COLKIDが日々の出来事を気軽に書き込む小さな日記です。
COLKID プチ日記
御朱印-2

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
僕の場合、御朱印帳を何種類か持っていて使い分けている。
ひとつは、あるグループの神社のもの。
もうひとつは、定期的に訪れる特定の寺院のもの。
そしてそれ以外の様々な神社仏閣を集めたもの。

(iPhone 13 Pro)
上の木製の立派なものは、東京十社の御朱印帳である。
最初から右のページに神社の名称と説明が印刷されており、左側の空いたページに御朱印を書いていただく。(下の画像)
東京十社のみを対象にした特殊な御朱印帳である。
僕のものは、すでに十社すべていただいて完成している。

(iPhone 13 Pro)
下は豊川稲荷(東京別院)だけの御朱印帳である。
毎月参拝しているので、一冊の御朱印帳にまとめて書いていただくことにした。
よく見ると、同じ方が書かれたのかな・・という御朱印があり、意識して前回と変えて書かれているようにも見え、比較するのが面白い。
御朱印帳自体も、豊川稲荷のオリジナルのもの。(豊川稲荷は季節ごとになかなかいい感じの御朱印帳を出している)

(iPhone 13 Pro)
それ以外の神社仏閣のものは、とりあえずひとつにまとめている。
本当なら、もう少し細かく分けるべきなのかもしれないのだが・・・
実のところ、まだ御朱印を集め始めてそれほど経っていないので、分類に関してはこれからの課題である。

(iPhone 13 Pro)
もうひとつ課題なのが、特殊な御朱印である。
下の御朱印は靖国神社でいただいたものであるが、凝った「切り絵」になっている。
最初は御朱印帳に貼ろうと考えたのだが、特に提灯の方は黄色いバックシートがデザインの一部になっていて、白い御朱印帳には貼れないことに気付いた。
何でもクリアポケット式の御朱印帳もあるようなので、こういう御朱印のために用意しようかと思っている。

(iPhone 13 Pro)
御朱印-1

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
以前、御朱印を集める気はない・・と書いた。
(2024年6月20日の日記)
まあ、「今のところ・・」という注釈は付けているが・・・
御朱印をいただくのに並ぶ時間があったら、その間写真を撮っているほうがいい・・などと豪語している。
誠に申し訳ないが、前言撤回で、ある時から御朱印をいただくようになった(笑)
神社仏閣を訪問した証として、ちょうどいいのだ。
年月日も分かるので、次回のスケジュールを考える際の役にも立つ。
それに何と言っても、人間が手で書いたものであり、独特の存在感があり、眺めていても楽しい。
御朱印は、ある程度の規模の神社仏閣であれば、授与所や社務所、寺務所などに御朱印のコーナーがあり、そこでいただく。
自分の御朱印帳を持って行き、それを預けて書いていただくのだ。
御朱印帳は、各神社仏閣が独自の凝ったものを出しているし、文房具店などでも販売している。
もっとも僕の場合は、御朱印帳を忘れてしまう事も多い。
そういう場合は、あらかじめ書き込んである御朱印の紙が用意してあり、それをいただくことが出来る。
最近は参拝者が多いからか、その場で書く作業に対応できず、紙のみ・・というところも増えてきた。
それを持ち帰って、御朱印帳の空白のページにのりで貼るのである。
その接着用の「のり」は、本当はでんぷんのりでないといけないそうなのだが、仕上がりが悪いし、失敗すると目も当てられない。
そこで僕の場合は、(本当は良くないのだが)100均で買ったスプレーのりで貼っている。
スプレーのりは、若い頃の資料作りなどで慣れているので、お手の物であるが、実際これが一番きれいに仕上がる。
ただ、どのくらい接着力がもつのかは、分からないのだが・・・
大きな神社などでは、御朱印をいただくのに、長い列が出来ていることもある。
何人分か溜まっていると、すぐには書けないので、番号札を渡されて、出来上がったら呼び出される。
そういう時は、まずは本堂を参拝して(ここが大切)、次に御朱印をお願いして、順番待ちの間に他の参拝を済ませる・・というパターンを取る。
御朱印を書いていただくのにお納めするのは、(現在は)500円くらいの場合が事が多い。
ある神社では、お気持ちだけで結構です‥と言って、具体的な金額を提示されなかった。
とても気持ちのいい神社だったので、それならと1,000円お納めした。
よろしいのですか・・と少し驚かれたが・・・
麦藁蛇

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
浅草の富士浅間神社にお詣りに行った。
5月、6月の植木市と正月三が日にのみ頒布される、麦藁蛇をいただきに行ったのだ。
以前もいただき、水回りである台所に貼ってあった。
噂通りパワーが強いようで、Mrs.COLKIDも大変気に入っている。
またいただきたいと思っていたが、年に数日しかその機会がない。
浅草富士浅間神社は、浅草寺の裏手何ブロックか先にある。
あれほど賑わっている浅草寺を抜けると、喧騒が嘘のように治まり、比較的静かな住宅街を抜けていく。
麦藁蛇をいただきに来るのは、地元の人以外では、よく分かっている人のみ・・という感じで、神社にお詣りする姿も手慣れている。

(iPhone 13 Pro)
早速台所の壁に貼った。
これにより、水による災難から守られるという。
おお、今にピッタリではないか!
考えてみれば、我が家には全国の神社仏閣のお守りやお札が、かなり揃っている。
訪問するたびに、これはと感じたものを頂いてくるからだが、もう博物館なみである。
だいぶ強力なパワーで守られていると思うのだが・・・
品川神社

