昭和の日


LEICA X1

大きな画像

4月29日・昭和の日・・・
Wikipediaによると、激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日・・だそうだ。
終わってから知るのも何だが・・・

休日らしく、あまり写真も撮らないで一日を過ごした。
銀座でMrs.COLKIDと食事。
ニコンのサービスセンターのそばにある中華料理屋に入った。

それから新しい帽子とリュックを買うために、三越と松屋を回ったが、気に入ったものがみつからなかった。
人出は多かったが、三越は改装中で商品が少なく、何とも勿体無い。
結局何も買わないで帰宅。
帰りの電車の中で、今日は一体何をしたのだろうと、一日の収穫が何も無かった焦りのようなものを感じた。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

調査


LEICA X1

大きな画像

昨年あたりから、主に政府の省庁の発行した調査用紙が、やたらに送られてくるようになった。
エネルギーの使用量とか、雇用の状況とか、廃棄物の処理方法などに関する現状調査である。
今までも年に1、2回、その手の調査用紙が来てはいたのだが、最近はドサドサと何通も届く。
急増したことから、政権が変わって慌てて動いているのではないか・・などと勝手に想像している。

記入する用紙自体は数ページなのだが、記入方法についての説明の手引きがドンと付いてくる。
その小冊子の内容をよく解読した上で、様々なデータを抽出、集計し、更にはあちこちに電話をして確かめてから、調査用紙に書き込まなければならない。
要するに、簡単にササッと書けるアンケートではないということだ。

往々にして政府の発行する文書は、まず文章の意味自体を理解するのに時間がかかるが、それが次々に送られてくるのでは堪ったものではない。
どう算出したらいいのか分らない設問も多く、適当に書いてしまうと、どこかで集計の辻褄が合わなくなり、提出後電話がかかってきておかしいと指摘される。
数値だけ見て文句を言うのは簡単だが、それを導き出すこちらの手間は大変なのだ。

だからと言って、面倒だからと放っておくと、期限の数日前に「ちゃんと用紙を送っていただけましたか?」という葉書が来る。
それでも無視していると、今度は督促の電話がかかってくる。

仕方が無いので、数人で作業を分担し、長時間かけて帳簿などからデータをピックアップし、集計しては調査用紙に書き込んでいる。
しかし、これにかかった費用は一体どうしてくれるのだろう。
大きな会社なら、専用に一人雇えばいいのかもしれないが・・・
もしかして新手の雇用対策だろうか・・・
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

時間切れ


LEICA X1

大きな画像

Lightroomの操作に没頭していたら、モンクが始まる時間になってしまった。
そういうわけで今日は書いていられない。
新しいソフトを入れると、慣れるまでいろいろ大変である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

区切り


LEICA X1

大きな画像

休み前で非常に忙しい。
というか、どうやら連休は無さそうな雰囲気だ。
那須の裏山で撮影したかったが残念・・・


僕が生まれたのは昭和37年、西暦1962年である。
終戦が1945年であるから、それから17年しか経っていない。
平成の世になって早くも22年も過ぎている事を考えても、僕の生まれた頃は、戦後それほどの時間は経っていない・・ともいえる。

もっともこの時の17年といえば、世の中の変化は歴史上まれに見るほど激しかったはずだ。
実際僕が子供の頃には、戦争を思わせる具体的な痕跡は、既に皆無といっていいほど消えてなくなっていた。
渋谷の駅前で戦傷者の方を見かけるくらいであった。

太平洋戦争は、日本の歴史上最大の出来事であった。
そのため昭和の時代は、何かと戦後という言葉が使われた。
戦争という(ある種の)災害が、人々の意識の中でひとつの区切りとなり、その前と後を分けて考えるようになっていたのだ。

実は太平洋戦争以前は、大正12年(1923年)に発生した関東大震災がその区切りとして使われていたという。
これは関東地方に限られたことかもしれないが、震災前、震災後という言い方が日常的に使われていた。
震災で受けた被害の記憶は生々しく残っており、ちょっとした地震が起きるたびに、人々は神経質に火を消したりした。

