真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ホストの極太 中がとろける」(1995『女性専用 出張性感ホスト』の2012年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:池宮直弘/編集:酒井正次/助監督:高島平介/撮影助手:島内誠/照明助手:谷口寅夫/音楽:レインボー・サウンド/効果:中村半次郎/出演:しのざき・さとみ、キャンディーちゃん、神永未都、美里流季、ひかる《ホスト》、恭輔《ホスト》、中田新太郎、丘尚樹《インタビュアー》)。出演者中、中田新太郎と丘尚樹は本篇クレジットのみ、しのざき・さとみが、ポスターには普通にしのざきさとみ。尚輝ではなく、丘尚“樹”名義は初めて見た。セカンド助監督は、ロストしたのではなく初めからクレジットなし。
 クラウンの送迎車に出迎へられる和装の令夫人の、首から上は回避したショットで開巻。令夫人と泡姫とOL、銘々が男を買ふ理由の適当な方便を、ボイス・チェンジャー越しに連ねてタイトル・イン。
 矢島多香子(仮名・35)―社長夫人―。多香子(しのざき)にインタビュアー(丘セルフ)が話を聞く、多香子がホストを使ふ目的は、端的に体だけのセックス。ここで、目を引くのは若き日の岡輝男の黒々とした眉毛で、耳を引くのはインタビュアーは芳田正浩のアテレコ。所変り、店舗を構へるのではなく、ホストをデリバリーする業態の「ELEGANCE」事務所。電話に出る店長か社長(中田)は、今度は久須美欽一のアテレコ。丘尚樹―の声―は芳田正浩で、中田新太郎が久須美欽一、徒に豪華ではある。ソファーの奥にもう一人控へるのはこの場面ではよく映らないが、ホストの亮介(ひかる)にインタビュアーが話を聞く。亮介はインタビュアーに、客の性癖を看取することを秘訣として語る。そんなこんなで多香子V.S.亮介戦、亮介は多香子がぞんざいに投げた札片を叩き返すと、手荒に責める。それが多香子の求める正解であるらしいが、亮介がそれを瞬時に見抜いた飛躍を補足する情報は一欠片たりとて与へられるでなく、本来ならば唐突感も爆裂しかねないところではありつつ、しのざき・さとみの華やかな肉体は、瑣末な野暮はさて措かせる。続いては、キャンディーちゃん(22)―風俗嬢―。この人は本物の当時現役なのか、キャンディー(嬢セルフ)がホストを呼ぶのは、普段はソープで働く自分が逆に性的なサービスを受けたくなつた時。キャンディーに文字通りの逆ソープを展開するソファー奥のもう一人、クレジット上は恭輔(ホスト)といふのが、役名不肖の佐々木恭輔である点には、軽くにでもなく拍子を抜かれる。ある意味、オネストといへばオネストなのか、何がホストか。自宅にて、体あるいは商売道具の手入れに余念のない亮介にインタビュアーが話を聞く件を挿んで、変則的な第三幕。木下雅美(仮名・28)―OL―。雅美(神永)は後輩で同性愛的に狙ふ千春(美里)をオトす段取りの中での、3P要員に亮介を招聘する。
 新田栄1995年第三作、大事なことなので最初に踏まへておくと、今作は1995年の封切りを皮切りに、「人妻・レズ・3P けいれん」(1998)、「男を買ふ女たち とろける」(2002)、「エロホスト 人妻・レズ・3P」(2006)と来て、「ホストの極太 中がとろける」(2012)。何と今回で、恐ろしくもといふか栄えあるとでもいうべきか、兎も角四度目の新版、通算だと五度目の公開となる。改めて後述するが、新田栄強過ぎるだろ。話を映画の中身に戻すと、新東宝カンパニー・ロゴと画が入る間のど頭に、“この映画は、本人のインタビューと、一部再現ドラマによつて構成された作品である。”ことが字幕を通して謳はれる。要はこの頃散発的に見られた、あくまでさういふ体裁の実際には純然たる劇映画でしかない、いはばモキュモキュメンタリーといふ寸法である。多香子とキャンディーと雅美、「ELEGANCE」を利用するに当たつての綺麗な三者三様は、殊に雅美の事情が意表を突いて来るのもあり、実はオムニバス映画的に意外と充実してゐなくもない。尤も、良くも悪くも敷居の低い量産型娯楽映画のアルチザン・新田栄は、そこで不用意に物語を面白く膨らませることなど決してなく、何処から観ようと、何処で寝落ちようと本当に全く一切困らない、気軽な裸映画に仕上げて来る、褒めてゐるのか貶してゐるのかよく判らない。尤も尤も、気軽な裸映画とはいへども、ビリングトップのしのざき・さとみが先鋒に飛び込みつけた勢ひを、ボーイッシュなキャンディーが明るく繋ぎ、神永未都&美里流季のコンビは和風ムチムチの美里流季と、神永未都はルックスこそパッとしないものの、彫刻に彫られた理想的人間像をも想起させるプロポーションは超絶。裸映画は裸映画なりの布陣と配置は、地味に頑丈。何となくにでも一旦観始めると結構サクッと全篇観させる、それなりに強靭な一作。際限のない旧作改題も案外肯けるとでもいふ結論に、この際いつそしてしまへ。
 清々しいまでにどうでもいい点に気が付いたのだが、最初と三回目の新題中に見られる“人妻・レズ・3P”といふ用語は、これではキャンディーの存在が完全に抜け落ちてしまつてゐる。“人妻・逆ソープ・3P”となるのが、より適当であるやうに思はれる。

 以下は狭義の映画の感想からは離れた、私事ないしは雑記である。
 今更新で、最後の悲願と事実上なるのか、ハンドレッド・新田栄こと新田栄の感想百本を通過した。それが目出度いのかどうかしてゐるばかりの酔狂であるのかに関しては、後生だからお気になさらないで欲しい。ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、といふ当サイト唯一の基本方針に照らし合はせて周囲の状況を整理すると、目下飄々と独走する新田栄を、七十本前後の浜野佐知・深町章・池島ゆたから第二集団が追ひ、更にその後方には五十本前後の渡邊元嗣と関根和美が続く。このことは即ち、順不同に駅前ロマン・前田有楽劇場・小倉名画座、そして故福岡オークラ劇場。少なくとも福博と北九州に限つた話にしても、小屋小屋の番組占拠率が他を引き離して高いのは新田栄その人であるといふ、決して侮ることは許されまいひとつの事実を意味する。正しく無冠の帝王の称号が、何気に相応しいのではなからうか。群を抜いた速さを誇る開巻の語り口を始め、実は意外とスマートでなくもない―ことも時にある―作風や、尼寺映画をポップなアイコンに、仕出かす際にはツッコミ処が溢れんばかりに過積載の潔いノーガードぶりは、個人的には満更嫌ひではない。重ねて、よしんば微温湯に過ぎないにせよ、新田温泉映画の穏やかな多幸感は、娯楽映画の偉ぶらないひとつの到達点として、もう少し広くあるいは積極的に評価されても罰は当たらぬのではないかと、どさくさに任せ筆を滑らせてみたりなんかもする。


