週末の対策


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SNSで台風が消えてしまったようなことを言っていた。
だいぶ形が崩れてきたようだが、どうなのだろう。

夕刻までに天候が少し落ち着いて、雨も弱まっていた。
もうこれで台風もおしまいかな・・と思ったが、テレビではまだ緊急事態だと言っている。
これから週末、来週初めにかけて、かなり降るようだ。

昨晩はやはり凄い降りだったようだ。
マンションの中にいると、外の様子が分からないので、あまり実感が無かった。
しかし今朝出勤途中、いつもの川を覗き込んで目を疑った。
手の届きそうなところまで水位が上がっている。
この川があそこまでの状態になるのは初めて見た。

事務所に到着すると、やはり室内に水が入っていた。
自分の机に行き、足元を見ると、結構な大きさの水溜まりが出来ている。
机の上の機材に被せておいたポリ袋も、予想以上に濡れている。
やはり昨晩は、雨漏りの水滴が盛大に机に落ちたようだ。

幸い机の上のパソコンは大丈夫だった。
昨晩ポリ袋をがっちり被せたのだが、そのポリ袋をどけると、内部はカラリと乾いていた。
電源を入れるとスムースに動き出し、今日は一日問題なく仕事が出来た。
とりあえずホッとした。

でもこの土日でまた降ると言っているな・・・
会社に誰もいない休日や夜間に、雨漏りがあると大変だ。
やはり今日もしっかり養生しておかないと・・・

終業の一時間くらい前に、作業をやめて、パソコンの電源を落とした。
大量のポリ袋を持ってきて、機材を丁寧に包んだ。
完全・・とまではいかないが、少々水が浸入しても、これなら大丈夫だろう。

工場でも製品が濡れたら大変なので、出荷前の荷物をすべて倉庫から工場内に戻した。
倉庫はテントなので湿気があるし、小さな雨漏りも多いので、週末は乾燥した工場内に入れておいた方がいい。
お陰で工場内は製品の乗った台車で一杯になっていた。
これで出来ることはすべてやったつもりだが、さてどうだろう・・・
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雨漏り


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さすが大型の台風が来ているだけある。
帰宅しようと車で駅に向かって走っていたら、途中から雨が激しくなってきた。
前が見にくくなるほどの異常な降り方だ。

まだ降り始めて大した時間は経っていないのに、道路には早くも深い水溜まりが出来ている。
幸い車は電子制御の四駆が効いているのか、片輪を水溜まりに取られても、ほぼ安定して走って行く。
そのまま突き進んで行った。

タイミング悪く、雨の降りがピークの時に、駅の駐車場に到着した。
ドアを開けて急いで傘を差したが、その数秒の間に半身と車内が濡れてしまった。

あちこちに水溜まりの出来た、駐車場のアスファルトの上を歩く。
ゴアテックスの靴が性能を発揮し、水溜まりを無視してまっすぐ歩いて行ける。
けっこう深くても、靴の中には水は入ってこない・。
フフ・・やっぱり買っておいてよかったな・・・

駅のホームに立つと、ダイヤが乱れていて、電車が少し遅れていた。
まあ、あの雨では仕方がないな・・・
数分遅れて電車が入って来た。
乗る直前にスマホを見ると、社員からメールが入っている。

何と、事務所で雨漏りがあり、僕のパソコンの上に水が落ちているという。
ゲェッ! データがダメになったらえらい事だ。
慌てて「すぐ戻る」と打って、電車に乗るのをやめて、ホームから駐車場に戻った。

雨の中を車で走る。
やはり電子制御が効いているのか、車の方は安定して飛ばせる。
こういう時は本当に助かる。

事務所に戻ると、社員が応急でパソコンの上にポリ袋を被せてくれて、水の落ちるところにはバケツが置いてあった。
他にもう一か所雨漏りしているので、その場所ばかり対応していられない。
パソコンの所有者の僕が、自分で養生をやり直すことにした。
幸いパソコン本体やHDDは、ほとんど濡れていなかった。

建物を建ててもう30年以上経つので、雨漏りするところが何ヶ所か出ている。
地震や地盤沈下などの影響で、どうしても建物に歪みが出てしまうのだ。
だが僕のパソコンの場所は、上にある天窓に数年前に厚みのあるカバーをかけてから、まったく雨漏りしなくなった。
それで油断していた。
今回は常識外れの勢いで雨が降ったので、はけきれなくなった水が屋根の上に溜まってしまい、溢れて入ってきたのではないか・・と社員も言っている。

急いで暗くなった工場内に行き、梱包用の大きなポリ袋を何枚か持ってきた。
パソコン類の電源をすべて抜き、機器の上にポリ袋を被せていった。
袋を伝って水が流れ込む場合もあるので、そうならないように気をつけながら上手く置いていった。

水滴が落ちてくる場所は決まっているので、そこには斜めにしたパネルを置いた。
こうして水の流れる方向を作ってしまう。
さらにパネルの端に雑巾を何枚か横に並べ、そこに水が染み込むようにした。

ここまでやれば、まず大丈夫だろう。
誰もいない夜中に、まだ雨が降るだろうが、天井からポタポタと落ちてくる程度なら何とかなる。
まあ何時間も降りっぱなしで、室内に水が流れ落ちてきたりしたら無理だろうが・・・

と、自宅の部屋で書いているのだが、また強く雨が降り出したようで、室内にまで音が聞こえてきた。
大丈夫だろうか・・・
やっぱり台風の雨は油断ならないな。
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米不足