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
品川神社は京浜急行の「新馬場」駅の北口を出ると、通りを挟んではす向かいの位置にある。
線路に並行して走る第一京浜を渡ったところに、品川神社の大鳥居が見える。
正面には53段の石段があり、社殿は道路から見て高台にあるが、さらにその中に「品川富士」とも呼ばれる富士塚があり、そこに上ると周囲を見渡すことが出来る。
昔はここから東京湾が一望できたという。
映画の初代ゴジラ(1954年)で、人々が品川神社に逃げるシーンがある・・という。
過去に何度か作品を観てはいるのだが、実は僕は品川神社の出る場面には気が付かなかった。
確かゴジラをよく見るために、高台に上がるシーンはあったと思うのだが・・・
その初代ゴジラへのオマージュとして「シン・ゴジラ」(2016年)でも、逃げ惑う人達が、品川神社の階段を上っていくシーンがある。
ちゃんと「東京都品川区 品川神社」とテロップが入る。
ただしこちらは、実際には新宿区の市谷亀岡八幡宮で撮影したのだという。
たまたま神社正面の石段が似てはいるのだが、どういう経緯でそちらで撮影することになったのかは分からない。
こういう時に、高台に逃げる・・という心理は、まあ分からないでもないが、どうなのだろう。
ゴジラの初上陸の際に進むコースはけっこう気まぐれで、池上通りから第一京浜に入るが、品川神社の手前でまた急に曲がる。
避難する人達は右往左往であろうが、ゴジラの進路を見定める必要があるので、よく見える高いところに行こう・・ということなのだろう。
でもゴジラの目線に近くなるので、目と目が合う可能性もあり、かえって危ないとも思うのだが・・・
***********************
品川神社のご祭神は、天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)、宇賀之売命(うがのめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)の三柱の神々である。
天比理乃咩命は、1187年に源頼朝公が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)から勧請した。
鎌倉時代末期の1319年には、鎌倉幕府の御家人、二階堂道蘊公が宇賀之売命(お稲荷様)を、さらに室町時代中期の1478年に太田道灌公が素盞嗚尊(天王様)をそれぞれお祀りした。
摂末社は浅間神社、御嶽神社、猿田彦神社、道祖神社、阿那稲荷神社、八百萬神社、大國主恵比須神社、天王白龍辨財天社。
そのうち阿那稲荷神社は、天の恵の霊が祀られる上社と、地の恵の霊が祀られる下社とに分かれている。
***********************
前述の通り、1187年に源頼朝公が安房国の洲崎明神より天比理乃咩命を勧請し、海上交通安全と祈願成就を祈り、「品川大明神」と称したのが始まりだという。
1600年には徳川家康公が関ヶ原の戦い出陣の際に参拝し戦勝を祈願、その後、祈願成就の御礼として、仮面(天下一嘗の面)や神輿(葵神輿)などを奉納した。
1637年には徳川家光公により隣接して東海寺が建立され、その関係で徳川将軍家の厚い庇護を受け、神社の建造や修復をすべて幕府が賄う御修覆所となった。
江戸時代、品川は海路、陸路両方の重要な拠点であった。
江戸湾の水深の関係で、大きい船が品川の沖合いまでしか入れず、ここに停泊して積荷を積み替えて各地に運んだという。
また陸路でも品川宿は海道五十三次の最初の宿場町であり、江戸への入り口でもあった。
人が集まる条件が揃っており、品川は多くの旅籠や茶屋、遊郭の建ち並ぶ巨大な歓楽街となり、大いに栄えた。
そんな中の一角に品川神社もあったのだ。
***********************
品川神社から歩いて数分のところに荏原神社がある。
ちょうど新馬場の駅を挟んで反対側、目黒川沿いに荏原神社がある。
品川神社は「北の天王社」、荏原神社は「南の天王社」と呼ばれていた。
この二つの神社は、この地域の神社として分けて考えられない。
品川神社は、東京十社のひとつに選ばれている。
ところが一方で、荏原神社もそれは自分のところだと主張している。
以前も書いたが、東京十社とは、明治天皇が東京に移動した際に、准勅祭社として選んだ12社がもとになっている。
(2024年6月20日の日記)
その制度は明治初頭に廃止されたが、昭和になりその中から東京23区内にある10社を選び、東京十社巡りが企画された。
短期間で廃止されたためか、明治の初頭の話なのに、その辺りがあやふやになっているようだ。
実のところ、荏原神社も強い霊気を感じるとてもいい神社である。
神社巡りでこの地を訪れる際は、両社とも参拝されることをお勧めする。
***********************

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
第一京浜に面した正面に立つ社号標には、はっきりと「元准勅祭」と謳われている。

Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S
大きな画像
大鳥居の先には53段の石段がある。
ゴジラが来た時はここを上って逃げよう。
でも鳥居の前で狛犬さんがこちらを睨んでいるな・・・

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
品川神社には7つの石の鳥居がある
入口の大鳥居は、東京都内に3つしかないという「双龍鳥居」である。
左側には「昇り龍」、右側(写真)には「降り龍」が彫られている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
大鳥居の前の狛犬さんは、威圧的な顔つきでこちらを睨んでいる。
俺が許さない限り、ここからは一歩も入れないぞ・・という顔である。
品川神社の優秀な門番といえる。
これを見てゴジラも慌てて方向を変えたかな・・・(笑)

Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S
大きな画像
53段の石段を登って行くと、左手に富士塚への入り口ともなる猿田彦神社がある。(下の画像)
しかしまずは真っ直ぐ本殿に行き、お詣りを済ませるのもいいだろう。
中の浅間神社を通り、反対側から富士塚に向かうこともできる。

(Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S)

Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S
大きな画像
階段を昇ると境内の静かな空間が広がる。
神明鳥居と明神鳥居のふたつの鳥居の先に立派な拝殿が見える。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
品川神社の社殿は、幸い太平洋戦争の戦火を免れたという。
老朽化のため1964年に建て直し、また2020年には天皇陛下御即位を祝い「御大典記念事業」として修復が行われた。
この拝殿の奥には、RC造の本殿がある。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
2020年の本格的な修復工事から、まだ数年しか経っていないこともあり、真新しく新鮮な印象を受ける。
綺麗な社殿に神様も誇らしげである。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
拝殿前の狛犬さん。
品川神社は狛犬さんの宝庫と言える。
それぞれの鳥居や社殿の前には、左右に狛犬さんやキツネさんが鎮座している。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
境内右奥には末社の阿那稲荷神社があり、その前には朱色の鳥居が並んでいる。
阿那稲荷神社は上社と下社があり、鳥居の参道が途中から二つに分かれて、一方が下社の方に下りていく。
境内でも阿那稲荷神社の周辺は、特に霊気が強いスポットといえるだろう。

(Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
こちらは阿那稲荷神社の上社。
まずはこちらを参拝してから下社へと向かう。
上社には天の恵の霊、下社には地の恵の霊が祀られている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
阿那稲荷神社上社の鳥居前に鎮座する江戸時代のキツネさん。
のんびりとした優しい表情で迎えてくれるが、発するパワーはかなり強い。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
鳥居の列を下に降りていくと、阿那稲荷神社の下社がある。
ここは特に霊気の溢れる場所である。
社殿の中に入ると、正面に八百萬神社、大國主恵比須神社、天王白龍辨財天社が祀られている。

(FUJIFILM X100V)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
阿那稲荷神社下社の前のキツネさん。
鋭い目つきであるが、パワーにも同じように鋭いものがある。
話しかけてみたら、少し表情を緩めてくれたようにも感じた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
阿那稲荷神社の社殿内に一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の泉がある。
ここの水でお金や印鑑を洗うと、金運がアップするという。
効果が高いと評判で、参拝に来る人が後を絶たない。
そのお金を、門前の北品川のお店で使うと、さらに良いことがあるとか・・・

(Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
阿那稲荷神社の下社に降りていく途中にある祠。
目立たない小さな祠であるが、かなり強い霊気を発しているように感じた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
境内右手にある神楽殿。
大正年間の建築であったため、「御大典記念事業」の際に傷んだ部分を補修し、屋根も瓦葺きから銅葺きにして軽量化し、耐震性を高めたという。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
品川区内にはふたつの七福神巡りのコースがあり、品川神社は旧東海道を歩く「東海七福神」のスタート地点になっている。
品川神社には大黒天が祀られており、石段下の第一京浜沿いに大黒様の石像がある。

(Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S)

FUJIFILM X100V
大きな画像
品川神社の富士塚はとても本格的なもので、「品川富士」とも呼ばれている。
高さが15メートルあり、都内ではもっとも高い富士塚と言われている。
1869年(明治2年)に富士講(富士山信仰)の人達によって築造されたもので、実際に富士山の溶岩を使って作られている。

(Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S)

Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S
大きな画像
富士塚の頂上からの光景。
富士塚は、実際に富士山まで登山に行けない人達のために、代わりに登ることで富士登山と同等のご利益を得られるもの・・として作られた。
もともと多くの富士塚は、上から本物の富士山を拝むことが出来たというが、現在は高層の建物が多くなったため、ほとんど見られるところは無いようだ。

(Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S)

Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S
大きな画像
富士塚から神社側を臨む。
静かな境内に、鳥居、狛犬さんたち、摂末社、石碑などが並んでいるのが見える。
品川神社は見所の多い神社と言えるであろう。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
珍しい越前焼きの狛犬さん。
1830年(江戸時代後期)に奉納されている。
200年近く、品川の歴史を見てきたわけである。
品川神社境内には、多くの狛犬さんたちが鎮座している。
それでは最後に狛犬さんたちの画像をいくつか並べてみよう。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
芝大神宮

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
東京十社のサイトでは、5番目にくるのが芝大神宮である。
芝大神宮は名前の通り芝大門にあり、地下鉄の「大門」の駅がもっとも近い。
JRの「浜松町」の駅からでも、それほど歩かずに行くことが出来る。
両側をビルに挟まれた、高台になった一角にある。
僕が高校生の頃、ここからそう離れていない場所にある学校に通っていた。
それなのに、ここに神社があることは、まったく知らなかった。
芝公園の増上寺は知っていたが、芝大神宮には行ったことは無かった。
まだその頃は、神社仏閣にほとんど興味が無かったので・・・ごめんなさい。
芝大神宮はの境内はそれほど広くはない。
そのため撮影するにも、あまり撮るものは無い。
しかし神社の歴史としては屈指のものがあり、実際氏子からの信頼も厚いのが伝わってくる。
神宮と名の付く神社は、とにかくエネルギーがある。
***********************
ご祭神は、内宮が天照皇大御神 、外宮が豊受大御神。
ともに伊勢神宮の主祭神である。
また相殿には、芝大神宮と深く関わりのある源頼朝公、徳川家康公が祀られている。
境内に摂末社がまったく無いのも芝大神宮の特徴である。
かつては他の神社と同じように多くの摂末社が祀られていたが、震災や戦災による焼失などもあり、すべて本殿に合祀された。
***********************
大河ドラマ「光る君へ」にも登場する一条天皇の時代、1005年に伊勢の内外両宮を勧請して創建したのが始まりであるという。
伊勢神宮の御厨(みくりや)である飯倉御厨が現在の芝公園にあり、その荘園に作られた神明社が起源とされている。
当時の正確な位置は分かっていないようであるが、いずれにしても芝公園の周辺と思われる。
かつては「飯倉神明宮」とか「芝神明宮」、「日比谷神明宮」などと呼ばれていた。
いくつかの説の中に、僕の通っていた高校の一角にあったという話もあり、灯台下暗しと驚いた。
鎌倉時代になると源頼朝公より篤い信仰を受け、1185年と1193年の2度に渡り、神領の寄贈を受けている。
特に2度目の方は自ら社参し1300余貫を神田として寄進したという。
その後も多くの武将たちから厚く崇高を受けたが、1495年に北条早雲が領土拡大で小田原城を奪取し、それに伴い神領も奪われたことから荒廃してしまったようだ。
現在でこそ首都の中心地に属するが、当時はそこまで重視される場所では無かったのだろう。
1590年には豊臣秀吉公が奥羽平定のために江戸を進発するに際して祈願し、同年徳川家康公も江戸入府に際して社参したと言われ、その頃に台命が出て再興されたという。
当時は現在の芝公園にある飯倉山(芝丸山古墳)に鎮座していたが、1598年に江戸城の拡張工事に伴い増上寺が芝へと移されたため、芝大神宮が現在の場所(増上寺から200mほどの距離)に移された。
1600年には関ヶ原出陣に際し家康公が社参して戦捷祈願をし、1619年から20年にかけての大坂の陣では、家光の乳母である春日局が社参し戦捷祈願をしている。
徳川家の菩提寺となった増上寺との関係の深さから、芝大神宮も徳川家から優遇されて発展していく。
歴代将軍家・幕府の庇護を受け、社殿の造営・修復等は徳川幕府により行われたという。
さらに大きかったのは、伊勢参りに行く代参にと、多くの参拝者が訪れたことである。
伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担い、「関東のお伊勢様」と尊称された。
さすがに伊勢神宮にまで行くと大旅行になるので、芝大神宮でお詣りすることで済ませたのだ。
明治時代になると、多くの寺院が神仏分離令で被害を被るが、ここでもご祭神の関係から皇室から崇敬を受けることになる。
明治初年には、大宮氷川神社、赤坂日枝神社と並び、「府内三大社」となった。
1872年には明治政府の許可を取り、現在の神社名である「芝大神宮」を称するようになった。
平成17年(2005年)には、鎮座1000年を祝う「芝大神宮壱千年祭」が行われた。
***********************
1805年3月に、芝大神宮で行われていた相撲の春場所で、見物に来ため組の鳶職たちと力士が口論となった。
その後、場所を芝居小屋に移し喧嘩が再燃、互いに仲間を呼び寄せての乱闘事件へと発展した。
世に言う「め組の喧嘩」である。
その結果、火消しと力士合計36人が捕縛された。
この事件の後処理は、寺社奉行、町奉行、勘定奉行の三奉行の協議によって進められた。
仲間を集める際、火消し衆は火の見櫓の早鐘を鳴らして動員をかけた。
三奉行は(喧嘩に携わった人たちの刑罰が最低限で済むように)その早鐘が悪いという裁きを下し、何と早鐘に遠島を申し付けた。
その判決が粋で面白いと、「め組の喧嘩」は講談や芝居の題材にされた。
またその早鐘が、明治初年に芝大神宮に戻された。
現在でも2月の節分祭の時に「半鐘祭」が執行され、この半鐘が展示される。
***********************

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
社号標にはシンプルに「芝大神宮」の文字。
「大神宮」とは、もとは伊勢神宮のことをそう呼んだそうだが、伊勢神宮から分霊した神を祀る神社にも使われるようになった。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
神社正面。大鳥居はシンプルな神明鳥居。
鳥居のすぐ先に本殿がある。
敷地は決して広くはなく、階段を上ると、右手に社務所、左手に手水舎がある。
階段下の両側にいくつかの石碑が一列に並ぶ。

大きな画像
こちらは神社の裏側の通りから見上げた本殿。
左右をビルに挟まれた、道路より一段高いところに社殿がある。
社殿の下は屋内駐車場として運営されている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
階段を上がったところには、非常にユニークな狛犬さんが鎮座している。
こちらは左側の吽形で、古典的な角のあるタイプ。
この角は、後から補修されたものらしいが、どうも大きさが不自然にも見え、修繕の際にオリジナルより大きくしてしまったのではないか・・と言われている。
あるいはもともと角は無く、コブ程度のものだったのではないか・・という人もいる。
今となっては、とんがり帽子のようで、(当人が気に入っているかどうかは分からないが)かえって特徴になっているかも・・・

