真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 予めお断りしておくと、フラグが立つのは小生の日程ね。

 こちらのエントリーの、続報である。
 プロジェク太上映の駅前ロマン―と一応パレス―のみしかピンクの小屋を持たない、シケた地方中枢都市・福岡市。既報通り、さういふ福岡市の(旧姓)親不孝通りに今のところ現存するミニシアター「シネテリエ天神」が、十月十二日(月曜日)を以て休館、といふ形で恐らく事実上は閉館する。因みに十日(土曜日)から三日間限定の最終番組は、今時のジャパニーズ・スラッシャー、あるいは血しぶき切株映画「吸血少女対少女フランケン」(2009/監督:友松直之・西村喜廣)。重ねて因みにこの手の映画はあまり得意ではないので、当方に観戦予定はない。そして間に三日挟んでの十月十六日に、案の定といふか矢張りといふか何が何だか何だかなあ、とでもいふか。さて措き相変らずプロジェク太上映なのだが、新しいピンクの小屋である「天神シネマ」がオープンする。何はともあれ、状況を鑑みれば絶対に目出度いことには変りない。といふ訳で、具体像が少しづつながら見えて来もした、そんな天神シネマに関するあれこれである。
 個人的なシネテリエ納めとして「アルティメット2 マッスル・ネバー・ダイ」を観に行つた折に拾つて来た、チラシにはかうある。
 “「気になるけど入れなかつた。」”
 “「入つてみたいけど恥づかしい。」”
 “「どんな映画か興味ある。」”
 “そんなあたなのための新しいオトナの映画館が”、
 “天神・親富孝通りにオープンします。”(以上、原文は珍かな)
 といふ、コンセプトを鵜呑みにしてみるならば、ライト・ユーザー向けのピンク映画上映館といふ仕様か。ある意味、画期的といへば画期的だ。続いて料金設定としては、三本立てで男性\1,500、女性\1,000。ひとまづ、女客を優遇して呼び込まうといふ姿勢は看て取れる。ピンクの小屋に女が来るのかよ、といふ異論に対しては、とりあへず天神シネマの場合、シネテリエ天神として既に勝手を知られてゐる、といふ点は案外と大きいのかも知れない。スクリーンを上辺として四角形の劇場の底辺部両側に出入り口があり、スクリーンから見て左側の扉を出て直ぐにはモギリのカウンターがあるといふ構造からしても、小屋側が余程野放しにでもしない限り、空間的には無茶をしようにもし辛いやうにも思へる。それが、いいことなのか悪いことなのか、よしんば悪いことではあつても必要なことであるのかは兎も角として。加へて、座席前後間の間隔も、映画を観ること以外には全く何も出来さうにないくらゐに狭い。映画館は映画を観る場所ではないのか、といふ話でもあるのかも知れないが、まあまあ、さういふ野暮はいひない。何をするのかつて?そりやあ決まつてる、ナニさ。ピンクスとして敢ていはう、映画館で映画を観る、そんなことは、女子供にでも出来る。色んな映画がある以上、色んな小屋があつたとていいではないか。
 出鱈目な方向に、筆の滑りゆくままになりかねない。料金に話を戻すと―話の途中だつたのかよ―男千五百円女千円といふのに続いて、番組は土曜替り―オープンの十六日が金曜日であるのは、当日が大安につき―といふ訳で毎土曜日に、初日割と称して\1,000。参考までに駅前は、木戸銭\1,600で金曜替りの番組のゆゑ、金曜日が\1,000となる。即ち、どうしても観たい映画があるけれどもあの魔界に足を踏み入れるには二の足を踏んでしまふ、といふ御仁に対しては、非金曜のウイークデーをお勧めしたい。天神に話を戻して問題といふか巨大に疑問なのは、日金の\1,000といふ夜割が適用されるのが、17時以降といふ点。・・・・それ、上映何時に終るのよ。日勤の勤め人が、仕事終りで小屋に寄つても三本立てを完走出来ないのか?大体福岡市で夕方の五時といふと、真冬でも未だ日が沈まんぞ。“毎週土曜はレイトショー実施”とあるのが、“オールナイト”ではなく“レイトショー”といふのも猛烈に気になる。ここから先は全く極々個人的な文字通りの私情になつてもしまふのは恐縮ではあるが、下手をすると、私はこの小屋では戦へない危険性がある。どうでもいい実情を明かすと、現況の当方の木端微塵な日常が如何なものかといへば、金曜日に、駅前ロマンでピンクを入れる。土曜日に、仕事終りに自宅できのふ観たピンクの感想を書く。週に唯一の休みである日曜日は、普通の時間に起きて八幡か小倉に遠征を展開。初回から突つ込みとんぼ返りで帰福すると、出来るだけウイークデーに持ち越さなくとも済むやうに、書けるだけその日観て来た分の感想を消化する、といふアホな様(ざま)になつてゐる。金曜に駅前でピンクを観ておきながら土曜にも天神に行くとその後のスケジュールが全く成立しないし、かといつて日曜を天神に費やせば今度は遠征に出られないのだ。

 等々と、机の上でゴチャゴチャいつてゐても仕方がない。番組見て、行きたい方に行けばいいではないか。といふことに強ひてして、八幡・北九州の番組は現時点に於いては把握出来ないので、発表済みの十月分の天神シネマはどうなつてゐるのかといふと。 10/16~10/23のオープニング番組は、「吸血少女対少女フランケン」から繋げて友松直之の、直近でいふと城定秀夫の「妖女伝説セイレーンX」や後藤大輔の「新・監禁逃亡」(二作とも2008)と同傾向の、新東宝製作による厳密には非ピンク映画「闇のまにまに 人妻・琴乃の不貞な妄想」(2009)に、林由美香特集といふことでいまおかしんじの「熟女・発情 タマしやぶり」(2004)が、「タマもの 突きまくられる熟女」といふ2008年新版にて。それに、林由美香特集と並んで滝田洋二郎特集といふことで「連続暴姦」(昭和58)。10/23~10/30の二週目は、「闇のまにまに」が二周目と、林由美香特集は女池充の「濃厚不倫 とられた女」(2004)、滝田洋二郎は「痴漢電車 下着検札」(昭和59)。ここまでの五本限りとはいへ、全作が新東宝で占められてゐる辺りが、気になるといへば気になる。そもそも、「吸血少女」から流すにしてもどうせ友松直之ならば、絶賛現在進行形でエクセスオーピー新東宝三社(五十音順)に跨いで活躍を続けてゐる上に、ここはカルト的人気も誇るのか誇らないのか、「コギャル喰ひ 大阪テレクラ編」(1997/大蔵映画)を持つて来て呉れよといふ感も強い。それと林由美香特集は、十一月第一週にももう一本引き続くらしい。この中では、新作の「闇のまにまに」は勿論として、女池充の一般公開時題「ビタースイート」を観た覚えがないか、あるいは完全に忘れてゐる。一方この間の駅前ロマンのラインナップは、十月第三週が関根和美の「人妻援交サイト 欲望のまゝに」(2004)。「濃厚不倫 とられた女」とバッティングする第四週は、渡邊元嗣の「痴漢電車 巨乳をもみもみ」(2000)。確信犯的な無茶苦茶をいふが、これら二作を天秤にかけて「ビタースイート」を選ぶシネフィルよりは、俺は迷はずナベの痴漢電車に突つ込むピンクスでありたいし、現にさうあるつもりだ。さうなると先にも述べた事情につき、一週遠征を潰さねば、天神シネマには中々に足が遠いといふことにもなりかねない。贅沢な悩みともいへるものの、思案に苦しむところではある。そして最も肝心なことは、筆の根も乾かぬ内にといふ気もせぬでははないが、そんな贅沢な悩みも悩み続ける為には、蓋の開いた天神シネマに、何がどうあれなるたけ通ひ続けなくてはならないといふことである。断言する、既に散見もされようが、シネテリエ天神最期の日には、必ずかういふ輩が現れる「昔はよく通つたもんです、いやあ残念ですネ」。貴様が通ひ続けてゐれば、シネテリエは潰れなかつたのだ。「昔は良かつた」そんなことは、クズにでもいへるんだぜ


