史実-2


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ところで、史実って一体何だろう・・と考えることがある。
僕はご存知の通り、作家の吉村昭氏のファンで著作をすべて読んでいる。
吉村昭氏とよく比較されるのが司馬遼太郎氏である。

吉村氏は何より事実を大切にして、必要以上に脚色することを嫌われていた。
日本中を歩き回り、とことん調べた上で、それでも分からない部分を想像で補って作品を書き上げていた。
古い時代だと資料が少なく、その内容も怪しげなので、そういう時代を小説の対象にされなかったし、太平洋戦争の体験者が少なくなり、生の声が聞けなくなった時点で、戦時中の話を書くのも止められた。

一方司馬氏はあくまで小説として作品を面白くすることを意識されており、創作がかなり加わっている。
まずは読み物として面白くなければいけないという考え方だ。
これは自分の創作した人物だからと、坂本龍馬の龍の字をあえて竜に変えた・・というエピソードは有名である。

そのため二人は相反する作家のように語られることが多い。
しかし両人をよくご存知の編集者の方にお聞きしたのだが、お二人とも徹底して歴史を調べている点は共通していると言われていた。
司馬氏は、とことんまで史実を調べた上で、作品として読者を楽しませようと、あえて脚色を加えて書かれているのだ。

一方吉村氏は、出版後に間違いが判明した場合は、次の版で内容を書き直すくらい事実にこだわられた。
時にそれまで知られていなかった新事実を発見するほど調査し、疑問が生じ納得がいかない時は、その日のうちに飛行機で現地に出向いたりもした。
お二人とも徹底した調査は共通しているが、それを作品として世に出すにあたってのスタンスが異なる・・ということなのだろう。

吉村氏は逃亡する人物を深く調べていくうちに、まるでその人物がのり移ったかのようになり、向こうから警察官が来るのが見えた時に慌てて身を隠したという。
事実が曲げられて不当に悪い評価を与えられたり、歴史の中から抹殺されてしまった人たちは、その悔しさも大きいだろう。
自分について調べてくれるのなら、あの世でそういう人達も喜んでいるのかもしれない。
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