年賀状


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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昨年は年末ぎりぎりまで忙しくて、年賀状を書く時間がなかった。
結局は出すのを諦めて奥日光に出発、帰宅後に年賀状をいただいた人にお返しした。
いつもなら何かしら葉書もデザインするのだが、今年はその余裕が無く、市販の葉書を買って送った。
あまり気持ちのこもったやり方とは言えず、出す意味があるのかと言われても仕方が無い。

年賀状をいただいた人にのみ返したわけだが、このやり方だと出す相手がどんどん減っていく。
僕と同じように、貰った人にだけ出すというやり方の人が他にもいるとしたら、互いに出さなくなり、いつしか関係が途絶える可能性がある。
また親戚には高齢者が多く、喪中の家も何軒かあり、それも枚数が減る原因となっている。

昨年の調査で、年賀状を出す予定の人の比率が6割程度だったのに対し、その後実際に出したか調べたら、数値が逆転して出さなかった方が6割になった・・という話を読んだ。
たまたまウチは間に合わなくて出さなかったわけだが、年賀状の減少は全国的な傾向なのだろう。
周りを見ていると、昨年がひとつのターニングポイントだった可能性もあると感じている。

予想のつく結果であるが、世代的には若い人ほど、年賀状を出さないという。
彼らは友人関係には案外まめなので、要はメールを利用して新年の挨拶を送るということだ。
葉書を出すにもお金がかかるから、金欠の若者が出さなくなるのは自然なことなのだろう。

自分の手を使って文字を書いたり、絵を描いたりするのは、現代人の不得手とするところである。
そのため無理してパソコンで作るわけだが、それを年末の忙しい時期にやらなければならないのが負担となっている。
どうせパソコンを使うなら、何も紙に印刷しなくてもメールで送れば済む・・というのは、至極もっともな結論である。

本来「純アナログ的」ともいえる年賀状は、逆にもっと特別な存在となる可能性がある。
書くのが面倒だと言っているのは、それに価値を付加できない一般人である。
年賀状はもっと少数派の高尚なものとなり、芸術の一分野にまで昇華するのではないか。

ところで、今年は年賀状を出さないと初めに言い出したのは、僕の母親である。
いつもは頼まれて僕がパソコンで印刷していた。
しかし今年は作らなくていいと言われた。
近い親戚が亡くなり喪に服したい気持ちがあったのと、年齢からいって書くのが億劫になってきたのだろう。

ところがこのことが波紋を呼んだ。
母親からの年賀状が急に途絶えたために、旧友たちから何かあったのではないかと、心配する声が上がったのだ。
小学校時代の同級生から、母親に様子を確認する電話があった。
母親が意外なほど元気だったので、安心したと言っていたという。

母親くらいの年齢になると、年賀状は「元気でやっている」ことの証になっているのだ。
もう少しダイレクトに言うならば、「まだ生きている」「ボケていない」ことの証明である。
出すのをやめてみて、同級生の皆が年賀状を真剣に見ていたことに気付いたのだ。

電話をかけてきた友人によると、長年の付き合いのある同級生が、突然今年から友人の名前を「旧姓」で書いてきたという。
最初は理由がわからなかったが、どうやら恐れていたボケが始まったらしいことに気付いた。
その兆候が年賀状に明確に表れているのだ。
今更旧姓なんて、結婚してからもう50年以上も経つのにねえ・・・と友人は嘆いていたという。
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儀式


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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コードバンの靴を履こうと思い、棚から出してきた。
未使用のコードバンの靴を何足か持っている。
そのうちのひとつを、今日おろそうと決めていた。

あらかじめプロにお願いして、ピッカピカに磨いてもらった。
自分で磨いてもいいが、やはり専門家に磨いてもらう方がよく光る。
特にコードバンの場合は、その輝きこそが重要なのだ。

先週青山のお店に持っていき、磨いてもらった。
どう仕上げますか?と聞かれて、とにかく目一杯光らせてくださいと頼んだ(笑)
その状態でレッドシダーのシューツリーを入れて、棚に飾っておいたのだ。

おろす前に、ひとつ儀式がある。
皴入れである。
コードバンの場合、普通の革と違って、これをやらなければならない。
一度皴が入ると、もう2度と取ることが出来ず、その状態が永久に続く。
そのため皴を入れたいところに、最初に意図的に入れてやるのだ。