さらにその前は、当然のことながら、明治維新(1868年)が区切りとして使われた。
御維新前、御維新後・・という使われ方をしていたという。
人々の暮らしは変革の影響を強烈に受けた。
精神的にも大きなターニングポイントになったであろう。
武士という階級が世の中から消え、人々の髪型までが変わったのだから、その衝撃の大きさは想像に難くない。

しかし歴史上の大きな節目となる区切りが、最近は存在していないように思える。
米国では911の前と後という使われ方をするそうだが、日本では既に戦後という言葉を聞かなくなった。

宇宙人が現れて、地球と交易でも始めれば別だろうが、ごく自然に考えて、次の大きな出来事といえば、日本列島を襲うであろう震災である。
噂どおり3つの断層が同時に崩れれば、日本の太平洋側全域に津波が押し寄せ、全国規模での大災害となる。
否応なく、日本の歴史の上で、それは大きな区切りとなるだろう。

今は、いうなれば「震災前」の状態である。
ここに載せてある数多くの写真も、区切り以前の日本を記録した貴重なものになるかもしれない。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

天気よかったのに・・


LEICA X1

大きな画像

いい天気であった。
朝早く出ればいいものを、生活のリズムが乱れて、家を出たのが午後になってしまった。
勿体無いことをした。

原宿から渋谷近辺を歩いてみたが、いまいち撮る気にならず、ただの散歩になってしまった。
子供時代は渋谷に比較的近いところで育ったのに、なぜかあの辺りには違和感を感じる。
何というか、地面にアクが溜まっているような感じ・・・
秋葉原も似たような場所だが、秋葉原にはあまり違和感が無い。
どうしてだろう?

多分東京の東側の人間になってしまったのだ(笑)
帰りに銀座に寄ってほっとした。

今朝早く、写真データをUSB3.0のHDDにコピーした。
ところが、表示された所要時間が22時間・・
何しろ1TB以上あるのだ。
ま、実際にはもう少し短くなるのだろう・・と思っていたが、その通り22時間かかるみたいで、まだ動いている最中だ。

明日の朝までには終わる見込みだが、長いことパソコンつけっぱなしの状態。
CPUもこんなに連続して働かされたのは初めてで、さぞ驚いているだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

能力


LEICA X1

大きな画像

やはり・・というか、何というか・・・
ひとりでは生活が出来ない。
Mrs.COLKIDが旅行に行ったので、今日は遅くまでパソコンをいじろうかと思っていたが、疲れていたためか、ちょっとベッドで横になったら、気付いたら明け方であった。
慌てて風呂にお湯を入れている。

昨日は前のスーパーに食事を買いに行き、ついでに甘口の日本酒というのを買ってみたが、冷やして飲んでみたら美味しくなかった・・・
以前は一人暮らしが長かったのだが、結婚して全部Mrs.COLKIDまかせになり、ひとりで生活する能力が大幅に後退しているようだ。
明日は早めに起きて出掛けようかと思っていたが、どうやら無理そうだ(笑)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

旅行のカメラ


LEICA X1

大きな画像

Mrs.COLKIDが、旅行に行くのでカメラを貸して欲しいという。
何を渡そうかと思ったが、D40を持たせてみることにした。
レンズはズームも考えたが、悩んで単焦点のAF-S DX 35mmF1.8Gを付けた。
いつものお散歩カメラである。

バッテリーを一杯に充電し、4GBのカードを入れて渡した。
モードはカメラまかせのオートにしておいた。
さて、どんな写真を撮ってくるだろう・・・
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

和船


LEICA X1

大きな画像

この原稿は少し前に書いて、何となくそのままにしてあった。
ところがNHKの龍馬伝で、勝麟太郎がらみで関連した内容が放映された。
このまま放置すると古新聞になる恐れが出てきたので、とりあえず発表することにした(笑)

江戸時代、日本各地から生産物を運搬するのに、和船を利用した航路は非常に重要な役割を果たした。
陸送よりはるかに安く、大量に運ぶことが出来たからだ。
そのため日本の沿岸をとりまく交通網や、各地の港の設備は、かなり早い時期から発展し、世界屈指の充実したものになっていたという。

