電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉巣鴨区上駒込
2019年3月25日(月)
◉巣鴨区上駒込
(2019/03/25)
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◉ハイログラフ
2019年3月23日(土)
◉ハイログラフ
「ハイログラフ」という言葉がわからない。原発完全廃炉までにかかる費用をグラフ化したものでないことは確からしい。
砕かれたフラスコから微妙な音楽がきこえたり、煙草のハイログラフから素晴らしい叙情詩を発見することができます。
(辻潤「ぐりんぷす・DADA」より)
類推1
ハイログラフとはヒエログリフ(hieroglyph)のことを言っていて、タバコから立ち上る紫煙が空中に描く抽象図形を、聖刻文字(ヒエログリフ)に見立てている。
類推2
ハイログラフとは灰炉グラフで灰皿に捨てられた紙巻きたばこの吸い殻がつくるグラフィカルな象形。
類推3
たばこと叙情詩のどうでもいい関係をあらわす適当な造語。
COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO
(2019/03/23)
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◉ぱらぞおる
2019年3月23日(土)
◉ぱらぞおる
辻潤を読んでいたら彼の墓がなぜ染井にあるのかがわかった。
僕はその頃染井に住んでいた。僕は少年の時分から染井が好きだったので、一度住んでみたいとかねがね思っていたのだが、その時それを実行していたのであった。山の手線が出来始めた頃で、染井から僕は上野の桜木町まで通っていたのであった。僕のオヤジは染井で死んだのだ。だから今でもそこにオヤジの墓地がある。森の中の崖の上の見晴らしのいい家であった。田圃には家が殆どなかった。あれから王子の方へ行くヴァレーは僕が好んでよく散歩したところだったが今は駄目だ。(辻潤「ふもれすく」)
「崖」の下に降り「王子の方へ行くヴァレー」は大好きな散歩コースだ。昨日もそこを歩いた。辻は「上野の桜木町」に通わなくなったのちも、教え子だった伊藤野枝とそこで暮らしていた。
OLYMPUS Zuiko 1:2.8 f=100 mm
染井の森で僕は野枝さんと生まれて初めての恋愛生活をやったのだ。遺憾なきまでに徹底させた。昼夜の別なく情炎の中に浸った。初めて自分は生きた。あの時僕が情死していたら、いかに幸福であり得たことか! それを考えると僕はただ野枝さんに感謝するのみだ。(辻潤「ふもれすく」)
「ふもれすく」には渡辺政太郎と白山上の南天堂書店についても書かれていて面白い。そのあたりは松岡正剛の千夜千冊「954夜『南天堂』寺島珠雄」に詳しい。
その頃みんな人は成長したがっていた。「あの人はかなり成長した」とか、「私は成長するために沈潜する」とか妙な言葉が流行していた。
野枝さんはメキメキと成長してきた。
僕とわかれるべき雰囲気が充分形造られていたのだ。そこへ大杉君が現われてきた。一代の風雲児が現われてきた。とてもたまったものではない。(辻潤「ふもれすく」)
全体神経が過敏すぎる。恐迫観念が強すぎる、洒落やユーモアのわからない野蛮人に遇っては助からない。文化は三千年程逆戻りだ。それも性からの原始人ならば獅子や虎と同じに相手が出来るが、なまじ妙な教育とかなんとかいうものがあり過ぎるので始末がわるい。
豚に真珠ということもあるが、野蛮人に刃物ということもある。社会主義というものがどんなに立派なイズムだか知らないが、それをふりまわす人間は必ずしも立派な物じゃない。仏や耶蘇の教義だって同じことだ。仏教やヤソ教の歴史を考えてもみるがいい。神様をダシに使って殺人をやった野蛮人がどれ程いたか。(辻潤「ふもれすく」)
未練がなかったなどとエラそうなことはいわない。だが周囲の状態がもう少しどうにかなッていたら、あの時僕らはお互いにみんなもッと気持ちをわるくせず、つまらぬ感情を乱費せずにすんだのでもあろう。(辻潤「ふもれすく」)
辻潤が伊藤野枝の思い出について書けと言われて渋々書いたのが「ふもれすく」なのだけれど、なぜ防虫剤パラゾールのコマーシャル曲はユーモレスク(ふもれすく)なのだろう。
COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO
「ドヴォルシャック」のあの曲を聴くたびに「ぱっぱ、ぱっぱ、ぱらぞおる…」と歌詞を歌ってしまう。大杉栄と虫除けの出会いがおかしくて好きだ。
(2019/03/23)
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◉飛鳥山の桜
2019年3月22日(金)
◉飛鳥山の桜
毎日昼休みに 1 万歩くらい歩けたらいいと思い、飛鳥山の桜開花状況を見に行ってきた。ところどころ日当たりの良い枝で早咲きが見られる程度だが、花見をする家族連れもいた。
COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO
北区飛鳥山博物館常設展示の「若一(にゃくいち)王子縁起絵巻」をさらっと見て、アートギャラリーで相変わらずスカッとする大野五郎の油絵を見て、ゲーテ記念館前の坂を下り、染井銀座を抜け妙義坂を登って帰ってきた。これで 1 万歩くらい歩けただろうとデジタル歩数計を見たら 8,500 歩だった。
(2019/03/22)
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◉読書の姿勢
2019年3月22日(金)
◉読書の姿勢
読書は明窓浄几、きちっと片付いた机に向かって姿勢を正して行わねばならぬ、という戒めを読んで背筋が伸ばしていたことも一時あった。
娯楽としての読書ならそういう窮屈な姿勢でもできるけれど、難しい本と格闘するときは、横になってゴロゴロしながらの方が、全リソースを読書に集中できていい。
COSINA 1:3.5 f=100 mm MC MACRO
まあ逆に、机に向かい姿勢を正した窮屈な姿勢で、難しい本が苦もなく読めれば大したものだ、とは言えると思う。
(2019/03/22)
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◉辻潤ことば拾い
2019年3月22日(金)
◉辻潤ことば拾い
青空文庫に辻潤の作品があった。ボランティア皆さんに感謝しなくてはならない。以下、「ポケットの中のパン屑」的メモ。
・形而上的思索の如きは無用の長物であるかも知れぬ。宇宙が三角であり、四角であり、自我が錯覚であると否とは生きる上になんの必要もないことかも知れぬ。しかし、必要と不必要とを問わず、人間は形而上的にも思索し得る生物であるのだ。【錯覚自我説】
・人間が生きる上において哲学や芸術が不必要だというような考えは、生きる上にタバコや酒が不必要だという説と少しもちがいはないのである。【錯覚自我説】
OLYMPUS Zuiko 1:2.0 f=50 mm MACRO
第三節から引いたけれど、第二節などショーペンハウアーや西田幾多郎が読めるなら面白くてたまらない。
(2019/03/22)
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◉車の犬
2019年3月22日(金)
◉車の犬
夜中に目が覚めたら読もうと思って田中久文『日本の「哲学」を読み解く―「無」の時代を生きぬくために』ちくま新書を自宅に持ち帰ったけれど、布団から出る気がしないのでゴロゴロしながら柳田國男を読む。
日向路の五日はいつも良い月夜であつた。最初の晩は土々呂の海浜の松の蔭を、白い細かな砂をきしりつゝ、延岡へと車を走らせた。次の朝早天に出て見たら、薄雪ほどな霜が降つて居た。車の犬が叢を踏むと、それが煙のやうに散るのである。(柳田國男『ひじりの家』)
柳田國男の紀行三部作『雪国の春』『秋風帖』『海南小記』から「ひじりの家」を読んでいたら車の犬って何だろうと思う。
SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm
大正九年から十年にかけての鄙旅なので車は人力車だろう。ということは、車の犬とは車夫のことだろうか。調べてみたけれどわからない。人力車夫が犬を連れて人と犬の二頭立てというのもありだろうか。
(2019/03/22)
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◉わが家の桜
2019年3月22日(金)
◉わが家の桜
染井銀座の花屋で買った小さな桜が今朝開花した。
SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm
(2019/03/22)
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◉少女と小皿
2019年3月21日(木)
◉少女と小皿
近所のローソンで買い物をしたらポイントが貯まったのでサンリオのキャラクターグッズ「ぐでたま のせてみて小皿2枚セット」というものをくれるという。引換券を持って受け取りに行ったら、おじさんがもらうのがおかしいのか、若い中国人女性バイトふたりが顔を見合わせて笑っていた。くれるというのでもらってみたがおじさんおばさん夫婦が使うようなものではない。
SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm
近所の友人が外出するところに出会ったので声をかけたら、むずかしい年頃になったという孫娘がむずかっているので、ご機嫌とりにコンビニまでジュースを買いに行くと言う。ちょうどいいので
「おじさんがローソンでもらったかわいいお皿をあげる」
と言って差し出したら受け取って袋の中をのぞいている。
「おじさんにありがとうを言ってね。お皿を割ったら大変だからおうちに置いて買い物に行きましょうね」
と言う友人を、おばあちゃんに奪われまいとするかのように睨みつけ、胸にぎゅっと抱きしめて離さない。
「ね〜、むずかしいでしょう…」
と言って友人が苦笑いしていた。
(2019/03/21)