これには賛否両論あって、そんな事やる必要はないという意見もある。
しかし僕の場合足が偏平足ということもあり、大抵のアメリカ靴ではフィッティングが完璧とは言えない。
ボールの位置が合っていても、捨て寸は必要以上に大きい場合が多い。

そのため自然に任せて皴を入れてしまうと、予想外の変な場所に入ってしまうのだ。
以前新品のコードバンの靴をいきなり履きだしたところ、キャップ部分に横に皴が入ってしまった事がある。
ウワッと思ったが、これはもう一巻の終わりである。
今でもその時のショックは強烈な心の傷として残っている(笑)
だからこの儀式だけは、しっかりやるようにしている。

だが意外に難しい作業で、慎重に行わなければならず、思いの外緊張する。
具体的には、まっさらな状態の靴に足を入れて、皴を入れたいところにペンのような丸い棒を押し当てて、足をゆっくりと曲げて皴を強制的に入れてやるのだ。
皴の入れ方は人それぞれで正解は無いが、僕の場合1本目はなるべく水平に入るようにする。
左右の足の大きさが違うので、当然左右の靴の皴の入り方は、まったく同じには出来ない。
しかしかえってその方が自然な結果になる。

というわけで、廊下で新品のコードバンの靴に足を入れ、ペンを当てて皴入れの儀式を行った。
ウイングチップということで、パーツが複雑に組み合わさっており、皴の位置もなかなか完璧という訳にはいかなかった。
しかしまあ、何もしないよりはずっといい位置に入ったと思う。

いざ外出しようとしたら、雲が多く出ており、何となく怪しい空模様である。
ご存知の通り、コードバンは濡らしてしまったら大変である。
せっかく皴入れの儀式を行ったが、今日は履いて出るのは中止した方が無難のようだ。
結局シューツリーで皴を伸ばして、もう一度棚にしまった。
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ウイングチップ


D810 + AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

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「ニック・オブ・タイム」という映画がある。
1995年のアメリカ作品で、主演は若き日のジョニー・デップだ。
たまたまNHKで何度か放映されたので、録画しておいた。

州知事の女性候補が、急にリベラルに政策を転向したため、夫を初めそれまで支持していた周りの白人たちが怒り、彼女を暗殺する計画を立てる。
たまたま通りがかった経理士のジョニー・デップが、それに巻き込まれるというストーリーである。
監督はジョン・バダムで、映画の進行が90分間ほぼ時間通りに進む編集になっている。

実はこの映画、すこぶる評判が悪い。
たまたま通りがかっただけのジョニー・デップの娘をさらい、知事を殺さないと娘を殺すと脅し拳銃を渡す。
銃の腕さえわからない男を相手に、そんな無茶苦茶な話があるかと非難する意見が多い。
助演のクリストファー・ウォーケンの存在がなかったら、どうしようもない作品になっていたと言われている。

まあジョン・バダム作品はシナリオに欠陥が多いのが特徴で、その辺のラフさをわかった上で見てやる必要がある。
こういう何かが根底から抜けてしまったようなストーリー展開は、この頃の作品の特徴でもあるのだ。
Mrs.COLKIDも、この映画を劇場で見せられたら、500円くらいしか払う気にはならない、と言っていた。

それを何故録画までして観るのか。
実は靴好きにとって、これはけっこう興味深い作品なのだ。
脇役のチャールズ・S・ダットンが、劇中黒人の靴磨きとして重要な役割を果たす。
彼は足の不自由な退役軍人で、追い込まれたジョニー・デップを助けてくれる。

主演のジョニー・デップは、マックアリスターのような形状の比較的複雑な内羽根式ショート・ウイングチップを履いている。
それを磨きながらダットンは「ウイングチップほどいい靴はない、丈夫で長持ちする」というようなことを言う。
そう言うダットンも、不自由な足にブラウンのロング・ウイングチップを履いている。

何と彼はこの靴を履いたままの樹脂製の義足で、デップの娘を撃ち殺そうとした女をぶん殴って倒す。
そして靴にキスをしてこう言うのだ。
「ウイングチップは最高だ!(Nothing like a good wingtip!)」
これだけでアメリカ靴好きなら見たくなるだろう(笑)