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




 「裸身の裏顔 ふしだらな愛」(2008/製作:オフィス吉行/提供:オーピー映画/監督:吉行由実/脚本:吉行由実・桑原あつし/撮影:清水正二/編集:鵜飼邦彦/音楽:小泉pat一郎/録音:シネキャビン/助監督:佐藤吏/監督助手:加藤学/撮影助手:海津真也・島秀樹/照明応援:広瀬寛巳/スチール:津田一郎/現場応援:小川隆史・田中康文/現像:東映ラボテック/協力:ロフトプラスワン・イメージリングス/出演:Amu・若林美保・結城リナ・神戸顕一・金村英明・名倉愛・樹カズ・千葉尚之)。出演者中、神戸顕一から名倉愛までは本篇クレジットのみ。
 劇中ではホームビデオになつてはゐるものの、撮影が実際には35㎜主砲も含む彼女・深町和子(Amu)の―いはゆるハメ撮り含む―映像を半ベソで見入りながら、吉川(芳川か良川かも)吾郎(千葉)はこの期に及んだ思ひ出に暮れる。高校時代、吾郎は幼馴染の留美(結城)に乞はれ、男子部員のゐなくなつたといふ演劇部に裏方として入る。和子は、そこでの看板女優であつた。在学中から付き合ひ始めた二人の交際は卒業後も続きつつ、二十一歳の時、和子はダンスのニューヨーク留学を志し吾郎の前から姿を消す。それから二年後の春、即ち開巻当時時制。未だウジウジ和子の存在ないし不在を引き摺る吾郎の部屋に、黒田屋のメロンパンを手土産に留美が遊びに来る。と、そこに、衝撃的なニュースが飛び込んで来る。アメリカで和子が航空機事故に遭遇し、行方不明になつたといふのだ。こゝでテレビからニュースを読む声は、吉行由実。茫然自失する吾郎に、慈しむかのやうにその身を任せる留美は、実は以前から吾郎に片方向の想ひを寄せてゐた。更に三年後の現在時制、吾郎は婚約者の真理子(若林)に誘はれ、こちらも学生時代演劇部に在籍してゐた真理子の先輩・甲田ワタル(樹)が演出する舞台「とどかぬ想ひ」を観劇にロフトプラスワンを訪れる。小室優奈名義時代の記憶―因みに「性犯罪ファイル」に於いては、佐倉萌のアテレコ―は正直全く薄い、若林美保は台詞回しには素人然としたぎこちなさも残しつつ、力強ささへ感じさせるタッパも伴つたムチムチした肢体は、強靭な迫力に溢れ画面にも抜群に映える。これは演技ではなく恐らく素に思へるが、自信の容姿に対する誇らしげな佇まひも役柄にフィットし素晴らしい。となるとお芝居の方は正直あまり多くを望めない分、エクセスの昨今の方向性にさういふ方面からはあまり期待出来ないであらう雰囲気も踏まへると、松原一郎辺りに委ねたタフなエロ映画といふ奴も観てみたい。一方樹カズは、流石にこゝに来て幾分歳を喰つた渋味も漂はせて来た。話を戻すと、客席で吾郎は驚愕する。「とどかぬ想ひ」主演女優の堀川友里(当然Amuの二役)が、和子にソックリであつたからだ。公演終了後、何処かでお会ひしたことがあるや否や云々と、正直陳腐な切り口で接触を図る吾郎に対し、友里は「貴方は私に会つたことがあるんですか?」と、豆鉄砲を喰らつた鳩のやうに頓珍漢な問ひを返す。三年前の秋、友里は記憶を失くした状態で野良猫のやうに甲田の前に現れ、以来飼ひ猫のやうに男女の仲にもあつた。
 派手なガジェットを持ち出した、その癖最終的にはストレートな悲恋物語。芝居鑑賞に小屋に向かふ最中、和子の遺体が一応未だ見つからぬ旨を説明するために、真理子がガサゴソ手鞄の中から新聞紙を取り出す不格好さと、手渡された新聞が如何にもお誂へ向きに畳んであつた割には、あまつさへ吾郎が目を落とすのはわざわざ別の面であつたりもする間抜けさは目につくが、兎にも角にもズバ抜けてストレンジなのは、電光石火の斜め上を行く真理子驚愕の調査能力。甲田と唯一の濡れ場を披露して呉れるのはそれは絶対に必要であり狂ほしく有難くもあるが、そこまで瞬時に自力で解決したならば、最早殆ど甲田を頼る要もなからう。そもそも、甲田が友里を責める件で観客に対して鍵は提出済みである以上、吾郎が繰り返される部活動時の事故の記憶から、もう一歩踏み出して辿り着くまで真相を寝かせておいても良かつたやうな印象は強い。さうかうしてみると、大掛かりな無茶をしかも二つ積み重ねた分、そこかしこちぐはぐさを感じさせる部分も残す反面、ところが最も肝心な吾郎が和子を、留美は吾郎を求める互ひに行き違ふエモーションと、そしてそれが束の間とはいへ交錯を果たす儚い奇跡とはしつかりと撃ち抜かれてもある。それゆゑ、映画全体の単純な出来不出来としていへば吉行由実に対してはもつと高いレベルを望んで然るべきであるやうにも思へる一方、同時に心に刻まれる感動は深い一作。野球選手に譬へるならば、記録は残さずとも、記憶に残る選手とでもいへようか。そこでどうして野球選手に譬へるのかは、訊かないで欲しい。
 ぎこちないのはぎこちないとしても、ストリッパーとして確かな地位を築く若林美保とはまた別種の、精一杯背伸びしてみせた風の些か痛さも混じつた硬さを初め覚えぬではなかつたAmu(=上加あむ)が、物語が進むにつれ次第に何の痛痒も感じさせずに展開を背負ひ得るやうに映るのは、それは恐らくは勘所を押さへた演出の力によるものなのであらう。若手トップ格の千葉尚之、音楽活動に専念するとかで今作で引退するといふのが全く惜しい結城リナ。必ずしも決定力を有してゐる訳ではない主演女優を、サポートする態勢も万全である。

 驚かされたのが、ロフトプラスワンの客席に神戸顕一が座つてゐた点。一瞬我が目を疑つた、東京に戻つて来てゐるのか?池島ゆたかの頑なな苦労も報はれまい。神戸顕一には、帰り際甲田に声をかける台詞も与へられる。こちらも内トラまで含めての観客組であるのやも知れないが、長身の金村英明が何処に見切れてゐたのか確認し損ねたのは口惜しい。名倉愛に関しては、手放しで手も足も出ない。友里を連れ郷里を訪ねた吾郎の脇を後ろから追ひ抜き通り過ぎる、男女二人乗りチャリンコの女子高生か?


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「処女花嫁 初めての悦び」(2004/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山邦紀/撮影・照明:小山田勝治/音楽:中空龍/撮影助手:佐藤治・堀部道将/助監督:田中康文・三浦麻貴/キャスティング協力:株式会社スタジオ・ビコロール/出演:北川絵美・佐々木麻由子・佐々木基子・なかみつせいじ・柳東史・平川直大)。スタジオ・ビコロールの中点は本篇クレジットママ。確か平素は、入つてゐなかつたやうに覚えるものだが。
 ビデオ画像の、卑弥呼イメージ・ショットに続きタイトル・イン。純潔を守つたまま須佐慎一(平川)と結婚した火見子(北川)は、大胆にもドレスを着たまま初夜に挑んでみせるものの、憐れ慎一は、新妻に挿入する前にあへなく暴発してしまふ。その芝居は柳東史であつても勿論成立し得るのだが、平川直大持ち前の、忸怩たる情けなさが実に画になる。それから二週間、何と慎一はその間連続フライング記録を更新し続け、火見子の処女性は未だ保たれたままであつた。そんな須佐家に、妖艶なチャイナドレスの女・沈鱗(佐々木麻由子)、右目に眼帯をつけた山伏・網戸毒門(柳)、薙刀を持つた遊女・末の珠名(佐々木基子)、そしてモジャモジャの長髪で殆ど顔も隠した不気味な男(なかみつ)が次々に出没する。沈鱗が火見子の前に姿を現すのに続いて、買ひ物帰りの河原にて末の珠名・網戸毒門は、本人にも意外な戦闘術を駆使する火見子と対決する。佐々木基子がモッサリモッサリと長刀をプリ回しながらのままごとキャット・ファイトといふと、要は二年前の対地球に落ちてきた岩下由里香戦と、相手が違ふといふだけでやつてゐることは全く同じではある。次々と起こる怪現象に翻弄される火見子の前に現れた不気味な男は、自己紹介がてら奇想天外な事実を明かす。男は、邪馬台国の女王にして高度に発達した呪術体系・鬼道の巫女でもある卑弥呼を謀殺した卑弥呼の弟・卑弥弓呼(ひみここ)で、火見子は百五十年ごとに出現する卑弥呼(いふまでもなく北川絵美の二役)の、DNAの継承者であるとのこと。火見子は代々母系家族から受け継いで来た勾玉を持つてゐる筈だが、その勾玉は卑弥呼の遺品で、火見子が初めての性の悦びに達する時に効力を発現する。沈鱗らは、その勾玉を狙ひ各々の時代から時を超え現代にやつて来たといふのだ。これは全く偶発的で個人的な事情ではあるが、二週続けて時空を超えて色んな人が飛び込んで来るピンクを観るといふのも、また一興ではある。尤も、これら二作は2004年当時に於いても、二週間弱の期間を空けるのみでほぼ同時期に公開されてもゐるのだが。因みに、後に当人達により語られるところによると、沈鱗は七十年前の満洲から、末の珠名と網戸毒門とは共に室町時代から現代に現れてゐる。
 藪から棒な時空伝奇ロマンとはいへるのだが、如何ともし難い安普請にそもそも抗つてみせる気すら概ね感じられない顛末と特に着地点とは、一見拍子が抜けるにも甚だしいズッコケな竜頭蛇尾にすら見えかねない。ものの、実はといふか普通に観てゐてもさしたる苦もなく辿り着けようが、今作の肝は時の流れを超越したファンタジーにも勾玉争奪戦のアクションにもあるのではなく、要は<マクガフィンは裸ぢやないか>といふ馬鹿馬鹿しげな清々しさを描くことにある。それは些か理に落ちる嫌ひの無きにしも非ずとはいへ、表面的な変幻怪異の奥底に通底する、冷徹且つ強靭な論理性こそが真の核であると見るところの山邦紀にあつて、シニカルであると同時に温かくもある“案外とそんなものであつたりもする歴史”、といふ奴への眼差しが感じられて大変興味深い。一件がひとまづ落着したラスト・ショットも、卑弥呼の人格を取り戻し独り超然と微笑む妻、即ち永遠の卑弥呼女王に対し、慎一が現代を生きるしかない自分は一体誰と結婚したんだと複雑な心境を吐露する姿で締め括る辺りにも、ユーモラスな皮肉はよく現れてゐる。通常のピンク映画に対するのとは若干別種の緊張感を強ひられもするといふ意味に於いては、些か敷居も高目といつていへなくもないが、山邦紀の狙ひ狙い澄ました変化球がピシャリと決まる、実に鮮やかな一作である。

