真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「兄嫁の肌は熱く甘く」(2011/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢☆実/脚本:佐倉萌・国沢☆実/撮影:小山田勝治/音楽:因幡智明/録音シネキャビン助監督:小川隆史/撮影助手:海津真也/撮影助手:原伸也/撮影助手:関将史/現場応援:佐藤吏/現場応援:加藤学/スチール:本田あきら/ネガ編集:有馬潜/音響効果:梅沢身知子/フィルム:報映産業/現像:東映ラボ・テック/出演:灘ジュン・伊沢涼子・水井真希・久保田泰也・村田頼俊・丘尚輝・石川雄也)。出演者中、丘尚輝は本篇クレジットのみ。
 子守唄か、眠る石川雄也を膝に抱いた灘ジュンが、鼻歌を歌ふ。タイトル挿んで、明け方まで客に粘られた、終戦感漂ふバー。疲労困憊のマスター・片瀬慎一(久保田)はカウンターにつゝ伏して眠る、従業員兼彼女の柏木里奈(水井)を起こす。里奈から求められた慎一は一旦応へかけるも、結局事を中断すると鍵を投げ寄こし店を後に。「クソッタレ」と、里奈は板につかない悪態をつく。朝つぱらから、バイブも持ち出した夫婦生活を短く噛ませて、慎一の兄・圭一(石川)が、妻の未歩(灘)に見送られ家を出る。出勤する圭一と、一仕事終へた慎一とが擦れ違ふ。平然と構へる兄に対し、何故か微妙に狼狽する弟の姿を錯綜する細かく刻んだカットで捉へた後、別れ際の圭一は、一転俄に表情を凍らせる。後に一箇所、半年前に台詞がブレるやうなうろ覚えも残しつつ、三ヶ月前の交通事故より復帰した営業課長である圭一を、よしんば同期にしてもタメ口で接する中野(村田)や、休職期間中見舞ひと同時に甲斐甲斐しく仕事上のフォローに回つた、脇坂康子(井沢)が歓待する。国沢実ではなく丘尚輝(=岡輝男)が、ここでの黙したまゝ半分程度しか見切れない同僚要員。一方、兄宅の方の片瀬家。堂々と自分の家かのやうに上がり込んだ慎一は、あらうことか未歩を犯す。回想パートへの無造作な侵入と、主演女優の印象の薄さに起因するものか。あるいは単に、映画脳の未発育を臆面もなくひけらかすに過ぎないのやも知れないが、ともあれどうにも繋ぎが渾然としてゐるやうに覚える前半部を大雑把に整理すると、初登場時から観客には露な想ひを寄せる康子と、圭一は一足飛びに接近。距離を埋め難い慎一に対し、里奈が次第に鬱屈を凶暴にすら募らせる中、衝撃、あるいは悲劇的な事実が明らかとなる。レイプの形を通して重ねられる未歩と慎一の関係はそもそも、事故により男性機能を喪つた圭一から、元々義姉に性的関心を持つ弟に持ちかけたものであつた。歪んだ愛憎に拍車をかけるのも通り越し止めを刺すかの如く、未歩は妊娠の兆候を示し、里奈は慎一と未歩の逢瀬を知る。
 脚本に佐倉萌を迎へた国沢―そろそろ久し振りに、☆以外のミドル・ネームも見たい。ミドル・ネームなのか?それは―実2011年第一作は、だからといふのもあまりにも平板な物言ひに過ぎるやうな気もしないではないが、登場する人物模様の濃淡に性別のムラを感じさせる不発作。里奈が追ひ込まれる凶行は、そこに至る過程がひとまづは十全に積み重ねられる。出し抜けな康子のそれは、伊沢涼子の決定力頼りでどうにか押し込めぬでもない。反面、全般的に絞り込まれた風情が従来の弛緩した印象を覆す久保田泰也は光るものの、冒頭の交錯ショットでは確かな緊張を叩き込んでもみせた、片瀬兄弟に関してが手数だけは潤沢ながら、立ち位置の深化は一向に感じさせない。両義的に間際の凹に即応するかの如く凸は、映画的な趣向として面白く映つたが。加へて、本来ならば今作を背負ふべき灘ジュンが如何せん心許ないとでもしかいひやうがなく、ただでさへ堂々巡りに近い求心力不足の展開に、重ねて火に油を注ぐ。前半と後半とで様相を大幅に変化させる始終を、先行した片瀬兄弟を里奈と康子が猛追する主導権争ひと解するならば、一人お留守のビリング・トップがぽつねんと蚊帳の外では、ただでさへ煮え切らないお話が纏まらう筈がない。そんな灘ジュンをアテレコする佐倉萌の、声色の抑制ぶりからも窺へるのか始終抑へ気味のトーンは、悲劇、ないしは惨劇的なラストを際立たせる仕立ての戦略的選択であるのかも知れない。然し度重なる繰り返しも憚らずにいふが、私見では国沢実の場合下手に引き技を見せると、よくいへば繊細さ直截には内向性が禍(わざはひ)し兎にも角にも仕上がりが仕方なく燻つた、如何とも喰へない代物にしか現になり得ないのではなからうか。もしくは重みに欠けるゆゑ、オフ・ビートがただの非力さにしか見えない。怒涛の煽情性が爆裂する、豪腕エロ映画を撮る口でもない以上、能天気で可愛らしいポップ・チューン、それ以外には、国沢実の映画が拓けて来る可能性が、十年来追ひ続けても来てゐる一節穴としては見当たらないものなのだが。一言で事済ますならば、多義的に抜けない一作、タイトルはロマンティックなんだけどな。

 備忘録<慎一は里奈に、圭一は康子にの兄弟刺殺エンド


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 「密猟・成熟した母娘」(1998『不倫妻 密猟名器』の2007年旧作改題版/製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:大門通/脚本:有馬仟世/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:佐藤文男/照明:小野弘文/編集:金子尚樹/助監督:加藤義一/製作担当:真弓学/ヘアメイク:住吉美加子/監督助手:近藤信子/撮影助手:西村友宏/照明助手:平井元/出演:相川かおり・麻生みゅう・中村京子・久須美欽一・平賀勘一・杉本まこと)。
 主演女優の颯爽とした出社ショットを噛ませて、リンチ国際証券会社。高額契約を申し込む電話を受け取つた会沢美紀(相川)は、今月も自身がトップの成績グラフをこれ見よがしに書き足す。向かひの席―左隣には、加藤義一が見切れる―の上田夏子(中村)に秘訣を尋ねられた美紀は美貌と強要もとい教養を、アグレッシブな馬面で誇る。所変りラブホテル、美紀の娘で女子高生の有貴(麻生)と、住愛銀行融資部長の榎本則雄(平賀)との援交風景。残り二人がアレなので、初々しい麻生みゅうが異様に輝いて見える。事後、有貴は榎本の札入れから、名刺を失敬する。定吉ならぬ母子二人きりの夜の会沢家、帰宅した有貴から、榎本から得たその日の上がりと名刺を至極自然に受け取つた美紀は、都市銀行大手重職の肩書に目を輝かせる。全世界を震撼させ得る超巨大なツッコミ処に関しては、ここで躓いてゐると話が先に進まないので一旦通り過ぎる。美紀と有貴が夕食を摂つてゐると、井上春彦(久須美)からの電話がかかつて来る。井上は鎌田の町工場を潰した美紀の元夫有貴の父親で、抱へた債務から妻子を守る為に偽装離婚、目下非大絶賛逃亡中の身であつた。ところで、後々明らかとなる井上の債務額は三千万。母娘の二人住まひにしてはダダッ広い二階建ての戸建に暮らす会沢家の暮らしぶりから無責任に窺ふ分には、美紀の稼ぎで何とかなりさうにも思へるのだが。ともあれ翌日、榎本を急襲した美紀は脅迫がてら実際の台詞ママで“極上の親子丼”もちらつかせ、計二万ドルの証券契約を捥ぎ取る。首尾よく榎本を撃破し、今度は霞ヶ関の役人がいいだなどといふ明後日な話題に母娘で花を咲かせるところに、ヘタレ故飯場を逃げ出した、井上が転がり込んで来る。三人が再会を喜ぶ一方、債権取立てを専門とする弁護士の奥山金三(杉本)が、井上の気配を嗅ぎつけたのか暗躍する。杉本まこと(現:なかみつせいじ)の、黒いハンサムぶりが堪らない。奥山の接触を受けた夏子は、仕事上の妬みもあり俄然発奮、美紀の向かうを張る、枕営業を奥山に仕掛ける。未だ全盛期の中村京子の文字通りの爆乳が、全く眼福眼福。
 休日か、美紀と井上が呑気にワインを愉しむ―だから借りたものをまづ返せ―昼下がりの会沢家を宅配便の配達を偽り襲撃した奥山は、ベランダに姿を隠した井上を燻り出すべく、トランクに何故か常備する淫具も駆使し美紀を陵辱する。不法侵入に婦女強姦と実に無法な弁護士ではあるが、以降の元井上家が俄に結束を固める頓珍漢な家族リベンジ物語や、クライマックスの無造作極まりないハニー・トラップの前には、奥山の非道なんぞ可愛い瑣末に過ぎまい。借金未返済と児童虐待と売春、それぞれの脛の傷は棚に上げ、井上と美紀と有貴は井上の会社が倒産した結果失はれた、以前のマイ・ホームを取り戻すべく一致団結。それ、現在の住人はどう追ひ出すつもりなのか。兎も角今度は自ら奥山を自宅に誘き寄せた美紀は、夏子に遅れを取る肉体接待を展開、一笑に付されたところに、有貴帰宅。着替へも入浴も事実上公開した上で、まんまと喰ひついた奥山に、美紀は有貴を差し出す。どんな、あるいは何て遣り手婆だ。最終的には、一応抵抗してみせる有貴を手篭めにする奥山に、井上が証拠用のビデオを向ける。改めて開いた口の顎を外すと、娘の性を売る母親、斯様に犯罪的な悪女をヒロインに据ゑた、あれこれ苦労しながらもハッピー・エンドに辿り着く陽性の家族物語。一見他愛ないルーチンに偽装した、欧米市場への輸出は絶対に不可能なアナーキーな問題作。といふのは、為にする滑らせた筆であることは、この期にいふまでもなからう。とまれピンクの御旗の下に、如何に底の抜けた無茶といへど驚異的にすんなり通してみせる大門通の魔術。ある意味でも別の意味でも逆の意味だとて、名匠の名に値しよう。一点頂けないのが、所々で井上の口に上らせる中途半端な時代認識は、大門通のスマートな娯楽性にはそぐはなく映る。

