無駄なもの


D810 + AF-S NIKKOR 58mm f/1.4G

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以前働いていた大手企業では、プロジェクトなどが終了すると、膨大な資料を段ボール箱に詰めた。
そして地下にある専用ルームに持っていった。
段ボール箱を台車に乗せて、何往復か運んだのを覚えている。

箱の見えるところに日付を書いて、大きな棚に移す。
ちょうど米国のテレビ番組のコールドケースみたいな感じだ。
棚には、それ以前のものも含めて、多くの箱が並んでいた。

記入された日付から、一定の年月が過ぎると、自動的にそれらの箱は廃棄された。
中に何が入っているかなんて関係ない。
それだけの期間、開けなかったのだから、二度と見ることのない、必要のない書類とみなされるのだ。

これは、多分正しいやり方なのだろう。
10数年も経ってから、あの時の古い資料がどうしても必要・・なんてことは、まず無い。
これだけ世の中の流れが早いと、古新聞では到底役に立たない。
どうしても必要なら、次の世代の人間が、最新のデータで作り直せばいいだけだ。

そうしてどんどん廃棄していくことで、社内がクリーンに保たれる。
有無を言わせず捨ててしまうことで、多少の失敗や損失はあるかもしれない。
しかし大量の資料を、自分の机の周りで何年も積上げるとしたら、そちらのロスの方が大きい。

もっとも今なら無闇にプリントなどしないから、管理方法もかなり違っているかもしれない。
それでも記録媒体の中身の掃除は、やはり重要である。
二度と見ることが無いのなら、ある期間で、強引に削除する仕組みが必要である。

仕事はそれでいい。
しかし個人では、それとまるで逆のことをしている。
部屋には、何年にも渡って、まったく見ることも触れることも無いのが、いっぱい置いてある。
置いてあるというより、積んである・・と言うべきか。
非常にアナログ的である。

大変な無駄ではあるが、これらはすべて僕の宝物でもある。
家人からは、危うく会社方式で廃棄されかかることがあるが・・・(笑)
だが無駄に見えるものほど、後から価値が出てくるのだ。
人生に一番必要なのは、実は無駄なことではないかとさえ思う。
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