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 「どスケベ検査 ナース爆乳責め」(2012/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:小松公典/撮影監督:創優和/編集:有馬潜/音楽:與語一平/助監督:小山悟/監督助手:田口敬太/撮影助手:酒村多緒・高橋可奈/音響効果:山田案山子/協力:エキストラのみなさん/出演:あずみ恋・倖田李梨・しじみ・津田篤・なかみつせいじ・久保田泰也・竹本泰志・柳東史・荒木太郎・Hitomi/友情出演:小川真実・酒井あずさ・山口真里・佐々木基子・川瀬陽太・広瀬寛巳・石川雄也)。実際のビリングは荒木太郎から友情出演枠を挿んで、トメにHitomi。それと、八巻祥一や與語一平らによる「Y・O・Y」が、劇中バンド演奏曲としてクレジットされる。ものの、何処でそれらしきトラックが流れてゐたのか、耳は目よりはマシな筈なのだが迂闊にも気付かなかつた。
 「俺は映画を、映画を観に来ただけなのに、何でこんなことになるんだ!?」と困惑する俳優の安藤広(竹本)が、後々元気に二足歩行する割には何故か乗せられた車椅子を、後に日比恵都と命名される看護婦(あずみ)が何者かから逃げてゐる風情で押す。所変り、ロケーション的には上野オークラ劇場旧館ではありつつ、設定上は関西某地のピンク映画専門館、のロビー。翌日の舞台挨拶前の映写チェックを控へ、当地出身である監督の加藤琢也(津田)以下、俳優部の黒井かれん(倖田)と的場龍(なかみつ)に加藤とは旧知の劇場支配人(柳)、もう一人助監督の戸増龍(久保田)が、遅れる安藤の到着を待つ。恵都が手を離してしまつた車椅子が、下り坂を滑落、坂のふもとでは、もう一人のナース・ジェイミー・リー(Hitomi)が、最早文字通りどころでは済まない爆乳の装甲を解除し待ち受ける。憐れといふべきか寧ろ羨ましいのか、安藤が乳の海に沈んだところでタイトル・イン。
 ひとまづ安藤を待たずに上映開始、自作を観るのが恥づかしい加藤は煙草を吸ひ、そこに支配人と、的場の劇場型痴漢を撃退したかれんが加はつたロビーに、恵都が大慌てで飛び込んで来る。恵都は、二十年前車に撥ねられ入院した加藤が世話になつた、思ひ出の看護婦と瓜二つであつた。当時、思ひ出の看護婦(当然あずみ恋の二役)と加藤は結構イイ雰囲気になりかけるも、加藤に意気地がなくそれゆゑ現実ではない濡れ場を消化したタイミングで、今度は軽いゾンビメイクの安藤が飛び込んで来る。見境のないセックス・アニマルと化した安藤を、黒井の姐御が木刀で一撃昏倒。うつ伏せに倒れた安藤は、何と倒れたままなほカクカクと腰を振り続ける。ゴチャゴチャしかしない語り口を整理すると、恵都いはく、ジェイミーに襲はれた者は皆、安藤同様人間性を喪失した性欲の塊となる。そして、恵都に促された加藤は思ひ出す。昨日、加藤は河原で謎の浮浪老人・黒伏(荒木)が鋏で切り刻まうとしてゐたアニメ顔のダッチワイフを、腕時計との交換で譲り受ける。但しその際、黒伏は三つの禁止事項を厳命する。①太陽の光に当てないこと、②人の名前をつけないこと、③深夜十二時以降翌朝までは、生出ししないこと。②と③を加藤が破つてしまつた為、ジェイミーは出現したといふのだ。すは街は発情した女で一杯だと明後日に色めき立つ、実は童貞の的場と、実は実はインポなので自分は大丈夫だといふ支配人が事態を報せる為に外に出る一方、加藤と恵都、かれんと戸増は映画館に立て篭もる。
 配役残りしじみは、ジェイミーに搾り取られるエクソシスト?神父(川瀬)の傍ら、恐れ戦く―だけの―山本・マイケル・マイヤース・久美子。闇雲な名前といひ目の周りを黒く塗る―だけの―中途半端なゴスメイクといひ、何しに出て来たのか清々しく判らない以前に、そもそも神父と久美子の一幕はジェイミーの出自を語る重要なものであるにも関らず、不完全無欠に説明不足。なので黒伏含めて、正体は最後まで最終的には判然とせず。残る友情出演勢は、ジェイミーのもたらす淫蕩な混沌の中で繰り広げられる、リビング・デッドなテイストの乱交要員。佐々木基子のみ役名は、多分相葉和子、論拠は701。石川雄也には、チープな悲鳴を上げながら大勢から裸に剥かれる、プチ見せ場も用意される。処女作からの付き合ひとなる小川真実と佐々木基子、数作出演作のある酒井あずさと山口真里、近年加藤組準レギュラーといつても過言ではなからう広瀬寛巳に、「女復縁屋 美脚濡ればさみ」(2008/主演:村上里沙)に於ける名台詞、「俺を誰だと思つてるんだ、復縁屋だぜ」が今も印象に鮮やかな石川雄也。までは兎も角、加藤義一と川瀬陽太の繋がりは、小屋で映画を観るに止(とど)まる分にはよく見えて来ない。それと、ピンク映画出演は「祇園エロ慕情 うぶ肌がくねる夜」(2009/脚本:岡輝男/主演:椎名りく)以来となる小川真実が、「奴隷船」(2010/監督:金田敬/脚本:福原彰《=福俵満》・金田敬/主演:愛染恭子)で塾長の裸仕事とともに引退してゐたことは、寡聞にして今の今まで知らなかつた。
 加藤義一の2012第一作は日活芸術学院同期の盟友・小松公典を―初めて近藤力名義ではなく―脚本に迎へた、監督デビュー十年の周年記念作。使用者が禁則に触れたばかりに愛玩物が巻き起こす大騒動、といふといはずと知れた「グレムリン」の直線的な翻案で、そのことは小松公典も随所で公言してゐる。加へてホラーとセクシー外人女優を中心に、オタク的な映画愛も全篇に鏤められるが、それらを一々吟味するには造詣に欠く上に面倒臭いので、ほぼ一切さて措く。ただ一箇所、加藤と思ひ出の看護婦との、妄想内の一戦。「フライングキラーみたいに飛び出して!」といふ求めに応じた加藤が、「殺人魚!」と果てる件。小ネタのワン・オブ・ゼンといふよりは、浜岡賢次の『浦安鉄筋家族』のやうなセンスに笑かされた。春巻が「ヘップバーン!」といふ悲鳴を上げるコマを見た時の衝撃は、今でも忘れられない。話を今作に戻すと、カメオ込みで膨大な出演陣にも豪華に飾られた、賑々しい娯楽大作。と、理想としてはなつたであらうところが、尺と比すとただでさへ過積載気味な脚本と大所帯を前に、現場が過密になればなるほど池島ゆたかならば時に発揮する超人的な冴えを、残念ながら今回加藤義一に望むべくもなく、全般的には料理しきれずに持て余した感は色濃い。ピンク映画が大好きであつた青年がやがて監督となり、かつて常連であつた小屋に凱旋する。思はず胸が熱くなるサブ・プロットを、舞台のイントロダクションとして取り扱ふのみで概ね素通りしてしまつたことは、激越に惜しい。さうなると本格女囚映画に挑んだ結果、単に粒を小さくした教科書通りのフォーマット描写に終始した、デビュー作「牝監房 汚された人妻」(2002/脚本:岡輝男/主演:岩下由里香)と近いといふ印象も、個人的には強い。尤も、加藤が青春時代の忘れ物を取り戻し、終始覚束ない始終を力技で成長物語の鉄板展開に捻じ込む最終盤は、案外綺麗に映画を締め括る。その辺りも、ヒロインの抑圧との闘争の勝利で見事畳んでみせた、「牝監房 汚された人妻」との近似を再び覚えるものである。となると要は、この十年加藤義一は殆ど進歩してはゐないのか?といふ根本的な疑問が湧いて来かねない野暮に関しては、折角の目出度い一作ぢやねえか、一旦忘れろ。

 ところでひとつ猛烈に気になるのが、2009年第三作―「祇園エロ慕情」が第一作―「誘惑教師 《秘》巨乳レッスン」(主演:@YOU)を最後に、それまで加藤組を支へ続けて来た、岡輝男も丘尚輝の名前も実に丸二年以上見当たらない点。まさか喧嘩別れでもした訳ではあるまいな、この人の常に余力を残してゐさうな雰囲気は、量産作家的には意外と嫌ひでもないんだけれど。オーラスにもうひとつ、的場と対峙したジェイミーは、右左上段の前蹴り+右上段後ろ回し蹴りのコンビネーションで圧倒する。亜紗美ばりの切れには到底程遠いにせよ、李三脚ならぬリー三脚には予想外の飛び道具に驚かされた。
 コッソリ備忘録< 加藤が高校時代所属してゐたバスケチームのチーム名は、「ドロッパーズ」。


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 「成熟尼寺 夜這ひレイプ」(2003『尼寺の性 袈裟さぐり』の2012年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《Xces Film》/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:今村昌平/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/効果:中村半次郎/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:鈴木まひろ・酒井あずさ・山口玲子・竹本泰志・兵頭未来洋・柳東史・丘尚輝)。
 大成山、新田栄の尼寺映画といふと御馴染み愛徳院、ではなく、今作で三作続けて満光寺。読経する庵主の浄安(鈴木)は、嘘臭い鳥の鳴き声に気付くと外の様子をテロッと窺つた上で、自室にこもり自慰に耽る。ここで、開巻時の超速を誇る新田栄にしては甚だらしくなく、いきなり浄安の一人遊びが激しくマッタリしてしまふのはどうしたものか。単なる初見に止(とど)まらず、適当に調べてみる分には殆ど何も出て来ない、謎の主演女優の鈴木まひろ。新田栄映画に連れて来られたエクセスライクな新人女優―未満―にしては、尼頭巾が清々しく似合はない致命傷さへさて措けば、ルックスも普通に可愛くスタイルも十二分に及第点。とはいへ、お芝居の方はといふと驚異的画期的非感動的にたどたどしい。濡れ場も満足はおろかほぼ全く動けないところを見るに、一体何処で拾つて来た逸材なのか。無論、ここでの逸材の“逸”は秀逸の“逸”ではなく、逸脱の“逸”である。兎も角、浄安が達するまで暫し待つてタイトル・イン、待たされるのかよ。
 所変つて居酒屋、自称五十嵐(丘)が年男の大野翼(兵頭)に、町に伝はる満光寺の奇祭・卍祭について講釈を垂れる。卍祭とは、満光寺の尼僧が年に一度町に降り年男に夜這ひを敢行、見事極楽浄土の境地に尼僧を導くことの出来た者は、その年一年の無病息災どころか、ありとあらゆる運を授かるといふもの。確かに奇祭中の奇祭だ、といふか毎回毎回新田栄―と岡輝男―は、何事か尋常ならざる深い恨みでも仏教に対し持つてゐるのか。底の抜けた与太を常識的に信用しない翼に、昨年年男で浄安と相見え見事攻略したと称する五十嵐なのかが披露する、自慢話もしくは武勇伝の名を借りた濡れ場を消化したタイミングで、酒井あずさが華麗に登場。後述するが、この辺りの組み立ては地味に磐石。年男である旦那の卍祭勝利を期し、大将に頼んでおいた特製蝮酒を受け取りに、石井鈴子(酒井)が居酒屋に現れる。ここで鈴子と数語遣り取りも交す大将は、勿論完璧ならしさで新田栄が自ら出撃。
 竹本泰志が、鈴子の夫・伸彦。尼僧であれ何であれ、鈴子が要は他の女と旦那が寝ることも厭はず卍祭を狙ふ目的は、なかなか授かれずにゐる子宝。自信がないらしく煮え切らない伸彦に、予行演習よと鈴子が夜の営みを切り出す一夜明け、今度は山口玲子がスムーズに飛び込んで来る。母の代りに護符を受け取りに、篠塚あずみ(山口)が満光寺を訪れる。幼馴染である翼に想ひを寄せるあずみは、翼が郷里を捨て、上京を予定してゐることに胸を痛める。あずみの健気な気持ちを知つた浄安は、一計を案じる。柳東史は、浄安があずみに語る卍祭の由来の中に登場する、村の地主の息子。昭和初期、当時の満光寺庵主・浄然(自動的に鈴木まひろの二役)と柳東史が、正しく道ならぬ恋に落ちる。ところが禁忌が村人に発覚、二人は引き離され浄然は獄門死する。その後町が疫病の猛威に襲はれた際、柳東史だけが感染を免れる。そのことに際して、浄然の魂が救つたのだと讃へられたのが卍祭の発祥である。といふのだが、そこ、普通に考へると流行り病自体が浄然の祟りだといふ話にはならないのか?といふ疑問が鎌首をもたげるのは、小生の臍あるいは人間性が激しく捻じ曲がつてゐる所以。
 新田栄2003年全七作中第五作は、終盤振り回される“還俗”といふ用語を、“解禁日”か何かと履き違へてゐるかのやうな破戒的な一作。尤も、ピンク映画的には破壊的では決してないことも超え、案外以上に満更でもない。改めて整理すると、開巻の浄安模擬戦を経て、翼と五十嵐風イン。浄安V.S.五十嵐かも戦を経て、鈴子イン。鈴子V.S.伸彦の卍祭予行演習戦を経て、あずみイン。実は更にもう一度繰り返されるのだが、濡れ場を一頻り見せておいた上で、カット明けると新しい登場人物と、当然それに伴ふ新しい展開を適宜繋ぐ。女の裸でリズミカルに物語を紡いで行く構成は、何気にピンク映画として極めて秀逸。ヒロインが大根どころか、喰へもしない馬の骨であるにも関らず、よしんば中身は無いにせよ六十分をサクサク観させる、量産型娯楽映画の偉ぶらないスマートな良作である。卍祭とあずみの一途な恋心とのクロスは中盤のストレートな盛り上がり処であること、最終幕の導入が、冒頭をさりげなく回収してゐることも、忘れずに特筆しておきたい。一点惜しいのが、気の利いたオチ、のつもりの卍祭の真相が明かされる着地点自体が、疑問手といふ訳では必ずしもない。たださうなると、鈴子が来店した隙に乗じて、五十嵐ではない人が翼の前から文字通り姿を消してみせるのは、明らかに遣り過ぎであらう。