 旧版を踏襲してポスターに踊る惹句が奮つてゐる、“証券レディーの下半身もビッグバン!”。今新版の公開翌年には、リーマン・ショックも起こる訳だが。


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 「ザ・欲望産業 思ひつきり出して」(1990/製作:新東宝映画株式会社/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:夏季忍/撮影:稲吉雅志/照明:田端功/編集:酒井正次/助監督:広瀬寛巳/撮影助手:片山浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:橋本杏子・石川恵美・早瀬瞳・加賀恵子・芳田正浩・南城千秋・久須美欽一)。脚本の夏季忍は、久須美欽一の変名。照明の田端功が、ポスターには何故か守田芳彦。演出と照明部セカンドは落としたのでなく、実際存在しないのか元々クレジットレス。
 どうやら近親相姦の領域に突入したマザコンを拗らせ新婚早々も早々初夜に躓いた、矢田(南城)からの哀願そのもの―南城千秋得意の、泣き口上が軽快に火を噴く―の相談電話も取らずに、セックス・カウンセラーのドクター黒木(久須美)はデスクの下に潜らせた、事務員・サキ(早瀬)の尺八に悶絶する。開巻を飾る一戦を交へた黒木は、一息つく間もなく郊外の千代(石川)宅へと向かふ。自身を“三分間我慢する”カップラーメンの女になぞらへる千代の悩みは、“三分間経つとイッてしまふ”ウルトラマンの男と揶揄する夫で農夫の与作(芳田)との、前戯といふ概念の存在しない不毛な夫婦生活。千代がパイパン設定である訳ではない、それは無毛な夫婦生活ではないのか、黙れ。義憤に駆られた黒木は拘束した与作の前で、後にサキも矢田に開陳する、久須美欽一一流の女を悦ばせるテクニックを披露しつつ千代を絶頂へと導く。偶々現場でメガホンが乗つて来たものか、表面的なビリングには違(たが)へ久須美欽一が怒涛の絡み四冠を達成する闇雲の中でも対石川恵美戦に、最も尺が割かれる。さういふ実勢を反映してか、新版ポスターに際しては石川恵美の名前が先に来てゐたりする辺りは、地味に心憎いところである。続けてその夜の内に、黒木は橋本杏子―呼称されないゆゑ役名不明― 宅に出張二連戦。橋本杏子が抱へる問題は、全く登場しない亭主が一応抱いて呉れはするものの、頑なに挿入しようとはしない不条理。それもその筈劇中橋本杏子は広大な観音様の持ち主で、巨根自慢の黒木も、入れたかどうだか判らず閉口する。然し、妙にスピリチュアルな方面に振られるキャラクターまで含め、橋本杏子は逆に酷い扱ひではある。翌日か、所変つて主不在の黒木の事務所では、アポも取らぬまゝ訪れたと思しき矢田をサキが喰ふ。矢田も掃けた事後戻つて来た黒木は、矢継ぎ早に長谷川(加賀)宅へと向かふ、矢鱈と出張仕事の多い男だ。道すがら、黒木は雲行きに不安を感じる。一方、長谷川は夜の営みの御無沙汰から生じる、便秘に苦しんでゐた。それ、関係あるのか?と疑問に苦しむほかないが、手洗ひにて苦悶する加賀恵子の歴史的な迷台詞に曰く、「どうして SEXしないと、ウンコが出ないのかしら?」とのこと。流石は久須美欽一、あまりにあんまり過ぎて感動しかねない。
 意図的に一息にトレースしてみたこゝまでで、実は全篇のほぼ八割強。そこからの映画の畳み際が、色んな意味で凄まじい。例によつて、カウンセリングと称した直截には濡れ場の真最中、黒木に跨つた長谷川が激しく腰を使ふタイミングで、何気に伏線も噛ませた直下型巨大地震が関東一円を襲ふ!撮影部×演出部×俳優部、三つの歯車が強力に噛み合ひ限りなくノーに近いロー・バジェットもものともしない、超迫真の地震描写で黒木と長谷川を始め矢田以外の面々がそれぞれ慄く、その人幕だけ掻い摘めば一般の水準と並べて何ら遜色はないディザスター・フィルムをしつかりと見せた上で、結局はそのまゝ、久須美欽一の“オー・マイ・ゴ~ッド!”のシャウトと共に終を叩き込む文字通りの強制終了。満足なストーリーらしいストーリーも終に前髪すら拝ませては呉れず仕舞ひの内に、あちらこちらと出張つてばかりの黒木が行く先々で顧客を抱いては、合間に従業員すら頂く。正しく久須美欽一の久須美欽一による久須美欽一のための一作とでもしか評しやうのない始終が、挙句に振り逃げならぬ揺り逃げする様は別の意味で圧巻。尤も、一人くらゐは巨乳担当を配して欲しかつた気持ちも残しつつ、容姿の美しい女を綺麗に四枚揃へた四本柱には穴が全くないので、何だかんだいひながらも十二分に楽しめはする。そもそも、ザ・欲望産業を謳ひながらいはゆる射精産業のフィールドが舞台ではなく、セックス・カウンセラーが主人公である点にも拍子を抜かれかけるが、よくよく考へてみるまでもなく、黒木の行つてゐる業務いへば要は出張“逆”ヘルスと何ら変りはない、と思へば変則的に納得出来なくもない。


