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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

W杯組み合わせ決定~オランダに栄冠は輝くか

2005-12-11 13:11:16 | スポーツ

 06W杯の組み合わせが決まった。開催国ドイツがクジ運に恵まれたのと好対照に、オランダは予選リーグから厳しい戦いを覚悟しなければならない。V候補アルゼンチン、ドログバを擁するコートジボワール、堅守を誇るセルビア・モンテネグロと同じC組である。E組のイタリアも安閑としていられない。世界ランク2位のチェコ、メキシコより上とみていいアメリカ、タレント軍団ガーナと、予選から息を抜ける試合はない。

 日本はブラジル、クロアチア、オーストラリアと同じF組である。FWに人材を欠く現状では、予選突破はかなり難しいだろう。だが、自主性を重んじ、想像力と創造力の育成に賭けてきたジーコジャパンが、大舞台でミラクルを起こしたって不思議はない。ブラジルが日本との最終戦前に予選を突破していれば、ジーコの顔を立て、手加減してくれるかもしれない。
 
 一つのチームに固執せず、「形」より「内容」を求めてお気に入りを変えてきたが、オランダ代表からは離れられない。1974年W杯で、その革新性と美学に打たれたのだ。決勝で開催国の西ドイツに敗れ、予定調和的なハッピーエンドに至らなかったことを、32年後の今も引きずっている。オランダが同じ舞台で雪辱を果たせば、呪縛から解放され、心からサッカーを楽しめるようになるだろう。

 選手の疲労度とモチベーションの持ちようが、本大会の鍵になりそうだ。サッカー先進国では、選手もファンも代表より「オラがチーム」に忠誠を誓う。チャンピオンズリーグ(CL)で勝ち進んだチームの選手は、W杯開幕(6月9日)までの調整が難しい。その意味で、マンチェスターUのCL早期敗退は、イングランドファンやオランダファンにとって朗報かもしれない。

 戦力比較なら、ブラジル本命は動かし難い。世界NO・1のロナウジーニョ、W杯の頃ピークを迎えそうなロナウド、進境著しいアドリアーノ……。攻撃陣の充実は群を抜いている。C組のオランダとアルゼンチンが対抗だ。オランダはイタリア戦の敗北で評価を下げたが、予選では世代交代が進み、チェコを一蹴した。アルゼンチンの層の厚さは脅威だが、拮抗する選手が多過ぎることがマイナスに作用するかもしれない。決勝はブラジル対オランダ、スコアは3対2というのが、願望を込めた予想である。注目チームはC、Eの「死のグループ」に振り分けられたコートジボワールとガーナだ。

 次回からオセアニア地区がアジアに編入される。ヒディンク指揮下のオーストラリアは、プレーオフでウルグアイを破り、本大会出場を果たした。ニュージーランドも侮れないし、中国も臥薪嘗胆の心意気で臨んでくるだろう。日本の若い世代は、現代表クラスと比べて小ぢんまりしているという指摘もある。次期監督の手腕と思想にもよるが、舵取りを誤れば、W杯出場を逃す可能性もある。世界標準のストライカーを恒久的に望めないのなら、「無個性」と「組織力」を前面に、不気味さと守備力で勝負すればいい。社会も会社も、学校もスポーツも、日本の精神風土には「管理」が一番適しているのかもしれない。
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朝日杯FS~新時代の鐘は鳴るか

2005-12-09 14:35:06 | 競馬

 朝日杯はここ数年、クラシックと直結しないレースになっている。「フューチュリティ」(将来)の看板に偽りありといえるが、今年は精鋭が揃った。クロフネがフサイチリシャール、アグネスタキオンがショウナンタキオンと、同期のGⅠ馬が第1世代を送り込んできたからだ。ちなみに両馬はラジオたんぱ杯で対決しているが、結果はタキオン1着、クロフネ3着だった。ジャリスコライトの父ファンタスティックライトもJC3着(00年)と、ファンに馴染みが深い。サンデーサイレンス最終世代のダイアモンドヘッドも、鞍上(武豊)が先週の雪辱を期しているはず。この4頭が<第1グループ>として、上位人気を占めるだろう。

 マイル適性が試される昨今の傾向を勘案すると、下位人気の馬にも付け入る隙はある。アポロノサトリの父コジーン、ディープエアーの父タイキシャトル、デンシャミチの父サクラバクシンオーはここ数年、名マイラーを輩出してきた。これら<第2グループ>の3頭も争覇圏と考えるべきだろう。

