真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「汗ばむ美乳妻 夫に背いた昼下がり」(2016/制作:Production Lenny/提供:オーピー映画/監督:城定秀夫/脚本:長濱亮祐・城定秀夫/プロデューサー:久保獅子/ラインプロデューサー:羽根誠/撮影・照明:田宮健彦/録音:小林徹哉/助監督:伊藤一平/編集:城定秀夫/ヘアメイク:ビューティ☆佐口/スチール:本田あきら/監督助手:寺田瑛/撮影助手:高嶋正人/制作応援:浅木大/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:七海なな・木下桂一・沢村純・青山真希・富沢恵・森羅万象・麻木貴仁・久保奮迅・一本杉渡)。出演者中、一本杉渡は本篇クレジットのみ。
 入道雲を背景に、“昼の光に 夜の闇の深さが分かるものか”とニーチェを引く。福原彰(a.k.a.福俵満)が脚本を書いたのか?とアバンから不安に駆られる。
 空調が効いてゐない喫茶店、結婚相談所を介して、旧姓不明のカオル(七海)と谷輝彦(木下)が実際に会つてみる席。極度に潔癖な輝彦はナーバスぶりを爆裂し、交際から男性経験のないカオルもしどろもどろに爆死する。店に匙を投げた輝彦が会計を済ませて来るとテーブルを離れるや、正しく名が体を表し匂ひフェチなカオルは机上に残された、輝彦が汗を拭いたハンカチに飛びつきスーハ―スーハ―喜悦。若干位置関係は微妙ながら、カオルの汗がポチャンとカップのコーヒーに落ちてタイトル・イン。イコール久保獅子でa.k.a.久保和明の久保奮迅が、こゝでのウェイター。
 当然の如くタイトル明けの夫婦生活と一夜明けての朝食を通して、偏執的に室内環境のみならず万事を管理する輝彦との、カオリの息の詰まりさうな結婚生活が描かれる。外出したカオリは、草野球の面々がフェンスに引つ掛けた汚れたアンダーシャツをくすねると、三年の時を経て今なほ健在の、十年ぶりの衝撃「人妻セカンドバージン 私を襲つて下さい」で火を噴いた見かけによらず高い身体能力を弾けさせ猛ダッシュ。家の中をグッチャグチャにしながらの激しいオナニーに燃えると、度外れて神経質な輝彦に悟られないやう家内を入念に整へ直し、お宝のアンダーシャツはジップロックに入れトランクに保管する。それがカオルの、ある意味マイナスとプラスが安定した日常だつた。例によつてジョギング男(伊藤一平)から拝借したキャップで燃えたカオリは、事後後始末で大量に消費するティッシュを水洗トイレに詰まらせてしまふ。現れた水道屋・浅野文平(沢村)は汗かきで、頻りに汗を拭くタオルに欲情したカオルは、浅野が作業中にも関らずタオルを手に浴室に飛び込むと堰の切れた自慰に狂ひ、その場を目撃した、浅野に手篭めにされる形で一線を越える。翌日だか後日、浅野が風呂を我慢する日数を考慮すると恐らく翌日。輝彦から接待で遅くなる旨のメールを着弾したカオルが、トイレを詰まらせてもゐないのに再び浅野を呼ぶ一方、画に描いたやうなガッハッハ系の取引先専務・西岡(森羅)と、上司の中嶋(麻木)に捕まりSMクラブの敷居を跨いだ輝彦も、ヤンキー口調が女王の気品を感じさせない二階堂美香(青山)と出会ふ、名前は女王様ぽい。ところで、浅野役の沢村純吉の変名ではない沢村純に話を戻すと、「悦楽交差点」時に気づかなかつた己の不明を恥ぢるばかりだが、正式に改名したのか否かは不明の中村英児。それと青山真希のex.逢崎みゆにつられ性懲りもない繰言を吹くと、時折映像畑に帰還する形跡が窺へぬでもない、中村和愛の超復帰を当サイトは何時までも諦めない。
 配役残り富沢恵は、センム改めハゲブタ―直線的すぐる(;´Д`)―を責めるアフロ女王。一応いはゆるロケット型のオッパイは披露するもののまるで何か口に含んだかのやうな回りくどい口跡の、謎の逸材。如何にもな名義で蘭汰郎の変名に見えた一本杉渡は、浅野の退職をカオリに告げる―のと住所を売る―水道修理屋の若い衆。
 電撃上陸作「悦楽交差点 オンナの裏に出会ふとき」(2015/脚本協力:城定由有子/主演:古川いおり)に続く、城定秀夫大蔵第二作。七海なな的にも、「人妻セカンドバージン」以来のピンク第二戦。どうやら、世間では城定秀夫を激賞しないと親が死ぬ呪ひでも蔓延してゐるらしいが、当サイトはそんなこた知つたこつちやない。前半と後半とでベクトルが180°ヘアピン大転換するユニークな構成には一旦度肝を抜かれかけた、「悦楽交差点」から更におとなしく、あるいは小ぢんまりと。何を仰々しく持ち出したのか、てんで腑に落ちないニーチェは微笑ましい御愛嬌と生温かくスルーした上で、そこが通らないと瓢箪から駒が出て来ないともいへ、木に竹を接ぐ輝彦の目覚めと、この期に及んで埒が明かない浅野の設定周りの些末なリアリズムも一旦さて措く。に、しても。今作詰まるところ、ありがちな世間の狭さがスパークする実質的スワッピングの末に、早々に擦れ違ひかけてゐた夫婦がヨリを戻す。要はそれだけのよくある話―ザッと探して「義母の淫臭 だらしない下半身」(2000/監督:大門通/脚本:有馬仟世/主演:美麗)とか、「夫婦交換 刺激に飢ゑた巨乳妻」(2005/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/主演:朝倉まりあ)とか―に過ぎず、城定秀夫にとつて、北沢幸雄以外に踏んだ場数でいふともう一人の師匠格と目したとて差し支へあるまい、我等が無冠か無言の巨匠・新田栄ならば全然勿体ぶらず、サラッかサクッと良くも悪くも水のやうに描いてみせたのではなからうか。今回表面的には洗練だかオサレに撮り上げられ、その一見一般風の出来映えはプラスまで見据ゑたオーピーのお眼鏡には適つたものであるのかも知れないが、何てこともない物語は何てこともなく撮る。そのルーチンや枯れと紙一重の後先省みない素気なさこそが、量産型娯楽映画的には寧ろスマートであるやうにも思へる。瀬戸際中の瀬戸際で殆ど満足に量産し得てさへゐない状況で、時代に錯誤するにもほどがある点に関しては、片隅を掠めなくもないけれど。