ところが西欧諸国の帆船が、外洋に乗り出していくことを目的として設計されているのに対し、日本の弁才船は、もっぱら沿岸や内海を移動することに特化した構造であった。
川づたいに内陸まで上ることが出来、海上では高速で移動することを得意としたが、本土から遠く離れることは出来なかった。
つまり絶えず陸地を見ながら進む航路をとっていたのだ。

天候を読み違え嵐に巻き込まれると、たちまち難破してしまう。
船乗りたちは常に天気を気にして、少しでも危険を感じたら、すぐに近い港に逃げ込み、天気が回復するまで何日でも待った。

恐ろしいのは太平洋側で、破船して制御不能の状態で黒潮に流されると、もはや日本に帰ることは不可能で、遠くロシアやアメリカにまで流されてしまう。
もちろんほとんどの場合、乗組員は飢えと乾きで死に絶えてしまった。
北アメリカの沖で、無人の和船がみつかった例もあるという。
そのためかなりの遠回りになっても、安全な日本海沿岸を進むコースがとられることが多かった。

鎖国していたのだから、船が外洋に出られない構造にしてあるのは当然だという意見もある。
しかし、幕府により船の構造に規制があったという記録は何も無いという。
それなのに、和船は近場の航行だけを考えた構造になっていた。

もちろん日本から離れれば幕府から強いお咎めを受けるし、それを恐れての事であろう。
日本の四季折々の産物が豊かで、無理に外国と取引する必要が無かったことも理由のひとつだという。

しかし、目の前には大海原が広がっている。
造船技術が発展する時間は十分にあったのに、日本の本土から離れて、外洋へと乗り出していくことを考えなかったのは不思議である。
親元から離れない子供のように、陸地の見える範囲でのみ行動し、少し出ては戻り・・を繰り返していたのだ。

四方を海に囲まれた島国で、生活と海とが密接な関係を持っているにもかかわらず、その先の未知の世界へと出て行くことは望まなかったのだろうか。
和船の技術はかなり進んでおり、沿岸近くを航行する限りは外国の帆船より速いこともあり、欧米人たちを驚かしたという。
日本の国民自体に、閉鎖された狭い世界の中に留まり、独自の技術を磨いていくという気質があるのであろう。
世界的に見れば極めて特殊な国である。

開国から百数十年経っているが、その特色はいまだに国民の血に色濃く残っている。
日本の中だけで考えれば、決しておかしくない事柄でも、世界的視点からは不可解に見えることも多い。
何しろこれだけ国際化が進んでいるのに、いまだに不思議の国と言われているのだ。
コメント ( 27 ) | Trackback ( 0 )

プリンターその後


LEICA X1

大きな画像

1月の後半に書いたが、デルで安価なレーザープリンターを購入した。
1万数千円という安いもので、よくその価格で出来るものだと感心していた。

それを毎日のように使っていたのだが、早くもトナーが薄れてきてしまった。
使い始めて1ヶ月くらいで、トナー残量が半分以下になったという注意が表示されるようになり、2ヶ月でほとんど残量が無いという表示に変わった。
印刷結果も半分かすれた紙が排出される。
パソコン上に現れた警告から、直接トナー注文の画面に飛べるようになっており、こういうところはよく出来ている(笑)

3千枚以上印刷できる筈だったので、ちょっと予定が狂った。
使用量を計算してみたが、いくらなんでも3千枚には達していないはずだ。
経理の女性が、こんなに早く無くなってしまうのはおかしいと怒っている。
これでは気軽に使うことが出来ないという。

早速デルに電話してトナーを注文したが、その際に無くなるのが早すぎるのではないかと聞いてみた。
すると、最初に付属しているトナーは量が少なく、せいぜい千枚程度しかもたない・・ということがわかった。
なるほど本体の価格が安いと思ったが、粉の量でまでコストダウンしていたわけか(笑)

新しいトナーカートリッジが1万1千数百円するのに、本体の価格は1万7千数百円なのだから、当然ではある。
計算ではカートリッジひとつが半年くらいもつはずなので、運用費としては仕方ないところだ。
とりあえず納得した。

