真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「国語美教師 肉厚のご奉仕」(2008/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:亀井戸粋人/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:前井一作/選曲効果:梅沢身知子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:永井れいか・華沢レモン・杉原みさお・越智哲也・丘尚輝・久須美欽一)。
 念願叶ひ国語教師として高校への赴任が決まつた高島葵(永井)は、病に倒れて以来寝たきりといふ設定が正直洒落にならない、大学時代の恩師・等々力孝彦(久須美)にその旨を報告する。教育者の本分に奉仕の精神を説く等々力に、葵は絶賛女体奉仕する。この程度の瑣末に、一々躓いてゐては話が始まらない。3年3組、他に小川隆史ら三名が生徒役に見切れる教室。葵は熱心に授業を受ける伊藤健次(越智)の姿には目を細めつつ、今日も相変らず欠席してゐる夏川初音(華沢)を気にかける。放課後、健次は葵に様子を尋ねられた際には知らぬと誤魔化しながら、親しげな雰囲気で援交終りの初音と落ち合ふ。ここで立ち止まらざるを得ないのが、だから何だその、健次の別に華美ではないが作業着のやうな上着は。初音は―不登校であるにも関らず―普通に女生徒の制服を着てゐるのに、男子用は端折るほど切羽詰つた安普請なのか。あるいは、単なる清々しい無頓着か。健次は一度帰宅したものとばかり思つて観てゐたのだが、後に通学風景に於いても同じ格好であつた。さて措き、二人はホテル・イン。学校に行かずに、親は怒らないのかといふ健次の問ひに対し、初音はウチは放任主義だからとやさぐれて答へる。華沢レモンの空気感が、よく活きた遣り取りである。初音の母親は離婚以来自身の色恋に専ら執心し、娘のことなど何処吹く風だつた。そんなこんなで、本丸を落とさんと葵は夏川家を緊急家庭訪問。ボサボサ頭にほぼスッピンの顔で葵を出迎へた初音の母・若菜(杉原)は、交際相手に夢中であると同時に、借金も抱へてゐるやうだつた。さういふディテールも軽やかに兎も角、それどころではない今作最大の戦慄に関しては、後段にて採り上げる。その姿に生活の荒れた様子も感じとつた葵は、「私が寂しさから解放してあげる」と出し抜け極まりなく百合の花を咲き誇らせる、といふかより正確には狂ひ咲かせる。すつかり葵に癒された若菜はケロッと心を入れ換へ、十八番の猫撫で声で娘に学校に行くやう促す。初音パートを一応つゝがなく通過し、次なる健次篇に突入。ケータイ小説なんぞもチョコチョコ書いてゐたりする健次は文学部への進学を志望してゐたが、医師である父・公次(丘)は医学部にそして自らと同じく医者になるやう強く望み、親子は対立してゐた。健次の文章に軽く目を通した葵は、気軽に文才を認め殆ど無責任に応援する。健次が葵から借りた小説を読み耽つてゐると、帰宅した公次は憤慨、話を通すべく、表面上は穏やかに鼻息荒く職員室に乗り込む。すると、別室に場所も改めた葵は束の間の面談後俄に、今度は「健次君のために、奉仕させて下さい」だなどと再び出鱈目な方便で公次に身を委ねる。コロッと懐柔された公次は、正しく手の平を返し健次の意思を尊重する。等々力とのプロローグ込みの初音の起部、健次の承部と経た上で、実に綺麗な転部。数日後から、葵は高校を何日か欠勤する。初音から、身内に不幸があつたらしいといふ噂を聞きつけた健次は、葵を案ずる。
 奉仕精神を素敵な方向に履き違へて呉れた、ある意味での熱血教師が繰り広げる明後日な桃色奮戦記。何時派手な粗相の火が噴くか、何処で木端微塵になるのかと固唾を呑んでもゐた別の意味での期待は、見事に裏切られた。ある一点、前年の問題作あるいは第一の惨劇、「浴衣教師 保健室の愉しみ」(2007/主演:香野みか)に続かなくともよいのに、といふか続かすなといふのにひき続き、十年の眠りから覚めてしまつた破壊神・杉原みさおの再々召喚といふ、配役レベルでの殺傷力の高い使用禁止兵器の以外には。山姥のやうな頭とオバハンどころか殆どオッサンのやうな面構へで、リアルタイムの杉原みさおがボサーッと出現した瞬間には激しく頭を抱へた、といふか目も覆つた。葵×若菜の一戦に際しては、醜男ではなく、女を相手にしてゐる女優即ちここでは永井れいかを、初めて気の毒に思へた。いはば、濡れ場要員で映画を殺すといふ荒業、とすらいつていへなくもないところではあつたのだが、健次とも始終絡む初音ならば兎も角、幸か不幸か役目を終へるや―公次と同じく―潔く完全退場する若菜は、特にも何もその後の展開には全く影響を及ぼさない。それゆゑ、最終的にはイイ話系のルーチンワークが、何事か大袈裟に仕出かされることも特にはないまゝに、ツッコミ処にすら欠く着地を果たすラストまでのんべんだらりと進行するばかり。実は起承転結の構成は結部の弱さを除けば何気に完璧なのだが、新田栄にしては、ある意味粒も小さめな一作ではある。

 そんな中、コソッーと小ネタが仕掛けられるのが、3年3組教室の黒板。まづ最初の授業シーンに於ける日付が、11月24日(月)。日曜日の勤労感謝の日の翌日、即ち振替休日にも授業するほどスパルタンな進学校には凡そ見えないのは、殊更にいふまでもあるまい。その後も場面を改める毎に律儀に前に進む日付は、遂に11月31日(月)に到達する、観客が気づかないとでも思つたか。どうでもいいが主演女優は特段肉厚に見えなければ、観音様がさうであることを示唆する描写も別に見当たらないのだが、よもや破壊神のことではあるまいな、確かにブ厚いけど。

 以下は再見時の付記< 主演女優は、佐々木基子のアテレコ。となると「浴衣教師 保健室の愉しみ」と二作共々、杉原みさお電撃ならぬ戦慄復帰ものはヒロインの声を佐々木基子がアテてゐる格好となる。


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 「激撮!15人ONANIE」(1990/製作:《株》メディア・トップ/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/撮影:稲吉雅志/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:広瀬寛巳/監督助手:渋谷一平/撮影助手:山川明人/照明助手:田端一/スチール:津田一英/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:岸加奈子・橋本杏子・井上真愉見・石川恵美・川奈忍・南野千夏・早瀬瞳・一ノ瀬まみ・高樹麗・山本純・原田知美・宮崎マリ・斉藤渚・藤村いづみ・浅香みちる・芳田正浩・山本竜二)。脚本の周知安は片岡修二の変名。出演者中、南野千夏がポスターには南野千秋、原田知美から浅香みちるまでは本篇クレジットのみ。御多分に洩れず、今回の遥か昔に先立つ1995年に「発情集団15人ONANIE」といふタイトルで、既に一度旧作改題済みではあるのだが・・・・一回目が1995年!?十五年ぶり二度目の新版公開、流石に凄まじい領域に足を踏み入れた感も漂ふ。
 開巻奥手な大学生の岩淵か岩渕竜也(芳田)が、文字通り美人女子大生の江藤倫子(岸)にしどろもどろしながらも意を決して告白する。が、仕方もなくあへなく呆気なく玉砕。そんな竜也から泣きつかれた先輩の園山(山本)は、いはく対人恐怖症でコンプレックスの塊、挙句に短小包茎といふ救ひやうのないダメ後輩のために、自身が三年前に通信教育で習得したとかいふ催眠術を伝授してやると胸を叩く。半信半疑といふよりは三信七疑くらゐの竜也に対し、園山は家を訪れた保険外交員(井上)、近所に住む未亡人、結構な大怪我で入院した際の看護婦を、糸をつけた五円玉を目の前で振る、だなどと清々しくポップなメソッドの催眠術でそれぞれ攻略した自慢話を披露する。ここで、三人の濡れ場要員―尤も、要は倫子以外は全員濡れ場要員ともいへる―の内未亡人と看護婦に関しては、カメラに捉へられるのは体だけで顔は映らない。さうなると、佐々木ユメカか原田ひかりででもなければ、殆ど特定のしやうもない件。催眠術の練習中、誤爆した竜也と意外に進んで応戦する園山との薔薇の花香る壮絶な一幕も経て、園山を伴なつた竜也は、石川恵美と連れ立つて歩く倫子に再戦を挑む。岸加奈子と石川恵美の二人揃つて、ミニスカートから煌くやうに覗かせる健康的な美脚が猛然と堪らない。ジュースを買ひに石川恵美が離れた隙に、竜也は倫子に二度目のアタック。とはいへ竜也の術は、倫子には全く効果を成さない。ところが、呆れて立ち去つてしまつた倫子の背後で、何時の間にか戻つて来てゐた友人嬢にはかゝつたらしく、その場で自慰を始めた石川恵美に園山と竜也は垂涎する。そんな中、実家の親が倒れた騒動が発生し、倫子の両親―父親役これも誰?―は娘を残し帰郷する。竜也のこともあり、一人で家にゐるのが不安な倫子はホーム・パーティーを思ひたち、友人といふ友人に電話をかけ誘ふ。その様子を、絶賛不法侵入あるいはストーキングで、山本竜二と芳田正浩といふ画面(ゑづら)的にイイ感じの出歯亀コンビは察知、勝負の一夜に備へ竜也の催眠術を最終調整するべく、園山は出張風俗店「ヴィーナスの館」から橋本杏子を呼ぶ。さうかうしつつ当日、女子大生六人がわしわしと集つた倫子宅に、竜也と園山も突入。その他大勢の中に、川奈忍や一ノ瀬まみがシレッと紛れ込んでゐる豪華さが驚異的。
 竜也か園山が“激撮”する要素は別にどころか全くない点はさて措き、15人もの女のONANIEを謳つた、異常に豪勢な一作。一線級の女優が惜し気もなく次から次へと登場するので、流石に些か奇異にも思ひjmdbに触れてみたところ当時公開は八月、お盆映画といふ格好なのであらう。パンチの効いたオチは光るが、催眠術で高嶺の花をオトさうぜ、だなどとゴキゲンな物語自体は、正味な話他愛ないといつていへなくもないと同時に、それにしても矢張り苛烈なバトルロイヤルを制したのは、麗しく順当に主演女優の岸加奈子。公園森の中のベンチに、倫子が石川恵美を待つ。そこに園山から背中を押され飛び込んで行つた竜也は、五円玉を倫子の目の前でプランプラン揺らし始める。その件の、「この人何してるんだらう?」と首を捻る倫子こと岸加奈子が見せる、キョトンとした、正しくキョトンとしたとしかいひやうのない、だからキョトンとした表情が超絶に素晴らしい、猛烈に素晴らしい、圧倒的に素晴らしい。残りの一切は最早瑣末と捨てたとて敢て構ふまい、この、岸加奈子永遠のキョトンを銀幕に刻み込み得た功績のみによつてでも、本作は映画史にその名を遺すべきである。そもそも、キョトンといふ擬態語を初めて編み出したのは、果たして何処の大天才なのか。話を戻して、初めは竜也―と園山も―の危機を回避する防衛目的であつた筈なのに、次第に勢ひづいた倫子が手放しで楽しげに、家に呼ぶ友達に電話を矢継ぎ早にかけ倒すカットも狂ほしいまでに可愛らしい。劇中唯一の発情集団ONANIEは園山に一手に引き受けさせ、竜也には玄関口での倫子と一対一の大将戦を演じさせる構成も見事に秀逸ではあるが、そのやうな娯楽映画としての頑丈な完成度さへ、この際野暮と忘れてしまへ。キョトンとする岸加奈子に心奪はれろ、それが全てだ、少なくとも俺にとつては。

