浅い眠り


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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昨晩はやはり眠れなくなった。
眠れないというより、眠りが浅かった。
ベッドに横になってはいるのだが、起きているのか寝ているのか分からない状態が続いた。

まだ眠れない・・と思いながらも、時々意識が途切れる。
気付くと外が明るくなっていた。
その間ずっと起きていたという記憶はないので、恐らくいつの間にか寝ているのであろう。

やはり昼間に寝すぎるのは良くないと分かった。
リズムが狂ってしまう。
きっと今日は日中眠くなるだろうと思ったが、意外に元気に一日を過ごした。
今もそれ程眠くはない。

あの状態でちゃんと睡眠が取れていたのだろうか。
起きているのか寝ているのか分からない状態で。
まあ一日の睡眠時間を合計すると、かなりの量になるのは確かであるが・・・
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一日睡眠


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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今日は一日中寝て過ごした。
そんな事が可能なのかと思い、実験してみたのだ。

朝起きて少し仕事をした。
それから朝食をとりながら、テレビドラマを2本ほど見た。
それ以降は、ソファーに横になって寝た。

昼食の時だけ起きて、終わると今度はベッドで本格的に寝た。
起きたのは暗くなってからだ。
少し寝すぎて頭痛がするし気持ちも悪い。
食事は3回しっかりとったので、体重が増えたかもしれない。

夜になってこれを書いている。
歯は磨いたが髭は剃らなかったので、伸びてザラザラしている。
さてこんなに寝てしまい、今晩普通に眠れるのかどうか・・・
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やはり洗浄


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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先日書いたコーヒーの味がコーヒーメーカーの洗浄で変わるという話。(2020年6月15日の日記
あれから毎回洗剤でフィルターをしっかり洗っているが、それだけで味が大分落ち着いた。
今までいれるたびにころころ変わっていたものが、ほぼ安定して似た味が出せるようになった。
豆の種類や分量ばかりでなく、機器に残ったコーヒーの油分が味に影響を与えていたのだ。

コーヒーメーカーを洗剤で洗ってはいけないという話があるとコメントをいただいた。
それは確かのようで、日本のコーヒーのいれ方の講習会でも同じことを言われるという。
僕の場合は、実はそれほどコーヒーが好きなわけでは無いので、むしろ機材をよく洗った時の透明感のある味の方が好きだ。

いずれにしても洗浄が味を相当左右していたのは確かのようだ。
今はとりあえずコーヒーをいれるたびに中性洗剤とたわしでゴシゴシとよく洗っている。
また週に一度、漂白剤を入れたお湯に何時間かフィルターを浸けている。
これで油分も汚れも綺麗に落ちて、フィルターのメッシュの隙間までまっさらになる。

洗浄後はよく乾かす。
砕いた直後の豆が水分に触れてしまったら、当然味が落ちるだろう。
完全に乾かすことも重要だと思っている。

その結果、渋みの様なものが無くなり、アレッ?というくらいサッパリした味になる。
そこで豆の量を増やして味を調整する。
透明感がありながらコクも加わり、僕としてはその味が一番好きだ。
会社の女性陣にも好評である。
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漏洩


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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Facebookで何故か仕事関係の人と繋がる事があると書いた。
2020年4月28日の日記
思いもしない人がピックアップされて、知り合いではないかと聞いてくるのだ。
基本的に仕事に関する事は登録していないので、どうして結びついたのであろうと不思議であった。

最初は先方が何らかの理由で僕の名前をFacebook上で検索したのかと考えた。
それで紐付けされてしまい、勝手に両者を結び付けようとしているのかと。
そこで僕のFacebookに年中表示される経理の先生に、僕の名前を打ち込んだことがあるかと聞いてみた。
しかしFacebookは長年見ておらず、そのような事実は全く無いという。

それを聞いて、別のもっと恐ろしい理由に気付いた。
スマホでFacebookを見ることで、スマホ内部の電話帳に登録されている電話番号を、Facebook側が勝手に覗いて収集しているのではないだろうか。
電話番号を収集すれば、同じ番号のメンバーを探し出し、結び付けることは簡単だ。
以前はLINEがそういう事をするので、気軽にやらないようにと言われたが、Facebookも同じ事をやっている可能性がある。

