富岡八幡宮


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富岡八幡宮は深川八幡宮とも呼ばれ、庶民から「深川の八幡様」と親しまれてきた江戸最大の八幡宮である。
場所は江東区富岡にあり、最寄りの駅は「門前仲町」になる。
東西線の門前仲町の駅からすぐであるが、大江戸線の門前仲町だと少しだけ歩く。

ご祭神は主祭神として応神天皇(八幡神)。
相殿神として神功皇后、仁徳天皇、天照皇大神、常磐社神、武内宿祢命、日本武尊、天児屋根命、竈大神が祀られている。

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創建は江戸時代初期の1627年(寛永4年)、京都の僧侶、長盛法印(ちょうせいほういん)による。
長盛法印は菅原道真公の末裔とされており、夢の中で道真公から、家に伝わる八幡神像を江戸の永代島に祀るようお告げを受ける。
亀戸天神社の時もそうであったが、どうも道真公は夢を通じて指示を出されることが多いようだ。

当時のこの辺りは砂州で、深川は漁師町のひとつに過ぎなかったが、長盛法印によって埋め立てられ、富岡八幡宮の社地や居住地として6万坪が造成されたという。
また長盛法印は、富岡八幡宮を管理する別当寺として、すぐ隣に永代寺を建立、そこの住職となった。
当時は神仏習合の時代で、神社と寺院は渾然一体となっており、特に大きな神社には、それを管理する別当寺が隣にある事が多かった。

深川地域は富岡八幡宮の門前町として栄えていく。
1642年には徳川家光が長男家綱の世継ぎ祝賀を行うことになり、江戸幕府の命により、後に江戸三大祭りに数えられる深川祭りが行われるようになる。
さらに大きな被害の出た1657年の明暦の大火の後は、江戸の都市改造が実施され、深川は商業地域として拡張され、大勢の人々が集まるようになっていく。

1703年には成田山新勝寺が、永代寺の境内で「出開帳」を行い、大変な賑わいを見せた。
新たに開拓された江戸には、当時まだ大きな寺院が無く、ご本尊を持ち出して開帳してくれる出開帳は、有難い催しとして大きな話題となった。
これは開催側にも莫大な収益となり、将軍家も絡んだ大きなイベントとなり、幕末までに12回行われたという。

このように江戸時代の富岡八幡宮は、八幡大神を崇拝した徳川将軍家の手厚い保護も受け、深川の八幡様として大いに栄えた。

しかし他の神社仏閣と同じように、明治時代初期に吹き荒れた神仏分離令の嵐に晒されることになる。
富岡八幡宮と永代寺の両立は許されず、永代寺は廃寺となり、神社である富岡八幡宮が残った。(ただし両者は一体の関係にあり、永代寺の住職は、そのまま富岡八幡宮の宮司になったという)
明治政府による神仏分離令は数年で失敗に終わり、明治14年には永代寺のあった場所に成田山深川不動堂が建てられた。

もともとは同じ境内であるわけだが、富岡八幡宮と成田山深川不動堂は、時代の流れで別々の宗教法人になった。
しかし場所はごく近く、公園を挟んでお隣同士なので、一度に両社寺を訪れる人は多い。
さっぱりとした神社と、濃厚なお寺とで、雰囲気がだいぶ異なるのが面白い。

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富岡八幡宮の境内には多くの末社がある。
具体的には、七渡神社・粟島神、車析社・客神社、野見宿禰神社 、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社・花本社、永昌五社稲荷神社、鹿島神社・大鳥神社、恵比須社・大黒社 、富士浅間社・金刀比羅社である。
個人的には古い狛犬さんが沢山いる富岡八幡宮の末社はお気に入りである。

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の神社でもあり、境内には相撲関係の石碑が多数あり、新横綱の土俵入りや力士の結婚式なども行われる。
またかつて松尾芭蕉が深川に住んでおり、前述の花本社のご祭神にもなっている。
大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬も深川に住み、必ず富岡八幡宮を参拝してから測量の旅に出たという。
富岡八幡宮の祭礼である前述の「深川八幡祭り」は、現在でも盛大に行われている。