ラストで姿を消す黒幕である老人が、黒のショート・ウイングチップで、デップの落としていったセイコーの時計を踏みつぶしていくシーンがある。
主要登場人物が皆ウイングチップを履いているのだ。
明らかに靴が好きな人物が絡んだ作品である。

この作品を語るに当たり、(個人的に)ここは重要なところだと思うのだが、いろいろな評価を見たが、靴について触れている人は皆無であった。
この映画でジョン・バダムが言いたかったのはこういう事だろう。
「男ならウイングチップを履け!」









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SSD


D810 + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZF.2


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自宅で使用している2台のパソコンはSSDである。
もう何年か使っているVAIOのノートと、昨年購入したDELLのデスクトップだ。
VAIOはSSDのみ搭載で、DELLはデータの保管エリアとしてHDDも搭載している。

この選択は間違っていなかったと感じている。
SSDの立ち上がる速度は劇的に速い。
作業効率もさることながら、精神的なストレスがだいぶ変わる。

朝起きると、まず自分の部屋に行き、2台のパソコンの電源を入れるのが日課になっている。
以前はその後一度部屋を出て、洗顔など一連の朝の作業に入った。
パソコンが立ち上がるまでの時間、ぼうっと座っているのが勿体ないからだ。

しかし今はそのまま待ち、パソコン作業を先に行うようになった。
2台ともほんの数秒で立ち上がってしまうのだ。
むしろ速すぎて慌しいほどだ。
つまりSSDのお陰で生活サイクルまで変化したことになる。

電源を押すと、数秒でパスワード入力の画面になる。
1台のパスワードを入れているうちに、もう1台も立ち上がってパスワードを要求してくる。
同時に2台は入力できないので、片方には待ってもらって、ひとつずつ入れていくしかない。
すぐにメーラーやブラウザを立ち上げることが出来、待つ時間はほとんど無しでパソコン作業に移ることが出来る。
メールとブログのチェックくらいなら、電源スイッチを押してから1分以内に終わってしまうだろう。

会社のパソコンは、最近導入したものも含めてHDDタイプである。
立ち上げるのに数分かかるものもある。
予算の都合でHDDにしたが、SSDのパソコンに慣れてしまうと、かったるくて仕方が無い。
実際の作業の効率は、恐らくそこまで変わらないだろうが、精神的なストレスが全然違う。
次回入れ替える時は、仕事用のパソコンもSSDにしようと思っている。

気になるのは耐久性である。
今のところ調子よく動いているが、どの位もつのであろうか。
SSDは書き換えできる回数に制限があるそうで、使用エリアを容量の半分くらいに抑えて、データ類はすべて別の記憶媒体に落とすようにしている。
とはいえ、VAIOの方は2011年に購入しているので、もう5年以上安定して動いているのだが・・・
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時間を守る


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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時間を守る・・ということに関して、我が家は非常に厳しかった。
自分の家が普通と違う事に気付いたのは、実はつい最近である。
世の中には時間にルーズな人が多いものだといつも感じていたが、ふと、自分の方が特別なのではないかと思ったのだ。

大学生の頃、駅の改札で母親と待ち合わせて、15分ほど遅れたことがある。
つい寝坊してしまい、慌てて着替えて飛び出していったのだ。
その時に母親から、厳しく叱責された。
あなたをそんな人間に育てた覚えは無い、とまで言われた。

当時は携帯電話など無かったので、途中で連絡を取り合うことが出来なかった。
相手が時間に来ないと、何かあったのではないかと心配になった。
今とは少し状況が違うことは確かであろう。

まあ母親も、15分遅れた事よりも、のんびりした学生のいい加減な生活を正そう、ということだったのだろう。
実際僕の方にも、時間に遅れることは大変な失礼に当たる、という認識がしっかり出来上がっていた。
子供の頃から、そういう風に育てられたのだから仕方が無い。
だから15分も遅れたら、怒られるのは当然だと思った。
今後社会人になったら、そんな甘いことでは通用しない、時間を守らない人間は許されない、と思っていたのだ。

もっともその割りに、学校の友人たちは結構ルーズででたらめであった。
時間なんて端から守らないやつもいて、学生ってこんなものなのかと驚いた。
その後社会人になると、さすがにそれでは通用しないので、彼らもルーズな生活を改めざるを得なかった。
生活態度を変えた友人たちを見て、やはり時間を守ることこそが世の中の規範なのだと思ったものである。

