菊雄・佐野和宏・小林節彦・清水大敬)。監督の本藤新と脚本の南極1号は、それぞれサトウトシキと瀬々敬久の変名。と、されてゐる。
 机上にはワープロの置かれた部屋、目覚ましを強迫的に止めた男が、ジョギングに出る。スローモーションの走り始めた背中に劇伴起動、正面に回つたロングに、勘亭流が全ッ然似合はないタイトル・イン。一番サマになるフィルムハウス略してフィルハ以外、タイトルに勘亭流を使ふのはもう禁止にしよう。
 元々小説を志してゐたもののモノにならず、エロ雑誌専門のライターに憂き身を窶す多分朝森義雄(小島)は糖尿を患ひ、医者の勧めでジョギングを始める。曲り角で本屋の親爺(清水)と交錯した朝森は、親爺が落として行つたラークマイルドと金ピカのライターを、もしかすると本宅ではないのかも知れない家まで届けに行く。すると曲り角から家まですぐそこである僅少のタイムラグにも関らず、親爺は緊縛した葉月螢(以下仮称螢)をビッシビシ責めてゐた。翌日朝森が親爺の本屋で立ち読みしてゐると、店員の螢が出勤して来る。
 配役残り姫ノ木杏奈と、サード助監督の変名にまづさうゐない嶋田剛は、朝つぱらから藪蛇通り越して不自然極まりない青姦カップル。挙句嶋田剛が出鱈目で、朝森を見るなり脊髄で折り返して逆上、二度目などは単車を放置してさへ兎に角闇雲にシメる。この年対象の、第七回ピンク大賞に於いて新人女優賞を受賞する林田ちなみ(a.k.a.本城未織/ex.新島えりか)は、朝森の妻・律子、一馬力で全ッ然生きて行ける職業婦人。先行する新島えりか時代をスッ飛ばして堂々と新人賞に輝く林田ちなみメソッドは、後年涼樹れん期を等閑視した青山えりな(第十九回/2006年度)に継承される。吉行由美と山科薫は、朝森が取材する女王様と豚、佐野和宏が同席する編集者。jmdbには菊次郎で登録されてゐる本多菊雄は、泥酔した律子を送り届ける部下の野村クン。朝森の存在を憚るどころかものともせず、律子は野村と玄関口にてオッ始める。後に律子マターで離婚届に判を捺す段、理由を訊かなければ意見もいはない朝森が、僅かに問ふて「なあ、あの大江千里みたいな男のとこ行くのか」、本多菊次朗が大江千里には画期的に見えない件。吉田京子は、本屋の女房。朝森は三年前、実は一度螢に会つてゐた。ここは明確に芸か抽斗を欠き、由美女王様同様矢張り取材の形で、いぐち武士は螢を大塚のSMホテル―がWhiteか―で責める男。小林節彦は、恐らくサディストではなく堅気の、螢婚約者。あと小林節彦の前に、子供が出来て浮草稼業の足を洗はうとする朝森が、お世話になる面接部が遠目に計四名。
 国映大好きな当時の―ピンク大賞―ベストテンにも次点で入り損ねた、サトウトシキ1994年第二作で国映大戦第二十一戦。生煮えるのが関の山、おまけに色男でもない木偶の坊が、嫁に逃げられたり何故か姫ノ木杏奈にはトコロテン式に転がり込まれたりしつつ、再び邂逅したM嬢に心奪はれる。筆の根も乾かないうちに前言を翻すと、この“心奪はれる”といふのも適当に掻い摘んだ筆の綾で、まゝならぬ万事に漫然と自意識を拗らせる朝森に、奪はれるほどの内実を伴つた心があつたのかどうかそもそも疑はしい。挙句受ける葉月螢がデビュー当初の苛烈な磁場で会話の時空を歪め、噛み合はない方噛み合はない方へと転がつて行く朝森と螢の遣り取りには、痛いか居た堪れない映画を撮るのがそんなに楽しいかと、呆れ果てるのもグルッと一周通り越し、今更改めて腹も立たない。吉行由美は爆乳を無駄に放り出し、即物的な煽情性番長もといスケ番の姫ノ木杏奈も、踏み込む意欲を端から欠いた濡れ場にあつては至宝の持ち腐れ。正しく箸にも棒にもかゝらない、ぞんざいに片付けると小屋で観なくて命拾ひしたとすら思へる空疎な一作。に、首の皮一枚止(とど)まらないんだな、これが。無論、正方向にではないのだけれど。