 最後に、実は今作、看板に重大な問題を抱へてもゐる。闇雲な人海戦術を改めて順を追ひ整理すると、兎にも角にもまづ倫子。続いて後ろ二人は首から上が抜かれないゆゑ、誤魔化されてゐる可能性も厳密にはなくはないが、兎も角園山の武勇伝中に登場する外交員と後家と看護婦。倫子の友達で、竜也の拙い催眠術が誤爆する石川恵美。決戦の時を控へ、仕上げの練習台として招聘される橋本杏子。ここまでで六人。両親が家を空けた一夜、倫子宅に招かれた友達が矢張り計六人。となると要は、津々浦々の何処かでアルフレード氏に切り抜かれたのではなければ、 11人ゐる!ではなくして

 12人しかゐない!

 男二人を加へても無理矢理十四人、一体15といふ数字は、何処から湧いて来たのか。もしや、締めは―客席の―お前がついつい興奮し思はずピーウィーせれとでもいふことなのか?因みに、ポール・ルーベンスがフロリダでお縄を頂戴したのは、本作公開の翌年となる1991年のことである。

 以下は再見時の付記< DMMでカンニングしてクレジットを洗ひ直してみたところ、確かに女優の名前が十五人分並ぶ。ものの、画面に載るのはあくまで十二人、そこは譲れない。
 付記< 江藤家ホムパの面子はどうしても倫子入れて計七名、乾杯時の並びで画面左手前から、時計並びに高樹麗・不明(山本純?)・倫子・早瀬瞳・川奈忍・一ノ瀬まみ・南野千夏


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 「ザ・痴漢教師3 制服の匂ひ」(1999/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/企画・脚本:福俵満/プロデューサー:深町章/撮影:清水正二/編集:酒井正次/音楽:大場一魅/助監督:森山茂雄/監督助手:横井有紀・栗本吉晴/撮影助手:岡宮裕/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映化学/協力:国沢実・田中康文・長谷川光隆/出演:里見瑶子・杉本まこと・千葉誠樹・西山かおり・原田なつみ・佐々木共輔・神戸顕一・幸野賀一・かわさきひろゆき・森久美子・工藤翔子・佐倉萌・田口あい・石動三六・栗本吉晴・江本友紀・三沢由実・入江コウジ・白木努・平川ナオヒ・吉永幸一郎・北千住ひろし・瀬川ゆうじ・山本幹夫)。出演者中、森久美子以降は本篇クレジットのみ。そして幸野賀一が、ポスターには何故か川野賀一に、どうしたらさうなるの。
 千葉県館山山中、霧も漂ふ深い森。股間から夥しく流血した、女の全裸死体。
 出勤前の朝の一時(ひととき)、大木凡人ばりに眼鏡の馬鹿デカい高校国語教師の額田秀男(杉本)が、昨今巷間を騒がせる、犯したのち性器を切除する連続女子高生猟奇殺人事件を伝へるテレビ番組をぼんやりと見やる。どうでもいゝのかよかないのか、番組本篇は新たに作り込む他方で、当時実際に放映されてゐたCM映像をも、額田宅のテレビに延々と映り込ませてみせるのは全体アリなのかナシなのか。万事に引つ込み思案で本好きの額田は、同じく読書家かつ同じ電車で通学する女生徒・大前静(里見)を、教師と生徒といふ分別も忘れた領域で気にかける。こちらも物憂げな風情の静は再婚した母親が重ねて共働きで、家庭環境に問題を抱へてゐた。ズベ公の藤本奈々(西山)が、平然と鏡を覗き髪を弄るのも注意出来ない古文の授業。終始、舌で唇を妙に舐め回すメソッドを淫らに使用し続ける男子生徒(不明)の後ろの席に座る静の全裸を、克明に額田はイマジンする。そんな額田は実は、鞄に仕掛けたビデオカメラで、電車に揺られる静のスカートの中を盗撮してゐたりもした。一方、破いた証明写真(この人も誰?)を水洗トイレに流すカットを経て、額田の高校に新しい体育教師・山岡俊夫(千葉)が赴任して来る。坊主頭に口髭黒スーツと、微妙に柄の悪い教頭・五十嵐(神戸)から提出用の書類に写真が貼付されてゐない不備を指摘された山岡は、呆然とする額田を余所に、静かにではあれ異常な強度でキレる。気を取り直し額田に校内を案内される最中、屋上でラッキーを燻らせてゐた不良生徒・久光信雄(佐々木)を、山岡は早速シメる。お礼参りにとばかり、バタフライ・ナイフをちらつかせる久光を難なく一蹴した山岡に、「強い男に弱い」と公言して憚らない奈々はコロッと乗り換へる。
 配役残り、原田なつみは清々しい一幕・アンド・アウェイをキメる、額田を虐げる女王様・サヤカ。大絶賛三番手濡れ場要員が挙句重戦車かよ、といふ落胆は否み難い。やり過ぎた造形が映画の底を抜く感も漂はせる幸野賀一は、都合二度何も出来ない額田の眼前静を電車痴漢する、ジャンキーのやうなパンクス。シリーズ前作に続き渋い重量感を発揮するかわさきひろゆきは、事件の捜査に校内にも入る刑事。
 「ザ・痴漢教師」第三作は、池島ゆたかにとつては前年の「脱がされた制服」(脚本:福俵満/主演:立川みく)に続く二作目。前回の魔王然とした獣慾の権化から一転、今回杉本まことが演ずる主人公は殆ど自閉的なくらゐに気弱かつネガティブな変態で、それに伴なひ、痴漢教師から盗撮教師へと微妙な路線変更も果たしてゐる。互ひに読書家の変態盗撮教師と薄幸系の可憐な女子生徒とのそれはそれとしての純愛物語に、正体不明の猟奇殺人鬼を絡めた構成を採つてはゐるが、兎にも角にも、最早サスペンス志向そのもののそもそもな不存在さへ疑はせるほどに、ノー・ガードな山岡のある意味大活躍が、元来サブ・プロットの筈にも関らず完璧に映画を寄り切つた印象は強い。千葉誠樹が松田優作のエピゴーネン的演技を駆使する、物騒にもグルカナイフまで持ち出した“偽”山岡が暴れ倒すパートは力を有する反面、静が額田とそれでも結びつくエモーションは、決して強くはない。土台額田自体の非力に加へ、パンク幸野や盗撮の一件を経てなほ、静が自ら裸身を晒し額田に―多分―無垢の身を委ねるに至る説得力は、だつてピンク映画なんだもんといふ納得の仕方を肯じないならば、必ずしも無理なく呑み込める筋合のものでもない。直接の加害行為としては兎も角、死体に関しては結構気前よくスラッシュし、山岡が暗い廊下を引き摺る、実際の容量よりは随分と小さくも見えるバッグの口から、捕獲された女の手先だけ覗くショットのショック性も素晴らしい。ラストの二段オチの、冗長な二手目には如何にも池島ゆたからしい野暮つたさも窺へるとはいへ、千葉誠樹の側から見るならば、従来の予想に反し見事に本来主演の杉本まことを喰つてみせた、逆転劇を華麗に演じた一作とも評し得るのではなからうか。

 夥しいその他俳優部は、主には電車の乗客と、こちらが兎にも角にも数の多い生徒先生込み込みで校内要員。明確に確認出来たのは、事件を扱ふテレビ番組の中で、適当な講釈を垂れるコメンテーターの石動三六と、山岡から校則違反の携帯電話を没収される女生徒役の佐倉萌のみ。佐倉萌の少し前に、同じく荒れ気味の校内カットに見切れる、スティックで廊下の床を叩きドラムの練習をするマスク男が平岡きみたけに見えたのだが、クレジットに平きみの名前は見当たらない。工藤翔子にせよ北千住ひろしにせよ平川ナオヒ(a.k.a.平川直大)にせよ、見れば判る筈なのだが全く気づけなかつた迂闊は無念。ところで今作、2002年に既に一度新版公開済みではあるが、その際の新題が四文字ジャストの「淫行教師」だなどといふのは、シンプルないし最短距離といふより寧ろ単にぞんざいである。