 慎一を押し退け火見子の処女を散らしたまではいいものの、自慢の剛チンの力任せと独り善がりぶりを沈鱗に論破された網戸毒門こと柳東史が轟沈するシークエンスといふと、三度も続けられればすつかり山組にあつてのお家芸といつた感も強い。といふか、二度目はほんの前作でもあるのだが。ところで、気が付くとこの期に及んでも佐々木基子は実は濡れ場バージンだぞといふ点に立ち止まりかけた終盤、火見子だか卑弥呼は、勾玉を求めそれぞれの時代から集ひ、再び元の時代へと手ぶらで戻つて行く銘々の為に、“ハッテン・パーティー”―劇中用語ママ―を催す。ハッテン・パーティーとは奮つてゐる、わざわざ主演女優が宣言しなくとも、小屋の中は何時でもパーティー・タイムだ。話を戻して、詰まるところはそれは火見子が一の一対五の乱交パーティーを指し、当然末の珠名もそれに参加して北川絵美の弾ける肉体を満喫しはするのだが、よくよく冷静に観てみると、依然佐々木基子は何故だか乳も尻も見せてはゐない。となると、狭義の基準を脱いでこそといふ点に設定するならば、厳密には今作、濡れ場のある女優は北川絵美と佐々木麻由子の二人きりといふことになる。だからそれがどうしたと問はれたならば、実も蓋も、返す言葉も最早持ち合はせぬ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「CA発情フライト 腰ふりエッチ気流」(2008/製作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:岡輝男/撮影監督:創優和/助監督:竹洞♀哲也/録音:シネキャビン/編集:有馬潜/音楽:レインボーサウンド/監督助手:江尻大/撮影助手:丸山秀人/照明助手:宮永昭典/音響効果:山田案山子/美術協力:阿佐ヶ谷兄弟舎/スチール:佐藤初太郎/現像所:東映ラボ・テック/出演:結城リナ・日高ゆりあ・酒井あずさ・吉岡睦夫・岡田智宏・丘尚輝・竹本泰志)。出演者中吉岡睦夫が、ポスターには吉岡睦雄、これは流石に本クレによる誤字か。
 弱小航空会社「スワロウ・エアウェイズ」CAの汐留麻衣(結城)はポップに上玉との玉の輿を狙ひつつ、実際には激務と薄給とに喘ぎ、事務方上司・台場浩二(丘)との不倫は泥沼状態に陥つてゐた。前日自販機に掲げられた広告―この辺りで阿佐ヶ谷兄弟舎の出番か―に麻衣が目を留める前フリも配して、乗客として登場する岡田智宏は、水泳金メダリストの六本木直人。機内サービスで六本木からオレンジジュースを乞はれた麻衣は、それ行けセレブだと胸のボタンもひとつ余計に開け撃墜する気満々で張り切りながらも、陰では“地縛霊”とすら囁かれるお局CAの神谷理恵子(酒井)に、強引に六本木を掻つ攫はれ歯噛みする。ところで、主演の結城リナも結構な超絶を誇れど、なほそれを凌駕する酒井あずさの美しさはいよいよ尋常ではない。にも関らずそんな酒井あずさの2008年主演作が松原一郎のエロ映画一本きりといふのは、それはそれでいいにせよ流石に些か勿体なくもあるまいか。ともあれ、そんな何もかにも上手く行かないある日、麻衣の部屋に、郷里からミュージシャン志望の彼氏・赤坂保(吉岡)と駆け落ちしたといふ妹の結衣(日高)が転がり込んで来る。能天気で騒がしい二人の生活への闖入は、麻衣の焦燥に火に油を注ぐ。ところで、麻衣から紹介された赤坂が恋人に捧げた曲「君の瞳にシューティング・スター」(エンディング曲としても使用される)をカラ歌ふ件は、盟友とはいへ竹洞哲也にカブれてしまつたやうで些か鼻白む。加藤義一の持ち味は、もつと穏当で、地に足の着いたところにあるのではなからうか。
 大胆といふか爆発的に不謹慎にも、待機中の機内でハイジャック・プレイに興じる麻衣と台場の前に現れる竹本泰志は、バツイチ機長の神南智彦。ヒロインを迎へに来た王子様登場☆を予感させる、色男オーラの振り撒きぶりは流石だ。数度目かのデートに麻衣は悩ましい胸の谷間も露な勝負服で挑むものの、あらうことか乱入して来た結衣に神南を横取りされる。されたところで、元々明確な柱が見えて来ず危惧も抱いてゐた今作に対し、いよいよ唖然とさせられる。安寧なといへば聞こえもいいが安直と片づければそれまででもある濡れ場濡れ場が連ねられるばかりの始終に加へ、この麻衣に対する無体な扱ひは一体全体何事か。「腰振り逆噴射」(2002)、「突き抜け淫乱気流」(2004)と二作綺麗な娯楽映画を並べた上で四年ぶりのスチュワーデスものに際して、加藤義一初黒星かとこの時点に於いては早とちりさせられもした。とこ、ろが。神南をゲットするや、結衣はさつさと姉宅の居候を撤収する。当然、そのことに付随して赤坂も麻衣の前から姿を消す。それから一年後、思はぬ形で機上の再会を果たした麻衣と赤坂のラスト・シーンで一転素晴らしくスマートに物語を畳んでみせる辺りが、流石加藤義一一流だ。理恵子の妨害に屈し不戦敗に終つた対六本木戦も伏線に、ヒロインの成長で娯楽映画を一息に完成にまで引つこ抜くと、それまでの不出来など思はず忘れさせて呉れる。冷静になつて振り返つてみるに、風間今日子の寿引退は仕方のないとしても麻衣を援護射撃、あるいは併走する相方と、メタ・スター(何だそりや)杉本まことの不在は大きく、前二作と比較すれば矢張り一段落ちはするともいへ、逆転とまでは行かないにしても見事な同点ホームランを九回裏にカッ飛ばした快作である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「ノーパン通勤 脱がせて!」(2000『ノーパン痴漢電車 見えちやつた!!』の2009年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/監督:田尻裕司/脚本:武田浩介/企画:福俵満/撮影:飯岡聖英/編集:酒井正次/助監督:小泉剛/撮影助手:岡宮裕・高尾徹/監督助手:吉田修/スチール:佐藤初太郎/タイミング:安西公一/現像:東映化学/録音:シネ・キャビン/音楽:Captain Comeback・面影ラッキーホール/協力:定岡貞司・坂木礼・大西裕・榎本敏郎・城定秀夫・関根直人/出演:池谷早苗・山崎瞳・奈賀毬子・桜井加奈・南聖羅・川屋せっちん・小柴亮介・新崎貢治・羅門中・椿原幹子・立花遼大・本間智幸・権田成美・佐籐幹雄)。出演者中、新崎貢治と椿原幹子から権田成美までは本篇クレジットのみ。池谷早苗が、今回新版ポスターには池谷紗恵。タイミングの安斎ではなく安西公一と協力の一本抜けた坂木礼は、本篇クレジットまゝ。
 立川二校を一年で中退し今年成人式の加藤タダシ(佐藤)は、今はマチダ(羅門中=今岡信治)が店長の中古レコード屋でアルバイトをしてゐる。タダシは一応同級生で今でも付き合ひのある友人のヒデロウ(小柴)から、内輪のイベントでのDJプレイを依頼される。法外な人物設定だが電車痴漢を趣味に持つタダシは、冷静になつてみるとかういふ奇想天外な方便が案外スンナリと通るのもピンク映画ならではともいへようが、痴漢を機にOLのアケミ(池谷)とセフレとして付き合ひ始める。二人の出会ひ、まづ別の中年男性(立花遼大か本間智幸?)に痴漢されたアケミは、一旦電車を降り手洗ひに駆け込むと汚れてしまつた下着を汚物入れに捨てる。改めて電車に乗つたアケミのスカートの中に手を差し入れたタダシが、女がノーパンであるのに気付いて顔色を変へるカットは秀逸。後に、混み合ふ車中で憚りもせず携帯で話す奈賀毬子をタダシが痴漢で黙らせる件といひ、一貫して営業運行中の実車輌内に於いての撮影の上で、なほのこと怯むでなく何れも細やかな電車痴漢シークエンスの高い完成度は光る。散発的な登場順として南聖羅→奈賀毬子→桜井加奈の三人は、何れも痴漢の被害者。濡れ場要員とはいつても、肌は元々出してゐる部分以外殆ど見せないが。新崎貢治は、アケミの同僚で結婚も前提に付き合ふリアル彼氏・ヨコタ。
 ある日タダシは例によつて性懲りもなく手を出した女から、加藤君と呼びかけられる。狼狽するタダシに、女は同級生の小沼キョウコ(山崎)を名乗る。とはいへタダシにまるで覚えのないキョウコは、四、五年ぶりの再会にしては些か不自然にも、妻子ある男の子供を妊娠した姉の話をする。キョウコが気になるタダシは尋ねてみたヒデロウから、キョウコは高二の時に事故死した筈だといふ事実を聞き驚く。
 山崎瞳(後の山咲小春)が何時まで経つても登場して来ない点に、徐々に強い奇異を覚える。尺も折り返し付近に到達かあるいは通過して漸く姿を見せる山崎瞳は、顎の形が実は近いのか、これまでそのやうに感じたことは特になかつたが今にして今作のキョウコを見てみると、意外にも平沢里菜子に似て見える。それは兎も角、展開の終始は基本タダシと、タダシと居る時だけは自然な自分で居られるとかいふ、凡庸さに可愛らしさを感じてやれぬでもないアケミとの関係に費やされる。ゆゑに、既に語られてゐる後追ひでもあるが、出し抜けに現れたキョウコの存在が劇中タダシの生活の中にいまひとつ根を張り損なふゆゑ、タダシが次第に謎も秘めるキョウコに心奪はれる変化と、その変化を察したアケミが自らタダシから離れて行く帰結とに、如何せん血肉が通はない。対南聖羅・奈賀毬子・桜井加奈と異なるタイプも頭数も揃へた各電車痴漢戦と、一見万事に無気力でクールな風も装ひながら、来るべきイベントに備へて実はDJの練習に奮闘するタダシの青春映画風カットとでアクセントをつけると、劇的な要素の希薄な始終をそれでゐて緊張感を保たせたまゝ観させる点は素晴らしいが、最終的には、「だから何?」といふ甚だ折合ひも悪い感想に止(とど)まりもする。オーラスの勇猛果敢な長回しにしても、逆光に屈し画面を完全に真つ白にしてのける瞬間もあるのは考へもの。だからといつて曇りの日ではそれもそれとして画として如何なものかといふ話なので、それならば採用するルートか、もしくは撮影の時間帯を考慮すべきではなかつたか。かう動けば太陽との正面戦に完敗するといふのは、事前に当然予想出来たことでもなからうか。