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永代通りから参道方向に曲がると、すぐのところに石柱標と大鳥居がある。
石柱表には「富岡八幡宮」と彫られている。




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一方大鳥居の扁額には「富ヶ岡八幡宮」と書かれている。
江戸時代には「とみがおか」と呼ばれていたという話もある。
実はすぐそばの江東区南砂に「富賀岡八幡宮」があるので、話は少しややこしいのだが・・・




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都内の他の神社と同じように、社殿は過去に何度も被災している。
富岡八幡宮の社殿は、1683年に天和の大火により焼失し、1703年に元禄地震により損壊、1923年の関東大震災でも被害を受け、1945年3月の空襲でも破壊された。
その教訓もあるのか、現在の社殿は1956年に建てられた鉄筋コンクリート製のものになっている。




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たまたま8月15日に参拝したところ、例祭が行われており、社殿前には立派な旗が飾られていた。
江戸三大祭りのひとつである「深川八幡祭り」は、年毎に「本祭り」、「陰祭り」、「御本社祭り」が順番に開催される。
昨年2023年は(コロナでしばらく中止になっていた)「本祭り」が6年ぶりに復活した。
今年2024年は「陰祭り」で子供たちが主役である「子供神輿連合渡御」が行われた。




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ここの手水舎は大変豪華で、金の鳥が迎えてくれる。
コロナの感染拡大防止のためかと思われるが、口から出る水にはホースが取り付けられ、水をまき散らさないようになっている。
多くの神社では、コロナ以降、水を共有する手水舎の管理に気を遣っているのが見られる。




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本殿の階段脇に鎮座する狛犬さん。
享保12年(1727年)奉納という比較的古い時代のものだが、しっかりした作りになっている。
やはり過去にいろいろと被災して、補修されながらここに納まったようだ。




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本殿の右手奥にある横綱力士碑。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名で、境内にはここ以外にも相撲に絡んだ石碑がいくつかある。
江戸時代には社寺で盛んに勧進相撲が開催されていたが、喧嘩などのトラブルが発生し、幕府によって一度禁止された。
その後1684年に許可が出て再開したのが富岡八幡宮であり、それが現在の大相撲に繋がっている。




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本殿前右側に立つ躍動的な神馬像。
焼失した社殿が再建された際に、氏子により奉納されたものであるらしい。




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大鳥居横の伊能忠敬像。
忠敬は隠居してから深川に住み、50歳から測量術を学んで、全国を実際に測量して回り、弟子と共に「大日本沿海輿地全図」を完成させた。
旅に出る時には必ず富岡八幡宮を参拝したと言われ、2001年にこの銅像が建立された。




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日本最大といわれる絢爛豪華な黄金神輿は、1991年に佐川急便の佐川会長によって奉納された。
ダイヤモンドやルビー、純金などが各部に使われ、総額10億円近くかかったという。(乗っている狛犬さんの目もダイヤである!)
しかし4.5トンという重量が重すぎて、担ぐことが難しかったため、3年後にこの一の宮とは別に重量約2トンの二の宮が作られた。




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縁日は毎月1日、15日、28日で、参道には屋台が並び参拝者で賑わう。
また毎月第一、第二、第四、第五日曜日には骨董市、毎月15日、28日にはフリーマーケットが開催される。




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6月15日から7月15日の間、「夏詣」が開催される。
参道には屋台が出て賑わい、様々な出し物が演じられる。
富岡八幡宮は氏子と協力して、季節ごとのお祭りをしっかり行っている印象がある。




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右手奥にある七渡神社は、弁天池に囲まれた中に建っている。
富岡八幡宮の建立以前から、この地に祀られていたという。
関東大震災や東京大空襲で、富岡八幡宮の社殿が焼失した際にも、ここだけは残り、弁天池に避難した人は助かったという。
御祭日には神様のお使いの白蛇が姿を現すことがあり、実際にそれが度々目撃されている・・という不思議な場所である。