話が最初に戻るが、我が家がそういう考え方になった原因に、最近ふと気付いたのである。
僕の父親は剣道を教えていて、生徒への教えのひとつとして、時間を守ることを掲げていたのだ。
礼儀を守り、時間を守る。
武道の基本である。

父親自体はとても大らかな人で、人にそういうことを押し付けるタイプではなかった。
息子の僕しか知らないが、ユーモアは相当なものであったし、案外でたらめなことをする事もあった。
しかし道場で教えるとなると、ビシッと締める必要があり、明確な規律を掲げることは重要であった。

今では多くの人が、時間を守ることをそこまで大袈裟には考えていないだろう。
先ほど書いたように、全員がスマホを持つようになり、少々遅刻しても簡単に連絡出来るようになった。
理由があり遅れるのは仕方が無い、ちゃんとその事を伝えればいいのだ、と考えるようになった。
母親でさえ、今ではそういう考えに変わっていると思う。
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今年の寒さ


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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今住んでいるマンションは暖かい。
今住んでいるといっても、もう35年以上も住んでいるのだが・・・
とにかく暖かくて、暖房をつける必要がほとんど無い。
一年中一度もつけないか、あるいはつけても年にせいぜい2、3回。
そのため冬の光熱費はかなり低く抑えられる。

多分日当たりのいい鉄筋作りで、下に店舗も入っているからだろう。
電車の線路が近くを走っているので、騒音の侵入を防ぐため、コンクリートの壁が厚くサッシも密閉度が高く作られている。
遮音性能を上げていることも、暖かいことと関係しているのだろう。

僕は生まれてからずっと一戸建てで育って、学生時代からこのマンションに住み始めた。
他の家のことは知らないので、マンションとはこういうものだろうと思っていた。
しかし実際には自分の家はマンションというよりビルに近い作りであるとわかってきた。
たまに人の買った新居などに行く機会があると、壁も薄いしずいぶん華奢な作りだなと感じることがある。

まあ華奢といっても、最新の設計の方が耐震性などは高いはずだ。
僕の住んでいるところは、昔の物量投入型というだけで、大きな地震の時には盛大に揺れる。
ミシミシいって、建物が平行四辺形の形になっているのが分かる。
ただ室内の暖かさに関しては、この物量が効いているように思う。

ところがその僕の住居でさえ、今年はさすがに暖房をつけている。
Mrs.COLKIDが風邪をひいたこともあるが、この数日毎晩エアコンをオンにしている。
昨年買ったダイキンのエアコンであるが、オンにしても部屋が暑くなるほどには暖まらない。
火を使う暖房機器とは違う、ソフトなタイプの暖め方である。

長くなったが、言いたかったのは、今年はいつもより寒いのだろうか、ということだ。
昨晩も車の外気温計はずっと氷点下を指していた。
先週だったか、朝の温度が今までに無い低い温度にまで下がり、工場の機械がのきなみ動かなくなったこともあった。
今来ているのは今期一番の寒波だというし、週末は一度暖かくなるそうだが・・・

以前急激な寒冷化の危機について書いた。(2016年1月30日の日記
温暖化もよりも、むしろ急激な寒冷化に襲われる方が恐ろしいという。
今年の寒さを見ていると、そういう日が来た時に、今のマンションでどこまで行けるかな・・と考える。
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メカニズム


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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日曜日、年末のセールの時に英国から取り寄せた靴を履いて出た。
踵の当たり具合が、どうもおかしい。
違和感がある。
このラストの靴は他にも持っているが、今回はサイドゴアなので感触が異なる。
ゴムが伸びる分、ヒールカップが後方に動くので、普通の靴より踵が擦れやすくなるのだ。

これは靴擦れになるな・・と思った。
注意深く足の状態を観察しながら歩いた。
靴下に厚手のものを履いて、隙間を無くそうと思ったのだが、ほとんど効果なし、あるいは逆効果だったようだ。

最初は歩くたびに、踵につっぱるような違和感があった。
この感じがある時は危ないのだ。
それから小指が当たるのも感じた。
面白いもので、その二つは同時には起こらなかった。