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 「ザ・恥毛と縛り」(1992『剃毛緊縛魔』の2010年旧作改題版/企画:セメントマッチ/製作:BREAK IN/提供:Xces Film/監督:池島ゆたか/脚本:五代響子/制作:宮本章裕/撮影:下元哲/照明:小田求/編集:酒井正次/メイク:小沢典子/スチール:佐藤初太郎/助監督:浅岡博之/撮影助手:中尾正人/照明助手:広瀬寛巳/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:北野ほたる・渡辺千尋・小泉あかね・しのざきさとみ・伊藤清美・芹沢一路・大沢裕子《特別出演》・山ノ手ぐり子・平賀勘一・池島ゆたか・切通理作・アーバン下赤塚・川崎浩幸・安永美千代・劇団 流星舞台・山本竜二)。出演者中、切通理作とアーバン下赤塚に安永美千代、劇団 流星舞台は本篇クレジットのみ。あと、ポスターが小妻容子の責め絵。
 最終的には時系列上の位置が不明確ながら、「新日本出版」―因みにエクセス母体の会社名が新日本映像―の営業マンで元題を清々しく体現する藤岡真彦(山本)が、出張風俗店「キャンディ」から呼んだひかる(小泉)を拘束、無理矢理陰毛を剃り落とした上で監禁する。といふのは、何某か大事を仕出かしたらしい藤岡の足跡を辿るルポライターの取材に応じての、その一件を機に足を洗つたひかるの証言。仕事柄官憲には頼れなかつた旨が語られつつ、藤岡がその状況から、ひかるを手放したタイミングも不明。続いて、一貫して姿を見せねば声も聞かせぬルポライターは、郷里で演劇活動に参加してゐた高校時代に、当時同じ劇団に所属する先輩の藤岡から強姦された、南雲美奈子(北野)の下を訪ねる。自己変革の目的は持ち劇団に入つたものの、まるで芝居に向いてはをらずお荷物的ポジションの藤岡は、ある日座長(川崎)が新人として連れて来たセーラ服姿の美奈子に一目惚れする。その後美奈子には矢張り劇団員の田中順一(芹沢)といふ彼氏が出来たにも関らず、一方的かつアグレッシブに岡惚れを拗らせた藤岡は、巧みにでもなく誘ひ出した美奈子を犯す。それが恐らくは最初の、藤岡が起こした事件であつた。こゝで二点、座長役の川崎浩幸は、現に流星舞台(→星座→超新星オカシネマ)の座長であるかわさきひろゆき。個人的には今回初めて見た表記であるが、以降も散発的に使用してゐるやうだ、これが本名なのだらう。更に特筆すべきは、下調べの時点ではノー・マークの芹沢一路が実際に映画を観てみたところ、何と当時は杉本まことであつた筈の現在のなかみつせいじ。本名の中満誠治で昭和末期にデビュー後杉本まことに、更に2000年に現行のなかみつせいじに改名してゐる推移までならば押さへてもゐたが、加へて全く別個の名義を使用してゐたとは。憚りながらピンク映画の感想千本を本気で目指し、何とかかんとか八百本も通過したばかりではあれ、なかなかどうして、まだまだ奥は底知れず深い。
 登場順に五代響子(現:暁子)と同一人物の山ノ手ぐり子は、時代も感じさせる眼鏡が馬鹿デカい劇団員。卒業後上京し就職した美奈子は、勤務先にて出入り業者の藤岡と驚きの再会を果たす。余程懐が深いのか、友人としての関係を再開させた美奈子を、藤岡は行きつけのスナックに度々連れて行く。脱ぎはしないが、如何にもらしい風情を頑丈に迸らせる伊藤清美は、店のママ・さおり。ところでさおりのスナックは、エクセス公式サイトによると“ぼでこん亭”と誤記された上で、新宿三丁目に現存する「ぼでごん亭」と紹介されるが、画面上は確認能はず。劇中最悪の被害者となる渡辺千尋は、藤岡が美奈子には婚約者と勝手に語る「ぼでごん亭」の女・久美。しのざきさとみは藤岡の母、藤岡の、女の恥毛を病的に忌避する性癖は、離婚後男を取つ換へ引つ換へ息子の目も顧ず家に連れ込んだ、母の姿を激しく嫌悪した体験に基くものであつた。池島ゆたかは、しのざきさとみの背後から乳繰り合ふ男。平賀勘一は、検挙後藤岡が収容された病院の精神科医。カメオ特記は本篇クレジットのみの大沢裕子は、そこで藤岡にも温かく接する看護婦。
 関係者へのインタビューを主軸に据ゑ、回想といふ形でドラマを積み重ねて行く。いはゆるモキュメンタリーと一般的な劇映画とを巧みに折衷する方法論は、芹沢一路改め改めなかみつせいじが佐野和宏の死の真相を追ふ、「芸能《裏》情事 熟肉の感触」(2002)の前半部分と、ほぼ同じものといへよう。“ほぼ”といふのは、今回は取材者の気配を対象者の反応以外には始終一切排した点が、「芸能《裏》情事」との最も大きな差異として挙げられる。それが全てといふ訳でもあるまいが、後半なかみつせいじ演ずる事件記者・水谷の失速とも連動し脱力する「芸能《裏》情事」と比して、今作は硬質な緊張感を終始維持する。考へてみれば、監督百一作目にして百本に一本の大傑作「超いんらん やればやるほどいい気持ち」(2008)も踏まへると、ピンクの普請ではさうさう望むやうには運ばないといふのは承知してゐるつもりだが、レギュレーション通りの限られた人員で腰を落ち着け物語を進行させて行くのでなく、多人数を手際よく捌くことにより一つの主題に多方向から迫る手法に、池島ゆたかといふ映画監督はより長けてゐるのかも知れない。今回は上滑らずに狂気を滲ませる山本竜二迫真の熱演も加はり、傍目には犯罪的に―現に犯罪でしかないのだが―迷惑極まりなく、当人にとつても決して報はれ得ない二重の意味での悲劇は淡々と、且つ見事な充実を伴なひ描かれる。今現在の目からしても全く面白いが、しかも凡そ二十年前ともなる公開当時には、構成にしても異常性愛といふテーマにしても双方の目新しさが、相当の興奮を以て迎へられたのではあるまいか。そして、兎にも角にも超絶に素晴らしいのは、依然、些かも快方には向かはない藤岡が彷徨ひ込んだ病院の一室に終に辿り着いた、他者を傷つけもした傷つき壊れた魂を慰撫する、別の意味での真実の愛。一重にしか愛することを知らなかつた藤岡が長く厳しい遍歴の果てに、現し世からは完全に零れ落ちたまゝに、漸く手にした夜の夢にも似た真。こゝぞと下元哲必殺のソフト・フォーカスも火を噴く文字通り幻想的なショットの、歪んだ美しさは比類ない。それは、歪んでゐるとはいへども美しい、のではなく、歪んでゐるからこそ、歪んでゐるだけ美しい類の美しさ。たとへそれが藤岡と同じく、心の歪んだ人間にしか届き得ないものであつたとしても、だからこそ、なほのことそれこそが映画のエモーションであると、歪み抜いた心で当サイトは信ずる。実は、序盤にしか登場しない小泉あかねが女優部一の美人である、結構致命的な不均衡に終始囚はれてもゐたものであつたが、そのやうな瑣末なんぞ、欠片もどうでもよくなつてしまつた。と、激賞したまゝ、藤岡に同調し恍惚と筆を擱きたいところではあつたのだが、さうも問屋が卸しては呉れない。そこで、一息にお人形のやうな北野ほたるに映画を任せずに、特別出演の恩義に報いてか、正しく蛇足としか思へない大沢裕子を噛ませてのける野暮つたさが、ある意味池島ゆたかが池島ゆたかたる所以といへばそれまででもある。

 十人を跨ぐ人数が投入されるその他出演者は、劇団員と「ぼでごん亭」要員の皆さん。切通理作が客席に見切れてゐるらしいが、ここも視認叶はず。更に、出社して来なくなつた藤岡の「新日本出版」後任・三田。「ぼでごん亭」ボックス席の白都翔一似の客と、三田のアテレコの主は池島ゆたか。


