酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「SUPER8」~クストリッツァが志向するもの

2005-12-27 03:09:41 | 映画、ドラマ

 この数年、エミール・クストリッツァと頻繁に出くわしていた。政治に弄ばれた家族の哀歓を描いた「パパは出張中」(84年)に感嘆し、カンヌグランプリ受賞作「アンダーグラウンド」(95年)の寓意とスケールに圧倒された。「SUPER8」(01年)で音楽の楽しみ方を再認識させられたが、この3本が同じ監督と気付いたのは、「きょうの世界」(BS1)がきっかけだった。番組内でクストリッツァ監督と紹介された中年男が、「野蛮な政治家や金に目がくらんだ資本家たちが、人々を憎悪に駆り立てた」とボスニア内戦についてコメントしていた。

 その個性的な顔にピンと来た。「SUPER8」の主役、ノー・スモーキング・オーケストラのギタリストだったからである。同作は欧州ツアー中のバンドに迫ったドキュメンタリーだが、内戦の癒えぬ傷が窺えた。クストリッツァ自身、「アンダーグラウンド」をセルビア寄りと非難され、苦悩した時期があったという。95年7月、スレブレニッツァの国連保護軍は「民族浄化」を掲げるセルビア軍に蹂躙され、数千人にも上るイスラム系住民の虐殺を防げなかった。地上軍派遣を渋ったクリントン大統領だが、軍需産業と連動してコソボを空爆し、多くの民間人の命を奪う。ステージから「ブラザー、シスターよ、美しい友情の始まりだ」と語りかけるクストリッツァの言葉に、民族が共存していた旧ユーゴスラビアへの郷愁がこもっていた。

 パリやベルリンでのライブは圧巻で、著名ミュージシャンとの共演シーンも見どころだ。その中の一人、故ジョー・ストラマーは「過去と未来を繋ぐ音楽だ。あいつらには敵わない」と絶賛し、クストリッツァのギリシャとユダヤの血に言及している。ノー・スモーキング・オーケストラはロマを含めた周辺地域のトラッド、パンク、ジャズ、クラシックなど、あらゆるジャンルの音楽の精神と形式を吸収し、坩堝で煮立てた。ストラマーがクラッシュ以降に関わったポーグスと同じ匂いがするバンドである。

 クストリッツァらしい醒めた目、ユーモア、風刺精神が隅々まで行き渡っていた。モノクロで紹介されるメンバーの素顔も微笑ましいが、さすがに自身は控えめに描いていた。ドラマーでもある巨漢の息子と力比べをして周囲を和ませるなど、どこにでもいそうな小汚いオッサンである。地下室でのセッション中、公安担当者が現れ身分証の提示を求めるシーンが印象的だ。決して自由といえない当地の政治風土の反映だろう。彼らの音楽が民衆の中で育まれたことは、葬式での演奏で日銭を稼いだというエピソードからも明らかだ。

 映画にせよ、音楽にせよ、クストリッツァは異質な要素を融合して昇華する当代一の才人だ。東欧の苦難の歴史を教訓に、<排除と差別>を超えた<共生>を志向しているのだろう。

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