転換点


D3X + AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G

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未曾有の大災害でありながら、山のように鮮明な映像が残され、しかもそれを世界中の人が自由に見ることが出来る、という点で、今回の地震は極めて革命的な事件であったといえる。
ネット時代になり、交錯する情報に常に敏感に反応し、それを整理する能力が人に求められるようになった。
ところが今回のように溢れんばかりの情報が飛び交うと、それに対処しきれずに、翻弄されて右往左往したり、ヒステリックに情報を垂れ流す人が大勢出てくる。
意外に若い人が落ち着いているのは、生まれた時から情報過多の環境に慣れていることと・・・そしてもうひとつ重要な要因として、大人たちに対する敬愛が薄く、冷めた目で見ているからかもしれない。

現実の世界はひとつであるにもかかわらず、テレビや新聞を代表とするメディアが構築する世界と、ネット上の抑制の効かない世界とで、極めて対照的な二つの世界が同時に進行している。
今までは、インターネットの発信する情報をまったく知らない人たちが、少なからず存在した。
しかし今回の事件では、テレビで行われていることが茶番であることを、ほとんどの人が認識している。
事件が大きすぎて、裏の世界を隠しきれないこともある。
だが多くの人は、そこに存在する嘘を、嘘と知りながら無言で観察している。
演じている方も、嘘と思われていることを知りながら、演じなければならない。
今ここに、いよいよ転換の時が来たのかもしれない。

インターネットの登場で、平等という名の下に、事実と称される情報をすべての人に発信することを、危険だと警告した人がいた。
事の是非は別として、それが結果的に世界を滅ぼすのではないかという警告だ。
一方で、民衆はすべてを知る権利があるのだと、強く主張する人もいるだろう。
だが確かに、この大きな転換点を超えるためには、実際に多くの命が犠牲になるような気がする。
ひとつ言えることは、すべてが明らかになる世界が訪れるとしたら、どちらの側についたとしても、情報発信を利用して意図的な操作をしようとした者は裁かれるということだ。
そして多分、不幸にも人を敬愛することのできない冷めた目の人間にも、永遠に幸福は訪れないだろう。
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