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
右側の獅子像の阿形も実に特徴的な顔つきである。
何度か通っていると、「おお、来たか」と、笑いながら話しかけてくる。
狛犬さんの乗る台座には、昭和の年代が刻まれているが、狛犬さんのデザインはもっと古い形なので、震災や戦災による損壊から修復された日付であろう。
狛犬さん本体は1800年代後半のものではないかと言われている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
芝大神宮の社殿は、火災や震災で何度も失われ、そのたびに再建されてきた。
明治以降も火事、震災、空襲により焼失または倒壊している。
現在の社殿は1964年に再造営されたもの。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
芝大神宮にいると、ひっきりなしに参拝客がやってくる。
神社巡りで来たというより、慣れた動作で無言でお詣りして帰って行く人が多い。
歴史のある神社ゆえ、信仰がしっかり根付いているのを感じる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
これが問題の狛犬さんの台座。
上の段の「奉献」の台座には昭和6年、その下の「め組」の台座には昭和40年修覆と刻まれている。
しかし当然町火消しの時代ではないので、有名な「め組の喧嘩」を記念して刻印したのだろうとは思うが・・・

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
ベンチのすぐ後ろにあり、50mmレンズでは上手く撮影できない力石(笑)
力競べや曲持ちの興行などに使われたという。
この五十貫(187.5キロ)余の石を片手で持ち上げたという明治時代の豪腕力士「金杉の藤吉」の名が刻まれている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
階段下にある生姜塚。
神社創建の頃、周囲には生姜畑があったため、神前に供えるようになった。
その生姜を食すと風邪にかかり難くなるという評判から、例祭期間中には生姜を授与するようになった。
境内では美味しい生姜飴も授与していただける。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
貯金塚は、貯金王の異名をもつ不動貯金銀行(現りそな銀行)創業者・牧野元次郎氏の碑。
関東大震災で預金封鎖された際、氏の銀行のみが全額払い戻しをしたという。
その功績を称えて建てられた。
碑にある「根気根気何事も根気」は武者小路実篤氏の筆によるもの。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
芝大神宮の正面には、普段は静かであるが、立派な参道があり、数十メートル離れた第一京浜にまで延びている。
例祭の時はこのスペースが神輿と大勢の人で埋まり、賑やかになるのであろう。
では最後にまた狛犬さんの画像を・・・

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
富岡八幡宮

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
**************************
富岡八幡宮は深川八幡宮とも呼ばれ、庶民から「深川の八幡様」と親しまれてきた江戸最大の八幡宮である。
場所は江東区富岡にあり、最寄りの駅は「門前仲町」になる。
東西線の門前仲町の駅からすぐであるが、大江戸線の門前仲町だと少しだけ歩く。
ご祭神は主祭神として応神天皇(八幡神)。
相殿神として神功皇后、仁徳天皇、天照皇大神、常磐社神、武内宿祢命、日本武尊、天児屋根命、竈大神が祀られている。
**************************
創建は江戸時代初期の1627年(寛永4年)、京都の僧侶、長盛法印(ちょうせいほういん)による。
長盛法印は菅原道真公の末裔とされており、夢の中で道真公から、家に伝わる八幡神像を江戸の永代島に祀るようお告げを受ける。
亀戸天神社の時もそうであったが、どうも道真公は夢を通じて指示を出されることが多いようだ。
当時のこの辺りは砂州で、深川は漁師町のひとつに過ぎなかったが、長盛法印によって埋め立てられ、富岡八幡宮の社地や居住地として6万坪が造成されたという。
また長盛法印は、富岡八幡宮を管理する別当寺として、すぐ隣に永代寺を建立、そこの住職となった。
当時は神仏習合の時代で、神社と寺院は渾然一体となっており、特に大きな神社には、それを管理する別当寺が隣にある事が多かった。
深川地域は富岡八幡宮の門前町として栄えていく。
1642年には徳川家光が長男家綱の世継ぎ祝賀を行うことになり、江戸幕府の命により、後に江戸三大祭りに数えられる深川祭りが行われるようになる。
さらに大きな被害の出た1657年の明暦の大火の後は、江戸の都市改造が実施され、深川は商業地域として拡張され、大勢の人々が集まるようになっていく。
1703年には成田山新勝寺が、永代寺の境内で「出開帳」を行い、大変な賑わいを見せた。
新たに開拓された江戸には、当時まだ大きな寺院が無く、ご本尊を持ち出して開帳してくれる出開帳は、有難い催しとして大きな話題となった。
これは開催側にも莫大な収益となり、将軍家も絡んだ大きなイベントとなり、幕末までに12回行われたという。
このように江戸時代の富岡八幡宮は、八幡大神を崇拝した徳川将軍家の手厚い保護も受け、深川の八幡様として大いに栄えた。
しかし他の神社仏閣と同じように、明治時代初期に吹き荒れた神仏分離令の嵐に晒されることになる。
富岡八幡宮と永代寺の両立は許されず、永代寺は廃寺となり、神社である富岡八幡宮が残った。(ただし両者は一体の関係にあり、永代寺の住職は、そのまま富岡八幡宮の宮司になったという)
明治政府による神仏分離令は数年で失敗に終わり、明治14年には永代寺のあった場所に成田山深川不動堂が建てられた。
もともとは同じ境内であるわけだが、富岡八幡宮と成田山深川不動堂は、時代の流れで別々の宗教法人になった。
しかし場所はごく近く、公園を挟んでお隣同士なので、一度に両社寺を訪れる人は多い。
さっぱりとした神社と、濃厚なお寺とで、雰囲気がだいぶ異なるのが面白い。
**************************
富岡八幡宮の境内には多くの末社がある。
具体的には、七渡神社・粟島神、車析社・客神社、野見宿禰神社 、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社・花本社、永昌五社稲荷神社、鹿島神社・大鳥神社、恵比須社・大黒社 、富士浅間社・金刀比羅社である。
個人的には古い狛犬さんが沢山いる富岡八幡宮の末社はお気に入りである。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の神社でもあり、境内には相撲関係の石碑が多数あり、新横綱の土俵入りや力士の結婚式なども行われる。
またかつて松尾芭蕉が深川に住んでおり、前述の花本社のご祭神にもなっている。
大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬も深川に住み、必ず富岡八幡宮を参拝してから測量の旅に出たという。
富岡八幡宮の祭礼である前述の「深川八幡祭り」は、現在でも盛大に行われている。
**************************

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
永代通りから参道方向に曲がると、すぐのところに石柱標と大鳥居がある。
石柱表には「富岡八幡宮」と彫られている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
一方大鳥居の扁額には「富ヶ岡八幡宮」と書かれている。
江戸時代には「とみがおか」と呼ばれていたという話もある。
実はすぐそばの江東区南砂に「富賀岡八幡宮」があるので、話は少しややこしいのだが・・・