 川屋せっちんは、教へ子を不倫の末に妊娠させてしまひ退職した、タダシらの母校の教師・オオヌキ。原作はよしもとよしともの『オレンジ』ではあるが、その旨のクレジットはない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「火照る姉妹 尻・感染愛撫」(2009/制作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:黒川幸則/脚本:黒川幸則・カジノ/企画:亀井戸粋人《エクセス・フィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/撮影:村石直人/照明:鳥越正夫/編集:酒井正次/助監督:江尻大/監督助手:関谷和樹/撮影助手:橋本彩子・瀬戸詩織/照明助手:大橋陽一郎/編集助手:鷹野朋子/効果:梅沢身知子/スチール:MAYA/出演:かなと沙奈・夏川亜咲・ほたる・園部貴一・飯島大介・サーモン鮭山・仁科芳子・井尻鯛)。出演者中、仁科芳子と井尻鯛(=江尻大)は本篇クレジットのみ。
 玄関先で呑気に温かい飲み物を飲む森見静香(かなと)の前を、マスクをした通勤途中のサラリーマンが判り易く咳をしながら横切る。開業医の静香は、大学病院に勤める研究医の父・茂(飯島)と妹・舞(夏川)との三人暮らし、姉妹の母親の去就は語られない。茂は昨夜から具合が悪く、朝風呂を浴びるとそんな父親のことも思ひ遣らずにズンチャカズンチャカ大音量で音楽を鳴らす舞に、静香は閉口する。舞はその日彼氏を家に連れて来ることを一方的に姉に告げ、静香は茂のことを気にかけながらも、ひとまづ出勤する。静香が看護師の長谷周(サーモン)と切り盛りする森見医院。とはいへ、静香はのほほんとした印象を全く裏切らぬどころか加速する、どうして斯様に間の抜けた女が医師免許を取れたのかが強力に判らない薮医者で、けふも患者(井尻)に出鱈目な診断を下し匙を投げられる。そんな閑古鳥の鳴く森見医院に、激しく消耗しながら裸足でフラフラ歩く、見るからに尋常ではない女・辻麻巳子(ほたる=葉月螢)が現れる。すは急患だと、慌てて常にも増して使ひ物にならないながらとりあへず診てみる静香の首筋に、麻巳子は不意に接吻する。以来急激に体調を崩した静香が帰宅する一方、茂は恐れてゐた報せを大学病院から受け取る。きのふ茂が診察した、治療法の有無は不明なものの、感染力と致死率とが共に極めて高い新型ウイルスに感染した女が死亡したといふのだ。といふ訳で茂は静香に自分には近付くなといふが、静香は静香で既に自分も麻巳子から感染してゐる、医学的では欠片もない自覚があつた。その点に関しては、家で臥せつてゐるのみで、然るべき診察を一切受けてはゐない茂も同罪であるのだが。父娘は―といふか、全共闘世代の血が騒いだ茂主導で―彼氏・土居啓(園部)を伴ひ家に帰るといふ舞を家に入れぬべく、俄かにバリケードで森見家を封鎖する。だからそれが、プロフェッショナルとして最良の選択か。仁科芳子は、静香がぼんやり見やるTVの中で、新型ウイルスのニュースを伝へる記者。この人が、硬質な美人な上に喋りも立ち、薮からに高い完成度のリポーターぶりを披露する。
 実は1997年に監督作が一本―「淫乱生保の女 肉体勧誘」(伊藤聡と共同脚本/未見)―ある為、実に十二年ぶりともなる黒川幸則第二作。これが何といふか、直截にいふと漫然とした、何がやりたかつたのかよく判らない。兎にも角にも概ね全篇を通して一つ一つのカットが悉くキレが甘く、映画が絡みまで含めて一向に締まらない。全般的にモッサリモッサリした印象の中、父娘で玄関先を閉鎖するものの、そこに向かふ一手間すら省いたまま、舞はアッサリ裏口から家内に侵入、といふか要は帰宅。これでは赤ヘルやゲバ棒まで持ち出しておいて攻防戦の欠片もない上、そもそも父娘の専門家二人を擁しながら、感染パニックとしてもどうにも脇の甘さ所以盛り上がらず、どちらも膨らまない弾まない。神出鬼没の怪人としては見事でもありつつ、最終的には麻巳子も風のやうに窓から退場すると唐突さだけが残るばかり。幼馴染で実は相思相愛の状態にあつた静香と土居が、死を覚悟してヤッてヤッてヤリ倒す濡れ場は瞬間的に勢ひと力強さとを持つが、事後舞も交へて三人で半裸で踊り狂ふシーンのどうしやうもなさで、いよいよ止めを刺されてしまつた感は強い。さして達者でもない踊りに対し、フィックスで長々と回すのは自殺行為だ。主演女優ののんびりとしたオーラに映画全体が支配された、とでもいへるのかも知れないが、それにしては同じかなと沙奈主演ではあつても堀禎一の「したがるかあさん 若い肌の火照り」(2008)は、斯くも緊張感を欠きへべれけではなかつた。だからといつて、「したがるかあさん」が面白かつたといふ訳でも、別にないのだが。本来ならばシンプルな、だからこそよしんば逆方向ではあつてもパンチの効いた筈のオチも、力なく空振りする。瀬々敬久の「感染列島」と比べれば女の裸がてんこ盛りで、なほかつ無駄で無様なお涙頂戴がない分、まだしもマシとはいへども、矢張り決定力にはまるで欠いた一作といへよう。ほんわかとした魅力をお腹一杯に堪能させて呉れるかなと沙奈に対し、よくよく見てみるとギャル属性が邪魔にも思へるほどに王道に可愛らしくオッパイもいい感じの、夏川亜咲に関しては喰ひ足りなさと、姉妹と土居との三人でだらしなく踊り呆けさせるくらゐなら、まだしも自暴自棄気味ではあつても怒涛の3Pか、あるいは姉妹による百合プレイでも見せて呉れれば良かつたのに、といふ大いなる疑問とを残す。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「くノ一淫法! おつぴろげ桜貝」(2004/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督:国沢実/脚本:樫原辰郎/撮影:岩崎智之/照明:小中健生/助監督:城定秀夫/協力:菊野台映演劇場/音楽:因幡智明/効果:梅沢身知子/特機応援:間宮結/出演:美咲江梨・橘瑠璃・山口玲子・銀治・世志男・間宮結・本田唯一、他二名/ベトコン)。出演者中、本田唯一以下は本篇クレジットのみで、ベトコン(=国沢実)は全篇を通して出番も台詞も潤沢にある割には、ポスター本篇クレジット何れにも名前はなし。城定タイトル―多分―は風情はあるのだが、如何せん少々追ひ辛い。
 森の中で戦ふ、女忍者の陽炎(山口)と宿敵の梅毒(世志男)。果敢に挑むものの梅毒に捕らへられた陽炎は、手篭めにされる。といふのは、無職童貞彼女居ない暦=年齢といふ誠麗しきダメ人間・猿股健一(銀治)がエッサカホイサカお盛んに見るAVの一幕。フィルムによる映像から、それがアダルトビデオの劇中であることを説明するために、キネコへと移行するタイミングは完璧。いよいよこんな夜に発射しようとしたところ、額縁の後ろから不意に飛んで来た巻物が頭に当たり、健一は興を殺がれる。正体を量りかねた健一から巻物を見せられた、市井の老古学者・林与一(ベトコン)は目を丸くする。健一の先祖は、戦国時代山田何某(失念)とやらに仕へた山田十勇士の一員にして紅曼党―まあ、さういふ風にお読み下さい―頭目・猿股佐ノ助(勿論銀治の二役/『影の軍団』風味)で、巻物は、紅曼党が駆使した忍法ならぬ淫法の秘伝書であるといふのだ。出し抜けな話をまるで真に受けない健一に対し、林は巻物の中から試しに呪文のひとつを唱へてみせる。さうしたところ驚くことに、健一の一物は常識外れの巨大さで勃起した。酷にもそのまゝの状態で帰された健一は、堪らないので何とか鎮められないものかと別の呪文を適当に唱へてみる。さうしたところ、忍冬唐草模様の法被を着た若い女が出現する。女は、実は佐ノ助に想ひも寄せる紅曼党のくノ一・楓(美咲)であつた。棚から牡丹餅といふか時空の狭間からくノ一といふか、兎にも角にも健一が唱へた呪文が、遠く時を隔てた戦国時代から楓を呼び寄せたのだ。
 その夜、楓相手に目出度く筆卸も済ませた健一は、翌日楓を伴ひ街に出る。間宮結は、下らなくも淫法を用ゐスカートを捲らされる女、小学生の発想か。するとキャットファイターとしても名を馳せる間宮結は激昂するや戦闘スタイルに華麗にフォーム・チェンジ。アトミック・ドロップからコブラツイストのコンビネーションで健一を痛めつけると、路上でのSTFも敢行する。更に翌日は文字通り明後日で、今度は健一は楓を演者に仕立てた大道芸を思ひ立つ。出演者クレジットは本田唯一以下三名分しかない一方、実際には男四人女三人の計七名が、観衆として見切れる。橘瑠璃は、林が呼び寄せてしまふ同じく紅曼党のくノ一・修羅。修羅も山田十勇士の一員ではあつたが、度を越した淫乱を理由に、佐ノ助に封印されてゐた。何が何だか紅曼党の淫法は妙にオーバー・スペックなのだが、それで山田はどうして天下を取れなかつたのか。修羅は手始めに林の素人童貞を奪ふと、憎き佐ノ助の子孫である健一を襲撃、楓と対決する。
 自分と同じ顔の御先祖様に予めホの字の女忍者が、時空を超えて降つて湧いての上へ下への大騒ぎ、といふ物語自体には無論異論はない。忍法ならぬ淫法といふ方便で濡れ場の種には事欠かず、幻の技「乳固め卍くづし」まで繰り出しての楓V.S.修羅のメインイベントも、展開の流れとしては全く順当といへよう。一旦ジュブナイル風の別離を見せる終盤に関しては好みも別れようが、個人的にはその在り来りなセンチメンタリズムは、適宜なメリハリのひとつとして大いに買へる。ところでは、あつたのだが。一にも二にも、足をも捥ぎ取られんばかりの勢ひで躓かざるを得ないのが、主演女優の美咲江梨。決して不細工といふことはないとはいへ、転ばうが豆腐の角に頭をしこたま打ちつけようが、まかり間違つても美人ではない。そこら辺のコンビニの店員にでも、幾らでももつと綺麗な娘は居さうな美咲江梨は重ねて、全体的にムチムチした感じは必ずしも悪くはないのだが、如何せんオッパイも貧しい。一体全体どうして、怒涛の爆乳を誇る山口玲子と、超絶の美しさを輝かせる橘瑠璃とを脇に従へ、選りにも選つて何処から連れて来たのかよく判らない美咲江梨がビリングのトップに立つのかが、地獄が凍りついたとてどうしても解せないのである。美咲江梨には悪いが、どれだけ好意的に見ようとも、精々地味な濡れ場要員といふ辺りが妥当な落し処といはざるを得ない。話としては判るものの、それを形にするに当たつて画期的に仕損じてしまつた、失敗とまでいふのは流石に憚られるが非常に残念な一作である。といふかよくよく考へてみると、楓には橘瑠璃、対する修羅には間宮結といふ配役で、別に何の問題もなく成立し得てゐたのではないかとしか思へない。