早速到着した新しいトナーを経理の女性に渡したが、先ほど見てみたら、まだ交換していない。
プリンターの蓋を開けて使用中のカートリッジを取り出し、よく振ってみたところ、まだ多少使えそうなので、交換は数日先に延ばすことにしたという。
最後の最後まで徹底的に使い切るつもりらしい。
今回は何枚プリントできるか、ちゃんとカウントすると言っている。

こういうことは女性の方が厳しい。
メーカーもなかなか大変である(笑)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

帰国できず


LEICA X1

大きな画像

ビートルズ・モノボックスだが、モノラルは音に勢いがあっていい。
古いモノラル録音を再生して、ただレンジの狭さだけが目立つシステムと、はじけるように生き生きと鳴るシステムがある。
真空管アンプ+JBLは後者のようだ。


知人がミラノの展示会に出かけている。
イタリアから電話がかかってきたので、アイスランドの火山の噴火騒ぎで、飛行機が飛ばないようだけれど大丈夫か?・・と聞いたところ、イタリアは南の方なので大丈夫だろう・・などと言っていた。
規模の大きな展示会なので、世界中から訪問客が来ている。
スカンジナビア航空などで来た日本人は、帰れないと会場で騒いでいるけれどね・・などと他人事のように話していたのだが・・・

案の定、空港は閉鎖され、知人も帰る手段を失ってしまった。
現地は大混乱の模様で、空港や駅には人が殺到し長蛇の列・・・
知人は仕方なくホテルに帰り待機することになった。
湖の見えるとてもいい部屋なのだが、何日滞在することになるかわからないので、安い部屋に変えてもらった。

航空券を手配してくれた旅行社の所長さんが、休日にもかかわらず出勤してイタリアまで連絡してきた。
何とか日本まで帰り着く手段を考えてくれるのだが、トルコまで行って便が空くのを待つとか、何だか危なっかしいプランばかりなので、現地で運行が再開されるのを待った方がいいという結論になった。
関係している大勢のお客がヨーロッパで足止めを食らっているようで、所長さんもてんやわんやの状態である。

現地には仲のいいイタリア人もいて、いろいろ面倒は見てくれるようだが、仕事が何日もストップしてしまうため、予定が狂ってしまった知人は元気を失っている。
本来なら湖のほとりの景色が素晴らしい場所なのだが、ゆっくりくつろぐ気分になどなれないという。

今日は仕方なく大型スーパーに行って、日用品をいろいろ買ってきたそうだ。
日本のデパートのイタリア物産展で時折会うイタリア人と、偶然お店でばったり会い、お前何でこんなところにいるんだと驚かれた。
彼がサービスで特別に安くしてくれたと、知人は笑いながら話していた(笑)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

雑食


LEICA X1

大きな画像

ビートルズのモノ盤を聞こうと思ったけれど、脱線してしまい、ウイングスのアルバムを聞いている(笑)
年齢的にはウイングスの方が懐メロだったりする。
実は白状すると、ポール・マッカートニーはウイングスの時代の方が好きだ(笑)

もちろんこの前までのEXTONの記念ボックスと同様、モノ盤もこつこつ聞いていこうと思っている。
ホント、何でも聞く奴だと思われそう・・・(笑)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

報告




日曜日のレコード館。
もう工事が始まっている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

疲れました。


LEICA X1

大きな画像

晴れのち曇りの予報であったので、早めに家を出た。
目的地は決めていなかったが、御徒町でふと思い立ち電車を降りた。
そこから秋葉原、神田、日本橋と歩き、さらに銀座まで足を延ばした。

Mrs.COLKIDが姪と買い物に出ており、日本橋で落ち合っていっしょに昼食をとる予定でいたが、今日はなぜか疲労が激しく、日本橋まで戻る気力が出ない。
電話をして食事はパスすることを告げた。
近くのSUBWAYで軽く昼食をとったが、正解だったようで、Mrs.COLKIDの方は混んでなかなか昼食にありつけなかったようだ。

今日は人出が凄くて、どこに行っても人でごった返していた。
午後は床屋に行き、さらに足裏マッサージを受けて帰宅した。
日頃の疲れが少し出ている模様。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