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 「トリプル不倫 濡れざかり」(2011/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/脚本・監督:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:金沢勇大/スチール:小櫃亘弘/編集:有馬潜/録音:シネキャビン/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:榎本靖/監督助手:市村優/応援:新居あゆみ/選曲:山田案山子/効果:東京スクリーンサービス/現像:東映ラボ・テック/協力:ペンション花宴/出演:水沢真樹・舞野まや・山口真里・なかみつせいじ・天川真澄・竹本泰志・牧村耕次)。
 贅沢極まりなくも気もそぞろな村上真司(なかみつ)と、妻・マミ(山口)の夫婦生活。貪られるかのやうな事後、真司がポツリと洩らす「さくら・・・・」といふ呟きに合はせて、各人が微妙に似てゐたり似てゐなかつたりするアバター風イラストに彩られたタイトル・イン。
 舞台はドーンと移り、伊豆大室高原の旅荘「なごみ」。となると、当然御馴染み花宴ロケである点は、改めていふまでもなからう。「なごみ」の現況は、雨漏りのする屋根を自分で直さうとした管理人の寺島新蔵(牧村)が、落ちたのか左足を骨折してしまつたため、娘のさくら(水沢)が仕事を辞め帰郷、事実上一人で悪戦苦闘しながら切り盛りしてゐた。ここで、三人見切れる宿泊客要員の内、仏頂面の所以か、思ひのほか老けて見える関根和美も兎も角、妙に中高年層の残り二人は不明。折角映るのだから、もう少し楽しさうにしてゐればいいのに、といふ不審な不満は残る、娯楽映画だぜ。そんな「なごみ」に真司が現れ、さくらを驚かせる。真司はさくらの元同僚兼不倫相手で、家庭を捨てたついでに会社も辞め、伊豆までさくらを追ひ駆けて来たものだつた。忽ち一悶着起こる玄関口に姿を覗かせた新蔵を、真司は言葉巧みに言ひ包め、といふよりはよくいへば虚構的なその場の勢ひで、さくらは穏やかではない「なごみ」に住み込みの形で転がり込むのに成功する。気が気でないさくらは眉を顰める傍ら、真司はポップにハッスルしとりあへず順風な「なごみ」には、旅宿ブログでも運営してゐるのか、メモを取り取り仔細を偵察する怪しげな一人客・吉岡保(天川)が宿泊してゐた。真司はガラス戸にへばりつくに止(とど)まるさくら入浴×床の中でのさくら一人遊び×そこに真司が仕掛ける夜這ひと、水沢真樹の流麗な裸三連撃を経て、今度は「なごみ」をマミが訪ね、真司を震撼させる。真司も真司ならばマミもマミ、実は吉岡はマミの不倫相手で、離婚を有利に進める目的で「なごみ」に潜入した、いはゆるスネークであつた。ここは順当に山口真里と天川真澄の絡みも噛ませた上で、真司には秘かに二人の関係を知つたさくらは、風呂場でマミを捕まへ裸の直談判、自身の預貯金三百万で手を打つ旨了承させる。結婚期間諸々の条件にもよらうが、意外とお手頃感もするのは気の所為か。ともあれ、話がつくやその夜の内に、マミも吉岡もチャッチャと伊豆を離脱。マイナスがゼロに戻る程度には、ひとまづ一件の落着した中、ジャンル映画的には心中客にしか見えない沈んだ風情の、岩崎絵里花(舞野)と岸谷透(竹本)が来伊あるいは来豆、「なごみ」に逗留する。因みに、通された部屋にて事に及ばうとする岸谷を驚かせる、絵里花の左上腕を覆ふ大きな鯉の刺青が、一週間経つと消える云々といつた正直正体不明な不要の遣り取りは、実際にはフェイクではないゆゑの正しく苦肉の策。公開は一ヶ月強前となる、松岡邦彦の「罰当たり親子 義父も娘も下品で結構。」の時には、確かも何もこんなものなかつた筈なのだが。
 昨年来俄に伊豆づいてゐる、関根和美の2011年第一作。山口真里と天川真澄が今生ならぬ今作の別れと退場し、一旦物語がリセットされたかに思へたところで、結果的には感動的に出番の軽い竹本泰志を伴なひ舞野まやが登場した際には、濡れ場の回数でいふと実質三番手が、画期的に木に竹を接ぎにやつて来たよ、と激しく頭を抱へかけた。とはいへそれは、ファンを自称しながら関根和美のことを殆ど信用してはゐなかつた、小生の申し訳ない早とちり。予想外の絵里花の出自を飛び道具に、前半部分の伊豆映画を万全の強度でイイ話に畳み込む老練の力技には正方向に吃驚させられると同時に、稀に振り抜かれる関根和美の地力に感服した。舞野まやの静的な決定力も利した、正しく藪から棒な急展開は牧村耕次の円熟で中和しつつ再加速、最終的には何処まで行つても不倫は不倫でしかないものを、基本呑気なコメディの要所要所で積み重ねた一幕一幕も軸に、あたかもストレートな純愛物語かのやうに纏め上げる話法の魔術。何時の間にか、牧村耕次となかみつせいじを向かうに回し、一本の映画を主演女優として堂々と背負ひ得るに至つた水沢真樹の進境も著しく、足を固められた新蔵は大きく動けないことから比較的おとなしめの牧村耕次に対し、ハチャメチャ方面に一騎当千の大暴れぶりを弾けさせるなかみつせいじが絶品。間際で潜んでゐた扉を不意に開けられ派手に頭を打つコッテコテのギャグには、何度観ても大笑させられる。伊豆映画は伊豆映画でも、豊潤で高水準の伊豆映画。単に、期待度の低さがもたらす錯覚ではないのか、などといふ自省に辿り着くのは禁止だ。

 相変らずな情けない付記< ブログ「BATTLE BABES HC」主宰のSHIN氏に、ツイッターを通して御教示頂いたところによると、舞野まやの左上腕を覆ふ大きな鯉は、「罰当たり親子」に於いてもバッチリ映り込んでをり、因みに撮影時期も、公開は後の今作の方が先とのことである。百歩譲つて撮影順に関しては兎も角、斯くも度派手なものをケロッと見落とした己の節穴ぶりは、全く以てお恥づかしい限り

 再見に際しての再付記< 宿泊客要員の中に関根和美ゐないね


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 「尼寺夜祭 おしやぶり修行」(2002『尼寺の艶ごと 観音開き』の2011年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢二/編集:酒井正次/スチール:佐藤初太郎/助監督:加藤義一/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:石井拓也/効果:中村半次郎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/出演:君島真琴・河村栞・佐倉萌・入江浩治・柳東史・丘尚樹・岡田謙一郎)。出演者中、丘尚樹は本篇クレジットのみ。
 新田栄の尼寺映画といふと、御馴染み大成山愛徳院、ではなく今回は満光寺。厳密には“今回と”といふべきなのか、必ずしも正確ではないかも知れないが、調べてみたところどうやら今作と、四作後の「尼寺の後家 夜這ひ床枕」(2003/主演:武藤さき)二作の舞台が、ポカーンと満光寺であるやうだ。庵主・浄心(君島)の婦人科検診に、町医者の木村亀吉(岡田)が満光寺を訪ねる。乳も診れば観音様も―模型にクスコを差し込み内側からすら!―拝む、桃色に本格的なお医者さんゴッコ、もとい診療行為を経て、亀吉はさんざ逡巡しながらも、憚りのない悩みを浄心に打ち明ける。女房(一切登場せず)が隣町の大病院に入院して以来、許可を得たとはいへ狭い町―満光寺は、どうも水上荘近隣―ゆゑ風俗に行くのもまゝならず、直截にいふと溜つてゐるといふのだ。すると、頬のひとつも赤らめるでなく、浄心は意外と若い肉体を仏の慈悲で亀吉に任せる。嗚呼有難や有難や、投げやりな与太は兎も角、主演女優の君島真琴。お芝居に於いては軽やかに地に足が着かない反面、首から上下の総合的に、橘瑠璃と麻田真夕を足して二で割つたやうな風情は、二十一世紀に突入してなほ新田栄が度々繰り出すエクセスの惨劇も免れるどころか、珍しく十二分に戦ひ得る。嗚呼有難や有難や、仏恩報謝の念仏なんぞ、柄にもないけど。といふか、冷静になつてみるに至極当たり前の商品性でしかない。何を一々喜ばねばならぬのか、これぞ因果な世界である。
 浄心と亀吉のイントロダクションを担ふ開巻の君島真琴×岡田謙一郎戦を経て、薄汚れたライトバンを転がす米倉杏子(佐倉)が、ヒッチハイカーの伊納辰也(入江)を拾ふ。いはゆる自分探しの旅の途中と称する伊納は、そのまま田舎の人の親切に甘んじ、未亡人である―強ひて譬へるならば柳沢慎吾似の、遺影スナップの主は不明―杏子に家まで招かれ一杯御馳走になる形に。因みに米倉家は、「夜這ひ床枕」に登場する、こちらは亭主が出稼ぎ中の主婦・松下恵(小川真実)宅と同じ物件。当然の如く、あれよあれよと一戦交へ、事後満ち足りた眠りから目覚めた杏子は愕然とする。荒らされた室内に、既に伊納の姿はなかつた。即ち、わざわざ家に上げた胡麻の灰にまんまとしてやられたのだ。盗みの過程で佐倉萌も喰ふとは、なかなかの名盗なり。続いて、お宝目当てに満光寺に忍び込んだものの、大したブツも見当たらず。挙句浄心に見咎められてしまつた伊納は、その場の出任せで今度は寺を研究する大学生を偽り、暫く逗留する格好に。実にフットワークの軽い、男子禁制ではある。そんな底の抜けた満光寺に、更に三人目の男が現れる、いゝ加減にしろよ。浄心の妹・近藤かの子(河村)が、婚約者の坂口正和(柳)を紹介するために満光寺を訪れる。かの子を間に挟み、浄心と坂口は秘かに驚愕する。それがそもそも俗世を捨てた原因でもあるのだが、出家前の浄心と、坂口は不倫関係に―現在の坂口は離婚済み―あつたからだ。何気に達成される姉妹丼がフィーチャーされこそ全くしないものの、坂口め、この果報者が。
 一見すると右から左に―上から下でも西から東にでも、方向方角は何でも構はないが―六十分が水のやうに流れて行く一山幾ら作に思へ、なかなかどうして、満更どころでは片づかない逸品。無粋も省みない検討を試みると、前述した君島真琴×岡田謙一郎戦に続いて、今度は伊納のイントロダクションとしての佐倉萌 ×入江浩治戦。ここまでで起承転結の承部、次の二手で一手が何気なくも抜群に素晴らしい。柳東史のV.S.河村栞・君島真琴二連戦を通して、ビリングが然程の意味は成すまい二番手を三番手と同様ひとまづ入念に消化すると同時に、ヒロインの立ち位置を一応ともいへ深化させる。そして締めとなる、仏教風味も塗した君島真琴×入江浩治戦。言ひ換へれば二番手三番手の一回づつに対して主演女優は三回目の濡れ場の末に、万事を穏当な着地点に落とし込む。他愛ない何時もの罰当たり企画に見せて、実は形式的にも実質的にも完璧な構成に支へられた、実にスマートな裸映画。決して誇示することのない奥ゆかしくも頑丈な論理性に、無粋は承知の上で喝采を送りたい。新田栄の映画はどれもこれも端(はな)から駄作と断ずるやうな物言ひは、怠惰な思考停止に過ぎなくはなからうか。