 どうにもかうにも引つかゝるのが、劇中当初時制の半年後・冬。朝森と螢が最初に出会つた時からだと、三年と半年後。通算二度目の再会を果たした螢宅に、朝森が乗り込んでの相ッ変らずグジャグジャした地獄絵図。犯した事後、挙句勝手に自分語りをオッ始める朝森に向けられた、葉月螢の絶対零度よりも冷やゝかな視線は、ある意味鮮やか。とは、いへ。以来万事が判らなくなつたとかいふのも大概壮大な顛末で底が抜けるのだが、それはこの際強ひてさて措き、レス・ザン・脈略な戯言(たはごと)を一方的に振り回す朝森いはく「判らないんだよなあ」。何が判らないのかといふと『あしたのジョー』のラスト、ホセ・メンドーサ戦をフルラウンド戦ひ抜いた、“ジョーが死んだかどうかつていふこと”。どうもこの辺りの単なる語り口を超えた造形全体の惰弱さが、同じやうに自堕落な男主人公が最終的には同じやうに半死半生の目に遭ひ、いつそ死ねばいいのにそれでも矢張り死にきりさへしない、「アブノーマル・エクスタシー」(1991・冬/脚本:小林宏一=小林政広/主演:麻倉みお・杉浦峰夫)を想起させて想起させて仕方がない。不承不承商業ポルノに手を汚す、境遇まで一緒だ、面倒臭い自虐なのか何か知らんけど。逆に、死の匂ひなり政治の蠢きなり、瀬々的なエッセンスは一見一ッ欠片たりとて窺へない。本藤新―新東宝のアナグラムか―がサトウトシキといふのは兎も角、南極1号は一貫して瀬々敬久とされ、各種資料は固より小林政広の公式サイトにも、今作に関する記載は見当たらない。に、しても。本当に、瀬々なのか?といふこの期に及んだ疑念を強く懐いたのが、今回得た最大のサムシングである。

 話を戻して林田メソッドに関しては、元々知つてゐた青山ありな以外に、西藤尚(ex.田中真琴)が大いに可能性があるのではと調べてみたところ。西藤尚は西藤尚としてのルーキーイヤーに、いきなり女優賞を獲得(第十一回/1998年度)してゐた。


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 「絶倫ギャル やる気ムンムン」(昭和60/製作:獅子プロダクション/提供:にっかつ/監督:滝田洋二郎/脚本:高木功/企画:奥村幸士/撮影:志賀葉一/照明:吉角荘介/編集:酒井正次/助監督:佐藤寿保/監督助手:上野勝仁・末田健/撮影助手:片山浩・鍋島淳裕/照明助手:尾畑弘昌/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:滝川真子・橋本杏子・彰佳響子・夏樹かずみ・原みゆき・外波山文明・池島ゆたか・島田隆太・豊田一也・周知安・幡寿一・田宮良一・津田次郎・丸末虎男・螢雪次朗・堺勝朗)。出演者中、彰佳響子がポスターには秋吉響子で、島田隆太は嶋田隆太。豊田一也から丸末虎男までと、何故か堺勝朗が本篇クレジットのみ。打者の手元で動く変化球が如く、彰佳響子(a.k.a.あきよし杏子)が絶妙に不安定。提供のにっかつは、実際にはエクセス。
 トラペスト教会のポワロ司祭(螢)が「ハイ」とおどけるやうにタクトを振り、少年少女ならぬ、修道女合唱団。面子は手前から、セーコ(彰佳)・フミエ(橋本)・固有名詞不詳の夏樹かずみに、リーダー格のマコ(滝川)。ポワロが楽譜を捲ると右側の頁にヌード写真が挿んであるにも関らず、正面に回つた鼻の下を伸ばすカットだと画面向かつて矢張り右側、即ち逆方向を凝視してゐるのは、それは目線に問題はないのか。兎も角、ドジなフミエは皿を落として割つてみたりする、教会の日常にクレジット起動。脚立に上り拭き掃除するマコの、チラ見せどころでなくガン見えのパンティに垂涎するポワロが、気づいたマコに怒られてタイトル・イン。マコが両手をバッテンに大きく交差すると、ポワロに水が降つて来るアバンのオチに時代が感じられる。亡父共々、俺は頑強にドリフ派だつたんだけど。