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
都内の他の神社と同じように、社殿は過去に何度も被災している。
富岡八幡宮の社殿は、1683年に天和の大火により焼失し、1703年に元禄地震により損壊、1923年の関東大震災でも被害を受け、1945年3月の空襲でも破壊された。
その教訓もあるのか、現在の社殿は1956年に建てられた鉄筋コンクリート製のものになっている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
たまたま8月15日に参拝したところ、例祭が行われており、社殿前には立派な旗が飾られていた。
江戸三大祭りのひとつである「深川八幡祭り」は、年毎に「本祭り」、「陰祭り」、「御本社祭り」が順番に開催される。
昨年2023年は(コロナでしばらく中止になっていた)「本祭り」が6年ぶりに復活した。
今年2024年は「陰祭り」で子供たちが主役である「子供神輿連合渡御」が行われた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
ここの手水舎は大変豪華で、金の鳥が迎えてくれる。
コロナの感染拡大防止のためかと思われるが、口から出る水にはホースが取り付けられ、水をまき散らさないようになっている。
多くの神社では、コロナ以降、水を共有する手水舎の管理に気を遣っているのが見られる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
本殿の階段脇に鎮座する狛犬さん。
享保12年(1727年)奉納という比較的古い時代のものだが、しっかりした作りになっている。
やはり過去にいろいろと被災して、補修されながらここに納まったようだ。

FUJIFILM X100V
大きな画像
本殿の右手奥にある横綱力士碑。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名で、境内にはここ以外にも相撲に絡んだ石碑がいくつかある。
江戸時代には社寺で盛んに勧進相撲が開催されていたが、喧嘩などのトラブルが発生し、幕府によって一度禁止された。
その後1684年に許可が出て再開したのが富岡八幡宮であり、それが現在の大相撲に繋がっている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
本殿前右側に立つ躍動的な神馬像。
焼失した社殿が再建された際に、氏子により奉納されたものであるらしい。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
大鳥居横の伊能忠敬像。
忠敬は隠居してから深川に住み、50歳から測量術を学んで、全国を実際に測量して回り、弟子と共に「大日本沿海輿地全図」を完成させた。
旅に出る時には必ず富岡八幡宮を参拝したと言われ、2001年にこの銅像が建立された。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
日本最大といわれる絢爛豪華な黄金神輿は、1991年に佐川急便の佐川会長によって奉納された。
ダイヤモンドやルビー、純金などが各部に使われ、総額10億円近くかかったという。(乗っている狛犬さんの目もダイヤである!)
しかし4.5トンという重量が重すぎて、担ぐことが難しかったため、3年後にこの一の宮とは別に重量約2トンの二の宮が作られた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
縁日は毎月1日、15日、28日で、参道には屋台が並び参拝者で賑わう。
また毎月第一、第二、第四、第五日曜日には骨董市、毎月15日、28日にはフリーマーケットが開催される。

FUJIFILM X100V
大きな画像
6月15日から7月15日の間、「夏詣」が開催される。
参道には屋台が出て賑わい、様々な出し物が演じられる。
富岡八幡宮は氏子と協力して、季節ごとのお祭りをしっかり行っている印象がある。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
右手奥にある七渡神社は、弁天池に囲まれた中に建っている。
富岡八幡宮の建立以前から、この地に祀られていたという。
関東大震災や東京大空襲で、富岡八幡宮の社殿が焼失した際にも、ここだけは残り、弁天池に避難した人は助かったという。
御祭日には神様のお使いの白蛇が姿を現すことがあり、実際にそれが度々目撃されている・・という不思議な場所である。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
七渡神社を囲む弁天池には、鯉に混じってカメが泳いでおり、こちらを見て寄ってきた。
黒っぽいので日本のカメかと思ったが、よく見ると模様が見え、外来種であると分かった。
とは言え、神様のお使いの「白い蛇」のお友達の「緑の亀」かもしれないので、邪険にはできない(笑)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
こちらの祠には八つの末社が祀られている。
左から祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉社、野見宿禰神社 、車析社・客神社になる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
その隣にある永昌五社稲荷神社。
末社のエリアは裏手にあり、普段はあまり人が足を運ばないため、霊気漂う空間になっている。
狛犬さんたちの楽園にもなっている(笑)

FUJIFILM X100V
大きな画像
稲荷神社前の連続した鳥居の間から、狛犬さんたちが早く来いよと呼んでいる。
それぞれの時代の味わい深い狛犬さんが揃っている。
それでは最後に、末社の狛犬さんたちの画像をいくつか載せておこう。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
亀戸天神社