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七渡神社を囲む弁天池には、鯉に混じってカメが泳いでおり、こちらを見て寄ってきた。
黒っぽいので日本のカメかと思ったが、よく見ると模様が見え、外来種であると分かった。
とは言え、神様のお使いの「白い蛇」のお友達の「緑の亀」かもしれないので、邪険にはできない(笑)




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こちらの祠には八つの末社が祀られている。
左から祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉社、野見宿禰神社 、車析社・客神社になる。




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その隣にある永昌五社稲荷神社。
末社のエリアは裏手にあり、普段はあまり人が足を運ばないため、霊気漂う空間になっている。
狛犬さんたちの楽園にもなっている(笑)




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稲荷神社前の連続した鳥居の間から、狛犬さんたちが早く来いよと呼んでいる。
それぞれの時代の味わい深い狛犬さんが揃っている。
それでは最後に、末社の狛犬さんたちの画像をいくつか載せておこう。




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亀戸天神社


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東京十社のサイトを見ると、3番目は亀戸天神社である。
このブログの神社仏閣シリーズでも、今回は亀戸天神社を取り上げる。

江東区にある亀戸天神社は、意外に陸の孤島なのだ。
電車だと亀戸か錦糸町の駅から歩くが、どちらからも15分ほどかかる。(バス停は目の前にあるが)
まあ15分程度なら大した距離ではないし(700m前後)、実際にいつも歩いて行くのだが、真夏の炎天下で、撮影の機材を持って行くとなるとけっこう大変である。

先日試しに錦糸町の駅からタクシーで向かったところ、初乗り料金内で到着することができた。
真っ直ぐ行って、一度曲がて、また少し走るだけだ。
これなら積極的にタクシーを利用した方がいいだろう。
帰りはGOアプリがあるし・・・

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亀戸天神社は菅原道真公(いわゆる天神様)を祀っている。
菅原道真公といえば、学問の神様として多くの方が親しみを持っているだろう。
しかし実は、平将門、崇徳(すとく)天皇と並んで、「日本三大祟り神」の一柱でもある。

845年に儒家の家に生まれた道真は、幼いころから学問や詩歌に極めて優れた能力を発揮し、朝廷でも宇多(うだ)天皇の信頼が厚く近臣として活躍した。
醍醐(だいご)天皇の治世となり、899年には右大臣に任命され、左大臣の藤原時平との二大巨頭の体制となった。
清廉潔白な道真は、基本学問の人なので、どろどろした抗争に巻き込まれるのは本意では無かったはずだ。
異例の出世を遂げたため、案の定貴族たちの嫉妬による反発に晒される。
それを上手く利用したライバルの藤原時平の策略にはまり、あらぬ噂を信じた醍醐天皇により、道真は九州の太宰府に左遷されてしまう。
太宰府では酷い生活を強いられ、失意のうちに2年後の903年に亡くなる。(死因は糖尿病だという)

それから数十年に渡り、都では大変なことが起きる。
道真の左遷に関わった者が次々に亡くなり、909年にはライバルであった時平も39歳の若さで急死してしまう。
毎年のように洪水や干ばつ、伝染病が発生し、人々はこれは道真の怨念によるものではないかと噂するようになる。
醍醐天皇も皇太子を次々に失くし、道真の怨念を信じるようになり、慌てて亡くなった道真を右大臣に戻し正二位の地位を与えた。
ところが930年に御所を落雷が直撃、藤原のものを含む数人が悲惨な亡くなり方をし、それを目撃した醍醐天皇もショックを受けて3か月後に崩御してしまう。

かくして菅原道真公は、日本を代表する祟り神になってしまった。
個人的には、道真のようなタイプの人が、自分を陥れた人たちを恨み殺すようなことをするだろうか・・という疑問を感じている。
たまたま凶事が重なり、身に覚えのある人達が恐怖に駆られて、これは怨念に違いない・・と騒ぎ立てたのではないだろうか。

いずれにしても、特に貴族の間では、道真公は恐ろしい怨霊であった。
道真公の怒りを鎮めようと、必死にお祀りするわけであるが、それが次第に信仰へと発展した。
祟り神は強いパワーを持つので、手厚くお祀りすれば強力な守護神にもなる。

