酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

改憲は「更年期国家」のバイアグラ?

2005-11-07 01:54:56 | 社会、政治

 先日(4日深夜)、「朝まで生テレビ」を見た。テーマは憲法改正の是非である。自民党の新憲法草案が遡上に載せられていたが、9条以上に興味深かったのは、前文をめぐる議論だった。改憲派イデオローグの小林節氏(慶大教授)は、前文に盛り込まれた愛国心や道徳律に疑義を呈していた。草案作成を担った中谷元氏(元防衛庁長官)が「国と国民は一体」と述べるや、「国と国民が対立する意志であることこそ憲法論の基本」と小林氏は反論した。「国を愛するからこそ国民」と頑張る中谷氏の発言に、公権力を国民より上位に置く自民党の意図が浮き彫りになった。パネリストたちの意見を総合すると、主権在民という基本理念について、自民党の草案は帝国憲法より後退しているということになる。

 今後も様々な場で激論が交わされるだろうが、護憲、改憲、創憲、加憲のそれぞれの立場から、各の国家像が明示されることを期待したい。例えば「対米依存国家」、「共生国家」、「福祉国家」、「調停国家」、「自立国家」、「脱亜国家」……。別稿(5月2日)にも記したが、俺の頭に浮かぶのは「和み国家」だ。明治維新から敗戦まで、敗戦から今日までと、日本人は二つのレースを、休憩を挟まず走り続けてきた。少子化やニートの根幹にあるのは、政治や経済の問題というより、「民族としての疲労」の表れではなかろうか。現行憲法こそ「更年期国家」の日本に相応しいはずだが、お上の考えは違う。憲法草案は第3レース開始を告げる笛であり、国民を駆り立てるための「バイアグラ」である。

 若者たちの多くは、9条改正を含め改憲の方向性を支持している。自衛軍創設の折にはそれなりの義務を果たす心づもりなのだろう。彼らの考えや感覚を理解するには年を取り過ぎてしまったが、保守化とは別物だと思う。伝統文化や皇室への関心は低いし、「もののあはれ」といった日本古来の精神風土への傾倒も見られない。排外主義で括るのも無理がある。確かにネット上では中韓への悪感情はくすぶっているが、人的、文化的な結びつきも強い。偏狭な愛国心より、ボーダレスで親和的な感覚の方が一般的だと推察する。

 若者の意識の軸になりつつあるのは、アメリカ的思考だと思う。アメリカ的といっても、ニューヨークやロサンゼルスに顕著なリベラリズムではない。「自己肯定」、「力への憧憬」、「目に見えるものへのこだわり」といった中西部の共和党支持者の意識が接ぎ木されたのだ。「テキサス化」した若者のアイドルが、小泉首相や安倍官房長官である。

 この流れは数年間続くだろうが、その後はわからない。人の心は移ろいやすい。例えば団塊の世代……。若い頃、リベラルもしくはラディカルとして変革を試みた(らしい)が、彼らが指導的な立場を占めるにつれ、日本は右に舵を取った。その子供たちが、今日の若者たちである。30年後、日本はどんな国になっているのだろう。あの世からこっそり見物することにする。

コメント (10)
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