 冒頭の陽炎対梅毒戦に於いての「破れ傘刀舟悪人狩り」に続いて、修羅初登場時の啖呵には「桃太郎侍」、そして万事が目出度く解決した段になると、2004年当時大絶賛放送中でもあつた「特捜戦隊デカレンジャー」の、各名台詞が堂々とそのままの形で引用される。これも、とかく形成不全の今作にあつては、そこかしこの小ネタとして機能するといふよりは、仕方のない矮小さを逆噴射で加速する方向に働いてしまつてゐる風に感じられる。もうひとつ気になつたのは、本来脳がピーカンなコメディの割には、屋内シーンの照明が総じて暗い点。
 ところでオーラス、健一と林がロング・ショットで捉へられると、吃驚させられるほどの身長差が画面に映える。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「白衣と老人 覗きぬれぬれ」(2006/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/音楽:レインボーサウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/選曲効果:梅沢身知子/製作進行:阿佐ヶ谷兄弟舎/出演:伊沢涼子・葉月螢・風間今日子・久須美欽一・岡田智宏・丘尚輝)。
 何故か全く外景の病院名が包み隠されもしない聖和ホスピタル。出勤して来た看護婦・長谷川紀子(伊沢)が着替へする様子を、入院患者のスケベ老人・神田清三郎(久須美)が大胆にも掃除婦のフリをして更衣室に忍び込むと至近距離から覗く。となると当然、指を咥へて見てゐるばかりで済まう筈もなく、清三郎が尻に手を伸ばしたところで、迂闊にも程があるが漸く気付いた紀子は悲鳴を上げる。闇雲に特筆すべきは、この開巻が両方とも成就されることは稀でもあつた、往年の名、といふか直截には迷企画あるいはチン企画のタイトル、「痴漢と覗き」を実は何気に完成せしめてゐる点。実にどうでもいいことこの上―あるいは下か―なくもあるが。紀子は被害を、医師の小池竜平(丘)に訴へる。すると以前から二人がさういふ仲にあつたものか否かは全篇を通して観てみたところで甚だ微妙ながら、ともあれ小池がどんな塩梅で痴漢されたのかと紀子に手を出すと、何がなんだか何だかんだとそのまま濡れ場に雪崩れ込んでしまふ。ここで採り上げたいのは、その導入の例によつての仕方のない自堕落さ、ではない。まづ「こんな風に?」とこちら向きの紀子の後ろに立つた小池が背後からオッパイを揉み込んだ上、続いて「それとも、こんな風にかい?」といひながら今度は尻を撫で回す。肝心なのは、実際上はさうする必要性は全くないにも関らず、小池が「それとも、こんな風にかい?」と紀子の尻にも触れるに際して、わざわざ腰を持つて紀子の体を回し、尻をカメラの方に、即ち観客から見えるやう向ける点。蓋然性?リアリズム?そんな代物犬にでも喰はせてしまへ、観客の見たいものを見せるのが娯楽映画だ。さういふ姿勢は、よしんば世間一般から顧みられることはなからうとも、なほのこと尊いと私は信ずる。力を込めればよいのか別にそんな必要はないのかは、最早よく判らない。
 麗しいスタート・ダッシュを通過し、清三郎の医者願望といふプロットを起動させる意も含めて小池が病院を空け往診に出る件も傑作、ならぬケッ作。主婦・島村美貴(風間)の父親(全く登場せず>実父か義父なのかは不明)を診た上で、介護疲れからか美貴にくたびれた風情を見た小池は、夫婦生活の御無沙汰も聞き出すとホルモン・バランスがどうのかうのと与太を吹きながら講釈を垂れながらやをら服を脱ぎ始める。目を白黒させる美貴に対し、「何をしてるんです?早く服を脱いで下さい」。それで濡れ場に突入出来てしまふのだ、もう怖いものは何もなからう。挙句に美貴も美貴で、事前に開陳された“地域密着型”といふ聖和ホスピタルの方針も受け「もつと密着してえ!」。この期に至るとこれは、手の平も裂ける勢ひのスタンディング・オベーションと共に大絶賛する他はあるまい、あるいは寝てしまへ。
 岡田智宏は、小池が美貴宅にて遊んでる隙に激しい腹痛を訴へ聖和ホスピタルに駆け込む山本正道。急患の報を受け紀子が飛び出した診察室には、今しがたリアルお医者さんゴッコの最中の白衣姿の清三郎が取り残される。葉月螢は、そこに現れ清三郎のセックス治療を受け喜悦する藤沢和代。初めからヤラれる機運全開の和代は、紹介を受け小池を訪ね聖和ホスピタルを訪れたといふ。となると、現に美貴に対して実践済みの小池の破廉恥診断は羞恥、もとい周知も通り越して公認のものなのかといふ劇中世界観に関する底の抜けた疑問も生ずるが、この点も、最終的にはも何も、欠片も解消されなければ説明も為されない。何処から何処までも流石としかいひやうがない、疑問を感じてしまつた方が負けならば、俺は新田栄映画には全敗だ。実は意外にも童貞の山本は清三郎の手引きの下、偽医者の下についた偽インターンといふことにして、和代を相手に筆卸して貰ふ。
 少々ガチャガチャとしつつも軽快に展開して行く、といふか要は右から左へと流れ過ぎ行くやうな一作ではあるが、起承転結でいふと結部のメイン・イベントたる、清三郎の余命に関するミス・リーディングは流石に粗雑といふ指斥を免れ得まい。と、一見思はせておいて。清三郎の“清さん”とセキセイインコの“セイちゃん”とを聞き違へるといふギミックに、既視感を覚えてしまふのは決して気の所為ではあるまい。何せ、“清さん”と“セイちゃん”と、 “青酸カリ舐めて”と“聖ちやんカリ舐めて”とである。我ながらこんなことに気付く方が人としてどうかしてゐやがると思はぬでもないが、ここは臆面もない剽窃といふよりは、さりげない先達へのリスペクトの表れと、好意的に捉へたい。但し、この日は事情により三本立てを5/3周する羽目になつてしまつた為―要は寝落ちたのだ―二度観たので自信を持つて断言出来るが、清三郎が自ら盗み聞きした電話での遣り取りの中、小池はあくまで“セイちゃん”ではなく、確かに“清さん”としかいつてゐない。

 劇中聖和ホスピタルには他に捻挫で入院する若い男性患者が一名と、待合室に計四名が見切れる、スタッフの皆さんか。待合勢の内、清三郎から呼びかけられるもガン無視を決め込むゲンさんは、新田栄。返事くらゐしてやればいいぢやないか。更に、捻挫男は加藤義一、何気なく豪華といへば豪華ではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「淫婦義母 エマニエル夫人」(2006/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督:下元哲/脚本:関根和美・水上晃太/撮影:下元哲/照明:代田橋男/編集:酒井正次/制作:坂井茂樹/助監督:佃謙介/監督助手:高田宝重/協力:報映産業、東映ラボ・テック/出演:サンドラ・ジュリア、キサ・カーディ、モリブ・パルマ、マーク・ジョニショ、牧村耕次)。若干名のフィリピン現地スタッフを纏めて取り零す。見慣れない名前の坂井茂樹と佃謙介は、Vシネ畑からの越境。フィリピン・ロケに、慣れてゐるとでもいふことなのか?
 ポスターには、“エクセス!久々の海外ロケ敢行!”といふ惹句が晴れ晴れしく躍る。確かに舞台はフィリピン、ミサトも裸足で逃げ出す本格的に豪奢な洋館に暮らす在比貿易会社支店長の宮田一郎(牧村)は、元秘書のエマニエル(サンドラ・ジュリア/声:持田さつき)と再婚する。因みに紛らはしいが、主演のサンドラ・ジュリア、往年のポルノ女優サンドラ・ジュリアンとは全くの別人。あはよくば、混同でも狙つたか?話を戻して、日本文化への距離と妻としての至らなさに悩むエマニエルに、宮田の前妻との息子、即ちエマニエルからは義理の息子に当たる大樹(マーク・ジョニショ/声:千葉尚之)は道ならぬ熱い視線を注ぐ。といふ訳で、当然の如くピンクに字幕など入れよう訳がなく、恐らく間違ひなく現地調達した外人部隊のお芝居に、後からシネキャビンで日本勢が声を吹き込んでゐる。
 モリブ・パルマ(声:佐々木麻由子)は、エマニエルに対しては露骨な反目を隠さうともしない、宮田邸の家政婦・ティナ。特にどうといふこともなく、当たり前のやうに親子丼を完成させる。キサ・カーディ(声:佐々木基子)は、エマニエルの親友、兼宮田現秘書のクリスティーナ。他に宮田邸のガードマンが、ワン・カット見切れる。
 宮田がクリスティーナと関係を持つてゐることに衝撃を受けた心の隙間に乗じて、大樹はまんまと義母をモノにする。といふ以外には、展開の始終はいはば設定程度に止(とど)まり、幾許かのストーリーもへつたくれもあつたものではない。何時まで経つても日本文化を理解しないエマニエルに業を煮やした宮田が、日本の心を教へてやるだの何だの憤慨するとエマニエルの女体に刺身を盛り、当然当惑気味のサンドラ・ジュリアを余所に悦に入る。などといふ、最早ツッコミを入れる意欲も雲散霧消してしまふ史上最大級の頓珍漢の他には、サンドラ・ジュリアが若い頃のスティーブン・セガールに、何処かで見たやうな気にさせられるモリブ・パルマはよくよく見てみると久保新二に似てゐる点くらゐしか、個人的には外人女属性を持ち合はせないこともあり、特に何がどうといふこともない。ひとまづ現地の空気が捉へられたショットも勿論なくはないものの、わざわざフィリピンにまで出張つて撮るほどのことはないなどといへば、正しくそこで議論は尽き、元々有るかないきかの実も蓋も完全に消滅してしまはざるを得ない。ひとまづは、あんな企画もかつてはあつたよね、といふ形で話の種には辛うじてならう一作ではある。あるいは、後日サンドラ・ジュリアが、「日本のポルノ映画に出演したら体に生魚を盛られたのよ、あいつら本当にアブノーマルね」、なんて愚痴る様子でも想像してみたり。日本人女優相手でも滅多に見ないのに、何で又わざわざ外国人に盛りたがるのか。

