もうすぐ


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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デパートの売り場の前を通ったら、店頭にバブアーが飾ってあった。
もう秋物に入れ替わっている。
まあ当たり前か・・・
まだちょっと暑くて着られないけどね(笑)

週間天気予報を見ると、この後も30℃前後まで上がる日が続いている。
湿気があるので、それなりに暑く感じるであろう。
台風も来ているみたいだし・・・

バブアーは、やっぱり20℃以下にならないとね。
でもいずれにしても、もうすぐブーツとバブアーのシーズンがやってくるな。
これで写真を撮りに行っても、汗だくにならないで済む。
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贅沢な時間


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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那須では、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で、この地に立ち寄った際に詠んだ句が、今でも有名である。
しかし芭蕉は江戸時代の初めの頃の人であり、見方によってはそこまで古い話ではない。
芭蕉自身には、平安時代から鎌倉時代にかけて、この地域を旅した西行法師への思いがあったと言われている。
実際、奥の細道の旅は1689年であるが、これは西行法師の500回忌の年に行われた。
一方その西行法師は、さらに遡る平安時代中期の歌人・能因法師がみちのくを旅して詠んだ句を意識していたという。

その時点で、すでに過去に思いを馳せ、懐かしむことが旅の目的になっているのだ。
まあ現代で例えるなら、一種の聖地巡礼とでも言うか・・・
恐らくその頃は、精神世界は今より重要視されていたであろう。
先人たちがその場所に立ち、何を感じたかを想像し、共感することが大切な事だったのだ。

考えてみれば、僕の先祖にあたる国学者も、旅に出ては地方の様々な地域を見て周り、随筆を書き残している。
その土地の風俗・習慣などを記録して、広く世間に伝え、後世に残すことに、価値を見出していたのだろう。
現在のように情報に溢れていたわけではないので、当時の人達には、純粋に読み物としても面白かったのかもしれない。

調べてみると、江戸時代や、明治維新の神仏分離令の時代に、こういった神社について調査をした文献が残っている。
当時の小さい祠までもが記載されている。
面白いと思ったのは、Mrs.COLKIDの実家のそばの小さい神社について、特徴が次のように書かれていることだ。
「たくさんの古い杉の木々が天に向かってそびえ立ち、ひっそりとしていて、風流なおもむきを感じさせる」(現代語に訳した)

これは、今僕がその地に立って受ける印象と、まったく変わらないではないか!
誰も来ない静かな空間で、巨木に囲まれた幽玄な世界である。
昔の人たちも同じように感じていたのか・・・

恐らく拝殿などは、当時と比べて作り替えられているであろう。
あれだけ湿気に満ちた場所で、増してや風雨に晒されていては、木製の建造物はそう長い年月はもたない。
石で作られた灯篭も、調べてみると弘化三年(1846年)のもので、それほど古いものではない。
やはり形あるものはいつかは失われる・・ということだ。

だがこの地で感じられる霊気は、昔と変わらないはずである。
長い年月が重なり、人の思いが込められ続けられた分、むしろ強化されているかもしれない。
ひとりでその場に立つ時間が、何とも贅沢なものに感じられた。
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黒い靴


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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那須で葬儀に参列した。
当然のように、黒の内羽根式ストレート・チップを履いていった。
アレン・エドモンズのパーク・アベニューだ。

しかしご存知の通り、今時そんなしきたりにこだわる人はいない。
今や黒い色の靴なら何でもいい感じだ。
日本独自のやり方で、新たな決まりが出来上がっているようにも見える。
生活に合うように合理的に変化させていくのだ。

挨拶で頭を下げるたびに、相手の靴に目が行ってしまう。
今回はアッパーが黒くてもソールが茶色い靴を履いている人が数人いた。
また飾りの入ったクォーターブローグを履いている人もいた。
それどころか、黒いズックのような靴を履いている人もけっこう見た。
驚いたのは、ストレートチップを履く人をほぼ見なかったことだ。

こうなると僕も、今更ストレートチップが正しいなんて言えない。
今や圧倒的に少数派であり、逆にストレートチップの方がおかしい・・と言われかねない。
確かに一人だけ正式な格好をすると、まるでコスプレのようにも見える。

マナーがどうの・・なんて言っているうちに、式典のあり方が変化しているようだ。
大事なのは故人を偲ぶ気持ちであり、そういう場でしきたりがどうの・・なんて言う方がおかしい。
そもそも洋装自体が海外から入ってきたものなので、自分たちに合わせて変化させることに、それほどの抵抗は無いのだろう。

あと何年か経ったら、革靴を持つ人も減るだろうし、黒っぽいスニーカーが主流になるのかもしれない。
各社も葬儀専用の漆黒のスニーカーを出すのではないか。
いや、それ以前に葬儀自体やらなくなるのかも・・・
僕ももうどうでもよくなってしまい、アレンを那須の実家に忘れてきてしまったよ(笑)
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喪服


