史実-3 最終回


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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史実とは、かなりあやふやなものでもある。
歴史上何らかの出来事があったのは事実だとしても、それは複雑な事情がいくつも重なり合って発生したもので、一言で片付けるのは難しい。
同じひとつの出来事が、それを受け取る側の立場や考え方で、解釈がまったく逆になるのはよくある事だし、伝わっていくうちに勘違いや創作も加わっていく。

史実を調べるには、残された文献などの資料を集めるしかないのだろうが、それらの多くは時の権力者の思惑が入り込み、都合のいいよう作り替えた内容になっている。
歴史を正確に残そう・・という気持ちは薄く、民や政治を操作するための道具として、書物は利用されてきた。
そのため、資料の信憑性については常に議論されており、書いた人の立場や状況が判定の際に考慮される。
「史実」とは、あくまでその時点までの調査で、真実に一番近いと思われること・・に過ぎない。

実は以前、それについて考えさせられる出来事があった。
大戦中のある戦記の内容が、嘘であると断定する文章を見かけたことがある。
公式な記録を調べてもそのような事実は載っていないので、本に書かれたことは創作である・・というのだ。

しかし当時その場にいた関係者から、実際に何があったかを伝え聞いたことがある。
軍規に違反しかねない大胆な行動だったので、上官が配慮してくれて、今回は記録に載せずに伏せておこう・・という事になったというのだ。
つまりあえて公的な記録に残さなかったのである。
もちろんその事実は、その場にいた人たちしか知らない。

この時感じたのは、史実を断定するのは、軽々しく出来る事ではない・・ということだ。
そこには人間が存在しているのだ。
実際大戦中を生きた人が、あとからライターが書いた内容を見て、その場にいなかった者が何を知ったようなことを言うか、と激怒されたという話もある。

もし死後の世界があって、事実に反する内容で自分のことを悪く書かれたら、霊たちの恨みを買うのではないか・・・と心配になった。
まあ、人間は死んでしまったら、まったく別の次元にいくので、生きていた頃へのこだわりは無くなる・・という話も聞く。
そうだとしたら、ゲームで自分の性別が変わっても、案外ふーんと面白がって見ているのかもしれない(笑)
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