 <第1グループ>の中で将来性を感じるのはショウナンタキオンだ。父サンデー、母父トニービンの社台の基幹種牡馬だけでなく、リマンド、パ-ソロンと日本の競馬界を支えてきたサイアーラインに連なっている。クラシック最有力候補とみたが、このレースを久々で勝ち切るほど血は軽くないだろう。少頭数の東京で連勝したジャリスコライトは、ゴチャつきやすいコースに切れ味を削がれる可能性もある。

 血統的に朝日杯が勝負なのは、フサイチリシャールとダイアモンドヘッドの2頭だと思う。フサイチはライラプスの弟で早熟タイプ、ダイアモンドは母系からマイルがベストか。<第2グループ>で注目するのはアポロノサトリだ。レースぶりに幅があり、一戦ごとに鋭さを増している。中間の気配がいまひとつと伝えられるディープエアー、使い詰めで上がり目に疑問があるデンシャミチは消すことにした。

 阪神JFでフサイチパンドラが連対を果たせなかったように、ここもクラシック向きの資質より、現時点の完成度と器用さを重視する。中山1600㍍は内枠と先行馬が絶対的に有利だ。フサイチの枠番に不安を覚えるが、初志貫徹で本命にする。

 ◎⑫フサイチリシャール、○④アポロノサトリ、▲①ダイアモンドヘッド、△②ショウナンタキオン、△⑦ジャリスコライト。3連単は⑫固定で<⑫・④・①><⑫・④・①・②・⑦><④・①・②・⑦>の18点。馬連は④⑫、①④、②④、④⑦の4点。

 7頭立てのつもりで予想したが、先週のJFは眼中になかった馬が1、2着に入った。今回は当たらずといえども遠からずと思うのだが、果たして……。

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「ご臨終メディア」~熱冷ましに読んだ毒薬

2005-12-07 05:12:47 | 読書

 熱発した。どこでうつったのだろう? 一番近くで息をしているのは、ベランダで遊ぶ鳥たちだ。連中のインフルエンザに俺の「妄想菌」が混ざれば、珍種の病原体が発生しないとも限らない。薬を飲んで横になり、「ご臨終メディア」(集英社新書)を読んだ。そのうち眠りに落ち、オダブツする夢を見る。「死ぬって麻痺することか。気持ちいいんだな」と感じていた。

 森達也氏と森巣博氏という、「非国民」を自任する作家の対談を収録したのが本書である。森氏はオウムの実像に迫ったドキュメンタリーで知られ、森巣氏は異能のアウトローとして注目を浴びている。2時間足らずで読了出来る量だが、強烈な毒を秘めていた。言葉の刃は二十数年、メディアの端っこで生息していた俺自身にも向けられていた。本書を読みつつ思い出した二つの出来事を紹介してみたい。

 その一。昭和天皇が病に臥していた折(88年暮れ)のこと。「陛下」が「陸下」で印刷に回る寸前、誤りに気付いて後輩に指摘した。すると彼は、「知ってます」と涼しい顔で言葉を繋いだ。「このビルには、ヘルメットとゲバ棒で社会を変えようとした人(全共闘世代)がいっぱいいる。皇室記事の誤りに泣きそうな顔で右往左往するなんて、情けないじゃないですか。このまま出して反響を見ましょう」と……。俺は職業倫理を優先し、「陸」を「陛」に直した。数カ月後、彼は会社を辞める。

 その二。10年以上前のことだが、小学生殺害事件の記事に、後輩と二人で悩んでしまった。警察のリークなのか、書き手に確信があったのかはともかく、「犯人=家族」と断定されていたからだ。出稿サイドに問い合わせたが、「そのまま」という答えだった。忘れかけた頃、事件は解決する。犯人は家族ではなかったが、お詫びの記事は出なかった。

 日本のメディアは強者の顔色しか窺っていない。JR西日本の事故にしても、根底にある民営化の是非についての議論は起きなかった。耐震データ偽造問題にしても、大手ゼネコンや政治家まで波及する可能性は低いと思う。森巣氏はオーストラリア在住だが、当地において国営メディアは、政府にも厳しく対応しているという。最近テレビで見たが、ベルルスコーニ首相をパロディーにして笑い飛ばす番組が、イタリアで高視聴率を稼いでいる。オーストラリアでは保守と社民が拮抗し、イタリアでは左派が一定の勢力を保っている。政権の行方が流動的だからこそ、メディアは権力のチェック機構足りうる。日本では望むべくもない状況だ。