 深夜の聖堂、フミエが講壇に潜り込んでセブンスターを吸つてゐたところ、見るから夜逃げ風情のポワロが現れる。その場に続けてマコが、単調に左右(ひだりみぎ)往復するカメラがコントかよ。ちよつと話があるとか称して、ポワロはマコに抱きつく。イエス様も年に一度クリスマスにはなさるだなどと、七夕感覚の斬新な破戒にマコもマコでコロッと納得、二人は大絶賛和姦に突入。起動せよ、浜野佐知のレイジ。さて措きアテられたフミエがワンマンショーをオッ始める、ある意味綺麗な流れまではいいものの、煙草の不始末で徳用マッチが発火。足に火が点いた弾みで対面座位が倒れたポワロが、後頭部を強打し即死、戯画的なコンボが堪らない。一同がひとまづ荘厳にポワロの葬儀を執り行つてゐると、金貸しの銭蔵(池島)が乗り込んで来る。ポワロが教会を担保に、三千万借りてゐたといふのだ。期限は三日後のクリスマス、全員孤児院出身の要は世間知らずながら、四人は一週間で世界、もとい三日で三千万を作るべくとりあへず東京に聖書を売りに行く。
 配役残り豊田一也から丸末虎男までの概ねエキストラ部が、基本引いた画が多く特定不能。そもそも、登場順に坊主×乞食×ショーパブ「スター85」のキャッチ×その他キャバ客二人×刑事と鑑識に、山西道広ぽいサンタ泥。明確に見切れる者を数へて行くと、二つ足らない頭数―キャバ客が演出部の可能性は高い―も合はないが。それと、周知安・幡寿一がそれぞれ片岡修二・佐藤寿保は周知として、津田次郎といふのは津田一郎の変名か。だとしたら、もしかすると津田次郎は鑑識かも。島田隆太はセーコに声をかける、ソープを三軒経営する女衒。堂々のトメに座りつつ、ポスターに名前が載らない意味が判らない堺勝朗は、ラーメン屋にてマコを見初める、財界の大物・ヒラシマニヘイ、三千万をおいそれと用意出来る御仁。外波山文明は、ヒラシマ殺害事件の捜査を指揮する係長。原みゆきは銭蔵金融の事務員、兼情婦。
 翌年には「コミック雑誌なんかいらない!」を発表したのち量産型裸映画から足を洗ふ、滝田洋二郎の昭和60年最終第六作。買取系ロマポ全七作の、第四作に当たる。結局ポワロの野郎が何に散財しやがつたのかも明らかにされないまゝ、四人のシスターが教会の存続を賭けて立ち上がる奮闘記。と掻い摘めばど定番の物語に思へなくもないものの、全体のトーンがどうにも一貫しない。ニッコリ笑つた滝川真子が太股まで露に修道服の裾を捲り、“修道院をピンクジャック!!”なる痛快な惹句も踊るポスターはありがちかお気楽な艶笑譚を予想させる割に、高木功の脚本は終盤不用意なサスペンスにスイング。マコ当人とイエス様以外にもう一人、の件はサマになるにせよ、サンタの靴の色に関しては如何せん細部を穿つに過ぎる。藪蛇に「砂の器」ばりの哀切を叩き込む、フミエが何処へと知れず湖畔を去るショットも、流石に木に接いだ藪から棒、きちんと木に木を接いでんぢやねえか。何より裸映画的に致命傷なのが、銭蔵に凌辱されたフミエの姿に胸を痛めた、カズミ(仮名)が色仕掛けで銭蔵金融を急襲する件。どさくさに紛れてカズミが腹に入れた、即ち消滅した借用書にその後触れないでは、夏樹かずみの濡れ場が殆ど単なるノルマごなしに堕してしまふ。五本柱が全員本格的に脱いで絡む、女の裸的にはその限りに於いては十全ともいへ、いつそ徹底してスチャラカ攻めて呉れた方がまだしもな、ちぐはぐな一作ではある。


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 「尼寺の情事 極楽SEX」(1998/製作:IIZUMI Production/提供:Xces Film/脚本・監督:北沢幸雄/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》・業沖球太/製作:北沢幸雄/撮影:図書紀芳/照明:渡波洋行/編集:北沢幸雄/音楽:TAOKA/録音:中村幸雄/助監督:堀偵一/監督助手:三輪隆/撮影助手:袴田竜太郎・江崎朋生/照明助手:BUCHI/ヘアメーク:野原由子/スチール:佐藤初太郎/ネガ編集:酒井正次/タイトル:道川昭/録音所:シネキャビン/現像:東映化学/出演:川奈ひかる・悠木あずみ・浅倉麗・染島みつぐ・青木ゆきの・神戸顕一・杉本まこと)。出演者中、浅倉麗がポスターには何故か、もしくはあらうことか浅倉舞、それもう詐欺だろ。
