酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

シャーリイ・ジャクソンが「くじ」に込めたリアリティー

2024-08-17 21:48:48 | 読書
 ミステリーでは伏線を回収するという表現が頻繁に使われる。作者が周到に用意した糸口がラストに煌めく瞬間こそミステリーを読む醍醐味なのだろう。こじつけ気味だが、将棋界にも<伏線>はある。10歳の頃、伊藤匠叡王に負けた藤井聡太七冠が号泣する様子が残っている。プロになって竜王戦、棋王戦に挑戦するもスイープされた伊藤だが、叡王戦で藤井に勝ち、全冠制覇を崩した。伊藤は伏線を回収したのだ。

 さらに伏線回収を狙っているのが佐々木勇気八段だ。竜王戦挑決トーナメント決勝で広瀬章人九段に連勝し、藤井に挑戦する。佐々木といえば藤井のデビューからの連勝を29で止めて名を上げた。昨季のNHK杯における大逆転勝利で回収済みと見做すことも出来るだろうが、〝イケメンの自然児〟が初めてのタイトル戦で藤井を追い詰める姿を見てみたい。

 前稿末に<材料がない>と書いた。別稿(7月13日)で紹介した「Shirley シャーリイ」はシャーリイ・ジャクソンの伝記映画だったが、観賞後に「くじ」(は深町眞理子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)を購入していたことを思い出す。全22作から成る400㌻超の短編集は、暑さで脳が溶けた俺にはハードルが高く、伏線を回収するには至らなかった。

 読書の際、俺は俯瞰で大枠を捉えようと試みるが、本作ではそれが裏目に出た気がする。シャーリイ・ジャクソンは母との関係から、結婚や家庭への違和感が作品を貫いていると評されている。だが、本作に感じたのは〝一般化〟ではなく、細部に潜む悪意、嫉妬、嘲笑を読み取ることの重要性だった。老婦人の孤独、近隣住民との齟齬、黒人の少年と家族への差別意識、息子の虚言、自身に潜む狂気に悩む女性、他者には窺い知れない男女の真実、チャリティーの欺瞞善意……。シャーリイは人間の負の部分を暴いていく。

 〝魔女〟と評されるシャーリイだが、翻訳者である深町眞理子氏の<駆けだしのころ――解説に代えて>を読んで、目からうろこが落ちた。シャーリイの作品には悪魔もしくはその化身の男が登場し、女たちを苛んでいる。改めてチェックしてみると、「魔性の恋人」のジェームズ・ハリスだけでなく半数近くの作品に、ジム、ジェイミーなど名を変えて登場する。「歯」に現れる背の高い紺色スーツの男が象徴的だ。夢や妄想に出てくる悪魔的存在を振り払うことこそ、シャーリイの執筆の原動力だったのか。

 ギネスブックに登録されているわけではないが、文庫本で20㌻弱の表題作「くじ」は、世界で最も議論された短編といっていいだろう。映画「Shirley シャーリイ」では若夫婦がシャーリイ宅に寄宿するが、妻ローズは「くじ」に感動したという設定だった。1948年に「くじ」が「ニューヨーカー誌」に発表されるや、〝何でこんなに後味の悪い小説を掲載したんだ〟という抗議の投書が殺到する。

 舞台は300人ほどの小さな町で、主な産業は農業だ。6月27日午前10時、晴れやかな天気の下、少年たちが石を積んでいる。住民たちも集まってきて儀式は始まり、各家族の代表者がくじを引く。景品は何かと読み進めていると、衝撃の結末が待ち受けていた。当たりを引いたのはハッチンソン家で、家族5人が再度くじを引き、黒い丸が書かれた紙を手にした妻テシーが生贄になり、石打ちの刑の被害者になる。衆人環視の下、100年近く続いた殺人が決行されるのだ。

 近隣の町でも行われている儀式はそもそも、非キリスト教的伝統に基づいた五穀豊穣を願う神事と見做すことも出来る。俺が思い出したのは映画「ウィッカーマン」だが、的外れかもしれない。ニューヨーカー誌への投書には〝どこでこんなことが行われているのか〟という質問もあったという。フィクションなのに、読む側がリアリティーを感じてしまう何かを、シャーリイは織り交ぜたのだ。

 第2次世界大戦ではアウシュビッツや原爆投下など、人類史を書き換えるような残虐行為が行われた。ささやかな共同体で、仮に犠牲者が幼い子供であっても、誰も罪の意識に苦しむことのない〝伝統的殺人〟をリアルに感じてしまったのは、1948年という時代も大きかったのかもしれない。
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