そう思い自分のスマートフォンの電話帳を見てみた。
するとFacebookで表示される人のほとんどが、見事にその中に含まれていることが分かった。
どうやら電話帳のデータをもとに結び付けているようだ。

相手側にもこちらの顔写真を表示して、知り合いではないかと売り込んでいるのであろうか。
あちらもFacebookに登録しているので条件は同じだ。
知らないうちに自分の写真をあちこちに配布されていることになる。
よくもまあこんな節操のない仕組みを作るものである。

以前国の機関に属している友人に聞いたら、Facebookの使用は禁止されていると言っていた。
秘密裏にどこかに駆けつけなければならない事があり、行動が筒抜けになると大問題になるからだという。
要は日常を見られて困る人は、ああいう一般の人の集まりからは、距離を置かなければならないという事であろう。
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交差免疫


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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過去に受けた各種の予防接種が身体に蓄積され、新型コロナウイルスの予防に役立っているようだ、という話を間接的に医療関係者から聞いた。
交差免疫という言葉は、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった頃から、専門家の知人に聞いていた。
風邪などの他の病気に対する免疫が、今回の新型コロナウイルスに効果を持つ可能性がある、という話である。
その場合抗体検査で陰性でも、身体が新型コロナウイルスに対して免疫反応を示すことになるようだ。

毎年のようにインフルエンザの予防接種があり、それを律儀にかっちりと受けている人がいる。
時にはA型が流行ったのに読み違えて予防接種はB型用が行なわれてしまい、「今年は外れたか」などということもあった。
ところがそれらが蓄積されているとしたら、無駄ではなかったということになる。

僕はほぼ毎年インフルエンザの予防接種を受けてきた。
ただしそれほど熱心ではなく、受けても年1回だけである。
昨年は11月に受けたが、暮れにもろにA型にかかってしまった。

夜中に熱が40度近くまで行ったが、翌日にはタミフルで平熱まで下がった。
その間多少めまいがあるくらいで、食欲は変わらずモリモリ食べていた。
普通この高熱だと大変なことになるはずだが、やはり予防接種が効いているのかなと言っていた。

そういう長年の間に受けた予防接種が、身体に蓄積されて鎧となってくれるのなら朗報である。
そのうちのどれかが新型コロナウイルスに対し免疫反応を示す可能性があるというのだ。
一種の誤動作らしく、別の型のコロナウイルスに対して同じ反応を起こしてしまうようだ。

特に日本は、子供の頃から一律予防接種を行なうという、先進国の中では比較的レアな国である。
日本株のBCGが効くという話も、裏付けるデータを見ると非常に説得力のある説であり、この交差免疫の話と絡んでくる。
そういういくつかの要因が重なって総合的に効いているのかもしれない・・・と知人も言っていた。
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ルール


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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今日は日中時間があったので銀座の床屋に行った。
平日に来るなんて珍しいですねと言われた。
意外に混んでいて、1時間ほど後の時間を指定された。

で、帰りにちょうど電車が混む時間に当たってしまった。
嫌だな・・と思ったが、仕方がない。
普段電車に乗る時は、混む時間を避けているのだ。

最初はよほどタクシーで帰ろうかと思った。
駅で電車の様子を見て、混んでいたらタクシーに乗り換えようと考えていた。
しかしホームに来た電車は、たまたま席が空いており、ついそのまま乗って座ってしまった。

案の定、途中の駅でお客がけっこう乗ってきた。
満員という程では無いが、人と人の間にそれほどの空間は無い。
何だか気味が悪い。

皆同じ思いなのか、シーンとして話す人はいない。
誰もがそれなりに緊張しているのが分かる。
ちょっと咳をする人がいると、皆がチラリと見る。

都会では通勤の行き帰りに、否応なくこういう状況に置かれる。
仕方がないとは言え、誰もが理不尽な思いをし、不快に感じている。
せめてマスクをして、何も話さずじっと立っている・・というのが、車内の暗黙のルールになっている。
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イヤーワーム