 付記< 正体不明の杏子亡夫の遺影について、石動三六氏のWEB日記「石動三六的日常」によると、何と若き日の新田栄であるとのこと。それは流石に判らない、あと丘尚樹を忘れてた。居酒屋にて、木村と差しつ差されつしがてら、満光寺の噂話に花を咲かせる男


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 「神代弓子 ザ・本番ペッティング」(1993/製作:プロダクション鷹/配給:新東宝映画/脚本・監督:珠瑠美/企画:田中岩夫/撮影:伊東英男/照明:石部肇/音楽:MGC/美術:衣恭介/効果:協立音響/編集:井上和夫/助監督:小林豊/主演:神代弓子《イヴ》/出演:浜由美・河合愛・林由美香・木下雅之)。主演の別立ては、本篇クレジットに従ふ。ところでどうでもいいけれど、ペッティングに本番とか擬似とかあるのか?
 脈略も何もかもスッ飛ばし、河合愛とイヴちやんの百合の花香る絡みにて開巻。後述するが、劇中素性の“す”の字も語られずに無駄遣ひされるかよちやんこと河合愛が、不必要にハクい。珠瑠美に十全な語り口を求めるだけ野暮なので、こちらで支離滅裂を能動的に修復すると、ブティックを営む三枝みね子(神代)は、新たなビアンの恋人候補に、行きつけのパブで目をつけた女子大生・吉川愛子(浜)を選ぶ。コロッと愛子を篭絡したみね子がなかなか捕まらないことが、店を資金援助すると同時に半ば愛人としてみね子を囲ふ、御曹司専務の山手祐二(木下)は面白くない。その他方で、みね子は懇意の指圧師・岸けい(林)とも更なる百合の花を咲かせ、一人ソリッドに気を吐く河合愛をやきもきさせる。
 珠節、とでもしかこの際いひやうのない良くなくも悪くも顕著な特徴が、開巻から隈なく全篇を貫く。伴なふべき劇も忘れた不協和音に近い、徒にラウドな、より直截にはノイジーな選曲。妙に回りくどいばかりで中身は上げ底どころかてんでない、話し言葉よりは書き言葉寄りの、あるいは殆どモノに聞こえるダイアローグ。カットの変り際、一々濫用されるフェード。出鱈目な編集の洋ピンを想起させる、ズタズタに映画を切り裂くイメージ乃至は回想の挿入。そして、存在しない物語。全てが紛ふことなき珠瑠美仕事、といふか、よくよく振り返つてみるならばこの人の場合、まるで大量生産される工業製品の如く、各作の仕上がりは人の作るものにしては不思議なほどにある意味安定してゐる、とも一旦はいへる。劇映画としては出来損なつてばかりの品質が、考へもの以前の初期不良であることは、この期にいふまでもなからう。さうはいひつつ、ひとまづ金看板のイヴちやん以下、オッパイの太さが堪らない浜由美。内に秘めるサムシングを感じさせる眼差しの強さに、起用法の不足感を爆裂させる河合愛に加へ、一幕限りの出番に止まる四人目の濡れ場要員末席―満足な起承転結が成立してゐない以上、イヴちやんから全員濡れ場要員に過ぎない、とも当然目し得るのだが―にをも林由美香。対して、全てが清々しく貧しい木下雅之のことはおとなしくさて措くこととすると、薮蛇に充実した面子に支へられ、裸映画的には超強力。どうせどれを観ても大略同じなので、いつそ珠瑠美の最高傑作とでもいふことにしておきたくなる一作。自棄を起こしてゐるのではないと思ふ、多分。山手に犯させてみたところ、味を占めた愛子と日を改めての山手との再戦。少し離れ悠然と眺めてゐたみね子が、「アタシもやるわ!」と二人に近付きかけた背中のストップ・モーションに、「ハハハハハ!」といふ威勢のいいイヴちやんの笑ひショットが、あたかも観客に投げつけた嘲笑かのやうに被さり映画はブツ切りされる。わざわざ3Pを多分章題のつもりで謳つておきながら、巴戦が始まる寸前に“完”といふ未完のエンド・マークが叩き込まれるオーラスに際しては、最早呆れるだけの気力すら残されぬ。用足しだ何事か所用だと度々中座しつつ、ストーリーを追ふことなど実は初めからありはしないことも知らずに諦めた上で、つらつらと銀幕に映し出される女の裸のみを愉しむ。さういふ、一種の悟りに近い高いのか低いのかよく判らない観戦態度が、今作に限らず珠瑠美映画に対する最も適切な対処法であるやうに思へる。女優陣の粒さへ揃つてゐなければ、いつそ嬌声を子守唄に寝てしまへ。
 ただ、一点だけ肯定的に受け取りたいのは。ファンながらイヴちやんはお芝居の方はといふと、終に上達の兆しさへ窺はせなかつたやうなチャーミングな方なので、へべれけな演技には、へべれけな演出。さう捉へる時、これで案外、イヴちやんと珠瑠美との相性は最も映画の神に祝福されたものであつたと、言祝ぐことが許されるのかも知れない。許されなくとも、別に構はないが。

 フィクションの中でも久々に見た気がするが、往来を歩く愛子が着用する紺のブレザーこと通称紺ブレに、そこはかとなく心の琴線をくすぐられる。端的に好きなのだ、流行が復活せぬものか。ベストとしては、勝手に好きでブーム関係なく着てる女   >知らねえよ、黙れ


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 「淫乱貴婦人 止められない不倫」(1992『いんらん不倫妻』の2011年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:わたなべもとつぐ/脚本:双美零/撮影:稲吉雅志/照明:?/編集:酒井正次/助監督:今岡信治/監督助手:国分章弘/撮影助手:斉藤博/照明助手:広瀬寛巳/出演:森下あみい・石川恵美・しのざきさとみ・浜崎優・南城千秋・山本竜二)。助手は拾へたにも関らず、見慣れぬ名前のチーフ照明に力尽きる。少なくとも、エクセス母体の新日本公式にある、田端功ではない。監督のわたなべもとつぐは、勿論現在渡邊元嗣の平仮名名義。
 都心の夜景にザックリとしたタイトルが入るや、即座にラブホテルでの逢瀬。ひとまづ、無駄のない開巻ではある。十九歳の若妻・平野晴子(森下)は、間違つても強くはない旦那との夫婦生活だけでは物足りず、徐々に登場する先輩で遊び仲間の高田美津江(石川)や大町久美子(しのざき)から紹介された男と、一人につき一回のみといふマイ・ルールを一応設けつつも、日常的な火遊びを繰り返してゐた。純然たる男優部絡み要員の南城千秋は、美津江経由のここでの晴子のお相手・今西正。翌日か、晴子が今西の感想を報告する電話をかけた美津江は、久美子が出会つた滅法セックスが上手いとの男にすつかり心ときめかせてゐた。したところに、晴子は抜群のタイミングで久美子からかかつて来た電話をキャッチ。久美子と、噂の性豪・太田浩一(浜崎)との情事を一頻りトレースした上で、慌てて晴子が美津江に通話を戻すと、待ちくたびれるでもなく、美津江は通販で買つたばかりのバイブで自慰に燃えてゐたりなんかする。裸裸また裸、それでも裸なほも裸。誠麗しき、裸映画ではある。くたびれた亭主に新妻が栄養ドリンクを差し出し―実にポップなメソッドだ―求める、晴子と夫・明彦(山本)との夜の営みを噛ませて、一旦話も忘れかけた十日後、首尾よく太田と致した美津江から電話が入る。よくよく思ひ起こしてみると、今作に於いて、劇中遣り取りは全て電話に限られる女優三本柱が、二人以上同一フレーム内に納まるカットは存在しない。長けた性戯の虜となる美津江ではあつたが、未婚者ながら太田も晴子と同じく、一人の女とは一度きりといふポリシーの持ち主であつた。そんなこんなで、遂に晴子が太田と相見える。互ひに相手に心身を奪はれ、太田の方から主義を曲げ再会を求めて来たものの、美津江との賭け―晴子が勝つと美津江お気に入りのバイブ、美津江が勝てば一万円―もあつてか、その場は強ひて固辞した晴子は後日、驚きの対面を果たす。明彦が家に招いた、事前に夫婦の会話中さりげない伏線も投げた新任の有能な部下といふのが、誰あらう太田であつたからだ。
 渡邊元嗣の略し過ぎた略歴を大雑把に踏まへておくと、昭和58年に三監督によるオムニバス作の形で東映セントラルからデビュー。以降は概ね新東宝を主戦場に選びつつ、90年代後半から大蔵映画(現:オーピー映画)にも参戦。2002年以降はオーピーに常駐し、無冠の帝王として顧みられることも殆どないままに、大絶賛現在進行形でローテーションを頑丈に守り続けてゐる。さういふ中、1990年前後の僅かな期間軸足を置きかけてゐなくもなかつた、エクセス作に初めて触れるものである。さうはいへ、実際の出来栄えはといふと。少なくとも現在の目から渡邊元嗣に求めたいエッセンスとしては、高田みづえと大町久美子をもぢつたものと考へて間違ひあるまい、高田美津江と大町久美子といふ石川恵美としのざきさとみの役名以外には凡そ見当たらない。これといつた物語が全篇を貫くでもなく、始終は偏に濡れ場濡れ場また濡れ場、それでも濡れ場なほも濡れ場しかも濡れ場にて埋め尽くされる。厳密に検討すると、尺の支配率が最も高いのは、主演女優も差し措き実は濡れ場三冠を達成する浜崎優ではなからうか。さういふ物理的な劣勢を挽回するにしては、今度は森下あみいにエモーションが稀薄で、その結果ナベ十八番のアイドル映画も不発気味に終る。となると、そこに石川恵美と南城千秋と山本竜二が居ることもあり、殊に、継続的な不倫関係に至つた晴子と太田の情事にやつかむ美津江の、「全くこの、いんらん不倫妻!」といふシャウトが被せられるラスト・カットも観るにつけ、要はわたなべもとつぐエクセス作といふよりは、師匠である以上ある意味然るべき姿といへるのかも知れないが、全く深町章新東宝作のやうな仕上がりではある。

