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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

聴くたび疼く青い傷~極私的ルースターズ論

2005-12-01 01:39:45 | 音楽

 先日、バッヂの再発盤を購入した。キング時代のシングルが16曲分まとめて収録されている。バッヂが「めんたいロック」の一翼を担ったバンドなら、中心的存在だったのがルースターズだ。今回は感傷を交え、一つのバンドについて語りたい。

 フラフラしていた20代、ある女の子にいきなり手渡されたのがルースターズのチケットだった。突如ボタ餅が降ってきて、パクッと食らいついた刹那、落ちてきた鉄の皿に脳天を叩かれる……。こんなパターンを繰り返してきたが、恋愛にはきっと、同じ量の甘さと痛みが必要なのだろう。

 彼女にとって<ルースターズ=大江慎也>で、他のメンバーは眼中になかった。大江と同郷(福岡)で、前身のバラ族、人間倶楽部時代からの追っかけだった。彼女は「ロージー」に歌われた女の子みたいに「イケナイことはすべて試した」ように見えたが、背徳一直線でもなかった。溝口、アンゲロブロスからパンク、戦後詩に至るまで、教わることは実に多かった。

 別稿(5月14日)にも記したが、大学の後輩たちと訪れた反核集会(代々木公園)の記憶は鮮明に残っている。ルースターズが演奏を始めた時、行進待ちでステージ前に待機していたのは、解放同盟の一団である。当時の解同は差別表現の問題に取り組んでいた。「ヤバイな」と仲間と顔を見合わせた時、大江は差別語がちりばめられた日本語バージョンの「レッツ・ロック」を歌い出す。確信犯に相違なかったが、隊列から「糾弾」の声は上がらなかった。大江が下手なため、歌詞を聞き取れなかったのだろう。

 3rdアルバム「インセイン」、続く12インチシングル「イン・ニュルンベルグ」でビートを極めたルースターズに暗雲が立ち込める。大江が心身の不調に陥り、ライブで奇矯な振る舞いが目立つようになった。相前後して初期のバンドを支えた怪物池畑が脱退する。池畑は後にJUDEの初代ドラマーになった。大江と浅井健一(ベンジー)というコアなカリスマとバンドを組めたのだから、幸せなロック人生といえるだろう。

 大江在籍時の最後のアルバム「φ」が発売された時には、彼女と疎遠になっていた。私的な思い出とも重なり、「φ」の儚く絶望に満ちた音に触れるたび、青い傷が疼いてくる。花田と下山が入退院を繰り返す大江を抱えるようにスタジオに運び、同作を完成に導いたという。

 新生ルースターズを初めて見たのは日比谷野音で、ジュリアン・コープとの共演だった。花田の「大江です」のMCに、大江だけでなく、彼女の不在に思いを馳せた。下山の比重が増していくバンドは、最後のメンバーチェンジで大噴火する。停滞感を引きずっていたルースターズが、充実したリズム隊を得て生き返ったのだ。花田と下山がかき鳴らすツインギターが、バンドの歴史に終止符を打つ。渋谷公会堂でのファイナル公演(88年7月)を収録した「フォーピーセス・ライブ」は、燃え尽きる瞬間の輝きを捉えている。最後の数カ月、ルースターズは間違いなく日本屈指のライブバンドだった。

 ルースターズには「流転」という言葉がよく似合う。ストーンズぽいバンドがPIL風になったと思ったら、ダウナーなニューウェーブになり、轟音ギターバンドとして活動を終えた。記憶に新しいのはフジロック04だ。メーンステージでオリジナルのルースターズが一日限定で復活する。出番のなかったベンジーも苗場を訪れ、彼らへの敬意が窺えるコメントを残していた。トリビュートアルバムにはケムリ、ピールアウト、ミシェルガン、ピロウズ、スーパーカー、スカパラらが名を連ねている。ちなみにミシェルガンのいでたちは、初期ルースターズそのものだ。世間的には無名に終わったルースターズだが、邦楽ロックを現在の隆盛に導いた功績で、彼らを超える存在はないと思う。

 ルースターズが解散した頃、彼女は波瀾万丈のさなかにあった。その後、悲しい噂も耳にしたが、実際のところはわからない。その魅力ゆえ、彼女はあまりにたやすく愛を手にした。そのことが「躓きの石」になったのだろうか。神とは気まぐれで、時に残酷な仕打ちをするものだから……。

コメント (2)
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