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
東京十社のサイトを見ると、3番目は亀戸天神社である。
このブログの神社仏閣シリーズでも、今回は亀戸天神社を取り上げる。
江東区にある亀戸天神社は、意外に陸の孤島なのだ。
電車だと亀戸か錦糸町の駅から歩くが、どちらからも15分ほどかかる。(バス停は目の前にあるが)
まあ15分程度なら大した距離ではないし(700m前後)、実際にいつも歩いて行くのだが、真夏の炎天下で、撮影の機材を持って行くとなるとけっこう大変である。
先日試しに錦糸町の駅からタクシーで向かったところ、初乗り料金内で到着することができた。
真っ直ぐ行って、一度曲がて、また少し走るだけだ。
これなら積極的にタクシーを利用した方がいいだろう。
帰りはGOアプリがあるし・・・
**********************************
亀戸天神社は菅原道真公(いわゆる天神様)を祀っている。
菅原道真公といえば、学問の神様として多くの方が親しみを持っているだろう。
しかし実は、平将門、崇徳(すとく)天皇と並んで、「日本三大祟り神」の一柱でもある。
845年に儒家の家に生まれた道真は、幼いころから学問や詩歌に極めて優れた能力を発揮し、朝廷でも宇多(うだ)天皇の信頼が厚く近臣として活躍した。
醍醐(だいご)天皇の治世となり、899年には右大臣に任命され、左大臣の藤原時平との二大巨頭の体制となった。
清廉潔白な道真は、基本学問の人なので、どろどろした抗争に巻き込まれるのは本意では無かったはずだ。
異例の出世を遂げたため、案の定貴族たちの嫉妬による反発に晒される。
それを上手く利用したライバルの藤原時平の策略にはまり、あらぬ噂を信じた醍醐天皇により、道真は九州の太宰府に左遷されてしまう。
太宰府では酷い生活を強いられ、失意のうちに2年後の903年に亡くなる。(死因は糖尿病だという)
それから数十年に渡り、都では大変なことが起きる。
道真の左遷に関わった者が次々に亡くなり、909年にはライバルであった時平も39歳の若さで急死してしまう。
毎年のように洪水や干ばつ、伝染病が発生し、人々はこれは道真の怨念によるものではないかと噂するようになる。
醍醐天皇も皇太子を次々に失くし、道真の怨念を信じるようになり、慌てて亡くなった道真を右大臣に戻し正二位の地位を与えた。
ところが930年に御所を落雷が直撃、藤原のものを含む数人が悲惨な亡くなり方をし、それを目撃した醍醐天皇もショックを受けて3か月後に崩御してしまう。
かくして菅原道真公は、日本を代表する祟り神になってしまった。
個人的には、道真のようなタイプの人が、自分を陥れた人たちを恨み殺すようなことをするだろうか・・という疑問を感じている。
たまたま凶事が重なり、身に覚えのある人達が恐怖に駆られて、これは怨念に違いない・・と騒ぎ立てたのではないだろうか。
いずれにしても、特に貴族の間では、道真公は恐ろしい怨霊であった。
道真公の怒りを鎮めようと、必死にお祀りするわけであるが、それが次第に信仰へと発展した。
祟り神は強いパワーを持つので、手厚くお祀りすれば強力な守護神にもなる。
**********************************
亀戸天神社の話に戻す。
1646年、九州の太宰府天満宮の神官であり、菅原道真公の末裔である菅原大鳥居信祐公が、夢の中で道真公より句を授かった。
菅原大鳥居信祐公は、道真公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を作り、天神信仰を広めるため、社殿建立の志を持ち、日本のあちこちを回った。
遠くは盛岡や日光など、15年も探し回ったが、ついに1661年、江戸の本所亀戸村に行き着き、もともとあった小さな祠にそのご神像を祀った。
それが亀戸天神社の始まりだという。
1657年に江戸の町を焼き尽くした明暦の大火が発生しており、徳川幕府は本所の町を災害からの復興の地と定め、天神様を信仰する四代将軍家綱公により、その鎮守の神様としてお祀りするようにと、現在の社地が寄進された。
そして1662年に九州の太宰府天満宮を模倣し、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などが作られた。
そのため古くは亀戸天神社は東の太宰府天満宮として、「東宰府天満宮」あるいは「亀戸宰府天満宮」と称していた。
明治6年に東京府社となって「亀戸神社」と号し、昭和11年に現在の「亀戸天神社」になった。
境内には摂末社として御嶽神社、花園社、弁天社、紅梅殿、神牛殿がある。
**********************************
亀戸天神社は「花の天神様」として親しまれており、花に関するお祭りでは、初春に梅まつり、4月に藤まつり、秋には菊まつりが開催される。
その中でも特に東京一と言われる藤は見応えがあり、夜は藤棚がライトアップされて、背景にそびえ立つ東京スカイツリーとのコンビネーションで、素晴らしい夜景が楽しめるという。
実は僕は藤まつりには行った事が無いのだが、いつか写真を撮りに行きたいものだと思っている。
実際、亀戸天神社に行くと、緑が多い・・という印象を持つ。
写真を見ていただいても分かるが、単に植物が多いだけでなく、境内で大きな面積を占める池の水の色が深い緑色なのだ。
そのため全体に「緑色の神社」というイメージが強い。
植物の発するエネルギーが、特に強く感じられる神社である。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
神社は蔵前橋通りから少し入ったところにある。
通りを曲がると参道は数十メートルほどの短いもので、正面に大鳥居が見える。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
大鳥居には「亀戸天満宮」と書かれている。天満宮は天神と並び菅原道真公を祭神とする神社のこと。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
8月に何度か撮影に行ったが、例大祭の直前で、境内は準備が始まっていた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
境内には太宰府天満宮を模した心字池に二つの太鼓橋がかけられている。
グリーンの池は上から見ると「心」の文字になる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
太鼓橋の男橋、平橋、太鼓橋の女橋の三つの橋を渡って本殿に向かう。
この三つの橋はそれぞれ過去・現在・未来を表しているという。
写真は男橋の頂上から本殿方向を写したもの。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
太鼓橋の女橋を渡ると、拝殿の正面に出る。
実は亀戸天神は昭和20年3月の大空襲でほとんどの社殿を焼失しており、現在のものはその後コンクリートで再建したものである。
そのためかさっぱりした建物という印象を受ける。
旧社殿は1802年に徳川家の下賜金で造営された壮麗なものだったそうで、失われたことが非常に残念である。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
拝殿には「亀戸天神社」と書かれている。
1961年に鎮座三百年式年の記念事業として幣殿と拝殿、1979年に御神忌千七十五年大祭記念事業として本殿が再建された。
すべての再建にはまだ時間がかかるだろうと言われている。

Z9 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
大きな画像
東京スカイツリーには歩いていける距離である。
境内では背景に大きくスカイツリーが見え、新旧の調和が面白い。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
手水舎でもカメさんが迎えてくれる。
本殿の参拝前にカメさんのお水でしっかりお清めする。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
心字池の水はグリーンに染まっている。
人を見て寄ってくる鯉やカメたちを横目で見ながら本殿に向かう。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
池の周囲を藤棚が囲んでおり、藤まつりはさぞや見応えがあるだろうと想像する。
植物たちの放つエネルギーがとても強いのも、亀戸天神社の特徴である。

Z9 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
大きな画像
池には当然のようにカメが泳いでいる。
合格した受験生などがお礼に訪れた際に放ったものらしいが、どうしてもミシシッピアカミミガメの比率が高くなる。
それ以外にも何種類かのカメが生息するらしいのだが、何度か通ったが、大半がミシシッピアカミミガメで、たまにクサガメを見る程度であった。

Z9 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
大きな画像
クサガメの夫婦(?)が寄り添って日光浴をしていた。
クサガメ同士で集まるのは、やはりアカミミガメと対立があるのだろうか。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
神童と言われた菅原道真公の五歳の頃をイメージしたブロンズ像。
1977年の御神忌1057年大祭記念に奉納されたもの。
「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」
という五歳にして詠んだ和歌が台座に刻まれている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
大宰府で菅原道真公が903年に亡くなった際、黒牛の引く牛車に乗せて亡骸を運んだが、安楽寺の前で牛がうずくまり、どうしても動かなくなったという。
そのため遺体をそこで埋葬し、やがてその場所に社殿が建立され、大宰府天満宮になった。
道真公は牛と縁が深く、全国の天満宮には座した牛の像がある。
この神牛座像は1961年に鎮座三百年祭の時に奉納されたもの。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
境内にある鷽(うそ)の碑。
亀戸天神社では1月24日、25日に木彫りの鷽の像を新しいもに取り替える「鷽替え神事」が行われる。
鳥の一種である鷽が、「嘘」に通じるところから、前年にあった悪いことを嘘として、本年は吉となりますように・・と祈願する行事で、全国の天満宮で行われている。
木彫りのものはその日限定であるが、普段も鷽の鈴(下の画像)や御守りなどが授与されている。

(iPhone 13 Pro)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
境内の能楽堂は普段は戸が閉められている。
たまたまこの日はお祭りの前日で内部を見ることができた。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
菅原道真公ゆかりの梅の木が描かれた素晴らしい能楽堂内部。
パッと華やかな印象を受ける。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
亀戸天神には狛犬さんがいないな・・と思っていたが、能楽堂の裏に「おいぬさま」と呼ばれる謎の狛犬さんがいると知り、慌てて再訪した。
神社としてもはっきりとした由緒が分からないようだが、ちゃんと小さな祠の中に置かれており、なぜか塩まみれになっている。
ネットで調べると、江戸時代の絵画には摂末社の妙義社(御嶽社)に狛犬さんが描かれており、震災などで破壊され、片方だけ残って神社の隅に置かれているうちに、信仰の対象となっていったのではないかという。
塩で体の悪いところをさすると効く・・ということのようだが、これが自然発生した信仰だとしたら、大変興味深いことだ。
顔が見えなくなるほど大量の塩がかけられており、熱心な信者がいることが分かる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
ちょうど例大祭が行われており、お神輿が蔵から出ていた。
周辺の氏子地域でも、お祭りの格好をした人たちが、数人でお神輿を出す場面に遭遇した。