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亀戸天神社の話に戻す。
1646年、九州の太宰府天満宮の神官であり、菅原道真公の末裔である菅原大鳥居信祐公が、夢の中で道真公より句を授かった。
菅原大鳥居信祐公は、道真公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を作り、天神信仰を広めるため、社殿建立の志を持ち、日本のあちこちを回った。
遠くは盛岡や日光など、15年も探し回ったが、ついに1661年、江戸の本所亀戸村に行き着き、もともとあった小さな祠にそのご神像を祀った。
それが亀戸天神社の始まりだという。

1657年に江戸の町を焼き尽くした明暦の大火が発生しており、徳川幕府は本所の町を災害からの復興の地と定め、天神様を信仰する四代将軍家綱公により、その鎮守の神様としてお祀りするようにと、現在の社地が寄進された。
そして1662年に九州の太宰府天満宮を模倣し、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などが作られた。

そのため古くは亀戸天神社は東の太宰府天満宮として、「東宰府天満宮」あるいは「亀戸宰府天満宮」と称していた。
明治6年に東京府社となって「亀戸神社」と号し、昭和11年に現在の「亀戸天神社」になった。
境内には摂末社として御嶽神社、花園社、弁天社、紅梅殿、神牛殿がある。

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亀戸天神社は「花の天神様」として親しまれており、花に関するお祭りでは、初春に梅まつり、4月に藤まつり、秋には菊まつりが開催される。
その中でも特に東京一と言われる藤は見応えがあり、夜は藤棚がライトアップされて、背景にそびえ立つ東京スカイツリーとのコンビネーションで、素晴らしい夜景が楽しめるという。
実は僕は藤まつりには行った事が無いのだが、いつか写真を撮りに行きたいものだと思っている。

実際、亀戸天神社に行くと、緑が多い・・という印象を持つ。
写真を見ていただいても分かるが、単に植物が多いだけでなく、境内で大きな面積を占める池の水の色が深い緑色なのだ。
そのため全体に「緑色の神社」というイメージが強い。
植物の発するエネルギーが、特に強く感じられる神社である。



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神社は蔵前橋通りから少し入ったところにある。
通りを曲がると参道は数十メートルほどの短いもので、正面に大鳥居が見える。




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大鳥居には「亀戸天満宮」と書かれている。天満宮は天神と並び菅原道真公を祭神とする神社のこと。




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8月に何度か撮影に行ったが、例大祭の直前で、境内は準備が始まっていた。




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境内には太宰府天満宮を模した心字池に二つの太鼓橋がかけられている。
グリーンの池は上から見ると「心」の文字になる。




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太鼓橋の男橋、平橋、太鼓橋の女橋の三つの橋を渡って本殿に向かう。
この三つの橋はそれぞれ過去・現在・未来を表しているという。
写真は男橋の頂上から本殿方向を写したもの。



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太鼓橋の女橋を渡ると、拝殿の正面に出る。
実は亀戸天神は昭和20年3月の大空襲でほとんどの社殿を焼失しており、現在のものはその後コンクリートで再建したものである。
そのためかさっぱりした建物という印象を受ける。
旧社殿は1802年に徳川家の下賜金で造営された壮麗なものだったそうで、失われたことが非常に残念である。




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拝殿には「亀戸天神社」と書かれている。
1961年に鎮座三百年式年の記念事業として幣殿と拝殿、1979年に御神忌千七十五年大祭記念事業として本殿が再建された。
すべての再建にはまだ時間がかかるだろうと言われている。




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東京スカイツリーには歩いていける距離である。
境内では背景に大きくスカイツリーが見え、新旧の調和が面白い。




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手水舎でもカメさんが迎えてくれる。
本殿の参拝前にカメさんのお水でしっかりお清めする。




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心字池の水はグリーンに染まっている。
人を見て寄ってくる鯉やカメたちを横目で見ながら本殿に向かう。




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池の周囲を藤棚が囲んでおり、藤まつりはさぞや見応えがあるだろうと想像する。
植物たちの放つエネルギーがとても強いのも、亀戸天神社の特徴である。