 ところで今作、三本柱それぞれの絡み(非オナニー)の回数が、鈴木まひろが三回、酒井あずさが二回(何れも劇中夫婦生活)に、山口玲子は一回(対兵頭未来洋)と、形だけ見ると綺麗に定石通りではある。但し、鈴木まひろ三回の内実を冷静に検討してみたところ、柳東史との逸話挿んで残りの相手が二度とも丘尚輝(=岡輝男)であることに関しては、拭ひ難いこの野郎感が漂ふやうに思へて仕方がないのは気の所為か。


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 「美熟女の昼下がり ~もつと、みだらに~」(2012/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督・脚本:荒木太郎/撮影・照明:飯岡聖英/編集:酒井正次/音楽:宮川透/助監督:桑島岳大/タイミング:安斎公一/応援:田中康文/協力:上野オークラ劇場/出演:愛田奈々・文月・浅井舞香・那波隆史・津田篤・小林節彦・太田始・今泉浩一・池島ゆたか・牧村耕次/特別出演:佐々木基子・里見瑤子)。実際のビリングは、今泉浩一から特別出演の二人(里見瑤子は本篇クレジットのみ)挿んで池島ゆたかと牧村耕次。それは兎も角、クレジットの文字が小さ過ぎて見えねえよ!
 何気に意欲的に長く回す開巻。舞台は足立の市場の複雑な界隈に紛れた、安さと早さと大盛りが売りの大衆食堂「大森食堂」。店を切り盛りするのはアメリカかぶれでコーラ好きの店主・阿部網郎(池島)と、娘の千香(文月)。それに千香の兄で、食堂併設の図書室で本を読んでばかりのでくの坊・四郎(那波)の三人。後に自己紹介するナレーションの主は、十年前に先立つた網郎の亡妻・幸子(里見)。今回里見瑤子は、声と写真―遺影ともいふ―のみの出演に止(とど)まる。ある日趣味のカメラを首からブラ提げ散歩に出た四郎は、強面(小林)がけばけばしい衣装の女を連れ去るのを目撃。陵辱される女を、カメラのフラッシュを目眩ましに救出する。女・春子(愛田)に当てはなく、ひとまづ大森食堂に身を置くことに。施設に預けた子供が居ること、近隣を占めるヤクザ・東の下で汚い仕事に手を染めてゐたこと。春子は素性を徐々に四郎に打ち明け、二人は距離を縮めて行く。とはいへ初心で女心を知らない四郎に、千香とその彼氏・浩(津田)は、呆れついでに気を揉む。さうかうしながらも何時しか春子と四郎は男女の仲に、春子目当ての客で、食堂も賑はふ。そんな最中、初登場時は張りのあるビロードの美声しか聞かせぬ東(牧村)が、春子に接触する。実は春子は、大森食堂の物件目当てに東から送り込まれた、正しくハニーな罠であつたのだ。因みに東が何時も口ずさむのも通り越し朗々と披露する曲は、河瀬純の「恋情乙女」。
 太田始と今泉浩一、それに田中康文も、大森食堂の常連客要員、その他もう若干名見切れる。「ハード・レイプ すすり泣く人妻」(2003/脚本:渡辺護/主演:富士川真林)以来となる、まさかの電撃ピンク帰還を果たした今泉浩一は、久し振りに見ると一見平井堅のレプリカかと見紛つた。その他数度明示的に抜かれるギターを抱へた男が判らない、ドンキー宮川(=宮川透)ではなかつた。終盤飛び込んで来る浅井舞香は、東の情婦・エリナ。最早映画館シリーズでも何でもない上野オークラ劇場(旧館)のロケーションは、東のアジトと、屋上が木に竹しか接がない池島ゆたか・オン・ステージの舞台。
 いい塩梅にガッハッハな親爺と普通にチャキチャキな若い娘の妹とは対照的に、とつくに若造といふ歳でもないに関らず、何時まで経つても青二才の主人公。ある日青二才は、如何にも訳アリな商売女が町を牛耳るヤクザの子分に手篭めにされる現場に遭遇、物の弾みで助けて匿ふ破目に。女は一家で営む定食屋にも馴染み、青二才と心身を通はせる束の間の幸せな日々。ところがやがてヤクザが女を奪還、あるいは元鞘に。青二才は意を決し、蛮勇を振り絞りヤクザの根城にカチ込む。果たして青二才と、女の運命や如何に?荒木太郎の2012年第一作は、シンプル極まりない下町人情活劇を、荒木太郎は矢張り何処まで行つても荒木太郎なので素直に形にしない、もしくは出来ない。今回は出演しない自身を投影したかのやうな非力でナイーブな造形の、那波隆史のカチ込みがてんでサマにならない時点で完全にズッこけてしまふ以前に、序盤中盤を通しては展開上ではなく、テーマ的に順調に躓く。春子が折に触れ口にする、人間が生きて行くのに大切な“誇り”だの“誰も見向きもしない花”が好きだのと、悪し様に筆を滑らせてのけるが、この際ハッキリいふとピンク映画にしがみつく己の為に撮つてゐるかのやうな、しみつたれたセンチメンタリズムは女々しくて矮小で喰へたものではない。荒木太郎にお門違ひを望むやうな気が我ながらしないでもないが、アンチェンジドの気概を胸に、高楊枝でデス・マーチに赴く外連を、せめてプリテンドでも見せられないものか。貧相なんぞ、とうに鏡に見飽きたは。もう少し那波隆史に話を戻すと、この人に好い人を演らせたところで自堕落に弛緩するだけなので、経験則としてオフ・ビートな悪漢以外にハマリ役が無かつたことも踏まへると、今作の劇中世界の中では、東の組に草鞋を脱ぐほかはなかつたのではあるまいか。十年どころか四十年一日のプロテスト・フォーク「原発アウト」―この曲の歌手がギター男?―を捻じ込ませる辺りは御愛嬌の範疇にしても、ここも実に荒木太郎らしく、だからこそなほ一層始末に終へぬ点なのだが、適宜御丁寧に作劇のつつがないリズムを進んでチャカチャカ阻害する、池島ゆたかの空騒ぎは全く以て為にするものでしかなからう。津田篤も津田篤で絡みを除くと、適当に周辺をブラブラするに終始する。一方、覚束ない演出部と男優部に代り、女優部は総じて堅調。文月はヴィジュアル・佇まひの両面で、事と次第によつては小型二代目の風間今日子たり得る逸材、であるかも知れない。闇に染まつた女の毒々しい色香を振り撒く浅井舞香も、三番手濡れ場要員の枠内にガッチリ納まりながら妖しく気を吐く。そして本篇初陣にして主演といふと、オーピーなのにエクセスライクな愛田奈々は、恵まれたタッパとたははなオッパイ、加へて、あまり抜かれないのが残念な抜群に美しい背中も堪らないが、何よりも効果的に切り取られた薄幸顔が素晴らしい。貧者の物語に、情感豊かに映える。但しくどいやうだが那波隆史に話を戻すと、さうはいへ演技的には決して磐石ではない新人主演女優をサポートするには、同様に心許ない那波隆史では形になり難い。いはずもがなを憚りもせずにいふが、愛田奈々×那波隆史と、愛田奈々×牧村耕次。二つの両義的な絡みを比較した場合、その差は歴然。特別出演勢に話を進めると里見瑤子はイントロダクション役を明朗にこなし、十年前に死んだ息子の蔵書を、寄贈した大森食堂図書室にて懐かしむ女に扮する佐々木基子は、自主映画にプロの女優が出演したかの如き、出し抜けな本格を叩き込む。荒木太郎が如何にも荒木太郎的に撮つた結果、如何にも荒木太郎的に仕方ない。良くなくも悪くも作家主義的な一作ではあれ、愛田奈々に現時点で二作主演作―に、二番手がもう一作―が控へることを踏まへれば、今後に大いなる楽しみを残しもする。それらが全て矢張り荒木組であることに関しては、一旦気付かなかつた方向で。