Z9 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S
大きな画像
境内にいくつかある摂末社のうち、もっとも大掛かりな作りの御嶽神社。
道真公の師であったと言われる法性坊尊意僧正が祭られているが、話は伝説が基になっているようだ。
「卯の神」として知られ、江戸時代からこちらの参拝は大変人気があったという。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
亀戸天神社の境内西側にある懐石料理店の若福。
こちらでお土産に厚焼き玉子を買って帰る。
薄く甘味をつけた上品な味の卵焼きだ。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
亀戸天神社から蔵前橋通りに戻ると、数軒先にくず餅の船橋屋の亀戸天神前本店がある。
船橋屋のくず餅はポピュラーで、あちこちで売られているが、本店の喫茶ルームで食べるくず餅は、やはり新鮮で美味しい。
混んでいて入れない時は、くず餅をお土産に買って帰る。
片手に若福の厚焼き玉子、片手にくず餅・・というわけであるが、くず餅はずっしりと重いので、リュックに入れて運んだほうがいい(笑)
神田神社(神田明神)

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
東京十社のウエブサイトを見ると、最初は根津神社、次は神田神社がくる。
当初は、歩いて回る時のおすすめのコースの順番に基づいているのかな、と思っていた。
しかしよく見ると、十社の専用ご朱印帳などの順番とは違っている。
それほど気にしなくていいのかな・・・
とりあえずこのブログでは、東京十社のサイトに合わせようと考えているが、今後の訪問日程により変更があるかも知れない。
明治4年に名称を神田神社に改称したが、江戸時代から現代に至るまで、誰もが「神田明神」の名前で呼ぶ。
神社のサイトを見ても、自らを神田明神と名乗っている。
その方が馴染みのある呼び方なのは確かだ。
ただし東京十社のサイトなどでは、正式名称の神田神社の方を使っている。
JRの御茶ノ水の駅からだと、聖橋を渡り湯島聖堂の角を曲がれば、5分ほどで到着する。
ただ見所の多い道なので、つい寄り道してしまい、実際にはもう少しかかるかもしれない。
僕の場合は、学生時代から秋葉原中心に活動していたので(笑)、ダイナミックオーディオなどに顔を出してから、散歩しているうちに辿り着くパターンだった。
あれっ、こんなところに立派な神社があるぞ・・ああ、これが有名な神田明神か・・という感じである。(ついでに甘酒を飲む・笑)
あの辺りは立体的な地形になっていて、急な坂が多く、もう一本神田川沿いの道を行ってしまうと、一段低いところに出てしまい、辿り着けなくなる。
神田明神の氏子地域は広大で、神田、日本橋、大手町、丸の内、豊洲魚市場、そしてお隣の秋葉原と、東京の東側の中心部に集中している。
さらには江戸三大祭りのひとつで、現在も盛大に行われている神田祭が、神田明神の祭礼となっている。
いろいろな意味で、華やかで大きい神社と言えるだろう。
御祭神は一之宮が大己貴命(おおなむちのみこと)、二之宮が少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして三之宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。
創建は730年で、最初は現在の大手町の平将門の首塚のある辺りに建てられたという。
その後移動し、1616年に現在の地に移されたのだが、江戸城の鬼門としてこの場所が選定された。(裏鬼門は日枝神社)
もともとパワーの強い平将門を祀る神社であり、現在の大手町の将門塚も神田明神の氏子地域に含まれている。
いかに重要な神社であるかは、以上のエピソードで分かると思う。
境内には多くの摂末社がある。
末廣稲荷神社、三宿・金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、水神社(魚河岸水神社)などが、御神殿を囲むようにずらっと並ぶ。
それぞれのお社に狛犬さんやキツネさんがいて楽しい。
神田明神で驚かされるのは、考え方が柔軟で新しい・・ということだ。
もともと電気の街秋葉原に隣接していることもあるのだろうが、IT関係の御守りや、御守りの自動販売機など、ちょっと面白いものを見ることができる。
新しいものをどんどん取り入れているのだ。
ネットでの情報配信も活発で、ウエブサイトもかなり充実している。
また数年前には境内にEDOCCOというホールなどを有する文化交流館をオープンし、そこで地域のお土産の販売店やカフェなども運用している。
オリジナルのガチャやアニメ作品とのコラボ商品など、本当に多岐に渡るものを扱っている。
(これは秋葉原の影響が大きいような気がする・笑)
お土産類も洗練されたものが多く、ついいろいろと買ってしまう。
長い歴史を持つ神社で、境内には古い建造物があるにもかかわらず、2000年以降に建てられた近代的なデザインのものも混在している。
一瞬戸惑いも感じるのだが、一方でこれだけ由緒ある神社にもかかわらず、その時代の新しいものをどんどん取り入れていく姿勢に感心させられる。
神社といえば、古くて伝統的なもの・・というイメージがあるが、実際には(かつてよりずっとそうであったように)神様は常に地域の住民とともにその時代を生きておられるのだな・・と実感させられる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
御茶ノ水の駅から出て聖橋を渡る。
三つの線が交わる鉄道マニアには有名な撮影スポットであるが、アニメ映画の影響か、最近は聖地巡礼の外国人観光客も橋の上に集まっている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
中山道沿いの参道入り口にある大鳥居。
銅板で覆われた鳥居をくぐると、緩やかな上り坂の先に隨神門が見えてくる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
都会の神社なので、周囲は近代的な建物ばかりである。
その中にある一際鮮やかな色の隨神門は、周囲とのコントラストにハッとさせられる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
神田明神は大正時代の関東大震災とその後の太平洋戦争の空襲で多大な被害を受け、境内の多くの建物を焼失している。
この隨神門も昭和50年に再建された比較的新しいもの。
松下幸之助氏の奉納。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
隨神門は外側に神社を守る隨神像を配しており、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神が安置されている。
加藤清正公が植えたという熊本城域内の樹齢500年の楠が使われているという。
写真は左側の櫛磐間戸神。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
内側から見た隨神門。
こちら側は左右に立派な神馬の彫刻が配されている。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
正面に国登録有形文化財の御社殿が見えてくる。
関東大震災でほぼ焼失してしまうが、昭和9年に当時としては画期的な耐火構造の鉄筋コンクリートで再建。
賛否あったようだが、結果としてその後の太平洋戦争の空襲の際にも、この御社殿だけは残ったという。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
御神殿前の狛犬さんはとても特徴的で立派である。
昭和8年5月に奉納されており、左右とも真正面を向いて睨みをきかせているのが特徴。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
とてもマッチョなのは、やはり神前守護としての力強さを表現しているのであろう。
筋肉の付き方も現代的である。
どこか劇画タッチであるが、昭和8年の制作であるから、こちらの方がオリジナルである。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
一方こちらはクラシカルなデザインの獅子山の子獅子。
獅子山は珍しい江戸期の石造物で、獅子が谷に子供を落とし、這い上がってきたもののみを我が子として育てる・・という逸話を造形化している。(関東大震災で崩壊し、子供の獅子は紛失してしまったそうで、こちらはその後新調したものかもしれない)
常に水がかかる状態で少し可哀想である。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
重さが30トンあるという石造りでは日本一というだいこく様の像。
昭和51年に完成した近代的なデザインの像で、一之宮の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)を、目に見える形にしたものだという。
現代的なデザインであるが、引っきり無しに参拝する人が訪れる。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
だいこく様の石像の横にある献燈には、紀元二千六百年と彫られていた。
明治政府が神話に基づいて作ったいわゆる皇紀で、1940年には建国2600年目と盛大に祝った。
余談であるが、零式艦上戦闘機はこの年に正式採用されたため零戦の名称になった。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
現在EDOCCOの延長部分に置かれている鍛金工芸のえびす様。
こちらは二之宮の御祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を具現化している。
大胆な造形は東京芸術大学学長の宮田亮平教授の制作。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
裏手にある摂末社のひとつ、末廣稲荷神社のキツネさんはスタイリッシュである。
顔つきがシャープで胸が反り返っている。
狼少年ケンに出てきそうだ(笑)
こういうデザインを見ると、製造者の思いや工夫が伝わってきて面白い。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
ユーモラスな表情で迎えてくれるのは、合祀殿の狛犬さんだ。
ちょっとオバQっぽい?(笑)
籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社、天祖神社、諏訪神社の七社を合祀している。
それぞれ江戸時代の神社であるが、震災、戦災で社殿を焼失し、神田明神の本殿を仮御座としていたが、平成24年に合祀殿が建立された。