 徒手空拳で観てゐても大体判りさうな気もするが、外人部隊のアフレコを誰がアテてゐるのかは本篇クレジットでは素通りされるものの、ポスターには各自その旨記載される。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「ダブル巨乳 乳首ねぢり」(2005『外人妻×スケベな妹 丸見えエロ騒ぎ』の2008年旧作改題版/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/助監督:田宝重/監督助手:宮崎剛/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:八木徹/下着協賛:ウィズ・コレクション/出演:星川みなみ・林マリア・藍山みなみ・熊谷孝文・西岡秀記・中谷千絵)。
 安サラリーマンの陽平(熊谷)は、フィリピン人の妻・ドロシー(林)の作る夕食が、けふも日の丸弁当であることに閉口する。陽平はアジアン・パブで働くドロシーを食事に誘つてみたところ、いはゆる押しかけ女房といふ形で結婚したものだつた。曰く、ドロシーの国では男が女を食事に誘ふといふことは、求婚と同義であるとのこと。ここは日本だ、といふかフィリピンも別にそんなぢやねえだろとかいふ以前に、何と余裕の無いスリリングな文化か。一挙手一投足が一々真剣勝負だ。日本人は一日一善、ワタシは一日三発と豪語するドロシーに、碌な飯も食はせて貰へてゐないのに薙倒されるかの如く求められると、陽平は目を白黒させながらも夫としての務めを果たす。事後、実家に送金する要も含めて、実は未だ働いてゐるアジアン・パブに出勤しようとするドロシーを陽平が見送つてゐたところ、ウェディングドレス姿の若い、しかも巨乳の女が飛び込んで来る。女(星川)は、陽平の義理の妹・麻衣を名乗つた。陽平と麻衣とは、互ひに再婚の陽平の父親と麻衣の母親とが結婚した際の連れ子同士で、その後父母が再離婚した為、離れ離れになつてしまつてゐた。ドロシーが条件反射の嫉妬と猜疑とを燃やす一方、陽平は選りにも選つて花嫁衣裳であることから何事か訳アリに違ひないと、麻衣をひとまづ家に置くことにする。
 藍山みなみは、麻衣の友人・潤子。麻衣の留守中に陽平宅を訪問し、通された居間では何か金目のものは無いかと室内を荒らし始める。不審な様子を陽平に見咎められると、コンタクトを落としてしまつたと称して尻を陽平の方に突き出し、鮮やかなハニー・トラップで絡め取る。畳に這ひ蹲りながら不自然に沈めた腰を更に曲げパンチラを陽平の方に向ける麻衣のショットは、馬鹿馬鹿しさの限りであると同時に、麗しいひとつの頂点であらうと思ふ。兎にも角にも藍山みなみが今からすると抜群に細く、さうなると超絶の美少女ぶりは文字通り驚異的だ。この当時の藍山みなみを見る目的だけでも、どんなに詰まらないピンクでも観る価値があることを断言出来る。西岡秀記は、式の途中で花嫁となる筈の麻衣に逃げられてしまつた気の毒な新郎・直樹。直樹はコンタクトを落としたとかいふ女から逆ナンされると事実上の二股をかけてしまひ、式の最中その女に乗り込まれたものだつた。陽平は麻衣を傷つけた直樹に立腹すると同時に、何処かで聞いたやうな話に首を傾げる。中谷千絵は、本物の麻衣。未だ麻衣が小学生の頃に離れ離れになつて以来とはいへ、明らかに紛ふことなき別人だ。幾ら何でも陽平も気付けよといふは容易いが、そこまで含めての、いはゆる“女の武器”の威力か。
 最早特撮映画並みのスペクタクルを爆裂させる、ドロシーが麻衣に対して展開する怒涛の夜這ひ―四つの巨大なオッパイが激突する様は、正しく圧巻の一言―は、堂々と陽平の妄想オチで展開しつつ。翌朝麻衣と改めて衝突したドロシーは、臍を曲げて家を出て行つてしまふ。といふ次第で林マリアが退場すると、以降はドロシーのことなど申し訳程度の殆ど何処吹く風に、映画は巨乳ドタバタから麻衣を主人公に据ゑた意外とオーソドックスな人情ピンクへと移行する。一応締めの濡れ場はドロシーと陽平とのものではあるものの、ドロシーが家に戻つて来る件すら割愛して済ませてしまふ辺りに、要は一途に星川みなみの方に向いた渡邊元嗣の眼差しが窺へる。姑息とはあへていはぬが、ベタとはいへども本物の麻衣が死んでしまふシーンでエモーションの助走をつけると、悪女の改心を描いた正攻法の物語は、娯楽映画の鉄板を頑丈に完成させる。星川みなみ×林マリアのツイン爆乳にまるで奇跡のやうな藍山みなみの可愛らしさと、実用的な彩りも全く申し分ない。人生には、曇りの日もあれば雨の日もある。だけれど一晩眠れば、又新しい一日がやつて来る。といふ主題が綺麗に全篇を包み込む、特に大騒ぎする程のことも別にないのだが、それでゐて爽やかな、心に残る娯楽ピンクの佳篇である。偶発的な事情とはいへ、出し抜けに陽平の前に現れた潤子を詰問する麻衣改め海の背後を何気に飾る、美しく雪が降り頻るラックも捨て難い。

 今稿、実は古くに書いた感想があつたのだが、あまりにも出来が悪いので潔く全面的に書き直した。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「一週間 愛欲日記」(2000/製作:国映/配給:新東宝映画/脚本・監督:小林政広/企画:朝倉大介・高橋孝之助/撮影監督:広中康人/撮影助手:御木茂則/美術:岡村直子/編集:金子尚樹《フィルムクラフト》/監督補:上野俊哉/助監督:菅沼隆/タイトル:道川昭/タイミング:武原春光/録音:シネキャビン/現像:東映化学/協力:女池充/出演:葉月螢・川瀬陽太)。を、今回あくまで小屋で観戦したのだが、「一週間 女子社員愛欲依存症」なるVHS題にて。そのため頭は新東宝でなく、ビデオの発売元であるインターフィルムのカンパニー・ロゴで始まる。プロジェク太上映の為せる業ではある、別に為して呉れなくて構はないけれど。
 合コンでもしたのか、OLの美智子(葉月)がフリーター・行夫(川瀬)の部屋に転がり込む。それぞれ店では相手が連れの方に気があるのではと思ひつつ、最終的には意気投合した二人はセックスする。翌朝、美智子も行夫も共に会社にもバイトにも行かず、そのまゝだらだら互ひを求め続ける。次の日も、また次の日も。カット変りに慌ただしくコンビニから戻つて来る描写はなくもないが、カメラはベランダにすら出ない。男と女は進んで全てから隔絶され、文字通り愛欲に溺れる濃厚か、あるいは空白を送る。
 徹頭徹尾、一切清々しくそのことだけに終始一貫する映画である。行夫の部屋で、美智子とセックスする。殆ど何処にも行かず、合間合間に行夫の作つたパスタを食ふ程度で、セックスした後は寝て、起きれば再びセックスする。日が出てゐるのか沈んでゐるのかといふ以外には、特に時間の経過を感じさせない室内にプチ軟禁感覚で留まりながら、“二日目”、 “三日目”と所々に黒地に白文字のクレジットを挿んで区切りをつけると、基本的には同じ場所で同じ行為をしてばかりの始終で一本の映画を乗り切らうといふ手法は度胸がある。尤も、寝ても覚めてもエッサカ、箸が転んでもホイサカ。犬が西向きや尾は濡れ場とはいへども、それでピンク映画として腰から下をお腹一杯にして呉れるのかといふと、必ずしもさうはならない。二日目の朝、美智子には会社から電話がかゝつて来る。美智子は御座成りに熱があると誤魔化し、一方行夫はバイト先に電話さへしない。やがて、蓄へがある訳でもない行夫は馘になり、美智子の嘘は、帰つて来ない娘を案じた実家の母親が、会社に電話を入れた結果発覚する。自ら選んだ放埓に真綿で首を絞められるが如く敗北して行く行夫と美智子の姿は、高い水準の映画的緊張を孕みながらも、白か黒かでいへば今でいふところの鬱展開である。ギリギリと面白いのは面白いにしても、観てゐてスカッと喜んだり楽しめたりする類の映画ではない。その限りに於いては娯楽映画として失格といへなくもないが、同時に、この手の実験的か挑戦的な一作を臆せず放り込んで来れるピンク映画といふフィールドの懐の深さも、他方では尊びたい。今更どころでなく、のんびりした利いた風を叩くやうだが。