Z9 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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先週末、急遽喪服が必要になった。
しばらく着ていない。
会社のロッカーに何着かあるのだが、出してみると、どれも冬服ばかりだし、何だか形も古い。
自宅に夏服が一着あったはずだと思い、帰宅後にクローゼットから出してきた。

そうだ、白いワイシャツが必要だ。
仕事で着るワイシャツは、多くは色や柄が入っており、真っ白なものは少ない。
手持ちのものを探したが、白いワイシャツは2着しかなかった。

それを着ようと思ったら、どちらも襟の部分が変色している。
洗濯屋に出したのだが、かえって失敗だったか。
戻ってきた当初は真っ白なのだが、しばらく時間が経つと変色してしまうのだ。

何でもドライクリーニングでは汗が落ちないらしい。
しかも洗濯用の使い古したオイルが入ってしまい、時間が経つと酸化しはじめる。
うるさい人は、白いワイシャツは自宅で水で洗うのだそうだ。
(もっとも洗濯屋で高い水洗いのコースにすればこんなことは無いのだろうが・・・)

これはダメだ・・ということになり、新しいものを日本橋のデパートに買いに行った。
時間が無いので既製品を買うしかない。
今の流行なのか、あるいは僕の体形が変わったからか、少しゆったりしたシルエットのものになった。
価格は1万数千円であった。

家に帰り、買ってきたワイシャツを着て、喪服を着てみた。
あれっ、このズボンなんか変だぞ。
痩せた事もあるのだろうが、形も古臭くて、ダボダボで見ていておかしい。

これもダメだ・・ということになった。
もう時間が無いので、自宅前のスーパーのスーツ売り場に行った。
フォーマルウエアのコーナーがあるが、喪服の種類は少ない。
夏用は少し前に引っ込めてしまったらしく、今あるものはオールシーズンだという。

価格も安かったが、時間が無いので、とりあえずこれでいいや・・という事になった。
真っ黒だから、安っぽくても分からないだろう。
ズボンの裾を今日中に直してくれるというのでお願いした。
価格はこれも2万円弱で、デパートで買ったワイシャツとそれほど変わらなかった。

あとは靴、黒いネクタイ、黒い靴下、白いハンカチ、お数珠・・・それに銀色の地味な腕時計も必要だな・・・
靴はいつものアレンのパーク・アベニューを出してきて軽く磨いた。
時計はグランドセイコーは電池切れだったので、ジャガールクルトのアンティークにした。
さて・・これで忘れ物はないかな・・・
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逆立ち


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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昨日より那須の実家に行っていた。
先ほど帰ってきた。

これは(一部で)有名な、那須のとある神社にある、逆立ちした狛犬さんだ。
有名と言っても、車で行くのが困難なほどの畦道の奥に神社がある。
その先に進もうとしたら、途中で道が途絶えてしまい、已む無くユーターンして戻った。

そういう場所なので、人は滅多に来ない。
しかも今日は、雨がシトシトと降っていた。
誰もいない神社は、霊気が満ち溢れていた。

その上、木々と田畑に囲まれた神社には、蚊がいっぱいいる(笑)
たまに人が来れば、当然蚊は喜んで来襲する。
現地はもう涼しかったが、それでも蚊は活発であった。
ボコボコにされた(笑)

でもこの大胆なデザインの狛犬さんは、やはり撮る価値はある。
蚊に刺されるのを無視して撮影した。
お陰で顔や腕を何ヶ所も刺された。

逆立ちした狛犬さんは、全国に一定数いるようだ。
この狛犬さんは、昭和になってから作られたようだが、なぜこんなにアクロバティックな格好をしているのだろうか。
きっと嬉しくて、歓迎してくれているのだろうが・・・
また来るからね・・と言って神社を後にしたが、次回はもう少し涼しくなって、蚊がいなくなってからだな(笑)
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35mm


Z9 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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休日に久しぶりに、ニッコールZの35mmf1.8を持ち出してみた。
一番最初に出たZマウントのレンズである。
このレンズの画質を見て、新しいZマウントの威力に驚かされたのを思い出す。

その後ニッコールZの50mmf1.8が出て、さらに上を行くシャープな画質に感嘆した。
50mmf1.8は、こと解像度に関しては、50mmf1.2に負けていない。
それと比べると、最初に出たこの35mmf1.8が、少しソフトに感じられるほどであった。

神社仏閣の写真を撮るようになり、もう一度各レンズの画質・・というか適性を見直す必要が生じた。
実は50mmf1.2が圧倒的によく写るので、そればかり使っているが、もう少し広い範囲が写るレンズも欲しい。
そこで久しぶりに35mmを持ち出したわけである。
このレンズはもっぱらZ7の時代に使っていたので、Z9と組み合わせるのは初めてかもしれない。