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お米が不足しているという。
店頭でも売り切れているところがあるようだ。
スーパーを数件回ったが無かった・・一袋だけあるとLINEで情報が入った・・といった、インタビューをテレビで流していた。

毎年日本海側の米どころの知人から、お米をいただいているが、猛暑の影響もあり、昨年は極端に不作だった。(2023年11月3日の日記
米の出来が良くなく、はじめて一等米の等級から落ちてしまったという。
収穫量も少なかったようが、実際に味も落ちていた。
今年も昨年以上の猛暑であったし、期待はできないであろう。
気候の変動の影響で、今後は作物の原産地に変動が出てくるかもしれない。

今のところ、Mrs.COLKIDの実家のお米に関しては、品質が特に落ちた様子は無い。
現在は古米であるが、在庫は十分にあり、親戚一同が食べる分くらいは確保してある。
実際親戚から頼まれたり、買えないという知り合いに分けてあげたりしている。

義父によると、暑いかどうかより、水がしっかり確保できるかどうかが重要なのだという。
Mrs.COLKIDがこの夏休みに実家に帰った際には、湿度が高くて参ったと言っていたが、山の谷間なので、大気が湿っぽくなるほど水分は多い。
水さえあれば、日差しが少々強いくらいが、かえっていいのかもしれない。

Mrs.COLKIDの実家の場合、それよりもゲリラ豪雨は大丈夫なのかな・・と思う。
那須エリアはそこまで激しく降っていないというが、栃木県内で何度か線状降水帯が発生して豪雨になっている。
水は豊富にあるかもしれないが、それによって別の形で被害を被る事もある。

もうすぐ新米の季節になる。
恐らく新米が流通するようになれば、米不足は解消するのであろう。
ただ今年も昨年と同等以上の猛暑なので、出来がどうかはちょっと気になるところである。
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亀戸天神社


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東京十社のサイトを見ると、3番目は亀戸天神社である。
このブログの神社仏閣シリーズでも、今回は亀戸天神社を取り上げる。

江東区にある亀戸天神社は、意外に陸の孤島なのだ。
電車だと亀戸か錦糸町の駅から歩くが、どちらからも15分ほどかかる。(バス停は目の前にあるが)
まあ15分程度なら大した距離ではないし(700m前後)、実際にいつも歩いて行くのだが、真夏の炎天下で、撮影の機材を持って行くとなるとけっこう大変である。

先日試しに錦糸町の駅からタクシーで向かったところ、初乗り料金内で到着することができた。
真っ直ぐ行って、一度曲がて、また少し走るだけだ。
これなら積極的にタクシーを利用した方がいいだろう。
帰りはGOアプリがあるし・・・

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亀戸天神社は菅原道真公(いわゆる天神様)を祀っている。
菅原道真公といえば、学問の神様として多くの方が親しみを持っているだろう。
しかし実は、平将門、崇徳(すとく)天皇と並んで、「日本三大祟り神」の一柱でもある。

845年に儒家の家に生まれた道真は、幼いころから学問や詩歌に極めて優れた能力を発揮し、朝廷でも宇多(うだ)天皇の信頼が厚く近臣として活躍した。
醍醐(だいご)天皇の治世となり、899年には右大臣に任命され、左大臣の藤原時平との二大巨頭の体制となった。
清廉潔白な道真は、基本学問の人なので、どろどろした抗争に巻き込まれるのは本意では無かったはずだ。
異例の出世を遂げたため、案の定貴族たちの嫉妬による反発に晒される。
それを上手く利用したライバルの藤原時平の策略にはまり、あらぬ噂を信じた醍醐天皇により、道真は九州の太宰府に左遷されてしまう。
太宰府では酷い生活を強いられ、失意のうちに2年後の903年に亡くなる。(死因は糖尿病だという)

それから数十年に渡り、都では大変なことが起きる。
道真の左遷に関わった者が次々に亡くなり、909年にはライバルであった時平も39歳の若さで急死してしまう。
毎年のように洪水や干ばつ、伝染病が発生し、人々はこれは道真の怨念によるものではないかと噂するようになる。
醍醐天皇も皇太子を次々に失くし、道真の怨念を信じるようになり、慌てて亡くなった道真を右大臣に戻し正二位の地位を与えた。
ところが930年に御所を落雷が直撃、藤原のものを含む数人が悲惨な亡くなり方をし、それを目撃した醍醐天皇もショックを受けて3か月後に崩御してしまう。

かくして菅原道真公は、日本を代表する祟り神になってしまった。
個人的には、道真のようなタイプの人が、自分を陥れた人たちを恨み殺すようなことをするだろうか・・という疑問を感じている。
たまたま凶事が重なり、身に覚えのある人達が恐怖に駆られて、これは怨念に違いない・・と騒ぎ立てたのではないだろうか。

いずれにしても、特に貴族の間では、道真公は恐ろしい怨霊であった。
道真公の怒りを鎮めようと、必死にお祀りするわけであるが、それが次第に信仰へと発展した。
祟り神は強いパワーを持つので、手厚くお祀りすれば強力な守護神にもなる。

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亀戸天神社の話に戻す。
1646年、九州の太宰府天満宮の神官であり、菅原道真公の末裔である菅原大鳥居信祐公が、夢の中で道真公より句を授かった。
菅原大鳥居信祐公は、道真公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を作り、天神信仰を広めるため、社殿建立の志を持ち、日本のあちこちを回った。
遠くは盛岡や日光など、15年も探し回ったが、ついに1661年、江戸の本所亀戸村に行き着き、もともとあった小さな祠にそのご神像を祀った。
それが亀戸天神社の始まりだという。