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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無意識のうちに頭の中で何かの曲が繰り返し再生されている時がある。
そういう現象をイヤーワームというらしい。
多くの人が経験していると思うのだが、原因はよく分かっていないという。

脳内でBGMのように音楽が再生される。
暗騒音のように無意識のうちに鳴っていて、ある瞬間はっと気付く。
気付いてから初めて、それまでもずっと鳴っていて、そのリズムに合わせて行動していた事が分かる。

自分の身体の中での出来事にもかかわらず、自分でコントロールできない。
当然とても気になる。
何故そんなことが起きるのか、何か法則性のようなものが無いかと考えるが、なかなか解明できない。

好きな曲であればいいのだが、必ずしもそうではないようだ。
嫌いな曲が耳から離れなくなり、意思に反し繰り返し再生されれば、誰でも不快な気持ちになるだろう。
それとも潜在意識下ではそれほど嫌っていないのであろうか・・・
自分で自分が分からなくなる。

何をきっかけにして、その曲が頭の中で鳴り出したのか、よく思い出してみると、始まりの瞬間まで辿れる場合もある。
たまたま耳に入った言葉や、人との会話で話題になった事柄などが、その曲の歌詞とダイレクトに結びついていたりする。
あるいはどこかで偶然耳にした曲の旋律が部分的にそっくりで、それをきっかけとして別の曲がイヤーワームとして鳴り出すこともあった。
案外自分の頭の中って単純なのだと分かり、少々ガッカリした。

状況に応じて、テーマ曲のように決まった曲が呼び起こされる場合もあるようだ。
僕の場合、時折ある交響曲のメロディーが顔を出す。
冷静に分析してみると、何か低俗なものに遭遇して、頭の中を高尚な状態に戻したい時などに出てくることがわかった。
そういう曲は頭の中にあるメモリに書き込まれていて、いちいち旋律を思い出さなくても自然に出てくる。

イヤーワームに選ばれる曲は、メロディーが明確でリズミカルなものが多いような気がする。
旋律が不明確な現代音楽などは不向きであるが、そうは言っても僕の場合、ストラヴィンスキーくらいまでなら普通に出てくる。
案外細部まで覚えていて、全曲とはいかないまでも、けっこう長時間の頭内再生が可能だ。

自動車の中で聴く音楽は、現在USBに350枚くらいのアルバムが入っている。
その愛聴盤の中には、自分の頭の中のメモリーにも入っていて、イヤーワームで時々再生されるものもある。
案外先にイヤーワームとして頭の中で曲が再生されて、それを自分の身体からの欲求とみなして、USBからその曲を選んで聴く場合も多いような気がする。

頭の中にしっかり入り込んで脳の一部を占拠しているのであるから、イヤーワームって人間にとって想像以上に支配力のあるものなのかもしれない。
我々の行動自体がその影響を受けている可能性がある、ということだ。
それならば意図的に優れた音楽を鳴らして、行動をコントロールすることも出来るのではないか。
・・などと考えてみたが、それではどこかの宗教のマインドコントロールと変わらない。
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モアレ


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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会社でD850を使い商品を撮影している。
レンズは製品撮影用の常用として組み合わせているAF-Sニッコール58mmf1.4Gである。
これで商品を定位置に置いて三脚でカメラを固定して撮影する。

先日の事だが、表面が細かい織りの生地で覆われた商品を撮影した。
するとその表面の一部に、何か色の違う部分がムラのように被さって写ってしまった。
ピントを合わせた部分を中心に、帯のようにムラが出てしまう。

最初はセンサーかレンズが汚れているのかと思った。
しかし調べても特に汚れている様子はない。
まさか商品自体に本当に染みがあるのではないかとチェックしたほどだ。

これっていわゆるモアレなのだろうか。
モアレっていろいろな種類があるようで、これがどれに当たるのかは分からない。
細かく織った生地の面が立体的に膨らんでおり、それを斜めから撮影した部分に出ている。

こりゃあ直すのが一苦労だぞと思ったが、案の定大変でかなり時間がかかった。
結局ムラになった部分をひとつひとつ切り抜いて、色を微調整して目立たないようにする・・というアナログ的な作業となった。
到底完璧とは言えないが、言われなればまあ分からないであろうというところまで修正出来た。