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池には当然のようにカメが泳いでいる。
合格した受験生などがお礼に訪れた際に放ったものらしいが、どうしてもミシシッピアカミミガメの比率が高くなる。
それ以外にも何種類かのカメが生息するらしいのだが、何度か通ったが、大半がミシシッピアカミミガメで、たまにクサガメを見る程度であった。




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クサガメの夫婦(?)が寄り添って日光浴をしていた。
クサガメ同士で集まるのは、やはりアカミミガメと対立があるのだろうか。




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神童と言われた菅原道真公の五歳の頃をイメージしたブロンズ像。
1977年の御神忌1057年大祭記念に奉納されたもの。
「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」
という五歳にして詠んだ和歌が台座に刻まれている。




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大宰府で菅原道真公が903年に亡くなった際、黒牛の引く牛車に乗せて亡骸を運んだが、安楽寺の前で牛がうずくまり、どうしても動かなくなったという。
そのため遺体をそこで埋葬し、やがてその場所に社殿が建立され、大宰府天満宮になった。
道真公は牛と縁が深く、全国の天満宮には座した牛の像がある。
この神牛座像は1961年に鎮座三百年祭の時に奉納されたもの。




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境内にある鷽(うそ)の碑。
亀戸天神社では1月24日、25日に木彫りの鷽の像を新しいもに取り替える「鷽替え神事」が行われる。
鳥の一種である鷽が、「嘘」に通じるところから、前年にあった悪いことを嘘として、本年は吉となりますように・・と祈願する行事で、全国の天満宮で行われている。
木彫りのものはその日限定であるが、普段も鷽の鈴(下の画像)や御守りなどが授与されている。


(iPhone 13 Pro)




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境内の能楽堂は普段は戸が閉められている。
たまたまこの日はお祭りの前日で内部を見ることができた。




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菅原道真公ゆかりの梅の木が描かれた素晴らしい能楽堂内部。
パッと華やかな印象を受ける。




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亀戸天神には狛犬さんがいないな・・と思っていたが、能楽堂の裏に「おいぬさま」と呼ばれる謎の狛犬さんがいると知り、慌てて再訪した。
神社としてもはっきりとした由緒が分からないようだが、ちゃんと小さな祠の中に置かれており、なぜか塩まみれになっている。
ネットで調べると、江戸時代の絵画には摂末社の妙義社(御嶽社)に狛犬さんが描かれており、震災などで破壊され、片方だけ残って神社の隅に置かれているうちに、信仰の対象となっていったのではないかという。
塩で体の悪いところをさすると効く・・ということのようだが、これが自然発生した信仰だとしたら、大変興味深いことだ。
顔が見えなくなるほど大量の塩がかけられており、熱心な信者がいることが分かる。




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ちょうど例大祭が行われており、お神輿が蔵から出ていた。
周辺の氏子地域でも、お祭りの格好をした人たちが、数人でお神輿を出す場面に遭遇した。




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境内にいくつかある摂末社のうち、もっとも大掛かりな作りの御嶽神社。
道真公の師であったと言われる法性坊尊意僧正が祭られているが、話は伝説が基になっているようだ。
「卯の神」として知られ、江戸時代からこちらの参拝は大変人気があったという。




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亀戸天神社の境内西側にある懐石料理店の若福。
こちらでお土産に厚焼き玉子を買って帰る。
薄く甘味をつけた上品な味の卵焼きだ。




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亀戸天神社から蔵前橋通りに戻ると、数軒先にくず餅の船橋屋の亀戸天神前本店がある。
船橋屋のくず餅はポピュラーで、あちこちで売られているが、本店の喫茶ルームで食べるくず餅は、やはり新鮮で美味しい。
混んでいて入れない時は、くず餅をお土産に買って帰る。
片手に若福の厚焼き玉子、片手にくず餅・・というわけであるが、くず餅はずっしりと重いので、リュックに入れて運んだほうがいい(笑)
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神田神社(神田明神)