1657年に江戸の町を焼き尽くした明暦の大火が発生しており、徳川幕府は本所の町を災害からの復興の地と定め、天神様を信仰する四代将軍家綱公により、その鎮守の神様としてお祀りするようにと、現在の社地が寄進された。
そして1662年に九州の太宰府天満宮を模倣し、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などが作られた。

そのため古くは亀戸天神社は東の太宰府天満宮として、「東宰府天満宮」あるいは「亀戸宰府天満宮」と称していた。
明治6年に東京府社となって「亀戸神社」と号し、昭和11年に現在の「亀戸天神社」になった。
境内には摂末社として御嶽神社、花園社、弁天社、紅梅殿、神牛殿がある。

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亀戸天神社は「花の天神様」として親しまれており、花に関するお祭りでは、初春に梅まつり、4月に藤まつり、秋には菊まつりが開催される。
その中でも特に東京一と言われる藤は見応えがあり、夜は藤棚がライトアップされて、背景にそびえ立つ東京スカイツリーとのコンビネーションで、素晴らしい夜景が楽しめるという。
実は僕は藤まつりには行った事が無いのだが、いつか写真を撮りに行きたいものだと思っている。

実際、亀戸天神社に行くと、緑が多い・・という印象を持つ。
写真を見ていただいても分かるが、単に植物が多いだけでなく、境内で大きな面積を占める池の水の色が深い緑色なのだ。
そのため全体に「緑色の神社」というイメージが強い。
植物の発するエネルギーが、特に強く感じられる神社である。



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神社は蔵前橋通りから少し入ったところにある。
通りを曲がると参道は数十メートルほどの短いもので、正面に大鳥居が見える。




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大鳥居には「亀戸天満宮」と書かれている。天満宮は天神と並び菅原道真公を祭神とする神社のこと。




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8月に何度か撮影に行ったが、例大祭の直前で、境内は準備が始まっていた。




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境内には太宰府天満宮を模した心字池に二つの太鼓橋がかけられている。
グリーンの池は上から見ると「心」の文字になる。




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太鼓橋の男橋、平橋、太鼓橋の女橋の三つの橋を渡って本殿に向かう。
この三つの橋はそれぞれ過去・現在・未来を表しているという。
写真は男橋の頂上から本殿方向を写したもの。



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太鼓橋の女橋を渡ると、拝殿の正面に出る。
実は亀戸天神は昭和20年3月の大空襲でほとんどの社殿を焼失しており、現在のものはその後コンクリートで再建したものである。
そのためかさっぱりした建物という印象を受ける。
旧社殿は1802年に徳川家の下賜金で造営された壮麗なものだったそうで、失われたことが非常に残念である。




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拝殿には「亀戸天神社」と書かれている。
1961年に鎮座三百年式年の記念事業として幣殿と拝殿、1979年に御神忌千七十五年大祭記念事業として本殿が再建された。
すべての再建にはまだ時間がかかるだろうと言われている。




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東京スカイツリーには歩いていける距離である。
境内では背景に大きくスカイツリーが見え、新旧の調和が面白い。




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手水舎でもカメさんが迎えてくれる。
本殿の参拝前にカメさんのお水でしっかりお清めする。




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心字池の水はグリーンに染まっている。
人を見て寄ってくる鯉やカメたちを横目で見ながら本殿に向かう。




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池の周囲を藤棚が囲んでおり、藤まつりはさぞや見応えがあるだろうと想像する。
植物たちの放つエネルギーがとても強いのも、亀戸天神社の特徴である。




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池には当然のようにカメが泳いでいる。
合格した受験生などがお礼に訪れた際に放ったものらしいが、どうしてもミシシッピアカミミガメの比率が高くなる。
それ以外にも何種類かのカメが生息するらしいのだが、何度か通ったが、大半がミシシッピアカミミガメで、たまにクサガメを見る程度であった。




Z9 + NIKKOR Z 24-70mm f/4 S

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クサガメの夫婦(?)が寄り添って日光浴をしていた。
クサガメ同士で集まるのは、やはりアカミミガメと対立があるのだろうか。




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神童と言われた菅原道真公の五歳の頃をイメージしたブロンズ像。
1977年の御神忌1057年大祭記念に奉納されたもの。
「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」
という五歳にして詠んだ和歌が台座に刻まれている。




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大宰府で菅原道真公が903年に亡くなった際、黒牛の引く牛車に乗せて亡骸を運んだが、安楽寺の前で牛がうずくまり、どうしても動かなくなったという。
そのため遺体をそこで埋葬し、やがてその場所に社殿が建立され、大宰府天満宮になった。
道真公は牛と縁が深く、全国の天満宮には座した牛の像がある。
この神牛座像は1961年に鎮座三百年祭の時に奉納されたもの。




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境内にある鷽(うそ)の碑。
亀戸天神社では1月24日、25日に木彫りの鷽の像を新しいもに取り替える「鷽替え神事」が行われる。
鳥の一種である鷽が、「嘘」に通じるところから、前年にあった悪いことを嘘として、本年は吉となりますように・・と祈願する行事で、全国の天満宮で行われている。
木彫りのものはその日限定であるが、普段も鷽の鈴(下の画像)や御守りなどが授与されている。


(iPhone 13 Pro)




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境内の能楽堂は普段は戸が閉められている。
たまたまこの日はお祭りの前日で内部を見ることができた。




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菅原道真公ゆかりの梅の木が描かれた素晴らしい能楽堂内部。
パッと華やかな印象を受ける。