一日撮りながら歩いてみたが、画質に関しては予想以上にいいな・・と感心した。
ファインダーを覗いていても、シャープで切れがいいのが分かる。
やはり組み合わせるボディの影響って大きい。
Z9と組み合わせると、今までと違う力を発揮しているのが分かる。
画像処理エンジンも新しくなっているし・・・

このレンズの印象が少し変わった。
検証はこれからだが、50mmf1.2とまではいかなくても、神社仏閣向きであるといいな・・・
何せ全然軽くて楽なのだ(笑)(50mmf1.2より700g以上軽い)
Zマウントの35mmは、最近よりソフトなf1.4が出たが、Sラインのf1.8の性能の高さも見直すべきだな・・と思った。
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お花


Z9 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

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墓参りに行った。
その前にいつものお花屋さんに電話したのだが、電話に出なかった。
Mrs.COLKIDがお店まで行ってみると、シャッターが閉まっていたという。

お彼岸に店を開いていない?
そんな事があるだろうか・・・
もしかしてお店をたたんでしまったのか。

仕方なくスーパーで花を買ってきた。
どこにでもあるお花になってしまい、かなりガッカリした。
いつも特別センスのいいお花を作ってくれるお店だったので、もし今後手に入らなくなるとしたらショックである。
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高額ガチャ


Z9 + NIKKOR Z 20mm f/1.8 S

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先日価格の高いガチャを集めていることを書いた。
バンダイが出している「いきもの大図鑑アドバンス」の「カメ01」というガチャなのだが、1個1,500円もする。
そのために500円玉を貯めていることも書いた。

このカメのガチャであるが、4種類ある。
具体的には、ミシシッピアカミミガメの色の濃いものと薄いもの、クジャクガメ、フロリダレッドベリーである。
型は一緒で、塗装だけ変えて違うものにしている。

すべてヌマガメ科なので、同じ型で済んでいるのだろう。
今後この高価なアドバンスのシリーズで他のカメが出るとしたら、どうやるのかには興味がある。
可動部の多い凝った作りなので、型を変えるのはコスト的に難しいだろうし・・・

ところで1,500円という価格であるが、この価格帯のものを、何が出てくるのか分からないガチャでやるのは、ちょっと厳しいなと思った。
4種類あるわけだが、当然全種類を揃えたくなる。
何回かやれば揃うだろうと思い、500円玉を貯めてトライしたわけであるが・・・

なぜかクジャクガメとレッドベリーばかりで、ミシシッピアカミミガメが出てこないのだ。
驚くなかれ、5回やって出てきたのはクジャクガメ3匹とレッドベリー2匹であった。
日本中の河川には、ミシシッピアカミミガメが溢れているというのに、ここではまったく出てこない。

一回に1,500円かかるので、5回で7,500円も使ったことになる。
それで何度も同じものが出てくると、さすがにガックリくる。
欲しいものと違うものが出た時のショックが、金額の分大きいのだ。
ちょうど500円の3倍といって過言ではない(笑)

試しにフリマのサイトを見ると、けっこう沢山出ているではないか。
しかもそこでも、何故かアカミミガメの価格だけ高くなっているのだ。
クジャクガメとレッドベリーが千円台なのに、アカミミガメの2種は2千数百円・・が相場になっている。

嫌われ者のミシシッピアカミミガメとは思えない現象である。
もしかして、もともとアカミミガメのフィギュアの数が少ないのではないか・・・

どうもカメのフィギュアの世界では、ミシシッピアカミミガメが一番の人気らしい。
過去に飼っていた人が多くて、身近であるために、フィギュアとしてのリアリティが理解されやすいのだろう。
正直なところ、一番最初にミシシッピアカミミガメが出ていれば、僕もそこで止めたかもしれない。
まあ、クジャクガメとかはいらないかな・・という気持ちになったような気がする。
そう考えると、上手く引っかかったような・・・(笑)

試しにアマゾンで見てみると、4種類すべてのセットが7,500円で出ている。
一体当たり1,875円か・・・
ガチャだと1,500円だから、少し割高にはなっているが、目的と違うものばかりが次々に出ることを考えると、アマゾンの方がはるかに安い。
最初からこちらで買ったほうがよかったな・・・

結局、個人間売買を利用して、不足分を揃える形になった。
全部揃うと、やはり壮観である。
僕以外にも欲しくなる人が出るように、画像を載せておこう(笑)


(iPhone 13 Pro)


(iPhone 13 Pro)
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新しい店


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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出先から、いつものマッサージ店に電話した。
疲れているので、このままお店に立ち寄って、施術してもらえないかと思ったのだ。
ところが予約がいっぱいで、次に空いているのは、夜の回になってしまうという。