 別稿(9月12日)で「草の根ネットワークの可能性」を提示したが、現実は厳しい。サラリーマン増税が表面化した時、森永卓郎氏は「フランスなら全土でデモが起き、韓国だったら労働者が火炎瓶を投げている」と語っていたが、統制が行き渡った日本では大きな動きはなかった。それでも権力者は不安のようで、与党はメディアをめぐる懇親会を準備している。別口でブロガーを囲い込む作戦も練っており、ホリエモンが一枚噛む可能性も高いとみた。

 リーズ留学中の後輩からメールが届いた。当地の大学では、ブッシュ=ブレアが主導する世界戦略に反対し、シンポジウム、集会、デモが頻繁に企画されているという。反グローバリズム、アラブとイスラエルの対立、人権問題、エイズ、アフリカの貧困、ジョン・レノン追悼、チャリティーに至るまで、学生は常にメッセージを発信し、行動の核となっている。他の欧米諸国や韓国でも、60年代ほど熱くないにせよ、若者たちが多様な価値観を掲げ、自己を表現している。「自由は自由を求める精神の中にある」という小林秀雄の論点に立つなら、日本では既に、自由は死んでいる。

 筑紫哲也氏は総選挙の結果を踏まえ、「自民党の大勝はメディアと関係ない。国民はテレビに振り回されるほど愚かではない」と「ニュース23」でコメントしていた。一方で森氏は本書において、「日本から社会が消え、世間しか存在しなくなった」と分析し、一因として国民の情動に迎合するメディアの姿勢を挙げていた。筑紫氏はキー局のキャスターでありながら、反体制を標榜する「週刊金曜日」の編集委員を務めている。氏が傑出したジャーナリストであることを否定しないが、主観と客観の狭間を泳ぐバランス感覚の中に、この国のメディアの病根が透けて見える。

 そういや、「ご臨終メディア」というタイトルも振るっている。「死ぬって麻痺することか。気持ちいいんだな」……。俺はもう一度、夢の中の感覚を思い出していた。


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「パッチギ!」食らって涙寸前~感動拒絶症をも癒す映画

2005-12-05 02:09:42 | 映画、ドラマ

 今回は井筒和幸監督の「パッチギ!」について、「ガキ帝国」を下敷きに語りたい。

 俺は「感動拒絶症」かもしれない。ヒューマンドラマ、サッカー日本代表戦、お祭り、ディズニーランドなど、感動の共有を押し付けられそうなものは拒絶してしまう。今年に入ると、人と会うたび「パッチギ!」絶賛を聞かされた。ブログを眺めても、映画通、アウトサイダー、ラディカルたちまで「ガキ帝国」を超えたと熱く語っている。「感動してたまるか」とヘソを曲げてきたが、遂に昨夜、PPVで録画した本作を見た。

 1968年の京都を舞台にした青春群像劇である。郷里ゆえ、ノスタルジックな気分は5割増ってとこか。府立高生の康介と朝鮮高生のキョンジャの恋を軸に、ストーリーが進んでいく。民族分断の悲劇を歌った「イムジン河」を通し、二人は親しくなった。夜の川、自分が立つ岸まで泳いできた康介に、「わたしと結婚したら、コウちゃんは朝鮮人になれる」とキョンジャが問い掛ける。二人の距離が象徴的に描かれた場面である。

 ベトナム戦争、学生運動、北朝鮮のW杯での活躍、オックスの失神騒動など、当時の世相や流行が織り込まれていた。ケンカのシーンも「ガキ帝国」に劣らず生々しい。「パッチギ」とは頭突きのことで、作品中、何発もカマされていた。「ガキ帝国」では負け組だった「ホープ会」を登場させたのは、監督のサービス精神の表れだろう。

 後半に進むにつれ、少しずつデスパレートしていく。在日の長老が創氏改名、強制連行の事実を語り、「ニッポンのガキ、何も知らないなら、ここから出て行け」と、弔いの席から康介を追い出す場面も印象的だ。「ガキ帝国」でも差別は描かれていたが、本作ではさらに前面に出ていた。民族間の負の歴史を前に、康介とキョンジャの恋も風前の灯になる。「パッチギ」には突き抜けるという意味もある。強固な愛、不抜の勇気が壁を壊し、向こう側に辿り着くことは可能だろうか……。