雪のち晴天


LEICA X1

大きな画像

まさかの雪。
もう降ることはあるまいと、ご存知の通り、タイヤを交換したばかり・・・

朝、120iのところに行ってみると、屋根にも窓にも雪が積もっている。
その時間には、雨が強く降っており、足元は氷と水が混ざってグチャグチャしていた。
傘と手で車の上の雪をかいたが、水分を含んでおり簡単にどかすことができた。

滑るかと思い慎重に走り出した。
特に問題なさそうなので、広い道に出たところでアクセルを開いた。
滑り出すポイントを見極めておこうと、荒めに運転してみる。
加速と急制動を何度か繰り返した。

さすがにコーナーの途中で強く踏むと、タイヤのスリップを告げる警告灯が点灯するが、それ以外では安定して路面をグリップしてくれる。
雪というよりほとんど雨であり、むしろスタッドレスより調子がいい(笑)
コーナーで点灯する警告灯も、何か電子制御の機能が働いて、助けてくれているのだろう。

いつも思うのだが、この車は、様々なシチュエーションでガンガン走る・・という使い方を前提に作られているようだ。
ゆったりのんびり走るのではなく、加速、制動、曲がり・・をリズミカルに繰り返す走り方をすると最高に楽しい。
しかも基本性能が高く、剛性感は筋金入りである。

欧州車の多くに同じ思想を感じる。
ヨーロッパの人の「人生の楽しみ方」がそういうものなのだろう。
会社に到着すると、散った桜の花びらの上に、薄っすらと雪が降り積もっていた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

当日お急ぎ便


LEICA X1

大きな画像

アマゾンでビートルズのモノボックスを注文した。
ビートルズを好きな社員がいて、届いたら見せる約束をしていたので、届け先を会社の住所にした。

ふと、その日のうちに届けてくれる「当日お急ぎ便」というのが、画面に表示されていることに気付き、それを選んでみた。
プライム会員ではないので、送料として500円ほど余計にかかるのだが、週末ということもあり、早く手に入れて見せてやりたかったのだ。
木曜日の夜中の12時を少し過ぎたところで注文を入れたので、夜が明けた金曜日の日中に届くはずであった。
しかしこれがまずかった。

考えてみたら、以前にもお急ぎ便というのを選んだことはあったのだが、特別早く届いたという記憶がない。
注文の翌日になって届いて、何だ、これなら通常の便と変わらないではないか・・と感じたのを思い出した。
漠然と、通常便だとさらに日数がかかる事もありますよ・・という意味なのだろうと考えていた。

今回は「当日」と書いてあるし、住所も当日配送の対象地域に入っている。
昨晩注文したのだし、てっきり昼前後に届くものと思い込んでいたのだが、いつまで待っても届く気配はない。
アマゾンからは出荷したというメールが来ているのに・・・
もしやと思い宅配業者に電話してみたら、荷物が営業所に到着するのが夕刻で、それから持って出るので、届けるのは夜になるという。

運悪く会社はそういう配達時間になる地域に入っているらしい。
確かに夜になってから届いても、「当日」であることに変わりはないのだが・・・
しかし会社は当然ある時間までしか営業していない。
恐らく以前注文した時は、夜になって持ってきて、会社が閉まっていたので配達員がそのまま帰ってしまったのだろう。

皆帰宅してしまい誰もいなくなった会社で、荷物が届くのを待つのもアホらしい。
だからといって、追加料金を払っているのに、その日に受け取れないのも癪に障る。
受け取れないのはこちらの都合であるから、お金を返してくれるわけでもないだろう。

仕方が無いので、帰宅途中で受け取りに行くから営業所止めにしてくれと頼んだ。
そして雨の中、営業所まで車で取りに行ったのだが、考えてみれば、追加料金を払った上に自分で取りに行くというのも変な話ではある。
当然モノボックスを見せるという約束も果たせなかった。

何だか踏んだり蹴ったりではあるが、せめて今晩のうちに少しでも聞かなければ元が取れないと思い、今一生懸命聞いているところだ(笑)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