やはり連休中は混んでいるようだ。
どうしたものかな・・・
と思いながら歩いていると、ちょうど目の前に整体のお店がある。
しかも店員さんが店先に立って、客引きをしている。

聞くと、今ならすぐ施術出来るという。
金額もそれほど高くはない。
辛かったので、ここでいいやと思い入ってみた。

そうしたら、物凄く効いた。
論理的にどことどこの筋肉が繋がっているから・・とか解説しながらやってくれる。
いつもと違うアプローチだ。
しかもけっこう強めに揉んでくれる。

えらく効いて、身体が一気に軽くなった。
帰宅後にグロッキーで、ベッドでちょっと寝たら、そのまま夜まで起きなかった。
11時過ぎに起きて、ここを書いている。

たまには他のところにも行ってみるべきだと思った。
ちょっと遠いので、通うのは難しいけれど・・・
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品質低下


Z9 + NIKKOR Z 20mm f/1.8 S

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知人がイタリアの小型車が好きで、同じ車を過去に数台乗り継いでいる。
会うたびに同じ車の色違いに乗っているので驚かされる。
どうしたのと聞くと、新しいのに買い換えたのだという。
でも同じ車じゃないか・・とも思うが、まあよほど好きなのだろう。
同じ車種ではあるが、一応買うたびにグレードは上がっているらしい。

何分イタリア車なので、数年乗ると壊れる確率も高くなっていく。
急に動かなくなって大変だった・・という話も過去に何度か聞いている。
修理して長く乗るより、2、3年で新車に買い換えてしまった方が、かえっていいのかもしれない。
特に最近買っているのは、メーカーが特別にチューニングしたモデルなので、その分神経質でもあるだろうし・・・

ところでそのメーカーから、今後は電気自動車に切り替わり、ガソリン車はこれで完了する・・という通達が来たという。
そこで知人は、最後にもう一台、ガソリン車の方を購入することにした。
とりあえず一番上のグレードのモデルを選んだという。
今まで乗っていたモデルより、ひとつ上のグレードになる。

届くのに数ヶ月かかった。
最初に見た時は、今までと同じ色の車だったので、新車に変わったのに気付かなかった。
買い替えたと言われ、前回と同じ色じゃないか・・と言うと、実際には微妙に違っていて、少し深みを増した色になっているのだという。

問題が起きはじめたのはそれからであった。
使い始めると、各部の仕様が今までと違うことに気付き始めた。
そこに入っているはずの油圧シリンダーが省略されていて、蓋がバカーンと音を立てて閉まってしまったのが最初であった。

初めて乗る車であれば、そんなものと思うのかもしれない。
しかし知人は過去に同じものに数台乗っているので、細部までよく分かっている。
まさかそこに油圧シリンダーが入っていないとは思わず、勢いよく閉めてしまったのだ。

それ以降も、そういう箇所が次々に出てきた。
あちこちのパーツの品質が低下、あるいは省かれているのが分かった。
コストダウンというか、手抜きというか・・・

本国での物価が上がりすぎて、今までの金額では同じ品質のものは作れなくなっているのであろう。
その上ガソリン車はこれで最後なので、なるべく新たにパーツを発注したくない。
とにかく工場にあるパーツをかき集めて、最後の受注分だけ何とか組み上げた・・という印象を受けた。
さすがの知人も、今回は失敗だった・・と言っている。
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500円玉


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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高級なガチャ・・というのがある。
グレードの高い、凝った作りのフィギュアなどが出てくる。
その中のカメのシリーズを集めている。

価格が何と1,500円もする。
可動部も多いし、品質から言えば、このくらいして当然ではある。
ただガチャをやるのに、500円玉が3枚必要になる。
500円玉って貯めておくものでもないので、なかなか財布の中に3枚揃うことがない。

ここは意識して、500円玉を貯めるしかないだろう。
このガチャをやるために、お釣りなどで貰った500円玉を、なるべく使わないでキープしておく習慣が出来た。
500円玉を出せば済む買い物でも、100円玉をかき集めたり、千円札でお釣りを貰ったりするのだ。
お釣りも500円玉で欲しいので、小銭を混ぜてキリが良くなるよう調整したりする。

このガチャのマシンが置いてある場所も限られてくる。
子供が買える金額では無いので、子連れの家族などが集まる場所にはない。
ガチャのマニアを対象としているので、大量のガチャのマシンが揃っている、ガチャ専門の売り場に行く必要がある。
普段から500円玉を貯めておいて、そういうところに行く機会があれば、一気に使うのだ(笑)

先日地元のスーパーの売り場でマシンをみつけ、早速このガチャをやろうとした。
500円玉を入れたところ、1枚目は入ったのだが、何故か2枚目以降は返却口から出てきてしまう。
何度やってもダメだ。
マシンの内部がよく見えないのだが、売り切れで在庫が無いのかもしれない。
意外に人気があるのかな・・・