 エンディングで「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れ、登場人物のその後が紹介される。「心と心が今はもう通わない」と「あの素晴らしい愛をもう一度」の逆説的なフレーズの繰り返しに、作品の余韻とカタルシスが染み込んでいくのを覚えた。

 「ガキ帝国」はアンチフェミニズムの色が濃かったが、本作ではキョンジャを瑞々しく演じた沢尻エリカをはじめ、女の子が魅力的に描かれていた。主役クラスの若者たちは朝鮮語のマスターなど、時間を掛けて役作りに励んだことが窺える。地のままで演じられた「ガキ帝国」とは対照的である。左翼教師をコミカルに演じた光石研(共産党の穀田代議士と似ている)、ヒッピー青年役のオダギリジョー、信念を貫くディレクター役の大友康平など、個性派が脇を固めていた。

 「ガキ帝国」の結末は、鞘を失くしたナイフみたいに救いがなかった。あれから二十余年、成熟と余裕を纏った井筒監督は、心を揺さぶる人生賛歌を世に送り出した。ビッグマウスもダテではない。「パッチギ!」は「ジャパニーズグラフィティⅡ」と呼ぶべき大傑作だった。

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祭りの後のジュベナイル~冷や飯騎手にエールを

2005-12-03 02:27:52 | 競馬

 先日、「トップランナー」に福永が出演していた。「武豊TV!」ではおちゃめキャラだが、NHKでは来し方の反省と将来のビジョンを、真剣な面持ちで語っていた。福永は<技術+度胸+愛嬌>を武器に、トップジョッキーへの階段を着実に登っている。「馬と話せる男」といわれた父(洋一氏)にどこまで迫れるか注目したい。

 JCで一息ついた秋GⅠシリーズだが、今週は2歳牝馬NO・1決定戦のジュベナイルフィリーズだ。阪神マイルは最初のコーナーまで182㍍で、内枠の先行馬が後手を踏めば致命傷になる。アップダウンはあるわ、ごちゃつくわ、息は入らないわで、展開や運にも左右される。スイープトウショウ、ラインクラフトの断然人気馬も連を外したが、両馬はくしくもエンドスウィープ産駒だった。

 鞍上(武豊)を加味し、アルーリングボイスが1番人気だろう。母系は阪神苦手とされるエンドスウィープだが、アンブロワーズ(昨年2着)と同じフレンチデピュティ産駒で、マイルはぎりぎりの守備範囲だ。モマれず進める⑭番枠も恵まれた。横山典騎乗のコイウタにとって①番枠はマイナスだが、牡馬と伍してきた実績からも好勝負は可能だ。

 人気騎手を鞍上に据えた上記2頭より注目したのが、冷や飯組が騎乗する馬たちだ。GⅠで10勝(重賞は計31勝)を挙げるなど20代で脚光を浴びた角田だが、今年はまだ10勝と、かつての輝きは失せてしまった。角田は今回、フサイチパンドラに騎乗する。新馬戦の内容も高評価で、血統からも上位人気が予想される。小林淳(今季18勝)が騎乗するアサヒライジングにも期待する。無理なく先行できれば、2歳牝馬に酷なコースで「血の重さ」が生きるかもしれない。

 取捨に迷う馬も多い。切れ味鋭いアイスドールは、レースごとに馬体が減っている。先行できそうなエイシンアモーレは、久しぶりが不安だ。前走で後手を踏んだブラックチーターは、調教がイマイチらしい。3頭まとめて消すことにする。

 結論……。◎⑯フサイチパンドラ、○⑨アサヒライジング、▲⑭アルーリングボイス、△①コイウタ。3連単は⑯1頭軸で<⑯・⑨・⑭><⑯・⑨・⑭・①><⑯・⑨・⑭・①>の14点。馬連は⑨⑯、⑭⑯、①⑯の3点。

 そういや2年前、角田はスイープトウショウに騎乗していた。敗戦が乗り替わりの要因になったことは想像に難くない。今回のフサイチパンドラにしても、馬主(関口氏)なら藤田、厩舎(白井)なら武豊と、ラインが敷かれている。勝っても安閑としていられないが、ここは冷や飯男の意地に期待したい。