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 「色情痴女 密室の手ほどき」(2010/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督:浜野佐知/脚本:山﨑邦紀/撮影:小山田勝治/撮影助手:市川修/照明助手:藤田朋則・広瀬寛巳/撮影部応援:鈴木慎二/助監督:加藤義一・田中康文・金澤理奈絵/編集:有馬潜/音楽:中空龍/劇中歌:與語一平/録音:シネキャビン/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/出演:倖田李梨、浅岡沙希、朝倉麗、荒木太郎、ヒロポン、ヤス・タナカ、神夜)。出演者中、ヒロポン(広瀬寛巳)とヤス・タナカ(田中康文)は本篇クレジットのみ。
 倖田李梨のショットに被せられる、覚束ないナレーション、「私は彼女の○○を眺める度に、これこそが悪魔の傑作であると感嘆するのであつた」。因みに○○といふのは、あくまで当サイトが柄にもなく憚つたのではなく、後の場面と同じく劇中台詞ママ。
 タイトル・イン明け、博多から妻・かんな(朝倉)を伴なひ、ポップに鼻息荒く寺川(荒木)が上京する。一切博多弁は使はない夫婦が東京に乗り込んだ目的は、寺川が金を奪はれた、女詐欺師を追つて来てのものだつた。寺川が詐欺師を終始口汚く罵る傍ら、かんなはすつかり醒めた風情で、実は既に見切りをつけた夫を全く同様に蔑視してゐた。寺川とかんなとの対照的な立ち位置には早くも、奇矯な主翼を奔放に飛ばす他方で地に足の着いた補助翼で巧みに物語を制御する、山﨑邦紀らしい頑丈な構造が看て取れる。一旦宿に入り、相変らずエキセントリックに喚き散らし続ける寺川は、半ばといふかほゞ完全に呆れ顔の妻に対し「一発ヤッて気合入れよう」と、朴訥とした頓珍漢を早速加速させる。画面の片隅を飾る国沢実と同様に、自身の映画を撮らせると力なく手を詰ませる反面、荒木太郎は人の映画に俳優部として出演する際には見違へるやうに活き活きとしてゐる。
 所変つて何処ぞの河原、正方向か明後日かはともあれ、今作に於ける最終兵器がある意味華麗に登場する。教職の内定も得た音大生の久志(神夜)が、卒業後の結婚も決めたカオリ(浅岡)と仲良くピクニック。こゝで、フォーク・ギターも軽く爪弾きオリジナル曲を彼女の前で披露する久志の、よくいへばプリミティブな歌声が兎にも角にも凄まじい。音楽的には単なる―それが狙ひなのであらうが―軟弱も通り越し惰弱なフォーク・ミュージックでしかないのだが、神夜のか細いヴォーカルがクソみたいな歌詞以前に音程から画期的にへべれけで、爆発的に別の意味で面白い。神夜だけでは探しやうもない神夜は、とりあへず今時の色男ではあり、足なども惚れ惚れするほど長くはあれ、直截には「一体何処から拾つて来たのだ!?」感が軽やかに爆裂する、最早輝かしいまでの馬の骨である。他方で、実は今作公開前に足を洗つた浅岡沙希はといふと、こちらも当代のカワイコちやんでプロポーションも申し分なく、全く以て久志が羨ましい限りでもあると同時に、不自然な形状記憶ぶりは、絶妙に詰め物臭くなくもない。二度目に殆ど映画全体すら破壊せん勢ひの迷曲を、矢張り河原にて今度は一人で久志が呑気に迸らせてゐると、声に惹かれたと称して亜矢子(倖田)が現れる。アヴァンギャルドの領域にすら突入しかねない珍歌唱を聞くに、凡そシークエンスが初めから成立し難い点は改めて断るまでもあるまい。兎も角、この際 “兎も角”とでもしかいひやうがないが、だから兎も角亜矢子は大絶賛初対面の久志にいきなり、本を読んで欲しいと音読を求める。当然の如く、まるで話を呑み込めぬ久志に、亜矢子はしかも一時間一万円などといふ気前のいゝ、といふよりも、常識的には明らかに胡散臭い条件を提示する。藪から棒な申し出に加へ法外な報酬も告げられたところで、久志の動揺を表現するかのやうに、より直截には神夜のお寒い演技力を補完して、旦々舎作ヘビー・ローテーションの旋律がジワジワ鳴き始める、劇伴のタイミングは実はさりげなく完璧。
 久志が誘(いざな)はれたのは、亜矢子いはく“漂流基地”と称するウィークリーマンション。尤も内部の撮影は、例によつて浜野佐知自宅ではある。そこで亜矢子が差し出したのは、挙句に伏字だらけのいはゆる春本。・・・・過積載のツッコミ処は強引に振り払ひひとまづ前に進むと、心許ない久志の朗読に耳を傾けながら、隣室に引き込んだ亜矢子は自慰に耽る。別れ際に連絡先も渡された久志が、若くて可愛くてスタイルもよく、一応家庭的なカオリとの関係も余所に亜矢子との奇妙な、奇天烈に過ぎる逢瀬に何故か次第に溺れて行く一方、既に己が騙され済みであるのもあり手口を熟知する寺川は、二人のウィークリーマンション管理人(順にヤス・タナカとヒロポン)を経て、徐々に血眼で捜す標的に近づきつつあつた。即ち、寺川が色仕掛けも込み込みで金を奪はれた女詐欺師といふのは、誰あらう亜矢子であつたのだ。とこ、ろで。少し前に戻り私事であるが、広瀬寛巳は基礎知識としても、エンド・クレジットに触れる前に田中康文を視認し得たさゝやかな成長を、勿論誰も称へてなんか呉れやしないだらうから自分で褒めてあげたい。そんな手前味噌は全力でさて措き、話はまるで変るがより強く望むのは田中康文の第三作であることは改めていふまでもない。デビュー作には必ずしもピンとは来なかつたが、第二作には正調娯楽映画への力強い志向を、確かに感じたものである。
 良くも悪くも見所には事欠かない反面、詰まるところはどうにも焦点が定まらぬ辺りが、好意的に捉へるとお茶目な一作。序盤で火を噴く男優部主演の超絶、もとい壮絶唱法が如何せん全てを薙倒す、特大のチャーム・ポイントに関しては強ひて目を瞑るか耳を塞いで敢て一旦通り過ぎるにせよ、煌くやうなイケメン大根と最終的には芝居の軽い倖田李梨とでは、土台アクロバットの度も越した“本を読む、ことを乞ふ女” といふメイン・プロットが力を持ち得ない。逆に、終に一時的とはいへ居室に踏み込んだところで、旦那を迂闊な道化役に、機を見て動き出したかんなが亜矢子と共闘を図る展開は、朝倉麗と荒木太郎それぞれの質量も具はり、浜野佐知平素の能動的な女性主義が綺麗に咲き誇り十全に形を成す。さうなると寧ろ、最早全然別の物語になつてしまつたとしても、亜矢子とかんなとが意気揚々と互ひの前途を祝し別れるシークエンスでいつそ畳んでみせた方が、案外映画の首が据わつたのではなからうか、とかいふ気持ち経験論的な印象も残る。締めの濡れ場に浅岡沙希の裸を改めて見せておくかなといふ、らしくないサービス精神でも酌めばよいのか、以降に結局久志が都合よくカオリとヨリを戻す件を差し挿んだ時点で、元来頼りなかつた軸が、終盤に至つて完全に失する。そもそも、他の女に心を移した男をメロウに思ひ悩み、再び自身の下に帰つて来るのをいぢらしく待つてゐるだなどと浪花節的なカオリの造形が、苛烈なる“女帝”浜野佐知にしては重ねてらしくない。何となく観る分にはそれなりにユニークなモチーフを、手堅い煽情性で彩りつつ、そこそこの着地点に無事落とし込んだやうにも見えなくはないが、ほかでもない浜野佐知作である点を意識するならば、腑に落ちぬ点も決して少なくはない。絶対値だけは無闇にデカい、神夜の底の抜けた破壊力は矢張り忘れ難く、いはば、珍作の部類に属しよう愛嬌である。


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 「官能団地妻」(1992『官能団地 悶絶異常妻』の2010年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:鈴木敬晴/企画・製作:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:渡辺勝二/音楽:雄龍舎/編集:井上編集室/撮影助手:青木克弘・片山浩・斉藤博/照明助手:須崎文夫/助監督:水野智之・広瀬寛/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/効果:協立音響/撮影協力:土鈴/出演:栗原早記・岸加奈子・小泉あかね・久須美欽一・牧村耕次・早川誠・平岡きみたけ)。出演者中、早川誠と平岡きみたけは本篇クレジットのみ。助監督二人目―要は監督助手的ポジションか―の広瀬寛は、当サイトが仕出かした“巳”の字の脱字ではなく、本篇クレジットがあくまで広瀬寛。
 イメージ・ショット風黒バックの、主演女優と早川誠の情交にて開巻。栗原早記は決して殊更美人といふこともなければ特にスタイルがいい訳でもないものの、適度に生活感も漂はせる、何ともいへない絶妙ないやらしさは有してゐる。そんな濡れ場は、朝の日差しとともに軽やかな夢オチで処理。出勤に六時十二分の始発に乗らなくてはならない、夫の小島(牧村)に起こされ美和子(栗原)は目覚める。美和子が、小島は自嘲気味に“蟻の巣” と称する団地に暮らし始めて五年。単調な日々の暮らしと、淡白な夫婦生活とには不満を覚えぬでもなかつたが、かといつて派手に放埓の羽を伸ばすほどの勇気も美和子にはなく、精々テレクラでの安全な火遊びに興じるくらゐが関の山であつた。そんな美和子に、通りで出会つた私服姿―ここは素直に、制服を着せてゐた方がより設定が判り易かつたやうには思へる―の隣家の女子高生・香澄(小泉)は家族関係に関する不満を零す。死別したのか、再婚した父・大木(大城?/久須美欽一)と激しいセックスに耽る後妻・康代(岸)を、香澄は「牝の匂ひがする」とまで手厳しく嫌悪してゐた。香澄には悪いが、誰であれ男が岸加奈子と二度目以降の結婚状態にあつては、前妻をコロッと忘れてみせるのもそれは仕方なからう。話を戻して、同級生の山下弘美(電話越しの声すら登場せず)から高校の同窓会の案内を受け取つた美和子が、一旦は日取りが団地の寄合とバッティングするため断念しつつ、当時の彼氏・コージ(早川)も出席するとの情報には逡巡する一方、香澄が、“FREEDOM”とロゴの入つたスタンガンを手に黒いライトバンから降りて来た平岡きみたけに拉致される。結局、コージ本人からの正しくラブコールも受け堪へきれずその日の外出の準備を美和子が進めてゐると、画期的に間も悪く血相を変へた康代が飛び込んで来る。何と香澄が誘拐され、しかも犯人は交渉相手に家族ではなく、何故かお隣の美和子を指定して来たといふのだ。美和子と康代が半ば睨み合ふ形の小島家に、コージとの密会を決断した際の思惑は見事に外れ小島が早くに帰宅。仮に、片田舎の団地から通勤に二時間かゝるとすると、康代の不意過ぎる来訪が十九時前なので、出先から直帰したのでなければ、小島が退社したのは残業どころかほぼ思ひきり定時である。さて措きやがて大木も揃ひ、打開の糸口も掴めねばそもそも出発点から腑に落ちない状況に、二組の夫婦は苦悩する。
 心に隙間も抱へるいはゆる団地妻が、二重の意味で藪から棒な重大犯罪に巻き込まれる。舞台が整つてからは団地の一室をメインに進行するいはばシチュエーション・サスペンスは、一旦は頑丈な充実を見せる。犯人からの連絡を一同が固唾を呑んで待つしかないところに、約束を反故にされたコージの電話が入る弾みで美和子のよろめきが露見し、薮蛇に話が拗れる展開は小躍りするほどに面白い。勝手に誘拐犯から指定されただけなのに、まるで自分が悪者かのやうに扱はれる流れにキレた美和子が、翌日納期の宛名書きの内職に衝動的に手をつけ小島からは制止される件も、さりげなく見事で素晴らしい。平岡きみたけが、自身の凶行を終始“ゲーム”と呼称する点は、今となつては手垢のついた感覚でもあるが、当時は未だ新鮮味を保つてゐたのであらうか。何れにせよ、かういつてはある意味悪いが短躯といひ童顔といひ、演出以前に持ちキャラとして未熟さを濃厚に発散する平岡きみたけに、“ゲーム”といふ用語は綺麗に親和する。ところが残念ながら、康代と大木の夜の営みの模様が二度目に挿入される辺り以降の終盤、途中までは十全に積み重ねられた物語は俄に求心力を失しあるいは力尽き、明確に失速してしまふ。終に語られはしない、平岡きみたけの一方的な美和子に対する因縁の詳細は兎も角、香澄が自力で脱出を果たす時点で二つの現場の連関が遮断され、挙句に美和子が下す決断の木に竹を接ぐどころでは済まない頓珍漢さは致命的。泣き腫らしたとでもいふ塩梅で素顔を晒した栗原早記の熱演も虚しく、子供が居ようと居まいと「いいえ、矢張り変らない」とかいふ美和子が辿り着いた結論は直截にまるで意味不明で無造作さも感じさせるが、画面(ゑづら)上は対照的かつ印象的なラスト・ショットに反し、これでは詰まるところは、最大の被害者は小島ではないのかといふ釈然としなさばかりが残される。殊に中盤が抜群に優れてゐた分、映画を収束させる肝心要の最も困難な段取りを素直に越えられなかつた限界が、猛烈に惜しい一作である。

