真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「SM ロリータ」(昭和59/製作・配給:新東宝映画/監督:影山明文/撮影:伊東英男/照明:出雲静二/出演:早坂明記・香川留美・田代葉子・中山あずさ・杉本未央・池島ゆたか・久須美欽一・北浦圭一郎・南郷健二・山本竜二・荻谷雅光)。如何にも怪しい殺風景なタイトルの入り具合に、脊髄で折り返した危惧がまんまと的中。キャストの頭数が揃つてゐるだけまだマシ、なのかも知れない、豪快だか箆棒に脚本をも等閑視して済ますビデオ版爆縮クレジットに散る。さて措き出演者中、中山あずさがVHSのジャケには中山あづさ。どうも正解はあずさぽいものの、ザッと検索してみたところで少なすぎるヒット数が大まかな当寸法すら拒む。とりあへず新田栄の「女子大生連続ONANIE」(昭和59/脚本:池田正一)主演を、jmdbが中山あずさにしてゐてnfajは中山あづさにしてゐるのは、全体どちらが正しいのか。挙句難しいのがこの辺り、ポスターはあずさで本クレあづさ、とかいふ事例もまゝあるジャミングぶり。その場合、当サイトは基本的に本篇クレジットを尊重してゐる。
 交錯する電車にタイトル・イン、駅前の雑踏に制服の主演女優が現れる。五丁目三番地までヒッチハイクした車に送つて貰つた交通遺児の千秋(早坂)が、今日から厄介になる遠縁の健三(久須美)に赤電話。近くなので道を尋ねながら来いとする健三の、迎へに行つてやれといふ早速の非道ムーブ。健三の妻・吉江(香川)が小娘を預かつて大丈夫なのか不安を隠さない一方、実に久須欽らしいメソッドで健三はしたり顔。実は三年前から千秋に目をつけてゐた健三が、買春させるつもりであるのに吉江は驚く、それは確かに驚く。ちなみに劇中設定で千秋十四歳、にも見えないがな。何れにせよ、ヒューマニティーといふ言葉を知らんのか、昭和。
 健三がマスターで吉江がママの、看板ママで“小さなクラブ「エリカ」”、なかなか斬新な業態ではある。配役残り、端役臭い覚束ないビリング推定で、荻谷雅光はエリカの名無し客。頻りに抱かせて呉れるやう口説く吉江に、手コキと生乳までは揉ませて貰ふ。田代葉子が奥の間どころか、平然とボックス席で客に跨るエリカのホステス・ユーコ。問題が、ユーコを抱くエリカの上客・大崎が吉岡市郎なんだな、これが。あれこれググッてみるに薔薇族で吉岡市郎と共演作のある、南郷健二は明らかに別人。男優部主役作―「拷問 車輪責め」(昭和60/監督:藤井智憲か藤井知憲か藤井智恵)―もある、北浦圭一郎が多分イコール吉岡市郎。吉岡市郎に、吉岡圭一郎なる別名が存在するのは確認してゐる。中山あずさは、健三の下を離れた千秋が働く、お食事屋「かるかや」のママ、固有名詞不詳。杉本未央は店の二階で客に抱かれる、「かるかや」の女・ルミで山本竜二が常連客。さういふ店ばかりの、マッドな町。池島ゆたかが「かるかや」のオーナーで、要は中山あずさを妾に囲ふ御仁・イワミ。但し正妻の存在は必ずしも描かれないのと、糖尿でイワミは勃起不全気味。そんなこんなで恐らく南郷健二が、中山あずさがイワミの目を盗み密会する情夫。さういふ名前の並びと役の重さで、しつくり来るやうに思ふ、より直截には期待する。
 松浦康と同一人物説が何処から出て来るのかよく判らない、元々俳優部に出自を持つ名和三平の変名かつ、更にa.k.a.蔵田優でもあるらしい影山明文の最後期作。名和三平名義での監督作もある一方、影山明文と蔵田優は演出部専。時期的には昭和48年から60年までの間に、三人のjmdb合算で全六十六作。脱けの可能性を鑑みると八十は兎も角、七十本くらゐは行つてゐるのでなからうか。
 そもそも遠いとはいへ血縁でもある、好色漢に散らされた破瓜の血も乾かぬうちに、客まで取らされる。大概な児童虐待を受けてゐる割に、千秋が最初以外はさしたる痛手を負ふでなく。寧ろホイホイ得られる現金に案外味を占めた千秋が、イワミを何だかんだ篭絡。とりあへず「かるかや」のママにまで上り詰める、ある意味『悪徳の栄え』のやうな一作、一滴の精神性も見当たらないけれど。テーマなりメッセージなんぞ端からあるでなく、実はビリング頭が一番弱く映る気もする、全員脱いで絡む女優部が豪華五人態勢。となると物量で攻めて来る重量級の裸映画を望めば普通に望めた、筈なのに。千秋が大崎に売られた絡みを刈るが如く端折つた、次のカットがまさかの御満悦でシャワーを浴びる大崎。そこで吉岡市郎単独の裸を見せて何がしたいのか、濡れ場さへ大切にしようとしない、底無しといふか底の抜けた虚無に限りなく近い、殆ど絶対的なぞんざいさにはグルグル何周かした感興も覚えた、バターになるぞ。看板に仰々しく謳はれるサドマゾは、勃たないイワミが気分ないし趣向を変へる気紛れに、しかもラスト五分を切つて漸く木に縄を接ぐ程度。さうはいへ千秋が浣腸液を噴く、もしかすると今では許されないエクストリームは、当時の観客を大いに滾らせた可能性も否めなくはない。結局、千秋の預金残高が順調に増えて行く以外には、イワミの回春すら描かない徹底した物語の放棄に関しては、嫌悪を通り越した憎悪に近いドス黒い感情も覚えかねない反面、針に糸を通す精度で琴線に触れたのが、千秋が健三宅から「かるかや」に流れて行く道程。草叢に制服を無造作に捨てる、即ち一度は夢見た高校進学を千秋がこともなげに放棄、截然とドロップアウトする姿には偶さか劇映画が正方向に輝くといふか仄かに煌めいた。


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