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 「悶絶!快感ONANIE」(1991/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:鈴木敬晴/撮影:稲吉雅志・小山田勝治/照明:清野俊博・南園智男/助監督:森本英紀/編集:酒井正次/音楽:やじろべえ/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/制作:秋月康/出演:南野千夏・伊藤舞・下元史朗・杉浦峰夫・伊藤清美)。出演者中伊藤清美が、VHSジャケには伊藤晴美、自由奔放な世界だ。
 後々襖に描かれたものであると判明する、ヌルい地獄絵に赤い照明が揺らぐ。ボンデージで締め上げられた乳と股間を、主演女優の悲鳴が追つて二十秒そこらの手短なタイトル・イン。改めて普通の色調でシャワーを浴びる南野千夏に俳優部クレジット起動、一転再び赤々しい伊藤舞の体と体を洗ふ伊藤清美の手元のクローズアップに、スタッフが続く。地獄絵で知られる日本画の大家・葦田が再婚、葦田家に入つて十五年のメイド・岸本小夜(漢字は大体推定/伊藤清美)と、葦田の娘・絵美(伊藤舞)がイントロダクションがてら“新しい奥様”森田霞(南野)に関する会話を交す。特注の花嫁衣装と称して、霞にボンデージが贈られるジャブを放つた上で、小夜が平静さを失はない一方、絵美は父親に対する独占欲込み込みで財産目当てと新しく家に入る後妻に悪態をつく。この件、果たして狙つたのか不作為が生んだ瓢箪から駒か、フェードアウトした―筈の―南野千夏が舞と清美のダブル伊藤の画に、ウッスラ残つてゐるのがまるで心霊写真の趣。画家としての限界に慄く葦田(下元)の姿挿んで、霞を一見使用人かと思ひきや、後に書生的なこの人も画家である旨が明らかとなる山下(杉浦)が車で迎へに行く。その頃葦田邸では下元史朗と伊藤清美が、「何が欲しい?」、「旦那様の心」。「身を焼き尽くすぞ、地獄に堕ちて」、「いいのそれでも」だ云々と、マッタリ演技合戦。絡みに水を差す藪蛇なハレーションも姦しく、軽薄な耽美が形にならない序盤には、正直挫けさうになる。
 鈴木敬晴(ex.鈴木ハル)1991年第一作にして、敬晴名義第三作。葦田が霞を屋根裏的な創作部屋に入れての、新婚初夜風の営み。霞がボンデージの上からパンストを穿いてゐるのに激昂した葦田は、“充血した肉のエネルギーがお前の心を動かしてゐるのに過ぎない”にも関らず、“愛が肉を動かしてゐるのだと”錯覚してゐると難癖をつけ始めたのに続き、矢継ぎ早に“肉は精神と分離して初めて壮絶な美となり得る”、“充血した肉のエネルギーのみに興味”があると御高説。美肉がボンデージに締め上げられるSEが、縄が軋む音にしか聞こえない間抜けな音効もある意味側面支援に、先には「人妻 口いつぱいの欲情」(1989/鈴木ハル名義/主演:川奈忍)、後には「現代猟奇事件 痴情」(1992/主演:浅野桃里)と、コッテコテな、あるいは穏当な如何にも量産型娯楽映画らしい量産型娯楽映画も撮る傍ら、鈴木敬晴が時に派手に仕出かす観念論ピンクが壮絶に幕を開いた日には、挫けるのも通り越し頭を抱へ、かけた。ところが伊藤舞がエクストリームに火蓋を切り、残りの二人も追随する看板を偽らないハードオナニーを豪快な噴射剤に、よくよく考へてみればよくある落とし処にも思へ、裸映画的にも派手に拡げた風呂敷を、下元史朗の役者力も借り予想外の結末に落とし込む最終盤には綺麗なカタルシスに心洗はれた。最終的に、折角葦田が見事に畳んでみせたのに、南野千夏の覚束ないモノローグで失速するオーラスについては、蛇に足を描いた御愛嬌とでもいふことにしてしまへ。

 大事な一幕を忘れてた、劇中葦田が常用する、巨峰か何か大きな葡萄。小夜は「愛してゐるなら受け容れられる」と、霞の蛤に旦那様の好物を詰め込む葡萄責めを敢行。当然じたばた抵抗する霞に対し、伊藤清美がサラッと撃ち抜く超絶の名台詞が「そんなに力んだら愛が潰れちやふ」、これには痺れた。


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 「変態芸術 吸ひつく結合」(2016/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/監督・脚本:山﨑邦紀/撮影:小山田勝治/撮影助手:宮原かおり/撮影応援:山川邦顕/照明:ガッツ/録音:山口勉・廣木邦人/助監督:小関裕次郎・高田芳次/編集:有馬潜/音楽:中空龍/整音・音響効果:若林大記/録音スタジオ:シンクワイヤ/ポスター撮影:MAYA/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:アクアショップ マリンキープ・桃子・ラブピースクラブ/出演:東凛・酒井あずさ・ダーリン石川・津田篤・荒木太郎・卯水咲流)。照明のガッツは、守利賢一の変名。
 ガード下を通過する車列を一時捉へて、尻尾から白いウーパールーパーを舐める。全裸の主演女優を、全身抜く自室のロング。ルーパー嬢(東)がパンティ・ブラの順で下着を着け、チャイナドレスに体を通すと、水槽のウーパールーパーに「私は変つた」と語りかける。ルーパー嬢の、薬科大に通つてゐた過去。取り憑かれたかのやうに乳鉢で薬物を擂るルーパー嬢あるいはタリウム女が、カッと目を見開いてタイトル・イン。静かなアバンながら、溜息が漏れるほどに均整の取れた東凛のプロポーションを、丹念に堪能させるカットの数々には確実な力が漲る。