 ところで今作、1999年に「団地妻 変態体位」といふ新題で、既に一度新版公開済みではある。尤も、タイトルにわざわざ謳ふほどのアクロバットが、披露される絡みは別にない。


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 「THEレイパー<闇サイト編> 美姉妹・肌の叫び」(2010/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢実/脚本:新耕堅辰/撮影:石山稔/照明:小林敦/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/助監督:小川隆史/監督助手:桑島岳大/撮影助手:戸田聡伸/現場応援:加藤学/スチール:本田あきら/音響効果:山田案山子/フィルム:報映産業/現像:東映ラボ・テック/協力:小林徹哉・江尻大・アシスト・石谷ライティングサービス/出演:成田愛・水井真希・セイラ・伊沢涼子・丘尚輝・太田始・マイト和彦・松本格子戸・川瀬陽太)。ポスターには松田姓で載る村田頼俊が、本篇俳優部クレジットは割愛される。
 何処ぞの会社の企画開発部に在籍するOLの矢神真奈(成田)は、繰り返し同じ内容の悪夢に苛まれてゐた。それは白いバタフライ・マスクで顔は隠した白ブリーフ一枚半裸の男達に、一人の女が犯されてゐるといふもので、その女が果たして誰なのか、真奈に心当たりはなかつた。重ねて、真奈は一人住まひの自室にあつても、何者かの視線を感じるやうな不安感も覚えた。終始沈鬱な面持の真奈に、向かひのデスクに座る同僚・幾原伸二(丘)は関心を寄せる。社内に見切れるのはほかに、村田頼俊がテレテレ体を動かしてばかりでまるで仕事をしないダメ部長。村田部長に茶を飲みに誘はれる加藤君は、恐らく加藤学か、国沢実もコピー機の扱ひに苦労する背中を見せる。幾原に誘はれ食事をし、真奈の部屋で体を重ねる。ところが事の最中にフラッシュバックした悪夢のイメージに幾原を拒んだ真奈は、終に押し殺してゐた忌はしい記憶に辿り着く。一年前、パラサイト同居する当時無職の妹・麻衣(水井)と、真奈は出勤がてら仲良く喧嘩する。先を行つた麻衣が振り返り真奈におどけてみせた背後に、姉妹の行く手を塞ぎ横付けするやうに一台のライトバンが急停車。中から飛び出して来た、三人のバタフライ・マスク半裸の男達(太田始とマイト和彦と松本格子戸)にまづ麻衣が捕獲され、即座に真奈も共々拉致される。水井真希の背中にライトバンが飛び込んで来るカットの、映画的な緊張度は見せる。殺風景な一室に連れ込まれた姉妹は、矢張りマスクを着用した監督的ポジションの透野(川瀬)の指示の下、いはば実働部隊ともいふべきブリーフ隊にレイプされ、あまつさへその模様をそこかしこに仕掛けられたカメラで撮影される。ところで、今回口髭を蓄へた川瀬陽太が、誰かと同じ顔に見えるやうな気がして暫し頭の中を探つてゐたところ、幾分の加齢に伴なひ、意外にも森羅万象に酷似する点は新たな発見ではあつた。話を戻して、真奈はマイト和彦に、麻衣は太田始と松本格子戸とに手篭めにされる中、意識を失つた真奈が目覚めると、憐れ麻衣は自ら命を絶つてゐた。夢の中で犯される女とは、即ち麻衣であつた。幾ら消し去りたい過去とはいへ、幼少期ならばまだしも成人後の一年前、しかも実の妹を忘れてのける豪快さんな真奈の前に、透野が再び現れる。透野は真奈が、なほも操作してゐた真実を突きつける。実際には、真奈は麻衣を捨て一人逃げた。透野に連れ戻された真奈の眼前で、麻衣は自ら割つた酒瓶で喉を突き自死してゐたのだ。挙句に、自宅に投函された透野からの封筒にあつたパスワードで、試みにエロ動画サイト「Peep Show Live!」にログインしてみた真奈は驚愕する。そこには一年前の姉妹陵辱の模様はおろか、現在の真奈の部屋の様子のライブ映像までもが配信されてゐた。
 セイラ、だけでは身許の調べやうもなく仕方ないセイラは、透野にも距離の近い、「Peep Show Live!」を運営する組織の女・聖羅。端的に、そこら辺を幾らでも歩いてゐさうな世にいふギャルである。潤沢にも四人目の脱ぎ役を頑丈に固める伊沢涼子は、自から「Peep Show Live!」に接近して来た有閑マダム・佐原由利。
 とりあへず。幸ひにも、三年前のTHEレイパー前作にして、兎に角喰へない国沢実の陰々滅々路線の中でも更に壮絶なる木端微塵、「THEレイパー 暴行の餌食」(2007)との関連は強姦行為を主モチーフとしてゐること以外には、特にどころか凡そ認められない。改めて今作に焦点を絞ると、よもや拘束に属する問題ではあるまいや、とも思ふが、真奈が秘められた、もしくは秘めた真相に直面して以降の麻衣の潔いまでの降板ぶりには、人間関係のバランス以前に、そもそも起承転結の承部にて透野がネタを明かすのが早過ぎやしないか、といふ疑問から少なからず残らぬでもない。尤も転部以降開き直つたかのやうに、真奈が所与の条件を受け容れるのも通り越し妙な勢ひで快楽を求めて加速するのは、国沢実にとつての二作前、成田愛にとつては純然たるピンク初参戦ともなる、「コンビニ無法地帯 人妻を狩れ」(2009/脚本:内藤忠司)にもよく似た展開といへ、双方とも手慣れた風情で、ひとまづ力強く形になる。成田愛をアシストする形で墜落して行く、透野のミイラ取りがミイラになる過程に於いての、川瀬陽太流石の熱演も光る。尤も、これが結部に至ると完全にガッチャガチャ。透野いはく真奈に商品価値がなくなつたといふのであるならば、同様にカメラの存在を意識し逆手に取らうとする由利を是とする理屈がどうしても通らない。藪から棒な幾原の正体が明かされる付近から、真奈が思ひきり一時退場してしまふ事等々、映画が求心力を失するレベルでの穴々が俄にボロボロと開き始める。聖羅が半ば廃人状態の透野を自室に連れ込んでの絡みも、真奈がどうやつて幾原にまで辿り着いたのかも清々しく意味不明。殊に前者に関しては、セイラの非絶賛無表情に、透野を主とした上での従者ならば兎も角、聖羅に主導権を握らせるとシークエンスがどうにも力を持ち得ない。詰まるところは、それは国沢実自身の意識の在り様にも従つたのか、麻衣の死すらいはば過剰気味なオプションに過ぎない、徹頭徹尾真奈の自分一人きりの物語である点が、綺麗に功罪両方向に作用する。そのため、中盤一旦力も得るものの、何故か真奈が一頻り姿を消すや、途端に映画は空中分解してしまふ。あるいはこの終盤の大疑問手は、三番手四番手の濡れ場消化法の匙加減を派手に仕出かした、などといふ、実は実に単純な事情によるものであるのやも知れないが。兎も角、要はさういふ、攻守双方で真奈が鍵を握る諸刃の剣ともいふべき一作ではありつつ、最終的には、唐突感の方が幾分上回る、それとも下回るともいへる。

 射精が雄叫ぶポップ・チューンの前作、「OL空手乳悶 奥まで突き入れて」(2009/脚本とも国沢☆実)と、これで三作成田愛主演作が続いた格好になる。この期にそこに気付くといふのも間が抜けてゐるどころの騒ぎでは済まないが、国沢実といふ人は、主演女優が固定されると比較的作品が安定する傾向にもあるやうだ。といつて、続く次作には成田愛とは別人の“な”の字しか並ばない辺りが、なかなかに難しいところではある。