撮影機材の組み合わせのせいで、こういう現象が出ているのだろうか。
高解像度のD850で始めたが、家にあるD4の方が向いているのかもしれない。
他のレンズとの組み合わせも試す必要があるだろう。
いずれにしても仕事が絡むので、のんびりしてはいられない。
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家での生活


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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新型コロナのせいで子供たちは大変だろうに・・と知人に話したら、その人の子供に関して言えば、意外にもその生活を楽しんでいるようだという。
高校生以下の子供は当然のように毎日ゲーム三昧だ。
そればかりでは飽きるだろう・・と思ったら、そうでもないのだという。
オンラインで皆と繋がるし、同時にLINEも繋げて、会話を楽しみながらゲームをするのだそうだ。
それが十分に楽しいようで、一日中家から出ずにやっているという。

一方で大学生は皆オンライン授業だ。
こちらも授業の録画を見る場合は時間も自由で拘束されない。
何より学校まで通わなくて済む、という生活を知ってしまった。
そのため楽でだらけた生活になっているという。
教えている先生の方からも聞いたが、リアルタイムで繋げる授業は、パジャマを着て布団の中で寝ころんだまま授業を受ける学生もいるという。

ある意味適応能力が高い。
ゲームをやったところで何の生産性も無いわけだし、このままでは自分が駄目になってしまう・・という虚しさや恐怖心はないのだろうか。
家で過ごす生活に慣れてしまい、いつか元の生活に戻るとしても、かなり大変であろう。
と考えたが、それでもやはり、これはもしかしたら未来の進んだ人類の姿なのかも・・という思いも捨てきれない。
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光景


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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今日は朝からずっと仕事であった。
それで手一杯で何もできなかった。
天気が良かったので惜しかったが、もちろん撮影にも行っていない。

新型コロナウイルスの自粛の中、誰もいない都内の写真を何枚か撮っている。
まあ自分も外出を控えていたので、大した枚数ではないのだが・・・
自粛が解除され人の出が復活すると、そういう写真は貴重になるのであろうか。
あるいはまた同じ状況に陥り、見慣れた日常の光景となるのか・・・
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空気の流れ


Z7 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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中国のレストランで発生した新型コロナウイルスの飛沫感染のメカニズムをテレビで特集していた。
エアコンの風の動きを原因とする感染拡大であり、以前より調査結果が話題になっていた。
地下にあるレストランで食事をしていたお客のうち、3つのテーブルで感染が発生した。

中央のテーブルに武漢から来た感染者がいて、その感染者の口から発せられた飛沫がエアコンの風に乗って移動し、同じテーブルと左右に隣接するテーブルに数人の感染者が出た。
調査の結果、壁際に設置されたエアコンから出た風が、反対側の壁に当たり戻ってくるという空気の流れができており、感染者の両側のテーブルにウイルスが運ばれたことが分かった。
場所は地下にあり、外部への換気がなされておらず、同じ空気が循環していたという。

3つのテーブルはレストラン内の端の方にあり、それ以外にも室内には多くのテーブルがあった。
しかし他の数十人の客や店員に感染者は出なかった。
同じ給仕が歩き回っていたが、他のテーブルには感染は広がらず、したがって感染は接触によるものではなく、エアコンの発する風によるものと断定された。

以前このニュースをテレビで見たときは、この話題のすぐ後に、満員電車の中での空気の動きを特集していた。
電車の窓を開けないと空気が動いてくれず滞留するので危険だという。
窓を開ければ車内の空気が一気に流れていく。

しかしこの二つの話題は何だか矛盾しているようにも思えた。
空気が動いたから感染が広まったのに、一方では空気が動かないから危険であるという。
汚染された飛沫が風に乗って動くわけだが、窓を開けていれば外に出て行ってくれるというのだが、そもそも出て行くときに顔のそばをかすめていくのではないか。