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亀戸天神には狛犬さんがいないな・・と思っていたが、能楽堂の裏に「おいぬさま」と呼ばれる謎の狛犬さんがいると知り、慌てて再訪した。
神社としてもはっきりとした由緒が分からないようだが、ちゃんと小さな祠の中に置かれており、なぜか塩まみれになっている。
ネットで調べると、江戸時代の絵画には摂末社の妙義社(御嶽社)に狛犬さんが描かれており、震災などで破壊され、片方だけ残って神社の隅に置かれているうちに、信仰の対象となっていったのではないかという。
塩で体の悪いところをさすると効く・・ということのようだが、これが自然発生した信仰だとしたら、大変興味深いことだ。
顔が見えなくなるほど大量の塩がかけられており、熱心な信者がいることが分かる。




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ちょうど例大祭が行われており、お神輿が蔵から出ていた。
周辺の氏子地域でも、お祭りの格好をした人たちが、数人でお神輿を出す場面に遭遇した。




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境内にいくつかある摂末社のうち、もっとも大掛かりな作りの御嶽神社。
道真公の師であったと言われる法性坊尊意僧正が祭られているが、話は伝説が基になっているようだ。
「卯の神」として知られ、江戸時代からこちらの参拝は大変人気があったという。




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亀戸天神社の境内西側にある懐石料理店の若福。
こちらでお土産に厚焼き玉子を買って帰る。
薄く甘味をつけた上品な味の卵焼きだ。




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亀戸天神社から蔵前橋通りに戻ると、数軒先にくず餅の船橋屋の亀戸天神前本店がある。
船橋屋のくず餅はポピュラーで、あちこちで売られているが、本店の喫茶ルームで食べるくず餅は、やはり新鮮で美味しい。
混んでいて入れない時は、くず餅をお土産に買って帰る。
片手に若福の厚焼き玉子、片手にくず餅・・というわけであるが、くず餅はずっしりと重いので、リュックに入れて運んだほうがいい(笑)
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あぶない!!


FUJIFILM X100V

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以前より・・ってだいぶ前からなのだが、↓この看板が気になって仕方が無かった。
大手町の駅で、エスカレーターで下がっていくと、目の前にドーンと現れる。
この何とも言えぬ素人っぽさ・・・
かなりインパクトがある。


(iPhone 13 Pro)

この看板はそうとう昔からある。
考えてみれば、今までに物凄い人数の人が見ているはずだ。
毎日見ている人も多いはず・・・

なのにあまり話題になっていないな・・・
と思ったら、検索でけっこう引っかかる(笑)
↓2017年にちゃんと調べた人もいる。

ディリーポータルZ 「駅の「注意喚起アート」を探し回ると駅を歩くのが楽しくなる」

それどころか、グッズを売っているところまである。

SUZURI

上の調査したサイトでは、しっかり東京メトロの広報部広報課にまで問い合わせている。
残念ながら誰が作ったものかは判明しなかったが、少なくとも1999年には存在していたのは確かだという。
四半世紀以上も前からあるのか・・・
多分作られた頃は、この服装や髪形が時代に合っていたんだろうな・・・

看板の前を通過する時の、人々の反応を見てみると、初めて見たと思われる人は、一瞬目が釘付けになる。
おかしさと不思議さの入り交じった表情でジーッと見ている。
それ以外の多くの人は、見慣れているのか、一瞥するだけである。
すでに生活の一部になっているのだろう。

まあそれでも、一瞬ちらりと見るので、心の中では毎日挨拶しているのかもしれない。
大勢の人がそうしているうちに、きっとこの看板に霊気が宿るに違いない。
大手町の駅のあぶない神様である(笑)
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枚数


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今日も神社を2社回ってきた。
気温は一時より少しましになっただろうか・・・
でもやっぱり暑かった・・・
汗をかなりかいて、ズボンまでビショビショになった。

少し脱水症状気味になった。
途中で水分を補給しようとしたが、自動販売機も売り切れが多かった。
やっと冷たい飲み物を得て、冷房の効いた部屋で休んだら、本当に生き返った気分であった。

撮影した枚数は、今日も1000枚を超えていた。
最近は何故か、撮影の枚数が以前より増えている。
同じ場所で何枚か撮って、納得したところでやめる・・という撮り方は、以前と変わっていない。
という事は、納得する基準が変わってきたのかな・・・

根津神社でカラスが寄って来た。
ここのカラスは人懐っこく、カメラを向けても逃げない。
カエル語で話しかけたら、何で人間なのにカエル語が話せるんだ・・と驚いたようにこちらを見る。
そこでパチリとシャッターを切るのだ(笑)
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お祭り前日


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亀戸天神には狛犬さんがいないな・・・
と思っていた。
ところが家で調べていたら、隅っこの方に謎の狛犬さんがいる事が分かった。

神社でもその謂れがよく分からず、境内にも特に表記がなかった。
そのため見逃してしまった。
ネットでこの狛犬さんについて、「おそらく・・」という説を読むと、実に興味深い。

これは大変だ。
狛犬さん評論家としては、この狛犬さんを抜いてしまう訳にはいかない。
そこでもう一度、亀戸天神に行くことにした。

という訳で、午前中は会社で仕事をして、午後は狛犬さんに会いに行ってきた。
暑い中を行ったので、やはり疲れたよ。
帰宅したら、ソファーでぐっすり寝てしまった。

でも行ってよかった。
明日から例大祭だそうで、境内はその準備でいつもと違う雰囲気であった。
能楽堂の戸が開いていたし、神輿も外に出ていた。

氏子町会で何台もの神輿が出るそうで、街でもあちこちで準備していた。
明日はきっと凄いことになるんだろうな・・・
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東京の神社仏閣