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 「令嬢たちの狂乱 ダブル縄祭り」(1990『団鬼六 令嬢縄責め』の2010年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:小林悟/原作:団鬼六/脚本:片岡修二/プロデューサー:尾西要一郎/撮影:柳田友貴/照明:小野寺透/編集:金子編集室/助監督:青柳一夫/音楽:サウンドボックス/メイク:山岸みどり/録音:銀座サウンド/現像:IMAGICA/緊縛師:渡辺仁志/出演:舞坂ゆい・一ノ瀬まみ・港雄一・坂入正三・朝田淳史・吉本直人・橋詰哲也・工藤正人・岸加奈子)。出演者中、橋詰哲也がポスターには何故か橋爪哲也。助手勢に完敗する。それも兎も角、ピンク映画でIMAGICAのロゴを見たのは初めてだ。
 ミサトな江藤邸、姉・倫子(岸)と妹・麻美(舞坂)の美人令嬢姉妹が、江藤家当主にして資産家の父・誠一郎(港)の六十歳の誕生日を祝ふ。姉妹の母あるいは誠一郎の妻の不在に関しては、一切語られることもなく通り過ぎられ不明。さりげなく、誠一郎が健康に問題を抱へることにも触れつつ親娘三人で歓談するところに、江藤家お手伝ひの嶋村圭子(一ノ瀬)が、遠縁の野沢俊介(坂入)が来訪した旨を伝へに来る。夕食時に、しかも電話も寄こさずに現れた無礼に怒つた誠一郎は圭子に命じ追ひ返さうとするが、一千万の当座の運転資金がないと会社を潰してしまふ野沢は、勝手に居間まで上がり込む。すると、既に未返済の三千万の貸金(かしがね)も持つ誠一郎は見事に激昂し野沢を一喝、倫子も、冷然と父親の尻馬に乗る。その夜、決められた薬も恐らく飲まずに、誠一郎は日常的に情婦の関係にもある圭子を抱く。娘達から贈られたネクタイ―色は赤ではなく青―で圭子の両手首を後ろ手に縛り上げた誠一郎は、「これはいい贈り物だつたなあ」。野沢を怒鳴り上げる際のオッカナイ見幕といひ、流石港雄一ともいふべき貫禄の存在感が重厚に火を噴く。エクストリームな港雄一節は更に加速、妙に大きな錠剤を、服薬もせずに圭子の女陰に捻じ込むなどといふ凄味の溢れるプレイをを見せつけたのも束の間、発作を起こした誠一郎は、事の最中に正しく悶死してしまふ。一方沼田興産、借りた金を返せない野沢を手下二人(吉本直人と橋詰哲也)にシメさせてゐた沼田耕造(朝田)の下にも、誰からか誠一郎急死の一報が入る。ここで手下二人を整理すると、吉本直人が一物に真珠を四粒埋め込んだ方で、橋詰哲也が終始ガムを噛んでゐるグラサン男。江藤家顧問弁護士の佐伯恭司(工藤)が、遺産相続の手続きを進める傍ら出し抜けに求愛するものの、野沢に続いて劇中通算二人目に倫子からは冷たく拒まれる。そんな中、無造作な編集で―今作中瑕疵らしい瑕疵は、この箇所のみ―倫子が帰宅すると、招かれざる野沢が悠然と待ち構へる。挙句に野沢の手引きにより忍び込んだ沼田興産の面々に、麻美は捕らへられてゐた。その場で軽く嬲られた姉妹は、場所を深い山中に移し拉致。案の定沼田とは結託する圭子も登場、倫子と麻美はパンティ一枚のほぼ全裸に剥かれた上、大きな桶の中に鎖で繋がれ囚はれる。最早お定まりともいへよう、令嬢達を狂乱させる縄祭りの幕が開ける。然し“縄祭り”、何て素敵な用語なのだ。
 常々秘かにでもなく熱望してゐるものだが、実際問題その作品に触れるのも猛烈に久し振りなので、改めて“御大”小林悟について簡単に触れておくと。小林悟(1930~2001)。昭和34年に「狂つた欲望」(松井稔と共同監督、共同脚本)でデビュー後、海外での活動期間もあり最早正確な記録さへ残らぬほどの、四百数十本―四捨五入すれば五百本にもならうか―の劇場映画監督本数を誇る。昭和37年には、後にピンク映画第一号とされる「肉体の市場」を監督。2002年に公開された「川奈まり子 桜貝の甘い水」(三月公開)で自らピンク四十周年の節目を祝ふべく撮影中の前年十一月、膀胱癌に没す。撮影二日目に現場で倒れ、そのまま三日後に死去する。といふ文字通りの壮絶な戦死を遂げた訳ではあるが、少なくとも小生が目にすることの出来た範囲で晩年の御大仕事は、煌びやかなまでのルーチンワークとでもしかいひやうのない作風で、現に「桜貝の甘い水」に関しても、死を賭して挑んだにしては鬼気迫る決死の覚悟なんぞ、清々しいまでに微塵も窺はせはしない。よくいへば穏やかともいへるのか、直截にはのんべんだらりとルーズな、何時もの頓珍漢であつた。さういふ辺りまで含めて、なかなか一筋縄ではその本来偉大な筈の全貌も掴み難い、ともあれ伝説の映画監督である。個人的には小林悟が百本に一本の映画を、四五本は撮つてゐたとしても決しておかしくはなからうといふ、最も単純な確率論を依然放棄してゐないこともあり、兎に角小林悟の映画ならば何でもかんでも手当たり次第に観たい。くらゐの気持ちではあるのだが、逝去後は、小屋の番組の中に御大の名前が並ぶ機会は、めつきりどころか寧ろ不思議なほど劇的に減つてしまつたまま、来年には五十周年を迎へようとしてゐる。果たして、その時周年を賀する栄誉を担ふのは、一体誰なのか。
 すつかり長くなつてしまつたので段落から仕切り直し話を戻すと、そこで今作の出来栄えやところで如何に、といふ次第であるのだが。鬼六ブランドの体面を慮つてか、“御大”小林悟そして“大先生”柳田友貴共々大きくどころか些かたりとて羽目を外すこともなく、定石通りの展開が定石通りに進行する、ある意味逆に意外に高水準の、専ら素直で実用的なSM映画であつた。硬質のクール・ビューティーを撃ち抜く岸加奈子、縄目からプリンッと絞り込まれたオッパイが超絶に可愛らしくも艶(なまめ)かしいビリング・トップの舞坂ゆい。そして一見さりげなく三番手を務めると同時に、何気なく完璧なプロポーションを誇る一ノ瀬まみ。超強力な女優三本柱に加へ穴のない俳優陣まで擁し、今回御大が天衣無縫のレベルにすら達した粗相を仕出かすこともなければ、大先生必殺の柳田パン―後述する―が火を噴くこともない。桶の中の憐れな姉妹を嘲(あざけ)るかのやうにおまるが宛がはれる細部に至るまで、実に堅実。いい感じで仰々しい劇伴も、心持ちハイ・グレードな全篇を効果的に彩る。責め自体はそれほど無闇に過激なものではないものの、緊縛のクオリティも高い。尤も、繰り返しになるが最終的には、序盤大活躍を披露する港雄一が退場して以降は殊に、始終はロマンポルノの時代に既に出来上がつたフォーマットのみに従ひ、無体な物語ながら鬼六映画としては清らかに推移する。その為、腰から下で観る分にはガッツポーズ級の大満足を与へて呉れる反面、さて小屋の敷居を外側に一歩跨いだところで、さういへばどんな中身の映画だつたかなと振り返らうとした際には、石を投げれば当たる一作である。と、いつていへなくもない。

 最後に柳田パンとは何ぞや、といふ点を御紹介しよう。いふまでもなく、“柳田パン”といふのは小生が恐ろしく気儘に命名した呼称である。会話なり絡みなり、登場人物二人を全く通常に捉へたカメラが、急にスーッと動いた―最初の移動は、逆パンであることが多い―かと思ふと、特にパンした先に何もなければ別に誰も居ない。何事かと観客を煙に巻くだけ巻くと、平然と何もなかつたかのやうに、再び元の画にシレーッと戻る。などといふ、この際革命的とでもしか称へやうのない、よくいへば破天荒なフェイントを駆使した謎のカメラワークのことである。その手法にどのやうな意味が込められてゐるのかに、辿り着き得た者は多分未だこの星の上には存在しまい。