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東京十社のウエブサイトを見ると、最初は根津神社、次は神田神社がくる。
当初は、歩いて回る時のおすすめのコースの順番に基づいているのかな、と思っていた。
しかしよく見ると、十社の専用ご朱印帳などの順番とは違っている。
それほど気にしなくていいのかな・・・
とりあえずこのブログでは、東京十社のサイトに合わせようと考えているが、今後の訪問日程により変更があるかも知れない。

明治4年に名称を神田神社に改称したが、江戸時代から現代に至るまで、誰もが「神田明神」の名前で呼ぶ。
神社のサイトを見ても、自らを神田明神と名乗っている。
その方が馴染みのある呼び方なのは確かだ。
ただし東京十社のサイトなどでは、正式名称の神田神社の方を使っている。

JRの御茶ノ水の駅からだと、聖橋を渡り湯島聖堂の角を曲がれば、5分ほどで到着する。
ただ見所の多い道なので、つい寄り道してしまい、実際にはもう少しかかるかもしれない。
僕の場合は、学生時代から秋葉原中心に活動していたので(笑)、ダイナミックオーディオなどに顔を出してから、散歩しているうちに辿り着くパターンだった。
あれっ、こんなところに立派な神社があるぞ・・ああ、これが有名な神田明神か・・という感じである。(ついでに甘酒を飲む・笑)
あの辺りは立体的な地形になっていて、急な坂が多く、もう一本神田川沿いの道を行ってしまうと、一段低いところに出てしまい、辿り着けなくなる。

神田明神の氏子地域は広大で、神田、日本橋、大手町、丸の内、豊洲魚市場、そしてお隣の秋葉原と、東京の東側の中心部に集中している。
さらには江戸三大祭りのひとつで、現在も盛大に行われている神田祭が、神田明神の祭礼となっている。
いろいろな意味で、華やかで大きい神社と言えるだろう。

御祭神は一之宮が大己貴命(おおなむちのみこと)、二之宮が少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして三之宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。
創建は730年で、最初は現在の大手町の平将門の首塚のある辺りに建てられたという。
その後移動し、1616年に現在の地に移されたのだが、江戸城の鬼門としてこの場所が選定された。(裏鬼門は日枝神社)
もともとパワーの強い平将門を祀る神社であり、現在の大手町の将門塚も神田明神の氏子地域に含まれている。
いかに重要な神社であるかは、以上のエピソードで分かると思う。

境内には多くの摂末社がある。
末廣稲荷神社、三宿・金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、水神社(魚河岸水神社)などが、御神殿を囲むようにずらっと並ぶ。
それぞれのお社に狛犬さんやキツネさんがいて楽しい。

神田明神で驚かされるのは、考え方が柔軟で新しい・・ということだ。
もともと電気の街秋葉原に隣接していることもあるのだろうが、IT関係の御守りや、御守りの自動販売機など、ちょっと面白いものを見ることができる。
新しいものをどんどん取り入れているのだ。
ネットでの情報配信も活発で、ウエブサイトもかなり充実している。

また数年前には境内にEDOCCOというホールなどを有する文化交流館をオープンし、そこで地域のお土産の販売店やカフェなども運用している。
オリジナルのガチャやアニメ作品とのコラボ商品など、本当に多岐に渡るものを扱っている。
(これは秋葉原の影響が大きいような気がする・笑)
お土産類も洗練されたものが多く、ついいろいろと買ってしまう。

長い歴史を持つ神社で、境内には古い建造物があるにもかかわらず、2000年以降に建てられた近代的なデザインのものも混在している。
一瞬戸惑いも感じるのだが、一方でこれだけ由緒ある神社にもかかわらず、その時代の新しいものをどんどん取り入れていく姿勢に感心させられる。
神社といえば、古くて伝統的なもの・・というイメージがあるが、実際には(かつてよりずっとそうであったように)神様は常に地域の住民とともにその時代を生きておられるのだな・・と実感させられる。




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御茶ノ水の駅から出て聖橋を渡る。
三つの線が交わる鉄道マニアには有名な撮影スポットであるが、アニメ映画の影響か、最近は聖地巡礼の外国人観光客も橋の上に集まっている。