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都内の神社仏閣をいくつか回り、それぞれについて調べてみて、意外に古いものが少ない事に気付いた。
そもそも東京(江戸)自体に、それほど古い歴史が無い。
徳川家康が治める前は、原野と湿地ばかりで、皇居の手前まで入り江であったという。
古い歴史を持つ京都や奈良などとは違うのだ。

名のある神社仏閣だと、創建された年代自体は古いことが多い。
それらは言い伝えや文献に残されているわけであるが、その時点でどのくらいの規模であったかはよく分からない。
多くの神社が本当に繫栄するのは、恐らく太田道灌が江戸城を築城し、その後天海が守護のために鬼門などに配置したのがきっかけであろう。

江戸幕府が開かれ、本格的に土地が開発されていくと、大勢の人が集まるようになり、巨大な都市が形成されていく。
さらには徳川の各将軍が信心深いことも、神社仏閣が発展する理由のひとつとなっているように感じる。
神様仏様の力が重視された時代で、由緒ある特定の神社仏閣が厚遇された。
土地が提供され、建物もどんどん建てていく。
そのため東京の神社仏閣の多くは、江戸時代に大きく発展したようだ。

神社仏閣に大きな危機が訪れるのは、明治時代になり、新政府により神仏分離令が出された時だ。
それまで神社とお寺は、あまり明確に区別されていなかった。
大きな神社の隣には寺院があり、僧侶が神社を管理したり、その逆であったりしたという。

しかし明治政府が神道の国教化政策をはかり、神社から仏教的な要素を排除しようとした。
それもかなり強制的に変更を求めたようだ
神社と寺院を明確に分離し、神社で仏具を供えたり、御神体を仏像とすることを禁じた。

そのため神社仏閣は生き残るために、様々な変更を余儀なくされた。
寺院は神社になるか、廃寺となるかしかなかったという。
本来この政策は、寺院を廃絶しようとするためのものでは無かった。
しかし世間には、それまで強大な権力を持っていた寺院に反感を持つ人たちも多くいたようで、これをきっかけに全国各地で寺院や仏具の破壊行為などが発生した。

興味深いことに、神仏分離の際の条文の中に、神社の狛犬はそのままでいいが、唐獅子はすぐに取り除くようにという一文の記録が残っている。
狛犬さんはここでは命拾いしたわけである。
神道の国教化は、海外からの批判もあり、失敗に終わるのだが、明治維新の大転換による混乱は、神社仏閣に大きな打撃を与えることになった。

その後、大正時代になると、関東大震災(1923年9月1日)に襲われることになる。
東京の中心部にある神社仏閣は大変な被害を受け、多くが焼失してしまった。
そこからやっと再建したところで、今度は太平洋戦争の空襲(主に1945年)により再度被災、またも多くの神社仏閣が焼失した。

神社仏閣を巡っていると、この2度の被災で建造物の大半が失われたと書かれているところが多い。
現在建っているのは、その後に再建されたものであるという。
何度もの苦難を通り抜け、その結果現在の社殿は、比較的最近建てられたものとなっているのだ。
もちろん写真などを参考に、かつての姿をなるべく忠実に再現してはるのだが・・・

神田明神の記事でも書いたが、神社は地域の人々とともにあり、その時代の新しいものをどんどん取り入れている。
リアルタイムで生きて進化しているものでもあるので、建物が新しい事は、それはそれでいいのかもしれない。
形あるものはいつかは滅びるのだ。

一方で神社の入り口で構える狛犬さんは、石で作られているために、災害を生き延びて、作られた時代のまま残っているものも多い。
狛犬さんの霊気が強いのは、時代の痕跡がすべて詰まっている・・という理由もあるのだ。
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防水


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雨用の靴をいくつか購入したことは書いた。
2024年7月17日の日記
梅雨の間に、職場に行く時に履こうと考えてのことだ。

条件は、ゴアテックスまたはそれに準ずる透湿防水機能があり、色は真っ黒・・な靴である。
梅雨の間は、何日も雨の日が続くかもしれない。
今あるものに数足買い足して、それらをローテーションして履こうと考えたのだ。
実際梅雨の間、これがなかなかいい感じの組み合わせになっていた。

透湿性があるとはいえ、防水機能の無い普通の靴と比べると、どうしても通気性は劣る。
履いていて、多少蒸れる感じがあるのは仕方がない。
そのため梅雨の期間が過ぎたら、普通の靴に戻す予定であった。
ゴアテックスの靴は、雨の日専用に履くことになるだろう・・と思っていた。

ところが、このところ毎日のように雷雲が発生している。
朝の天気予報では晴れと発表されていても、夕刻になると空が暗くなり、天候が急転することが多い。
いきなりゴーッという音が聞こえてきて、何事だろうと窓の外を見ると、地面が霞んで見えるほどの勢いで雨が降っている。
時にはそれに雷が伴う。

雨雲の動きを見ると、何も無いところにいきなり発生しているように見える。
それが線状に連なって斜めに移動していく。
中心部分は真っ赤で、激しい雨が局地的に降っているのが分かる。
これでは梅雨の最中より厳しい条件である。

そんな状態が続くので、今日一日は完全に晴れ、雨は絶対に降らない・・という確証が得られない。
こうなると、靴もそれに合わせて進化させる必要があるのではないか。
将来的には、すべての靴に透湿防水機能を持たせる・・という方向にいくのかもしれない。
水に弱いコードバンの靴は、ただでさえ絶滅危惧種であったが、今度こそ本当に無くなってしまうかもしれない・・・