 然しそれにしても、“淫乱”と“止められない不倫”は兎も角、“貴婦人”などといふ発想は一体何処の明後日もしくは一昨日から飛び出して来るのか。いふまでもなく、豪奢な生活レベルに無い袖を振ることもなく、平野家は思ひきりそこら辺の中流家庭にしか見えない。


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 「母娘《秘》痴情 快感メロメロ」(2011/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手:田山雅也/撮影助手:宇野寛之・秋戸香澄/照明助手:八木徹/編集助手:鷹野朋子/協賛:ウィズコレクション/出演:紗奈・藍山みなみ・那波隆史・真田幹也・西岡秀記・津田篤・美咲レイラ)。クレジット終盤に力尽きる、どうも最近弱い。
 朝の吉武家、母娘二人の食卓。娘で堅実志向のOL・沙月(紗奈)と、夢見がちな保険外交員の母・景子(美咲)。景子は婚前妊娠中に男から捨てられたゆゑ、父親の居ないまゝ産んだ沙月を、女手一つで苦労して育て上げたものだつた。何かといふと髪を触る娘の癖を母が窘める、神を宿した細部を投げつつ、カメラマンを志望するフリーターの彼氏(後々登場)とは別れた沙月が、一流大学出で出世コース、ついでに実家は資産家といふ同じ会社に勤務する新恋人を、しかもいよいよ結婚を見据ゑ紹介したいといふ出し抜けに、景子は打算の匂ひを感じ取り反発する。世間一般的には親と子とで考へ方と対応が逆のやうな気もしないではないが、さて措き俄に勃発した、ポップに食べ物を粗末にする親子喧嘩からタイトル・イン。子供が真似したらどうする、だから大人の映画だアホンダラ。
 景子は、金が引き出せないと判つた途端、文字通り手の平を返した若い美容師のミチル(津田)に。一方沙月も沙月で、件の優良物件・大谷裕太郎(西岡)から、実家が息子の嫁候補の身元調査をしたところが、いはゆる私生児といふ沙月の出自が問題視されたとのことで、情事の事後それぞれ無体に別れを告げられる。濡れ場を介し母娘の置かれた境遇を何気なくも綺麗に誘導してみせる、正しくピンクで映画の名に恥ぢぬ頑丈な論理性については、改めて後述することとしてここは一旦兎も角、兎にも角にも特筆すべきは、公称プロフィールでは十八の歳の差もあるWヒロインの、昭和45年生まれの方。十日市秀悦の不器用な下心、もとい真心が胸を打つ「美咲レイラ 巨乳FUCK」(2001)が今も記憶に鮮やかな、「につぽん淫欲伝 姫狩り」(2002/新東宝/監督・脚本:藤原健一)以来凡そ十年ぶりとなる電撃ピンク復帰を果たした美咲レイラに、腰から下の琴線を激弾きされる。遊びを欠いた役柄も禍(わざはひ)したのか、二ヶ月後工藤雅典のお盆映画「夏の愛人 おいしい男の作り方」では目についた、表情の険しさを別段感じさせることもなく、さうなるとオッパイなどは寧ろ以前より大きくなつてゐるのではとさへ思はせる、極上の熟れやうが堪らない。熟女戦線最終兵器ロールアウトの興奮、未だ醒めやらぬ。ここは明後日な希望に筆を滑らせると、吉行由実と大輪の百合を咲かせる超弩級の激突なんぞを、是非とも観てみたいところではある。話を戻して―豆腐の角に頭ぶつけてデスればいいのにな、俺―その夜、傷心がてらカード占ひに戯れる景子が、大切なものを再び手に入れることを暗示する“新しい世界への扉”の札を引いたタイミングで、既に自棄酒で泥酔状態の沙月が帰宅、二人で呑み直す格好に。次のカットでは、すつかり御陽気で家の中を踊り回る景子と沙月、といふか、美咲レイラと紗奈の所作自体がへべれけであることに関しては、この際御愛嬌の範疇に押し込めてしまへ。家中の酒を飲み干したため、買ひに出ようとする沙月に、景子もついて行く。道すがらのガード下、大き目の犬小屋ほどの奇妙極まりない酒屋を見付けた二人は、酔ひもあつてか渡邊元嗣映画ならではのなだらかさとでもいふべきか、不審がるでもなく四つん這ひになり嬉々と入つて行く。そのまゝ一夜明け、自宅で目覚めた沙月と景子は驚愕する。あらうことか、沙月の意識は景子の肉体に、景子の意識は沙月の肉体にと、母娘が入れ替つてしまつてゐたのだ。加へて、昨晩は綺麗な満月であつた筈の、窓から見える明け方の月は満ち欠けどころか、平べつたい直方体型の四角であつた!
 時期的な兼ね合ひから、撮影時点での決意のほどは不明ながら、今作公開の十日前に活動を完全引退した藍山みなみは、景子の肉体で外出した沙月―以下便宜上沙月景子、逆もまた然り―が目撃する、裕太郎の不倫相手・浅村菜々子。ふ・・・・不倫相手?沙月と結婚するだのしないだの騒いでゐた裕太郎は、何時の間に既婚者になつてたのよ。と、派手に仕出かされたかと慌てかけたのも束の間、景子沙月が出くはしたミチルも、秘かにいはゆる母娘丼を成立してみせたりなんかしてゐた。即ち、流石に月が四角いだけのことはあり、元居た世界とはあちこち様子の異なる並行世界観に、景子と沙月は到達する。といふ展開は、単なるよくある入れ替りものに止まることを潔しとしない意欲的な機軸であるばかりか、最終的には幕引きにも連なる、本作の秀逸かつ充実した特色。因みに藍山みなみはオーラスにも、ゴスなミニスカポリス風の二役で登場、特に思ひ詰めた風情を窺はせるでもなく、常連のナベ組を何時も通りに軽やかに好演する。そんなスマートなラスト・アクトに、惜別も込めた拍手を。
 絶好調にも六月中盤にして渡邊元嗣2011年早くも第三作は、いはゆる、“おれがあいつであいつがおれで”ならぬ、“アタシがお母さんでお母さんがアタシ”となるところから話が拡がる、ハートフルな親子物語。いふまでもなく、沙月の髪を弄る癖は、姿は景子に変れどその人と観客に思はせる用途のギミックである。よくよく振り返つてみるならば美咲レイラは、先述した「巨乳FUCK」に際しては対照的な二つの人格間の行き来。2005年には「痴漢鉄道 ムンムン巨乳号」なる画期的な旧作改題を施された、「痴漢電車 魅せます巨乳」(2002)にあつては矢張り全くタイプの異なる二人の女を演じ分け、標的に接近する謎の女。そして今回は、母の体に戸惑ふ若い娘。選りにも選つてこの人に、さういふ一筋縄では行かぬ役ばかりだなどといふのは、だからいはない約束だ。さうはいへ、斯様な埒の明かぬ難癖など、最早瑣末にさへなるまい。呑めば呑むほど強くなる酔拳よろしく、撮れば撮るほどにナベシネマは面白くなるのか、時世に逆らひすらするかのやうな快調な作品発表ペースをなほも追ひ越さん勢ひで、渡邊元嗣の映画が、まるで物理的な明彩度以上に、キラキラと輝いて見えて輝いて見えて仕方がない。“新しい世界への扉”たる小屋酒屋もそれを司る羽の生えたベアーも、造作は何れも平素通りに開き直つて安つぽいものの、従来のプリミティブ特撮を完全に凌駕するクオリティを誇る異形の月ヴィジュアルが鮮烈に叩き込む、起承転結転部のアクセントは完璧。続けて、再登場させた裕太郎とミチルを通過することにより魅力的なパラレル・システムを敷いた上で、景子沙月と、話には一度出た写真家になりたい沙月元カレ・永井幸平(真田)との。他方沙月景子は、文庫本に挿んで持ち歩くスナップ写真が二度抜かれもする、正直結婚しなかつた理由に説得力を欠かぬでもない、景子の古い友人で貧乏仏師の西島恭造(那波)との。吉武家にて時間差で執り行はれる二つの絡みを通して、景子と沙月が、景子が当初予想したものとは違つてゐた、“再び手に入れる大切なもの”に辿り着くクライマックスが、圧倒的に素晴らしい、猛烈に素晴らしい、超絶に素晴らしい。大意ではあるが、荒木太郎がしばしば口にしながらなかなかモノには出来ない理想、濡れ場をノルマごなしとしてではなく、そこに濡れ場があるからこそ、一層映画として深化するピンク。荒木太郎の理想を持ち出したところで、渡邊元嗣にとつては知つたことではないのかも知れないが、とまれ少なくとも出来栄え上は実に偉ぶらない自然体の仕上がりも込みで、これぞひとつの完成形といはずして何といはう。豊潤なエモーションの照れを隠すが如くの他愛ないオチまで含め、全速前進の正方向にナベシネマ・オブ・ナベシネマ、あるいはザ・ナベシネマとでもいふべき一作。巷説によれば、渡邊元嗣の絶頂期は昭和末期のデビュー数年間と概ね相場は決まつてゐるやうだが、その当時を知りはしないことを憚りもせずにいふが、昨今の渡邊元嗣がナベ・ゴールデン・エイジの第二章を迎へてゐることは、いい加減否定し難いのではなからうか。さうでなければ、言葉を補ふと然様に近作が全く太刀打ち出来ない水準の傑作が過去に於いて連発されてゐたならば、目下の映画の歴史も、ピンクの現況も説明がつかないやうに思はれるのだが。


