今日(12月29日)は石川淳の命日だ。18年前のこの日、88歳でこの世を去った。俺の能力では全体像を把握することは不可能で、曖昧なイメージを描いているに過ぎないが、好きな作家を一人選ぶなら、迷うことなく石川を挙げる。
石川は苛烈な批評家でもあった。<老境に達して目も当てられぬほど堕落した。その怠慢が残念でならない>という内容の永井荷風追悼文は世を驚かせ、<一貫して傍観者であり、民衆のエネルギーを作品に内包する営為を回避した>という論旨で森鴎外を批判している。大家への手厳しい言葉は自らへの戒めで、石川自身、荷風や鴎外と同じ轍を踏むことはなかった。
デビューは30代後半と遅く、還暦前後から本領を発揮し始め、81歳で最高傑作の「狂風記」を完成させる。立石伯氏は「石川淳論」で、<壮年期に於て老年を、老年に於て青春を考えた>作家であり、<以前に達成した仕事を否定するような新たな作品を創りあげることによって、たえず生成するものとしての作家になること>を課したと分析している。石川は脱皮と止揚を繰り返した作家であり、試行錯誤によって生じる破綻が、作品に顔を覗かせることもあった。
古典に通底する饒舌な文体は、三島由紀夫、開高健と並ぶ日本文学の精華である。三島がモーツァルト、開高がベートーベンなら、石川の文体はロマ楽団が奏でる始原のリズムとカオスを秘めている。自らの10代から逃れ切れなかった三島、小説以外へと軸足を移していった開高と対照的に、石川は齢とともに質量をため、スケールとバイタリティーを拡充していった。日本人独特の情念や感性に根差していたからこそ、旺盛な創作意欲を保持できたのだろう。
青年期の蒼さと苦悩を克服し、社会構造を熟知した段階でデビューしたことが、梁の太さになって表れている。自らを「人外」の存在と規定し、孤独を友に文学と格闘した石川だが、登場人物も作者を投影していた。疎外された者、排除された者たちが融通無碍に動き回り、倫理を紊乱させ、価値観を顛倒していく。青年期、アナキズムに傾倒したとされるが、限りない自由を希求し、形や制度に懐疑的だった。フランス語教師時代、左翼運動に関与して職を失い、「マルスの歌」が反軍的として発禁処分を食らった経験からか、腐敗する権力と空洞化する思想には与しないという姿勢が読み取れる。
石川淳とは<永遠の未完>かもしれない。「きもちといふ不潔なもの」と表現しているように、個々の内面や葛藤を超越した虚構を設定し、宿命の糸に操られる独楽としての人間を描いた。<聖と俗>、<神話とご都合主義>の境界線上に成立したのが、「狂風日記」や「荒魂」といった傑作群である。どこか妖しく呪術的で、マジックリアリズムに近い部分もある。人生の最晩年を迎えたら、未読再読を問わず、石川淳の全作品を紐解いてみたい。冥途の土産として最高級の部類に属することは言うまでもない。