というわけで、雨用にと揃えた靴は、いまだに大活躍なのだ。
毎日ゴアテックス系の靴を、ローテーションして履いている。
だっていつ土砂降りになるか分からないのだし、非防水の靴で豪雨の中を歩くとしたら悲劇的である。
やっぱり何足か買い足しておいて正解であった・・ということを言いたいわけである(笑)
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夕刻になるとゴロゴロと雷の音が聞こえてくる。
見ると特定の方向の空が真っ暗になっている。
スマホに、20キロ以内に落雷があった・・という警告が出る。

窓のそばに立ち、少し先の空に、数秒おきに稲光が走るのを見る。
数キロ離れているな・・・
稲光の多くが地面に向かって走っているが、あれって避雷針とかに落ちているんだよね?
一般の家庭に落ちているとしたら、大変な被害が出ていることになる。

もう十数年も前の話だが、雷についての記事を書いたことがある。
既に古い情報もあるかもしれないが、リンクを載せておく。
2008年7月30日の記事

これもだいぶ昔の話であるが、会社の倉庫にいて、猛烈な雷に遭遇したことがある。
雷雲がほぼ真上にあったみたいで、次々に至近距離に雷が落ちた。
ゴロゴロなんて悠長な音ではなく、シャッ、ズドォォーンという、耳をつんざく轟音・・しかもそれが連発する。
すぐ近くに落ちたようで、轟音の後、プーンと焦げたような臭いまでする。

まるで雷に意思があるかのようだ。
例えるなら、戦場で上空から狙撃兵に狙われている・・そんな気分であった。
建物からちょっとでも出たら、容赦なく撃ってやろう・・と虎視眈々と狙っている。
雷をこれほど怖いと思ったのは初めてであった。

倉庫の出口から10mほど離れたところに車を置いていたのだが、怖くてとてもそこまで行けない。
恐らく辿り着く前にやられるな・・・
雷雲が通り過ぎてくれるのを、じっと待つしかなかった。
雷って、こんなに恐ろしいものなんだね・・・
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すき焼き


Z9 + NIKKOR Z 24mm f/1.8 S

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土曜日の夜にすき焼きを食べた。
実は僕はすき焼きが少々苦手である。
味自体は好きなのだが、体が牛肉を受け付けないのだ。
年を取って牛肉の消化が上手く出来なくなり、食べると後になって胃がもたれてしまう。

しかし出されたすき焼きは、味の方は良かったので、ついパクパクと食べてしまった・・らしい。
自分では意識していなかったが、だいぶ沢山食べていた・・と家族から言われた。
案の定、夜寝ている最中に具合が悪くなった。
何度か起きて、胃薬を飲んだりした。

朝になっても回復しない。
胃が重たい。
日曜日は撮影に行こうと、リュックにカメラ類を詰め込んでいたのに・・・

エアコンの効いた居間で、静かに座って休んだ。
2時間ほど様子を見ていると、何となく調子が戻ってきた。
これなら大丈夫かな・・というところまで回復したので、思いきって撮影に出かけることにした。
土曜日ほど暑くはなかったし、何とか行けるだろう・・・

朝食は食べないことにした。
体調に注意しながら歩いたが、特に問題は無さそうだ。
下手に外で食事をして、また悪化しても困るので、食べないほうがいい。

結局そのまま昼食も抜くことになった。
昼になっても、お腹が空く様子が無かったのだ。
食べたくないのに、無理に食べることは無いだろう。
あすけんで朝と昼、2食連続で「食べなかった」を選んだのは初めてだ。

もちろん水分を取らなければ参ってしまうので、そちらは意識して補給した。
次第に気温が上がってきて、汗が流れ出るようになった。
汗で出た分は補給してやらないと・・・

まあお腹の中には昨日食べたものがあるから、エネルギーは問題ないだろう。
実際その後も空腹感は無く、むしろ身体が軽くなるのにつれて、だいぶ調子を取り戻してきた。
胃の中のものが、消化されてきたのだろう。
汗はかくが、水分は補っているので、新陳代謝も悪くないはずだ。

午後になって、かなり日差しが強くなってきた。
気温が上がり、汗が際限なく流れ落ちる。
撮影には悪くないのだが、いい気になって歩き回ると、熱中症になりかねない。
帽子が汗でビショビショで、見たら塩をふいているので、脱いでリュックにしまった。

さすがに疲れてきたので、喫茶店に避難し、コーヒーを飲みながら一休みした。
冷房の効いたところで、ほっと一息つく。
生き返った気分だ。
これは一度休憩を入れて正解だな。

あまり無理しない方が良さそうだ。
今日は撮影はここまでにして、早めに帰宅するか・・・
と言いつつ、調べたら1000枚近く撮っている。
暑い中でこんなに撮れば、そりゃあ体力は消費するだろう。

でも調子が悪かった胃が、食事を2食抜いたらすっきりしたのは確かだ。
ちなみに夕食はしっかり食べた。
風呂に入る時に、いつものように体重を測ったら、何と昨日より2キロも体重が落ちていた。
食事を2食抜いただけでなく、汗も大量にかいたからな・・・
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消えた・・・


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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工場の事務所で画像を加工していた。
残業してもう少しやっていくか・・・
と思っていたら、雷がゴロゴロと鳴り出した。