 週後半の流れから容易に予想し得る、0かあるいは1かといふ意味ではデジタルな結末自体は兎も角、いよいよ土壇場といふ段になつて俄かに健全な市井の一人(いちにん)たらんと喚き始める行夫が無様に見せる、この期に及んであたふたと小市民的な相貌は気に障る。それは意図的なカッコ悪さなのでもあらうが、ここは滅茶苦茶な下手をいふ。あへていふならば死んだ、死ねた人間はそれでも楽なのだ、ともいへるのではあるまいか。更なる絶望、閉塞、困窮、苦痛、闇の裡を、なほも生き続けて行かねばならない。さういふ残酷さも時に人生は、現実といふ奴は有してゐるとするならば。現し世が冷酷で、しばしば間違つても美しくはないがゆゑに、夜の夢は、そしてそれを形にした全ての種類の紡がれる物語は映画は、せめて甘美なものであつてよいのではなからうか。たとへそれが、お為ごかしな嘘に過ぎなかつたとしても。難じられるべきはそれが嘘であるからでなく、下手糞な嘘のつき方である。当サイトは然るべき娯楽映画の在り方とは、さういふものではないかと思ふ。最終的には儚く散つたとて、行夫には美智子にも、カッコよく駆け抜けて欲しかつた、もしくは美しく眠りに就いて欲しかつた。それはあくまで極々私的なだらしのない願望で、その自堕落な嗜好と、今作に対する評価とはまた全く別の問題である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「淫乱ひだのおく」(2009/製作・配給:新東宝映画/監督:深町章/脚本:小松公典/企画:福俵満/撮影:清水正二/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:佐藤吏/撮影助手:海津真也・花村也寸志/制作応援:田中康文/スチール:佐藤初太郎/選曲効果:梅沢身知子/編集助手:鷹野朋子/現像:東映ラボ・テック/出演:藍山みなみ・里見瑤子・友田真希・千葉尚之・西岡秀記・牧村耕次)。出演者中、西岡秀記が性懲りもなくポスターでは西岡英記に、何か狙ひでもあるのか。
 昭和初頭の娼館、蓮華(里見)が常連客・益沢和義(西岡)に抱かれてゐる。肌襦袢と、引いた紅の赤さが画面に映える。当たり前のいはずもがなで恐縮ではあるが、これが、映画なのであらうと思ふ。プロジェク太上映下で観ておいて、何をヌカしてやがると微塵も説得力を持たない点は切ないが。客と娼婦とはいへ、付き合ひの長さを感じさせる遣り取りも交へ、妻とは別れたといふ益沢は、改めて蓮華に求婚する。(娼婦と)客の色恋沙汰は上手く行つた例(ためし)がないと蓮華はいなすが、益沢は喰下がる。蓮華は益沢に、かつて居た後輩娼婦・朝顔(藍山)の哀しい物語を語り始める。
 本来の色男も、巧みに汚すと綺麗に時代に溶け込み得る辺りは流石な牧村耕次は、朝顔の最初の客、兼朝顔を買春宿に売つた張本人、更に朝顔の義父も兼務するとかいふ、複雑極まりないコンボを決める江川孝三。流石に少々、盛り過ぎではないか。千葉尚之は、朝顔の常連客も果敢に跨ぎ越したイイ人・三宅良一。友田真希は、朝顔が良一に夏祭りに連れて行つて貰ふと約束した正にその日から、良一を監禁陵辱する良一親子が営む工場の融資者の娘・小川朝子。
 西岡秀記は欠片も昭和初期の男には見えず、友田真希は相変らずどうにも芝居が軽く薄いのだが、いよいよ以て大女優への階段を上り詰めつつある里見瑤子が頑丈に牽引する風情は、ひとまづ見応へがある。それにしても、総論として語られる商家の放蕩息子と三味線を買つて貰ふ約束を交した娼婦のエピソードから、友田真希のオッパイのほかは特段の膨らみも見せない朝顔こと本名はナミと良一の顛末を経た上で、それではいよいよ蓮華は益沢との仲にどうケリをつけるのか、といへば。のうのうと筆を滑らせてのけるがそこで尺が尽きたのか、手洗ひに立つと称した益沢が蓮華に諦めない旨を残し退場したところで終りといふのは、幾ら何でも些か如何なものか。タップリともたせられた間に特に間延びした風は感じなかつたが、起承転結でいふと転すらに至らず、承部で終つてしまつてゐる印象を受ける。情緒と余韻とを、楽しむのでは寧ろなく味はふべき一作といへるのかも知れないが、ここはお門違ひの誹りも怯まずあへていふ。新東宝―数字だけならばエクセスも、だが―の新作製作本数が激減した目下の状況の中、含みなど持たせてゐる場合ではない。一撃必殺を期して貰はないと困るのだ、などといふのは、見当を違へるにも甚だしいであらうか。手の込んだ前菜に喜んで舌鼓を打つてゐると、それで料理は終ひといはれて驚いた、とでもいつた趣である。残念ながら、これでは満たされない。

 小道具のタバコはバットの一点突破。残りの現存する銘柄は、中でも最も古いショートピースでさへ発売は戦後なので、ほかに使へる弾もないといへばないのだが。最近吸つてゐないので知らなかつたが、巻きが太くなつたらしい、何処かで見付けたら呑んでみよう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「未亡人 男と女がゐる限り…」(1996『どすけべ未亡人 私、好きもの!?』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:高原賢一/編集:酒井正次/音楽:レインボーサウンド/助監督:佐藤吏/監督助手:大岡昌輝/撮影助手:島内誠/照明助手:原康二/録音:シネ・キャビン/効果:中村半次郎/現像:東映化学/出演:吉行由美・桃井桜子・林由美香・野口四郎・清水大敬・神坂広志)。
 山間の村、夏祭り当日。祭りの舞台となる神社の境内からは少し離れた森の中で、悟郎(野口)と婚約者の美枝(桃井)が接吻を交す。わざわざ“悟郎”といふ役名までつけられてゐる野口四郎ではあるが、少なくとも現代の感覚でいふと、どの辺りが野口五郎なのかサッパリ判らない。別に普通の、少し間も抜け気味のアンチャンである、髪型は近いかな。話を戻すと接吻までは交すものの、美枝はそれ以降は許さなかつた。美枝は退場し、お預けを喰らつた格好の悟郎が宮司の妻・由利子(吉行)の色つぽい浴衣姿に鼻の下を伸ばしてゐると、当の宮司・宏夫(清水)が何事か悟郎を誘(いざな)ふ。家中に招いた悟郎に、藪から棒に宏夫は自らが撮影した由利子の扇情的なヌード写真を見せつける。共同体の目出度え日といふのに、神職が何を仕出かしとるか。狼狽しつつも興奮する悟郎の前に、由利子再登場。宏夫は妻と悟郎をセックスさせると、その模様も写真に撮り始める。そのうちに催して来たのか、宏夫も俄かに参戦の機運を高まらせる。これはこのまゝ由利子を前からか更に後ろからかは兎も角、二穴責めを敢行するものかと思ひきや。何がどう明後日にスッ転んだのか、宏夫は何と悟郎の後門をズブリと開通。清水大敬ならやりかねない歪曲した説得力ないし迫力も、あるといへばなくもないのだが。下から喜悦する由利子、苦悶する悟郎、そして驚喜する宏夫とかいふ地獄絵図のやうなサンドイッチが展開される中、羽目外しも度が過ぎたのかあるいは神罰か、宏夫は発作を起こすと急死してしまふ。宏夫は心臓が悪い云々といつた、フラグも特に皆無のまゝに。ともあれ宏夫の死は、それは腹上死ならぬ

 尻上死かよ!

 映画史上に残、らなくとも別に構はない画期的にアホな死に様だ。兎も角、何故だか悟郎はこの一件を機に心境を急変させると、美枝との婚約を解消し、故郷も捨てる。美枝には悟郎に捨てられる原因がまるで理解出来ないが、美枝のみならず、その点に関しては我々観客も全く同様である。
 “それから一年が経つた”(劇中クレジットは珍かな)、東京で「シロネコ運輸」の宅配便配達員として働く悟郎は、出入りする「サカエ建設株式会社」OLの勝子(林)と仲良くなつたりなんかもする。宏夫の死に責任を感じた―別に欠片も悪くないぢやろ―悟郎は、由利子に金を送り続けてゐた。そんな悟郎を、差出人住所を頼りに由利子が訪ねる。夫の死を自らの腹の上での出来事と処理した由利子は、狭い田舎の淫乱を咎める視線に苦しめられる。一年はと由利子も辛抱するが、遂に東京に出て来たのであつた。そんなこんなで、何が何だか悟郎は由利子と結婚する、釈然としなさばかりの映画ではある。年上の由利子は悟郎を鑑み、浮気を公認。さうはいはれてもそんな気はない悟郎ではあつたが、ある日気紛れに、仕事の途中入つた電話ボックスから拾つて来た、ピンクチラシでホテトルを呼ぶ。現れた嬢は、二度目の何と美枝であつた。美枝は美枝で悟郎から破談にされると処女なのに傷物扱ひされ、その旧弊な針の筵に耐へかね単身上京する。当然苦労しながらも、逞しく生きてゐた。時間までさういふ世間話に花を咲かせると、美枝は金も取らず悟郎の前から姿を消す。神坂広志は、実は今作に於いて依然濡れ場バージンである桃井桜子を介錯する客要員。
 “更に一年後”、殆ど忘れかけた頃に、林由美香再登場。男に騙されただの何だかんだの末に、勝子はサカエ建設を退社。寮を追ひ出された勝子は、ほかに頼る友達もゐないのか悟郎宅に転がり込んで来る。すると勝子を出迎へた由利子は、咄嗟に自分は悟郎の姉であるといふ嘘をついてみる。
 あはよくばお察し頂けようか、筋道立つた物語の萌芽すら見当たらぬ、一切が粛々と濡れ場を銀幕に載せる不断の営為にのみ奉仕する純粋裸映画。展開の逐一は唐突で埋め尽くされ、観客の寝耳には大海原が拡がる。平常の劇映画としてのストーリーの追求を放棄したかのやうなその逆説的、あるいは変則的なストイックさがいつそ麗しくすら見え、これはこれでこれとしてピンクのひとつの完成形でもあるのではあるまいかなどと、野放図な錯覚にすら陥りかけるのは、偏に吉行由実×桃井桜子×林由美香、女優三本柱にビシリと美人が揃つた慶福の為せる業。この際最早、酔はされた者の方が勝ちだ。たとへどんなにそれが木に接いだ竹でしかなくとも、ラストを美しく飾る、吉行由実の幸福さうな笑顔にこゝは心を差し出すべきではなからうか。さういふ、直截なところ本来の出来栄えはこの際さて措き、それでも映画とのそんな付き合ひ方を考へさせられもする一作である。