と思ったが、別のデパートのガチャの広場でも同じ事が起きた。
そこの機械は内部が見えて、まだカプセルがいくつか入っているのが分かった。
どうなっているのか・・・
ガチャの売り場を担当をしている若い茶髪の女の子を呼んで、500円玉を入れても出てきてしまうことを伝えた。

するとその子は、恐ろしく手馴れた手つきで、ガチャのマシンをスピーディーに分解して、コインの通り道を何度か動かした。
スマホを打つのと同じスピードだ(笑)
感心しながら見てしまった。
そして再度組み上げて、もう一度その500円玉を入れた。

しかし、やはり出てきてしまう。
コインを見せてくれと言うので渡すと、それを持って事務所の奥に行ってしまった。
そして別の500円玉を持ってきて、そちらを使えと渡された。

そちらの500円玉を入れたところ、問題なくガチャが動いて景品が出てきた。
え・・なぜ?
もう一回やろうと、貯めておいた500円玉を入れてみたところ、やはりダメなものがある。
上手く受け付けるものと、スルッと返却口に出てきてしまうものに分かれるのだ。
女の子に渡すと、また事務所に行って、いい500円玉と替えてくれた。

「昭和のやつはダメなのよ」
急にその子が言った。
え・・し・・昭和のヤツは・・ダメ・・・?

どうやら昭和時代に発行された500円玉は、機械が受け付けてくれないようだ。
Wikipediaで調べてみると、一般的な500円硬貨は、1982年(昭和57年)に発行された白銅貨、2000年(平成12年)から発行されたニッケル黄銅貨、2021年(令和3年)から発行されているバイカラー・クラッド貨の3種類が存在しているという。
500円玉は世界的に見ても高額の硬貨であるため、通貨変造事件が相次ぎ、何度もデザイン変更を余儀なくされたらしい。

ニセ硬貨をはじくためにアップデートした結果、古い500円玉が使えない機械が出ている・・ということのようだ。
というか、古い硬貨はもう見捨てたのだろう。
恐らく昭和57年から平成12年までの白銅貨に対応していないと思われる。

それにしても500円玉って、もう世の中に出てから40年以上経っているんだね。
そちらの方にも驚いたよ。
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小さな祠


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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久しぶりに那須に行き、実家の裏手にあるお気に入りの神社や、車で数分の場所にある神社に行ってみた。
最近神社仏閣についていろいろ調べていて、こちらも少し神社に関する知識が増えている。
今まで何気なく立ち寄っていた神社も、今になって見直すと、いろいろと新しい発見がある。

那須のような山奥でも、神社仏閣は意外なほど多い。
しかも観光客に知られていないところも多く、誰もいないので、ゆっくりと過ごすことができる。
撮影する者にとっては天国である。
海外から日本の神社仏閣を見に来る人がいるというが、確かに日本はこういうものの宝庫と言えるのだろう。

那須の実家の周辺を調べてみると、小さくてもそれなりに歴史のある古い神社が多い。
東京の場合だと、本格的に発展したのが、徳川が広大な面積を埋め立てて都市を作り上げてからになる。
創建された年代は古くても、江戸時代に幕府の保護を受けるようになってから、一気に大きくなっていった。

一方那須の地元の史跡を見ると、道端にあるようなものでも、平安時代くらいに作られた・・といった話が出てくる。
まあ考えてみれば、あちらの神社仏閣は、東京のように資金が投入されず、最初の頃の小さい状態のまま変わっていない・・とも言える。
戦災や大火などの災害に遭う事も少なく、昔のものがそのまま残っているのだ。
東京の大きな神社だって、江戸時代に発展する前は、案外このくらいの小さな祠だったのかもしれない。

実家の裏にある神社は、集落の家々に囲まれた奥にひっそりとあって、まるで隠されているかのように、外部からは見えない。
その特異な立地のためか、あまり一般に知られていないようだ。
いつ行っても誰もおらず、シーンとしていて、ただ強烈な霊気に溢れている。
僕にとっては、ある意味とても贅沢な撮影スポットになっている。
(まあ蚊が多くて参ってはいるのだが・笑)

ネット上で、明治時代にまとめられた、この周辺の神社についての資料をみつけた。
それによれば、この神社は1500年代初頭に作られたものであると書かれている。
あまり古いものではないが、それでも江戸時代より前の戦国時代である。

もちろん建て替えや修繕などは、何度か行われてきたのだろうが、石で作られた建造物などは、もしかすると創建当時のものもあるかもしれない。
何でも当時の城主により、離れた集落にある神社より分霊、造営され、(その地にいた?)ある家族が世襲で社務を司るよう命じられたという。
その名残りで、Mrs.COLKIDなど地元の人達が、その家の事を今でも「禰宜(ねぎ)様」と呼んでいる。