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
大きな画像
平成30年にオープンした文化交流館のEDOCCO。
ホール、スタジオなどの設備も有する施設で、1階にはお土産ショップやカフェなどがあり賑わっている。
神社運営の新しい形と言えるだろう。

FUJIFILM X100V
大きな画像
御神馬の神幸号(みゆきごう)「明(あかり)」。
あかりちゃんの愛称で親しまれている。
夏の期間はどこかの牧場に避暑に行っているらしい。
暑いからね・・・
根津神社

FUJIFILM X100V
大きな画像
先日予告した神社仏閣の紹介シリーズ。
最初は根津神社にする。
東京十社の紹介のページでも、一番最初に来る神社なので、その順番に合わせることにした。
またブログ記事のカテゴリーにも、新たに「神社仏閣」という項目を設けてみた。
基本は簡単な説明とその神社で撮影した画像数枚を載せる予定。
画像はすでに使用したものや、これから使用するかもしれないものも、気にせず混ぜることにした。
あまり形式にこだわらず、再訪した折には、同じ場所を再度掲載するかもしれない。
神様は人が参拝に集まることを喜ばれるそうなので、こちらを見た方々が少しでも神社仏閣に足を運んでいただければと思う。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
根津神社は、地下鉄の根津の駅から歩いて5分程度の場所にある。
いくつかの駅から同じくらいの距離にあるが、根津駅からだと正面の表参道から入るコースになる。
神社内には池があり、カメやコイがのんびりと泳いでるのが見られる。
以前南側に大きな池があったが、現在は森鴎外の旧邸宅の移築のため、水が抜かれて工事中になっていた。
東京(帝国)大学が近い事もあり、かつては付近に文豪たちが多く住み、夏目漱石や森鴎外も氏子であったという。
境内には彼らが散歩の際に腰を下ろしたという文豪の石がある。
根津神社で有名なのは、何と言ってもつつじ苑であろう。
春に開催されるつつじまつりの期間中のみ、有料でつつじ苑に入ることが出来る。
100種3,000株のつつじの壮観な光景が楽しめる。
根津神社の歴史は、1900年前に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷征定の際に千駄木の地に創祀したのが始まりとされている。
その後、文明年間(1469~87)に太田道灌が社殿を奉建したというが、その当時の場所は今の千駄木の団子坂であった。
現在根津神社のある場所は、甲州徳川家の江戸藩邸があったが、五代将軍綱吉が屋敷地を献納し、現在の社殿を奉建した。
ここは六代将軍家宣の生誕の地でもある。
根津神社では祭神として須佐之男命(スサノオノミコト)、大山咋命(オオヤマクイノミコト)、誉田別命(ホンダワケノミコト)で、相殿では大国主命(オオクニヌシノミコト)、菅原道真公(スガワラミチザネコウ)が祀られている。
5柱の神様で御神徳も多岐にわたる。
明治時代に神仏分離令によって社名を根津権現社から根津神社に改称、明治天皇より准勅祭社と定められ、現在の東京十社に繋がっている。
ただ昭和20年1月の空襲で建物内部が甚大な被害を受けたそうで、修復に昭和30年代までかかっている。
境内には乙女稲荷と駒込稲荷のふたつの摂末社(その神社の管理下にある小さい神社)があり、乙女稲荷には千本鳥居の参道が繋がっている。
こちらの稲荷でも、かなり霊気の強いキツネさんが迎えてくれる。
神社の歴史を見てきたであろう境内の巨木が、写真を撮って、神社の姿を後世に残しなさい・・と話しかけてきたような気がした。
FUJIFILM X100V
大きな画像
表参道鳥居左手の社号碑。「元准勅祭」と書かれている。
FUJIFILM X100V
大きな画像
重要文化財の楼門。二階建てになっているのが特徴。向かって右側は水戸黄門と言われている。
FUJIFILM X100V
大きな画像
楼門から入ると右手にある舞殿。社伝神楽「三座ノ舞」などが奉納される。
FUJIFILM X100V
大きな画像
唐門をくぐると、りりしい顔をした狛犬さんたちが迎えてくれる。
FUJIFILM X100V
大きな画像
お詣りする拝殿は重要文化財で、五代将軍徳川綱吉が奉納した権現造りの建物。拝殿の奥には幣殿、本殿がある。
FUJIFILM X100V
大きな画像
周囲の透塀を通し拝殿を横から見たところ。何か強い力を感じさせる。
FUJIFILM X100V
大きな画像
4月にはつつじの花で華やかに染まるつつじ苑。つつじまつりの期間中は100種3,000株のつつじの花が楽しめる。
FUJIFILM X100V
大きな画像
つつじ苑の横に立つ巨木が、話しかけてくれたような気がした。ここで長い歴史を見てきたのであろう。
FUJIFILM X100V
大きな画像
乙女稲荷への道は千本鳥居を通って行く。海外からの観光客をはじめ、大勢の人が写真を撮るスポットだ。
FUJIFILM X100V
大きな画像
乙女稲荷は舞台造りになっており、池のある景観を上から眺めることができる。
FUJIFILM X100V
大きな画像
奥にひっそりとある駒込稲荷。根津神社が千駄木から遷座する前からの守り神。霊気溢れるキツネさんたちが迎えてくれる。