 それにつけても、小川欽也も現在進行形でかういふ魔法をよく使ふが、幾ら一昔前とはいへとても九十年代後半の代物には見えない古めかしさが、映画全体から醸し出される。個人的には好むところでもあれ、このある意味稀有な肌触りは、一体何から生じるものなのか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「女囚アヤカ いたぶり牝調教」(2008/製作:《有》幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:大河原ちさと/撮影:小山田勝治/制作担当:池田勝る/助監督:安達守・逆井啓介・石塚真也/撮影助手:大江泰介・佐藤遊・関将史/メイク:江田友理子/スチール:山本千里/編集:酒井正次/出演:亜紗美・山口真里・里見瑤子・藤田浩・井上如香・柳裕章・加藤文明)。録音と現像が見当たらないのは、本篇クレジットまゝ。
 女囚・アヤカ(亜紗美)が看守二人(藤田浩と井上如香)に、刑務所所長(後述)の前に引つ立てられる。嗚呼、麗しきジャンル・ムービーの世界よ、とでもいはんばかりにお定まりの身体検査。反骨心の強いアヤカは頑強に恥辱に耐へるものの、両義的な役得を全篇に亘つて振り撒く所長に菊穴にまで指を捻じ込まれると、堪へきれずに悲鳴をあげる。悲鳴をあげた、ところで、上沼彩香(亜紗美の二役)は眠りを強制終了させられるかのやうに目覚める。傍らには、妻の異変に気づかぬ夫・健司(柳)が安らかに眠る。仕事復帰の願望も持ちつつ今は専業主婦の彩香は、同じ内容の悪夢に連夜苛まされてゐた。健司に勧められ、彩香は心療内科「杉並メンタルヘルスクリニック」に足を運びカウンセリングと投薬治療とを受けるが、シャワーを浴びると返り血を浴び狂つたやうに高笑ふ幻覚、目覚めると隣では自らが殺めた健司が絶命してゐる、といふ覚醒夢じみた二段構への加速する悪夢に、更に度々襲はれる。
 山口真里はロクデナシの亭主と、坊主憎けりや何とやら、とかいふ塩梅で自らの蛙腹に出刃を突きたて胎児も殺した女囚・キョウコと、彩香が現実世界の日常で擦れ違ふ幸福さうな臨月の妊婦の二役。妊婦を前にする綾香に、キョウコの記憶はある。予算とオーピーとが許せば友松直之は撮りたかつたのかも知れないが、今回幸にもスラッシュなキョウコ凶行シーンはなし。障害度でいふと、あるいは後者の方が実はより高いか。里見瑤子は、半裸にまでは剥かれるがほぼカメオ感覚の女囚・ミサ。ミサだけが、彩香の世界には登場しない。加藤文明は、ラストでアヤカに接見する弁護士。その他女囚の皆さんが総勢もう五名、看守も更に若干名。健司に借金の連帯保証人になつて呉れるやう求める友人の中野が、何れも協力ですらクレジットされないまゝに見切れる。
 どちらに転んでもバッド・テイストの、彩香の破綻した生活とアヤカの囚はれた地獄とを行つたり来たりしつつ、ミエミエでもありながらひとまづ鮮やかな診療内科医の正体明かしを契機に、終に二つの世界の主客、即ち現し世と夜の夢とが逆転する。といふ全体の趣向は酌める上、試み自体は概ね成功してゐる。霞を喰らふが如きバジェットにも果敢に屈せず、女囚パートに際しての世界観の描き込みも懸命に健闘してゐる。とはいへ、超えられかつた問題、というかより直截には致命傷の大穴が目立つ。兎にも角にも、壊滅的な俳優陣が木端微塵に酷い。一応は舞台俳優でもあるらしいが、柳裕章は爆発的に華の欠片もなければ何の変哲もなく、ヒロインの配偶者として画を全く支へられてゐない。芸にならない傾(かぶ)きぶりが寒々しいばかりの藤田浩と、まるつきりそこら辺のコンビニ表でたむろするDQN程度にしか見えない井上如香。実は所長役を務めてゐるらしい監督の友松直之御当人に至つては、もうタッパ以外は何もかもが欠如してゐる。女囚映画に於いての刑務所所長といふと、魔王然とした悪の権化たるべき、強大さと質感とを身に纏つておいて欲しいところではあるのだが、てんでそのやうなタマではない。どうもこれまで僅かに観た限りでは、亜紗美の主演映画といふとどういふ訳でだか孤軍奮闘を強ひられがちな印象が強いが、今作に於いてはそれが最早、孤立無援も通り越し四面楚歌の領域にすら突入しかねない勢ひである。野球に譬へると、完投した先発投手が自責点はゼロのまま、野手のエラーによる失点で負けたやうな一作。さういふ亜紗美の健気な姿になほのこと狂ほしく支持を叫ぶ、といふアプローチの取り方もなくはなからうが、素面で一本の劇映画として接するならば、矢張り凡そ満足な体を為してはゐまい。基本的には彩香がアヤカの夢から醒め夢から醒め、徐々に消耗して行く繰り返しに終始するため、如何せん桃色方面に突き抜ききれない点もピンク的には苦しい。やりたいことは頷けるのだが、トータルでは仕損じた一作と首を横に振らざるを得ない。

 亜紗美怒涛の痴語が正しくエクストリームに炸裂する、今作中殆ど唯一実用的な決戦兵器たり得る、所長に投与された媚薬の効果で朦朧としたアヤカが、女囚達の眼前二人の看守に陵辱されるシーン。一箇所井上如香の発する“マ○コ”がピー修正を潜り抜けてゐる点に関しては、ここはいつそ気づかなかつたフリをして華麗にスルーする方向で。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




 「離婚妻狂乱 本能のまま快感」(1996『本番熟女 淫ら舞ひ』の2009年旧作改題版/企画・製作:フィルム・ハウス/提供:Xces Film/監督:大門通/脚本:木村正/プロデューサー:伍代俊介/撮影:原田清一/照明:斉藤久晃/編集:金子尚樹 ㈲フィルムクラフト/助監督:田中正茂・加藤義一/製作担当:真弓学/録音:ニューメグロスタジオ/効果:協立音響/現像:東映化学/監督助手:依田拓也/撮影助手:橋本彩子/照明助手:山崎満/ヘアメイク:大塚春江/スチール:本田あきら/出演:さの朝香・小川真実・林由美香・田原政人・久須美欽一・杉本まこと・太田始)。
 開巻即座に、ラブホテルにて睦み合ふ男女。といつて、恋人同士でなければ不倫の逢瀬でも何でもない。二人は同僚で、しかも驚く勿れこれでも仕事中。エログロ誌『ラブ・ジュース』編集者の飯村貴子(さの)と同じく杉田悟(田原)が、鬼編集長の勝呂幸太(久須美)に命ぜられエロ企画を十本纏め上げるために、悪戦奮闘もとい苦闘してゐたのだ。何て職場だ、といふか何と底の抜けたゴキゲンさなのか。とはいへ企画は全く纏まらず、くたびれた貴子に杉田がどさくさ紛れに求婚するが、度の過ぎた淫乱が原因で前夫に逃げられた貴子は二の足を踏む。仕方なく二人が編集部に戻つてみたところ、こちらも編集者の小谷有紀(林)が勝呂にドヤされ泣いてゐる。人気マンガ家・葉山直樹の原稿を取つて来るのに失敗したのが、勝呂の叱責の原因であつた。破天荒に高圧的な勝呂はその場で有紀に馘を宣告すると、返す刀で貴子を葉山の新担当に指名。ひとまづ貴子が葉山の下へ向かつてみると、今度は男と義姉が痴情を縺れさせてゐた。当然のことながら状況を呑み込めず目を丸くする貴子に対し、抱き合つてゐた男と女がスッと体を離すと、二人の体の間に空いた空間に机に就いた葉山先生(杉本)登場。正味な話、画面上は兎も角実際の貴子の視点からは既に葉山の姿が視界に入つてゐておかしくはないのかも知れないが、この葉山ファースト・カットはそれなりに手堅い。義姉役こと葉山のマネージャー・園田美里(小川)が、事態を把握しきれない貴子に説明する。出来るか、といふ話でしかないといへばないのだが。男は『月刊エロス』編集者の酒井純一(太田)で、二人は葉山のイマジネーションを膨らませる助けになるべく、寸劇を繰り広げてゐたとかいふ寸法。何処からツッコめばいいのか判らないので、次段にて後述する。初日は手ブラで貴子が編集部へ戻ると、大胆も遥か斜め上に通り越し最早滅茶苦茶に、部内で勝呂が有紀を後ろから激しく突いてゐた。有紀を編集者として馘にした代りに、奴隷にしたといふのだ、サイケデリックな色の茸でも食べ食べ脚本書いてゐたのかよ。再び目を白黒させる貴子に、勝呂は明後日の高みから出鱈目な条件を突きつける。葉山の原稿を取つて来れなければ、お前も奴隷だ。売り言葉に買ひ言葉で原稿獲得に成功した場合、編集長の座と勝呂を奴隷にする条件を引き出したとはいへ、これといつた勝算も貴子にはない。貴子は再婚を餌としてちらつかせた杉田を唯一の味方に、葉山攻略に燃える。
 企画立案の要と称して編集者同士でセックスしたかと思へば、マンガ家のところへ原稿を貰ひに行くとマネージャーと他誌の編集者がシチュエーション・プレイ。絵に描いた封建君主のやうな暴君編集長は、馘にした女性編集者を自らの性奴隷に。サイエンスこそないものの殆どSF感覚の、まるで全く別個の異世界での出来事を描いた物語のやうだ。馬鹿馬鹿しい、といふか観客を小馬鹿にしたかの如き一作ではあるのだが、全盛期のいかりや長介ばりにパワフルに憎たらしい久須美欽一に、田村正和の物真似をしてゐる人風味の滑稽なエキセントリックさを振り撒く杉本まこと。それに恐らくは確信犯的かとも思はれる、シチュエーション・プレイ時の大時代的な昼メロ感覚の演出とでアクセントを巧みにつけると、馬鹿馬鹿しい物語を馬鹿馬鹿しいまゝに、それでも一欠片の淀みも迷ひもなく振り抜いた様はある意味鮮やか。主人公の立身出世、あるいは暴力的に虐げる支配者との立場の逆転といふ、娯楽に於けるプリミティブな定番も何気に果たされてある。結局、貴子の対葉山の戦略が、策として十全に練られてゐない辺りは一段落ちるが、純粋なナンセンスを実はといふか矢張りといふべきか、それはそれとしての堅牢さで軽やかに形にした、現代風の艶笑譚である。観ようが観まいが別に困らないが、観れば案外面白い。締めではないがメイン・イベントの、貴子のVS.葉山戦を締め括る“ドピュー!”(原稿作成者不明)も、下らなさの極みながら地味に捨て難い。

 クレジットは特になかつたものの、自信半分勇気半分を以て断言する。今作主演女優のアフレコは、吉行由実がアテてゐる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