また神社に隣接した小山の頂上にも、小さい祠がある。
Mrs.COLKIDが小さい頃は、その小山の頂上から、何メートルもある急な階段を、自作の橇で滑り落ちるという無茶な遊びが流行ったそうだ。
調べてみると、その小さな祠までが、神社としてリストに載っていた。
確かに神様を祀ってはいるのだが、足元ある本当にごく小さい祠なのだ。

そういうものが、周りに沢山あることに、今更ながら気付いた。
Mrs.COLKIDの実家周辺の狭い集落の中だけでも、リストに載る規模のものが五つくらいはある。
しかも少なくとも数年前までは、それらの祠や神社に、御祭日に年寄りが集まって拝んでいたという。
そうやって地元の人達に長年大切にされてきたのである。

明治時代に調べてまとめた資料では、もっと沢山あったらしいのだが、現在はどこにあるのか分からなくなったものも多い。
つまりこの百数十年で、どんどん失われている・・ということだ。
理由は簡単で、面倒を見る人がいなくなったのだ。
手入れをする人がいなければ、風化して朽ち果てていくし、やがて草木に覆われてどこにあるのかも分からなくなる。

Mrs.COLKIDによれば、田舎では仕事がなく、食べていくことが難しくなったからだという。
田舎が嫌いなのではなく、生活するための収入が得られない・・という理由で、人々が田舎を離れていくのだ。
実際、実家の周辺の家々も、後継者の世代が、どんどん家を出てしまい、集落からいなくなっている。

先ほどの禰宜様の家でも、次を継ぐ人がもういないのだという。
あの厳かな雰囲気を楽しめるのも、あと数年のことなのかもしれないな・・・
悲しい事であるが・・・
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20mm


Z9 + NIKKOR Z 20mm f/1.8 S

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那須には家の用事ででかけたが、合間に撮影もしようと思い、一応レンズを何本か持っていった。
結局各レンズを使うほどの時間は無かったのだが・・・
重くて大変だった・・という印象しか残っていない。

最近は神社の写真を中心に撮っているが、どうもレンズによって、しっかり写るものと、あまり写らないものがあることが分かってきた。
何が理由なのか、まだ法則性などは分かっていない。
レンズの光学系の構造が影響しているのかもしれないし、単純に画角が自分に合っているかどうかだけの話なのかもしれない。

どのレンズが適しているか、まずは手持ちのレンズを、順番に試していく必要がある・・と考えている。
(Fマウントのレンズも含めると膨大な数になってしまうのだが・・・)

今回久しぶりにニッコールZの20mmf1.8を持っていった。
まずは新しいZレンズから試していく。
考えてみれば、Z9と組み合わせるのは、初めてかもしれない。
それで那須の実家の近所を歩き、何枚か撮ってみた。

個人的には広角は苦手で、どうもしっくりこない。
頭の中に自分の撮りたい構図があり、それに合わせようとどんどん被写体に近付いてしまい、広角ならではの良さが消えてしまうのだ。
この写真は他のレンズで撮るべきだったのではないか・・という写真になってしまう。
そのため今回は、広角系であることを生かすべく、構図は我慢して、なるべく引いて撮影した(笑)

考えてみれば、高校生の時に最初に買ったレンズは、当時のニコンのAiニッコール50mmf1.2であった。
それ1本だけで何年か撮っていたので、あのレンズが自分の原点になっている。
それで今もニッコールZの50mmf1.2ばかり使っているのだ。
圧倒的に好きなレンズである。

その後叔父から、次は広角を買うといいよ、とアドバイスを貰い、28mmf2.8を購入した。
広い範囲を写せることが新鮮に感じられて、さらに広角を・・という事で、24mmf2.8も購入した。
もちろん当時なので、Aiニッコールのマニュアルレンズの頃である。

念願の20mmを初めて購入したのは、たしかAFニッコールになってからである。
最初は面白がっていろいろ撮っていたのだが、一風変わった写真にはなるのだが、必ずしも自分に合った画角ではないな・・と感じ始めた。
ただ、広いエリアを写す必要がある時に、重宝したのは確かなのだが・・・

ニッコールZになって単焦点の超広角も1本欲しいと思い、20mmf1.8を購入してみた。
が、何回か撮影してみて、それきり使っていなかった。
やはりこれは僕が普段使う画角ではないね(笑)
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富岡八幡宮


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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富岡八幡宮は深川八幡宮とも呼ばれ、庶民から「深川の八幡様」と親しまれてきた江戸最大の八幡宮である。
場所は江東区富岡にあり、最寄りの駅は「門前仲町」になる。
東西線の門前仲町の駅からすぐであるが、大江戸線の門前仲町だと少しだけ歩く。

