ロバート・アルトマン監督が亡くなった。享年81歳である。複数の主観でストーリーを進行させ、時間と空間を切り刻む手法で群像劇を構築した。傑作、怪作ぞろいだが、「ニューヨーカーの青い鳥」と「ショート・カッツ」がとりわけ記憶に残っている。ご冥福をお祈りしたい。
さて、本題。NHKで放映された「チャップリン 世紀を超える」は、未使用フィルム(アウトテイクス)発見を機に制作されたドキュメンタリーだった。
チャップリンは終生、弱者の視点を失わなかったが、生まれ育ったロンドンの貧民街が原点だった。3歳まで生き永らえるのは希な場所で、這い上がる術はパントマイムだった。<演技者チャップリン>は体を張ったフィジカルな表現を志向する。サーカスの綱渡りのシーンも、2カ月練習して自ら演じていた。
「独裁者」ではヒトラーをパロディーにしたが、<演出家チャップリン>はヒトラー顔負けの独裁者だった。アイデアが浮かべば次々試し、準備したストーリーを根本から覆している。撮影を繰り返す過程でギャクのレベルを上げる様子が、アウトテイクスに記録されていた。ドリフターズも故いかりや長介さんの下、本番ぎりぎりまでリハーサルを繰り返し、アドリブは一切なかったという。万人を笑いに誘うギャグは、身を削る作業によって誕生するものなのだろう、
1930年代前半、チャップリンは世界を旅し、チャーチル、アインシュタイン、ガンジーらと歓談した。番組では紹介されなかったが、チャップリンは来日時、5・15事件のテロ対象者だった。相撲観戦で難を逃れたが、日本の国粋主義者は既にチャップリンを危険視していた。
「モダンタイムズ」(36年)はフォードの自動車工場にヒントを得たとされるが、俺の妄想ではルネ・クレールの「自由を我等に」(31年)が元ネタである。「自由を我等に」では人間不要の工場まで想定されているし、2人の主人公が放浪の旅に出るラストも「モダン・タイムズ」とよく似ている。ちなみにフォードは、熱烈なナチス支持者だった。
「独裁者」(40年)公開直前、ルーズベルト大統領自らチャップリンに圧力を掛けた。親ナチスの資本家と外交を慮ったからだが、チャップリンは屈しなかった。ヒューマニズムに溢れたラストの演説は、アメリカ国内で酷評され、チャップリンを容共的とみなす保守派からの弾圧は強まる一方だった。戦後は赤狩りの矢面に立たされ、事実上の国外追放処分でスイスに渡った。
「独裁者」は4年前、フランスで再公開され上々の興行成績を挙げた。ベルリン映画祭でも最終日上映の栄誉に浴している。チャップリンはまさに、「世紀を超えた」普遍性を獲得している。
「私は悲劇を愛する。悲劇の底には何かしら美しいものがあるから」――。チャップリンのこの言葉に、喜劇と悲劇を併せ持つ作品の神髄が潜んでいる。直筆のイラストには“Ⅰ stand alone”と書き込まれていた。孤立を恐れず真理を追求したチャップリンの気概は、フィルムの中に生き続けている。チャップリンの魅力を再認識できた90分だった。
さて、本題。NHKで放映された「チャップリン 世紀を超える」は、未使用フィルム(アウトテイクス)発見を機に制作されたドキュメンタリーだった。
チャップリンは終生、弱者の視点を失わなかったが、生まれ育ったロンドンの貧民街が原点だった。3歳まで生き永らえるのは希な場所で、這い上がる術はパントマイムだった。<演技者チャップリン>は体を張ったフィジカルな表現を志向する。サーカスの綱渡りのシーンも、2カ月練習して自ら演じていた。
「独裁者」ではヒトラーをパロディーにしたが、<演出家チャップリン>はヒトラー顔負けの独裁者だった。アイデアが浮かべば次々試し、準備したストーリーを根本から覆している。撮影を繰り返す過程でギャクのレベルを上げる様子が、アウトテイクスに記録されていた。ドリフターズも故いかりや長介さんの下、本番ぎりぎりまでリハーサルを繰り返し、アドリブは一切なかったという。万人を笑いに誘うギャグは、身を削る作業によって誕生するものなのだろう、
1930年代前半、チャップリンは世界を旅し、チャーチル、アインシュタイン、ガンジーらと歓談した。番組では紹介されなかったが、チャップリンは来日時、5・15事件のテロ対象者だった。相撲観戦で難を逃れたが、日本の国粋主義者は既にチャップリンを危険視していた。
「モダンタイムズ」(36年)はフォードの自動車工場にヒントを得たとされるが、俺の妄想ではルネ・クレールの「自由を我等に」(31年)が元ネタである。「自由を我等に」では人間不要の工場まで想定されているし、2人の主人公が放浪の旅に出るラストも「モダン・タイムズ」とよく似ている。ちなみにフォードは、熱烈なナチス支持者だった。
「独裁者」(40年)公開直前、ルーズベルト大統領自らチャップリンに圧力を掛けた。親ナチスの資本家と外交を慮ったからだが、チャップリンは屈しなかった。ヒューマニズムに溢れたラストの演説は、アメリカ国内で酷評され、チャップリンを容共的とみなす保守派からの弾圧は強まる一方だった。戦後は赤狩りの矢面に立たされ、事実上の国外追放処分でスイスに渡った。
「独裁者」は4年前、フランスで再公開され上々の興行成績を挙げた。ベルリン映画祭でも最終日上映の栄誉に浴している。チャップリンはまさに、「世紀を超えた」普遍性を獲得している。
「私は悲劇を愛する。悲劇の底には何かしら美しいものがあるから」――。チャップリンのこの言葉に、喜劇と悲劇を併せ持つ作品の神髄が潜んでいる。直筆のイラストには“Ⅰ stand alone”と書き込まれていた。孤立を恐れず真理を追求したチャップリンの気概は、フィルムの中に生き続けている。チャップリンの魅力を再認識できた90分だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3%E8%B3%A2%E8%80%85%E3%81%AE%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8
この本に私財を投じて、ロシア語から各国語に翻訳して大量に印刷し、米国内のみならず、欧州全域にばらまいたのが、フォードだそうです。
ナチスとローマ法王庁との繋がりも否定できません。見えないところで悪魔たちが手を結び、ナチスだけを悪者にして戦後を生き延びたのでしょう。
少女趣味は相変わらずだけど、あんな無辜な物語を編み出すとは! リュック・ベッソン以外の人に映画化してもらいたいものです。
チャップリンでは「街の灯」が好きです。最後の台詞「あなたでしたの・・・?」「見えるようになった?」はどんな純愛映画よりも心に残ります。
これといったテーマ性のないブログですが、これからもよろしく!