 雪に落ちた鮮血を辿つた先で、尼僧(川奈)が落武者(染島)に凌辱されてゐる。鮮血の量は多く、破瓜なのか、深手を負つた男の出血であるのかは必ずしも判然とせず。仏に仕へる身を手篭めにする以前に、落武者が主殺しも犯してゐるとかいふ徒か藪蛇な大風呂敷に特にも何も、意味は結局見当たらない。兎も角、木を背負つた対面立位からカメラが引いた、雪原がアスファルトにオーバーラップ。ルーフボックスを載せたワゴン車が曲り角に消えて、尼寺「如意法寺」。庵主の慈恵(川奈)が左右に慈光(浅倉)と慈明(悠木)を従へ、三人で読経する背中を抜いてタイトル・イン。いい機会とでもいふことにして、改めて川奈ひかるの改名遍歴を整理するとex.川奈ひかるで沢井ひかる、ex.沢井ひかるで沢田まい。マイナーチェンジの果てに、原型を止(とど)めてゐない風情が趣深い。
 結婚を間近に控へた松本翔太(杉本)が、悪友の山田三郎(神戸)と独身最後の遊び納めに、隣町まで女を買ひに行く。道中、松本の新車が山中で謎のエンコ。携帯も繋がらず途方に暮れ、とりあへず歩き始めてはみた松本と山田の前に慈光が出現。男子禁制の“だ”の字も触れられないまゝ、二人は敷居を跨ぐどころか、如意法寺に泊めて貰ふ格好となる。
 配役残り不脱の青木ゆきのは、当地に伝はる八百比丘尼伝承を孫に語る、松本の祖母。八百比丘尼のカードを切るとなると、いよいよ落武者のちぐはぐさが増すばかり。
 北沢幸雄1998年第二作は四作後の「不浄下半身 尼寺の情事2」(主演:佐々木基子)と、世紀を跨いだ六年後、新田栄2004年第六作「尼寺の情事 逆さ卍吊り」(脚本:岡輝男/主演:香取じゅん)とトリロジーを成す「尼寺の情事」第一作。脊髄で折り返した与太を吹いてゐるだけにつき、気にしないで。与太ついでに正統ナンバリング二作の新版公開時の新題が「極楽SEX」は「尼寺の三人 極楽情事」(2004)に、「不浄下半身」は「ノーパン尼寺 熟れた茂み」(2008)。共々「尼寺の情事」を易々と放棄してのけて済ます、頓着のなさが実に量産型娯楽映画的。
 パラノーマルな女達が、欲に駆られた男達の精を喰らふ。一言で片付けると要は「妖女伝説セイレーン」的なエロティック・スリラーを、八百比丘尼風味にアレンジ。さうなるとにここは比丘尼と来た以上、折角なので尼寺に直結してしまへ。そんな企画の成立過程を戯れか勝手に思ひ浮かべてみるのも、また一興。手始めに神戸顕一が二三番手に挟撃され、後半は杉本まことが三本柱怒涛のジェット・ストリーム・アタックを一身に被弾する。物語の浅さなり展開の薄さを、ある意味邪心を捨てた正攻法にして上質の濡れ場の連打で捻じ伏せる。頑なに完遂を忌避するのも、遂に松本が上げた悲鳴いはく“どんなにヤッてもヤッても終りがない”無間の色欲地獄に回収してみせるのは、ピンクで映画なピンク映画、殊に尼寺ピンクならではの女の裸よりも鮮烈な一大妙手。単なる一本気の一歩その先に踏み込む、北沢幸雄の鋭さに戦慄にも似た感動を覚えた。最大限南風的に理解するならば藪蛇なアバンを回収してゐなくもない、「私達は遠い昔から、男達の慰み物になつて来ました」だなどと慈恵が盛大に素頓狂な風呂敷をオッ広げる、“地獄も極楽も人の心にある”云々の禅問答パート。松本が一人で慈恵×慈明×慈光の三人を相手にするクライマックス、鶯の谷渡りを披露するのはいいものの、何故か自ら袈裟を捲つた尻しか見せない極大疑問手。目立つ粗もありがちなオチが水に流す、総じてはカチッと纏まつた実戦志向の一作である。