電車に乗っていると、窓が開けられている場合が多く、風が通り抜けていくのを感じる。
しかし風上の人の発したウイルスが運ばれてくる可能性もある。
数メートル離れたところでゴホゴホ咳をする人がいて、そちらから風が流れてきて自分の顔に当たっていれば、そりゃあ心配にもなるだろう。
また車両の後端などにいる場合、そこの窓だけ開かない場合もあり、出られなくなった空気がグルグルと渦を巻いているのではないかと気になることもある。

まあ物理現象であるし、その場所の環境によってパターンは無限大にあるので、完璧を目指すことは不可能である。
多少はウイルスが身体にくっつくかもしれないが、口などから入らなければ即感染するという訳でもない。
なるべく盛大に換気して、ウイルスを含んだ空気が少しでも早く外部に出て行ってくれることを願うしかないのであろう。
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電話


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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昨日は書類作りで事務所にいる時間が多かった。
その間何回となく電話が鳴り、そのいくつかは僕が取った。
ところがそのほとんどが、詐欺っぽい売り込みの電話であった。

電話関係
電力関係
IT関係
求人関係
株関係
マンション関係
・・・etc

やけに馴れ馴れしい話し方をして、最初からそれと分かる稚拙なやり方をする人もいる。
初っ端から売り込もうとすると門前払いを喰らうので、曖昧な言い方で巧みに話し出す人もいた。
最初に「お支払いの件ですが・・」と言われて、てっきり取引先かと思ったら、まったく関係のない仕組みの売り込みであった。
こういう詐欺まがいの言い方をする輩は、いずれにしてもまともな相手では無いとみなし、早急に断って電話を切るようにしている。

で、その状態は今日も続いた。
一日にこの手の電話が何本かかってきたであろう。
僕だけで5本出て、それ以外の人も複数回受けている。

給付金などの影響で、一時的に仕事の依頼が増えてはいる。
しかし製造業以外の業界では、すでに酷い不況が始まっているのではないか。
何とか売り上げを上げようと、必死の思いで電話をかけまくる。
新型コロナの経済への影響は多大で、それが本格化するのはこれからである。
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喋らない時代


Z7 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S

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車のコンピューターと会話することがある。
音声操作型のシステムが搭載されているのだ。
例えば「エフエム」と言えばFM放送に切り替わる。

ところが次に「どの放送局にしますか?」と問われる。
「NHK-FM東京」
とか答えなければならない。

機械と言葉を使ったコミュニケーションをするのってけっこう疲れる。
機械が聞き取れるように、ゆっくり明瞭に話さなければならないし、長い単語だと言い間違えそうになる。
人間が機械に対し気を遣ってしまうのだ。
これなら手でスイッチを押して操作した方が早いと思うことも多い。

新型コロナの感染拡大の原因の多くが、口を使った会話によるものだ。
大声を出したり歌を歌ったりする場所では、ご存知の通り飛沫が飛んでクラスターが発生している。
運動などで激しく呼吸をしても、どうも感染する確率が高まるようだ。

アフターコロナの世界では、気軽に人に話しかけることは出来なくなる。
会話自体が危険な行為として許されなくなるであろう。
今までも満員電車の中は静かであったが、これからは一言も喋らずに黙って乗るのが規則になるかもしれない。

そう考えると、ハーイ何とか、とか能天気に話しかけると答えてくれる、音声操作型の機器は大いに問題がある。
新型コロナのせいで、いきなり時代遅れになるのではないか。
もちろん機械の側にはウイルスなど無いが、話しかける人間の方は、汚染された唾を撒き散らす危険性がある。
それも大きな声ではっきり話さないといけないので、必要以上にばら撒くことになる。

ペチャクチャ喋るようなコミュニケーションは許されなくなるとしたら、どうやって意思を伝達し合うのだろうか。
マスクで顔の下半分は隠しているので、表情を使った伝達は難しい。
巧みに目だけを使って表現したり、補助的に手や腕を動かすくらいしかない。
戦争中に戦場で兵士同士が行なう意思伝達に近いものだ。
何だか大いに退化するようにも見える。