ご祭神は主祭神として応神天皇(八幡神)。
相殿神として神功皇后、仁徳天皇、天照皇大神、常磐社神、武内宿祢命、日本武尊、天児屋根命、竈大神が祀られている。

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創建は江戸時代初期の1627年(寛永4年)、京都の僧侶、長盛法印(ちょうせいほういん)による。
長盛法印は菅原道真公の末裔とされており、夢の中で道真公から、家に伝わる八幡神像を江戸の永代島に祀るようお告げを受ける。
亀戸天神社の時もそうであったが、どうも道真公は夢を通じて指示を出されることが多いようだ。

当時のこの辺りは砂州で、深川は漁師町のひとつに過ぎなかったが、長盛法印によって埋め立てられ、富岡八幡宮の社地や居住地として6万坪が造成されたという。
また長盛法印は、富岡八幡宮を管理する別当寺として、すぐ隣に永代寺を建立、そこの住職となった。
当時は神仏習合の時代で、神社と寺院は渾然一体となっており、特に大きな神社には、それを管理する別当寺が隣にある事が多かった。

深川地域は富岡八幡宮の門前町として栄えていく。
1642年には徳川家光が長男家綱の世継ぎ祝賀を行うことになり、江戸幕府の命により、後に江戸三大祭りに数えられる深川祭りが行われるようになる。
さらに大きな被害の出た1657年の明暦の大火の後は、江戸の都市改造が実施され、深川は商業地域として拡張され、大勢の人々が集まるようになっていく。

1703年には成田山新勝寺が、永代寺の境内で「出開帳」を行い、大変な賑わいを見せた。
新たに開拓された江戸には、当時まだ大きな寺院が無く、ご本尊を持ち出して開帳してくれる出開帳は、有難い催しとして大きな話題となった。
これは開催側にも莫大な収益となり、将軍家も絡んだ大きなイベントとなり、幕末までに12回行われたという。

このように江戸時代の富岡八幡宮は、八幡大神を崇拝した徳川将軍家の手厚い保護も受け、深川の八幡様として大いに栄えた。

しかし他の神社仏閣と同じように、明治時代初期に吹き荒れた神仏分離令の嵐に晒されることになる。
富岡八幡宮と永代寺の両立は許されず、永代寺は廃寺となり、神社である富岡八幡宮が残った。(ただし両者は一体の関係にあり、永代寺の住職は、そのまま富岡八幡宮の宮司になったという)
明治政府による神仏分離令は数年で失敗に終わり、明治14年には永代寺のあった場所に成田山深川不動堂が建てられた。

もともとは同じ境内であるわけだが、富岡八幡宮と成田山深川不動堂は、時代の流れで別々の宗教法人になった。
しかし場所はごく近く、公園を挟んでお隣同士なので、一度に両社寺を訪れる人は多い。
さっぱりとした神社と、濃厚なお寺とで、雰囲気がだいぶ異なるのが面白い。

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富岡八幡宮の境内には多くの末社がある。
具体的には、七渡神社・粟島神、車析社・客神社、野見宿禰神社 、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社・花本社、永昌五社稲荷神社、鹿島神社・大鳥神社、恵比須社・大黒社 、富士浅間社・金刀比羅社である。
個人的には古い狛犬さんが沢山いる富岡八幡宮の末社はお気に入りである。

富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の神社でもあり、境内には相撲関係の石碑が多数あり、新横綱の土俵入りや力士の結婚式なども行われる。
またかつて松尾芭蕉が深川に住んでおり、前述の花本社のご祭神にもなっている。
大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬も深川に住み、必ず富岡八幡宮を参拝してから測量の旅に出たという。
富岡八幡宮の祭礼である前述の「深川八幡祭り」は、現在でも盛大に行われている。

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永代通りから参道方向に曲がると、すぐのところに石柱標と大鳥居がある。
石柱表には「富岡八幡宮」と彫られている。




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一方大鳥居の扁額には「富ヶ岡八幡宮」と書かれている。
江戸時代には「とみがおか」と呼ばれていたという話もある。
実はすぐそばの江東区南砂に「富賀岡八幡宮」があるので、話は少しややこしいのだが・・・




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都内の他の神社と同じように、社殿は過去に何度も被災している。
富岡八幡宮の社殿は、1683年に天和の大火により焼失し、1703年に元禄地震により損壊、1923年の関東大震災でも被害を受け、1945年3月の空襲でも破壊された。
その教訓もあるのか、現在の社殿は1956年に建てられた鉄筋コンクリート製のものになっている。




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たまたま8月15日に参拝したところ、例祭が行われており、社殿前には立派な旗が飾られていた。
江戸三大祭りのひとつである「深川八幡祭り」は、年毎に「本祭り」、「陰祭り」、「御本社祭り」が順番に開催される。
昨年2023年は(コロナでしばらく中止になっていた)「本祭り」が6年ぶりに復活した。
今年2024年は「陰祭り」で子供たちが主役である「子供神輿連合渡御」が行われた。