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 「ザ・ブラインドキャット」(1992/製作:ファントム プロダクツ/監督・脚本:小林悟/制作・企画・原作:中山康雄/撮影:柳田友貴/照明:佐久間優/美術:安部衛/録音:山崎新司/編集:金子尚樹/殺陣:二家本辰巳/ガンアドバイザー:BIG SHOT/選曲:ビモス/助監督:青柳一夫/制作担当:最上義昌/撮影助手:宮本章裕/照明助手:織田裕介/編集助手:松木朗/効果:井橋正美/小道具:長田征司/ヘアメイク:田中尚美・太田美香/スチール:佐藤初太郎/タイトル:道川昭/車輌:ランナーズ/監督助手:増野琢磨・杜松蓉子/宣伝担当:鵜野新一《キングレコード》/コーディネーター:岡崎恭子《キングレコード》/協力:ホテルニュー塩原・ニューメグロスタジオ・日本コダック㈱・東映化学・KPニュース社/挿入歌:『薔薇の囁き』作詞:千家和也 作曲:葵まさひこ 編曲:葵まさひこ 唄:中村晃子《キングレコード》/出演:高橋めぐみ・国舞亜矢・片桐竜次・牧冬吉・野口貴史・二家本辰巳・沢まどか・港雄一・山本竜二・白戸正一・石神一・芳田正浩・奈切勝也・池田龍二・丘慎二・塚田亘・熊倉盛揮・石井浩・宮崎基・松岡稜士・所博昭・大滝明利・甲斐純一郎・米沢裕・宮田博一・福永喜一・前田悟・高野ひろき・中島正・浅野桃里/特別出演:淡谷のり子・岡部瑞穂・中村晃子)。
 川の中、一対三で乱闘する大滝明利。ザックリした塩原温泉の遠景に、唐突なタイトル・イン。鳴り始めた歌謡曲のやうな劇伴に即効不安を覚えかけてゐたら、要は主題歌の歌謡曲だつた、イントロぢやねえか。JRバス関東塩原温泉駅に降り立つた、盲目で流しのマッサージ嬢、だなどと如何にもアレしかない設定の宮川霧子(高橋)が、逃げる大滝(大絶賛仮名)と早速ドンピシャのタイミングで交錯する。大滝が兄貴分の中西(不明)と、何某か大きな取引に使ふと思しき―ヌード写真のテレカを加工した―割符を確認する、準備中の喫茶店「キャンドル」に霧子も入店。目が見えないのを看て取り、脊髄で折り返して手を出さうとした二人を、霧子は合気系の長けた体術でサクッと斥ける。退散させた霧子が仕込み杖で三人屠る死闘を回想して曰く、「私はまた、抗争事件に巻き込まれるのかしら」。何が“また”なのだか全ッ然判らないが、兎に角要は女座頭市がヤクザと一戦交へる、本筋に強引か豪快に導入するダイナマイトな独白に震へる。続けて―だから開店前の―キャンドルに現れた、割符を狙つてゐるぽい田宮章子(国舞)を霧子は捕獲。章子から聞いた町の様子が、三年前に地場の組が解散して以来、大組織傘下の東雲興業が進出。売春・麻薬・賭博に闇金と、温泉街を好き放題に荒らしてゐた。とりあへず「CAT美療」―全角は劇中小道具ママ―のチラシを撒いて回る霧子は、章子の口利きで実名登場「ホテルニュー塩原」の専属に納まる運びとなる。
 辿り着ける限りの配役残り、幾らヒット・アンド・アウェイな一幕限りの出演にしても、何がどう転んだコネクションなのか見当もつかない淡谷のり子は、ホテルニュー塩原の女将。女将補佐的な風情で付き従ふ岡部瑞穂が、ニュー塩原の当時リアル女将。流石に淡谷のり子ともなると、リアル女将を従へて些かの遜色もない貫禄がある。小林組刻印の火蓋を切る白戸正一と沢まどかは、女将のドラ息子とそのお目付役。白戸正一といふのが、寡聞にしてこれまで知らなかつたが前年薔薇族での、白都翔一デビュー当初の旧名義。音は変へずに、随分と華々しくなつた。白影役で御馴染の牧冬吉は、霧子の塩原最初の客・平林。東雲が画策する大規模な拳銃密輸入を追ひ塩原に入つた、警視庁特捜部の刑事、てんで役には立たないけれど。片桐竜次が、当然中島もとい中西らも草鞋を脱ぐ東雲興業の、肩書はあくまで社長・西東。野口貴史が代貸で、二家本辰巳は本部づきの針木。そして矢張りこの人がゐないと、小林悟の映画は始まらない。中途半端なビリングは解せぬ港雄一が章子の祖父で、四年前の昏倒以来、床に臥せるシンジロウ。一年後に解散した、田宮一家の十代目。浅野桃里は、白戸正一が入れ揚げるキャバレーのホステス・テルちやん。実は中西の情婦とかいふ、類型的な関係性が清々しい。奈切勝也は博打で負け東雲に三千万の借金をこさへる、シンジロウに対する呼称がお爺ちやんの割に、兄貴かと思ひきや章子からは叔父さんとか呼ばれる釈然としない親族。石神一と芳田正浩は、終盤東雲が田宮家に乗り込み、章子が囚はれて以降大活躍する東雲要員。ピンク部・ストリーム・アタックのトリを務める山本竜二が、一度は針木に屈し拘束された霧子と、サシの絡みも敢行する黒沢か黒澤。満を持してといふか何といふか、兎も角途方もないデウス・エクス・マキナぶりを爆裂させる中村晃子は、未確認飛行物体みたいな帽子を被つた片桐警視。