 男女の等身大人体模型が並び、背景には鉄格子も見切れる見るから怪しげな一室。和洋といふか和フラワー折衷な扮装の卯水咲流が、模型胴体のカバーを外し腸に頬擦りした上で、ちやうどディルド―程度の大きさの小ぶりな人体模型でオナニーに耽る。そこに現れたルーパー嬢に、完遂したグル(卯水)は手を差し伸べる。
 種々雑多な奇人変人が入れ替り立ち替り登場する、山﨑邦紀十八番の展覧会的な序盤は今作も健在。配役残り、バサッとマントを広げての疾走で飛び込んで来るダーリン石川は、自らをドラゴンの化身と目するサラマンデル。ウーパールーパーことメキシコサラマンダー繋がりのルーパー嬢の彼氏で、後にルーパー嬢は巷間を騒がせた事件に触れ、自身も人に毒を飲ませてしまふと薬科大を中退、ウーパールーパーとの出会ひによつて救はれたと語る。サラマンデルに話を戻すと、真のドラゴンと化すには通過儀礼として、亡夫の遺産で全身整形を繰り返す母親・整形ママ(酒井)とのファックが必要だと常々息巻くも、いざといふ段となると何時も息苦しさに見舞はれ果たせずにゐた。浜野佐知に丸グラサンを借りた―凄い与太―荒木太郎は、実質的には整形ママの間男といつて差支へあるまい、家内に逗留し整形ママの自伝を口述筆記する三文文士。誰のためにもならない、何の役にも立たないことこそ芸術の宿命とする、よくいへば一切の下心を廃した純粋な、直截には諧謔的な芸術観の持ち主。それで社会生活はどうしてゐるのかホワイトカラーの癖に髪までツンツンに立てた津田篤は、この人は自らを機械仕掛け、しかも壊れたと目するエレキ君。一見バラエティ豊かに見せて、拗らせた自意識だらけでもある。とまれエレキ君、キーだのカシャンだのロボット風のSEがなければ、傍目的な症状は単なるチック症と大差なかつたりもする。大腸を脳を上回る最重要な器官と位置づけ、入り口である口腔の舌と出口である肛門の同時刺激とにより、要は一本の管を成すその間の消化器官の活性化を説く。正しく独自の説を提唱し、助手をルーパー嬢が務める、グルのラボに窮したエレキ君が相談に訪れる。
 神は細部に宿るとばかりに、個人的には2015年ベストの肛門探偵で華麗なる復活を遂げて以降、加速してモチーフ勝負を嬉々と続けてゐる様が窺へる、山﨑邦紀の2016年第一作。肛門探偵をより理論的に整備したグルの大腸要諦主義を軸に、類が友を呼ぶが如く集つた“失敗した芸術家”達が繰り広げる下へより下への大騒ぎ。といふと、例によつて風呂敷を拡げるだけ拡げておいて畳みもせず散らかしたまゝ映画が終る。終つてのける危惧は、どうかしたのかと驚かされるくらゐの完璧な形で大回避。サラマンデルが頑なに固執する母子相姦に関し、グルは脳の過大視と同列の子宮幻想に囚はれてゐると指摘、大腸に繋がるべきと主張。母のヴァギナではなくアナルとグルが述べるや、ユリイカと鳴り始める安いハードロック調の劇伴が絶品。点の奇想が線に繋がるドラマティックなカタルシスが満開に咲き乱れ、続く実際に上のグルと下のルーパー嬢による、サラマンデルの舌と肛門の同時刺激。絶頂に達したサラマンデルが上げる「オーオー大腸!」なるスッ惚けた歓声が、厭世的には人間そのものを糞袋とも看做し得る、人体を貫く一本の管を快感が駆け巡る劇中体験を観客にも実感させる大いなる映画的魔術!
 とこ、ろが。サラマンデルが整形ママのアナルに挿入しつつ、ルーパー嬢の肛門を舐める。舌肛同時刺激があたかも秘蹟の領域にすら突入せんかに思へた、否、その時は確かに突入した荘厳なまでの濡れ場を経て、グル曰くの“聖なるトライアングル”が完成した瞬間。嗚呼俺は、何て素晴らしい映画を観たんだと、心の底から感動した、のに。一見意味不明な件なりショットが、魚雷のやうに命中する伏線はパンドラの箱じみた蓋が開いてみれば理解に難くもないとはいへ、斯くも完璧にテーブルコーディネートしておいて、したにも関らず卓袱台を豪快に引つ繰り返すどころか木端微塵に原子に還す、変りも救はれもしなかつたのかよ!な無体なエンディングには呆然とするのも通り越し度肝を抜かれた。綺麗に等閑視されるエレキ君や、前作前々作の充実ぶりからするとヤマザキ組荒木太郎が比較的大人しい点も特筆しようと思へばし得なくもないものの、この際取るに足らない些末。山﨑邦紀が大御大・小林悟に連なりかねない、貴様等の望む映画など撮るものかといはんばかりのダンディズム溢れる一作である。

 何処で触れたものか逡巡してゐる内に最後まで機を失してしまつたが、徒に仰々しくもなければ、稚拙の結果の素頓狂といふ訳でもない。山﨑邦紀映画のヒロインにしては案外目もとい耳新しい東凛の至つて普通といふ意味でのフラットな口跡は、奇矯な世界観が雲散霧消するのを防ぐ、アンカーの役割を果たしてゐるやう効果的に聞こえた。


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 「高校教師 保健室の情事」(1999/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督・脚本:佐々木乃武良/企画:稲山悌二《エクセス・フィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文雄/照明:三浦方雄/撮影助手:竹俣一/照明助手:栗林良彦・小岩強/編集:金子尚樹 ㈲フィルムクラフト/助監督:高田亮・泉圭太郎/制作担当:真弓学/スチール:松橋健吾/タイトル:道川昭/ヘアメイク:パルティール/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:菅野ゆかり・美里流李・桜居加奈・中川大輔・若山慎・平賀勘一)。出演者中、美里流季ではなく美里流李は、一旦にせよ何にせよ正式に改名したのか本篇クレジット・ポスターとも美里流李。