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◉強風と樹勢
2019年3月21日(木)
◉強風と樹勢
空を白い大きな鳥がぐんぐん速度を上げて舞い上がっていくのでなんだろうと見上げたら白いスーパーのレジ袋だった。都内は強風が吹き荒れている。桜の開花後だったら花吹雪になったことだろう。
SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm
強風でしなっているように見える街路樹。いま吹いている風のせいではなく、ここには高層マンションとオフィスビルによるビル風がいつも吹いているので、こういう風になびくような樹勢になっている。
(2019/03/21)
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◉砂時計タイムトライアル
2019年3月21日(木)
◉砂時計タイムトライアル
仕事場で珈琲やお茶をいれたり麺類を茹でたりなど、1 分単位で時間の計測がしたいことがある。ストップウォッチやキッチンタイマーもあるけれど、操作が直接的で簡単な砂時計が便利だ。
むかしペットボトル入りのお茶についていた、おまけのプラスチックック製砂時計が、小さくて落としても割れないので便利に使っている。100 円ショップでガラス製のちゃんとしたのが買えるけれど 3 分計測用しか見たことがない。1 分計は 2 回ひっくり返せば 3 分計を兼ねる。
SMC PENTAX-A MACRO 1:2.8 f=50 mm
グリーンのやつを使っていたら最近は 1 分が長い。体感的に「長い」という確信が持てたので時計で計測してみると 1 分 30 秒もかかっている。しかも中央のくびれを通過する砂つぶの流れがスムーズでなく、全て落ちきる前に止まっていたりする。妻にそう言ったら、「ちゃんとした砂時計はガラス製で密閉されているけれど、プラスチックを接着しただけものは湯気の湿気が入り込むんでしょう」と笑う。
たしかに色付きの粒は砂ではなくシリカゲルなので湿気を吸いやすいかもしれない。朝ドラ風に、福子の言う通りだと萬平は思う。グリーンの砂時計は砂つぶが湿気を吸着して大きくなった気もする。最初は三色とも砂の量が同じだったが今ではグリーンが明らかに多く、オレンジもやや多い。オレンジを計測してみると 1 分 15 秒で、ブルーのやつがまだ 1 分計のままでいる。
ブルーの砂時計をチャンピオンに認定し、両端のプラスチック接着箇所に硬質プラスチック用瞬間接着剤を塗って気密性を強化し、いつまで使えるかのロングランテストに進む。
(2019/03/21)
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◉六義園しだれ桜
2019年3月20日(水)
◉六義園しだれ桜
仕事場から見下ろす六義園内がピンクがかってきたので、昼休みに見に行ったら正門の表示は「咲き始め」になっていた。
SMC PENTAX-A 1:1.7 f=50 mm
咲き始めたしだれ桜の写真を撮っていたら、若い女性に中国語でも韓国語でも英語でもない言葉で話しかけられた。何を言っているかまったくわからないけれど、スマホを差し出し「あなたに私のスマホをあげましょう」と言っているのでないことはわかった。
SMC PENTAX-A 1:1.7 f=50 mm
しだれ桜をバックにシャッターを押し、指を一本立ててもう一枚撮った。スマホを返したら何か言ったが、何を言っているかまったくわからない。
(2019/03/20)
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◉彼人
2019年3月20日(水)
◉彼人
コンビニで支払いをするため朝一番でちょっと外に出た。11 桁の決済番号を暗記して 100 メートルほど離れたコンビニにゆき、画面に表示されたキーに入力したら間違いなく操作できた。それくらいの時間と距離で忘れまいとする意志があれば、まだ丸覚えができることがわかった。そして用が済んで仕事場に戻ったらもう忘れている。
SMC PENTAX-A 1:1.7 f=50 mm
仕事場に戻る前に郵便受けを覗いたら辻潤『ですぺら』講談社文芸文庫が届いていた。ぱらぱらとページをめくってタイトルが気になった「三ちゃん」が 20 ページほどなので読んでみた。
夫は妻を「すべた」と呼び、妻は夫を「野郎」と呼ぶのです。小児はすべて「餓鬼」扱いです。腹を満たすということがただただ彼人らのアルハです。オメガです。(辻潤『ですぺら』)
「吾人のライター氏」のことがまだ気になっているので「彼人」ということばが注意をひいた。彼人と書いて「かじん」と読むのではないらしい。調べてみると「あのひと」「あのかた」などとルビを振られた文学作品もあるけれど、徳富蘇峰、夏目漱石、尾崎紅葉らがふった「かのひと」があっているように思う。国木田独歩の「彼人(あれ)」と「自分(おれ)」というルビも面白い。
(2019/03/20)
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