それからMrs.COLKIDとカフェで食事をした。
椅子に座っている間、足に重さがかからない分、一時的に楽になったかに見えた。
しかし食べているうちに、また何となく踵がムズムズしてきた。
食事を取って足が浮腫んだのだろうか。

食べ終わって立ち上がると、踵を掴まれているような嫌な感触。
そのまま歩き出すと、数歩で痛みが発生しはじめた。
歩くたびにヒリヒリする。
これは足の表面の皮にシワが寄ったか、あるいはもう水が溜まり始めているかもしれない。

と思ったら、今度は突然痛みがすっと消えた。
恐る恐る歩いてみたが、痛みはほとんど感じない。
はて、これなら行けるか・・と思ったが、今度は小指が痛くなり始めた。
せっかく踵の痛みが消えたと思ったら・・・
いずれにしても、足が痛いのには変わりなく、歩くのにはけっこう困難が伴う。

結局途中からは、本格的に踵が痛くなりはじめた。
こうなるともう拷問に近い。
傷口をしつこく責められているようで、歩行するのは相当厳しい状態だ。
耐え難い痛みに顔が歪み、スムースに進むことが出来ない。
傍から見ていて、どうしたのかと思われたかもしれない。

靴連れのメカニズムは複雑だ。
前回もそうだったが、コロコロ状況が変わり、原因が解明できなかった。
椅子に座って食べている時に、様子が変わったのを見ると、足の大きさの変化が関係しているようだ。
すでに表皮がダメージを受けているので、ちょっとした足の形状の変化が、ダイレクトに痛みとして響いてくるのかもしれない。
靴もさることながら、自分の足の方が、けっこう頻繁に形を変えているのだろう。
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紫雲膏


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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先日ここで教えていただいた塗り薬「紫雲膏」だが、早速取り寄せてみた。
2017年1月21日の日記
例によってアマゾンプライムでその日のうちに届くという。
朝注文して、夕刻にはヤマトが持ってきた。

クラシエ紫雲膏

ラズベリーくらいの濃い赤い色をした薬である。(昔紙芝居屋さんで出たアンズと言った人もいる)
硬めの軟膏で、チューブを強めに押さないと出てこない。
油っぽい変な臭いがする。
基本的には傷薬のようだ。
火傷などに効果があるという。

そのクリームを手に塗ってみる。
赤い色が付くが、伸ばすと薄れていく。
それでも手全体が何となく赤っぽくなる。
服を汚さないよう気をつける必要があるだろう。

風呂上りにつけると効果的であると聞き、早速実行してみた。
僕の手はヒビが入っているばかりでなく、指の側面が荒れてガサガサになっている。
そこに赤い軟膏を塗り込んでいく。
ヒビの隙間に赤い色が残るが、意外にさらりとしていて、べたつきは少ない。

翌日になり、効果が明確に出た。
ガサガサだった指は、嘘のようにきれいになった。
ひび割れより、ガサガサが無くなったことに驚いた。
まるで夏の湿気の多い時期の指のようだ。
しかもそれが長持ちして、日中はそのままだったし、水に濡らしても大丈夫であった。
なかなか具合がいい。
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寒い写真


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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ただでさえ寒いのに、寒々しい写真ばかりで申し訳ない。
このところ撮影に行っていないので、年末年始に山奥で撮った写真しかないのだ。
ここを見てくださる方は、写真のせいでさらに寒く感じられることだろう。
まあ、写真が人の心に影響を与えるパワーを持っている、という見方もできる(笑)

今日は青山に靴を磨いてもらいに行った。
未使用のコードバンの靴を持っていき、ピカピカにしてもらった。
その後、渋谷まで歩いたのだが、履きなれない靴を履いていたため、靴擦れで痛い目に遭った。
足を引きずりながら歩いたが、靴擦れってけっこう我慢できない部類の痛みだと思う。
かなり辛かった。
帰宅後靴下をめくってみたら、踵が赤くなって水膨れが出来ていた。
針を刺して水を出しながら、刑事フォイルを見た(笑)
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お疲れ様


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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このところ毎日遅くまで写真の現像作業を行っていた。
同窓会の写真である。
色を整えてトリミングしてJPEGに変換する。
その作業がやっと終わった。
USBに落として幹事の方の自宅に送った。
全部で200枚くらいになった。