 画はソリッドなものの意図は全く見えない駅構内と校舎遠景―駅は一体何なのか―を往き来しつつ、ひとまづ企画とプロデューサーと佐々木乃武良のみクレジット。保健室の表札に、出演者クレジットが追走する。間に合ふかなあだあいつも遅刻魔だしだと清々しく説明台詞を垂れながら、養護教諭の楠田江里(美里)が伝線してゐたパンストを穿き替へようかとすると、潜んでゐた机の下から生徒の田宮満(中川)が現れる。ヤメテーッと、江里が両手を顔の前にかざす暗転からタイトル・イン。藪蛇に狙つた画作りと、温い―二番手と―演出、アバンからある意味順調に迷走する。
 担任の岡田陽子(菅野)が、授業をフケた田宮を探す。坂口拓の劣化レプリカ的な容姿が、イケメンの筈なのに絶妙なキモさを醸し出す体育教師・斉藤祐輔(若山)の顔見せ挿んで、相変らず妙な俯瞰で保健室から田宮が出て来る。田宮が生徒指導室に連行される一方、保健室では、江里が赤ロープで大雑把に緊縛されてゐた。両手を取つた田宮に、足の親指で観音様をグリグリされる攻防戦を手を噛んで離脱した陽子と、校外で学年主任の鷺沼良昭(平賀)がランデブー、二人は不倫関係にあつた。前髪だけチョロッとパーマを当てた平賀勘一が、持ち前のポップな好色感を加速させてゐるのが可笑しくて可笑しくて仕方がない。脆弱な男優部―女優部も、別に強靭ではない―にあつて、頼りになるのは矢張り平勘だ。
 配役残り桜居加奈(a.k.a.夢乃)は、田宮の彼女で斉藤がコーチを務める陸上部の部員・松本佳織、この二人何年生なんだろ。マッサージの名を借りて斉藤が大概鼻の下を伸ばす練習後、今度は一切の仔細をスッ飛ばし、何故か田宮が自在に出入りする差押へ物件にまで佳織を同伴しておいて、田宮がすることは手マンのみ。何故か頑なに据膳も頂戴しやがらないため、陽子宅にてサラダを作る陽子に鷺沼がハモニカを吹く件も通過して、よくよく考へてみれば緊縛されたまゝの江里が緊迫する尿意に身を捩る、十六分半まで初オッパイを引つ張る超スローペース。
 佐々木乃武良1999年第二作にして、単独第三作。十年以上何の沙汰も見聞きしない点をみるに、どうやら―少なくともピンクやVシネからは―足を洗つたものと思しき、佐々木乃武良のフィルモグラフィーは単独作が全十本と、三人監督の共同作がもう一本。DMMで未見か未感想の三本を押さへておくかとしてみたところが、さういへば鈴木敬晴も残り四本で止まつてゐたのを思ひだした。やればやるほど仕事が増えて行く、怪現象を実感する昨今。
 他愛ない繰言はさて措き、成績はいい問題生徒が、魔性の狡猾さと大胆だか無防備な行動力とで女教師を翻弄する。といふといはゆる魔少年ものの類型的な一作かに思へ、女教師を“籠絡”ではなく、あくまで“翻弄”と述べた点がポイント。といふのがこの田宮君、劇中手足で弄るばかりで、乳を揉みもしなければ、パンツを脱ぎさへしないのがユニークといへばユニークな機軸。尤も、幼少期の原体験で間男を連れ込んでゐる現場を目撃してしまつた母親に、般若の形相で手を噛まれた田宮が、女性憎悪を拗らせた挙句の不能。とでもいつたそれはそれとして悲劇的な真相が用意されるでなく、土台扮するのが中川大輔―とメガホンを取るのが佐々木乃武良―とあつては、ある意味映画ごと生殺された感が強い。片や主演女優に目を向けると、齢を判らなくさせる目元と覚束ない口跡にはこの際目を瞑り、スラリと伸びやかな肢体と、プックラ膨らんだ悩ましい双球は十二分に眼福眼福、裸映画をひとまづ支へ得る。最終的には痒いところに手を届かせる、気すら窺はせない始終とはいへ、江里・陽子・斉藤・鷺沼の順で保健室に集められた四教師。先にフッきれた三人に蹂躙される陽子が、やがて乱交の渦に呑み込まれるに至るエクストリームなラストは、そこだけ掻い摘めばそれなりに見応へがなくもない。

 間抜けか粗忽な付記< 次作「女子アナ 盗撮下半身」(主演:水原美々)が、何故かインデックスから抜けてゐた。となると残る未見か未感想はオムニバス形式の「三面記事の妻たち ­-痴漢・淫乱・不倫-」(2004/主演:葉月螢・瀬戸恵子・酒井あずさ)のみで、DMMに頼らずとも、年を跨いで2016年新版が地元駅前に来る


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 「演歌の女 乱れ慕情 艶景色」(2016/制作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/脚本・監督:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:加藤義一/編集:有馬潜/音楽:石川真平/選曲:山田案山子/録音:シネキャビン/仕上げ:東映ラボ・テック/効果:東京スクリーンサービス/協力:広瀬寛巳・小関裕次郎・植田浩行/スチール:小櫃亘弘/主題歌『女のいばら道』作詞・作曲:石川真平、唄:きみと歩実/出演:きみと歩実・綾波ゆめ・緒川凛・那波隆史・竹本泰志・なかみつせいじ・山本宗介《友情出演》・泉正太郎)。出演者中、山本宗介のカメオ特記は本篇クレジットのみ。
 確か表札は事務所の“所”が抜けてた気がする、「小板橋音楽事務所」。担当マネージャー・板橋文夫(泉)を隣に伴つた、五年ぶりの新曲「女のいばら道」のリリースに漕ぎつけた演歌歌手の綺羅星アキ(きみと)に、自身もかつてはお座敷演歌の女王の異名を誇つた事務所社長の小板橋あやめ(緒川)は、一ヶ月以内に初回プレス分百枚を手売り出来なかつた場合の馘を宣告する。芸歴七年にして、通算売り上げが二曲で五百枚のアキにとつて過酷なミッションといふ以前に、最早ムッチムチも通り越し一種の貫禄さへ漂はせる、緒川凛の肉の圧力が堪らない。あやめが自分で淹れたコーヒーがクッソ不味いどうでもいい小ネタと、逃げるやうに出撃したアキと板橋が階段で軽く交錯する、アキの同期で事務所稼ぎ頭のアイドル・小嶋明日香(綾波)―とそのマネージャー・内山恵介(那波)―の顔見せ挿んでタイトル・イン。ところで内山恵介といふのは、山内惠介のアナグラム?後述する、さりげなくもなく見切れる亜希いずみがファンだつたりとかするのかな。