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 「艶剣客 くの一媚薬責め」(2010/製作:株式会社竹書房・新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画株式会社/監督・脚本:藤原健一/企画:加藤威史・大澤穂高・衣川仲人/プロデューサー:福原彰・藤原健一/原作:八神淳一『艶剣客』《竹書房刊》/撮影・照明:田宮健彦/録音:高島良太/衣装:野村明子/ヘアメイク:中尾あい/スチール:中居挙子/音楽:由良英寛/編集:酒井正次・鷹野朋子/整音:シネキャビン/タイミング:安斎公一/現像:東映ラボ・テック/助監督:能登秀美・小島朋也・布施直輔/制作コーディネーター:田中尚仁/撮影・照明助手:橋本綾子/制作応援:池田勝・安達守/制作協力:藤原プロダクション/出演:吉沢明歩・佐藤良洋・亜紗美・可愛りん・江藤大我・けーすけ、他多数、稲葉凌一)。ポスター上に表記される殺陣の江藤大我とアートディレクターの前田朗が、本篇クレジットには見られず。対して出演者中、他多数は本篇クレジットのみ。制作コーディネーター助手と協力に力尽きる。
 時代は江戸。隻眼、銀髪とヴィジュアル的には如何にも腕の立ちさうな浪人・室戸新吉(江藤)が、道場破りと称して真陰一刀流道場を襲撃する。体格もよく、佇まひだけならば文句ない室戸が雑魚門下生を蹴散らしたのも束の間、現れた師範の冴島凛(吉沢)にはコロッと、ある意味吃驚するくらゐに呆気なく返り討たれる。別に初めから特に期待してゐた訳ではないが、吉沢明歩の殺陣は撮影技術で補はうといふ意欲もしくは努力から大したこともないので、凛の真陰一刀流は、要は若い娘の色香で相手に生まれた隙あるいは動揺を、突いてゐるだけのやうにも見える。背後から斬殺された父(シルエットしか登場せず)と同様凛は、かつては父の部下であつた与力・影山(稲葉)の指揮の下、城内を騒がせる怪事件の解決に隠密裏に当たる、隠れお庭番であつた。
 タイトル・イン明け森の中、下総から剣術修行の旅の道中で江戸に入つた弥三郎(佐藤)は、何事か錯乱してゐるらしき凛に、出会つたかと思ひきやいきなり斬りつけられる。一旦捌いたところで卒倒してしまつた凛を、弥三郎は小屋の中に匿ふ。発熱してゐる様子に互ひに裸となり温めて呉れたお礼にと、意識を取り戻した凛は、弥三郎の尺八を吹く。何といふか、棚から葱と牡丹餅を背負つた鴨が転がり落ちて来たかのやうなシークエンスでもある。一吹き抜かれ寝落ちてしまつた弥三郎が目覚めると、そこには既に凛の姿はなかつた。
 影山との一幕を挿んで、雑念を振り払へぬまま稽古に汗を流す弥三郎の前に、改めて凛が現れる。一言で片付けると、とかく実に無造作な映画ではある。一太刀合はせ矢張りポップに打ち負かせた弥三郎に凛は素性を明かし、昨今大奥に出回る、最終的には使用者の女を死に至らしめる禁制の媚薬の捜査への協力を求める。実は鼻の下を伸ばしたことはさて措き凛の話に乗つた弥三郎は、大奥から宿下がりしたばかりの呉服問屋の娘・お奈美(可愛)に目星をつける。相変らず森中で、天狗の面に随喜汁を塗り込み自慰に耽る現場―またあんまりな状況だ―を押さへた弥三郎は、自慢の一物に物をいはせ篭絡したお奈美から、媚薬に関して大奥中臈の深雪(亜紗美)が怪しいといふことと、深雪が出入りする、薄つぺらく奇矯な源右衛門(けーすけ)が主人を務める廻船問屋・藤野屋の名前を聞き出すことにアッサリ成功する。
 とりあへずの区切りに再度整理すると、カワノゴウシの「珍・監禁逃亡」、対照的に芦塚慎太郎の大傑作「妖女伝説セイレーンXXX」、愛染塾長の四畳半襖の下張りと羊の頭を偽り夫婦善哉といふ狗の肉を売つた、「新釈 四畳半襖の下張り」に続いての、新東宝と竹書房が組み2010年には都合四作が製作された、一応ピンクの番線に含まれてもゐるものの、一目瞭然、従来型のピンク映画とは非なる以前に似てすらゐないキネコ・シリーズの最終作である。意外と機材は全部同じものを使用してゐて、偶さかの上映環境あるいはその時々の個人的な気分に左右された単なる錯覚でしかないのかも知れないが、映画的な色としては、ひとまづ今作が最もマシには見える。既存のロケ・セットで撮影を行ひ、全般的かつ表面的な体裁も、TV時代劇程度には最低限整つてゐる。さうはいへお話の中身としては、一欠片の工夫も無い展開がテローッと進行するばかりで、非感動的な捻りの無さ具合には、逆の意味で衝撃を受けた。清々しく、凡庸で平板としかいひやうのない一作である。一応は剣客映画といふことでチャンバラについても、吉沢明歩はまあ仕方がないとしても、二家本辰己率ゐるアーバンアクターズの一員であるにも関らず、今回江藤大我にアクションの専門家らしい見せ場のひとつもまるで見当たらなかつた点は、大いに期待外れと首を横に振らざるを得ない。反面亜紗美は短過ぎるカットの中でも随所で、抜群、と思しきキレを垣間見せて、呉れたやうな気もする。といふのは、あまりに主演女優に引き摺られたか、誰も彼も細切れで誤魔化さうとし過ぎたきらひは否めない。普通に動ける人間は、もう少し間を与へておとなしく撮つてゐても罰は当たらなかつたのではあるまいか。そもそも看板の筈の当代きつてのアイドル女優・吉沢明歩にしてが、文字通り凛としたキャラクター造形を履き違へてかあまり可愛らしくない、のも通り越し、何だか微妙に顔が浮腫んではゐないか?一方、江口洋介の量産型とでもいつた風情の佐藤良洋はそこそこの突進力で、垢抜けないながらも好青年役を意外と健闘する。その為、色男“ジゴロ”といふタマでもピカレスク・ロマンを気取る柄でもなからうが、結構な代物らしい棹で女々をヒイヒイいはせつつ弥三郎が一件の真相にやがて辿り着く、珍棒探偵の艶笑奮戦記とでもいつた趣向の三の線のハードボイルドの方が、まだしも形を成した可能性が残されてゐたのではないか、とも思へる。
 詰まるところはさういふ、総じて訴求力には欠く漫然とした残念作ではあるが、映画の神は、それでも決してそんな今作を見捨てはしなかつた。一箇所、画期的なチャーミングが咲き誇るといふか直截には狂ひ咲くのは、弥三郎がお奈美の張り込みを始める件。唐突に計三回火を噴く分割画面には激しく噴いた。その時の私の心情を率直に表現するならば、「分www割www画www面www」とでもいつた風情で、恥づかしさに頭を抱へるといふよりは、思はぬところから飛び込んで来た全く予想外の手法に、激しく腹を抱へさせられた。しかも、各々の画単体は単調なものであるところから素晴らしい。画面を分割すること自体に何らの効果も力学も宿りはせず、純粋にただ二つの画面を重ねてみたに過ぎない辺りが、寧ろこれを完璧といはずして、果たして何といふべきや。ツッコんだら負けだ、などと付き合ひの悪いことをいはずに、ここはボケに応へておくのが藤原健一に対しての礼儀ともいへるのではなからうか。さう信じ、敢ていはう

 デ・パルマか。

 かつて映画評論家の故淀川長治さんは、以下の意の言葉を遺された、「どんな映画にも必ず何処かひとつ、チャーミングなところがある」。斯くも微笑ましいチャーム・ポイントに恵まれた一篇に巡り会へたそれはそれとしての幸運を、それなりに生温かく尊びたい。さういふ映画体験も、時にそれもまた一興ではないか。

 出演者中他多数は、真陰一刀流道場門下生、町人、酒場の人間のその他皆さんと、源右衛門の傍らに深雪と室戸以外に、もう一人見切れる用心棒的ポジションの男。


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 「団地妻暴行 そそり立つ」(1995『昼下りの暴行魔 団地妻を狙へ!』の2010年旧作改題版/企画・製作:フィルム ハウス/提供:Xces Film/監督・脚本:上田良津/プロデューサー:伍代俊介/撮影:創優和/照明:金子高士/編集:金子尚樹《有》フィルム・クラフト/助監督:松下朋央/製作担当:真弓学/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/監督助手:大内幹男/撮影助手:立川亭/照明助手:小林めぐみ/ヘアメイク:KEI/スチール:本田あきら/出演:江崎由美・小川真実・本城未織・平賀勘一・久須美欽一・真央元)。
 開巻から早速、画面設計に躓いてみせる。いはゆる団地妻の島崎康子(江崎)が、御近所の北野由美子(小川)と上り坂を歩き越え越え世間話する中で、夫が不倫してゐるらしき悩みを零す。といふシークエンスではあるのだが、道端から生ひ繁る草が邪魔で、向かつて右に立つ康子の顔が全然見えない。開き直ると進んで見せたくなる容姿でもないといつてしまへば確かにその通りなのかも知れないが、小川真実はとつくに見切れてゐるといふのに、主演女優が何時まで経つても満足に抜かれないのは画として実に間抜けである。先走るが監督は初船出とはいへ、ファインダーを覗いてゐるのは紀野正人―本篇撮影クレジットはあくまで創優和―である以上、もう少し考へて欲しい。仕方がないので話を戻すと、物陰から不審な真央元が、そんな康子に狙ひを定めたところでタイトル・イン。
 自宅にてエアロビ中の康子を、宅配便の配達を装つた便利屋・木村健一(真央)が襲撃する。ここで主演の江崎由美と真央元に関して、それぞれ話を逸らせ、もとい膨らませると。江崎由美は首から下はそこそこの威力もしくは魅力を誇るラインをしてはゐるのだが、首から上がどうにもぎこちないといふか強張つてゐるとでもいふか、兎も角明白な不美人でもないものの、明確に何かが不足してゐる。どうにもかうにも一本の劇映画を背負はせるには荷が重からう全方位的な心許なさは、ある意味といふか直截にいへば別の意味でエクセスライクである。対して御馴染み真央元の方はといふと、どういふ事情があつたものかは勿論与り知らぬし推測のしやうもないが、声は別人がアテてゐる。それでは果たして、今回真央元のアテレコの主が一体誰なのかといふと、吹かれなくとも飛ばされるドロップアウトの名を賭して断言しよう、間違ひなく木村の台詞を読んでゐるのは山本清彦(a.k.a.やまきよ)である。これは誰の声かと小屋の暗がりの中必死に摸索しながら、山本清彦の名前に辿り着けた瞬間には、思はず聞き分けた俺の耳にガッツポーズした。手前味噌はさて措き再び話を戻すと、木村は康子を手篭めにした事後、「依頼人の注文でね、悪く思ふなよ」と写真を撮る。とそこに、由美子が康子を訪ねて来たため入れ違ひに木村は逃げる。詳細は清々しく不明な小包みの中から取り出したバイブで、強姦されたばかりであるといふのに康子が耽り始めた自慰から流して、ラブホテルでの、案の定康子の夫・邦彦(平賀)と、部下の川上翔子(本城)の不倫の逢瀬。流してとはいひつつも、まるで展開がつゝがなく流れはしないのは、この際いふまでもなからう。正味な話が、木に竹を接いでばかりの映画ではある、といふか、ばかりでしかない。兎も角、不倫相手に本妻との離婚を強く乞ふ翔子は、一戦終へ邦彦がシャワーを浴びる最中に、何事か雇つたらしき相手と首尾の確認を問ふ連絡を取る。今度は由美子と、その夫・光次(久須美)の夫婦生活。その日は妙に燃える由美子が後ろからの挿入を要求するのを、光次は不審がる。この場面にしても、“獣の体位”とでもいふ寸法でもあるまいに、小川真実と久須美欽一の夫婦が一々後背位如きで―肛姦ではない―何を洒落臭いことを、といふ違和感が先に立つ。翌日か、相変らず張形でオナニー中の康子を、未施錠の玄関から悠然と侵入した光次が陵辱したところで、元々覚束ない映画の底は完全に抜ける。
 改めて、大蔵映画(現:オーピー映画)に転戦して以降の作品にはソリッドな好印象もウッスラ残つてはゐた反面、以前エクセス最終第四作「不倫狂ひの人妻たち」(1997/主演:坂上みすず)を観た際には頭を抱へさせられた、上田良津のデビュー作である。これがどうしたものか、「不倫狂ひの人妻たち」に劣るとも勝らない、まるで木端微塵といふ言葉は今作のためにあるとすら思へて来るくらゐに、まあ一言でいふとどうしやうもない一作、一言にもほどがある。そもそも後の濡れ場では語られる、一度目の北野夫婦の夜の営みの時点で、康子のレイプ現場を目撃した旨を、由美子が光次に話した件をガッサリ割愛したまゝお話を進行させるのが致命傷。その所為で、島崎家に光次が侵入した時点で壮絶な唐突感が明後日に火を噴く。尤も、仮にその段取りを踏まへた上であつても、出鱈目極まりなく火に油を注ぎに行く光次も光次で猛烈に如何なものか、といふ次第で矢張り映画が瓦解するであらう点に些かの変りはない。木村から連絡を受けた康子が、旦那の因果を女房に報はせるべく、誘き寄せた由美子を犯させるのも十二分に酷いどころでは済まず滅茶苦茶だが、挙句に既に壊れた物語を更に鞭打つのは、二度目の邦彦と翔子の密会。翔子から不貞の証拠だと称した、木村が撮影した康子の痴態が収められたフィルムを受け取つた邦彦が、何故だか妻を一欠片たりとて疑ひもせずに、即座に激昂し訣別を言明してみせるまるで意味の判らない頓珍漢展開が、二つ目の致命傷。再殺したいのか、上田良津は自身の処女作を。邦彦のリアクションが非感動的に呑み込めずに、思ひきりポカーンとした、開いた口が塞がらないとは正しくかういふ状態である。大体翔子も、現像を面倒臭がつてフィルムを渡すなよ。プリントを突きつけ、有無をいはさずケリをつけてみせればいい。とかく事欠かないのは、グルッと一周してアバンギャルドの領域に突入しかねない、スーパールーズなツッコミ処ばかり。結局以降は、自暴自棄になり金も支払はなくなつた翔子を、またしてもな報復として木村が強姦した上で、北野夫婦から島崎夫婦、二組の夫婦がグダグダに移行するそれぞれの濡れ場と共に、何故だか各々の関係をシッポリと修復させるラストは、娯楽映画を然るべき着地点に落とし込まうとした気配の窺へなくもないが、この期にてんで纏まりなどするものか。斯くも綺麗な支離滅裂にも、さうさうお目にはかゝれまい。二つの大穴の御蔭で、話の進行が全く成り立たない。自声も聞かせずに真央元が、強姦三冠を達成するのみの詰まらないだとか面白くないも通り越して、最早虚しささへ覚えるやりきれない代物である。本題が一切成立しないのに横道も裏筋もあつたものではないが、大体本城未織も本城未織で、そもそも一体この人は何度、“一番美人な三番手”を務めれば気が済むのか。