 ほかの記載が見当たらないjmdbを鵜呑みにするならば、大御大・小林悟最初で最後のVシネ、変名とかもう知らん。案外素手の格闘も普通にこなし、得物は仕込み杖に加へ暗器も駆使するだけでなく、果てはデリンジャー的な小型拳銃まで携行する霧子の、非常識に高い戦闘力の所以なりバックグラウンドに半カットたりとて触れることもないまゝに、粛々と、あるいは―概ね―テンプレ通りに進行する湯煙エロティック・バイオレンス。興味深いのが高橋めぐみの女座頭市が、綾瀬はるかには及ばない程度にサマになる。ダッチワイフ顔の最大の元凶たる、見る者を不安にさせる病的に表情のない目をサングラスで隠すと、まあまあの美人で通らなくもない。大浴場に於いての立回りで明らかな如く、どうやらスタントダブルも使はずに、体もそこそこそれなりに動く。そしてピンクゴッド・小林悟を連れて来ておいて、女の裸的に手ぶらで帰す訳がない、筈。割符以外の初オッパイは、二十四分漸く浸かる、主演女優の風呂まで待たせる。その後も浅野桃里と白都翔一による濡れ場らしい濡れ場がありつつも、超絶スタイルの国舞亜矢を全体何処まで温存する気なのかと、さんざやきもきさせ倒しての終盤。やつとこさ石神一と芳田正浩が抜群のコンビネーションでヒン剥いた!と歓喜させたのも束の間、難解な画角で頑なにTKB―剝かれる際、瞬間的に見切れてはゐる―は回避するのかと、一旦落胆させておいて。遂に解禁、しはしたものの。折角なのでそこは、ねちねち執拗に揉み込むショットが、どうしても欲しかつた心は大いに残す。無論、小林悟ならではのフリーダム通り越してブルータルなツッコミ処は満載を超えた過積載。霧子の明々白々な銃刀法違反は歯牙にもかけられず、元々半死半生のシンジロウはおろか、章子をもが何時の間にか命を落としてゐたりする無体な展開には、虚無に片足突つ込んだドライなビートが吹き荒れる。ドスを抜いた針木がシンジロウをサクッと刺す、無造作なカットに吃驚したのが方向の正否は問はないベクトルの最大値。挙句最終的には、中村晃子が美味しいところを全部カッ浚ふといふか、より直截には卓袱台を床板ごと引つ繰り返す。ついでに、デリンジャーが走つて逃げる相手に当たるどころか届くのか?そもそも小林悟が招聘された企画の経緯自体謎といへば謎な、出鱈目なおかずばかりの幕の内弁当を思はせる一作。人様に臆面か性懲りもなく勧められるくらゐ面白くもないが、途中で見るのをやめてしまふのを我慢するほどでもない。世評はこつちの方が高い、続篇の「妖闘地帯 KIRIKO」(1994/製作:ジャパンホームビデオ/監督:宮坂武志/脚本:宮坂武志・内藤忠司・中村雅/主演:高橋めぐみ)も今作同様素のDMMに入つてゐるゆゑ、何時か遠く時の輪の接する辺りで、気が向いたら見てみよう。


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 「CFガール ONANIEシャワー」(2000/製作:小川企画プロダクション/配給:大蔵映画株式会社/監督:小川欽也/撮影:中尾正人/照明:ガッツ/助監督:寺嶋亮/音楽:OK企画/編集:フィルムクラフト/スチール:津田一郎/脚本:清水いさお/撮影助手:田宮健彦・三浦耕/監督助手:亀谷英司/録音:シネキャビン/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映化学/タイトル:ハセガワタイトル/出演:野村しおり・佐倉萌・江本友紀・伊藤美幸・杉本まこと・平川ナオヒ・久須美欽一・石動三六・しょういち・睦月影郎・おくの剛)。煌めくほど中途半端な位置の脚本クレジットは、本篇ママ。