 当てもなくアキと板橋が店頭プロモーションさせて貰はうと飛び込んだCD屋の店長(なかみつ)は、代償にアキのオッパイを要求。脊髄反射で踵を返さうとする板橋に対し、覚悟を決めたアキは一旦呑むも、店長に手篭めにされかゝるアキの悲鳴を聞いて別室に飛び込んだ板橋は、結局店長を殴り倒してしまふ。二人で火に油を注いで途方に暮れる、そこら辺の公園。背中に何某かの撮影をする際には許可を求める旨の看板が見切れてゐるのは、開き直つたギャグなのかジワジワ来る。
 配役残り、最初の相手役には緒川凛が凄い迫力で飛び込んで来る竹本泰志は、小嶋明日香を愛人として公私に渉り面倒を見る音楽プロデューサー・テディ斉藤。オネエ言葉と、何でもかんでも引つ繰り返し識別に甚だ難い古典的なギョーカイ用語とを駆使する。山本宗介はラジオOPのディレクター・村木で、最終的に内山が小板橋音楽事務所を乗つ取つた形の「内山サウンドオフィス」、黙々とノートを叩いてゐるのは関根和美の愛妻・亜希いずみ。
 亜希いずみが連続加勢を何気に三作に伸ばす、関根和美2016年第一作。アバンで十全にレールを敷いた、瀬戸際の演歌歌手が、要は一度も浮かばれてゐないゆゑ才気ですらない起死回生の大逆転を目指す如何にも娯楽映画的な奮戦記は、盤石かに一旦は思へたものの。圧倒的な存在感を爆裂させる緒川凛と、一見ケンケンするばかりの単に若いだけの新顔二番手かと思ひきや、吐き捨てる「思ひだしたくもない」の辺りから結構本格派のエモーションをドカンドカン放り込んで来る綾波ゆめ。最終的に物語的には等閑視されつつも、予想外の健闘を見せる綾波ゆめは殊に光り、適材適所の男優部にも穴はない。対して、手も足も出せなかつた無残な敗戦から棚牡丹なラストに至るまで、よくよく考へてみると明日香を赦した以外にはこれといつて何するでもない、本来ヒロインの筈のアキが終始どうにも弱い。スッカスカのオケと詞曲とも類型的な楽曲に、クレジット時に流れる白々しいPV。何れも十二分に致命傷たるあれやこれやも、きみと歩実の不安定な音程の前には全てケシ飛ぶ主題歌が、チャーミングとでもしかこの際いひやうもなく正しく止めを刺す。演歌ピンクと新奇な機軸を狙つたかに見せて、邪推するまでもなく簡便に撮影可能な方便に始終が支配された節が窺へる、良くなくも悪くも関根和美らしい“(´・ω・`)”な表情にさせられる一作。きみと歩実の髪に埋もれ、“終”のエンド・マークが殆ど見えない間抜けなラスト・ショットが、逆の意味で完璧に一篇を締め括る。


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 「義母覗き 爪先に舌絡ませて」(1999/製作:国沢プロ?/配給:大蔵映画/監督:国沢実/脚本:樫原辰郎/撮影:小山田勝治/照明:林信一/助監督:細貝昌也/編集:フィルム・クラフト/録音:シネ・キャビン/スチール:佐藤初太郎/監督助手:増田庄吾/撮影助手:関谷和久/照明助手:関根謙一/音楽:黒澤祐一郎/現像:東映化学/フィルム:愛光/現場応援:松岡誠/協力:日本映機・アスカロケリース・片山圭太・アケミスタジオ/出演:佐々木麻由子・さとう樹菜子・夢乃・平川ナオヒ・田嶋謙一・村山竜平)。
 家内を軽く覗いて、佐々木麻由子がシャワーを浴びる。浴びながら「十九の春」を口ずさむのが、何時の時代の何処の女だよと、狙ひ過ぎたきらひに疑問符が浮かぶ。判別不能の遺影にお世話になりましたと片岡美和(佐々木)が挨拶すると、カット跨いで倉田家。妻と死別して十年、元気な内にもう一度ちやんとした家庭を持ちたいだとか木に竹も接ぎ損なふ方便での、父親(村山)の再婚報告にOLの姉・裕子(さとう)と、浪人生の弟・郁夫(平川)は度肝を抜かれる。後に倉田が元部下、兼美和亡夫の片岡に語りかけていはく、だらしない息子と、自堕落な娘。裕子は少なくとも表面的にはさして関心も示さずその場を郁夫に預け、相変らず煮え切らない郁夫に倉田が逆ギレ気味に雷を落とすと、殺風景にもほどがある割に、その癖藪蛇にフォントを弄つてみたりなんかするタイトル・イン。ついでにか因みに、アバン最後の件は単発で意図も特に窺へない郁夫視点。この映画本当に面白いのかなと、結構確実に不安を覚える。
 タイトル明け飛び込んで来る夢乃は、こちらは現役生の郁夫カノジョ。多分未だ童貞?の郁夫が無様に暴発する絡みと、そのセンスも疑ふが片岡の墓前で美和と倉田が待ち合はせる一幕挿んで、田嶋謙一が裕子の不倫相手、三本柱の裸はサクサク消化する。カノジョと別れ意気消沈し歩道橋の階段の途中で座り込む郁夫を、その時点では郁夫が倉田の連れ子とは知らず交錯した美和が、「青少年ファイト!」と鼓舞する途轍もないダサさにも、立ち込める暗雲がいよいよ分厚さを増す。残り配役、受験にも恋路にも手詰る郁夫を余所に、カノジョが喰ふ早稲田の細川君は、名前の近似から多分細貝昌也か。終盤、家を出た裕子が働くスナックを、倉田家からも籍を抜いた宮沢美和が訪ねる。カウンターで飲んでゐる一人客は樫原辰郎で、画面左手奥でピアノを弾いてゐるのは黒澤祐一郎?高校の同級生にして、通算三回プロポーズされ内二人とは死別した美和に、最初に求婚した正田は国沢実。店に美和を迎へに来ては、そのまゝラストまで勤め上げる。
