「CSIシリーズ」を見ていると、21世紀はミステリーの墓場に思えてくる。「証拠がすべてを物語る」がグリッソム主任の口癖で、現場で採取されたあらゆるデータから真実があぶり出される。推理の類を披瀝したら、グリッソムの冷たい一瞥にさらされるのがオチだ。
さて、本題。日本映画専門チャンネルで「不連続殺人事件」(77年、曽根中生監督)を見た。封切り時以来だから28年ぶりである。原作者の坂口安吾は連載時(47~48年)、読者に挑戦状を突き付け、世間は大いに盛り上がったという。ミステリーと読者の蜜月時代に書かれた小説だが、原作の台詞が多用された映画の方も、文学の薫りが漂う傑作である。終戦の詔勅、銀座を闊歩する米兵、DDTで消毒される日本人の姿が、プロローグのブルートーンの画面に映し出される。本作の背景は言うまでもなく、戦後の価値転倒と風俗紊乱である。
ミステリーなので、未見(未読)の人の興趣を削がぬよう概要だけを記す。冒頭、歌川一馬が画家の土居を訪ね、愛人のあやかを20万で譲り受ける。一馬は資産家の後継ぎで、闇市でさらなる富を築いた男という設定である。それから10カ月、作家の矢代の元に、改竄された一馬の招待状が届く。歌川家と浅からぬ因縁のあるデカダン、ニヒリスト、無頼派、悪党が旧家に手繰り寄せられる。その中に土居もいた。込み入った相関図こそ、不連続殺人の舞台装置だった。
曽根監督はロマンポルノで鳴らしていたが、配役に「らしさ」が窺える。伊佐山ひろ子、絵沢萌子、宮下順子らにっかつの人気女優が、肉体ではなく押さえた演技で妍を競っている。ヒロインのあやかを演じたのは夏純子だ。目に力がある女優で、意志と激情を秘めた女を演じ切っていた。男優陣で異彩を放っていたのが土居役の内田裕也だ。独特の台詞回し、研ぎ澄まされた肉体、チープな不良性が、安吾の世界と見事にマッチしていた。
人間関係の煩雑さで混乱を来しても、解決編で靄が晴れる。巨勢博士が緻密な計画殺人と突発殺人の連鎖を、スッキリほぐしてくれるからだ。キーワードは「心理の足跡」である。犯人の心理を格調高く描いたからこそ、ミステリー史上NO・1の評価を確立したのだろう。頼りなげだった探偵がラストで才気を爆発させる場面に、クリスティや横溝正史の作品を想起してしまう。だが、後半部分で過去の経緯を提示する反則は犯していない。観察力と分析力に優れていれば、真相を言い当てることは可能だ。横溝的なおどろおどろしさとも無縁である。安吾は日本的情念と距離を置いていたからだ。
形式は推理小説だが、安吾の精神が隅々にまで反映されている。孤独と破滅を恐れずに欲望を追求することが堕落であり、堕落の徹底こそ遺制からの解放に繋がると安吾は説いていた。安吾流の堕落を地で行ったのが、現実では光クラブの山崎晃嗣であり、フィクションなら本作の犯人である。
堕落と口で言うのは簡単だが、目指すとなると道は険しい。俺も一丁と思うのだが、自滅か腐敗ぐらいでとどまってしまいそうだ。