おお・・嵐が近付いているな・・・
早く帰らないと、雷雨になるかな・・・
なんて考えながら、加工した画像を保存しようとした。

その瞬間、事務所の電灯が切れた。
ボンッという感じで、部屋が暗くなった。
目の前のモニタの画面も真っ暗になった。

そのまま数秒・・・
ここで本格的な停電が起こるなんて珍しい。
一瞬、何が起こったか分からなかったよ。

真っ暗な中で座っていた。
凄く長い時間に感じたが、10秒ほどだったろうか・・・
電気が復旧し、部屋の灯りが点いた。

パソコンは真っ暗なまま・・・
うんともすんとも言わない。
そう言えば、UPSはもう外してしまったんだよな・・・

・・・今保存しようとしていたデータはどうなった?
慌てて再度パソコンを起動した。
おっと・・再起動中にもう一度停電があったら今度こそ大変だ。
でももう待つしかない。

緊張の中、パソコンは問題なく立ち上がった。
でも当然作っていた画像は消えてしまった・・よね・・・
ああ、今日はもう帰ろう。
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神田神社(神田明神)


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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東京十社のウエブサイトを見ると、最初は根津神社、次は神田神社がくる。
当初は、歩いて回る時のおすすめのコースの順番に基づいているのかな、と思っていた。
しかしよく見ると、十社の専用ご朱印帳などの順番とは違っている。
それほど気にしなくていいのかな・・・
とりあえずこのブログでは、東京十社のサイトに合わせようと考えているが、今後の訪問日程により変更があるかも知れない。

明治4年に名称を神田神社に改称したが、江戸時代から現代に至るまで、誰もが「神田明神」の名前で呼ぶ。
神社のサイトを見ても、自らを神田明神と名乗っている。
その方が馴染みのある呼び方なのは確かだ。
ただし東京十社のサイトなどでは、正式名称の神田神社の方を使っている。

JRの御茶ノ水の駅からだと、聖橋を渡り湯島聖堂の角を曲がれば、5分ほどで到着する。
ただ見所の多い道なので、つい寄り道してしまい、実際にはもう少しかかるかもしれない。
僕の場合は、学生時代から秋葉原中心に活動していたので(笑)、ダイナミックオーディオなどに顔を出してから、散歩しているうちに辿り着くパターンだった。
あれっ、こんなところに立派な神社があるぞ・・ああ、これが有名な神田明神か・・という感じである。(ついでに甘酒を飲む・笑)
あの辺りは立体的な地形になっていて、急な坂が多く、もう一本神田川沿いの道を行ってしまうと、一段低いところに出てしまい、辿り着けなくなる。

神田明神の氏子地域は広大で、神田、日本橋、大手町、丸の内、豊洲魚市場、そしてお隣の秋葉原と、東京の東側の中心部に集中している。
さらには江戸三大祭りのひとつで、現在も盛大に行われている神田祭が、神田明神の祭礼となっている。
いろいろな意味で、華やかで大きい神社と言えるだろう。

御祭神は一之宮が大己貴命(おおなむちのみこと)、二之宮が少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして三之宮が平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。
創建は730年で、最初は現在の大手町の平将門の首塚のある辺りに建てられたという。
その後移動し、1616年に現在の地に移されたのだが、江戸城の鬼門としてこの場所が選定された。(裏鬼門は日枝神社)
もともとパワーの強い平将門を祀る神社であり、現在の大手町の将門塚も神田明神の氏子地域に含まれている。
いかに重要な神社であるかは、以上のエピソードで分かると思う。

境内には多くの摂末社がある。
末廣稲荷神社、三宿・金刀比羅神社、浦安稲荷神社、江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社、水神社(魚河岸水神社)などが、御神殿を囲むようにずらっと並ぶ。
それぞれのお社に狛犬さんやキツネさんがいて楽しい。

神田明神で驚かされるのは、考え方が柔軟で新しい・・ということだ。
もともと電気の街秋葉原に隣接していることもあるのだろうが、IT関係の御守りや、御守りの自動販売機など、ちょっと面白いものを見ることができる。
新しいものをどんどん取り入れているのだ。
ネットでの情報配信も活発で、ウエブサイトもかなり充実している。

また数年前には境内にEDOCCOというホールなどを有する文化交流館をオープンし、そこで地域のお土産の販売店やカフェなども運用している。
オリジナルのガチャやアニメ作品とのコラボ商品など、本当に多岐に渡るものを扱っている。
(これは秋葉原の影響が大きいような気がする・笑)
お土産類も洗練されたものが多く、ついいろいろと買ってしまう。