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 「鍵穴 和服妻飼育覗き」(1999/製作:国映/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:福俵満/企画:朝倉大介/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:佐藤吏/監督助手:森角威之/撮影助手:岡部雄二・岡宮裕/協力:劇団 星座・セメントマッチ/出演:葉月螢・里見瑤子・水原かなえ・杉本まこと・熊谷孝文・かわさきひろゆき)。協力の劇団星座は、かわさきひろゆき主宰。セメントマッチは、池島ゆたかの制作プロダクション。
 昭和二十六年秋、猟奇的な作風で人気を博した探偵作家・奥出周平邸―無論、御馴染み水上荘である―を、親交のあつた矢張り流行作家の三國(かわさき)が訪ねる。尤も、奥出は二年前より行方不明で、妻の民江(葉月)が三國を迎へる。奥出は隠遁癖のある人物であつたが、三國と交した書簡の中では、互ひの日常生活のことまで包み隠さず報告し合つてゐた。三國は何某か含むもののある風情で、奥出と民江との馴れ初めからを振り返り、民江も適宜それに答へる。森の中で首を吊らうとしてゐる民江を、散策する奥出が引き止めたのが、そもそもの出会ひであつた。以前は新橋のカフェーで女給をしてゐた、といふ他は民江の素性はまるで知れないままに、惚れ込んだ奥出が求婚する形で、二人は結婚する。ところが奥出は不能で、倒錯的に民江を責める日々が続く。そんな夫妻と、女中の忍(里見)三人きりの奥出家にある日、特攻くずれの小幡仁志(オバタの漢字は、非大絶賛推定といふ名の適当/熊谷孝文)が、弟子入りを志願して現れる。住み込みの書生となることを認められた仁志は、実は元々、東京で民江と深い仲にあり、良家の子息である仁志との家柄の違ひに悩んだ末に、民江は自死を図つたものだつた。そして、文芸雑誌のグラビアで民江が奥出の妻となつたことを知つた仁志の、目的は最初から民江であつた。危ふい均衡は、やがて崩れる。一人で取材旅行に出た奥出が家を空けた隙に、遂に民江は仁志に抱かれる。ところがところが、グッドなのかバッドなのかよく判らない抜群のタイミングで、忘れ物を取りに戻つた奥出に目撃されてしまふ。綺麗に激昂した奥出は、日本刀を抜くと二人を、心を病んだ父親を晩年幽閉した蔵の中に監禁、人畜として飼育する。餌として与へられる食物の中に強精剤を混ぜられ、人間性を喪失した民江と仁志は正しく獣のやうに交はる。ここに至つて、三國は、告発でも金銭でもなく三國も民江を目的に、大胆な推理を披露する。奥出は行方不明になつたのではなく、機を見て逆襲に転じた民江に、殺害されたものではないのかと。
 水原かなえは、奥出家に潜り込んだものの、なかなか民江と想ひを遂げられず荒れる仁志に、買はれる女郎。純然たる三番手裸要員ながら、デビュー翌年であることも改めて想起すると、驚かされるほどの安定感をさりげなく披露する。水原かなえの相手役を熊谷孝文が務める、といふことは、絶好の雰囲気になりかけるやその都度忍から横槍を入れられる、かわさきひろゆきは今作終に濡れ場の恩恵には与れず。
 前年に先行した二作、「痴漢覗き魔 和服妻いぢり泣き」(1998/脚本:岡輝男/主演:葉月螢)と「好色長襦袢 若妻の悶え」(脚本:武田浩介/主演:葉月螢)とが、それぞれ「鍵穴 和服妻痴漢覗き」・「鍵穴 長襦袢欲情覗き」と改題されVHSリリースされた際のヒットを受け、初めて初めから鍵穴ブランドを冠して製作された、事実上の“鍵穴3”である。今回は旧題ママによる2011年二度目の新版公開で、因みに2003年最初の旧作改題時新題が、「鍵穴3 若妻監禁飼育」。即ち、ここでは白状した格好となる。シリーズの代表作とも目され、概ね世評の高い一作ではあるが、改めて数度どころではなく再見してみたところ、三國が開陳する奥出からの便りの中身と、民江の証言。所々で、三國の下心に絶妙に水を差す忍の合の手を挿みつつも、二手きりの遣り取りを順繰りに繰り返し通り一遍等を素直にトレースする始終には、一本調子のきらひも禁じ得なかつた。とはいへ、既に何度も観てゐる以上当然既知にも関らず、衝撃かつ圧巻のラストに至つての、猛然と映画を畳み込む一気呵成の求心力に対しては流石の貫禄の一言に尽きる。例によつて出鱈目をいふやうだが、開巻付近に於ける新田栄の電光石火と同様かそれ以上に、幕引き際に深町章が発揮する、正しく画竜点睛は成程侮れぬと、この期に及んで今更ながらに再認識させられた。