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中山道沿いの参道入り口にある大鳥居。
銅板で覆われた鳥居をくぐると、緩やかな上り坂の先に隨神門が見えてくる。




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都会の神社なので、周囲は近代的な建物ばかりである。
その中にある一際鮮やかな色の隨神門は、周囲とのコントラストにハッとさせられる。




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神田明神は大正時代の関東大震災とその後の太平洋戦争の空襲で多大な被害を受け、境内の多くの建物を焼失している。
この隨神門も昭和50年に再建された比較的新しいもの。
松下幸之助氏の奉納。




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隨神門は外側に神社を守る隨神像を配しており、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神が安置されている。
加藤清正公が植えたという熊本城域内の樹齢500年の楠が使われているという。
写真は左側の櫛磐間戸神。




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内側から見た隨神門。
こちら側は左右に立派な神馬の彫刻が配されている。




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正面に国登録有形文化財の御社殿が見えてくる。
関東大震災でほぼ焼失してしまうが、昭和9年に当時としては画期的な耐火構造の鉄筋コンクリートで再建。
賛否あったようだが、結果としてその後の太平洋戦争の空襲の際にも、この御社殿だけは残ったという。




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御神殿前の狛犬さんはとても特徴的で立派である。
昭和8年5月に奉納されており、左右とも真正面を向いて睨みをきかせているのが特徴。




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とてもマッチョなのは、やはり神前守護としての力強さを表現しているのであろう。
筋肉の付き方も現代的である。
どこか劇画タッチであるが、昭和8年の制作であるから、こちらの方がオリジナルである。




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一方こちらはクラシカルなデザインの獅子山の子獅子。
獅子山は珍しい江戸期の石造物で、獅子が谷に子供を落とし、這い上がってきたもののみを我が子として育てる・・という逸話を造形化している。(関東大震災で崩壊し、子供の獅子は紛失してしまったそうで、こちらはその後新調したものかもしれない)
常に水がかかる状態で少し可哀想である。




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重さが30トンあるという石造りでは日本一というだいこく様の像。
昭和51年に完成した近代的なデザインの像で、一之宮の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)を、目に見える形にしたものだという。
現代的なデザインであるが、引っきり無しに参拝する人が訪れる。




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だいこく様の石像の横にある献燈には、紀元二千六百年と彫られていた。
明治政府が神話に基づいて作ったいわゆる皇紀で、1940年には建国2600年目と盛大に祝った。
余談であるが、零式艦上戦闘機はこの年に正式採用されたため零戦の名称になった。




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現在EDOCCOの延長部分に置かれている鍛金工芸のえびす様。
こちらは二之宮の御祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を具現化している。
大胆な造形は東京芸術大学学長の宮田亮平教授の制作。




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裏手にある摂末社のひとつ、末廣稲荷神社のキツネさんはスタイリッシュである。
顔つきがシャープで胸が反り返っている。
狼少年ケンに出てきそうだ(笑)
こういうデザインを見ると、製造者の思いや工夫が伝わってきて面白い。




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ユーモラスな表情で迎えてくれるのは、合祀殿の狛犬さんだ。
ちょっとオバQっぽい?(笑)
籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社、天祖神社、諏訪神社の七社を合祀している。
それぞれ江戸時代の神社であるが、震災、戦災で社殿を焼失し、神田明神の本殿を仮御座としていたが、平成24年に合祀殿が建立された。




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平成30年にオープンした文化交流館のEDOCCO。
ホール、スタジオなどの設備も有する施設で、1階にはお土産ショップやカフェなどがあり賑わっている。
神社運営の新しい形と言えるだろう。




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御神馬の神幸号(みゆきごう)「明(あかり)」。
あかりちゃんの愛称で親しまれている。
夏の期間はどこかの牧場に避暑に行っているらしい。
暑いからね・・・
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根津神社

 

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先日予告した神社仏閣の紹介シリーズ。
最初は根津神社にする。
東京十社の紹介のページでも、一番最初に来る神社なので、その順番に合わせることにした。
またブログ記事のカテゴリーにも、新たに「神社仏閣」という項目を設けてみた。