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 「感じる若妻の甘い蜜」(2012/製作:《株》旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:田中康文/撮影:飯岡聖英/照明:ガッツ/編集:酒井正次/助監督:北川帯寛/音楽:宮川透/監督助手:原田眞行/撮影助手:宇野寛之/編集助手:鷹野朋子/メイク:佐々木愛/タイミング:安斎公一/応援:小林徹哉・金沢勇大・中川大資・江尻大、他三名・大高伸/協力:オフィス吉行・多呂プロ/出演:管野しずか・荒木太郎・赤西ケイ・佐々木基子・池島ゆたか・那波隆史・野村貴浩・太田始・小林節彦・松井理子・望月梨央)。出演者中、小林節彦以降は本篇クレジットのみ。照明のガッツは、守利賢一の変名。ポスターでは、製作は《株》旦々舎とラボアブロスに、どうもこの辺りが判然とせん。
 くたびれて帰途に着く荒木太郎と、歩道橋の上、如何にも訳アリな風情で終に歩を進める力も失ふ管野しずか。男が女と出会ふ、女は左腕に、袖を鮮血が染めるほどの傷を負つてゐた。黄昏たススキ野原を歩く荒木太郎と管野しずか、メイン・テーマが火を噴きタイトル・イン。のつけから、映画が半端ない。
 三年後、タイトル前にもモノローグで語られるが驚くことに結婚してゐた津田政志(荒木)とかなえ(菅野)は、六年三本前の処女作「裸の三姉妹 淫交」(2006/脚本:内藤忠司・田中康文・福原彰=福俵満/主演:麻田真夕・薫桜子・淡島小鞠)に於ける華乃家と同じ物件にて、慎ましくも穏やかな暮らしを送る。とはいへ、おとなしくそこで満ち足りてゐればいいものを、「協亜生命」第三営業部に勤務する津田は会社が進める保険の新プランに反抗、係長に降格されるに止まらず、新課長はかつての部下であつた森田(野村)。旧知の部長・佐藤(池島)の尽力で辛うじて首が繋がる、針のむしろに座つてゐた。那波隆史は、佐藤が津田を連れて行く会員制の秘密クラブ「SINA」のマスター・前島、ついでにバーテンダーは北川帯寛。そこで女を抱く自らの姿を撮影させるのが佐藤の趣味で、津田は要は、体のいい撮影係だつた。赤西ケイが、ここで佐藤に抱かれる頑なに表情を失した女・亜門。一頻り落ち着いた、抜群のタイミングで飛び込んで来る佐々木基子は、第三営業部最強の生保レディ・羽田奈津美。親睦会と称して連れ出した―保険新プランに反対し現場を混乱させた―津田を、猛女連で集中攻撃。ほぼ前後不覚にまで追ひ込まれた津田は、ホテルにて羽田からパワハラ込みで捕食される。目に留まつたのが、連れ込み内での佐々木基子の、近年覚えがない艶やかな美しさ。本篇二戦目にして銀幕映えするクール・ビューティーを加速させる管野しずかと、固定された無表情に壊れた心を押し込める赤西ケイ。そして三番手の濡れ場にも貪欲に織り込まれたドラマを、頑丈な芝居で綺麗に形にする佐々木基子。適材適所が迸る巧みな戦略にも裏打ちされた、三花繚乱が実に素晴らしい。その三日後、津田が何時も通りに重たい気持ちで出勤した駅。目が合つた津田を、物凄い―本当に物凄い―表情で見詰め返した太田始が、津田の眼前電車に飛び込む。
 配役残り松井理子と望月梨央は、「SINA」の店の女。小林節彦はかなえの回想中、かなえを犯す二人組の片割れ、もう片方は不明。応援部隊からは僅かに、「SINA」店内で羽目を外す江尻大は視認出来た。仮に応援勢が「SINA」店内と協亜生命社内要員だとすると、女子社員役の女の名前が足らない。
 新東宝からオーピーに越境しての四年ぶり第三作「女真剣師 色仕掛け乱れ指」(2011/主演:管野しずか)から、七ヶ月間を置いての田中康文第四作。もう少しビシバシ量産体制に入つて頂けると、有難いところでもある。加へてへべれけな切り口で恐縮ではあるが、加藤義一は精度にムラがあるのとどうしても映画全体にコシがないゆゑ、城定秀夫の本格娯楽映画を追撃するに当たつてこの世代では田中康文が最も近い位置にゐると、常々ぼんやり目するものである。さういふ勝手な期待には、今作は必ずしも応へない。うらぶれた中年男が、謎めいた若い美女と刹那的に出会ふ。何時しか二人は何故か結婚、さうはいへ男は自爆気味にうらぶれ続けた挙句に、姿を消す。蓋を開けてみると案外狭い世間に分け入り、女は男を捜しに行く。詰まるところは行間ばかりのたつたそれだけの始終で、笑つて泣かせて色々あれこれあつた末に、統一的な物語が目出度く見事に大団円。といつた類の映画では、本作は全くない。然れども、宮川透と撮影部の驚異的な働きに支へられ、劇映画としての体裁を損なはない最低限に叙事は止め、器の残りは正しく溢れんばかりの無尽の叙情が満たす。鳴り始めるや即座に捕獲した観客の心を、劇中世界に放り込み離さない劇伴の威力にも震へさせられつつ、兎にも角にも撮影が超絶。日常に非ざる異界を鮮やかに現出する「SINA」の店内空間、荒涼とした中に一掴みの温もりも残すススキ野原の外景、一連二つといふ意味で二連のショットには度肝を抜かれた。時代に後れるどころでは最早済まない懐古趣味を臆面もなく振り回すが、映画はどうしてフィルムでなくてはならないのか。口で簡単にいふと目に見えないものも映すから、となるが、一つの具体的な結果は間違ひなくここにある。画面に興奮するのみで技術的な領域に踏み込んでは一個も見通せない節穴を憚りもせずに、なほかつ下手な物言ひを滑らせれば、とても他の組と同じ機材同じ条件で撮つてゐるやうには思へない。僅かに観た限りではあるが、数十倍、数百倍の予算で製作された一般映画にも易々と互角以上に戦へよう、この画そのものが有するエモーション。テーマ的な部分に関して適当に掻い摘むと、ところで処世スキルはゼロで労働意欲はレス・ザン・ゼロな間違ひだらけの管理人は、現に年が明けると非自発的に無職になる―どうだ?鬼よ、泣け―のだが、実際に幾多と居るであらう津田の如きダメ中年男が、蒸発しても追ひ駆けて来るかなえのやうな健気で若くておまけに美人、一言でいふと理想的な女の存在に孤独を免れ得るだなどといふのは、竜や魔法使ひが出て来る以上のファンタジーに過ぎまい。いふまでもなく、よりリアルなのは太田始の姿だ。クライマックスの遣り取りも決して磐石ではなく、本来ならばかういふ都合のいい惰弱な嘘―南風系のコメディの場合には、また話は別だ―に対しては、意固地を拗らせた脊髄反射的な反発も込みで首を縦にはまづ降らないものが、濃密な映画の力にまんまとチョロ負かされ、ストレートに圧倒されてしまつた。完敗を認めるほかはない、娑婆の冷たさに凍えるまでは。寧ろ、忘れさせて呉れると助かる、それは小生の修行の問題か。

 因みに、助監督の北川帯寛と協力からは金沢勇大・中川大資・江尻大の計四人は来年あるいは後(のち)に、池島ゆたかプロデュースの十五分×四本のオムニバス・ピンクで、合同監督デビューを果たす面々。尤も、今回―五月中旬公開の本作で―この四人の名前が揃つたのは、当時的には純然たる偶然だらう。


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 「白衣にしみる愛液」(2001『ピンサロ病院4 ノーパン看護』の2012年旧作改題版/製作:旦々舎/配給:新東宝映画/監督:的場ちせ/脚本:山邦紀/企画:福俵満/撮影:小山田勝治・大江泰介/照明:加藤賢也・蒔苗友一郎/音楽:中空龍/助監督:加藤義一・田中康文・渡辺光郎/制作:鈴木静夫/出演:望月ねね・風間今日子・佐々木基子・柳東史・真央はじめ・竹本泰志/Special Thanks:荒木太郎・内藤忠司・丘尚輝)。実際のビリングは、Special Thanksの三人挿んで竹本泰志がトメ。
 深夜の病棟を巡回する、ナース帽を被つた望月ねねのアップ・ショット。カメラが後ろに回ると、白衣はシースルーで、天使はその下に何も着けてゐないことが判る。再び前方から、スケスケの望月ねねを改めて押さへてタイトル・イン。簡略にして実に鮮烈な先制パンチ、量産型娯楽映画としての、工芸的な凄味すら窺はせる。無論、十二分な煽情性とともに。
 城西多摩病院病室、検査入院中の厚生労働省―新東宝の公式配信サイトには厚生省とあるが、今作封切りは八月、即ち一月の中央省庁再編の後である―職員・石井正史(竹本)と、恋人で当病院看護婦の緒川倫(望月)のネットリとした情事、色んな意味で羨まし過ぎて身悶えする。不用意に筆を滑らせると、最終的には絶妙に美人ではないところまで含めて、望月ねね(a.k.a.中渡実果)のカラダはどうにも堪らん。喫煙所での一服を婦長の水上裕子(佐々木)にたしなめられる一幕噛ませて、何処にも異常の見当たらない検査結果に医師で院長の息子の村田淳一(真央)は首を捻るものの、石井は強ひて違和感を訴へ、入院期間の延長に漕ぎつける。実は石井は猥褻な診療の噂される城西多摩病院に、密偵として潜り込んだものであつた。煙草を思ひ留まり、ジュースでも買ふかとした石井に、右足を骨折した入院患者で後述するが相変らず金髪の、岡田利夫(柳)が接触する。先輩風を団扇で吹かす岡田いはく、城西多摩病院には入院が長引けば長引くほど受けられる、スペシャル・サービスがあるとのこと。石井は俄に、倫が患者達にもその身を任せてゐるのではないかとの猜疑に駆られる。そんな中、石井の病室に検温に訪れた看護婦の夏目恭子(風間)が、“Special Heaven”の文字とセクシーな唇の刷られた、如何にも妖しげなピンクのカードを残して行く。
 Special Thanksの三人は、スペシャルの進化形、パラダイス要員。終に石井が自ら飛び込んだ、楽園のファースト・カット。風間今日子を左右から内藤忠司と荒木太郎が挟み、カメラが左にパンすると、佐々木基子を同じく丘尚輝と真央はじめが挟む。
 「ピンサロ病院 ノーパン白衣」(1997/企画・脚本:福俵満/主演:麻生みゅう)で幕を開いた「ピンサロ病院」シリーズの、最終第四作。因みに第二作と第三作は、それぞれ北沢幸雄と渡邊元嗣が担当してゐる。尤も、シリーズとはいへ各作に物語的な連関は一切全く本当に欠片もないゆゑ、ノーパンの望月ねねと金髪の柳東史が居ることに引き摺られると、「ノーパン白衣 濡れた下腹部」(2000/脚本:山邦紀/主演:佐々木麻由子)の姉妹作、といつた印象がより強い。今回珍しいのが、半ばどころか殆ど職務もそつちのけに、倫への暴走気味な嫉妬心に身を焦がす石井の疑心暗鬼を軸に物語が進行する。即ち事実上の主役が男であることと、当然それ故的場ちせ(=浜野佐知)平素の、猪突猛進で男供を蹴散らす苛烈な女性主義は、風間今日子・佐々木基子と何れも強力な牽引車が控へてゐながらほぼ全く鳴りを潜める。代つて前面に飛び出して来るのは、石井が悶々と膨らませるイマジンを開き直つた火蓋に、濃厚な濡れ場濡れ場をひたすら連ね倒し続ける桃色の重厚長大主義。着地点たる、城西多摩病院で行はれるパラダイス治療と称した要は患者と看護婦と医師による乱交を、三位一体の理想郷が如く落とし込む方便は底が抜けてゐる割には、妙な安定感を誇る。四の五のいはせず女の裸を腹一杯に愉しませて、案外スカッと映画を畳む。作家的には不満が残るのかも知れないが、ノンポリと観る分には何ら不足はない裸映画の快作である。