 大御大・小林悟と「新人OL 部長のいたづら」(監督:小林悟・国沢実/原案:堀禎一/脚本:三河琇介/主演:木下英理)を共同監督したとされる旨が大分怪しいとすると、国沢実1999年最終第三作。m@stervision大哥がいやにベタ褒めされておいでなので楽しみに見てみたところ、平川ナオヒ(現:平川直大)や夢乃(a.k.a.桜居加奈)といつた好きな俳優が出てゐるにも関らず、正直まるでピンとは来なかつた。散見される綻びについては既に幾らか触れたつもりでもありつつ、個人的に西村昭五郎の映画を観てそんなにも何もワーキャー興奮した記憶もないものの、ロマポを引合に出すにしては、村山竜平―ガミさんは捕まらなかつたのか―と黒澤祐一郎の劇伴は軽く、全般的に画も浅い。対カノジョで見事に玉砕した郁夫が、夫婦生活の最中不整脈で卒倒した親爺が寝てゐるのも構はず、台所で美和を手篭めにする際には思ひのほかどころでなく上手く首尾を果たすのもいい加減な飛躍が大きい。何より解せないのは、さとう樹菜子を単なる濡れ場要員と看做してゐる点。性急な展開ながら裕子が家を出る件はそれなりにドラマチックで、何より続くスナックでは、要はこの女のいはゆるかまきりぶりが主テーマであるのではないかとさへ思へる、美和の真赤な嘘と、余力で正田を介錯するそこそこの大役も果たしてゐる。反面、映画の締まらなさに止めを刺すのは弟の郁夫。モラトリアムに鬱屈する少年期から、出し抜けに生に能動的な青年に一皮剝ける郁夫の姿は、矢張りいい加減で為にする落とし処といつた印象が強い。ユメカに対してはさういふこともないのだが、佐々木麻由子は広島の土の匂ひがしてどうにも苦手だといふのもあり、終ぞ釈然とはしなかつた一作である。

 最後に、以前のエントリーでやらかしてゐた事実誤認に自力で辿り着いた。我等がナオヒーローこと、平川直大のフィルモグラフィーに関して。jmdb準拠で平川直大のピンク映画初陣は、ナオヒ名義での「若妻覗き 穴場の匂ひ」(1998/監督:小川欽也/脚本:八神徳馬/主演:川島ゆき)、直大でピンクに出るのは2000年から。今作は第六戦といふのと、気がつけば再来年は目出度く馬鹿にならない二十周年に当たる。よりマッシブで内包するエモーションに満ち溢れた、ナオヒーローは今の方が断然カッコいい。


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 「淫欲開花! 魅惑のラブハウス」(2016/製作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/撮影監督:海津真也/録音:大塚学/編集:山内大輔/音楽:大場一魅/撮影アドバイザー:清水正二/助監督:菊島稔章/撮影助手:矢澤直子/照明助手:広瀬寛巳/監督助手:野間清史/現場応援:小川兄弟/スチール:津田一郎・山口雅也/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:川越ゆい・里見瑤子・松井理子・なかみつせいじ・野村貴浩・竹本泰志・橘秀樹・鶴見ゴロー・野間清史・沢村麻耶《特別出演》)。出演者中、カメオにしては絡みもある沢村麻耶は本篇クレジットのみ。
 街中の歩道橋開巻、江戸時代に生まれ、生きた女と松井理子のモノローグ起動。並外れた性欲を当時は満たすことなく死んだおりこ(凄え仮名/松井理子)は、いはゆる肉食女子が闊歩する開放的な現代を言祝ぐ。頬張らうとした肉まんをおりこに奪はれた、菊島稔章が清々しい大根で目を白黒させるどうでもいい枝葉挿んで、JR東日本佐倉駅駅前。おりこの子孫の山下ミク(川越)と、彼氏の大竹(橘)が仲良く腰を下ろす。最低でも世紀を二つ跨いで今なほ未練を残す欲求不満をミクの肉体を通して解消したいおりこは、ミクをジャックする形で大竹に積極的なモーション。大家が不在の下宿にミクが大竹をザクザク連れ込むべく捌けると、スポイルぶりにもほどがあるタイトル・イン。おりこがミクをジャックする描写、デジタル時代の透明人間的シークエンスが軽く見られたのが琴線に触れる。
 タイトル跨いでサクサク開戦、したはいいものの。やいのやいの松井理子が傍から姦しい演出に、女の裸を愉しむ邪魔だと荒木調ならぬ荒木臭に対するのと同様の嫌悪を覚える。兎も角いざといふ段になると、実は処女のミクが初挿入を痛がり事は頓挫、臍を曲げた大竹は出て行く。大竹で通算十一人と初体験を失敗したミクは、完全にセックスに匙を投げる。頭を抱へたおりこの次の矢は、夫婦生活の回想がてら交通事故で死別した亡妻にしてミクの叔母でもあるヨーコ(沢村)の遺影に手を合はせる、下宿の大家(なかみつ)。ヨーコの口を借りたおりこに唆された―声が違ふだろ、声が―大家は、昼寝するミクに夜もとい昼這ひを敢行。改めて挿入といふ段になつて漸く目を覚ましたミクが激しく抵抗、大家は階段の下にまで蹴り飛ばされるとピューピュー血も噴く大流血。驚き飛び出したミクは、道々に撒かれた入居者募集のチラシと、素頓狂な白ブリーフの雰囲気イケメン・タカシ(鶴見)に誘はれ、謎の館・ラブハウスに辿り着く。ミクを迎へ入れたラブハウスの女主人・小田切カムラ(里見)は、一週間での女の悦びの修行を課す。ところで、大病したと聞いてゐたけれど、回復されたのかな?と映画を観る前には面喰はされたタカシ役の鶴見ゴローは、池島ゆたかの2014年薔薇族「俺と彼氏と彼女の事情」にて松本渉・黒木歩と共同主演した鶴田雄大の変名。
 配役残り野村貴浩は、十五年前AVの現場でカムラにスカウトされたラブハウス講師・滝沢リョウ。講師といへば聞こえもいいが要は、ラブハウスといふのは女用のソープならぬ逆売春宿である。野間清史は、ミクがリョウとミーツする際の噛ませ犬となる自転車のセコいひつたくり。好色な初老造形の竹本泰志は、挿入せずとも文字通りの手練手管だけで女を絶頂に導く、自らいはく“クンニと愛撫とバイブレーター、ラブハウスのクンニマン”こと五郎丸オトヤ。底の抜けた与太を自在に撃ち抜く竹本泰志の、気がつくと何時の間にか到達してゐた熟練が堪らない。若い頃は、ギスついた安ホストくらゐにしか見えなかつたのに。あと池島ゆたかが、「オープン・ザ・プライス」の声と百万円札の肖像。忘れてた、ミクのパーソナリティーに何気に大きな影響を及ぼす、おりことは対照的に性に抑圧的なミク祖母は松井理子の二役。