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ここの手水舎は大変豪華で、金の鳥が迎えてくれる。
コロナの感染拡大防止のためかと思われるが、口から出る水にはホースが取り付けられ、水をまき散らさないようになっている。
多くの神社では、コロナ以降、水を共有する手水舎の管理に気を遣っているのが見られる。




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本殿の階段脇に鎮座する狛犬さん。
享保12年(1727年)奉納という比較的古い時代のものだが、しっかりした作りになっている。
やはり過去にいろいろと被災して、補修されながらここに納まったようだ。




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本殿の右手奥にある横綱力士碑。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名で、境内にはここ以外にも相撲に絡んだ石碑がいくつかある。
江戸時代には社寺で盛んに勧進相撲が開催されていたが、喧嘩などのトラブルが発生し、幕府によって一度禁止された。
その後1684年に許可が出て再開したのが富岡八幡宮であり、それが現在の大相撲に繋がっている。




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本殿前右側に立つ躍動的な神馬像。
焼失した社殿が再建された際に、氏子により奉納されたものであるらしい。




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大鳥居横の伊能忠敬像。
忠敬は隠居してから深川に住み、50歳から測量術を学んで、全国を実際に測量して回り、弟子と共に「大日本沿海輿地全図」を完成させた。
旅に出る時には必ず富岡八幡宮を参拝したと言われ、2001年にこの銅像が建立された。




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日本最大といわれる絢爛豪華な黄金神輿は、1991年に佐川急便の佐川会長によって奉納された。
ダイヤモンドやルビー、純金などが各部に使われ、総額10億円近くかかったという。(乗っている狛犬さんの目もダイヤである!)
しかし4.5トンという重量が重すぎて、担ぐことが難しかったため、3年後にこの一の宮とは別に重量約2トンの二の宮が作られた。




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縁日は毎月1日、15日、28日で、参道には屋台が並び参拝者で賑わう。
また毎月第一、第二、第四、第五日曜日には骨董市、毎月15日、28日にはフリーマーケットが開催される。




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6月15日から7月15日の間、「夏詣」が開催される。
参道には屋台が出て賑わい、様々な出し物が演じられる。
富岡八幡宮は氏子と協力して、季節ごとのお祭りをしっかり行っている印象がある。




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右手奥にある七渡神社は、弁天池に囲まれた中に建っている。
富岡八幡宮の建立以前から、この地に祀られていたという。
関東大震災や東京大空襲で、富岡八幡宮の社殿が焼失した際にも、ここだけは残り、弁天池に避難した人は助かったという。
御祭日には神様のお使いの白蛇が姿を現すことがあり、実際にそれが度々目撃されている・・という不思議な場所である。




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七渡神社を囲む弁天池には、鯉に混じってカメが泳いでおり、こちらを見て寄ってきた。
黒っぽいので日本のカメかと思ったが、よく見ると模様が見え、外来種であると分かった。
とは言え、神様のお使いの「白い蛇」のお友達の「緑の亀」かもしれないので、邪険にはできない(笑)




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こちらの祠には八つの末社が祀られている。
左から祖霊社・花本社、天満天神社、聖徳太子社、住吉社、野見宿禰神社 、車析社・客神社になる。




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その隣にある永昌五社稲荷神社。
末社のエリアは裏手にあり、普段はあまり人が足を運ばないため、霊気漂う空間になっている。
狛犬さんたちの楽園にもなっている(笑)




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稲荷神社前の連続した鳥居の間から、狛犬さんたちが早く来いよと呼んでいる。
それぞれの時代の味わい深い狛犬さんが揃っている。
それでは最後に、末社の狛犬さんたちの画像をいくつか載せておこう。




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一度帰宅


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一度帰宅した。
帰りは大変だった。
東北道が渋滞70キロとか表示されて、真に受けたナビが、慌てて高速道路を利用せず下を行くコースを示した。
いくら3連休でも、中日の夜にこれはおかしいだろう‥と思い、そのまま高速に乗ってみた。

すると、とんでもない大雨に遭遇した。
前が見えないような土砂降りである。
皆危なくてスピードが出せず、50キロくらいの速度でのろのろ走る。
そのためか、あるいはセンサーが大雨で上手く働かないのか、ナビ上では渋滞になってしまい、赤いラインが東京まで続く。

しかも栃木県内は、ほぼずっとその状態が続いた。
何だか線状降水帯の下をまともに走ったような感じだ。
いつまでも土砂降りが続き、前がよく見えない中を3時間ほど走った。
普通なら疲れ果ててしまうところだが、自動運転様様である。

それにしても、こんなに長い時間、あの勢いで降り続いたら、あちこちで冠水や洪水が起きておかしくない。
大丈夫だったのだろうかと心配になった。
せっかく車を洗ったのに・・と悔やんだが、あの勢いで雨水が当たると、むしろ綺麗になるかもしれない。
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