 最後になつてしまつたが、本作は薔薇族除くと2001年浜野佐知、驚くべきことに僅か一作きりのピンク映画となる。但し三週間弱後に、一般映画第二弾「百合祭」(ビリング下位に斎木亨子《=佐々木基子》と風間今日子ら)が公開される。


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 「極選マダム 前も後ろもナマで」(1997『本番熟女 女尻の奥まで』の2008年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山邦紀/撮影:田中譲二・松本治樹・鏡早智/照明:秋山和夫・渡部和成/音楽:中空龍/助監督:佐藤吏/制作:鈴木静夫/効果:時田滋/スチール:岡崎一隆/出演:成瀬美佳・吉行由実・青木こずえ・真央はじめ・樹かず・杉本まこと・久須美欽一)。
 和装の久須美欽一が、四つん這ひにさせた成瀬美佳の陰部周囲を髭剃り用のやうなブラシで責める。ブラシにはコードが付いてあり、コードの先には自作したと思しきこれは計器といふことなのか、適当に動くメーターと、パカパカ馬鹿みたいに点滅するランプ。久須美欽一が成瀬美佳の性感帯を測定してゐるらしき風情を伝へてタイトル・イン。
 夜の山田家、夫の和夫(真央)は、妻・未知子(成瀬)の打ち明け話に呆れ気味に仰天する。黒木真三(久須美)が主宰する「黒木健康道場」に於ける診断の結果、未知子の性感帯は、尻の穴の奥にあるといふのだ。健康道場自体がインチキ臭いとまるで取り合はない和夫は、真剣な未知子の言葉にも耳を貸さず何時ものやうに独り善がりな正面戦を展開する。その話を未知子から聞いた御近所で、未知子に健康道場を紹介した張本人である香山由岐(吉行)は憤慨する。オッパイの裏側といふ診断結果を受けた由岐は、夫の徹(樹)とそのことを実践に移した夫婦生活を満喫してゐた。然し十五年前のピンクに触れて改めて驚愕するのは、吉行由実は年を取らないのか!“埋れたまま等閑にされた性感帯が、心身のバランスを崩す”とする黒木理論に心酔する由岐は、何と大胆にも話の通らぬ和夫に代り、徹を未知子に貸し出すことを申し出る。徹的には、棚から牡丹餅感が比類ない。一方、未知子がいかがはしい新興宗教の類にでもハマッてしまつたのではないかと、満更明後日でもない危惧に気を揉む和夫は、未知子の妹・喜多川玲(青木)に相談する。一方一方、黒木は相談を重ねる未知子に、対照的な位置にある、即ち菊座深部に性感帯を有しつつ、一切登場しない妻からは相手にして貰へない吉沢順市(杉本)を引き合はる。
 薔薇族挿んで、浜野佐知1997年第二作。因みにこの年の浜野佐知は、薔薇族込みで全十三作を発表してゐる。量産型娯楽映画を実際に量産し得た、時代の何と麗しきことよ。状況が許さうと許すまいと、現に撮り上げた浜野佐知も凄いことは、無論いふまでもない。主演の成瀬美佳は、首から上を正対して捉へると、顔の曲りがスクリーンの大きさには正直耐へられないものの、柔らかな丸みも決して失はぬスレンダーなプロポーションは抜群に美しく、吉行由実との対比が非常に映えるのと同時に、青木こずえをも鼻差で凌駕する。但し、新日本映像公式にあるテレビ番組「平成女学園」出身といふ、当時的には訴求力を有してゐたであらうプロフィールは、現時点では確認出来なかつた。話を戻すとフル・ショットにして初めて画面を支へられる反面、表情から決して豊かではないお芝居の方は、何処まで譲つても御挨拶程度。それゆゑ、一応理解のない夫は余所に妻が自力で自身の性的絶頂を追及する。といふ如何にもらしい物語ではありながら、浜野佐知一流の前に出る馬力は感じさせない。寧ろ心に残るのは、さしたる罪も無いのに生活の崩壊した和夫に対する気の毒さ。破局の直接的な契機は、黒木の下から帰宅した未知子が、目撃する和夫と玲との情事。確かに、旦那を実の妹に寝取られるショックは理解に易しいとはいへ、そもそも己も己で健康道場で吉沢と一戦交へて来た帰りである以前に、重ねてその時点で既に、未知子が劇中男衆を総嘗めにしてゐること。更に映画的には。導入の強引も通り越し些か粗雑な和夫V.S.玲戦が三番手の濡れ場を無理矢理捻じ込んだものであることは、断じて忘れられるべきではない。となると久須美欽一は一旦別格として、真央はじめ×樹かず×杉本まことと男優部も色男を三枚揃へた、エロ映画はエロ映画にしても綺麗なエロ映画。といふ側面ともう一点目を引くのは、家を捨てた未知子が転がり込んだ黒木健康道場に、同様に遅れて吉沢も現れるラスト・シーンを、あたかも漸く結ばれた運命の恋人同士でもあるかのやうに堂々と描いてみせる、底の抜けたロマンティックがケッ作。(浜野佐知自宅の)庭の中央にて固く抱き合ふ未知子と吉沢を、縁側から黒木がウンウンと満足気に見守るカットの、開き直つた紋切型が清々しく笑かせる。ベタであることこそが娯楽映画の神髄、一観客の立場で、私はさう信ずる。


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 「色欲をばさん むしやぶる犬」(1995『犬とをばさん』の2012年旧作改題版/製作:旦々舎/提供:Xces Film/監督:浜野佐知/脚本:山崎邦紀/撮影:稲吉雅志・片山浩/照明:秋山和夫・新井豊/音楽:藪中博章/編集:㈲フィルム・クラフト/助監督:戸部美奈子・池尾利夫/スチール:岡崎一隆/制作:鈴木静夫/録音:ニューメグロスタジオ/現像:東映化学/出演:辻真亜子・サンデー《オス・4才》・桐野桜・小川真実・ジャンク斎藤・山本竜二・リョウ)。
 何を塗つてゐるのか、全身長い毛に覆はれた大型犬が裸のをばさんの体をベロンベロン舐め回す、確かに衝撃的ではある開巻。これで女がもう少しでいいから若ければ、まだしも立つ瀬があつたものを。“オールド・イングリッシュ・シープドッグ オス・4才”といふ犬に関するキャプションに続き少し間を空け女にも、“辻真亜子 メス・54才”と入る突き放したドライさが笑かせる、マキシマムに平等な天の視点だ。をばさんが犬に後ろから突かれる正しく獣の体位を、真正面から押さへた画にタイトル・イン。
 滑川家、妻の真理子(小川)が愛犬のサンデー(犬セルフ)を甲斐甲斐しく世話し、その姿を、夫の吾郎(リョウ)は満足気に見やる。一方不自然にガン見えの門の外からは保険外交員の斉田チカ(辻)が、憎々しげな視線を送る。“私だつて昔は、あんな犬飼つてたのに”といふチカが帰宅すると、届いてゐたのは消費者金融からの督促状の束。仔細は一旦語られぬまゝに、対山本竜二・対ジャンク斎藤の二連戦を想起する。一発逆転を期したチカは翌日、牛ステーキ肉500g特上を文字通りの餌にサンデーを連れ去ると、滑川家に五百万円を要求する電話をボイス・チェンジャー越しに入れる。ところが悲愴な真理子に対し、五百万しない犬に五百万も払へるかと脊髄で折り返した単純計算で臍を曲げた吾郎は、電話を無下に切つてしまふ。盗人猛々しいことこの上ないが、チカは吾郎の冷淡さを難じてみせると、改めて山本竜二とジャンク斎藤を再回想。かつてはそこそこのチカの蓄へは、医師を騙る結婚詐欺師・川島誠(山本)に騙されゼロとなり、ハードコアな老け専・花熊雄二(ジャンク)との出会ひで、目出度くなくマイナス、憐れ借金持ちにといふ仕方のない次第であつた。
 配役残り名前は綺麗な桐野桜は、チカの姪・江口祐未。チカ曰く“私のものは何でも欲しがる”だとかで祐未が川島を寝取るのが、三番手の濡れ場を見せる方便。
 浜野佐知1995年第一作は、当時エクセスが認めたエクセス最大のヒット作。その後抜かれてゐる、可能性もなくはないが。三本立て―あるいは二本立て―公開を旨とするピンク映画にあつて、何を以て“ヒット作”と称するのかは冷静に考へてみればよく判らないものの、エクセスがさういふのだから、ここはひとまづ鵜呑みにするとしよう。尤も、キッドならぬドッグナップのほかは全く以てこれといつた手数にも欠く展開を、仕方がないかの如く回想込みの濡れ場でひたすらに埋め尽くす、濃厚なのだか稀薄なのだか議論の分かれる下元哲ばりの全体設計。男に懲りたから牡犬に、といふフリーダム極まりない着地点も奇想としては酌めぬでもないと同時に、流石にそれだけの大飛翔を納得させるに足るドラマの分厚さには、必ずしもにも至らず到達し得てはゐまい。所詮は口跡の覚束ないロートル女優―未満―が御犬様と絡むのが何がそんなに楽しいのかと、何故(なにゆゑ)にリアルタイムの客席の好評を博したのか清々しく理解に遠い上に、その点に関して、殊勝に自らの不分明を恥ぢるつもりもない。直截にいへば何でこんなものがヒットといふほどヒットしたのか解せない、あるいはもつと面白い浜野佐知は幾らでもあるだらう、とでもいひたくなるチャーミングな一作。尤も尤も、見所も決してなくはない。一度目の犬代金要求電話、法外な金額を吾郎が一笑に付し、一旦交渉は御破算に。すると出し抜けに真理子が吾郎の尺八を吹き始めるので、この女気でも触れたのかと観てゐると、それが後生だからサンデーを助けて欲しいといふ哀願であつたのには、感動的に馬鹿馬鹿しい夫婦生活の導入にグルッと一周して魂が洗はれた、少し筆が過ぎた。それともう一点、こちらが獣姦シークエンスをもさて措かせる今作のハイライト。子供の居ない滑川夫婦は、サンデーを実の子供のやうに可愛がつてゐた。その、そもそも滑川夫婦に子供の居ない理由といふのは、吾郎の種無し。そのことを無造作に真理子に指摘されたのも含めてか、居酒屋で一杯やりつつたかが犬に五百万だなどと矢張り釈然としない吾郎が帰宅すると、真理子は自慰の真最中。しかも、サンデーの名を叫びながら。手を噛まれるどころか、選りにも選つて飼ひ犬に女房を寝取られた衝撃に、吾郎は溝のやうに深い深い皺を眉根に刻み込み苦悩する。これこれこれ、旦々舎はかうでないと!女を寝取られ、闇雲に難渋に煩悶するリョウ(a.k.a.栗原良・ジョージ川崎、更に相原涼二)のショットにお目にかゝれただけで、元が取れるのも通り越し大喜びすらしてのけるのは、流石にどうかしてゐやがると我ながら思はぬでもない。