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 「痴漢電車 名器探り」(2000『痴漢電車 ナマ足けいれん』の2010年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:高田宝重/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二・奥田幸一/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:酒井正次/助監督:森山茂雄/監督助手:横井有紀・増田庄吾/撮影助手:阿部一孝/照明助手:高橋光太郎/出演:水島ちあき・佐々木基子・大原里美・渡辺力・神戸顕一・荒木太郎・池島ゆたか)。出演者中、神戸顕一は本篇クレジットのみ。
 童話作家志望の池田悦子(水島)は、出版社に持ち込んだ原稿を酷評されたことの傷心を抱へ揺られる電車の車中、しかも痴漢に遭つてしまふ。あれもこれも重なり終に泣き出した悦子の姿に、痴漢男は思はずハッと胸を打たれる。電車が駅に着くや、飛び降りるやうに逃げて行く悦子が落とした原稿入りの封筒を、痴漢男は拾ひ上げる。後に返却される際再登場する社用封筒には、“かえで出版(株)”と社名も印刷される。夢破れて帰宅した悦子を、同居する姉・岡崎順子(佐々木)が慰めつつ諭しつつ、実家が持つて来た縁談を勧める。悦子が電車で痴漢されたことを聞いた順子が妙に入れ込んで来るところに、順子の夫・康浩(荒木)が帰宅。妹の痴漢体験をネタに何故か燃え上がつた順子は夫を求めるが、康浩は不能であつた。所変つて居酒屋、痴漢サークルの面々が、定例会のやうな風情で集まる。傍らに歳の清々しく離れた彼女・藤原理沙(大原)を侍らせたリーダー格の“ムッシュ”こと佐々木信光(池島)が、右から石動三六・神戸顕一と、そこかしこで見覚えのないこともない顔ではあるもう一人―後のシーンでは、更にもう一名が見切れる― の計三人に、指サックと低周波治療器とを繋げ自作した痴漢ガジェットを披露する。そんな五人の輪からは一人離れ、“青年”こと野島弘一(渡辺)は、先刻悦子が落として行つた童話に熱心に目を落とす。そこに遅れて、康浩が現れる。年齢だけならば上の“ムッシュ”とも対等に接する康浩は、パートナーを痴漢中に電車が急停車したことで利き指の中指を折り、以来同時に勃たなくなり引退した、かつて“ゴールドフィンガー”と呼ばれた伝説の痴漢であつた。なかなか頓珍漢な設定を、案外不思議とスンナリ見させる。近所の煙草屋「福屋」の店先に悦子が座る―実はここは正直、さうなると悦子が実家を離れてゐる状況がよく見えないのだが―ことに気付いた野島は、ショートピースを買ふ格好で悦子に接近、仲良くなると偶々拾つた風を装ひ原稿を返す。ひとまづ自身の童話を褒めて呉れた“青年”改め野島と、あの日の痴漢であることも当然知らぬまま悦子は距離を近付けて行く。悦子との関係と自身の性癖との狭間で悩んだ野島は、意を決し“ムッシュ”と“ゴールドフィンガー”に、痴漢から足を洗ふことを申し出る。
 童話女と痴漢男。凡そ似合ひさうにはない二人が物の弾みで出会ひ、何時しか恋に落ちる。然しやがて男の痴漢といふ正体を知つた女は、当然の如く傷つくと同時にポップに腹を立て、男を無下に突き放す。果たして二人の恋路や如何に、といふ、マッチポンプ式の「電車男」とでもいふべき一篇である。何でも思ひついたままに与太を吹けばいいつてもんぢやねえんだよ。jmdbにデータが記載されてゐるだけでも―実際には更にその以前もあるらしい―五十本六年に及ぶ助監督時代を経ての、“大”助監督高田宝重の監督デビュー作である。デビュー作とはいへ青くもなければ硬くもなく、徒に才気走らうとして若気を至らせることもない。痴漢サークルの例会などといふ奇矯なシークエンスをも全くスマートに見せる、逆に呆気ないまでの順当な舵ならぬメガホン捌きで、風変りなラブ・ストーリーをつつがなくオーソドックスに展開する。一旦の別離を若い恋人達が迎へたところで、姉は恋愛映画史上空前のハチャメチャな背中の押し方で妹を送り出すのだが、ここも派手なツッコミ処に草を生やすといふよりは、寧ろ走り始めた映画は意外なほど躓くこともなく、スムーズにエモーションを加速させる。アクロバットな局面に於いて、フォワードの悦子がただボールに足を当てさへすればゴールが決まるやうな、猛烈に難しいアシストを求められる順子に佐々木基子を据ゑた超絶の安定感は、配役上極めて有効に作用しよう。渡辺力はセンシティブなハンサム役を好演し、義妹と“青年”、双方を知るポジションとして二人を穏やかに見守る荒木太郎も申し分ない。対して主演女優はといふと、ルックスもお芝居の方も、何れもぎこちなく御愛嬌の範疇に止(とど)まりもするのだが。尤もそのことに関しては、高田宝重に帰すべきではなくエクセスの問題であるやうにも思へるので通り過ぎ得なくもないとしても、力強く頂けないのは起承転結の正しく転換点を担ふ、悦子が野島の“青年”としての本性を知つてしまふ件。“ゴールドフィンガー”と、痴漢の悦楽の誘惑を“青年”が断ち切ることが出来るか否か、出来ない方に賭けた“ムッシュ”は野島を誘惑するべく、眼前で御自慢の低周波フィンガーも駆使した理沙との電車痴漢プレイを見せつける。終に堪へきれなくなつた野島が下半身に手を伸ばした、しかも痴漢されたいかのやうにノーパンの女が驚くことに順子で、挙句にその場に悦子が鉢合はせまでするなどといふ即席さは、幾ら何でも無造作に過ぎよう。せめてそこで尻を触られる女に、カメオをどうにか仕込めなかつたものか。因みにこの電車パート冒頭、画面の左半分に大きく見切れる髭面の巨漢が、誰あらう高田宝重その人である。話を戻して、殆ど唯一、転部の粗雑ささへ除外すれば、目出度く結ばれた悦子と野島が、姉そして先輩夫婦を仲人に、何とウエディング・ドレスにタキシードと正装した上で、大胆どころの騒ぎではなく痴漢電車結婚式を文字通り敢行するラスト・シーンは、豪快に且つハート・ウォーミングに、決して苦難も少なくはなかつた恋物語を力強いハッピー・エンドへと磐石に着地させる。その段にて副次的に、康浩の男性―機能―問題も回収してみせる辺りも心憎い。これから末永く寄り添ひ暮らすであらう悦子と野島のメタファーとして、画面奥に向かつて併走する二両の電車のショットが、正調娯楽映画を綺麗に締め括る。

 残された懸案は、結局以降相変らず助監督を主としてピンク映画の世界―照明を担当し一般映画に参加することもあり―に留まつてはゐるものの、高田宝重が未だ二本目の監督作を撮り上げてはゐないといふ点である。それと、これは純然たる横道ではあるが、私がかういふ活動を始める前の話なので時期は不鮮明 ―2000年前後?―ながら、一頃旦那の没後から話が始まるエクセス未亡人ピンクに於いて、遺影にこの人の写真が妙なヘビー・ローテーションで使はれてゐたことがあつた。


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