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 「いんらん家族 姉さんの下着」(1991/製作:伊能竜/配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:周知安/撮影:下元哲/照明:田端一/編集:酒井正次/助監督:榎本祥太/監督助手:渋谷一平/撮影助手:山川明人/照明助手:小田求/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:浅野桃里・橋本杏子・水鳥川彩・南城千秋・川崎季如・芳田正浩)。製作の伊能竜は向井寛の、脚本の周知安は片岡修二の変名。
 画面右半分は夜干しされた姉さんの下着、左上方を左から右に通過する電車。更にその下、左半分大半にタイトルが入る、スマートな構図のタイトル・イン開巻。
 夜の園山家、高校三年生の渉(南城)が、受験勉強に悪戦苦闘する。とはいへ、最盛期に青い性欲になかなかどころか捗らず、ついつい荒木経惟の特集を組んだ『芸術新潮』の同年五月号―十七八にしては、随分おかずが渋い―を引張り出しては、自家発電に勤しむ。そこに折悪しく、コンピューター会社に勤務する姉の明子(浅野)がお夜食のバナナを持つて来てしまひ、渉はポップにバツの悪い思ひをする。因みに、何気に重要な外堀として園山家の母親は、渉が中学生の時に死去してゐる。翌朝、高卒ゆゑ中小企業の係長止まりの園山(川崎)は、前夜の粗相を内心引き摺る渉に、無神経にハッパをかける。ところで、どう読ませるのか判らない川崎季如とは、川崎浩幸時代から更に遡る、現在かわさきひろゆき。この人は、吃驚するくらゐ今と変らない、あとほかには山竜も。朝食もそこそこに飛び出した渉と合流する水鳥川彩は、優等生の同級生・江藤倫子。兎にも角にも水鳥川彩には、伝説的にセーラ服がよく似合ふ。浅野桃里を経て水鳥川彩が登場したところで、画面の彩度が急に上がる感は否めない。倫子の兄・江藤(芳田)は明子と同じ会社のエリート社員、兼恋人の仲にあつた。渉と同じ悩みを抱へる倫子が、同様に机の抽斗に忍ばせてゐるのは、こちらは本木雅弘のヌードが掲載された『an・an』誌であつたりする辺りは微笑ましい。そんなこんなしつつ、弾みで風呂上りの明子の半裸を見てしまつた渉は、いよいよ性的な鬱屈を募らせるのも通り越し拗らせる。
 配役残り橋本杏子は、素性・間柄ともにまるで不明ながら園山と逢瀬を重ねる悦子、多分苗字は黒崎。登場順に浅野桃里×水鳥川彩×橋本杏子と来ると、新東宝なのに、まるでエクセスのやうなパワー・バランスを思はせる女優三本柱ではある。
  jmdbの検索結果に従へば、同年六作前の「いんらん家族 義母の寝室」(脚本:周知安/主演:井上真愉見)から、「いんらん家族計画 発情母娘」(2003/脚本:岡輝男/主演:麻白)まで足かけ十三年に全七作が製作された「いんらん家族」シリーズ第二弾。改めて整理してみるに、これで未見なのは第三弾「いんらん家族 花嫁は発情期」(1993/脚本:周知安/主演:桜井あつみ/1999年旧作改題時新題が『花嫁の悶え 恥づかしいSEX』)と、第五弾「超いんらん家族 性欲全開」(1994/脚本:双美零/主演:林田ちなみ/1998年旧作改題時新題が『どすけべ家族 性欲まみれ』、2003年二度目の旧作改題時新題が『すけべ家族 浴室の絡み合ひ』)の二作。ここはどうにか、網羅を狙ひたいところである。話を本作に絞ると、基本線は他愛ない受験生悶々物語で、手数の薄い始終を周到なモノローグで埋める展開は、ビリングに反し最も頼りない主演女優に綺麗に連動して、然程の訴求力は感じさせない。さうはいへ橋本杏子が二度目の絡みで親爺を引きつけた一夜、二人きりの姉弟が禁忌を犯す件には、終に正しく一線を越える緊張感の漲る、近親相姦映画のハイライトとして十全な磐石の決定力が花開く。ところが、そこから幾分余した尺を、最後は―南城千秋と―水鳥川彩の濡れ場で締める、戦略的なアンコールまでは全く有難いものでもあつたのだが。事の最中に仕出かしたと狼狽しかけた渉を、更なる愕然に叩き込む、唐突かつ微妙にメロウなバッド・エンドは些か不可解。素晴らしくスマートであつた開巻と、概ね長閑な全篇を想起するにつけ、何故に藪から棒に居た堪れない着地点を選択したものか、如何ともし難い釈然としなさを残す。

 再びところで今作、1995年最初の旧作改題時新題が、何となく国映作のタイトルを思はせる「姉・弟 恥戯のたはむれ」。1997年二度目の際には「いんらん家族 近親ナマ下着」、今回は旧題ママによる、十四年ぶり三度目の新版公開となる。何処の甲子園出場校だ、あるいはヤク中が御縄を頂戴する回数か、といつた風情すら漂ふ。


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 「囚はれの淫獣」(2011/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/脚本・監督:友松直之/撮影:飯岡聖英/助監督:安達守・福田光夫/撮影助手:宇野寛之・玉田詠空/メイク:江田友理子/制作:池田勝/応援:石川二郎・山口通平/協力:OUTSIDE/編集:酒井編集室/ダビング:シネキャビン/出演:柚本紗希・倖田李梨・若林美保・津田篤・藤田浩・如春・米本奈津希・宮本真友美・前田勝弘・廣田篤記・八木華・矢樹広弓紀・長谷川清久・梅ちゃん・SHIN・いとうたかし・りさっぺ・臭男・東京JOE・深谷智博・はるな・中江大助・木村真也・吉田恭一郎・松原富貴子・マザー根上・岡本幸代・雄馬・よこゆき)。出演者中、米本奈津希以降は本篇クレジットのみ。
 少なくとも個人的に、ピンクでは初見の幻想配給社カンパニー・ロゴに続いて、声色も同一のミスターXのアニマトロニクスが狂言回しとして登場。ここは便宜上、以降に際してもミスターXと仮称するものとする。チューリップの「虹とスニーカーの頃」やゴダイゴ「ガンダーラ」の愉快で卑猥な替へ歌を繰り出しつつ、成人映画館場内での喫煙や猥褻行為まで黙認する強烈過ぎる先制パンチを放つミスターXは、まるでゲームかバトルロワイアルかのやうに、ピンク映画が始まる旨をおどろおどろしく高らかに宣告する。挑発的も通り越し最早ムチャクチャではあるが、何てカッコいい開巻なんだ。飛ばし過ぎだぜ、友松直之。
 そんなこんなで、タイトル不明の劇中ピンク映画。執拗に個別的具体性を回避した男優部に抱かれるサオリ(柚本)が、ピー修正も潔く厭はぬ怒涛の淫語プレイを大展開する。ストレートにアイドル級の美少女を擁した一連の件のポップでキュート、しかも濃厚な煽情性は、霧散してしまはぬやう今作の商品性を頑強に補完する。因みにポスターを飾る、柚本紗希がX字型に拘束される類のシークエンスは、本篇中には一切全く一欠片たりとて見当たらない。ある意味ここまで来ると、看板の偽り具合がグルッと一周して寧ろ清々しい。五人の男女が薄暗い空間に倒れるカットを一拍挿み、もう一頻り柚本紗希の可愛らしさと裸とをタップリ堪能させた上で、再度女二名・男三名が、新館建設に伴なひ―公開年2011年の―前年八月一日に閉館した、上野オークラ旧館のロビーにて意識を取り戻す。五人の内訳は、女性ピンク映画ファンのユリコ(倖田)と、上野オークラ新館のモギリ嬢・アケミ(若林)。ユリコの連れ、より直截には女が小屋の敷居を跨ぐ際のナイト役・スズキ(如春)に、一人客で、ワイシャツの上から作業着のジャンパー姿の会社員・ヤマダ(藤田)。そしてネルシャツ×チノパン×ダンロップ系の、ナイーブなオタク青年・タナカ(津田)。五人は上野オークラ新館にゐた筈で、現に旧館はといふと、内側からも閉鎖されてゐた。何れもが事態を呑み込めぬまゝ、ブチ切れたヤマダはロビーに置かれた円筒形の灰皿を抱へ上げると、封鎖を突破すべく打ちつけられた角材とベニヤ板を壊し始める。恫喝気味に促され、スズキとタナカも加はり男三人の力で閉ざされた出口を遂に抉じ開けた、かに思へた次の瞬間。ヤマダ達は恐々見守るユリコとアケミの後方に、小屋出入り口と反対側の劇場ドアからメビウスの輪の如く転がり込んで来る。加へて、今しがた壊した封鎖も元に戻つてゐる。再度突破を試みたものの、結果は矢張り同じ。即ち、放り込まれた因縁から理解不能な旧館から、五人は脱出することが出来ないのだ。ヤマダ一人の三度目の試行も同様の水泡に帰したところで、不意に上映の開始を告げるブザー音が鳴り、一堂は吸ひ寄せられるかのやうに劇場内に足を踏み入れる。スクリーンに現れたミスターXは、銘々がピンク映画に何を求めてゐるのか、関り合ひについて個別に面談する。ヤマダはピンクと一般、映画を区割りする自体のナンセンスを訴へ、スズキはピンク映画のAVに対する優位性を主張する。ユリコはテレビドラマや一般映画が軽んじる、濡れ場を感情移入の観点から重視した。対してアケミはドライに、木戸銭さへ落とせば客は客、映画を観ても観なくとも、劇場内で何をしようが基本的には問はなかつた。ここで、アケミの態度は決して、フィクションの中だからこそ成立し得るフリーダムな視座では別にない。単なる、日常的なリアリズムに過ぎまい。話を戻すと、ミスターXは難なく四人を個別撃破、乃至は具体的かつ羽目と箍を外したアクションへと背中を無理押しする。一方タナカは、サオリ役の謎の女優の姿を常に追ひ求めてゐた。不思議なことに、監督も兎も角製作時期を問はず、タナカがピンクを観てゐると必ず、主要キャストではなくとも映画の何処かしらに何かしらで見切れてゐるその女優を、スズキやユリコも、タナカよりピンク映画に詳しいと思しきヤマダでさへ、誰一人として知らなかつた。
 俗にいふ正月第二弾の前作、「絶対痴女 奥出し調教」(主演:あいかわ優衣)から四ヶ月後といふ順調なペースで公開されたものの、以来現在に至るまでピンク次作の話も聞こえて来ない辺りは正直何気に気懸りでなくもない友松直之の、ひとまづ2011年第二作。端的に筆を滑らせるならば、友松直之を遊ばせておくほどのタレントが果たして揃つてゐるのか、といふ話でしかないやうにも思へるのだが。重複の誹りも省みず改めて踏まへておくと、第一弾「癒しの遊女 濡れ舌の蜜」(2010/監督・脚本・出演:荒木太郎/主演:早乙女ルイ)、第二弾「奴隷飼育 変態しやぶり牝」(2011/脚本・監督:山﨑邦紀/主演:浅井千尋)、第三弾「いんび快楽園 感じて」(2011/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/主演:琥珀うた)に続く、上野オークラ旧館ピンクの第四弾である。2010年に加藤義一による薔薇族が更に一本あるらしいが、当方のんけにつきその件に関しては潔く通り過ぎる方向で。小倉にも、来てゐるのか未だなのか知らん。閑話休題、舞台が閉館した旧館である点を明確に盛り込んだのも最も鮮やかなストーリーは、廃映画館に幽閉された、四人の観客と一人の従業員。映画の神かはたまた悪魔に、五人は翻弄される、といふミステリアス且つロマンティックなもの。その上で、といふかさりとてといふべきか、友松直之は、古き良き小屋を懐かしむセンチメンタリズムになんぞ一瞥を呉れるでなく、苛烈に咆哮する。自身のオルター・エゴと解してまづ間違ひあるまいミスターXの器を借り、あくまで語り口は軽妙ながら、そもそもフィルムによる撮影・映写から易々と否定。時流に即し得なかつたピンク映画の劣等性を憚りもせずに断じ、男の聖域と看做した成人映画上映館からの、女性客の排斥をも主張してみせる。挙句に、揶揄してゐるやうにしか見えない、小人物設定のオーピー映画社員を登場させるに至つては、不用意に銀幕の向かう側に思ひを馳せハラハラさせられる。ただ然し、だが然し。今作が、議論の提起どころでは最早納まらずに争ひの種を撒き散らす一種の露悪のみを主眼とした、いはゆる問題作であるとする態度に、当方は決して与さない。極限にまで純化させられた美しさに、胸揺さぶられる激越な感動作である。醸し倒した物議に、ヤマダV.S.ユリコのハード・レイプ、アケミV.Sスズキの劇場内座席プレイと、鋭角の濡れ場も絡めた末に撃ち抜かれるのは、同好のヤマダやスズキらからすら理解されぬタナカの、タナカだけのエモーション。ヤマダのやうに図太くも、タナカほど繊細にもなれない、スズキ役に如春が群を抜いてフィットする、配役の超絶も唸るクライマックス。孤独なピンクスの、優しくも貧しき魂に手向けられた柚本紗希の微笑みこそが、たとへ魔女の嘲笑に過ぎなくとも、少なくとも極私的にはこの映画の全てだ。もしも仮に万が一、あるいは酷く平板に、それは在り来りに茶を濁す、お定まりの商業的なテクニックであるのやも知れないが、それでも構はない。謹んで騙されればよからう、それも愚かな観客の特権ではないか。
 最終的に、“現し世は夢であり、夜ならぬ小屋の暗がりの中の夢こそ誠”。さうとでもいふと、詰まるところは映画を処世の糧としてしか捉へなかつた、「いんび快楽園」には難渋にかぶりを振らざるを得なかつた首を、水飲み鳥のやうに諾々と上下移動する小生の底の浅さが、あはよくば御理解頂けようか。