一方仕事の方も忙しくなって、毎日残業するようになった。
遅く帰ってから、写真の現像作業に取り掛かる。
さすがに寝不足で少々疲れた。
そもそも同窓会自体が、九州の出張から帰った翌日だったのだ。
この数日間、ほとんど休んでいない事に気付いた。
今日は早く寝ることにしよう・・と思いつつも、また夜更かししそうなのだが・・・
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ひび


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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指先にひび割れが出来た。
親指の爪の横の部分だ。
そこがパックリと割れた。

痛い。
何かを掴むたびに痛みが走る。
忘れてミカンの皮でも向いたら、激痛に飛び上がるだろう。
間違って書類の紙などがそのひび割れにスパッと入ったりしたら・・・
ああ、想像しただけで痛くなってくる。

以前は水絆創膏を使って対処していた。
接着剤の匂いのする塗り薬で、傷口を固めて塞いでしまう。
塗った瞬間は激しく沁みるが、ほどなく乾いて痛みは消える。
しかし一時的なもので、しばらく経って被膜が落ちると、また元の状態に戻ってしまう。
その繰り返しになり、水絆創膏はかえって治りが遅くなることがわかってきた。

そこで専用のクリームを使うことにした。
最近は指先のひびやあかぎれ専用のクリームが出ているのだ。
それを塗ると指先がしっとりとして、乾いて硬くなっていた肌が柔らかくなる。
痛みも少し薄れるような気がする。
しかしこれも効果は限定的で、少し経つとまた元に戻ってしまう。

結局一番いいのは、普通の絆創膏を上から貼る事・・という結論に達した。
旧来の絆創膏を、ひびの上からしっかりと巻き付ける。
ひびを密封して、直接外気に触れないようにするのだ。

程なく痛みは消えてくる。
手を洗う時など、絆創膏を濡らしてもいいから、とにかく上から強めに巻いて傷口の露出を避ける。
このまま2日ほど経てば、パックリ割れていた肌がふさがり、ひび割れの痛みはきれいに無くなる。
原始的な方法だが、これが一番早いことがわかった。
ただしiPhoneの指紋認証が効かなくなって少し不便だが・・・
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画像の色


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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ある米国のサイトで、スエードのベルトを買った。
彩度の高い明るめのブラウンのベルトである。
セールで安く出ていたのだ。
送料も安く税金も取られず、品物は無事到着した。

ところが箱から品物を出した瞬間、ウワッとなった。
ネットの画像で見たものと色がだいぶ違うのだ。
思った以上に色が暗い。
ダークブラウンと呼んでもいいほどの色だ。

これには困ってしまった。
僕はスエードのブラウンの靴を何足か持っていて、ダーク系とライト系で2種類のベルトを使い分けようと思っていた。
ダークブラウンのベルトは既に国内で入手しており、今回はライトブラウンのベルトが欲しかったのだ。
ところが届いたものの色が予想より濃かったため、ダークブラウンのベルトばかりが2本になってしまった。

ネット上の画像の色は、それを見るモニターの発色でだいぶ異なる。
だからそのまま信用出来ないのはわかっているが、それでも画像からおよそこういう物だろうと想像することは出来る。
今回の通販サイトの色は、その共通の認識の範囲を外れている。

まあ素材は天然のものであるから、ロットにより多少ばらつきが出るのはわかる。
サイトの製造者の使っているOSによっても、見え方が違ってくるだろう。
だが一番疑っているのは、その会社の人たちの神経が、かなりラフなのではないか、ということだ。
偏見かもしれないが、色が違うくらいどうでもいいじゃん・・と言いそうな雰囲気を感じる。

そのサイトに書き込まれた購入者の評価を読んでいたら、星の数を最低にしている人がいた。
ベルトではなかったが、やはり届いたものの色が画像とかなり違うという理由であった。
書き込んだのは日本の人で、でたらめな販売側へのクレームを英語で書いていた。
やはり日本を相手に商売するには、基本的な考え方が少々荒っぽ過ぎるような気がする。
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新星


