酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「未明の闘争」~保坂和志が踏み入れた曠野

2015-06-20 20:10:52 | 読書
 俺が中野区議選で関わった杉原浩司さん(緑の党)が、「報道特集」(13日、TBS系)でクローズアップされていた。「武器商談会」(パシフィコ横浜)会場に単身現れ、武器輸出に抗議の声を上げている。独りで闘う姿勢に、俺は任侠映画のヒーローを重ねていた。ちなみに杉原さんの活動は海外メディアでも紹介されている。

 準備不足もあって落選したが、山本太郎参院議員は「霞が関は誰よりも杉原さんの突破力を恐れている」と応援演説で話していた。杉原さんは反原発を軸に、秘密保護法や集団的自衛権に「NO」を突き付けている。様々な市民運動を束ねる存在で、ガザを空爆したイスラエル大使館への抗議活動でも先頭に立っていた。信念と情熱の男を、微力ながらも支えていきたい。

 前稿に記した「国会包囲集会」で、大江健三郎のアピールはなかった。高齢でもあり、集会等の参加は控えるつもりだという。ケチをつけることが多かったが、<知識人としての責任>を全うした大江に敬意を表したい。

 大江を引き継げる作家としてまず浮かぶのが、小説や数々の論考で日本の現状を鋭く抉る星野智幸だ。平野啓一郎や中村文則も、社会にコミットする機会が増えている。知名度ではノーベル賞作家に遠く及ばないが、協力すれば〝大江枠〟は埋められる。彼らの明晰かつ奥深い洞察は、既に大江を凌駕している。

 老眼で字が読みづらくなったせいか、読書が進まない。直近でいえば、読書以外に目を使う機会が増えたことも大きい。差し迫ったPOGドラフトに向け情報をため込んでいる。POG関連誌(紙)は細かい活字がぎっしりで、虫眼鏡なしでは読めない。情けない話だ。

 この間、内外のミステリーを1冊ずつ読んだが、ブログに感想を記すほどではではない。そろそろ〝重い本〟をと手にしたのが保坂和志著「未明の闘争」(13年、講談社)である……と書いたが、以前の2冊、「季節の記憶」と「残響」(ともに中公文庫)の印象から、〝重い〟はずはないと高を括っていた。

 今思えば、奇妙なタイトルに作意――この本と闘争する覚悟はありますか――が込められていたのだろう。そして俺は、見事なまでに完敗した。以下の感想は普段以上に説得力がない。 

 山梨生まれで湘南に育ち、西武百貨店コミュニテイーカレッジに就職し、後に作家に転身する……。主人公の私≒保坂自身で私小説かと思いきや、冒頭に謎が仕掛けられていた。葬儀に参列した篠島(元同僚)の姿を、私は池袋で目撃する。テーマは<生と死の境界>と勝手に判断してページを繰っていくと、映画好きの中国人ホステスが「雨月物語」について論じ、さらに幼馴染のアキちゃんがドストエフスキーの「分身」について滔々と語るのだ。

 「季節の記憶」では圭太少年を先導役に、会話は形而上にジャンプした。「未明の闘争」で圭太に近い役割を担っていたのが、ガテン系バイク乗りのアキちゃんだ。直感が鋭い自由人のアキちゃんは平易な語り口で、<世界をどう認識するか>というテーマに斬り込んでいく。哲学に造詣の深い私をタジタジとさせるアキちゃんはある意味、主人公の分身といっていい。

 常識的な小説から逸脱した作品であることに気付いていく。保坂は記憶の箱から取り出したジグソーパズルをばらまき、時空を行き来してピースを再構成していく。アキちゃんの冗舌がいきなり少年時代の犬の散歩シーンになり、不倫旅行が唐突に猫の描写に変わる。和歌山の友人宅を訪れたと思ったら、時間はたちまち遡り、10代の頃の私がライブハウスにいる。

 タイプは違うが、古井由吉の小説を読んでいる時のような不安と混乱に惑うばかりだ。壊れたのか? いや、意識的に壊したのだ。日常(踏襲)に甘んじることなく闘争(変革)を選び、保坂は曠野に踏み入れた。俯瞰すると、以下のような光景が浮かんでくる。

 保坂はテレビ局の巨大なコントロールルームにいて、リモコンを握っている。半世紀を超える無数の記憶から気紛れに、いや明確な意図を持って選んだ場面を次々に映し出していく……。このように構築された本作のシーンの連なりを、俺は理解出来なかった。完敗とはこういうことだ。

 保坂は大の猫好きで、本作にも自身が飼う猫、近所の猫コミュニティーが描かれ、猫を哲学している。登場人物と猫の個性も、底で繋がっているのだろう。〝起〟の篠島の幽霊?と〝結〟の猫のゴンちゃんが、〝承転〟抜きでショートし、ジ・エンドとなる。

 循環して流れる時間に、俺の思考回路と体内時計まで歪んだ。本作と格闘するうち、猫が脳内に忍び寄ってくる。夢の中、公園にたむろしていたのはカラフルな模様をした子猫たちだった。手を差し伸べた刹那、目が覚めたが、夢で覚えた安らぎと癒やしこそ、保坂ワールドのそもそもの肌触りである。

 俺と同年(1956年)生まれの保坂は、本作を57歳時に発表した。石川淳が58歳で著わした「紫苑物語」は飛翔の出発点で、椎名麟三が同年齢で世に問うたパンク精神に溢れた「懲役人の告発」はキャリア最後の精華になった。近いうちに読むカズオ・イシグロは60歳、笙野頼子は59歳……。凡人アラカンの俺は心身の衰えを嘆くばかりだが、彼らをお手本に、老いを磨く方法を見つけたい。
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