 出演者中米本奈津希は、上野オークラ旧館には連れ去られなかつた、十二分に美人のもう一人のモギリ嬢か。残りの大勢は新館に於ける潤沢な観客要員は確定として、オーピー映画社員役の扱ひがよく判らない。


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 「官能未亡人 うごめく舌先」(1997/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:老成螺帝/企画:福俵満/撮影:千葉幸男/照明:伊和手健/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/出演:田口あゆみ・水乃麻亜子・原田なつみ・熊谷孝文・ガイラ・久保新二)。平素とは逆の形でポスターにのみ、出演者が更に池島ゆたかと俵幸四郎。更に脚本の老成螺帝―読み方すら判らない―が、ポスターでは小水一男、ある意味実に判り易い。現像はおろか助監督さへないクレジットはロストしたのでは別になく、本篇ママ。
 バブルが弾け借金持ち、とかいふ後述する後々どさくさ紛れに持ち出される由来を、鵜呑みにしてよいものやら否かはよく判らないが、兎も角愛称“バブちやん”こと一郎(久保)の営業する、ライトバンで移動式のラーメン店。ピンク映画風にいふならば、キャラバン野郎方式である。さて措き従業員、兼情婦の一美(原田)、もう一人直ぐに帰つてしまふ別の客(津田一郎)と五百円のラーメン―因みにチャーシューメンが七百五十円、ゆで卵は八十円―を啜る、常連客の小林真(熊谷)が自堕落に管を巻く。両親は既に他界した真は、交際する資産家令嬢の山中静(水乃)から経済的な援助を受けつつ、定職にも就かずモラトリアムな日々を送つてゐた。ところが、といふか至極当然の成り行きでしかないのだが、こちらも既に故人の山中後妻が、義理とはいへ娘の彼氏とその家族に関心を持つたとのこと。自身のいゝ加減な素性が露見しては静と別れさせられてしまふ、と身から出た錆も弁へぬ若造を一旦は相手にしない一郎ではあつたが、その夜、巨漢の一美と―私的な性癖としては見せられても全く有難くない―情を交した住居にまで、へべれけの真が乗り込んで来る。出任せに真が口にした、静と結婚に漕ぎつけた場合、静の相続財産の三割を成功報酬とする、とかいふ条件に一郎は俄然喰ひつく。さういふ次第で、こちらもこちらで既に鬼籍に入る―何気に、死人の影の多いドラマではある―真の祖母が山梨に遺した実家、となると当然舞台は御馴染み水上荘。真の、一郎は稀にしか日本に戻つて来ない船乗りの父、ついでに一美は妹、とかいふ正しく急場凌ぎの偽装一家を結成し、静と、元々は山中の財産管理の任に当たつてゐたとの義母・忍(田口)とを迎へ入れる。
 今更ながらのいはずもがなも憚らぬと、イコール小水一男のガイラは、瓢箪から駒とばかりに忍とイイ雰囲気の一郎の前に現れる、オッカナイ借金取り。池島ゆたかと、福俵満の変名である俵幸四郎がガイラ兄貴の子分二人。三人仲良くグラサンを着用し、戯画的な強面に扮する。然しこのポジションで本クレにも名前の載らない池島ゆたかを、水上荘にまで連れて行つたといふのも贅沢な話だ。撮影を方便に、皆で温泉に浸かりに行つたとでも捉へた方が余程肯けよう。
 深町章1997年第四作は、嘘からダブル・ミーニングで真の新しい家族が誕生する、暖色のホームドラマ。ガイラ一行が、仕込みなのか本物の取立てなのかが微妙に判然としない勢ひも引き摺つてか、五人で店舗も構へたラーメン屋「ゆうじん」を開店する着地点の賑々しい磐石さは兎も角としても、終盤忍が藪から棒に一郎と結びつくエモーション自体の求心力は、決して十全なものとはいひ難い。寧ろ、さりげなく圧巻な今作の白眉は、“バブちやん”の由来も幾多の小ネタの一つに盛り込みながら、付け焼刃の姦計が所々で綻びを見せる様が面白可笑しくスリリングな、水上荘初日夕餉の実は結構な長回し。アフレコによるアドバンテージも勿論あるにせよ、展開の多い会話がワン・カットでひた続く相当な尺の長さには、気づいたところでこれは凄いものを観たと驚かされる。適宜各人にボールを渡しつつ、基本線としては独演会で一幕を頑丈に牽引する久保チン一級の貫禄と、早撮りに定評のある深町章のこと、斯様な離れ業をもサクサク撮つてみせたのかと想像するに、畏れ入るばかりである。
 もう一点明後日だか一昨日に特筆すべき―しなくとも別に構はないけれど―は、冒頭のラーメンと、中盤に先行したクライマックスの鍋料理。食べ物を口に運ぶ原田なつみを、殊更入念に押さへてみせるショットは、物語的に機能する演出意図は特にも何も感じさせないものの、最早自暴自棄気味に微笑ましい。静と真は婚前交渉の二回戦を繰り広げる中、入浴する忍を何故か一美が追撃する、水上荘の風呂場にて田口あゆみと原田なつみが豪快な百合の花を咲かせてみせるのは、なかなかに特殊なシークエンスであるやうにも思へる。

 改めて振り返ると、本篇クレジットに於ける老成螺帝とガイラに、今回―2000年一度目の旧作改題時新題が「未亡人レズ 濡れる指先」、今回は旧題ママによる2011年二度目の新版公開―新版ポスターが白状する小水一男。一本の映画に際して、二つまでならば兎も角同一人物の三名義が登場するといふのも、他には監督:小川欽也×脚本:水谷一二三×出演:姿良三のOKジェット・ストリーム・アタックくらゐしか、俄には思ひつかない。


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