D810 + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZF.2

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何故か急に忙しくなって、連日仕事を遅くまでやっている。
工場も残業して生産している。
春の需要期が始まったのだろうか。
東京オリンピックまで4年を切り、建築業界などは賑わうだろうが、それが巡り巡ってウチあたりまで影響が来ることも考えられる。
いずれにしてもいいことだ。
この勢いでこのままずっと行ってくれればいいのだけれど・・・

今日は書く暇が無いので、最近Facebookで読んだ話題を紹介する。
もしかすると結構大きい新星が誕生するかもしれないという。
このところ、小惑星が地球をかすめていった・・という話をよく聞く。
こうしている瞬間にも、いきなりぶつかって、地球上の生物はすべて吹き飛んでしまうかもしれない。
宇宙って残酷で恐ろしいものなのだ。

はくちょう座の連星、2022年に衝突で「新星」誕生か 夜空で最も明るい天体になるかも
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ツイード


D810 + AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED

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ツイードのジャケットが好きで、古着屋さんでよく購入していた。
クローゼットを見ると、数着のツイードのジャケットが並んでいる。
襟をめくってみると、ハリスツイードを示す王冠のタグが見える。

ところが近所のスーパーで売られている安いグッズに、そのマークが付けられているのを見て驚いてしまった。
手帳からスリッパからポシェットから、2、3千円で買えるものにボコボコ付けられている。
駅でお母さんが子供のおむつを入れているバッグに、ハリスツイードのタグが縫い付けられているのを見た時は、さすがにガックリきた。
いくら何でもこれは酷い。

そうしたらさすがに対策に乗り出すようだ。

高級生地「英ハリスツイード」安値乱売のなぜ 大手小売りもルール違反、協会が対策強化へ

まあもう遅いような気もする。
現実に英国で量産化が進んだことも関係しているそうなので、以前ほど希少価値の高いものではないのかもしれない。
厚みのある本物は高価でとても使えないと、数年前にアパレル雑誌の編集者から聞いたが、どちらが本当なのだろう。

いずれにしても、安価なものから高価なものまで、すべて同じマークを付けているようでは、差別化は難しいだろう。
安売り店の乱売というのは、一種の暴力であり、長い時間をかけて作り上げたブランドイメージが、あっという間に崩壊してしまった。
基準をきっちりと決めて、ごく一部の商品にのみ取り付けを許すべきだったが、管理がデタラメだったのだろうか。
あの安いのが大量に出回ってしまっては、マークが目立つだけに、かえって恥ずかしくて着られなくなってしまった。
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集合写真


D810 + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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同窓会で撮った集合写真をチェックしていた。
百数十名が一同に会した写真である。
建物の階段の段差のある場所に、横にずらっと並んで撮った。

枚数は10枚ほど撮影した。
ところが、顔が物陰に隠れてしまい見えない人がいる。
そこに誰か立っているのはわかるのだが、前に立つ人や置物などの後ろに隠れているのだ。
しかも10枚の写真すべてに顔が写っていない。

撮影するカメラの位置は、当然皆わかっている。
目の前数メートルの位置に三脚で立っており、「撮りますよ」と合図してから、リモコンでシャッターを切っている。
その度にストロボも光る。

常識的に考えれば、写真に上手く写るように、隙間から顔だけでも出してそちらを向くのが普通である。
それなのに、すべての写真で、前の人の陰に隠れているのだ。
僕自身も集合写真の中に入らなければならず、カメラ側から確かめることが出来なかったので、それを指摘できなかった。

恐らく意識的に写ることを避けたのだ。
何らかの理由で写真に写りたくない、という人がいるのだろう。
カメラを向けられると、反射的に隠れる癖があるのかもしれない。
写真に撮られるのが嫌いな人なのだろう。

プロであれば、そういう性格の人がいるのを承知していて、注意するところなのだろう。
まだ銀塩時代の写真であれば、何となくわからないで終わったかもしれない。
しかし今は拡大してひとりひとりチェックするので、そういうおかしな動きをすると、かえって目立ってしまう。

さてどうしたものか・・・
その人物の顔がしっかり写っている写真が1枚も無いのだ。
しかし服装から誰であるかは見当がつく。
別の場所で撮った写真を使い、色やボケ具合を合わせて合成すれば・・とも考えたが、撮影した環境が違いすぎるのでかなり難しそうだ。
そもそも当人が写りたがっていないのだから、そのまま放っておくべきなのか・・・
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