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聴くたび疼く青い傷~極私的ルースターズ論

2005-12-01 01:39:45 | 音楽

 先日、バッヂの再発盤を購入した。キング時代のシングルが16曲分まとめて収録されている。バッヂが「めんたいロック」の一翼を担ったバンドなら、中心的存在だったのがルースターズだ。今回は感傷を交え、一つのバンドについて語りたい。

 フラフラしていた20代、ある女の子にいきなり手渡されたのがルースターズのチケットだった。突如ボタ餅が降ってきて、パクッと食らいついた刹那、落ちてきた鉄の皿に脳天を叩かれる……。こんなパターンを繰り返してきたが、恋愛にはきっと、同じ量の甘さと痛みが必要なのだろう。

 彼女にとって<ルースターズ=大江慎也>で、他のメンバーは眼中になかった。大江と同郷(福岡)で、前身のバラ族、人間倶楽部時代からの追っかけだった。彼女は「ロージー」に歌われた女の子みたいに「イケナイことはすべて試した」ように見えたが、背徳一直線でもなかった。溝口、アンゲロブロスからパンク、戦後詩に至るまで、教わることは実に多かった。

 別稿(5月14日)にも記したが、大学の後輩たちと訪れた反核集会(代々木公園)の記憶は鮮明に残っている。ルースターズが演奏を始めた時、行進待ちでステージ前に待機していたのは、解放同盟の一団である。当時の解同は差別表現の問題に取り組んでいた。「ヤバイな」と仲間と顔を見合わせた時、大江は差別語がちりばめられた日本語バージョンの「レッツ・ロック」を歌い出す。確信犯に相違なかったが、隊列から「糾弾」の声は上がらなかった。大江が下手なため、歌詞を聞き取れなかったのだろう。

 3rdアルバム「インセイン」、続く12インチシングル「イン・ニュルンベルグ」でビートを極めたルースターズに暗雲が立ち込める。大江が心身の不調に陥り、ライブで奇矯な振る舞いが目立つようになった。相前後して初期のバンドを支えた怪物池畑が脱退する。池畑は後にJUDEの初代ドラマーになった。大江と浅井健一(ベンジー)というコアなカリスマとバンドを組めたのだから、幸せなロック人生といえるだろう。

 大江在籍時の最後のアルバム「φ」が発売された時には、彼女と疎遠になっていた。私的な思い出とも重なり、「φ」の儚く絶望に満ちた音に触れるたび、青い傷が疼いてくる。花田と下山が入退院を繰り返す大江を抱えるようにスタジオに運び、同作を完成に導いたという。

 新生ルースターズを初めて見たのは日比谷野音で、ジュリアン・コープとの共演だった。花田の「大江です」のMCに、大江だけでなく、彼女の不在に思いを馳せた。下山の比重が増していくバンドは、最後のメンバーチェンジで大噴火する。停滞感を引きずっていたルースターズが、充実したリズム隊を得て生き返ったのだ。花田と下山がかき鳴らすツインギターが、バンドの歴史に終止符を打つ。渋谷公会堂でのファイナル公演(88年7月)を収録した「フォーピーセス・ライブ」は、燃え尽きる瞬間の輝きを捉えている。最後の数カ月、ルースターズは間違いなく日本屈指のライブバンドだった。

 ルースターズには「流転」という言葉がよく似合う。ストーンズぽいバンドがPIL風になったと思ったら、ダウナーなニューウェーブになり、轟音ギターバンドとして活動を終えた。記憶に新しいのはフジロック04だ。メーンステージでオリジナルのルースターズが一日限定で復活する。出番のなかったベンジーも苗場を訪れ、彼らへの敬意が窺えるコメントを残していた。トリビュートアルバムにはケムリ、ピールアウト、ミシェルガン、ピロウズ、スーパーカー、スカパラらが名を連ねている。ちなみにミシェルガンのいでたちは、初期ルースターズそのものだ。世間的には無名に終わったルースターズだが、邦楽ロックを現在の隆盛に導いた功績で、彼らを超える存在はないと思う。

 ルースターズが解散した頃、彼女は波瀾万丈のさなかにあった。その後、悲しい噂も耳にしたが、実際のところはわからない。その魅力ゆえ、彼女はあまりにたやすく愛を手にした。そのことが「躓きの石」になったのだろうか。神とは気まぐれで、時に残酷な仕打ちをするものだから……。

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