長い歴史を持つ神社で、境内には古い建造物があるにもかかわらず、2000年以降に建てられた近代的なデザインのものも混在している。
一瞬戸惑いも感じるのだが、一方でこれだけ由緒ある神社にもかかわらず、その時代の新しいものをどんどん取り入れていく姿勢に感心させられる。
神社といえば、古くて伝統的なもの・・というイメージがあるが、実際には(かつてよりずっとそうであったように)神様は常に地域の住民とともにその時代を生きておられるのだな・・と実感させられる。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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御茶ノ水の駅から出て聖橋を渡る。
三つの線が交わる鉄道マニアには有名な撮影スポットであるが、アニメ映画の影響か、最近は聖地巡礼の外国人観光客も橋の上に集まっている。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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中山道沿いの参道入り口にある大鳥居。
銅板で覆われた鳥居をくぐると、緩やかな上り坂の先に隨神門が見えてくる。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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都会の神社なので、周囲は近代的な建物ばかりである。
その中にある一際鮮やかな色の隨神門は、周囲とのコントラストにハッとさせられる。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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神田明神は大正時代の関東大震災とその後の太平洋戦争の空襲で多大な被害を受け、境内の多くの建物を焼失している。
この隨神門も昭和50年に再建された比較的新しいもの。
松下幸之助氏の奉納。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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隨神門は外側に神社を守る隨神像を配しており、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神が安置されている。
加藤清正公が植えたという熊本城域内の樹齢500年の楠が使われているという。
写真は左側の櫛磐間戸神。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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内側から見た隨神門。
こちら側は左右に立派な神馬の彫刻が配されている。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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正面に国登録有形文化財の御社殿が見えてくる。
関東大震災でほぼ焼失してしまうが、昭和9年に当時としては画期的な耐火構造の鉄筋コンクリートで再建。
賛否あったようだが、結果としてその後の太平洋戦争の空襲の際にも、この御社殿だけは残ったという。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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御神殿前の狛犬さんはとても特徴的で立派である。
昭和8年5月に奉納されており、左右とも真正面を向いて睨みをきかせているのが特徴。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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とてもマッチョなのは、やはり神前守護としての力強さを表現しているのであろう。
筋肉の付き方も現代的である。
どこか劇画タッチであるが、昭和8年の制作であるから、こちらの方がオリジナルである。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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一方こちらはクラシカルなデザインの獅子山の子獅子。
獅子山は珍しい江戸期の石造物で、獅子が谷に子供を落とし、這い上がってきたもののみを我が子として育てる・・という逸話を造形化している。(関東大震災で崩壊し、子供の獅子は紛失してしまったそうで、こちらはその後新調したものかもしれない)
常に水がかかる状態で少し可哀想である。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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重さが30トンあるという石造りでは日本一というだいこく様の像。
昭和51年に完成した近代的なデザインの像で、一之宮の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)を、目に見える形にしたものだという。
現代的なデザインであるが、引っきり無しに参拝する人が訪れる。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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だいこく様の石像の横にある献燈には、紀元二千六百年と彫られていた。
明治政府が神話に基づいて作ったいわゆる皇紀で、1940年には建国2600年目と盛大に祝った。
余談であるが、零式艦上戦闘機はこの年に正式採用されたため零戦の名称になった。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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現在EDOCCOの延長部分に置かれている鍛金工芸のえびす様。
こちらは二之宮の御祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)を具現化している。
大胆な造形は東京芸術大学学長の宮田亮平教授の制作。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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裏手にある摂末社のひとつ、末廣稲荷神社のキツネさんはスタイリッシュである。
顔つきがシャープで胸が反り返っている。
狼少年ケンに出てきそうだ(笑)
こういうデザインを見ると、製造者の思いや工夫が伝わってきて面白い。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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ユーモラスな表情で迎えてくれるのは、合祀殿の狛犬さんだ。
ちょっとオバQっぽい?(笑)
籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社、天祖神社、諏訪神社の七社を合祀している。
それぞれ江戸時代の神社であるが、震災、戦災で社殿を焼失し、神田明神の本殿を仮御座としていたが、平成24年に合祀殿が建立された。




Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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平成30年にオープンした文化交流館のEDOCCO。
ホール、スタジオなどの設備も有する施設で、1階にはお土産ショップやカフェなどがあり賑わっている。
神社運営の新しい形と言えるだろう。




FUJIFILM X100V

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御神馬の神幸号(みゆきごう)「明(あかり)」。
あかりちゃんの愛称で親しまれている。
夏の期間はどこかの牧場に避暑に行っているらしい。
暑いからね・・・
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次の記事


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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休みの日には神社仏閣を巡ることが多くなった。
それぞれの神社仏閣のことを、ここで紹介しようと考えたのだ。

しかし行って写真を撮るのは、この暑さなので、それはそれで大変なのだが、神社について調べて、ここに記事として載せるのは、さらに大変な作業であることが分かってきた。
凄く時間がかかるのだ。
まあそうだろうな・・・(苦笑)

というわけで、コツコツと進めてはいるのだが、なかなか次の記事の完成にまで漕ぎ着けない。
本当は近く次の神社の記事を公開するつもりであったのだが・・・
もし読んでいただける方がおられるなら、気長にお待ちいただければと思う。
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十社巡り


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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東京十社巡りをしている人と遭遇した。

神社で十社のミニ絵馬がありますかと聞いても、奥から出してくる場合も多い。
授与所の巫女さんが知らない事もあるので、それほど需要が無いのかな・・と思っていた。
十社が定められたのが昭和50年だし、今から巡って集めてみようか・・という人は限られるだろう。

ところが先日、亀戸天神の授与所で、十社の大絵馬をいただいている男性がいた。
各神社オリジナルの10種類のミニ絵馬を、貼り付けることが出来る台になっている。

夏の暑い中で、時折強い雨もぱらついており、参拝に来ている人は、その男性と僕以外には、数人しかいなかった。
その少ない中に、お仲間がいるとは・・・
喜ぶというより、驚いて見てしまった(笑)

それとあの大絵馬を、亀戸天神で扱っていることも意外であった。
聞いても、もうありませんと言う神社も多いのだ。
僕は品川神社でいただいたんだったかな・・・
あれは木製でけっこう重いので、なるべく歩かないで済むところで手に入れたい(笑)

ミニ絵馬の方は、製造しているところが無くなってしまった・・という話も、ある神社で聞いた。
そのためか、在庫がしばらく切れている神社もある。
今は別の製造元を探しているそうで、生産を再開するのにもう少し時間がかかるという。
ほんの1、2カ月ほど前の話だ。

あの男性も、これからミニ絵馬を集めるとなると、すぐには全部は揃わない可能性もある。
10もの神社を参拝して回ろうというのは、それなりに信心深い人なのだろう。
考えてみれば、時間も必要であるし、引退して始めるのにはピッタリの趣味なんだよね・・・
・・・なんてことを思ったが、別に同志を増やそうとは思っていないので、声はかけなかった(笑)
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