基本は簡単な説明とその神社で撮影した画像数枚を載せる予定。
画像はすでに使用したものや、これから使用するかもしれないものも、気にせず混ぜることにした。
あまり形式にこだわらず、再訪した折には、同じ場所を再度掲載するかもしれない。
神様は人が参拝に集まることを喜ばれるそうなので、こちらを見た方々が少しでも神社仏閣に足を運んでいただければと思う。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

根津神社は、地下鉄の根津の駅から歩いて5分程度の場所にある。
いくつかの駅から同じくらいの距離にあるが、根津駅からだと正面の表参道から入るコースになる。

神社内には池があり、カメやコイがのんびりと泳いでるのが見られる。
以前南側に大きな池があったが、現在は森鴎外の旧邸宅の移築のため、水が抜かれて工事中になっていた。
東京(帝国)大学が近い事もあり、かつては付近に文豪たちが多く住み、夏目漱石や森鴎外も氏子であったという。
境内には彼らが散歩の際に腰を下ろしたという文豪の石がある。

根津神社で有名なのは、何と言ってもつつじ苑であろう。
春に開催されるつつじまつりの期間中のみ、有料でつつじ苑に入ることが出来る。
100種3,000株のつつじの壮観な光景が楽しめる。

根津神社の歴史は、1900年前に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷征定の際に千駄木の地に創祀したのが始まりとされている。
その後、文明年間(1469~87)に太田道灌が社殿を奉建したというが、その当時の場所は今の千駄木の団子坂であった。
現在根津神社のある場所は、甲州徳川家の江戸藩邸があったが、五代将軍綱吉が屋敷地を献納し、現在の社殿を奉建した。
ここは六代将軍家宣の生誕の地でもある。

根津神社では祭神として須佐之男命(スサノオノミコト)、大山咋命(オオヤマクイノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)で、相殿では大国主命(オオクニヌシノミコト)、菅原道真公(スガワラミチザネコウ)が祀られている。
5柱の神様で御神徳も多岐にわたる。
明治時代に神仏分離令によって社名を根津権現社から根津神社に改称、明治天皇より准勅祭社と定められ、現在の東京十社に繋がっている。
ただ昭和20年1月の空襲で建物内部が甚大な被害を受けたそうで、修復に昭和30年代までかかっている。

境内には乙女稲荷と駒込稲荷のふたつの摂末社(その神社の管理下にある小さい神社)があり、乙女稲荷には千本鳥居の参道が繋がっている。
こちらの稲荷でも、かなり霊気の強いキツネさんが迎えてくれる。
神社の歴史を見てきたであろう境内の巨木が、写真を撮って、神社の姿を後世に残しなさい・・と話しかけてきたような気がした。



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表参道鳥居左手の社号碑。「元准勅祭」と書かれている。

 


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重要文化財の楼門。二階建てになっているのが特徴。向かって右側は水戸黄門と言われている。

 

 

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楼門から入ると右手にある舞殿。社伝神楽「三座ノ舞」などが奉納される。

 

 

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唐門をくぐると、りりしい顔をした狛犬さんたちが迎えてくれる。

 

 

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お詣りする拝殿は重要文化財で、五代将軍徳川綱吉が奉納した権現造りの建物。拝殿の奥には幣殿、本殿がある。

 

 

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周囲の透塀を通し拝殿を横から見たところ。何か強い力を感じさせる。

 




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4月にはつつじの花で華やかに染まるつつじ苑。つつじまつりの期間中は100種3,000株のつつじの花が楽しめる。

 




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つつじ苑の横に立つ巨木が、話しかけてくれたような気がした。ここで長い歴史を見てきたのであろう。

 

 

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乙女稲荷への道は千本鳥居を通って行く。海外からの観光客をはじめ、大勢の人が写真を撮るスポットだ。

 




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乙女稲荷は舞台造りになっており、池のある景観を上から眺めることができる。

 




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奥にひっそりとある駒込稲荷。根津神社が千駄木から遷座する前からの守り神。霊気溢れるキツネさんたちが迎えてくれる。

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