 ODZに忙殺されたデジタル元年に対し、ローテーションに復帰した感のある池島ゆたか2016年第一作。古めかしい主演女優のと、口を開けば開いたで加速して素頓狂な鶴田雄大の口跡、ついでに随時カムラが詠む他愛なくすらない詰まらん川柳は御愛嬌に、晩熟なヒロインが、魅惑のラブハウスで淫欲を花開かせる展開は如何にもピンク的。オトヤとリョウの指南―その前にカムラも―を通して目覚めたミクが、当然といへば当然だが恨みを買つた大家―ミクを称してバイオレンス・バージンといふのが笑かせる―の撃退込みで、大竹とヨリを戻す結末は案外鉄板。結局傍観者のポジションに落ち着いたおりこが、正しくヤリ残した肉の飢ゑをミクを通して解消する話が何処かにケシ飛んでゐる点に関してはこの際さて措き、何はともあれ、ムッチムチにクッソエロい川越ゆいの肢体を、かなりエグく狙つた濡れ場が何より出色。恐らくは確信犯的に薄い物語は形だけ流した上で、十分嵩の増えた尺をひたすらに費やし女の乳尻―川越ゆいの場合は特に尻―を観客の股間に刻み込む。その、至誠とさへ讃へ得よう逆説的にストイックな姿勢は、ジャスティスの強度を以て麗しい。大蔵的には、あれでプラスまで踏まへた対一般層の弾としては企図通りに機能してゐるのか、榊英雄辺りの伊達で裸映画を撮る手合には今後も継戦するつもりならば、一度池島ゆたか―か浜野佐知―の現場に参加して叩きのめされる、もとい修行して来て欲しい。あるいは、選りにも選つて清水大敬のところに行き、とりあへずローションをヌルッヌルに塗りたくる斜め上のメソッドを覚えて来てしまふか。


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 「夜のOL 舌なぶり」(昭和56/製作:獅子プロダクション/提供:東映セントラルフィルム株式会社/監督:宗豊/脚本:宗豊/製作:沢本大介/撮影:笹野修司/照明:斉藤正明/音楽:芥川隆/編集:酒井正次/助監督:西田洋介/監督助手:片岡修二/撮影助手:下元哲/照明助手:田畑功/現像:東映化学/効果:ムーヒーエイジ/出演:朝霧友香・萩尾なおみ・高橋浩美・岡田尚美・源明・木戸浩二・出口修一郎・千葉健一・高円寺聡・森一夫)。出演者中、出口修一郎・千葉健一・高円寺聡は本篇クレジットのみ。逆にポスターでは、朝霧友香に―何故か―特別出演特記がつく。提供の東映セントラルフィルムは、実際にはエクセス。
 提供クレジットと三角マークとタイトル開巻、バスタブ一杯の泡風呂で戯れる、朝霧友香のイメージ・ショットが暫し続く。明けてドナ・サマーがガンガン流れる騒々しい酒場、浮かれ踊る男女を余所に、篠田敦子(朝霧)は一人カウンターで黄昏る。何はともあれ恐らく、朝霧友香のアンニュイ系の美人ぶりは人類が雑滅するまで時代を超える。プロトタイプレーシングカーのレース映像なんて藪蛇に挿んでみたりなんかして、敦子が店にかゝつて来た電話で別れを告げられる一方、一見如何にも楽し気に見えた宮下(森)も、妻の友子(萩尾)と店で別れる。看板で追ひ出された敦子に、追ひ駆ける形で宮下が接触。「夜つて暗いんですねえ」だとかクソみたいな会話からカット跨ぐと、ベッドの上で大絶賛エッサカホイサカの真最中。簡潔の内側を更に抉る―如何にも量産型娯楽―映画的な繋ぎ、あるいは質量がマイナスに突入する軽やかな関係性が堪らない。
 配役残り木戸浩二が、敦子のレーサーの夫・達矢。レーサー要素に関しては、散発的にレース映像が挿み込まれる以外に欠片たりとて意味はない。神など宿るものか宿すものかといはんばかりの些末が、ある意味清々しくもある。高橋浩美は、達矢が一方的に入れ揚げる新しい女・ひろみ。ビリングが妙に高い源明は、敦子を犯した男・山本らしい。岡田尚美がひろみのズベ公仲間まではいいとして、本クレのみの男優部三人には正直手も足も出ない。内二人は最終的にひろみ・岡田尚美と乱交に突入する暴走族にせよ、もう一人は友子を犯した男なのか店に友子を迎へに来るグラサンなのか、それともバーテン辺りなのか。
 第二弾「武蔵野夫人の唄 淫舞」(昭和53/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/主演:北乃魔子)が地元駅前ロマンでは二週目に入つたタイミングで八幡は通称前田有楽に着弾した、今年になつてエクセスが回し始めた東映ナウポルノの復刻第一弾。宗豊といふのは誰かが覚えてゐないと誰なのか最後まで判らない複数人による共用名義で、一応昭和56年最終第六作。因みに次作は、関根和美の愛妻・亜希いずみも出演する「夜のOL 名器密猟」。毒を喰らはば皿までと、エクセスは「名器密猟」も回して呉れまいか。未知の新作と未見の旧作との間に特段の差異を認めない立場にとつては、かうして今までなら普通に生きてゐる限り逆立ちしても観られなかつた映画が、ネットか何かで見るどころか小屋に来て呉れるのはひとまづ猛烈に有り難い。映画自体が違ふゆゑ単純な比較は許されないのかも知れないが、駅前のプロジェク太では御愛嬌だつた画質が、結構いい機材を入れたと思しき我等が前田有楽の映写ではそこそこ以上の画で、軽く驚いた。DVDとはいへ原版は、それなりの形で焼いてゐるのではなからうか。