 因みに、適当に纏めてみると本作は全て監督は浜野佐知による、辻真亜子のをばさん三部作の最終章に当たる。第一作は1994年第五作「近所のをばさん -男あさり-」、二作目は「男あさり」の翌月二作後、時期的にはお盆映画に当ると思しき「近所のをばさん2 -のしかかる-」。「男あさり」も、2000年に「破廉恥をばさん 欲しくてたまらない」と旧作改題されてはゐるが、流石に今からそれを観るのはほぼ不可能か。更に因みに、本作の続篇が同年十一作後の「新・犬とをばさん むしやぶりつく!」(主演:野際みさ子)。御犬様は同じ犬で、リョウと山竜も出て来るが、お話は一欠片も繋がらない、相変らずリョウがサンディに女房を寝取られる以外には。


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 「秘書とお医者さんごつこ」(1999『巨乳秘書 パンストの湿り』の2012年旧作改題版/制作:セメントマッチ/配給:新東宝映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/企画:福俵満/製作:深町章/撮影:清水正二/音楽:大場一魅/編集:酒井正次/助監督:森山茂雄/監督助手:佐藤吏・栗本吉晴/撮影助手:岡宮裕・岡部雄二/録音:シネキャビン/スチール:津田一郎/現像:東映化学/協力:山田美沙子《うさぎ》/出演:北千住ひろし・いずみゆきこ・風間今日子・南けい子・神戸顕一・つーくん・山ノ手ぐり子・水原かなえ・篠原さゆり・石動三六・千葉誠樹・山本幹雄・瀬川ゆうじ・睦月影郎・山内大輔・おくの剛・乾井健・木村健二)。出演者中、山ノ手ぐり子(=五代暁子)の実息である、円(つぶら)くんの愛称つーくんがポスターにはツーくん、石動三六以降は本篇クレジットのみ。
 新東宝カンパニー・ロゴ時から鳴る、童謡「むすんでひらいて」の戦慄もとい旋律に乗せタイトル・イン、薄暗い都心の遠景、マンション外景。廊下を闊歩するスタイル抜群の巨乳秘書を、オレンジ色のツナギを着た掃除夫が見やる。ごつた返す児童書専門出版社「ワンダー書房」社内、社長の野々村克也(北千住)が、本を売れない営業の木村(神戸)に雷を落とす。ここで出演者中石動三六以降は、オフィスの広さからいふと明らかに過多な社員要員+α。人が溢れてゐる、それでは仕事にならんだろ。手短に各自抜くカットが設けられ、佐藤吏と福俵満も見切れる一方、森山茂雄は未確認、山内大輔は顔が判らん。もしかして、今岡信治に感じが似てないか?更にトピックとしては、“黄昏の映写技師”・“都市伝説具現者”なる大仰な異名を誇る映写技師・木村健二こと通称のろけんが、地味に目立つ掃除夫。再び廊下、木村は一晩を過ごした社長秘書の霧島カオル(風間)に食下がるが、カオルにとつてそれは酔つた上での一夜の過ちに過ぎず、まるで相手にしない。今作特筆すべきは、御馴染み御自慢のオッパイはいはずもがなにしても、風間今日子が尻も実に素晴らしい。これほどまでに美しく撮られた風間今日子の尻を観た覚えがないが、ただ単に忘れてゐるだけなのかも知れない。閑話休題、帰宅するや野々村は「タッダイマー☆」とか素頓狂な大声を上げると、北千住ひろし十八番の気色悪い満面の笑みとともに男児に変貌、出迎へた妻の幸子(いずみ)も、襟の巨大なフッリフリの白ブラウスにヒッラヒラの赤いスカートを合はせ、御丁寧に頬は日の丸の如く赤く塗つてゐる。そのまゝ幼い兄妹に扮した夫婦生活、寝際に野々村が「あしたはボクの番☆」といふと矢継ぎ早に翌日は、今度は野々村が赤ちやん、幸子は母親に扮した夫婦生活。即ち、子供もゐないのに玩具と絵本で一杯の寝室で繰り広げられる交互の幼児プレイが、結婚後六年続く野々村家の夜の営みであつた。更に翌日、会社では仕事ぶりに大人の男を見たカオルに、子供の心を忘れたくない―全然忘れてない癖に―だなどと気取つてみせた野々村が帰宅。何時ものやうに「タッダイマー☆」と素頓狂な大声を上げるも、幸子は出て来ない。不審に思ひ二階の寝室に上がつた野々村は愕然とする、幸子が間男に寝取られてゐたから、では別にない。普段着の幸子が、本物の子供をあやしてゐたからである。聞くと御近所のシングルマザー・桜木諒子(山ノ手)の息子・ツヨシ(つーくん)を預つてゐるとのこと。野々村はつーくんに幸子と玩具に絵本、加へて日々の楽しみである健康ヨーグルトまで奪はれたのに本格的に駄々を捏ね、諒子がつーくんを引き取り帰つた後(のち)、つーくんが汚した積木を、ウェットティッシュで強迫的に拭き清める。その姿に、幸子は呆然と引く。
 配役残り南けい子は、先に夢から醒めた幸子との関係に行き詰つた野々村が、昼休みの職場で隠し読む『SMスナイパー』誌の広告を頼りに調達する、幼児プレイ専門の女王様・レイカ。本格ビザールの出で立ちから半ば自動的に予想されるやうに、レイカでは野々村の飢ゑは癒されない。
 昼間は出版社の敏腕社長、夜は子供よりも子供な、奇怪な擬似幼児。ドラスティックな二重生活を切り抜ける、それでゐて幸福な男の日常は、無垢な闖入者の存在により壮絶に崩壊する。女優が先頭に来ない変則的なビリングが名は体を表す、1999年池島ゆたか薔薇族挿んで第三作はサイコ・ピンクの傑作。三番手の濡れ場をも進行上効果的に利す論理性も唸る、起承転結の転から決への一直線さが清々しい的確な展開。いはゆる“適齢期”も踏まへ、俄に我に帰り世間の代弁者たるいずみゆきこ(a.k.a.泉由紀子)の好アシスト。そして何はなくとも特筆すべきは、平素は大き過ぎる振りゆゑ周囲から浮いてしまふ例もまゝある、怪優・北千住ひろし一世一代の大芝居。別に今作で、引退してしまふ訳ではないが。重ねて震へさせられたのが、潔く、あるいは賢明に絡みの誘惑は排したクライマックス、火を噴く脚本止(とど)めの一撃が衝撃的に素晴らしい。“芝居”は何時終つたのか、夫婦の間で食違ふ前後。そこに現出するは、“現し世は夢であり、夜の夢こそ誠”。かつて江戸川乱歩が提出した、名定立の精神でなくして何であらう。北千住ひろしが渾身の狂気を振り抜く惨劇エンドの後味は決して良い筈がないのに、凄いものを観たといふ映画的興奮が何故か心地良く残る。本作に触れずして、北千住ひろしを語ることは許されまい。

 強烈な物語を持て余してか、元題今回新題と二番手に逃げてゐる―因みに野々村が“お医者さんごつこ”に戯れるのは幸子とで、カオルとではない―のに対し、2002年最初の旧作改題に際した新題は「夫婦性生活 幼児プレイ」と、甚だ無力な正面戦を試みてはゐる。それと今気づいたが、主人公夫妻の役名は、ノムさんのところから持つて来てゐる。