 津田スタに新進女優の白川加代(野村)が、同居する多分付き人のキヨちやん(伊藤)と帰宅。鼻歌交じりで寝室に入り、ベッドに腰を下ろしてタイトル・イン。加代がシャワーを浴びてゐると、「先生お背中お流しします」と入つて来るキヨちやんとの百合を途中まで消化した上で、所属する芸能プロダクション「鈴木プロ」―略称かも―社長室。「いやー、『愛の嵐』の君は最高だつて局もスポンサーも褒めてゐたよ」と、社長の鈴木(久須美)が加代に御満悦。久須美欽一の、飛び込み際の第一声「いやー」がエクストリームに絶品、「いやー」。そこに『週刊フレッシュ』誌の記者(石動)に続き、撮影中の事故で大怪我し女優業を引退、加代のマネージャーとして現場復帰する小林節子(佐倉)が現れる。加代は節子の代役を果たす形で、スターダムに乗つたものだつた。懇意通り越したテレビ演出家・神林(杉本)に家まで送つて貰つた加代は、全てを監視してゐる風の怪電話を被弾する。
 配役残り、正確な記録が残つてゐないゆゑ不詳だが、ピンク初陣となるのかも知れない―デビューは薔薇族―しょういち(a.k.a.横須賀正一)は、フレッシュ石動同様通り過ぎるやうに賑やかす鈴木プロ俳優部。フレッシュが連れて来るカメラマンともう一人見切れる、しょういちと軽く遣り取りも交す鈴木プロ事務方は演出部か。一遍に投入される江本友紀と平川ナオヒ(a.k.a.平川直大)に睦月影郎・おくの剛は、江本友紀が元々加代がホステスをしてゐた、スナック「美風」のママ。美風で鈴木と出会ひ愛人になつたのが、加代のキャリアの端緒。平川ナオヒはバーテンの康夫、睦月影郎とおくの剛は、カウンターのホワイトカラー。ここで康夫ことナオヒーローが、喉を軽く潰した何者かのアテレコ。濡れ場に際しての呻き声辺りに、地声が垣間聞こえたりするものなのだが入念に回避、アテレコ主にどうしても辿り着けない。
 “CFガール ONANIEシャワー”、何かPerfumeの曲名みたいな公開題の小川欽也2000年第二作。序盤は耐性の低い加代がみるみる追ひ詰められるスターク・サスペンスに、豪華四枚を擁してゐながら何時しか女の裸も疎かに。白熱する加代V.S.神林戦と、ママV.S.鈴木戦と加代V.S.康夫戦が同時並走する二連戦で中盤一旦持ち直した、かに見せつつ。依然、あるいは当然残るのは、劇中自称で“全てを知つてゐる男”とは一体誰なのかとかいふそもそもな謎。消耗する加代を適当に慰める神林から、キヨちやんがこれ見よがしに複雑な表情を浮かべるカット尻。もさて措くに難いものの、何より康夫が節子の弟とかいふ如ッ何にも思はせぶりな設定に、結局殆ど意味のないのがある意味画期的。康夫が明後日か一昨日なテンションで加代に入れ揚げる一頻りでは、途中から別の映画を繋がれてゐるのではあるまいかとさへクラクラ来た。最終的に、二番手が美味しいところを全部カッ浚つて行く抜くどころか底を爆散するラストがもう圧巻。大御大ほど起承転結を完全に放棄してしまひこそしないものの、本来肝要である筈の全体的な構成にも、些末に対しても均等に頓着ない大らさかか藪蛇さが今も変らぬ今上御大主義。たつた今筆の流れで思ひついた、イズイズム吹き荒ぶ一作である。


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 「集団痴漢 人妻覗き」(1991/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/脚本・監督:佐野和宏/企画:朝倉大介/撮影:斎藤幸一/照明:光ゴンズイ/編集:酒井正次/助監督:征木愛造/撮影助手:斉藤博/照明助手:ザンパ田中/監督助手:須川修次/方言指導:駿河五郎/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/協力:民宿相模屋・アウトグロウ・青木宏将・荒木太郎・福島清和・山村淳史/出演:岸加奈子、小林節彦、上田耕造《友情出演》、吉本直人、広瀬寛己《友情出演》、今泉浩一、パイ・ピンピン、佐野和宏、梶野考、伊藤清美)。出演者中、寛巳でなく広瀬寛己は、本篇クレジットまゝ。演出部が征木愛造で、俳優部が梶野考、平素とは逆の形の名義が珍しい。