 中身といふほどの中身もない映画の中身に話を戻すと、スローモーションとソフトフォーカスを臆することなく多用するイメージか回想を乱打する前半は、強姦された妻を受け容れられなかつた夫と別れた女と、強姦された妻を受け容れられずに別れた男とが出会ふ歪んだ世界観にクラクラ来る。一山幾らのダメ人間に、世界の命運が託される凡百の勇者譚の方がまだマシだ。対して後半は、達矢をハクく袖にしたひとみが、仲間と派手にセックスしてるかと思ふと、出し抜けか闇雲な暴走族の暴走ショットに、グルッと一周して無常観すら漂はせクレジットが流れ始める。物語といふほどの物語もなく直截にいふと面白くも何ともないが、男優部が個性にも華にも何もかも欠く反面、朝霧友香の絶対美貌から威勢のいい岡田尚美のオッパイまで女優部は充実し、昭和の匂ひのする裸映画としてひとまづ楽しめなくもない。但し、今作はそもそも、別々の二本の映画を無理から編集で繋げでつち上げたとかいふ噂もあり、となると要は基本的には電話越しに朝霧友香に木戸浩二を接いだ力技の一点突破ともいへ、寧ろ案外な離れ業にも思へて来るのは、当方の脳髄が桃色に煮染められた気の所為かもしくは迷ひか。

 最後に、スースーしさうな効果クレジットに関しては、本篇ママ。


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 「武蔵野夫人の唄 淫舞」(昭和53/製作:ユニバースプロ/提供:東映セントラルフィルム株式会社/監督:渡辺護/脚本:高橋伴明/企画・製作:向江寛城/撮影:笹野修司/照明:森久保雪一/音楽:飛べないアヒル/編集:田中修/助監督:成田裕介/監督助手:鈴木敬晴/撮影助手:長井勝人/照明助手:柏城志朗/スチール:田中欣一/録音:東映撮影所録音部/現像:東映化学《株》/出演:北乃魔子・梓流香・椙山拳一郎・鶴岡八郎・下元史朗・永田道子・大塚淳子・東あき・久保今日子・波田夏樹・村上久子・橘美誇・豊島六郎・堺竜次・鈴木英雄・杉佳代子)。出演者中、梓流香・永田道子・大塚淳子・波田夏樹・村上久子・橘美誇・堺竜次・鈴木英雄は本篇クレジットのみで、逆にポスターには名前の載る川口朱里と藤俊介が本クレには見当たらない、誰なんだ藤俊介。更に椙山拳一郎と下元史朗が、ポスターには杉山挙一郎と下元史郎。よくあるパターンともいへ、出入り含めフリーダム過ぎる。企画と製作の向江寛城は向井寛の、出演者中豊島六郎は渡辺護の変名。提供に関しては、実際にはエクセス。
 普通に三角マーク開巻、料亭か何かか、和風の邸宅から川口朱里が出て来る。但し川口朱里の名前は本篇クレジットに見当たらないゆゑ、限りなく確信に近いビリング推定で梓流香といふのが、川口朱里の別名義か。一方、四日間家に帰つて来ない夫・佐藤裕介(椙山)のスナップを前に、ナミコ(北野)が悲嘆に暮れる。ところに、裕介の妹で、客に朝まで捕まつてゐた女子大生ホステスのマリ(梓)が訪ねて来る。ところにところに、警察から裕介が自殺した旨の電話が着弾、ナミコが愕然としてタイトル・イン。
 小田原湯本の現場に入つたナミコは、刑事(豊島)から裕介が心中したことと、女は助かつたこととを聞く。漫然と沈むナミコに、ユリは死に損じたか生き残つた女・タケダユミコ(杉)が水商売の女で、ケロッと店に出てゐる事実を告げる。ナミコは佐々木裕子と名前を偽り、ユミコの店で働き始める。
 配役残り下元史朗は、ユミコの店のバーテン。遅ればせながら今回初めて気がついたのがこの人、調子を外して歌をがなる声が凄くサマになる。鶴岡八郎は客としてマリに垂涎する、裕介生前の上司で営業部長の大林オサム、実はユミコに店を持たせたパトロンでもある。ここから先は火に油を注いで雲を掴むがポスター掲載推定で東あきと久保今日子が、裕介とユミコが心中したホテルの竹村祐佳似の仲居と、交通事故に遭ひ左足を骨折したユミコが入院する玉井病院の、岸辺シロー似の看護婦か、何れが何れかは知らん。残りはホステスが五人もゐたかなあとは疑問を残しつつ、大体ユミコの店の店内要員―ほかには豊島刑事の連れの駐在―だと思ふ。
 東映セントラルフィルム(昭和52‐昭和63)が主に獅子プロ(ex.ユニバースプロ)に外注する形での、成人映画レーベル「東映ナウポルノ」。今年になつてエクセスが回し始めた東映ナウポルノの、第一弾「夜のOL 舌なぶり」(昭和56/監督・脚本:宗豊/主演は朝霧友香でいいの?)は、勿論網を張つてゐたので確か素通りした筈の地元駅前ロマンに、「舌なぶり」が八幡は通称前田有楽に来るのと同じタイミングで―厳密には駅前は二週間番組のため一週早く―着弾した第二弾。因みに渡辺護的には、昭和53年全十四作中第七作。幾度と繰り返した雑感で恐縮でもありつつ、量産型娯楽映画が、本当に量産されてゐた時代が麗しい。
 何気に実に凡そ四十年後ともなる今の目からすると、正直真綿色したシクラメンほど清しくモッサリした主演女優の容姿に連動するかのやうに、サクサク懐に飛び込んでおいて、前半復讐譚の足取りは遅々と特段進みもしない。リベンジャーの相を隠し、ナミコ改め裕子が病室でユミコの介護に当たる辺りから、漸く重い腰を上げ始めるものの、直截な話北乃魔子と杉佳代子がパッと見ではどちらが実年齢が上なのか全く判らない中、少し前の泥酔したユミコを介抱するナミコが、杉佳代子の体を捕まへてこの醜い体と心中罵つてみせるシークエンスは、画面(ゑづら)的に甚だしく成立に難い。ところがモタモタ仕事をしないヒロインに対し、川口朱里が飛び込んで来るどんでん返しが切れ味鋭く決まる。決まつたかに、一旦は思へ。その時点で文字通り十二分余した尺で蛇に足でも付け足す気かよと思ひきや、杉佳代子が点火する二段目のロケットが土壇場で噴射。依然といふか矢張りといふか、相変らずポケーッと気の抜けたラスト・ショットではあれ、鮮やかな幕引きはクリアな後味を残す。


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