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 「桃尻同級生 まちぶせ」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:小原宏裕/脚本:西岡琢也/企画:進藤貴美男/プロデューサー:中川好久《N・C・P》・結城良煕《N・C・P》/撮影:杉本一海/照明:木村誠作/美術:徳田博/編集:鍋島惇/録音:木村暎二/音楽:甲斐八郎/助監督:加藤文彦/色彩計測:高瀬比呂志/製作担当:鶴英次/スチール:井本俊康/出演:寺島まゆみ・太田あや子・高原リカ・森村陽子・藤ひろ子・梓ようこ・中丸信・上野淳・砂塚秀夫・石田和彦・島村謙次・松田章・桐山栄寿・広田正光・龍駿介、他・伊沢一郎《友情出演》)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。
 大阪ミナミ、たむろする「万引き売春のミキ」なる悪名を誇るミキ(寺島)とトルコ「天国」の未成年泡姫・圭子(高原)に、ノーパン喫茶で働くさおり(太田)が、セーラ服姿で合流する。因みに、三人の劇中設定年齢は十七歳。ここで、いの一番に最も肝要な点に触れておくと、主演の寺島まゆみは翌月の「ズームアップ 聖子の太腿」(二月/監督:小原宏裕)を皮切りに、「聖子の太腿 ザ・チアガール」(七月/監督:川崎善広)・「聖子の太腿 女湯子町」(十月/監督:中原俊)と、昭和57年に三作製作された「聖子の太股」シリーズ(憚りながら全て未見)に主演。当時“ポルノ界の聖子ちやん”と人気を博したとのことだが、少なくとも純然たる今の目で見てみると寺島まゆみと松田聖子が似ても似つかない以前に、歌は確かに上手いにしても所詮は芋臭い田舎娘の松田聖子よりも、パキッと都会的に洗練された寺島まゆみの方が余程美人に思へる。ミキは万引きを見咎められたガードマン(石田)をホテルに連れ込み、さおりと圭子は各々の店での、三者三様の濡れ場と裸見せを経て、ミキが行方を探す、家出した妹・チビの噂をさおりが掴んでゐたところから、漸く物語らしい物語が起動する。スカウトに訪れるとのトップレス・バーで張り込んだ三人の前に現れたチビ(森村)は、豪奢なマンションの一室に居を構へ、何と同級生の中学生売春の元締として羽振りのいい生活を送つてゐた。演出の力もあつてか、実際に幼く見える四本柱は全く以てどいつもこいつも、大阪始まり過ぎだろ。その場では脊髄反射の反発を露にしつつ、やがて圭子・さおり・ミキの時間差でチビの軍門に下る。一方、思ひ詰めた風情のクラブ歌手・ヒデオ(上野)がチビのマンションを急襲。チビを手篭めにしかかるが、ヒデオは勃たなかつた。筆卸をお願ひした歴戦、といふか直截には退役して頂くに若くはないベテラン売春婦・あかね(藤)に心を折られたトラウマで、ヒデオは童貞にして不能であつたのだ。ヒデオのマネージャー・緒形(砂塚)はクラブに通ひ始めたチビに、ヒデオのインポ治療を依頼する。
 その他配役判つてゐる限りで、登場順に中丸信は「天国」での圭子客、島村謙次がノーパン喫茶の店長。伊沢一郎はチビのパトロンの、ブルジョア老紳士。梓ようこは、ヒデオが歌ふクラブのママ・薫。緒形の情婦であることと、泥酔すると店内で脱ぎ始める形で、六人目のこの人も濡れ場を披露する。更に判らない勢が、三羽烏中学時代の鬼教師から、乞食に身を落とした太田元先生、ノーパン喫茶の常連客で難波署風紀課刑事の田中。チビから宛がはれた、ミキ・さおり・圭子を一人で圧倒する絶倫男。各店店内要員に加へ、薫のクラブは、裏では東南アジア出身の女を流し荒稼いでゐた。緒形の手引きで四本柱が潜り込む取引現場の、ヤクザ一同。
 したたかな少女達の生き様を活写する、一般映画と見紛ふ分厚さが眩いロマンポルノ黄金期の一作。尤も、“したたかな少女達の生き様を活写する”だなどと、我ながら他愛もない紋切型を持ち出すほかはないやうに、矢継ぎ早に繰り出され続ける女の裸込みで七十分をサクサクと観させる以外には、これといつてストーリー上の面白さや、テーマ的な踏み込みを見せる訳でも別にない。強弁するならば寧ろ、下手な映画的グレードの高さが禍し、却つて個々の要素を吟味し難くなる逆説的な薄さも、ピンクとの比較に於いては指摘し得るのではなからうか。一点看過出来ないのは、東海道新幹線のホームから姉はヒデオと東に、妹は老紳士と西に消え、さおりと圭子を呆れさせるラスト・シーン。直前のヒデオと緒形の関係性に関するオチが、カットの根も乾かぬ内に綺麗に忘れ去られるのは、幕引き際に不可解を残す明確な大雑把。ともあれ、ピンク映画とは違ふだとかいふ当事者―の一部―の意識への感情的な対抗も込みで、ロマンポルノといふと我々もとかく不必要に構へがちになつてしまふのかも知れないが、考へてみると普請の潤沢逼迫に形式的な差異のあるのみで、最終的には裸映画は同じ裸映画。自動車レースのレギュレーションとは訳が違ひ、個別の各作が到達する地平の高低なり遠近に如何ともし難い格差が予め設けられよう筈も勿論ない。さういふ至極当たり前でしかない認識に、この期に改めて逢着出来たことは、今作に触れてのひとまづひとつの収穫といへよう。

 然し本篇の中身と、合致させるどころか寄り添はせようとする気配さへ窺はせない豪快さんなタイトルではある。


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 「いんび巫女 快感エロ修行」(2012/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影照明:飯岡聖英/編集:酒井正次/助監督:永井卓爾/監督助手: 山田勝彦/撮影助手:宇野寛之・大坪隆史/編集助手:鷹野朋子/応援:広瀬寛巳/効果:梅沢身知子/タイミング:安斎公一/協力:中田圭/協力:他一社、ウィズコレクション/出演:眞木あずさ・Maika・野村貴浩・なかみつせいじ・津田篤・西藤尚・山口真里)。出演者中、西藤尚は本篇クレジットのみ。
 飛騨山脈、渡邊元嗣四作前「人妻旅行 しつとり乱れ貝」(2011/主演:星優乃)に於ける、矢張り開巻の舞台としても見覚えの新しい高台。因みに、劇中設定では大蔵ならぬ大倉山。会社を無断欠勤してその地を訪れた樋口彩乃(眞木)が、ポップに思ひ詰めた風情で佇む。自らのお人好しを恥ぢる、イメージ風の絡み―その中に見切れる巨漢の男は、永井卓爾の役得か―を挨拶代りに噛ませ、弾みでバランスを失し崖から転落しかけた彩乃を、田島理恵(Maika)と哲司(なかみつ)のカップルが両側から腕を掴み危ふく助ける。山中、一年前に病死した姉・北島冴子の墓を参つた彩乃は、今度は男運のなさを嘆く。彩乃のこの一年の男性遍歴はといへば、浮気・ギャンブル狂・酒乱・女装・DVと来た止(とど)めに、結婚詐欺師に有り金を巻き上げられてゐた。消沈し自死すら口にする彩乃の前に、「そんなこと考へたらあんたブッ殺す」と物騒に、ベリー・ショートの巫女装束に三角頭巾を合はせた、冴子の幽霊(山口)が堂々と登場。彩乃が仰天したところで、幾らナベシネマにしてもショボ過ぎるタイトル・イン。
 彩乃が目を覚ましたのは、ペンション「大倉山荘」。傍らには相変らず平然と冴子―だから故人―と、代々巫女の血筋で実は霊能力を持つ彩乃だけでなく、冴子の霊が3Dでバッチリ見える、冴子の夫即ち彩乃からは義兄に当たる、「大倉山荘」管理人の亮太(野村)が。冴子今際の間際の夫婦生活回想をコッテリとこなした上で、妹の男難は、無節操な淫乱の悪霊が憑いてゐるからであるとする冴子は、改めて後述する悪霊祓ひの修行を彩乃に課す。やがて上達の兆しも窺へ、いよいよ姉とお揃ひの巫女装束を着装した彩乃を、何者かが昏睡させ拉致。彩乃が再び意識を取り戻すと、そこには妙に暗い表情の理恵と哲司とが居た。
 彩乃が二人を文字通り昇天させた「大倉山荘」に現れる津田篤は、ネット情報を鵜呑みに霊感女将を頼る竹内道彦。写真と声のみ出演の西藤尚は、半年前に没した道彦妻・尚子。
 2012年も好調を軽やかに維持する渡邊元嗣の第一作は、何はともあれ、何はなくともオッパイ映画の名作。冴子がこの世に残した未練云々や、クライマックスの姉妹キャットファイトへの導入。語り口は終始そこかしこでゴチャゴチャと滞つたり躓きはしつつも、細かいことは気にするな。映画にとつて必要なものを三つ挙げるとするならば、当サイトが提出する答へはアクション・特撮・女の裸。とりわけ最も肝要なものは、それはオッパイに決まつてゐるぢやないか。これは形而上学だ、異論・反証の類は認めない。もう一度いふ、何はともあれ、何はなくともオッパイだ、オッパイといつたらオッパイなのだ。何だか、処女の純潔を―どうかした勢ひで―激賞する北村透谷にでもなつた気分。今作の白眉は冴子が彩乃に施す、悪霊祓ひの修行と称した桃色特訓の数々。まづは水行、巫女装束の彩乃を滝に打たせ、背後から合羽を着た冴子が露にさせたオッパイを揉みしだく。続いては習字、習字?兎も角快楽を超克させるべく、“色即是空”を書かせた彩乃を後背位で、冴子が羽箒でくすぐり責める。更には縄を秘裂に喰ひ込ませる縄行―何だそれ―に際しては、何故かスクール水着を着用。その結果、結構際どい画をレス修正で見せる、もとい魅せる。今度は赤ブルマーでの、ローター仕込み山頂マラソン。そして仕上げがエクストリームに素晴らしい、絶頂に達する直前に張形を次々とチェンジする、御百度オナニー!バイブの輪の中心で眞木あずさが手当たり次第に新しいバイブを観音様に宛がふ光景は、馬鹿馬鹿しいのと同時に破壊力も抜群。エクセスのエロ映画重戦車軍団をも蹴散らし得よう、滅多にないナベの豪腕が火を噴く。かと思ふとそんなオッパイ祭りの合間には、一人風呂に浸かる彩乃を、亮太がドア越しに訪ねる件。浮かれてゐると何気ない繋ぎの一幕で、容易く正方向にホロッと来させる辺りには、映画監督渡邊元嗣の決して侮れない地力がスマートに漲る。明るく楽しく、なほかつ扇情的に眞木あずさのムッチムチのオッパイを尺もタップリと費やしお腹一杯に愉しませ、そこに山口真里の蕩けさうな美巨乳が適宜飛び込んで来る。眼福などといふ言葉では納まらない、この至福、このたほやかに満ちる多幸感。これが娯楽映画の到達点でなくして、果たして何であらう。単なる即物性に過ぎまいだとかいふ輩は、豆腐とオッパイ代りにマシュマロの角にでも頭をぶつけてデスればいい。とまれ、再々度繰り返すがオッパイ映画の名作。待てよ、流石に映画的に“名作”とまで評するのは、我ながら如何なものかと自省せぬでもない。それならば映画はさて措き、