いずれにしても音声操作型の機械は、過渡期のものという話がある。
キーボードを打つ技術を習得する必要が無いので、一時は次世代の技術の目玉とも思われた。
しかし言葉でいちいち指示を出さなくても、AIが個々の人間の好みを学習して、勝手にその人に最善と思われる選択をしてくれる・・という方向に進みつつあるようだ。
コミュニケーションをして相手に伝えるのではなく、何も言わなくても先に察して動いてくれるほうが未来的ということだ。
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到達


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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実は先月末頃から急に仕事が忙しくなっている。
大きく落ち込んでいた店舗の売上は、とりあえず以前の状態に近くなった。
ネットショップは大きく売上を伸ばしており、製品の供給が間に合わないほどだ。

もちろん10万円の給付金が大きな理由である。
まだ新型コロナによる金銭的な影響を受けていない人もいて、頂いた分がそのまま余裕となっているのであろう。
またせっかくだから何か残る物を買おうと考えている人も多いようだ。

同時にキャッシュレス決済還元の5%が今月で終わることも影響している。
当初は東京オリンピックが始まる直前ということで、6月を期限としていた。
今となってはその意味が無くなってしまったが、今月一杯で終了することに変わりは無い。

このどちらも今回限りの特別な要因である。
つまり売れているのは一時的な現象で、来月以降は反動でガクッと落ちる可能性が大きい。
ここで何らかの対策を打たないと、崖から落ちるような大きな下落が待っており、かえって日本の経済をダメにしかねない。

考えてみれば10万円の給付って、ベーシック・インカムそのものである。
全国民に一律で同額を配るのであるから・・・
またキャッシュレス決済還元は、現金を完全に無くすための第一歩である。
現金払いとの金額差が続けば、いつかは現金で払う人はいなくなる。

どちらも人類の未来の世界として描かれてはいたが、実現はまだ当分先と思われていた。
しかし新型コロナの騒ぎに後ろから押されて、世の中が一気に進んでしまった。

この給付金とキャッシュレス還元をこのまま続けていけば、スムーズに次の新しい世界に移行できるのではないか?
つまり今後も毎月10万円を全員に給付して、現金が世の中から消えるまでキャッシュレス還元を続けるのだ。
そうすれば人類が目指していた次の世界に、日本が世界で一番早く到達できるではないか。
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習慣


Z7 + NIKKOR Z 50mm f/1.8 S

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代車を数日間借りていたが、その間に感じたことがある。
代車にはブレーキのオート・ホールドの機能が付いていなかった。(オート・ホールドに関しては2020年5月14日の日記
ところが身体の方は、オート・ホールドを使った運転にいつの間にか慣れてしまったようだ。

最初に交差点で停まった時に、つい足を離してしまい、車が動き出したので慌ててブレーキを踏んだ。
自分でも驚いたが、そういう運転方法が身についていたのだ。
まあ車間距離には余裕を持って停まっているので、すぐに大事に繋がる訳ではないのだが・・・

しかもこの習慣は一度身に付くとけっこう根強いようで、何度か同じことを繰り返した。
車が停まると思わず足を離しそうになる。
実際には離さないまでも、一連の動作として身体が覚えており、無意識のうちにそうしてしまうのだ。

以前なら、ブレーキから足を離すのは危ないこと、という認識があったが、今は躊躇せず離してしまう。
これは少々危険である。
まあ既に代車は返却して、オート・ホールドの付いた320dに戻っているので問題は無いのだが・・・

当初はブレーキから足を離している間、どこに足を置いていいか分からず困惑した。
信号など足を浮かした変な体勢のまま長時間待たなければならずかえって疲れた。
しかしいつの間にか足を離す習慣が身に付いたという事は、ブレーキを踏み続けるよりそのほうが楽ということであろう。

先日ふと思いつき、シートのポジションを細かく調整してみた。
シートの前後の角度を微妙に調整すると、膝の辺りをサポートしてくれて、足をブレーキから離してもあまり負担に感じないポイントがあることに気付いた。
まだベストの位置が掴めた訳ではないのだが、現在はブレーキから足を離すことがそれ程苦痛ではなくなった。

要は今までのシートポジションが間違っていた・・という事であろう。
もう40年近くも運転しているのだが・・・(笑)
オート・ホールドのお陰でいろいろと勉強になっている。
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