 洞窟の内側から覗いた視点。朝倉大介と国映のみクレジットした上で、男女が現れた波打ち際に、多呂プロみたいなレタリングでのタイトル・イン。これ荒木太郎が絡んでゐるゆゑ、もしかすると本当に多呂レタかも知れん。
 マイルドヒャッハー造形のヨシちやん(吉本)と、人妻・タマエ(伊藤)の逢瀬。を、ヨシちやんと同級生の、ビリング順に太郎(広瀬)・亀ちやん(今泉)・トモヒロ(梶野考=征木愛造)が遠巻きに覗く。ヨシちやんの単車―大絶賛ノーヘル二尻―で捌けるタマエと擦れ違つた、兄嫁のカズコ(岸)がトモヒロを迎へに来る。トンネル越しに、大体寅さんルックの佐野和宏。タマエの結婚式にも顔を出さなかつた、青木マサミツ(佐野)が東京から十数年ぶりに帰つて来る。カズコがトモヒロの兄で漁師の夫・タモツ(小林)と営む旅館に逗留する、マサミツの実家はどうなつてゐるのかといふ初歩的なのか根本的なのかよく判らない疑問は、全く以て等閑視される。
 配役残り上田耕造は、タマエの夫・望月シゲオ。経営してゐたスポーツ用品店を潰して以降、シゲオは不能に。以来、タマエは町の狭さを憚らぬ男漁りに耽つてゐた。誰の変名なのだか知つたこつちやないパイ・ピンピンは、トモヒロが勝手に触つたボストンバッグの中身が、チャカとかヤクであつたりするマサミツの追手。
 久々に、素のDMMでバラ買ひ視聴の正調国映大戦第二十戦は、佐野和宏1991年キャリアハイの最終第四作、通算商業第七作。時化たラスト・カットにクレジット起動、オーラスに叩き込まれる原題が「海鳴り」。に続いて、「あるいは、波の数だけ抱きしめてゐられるか、アホンダラ!」。同年八月公開―今作の封切りは十一月終盤―のホイチョイ・トリロジー第三作が、佐野の逆鱗に触れた風情は微笑ましく酌めるものの、残念ながらそのレイジが、遠く満足には結実し損ねた一作。鄙びた海町に、佐野がまるでストレンジャーの如く帰郷する。画になるのはそこと、岸加奈子の生活感を人類史上最上の形で昇華した色気だけ。徒に難渋な望月夫妻の姿は俳優部の質量でどうにかならなくもないにせよ、タモツがカズコをマサミツに宛がふのは、もう少し佐野と節彦に尺を割くなり二人のドラマを積み重ねておいて呉れないと、如何せん飛躍が甚だしい。更にどうしやうもないのが、佐野が佐野たる所以。佐野ならずとも、十数年ぶりに再会した幼馴染の描写が往々にして甘酸つぱくもなるのは百歩譲つてさて措き、義姉と青木さんの情交に衝撃を受けたトモヒロが、絶叫して夜の海にダッシュ。するシークエンスで十二分に致命的であるのに火に油を注いで、上京するトモヒロと、ボサッと出勤するシゲオが交錯するラスト。甲子園には行つたものの、実際にはベンチにも入れなかつたシゲオが、トモヒロに促されツーアウト満塁のピンチを抑へ優勝投手となるギターならぬエアピッチングは、佐野にしても幾ら何でもダサ過ぎる。そこまでアクセルをベタ踏んでこその佐野ともいへ、流石にそれだけの途方もない絶対値のダサさを形にするには、「お前を乗せて、音よりも速く飛んでみたかつたんだ」、佐野が自ら出撃しない限り無理にさうゐない。ついでにひろぽんも兎も角、今泉浩一なんてそもそも上滑つた口跡が一昨日か明後日に抜けて行くやうな人なのに、半ズボンをサスペンダーで提げ、意図的に幼稚な所作指導を施した今でいふショタ造形は殆ど自殺行為、凡そ正気の沙汰でない。最大限好意的に評価したところで、精々空回つたといふところか。消え行くマサミツの命を、線香花火に譬へるカットバックにも頭を抱へた。


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