 オッパイの名作。

 最後に、唯一の不満は、野村貴浩のポジションの、西岡秀記の不在。と書きかけて、嫌な予感がしたのでナベの2012年にザッと目を通してみたところ、二作前の2011年第四作「ノーパンの蕾 濡れたいの」(主演:西野翔)を最後に、西岡秀記の名前がビリングに見当たらない、卒業してしまはれたのか?元来が保守的な人間なもので、組常連の役者が居なくなることは、とても寂しい。
 コッソリ付記< 後部協力の他一社は、変心したオープンハートペンション平川


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 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(2011/製作:株式会社旦々舎/企画:鈴木佐知子/監督:浜野佐知/原作:沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ』 宮本百合子『伸子』・『二つの庭』/脚本:山邦紀/音楽:吉岡しげ美/撮影:小山田勝治/照明:守利賢一/美術:奥津徹夫/録音:吉田憲義/編集:金子尚樹/助監督:酒井長生/ヘアメイク:吉森香里/衣装:似内恵子《NPO法人京都古布保存会》・松竹衣装株式会社/制作:森満康巳/撮影助手:大江泰介・石田遼、他一名/応援:金沢雄大/制作進行:田中康文/メイキング編集:金澤理奈絵/タイミング:永瀬義道/タイトル:道川昭/協力:有限会社フィルム・クラフト、報映産業株式会社、有限会社アシスト、他多数/Special Thanks:鈴木静夫・ぴんくりんく編集部、他多数/助成:文化芸術新興費補助金/出演:菜葉菜・大杉漣・洞口依子・大方斐紗子・麻生花帆・平野忠彦・里見瑤子・齋木亨子・吉行和子・一十三十一、他多数)。
 大正十三年、雑誌『愛国婦人』の編集者・湯浅芳子(菜葉菜)が、招きに応じられぬことを詫びる電報を送りかけて、思ひ直す。時制は少し遡り、芳子の先輩で作家の、野上弥生子(洞口)邸。野上は十七歳でデビューし天才少女作家と騒がれた、同業者の中條百合子(一十三)を芳子に引き合はせる。ここでいきなり満を持して飛び込んで来る、先代の相沢知美から女中女王の座を継承した―青井みずき以前の代は知らん―里見瑤子は、野上邸の女中。朗らかに里見瑤子が茶を持つて現れた瞬間、さりげなく火を噴く完璧なキャスティングに拍手喝采した。サクサク場面は移り、緊迫した風情で百合子と、古代ペルシア語研究者で十五歳年の離れた夫・荒木茂(大杉)とが対峙する。百合子が片方向で愛情を失してゐるらしく、必死に食下がる荒木に対し、冷たい表情の百合子が「まるで、貴方に喰はれてゐるやうな気持ち」と、大概な一言を無造作に言ひ放つたタイミングで、ジャーンと鳴り始めるメイン・テーマと同時に、威力抜群のタイトル・イン。
 芳子が汽車に揺られて向かつた先は、福島県は安積の開成山。将来的には正式な別居を見据ゑ、執筆を口実に百合子が逗留する祖母・運(大方)の屋敷に、芳子は招かれる。意気投合を通り越し俄に燃え上がり始めた芳子と百合子は、二人の間に流れる感情が、友愛に過ぎないのかそれとも男女間の愛情と同じものなのか、意地悪をいふと白夜の如き開明性が微笑ましくもある、哲学的な問答に戯れる。伊藤整が三十余年後に提出する近代日本における「愛」の虚偽を、当然彼女達は何れも知らない。百合子を失ふ恐怖に荒木がジタバタ蠢動する一方で、百合子との満ち足りた日々の最中にも、芳子は破局を迎へた元恋人で芸妓の北村セイ(麻生)との悲痛な過去を度々想起、静かな予感を裡に秘める。
 出演者残り平野忠彦と吉行和子は、百合子の父母・中條精一郎と葭江。精一郎は微妙だが葭江は、荒木から離れて行く百合子の心境に理解を示すものの、娘の新しい恋人が、女であることまで果たして知つてゐたのか、即ち同性愛をも認容するのか否かは不明。齋木亨子(=佐々木基子)は、中條家のメイド。他多数は、押並べてエキストラ的面々。
 ピンク映画といふ、基本的には男が女の性を商品化する商業ポルノグラフィーのフィールドにあつて、女の側から、女が気持ちよくなる為のセックスを描くことを頑強に旨とし、四十年の長きに亘り三百本強の監督作を発表。狭い業界に止まらず社会全体を相手に今なほ苛烈な咆哮を轟かせ続ける、日本のみならず間違ひなく世界最強の女性映画監督・浜野佐知。思想的な軍門に素直に下りはしないにせよ、スティル・ファイティングなその姿勢には、常々最大限の敬意を表するものである。さうはいへピンクスとしては心苦しいところでもあるが、ピンクは正直犠牲にして「こほろぎ嬢」(2006/主演:石井あす香)に続き世に送り出した一般映画第四作は、大正から昭和の時代既に“男が女に惚れるやうに、女に惚れる”ことを公言した女と、女と妻との出会ひを契機に動揺が決定的なものとなる一組の夫婦の愛憎を描いた、ヘテロとホモ、双方向のセクシュアリティーが真正面から激突する変格にして本格的な大恋愛映画。いきなり明後日な無駄口を叩くと、それにしては平素、生半可な男の監督が撮るものよりも余程豪腕のピンクで我々下賤な俗物どもにも有無をいはせなかつた、浜野佐知にしては文字通り気持ちいいところを服の上から触るやうな濡れ場は、兎にも角にもお上品に過ぎよう。馬鹿者ピンクではないのだぞ、一般映画だから仕方がないと怒鳴られるかも知れないが、ほかならぬ浜野佐知の口から、仕方がないなどといふ意気地のない言葉は聞きたくない。とりわけ激しく首を傾げさせられたのが、荒木が心の冷えきつた百合子を無理気味に抱く一幕。当初の段取りを超え、諸肌脱いだ大杉漣の熱演が現場の好評も博したとのことだが、そもそもピンク時代の大杉漣は、僅かに見た限りでは女を“抱く”やうな役者ではなかつた、“犯す”のみだ。ついでに芳子と百合子が終に体を重ねるクライマックス、背景の障子に、池の波紋を映り込ませるアナクロニズムには苦笑を禁じ得ない、演歌の花道か。等々と野暮を垂れながらも、それでは今作が詰まらなかつたのかといふと、断じてさういふ訳ではない。諸々の是非はさて措き、少なくとも極私的な好嫌に的を絞れば、断然大好きな一作。浜野佐知が湯浅芳子から受け継いだ、その意味では長嶋茂雄が自堕落に謳つた永遠を本当に宿す、抑圧の夜の明けるその日まで燃え盛り続ける不屈のフェミニズムやプロテストは、個人的には無益極まりない人生に於いてひとまづ、血肉を共有するほどの重要なテーマでは申し訳ないが必ずしもない。湯浅芳子と中條、後に宮本百合子といふ、実在した人物の物語である点も、世代的関心といふ衣に包んだ無知蒙昧を臆面もない所以に、さしたるどころか殆ど琴線に触れることもない。ただ、小生の捻くれた文脈の中で、「百合子、ダスヴィダーニヤ」を通して描かれた湯浅芳子の姿から浮かび上がるものは、予め幸せにはなれない者のエモーション。たとへ孤立と同義であれども、無援を承知で屹立する魂の美しさには、圧倒的な強度で胸を撃ち抜かれた。演出通りの成果か、滑稽で大雑把な造形が、縦に引き伸ばした清水大敬くらゐにしか見えなかつた大杉漣を始め、量産型娯楽映画から拝借した安定感を何気なく誇る野上邸女中と中條家メイド以外には、殊更に配役の煌きを感じることもなかつたキャスト陣の中でも、セイとの修羅場の回想と別離、そして百合子が宮本顕治の下に去る、何と予知夢だなどと豪快な飛びギミックさへ繰り出しつつ、諦観と紙一重の覚悟に辿り着く菜葉菜の表情には、強い強いサムシングを感じた。よしんばそれが、本作が本来志向した本筋とはてんでお門違ひの明々後日な感興であつたとしても、映画全体の絶対値の大きさが為さしめた業であることは、間違ひあるまい。
 さて、最後に筆休めに、改めて荒木役に関して与太を一吹き。ミスキャストとすら筆を滑らせるのは流石に憚られるが、認知度含め世間一般的には兎も角、これまで営々と積み重ねられて来た旦々舎の本流といふ観点からは、荒木茂の役は矢張り大杉漣ではない。一体それでは誰であれば適役なのかといふと、当然勿論畢竟御存知栗原良(a.k.a.リョウ・ジョージ川崎、更に相原涼二)に決まつてゐる。浜野佐知の自宅居間にて、男ならばまだしも女に女房を寝取られたことに、「どうしてかうなつたんだ・・・・」と眉根に深い皺を闇雲に刻み込む栗原良の画に、ヒラリラリラと薮中博章の音源が被さる。といふのが、然るべき旦々舎の定石にさうゐないさうゐない、さうゐないつたらさうゐない。

 今回、「百合ダス」は劇場でのロードショー公開ではなく、福岡映画サークル協議会主催の、公共施設を利用したブルーレイによる上映会での観戦である。世辞にも褒められたものではない映写環境については―覚えてるけど―忘れたことにして、来福された旦々舎の両監督と豊潤な一時を過ごす、拝顔の栄に浴する機会に恵まれた。その中で、映画を通してだけでは中々掴み難い、旦々舎の実相に到達し得た、やうな気がした。それは、山邦紀は思想の無力を知り、浜野佐知は、世界の変革を信ずる。知ることと信ずること、この一見相反するリアリズムとロマンティシズムとは、二つ揃つた時相互補完しものを考へ行ふに当たつて最も肝要となる精神、即ち御両人が両輪となり生み出すダイナミックな駆動が、旦々舎の強靭な馬力の源であつたのだ。


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